会長大 島 長 村武 次 雀頭壬、口・高体連の口標 県教委田 一\ 男 次 操部⋮: ⋮−釜 部⋮− :⋮::::主九 撲部−: −−篭 ス キ ー 椙 イ イ 水泳部⋮: ・:四 ハンドボール部Y: 高按時代に望む 陸上競技部⋮: ・:∴一轟 ::f﹁、 ノ :∴両 球 部⋮ − パスケツトボ享ル部⋮: 排 ﹃p’:: 立目 こ 動 長 部−− 庭 球 卓 スケート部::・ 部⋮⋮:⋮⋮⋮:・⋮:・山穴 ・::毛九 ラ グ ビ ー 都:: 道 パ ード ミ ン トン部∵:: ::::、::六三 ⋮・嬰柔 サツカー部・⋮ ソフトボール郡⋮: 全日本高校バスケツトボール選手権大会に出場して:・ 高綺市立 第六回全目本高校バスケツトボール選手権大会に出場の回顧 館林山口同校 マラソンに於ける疲労の考察⋮⋮.− 群 大 金井喜兵衛 高等女学校 ⋮芙 鑓田治男・ 究 岡田三郊 三一 :∴δ −八 卓球生活を省りみて::⋮ 沼田高校 佐々木治子 ラグビー部 ⋮蓋 思い出深き卓球生活⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮:・⋮⋮ 前橋市立女 第八回国民体育大会に参加して⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・::−⋮⋮ 蔦崎高校 林 千森 ⋮芝 “フランス派”スキー大会に参加して⋮⋮ 連盟揖導員 昭和二十九二二十年度群馬県高等学校体育連明皿役員一覧⋮−−・ 高校の体育 ; ー 事 1 − 1 1 薯 ∼ 蓄 ー 犀 ー ” し ー ラ − 1 1 ー ヨ い “ 口 籍 R U ” コ オ コ ロ 薯 打 ” 高 体 連 の 目 標 会 長 論\ プ 寸 オ 武 男 h 近頃の新聞に自動車強盗を働いた大学生の手記としで、高校時代に運動部に入つたために悪友が出来、煙草や酒も大目に見られた ” d ︷ 員 “ というのが出ていたが、この様な例は勿論絶無とは云い切れない。しかし一般に碧い学生生徒がその純真な気持をただ一図にスポー 1 ー ! I I ︸ l ー − 謳 ‘ り ー モ “ ヨ コ 日 “ だわりすぎた曾ての誤りは勿論反省しなげればならないが。 は中々容易なことではない。絶対に安易な考え方は許されない筈である。スポーッも﹁道﹂であるという考え方が行鍋ぎて儀禮にこ J − i ツに打込んでいる姿は見るからに頼もしくもあり、その中から得られる精神的な鍛練というものは簡単に言葉で表せない貴重なもの 1 1 t 1 1 1 を持つている。又学生時代スポーッによつて結ばれた友情ほど美しく濃やかなものはないと云っても過言ではない。 ヨ f ! i スポーッを単なるレクリエーシヨンやシヨウと考える人々は別として、高校体育の健全な発達を目指す高体連としての今後の歩み 斬 H 目 臼 “ “ “ 翼 打 ” Q 罫 荘 も ” “ する様に指導することは、現在の様に行事の運営に忙殺されている高体連の状態から見て非常に困難なことではあるが、あながち不 と云つた人々に大きな反省を促したことを思う。若い学徒がスポーツマンシップとは何かを日常あらゆる学校生活から身を以て体得 U 白井に敗れた時のエスピノザの態度などスポーッマソシップの真髄を示すものであつて、アジヤ大会で日本が勝ちすぎて困るなど ロ ヨ む 月ト 転 耳 鱈 “ ヨ n ’ 巽 ” 姥 亘 鷲 F’ 口 も現在実施されている地区別面校体育大会をもつと内容を充実させ、もつと多くの高校生徒が参加出来る様にすることが理想である この意味でも毎年行われる国体は社会人に譲つて、高校だけの全国総合体育大会が一日も早く実現することが望ましい。又県下で 思うが、一方総ての高校生徒が立派なスポ!ツマンシップを持たねばならない。之が高体連の重大な目標であると思う。 h 可能ではないと思ラ。運動選手である前に先づ立派な生徒でなければならない、と云うことを総ての高校選手が忘れてはならないと 鯛 q ” 腫 耳P 蝕 彗, U れ 蝉 矯 h ヨ 翻 B卜 註 ” 翼 毅 日 ヨ 勤 る。 ︵一九五捜、七、七︶ d このために最鴬教育委員会や各高校の校長、職員の方々の深い御理解を得ていることに感謝の意を捧げ、今後の御協力をお預いす q 9 璽 欄 W 一 1 需 高校時代に望む 電点をかける必要があるのではないか。選手権は技術の最高を争う ものであり、学校対抗はカと団結の表現でもあると思う。 根本は大きく社会の体育に学校の体育は引づりまわされている感 た。各種スポーッは選手権を最高にして高校や大学に於ては学校代 は明治神宮大会というものは、心もひかず対象にもなつていなかつ の根本には戦後の国体の影響が存するのではないか。戦前高校生に るが、実際には年甲各種スポーッが時期を間わず行われている。こ ではないか。現在の日本にはシーズソ制は常識的には考えられてい ばそのシーズンに適する移動施設によつて現在以上の効果は上るの るのではないか。施設について根本的にはシーズソ制が確立出来れ 内の広範な地域に工夫することによつて生徒の要望するものは出来 みたいと思います。施設の充実は経済力によるかも知れませんが学 私はこ匁に於て学校施毅の充実と共に選手の独占について考えて か。その他にも就職、進学のための勉学も存在すると思いますが。 時に各部の選手の施設独占というような障碍があるのではなかろう れる様に出来ないものでしようか?そこにはいつも施設の問題と同 あると思いますが、出来うれば全員クラブ活動によつて満足が得ら しうる人員は三割程度ではないか。これはよく参加している学校で 種スポーッに参加しているとは限りません。各種クラブ活動に参加 たくなるものであります。然し学内の生活をみるとき、必ずしも各 高校生の時代は各種スポーッに大いなる関心を持ち、自己試技し 高校体育に原稿を求められましたので私見を述べたいと思います 私も若い時は無茶な練習をして何回か身体を害した。そして戦後 ますが、無我夢中で単に身体を潰耗することは健康上もよくない。 ある。若い時代は毎日規則正しく練習することが意義あるといわれ て異なるが二時間あれば十分であり、一日おきに実施しても十分で る時には毎日は続かないと思う。実の入つた練習なれば種目によつ 時間に重点附に練習することである。二時間の練習を本気で実施す 来ると思う。毎日集含時間を厳守Lて集合してもしなくとも予定の て先づ計画を樹てることと、時間の厳守によつて練習時間は短縮出 るのがどこの学校に於ても共通した現状ではないか。私はこkに於 練習をみますと毎日同じ様に課外二時間又はそれ以上を要してい 工夫によつて参加者は多くなり施設の解放にもなると思う。 チームゲームスに於ては練習上困難といわれますが、私は練習法の 拡大して誰れでもが自由に練習に参加出来るようにすべきである。 ふ様にすることである。これには常に固定した部組織のみならず、 あるから常に全校を挙げて、クラブ活動をし、その中より選手を選 少なくとも高体連の考えは対外試合の選手は固定化していないので 次に各部の独占を解決するには各部の練習法を改善すると共に、 ると盟う。 施設の利用も出来、多くの生徒の利用しうる施設の範囲は櫨大され ないか。同時にシーズソ制も確立されてゆくものと思う。その時に じであるが、高体連という組織の下にいつかは変化して来るのでは 表となる時には学校対抗戦であつたと思う。然るに現在高校生の最 三十才を越えて漸く理論的に運動を行ろことが出来、亦指導する様 県教委 田 島 辰 次 大の目標が国体といつた感じがしないでもない。もつと学校対抗に ︸ 2 ﹁ 来得る競技会を限定丁べきではなかろうか。常に自己の力と経済力 校の責任であると慧います。年蕩リスヶジユールを基として参加出 の通り競技会は年間行われて居りますが、之に参加するか否かは各 款に対外競技にっいて検討を加えねばならないと思います。前述 はなかろうか。 者より施設独占の非難も除去さ諺学内の団結と明朗化も出来るので クラブ活動は容易となり、参加瓢.虫も増加し常にクラブ活動をしない の律碗出といつた形である。この様に練習を幾、えなおすことによつて 一週間元気に出来るかというと最大五日聞位迄でそれ以上は故障者 う。長時聞の練習が効果あるとは思われない。例えば含宿練習時等 ずや一歩一歩対外試合や部のスヶジユールとを勘案して出来ると思 人種目を挙げたのでチ!ムゲームスは出来ないといわれますが、必 己の計画と部の計画両者をみつめて実施する時は簡単である。今個 人の種園に手を出してみたり、腰をおろしている様なことなく、自 あれぱ専問種目を行うとぎは三十分もあれば十分出来る・それを他 外には重点に向つて一つ二つ窺練習することである。例えば陸上で に基礎的な練習は学校に於ける休憩時殊に甕食休み時に実施して課 先程合理的な練習とい∼ましたが別に案はないが時間短縮のため 果は少なく、クラブ活動は困難となると思う。 れますが、泣くだけでなく就職進学等のため苦しみ嫌気が出ては効 ポーッを行うとき楽しくなければならない。 ﹁練習に泣け﹂といわ も出来ないと非,難されるかも知れませんが、少なくとも愛好してス 動は増大して来るものと思う。こんななまやさしい事では現在とて 大切であり、之によつて多くの者に施設を解放し、学校のクラブ活 な自信もついて来ました。技術の理論を理解して練習することこそ の人員が集まらなくとも鍵行する様にすることであるQ真にスポー よつて個人種目なれば倫単に、チームゲームスでは蒔間を守り予、定 が帽当あるのではないか?これぱ短時聞の練習の習慣夕.培うことに 画して借用することもあるので解決出来る。暇がないといわれる人 校時代の独占慾を放棄して簡単に出来るよう附近の学校に日程を計 と思う。クラブは自己の力で同志を作ることである、、場の問題も高 われる面と社会入の集るクラブがないということが第一ではないか がないからか、色々な原囚があると思いますが練習の場がないとい ないのか、練習の場がないのか、一人では出来ない社会人のクラブ であろうか。高校時代の過度の練習より来る嫌気か、経済的余力が に高校生の時スポーッを実施したものが社会入となつて出来ないの けられたスポーツを長く続けるものの少ないことであります。何故 クラブ活動に参加したものが、進学叉は社会人となつた時、基礎付 最後に私は苦い高校生に望みたいことがあります。高校生の蒔各 者はよく競技会の性格を知つて取捨すべきである。 くなる。近く文部省よりも対外競技についての通牒も来ますが参加 学校の経費も湖減出来、選手の過労は防止され、学業への影響も少 考えて参加することである。かかる方法で競技会に参加する時には との選手権もよいと属いますが、これに参加する時には自己の力を も校内の最大の大会は学校対抗と学校選手権であると思う。社会人 上の学校代表としての対抗試含に重点を向けるべきである。少くと 上する様努力し、段々範囲を拡大することにより全県的或はそれ以 た様に思われる。高校生としては時々対校マッチを実施して互に向 校との練習マッチではないか。最近隣接校同志の試合は少なくなつ や学校の立場を考えて参加すべきである。対外競抜の第一歩は隣接 一 3 綱 スボーッは育成され、長く愛好することになり、社会の中心的リー ります。正しくスポーッすることによつて将来自己の趣昧としての こには基礎となる高校時代を正しくスポーツして頂きたいことであ 期が来るものと信ず。常に私は長い競狡愛好者を尊重致します。そ 化してゆくものと思うQ学生大会の観ある国体はいつか腕皮する時 り参加出来うる時は来るのではないか。亦国体の性椿もその様に変 会人になつても続けることにより社会体育として華かなる国体もあ 人になつて少しも愛好しない様な人になつてもらいたくない。社 ーッを実行して頂ぎたい。線香花火の様に高校時代実施して、社会 年以上は必要である。私は若い高校生に祉会人となつてからもスポ ツを身に付けるには技の優劣はともかくとして、趣味とするには十 いと思います。 ていろく見せてもらつた事、おきXしたことを参考に綴つて見た 次に今冬、競技人厘れのまと静岡県磐田南高校に伊藤先生を訪ね に倍して伸びる年である様所念してやまない。 の進歩高体連陸上部の為によろこばしい事である。来る年も又それ の活睡振りまことにめざましいものがあつた。ほんとうに年々歳々 人として、六名の名をつらね、継走に高商チームが第二位と本年度 好成績をかち得たのである。更にこれが全国高体連陸h十傑には個 四点で第八位に、女子は二点にして第四位と、いまだかつてない 分な活躍として表われ、続く全国︸Hにも府県綜合に於て男子は一 接界の主力をなした。それが結果として関東IHには後記の如き存 せて二二〇〇名になんくとする多数に達し、名実共に県下陸上競 らはこれをのぞき見る事も出来ません。一周三百のトラックは三種 した土手に囲まれ丁度旧高崎聯隊の営庭を小形にした様な感じ外か 習の場所校庭はまた羨しい程整つていて、競按場は周囲がちよつと 生徒数約六〇〇名、校吉は玄関から整然として奇麗でした。彼等の練 ぢんまりした学園がある。これが陸上の名門磐田南高校なのです。 東海道線磐田駅下車徒歩で約二十分、ほんとうに静かな郊外に小 ダーとして社会体育を推進することになると思います。環境に恵ま れた学校体育より一歩社会に出てみれば組織も場も経濟的にも困難 に突きあたり終にはスポーツを投げ健康も害されることNなる。 私の思いつきを申し上げましたが要するに身体発達段階と糀神的 にも変化ある筒校生の皆様にスポーッを通じて身体的、精神的、社 会的にも健康になつて頂きたい人の範囲の拡大を意捌したものであ ります。 公認競技場で一面の芝生、7イールドには跳躍場・投郷場と完備して 球技場は別個にあり、ちょつと群、馬県では見られない好環境です。 本県高体連陸上競技部も、その内容が年と共に充実して、且つて 冬季最も寒い時でも年通算して霜の降るのは一週間位とか、したが 然と早くなるのではないだろうか?加うるに気候的にも快的です。 下 田 仙 平 本誌上で一人の優秀選手の輩出よりも〃競抜層の拡充強化ケを叫ん つて冬季練習も総べてグラソド練留が可能なのだそうです。冬の休 陸上競技部 だ時代と比較する 時 ま つ た く 隔 世 の 感 が あ る 。 みは学校で合宿練習をして充分基礎体力を鍛りあげる、それが終つ こんな環境存ら誰でも走って見たくなり、少し素質のある者なら自 本年度は登録人口、男子一〇〇〇名、女子二六五名と実に男女合 一 4 ︸ 島、大橋、平野等多数の有名選手を出し、全国大会にも旧制中学最 ドと恵まれた気候、そして猛練習この三者が湿然一体となつて、中 が切実な問題であり、大きな研究課題である様です。整つたグラン ては孜の飛躍をなしとげるには此の冬季の三ヶ月を如何にすごすか した。此の恵まれない環境下でどうやら現在迄伸びて来た私達とし 々との間に大きなハンデキヤツプがつくのも無理もない事と思いま と霜どけで最も大切な冬の三ヶ月を練習らしい練習の出来得ない吾 安心して出場し得る心身の準備が整つているわけです。風とほこり 四月の学期末休みに合宿練習を行つて、それ以後はどの競技会にも ︵中高︶ 千五百米 ①金井勝美︵伊高︶4分21秒6②目黒︵桐高︶③愛敬 工︶ 八百米 ①島田正二︵高工︶2分⑱秒7②金井︵伊高︶③土屋︵高 四百米 ①島田正二︵高工︶図秒2②冬木︵高商︶㊦奥原︵高商︶ 二胃米 ①井上光司︵高商︶24秒7②田中︵高商︶④小野里︵前高︶ 百米 ①井上光司︵高商︶n秒7 ②田中︵高商︶ ③上岡︵太高︶ △男 子 えされた。決勝記録左記の如し。 をパスした精鏡によつて、敷島競技場にはげしいせりあいがくりか 高等学校陸上人の憧れ、関東IHの予選会なる為、各地区予選会 後の京都大会、新制高校の名古屋大会、松本大会と三回の優勝をか 9秒4②矢部︵前高︶③石野︵高商︶ 五千米 ①愛敬実︵中高︶拓分2 て一月、二月と二ヶ月間ハード、トレーニング、三月はその仕上げ、 ち得ているのである。然し継走は未だ此の名門にして優勝した事は 百十H ①清塚久夫︵高商︶め秒8②栗林︵前工︶③高城︵前高︶ 走高跳 ①斎藤晋︵沼高︶ 米60②佐藤︵富高︶③藤原、︷局工︶ ないそうで、群馬が金沢と横浜で優勝しているのを見て、ほんとう たいと伊藤先生はもらしていました。 走巾跳 7秒3 ②中高 ③高工 八百米R ①高商チームー分3 私達はこの悪まれない環境を環境として冬季三ヶ月の空白をカバ 三段跳 ①斎藤敏之︵前高︶13米舶◎谷川︵中高︵③新井︵富高、︶ に継走優勝は困難な事であり、近いうちに継走優勝を成しとげて見 ーして全国優勝の夢の実現を近い將来に実現したいものである。 棒高跳 ①内田鉄太郎︵太高︶2米%②山崎︵中高︶①加藤︵桐商︶ ①蒼藤敏之︵前高︶6米鈴②蔑木︵渋高︶③小林︵高商︶ 県下各校の陸上叢技人の奪起を、うながしたい。 ①岩井光三郎︵下高︶抱米騒②中溝︵高商︶③松本︵高商︶ 砲丸投 ①岩非光三郎︵下高︶43米73③相原︵高高︶①佐藤︵館高︶ 〇四月二十九日 驚五園縣下潔人大会 於前橋敷島競捜場 昭和二十八年度の開幕大会にふさわしく・参加入員三百名を越え ハンマー 投 ①中溝敬三︵高商︶男米網②須藤︵高工︶⑳坂西︵前高︶ △女 子 ①宮本ユキ︵富束︶箇秒3②増尾︵高市女︶1 4秒3の常見 ︵高市女︶ 二百米 常見春子︵高市女︶四秒9の増尾‘高市女︶①岡田︵伊女︶ 百.米 盛会であつたが記録的にはこれぞと云うものもなく、只砲丸投に於 て、松本︵高商︶、神沢︵寮糸︶、金子︵高工︶と一二米に迫る記録を出 して、不振の投撚に一脈の希望をもたせた。 〇六月七臼 第六回縣下紳鵠閥校選手権大会 於前矯敷鼻競捜場 兼第六回関東IH縣豫運会 ︸ 5﹃ 炉 栗原 茂Ω削商︶ ①常見春子︵高市女︶14秒5②新津︵高女︶③今村︵太女︶ 三米 十二米十一 八十H 砲丸投第三位 十二米二 ︵砲丸投第二泣 神沢一蟻ゐ︵添糸定︶ 伊 第四位 十一米八十九 岩非光三郎︵下高︶ 金子宗平︵高工︶ 厚 第六位 十二米五十七 三十七米七十五 四十九米三 高橋恒夫︵太高︶ 一二本ー山ハ乱小十−四 円盤投鋸覧位 百米第二位 十一秒六 二+四,秒〇 十一秒五 溝水工子︵下高︶ 滝 作子︵館女︶ 戸谷美恵子︵中高︶ 高女チーム 高市女チーム 常見春子︵高市女︶ ︵高市女︶ 鎗投第匹位 三十一米八十六 走高緋優勝 一米五十三 走巾跳第四位 四米七千六 窪 第四位 五十五秒七 四百米継走第三位 五十五秒二 八十登第五位 十四秒四 百米第六位 十四秒五 百米 第五位 十四秒一 ︷ 走巾跳第三位 四米八十五 百米第三位 十二秒〇 入賞者数 二十一名 宮本ユキ︵嘗箪果︶ △女 子 安達一男︵蝦高定︶ 四百米瓦 ①高市女チーム%秒60高女チ;ムの.伊女チーム ①溝作子︵館女︶,,米め ②岩崎︵吾高︶③塚越︵高女︶ ①戸谷斐慈子︵中高︶4.米而0宮本︵富束︶の、岩崎︵吾高︶ 尭高跳 6◎倉橘︵ハ馴術女︶①江原︵藤女︶ 津あやの︵高女︶9米2 ①清水工子︵下高︶32米珍②近藤︵下高︶ ︵高女︶ ㊦清水工子︵下高︶乃米紐⑨小島︵伊女︶ ︵利農︶ 碓丸長 槍投 ・ 〇六月[二十 七 、 八日 第六回関東︸H陸上大会 於埼玉県営競技場 本大会は全国玉Hへの関東地区代表選手決定の大会である為年々 ︵中高︶ 百米第六位 二十四秒一 その競捜は燵烈さを加え、ぬか雨の降る恵まれない天候ではあつた ︵太 高 ︶ 二百、禾第四位 が誠に盛会であつた。本県の成績も年々向上し、特に本年はその入 ︵高商︶ △男 子 井上光司へ高商︶ 五十三秒五 二分六秒〇 二分四秒二 星野亮正 四貰米第三位 八百米第五位 八百米第三位 十七秒六 ︷ 三段跳第三位 ︷ 大会も雨、本大会も雨、いつの大会も雨に見まわれブ、、コンデシヨ の為にお疏れ、期日を遅らせて横浜三ツ沢競投場で、行われた。関束 本年度は熊本水前寺競技場で行われる筈であつた全国大会も水害 第六回全国IH陸上大会 於横浜三ッ沢競技場 ○八月十五、十六日 金井勝美︵伊高︶ 百十MH第六 位 一分二十五秒六 ソ不良、然しながら県代表の選手諦君の活躍めざましく、男子一四 、 栗︸隙千私︵前工 ︶ 八、颪米継走優勝 六米六十七 六米三十五 点で県順位八位、女子一一点で県順位四位と大飛騨であつた。 二百米第三位 ︷ 賞者数に於て過宍何回かの大会と比較する時異常の躍進であつた。 田中 稔 ︵高工︶ 車品誌剛チーム 走巾跳第四位 六米三十五 尭 三チームの多きに達した。 継 島田正二 ︵前高︶ 走巾跳第六位 中尾繁利︵前高︶ 砂 一 6 一 記録 〃 潔 〃 〇十月六日 全国高綾駅伝蕪関東高校駅伝予選会 五十一米四十四 六米五+五 十一秒七 〇十二月二十七日 第四回全国高校駅伝 関東大会出場権獲得校⋮⋮高商・前工・桐高.伊高・大高 第一位にて全国大会出場権を獲得。 天候に恵まれて、参加各校よく奪斗、その結果⋮⋮高崎商業高校 前橋←渋川←高崎←前橋 一分三十五秒一 県代表高崎商業高校チーム、坂東監督引卒の下に勇躍壮途につく 大阪毎日マラソソコース 一米四十八 十三秒七 特記すべきは高商の八百継走優勝、滝作子さんの走高跳の三連覇で 百米第五位 あつた。 星野亮正︵中高︶ 走巾跳第四位 槍投第四位 斎藤敏之︵前高︶ 岩井光三郎︵下高︶ 八胃継走優勝 八十H第三位 高商チーム 常見春子︵高市女︶ 厚 ケ も第一区のブレーキによゆ以外の不振、結局参加チーム、四七中三 走高跳優勝 〇 十 月 十 、 十 一 日 第六国縣下高校対抗陸上 於前橋敷島競技場 一位にて涙をのむ。 所用時問二時間二七分三九秒。 滝作子︵館女︶ 恒例の県下高校対抗も、参加人員年々と増加し、高粉陸上県下の 第二二位 3磐明 潔阿h 〃 び 四睡、問一七分八秒 四時間一三分一七秒 四時聞二こ分九秒 四時間五分ニニ秒 四時間三分四五秒 東京←大宮往復 ○二月十四目 高商 第壬二位 関東高校駅伝 精鋭を動員し、華々しく、そして堅実な歩みを、全大会を通じて誇 大高 示し得た。 