書 想,

-1-
で敬遠した。
Kはバスケットボール部の主将として暗くなる迄
図
書
館
報
附
録
毎日、練習をしていたが、又、建築にも興味を持っ
ていて、しばしば、丹下健三やル・コルビ:)ェにつ
量 想
P
いて話していたo彰国社から出版されている「建築
目
文化」とかいう雑誌をとっていて、そのころ建てら
第
3
0
号れた京都駅や日活国際会館などのグラビアを見せな
がら、色々と説明してくれたことを思いだすo
僕はそのまま地元の高校に進んだが、 Kは東京都
の高校を希望し上京していったo しかし予想に反し
K君の こ と
て、入学したのは特殊な工業高校であったQ帰省し
た時は、よく会ったが、 「三好十邸(劇作家・故人)
のところに出入りしているんだ」とのことだった。
大学はある工業短大に入学したが、彼の人生観から
の当然の帰結なのか、ほとんど、行かなかったらしい。
落 合 昭 二
彼と会わなくなって2、 3年したころ、旅行の途
僕の通学していた小学校は市横地のはずれの徒歩 中、駅の売店で週刊誌をめくっていたら、連載漫画
で10分程のところにある生徒数、1,500-1,600 が目にとまったo それはアマチュアコソクールの最
名のそのころとしてはかなり大きな学校であった。 優秀作晶の発表であったが,その作者名を見ておど
そこに、クラスは同じになったことはなかったがK ろいたo Kなのだ。おや/彼は漫画家になるのか、
という男がいたo色が浅黒く頭の大きい奴でがっし と思っていたが、それ以後、彼の作品は、まったく
りした肩の男であった。しかし4年のころ妹がなく 見かけない。彼に関する最後のニュースは、僕と同
なり、 1月程して後を追うように母がなくなってか クラスであったAさんと結婚したという事だったが
ら、父子2人きりとなったKにはある繋が見えるよ 僕が奈良へ来たこともあって、 Kのことについては、
うになったo
まったく聞かなくなってしまった。
あれは5年の頃であったろうかo そのころは1学
Kと別れてから、もう20年にもなる。彼との様
期が終ると「夏休みの友」というワークブックが県 々な思い出も荘漠たる時の流れの中に埋没しつつあ
下の全小学生に配布されるのが常だった,,うんざり るが、彼は今ごろ、その才能と情熱を何にかたむけ
しながら頁をくり始めたが、すぐに止めた0第1頁 ているのだろうかo彼については今でも僕にはわか
に出ているのはKの詩ではないか,,内容はまったく らぬ面が多いが、もう少しヒルティ流の生き方をし
忘れたが、たしか、 「畳の月」と屈するものであっ てくれたらと、残念でならない。しかしある日突然、
たように思う。文才があることは皆が認めていたが、 K氏○○賞受賞などというニュースがマスコミを賑
はっきりとその才を僕達にも認めさせたのは、これ わすことがあるかもしれない。
00C.〇cくつ∞ OOOC° ∞ CくつCl〇 CXつ(ヌ⊃ oooc° C.〇cくつCくつ∞
が最初であった。あるとき彼の家に遊びに行ってみ
ると父親が買いそろえたものか、改造社版のいわゆ
る円本が、書棚にずらりとならんでいて、彼はどう
やら、それらをほとんど読破している模様だったo
読むスピードが僕などには信じられぬくらい遠い彼
なら、そんなことも、ありそうなことだった。そん
三 辻 利 一
なものに興味のない僕はゲームか何かして、帰って
きたように思う。
ニ3・-ヨークには、 '′世界一′′と名のつくものが
カミュの「異邦人・ペスト」、プルーストの「失 幾つかあるO まず、空からの玄関口である.)冒ン°
われし時を求めて」などが新潮社から出たのは中学 F ・ケネディ空港は、世界一の広さと秀れた施設を
生のころだったo彼は話すとき少し首をかたむける 誇る国際空港であるo この空港から、バスでマソハ
