25年 9月号② - 海士中学校

か な め
が
お か
要ヶ
ヶ丘
丘
要
発
隠岐中学校
弁論大会
行
青山みずほさん
海 士 町 立 海 士 中 学 校
海士町大字海士九四四番地
所
住
青山みずほ
みずほさん受賞シーン
二年
三年
田中みさと
片桐 愛南
片松 優希
沼田 紗也加
吉田 晴勇
田中 ひかり
中川 美希
私は初めて、大勢の人に自
分の気持ちや意志を伝えまし
た。しかもそれは、人には言
い た く な い 内 容 で し た 。で も 、
私は二つの目的のために、人
前で本気で訴えました。
一つ目は、自分の心を整理
することです。この一年で沢
山の変化がありました。その
ほ と ん ど は 、突 然 で 、悲 し く 、
辛いことでした。でも、いつ
までもくよくよしてはだめだ
と決心し、弁論大会を機に心
を整理しようと思いました。
二つ目は、強くなろうと思っ
たことです。新しい生活の中
で、強くなりたいと思いまし
た。
この弁論大会で目的を果た
島根県硬筆書写
すことができ、元気を取り戻
す こ と が で き ま し た 。そ れ は 、
コンクール結果
最後まで自分を支えてくださ
っ た 、沢 山 の 人 の お か げ で す 。 ☆ 特 別 賞 一 年
次 は 、 そ の 人 た ち へ 感 謝 を 伝 ☆金賞
一年
えたいです。
一年
[email protected]
0 8 5 1 4 ( 2 ) 0 7 4 4
E-mail
T E L
真野拓哉くん
九 月 十 一 日 ( 水 )、 隠 岐
開発センターで隠岐中学校
弁論大会が開催されまし
た。生徒は各学校代表の弁
士の主張を聞き、自分の考
えを広げたり、今までの自
分を見つめたりするよい機
会となったと思います。
本校から学校代表として
参加した二名 の生徒も、堂
々とし た態度で発表し、青
二年 真野 拓哉
山みずほさんが優秀賞を受
賞しました。この大会で得
たくさんの人の 前での発表
た自信を、今後の生活に生 は、僕に とっては初めての経
かしていきましょう。
験 でした。最初から最後まで
( 永 原 )緊 張 し な が ら の 発 表 で し た
が、自分の思いをみんなに伝
えることができて よかったで
す。
また、この弁論大会をとお
して、両親や兄弟、そして学
校の仲間たち、先生方の温か
さをすご く感じた貴重な経験
になったと思います。これか
ら、この経験をむだにしない
よう、挑戦する気持ちを持ち
続けたいです。
平 成 2 5 年 1 0 月3 日
要ヶ 丘
海士中学校報
第 1 9 7 ②号
☆銀賞
☆銅賞
一年
二年
三年
一年
二年
三年
伊藤
久保
永原
波多
本多
村尾
真野
万代
久保
駒月
波多
波多
青山
磯谷
向山
村尾
宇野
江川
澤井
島根
磯谷
宇野
佐藤
真野
太陽
永吉
颯貴
なつみ
かすみ
美海
拓哉
涼
鈴夏
一登
海人
大成
みずほ
龍太郎
凪
和葉
綾音
こずえ
詠華
千穂
結加
未来
光瑠
里帆奈
なお、入賞者多数のため、今
年度も学校賞を受賞しました。
よい作品を作 ろうと、集中し
て取り組 んだ成果があらわれま
した。日頃文字を書く時にも作
品作りで学んだことを生かして
ほしいと思います。 (永原)
フレンズ宿泊学習
瀧川壮太
九月十二日と十三日に都
つも早くすわれたので、みん
県大会成績
晴香
ただ、やはり 故郷が恋しくな
ることも多いのですが…。今は
近くに同郷の方が少ないので、
故郷の言葉をすぐ忘れてしまい
方言のこと
山本
(大田市総合体育館)
「 た い が い に し ぃ 」「 高 く て
両 県 の も の が 交 じ っ て い ま す 。 たわん 」
「ど が ぁ か せ ん に ゃ あ 」
か「家あっちじゃけぇ」とか、
方 言 に は 「 最 近 何 し ち ょ ー 」 と 時は方言のリハビリです。
に も山 口県 にも アクセ スが 近く 、い 出 し ま すが 、 実 家 に帰 省 した
私 の 生 ま れ は 浜 田 市 。 広 島 県 ます。話しているとだんだん思
二―四
佐藤・佐伯組
七/二一
な に 「 す ご い ! 」 と 言 わ れ ま ①女子ソフトテニス部
した。うれしかったです。