男子一部 第三二位 第三三位 桐高 伊高 優勝 高崎商業高校 得点 一〇一点〇 二位 高崎工業高校 〃 七五点〇 〃 雪の猛烈に降る悪天候をおかしての参加は選手諸君には誠に気の毒 第三六位 男子二都 な大会であつた。参加選手の涙ぐましい奪斗もむなしく結果は以上 前工 得点 五一点6H の様にしてまつたく不振、綜合順位最下位にて、涙をのむ。 三位 前橋高校 ρ 六三点五 二位 前橋商業高校 厚 四四点〇 ○全国高校陸上十傑章 本年度より全国高校+傑章が制定され、本県陶係では左記の者が 三位 前橋工業高校 仔 三五点111 女子の都 授与された。 斉藤敏之︵前橋高︶ 走巾跳第九位 厚 六米六七 高商︵田中.松井・小林・弾上︶八百継走第二位〃一分三四秒八 井上光司︵高崎商︶二百米第五位 記録 二三秒三 高崎女子高校 得点 四二点Q 二位 高崎市立女子高校 〃 三二点五 ノデ 三位 伊勢崎女子高校 〃 二四鮎○ 一 一 7 一 岩井光三鄭︵下仁田高︶ 槍投第三位 記録 五四米ニニ 運動選手は各部から一般生徒は各学年から選んだ。 ︵乙 雌尋 3 5 最高、最低血圧︵脹圧︶ ドナヂオ反応︵尿コ・イド量測定︶ 身体柔軟度 マぬしがロけけダユ 一 卜日琶日司琶.一ミ 脈 搏 陣常値/ 8 =ヰ 一 乳、,,7. 黛’ 凸︾ る 五η﹃ 図 一 ⋮ 1つ [ヲ しー6;t1 てユ [ ξ ︷ 1 ︹1 つ 11! −﹃2︸ 。﹄4﹄−。﹃ O ,ワ﹁臣﹁巳 似、 0.一 〇 G ⋮ーー一ー蹴Lーーfρ 世 O 王 ℃2≧ ∼ β 06 一砂m謎 α4豆タ一α α 4⋮ ハ 0心3㎜0 ︸ ﹁咀 2︸6︸4皿6・7︸8匡r﹄髭 。︸。㎜。一。㎜。︸。⋮。。㎜。一。 。 。一。。 0﹃0 3 一〇一〇⋮0 ﹄﹄トゆhP[いじbじい旨卜陰bト四 7 7 計 色、︵5 ㎝−忍 f 2⋮3㎜−. 4 一5 P /P. ノ ほβ の い 、H/H. / 冒葦琴一萱‘弔︷,﹂詐’ト糞き重糞嵯・嚢 亜旨fセ∼5皇5 垂 軽窪 畦、⋮.監⋮嘉 [⋮ 茸+ わすものとみなされる。H、麟の増減は次の通りである。 反応による︵蓄の抱容能の減少の測定を以て肉体疲労の程度をあら り血液の予備アルカリが械少するために酸性症を起す。ザンブリニ 運動により唾液の酸性度︵PH︶は下降する。激しい肉体運動によ ザンブリニ反態 1 三 、 実験成績 6 ザソブリ一一反応︵唾液の酸性度︶ 被検者は次の項目により検査した。 岡 田 三 郎 1 常見春子へ高崎市女高︶ 八十H第七位 π 二二秒一 滝 作子︵館林女高︶ 走高眺第一位 厚 一米五三 清水エ子︵下仁田高︶ 槍投第一〇位 庁 三四米六〇 以上昭利二十八年の戦跡を顧みて全国大会での入賞者九名、全国高 校ベスト、テンに入る者一〇名を出した事は本県としては異常の進 歩躍進であつた。只トラツク、フイールドではこの躍進をなすも、 駅伝ではいさ&か淋しい結果に終つてしまつた。長距離随一の奪起を 望みたいものであ.る。 群馬大学 マ ラ ソ ンに於ける疲勢の 考 察 一、緒 一冨 今般高体連の依嘱により桐生高校全校マラソン大会に於ける出場 者の疲房について綜合的考察を行い長距離競走が青か年の肉体に与 える影響について検討し併せて運動選手と一般生徒を比較研究する ことを目的として調査した。同校全校マラソンはAB圃班に分けて 行われる。参加者は身体検査と本人の意志によつて班が決められる 特にッ反応陽転者は医師の精密検診の結果参加して差亥えないもの のみ参加させる。 二、実験方法 参加者七百余名中から研究対象をA班中から約五拾名抽出した。 抽出方法は運動部選手と一般生徒中から略同数を選んだ。 ︸ 8 ︸ 咀減少せるあへ⋮名︶六六% 叩変化ないもの︵=二名︶二六% 耀響るあ︵四名︶八% 2 最高、最低血圧並に賑圧 O q 。一 ∼ ー マ﹁ 1 1 i 、 ,−1−f=, 一−︸ 91一 O q 2∼つ 1 1 1﹂3 i−−1﹂ O G. Gろ︷∼ つジ 久 ∼ ︷ −一2 0 2﹃・∼2 0 0 八U − 一 ︸ oT一〇 4 皿 う ー 0 O n乙 0 0 。⋮。⋮。︷。 。 −一2︸ 4 1 デ 0㎜0︸0︸O﹄﹄0︻ 0 空29 岬 o了∼ 5∼ .10∼㎜20∼ 4 9 十 麟.、 12 2 2 2㎜丑・ 4 ㎜ 。[。一。 。一 :倒− 2一︸。一−㎜i⋮ −﹂﹄1ー。㎝。皿 6︻6︸2一2︷ 。一6 四〇% ︸2︷ 一六名 $μ 手 増加者 二潔 蓼抑 概して鍛練者は非鍛練者よりも上昇の少いこと李常値への恢復の速 変化なし 運動中は賑圧は上昇して運動が終ると下降し漸次平常値にもどる かであることは一般的に知られている。血圧は心臓の牧縮期と弛緩 五五厚 −里。﹃ ﹁ − ⋮ − 2 6 3 ∼89⋮。﹃。 3 五〇% 14。︸7m コO名 一〇厚 ・2︸8τ 増加者 四κ 四〇仔 劃 変化なし 一六μ ◆ 脈 圧 減少者 8。 mゐ ・㎜ 6・ 蜀∼盤。⋮⋮巴■巳。﹂D[μゆト 囎あ一。︸ 響/董%夙珍劃914B / 増減 ◆ 最低血圧︵人員︶ コニ厚 0 0 0 0 士一 減少者 / 期とで差がある。牧縮期の血圧を牧縮血圧叉は最高血圧、弛緩期の血 厘を弛緩血圧叉は最低血圧という。最高血圧と最低血圧の差を脈圧 とい鼓その三者の比は概ね三、二、一といわれる。血圧の高さは作業 力︵駆血量︶と血管の性質︵抵抗︶、全身血液の総量により右左される が必ずしも量的に正確に比例して変動するというわけではないが相 互の高低増渡の間に大体において並行がみられる。桐生高校全校マ 9∼万∼ 1 。一。︸。 17∼− nU O − O 0 0 。、。︸ 0 .0皿0 0 0 乏− o︸ 4 ラソンに於ける最高、最低血現及甑圧の関係は次表の通りである。 0、︵ 石ノ∼ 十 ◆ 凱取肯回血圧 ︵人口貝︶ 増減 / 。︸ 30 0 2 0 。︸ ロ 2 0∼ 0∼ − 、 ラ ∼ ミ 1 0 39 9 ︸ 9 9 ︸ 1 ﹃] ワ一 3 ﹃ ︷ ’仕f / / 李常値 7∼ 0η 歯一9︷。∼ 8・ 卯∼里。一。一−一。一 ㎜−塑。﹃2︻2皿。︸ 。ヨ︸ 増加者 一八名 四蚤% 変化なし 一厚 $厚 残少者 二〇〃 孟○厚 ,5 1 8 5 到着順 脈圧の最も淑少した四例について最高、最低及競技成績は次の通り である。 4. の 運動豊運動 後一 ドナヂオ反応 番号 薯璽脈景棄低璽△B亙D 団娼一 ずつ む 2. 艶 ヱ 一 ︸ ︸ ﹁ー§ 殿往症肋膜炎不明 − 0 5一8一〇﹄0﹁ 1 9 ︸ 9﹁3 ﹄ 2一㎜迦 2 1 1 0 6 94 24望−d﹁型 5 3 5 土墨﹄ヨ勢 ﹄−芝翌 2魔蚕﹄ 筒H塘、 に⋮隔鈷ヨ 3 ドナヂオ反応︵山添簡便法による︶ 尿中の成分は体内代謝歌態を反映するものであるから運動の激しさ の程度によつてその変化も一様でない。ドナヂオ反応は肉体運動に より尿中に増加する中間代謝物質の増加する量を測定して疲勢の程 え 8 一時間後 D 度を判定するものである。ドナヂオ値2てO以下正常、三、O∼ B ﹃ う 3 一 ㎜ う Z 出発面前 一 到 芦 直 後 一 C 四、○を中等度陽性蜀、Q∼六、○を強度陽性とする。 φ 運動選手と一般生徒のドナヂオ値 比 較 、ドナヂオ A ⋮ 平常尿 8 − 一 // 値 ろ 種別 / 運動選手 α 一般生徒 O I つ議 、0 飢 5 麟 ド﹄ 平常尿は一般生徒及運動選手大差なし。一般生徒中に四、O及三、 0各一名運動選手に三、沿が一名あり多くは一、○を示した。運動 選手の三、諭を示したものは平素から高い値を示す傾向があり、一 般生徒中の一名は平素から疲劣しやすく当日も体の調子が悪く微熱 があるものであつた。 B尿は出発直前で稽一般生徒が高い。ウオー、・・ングアツプの程度 はむしろ一般生徒よりも選手の方がはるかに強い練習をしていたの にドナヂオ値は一般生徒よりも低い。 C尿ば一般生徒より蓮動選手の方が高いのは一般生徒よりも走力 紛 一 運動選手の方が強いものであると考えられる。 一 に於てはるかに速いピッチで走つたことにより身体に与える労作が D尿は運動後に於ける恢復を示すもので運動選手の方が速いこと がわかる。 ◆ 競技成績とドナヂオ値比較 競接成績上位二〇位以内下位五〇〇位以内 C D りう 4 ,,⋮II,σ ー、ー,駆,却ザー αー,ー,車ー⋮ぎ,:⋮tl;ー3 , 1 ﹃ Z Z 3 A一纂 、 4 ,1ヨー瓢:,㎜ 盈 π 様“異饗擁眠襟ー聾ーー■ーーーーー,ー,,、、ー,ー,轄■,、ーーーー㎜ 例 数 血 /ノ ’ 競技成績、!1仁 上位成績. ー 皿 Z ヤ §﹂“ にノ ,﹁ーー⋮6 ゼ≡軽弓養§評き。 血下位成績 両者を比較Lて強いて練習効果を求むれば競技成績を棄、慮に入れて 下位者に比べてはるかに急ピッチで走つた上位者のドナヂオ値の低 いことを考慮してみると或程度認め得るのではあるまいか。 運動選手と一般生徒の蛋白尿比較 c 尿一D 尿 ⇔ 8 尿 一 .ーー鞠 A 尿 %一 %% % 諮﹁萱拶皿 ハ 不 明 ︸ 一運動選歪 0 ∈蝶凶日トレ妹甦沼 A尿は両者な﹂、お尿未検査、C尿運動選手より一般生徒に陽性者多 し、D尿は運動選手はC尿と同率なれど一般生徒は減少している一 般生徒の蛋白尿の多いのは平素の身体鍛練の少いため長距離競走に よ り 尿 に 与 え る 変化の強いこ 差あ嘉す島であろう・ ㎜ 4 身体柔軟度 L㌦ 体前屈計により競技実施前後 争 窯 爪 陣柔軟度日 運 動 づ 送 の筋の柔軟度を測定した。運 灸 る男 動選手と一般生徒に分けて柔 一 軟度の変化を比較してみると 明らかに筋の柔歎度には平素 トレーニソグが影響するもの であることがわかる。トンプ ソソ 棄 却 薇 定 法 に よ り 九 田 % の信頼度のもとに検定して運 動選 手 と 一 般 生徒の差を有効 と認 め る こ と が 証明された。 愈 運動選手実測値、︵李常 糎︶ 値に対する運動後の差 5 下腿周囲長 長い間疹及走運動を継続すると下腿の周囲長に変化をみることがあ る。特に長距離の行軍の場合距離に関係し周囲長に増減が認められ ることは慈恵医大の甲府高校一誰夜行軍に於ける研究により既に発 表されている、本研究においては走運動に際L如何なる変化をもた らすかについて検討した。 呂百[6 器%%男一 α 一α一α 2糎︸4 ︸6 4%一〇 2% 一2 0 i . の 而 ω ロ 重育⋮・ 童、 、︷; ーきーー1ーーi⋮⋮ーー嚢ー!︷調 周開長㎝ + 土 4 0 増塾 人 員︸ 0% .・笈2 申﹂− 皿 百分比⋮ 下腿周囲長の変化をみたもの約八○%でその中増加者九〇%減少者 一〇%である。増加の最も多いズニ糎の一名は途中で大腿部の筋 痛が原因で落伍したものであつた。 7K 窟 6 翅 ㌘ 卓 潮g﹂珈 . 時吻 ♂ 運動実施一時間前に奉常値の測定を行い ● 卓 / ヨ ひ ● ー逆 ! ・.o・ 営 ものは認められない。若干のアルカロージス ザソブリニ反応による変化は概して張度の 四、総 括 ッ.7の影響によるものであろう。 る。試合前の精神的衝撃及ウオー、、・ングア 前の脈搏が相当増加していたものを認め ノ づ をラ 噸 ‘ ・. θ博 運動直後に再び測定した。佐復の経過を検 ウ の ロ のの ヲ か ㌔遵漁4 剃淋 討するために更に一時問後測定した。運動 獅.属鞭編 肱 。。。.陶。曹 9︵ %御即帥 馴 ︵運鋤乗瓶笹 ︸ U ︷ かに大なるものを認めた。従つて疲労度も弧いものと思う。以下辻 本研究は約八粁疾走によるものであるから血圧に与える影響もはる 辻内科の研究による中等挙校生徒三百米疾走による影響と比較して のものを認める。強いアチドーヂスもなかつた。血圧の変化は京大 本研究に於げる各種疲労判定法による綜合的な検討にょれば高校 していることが多いQ ると疲労感を強く覚え下肢の倦怠を感ずる時は下腿の輝囲長の増加 下腿の周囲長と肉体疲労の関係はわからないが、余の体験からす を捧げたい。 参考文献 1 山添三郎 7 O.国窪P伽巴 6 岡田三郎 5 長田 頁田 3 渡辺 巖 酒井敏之 4 長田書博 疲勢判定注 疲労研究の共同実験 ザンブリニ渡翅法 日本内分泌10の7 体力科学2号 青年男子の血圧 這切oo≧遣 体力科学1巻2号 o一9 一〇一噛卜 ﹂一 り>同ぴ①坤ooげ<o 長距離のトレ;ニソグと ドナヂオ値の考察 時間強歩の体力的研究 24 2 山添三郎 尿田及ドナヂ高套 ドナヂオ反応に関する研究 医学と生物学 教宮諸氏及匪学部由添教授、抑沢教授及高体連研究部に心から謝意 終りに本研究に御協力を下さつた棚生高校野村校長、上田教官並 思5。 ることが望ましい。この点桐生高校の体︷再管理は適切周到のものと 生の八粁∼九粁疾走は危険の伴うものとは思われない。只例外のあ 4%、 67% ︸ 憩%一 菊% 士 ↑一 内科と比較してみよう。 に−一 9/。︸ 5 0 へ %一 + [ ることに注意し学校当局の適切な指導も行き届いた管理の上実施す 1 ヘ い 66 %㎜3%一鑑 4% 0︸ 5%⋮ 努髪 +︷士︸ニ ㎜/塘蝋,娯⋮,司,血ー圧⋮刷﹃講⋮﹃ ー 酋τ 千か﹄ ﹂r / / ろ 種 ∼別/ノ F 辻内科 最高血圧の増加は辻内科に多く最低血圧の増加は桐高にはるかに多 い。それは肉体運動が激しく長時間続くため心臓の疲労が桐生高校 の方が多いことを示すものである。脈圧の特に減少したものは運動 選手には一名もなく競技成績下位者に多いことは運動選手の李素ト レーニソグの効果を認める重要資料ともなるものであるo ドナヂオ反応に於て特に注目されることはトレーニソグの影響は 概して少いことΣ運動後蛋白尿が相当多く認められたことである。 身体柔軟度は肉体運動の強さにより相当影響を受けるものである 叉平素身体鍛練の少いものほど柔軟度の多く減少することが著朋に 認められる。特に上位入選者の柔軟度は下位者に比較して非常に影 響の少いことは鍛練効果の相当明瞭に示されるものであることがう かがわれる。 脈抽は一般生徒に比べて運動選手の方が増加も少く恢復も速やか である。 ゆ 帥 珍 ︸ バスケツトボール部 沢山なプログラムが実施された。従つてこれらの刺戦も大きく、目 本パスケットボールも漸く国際的になつてきたと思われる。又バス が乏しかつた。 て高校生としてのファイトとか喰い下る体力とかの独特な、面の動き プレーを眞似る以外の何物でもないと芸つても過言ではない。従つ 間に合はせる為めの練習のみが多く、しかも一流選手のフオームや しかし麟つて冷静に反省して見ると最近どのチ⋮ムも単に試合に う自信を深めたと思われるので誠に喜ばしい。 全般に熱意が盛り上つたのでやれば必ず上位進出も可能であると云 熱戦接戦が各試合毎に展開され反覆された。此の面では可成り県下 昭和二十八年度は各校チーム共夫々実力伯仲でシーズン壁頭より フアイトがなく誠に残念であつた。要するにこれらのチτムにはこ としなかつたのは一寸淋しかつた。其の他桐工、前工あたり前年の 高高は国体関東ブロック予選にまで出場した実力を持ち乍らばつ けたものと認められるので敬意を表したい。 ない活躍もし好成績を残したことはやれば出来ると云うことを裏づ た。北関東、関東大会、全日本等に群馬県代表として毎回出場し恥 県下高校としてはホームコートを持たぬ館高の進出が特に目立つ る唯一の道は国の代表として恥じぬスポーッマソになることである 力の練磨とその養成に努力しなければならない。国際親善に尽し得 も述べたように外国遷手のはなやかさに憧れる前にお互いに基礎体 ケット競技を通じて国際親善にも尽し得たことは事実である。前に 美しいフオームやプレーを真似るのが悪い訳はないが、その前に れというきめ手がなかつたのではないかと思われる。 清 水 貞 保 必ずやつておかねばならない間題がある。少なくとも強力な体力と 女子高校は高市女あたりがシーズソ初め張り切つていたが例年の ・ たい。 線で止まつた。女子チームは県下全般にもう一度立ち上つてもらい てれから自然に生れでる激しいスピード、或はパス等の練習がある 筈だ。これらは平素から長い聞の反覆練習によつてのみ得られるも ので極めてじみな練習である。しかしこれらは必ずやらねばならな ら正直に取くんで堂々と出発せよ﹂との一書につきると思う。 うに汲汲とする前にバスケットプレーヤーとしての常道を真正面か 要するに高校生としてのパスケット練習のあり方はコ耕しきを追 が手につき、ボールと体の動きが一体にならなければ駄目だ。 バスケツトボールは・ての上に基本の反覆練習をつみ、所謂ボール 第五回北関東バスケツトボ亜ル選手権大会麟焉縣豫選 してもらいたい。 ど顔を見せないので誠に造憾である是非共高体連行事に進んで参加 唯北部地区は年々地区内の動きも不活溌であり県大会鎮、にも殆ん で此の面でも運営の妙を得て一暦の成果をあげたい。 の積極性とが融合Lて多数の参加を得、年々好成績を牧めているの 地区的には東部、中部、西部共に地区委員の獄身的な努力と部員 国際的には昨年度に続いて米国プロチーム、大学、ナーム、フイリ 一 期 日 四月二十九臼、五月三日 い。 ツピソチーム等の訪日、日本選手のアジア大会遠征等々可成り盛り 一 13 周 三 会 場 高高、高市女高、伊女高、群大 二 滲加校 男子二四チーム 女子八チーム 前女2−0冨女 準決勝 桐工35−H 高 商 高 高 7 7 − 1 4 前 工 ︵ 定 ︶ 8前商定︶ 太高凶ー28前商 館高81−3 三 回 戦 ○女子之部 関東高校バスケツトボール選亭樽大会縣豫選 代表の7アイトに押され優勝を逸したが県のために善戦した。 調に決勝に進み宇商高と対戦、宇商高拓ー48桐工高の成績で栃木県 高が準決勝に進み宇商高に惜欺、桐工高は県代表として予想通り順 本県代表男子の部は予想を裏切り一回載で高高が敗北したが、館 つて一回職より熱戦が展開された。 群馬、埼玉、栃木、茨城四県代表の精鋭男女各一六チームによ ニ ム諏 ⋮場 埼玉県大宮スポーッセンター 一期日五月十六、十七日 第五回北関東高校バスケツトボ量ル選手権大会 市女、高女、前女の夫々三チームが決定された﹄ 決勝戦は行わず 本年度北関東大会群馬県代表として桐τ高、館高、高高、女子高 男子之都 一回戦 太高39110利農 前商281珍桐商 前商︵定︶32−29勢農 22 伊工 高工2 21 0藤 高︵定︶ 富高36124桐高 高商 2 1 4 2 前工︵定︶33t14松高 桐高︵定︶2710 2 前高 二回戦 0前商︵定︶ 6藤高 前高︵定︶録ー3 太高%ー3 2前工 桐高3913 4伊高 館高砂−四藤高︵定︶桐工努ー2 6富高高商わー2 7高高 館高男ー32太高 桐工図i2 一期日五月十日 前 工 ︵ 定 ︶ 刃ー38蚕高 高高犯ー20桐 高 ︵ 定 ︶ 三位決定戦 二 会 場 高市女高校 藤女顕ー33前市女 三位決定 高市女44−32藤女 高女3 1i16前市女 二回戦 藤女舅!餌伊女 前市女M−乃前女 女、高女の六チームの閲で行われ。 一回戦 群馬県代表三チーム決定戦が高市立、藤女、伊女、前市女、前 高 高 男 ー 顕太高 決勝職 桐工男ー38館高 女 子 之 部 一 回戦 高市女わiB前市女 前女わーB藤女 富女幻!珍伊女 高女昭−捗太女 二回戦 7前女 高女6 高市女瀕ー1 619富女 三位決定戦 一 厩 ︻ 群馬県代表三チーム決定戦はさきに行われた北関東県予選の二 二 会 場 高崎高校 ︸期日五月 二 十 四 日 ○男子之部 東大会出場灌を、獲取した。 結局北関東入会に出場した高市女、高女と新しく藤女が入り、関 たが蔚麦糞︵轡鴎︶憲毫鍍した. され乍らも艮く喰い下り、後牛シユートもきまり同点の善戦をやつ 進み新潟県三条高校と対職前半2−3のハーフコートアタックに押 桐工、太高共に振わず夫々一、二回戦で敗北。喜、∼,μ三回戦に 二 会 場 神奈川県 一 期 口 六月†三、十四、十五日の三日間 関東男子高絞バスケツトボール選手権大会 封、後半福島Gのロングシユ!トよく決り第四クオーター、アタッ 館林ゾーソのフツトワーク、速攻、遅攻共に好調で福島の攻撃を完 む、東北地区の優勝校で本大会の優勝候補、福島県代表との試合、 ゾーン、和歌山マソッウ、館林長身を利用してフオロー強く、速攻 もセットオフエンスも作戦が功を奏し完勝、翌目の第二回戦に臨 高市女と共に本大会に出場、 ﹁回戦は和歌山県代表との対戦、館林 三年闘の叢苦が結実、県予選優勝の館林高校が群馬県代表として 戦が展開された。 ムが参加して八月六日より五日間新潟市寄居中体育館外三会場で熱 第六回全日本高校バスケットボール大会は、全国の男女四†七チー 第六園全日本高校バスケツトボール 選手権大会に出場の回顧 回戦勝者桐工、前商・前高︵定︶、高高、太高・高商、前工︵定︶、 館高の八チームで行われ一回戦より熱戦が展開され結局左記成績 にて 一回戦 桐,工48Lわ前商 高高n−33前高︵定︶ 7前工︵定︶ 太高29ー望、、同商 館高63i2 二回戦 太高射ー36館高桐工舶ー躯高高 三位決定戦 3高高 館高3413 北関東大会に出場した桐工高、館高と新しく太高が入り関東大会 出場権乞獲収した。 関東女子高校バスケツトボール選手権大会 一 期 日 六月六、七、八日の三日間 二会場東京都 豪福島を破つた。 ク戦法で館林のべースを乱し、巻込むかにみえたが舅ー弱で途に強 戦に進み再度浦和笙蕎と譲鷲碧笙女募︵響陥︶四 第三固戦は三条実業、前半FCの活躍で2 7i乃とリードしたが、 藤女高、女共に振わず夫々一、二回戦で敗北。高市女高が三回 高市女高にて試含運に悪まれず惜敗した。 一 影 一 後半やk固くなつて得意のロyグシユートにも精彩を欠き、選手の 疲勢がスローアツプの差に現れ地元三条の鷹援に乱され、主条の速 攻に惜敗した。体育館の施設もなく、刺激も少く伝統の淺い館林の 戦績は協会員の賞讃の的であつた。 しかし本大会の決勝チTム佐賀や宇商の如き全国的チームになる イムの時は七点リードで前半を優利に展開出来た。 