のが癖で、例によって、少し顔を斜めにたおしなが ッタソに来る途中、 Lower Manhattanにノッポ
ら、 「いいぞ、読めよ」とさかんにこの2冊を勧め のピルが双つ並んで見える。110階建、 411771、世
たが、元来、芸術的感覚の乏しい僕は、プルースト 界最高の世界貿易セソター・ビルである。マン-ッ
の方は咲きはこる醗郁たる花のような感をいだいた タンの中心には、その高さでは、世界貿易セソター・
のだが、手が届きそうにもないし、大部でもあるの ビルに王座を譲ったとはいえ、世界で一番スマート
昭
和
5
2
年
5
月
-留学生の手記(3)
-2-
なビルであるエソパイア・ステート・ビルディング
が目につくo さらに少し離れて、世界最大の百貨店
であるMacys百貨店もある。そして、この術頭に
溢れる人々の顕も種々様々.恐らく、世界中で、こ
れ程多くの異人革が入り雑じって生活している楠も
他にないであろうo そのため、街中では、いろいろ
くせのある英語が耳に入るoドイツ人の英語、フラ
ンス人の英語、中国人の英語、イソド人の英語・-0
何れも、発音が少しずつ異なるo こんな様々な靴り
のある英語を聞いているうちに、自分のBroKen
Blglishも、さして気に止めなくなってしまった。
種々様々な人々が、この街に流れ込んで来るせいか.
犯罪も多いo最近では、世界で最も危険な都市であ
てるというのが常識であるo そのためか、大ニューヨ
ーク市を嫌うのは、なにも、外国人旅行者ばかりで
はない、ニューヨーク市民の中にもいるo ある日、
Finston教授の研究室を訪ねて来た女子学生から、
〝ニ&-ヨークは好きか〟と問われたn好きか、嫌
いかと問われたら、ここでは、いずれかを明確に解
答せねばならないo 日本人的中途半端な解答は許さ
れない。私は即座に、 ′′ニューヨークは好きだ′′と
答えた。彼女は大嫌いだったのである。表情と身振
りに、それを示した。しかし、日本から来た留学生
に、自分の術の恥部をロにする気にもなれなかった
のだろうO そこで、私も、この街の好きな理由を述
べて、悪口を言わないことにしたo この楠には、
Lincoln Centerという素晴しい音楽センターが
あり、メトロポリタソ美術館、近代美術館、自然博
物館等の世界屈指の文化施設がある。ここに行けば.
先人達の遺した秀れた文化遺産に接することが出来
る。このような秀れた文化施設を持つ大ニューヨー
ク市は、 ′/危険な都市〟であるとはいえ、私にとっ
て、最高に魅力ある侍の一つであった。
ニューヨークの音楽芸補の中心はLincoln
Centerであろうo メトロポリタソ・オペラ劇場を
真申にして、左右に、ニューヨーク・フィルの本拠
であるAvery Fisher Hall、ニユーヨーク市バ
レー団の本拠であるNew York State劇場があり、
さらに、すぐ近くには、 IJユリアード音楽院、ピビ
アソ・ポーモソト劇場、芸術図書館が集められてい
る一大芸術セソタtであるo これらの劇場では、 9
月半ばにシーズソ・インすると、翌年3月末まで、
週6日の興行がつづき、一流のアーティストやオー
ケストラの持つ芸術を楽しむことが出来る。
2人のピアニスト、 A・ルーピソシュタインとR
・ゼ-ルキンは、特に強く印象に残っているoお二
人とも、大変な高齢であるが、指の動きは、今なお、
若々しい。 A・ルービンソユタイソ、白髪、柔和な
笑顔、小柄ではあるが、のしのLとピアノに向かう
足どり、何処となく 80年の風雪を感じさせるその
雰囲気は、大変魅力的であるo演奏会における彼の
特長は、その人懐こさというか、愛というか、何か
しら温かい雰囲気を持っている点にあるo 溢れる聴
衆の一部を、ステージの上にまで上げることを許容
する寛大さo主題曲の演奏が終ると、アンゴールの
