同志社大学剣練会 創立四十周年記念誌 予告編 ただいま、編集中! 今!40 年の歴史がよみがえる! 平成二十年 同志社大学剣練会OB会 創立四十周年記念誌編集委員会 目次 1.巻頭言 創立者/同志社大学剣練会OB会会長 上羽憲司 顧問/同志社大学経済学部教授 岸基史 第42期同志社大学剣練会会長 村上幸司 剣道範士八段 清藤幸彦 剣道教士七段 吉山満 2.祝辞 3.同志社大学剣練会規約 4.同社社大学剣練会創立四十周年記念行事 OB会事務局 1)四十周年記念事業を行うに至った背景 2)総会議案、議事録 No.1 OB会 会則(改定版) No.2-1 役員、幹事(前役員、新役員) No.2-2 各期委員 No.3 会計報告(H18/5∼H19/4) No.4 事業計画(H19∼H20 年度)+40 周年記念誌構成案 No.5 予算案(H19∼H20 年度) 3)懇親会 (レポート) 4)40 周年記念総会、懇親会写真 5)当日の収支報告 6)当日の出欠 7)アンケート結果 8)評価・反省について 5.現役の活動(第41、42、43、44期) 現役OB会係り 稽古、試合、遠征、合宿、EVE祭等 6.OBの活動 1)OB合宿 (第一回∼第七回) 2)OBの活躍 (各界で活躍されているOB紹介) 3)OBからの寄稿文 4)藤盛さんの思い出 7.各年度生紹介(第1期∼41期) OB会HPより引用 投稿者を募る 各期委員とりまとめ 8.創立40周年記念特別座談会 「くれないの変遷と剣練会のコンパ」 編集委員会&有志 9.資料 1)剣練会年表(歴代会長、合宿、試合成績、当時の世相、流行語、ヒット曲等) 2)創立四十周年関連資料(案内、準備委員会議事録等) 3)剣練会「語り、歌集」 4)道場の変遷(御所芝生、第二従規館、デヴィス記念館、育真館) 5)会旗の変遷 6)手ぬぐいの変遷 7)三々五々、鶏鳴(表紙) 8)名簿(年度、名前、在都道府県) 、今後の住所変更等の連絡先 10.編集後記 4−1.40周年記念行事を行うに至った経緯 1)OB合宿の始まり 80年度)篠田記 <*第一回∼第六回の詳細は、6.OBの活動 1)OB合宿参照> 2002年の春、78年度浅原先輩から、 「伊豆に無限館という素晴らしい場所(藤盛さんの 夢であった「藤盛道場」のイメージに近いところ)があるのだが、剣道を続けているOBで合 宿をやらないか。?」というメールが入った。 有志で相談の結果、2002年10月に第一回 OB合宿を行った。そこには、71年度柳田先輩、72年度志知先輩、73年度山崎先輩、荒木 先輩、柳田操先輩、76年度鶴町先輩等、錚々たる先輩方が参加され、 「浅原先輩による基本稽 古のご指導」 、 「現役時代さながらの楽しいコンパ」とタイムマシンで学生時代に戻ったかのよう な楽しく、充実した時間があった。 特にコンパでの近況報告は、それぞれの積み重ねた人生経 験、喜怒哀楽が滲み出た個性的なもので深夜にまで及んだ。 最後の締めは、恒例の「語り、エ ール、逍遥歌、カレッジソング」である。 先輩方から、我々の知らない「乾杯の歌」も飛び出 して、大いに盛り上がった。 その折に、 「数年前に、創立30周年をやった筈だが、40周年 はいつだ? 2007年ならば、40周年の記念OB会をやるべく準備をしたらどうか?」と いう山崎先輩からのアドバイスがあり、それが、40周年記念行事を行うに至った始まりだった と思う。 その後、第二回∼第五回迄、毎年10月には、伊豆に集まり、剣と杯を交え、世代を 超えた友情、信頼、絆を深めて行った。 OBの活動(一部抜粋) 剣練会とは 剣練会、この不可思議なるもの。 剣練会は人を強制しない。束縛もしない。そこにいたかったら自分から出向くしかない。 自分から出向いたところで、ほめられるわけでもない。 ほめられたい人にとって、剣練会は自分を認めてくれない冷たいところ。 大勢の中で居心地の悪さを感じやすい人にとっては、自分のために居場所を少しあけて待って いてくれるところ。 剣練会は誰にでも門戸を開いている。時には、社会人も他大学の学生も混じっていたことも ある。経験者も初心者も、男だろうと女だろうと差別はない。 剣練会は週に3日竹刀を交える、ただそれだけの約束事で成り立っている。体育会剣道部では ない同好会のあり方に悩みながら。 剣練会を中途で去った人、卒業してから縁が切れた人がいる。それなりのことがあったのだろ うと想像するばかりだが、私は今でも彼らを大切に思っている。 藤盛さんの思い出 <76年度生 > 昔の剣練会の『三々五々』の文集を読んでいましたら、 「私のこと」のタイトルで、藤盛さんの文章が出てき ました。藤盛さんを、ご存知ない方のためにも、寄稿文を下記に記してみます。 6.各年度生紹介 1965年度(第1期) 会長 上羽 憲司 団塊の世代ど真ん中の我々です。 司馬遼太郎・三島由紀夫・開高健等が文壇、思想を跋扈し、影響を与えました。 70 安保を前に全学連が活躍し京都・学内も騒然とした時代でした。加藤登紀子の旦那さん藤本敏夫氏が 副委員長で京都は学生運動の聖地でした。 同級生には一方にはフォークルセダーズのはしだのりひこが一方にはよど号を乗っ取り、今北朝鮮にいる 若林盛亮等がおり多彩・多様な人間が存在した時代でもありました。 '65年度生 67 年に剣練会を立ち上げ活動がスタートしました。 剣練会一期生となる 65 年度生メンバーです。 会長;上羽 副会長;駒木(故人)・豊田 マネージャー;内野谷・瓜生 その他には内田(故人)・女性会員は権藤(駒木夫人)、 和泉、薮田がいました。 上羽 駒木 鷲沢 豊田 内野谷 坂入 瓜生 多士済々というのが 65 年度生の特徴でしょうか。 読書を好み談論活発且つ浪漫を夢見る集りでした。 6.各年度生紹介 1966年度(第2期) 会長 山本 祥二(代筆:小田切 秀男) おことわり 私は会長経験者でもなく、また会の運営に努力した者でもありません。それどころか、初代上羽 会長はじめ諸先輩には多くのお手数を煩わせておきながら、事情により、68年6月(小生3回生) より休部状態のやむなきに至った者です。 しかし、そんな私に対しましても先輩、同期生、後輩の諸氏はキャンパスなどで出会う度に暖か くお声をかけてくださり、学館の喫茶「ケルン」 、学生食堂、あるいは学外のそれらの店で、時間を 共に過ごしてくださいました。そのご厚情に少しでも報いることが出来ればと思い、僭越ながら筆 をとった次第です。
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