後半浦和の二ー三のハーフ、コート、アタックで私達チームのべ ースがすつかり飢れ、得点差はなくなり最後まで一進一退を統けま した。 こうなると精稗力と基礎技術によつて試合は決定づけられます。 間の計画達威に。らて県選手権の獲得と全日本選手権入の出場は選 目標とし個人の技術をチームの中に最高度に発揮出來るように三年 ることは出来ないと思考するが必勝のために﹁熱とカと人の和﹂を てしまう。つきつめてゆけば練習不足なのである。 らない。幾度か試合にのぞみ乍ら持つている力を発揮出来ずに終つ 習方法の誤つていた事を痛感する。漠然とした練習では効果はあが れ大差で破れ去りました。此の試合を反省して見ると何より先づ練 精憩力と基礎技術に差のある私達チームはラストクオーターで離さ 手と共に顧間としてこの道に精進した私の忘れ難い思い出となると 第二基礎技術、即ちスピードのあるパス、球さばき、腰のおとし には、たゆまざる努力と研究心の結実がなければ現在の水準を上げ 共に県内優勝に甘んずることなく、再出発により益々この道のため ︸ ﹂ 匹 嘔 して此の試含に塁むことが出米ました。第一回戦磁賀県彦根東高校 籠球瀞馬の歴冥と樽穣の伝統をになつた私達チームは意気軒昂に 国体騨馬縣豫選︵高校之部︶ ぬ練習を続けようではないか。 パスケツトに対する新しい自覚と誇りとをもつて新しい時代に擁ま に臨んでも不動だにせぬ力強い精神力が生まれるのである。私等は 人間を信頼させチームワークを生み、精神的進歩となりどんな試合 得た基礎の上に技術を修得しなければなりません。苦しみそれこそ わべばかりのパスケットにとらわれず毎日のつらい苦Lい練習から ると云われるように技術は日にく進歩して行く、私等高校生がう 第三に精神力である。パスヶツトボールは科学と科学の戦いであ ルーズボール等を苦しみの中からつかみ取らねば決して身につかず 1 1 ー 誰 主 [ ︸ 1 1 置 ︸ ︸ ︻ ヒ ー 匹 亀 2 ー 一 一 − 嘔 ﹄ 1 齢 l I ﹄ に精進することを部員と共に誓いたい。 ー 一 ‘ ー E ‘ それは試合に臨んで破綻をもたらす源となるものである。 全 口 本 高校バスケツトボ ー ル 選 手 権 大会に出場して 館林高校監督 鑓田 治男 齢 口 , ] 1 ] 1 = ! 1 ー 1 f , ま ︸ 4 1 1 ! ︸ t 葺 1 I l t ぼ ま , ド 重 − 曜 ユ “ 篇 l i I I I とり訳官には約i男で勝つ事が出来た。第二画戦は強敵埼玉県浦和 一 期 日 八月二十二、二十三日 匹 1 一女との対戦℃した、本年になつて過太北閨果、関東大会と僅少差 二 参加校 高、校選手権一回戦勝者 男子一六チーム 高崎市立女子高校.ハスヶットボール部 で二遅欺している払建ナームとしては此の試含に全フアイトを燃し 女子八チーム に ﹂ “ U きつて戦フ冤惜で塁んだ為か、第一クオーターは十二点、ハーフタ ︸ め ︸ 三会場高高、高工、高女 男子之部一回戦 3桐高 館 林 6 7 − 19伊高 高商 7 i 4前 工︵定︶ 勢農4414 6 2 8前商︵定︶ 藤高奥123太高︵定︶ 前工殉14 6前商 太高狢ー3 桐市商3 4ー釘小泉農高高男t48桐エ ニ回戦 館高ー高商 藤高 −勢農 6太高 高高6 前工引13 9ー蜀桐市商 準決勝 藤高蜀149館高高高53t41前工 決 勝 高高%︵轡脚︶課高 女子之部一回戦 高市女2−0沼女 前市女賀123前女 館女勢ー3 0 富 東 高 女 菊 − 捗 太 女 準決勝 高市女3 8前市女 高女δ0ー緬館女 6 −2 決 勝 高婁益嵯署女 男子高高、女子高市女が関東ブ・ック予選に県代表として出場し たが敗北した。 第四回五市選抜高校バスケツト大会 一 期 日 +月一日 二会場伊高 三 参加校 伊工、高高、前工、桐工、太高︵男子︶ 伊女、高女、前市女、桐市商、太女︵女子︶ 四 成 績 男子優勝高高 女子優勝 高女 昭利二十八年新人地区別リーグ戦 一 期 日 昭和二十八年十二月下旬より一月中旬までに四地区 にて実施した。 北部地区は実施せず。 二 成 績 東部地区︵男子︶参加校一〇チーム ︵女子︶参加五チーム 一位太高 九勝○敗 一位太女 四勝○敗 二位桐工 八勝一敗 二位館女 三勝一敗 三位桐高 七勝二敗 三位桐商 二勝二敗 四位館高 五位桐工︵定︶ 中部地区︵男子︶ 西部地区︵男子︶ 西部地区は男子参加校一四校のため地区内を三区分しリーグ を行い夫々の地区優勝校を決定、地区代表とし三校にて代表 リーグ戦を行つた成績左記の通り 高崎市五校りーゲ戦 一位高高 四勝O敗 ︷ π 一 二位 高 商 三 勝 一 敗 西部地区 中部地区 田中鹿之助、清水貞保、矢崎三郎、岩淵忠義、末本 柚木忠、池田瑛、高橋潔、臼田小夜子、猪瀬久雄 秀正、飯塚正昭 池谷君夫 昭和二十八年度高校バレーボールの行事も、十一月十五日の男子 委員長 須 藤 初 治 排 球 部 北部地区 三位高工 二勝二敗 四位高工︵定︶ 五位高市高 碓氷郡四校りーグ戦 一位 蚕高 三勝○敗 二位松高 二勝ザ敗 三位新島 一勝二敗 四位安高 二位 富高 三勝一敗 一位藤高 四勝O敗 行事であつた新人戦に於ける高商の圧勝振りからして当然のことで 高商であろうという声が一般を支配していた9それは前年度最後の 本年度当初に於て、県下男子高校バレーボTルを牛耳るものは、 界についてふりかえつて見るとしよう。 ︸ B 高校選手権大会を以て一段落した。こXに一年間の県下高校バレー 三位 富 高 ︵ 定 ︶ 二 勝 二 敗 あつたろう。然るにふたを開けた途端に於てこの予想はみじんに打 多野甘楽郡五校リfグ戦 四位 藤高︵定︶ 五位 富東︵定︶ ちくだかれた。即ち春季大会に於て高商と決勝にまみえた桐工は、 一 西部地区代表りーグ戦 一位 高高 二勝○敗 よくこの予想を裏切って211の接戦の末高商を敗つたのであ.る。 る。しかもそれ以後全日本予選を経て国体予選に至るまで、この桐 二位藤高 一勝一敗 四勝○敗 工の優位は保持されたのである。 前年度選手権の覇者桐工はそのファイトとチームワークの良さを示 高女 三勝一敗 これに対する高商の奮起は物すごく、国体予選では遂に宿敵桐工 三位 蚕高 ○勝二敗 高市女 二勝二敗 を敗り国体出場権を得たことはまた特記すべきことであつた。例年 して健斗しよく高商を押えたのは誰しも驚異の目を見はつたのであ 二位 藤女 一勝三敗 女子之部 五校リーグ戦だけ実施した。 三位 富女 の事ながら桐工は夏までは常に高商を押えていながら国体予選では 一位 四位 ○勝四敗 高商に敗れる宿命にあるといつてよく、このニチームのつばぜり合 松女 高体連バスケットボール部地区委員︵昭和二十八年度︶順序不同 によつて県下高校パレーボールは興趣をそそられて来たといつても 五位 東部地区 新弁喜雄、天笠正男、鑓田治男、船戸研静 四回戦で宇都宮高に敗れ去つている七、両毛高校大会に於ても今ま 事実関東高校選手権に於て高商は二回戦で横須賀高校に、桐工は ル発展の上からも 悲 し む べ き 事 で あ つ た 。 ールのレベルの低下を物語つていると言つてよく、本県パレーボー 来たチームは皆無であつたという状態であり、これは本県パレーボ 然し本年の男子高校にあつて、このニチームに肉迫することの出 過言ではなかろう。 ある。この二部制実施の結果効果があつたかどうかということは、 となるという結果により、二部のチームにも張合を持たせたわけで というのであつて、選手権に於げる優勝・二位・三位が今までの倍 男女共10チームを選んで一部とし、他は二部として試合運営をする 法は、本年当初より国体予選に至るまでの各種大会の成績を勘案し 試合運営をという処から、本年度初めて実施したのである。その方 力の低いチームにも張合のある試合をやらせることの出来るような 方をしたのでは張合がなくなつてしまう。何とかしてこのような実 昭和二十八年度大会記録 て来るであろうと思つている。 今直ちに判断を下せるものでなく、その判定は来年度に於て現われ で連続保持して来た覇権を栃木側に奪い去られるという如く本県男 子高校の実力は低下したと一言わざるを得なかつた。 これに反し女子高校は、かの高崎技芸の活躍により全国的レベル ◇春季大会 にまで達した事は誠に喜ばしいことであつた。 即ち高崎技芸は関東大会に於て第三位を占めたのを始として、全 △女子の部 昭28・5・0 1 於前橋女高 一回戦 日本選手権に於ても準決勝に進出し、更に国体に於て第四位を獲得 するという大活躍をなしたのである。これは吉田監督去りし後を引 継いだ高橋監督のたゆまざる精神が見事に稔つたものであるという た虻この技芸に対して一セットをも取り得るチームのなかつたの 高崎女高210桐生商業 高崎市女2−0前橋市女 沼田女高210利根農林 前橋女高2−−中之条高 太田女高2iO渋川女高 桐生女高不戦勝大間々高 高崎技芸2−0小泉農業 高崎女高210松弁田高 桐生女高2−0伊勢崎女高 二回戦 は淋しいことであつた。ひとり高崎市女が珍点まで迫つたことがあ 吾妻高校2−1高崎商業 べく、その労を多とすると共に本県バレーボール界のために喜ぶも つたのみであり、男子と同様他チームのレベルが低く一段の精進が 三回戦 のである。 望ましい次第であ る 。 高崎市女2−0桐生女高 前橋女高2−0吾妻高校 高崎技芸2−0沼田女高 高崎女高2−0太田女高 疇藝2︵署㎜︶・高崎要 準決勝 本年度の画期的事狽としては、選手権大会を二部制により実施し たことが上げられよう。この事は、以前から一部の入により叫ばれ ていた事である。即ち実力の低いチームは、大会に出場しても何時 も強チ!ムに一回戦で当ればそれで終りであり、然もみじめな負け 一 甥 一 の ワけ 疇畜命罎・前婁尚 n∠ − 桐生高校2−0太田高校 桐生工業2−0伊勢崎工 前橋高校2−0伊勢崎高 高崎商業2−0富岡高 準決勝 璽工業姦越・璽高校 決 勝 疇婆姦晶︶・高婁局 高篶業姦曇・墨綾 いうわけであつたが、桐工よく健斗して遂に優勝候補高商を敗つた 順調に準決勝を終つた。いよく決勝、集目の見る処高商の勝利と 高崎高校が三回戦で富岡高校に敗れたのが番狂わせの程度で他は n∠ − 桐生棄轟辿嵩鵠業 決 勝 エテ 小泉農業は丁度東武のストにぶつかりやむなく自転車をかつて太 田まで来、それよリバスにて前橋まで来るという苦労をして参加さ れた。誠にその精神は貴いものであり、第一試合に強豪高技と当り 善戦むなしく敗れたけれども、その健斗には心より敬意を表する次 第である。名門伊女が一回戦にて滑え去つた事は誠に淋しい限りQ 準決高技対高市女戦は事実上の決勝戦。高技出足悪くリードされた けれど、漸次挽回して底力の程を示す。高市は身体もよく今後高技 太田高校2−0高崎工業桐生高校210桐生商業 二回戦 前橋工業2−0藤岡高校 伊勢崎高211勢多農林 高崎高校210佐波農業 伊勢崎工2−0大間々高 沼田高校2−0渋川高校 高崎工業2−1蚕糸高校 桐生高校210中之条高 一回戦 △男子の部 昭2 8・5・17 於高崎商業 二回戦 前橋市女2iO吾妻高校 太田女高2iO高崎女高 高崎市女2−0利根農林 富岡東高2−0境 高校 渋川女高2!1前橋商業 小泉農業2−0前橋女高 高崎技芸2−0沼田女高 伊勢崎女不戦勝藤岡女高 一回戦 △女子の部 昭2 8・6・7 於伊勢崎体育館 ◇全日本高校バレーボール選手権大会縣予選 1 に迫る唯一のチームである。決勝高技の一方的試合。 伊勢崎工2−0利根農林 桐生工業210前橋商業 高崎技芸2−0伊勢崎女 小泉農業2−0渋川女高 特に峨喜多の活躍は目立つていた。 前橋高校2−0沼田高校 伊勢崎高210松井田高 準決勝 高崎市女2;0富岡東高 太田女高210前橋市女 富岡高校2−1高崎高校高崎商業2−0前橋工業 三回戦 蒔 一 20 ︸ 疇婆姦晶︶・小泉嚢 疇要姦曇・畜畜 決 勝 二回戦 高崎技芸210氏家女高︵栃木︶ 三回戦 高崎技芸2−0正和女高︵東京︶ 準々決勝 高崎技芸2−1北野高校︵東京︶ 準決勝 高崎婆2︵署陥︶・高崎要 く男子の部 昭28・6・14 於桐生西 小 学 校 △男子の部 昭28・6・20∼1 2 於水戸市.ハレーコート 高崎藝・︵轡㎜︶2中村蕎 前橋高校211前橋商業 一回戦 太田高校2−0富岡高校 前橋工高2−1伊勢崎工 一回戦 高崎商業210韮崎高校︵山梨︶ 桐生高校211高崎高校 伊勢崎工2−1渋川高校 前橋高校210大間々高 四回戦 桐生工業2−0鶴見高校︵神奈川︶ 三回戦 桐生工業2−0墨田川高校︵東京︶ 前橋高校1−2都立第五商︵東京︶ 高崎商業Oi2横須賀高校︵神奈川︶ 桐生工業210中野高校︵東京︶ 二回戦 桐生高校012土浦工尚︵茨城︶ 桐生工高2iO太田高 高崎商高2−0伊勢崎工 二回戦 桐生高校2−1前橋工高 準決勝 桐圭粟響助︶・幕高校 幕 商高姦些・璽高校 決 勝 △女子の部 昭28・6β20∼21 於東京 ◇関 東 高 校 選 手 権大会 一回戦 △女子の部 昭28・7・26∼8 2 於大宮 ◇全日本高校選手権大会 桐生工業012宇都宮高校︵栃木︶ 一回戦 高崎技芸210畝高校︵奈良︶ 塑蕎2︵響㎜︶・濤商高 高 崎 技 芸 2 1 0 田 園 調 布 高 ︵ 東 京 ︶ ⋮ 烈 ㎝ 一一回戦 高崎技芸 2 − 0 明 善 高 校 ︵ 香 川 ︶ 三回戦 高崎技芸211岡崎北校︵愛知︶ 四回戦 高崎技芸2−0安来高校︵島根︶ 疇藝・︵⑳鍼︶2中篶校︵東京︶ △男子の部 昭28・7・29∼録 一回戦 桐生工高2−0松山商高︵愛媛︶ 一一回戦 桐生工高2−0福島商高︵福島︶ 三回戦 桐生工高0−2瀧野実高︵兵庫︶ ◇ 第八回国民体育 大 会 △男子の部 昭28・博・3 2 於徳島 ベロ 高崎粟・︵野㎜︶阜欝工業 △女子の部 昭28・10 一回戦 高崎技芸210古座高校︵和歌出︶ 二回職 高崎技虻、瓜2−0兵庫高校︵ 兵 庫 ︶ 三回職 高崎技芸2!0水海道二高︵茨城﹀ 準決勝躊婆・︵智㎜︶2董局校︵塞︶ らノきヱ 812 三鎮空疇藝・︵㍗睨︶諾村覆︵董 於前橋商業 ◇昭和二十八年度縣下高校選手権大会 △女子の部 昭28.H.8 一一部 一回戦 松井田高2−1中之条高 境 高 2−0伊女定 室田高210蚕糸高 松井田高不戦勝高崎商 安中高211藤岡女 前橋商2−0室画高 渋川女211境高 二回戦 安中高2!0尾島分 一回戦 渋川女高轟些・弊黒 が 渋川畜2︵署加︶・安鴇校 松井田肯岡姦晶︶・晶剛橋商 回 準決勝 一部 高崎技不戦勝 前橋女2−9高崎女 太田女2!0伊勢崎女 高崎市女2fO小泉農 が 幕藝論晶︶・前婆高 一 22 一 エ む 疇要2︵響㎜︶・畜畜 2︷− 決 勝 疇覆轟轡・疇粟 前肇蓼︵ ︶・前篶校 決 勝 女子の部は比較的順調に行ったが、男子の部は当日強風にたxら 高崎抜芸翁些・高崎要 二部 一回戦 れて数多くの番狂わせを演じた。即ち高商が高高に、叉桐工前高が 幕工業姦晶︶・高篶校 中之条高不戦勝 渋川高2−0安中高 相次いで前工に敗れ、決勝は前工、高高の間で行われ、その結果前 △ 男 子 の 部 昭28・H・珍 於前橋 商 業 蚕糸高2−0桐生商 館林高211勢多農 工が初優勝を遂げた。当日の強風を思えばこの番狂わせも亦止むを 期 日 出場校 学校対抗 男子 藤岡高校 館林高校 女子 藤岡女子高校 前橋女子高校 男子は四回戦以上に勝残つた組 四組、中でも準決 勝にて前高今井藤生組は惜敗すo ︵撃葡︶2−4︵鑓脳高︶︵本大会優勝校︶ 女子は五回戦で全部敗退す。 二、東日本庭球大会 試合成績 六月+一・十二日 於桐生市営コート 選手権 男子 二+校 女子 二十校 嗣、第四回関東軟式庭球選手権並に学校対抗 昭和二十八年度の庭球部の行事と成績について略述し度いと思う。 庭 球 部 得なかつたと思う次第である。 二回戦 伊勢崎高210中之条高 渋川高2−0佐波農 沼田高2−1蚕糸高 高崎工211館林高 準決勝 渋川高校2︵響㎜︶・伊勢篶校 疇工業2︵響㎜︶・沼田高校 決 勝 高 崎蘂2︵署㎜︶・渋川高校 一部 一回戦 桐生高210富岡高 前橋工2−0太田高 二回戦 高崎商2−0桐生高 高崎高211前橋商 前橋高2−o伊勢崎工 前橋工211桐生工 準決勝 ︷ 23 ︸ 試合成績 藤岡女子高校、善如寺・前田組の善戦を特記する。 期 日 七月て十四二一十五日 於会津若松市営コート 女子第コ回戦 群馬2−0長崎 男子第二回戦 群馬Ot2長野 都府県対抗 以上は略記したのであるが、男子は技術的に見ても、全国水準に 女子準々決勝 群馬O12三重 女子第三回戦 群馬2t1香川 準々決勝戦 ︵鰭如轟−−︵鰹揖 準決勝戦 及ばない感がしないでもない。併し過去の歴史をひもどいて見ると 群馬県は東の庭球王国として、その名を全国にたXえられた時代の あつた事を思うべきである。庭球は県民性に合うスポーッと思つて ︵鰭如 階 − − ・ ︵ 難 久 撫 決勝戦 いる。唯女子に於ては立派なる成績により全国的に見ても、遜色の ない水準に達していたことは喜ぱしいことであつたQ 卓 球 部 委員長 石 井 好 男 ︵疇甲ム︵欝ツ 三、全日本庭球選手権並に学校対抗 期日 八月五・六日 試合籍男二欝堅支踏︵五回戦︶ 女子準々決勝 藤岡女高2−0桜町女高︵東京︶ 女子三回戦 藤岡高1−2豊橋東高︵愛知︶ 学校対抗成績 男子四回戦 全国大会では沼高が前年に次き本年も連続優勝の神戸商業校と三 で観るからに気持ちのよい敢闘振りであつた。 対二で惜敗したが何れも観衆をしてアツト言わせるシーソーゲーム 惜しくも長蛇を逸し、女子前市女も決勝戦で埼玉の雄本庄高校と三 東大会では沼高が優勝校の都立北野高校と対戦して三対二の熱戦で せ左記に示す通り県外試合に於てなかなか活躍された。例えば全関 昭和二十八年度は昨年度に比べて選手の技鮪、目覚しい進歩を見 藤岡女高1i2淑徳︵愛知︶ 回戦で顔合せし三対二の実に手に汗を握る接楠伯中のゲームをして ︵翻ー4︵齪︵六回戦︶ 四、第八回国民体育大会 武運拙なく敗れた。本大会に栄冠を勝ち得た神戸商の監督選手一同 は、決勝は三対一で弘前に楽勝したが、この沼高戦が実に天下分目 期日 十月二十二・二十三日 会 場 松山市堀之内県営コート ︻ 24 一 で危かつたと述懐していた。又前市女高は準々決勝まで進出して卓 球の本場とも云うべき山口県代表.香川学園と対戦し三対○で惨敗し たがこうした戦績は﹁群馬の卓球実に恐るべし﹂の感を与えた。こ の廿九年の春は第二十一回世界選手権大会がロンドンで開催され日 本代表も遠く欧羅巴まで派遣されるわけだが卓球界前途のためには 誠に嬉びに堪えないことである。こうした年に当つて慾々本県高体 連選手諸君も自重自愛の上良き指導者に依り、更に技術と精神の修 練にひたむきの努力をされ、やがて日本代表選手となられる素地を つくるよう念頗する次第である。 ◇昭和二十八隼度大会鶉録 全関東高校車球選手権大会県予選 兼第五回県下高校ダブルス選手権 女子高校の部 四月廿九日 於県立高崎女子高校 ︵単︶ 出場資格獲得者︵六入︶ 出場資格獲得者︵三絢︶ 2 渋女︵離八難 1 今井ふじ子︵前市女︶ 2 立石 一枝︵前市女︶ 3 佐々木治子︵前市女︶ 4 高橋 清子︵渋 女︶ 5 若井 壽子︵前 女︶ 9 長門美悪子︵利 農︶ ︵複︶ 1前要︵難蕊仔 3前要︵齢盤 ︵複︶ 関東大会出場予選 兼第五回県下高校ダブルス選手権 ﹁加藤・小泉︵前市女︶ 0﹁霜村・佐々木︵沼 女︶ ﹁高橋八薦纏女︶ 21﹁若井・栗間︵前女︶ − 晶 ﹄ー1一 ∼ 2 ﹁!立石。池田︵前市女︶ 0 2 r﹃長門・竹吉︵利農︶ 咽ー 匹﹁今井.佐々木︵前市女︶ 0﹁千明・加瀬田︵沼 女︶ 鰍女︵牲攻驚− 第三位決定戦 永井 定男︵桐高︶ 8 2沼高︵擦愚 金井 康栄︵高商︶ 石原 勝裕︵前商︶ 井上 平一︵〃︶ 金井喜兵衛︹沼高︶ 於県立高崎女子高校 農︶ 前額誰﹁輪稲市玄 男子高校の部 五月三日 ︵単﹂ 出場資格獲得者︵八人︶ 7 出場資格獲得者︵四組︶ 1 牧 国司︵沼高︶ 2 3 桑原 弘︵〃︶ 4 5 熊倉 淳吉︵館高︶ 6 ︵複︶ ・沼轟蕃翻 ︸ 塑 ︸ 0 匹﹁蕾.蚕前高︶ 0 。司﹁野口.須田︵ 佐 農 ︶ 1r松田・平井︵∩前商︶ 2ー内田・平井︵伊工︶ ■﹁護●井上︵沼高︶ 2 0﹁。金井・石田︵高商︶ 3 伊工︵離 難 4前高︵翫 懇︵禦翠 優勝 2 ﹂﹄﹁石原暑井︵前商︶ 商 高 高 義隆 敏夫 ・﹁高女 到﹁前要 3 農 優勝 前市女1 −命[葡 女 五月三日︵女子︶準決勝より 於県立前橋女子高校 2﹁金井廠︵沼高︶ 関東高校学校対抗県予選 oユ高 五月五日︵男子︶準決勝より 3 ヌ﹁沼 優勝 沼高ー ↑ ムu !﹁堂 一ー禾↓ 3一 司 農 二 ↓日聞に亘 全関東高校卓球大会は一都七県の精鋭が六月六、 七 日 の り水戸市綜合グランド体育館にて夫々必勝を期してしのぎを削つた 本県前記メンパーの主なる戦績は次の如くである 男子︵単︶は牧︵沼高︶金井︵高商︶は三回戦まで進出他は二回戦にて 敗退、︵複︶は前高平山、諸田組など二回戦で敗れたが女子は前市 女よく奮戦し今井が準々決勝にて千葉中山に二対一で敗れ佐々木 は相手を何れも二対Oで敗りつ∼破竹の勢で決勝戦に進出したが 遂に中山に名をなさしめた。学校対抗は前記の通り 全国学校対抗車球大会縣下豫選 ︵兼インターハイ予選︶ 六月十三日 於県立高崎女子高校︵女子︶ 於県立高崎工業高等、学校︵男子︶ 男子学校対抗︵準々決勝より記載︶ 。3﹁﹂−3高 高 商 [ f 3籾 司 商 工 工 高 高 ﹁、0葎 −1館 高 優勝 沼高 ﹁3沼 ー皿 −,−−伊 ﹁1桐 3一 〇] 3 .!、] πー−3山剥 倉︵館高︶ 井︵館高︶ ︵沼高︶ 男子イソタ!