拍手に答えて、幾つもアソコール曲を弾く。聴衆も、
このピアニストの,この特質をよく心得ており、主
題曲の演奏が終ると、一斉に、ステージの前に集ま
り、盛んに、アソコール曲の′′ おねだり 〟をする。
巨象のような小さな眼を瞬き、当惑しながらも、次
々とアンコール曲を弾くルービンシュタインo こん
なとき、ルーピソソユタイソと聴衆は、好々爺と大
勢の孫達の関係に早変わりし、大きなコソナートホ
ールにも、家庭的雰囲気すら漂い,自然とショパン
の夜想曲が流れてくるo対冊的に、 R・ゼ-ルキン
は、ドイツ人の厳しさをもつ古老という感じである。
聴衆をステージに上げることも、アンコール曲も受
け付けないo鋭く厳しく響くピアノの音からは、孤
高の中に、ただ、ひたすら追求する音楽的情熱が透
るo この雰囲気には'′Noble"という形容詞がぴ
ったりであるo べ-トーヴェソのピアノ協奏曲'J皇
帝〟は、まさに、この雰囲気にお似合いの曲なので
あろうo
様々の音楽を聴いていくうちに、ふと気が付いた
ことであるが、モーツアルト、べ-トーグェソ、メ
ンデルスゾ-ソ、チャイコフスキィといった古典派
やロマン派の音楽と、シェーンベルク、ストラビン
スキィ、シマノフスキィ等の現代音楽の間に,大き
な違和感があるo 古典派やロマソ派の音楽のもつ、
美しい流れるような旋律には、多くの人々が親近感
をもつことであろうo それに反して、散り散りに分
断されたような旋律が響く現代音楽は、何処となく、
とっつきにくい。この相違をどのように理解したら
よいのだろうかo
′′万物は流転する〟とは、ギ9:/ヤの哲学者の吐
いた言葉である。この世のすべての現象は、流れる
ように変化していくo四季の移り変わりもその通り
だO少くとも、見た眼にはそう映るn言い換えれば、
我々が直接、感覚する世界は、 '′連続変化の世界〟
である。人類は、その出現以来、ずっと、この意識
のもとに生活して来たのである。
ところが、 20世紀早々、量子力学が誕生し、人
類は全く別の′′不連続の世界′/があることに気付い
た。量子力学的世界のことである。量子力学的世界
とは、原子・分子Vベルの極微の世界のことである。
この世界の変化の模様は、人間のもつ感覚で、直接、
確かめることは出来ないが、分光学を通して得られ
る結果は、極微の世界は、 ′/不連続変化の世界〟で
___ n --r
あることを証明している。そして、今日、万物は、
原子・分子からなることは、誰もが信じて疑わない
から、我々が感覚出来る連続変化の世界の根底には
不連続変化の世界が、どっしりと根を張っているこ
とになる。すなわち、これら2つの矛盾する世界は、
同一世界の、互いに異相であると考えることが出来
よう。そして、この2つの異相は、全く様子が異な
るので、同一基準では理解し得ないのである0
20世紀初頭に起った、このような、自然科学に
おける量子力学的世界の発見と、現代音楽の出現と
は、無関係ではないように、私には思われるのであ
る。すなわち、従来の連続世界の意識から生まれた
音楽が、古典派やロマン派の音楽であり、現代音楽
は、意識の上では、不連続変化の世界に通じる面を
濃厚に持つ。したがって、従来の意識では、現代音
楽は理解し難いのも当然のことであろう。量子力学
的世界を理解するのに、古典的なニュートソ力学を
捨てて、新しく誕生した量子力学を必要としたよう
に、従来とは異なった、何らかの価値基準を持たな
いと、現代音楽は理解出来ないのではないだろうカも
CヽコCt)しヽ°co cヽコIXI Ok) COCO OO Cu ooc\I LヽJ co cvi cv:コ
衣 服の快適さ
寒いでしょう(着用したことがないので、たんなる
推測ではありますが).冬にば′ ももひき〟が一番
快適ですよ、といっても娘さん方誰もはいてくれま
せん。