野外活動では、班のみんな
一回戦
万あいらんどパークでフレ が ま と ま っ て 行 動 で き る よ う ・個人戦
ン ズ 宿 泊 学 習 が あ り ま し にがんばりました。みんなで
対
高津中
た。今年で最後の宿泊学習 協 力 し て オ リ エ ン テ ー リ ン グ
を し ま し た 。 ぼ く が い ち ば ん ②男子ソフトテニス部
退村式では、みんなでハイ
一回戦
二回戦
七/二一・二二
駒月・堂下組
一―四
一―二
〇―四
杵築・中村組
対羽須美中
めにキャンドルサービスを リ ー ダ ー と し て み ん な を ま と
対
斐川東中
の 生 ま れ に よ る 所 も あ る か も し げとる」なんて方言はこちらで
れ ま せ ん 。 方 言 に 関 し て は 生 徒 も伝わるのでしょうか。いずれ
に よ く 「 な ま っ て ま す ね 」 と 言 にせよ、方言をポロっと出した
わ れ ま す が 、 夏 に 実 家 に 帰 省 し 後に「どこ出身?」と聞かれる
た 時 に は 「 あ ん た ど こ の 方 言 し と、ちょっとに やりとしてしま
ゃ べ っ と ん 」 と 家 族 に 言 わ れ ま います。方言はそこから会話が
し た 。家 族 に そ れ を 言 わ れ た 時 、 は ず み 、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が
少しさびしく感じたと同時にな 生 ま れ る の で と て も 面 白 い で
ん だ か 嬉 し く も 感 じ ま し た 。 帰 す。もっともっと、ここでしか
対
て も ら い ま し た 。 ぼ く の ろ っ て い た ね 。」 と 言 わ れ た の
る 場 所 と 言 い ま す か 、 自 分 を 自 聞けない言葉と いうものを感じ
一回戦
二四―二六
七/二四
番方言を使うそうです。日々そ
一般的に、中学生の時期が一
ったかいし、ほっとする。
るのではと思います。だからあ
そんな場所を方言はつくってい
( 温 泉 津 総 合 体 育 館 )分 た ら し め る 場 所 と 言 い ま す か 。 た い な ぁ と 思 う 、 こ の 頃 で す 。
ました。大きなろうそくに
伯太中
対
一八―二五
④女子バレーボール部
一回戦
次第に海士の方言やなまりがう
り、その土地の言葉を使うとい
つったのでしょう。方言がうつ
一三―二五
うことが、私には自分の居場所
が増えたように感じたのです。
一九―二五
七/二四
( 大 田 市 総 合 体 育 館 )の 中 学 生 と 会 話 を し て い る の で 、
くがいちばん楽しかったの
対大田二中
にすばやく動きました。い
ぼ くは、早くすわれるよう
は 、猛 獣 狩 り の ゲ ー ム で す 。
ームをしたりしま した。ぼ
それから歌を歌ったり、ゲ
かった のであせりました。
がつかなかったし、火が熱
火をつける時、なかなか火
落とさないか とヒヤヒヤし
ていて、途中でろうそくを 学習はとても楽しかったです 。
うそくは、台がぐらぐらし で 良 か っ た で す 。 最 後 の 宿 泊 ③男子バレーボール部
様からろうそくに火をつけ 先 生 か ら 「 と て も よ く が ん ば ・団体戦
附属中
しました。ぼ くは、火の神 め ら れ た か 不 安 で す 。 で も 、
夕べのつどいでは、はじ タ ッ チ を し ま し た 。 ぼ く は 、 ・個人戦
ろうと思いました。
まとめられるようにがんば かったです。
ダーとして、班の みんなを や り な お し を し ま し た 。 悔 し ・個人戦
ーダーになりました。リー と こ ろ で す 。 何 回 も 負 け て 、
ぼ く は 、 サ ニ ー ズ 班 の リ 苦 労 し た の は 、 ジ ャ ン ケ ン の ( 江 津 総 合 公 園 テ ニ ス コ ー ト )中 国 方 言 と い う そ う で す が 、 親 「 す ぐ は ぶ て る け ぇ 」「 ひ し ゃ
です。
平 成 2 5 年 1 0 月3 日
要ヶ 丘
海士中学校報
第 1 9 7 ②号