ハイ予選 関東予選の十六人より選抜 牧 一 一1−2牧 ドビバ 一ー−旨“ 原︵前商︶ 原︵沼高︶ ﹃ー−新 石 原− 一i2石 ー2桑 井︵沼高︶ 井︵桐高︶ 田︵前商︶ 桑 原! 1 0 、く 刀 io松 金 井ー ︸ー2金 ロ ︸ 26 一 女子学校対抗︵準々決勝より記載︶ 桑原︵沼高︶ 一回戦で愛媛に敗退 立 石︵前市女︶ 四回戦で弘前に敗退 佐々木︵前市女︶ 三回戦で茨城に敗退 今 井︵前市女︶ 二回戦で福島に敗退 神戸商高校は弘前高校と三対︸で優勝す。 3一− 神戸商校︵兵庫︶ 一 池田高校︵北海道︶ 一 一 ヒ﹂i別府嚢︵券︶ 3丁3沼田高校︵群罵︶ 男子学校対抗︵三回戦で敗退︶ 石原ハ前商︶ 三回戦で神奈川に敗退 、−3渋 女 。﹁﹁−館女 ﹄﹁﹁・高要 3 マ3前市女 優勝 前市女﹂ ﹂⊥晶嫉 0﹂﹁・富岡東 31﹁3前女 女 子 イ ソ ターハイ予選 池田︵前市女︶渋女高橋棄権により出場一回戦で北海道 に敗退 関 東 予 選の十六人より四人選抜 今井−口欝繍市舘 女子学校対抗︵五回戦で敗退︶ β 前市女高︵群馬︶ Pー 1 広島女学院︵広島︶ 国府高︵愛知︶ q[蛭北 ︵福岡︶ ︵山形︶ f2佐々木︵前市女︶ 佐々木ー 10若 井︵前 女︶ 橋⊥目鵬橋雛市舘 高 石−口罫繍墓 立 香川学園︵山口︶ 3 八月二十三日︵男子︶ 於伊勢崎女子校 翌 、 全国高校対抗及インタ ノイ 五回戦で神奈川に敗 退 八月三十日︵女子︶ 第八回国体豫選兼高校単選手権大会︵十六人に入つたものより記載︶ 牧 ︵沼高︶ 三回戦で北海道に敗退 七 月 二 九 日 於青森県立青森高校 七月二六 日 − 金井︵沼高︶ ︸ 27 ︸ 優 勝 脚 ︵沼高︶牧L 12 牧 2 蹴 一1﹁ ・ r噺 04 f爵 ︵沼高︶ 林︵桐高︶ 材︵前高︶ 門︵利農︶ 井︵高商︶ 2﹁2金 ー ヤ ド ﹁0須藤 ︵ 沼 高 ︶ ﹂ ﹁〇五十嵐︵沼高︶ 1 円﹁2松田︵穰 優勝 ︵前市女︶立石‘ 2 ﹁2今 井︵前市女︶ 山︵前女︶ ー2古館︵伊女︶ ー 2﹁﹁・村 門﹁萱間︵翌︶ 1 ﹁0海老根︵桐 女︶ ー﹁2吉川︵藤女︶ 藤︵前市女︶ ﹂L−・加 2﹁暑井︵前女︶ 巳i2佐々木︵前市女︶ ﹁1富 岡︵渋 女︶ 女︶ 女︶ 農︶ 女︶ 石︵前市女︶ ﹁0佐々木︵沼 コη ﹁ 2立 pn鵡橋財撒 ﹃﹁2宮沢︵高 0 ﹁2桑原︵沼高︶ i︷ ﹁0大小原︵桐高︶ へ 原︵前商︶ と 中︵利農︶ ﹁ 2 ﹁1小 泉︵前市女︶ 2r2野 橋︹桐工︶ 井︵沼高︶ 井︵前商︶ 口︵佐農︶ ー2晶笥 ﹂i﹁・石 キ、ー 0 ∼ .ー ー﹂!野 η﹁﹁・若 2﹁2金 一 28 一 県 下 高 校 新 人 直球大会 八月十一、十二日 於県立高崎女子高校 井︵前商︶ 林︵桐高︶ 藤︵沼高︶ 一] − 須 第八回国民体育大会 十月二十二日 於徳島市民会館 一丁・長野 万 秋 田 北海道 艮 口 金井喜兵衛︵沼高︶ 2 i3群馬 3 ︷一 女子高校 形 馬 男子高校 0 群 生H晶 根 3 1牧国司︵沼高︶ 2 野中 忠信︵利農︶ 男子国体出場メソバー︵五人︶ 3 金井 康榮︵高商︶ 4 5 松田 弘︵前商︶ 3 佐々木治子︵前市女︶ 4 1 立石 一枝︵前市女︶ 2 若井 壽子︵前 女︶ 今井ふじ子︵前市女︶ 女子国体出場メソパー︵五人︶ 口︵小泉農︶ 金井康︵高商︶ 金井喜︵沼高︶ 1牧︵沼高輪譲 男子︵単︶ 昭和廿八年度高校ランキング 5 長門悪美子︵利 農︶ 間︵前女︶ 藤︵前市女︶ 原︵桐女︶ 館︵伊女︶ 島︵富岡︶ 2 今 井︵前市女︶ 3 佐々木︵前市女︶ 4 若井︵前女︶ 5 長 門︵利農︶ 古館︵伊女︶ 6 1 立頁前要︶嶋蒲欝仲 女子︵単︶ 吉︵利農︶ 泉︵前市女︶ 島︵館高︶ 藤︵沼高︶ ﹁l12五十嵐︵沼高︶ ﹁ー10林︵利農︶ ヨ 材︵前高︶ I I 1 2バ 勾﹂ 、 ︻p口掃 2 ︵準々決勝より記載︶ 優勝 ワハヨ ﹂ ﹁n鱈 ヤ ㌧n脚 iOイ 、¢⊥ー,畷 ︵前高︶小材1 優勝 ︵前市女︶加藤1 ロ け﹁﹁i2力 ﹂﹁・栗 2 ⊥口器 松 田︵前商︶ 野 中︵利農︶ 5 小材︵前高︶ 2 3 4 6 ︻ 29 一 高 石 橋︵桐工︶ 原︵ 沼 高 ︶ 林︵桐高︶ 井︵前商︶ 藤︵沼高︶ 原︵前商︶ 門︵利農︶ 口︵佐農︶ 大小原︵桐高︶ 五十輿風︵沼盲同︶ 野 須 若 小 桑 7 8 9 0 1 1 1 2 1 長 一3 1 4 i 5 1 6 1 高︶ ’7 宮沢 ︵ 高 女 ︶ 海老根︵桐 女︶ 小 泉︵前市女︶ 8 吉川︵藤 女︶ 9 佐々木︵沼女︶ 0 村山︵前女︶ 1 1 富 岡︵渋 女︶ 1 2 加 藤︵前市女︶ 1 高橋八︵渋 女︶ 3 1 4 萱 間︵桐ケ丘︶ 1 5 1 6 1 女子︵複︶ ・︵維々林︵前要︶ 3︵滋噺︵前要︶ 2︵離契渋女︶ 工︶ 高︶ 旧︵伊 5︵紺騨沼女︶ 4︵脹都利農︶ 商︶ 6︵難腓︵前女︶ 8︵縦々轡沼女︶ 商︶ 商︶ 7︵伽懸︵前要︶ 高︶ 山︵前 源︵前 け 剛︵高 堕佐 網︵前 ヂ 農︶ 聞 嬰沼 井︵沼 男子︵複︶ ・︵鎌 2︵練 3︵靹 4︵聯 5︵筋 6︵聡 7︵鵬 8︵轍 ”卓球生活を省りみて” 沼田高校 金 井 寛口兵衛 私の学校生活の中で最も喜びを与えてくれたのは卓球である。ほ とんどピソポソに明けピンポソに暮れたと云つても過言ではないと 思う。始めてラケットを持つたのは小学校五年の終りであつたよう に思う。手製のツギだらけの台の上で桐のラケットで放課後遊んで いた。中学での卓球生活の中で沼中初優勝した時の感激は脳裡に焼 きついてはなれない。二対二のタイスコアでラストが私でヤツトオ ール、ジユース七八回と云うのだから最後の一本とつた時は目がか すんでしまつてどうしてよいのかわからないほどであつた。この様 な感激もあつたが、ずいぶん練習したものだと今でも思つている。正 月など休むのは元日の午前中ぐらいであつた。しかしまだあそび程 度で夏は水泳、野球に打ち興じていたのだから練習がつらいなどと 思つたが高校へ入ると今度はそううまい具合にいかなくなつた第一 中学時代と違つて勉強に追れて練習に身を入れると帰つて来てつか れてぐつたりして勉強などするどころではなく飯を喰べればすぐ朝 まで目がさめない程じゆくすいしてしまうから、一年の始めにそん な点を考えもした。卓球をすれば勉強の方がといつて卓球に対する 力はそんなことではやめられるものではないほど強かつた。一年の 時、軟式から硬式へ切りかえたはじめの方はいくら練習しても練習 しても誰にも︵先輩、同級生を問わず︶勝っ事が出来なかつたのでつ まらなくなつて練習をさぼる事が多かつた。それでも七月頃からだ んだんなれて来たのか、いくらかは先輩に追つく皐が出来た。しかし ︸ 30 一 に.浮んで来る、野村氏にコーチに来てもらつて、ほんのみじかい間で はじめてであつたので大分あがつた様だ、その後は合宿の思出が頭 あまりふるわなく我々がダブルスも二回戦で敗退した。県外試令は ではないがそれでもうれしかつた。全関東の大会では群馬の人々は 組んで優勝した。もつともこれは武井さんのお蔭であつて自分のカ に鼻血が出て困つた。シングルスはだめだつたがこの時、武井さんと つたが、この時は練習不足と手術したあとすぐだつたので、試合の時 事である。それはともかく二年の時全関東の予選が最初の試合であ きであると云う事であると思う。いつでも攣らぬ愛情を持てと云う すきでたまらなかつた。やはり多少なりとも上達するには第一に好 れはピソポンのラケツトをにぎる事であつた。その頃はもうすきで 蓄膿症の手術をして入院している時、何を一番欲したかと云うとそ るしみも樂しみも共にしたのは二年の時からであろう。二年の始め 計そうであつたのかも知れない。本当に卓球部選手の一員として苦 出潔い、この新八大会が高校へ入つて始めての試含であつたから余 じた事がなく変化がなかつた。たΨ新人大会で三位になつたのが思 つた。一年の時は合宿にも参加せず、あまり楽しいともつらいとも感 の足下にもおよびつけず、いつになつたらと思つた事がたびたびあ まだまだ沼高にはその頃県下高校でも一流な人がいたが、その人達 後輩諸君の成功をいのりつつペソを竃く。 ふりかえつて成績は満足出來ないが心を満足させてくれたレ、思うQ う。高校生活をより楽しくしてくれた卓球、思い出深い卓球生活を 知れないがつらいながらも楽しい練習それが本当の練習であると思 習をつらいなどと思つた事はない最もそれまでやらなかつたのかも であるからそれをさらに向上させる様努力が必要だと思う。私は練 輩も皆練習に練習をかさねてここまでレベルをもつて來てくれたの はない。それらをつくるものはまず心がけと練習である。我々の先 がなかつたならばいかに技術が上手であろうと試合に勝てるもので 力をつけてくれたと思う。最後に団体生活における和を知つた。これ 球たけではなく何事に於てもである。第二に多少なりとも精神力体 本当に好きならばはげしい練習もかえつて楽しみとなる、これは卓 々の事をおしえてくれた。第一にやればなんでも出来ると云う事だ、 る後輩の人々が成してくれる事を期待してやまない。卓球は私に色 息の感がある。我々の出来なかつた事をこれから卓球を愛してくれ 合だけに惜しかつた。県外試合に参加してみると群馬高校ももう一 後ラストで敗れはしたが大接戦で最後まで勝敗のわからなかつた試 三回戦が本大会優勝校である神戸商業との対戦であつた。二対二の 森で行わはれた高校選手権である。学校対抗一回二回と勝ち進んで 参加する事が出来た、高校卓球生活の中で最も印象潔かつたのは青 私達が始めて県外の学校対抗に出場したのは縮井市で行われた二 佐々木 治 子 前橋市立女子高校卓球部 ”思い出深き卓球生活” はあるが練習に明け暮れしたのは何といつても楽しい思出である。 練習から帰るとほとんど身動きが出来ない程腹がへつたものであ る。国体は我々高校生だけでもなく万入の参加したがる試合である が予選で第六位となつて惜しくも通過出来ず、ずいぶん口惜しかつ たのを憶えていろ。それから来年こそはと思って練習をした。その かいあつてか三年になつてからは国体を始め、あらゆる県外試合に 一 釘 一 私達はまだ/\これからと云う選手ばかりだつたが皆よく気持が の強敵は前女であつた。前女は選手が粒揃いであつたのに較べて 抗も全日木高校対抗も県代表として一校きり出場出来ない。その頃 十七年度の全国高校対抗の時で私が二年生の時である。関東高校対 達の中心入物海老沢さんの卒業、一時私達は少なからず動揺した。 より一層の団結を持つ事が出来たのであるQそうしているうちに私 苦しい思い出も残さないであろう。負けた事によつて意地を持ち前 て出場して簡単に勝利を得てしまつたと云うのなら楽しい思い出も 試合に望んだまではよかつたが、二回戦で軽く負けた。これが始め 全日本高校対抗には第三位、国体には第五位と云う好成績を得た。 ︸ 俊 一 ︷ 32 より一層の御活躍をお所り致します。 ラグビ 部 本年始めて第一回関東高校ラグビー大会挙行することになつたの 富 田 チ!ムワークが、如何に大事であるかと云う事を、常に心にかけて レベルは決して低くはない。今後の皆様の技術の進歩を願うと共に も立派な成績を得る事が出来るであろうQ最後に群馬の高校女子の 持つた人達が良き監督とカを合ぜてやつたなら、きつとこれから先 大切な事だと思う。自分の力で真直ぐに進む、こうした強い意志を た。人間は何でもやつて出来ない事はない。そして自信を持つ事が そして個人では立石さんが全日本第四位のラソキソグ保持者となつ から私達は関東第二位と云うすばらしい成績を得る事が出来た。又 と不安は大きかつたが、日頃の緒形先生そしてチームワ!クの良さ ムに向けた。海老沢さんのいない関東大会に出場してどうなる事か 自信もなく誰かに頼りたかつた。そうした気持を私は練習に又チー た、私も何時まで下級生気分に浸つては居れなかつた。最初のうちは しかしそれを緒形先生はしつかりと抑えて私に一際をお任せになつ あつていたので、先生を中心に皆熱心に練習をした。関東大会の 時にはどうしても前女に勝てず出場する事が出来なかつたが私達は 決して諦めはしなかつた。全目本高校対抗を目指して一にも練習二 にも練習と云う毎日を過ごした。一生懸命練習をした結果予選は無 事通過したが、大会での成績はみじめなもので二回戦で破れてしま つた。負けて私の反省した事は群馬の女子のレベルは低いと云う 事ではなかつた。実際会場に於ての私達はフオームと云いフットワ ークと云い決して他県の選手に劣つているとは感じなかつた。唯県 内では殆んど使用されていない特殊ラバーを上手に使いこなしてい る事には感心した。そこで私達は帰つて来てから色々のラバーを使 用してみた。最初は球が伸びたり曲つたり止つたりとてもやり難い 苦しい練習の日々が続いたが目が経つにつれて特殊ラバーの性質を 理解し次第に自分のものにしていつた。誰かがスランプになりそれ を抜けて叉一段と強くなる。時には毎日の苦しい練習にくじけそう になる。するとそこには何時も私達をよく理解し陰になり日向にな りして励まして下さつた熱心な監督緒形先生がいらっしやる。こう して私達は団体対抗などには必ずと云つてよい位の部割れなど一度 も経駿する事なく唯自分がどうしたら伸びるかとそれ丈を考えて苦 しい練習ではあつたが真直ぐに進むことが出来た。スポーッの勝敗 誰でも勝利を願うのは当り前であるが、私は負けると云う事も多い に意義ある事だと思う、実際私達の場合がそうだ。張り切つて県外 で未だ関東高体連と云う組織が出来て居なかつたので関東高校のラ グピー関係者が三月十四日東京保善高校に集つて一応関東高等学校 ラグビー連盟と云うものを組織し、委員長に小生が押され副委員長 に保善高校の高崎氏其の他、千葉県、茨城県、栃木県、神奈川県等 より参集した関係者十数名で協議し、五月十六日及十七日の両日栃 木県営綜合運動場に於て開催に決定、直ちに栃木県教育委員会健康 教育課に後援方を依頼した所心よく引受けてくれられたので、東京 八神奈川三、栃木三、茨城二、群馬二、埼玉二、山梨二、千葉、新 潟一の二十四チームが参加し盛大に行われた。本県は先ず出場ニチ ームの選出を左記により行い、高崎高校及桐生工業高校が本県代表 とし て 出 場 工 高 高 高 01⋮⋮i⋮−:ー高工 ヅ o 桐 牲⋮糀 高 お 卵ーー藤 7轟 2 3 前 高 高崎高校は東京代表城北高校と対戦九対Oにて敗れ桐生工業は同じ く東京代表保善高校と戦い二十八対○にて共に敗れ去る。 引続き五月十三日より例年の通厭県下春季リーグ戦を挙行し六月 七日を以て終了。 春季リーグ戦々跡 亙・ ・︻\ ’⑳⋮・五⑲\⑯皿 並・ 一務四敗 三勝二敗 高工至・三⑰■\τ墜一敗 桐 工 藤 高 側薩璽皇勝 桐亘⑳■ \⑯ ⑳︸⑥ 四勝一敗 副副,司\ ⑫ [一⑭ ⑰︻⑳ 言勝・敗 \丁 3一3丁了す勝五敗 \ \ \ 前高高高 前 高 へ 四 位 三 位 一 五 位 二 位 一 位 I 位 六 位 一 恵 一 敗 33 国体予選。 八月二十三日より国体県下予選を行い、高崎高校は高崎工業と三 一 十六対五、桐生高校には十二対三、又桐生工業に対しては十二対六 にてそれぞれ勝ち県代表とな.り、九月二十七日東京八幡山明大グラ ソドにて栃木県代表宇都宮高校と対戦 高篶磐︵響㈹︶・宇讐高校にて芳糎勝遙毫八回蟹 体育大会に出場権を得。 本年度松山に於ける国体は全国から三十ニチームが出場しそれを 八校づつ四つのブ・ックに分け各ブツ・ク毎に優勝を決め、天皇杯 の都道府県の得点は四等分することにしたので高崎高校はDブロツ クになりこれには、北海道高校・尾北高校、法制第二高校、山口水産 商校、上野丘高校、天理高校、崇徳高校、及び高崎高校の八校が之 に出場、戦前の予想では、天理、上野丘、北海、高崎の四校が優勝 候補、特に高崎と上野丘との勝者が優勝するだろうとの評判であつ た、結局次表の様に高崎と北海とが同点で両方優勝と云うことにな 十一月八日 藤高1319桐工 高高32!0前高 桐高8t6高工 十一月二十四日 高高30−3桐工 高工816藤高 桐高3 8−6前高 高高9−0桐高 高工O10桐工 十日月十八目 十一月十五日 藤高8i6前高 高高2010高工 十一月十一日 桐高613桐工 高高48−0藤高 高工17−3前高 ﹁ユq天理高校︵奈良︶ 3 一 P崇徳高校︵広 島︶ つて仕舞った。 ③ 高 校 馬︶ ︷﹂ L P 篶 ︵ 群 ⑧翫ー上野丘高校︵大分︶ ⑤ 6一ー山泉産︵山。︶ ﹁ ︸−㎜﹁法制二高校︵神奈川︶ グピー場で挙行されるのであるが今年も関東八県から一チーム選抜 例年の所謂正月大会は全国高校選手権大会で一月︸日から西宮ラ ⑪可北海嚢︵北藍︶ なので県下秋季りーグ戦で五勝の高崎高校が毎年の例に並つて今年 知 ︶ 、廟 ﹁ p 尾 北高校︵愛 高崎高校が国体から帰ると直ちに例年の秋のリーグ戦を始めた。 も県の代表となり埼玉県代表熊谷商工を高崎に迎えて十一月二十九 四勝一敗 二勝三敗 一 位 二 位 四 位 一勝三敗一引分 五 位 五勝○敗 一六位 噴 乞 舞 令 他は皆0敗に終り、秋季りーグ戦に於ては桐生工業に一トライを許 の成績が春季リーグ戦に於ては桐生高校が一トライを挙げたのみで 本年度県下ラグビ;界の現状を見るに、高崎高校に対する各単校 にて全国大会を目前に控えて遂に高崎高校敗れ去る。 秩父寧グ亨楚於て関鑑蓑蟻奢い慶応誘昴︶癬 崎高校は一方南関東代表神奈川県の慶応高校と十二月十三臼東京の 焉崎高校対北越商業の馨あり、疇又%昌︶3北越商業、高 北越商業が勝ち、十二月六日東京都練馬の中央大学グラウゾドに於 業高校の試合は同日新談新潟ラグビi場にて挙行されて新潟代表の 高崎高校が勝ち、一方栃木県代表宇都宮農業高校対新潟代表北越商 其の結果は次表の通り。 o慶 \ \ −h巨 6 ⑧ 位 某付鍵の審判茎行の箪塵尚鷺︵鵬品︶・熊謡乏て 9 8丁塑\︸ 藤亟引互三 秋季リーグ戦 々 跡 i刈司 ⑳ ㎜o勝簸 −1−T⋮ーーーーーーーーー 蔭需工 高 工一勝 敗 6︷3 国\◎ ⑱画 ⑱丁\ ⑳至 豊・㎜3 一\⑬ 工亘・τ 高 王⑳亙3 桐 藤 高 桐 高 高 高 ︸ ﹁﹁ 亘\応一邑 前 ㎜一 一前山。同嵩高梱ロ運 噛 男 一 ない、然し其の不自由な種々の悪条件の中にあつていつの試合にも る関係上思う様に纏った練習が出来なかつた為めで御気の毒に耐え あり運動場は使えずおまけに生徒は各校に分散して授業を受けて居 其の他前高が春秋共に全敗して居るのは学校の火災と云う大事が ー界の名を高からしめた功を認めなければなるまい。 クに於ける優勝と云う郷土に立派な土産を持つて帰つて県下ラグピ したのみで他は皆零敗であつた。爾高崎高校は国体に於︵Dブ・ツ 於ける高体連ラグビー部会議に於て、三十ニブロックを決定して各 チームの出場が大体承認され、十二月三十一日大阪の毎日新聞社に だ﹂と云うので三十ニチーム出場と云う事になり、結局全国三十ニ ムが参加出來ることがラグビーを盛にする最もよい結果になること が﹁国体に於ては何も全国第一を決定する必要はない、沢山のチー 場に向つて高体連側と協会側との交渉となり、種々の曲折があつた 実現に当つて努力され善保の高崎氏が中心となつて各県一チーム出 の出場問題がやかましくなつたので協会側でも清瀬委員長等がこの ことをした。 に当つてはね返つて得点にはならなかつたが今思い出してもおしい O中村の行つたドロップゴールが、おしい所でゴ;ルのパ! 試合中S 十三対○、でよく戦い一方的に勝つて愈々国体行が決定した、この 表決定戦が午後二時より挙行された。其の結果は前半十四対○、後半 近年にない強力なチームである。九月二十七日東京八幡山の明大グ ラウソドに於て東京都代表決定戦に引続いて宇都宮対高崎の国体代 によつて高崎高校が辛勝したので、数名の選手が卒業しては居るが チームが充実し昨年は全国大会の予選に於て3−3の引分けで抽籔 県代表宇都宮高校と対戦することになつた。宇都宮高校は晦年から 県ド予選は八月二十三日から始まり結局高崎高校が優勝して栃木 なつた。 て一チーム選出することになりそこで先づ、県下予選をすることに ブ・ック一チームの出場が決定した。群馬県は栃木県と一所になつ 一度の棄権もなく常に堂々と試合を進め少しの悪びれも見せず、真 に学生らしくラグビー精神を持つて楽しんで本当に試合をして居る 様を見た時に何だか胸の熱くなるものを覚え る 。 又桐生工業が春季に於ては常に立派な成績であるのに秋季には其 の成績の思わしくないのは高崎工業と共に就職試験とか、工場実習 とかで主力としてやつて居る上級生選手が試合の時に来られない等 のことも時々あるのでこれ又気の毒である。本年国体の時に熊本工 業の選手が就職試験で第二回戦を終えた其の晩に松山を出発して帰 郷し翌日就職試験を受けて叉其の日の夜の船で九州を立つて松山に 来て最後の優勝戦をしたと云う様な気の毒のこともあつた。 第八回國民体育大会に滲加して 高崎山局校ラグビー山部 い第一之をやる者もいないし殆ど考えられもしない現在の状態であ 今高校生の試合でこのドロップゴールで得点したのを見た事がな 連ラグビー部の代表会議の席上、東北地域代表からの特に強い要望 る。一つや二つのトライをしてよけい点をかせぐより、よしんば三 去年仙台に於ける第七回国体の折、仙台二高で開かれた全国高体 があつたのを機会に全国的要望として第八回国体には各県一チーム 祠 錫 一 手と落合い、千葉、茨城、栃木、山梨等の選手と共に臨時列車で十 始め関係者大数の盛大な見送りで出発、東京駅で他の本県代表の選 国体行H十月九日午前八時二十七分高崎発の列車にて校友の諸君 迄とは見違える様な強力なチームが出来上つ た 。 の小さいのは団結力によつてこれをカパーし、この一戦によつて今 ブロック代表になつて国体参加と云う事で各々自重してくるし、体 に云われて居たのだが、いよく国体行ときまつては、選手は皆、 どこのチームと比較しても大きいと思われる者は一人も居ないと常 神がなつて居ない、自覚が足りない、叉チーム全体皆体が小さい、 のチームは駄目だく、先年に比して実力が低下して居る、第一精 な機会が又と云うめつたに得られるものではない。