L.FourtとN.R.S. Holliesの共著
′′Clothing cqnfort and function〟 とい
う書がある。これはお茶の水女子大学被服材料学の
先生方の翻訳で「被服機構学」として出版されてい
る(原著者の表現を尊重して、できるだけ忠実に訳
出したためとはいえ、直訳に近くて読みづらく、疑
問に思れる個所が多いのは残念である)。500編近
い文献を紹介しながら、衣服の快適さ、すなわち人
間一衣服一環境の問題について、衛生学、工学、心
理学の各分野から解説し、その体系化を試みている。
この分野における諸外国での研究の進歩や膨大な研
究の量に感心すると同時に、日本での研究者の層の
薄さ、研究費の少なさ、研究体制の問題等を新めて
思い出させてくれた。
しかし、このような研究成果がどれほど日常の衣
服に取り入れられているだろうか。
現代はファッジヨソの時代とか。非常に多種多様
の衣服が売られているが、美しさ、目新しさのみを
追求して、衣服の快適さなど無視しているものが多
い。
柳 川 良 樹
マーガレッ ト ミッチェルの小説「風と共に去り
ぬ」で、スカーレット・オ-ラがコルセットをつけ
る場面がある。クエスト17吋(43cm)まで絞り上
げるという。スタイルの良いお嬢さん方でもウエス
トは60cm前後であるから、これでは拷問を受けて
いるようなものである。事実、あばら骨が折れ、そ
れが内臓につきささり、死亡した例もあるそうであ
快適さや機能性が重要視されるのは、主として極
地服や宇苗服、軍事用などの特殊用途が多いが、そ
れでよいだろうかO フ7ツジョンに物理的な快適さ
をどの程度まで取り入れられるだろうか。あるいは
美しく着飾ることと快適な衣生活とは別の問題だろ
うか-この本を前にして、こんなことを考えました。
全ての女性がさらに美しくなることを願いながら.
clO CC Cくつoooo ∞ CQ Cく)Cメ°CXつCン〇 00 0-OcCI ∞く>〇 〇くI
スリッパとステテコ
る。
衣服は環境との調節を行なって、人間の生存を可
能にし、さらにできれば快適な生活を保障すること
が、第1の目的であったはずである。美しく見せよ
うとする心理、あるいは美しくなりたいという気特
は、肉体的苦痛にまさるものでしょうか;
現在でも、晴着や礼服には肉体的苦痛をともなう
ものが多い。とくに和服を着なれていない娘さん方
にとって、訪問着を着たときなどは大変であり、か
なりの苦行のようである。しかし顔には全くださな
い。それよりも高価で美しい着物を着ているという
誇りと満足感にあふれ、いきいきとしている。これ
が不思議である。ストッキングについても同じよう
な感じがする。春夏秋冬、足にはくのは同じ厚さの
ストッキソグ1枚である。夏は暑いでしょう、冬は
北 川 尚 史
本学の事務棟内ではスリッパを着用する′′美風〟
がある。教官の研究室にも入口で靴をぬぎスリッパ
に履きかえねばならない部屋がいくつかある。床は
鏡のどとく磨きあげられ、書棚の本は整然と並べら
れ、すべてがきちんと整頓されているそれらの研究
室にお邪魔するたびに、いつも雑然としているわが
研究室を顧みて悼惜たる思いである。
ところで、教授会に出席するため事務棟の二階の
会議室に入るとき、いつも妙な違和感を覚えている。
学長以下、ひな壇に居並んだ人達が、なにやら公会
堂に集った村会議員といった印象なのである。いず
ー4−
れも人品骨柄卑しからず、背広にネクタイのリュク
とした身なりで、その点ではまどうことなくイソチ
リ集団にふさわしい風体なのだが、机の下から見え
るスリッパ着用の足元が竹に棒をついだようにちぐ
はぐである。まるで田紳を絵にかいたような図柄で
はないか。
西欧ではいうまでもなく玄関先で靴をぬぐ習慣は
ない。ヨーロッパではサンダルや普通の靴のかかと