﹁前期に於て今年 プゴ1ルをものに仕度かつた。かえすぐも残念でならない、こん 点や五点少くてもどうせ勝つて居る試合であつて見ればこのドロツ る土産物屋でも帰る日にはこれはと思つて居た土産物が売り切れて 後に来て居るので大分にぎわつて居た、お蔭様で沢山軒を並べて居 けるし、旅舘が沢山並んで居るので国体選手の大部分の者がこの道 四回丈と云う物ぐさ振であつた、国体の会場には電車で十数分で行 に内湯が無いので不便この上なし、私は一週間滞在中入浴したのは 一回百円或は三百円と、階級があつて設備は仲々よい、然し、宿屋 うのもある。市内数ヶ所に立派な大きな風呂がある、同じ風呂でも なつて居る、国体選手は無料と云う湯もあるし、三十円に割引と云 一回三十円か五十円で皆入浴券を買つてそれを持つて行くことに 行く、だからどの旅館も玄関には何十足もの下駄が並んで居る。 りながら内湯はどこの家にも無く、皆市の経営して居る共同風呂へ あるが湯量が少いので族館は数十軒あり皆堂々たる大きな家ではあ この道後温泉は全国的に古くから知れ渡つて居る名高い温泉では あつた。 ︸ 36 こkでは顔は会わないのであるし、気が楽である。 持のよいものである、殊に保善はAブロツク、吾が校はDブロツク くれた。遠くへ来て同じ関東の而も知り合の者に迎えられるのは気 て今練習から帰って来た所だと云うので宿舎から皆出て来て迎えて は知つて居る、この保善のチームは早くも十七日に松山に着いて居 高校のチームは今年春秋二回練習試合をした纂があるので皆よく顔 其のB松山市遵後の宿舎に着いたのが午後二時、東京代表の保善 ドの音が聞えないので仲々歩調を揃えるのに苦心した。天皇、皇后 両陛下御揃の前で周囲のスタソドをうめつくした数万の観衆に拍子 してメイングヲンドに入場し始めたがそれの騒音の為めブラスバン ヘリコプターがやかましい事、入場行進が始まつて八列縦除で行進 山を一巡しては次からくとやつて来る。その内であの竹トソボ式 ブトラツクに集合、各新聞社の飛行機が沢山飛んで来て頭を通り城 式が十一時から始まるので一同用意して松山城下の綜合運動場のサ 国体は十月二十二日開会である、試合は同日午後三時から、入揚 一 二時五十六分出発、翌十月二十日十二時八分目ざす松山駅に無事到 宿舎はあまり大きい旅館ではないが比較的新らしい家で気持がよ で迎えられての彼の開会式はいつもの事乍ら感激する。開会式終了 無い始末、でも気持のよい一週間であった。 い二、三日泊つて居る内に宿の者にも馴れて来るし、親切にしてく 後グランド外側で弁当を喰い松山教育大会の今日の会場へ行く。 着。 れるし七日も泊つて居ると何だか別れて帰るのが変な気がした位で の動きが見違える程きびくして来たかでも3−0で敗けて居たま だから少い方が歩が悪いにきまつて居る所が、俄然、各プレーヤー 四人で十五人に対して戦う訳で今迄五分五分の試合をして居つたの 承知の通り、補敏を出場させることが許されないから一人不足の十 反則があつ轟の墨三年鐘手がぞットと馨.ラグ亨緬 らないし、させもしない、開始後十五分頃本校選手にパーヂングの 退、仲々トライにならない、お互にチヤソスはあつてもトライにな で昔から鍛えられた名門天理?愈々試合は開始されたお互に一進一 つた、九州のはての上野丘と異つて兎角日本の中心強豪揃いの関西 ジヤーシーを着てグラウンドに出た様子からして堂々たるものであ る同志社。天王寺。天理とは近畿関西に於けるいづれおとらぬ強豪、 天理高校、これは戦前より引続いて其の強豪振りを天下に示して居 二十四日の二回戦は近畿の勇天理高校である。所謂関西の名門、 たりで一日ゆつくり休む事が出来た。 無いので休養午後市内の小学校で軽い練習をしたり、公園で体操L た結局晶鵠︶薯曾の馨薯のにした.二+青無合は 合は前半6−5、後半になつてからの動きは目立つてよくなつてぎ つて高崎高校より小さい相手とやつた事は一度も無いのだから、試 の様であつだ、選手は体の大きいのにはたまげない。今迄の試合だ グランドに並んだ様子は大人と小供の様、高校生と中学生の試合 の見物、多くの観衆は堅づを呑んで見守つて居る、キックオフの前、 き立て∼ある、関東の名門高崎高校と九州の勇上野丘の試合は今日 とは皆ラグビー関係者の口を揃えての批評であつた、新聞等にも書 二一と云はれる上野丘、この試合に勝つた方が決勝戦迄進むだろう 今日の相手は大分県の上野丘高校である、戦前の予想では九州で 居ても体が動かない、まだ汽車に乗つて居る様な気持ちでふらく て来たすぐ翌日の試合で尾北高校との試合の時は皆、気はあせつて 高校チームは二十一日の夕方松山に着いて三豊夜以上も乗りつづけ あなどる事等もうとうあつてはならない“後で聞いた話だが、北海 北海道の夕門、北見北斗高校を下してやつて来て居るチームである があつた、けれ共北海道全道四十近いチームの中から幾戦もやつて それにあの様な試合をして居るのだから大した事は無いそんな気持 が大したものでは無さそうだ、兎に角尾北高校は弱いチームである 校としたのは皆見て知つて居る、体こそ大きいし、体力はある様だ 勝戦、相手は北海道代表の北海高校、このチ;ムが一回戦を、尾北高 叉一日休養して二十六日国体の最終日午後一時よりブ・ックの決 ので僕の方が負げた様なものだつた﹂と云つて残念がつて居つた。 の所にやつて来て、﹁お員出度う、今日は君の方が+四人になつた ノーサイド、結局8−3にて此の日も勝つたU天理の部長はすぐ私 ム、体力不足のチーム、!であつたが又一トライを得其の儘とうく て居る、実に一進一退で、あれ程今年の春兎や角云はれて居たチー 不安な気持はまだ去らない、観衆も堅づを呑んだまxじつと見入つ 体格の相異、十五人と十四人との試合、勝つとは思つては居るが、 ゴールなつて5−3二点のりードであ、る、大人と小供の試合の様な 玉ない実にキビノ\した素晴らしい立派なトライであつた、これが ボールをそのま玉敵陣に持ち込んでトライを挙げたのは一分とはた と云う気がまえが各人の頭裏に深く刻まれた、−後牛キックオフの 対七である、これは一プラスー吾でやらなければいけないのだ﹂ た、各人がチラ至房力焦裏−ては奮ない、殊に嬰八 ま前半を終えた、五分の休憩時﹁兎に角K君の分は十四入で引受け ︸ 罫 一 もかかつてやつて来て、着いたすぐ翌日試合と云うのが無理である、 一番遠い北海道から何書夜 には十月十七日着いて一番乗りをして居る。 つだ、と云つてこぼLて居た。それにつけても東京保善高校は松山 して居る、疲労がたたつて居たので何とも動けないし走れもしなか 俄慢しよう。又の時こそ立派な優勝を期して筆をおく。 ︵富田記︶ 道に優勝させた様な気がしてならない、まあ兎に角優勝は優勝だ、 事になつた、どう考えてもばつとしない優勝ではある、どうも北海 れない、何だか物足りない、けれ共主催者の方で両方共優勝と云う の間新聞社の者が来て﹁優勝の感想は﹂等いう、どうも優勝とは思は によると云う事になつて居る。暫く待つて居ても抽籔はしない、其 サツカー部 今井︵勢農︶ 森田︵太高︶ EW 茂木︵館高︶ 浩水︵藤高︶ HB 根岸ρ館高︶ EB 清水︵藤高︶ GK 潔沢︵勢農︶ 堀川︵高高︶ 天笠︵太高︶ 宮下︵沼高︶ 間庭︵勢農︶ 鈴木︵館高︶ 小林︵伊高︸ 小川︵太田高︶ 小池︵高高︶ 中野︵藤高︶ 福島︵館高︶ 佐復︵高高︶ 町田︵勢農︶ 荻原︵藤高︶ 佐藤︵沼高︶ 新井︵勢農︶ このリーグ戦より活躍期待選手を各新聞に発表す。銘記すれぱ 第三位 高崎高校 四勝一引二敗 網、縣下高校新人サツカーリーグの結果 第一位 館林高校 六勝一引 第二位 藤岡高校 五勝一引一敗 突入し、今後の自重ある発展を希望しておきたい。 大会に、水戸の大会に、高校サッカーの足跡は新しい呼息の段階に 回顧 新人りーグに明けて、地元ブロック大会に、さては東日本 委員長 飯 島 徳 治 でもよく尾北高校に勝つた、北海道が余程強いのか、尾北が余程弱 いのである。 この北海道も日がたつにつれて疲労は回復して来る、土地にも試 合にも馴れて来る、試合が終つてから同校部長は私に﹁今日始めて 選手はよく動きました、今日が一番調子がよかつた﹂と話して居ま Lた。試合前に私は選手達に﹁次の試合の事は考えるな、一試A三 試合を全力を出しきつて戦つて行け、殊に休みの日でも土産物等買 つて買る時の事等考えるな、見物に来たのではない、試合に来たの だ﹂と又﹁第一試合に負ければ、其の日の中に松山を出発して来た 道をそのま﹄学校へつれて帰る、但し、優勝すれば帰りは汽船で瀬 戸内海を大阪迄連れて行くと言つて居た、ーとうく引分け、両者 優勝と云う結果になつたので閉会式を済ませ其の晩の船で松山を立 つた、で試合は、例によつて体の大きな北海道勢、何としてもトラ B イにならないとうく前半は0−0で両方無得点、これもH団の球 の持過ぎ、判断の過り等による事が大きな原因、これは、やはり相 手が変なデフエンスな所から、スクラムサイドを抜いて行けそうに 思はれた事によるものであろう。チヤソスをものに出来なかつたの もこう云う点で後でくやしがつて居る様な始末、でも北海チームも 一回戦とは打って変った動き振りとうく3−3のまkノーサイド ラグビーは引分けか、さもなけれぱ勝敗の決定は同点の場合は抽籔 一 繋 一 二 第 六 回 群 馬縣高校春季サツカー大会 会 期 八月十五日1←二十日 東京神宮外苑競技場 三 東日本高校サツカー大会 主催 関東蹴球協会 四 第八回国民体育大会群罵縣予選︵高校之部︶ 会 期 八月廿九・辮日、九月六日 会場伊勢崎高校高崎高校綜合グランド !−館林高校 ・ー高崎高校 一ー高崎高校 一ー沼田山口同校 一i藤岡高校 n辮鶴 ー藤岡高校 ﹁勢鴛校 ﹁壷緩 ・ー館林高校 館淋高校 ︵群馬代表︶ 藤岡高校 ︵群馬代表︶ 五 第八回国体関東ブロツク予選会 会 期 昭和廿八年九月十三日 会場群馬県立館林高等学校 スコアのない のをお赫し下 さい 主催翻鰯辮野 九月十三日 関東ブロック大会に出場を決定す。 ※本大会にて決勝への出場権を獲得した館林高校と藤岡高校は ー伊勢崎高校 ◎ 回餓まで勝抜き、秋田県代表に敗退した。総参加チーム九十八校 大いに群馬県高校サッカーの活躍発揮した、中でも館林高校は四 五月十七、廿四、滑一日 ー0前橋工高校 0 掛.審判 10藤岡高校 0∩∪00 ノし ︸二∼ のののの !0高崎高校 ー1太田高校 鋤 二 召 一 ︵伊勢崎高校 10 のの 二 ー2勢農高校 ﹁隔埜.同校 会期 13館林高校 う 二 θ 11勢農高校 ー0太田高校 の 二 ︸よ ﹁療田高校 参加校 館林高校 藤岡高校 勢農高校 伊勢崎高校 太田高校 ー4館林高校 決勝 六月七日 試合六〇分 延長二〇分 館林高校 恥 二 侶 ー 0 高崎高校 −2高崎高校 ※決勝戦︵綜合グランド︶ ︵雨中戦︶ 繭鑛繍瓢欝¥−−・ ■KKKK GP 二 123456789m11 GFC ρロ高橋基治氏 467 0 4 葡島上藤塚島木本村 木永口 儲飯井安毛福鈴橋木岡蔑吉西 ︷ 39 一 ︵関東表代︶ ﹁堀林優︵鷲袋︶ i−館林高校 二審判市毛氏︵茨蹴︶ 一漫Ψ ℃審判 ﹁0長生高校︵千葉代表︶ 二石井氏 日立一高校 G︵関蹴︶ ﹁感岡高校︵鷲袋︶ 一 〇1. 13日立二局 ﹁継講譲器、 ︵評︶①館高ー長生高 地元の声援をかつて館林高よく奮戦活躍して快勝した。 長生高はフルバックの線があまりにも手薄だつた。而し 館林は意外に疲労していたo ② 日立二局ー藤岡高 両者とも県の代表を担つての善戦であつた。藤岡高校体 力を闘志でおせば、目立も叉システムプレイをもつて小 二 の il伊勢崎高校 ー2館林高校 綜ムログラソド ー1伊勢崎高校 わ 二 礁 ー0太田高校 ー0勢農高校 q田 ー6館林高校 笥 二 ¢ ー0前橋工高校 −−藤岡高校 10藤岡高校 二 ︵ ヒ ﹁騒勢崎高校 会場高崎高校伊勢崎高校藤岡中学校 群馬代表 館林高校 ー3館林高校 誇 ﹃ 一 岱 !0高崎高校 口鑓懇権︶ ① 高崎高校!沼田高校︵棄権により高崎高校勝つ︶ ※第一回戦 ③日立一高−館高 柄な体力をうまく生かし遂に押しきる。 前回快勝した館林は前半よく攻防するも後半疲労極に、 ②館林高校ー前橋工高校 ︶村宮橋田嵐下上下橋菅草 あらはれ3−1と日立のシステムプレイの前に崩れ去つ た 。 460つ⊥6 ヰ 前 十 22100 ︵西高高太蚤山玉松高小井 K KP K審G 判浅見氏 GK CF ︶上岸木島本原村藤木永口 12345878910H 表と組み敗退す・ブロック予選の折のその技術は殆んど発揮 ︵館 井根鈴福橋桑木安茂吉西 ※日立一高は関東代表となり四国の中央大会松山市にて京都代 されず崩れ去つたのは残念であった。 ︵松山市にて飯島記︶ 六 轟 馬 縣 高 校秋季サツカー選手権大会 兼 第 盤 二 回 全 日 本 高 校サツカー選手権大会予選 会 期 十 一 月 十四・十誼・十八・廿一・ 廿 八 日 ︸ 40 一 ③藤岡高−勢農高 ︶良井賀地庭坂原丸野田井 勢 須 ︵奈新蜂菊間登石石東町今 1234567891011 ︶尾水口木田村塚岸原水由 i 2900 !1 K KP K 審G 判高橋氏 GK CF 75701 ② 伊勢崎高−藤岡高校 8010 2 KKKK ︶尾水村村原本水岸口 野 藤 原 . 27 1 0 の ︵横清木三関塚清根関 中 跨 G一一 審判岩淵氏 123456789mH 一 GC P G F ︶井田田名沢本田達田藤津 ︵新村山原中橋吉安高佐阿 伊 久 ︵評︶ 高崎高校チームは毎年全日本高校大会予選会ごろになると必 ︵藤 横清関三下木飯根荻清中 ④ 伊勢崎高1太田高校 ず、理智的なプレーチームに仕立て望む、本会にも叉その全技 2 でき、藤岡高チームに苦戦はもう少々まぬかれた事と思つた。 8本という防戦振より攻撃的チ;ムに転化 ゴールキックの示す1 にのぞみ、そのもつパスワークを発揮し、機動化をしたならば 藤岡高はより一層の技術的面の研究を、そして伊勢崎高校は機 柔よく剛を制するとはこのような試合のことかな? 藤岡高の体力、闘志も後半疲勢の隙を伺つて簡単にものにした 伊勢崎高チームは見事なオーソドックスでやってきた。 つたのである。 できたのは低いながらも皆協同団結に、そして闘志で敢行しき にダッシユに欠けて望んでしまつた感、而し伝統と歴史を保持 ムを遺憾なく苦しめた。ただ館林高は技術的にみて、トラツプ 能をマスターして、チームのもつぺースを発揮して館林高チー ︶野沼上江崎川笠川田田谷 35700 1 ︵太 小柿池堀岩小天小村飯金 KP K審G 判飯島氏 1234567890 11 1K GK CF ︶井林田名林沢田塚田達津 伊 欠 1 O4401 ︵新小村原 小 吉 吉 飯 高 安 阿 ︵評︶ 上州特有の室気の中の試合各チームの充実した持昧の技術が の 出せず凡戦であつた。戦法に混戦が多くそれをオープソ戦法に ﹃6。4。 もつてゆく技術のないので痛感された。 ※準決勝 ① 館林高ー高崎高校 島内復川名池矢水沢名 岸 高 ︵中池佐堀浜小谷清入浜 Q︾n∠80 K 紛審 二 1234567K 8K 9K mGP 1 1判高橋氏 G C F 上木岸島本原村藤木永口 館井鈴根福橋桑木安茂吉西 ︵ ﹁ 41 回 ※決勝︵館林高−伊勢崎高︶ D沢田沢名林本田塚田藤津 禧 \ モ ク 1440 む ぺ っフ の ㊥吉山中原小橋吉飯高佐阿 レレ↑ト の審判岩淵氏 1 2 3 4 5 6 7 8 9 m 1 1 葡上木岸島本原村藤木永口 二二 ︵ 7 0 1 0 3 8810 ㎝ 井 鈴 根 福橋桑木安茂吉西 ︵評︶ 館林高よくダッシユして伊勢崎高校をおさえて優勝し同時に 北関東高校サッカー大会︵於水戸市︶出場の権利を得たわけで ある。 一方伊勢崎高校も準決勝よりは又す、こいそしてすばらしいパス ワークでボジユシヨンを守り終始敢闘のこの最終回戦はやはり 決勝繊にそむかざるふさはしい決戦であつた。惜しいかな、上 州特有の空ッ風は益々強風となり、プレィが中断され叉各選手 が非常な寒さのためその全技術発揮できず終つたことは惜しか つた。館高には十一月に入り本日までよくその時その時の決戦 で示してくれた県友チームの好意を深く深く体し、来るべき北 関東大会に大いなる実力を発揮し群馬県代表としての面目を顯 現していただ き た い 。 七 第滑二回全日本高校サツカー大会北関東予選 会期昭和廿八年十二月五・六日 会 場 茨城県水戸市綜合グランド 宇都宮工高校 ー0館林高校 紛 二 ¢ ー9宇都宮工高校 ① 館林高校−水海道高校 ︵北関東代表︶ ︵評︶ 13館林高校︵群馬代表︶ 分 一 一 侶 ー0水海道高校︵茨城代表︶ ー4宇都宮工高校︵栃木代表︶ う 二 砧 ー1水戸工高校︵茨城代表︶ かねて対県試合ともなればプレイが荒くなるのは覚悟して いたが意外につぶされた3対0と快勝したが負傷者七人の 続出ではあすの決勝には不運とし、しかたがない。 ② 宇都宮工高ー水戸工高校 水戸工高校は地元の声援で激を極む。宇都宮工高校の技術 体力に一日の長あり、4対1にて快勝す。而し水戸工高の 反撃の一点は最後まで、ひるまず、試合をすてず、高校生 がもつその若き闘志の樺化に賞讃の詞を強く贈りたい。 ③ 宇都宮工高ー館林高 技量、体力、スピード等何れの面からみても一日の長ある 宇都宮工高は全力を発揮して戦つた、館林高何すべぎもの なL、まして昨日の準決でいたく深手を負つた︵七人︶館 林高は少数選手の出場故に交替もできず、深手を負つて再 出場みるもあわれ、如何ともしがたく9対0と大敗す。 宇都宮工高は完全に北関東高校の代表となる。西の宮市で の本大会に大いなる期待をかけ肚行して別る。︵コ7六︶ ︸ 犯 ︻ た技術、競技的同情、何回もの県下大会に非常なる情熱を傾注して ,決して無駄でなかつたと信ずる。県友のサッカー選手の示してくれ い、又・ての反面、この競技を通し再考され、体験させられたことは 新人リーグを開幕に本年もサッカーのたどつた道は決して容易でな 閉幕にあたつて目 を告げたいと思います。では健在で多幸を祈りつ∼ する日も遠くない事を確信しつx水戸市の本大会会場に立つて終幕 送り直田校長を迎えて群馬高校サッカーの存在を普く全日本に顕現 部をいろノ文と御指導下さることになりました。こNに門伝校長を ぐ、今度渋川女子高校より直田校長先生がうけつぎ今後のサッカー 生の精神を具現しようではありませんか?門伝校長先生のあとをす ソ7トボール部 校長は+一月下旬富岡高校の方に転勤となられました・而しこのい それから各地の会場にその試合を或は大会を見守つて下さつた門伝 時には伊勢崎高校の会場にあるいは前橋綜合グランドの大会場に、 これまで、群馬高体連にサッカー部が設立されその初代部長として 県外大会の成績を記し将来の反省と参考の為、各高校ソフトボール 次に本年度県内の各行事の跡を顧みてその活躍状況を偲び併せて ールの発展向上に努力、協力して戴ぎたいと考えます。 るこのソフトボールを県下高校が残らず実施し、益々県のソフトボ して少ないのは残念な事である。女子スポーッとして発展途上にあ 校のチーム数において隣県埼玉、栃木その他関東地区の各都県に比 ました。そのよろにその実力は決して他に劣りませんが、但その高 その実力を発揮し五位に入賞、群馬のレベルを全国に知らせてくれ 一方高校に於いては本年度は特に国体に於いて桐生女子高校がよく おり他県に比してその普及において劣る所が少しも無い状態です。 て来ました。中学に於いては県下全中学の八○∼九〇%が実施して 追うて普及発展し個入技術、チームプレイ、共に長足なる進歩を見 発足後本年まで僅か数年しか経たないソフトボール競技は、年を 委員長 池 谷 晃 寛 ︵二丁六・記 水戸市 飯島︶ 滲加して下さつた事、ことに新人リーグの最終回の廿二日は前日の 降雪のため、膝を浸するどころか、雪中に我が身を、うづめる程の 大雪を試合開始前それぞれの協力によつて、その雪をとりのぞきゲ ートを建つて一日雪中戦に、あけくれた事は選手の各位の脳中に写 真の如く焼きつけられてある事と思う。思えばそして敢闘した意志 は今倫建在でいる否今後の将来に向つて果何か大ぎな指針となる事 と信じています。この熱意のりーグから得た競技精神、技術ほ何ん で群馬県高校サッカーを上昇させずにおくものか、毎回の県代表が 望む対県試合に、必ずその真面目を発揮して、千葉代表に、茨城代 表に健闘と善戦、群馬の競技水準をよく敢行してきている点,大い なる群馬水準の高揚とみて、さしつかえないと思います。只今水戸 市綜合グランド、さき程まで館林高n宇工高識の跡に立つて遠く西 をむいて県友の各位に深く感激と又青年こそと協力を誓つて、本年 くつかの大会のうち﹁この大会こそは私の部長楯を中心にしてその 部のいさxかで本資料となれば幸いと思います。 サッカーの幕を閉ぢようとしています。 競技を研磨してくれ﹂と下さつた意志をこの後もうけつぎ大いに先 一 弔 ︸ 初めに県内各種大会の跡をふりかえり次に県外に於ける大会の様 下仁田高校 準決勝戦 4∩Vウ甜 30ドD O 14∩V OO− 100 400 前橋市女高 高崎市女高 010 004 0 14 ㎝6 ﹃A ︸5 05 0 6 A n 512 210 A 桐生女子高校 300 300 A 図 第七回県民体育大会兼第八回国体予選会 場資格を得た。 第二次予選には下仁田高校、桐生女子高校のニチームがそれぞれ出 以上の戦績で二十八年度選手権は下仁田高校が獲得、全目本大会 下仁田高校 決勝戦 桐生女子高校 子を記す事にします。 