をつぶしてスリッパ風に着用しているが、上履用の
あの薄っぺらいスリッパは見たことがない。スイス
に滞在中、親切な下宿のおばさんから欧風の習慣に
ついて多くのことを教わった。マリア・テレプアに
似た風貌で威厳にみちた大年増の彼女は、ある時、
極東から来た野蛮人に西洋の正統な躾けをはどこす
調教師たらんと大仰な身振りで、「人前で靴をぬぐ
ことは、人前でズポソをぬぐのと同じ程度に無作法
である」と教えてくれた。
礼儀作法はともかく、玄関で背広姿の大の男がス
リッパに履きかえる姿はいかにもわびしく、様にな
っていない。断っておくが、私はスリッパ着用を否
定しているのではなく、西欧の風俗を有難がるつも
りも毛頭ない。郷に入れば郷に従えで、湿潤な日本
の風土では、屋内で靴を履くことは水虫の薬屋を喜
ばせるだけであり、スリッパの利用はむしろ奨励さ
れてよいと思っている。問題は背広姿とスリッパと
のとり合わせが、ワイソを茶わんで飲むように不自
然であり、ビールをストロクで飲むように貧乏くさ
いということなのである。
背広にスリッパは似合わない。しかし、スリッパ
着用は望ましい。この二つの前提から導かれる論理
の帰趨は、ではスリッパにふさわしい服装は何かと
いうことになる。そこで、私はスリッパにはステテ
コが好ましいと声を高くして提言したい。「富士に
は月見草がよく似合う」の名文句に比べるとかなり
格調が落ちるが、太宰治のひそみにならって、「ス
リッパにはステテコがよく似合う」と言いたいので
ある。要するに、ステテコ姿で教授会に出席するこ
とを認めよと言いたいために、先程からいろいろと
不遜の言辞を弄してきたのである。
スリッパにステテコ姿は日本の安宿などでよく見
かけるが、あれは実によい。学生達の表現を借用す
るならば、〝パシッときまっている感じ 〟なのだ。
藤椅子にでも寄ってうちわなど使っている図はいか
にも涼味をそそり、ちょっとした絵になるポーズで
ある。以前、海外旅行がまだ盛んでなかった頃に、
バソコクのホテルの廊下で思いがけず、ステテコと
スリッパをはき、がにまたで歩いている未知の日本
人に出会い、いかにも懐しく、郷里へ帰ったような
安らぎを覚えたことがある。外国のホテルで見たそ
の姿は、遠い異国の港で日の丸を掲げた日本船を見
るように感動的な光景であった。
手元の岩波国語辞典ですててこの項を見ると、「男
子の下ばきの一種。さるまたより長くひざまである。」
と記されているが、正確を期すならば、「ひざ下ま
である」と言うべきであるし、さるまたの代りでは
なくその上に着用するのであるから、さるまたと等
価の下着とみなすのは不当である。この辞書に限ら
ず、ステテコに対する世間の評価は偏見にみちてお
り、公衆の面前にさらすべきものではないという見
方が強い。現在のところ、洗面器とタオルを携えて
いる時にのみ、からくも′′公民権〟を得ているようで
あるが(私は本学の正門附近の路上で白昼このスタ
イルを何度か見たことがある)、ステテコ姿を日本
の夏の正装とすべきであると信じている。
それから、むかし宵闇が演じた野卑な座興の踊り
に由来する「ステテコ」という軽薄な響きをもつそ
の名前が気に入っている。「どんぶりはちゃういた
ういたステテコシャンシャン」というあのムードが
よい。ひところ、あろうことか、ロソグパンツ(略
してロソパソ)なる奇怪な名前が代用されたことが
あるが(現在もデパートなどで使っているかもしれ
ない)、それはステテコを冒湧する悪しき西欧への
追従というべきである。
スリッパとステテコに関してまだ多くの′′問題点〟
があり、カーライルぼりに学をひけらかしてわが衣
装哲学を開陳したいのであるが、ちょうど指定され
た字数になった。
患静
投 稿 歓 迎
教職員のみなさんのど投稿をお待ちしています。
0字数1,600 字程度