聞 縣内各種大会 ①第四回県下高校女子選手権大会兼全日本高校女子ソフトボー ル選手権大 会 第 輯 次 予 選 会 期 日 六月十三日、十四日 二日間 会場 高崎市城南球場 参加チ:ム 十五チーム 戦績第一回戦 前橋市立女子高︵不戦勝︶ 境 高校 1219安中高校 尾島分校 4!3高崎女子高校 下仁田高校 13−3佐波農高 期日 八月十八日、十九日 太田女子高校 硝ー3松井田高校 戦績第一回戦 参加チーム 会 場 前橋市公園球場 伊勢崎女子高校鉱i5小泉農高 桐生女子高校 蹴10沼田女子高校 高崎市立女高 砧ー0館林女子高校 第二回戦 尾島分校A−3境 高校 6 下仁田高騒14高崎市女 桐生女高911太田女高 前橋市女1 211佐波農高 下仁田高19−1伊勢崎女高 不戦勝 高崎市女、境高校、尾島分校、高崎女高、沼田 女高 第二回戦 A⋮o尾島分校 舘ー2伊勢崎女子高校 10 14太田女子高校 9 前 橋 市 立 女 高 A 7−3境 高校 下仁田高校 桐生 女 子 高 校 高崎 市 立 女 高 一 44 一 前橋市女5−3高崎女高 桐生女高%ー7沼田女 高 準決蟻下缶五−・尾島分校 桐生女高賦11前橋市 女 決勝戦 下仁田高 000 010 0一1 一A 桐生女高 000 200 A﹄2 以上の戦績の如く桐生女子高校優勝し第八回国体の出場権を得る 爾桐生女子高校は国体に於いて我々の期待通り活躍し立派な成績を 得たがその戦績は後述する通りである。 ③第二回県下綜合選手権大会兼第三回関東綜合選手権大会予選 会 期 目 十月十三日●十四日 会 場 伊勢崎女子高校 参加チーム 八 チ ー ム A 下仁田高7−0高崎女高 決勝戦沼田女高0000001㎜1 下仁田高。。。、。。塾踏 以上各大会を見ると本年度上位クラスに属するものは桐生を筆頭 に下仁田、高崎︵市立︶沼田、太田、尾島等でその争いは二十九年 度に於いて更に激しくなると共に他の学校も更に向上して激烈な試 合を行うものと予想されます。各校お互いに練磨向上して本県高校 ソフトのレベル向上に遮進すると共にソフト未実施の各校も近代女 子スポLッたるソフトボ:ルを取り入れて他県に劣らぬ実力を養成 するよう切に希望するものであります。 二 縣外大会の成績 ① 合百本高校選手権大会第二次予選会 期 日 七月五日 会 場 高崎市立第一中学校 参加チ!ム 群馬ニチーム 埼玉ニチーム 戦績 第一回戦 松 山︵埼玉︶910桐 生︵群馬︶ 下仁田︵群馬︶615春日部︵埼玉︶ 0 2 戦績第一回戦 沼田高菰13境高校 決 000 000 0 勝 戦 山n41 002 75 図 第八回国民体育大会 り今後のよき鞭燵になつたと思われる。 の徹底的不調がその原因であるがこれにより大いに反省された点あ 本大会に於いて地元が何れも大敗したのは会場準備の疲れと投手 松 下仁田 太田高校不戦勝安中高校︵棄権︶ 高崎女高堀ー5伊勢崎女高 下仁田高騒14尾島分校 準決勝戦 沼田女高齢!1太田女 ︻ 弱 [ 会 期 加 桐 生 女 子 高 校 場 四国坂出市球場 日 十月二十二目←二十六一口 下仁田︵群馬︶ 戦績 第︸回戦 1 才 ,⊥ワ一〇 802 A ∼ 3 ヱ 023 000 0 5 142 010 0 8 0 10ハU OOO O 0 ∩V︵UO OOハU O 宇都宮︵栃木︶ 000 00∩V O す。二十九年度に於る更に一層の飛躍を期待し、且つ各校指導者沓 ームと機会を見て交流し更に向上し得る余地が大いにあると思いま ある栃木、埼玉を隣県に持つている本県であるので、それらの強チ に到達した事を察知出来るのである。幸い全国に於いても最上位に ベルも桐生の国体ベスト8に入るのを始め、ようやく全国的レベル 以上各大会を通じて感じられる事は、本県高校ソフトボールのレ 下仁田︵群馬︶ 第二回戦 沼 田︵群馬︶ 松山︵埼玉︶ 春日部︵埼玉︶ 参 第一回戦 030 0 5 3 戦績 桐 生 不戦勝 桐生︵群馬︶ 200 000 0 第二回戦 津 ︵三重︶ 201 0001皿3 第三回戦 佐賀旭︵佐賀︶ 002 AU22 A﹄4 7 3 一A 桐生︵群馬︶ 000 ウμ10 0 準々決勝 須賀︵栃木︶ 022 00ウμ AU 位にお願いして二十八年度の報告を終らせて戴きます。 桐生︵群馬︶ 100 い て 国 体 優 勝 校 国 体 に於 、 須賀に敗れたとは言え本県代表桐生の ︵二九二丁一〇︶ ハンド瀬ール部 商体連ハソドボ;ル部委員長 町 田 歳 雄 健斗は実に堂々たるものであつた、全国強豪に伍して堂々準々決勝 まで進んだのは、独り桐生の名誉のみならず本県ソフト界の名誉で あつた。更に努力して行けば全国優勝も可能であると、桐生の監督 も申していましたが桐生の健斗に奮起して全国優勝に向つて本県各 圖第三回関東綜倉選手権大会 大いなる誇として良いであろう。 会に於ては地元桐生工業高等学校が優勝の偉業を成しとげた事も亦 回東日本ハソドボール選手権大会が開催された事であろう。此の大 昭和二十八年度に於ける行事として特筆すべきは本県に於て第六 期日 十一 月 七 日 ・ 八 日 会場 宇都宮市県営綜合グラソド 術特記すべき事柄としてはハンドボール競技規則の女子に関する事 校が適進して行く事を期待する次第です。 参 加 下 仁 田 高 校 沼 田 女 子 高 校 一 46 一 項の一部改正があり、それから室内ハンドボ!ルの普及発達がある 何れ機を見て詳細に述べることにして先づ行事報告をしよう。 i 新人リ墾グ戦︵五月︶ 富岡 膏 ︵ 聾 恥 ︶ 姦 岡 高 桐生工膏︵習㈹︶・高高 桐生 膏 ︵ 曹 ⑳ ︶ 毒 蟹 桐生看轟邑濠蟹 せ荒いプレイが多かつた。技緬ば殆ど互角であつたがエリ ヤ前の突込に欠ける藤高の敗退となつたのは残念であった 二回戦 足利高1 0桐生高 2−1 評 前年度優勝の足利高に対し桐生高全員チームワークの和 を以てよく敢斗一歩も譲らぬ好ゲームを展開その堂々たる 試合振りは賞讃に価する。特に岸選手は光つていた。 屋代東高m14富岡高 評 前半の半途までは五分くのシーソーゲームであつたが 屋代の七番山本選手のマークに欠けて得点を独占され爾富 本県⋮⋮桐工高、桐高、富高、藤高、桐女高 O参加校 六十ニチーム︵男女高校︶ O期 日 七月二十九日、三十日、三十一日 三日聞 O場 所桐生市︹桐高、桐工高、新川グランド、昭和中、南中︶ 3 東日本高較ハンドボール選手権大会 O本日本大会に具えて技術及び審判講習を行う。 都立世田谷工高 徳永陸繁氏 O講師 日本体育大学 荒川清美氏 2 ハンドボ童ル講習会︵六月十四目︶於桐生高 であることを思えば来年こそ活躍を期待されよう。 後まで敢斗したことは賞すべきであつた。全員一、二年生 カの差は如何ともなし難く途に敗退したが試合をすてず最 後半では桐女防戦よく勉め又反撃しては一点を獲得したが ある熊谷が馬力を以て大きくリードして前牛を終つたが、 チーム桐女高との対戦に於て、荒■けずりではあるが脚力の 評 本年四月発足したばかりの熊谷女高と本県唯︸つの女子 熊谷女高n−1桐生女高 桐生工高1214沼津工高 て居つたのが大なる敗因であった。 岡高はサイドを使うことを忘れ真中に突入しては阻止され 爾戦跡︵本県関係︶について記せば次の如くである。 桐生高盗技︶5富岡高 ◎第一日︵二十九日︶一回戦 2日川高︵山梨︶ 桐生高禍!1 桐生工高8i5両国高︵東京︶ ◎第二日︵三十日︶三回戦 桐生工高9−4石橋高︵栃木︶ 四回戦 富士高n19藤岡高 許 両軍共斗志満々若人らしいプレーであつたが元気にまか 一 覗 一 ◎第三日︵三十叫日︶準決勝 塑需9︵曹“︶8漿蔓萬︶ 評 昨年全日本選手権大会に於て決勝戦に相まみえたチーム の再度の対戦であり実力全く伯仲し事実上の優勝戦といつ 富岡高校全日本大会出場権獲得 爾桐生工高は咋年度全日本優勝校の為推薦出場 O準決勝 5 国民体育大会縣予選︵八月三十日・九日五日︶ 桐生高喬晶︶2富岡高 O決 勝 ても過言でない熱戦振り。一進一退のシーソーゲームは万 場を興奮のルッボと化した。連日のダブルヘッターも何の 桐圭膏︵蒋銘︶5塑高 7 本大会に於て優勝し連続三年国体制覇の偉業を確立した桜 櫻台高︵愛知︶7︵%昌︶島圭商 第二回戦 桐空高轟昆︶7天城高校︵田︶ 第一回戦 国民休育大会︵四国の今治市に於て開催︶ 女高︵栃木︶に惜敗し長蛇を逸した。 爾桐生女子高校よく敢斗するも太田二高︵茨城︶及足利 桐生工業高校、本大会出場権を獲得 桐生青某師島︶8足利嚢 桐圭高又貿討︶藷岡嚢 栃木、茨城、群馬のリーグ戦を行つた結果 6 国民体育大会北関東ブロツク予選︵九月十九・二十日宇都宮︶ 桐生工高優勝し北関東ブコック予選に出場決定す。 その母校の名のもとに敢斗する若き学徒の尊い姿 タイムアップ三十秒前、桐工CF金子のジヤソムプシユー トが見事に決つて途に勝利を得たが全く手に汗握る好試合 であつた。桐工パック陣か清商FWを中盤に於てよくアタ ックし一方清商バックスがCF金子LI都丸をマークしき れなかつた所に勝敗の鍵があつたといえよう。 決勝戦 桐筆像︵四晶︶鐸肇高︵灘︶ 評 試含開始2分にして桐工先取得点をすれば三分にして沼 津東同点にするといつた接職で前半五分々々の戦況で予断 を許さないと思われたが後半に入るや桐工パック陣の健斗 よく沼津の反撃を阻止し試合を楽に進める事が出来て輝く 覇権は桐工に輝き以て地元の絶大なる声援にこたえること の出来た事は誠に喜ばしく亦意義ある事であつた。 4 含本嚢ハンド下ル選手権奏縣予選︵鯖什館︶ 富岡 高 9 − 1 藤 岡 高 富岡 高 8 − 6 桐 生 高 ︷ 48 ︸ 8 9 5 室内ハンドボールについて ◇ ハンドボ璽ル規則改正について 台高校に二回職で熱戦の結果敗退したのは実に惜しかつた ハンドボール講習会 前記委員会の翌日行われた日本ハソドボール協会全国評議員会 前橋商業高校 高橋 潔氏 2 時 間 横 4 0∼釦 砺 厚 縦60∼乃70米位が適当 ー コートの大さ に於て皿轟㎜が左の如−改正さ墾した. 一 期目 昭和二十八年十 月二十二日、二十三日 二 場所 富岡高等学校︵二十二日︶ 前橋商業高等学校︵二十三日︶ 三 講師 日本体育大学 荒川清美氏 四 内容 競技規則及技術講習 D∼⑩∼珍 15分ハーフに短縮される。 桐生工業高校 池田 清氏 高校選手権大会︵十一月十五日、十一月二十二日︶ 延長戦の場合は 5分休憩後 5分!5分で行う。 勝敗決定せざる限り第三延長まで行い倫決定せざる時は日 桐生工高10−7桐生高 富岡高校1 6−3藤岡高 三 協議事項 1 昭和二十九年度予算 二 場所 都 立 世 田 谷 工 業 高 校 会 議 室 一 期日 照和二十九年二月五日 全国高等学校体育連盟ハンドボール委員会 る強豪振りを発揮して選手権を獲得する。 新人によつて選手権大会を行つたが依然として桐工断然た 桐生高校9−7富岡高 桐生工高14−3藤岡高 桐生工高珍111富岡高 レエフリーの服装について のであるから念の為申添えておく。 イヤーとでもゴ!ルキーパーとでも交代出来る。︶ 以上の如く一部改正されたが男子は何等改正されて居らない 判然と区別されて居つたが今度は代る場合フイールドプレ ︵今迄はフイールドプレイヤー要員ゴールキーパー要員と ② ポヂシヨソはどこと代つても良い。 ︵従つて一試含一チーム四回交代することが出来る︶ ① 補欠者は一試合に於て一人二回交代出来る。 3 補欠の交替 を改めて再試合叉は其の時の協定によつて決定する。 2 同 行事予定 今迄レフエリーは黄色の審判衣を着て居つたが二十九年度か 桐生高校17i2藤岡高 3 第五回全日本高校選手権大会について らは黒色に改められた。術パンッ及ストッキングも黒色を用 io 4 第九回国民体育大会について ︸ 49 桝 貞 いることになつている。従つて選手のユニフオームとしては 津 田 黒色を使用することは禁止されるから御注意願います。 水 泳 部 本住、度の本県高校水泳は一般に練習不足で低調を極め清水、卒野 新井等の記録を除いては目ぼしい記録が見当らないことは誠に遣憾 である。概して本県の選手は気魂に乏しく練習にむらがあり苦しい 練習を嫌う傾向がある。矢張り中学時代から充分に長距離を泳ぎ込 まなげれば高校に入つてからでは伸びるのは少い様である。廿九年 度は清水、新井、岩内等が進学で全国級では僅に伊女の平野の活躍 新井嬢の器用さは特筆に値する。 決勝記録左の如し ◇男子成績︵四位以下略︶ 百 米自由形①清水健︵高高︶1分6秒②樋口︵桐高︶③荒井︵高商︶ 二百米自由形①清水健︵高高︶2分37秒②荒井︵高商︶③土田︵伊高︶ 四百米自由形①清水健︵高高︶5分2 8秒︵大会新︶②白川︵伊高︶③石 山︵桐工︶ 千田百米自由形①白川喜一郎︵伊高︶2 2分31秒2②真島︵高高︶③清水 進︵沼高︶ 孟十米背泳①溝水健︵高高︵算秒②小野塚︵沼高︶③白川︵伊高︶ 百米背泳①白川正義︵伊高︶1分26秒8②辻林︵桐高︶③小野塚 ︵沼高︶ ●八月八〇九日 第四回関東高校選手権 長野県野沢プール 昭和廿八年度記録 三百米混継泳①白川、高橋、白川︵伊高︶4分0秒②高工③沼高 高︶ 二百米平泳①浜田順三Ω別商︶3分H秒4②早川︵桐工︶③高橋︵伊 百米 平 泳①早川実︵桐工︶i分26秒6②高橋︵伊高︶③浜田︵前商︶ 本県より高高、高工、高商、伊高、沼高、桐工商、伊女高、桐ケ が期待されるのであるが新人諸君の奮起を望んで止まない。 丘各校参加したが割合に低調で高高の清水、伊女の李野、桐ケ丘新 コ百米リレー①栗原、岡田、土田、白川︵伊高︶2分3秒6②高工 ③前商 井三選手が健闘して決勝に入賞した以外は見るべきものはなかつた つ生れたことは唯一の牧穫であり而も專門外の種目に記録を更新し べき記録はなかつたが女子の新井、平野選手によつて県新記録が三 得点を挙げていたのは注目に値する。各選手共多種目出場の為見る た全国高校第一線級の高高清水選手が母校の為凡ゆる種目に出場し は新井、岩内両選手のみの奮斗により始めて優勝杯は桐ケ丘へ移つ 持駒の多い伊高が三蓮覇の偉業を打樹てたのは順当であるが女子 駒十米背泳①平野富子︵伊女︶42秒6︵県新記録︶②新井︵桐丘︶ 二百米自由形①岩内正江︵桐丘︶4分5秒0 丘︶ 8秒②平野︵伊女︶③岩内︵桐 百 米自由形①新井美登里︵桐丘︶i分2 王+米自由形①新井美登里︵桐丘︶3 6秒8②岩内︵桐丘︶③平野︵伊女︶ ◇女子成績 四百米リレー①土田、板垣、栗原、白川︵伊高︶4分48秒6②高商 ③高工 O八月コO日 第六回縣下高校選手権︵学校対抗︶伊勢崎プール た。 ﹁ 犯 一 女︶ 溺十米平 泳①新井美登里︵桐丘︶鬼秒2②高柳︵高女︶④平野︵伊 ②植原︵高女︶ 百米背泳①平野富子︵伊女︶1分努秒︵大会新︶②新井︵桐丘︶ 43秒2︵県対︶③岩内︵桐丘︶ 2日国体女子 百 米背泳⑯李野富子︵伊女︶1分鈍秒4高知9月2 田十米背泳⑱李野富子︵伊女︶43秒6 振甫8月30日 日本高校 1日 国体高校 百米自由形④清水健︵高高︶1分1秒4高知9月2 本県関係左の如し ●昭和廿八年度全日本高校競泳廿傑︵日本水泳連盟発表︶ 百米 平 泳①新井美登里︵桐丘︶1分釦秒8︵県新記録︶②高柳 光︵高女︶ コ百米平 泳①新井美登里︵桐丘︶3分列秒2②高柳︵高女︶③徳 手権大会が実施されました。本県に於ては始めてのことであり、施 高崎女子高校の体育館の二会場に於て、第二回関東高等学校体操選 昭和二十八年六月二十、二十一日の両日、高崎工業新築体育館と ︵高女︶③岩内︵桐丘︶ 三百米混継泳①植原、高柳、竹越︵高女︶6分釦秒6 委員会、高崎市、体操連盟、高体連その他関係諸団体の理解ある協 設やら運営その他種々困難性を感じて居りましたが、幸にも県教育 △男子綜合得点 力によつて好評裡に然も多大の牧穫を得て終了し主催県としての責 二百米リレー①植原、高柳、徳光、竹越︵高女︶4分7秒4 7点︶⑤高 7点︶④沼高︵2 ①伊高︵63点︶②高高︵42点︶③高商︵2 百米自由形予選F組⑤1分四秒6 新井美登里︵桐丘︶ 百米背泳予選 C組③1分34秒4 平野 富子︵伊女︶ 百米自由形予選G組②1分2秒0︵予選通過︶清水 健︵高高︶ 本県の為に万丈の気を吐いた。 たが高崎高校清水選手よく健闘し百米自由形決勝に第四位に入賞し 本年は記録倶調の爲男子一名女子二名の代表を送つたのみであつ ㊤第八圓国体夏季大会︵九月二十日ー二十三日︶高知市営プール ① 桐 ヶ 丘 ︵ 7 2 点︶②高女︵男点︶③伊女︵2 7 点 ︶ △女子綜合得点 工︵巧点︶⑥前商︵2 2点︶⑦桐工︵2 1点︶⑧桐高︵珍点︶⑨前工︵2 点︶⑩伊工︵1点︶ 男子器械個人綜合 優勝 高崎工業高校 二あ八、四〇 男子雛械学校対抗 場所 高崎工業高校、高崎女子高校 期 日 昭和二十八年六月二十、二十一日 一 第二回関東高等学校体操選手権大会 え合理的な動きというものを研究してほしい。 形ではなくその動きにある、見よう見まねでなくよく分析しよく考 し体操群馬の貫録を示した。今後共大いに頑張ろう、体操の良さは 又指導される方も献身的な努力を捧げられて左記のような記録を残 選手諸君も本年こそはと酷寒身にこたえる頃から準備怠りなく∼ 任を果し得たことは皆さんと共に心から喜びに堪えません。 男子百米自由形決勝④1分1秒4 清水 健︵高高︶ ︻ 溌 一 三位 小林英明 八三、一〇 一位 相原信行 九一、二〇 同 女子団体 器械 男子団体 場 所 高崎女子高校 前橋女子高校 高崎工業高校 一九三、〇一 一九三、=二 二六〇、六五 第六位 第透位 第三位 二位 一位 赤尾ヨシ子 桜井 董 青木 緑 六四、二一 六四、七五 六五、四六 七〇、六五 団体徒手 同 同 個入綜合 高崎女子高校 高崎商業高校 高崎工業高校 赤尾ヨシ子へ高女︶ 青木 線︵前女︶ 相原信行︵高工︶ 一五、四二 一五、九二 六四、〇六 六六、八四 一〇九、六玉 第三位 一六、四六 第九位 一七、五六 第七位 第二位 第二位 第三位 第=位 第八回国民体育大会は十目二十六日より四国に於て実施された。 三 第八回国民体育大会 前橋女子高校 大宮市県営体育館 五位高橋修 八O、七五 女子器械学校対抗 優勝 高崎女子高校 二〇三、 六 六 一五 二位前橋女子高校 二〇二、 五二 五位 高崎市立女子高校 一九〇、 六位 前橋市立女子高校 一九四、 二 四 五位 上原患美子 六三、四ゴ 女子器械個人綜合 六位 鈴木 正美 本年は体操全種目に出場し然も一般男子の器械を除いては全種目に 七位 男子団体徒手体操 監督 入賞という輝かしい記録を残した。昨年に比べて一段の進歩を認め ◇器械の部 第六位 相原信行 小林英明 一位水戸農高 六八、六 島位高崎商高 六三、一 男子高校 第三位 鈴木正美 上原恵美子 赤尾ヨシ子 青木緑 二位高崎工高 六八、一 女子団体徒手体操 女子高校 監督 うれしい限りである。 角田吉弘 北井柳太郎 一位 東京藤村高校 六七、六 ◇団体徒手 第五位 千輝実斎藤毅 渡辺喜久治 女子高校 第三位 佐藤道子 割田榮子 松山敦子 岸 純子 内田敦子 清水とよ子 宇野達男 矢野雄滋 桑原則子 害沢季子 新井浩之 藪塚政男 高橋脩 干川吉信 三 位 高 崎 女子高校 六五、三 男子高校 大橋文夫佐藤タケ 五位前橋女子高校 六三、五 六位 高崎市女高校 六二、六 二 昭 和 二 十 八年度全国高等学校体操競 技 選 手 権 大 会 期日昭恕二十八年八月十二、十三日 ﹁ 52 一 四 昭和二十八年度群馬縣高等学校体操競技選手権大会 期 日 昭和二十八年十一月八目 場 所 高崎工業高校︵男子︶ 高崎女子高校︵女子︶ 本年は参加人員も多いので高崎工業と高崎女子高校の二会場に分 けて実施した運営面には多少の無理はあつても、ゆつくりとした気 持で試合ができた、男子は各校の進出が目立ち点も大分分散した今 後一層の奮起を要望したい。女子は依然高女前女の上位は動かない 伝統を持つ前市女の不振は淋しい。二部制を実施しているから特に 女子の多数参加を希望したい。 男子の部 二位前橋高等学校 一位高崎工業高校 一=九、一〇 一ご一〇、七五 二六〇、 一〇 0一部団体綜合 三位 館林高等学校 1 2 干川吉信︵高工︶ 小林英明︵高工︶ 安田広美︵前高︶ 小林英明︵高工︶ 小出正利︵前高︶ 岡野 勲︵館高︶ 干川吉信︵高工︶ 高橋 脩︵高工︶ 高橋 脩︵高工︶ 小林英明︵高工︶ 干川吉信︵高工︶ 干川吉信︵高工︶ 高橋 脩︵高工︶ 小林英明︵高工︶ 一七、九〇 一八、二五 叫八、六〇 一五、三五 一五、五五 一六、一〇 一六、八五 一七、三〇 一七、七〇 一六、七五 一七、〇五 一七、一〇 一七、二五 一七、七五 一七、八〇 ○一部個人種目別 徒手 李行棒 鉄 棒 3 1 2 3 1 2 高橋 脩︵高工︶ 一七、六〇 タンブリング 若林洋一︵高商︶七、翁 小林英明︵高工︶ 一〇三、二五 ー 安田広美︵前高︶七、九 2 一六、 一二〇 小林英明︵高工︶ 一〇一、四〇 0二部団体綜合 干川吉信︵高工︶ 一位 高橋脩︵高工︶ 一〇〇、七〇 一位 高崎高等学校 二三〇、二田 一六、一〇 二位 干川吉信︵高工︶ 九五、六五 二位 高崎商業高校 一ご一六、五五 高橋脩︵高工︶ 三位 安田広美︵前高︶ 八五、二五 三位 高崎工業高校 二二四、○論 3 鞍 馬 1 2 3 吊環 1 2 3 跳 馬 1 2 3 四位 小出正利︵前高︶ 七八、二〇 〇一部個人綜合 田位 田口四郎︵館高︶ ゆ 六位 一 努 一 三位 二位 一位 蟄田益爾︵高商︶七八、 七五 木村皓治︵高高︶七八、 九 五 斎藤三昭︵藤高︶七九、 〇〇 関川洋行︵高商︶八一、 二五 ○一部団体綜合 二位 高崎女子高校 一位前橋女子高校 〇一部団体綜合 女子の部 二〇四、三〇 二〇六、 一六 2 蟄田釜筒 ︵高商︶七、三〇 四位 藤崎光夫︵高高︶七七、 五〇 〇二部個人綜合 五位 3 2 鉄 棒 1 3 2 李行棒 1 3 2 徒手 1 渡辺忠弘︵高工︶ 斎藤三昭︵藤高︶ 藤崎光夫︵高高︶ 木村皓治︵高高︶ 深尾 賢︵高商︶ 斎藤三昭︵藤高︶ 木村皓治︵高高︶ 蟄田益爾︵高商︶ 斎藤三昭︵藤高︶ 関川洋行︵高商︶ 一六、四〇 一七、二五 一五、コ五 一五、三五 一五、七〇 一五、七〇 一蚤、九〇 一五、九五 一七、二五 一七、三〇 一八、〇五 六位 五位 四位 三位 二位 石曾根トヨ、、、︹高女︶六五、 石川 浜子︵高女︶六六、 六二 赤尾ヨシ子︵高女︶六七、 四八 鈴木 正美︵前女︶六九、 上原恵美子︵高女︶七〇、 〇〇 一六 吊 環 1 藤崎光夫︵高高︶ 一六、四〇 青木 緑︵前女︶七二、 志村積︵高工︶七六、 七〇 2 堀越順美へ高工︶ 一六、七五 一位 六位 3 関川洋行︵高商︶ 一五、九五 〇二部個人種目別 跳 馬 1 贅田釜的︵高商︶ 一五、九〇 徒手 平均台 李行棒 箱 一七、五七 一七、六〇 一七、七三 一七、五六 一七、六九 一八、二〇 一六、九九 一七、六〇 一八、〇九 一七、二三 一七、三五 一八、一四 =一 一三 2 木村皓治︵高高︶ 跳 1 青木 緑︵前女︶ 2 上原恵美子︵高女︶ 3 赤尾ヨシ子︵高女︶ 1 青木 緑︵前女︶ 2 上原悪美子︵高女︶ 3 石川 浜子︵高女︶ 1 青木 緑︵前女︶ 2 上原恵美子︵高女︶ 3 鈴木 正美︵前女︶ 1 青木 緑︵前女︶ 2 上原恵美子︵高女︶ 3 鈴木 正美︵前女︶ O個人種目別二部 3 タンブリング ー 関川洋行 ︵高商︶八、二五 一 男 一 一九〇、六九 したと同時に本県選手にとつてもよい勉強であつたことはいうまで 大なこの大会は県下各層の体操、ダンスに対する認識を更に新たに で開催されたことである。関東各県からの優秀チームを迎えての盛 一 位 高 崎 市 女 校 一八九、一七 もない。 〇二部団体綜合 二位富岡東 校 一八二、一四 かの大会に参加し叉棲内の文化祭に発表したり各学校のダンス部と この関東大会の県予選を皮切りにダンス発表会までの間或はいくつ 三位 前橋女子高 O二部個人綜合 小坂雅子︵高市女︶ 六七、九二 三位 二位 西村淳子︵前女︶ 六一、八五 高橋ヨシ子︵富東︶ 六二、 〇二 飯塚ヨシ子︵高市︶ 六二、〇五 鈴木 礼 子 ︵ 富 東 ︶ わつておく、従つて次に出て来るものはダンスに関係のある団体徒 のぞいて他の行事は体操都の行事と同時であることを前もつてこと 次に行事を順を追つて記すこと玉する。ダンス発表会及び講習会を 来たことx思う。 一位 四位 六︻、六九 しても絶えず思い思いに研究をつづけられて充分に内容の充実が出 五位 三浦千代子︵富東︶ 六一二、 一 一 六位 平行棒 1 りO 2 徒手1 鈴木 礼子︵富東︶ 小坂 雅子︵高市︶ 飯塚ヨシ子︵高市︶ 鈴木 礼子︵富東︶ 小坂 雅子︵高市︶ 一六、 一六、 七三 二二 ≡一 一六、七六 一五、七〇 一六、六〇 一七、四三 成績 一位 東京 藤村高校 二、第二回関東高校体操蒲技大会 出揚校十七校 三位 高崎市立女子高校 一位 高崎女子高校 参加校八校 予選通過校 六月廿一日 会場 高女校 四位 藤岡女子高校 二位 前橋女子高校 手競技のみを記す。 2 富沢アイ子︵前女︶ 一六、 〇二部種目別 3 小坂 雅子︵高市︶ 九九 〇二 群 馬 高崎市立女子高校 六位 五 位 群 馬 前橋女子高校 三 位 群 馬 高崎女子高校 四位 二位 東京 二階堂高校 茨城 石岡第二高校 一、関東高校体操競技大会県予選 五月三十日日 会場 高女校 平均台 1 一五、 〇〇 一 〇 位 群 馬 蔭岡女子高校 一六、 飯塚ヨシ子︵高市︶ 一七、 七七 鈴木 歌寿︵前女︶ 3 小坂 雅子︵高市︶ 一王、 2 跳箱 1 三浦千代子︵富東︶ 七三 全日本高校体操競技大会県予選 2 一五、 三、 鈴木 礼子︵富東︶ 七月二十七日・二十八日 会場高工校 3 今年度特筆すべきことは第二回関東高等学校体操競技大会が本県 一 努 ︸ 五、国体ブロック県予選 九月十三日 会場 前市女校 威 績 三位 高崎女子高校 七位 前橋女子高校 四、同右 大会 八月十一日・十三日 会場 大宮高校 予選通過 一位 高崎女子高校 二位前橋女子高校 参 加 校 四 校 昨年に比べて一段と参加校が増し、多数の生徒が参加して行 参加校 十一校 約一五〇名 会場 高女校 日 十一月二十九日 一﹃第四回ダンス発表会 えたことはうれしいことであつた。 今後もぜひこのように自由に発表出来る会を続けてゆきたい 参加校二校 予 選 通 過 一位 高崎女子高校 と希望する。このような機会を多くすることにょって各校ダ 渋川女子高校 前橋女子高校 伊勢崎女子高校 安中女子高校 前橋市立女子高校 富岡東女子高校 藤岡女子高校 高崎女子高校 高崎市立女子高校 渋川女子高校 前橋女子高校 桐生女子高校 学 校 名 叉新たな励みともなり、しいては健全な学校ダンス発表の基 ンス部のゆう和をはかり観賞することによつて今後の研究に 六 、国体ブ・ック 予 選 成 績 三位 高崎女子高校 国体出場の資格を得 七、国民体育大会 十月二十二日 会場 松山 となると思うのである。 プログラム左の通り 成 績 三位 高崎女子高校 八、廿九年度団体徒手規定種目研究会 十二月二十五日 前市女 題 名 1 り“ 0 荒城 の 月 1 1 森 の 精 1 ガ ボ ッ ト 2 1 9 春 葉 の 笹 3 スケーター ワルッ 4 乙 女 の 所 り 5 ハンガリアソ舞曲第五 6 クシコスの郵便.馬車 7 乙 女 の 祈 り 8 波濤を越へて タソホイザー行進曲 青 葉 の 箇 参加校 渋女、前市女、伊女、前女、安中高、高市女、高女 藤高、藤女 九、同右第二回研究会 コ月十日 高 工 参加校 桐女、安中高、渋女、太女、伊女、高女、高市女、 前女、前市女、藤高、桐ケ 丘 、 藤 女 次にダンス部としての行事をあげると 一、ダンス講習会 八月十九日 高 女 講師 伊沢やゑ氏 この講習会は三回目であるがいつも国体規定種目解説を兼ね ての講習会であつたが今年は講師の都合により春早々に行え ず八月十九日に行つた、参加校、十三校約九〇名猛烈な暑さ にもかxわらず終日熱心に基本運動、ダンスの御指導をうけ た。 ︸ 56 ︸ 3 泉のほとり 1 桐生女子高校 吾妻女子高校 十校以上 滋賀、奈良、島根、香川、徳島、長崎、大分 秋田、山形、福非、都岡、三重、和歌山、岡山、 愛媛、高知、佐賀、鹿児島 藤岡女子高校 高崎女子高校 高崎市立女子高校 前橋市立女子高校 となつている。 右を見てわかるように、一般に関東地区は低調で 、 特に本県は淋しい。 あ るが 北海道・青森・新潟、石川、大阪、兵庫、画口 つりがね草 安中女子高校 高校の体育創刊号に森委員長の述べている様に、本県相撲振興の ために愛好者各位の奮起をお願いしたい。 二十校以上 ウイーンの森の物語 伊勢崎女子高校 家に昭和二十八年度の足蹟をたどつて見ましよう。 福岡 スケーターワルツ 芸術家の生活 前橋女子高校 高崎女子高校 ※第訓回関東高校相撲大会 三十校以上 アルプスの夕映 前橋市立女子高校 習 作 スパ ニ ッ シ ユ セ レ ナ ー デ 4 ウイ ー ン の 森 の 物 語 1 5 青 葉 の 笛 1 6 小島と青室 1 7 1 8 1 9 1 ワ一 n∠ 0 2 エ 2 3 2 期 日 八月二十三日 場 所 神奈川工業高校 五校 栃木、長野、広島 四校 岩手、埼玉 ある男子高校数を見ると 昭和二十八年十月全国高体連相撲部の調査により、各県の相撲部の も大いに活躍してくれると思うが、部として成立していない。︶ くなつてしまつた。1︵本年には前工奈良君が健斗し昭和二九年度 たが、柔道復活と共に激減して、最近は利農、勢農の二校にすぎな 農業、佐波農業、利根農林、勢多農林六校に相撲部が次々と誕生し 終戦後スポーッ復活の波に乗つて、高崎工業、伊勢崎高校、小泉 勝試合を実施、勢農石倉選手はC群の準決勝で惜しくも 個人戦 参加者一一六名四群に分けト!ナメント法により個人優 勢農112湘南高B 利農O13湘南高B 勢農Oi3神工高B 利農1−2明治高 勢農3−0横濱工A 利農O13神工高B 学校対抗 によつて開催され、本県からは勢農、利農二校が参加した。 第一回関東高校相撲大会が、二十一校、三十一チームの参加 事情で中止されて二年、全国高体連相撲部の自主性に基いて 繭撲圏 六校 福島、山梨、愛知、京都 、 鳥 取 、 熊 木 敗れた。 従来千葉県谷津で毎年開かれた東日本高校相撲大会が、ある 七ー九校 宮城、茨城、千葉、東京、神奈川、冨山、岐阜、 [ 貿 ︸ ※第八回群馬縣高校相撲選権大会兼全国高校相撲選手櫨大会 群馬1!2滋賀 群馬0−3大阪 群馬013徳島 に対戦しては苦戦をまぬかれなかつ た 。 三選手が群馬県代表として高校の部に参加、彊豪大阪、徳島 奈良惣平︵前工高︶石倉桂治︵勢農高︶小林幸四郎︵利農高︶ 期日 十月二十三日 場所 高知市設相撲場 ※第八回国民体育大会 角田︵利農︶Oー 山口︵勢農︶ 石倉︵勢農︶○! 関根︵勢農︶ 小林︵利農︶○ー 船津︵勢農︶ 三輪︵勢農︶○!吉野︵利農︶ 二回戦 関根︵勢農︶○ー糸井︵勢農︶ 島方︵勢農︶ !○船津︵勢農︶ 金子︵利農︶ ーO吉野︵利農︶ 三輪︵勢農︶Ot 小林︵利農︶ 準決勝 期日 十一月三日 石倉︵勢農︶○ー 角田︵利農︶ 群馬縣予選 場 所 勢多農林高校 一 門 勢農B1−2利農 石倉︵勢農︶Oi 三輪︵勢農︶ 三回決定 勢農A211利農 山ロ ーO小林 団体リーグ戦 三輪 −O小林 島方 ーO角田 ※第三+一回全国高校相撲選手権大会 銘 石倉01 角田 船津○ー金子 小林︵利農︶Of 角田︵利農︶ 決 勝 関根Ol 金子 期日十一月二十二、二十三日 場所大阪府立体育会館 従来堺市大浜で開かれ、通称大浜大会と呼ばれて、その伝統 勢農A2−1勢農B 三輪01山口 石倉Oi島方 を誇つた全国大会も、いろくな事情で本年は、会場を大阪 勢農1−2鹿児島県薩南高校 勢農112山口県宇部工高 本県からは勢農高チームが代表として参加。 団体戦 市に移し、全国五十一校の代表選手参加して開催。 関根 10船津 一位勢農Aチーム ニ位利農チーム 三 位 勢農Bチーム 個人トーナメント 一回戦 勢農O13和歌山県耐久高校 勢農O13大阪府富田林高校 出場権を得ることは容易でない。 して一般人と一緒になつて出場権を得るので、男子青年組に於ては と二校出場となった。其の他は女子之部、男子は少年組、青年組と 同 複合飛躍選手 沼高関千尋、沼高手塚忠男、利農丸山 賢二 少年組並飛肇匡沼蔑轟、沼牽慧男前商薬 女1癒転圏葺黛岩華 前商梅沢一正 少年坦姦懸団沼薯議、沼高禁、溌黒毘己 木まさ子、沼女黒尉貴美子、吾女川島由子 女子[騰燵國沼女林けさよ、沼女園部容子、沼女鈴 徳太郎、沼高木村将志、沼高藤井和男、利農丸山崇一 少年組闇關肇落蔑糞沼牽慧男、沼高中西 個人戦 石倉選手が一、二、三回戦と勝ち進み、優秀三十二選手 の表彰を受け、決勝トーナメント一回戦にも和歌山商高 浜野選手を破つた殊勲は、本県高校相撲が全国大会参加 以 来 の特筆すべきことであろう 。 スキi部 高体連スキー部の足跡 廿八年度の高校スキーは張切つて今年こそと思つていたが、結局 雪不足やら、多忙だつたりして計画通りに出来なかつたことは残念 でならなかつた。 関東高校スキー選手権、 一部スキー大会が中止となつたので家の大 会のみで終つた。 次に右の大会に出場した選手達の成績を挙げてみると。 校生だけでの大会が県内としてもうすこし加えられてよいと思う。 短かい日時でこれだけの大会に出場するので多いとも言えるが、高 4 国体冬季大会 長野県野沢町 二月廿四日より昔八日迄 3 全国高校 福島県猪苗代町 二月十八日より四日間 2 高校二部 土合スキー場 二月七日 前商荒木君の純飛躍二位は全く群馬のスキーとしては偉勲だと賞し 得点であつた。 の純飛躍二位の成績であり叉・沼女リレー四位、沼高リレー七位の を残したのは、沼高林清君の少年組大廻転九位と、前商荒木賢二君 この結果について反省してみると、先づ入賞者として輝かしい成績 国体冬季大会に出場することとなつた。 これらの選手達が群馬の名讐にかけて、長野県野沢温泉に開かれる 崇一 国体予選に於ては たい。練習が十分出来なかつたし、本人としては大きな台を飛んだ 1 国体予選 草津スキー場 一月廿九日より三日間 国体として高校の部は継走のみである為沼田高校、沼田女子高校 一 男 一 次は第二回県下高校第二部スキー大会についての成績を挙げてみる 躍出来るかと思う。 こし選手の自重がほしい様な気がする。園部容子当りが来年度は活 である様だ。相手が県下にない事が大きな原因でもあろうがもうす なかつたかの様にみえた。女子のレースは未だ不十分な練習と技術 録であつたが試合運が無かつたとも言えるのか実力が十分発揮出来 毒で残念だつた。沼高手塚君、黒田君の活躍も一応上位者に近い記 手の転到に会わなかつたら、四、五位にはなつたろうにと思い気の 誰しもあること乍らあの時のコースでの障碍は不運だつた。前の選 のによく得点出来たと田心う。 かしい勝負であるだけに叉誰もが目ざす種目として入賞は出来難い びるであろう。次に林清君の大廻転であつた。この競技は全くに難 胸に於て立派だつた事を印象づけた。滑降の選手としても十分に伸 ず將来は大した成績を残すだろうとは予想していた。飛型の美と度 苗代の時に十一位に止り、入賞をのがした折の様子を見ていて必 経験に乏しいと思われるのによくやつたと思う。私は全国高校の猪 出場種目各校二名の制限である為。 出場した選手名を挙げてみると。 ねることによつて殆んどが入賞出来る実力を持つていると思う。 然し女子の進出は可成り可能な気がする。練習不足を試合回数を重 なかつた様に思つた。 れたもののこの様な雪の状態に馴れていないことにはどうにもなら のにしただけで終つた。男子に於ては惜しいところで入賞をはばま 会であつたことと思う。女子継走の四位と廻転に林幸子の九位をも に誠に惑いコンデシヨンであつた事はかえすぐも心残りのする大 で終つたのは惜しかつた。高校生が本当に打込んでかxる大会だけ 常に難かしいコースになつて技備が十分発揮出来ず残念の様な成績 の七校で人員は二五名であつた、雪量の少い大会だけに選手達も非 からは、沼田高校、沼女、利根農、渋女、吾女、高工、前商高校、 加校百校を越え、参加者数五百という大きな大会であつた。群馬県 第三回全国高等学校スキ丁大会は、福島県猪苗代町に開催され、参 あつた。 利農 小林道夫、利農 丸山崇一、二人共象複 吾女 小林安江、渋女阿部千鶴子、沼女 林幸子 沼女 大竹 稔、吾女 黒岩正子 沼高 関千尋、沼高 木村将志、沼高 手塚忠男 論塚君は複合を関君と共に兼ねた。 沼女園部容子、吾女久保時枝、吾女市川冨美子 沼女林けさ代、沼女鈴木まさ子、吾女川島由子 前商 荒木賢二、沼高 林清、高工 小林澄男、 沼高 阿部 浩、前商 梅沢一正 吾女 小林安江、渋女阿部千鶴子、沼女 林幸子 沼女 大竹稔¥吾女 黒岩正子 國凶繹[ 両園離 蘭子廻圏 画孟離 男子大廻転 と、先づ第二部選手とは、県下各種のスキー大会及びそれ以上の予 選等に出場した者以外の選手を第二部と言う生徒達の大会である。 雪の降らない郡の学校を対照にしただけに非常に面白い大会であり 本当に元気な生徒達の荒けづりなスキー競 技 で あ る 。 今年は昨年以上に参加者も多く、又技術も優秀であつた。地元の利 根農、沼女等が上位に入つたのは当然なことであつたが、前橋、高 崎の各校が入賞して然もよい技術を示したのは実に牧穫であつた。 この大会は益々発展させてゆきたい、特に太田女子高の如き叉伊女 等遠いところからの参加は地元高校への大きな刺戟にもなつた事で ︻ 60 ﹁ 珂子矧望 高工 小林澄男、前商 屹木賢二、沼高 林 清 前商 梅沢一正、沼高 落合 穰 沼高 手塚忠男、利農丸山崇一、前商荒木賢二 沼高 関 千尋・利農小林道夫 継型 妻チ入舗騨市川富季、川雷子、︶ 爾霧圏 蘭訓 沼女チーム︵顯螢奪園馨子、林けさよ、︶ 陶子継匹 蕎チ人懸齢甥録翻黙鵯噸郎、︶ 以上の様なメソ. ハーが出場した。 大体本年は右の様な試合で終つたが全体的にみて一般に技術的に進 歩は し て い る 。 だが元気が無い。他県の選手に比べるとその点非常に差のある様な 気がしてならない。所謂フアアトが無いとでも言うのか、強引な試 合振りがみられない。こんな点に注意してもつと積極的に練習をし てみ て は ど う か と 思 う 。 それと滑降の練習をもつと練習することであろう。雪質の変化を好 んで練習することと勢力を惜しまない滑降コースヘ上ることであ る。フオームや観衆にとらはれないで地味な練習こそ実力が養われ ることで、特にデスタンスの選手等はこの点本当に苦勢のいる練習 であると思う。 来るシーズンには是非叉一層頑張つてもらいたい。 高体連スキー部委員長林 千春 “フランス派“ へ” スキー講習会に参加して 二月十日、水上町大穴スキー場に、ギヨウ、及びオレイエの二名 の講師が来てフラソス派スキー技術の講習会を行つた。オレイエ氏 については述べる迄もなく且てのオリンピックで滑降、廻転の首位 者である。この講習に参加する前に自分は大したことは無いであろ うと考えた。その理由は、大体日本人は身体は少さいし、器用な人 種であると言われているだけに、柔軟性とか、フオームなど等は余 り参考にならないと思つていた。どんな滑り方をするか.叉廻転は どんな﹁キッカヶ﹂で廻るかだけだと思つていた。新聞や雑誌で一 応知つてはいたが強いと言うのは何か其の他に原因があるのであろ うと想像していたのであつた。⋮⋮ところが実際に目でみたスキー 術は予想が全く意外なものであつた。 実にうまい。と一語に遜きてしまつた。各種大会で日本の有名人の は大概みて叉真似もしてみたが、今度のこの講習でのスキー術は全 く別な形で現れて来た。日本のスキー術は特に廻転については理論 が非常に多いし叉これが先に立ち鼻につかえてどうにもスキーさば きが出来ない感じであつた。手は、足は、前傾は、と言う様な次第 のものであつた様な気がする。 オレイェ氏のスキーは本当に自然な廻り方で無理のない身体である 柔軟さは想像以上で細かい動作は到底真似の出来ないものであつた 米国.派とか又北隊.派のスキー、ファレス派のスキーと言われて夫々 の特徴はあるにしても、日本のスキー程の差は無いと思う、大体同 ﹁ 61 一 廻転を中心に考えてみると、スキーの最も廻転のなし易い最大限度 拙い乍らも私の感じた儘を理論づけてみるとこうだ。 が実際にみた形は理くつの無い最も解り易い滑り方法だと思つた。 シヨンなる言葉で書物で紹介され理論づけが難かしくなされていた である。私は確かに自然なスキーさぱきであると思つた。ローテー けが殆ど無いこと。等で今迄のスキー術と逆としか思えない滑り方 ーのよく揃つた滑り。次は身体を振動させないこと。スキーの角付 このスキーの特徴は新聞等で知つたと思うが、何んと言つてもスキ たのだと思う。 しい出発をしようとしてこのオレイエのスキー術なるものを紹介し オリンピック帰りの人達も日本の今迄のスキーを根本的に変えて新 じ様な廻転で、フオームも変つてない様に 思 え る 。 連盟指導員林 あると思う。 もスキTをよく滑らせる様に磨くことと、練習を多く重ねることに のが早くなれる様な気がする、余リスキーの木部の選揮をするより 今迄よりも理論も動作も簡単でスキーの面白味、愉快さが身につく と軽快さにすつかり感心させられた一人であつた。 全く自然な軽い気持で頑張りの無い滑りは何んとも言えない美しさ にみてこんな感じを受けた。 と言つて小さなジヤソプクリスチヤニヤに切りかえて滑る、総合的 ックをなくする様な動作を加えて廻転をする、即ち﹁リチカード﹂ 必要があると思う。禽彼は雪の変化している場合にはその様なショ この講習を機に理論よりも実際に大いに外国のよい点を真似てみる する者程安定してスピードに乗り得ている点である。 の様な練習過程から掴めば案外に入り易いし楽な廻転がなされるの キーは直角に保たれていることなど注意を受けたが、どこまでも右 う檬な段階ではないかと思う。上体は常にスキi上に、肩の線とス 降の態勢にスキーが向けば簡単にパラレルの儘廻転が行われると言 中心が最も豊本的なものである様に感じられる故に斜滑降から直滑 転がなされる。この様にみた。練習としては直滑降からの廻り込み 塚越之男︵室 高︶五千米、一万米 半田引宏︵渋 高︶五百米、千五百米 茂木達夫︵渋 高︶五百米、千五百米 中沢 章︵前工高︶五千米、一万米 都田保︵前工高︶千五百米、五千米 県代表選手 瞬、第九回国民体育大会スケート競技会県豫選会 リレー リレτ リレー リレー 委員長塩原 正孝 では無いかと思う。全国高校、国体スキーと優秀選手の滑りをみた 岩沢余春︵室 高︶三千米、五千米 スケート郡 11ー五‡塞▼⋮櫨■¥ 千春 のところまでスキーの先端を持つてゆき、その時に廻転の方向へ力 を僅か加えてやることだと思う、だから最大傾斜線近くまでスキー を滑らせてその時に廻転の力を一寸加えるだけで廻る、故にスキー が無理の無い安定したスキーをする者は殆どオレイエの様なホーム 二、県下高校対抗及高校選手選大会 は李行のま工廻転してゆく。即ち直滑降の姿勢とスキーのまkで廻 に自然なつているようにみられた。特にスキーのよく揃つた滑りを 一 62 ︸ 女子優勝 室田高等学校 十二点 三位 室田高等学校 二位 前橋工業高等学校 e期日 二月二十一日 ⇔会場 榛 名 湖 ⑫主催 高 体 連 二位 渋川女子高等学校 弱い者のスポーッ、女子のスポーッ、或はあの競技は羽根?きで バドミ、ントン部 1 五百米決勝 ある、といつた表現で見られていた本県のバド、・・yトン競技も、先 委員長 上田 敬次 ㊨ 状 況 降雪と氷面の悪条件に依り、正規のリンク使用不能の為、一 周二百五十米の小リンクにて、競技を行う。 一位 茂木達夫︵渋高︶ 二位 都田 保︵前工︶ 端を行く者の実力は全くその予想を破つて、この廿八年度には全日 成 績︵選手権︶ 三位 大崎福政︵渋高︶ 進み、全国高校大会にも桐高チームが準々決勝、国体に於ても高校 本大会少女単に出場した青木︵桐女︶、諸田︵渋女︶が準々決勝に 一位 中沢 章︵前工︶ 二位 茂木達夫︵渋高︶ 男子の部で全国第五位の成績をあげるといつた如く非常な躍進をし 2 千五百米決勝 三位 塚越之男︵室高︶ 三位 渋 商 B チ ー ム 一位渋高Aチーム ニ位室高Aチーム 4 二千米継走 三位 鶴田智之︵前高︶ 一位中沢章︵前工︶ 二位埴田利夫︵前工︶ りない状態にまでこの面に於ても躍進した。しかもこの中の大部分 刷級二名、二級四名、三級十名が合格し、他県のそれと比して見劣 群馬県パドミソトソ協会に於ては、二月に公認審判審査会を行い 達する可能性をもつていると思われる。 は、この競技はレクリエーシヨンとしても競技そのものも大いに発 群馬県の如く冬は屋内競技が最も発達すべき気候のもとにあつて た年であつた。 5 女子五百米決勝 が高校の教諭叉は生徒であつた事は、高校パドミントソ競技のため 3 五千米決勝 一位 岩沢余春︵室高︶ 二位 門倉わかば︵渋女高︶ に慶びに堪えぬと同時に、高体蓮バドミソトソ部の発達が、協会躍 進の推進力となつている事を如実に物語つているものである。 6 女子千米決勝 一位 岩沢余春︵室高︶ 二位 門倉わかば︵渋女高︶ 今後お互いは益々一致団結して釜々努力精逸を重ねようではない か。 綜合威績 優勝 渋 川 高 等 学 校 三 十 点 一 63 ︸ リロ ◇全日本バドミントン選手権大会︵於新潟︶ れるものと思い、自重されるよう希求してやまない。 あげた。特に諸田は二年生であるので来年はすぱらしい結果を得ら ◇第一回舞馬県レクリヱーシヨン大会 期日 五月廿四日︵日︶ 場所渋川女子高校 葉︵婆︶2︵㎜昌︶・餐︵新潟︶ ニロ エ ヤ テ ぎ 決 勝 難繍蓼︵習5 3謡巖胡︶ 醸繍嫡W2︵⋮H・︶・期蟹 115 は 八木︵前要λm&︶南崎︵嬰︶ ヒ 決 勝 岡崎︵桐女︶盗贔︶・田村︵婆︶ 八木︵幕女︶轟抽︶・糞︵要︶ テ が 鈴木︵前商︶2︵⋮擁︶・露︵桐高︶ が 鈴木︵前商︶2︵⋮島︶・江原︵響︶ 中最響︶2︵⋮姑︶・覆︵響︶ 諸田︵婆︶2︵㎜地−板井︵新潟︶ 少女複 一回戦 不戦勝 ニロ 謙︵嬰︶・︵⋮越2騰︵新潟︶ ニロ 青木︵婁︶2︵⋮h︶・豪︵東京・ 福田︵桐女︶・︵糾⋮︶2藩︵新潟︶ ヨロ 栗、桐女︶2︵⋮紗︶・撰北藍 ︶ 蕾︵婆︶2︵㎜紬︶・梁︵簸︶ ロ 栗︵嬰︶轟品︶2大川︵神奈川︶ 蕾︵婆︶・︵貿⋮︶2簾︵欝︶ 青木、諸田の活躍は一応予想はしていたが、期待以上の好成績を 一 64 一 蜘細︵︵難W−︵凱︶・謡︵︵塑 初の試みとして新人に単をその他に混合をといった仕組みで実施 六月十四日 5O 5 叉 \﹃0 −1] − \ 旨 \、\ ーし[F 、 iEI 一 ﹂ 10 5 勝 剣 勝 剥 校 ﹁数ー r勝ー 高 床 女 子 E陣 市 女・ 女慶 嫉3 女 α 仁フ 8 7 ﹃フ 0 3 0 3 3 5 8 3 2 0 8 α 0 ・α α つ﹂ ウμ 一ー! 1 0 4 9 7 3 1 0 \ 3 2 ト 3 3 ヨ 帽 噌⊥ ブ⊥ \ \ 1 [ P P 3 2 \ ﹄ー 2 3 3 Nビ戸 9 ハ一 \ 2 2 \ ㎜−巧︸ 5 “ 卜 したQ新人が実力を充分に闘わすことが出来る機会を与えた事は、 将来の斯道のために役立つたと考える。 卜 0 ﹃O ︸ 0 剃 敗 率 ◇第四回全日本高校大会縣予選 期日 \ \ 場所 前橋市立女子高校 0 0 0 率 o0 o 0 ・ ● 50 2 ! 敗 0 \ 勝 0 − 1 ∼ 校 、劇 −烈 1 騰− Of 高 商 ﹂騨 、刈 勝0ド ド♂騙月 \ 廿1 耗 ︸\ 高5 子 i︷ 5 男 高 ﹁陸 、同 とへー fー﹁i 商・高 ㎜高 ㎜桐 前 .太 ’綱謳 敗 阿 D “ 2 卜 女 塾肺女蔽蔽 劉 桐 この大会の結果全日高校大会に男子校では、桐高、前商、女子高 校では桐女、渋女が出場する資格を獲得し た 。 ◇第四回全国高校大会 期日 八月六日ー八月八日 場所山形市 一回戦 不戦勝 二回戦 桐高5−〇三島野高 渋女112鶴岡南高 前商213今治北高 桐女1−2奈良育英高 三回戦 桐高3−1聖学院︵東京︶ 四回戦 桐高1f3関東学院六浦高 ベストエイトに残つた桐高の職跡は群馬のレベルの飛躍的な発展 を意味する。国体までの強化にょつては更に一段と好結果が得られ ると思われる。 ◇第七回国民大会兼国体予選会 期日 八月十五日、十六日 場所 桐生高等学校 高校女子 準決勝 青木︵婁︶盗昌︶・小倉︵嬰︶ 蕾︵婆︶2︵⋮島︶・蕾︵要︶ 決 勝 青木︵嬰︶2︵⋮昌︶・蕾︵婆︶ ︸ の 一 高校男子 準決勝 複︵簿講・︵牌茄︶2︵騰蜘 ヨロ り ヨェ ド 面川 富 単葉挙2︵⋮昌︶・瀬戸撃 ヨ 単欝奪子轟凱︶・墨箏 複︵輔み馨・︵即矧︶2︵譜島聾 ω以 二回戦群馬2−1北海道 ヨう 一回戦 不戦勝 高校女子 単金沢武・︵縛励︶2辻貞而 複︵蘇芙鰍・︵貿莇︶血尻警 ぐ のヨ 高校男子 単金沢武2︵茄晶︶・伊灘平 単和暴太郎灸晶︶・矯裕 ヨ 和田︵廻、同︶2︵鯉卿︶−面川︵桐高︶ 田ー5 羨桐高︶2︵賜趣、圭円柳︵桐高︶ 決 肱 む ヨ う 金沢︵驚︶姦&Y富︵響︶ エセ この予選会の結果次の役員と選手が決定した。 男子金沢武和田豊太郎青柳仁三 福田怜子 監督 上田敬次増田保夫 女子 青木栄子 諸田みや子 小倉和子 ◇第八回国民体育大会バド、・、ントン競技 期日 十月廿三日より四日間 場所 香川県善通寺 高校男子 一回戦 不職勝 コロ し ヨしの ホ 複︵籍響・︵縛莇︶2︵薪響 ヨロ のヨ ゆ 単葛仁三命婦︶・武村俊平 えしユ 複︵趨講島晶︶・︵潮講 うヨの 単諸田みや子・︵釈⋮︶負原勝子 411 単面川富2︵搾醐Y村野薯 高校男子はもう一息という所で強剛石川に破れた。しかしここま でよく敢闘したことは賞讃に値する。高校女子も青木、諸田の活躍 で強敵北海道を破つて番狂わせとして協会役員を驚嘆せしめ、大い に群馬の力を発揮してくれた。 ◇第 五 回 縣 下 高 校選手権大会 期日 十一月八日 場所 太田高等学校 テ 栗︵禦 ︶ 2 ︵ ⋮ 昌 ︶ ・ 欝 ︵ 嬰 ︶ 蕾︵婆λ⋮昌︶・小倉禦︶ が 蕾︵渋女 ︶ 2 ︵ 胃 6 m︶・葉︵禦︶ テ う 金沢︵桐高︶2︵矧面Y青柳︵響︶ れ 金沢︵桐高︶毒婦︶・和黒高︶ モ ぽ ︵礁桐高︶2︵併皿︶・縣前・商︶ ︵職桐高︶轟邑・螺太︷局︶ 決 勝 ユとロう 礪懇︶2︵嬰創︶・醸誓︶ ヨ 女子単では二年生渋女の諸田さんが桐女の春木さんを破つて優勝 した事は来年への期待が更に大きくなつて喜ばしい。複に於ても、 若月、春山組が二年生だけに期待される。男子単では準決勝から熱 戦が展開し息詰まるものを感じた。 にノヤ じ ︵藩︵婁︶2︵駕︶−鑛嬰 、 ◇縣下高校新人選手権大会︵於前商︶ 八木︵前要︶2︵⋮員︶・罐︵棚亥︶ が 関堕桐女︶2︵雌昌︶畠村︵渋女︶ 八木︵前要︶2︵⋮島︶・田峯区女︶ そ が むヨう 1ー・7 ︵輔渋女︶姦き・幕嬰︶ の にノ が 麟婁︶2︵凧引︶・雑渋女︶ − ー 7 マず う 箪桐高︶急慰・面川︵響同︶ し 岬 ハ 67 一 男子単準決勝 鈴木︵前商︶2︵暫㎜︶島部︵桐蘭︶ 5−8 第二位桐 工︵七五、○点︶ 第三位 館 高︵七〇、O点︶ 第四位太 高︵六四、O点︶ 桐 女︵五八、○点︶ 女︵五一、五点︶ 女︵三九、○点︶ 商︵二五、五点︶ 桐ケ 丘︵二六、○点︶ 館 太 桐 第五位 大間々高︵四七、○点︶ 女子 第一位 今泉︵桐高︶2︵珊旭−阿部︵前商︶ 決 勝 第三位 第二位 一、二年生でも今迄て入賞している者は出場出来ないのでレベル 第四位 今泉︹鯉︶2︵防昌︶・桀︵前商︶ は低いがこれら選手諸君が今後大いに努力され、優秀な成果を得る 第五位 郡 会場 高崎市体育館 期日 昭和二十八年六月七日︵日︶ ◇第一回関東高等学校柔道大会縣下予選 柔 道 よう期待したい。 ◇第八回東部地区大会 第八回東邦地区大会は五月四日、桐生高校、桐生工業高校、桐生 女子高校に於て、競技種目十二、参加校廿八校の参加を得て盛大に 挙行された。参加人員は実に男女生徒合せて一、三四七名の参加が あつた。 多種目を同日にまとめて行つたので、準備に忙殺された。しかし 各会場校の先生方はもとより各種目別の役員の先生方の自主的な運 東部地区 伊勢崎高校 勢多農林高校 桐生高校 館林高校 県下四地区より左記の通り九校選抜し三組のリーグ戦の結果左の にお互いに喜ばしいことであつた。 中部地区 高崎高校 富岡高校 高崎商業高校 営と、生徒の非常な協力により、実質的に高校生徒の大会が高体連 今後もこうした地区大会が釜々盛大になりますよう、叉益々立派に 西部地区 沼田高校 渋川高校 三校を本県代表と決定した。 運営出来るよう期待したい。 北部地区 の手によつて立派に成就出来た事は、何よりも高体連の発展のため 綜合成績男子 県代表校 一位 桐生高校 二位 富岡高校 三位 高崎高校 第︸位桐 高︵八五、五点︶ 一 68 一 て惜敗したQ富高、高高ともに善戦したが敗退した。 げた。本県代表桐高は優勝校安房第一と対戦よく戦つたが三対一に 熱戦の末伝統ある安房第一が四対一にて都大附工を破り初制覇をと 候補都立大附屡工業高校と千葉県代表安房第二局校との対戦となり ゲを行つて八校選出トーナメントにて優勝を決定した。決勝は優勝 一都七県より各県三校の代表廿四校によつて行われ先づ三校りー 会場 東京講道 館 期日 昭和二十八年六月二十八日︵日︶ ◇第 一 回 関 東 高 等学校柔道大会 桐高 5−0高工 第二回戦 前工 410渋高︵定︶ 高商 311松高 前商 4−1伊工 勢農 4−1甘農︵定︶ 大高︵全︶410桐工 前高 3−0中高 高工 2−−佐農 第一回戦 高市高 5−0蚕高 館山局︵全︶5−0甘農︵全︶ 伊高 高高 渋高 桐商 沼高 510大高︵定︶ 410太高︵定︶ 4−0館高︵定︶ 4−1小農 5−0室高 前高 2−2沼高 Bりーグ 安房第一︵千葉︶5−0鳥山高︵栃木︶ 高高 3−0前商 大高︵全︶3!2桐商 伊高 4−0高商 厚 3−1大高︵全︶ 2−1富高 酒井正守 高崎高 鈴木元一 高崎高 三位 渋川高 三位 館林高 高高 3−2館高 館高 渋高 渋高︵全︶3−0勢農 桐生高 310烏山高 富高 3−1高市高 0代表戦 安房第一 3i1桐生高 桐高 3−−前高 高高 2−−2伊高 桐古同 2−2渋高 桐生高 森田砧造 個入敢斗賞 桐高 1−1高高 再試合 02−1 優勝 桐生高 二位 O代表戦 決 勝 準決勝戦 0代表戦 館高 410前工 第三回戦 Cリーグ 深谷高︵埼玉︶5−0吉田高︵山梨︶ 潔谷高 510富岡高 富岡高 3−0吉田高 Fリーグ 高崎高等学校 鉾田一高︵茨城︶312海城高︵東京︶ 鉾田一高 4−0高崎高 海城高 311高崎高 ◇ 第三回群馬縣高 等 学 校 柔 道 選 手 権 大 会 第二回全国高等学校柔道大会予選 昭和二十八月七月五日 一 θ ︸ ◇第二回国高等 学 校 柔 道 大 会 本 県 代 表 成 績 高崎高 冬木金雄 渋川高 狩野春吉 第一次予選八 月九日 ◇第八回国民体育大会県下予選 於前橋警察学校別館道場 厚 厚 厚 μ 〃 7 f ﹁ ノ ’ 厚 か 須 鈴 町 箕 小 石 木︵前高︶ 藤ハ高高︶ 木︵高高し 田︵小農︶ 輪︵高商︶ 川︵富高︶ 井︵館高︶ 長谷川︵佐農︶ 勝者 〃 〃 ’ ヂ ’ 〆 厚 厚 平 一ノ 1 仔 ’ ’ 第一組︵八名︶トーナメント 第二組 第三組 第四組 第五組 第六紐 第七組 第八組 厚 ’ f ヂ 期日 昭和二十八年七月二十五六日 於大阪府立体育会館 三校リーグ第一試合 桐高3 i 2西海学園︵長崎︶ 酒非 邊足払 ○足立 泉 ○跳腰大きくきまる 重野 栗原O大内刈技あり判定 井出 森田○大内刈 武元 厚 か 佐々木︵前商︶ 〃 推薦により次の三名を選出する。 第九組 第二試合 狩野渋高︶、森田︵桐高︶、栗原︵桐高︶、右記九名にこの蕪名 玉川内股 O溝口 桐高O − 4八戸高︵青森︶ 、 縦 四 方固○木村 払腰 ○宮崎 引分 津村 崩上四方O立花 爾監督には高崎高校今井孝造四段が推薦された。 名にてリーグ戦の結果左記五名を国体選手として決定する。 十二名を二組リーグに分けて試含を行い更に上位三名を選出し計六 第二次予選 計十二名を第二次予選に出場させる。 酒井 森田 縦 四 方固O簿木 初段 小川広︵富高︶ 二段佐々木竹比古︵前商︶ 初段 鈴木元一 泉 栗原 玉川 八戸高は西海学園を311にて破り十六校トーナメントに出場し ︵高高︶ 初段森田儲造︵桐高︶初段 石井大仙︵館高︶ 期日 高松第一高等学校︵香川県高松市︶ 昭和二十八年十月二十王日 第八回国民体鳶大会柔適高校の部 た為に桐高は一勝一敗にて惜しくも次の出場は出来なかつた。 将来全国レベルに迫いつくには固技の研究と練習が大いに必要で ある事を痛感させられた。しかし桐高は実力を充分出していると 思はれた。 会場 一 70 一 初段石井 引分 鈴木 初段 群馬県3−1福島県 試合成績 第一 回 戦 きものがあつた。 であつた。第二位館高定は夜間勉学している生徒として叉賞讃すべ くから試合に出場して負けても屈せず努力して来た結果によるもの 窪 川波O内股 初段松尾○内股 鈴木 か 森田 厚 石井初段 桐工 410高市高 大高 312高商 太高︵定︶3!1甘農 桐商 1!0寓高︵定︶ 松高 410渋高ρ定︶ 沼高 5−0太高 伊高 3−1前商 高高 5−0高工 佐農 2−0伊工 甘農︵定︶4−−中高 勢農 211館高 富高 3−1前工 小農 5iO佐農︵定︶ 佐農 3−1桐商 第二回戦 前高 3i1桐工 高商︵定︶O不戦勝 蚕高 代表戦引分○抽せん 館高︵定︶212桐高 試合成績 第一回戦 〃 荒木○内股 佐々木二段 渋高 210小農︵定︶ 〃 森田O大外刈 大槻 厚 〃 鈴木優勢 ○鈴木良〃 二段佐々木○優勢前田 μ 初段小川O大外刈 近藤 厚 第二回戦 二段野田○小外刈 小川 初段 福岡県5−0群馬県 二段古賀○大外刈 館高︵定︶3i2渋高 伊高 310大高 本県代表チームは第一回戦に福島県を三対一にて破つたが第二回 高高 3−2太高︵定︶ 前高 311勢農 戦には伝統あり随一の優勝候補の福岡県と対戦する事となつた。 沼高 4−0甘農︵定︶ 小農 411高商︵定︶ 布川 払腰 ○牧野 栗原引分 茂木 館高︵定︶1−1伊高 準決勝 3−1佐農 伊高 211小農 沼高 211高高 3i2前高 冨高 310松育同 ない戦いぶりであつた。福岡は予想通り堂々優勝をとげた。 第三回戦 本県戦手は強敵たりとも臆する事なく体当りして敗れはしたが悔 ◇ 慧馬県高等学校 新 人 柔 蓮 大 会 館高 富高 先 期日 昭和二十八年十一月三日 会場 伊勢崎高等学校 三年生を除いて二年、一年生にて五名一組にてトーナメント戦を 実施した。技術的には未熟な点があつたが試合は正直で意気盛んで 非常に気持よい試合が展開された。優勝は沼高に決定したが之も早 ︸ ” ︷ 木村 氏 名 昭和二十九年三十年度役員剛覧 中 白石○背負投 役 名 所 属 前橋高校 伊藤 武 男 前橋女子高校 外丸 引分 武 男 前橋商業高校 大 村 平 野 重三郎 高崎高校 会 長 副会長 松 岡 俊 一 岩崎 負 投 岩崎 白石O背 富 田 前橋商業高校 代表戦 1 沼高3 1 富高 徳次郎 厚 西部 厚 厚 レしRP イ﹁立ロ 厚 厚 中部 厚 厚 東部 正 木 藤女 高工 中高 渋高 沼高 伊女 前工 前高 桐女 太高 館高 理事長 治 勢 勝 柳沢 笹原O優 徳 飯 島 夫 夫 郎 孝 治 男 李 夫 滋 雄 正 喜 常務理事 角屋 引 分 茂木 勢 勝 吉田 鈴木O優 古 賢 茂 木 神 谷 由 須田 館高︵定︶ 山 口 正 国 沼高5iO 栗原 塩 原 松 井 笹原 ○ 払 腰 布川 決勝戦 井浦O送足払 文 角太 大 橋 中 沢 外丸 君 白石 鈴木○袈裟固 池 谷 所属 猷 部 名 高 工 松高 委員長 陸上競技 郎 種目別部長 下田 仙平 太 安田 昭信 則 高 バレー、ボール 晶 バスケツトボール山 局 高 田中 悦平 大村武男 サッカー 館 高 富 田 蓮見 角屋○釣込腰 合せ投○小川 新 労 足 払 篠原 井浦O出 大 蓮見 引分 国 利 須田○送襟絞 優勝 沼田高校 二位館林高校定時制 三位 伊勢崎高校 四位 富岡高校 柔道部委員長 森 清水貞保 多胡善夫 飯島徳治 直田 昇 一 72 一 田部井善作 富田俊一 軟式庭球 ラグピー 池谷晃寛 石井好男 町田歳雄 井上正二 浅見一也 安田昭信 坂口健太郎 田代猪之助 大隅宏 吉永邦弘 森国利 塩原正孝 津田 貞 ハンドボール スケ、ト 水泳 柔道 剣道 山岳 綜合 指導 編集 高高 前工 下高 前高 富高 前市女 勢農 桐女 伊女 渋女 渋高 伊工 伊高 高工 前商 前高 高女 勢農 前市女 前高 前商 前工 前女 所属 相 撲 パド ミ ン ト ン 体操 卓球 ソフトボール 山本六十二 古川 ダンス 田中悦平 大島礼爾 高橋正衛 大村武男 門伝誠吾 山口好見 井関保 目田小夜子 スキー 松岡重三郎 茂木正夫 滋 島瀬誠一 林千春 大村武男 北井柳太郎 斎藤貞雄 狩野直美 森野善一 役 員 単校代表理事 氏 名 茂木 正夫 正木徳次郎 松井国平 下田万寿男 岡田シズエ 浅見 一也 清水貞保 大橋文夫 須藤初治 北井柳太郎 荻原房夫 太郎 正孝 千春 由治 恒夫 栄二 富美雄 宏治 亮光 博重 滋 好男 善雄 正男 国利 貞男 賢男 小野里けい子 健一 松村 本間 関田 古川 星野 新井 天笠 森 柳沢 神谷 柳沢 森 富田 塩原 林 山口 坂爪 坂爪 高高 高工 高商 高女 高市女 高技芸 桐高 桐工 桐市商 桐女 桐丘 太高 太女 伊高 伊工 伊女 新田農 新島高 蚕糸 松高 渋高 渋女 沼高 沼女 利農 ︸ 73 一 評議員 監 査 指導委員 顧 問 神辺英男 中沢角太郎 町田歳雄 武井源三郎 原田 志朗 神戸義夫 新島庫一郎 徳治 三郎 正久 池谷君夫 飯島 新島 木村 寛 市川彦太郎 根岸 三衛 町田 猛雄 静野 沢田市治郎 各高等学校長 辰次 敬次 久弥 得男 秀吉 山本六十二 下田満寿男 田島 上田 石田 黒沢 篠原 吾高 中高 富高 富東高 甘農 下高 藤高 藤女 館高 館女 大高 佐農 小農 境高 室高 安高 勢 農 前 女 県教委指導課 厚 厚 県教育長 県体育協会長 参 与 中村武雄 独立高教組 前橋市教育長 陸上競抜協 県高教組 群馬大学 学校保健課長 指導課長 田中友次郎 武光多四郎 清水 右卒 菊地 定則 原田 三郎 船津鮪ス副︶ パスケットボール協⋮ 74 一 ボクシング連 一 自転車連 パド、、、ントゾ協 相撲連 体操連 スケート連 スキー連 ハンドボール協 水泳連 サッカ;協 ラグビー協 フエンシング協 レスリソグ協 ソフトボール協 軟式庭球連 卓球協 パレーボール協 井上卯一郎 宮沢組一 河野 孝 宮沢八十二 高橋 正衛 天引忠定 篠原秀吉 松浦福三郎 高草木 喬 遠藤仁之輔 千 明 三右衛門 阿部 一美 門伝誠吾 板垣源一郎 関口林五郎 小笠原米一 水谷 巖 天田 裕康 ハヨ 秀吉 阿部 一美 柔道連 山岳連 篠原 剣道連 ウエィト 八木楓衛 大河原宇明吉 弓道連 山本 正木 高橋 石田 竹田 高橋 竹田 高橋 元夫 義男 潔 芳文 正木徳 次 郎 リフテイソグ協 五十嵐仲蔵 ︸事務局長. ︸事務局員嘉務分掌 窒般霧塗 憂計詮 書記 石田 山本 高橋 石田 高橋 竹田 竹田 山本 竹田 石田 山本 一 竹田 一 一庶務主任. 一書記 ﹁ 種目別連絡係分掌 陸上競技 パスケツトユ出ール パレーボτル 軟式庭球 車球 ラグビー サッカー ソフトボール ハンドボール 水泳 体操 相撲 スキー スケート 山岳 ダソス パドミソトン 柔道 剣道 自転車 弓道 ボクシング フエンシソグ レスリソグ ウエイト リフテイソグ 高橋 山本 正木 石田 石田 高橋 竹田 正木 石田 山本 竹田 山本 石田 石田 正木 正木 山本 山本 竹田 高橋 正木 高橋 高橋山本 一 乃 一 あ と が き 本年度は四月早々発刊する予定をたて、原稿提出を二月中にお願 い致しましたが、事務局の不慣れのため暑中休暇に入つてしまつた ことを重々お詫びいたします。これは私達に原因がありますが原稿 の集りが悪いこともその理由の一つであります。期日までに必ず原 稿を提出して下さるようお願いしておきますQ 編集については薯務局がこれに当りましたが、素人ばかりで内容 の貧弱さを痛感いたしております。大会の記録に止らず、研究や指 導の建設的論文を戴せたり、座談会形式のものや生徒の声なども取 上げたいと計画致しておつたのですが計画倒れになりました。 今後御協力願いたいと思います。 或る一部に本誌の必要性を認めず腰止せよと云う声も耳にしてお りますが、私達は内容の充実を図り、自慢し得る機関誌であるよう に育てたいものですQ 高校のスポーッや体育は急速な発達をとげつつあるがそれに伴な い、大会数、経費の問題、大会の在り方等について種々間題が起つ ております。私達は高体連の任務の重大さを感じ高校体育の正しく 発展するよう努力したいと思いますQ 第四号刊行に当り御多忙中貴重な論文を御寄稿下さつた群大岡田 三郎氏.県教育委員会田島辰次氏、発刊に対して御協力下さつた三 共印刷に対し心から御礼申上げますQ又大村会長殿、委員長各位に はいつも御無理願い、有難く感謝いたしております。 ︵正木徳次郎 記︶ ﹄ , 藍 ー 諄 匹 i 旺 ] 匪 軋 訥 匹 ﹄ 重 塵 ﹄ 巳 匪 ¶ L I I ‘ L 1 畦 匹 ︸ し L L ∼ I l ! 圭 ︸ i 1 監 , E − ー 陛 −書 − 畠 1 聖 l I 卜 , 1 幽 1 1 ︸ 1 1 1 毛 臨 ー 聾 陛 婁 1 1 し 5 ︷ セ 駈 駈 聖 匹 ー ︸ 、 昭和二十九年七月二十日 発行 印 刷 高按の体育 昭和一一十九年七月三十日 と 前橋市堀川町 三共印刷株 式会 社 行群量轟議体育連盟 編 集 発 印 刷 ⋮ ︸ 6 ㎜ 7 ㎜ ︸
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