奈 良市埋蔵文化財調査セ ンター速報展示資料 No .39 播磨国か らや って来た瓦 平城京跡 ( 左京五条四坊九 ・十坪 ・条間北小路) 奈良市大森町 ∫R奈良駅か ら南 - 5 0 0m程の場所 に広がる水 田地帯では、奈良市による JR奈 良駅南特定土地 L ト 、 ; / く キ _/ ヾ 一 ′ 二 _ . F '. ー亭 ー 売 -き q 区画整理事業が進 め られています。 この事業地が 平城京跡 に該 当す るこ とか ら、平成 1 3年度 か ら 発掘調査 を実施 しています。今回は平成 2 0年度 _ 醍 J ll tt トi l l _ " _ ・ . _ _ _ _ _よ 2 T 一 0 L ご 一 l T ・ . . 大・ J 軌 u ■. 一 . 一 t i t 一 主監葺音 に行 った、平城京左京五条 四坊九坪の南辺部 と十 叶 一 紳 t r t . 4 . Y 、 . I , . , l t F : 輔 t : 3 ⊥⊥ 二 l皿 . I . . t l . ' 1 い .K l t : l . ' 1l ト = 9 _ _ _ _ ' h , L . _ ' : t ㌔ ⊂ . 坪の北辺部、そ してその間に位置す る東西方 向の 道路である、五条粂間北小路の発掘調査 について 碍介 します. なお、今回の発掘調査地の西側では 平成 1 3年度 に発掘調査が行 われています。 検出 した遺構 検 出 した奈 良時代の遺構 には五 i J三 三 ヽ 1 二 V l = . -■ 、 W I 巨工 二 ∫丑 I/ T ー lJ J . 日 ' . . . I 廿 山中 日 . J lr ー l ` ー Jー : ■ ・ . ■ 一 ・ 一 = 〉:一 ∼J l I I : + J J JJ ' J I I1 A + T さ ^ 、 1 一 年 一 一 一 一 . 、 ` L I J ㍍ ⊥ で ∫ ー : l I 調査位置図 ( 1 / 5 , 0 0 0 ) 条条間北小路 とその南北両側 の道路側溝、北側溝 にかか る橋 、 九坪の南面 と十坪の北面を区切 る溝、 九坪宅地内の掘立柱建物 ・塀、溝があ ります。 . 5mある東西方向の 五条条間北小路は幅が約 5 道路です。道路部分が谷地形 にあたっているため、 路面が南側溝 に向かって上がっています。そのた め、路面は平 らではな く斜面 になっています。九 坪の中軸線 よ り東 よ りの位置 に北側溝 を渡 るため の木橋がかけ られていま した。また、溝が最終的 に埋まった段階では、水のあふれが路面全体 をお おってお り、南北両側の道路側溝が機能 していた 時期 も、側溝 の水が路面にあふれていた ことが う かがえます。 北側溝 は幅約 2m、深 さ約 0 . 6mの溝がまず掘 五条粂間北小路 ( 酉か ら) られ、その溝 が埋 まった後、新たに幅約 1m、深 さ約 0 . 2m の溝 を掘 りなお してい ます。 最初 に 掘 った古い溝の北岸 には護岸 の杭が打ち込まれて じ サ ん 巡 方 いま した。古い溝 の 中か らは、墨書土器 、土馬、 ぽう 唐三彩、銭貨 ( 和同開弥 ・高年通宝)、銅製 さ は り せい ようらく ( 腰帯具)、佐波理製理洛 ( 銅 ・錫 ・鉛 の合金の垂 れ飾 り)、ウマの骨が、 新 しい溝 の中か らは播磨 ( 兵 庫県西南部)産 と考 え られ る平瓦が出土 しま した。 南側溝 は幅約 3m、深 さ約 0 . 6mの溝です。北 側道路側溝 に比べ ると溝底の凹凸が著 しく、丁寧 に掘 られているとは言 えません。溝のなかか ら播 磨産軒丸瓦が出土 しま した。 九坪 と五条粂間北小路北側溝 ( 南西か ら) L J[ I 播磨産の軒瓦 播磨産瓦が 出土 した背景 今 回の調査 では播磨産軒丸瓦 と 「 古大 内式軒 瓦」 は 播 磨 産 と考 え られ る平 瓦 が 出土 しま したが、平 「 播磨国府 系瓦」 と呼ばれ る瓦の一種です。 「 播磨 成1 3年度 に実施 した今 回 の調査 区の西 隣 の調査 国府 系瓦」の出土分布 は、ほ とん どが播磨 国内に 区で も、五条条間北小路北側溝 と九坪 内か ら播磨 のし 産軒平瓦、播磨産 と考 え られ る平瓦 ・輿斗瓦が出 限定 され てお り、その出土遺跡 も本町遺跡 ( 播磨 土 してお り、播磨産瓦は五条条間北小路北側溝 の とか ら、播磨国司の管理 下において生産 と配布 が 北側 に想 定で きる築地塀 、またはそれ以北の九坪 な され た もの と定義付 け され ています。 この よ う 内の建物 に葺かれていた もの と考 え られ ていま し な瓦が、 どの よ うな背景 によ り、平城京 内の この た。 なお、平成 1 3年 度調査 の 出土土器 を再検討 地に もた らされた もので しょ うか。 国府 )・播磨 国分寺 ・山陽道 沿 いの駅家 であ る こ す る と、播磨産須恵器 も出土 していた ことがわか ひ とつ の可能性 として、九坪 内に播磨国の調邸 りま した。 出土 した播磨産の軒丸瓦 と軒平瓦 をこ が あった の で は ないか とい う仮説 が考 え られ ま こで紹介 します。播磨産 の軒丸瓦 ・軒平瓦は、 と ふ る お うち もに兵庫 県加 古川 市の古大内遺跡 出土軒瓦 を標式 す。調邸 とは諸 国か ら運 ばれ てきた調物 を一時保 名 とす る 「 古大内式軒瓦」で平城京 内では他 にみ 夫達の宿 泊機 能 もあわせ もっていた と考 え られ て つ かっていませ ん。 「 古大 内式軒丸瓦」 は単弁 1 3 ちゆうJ fう れ ん じ 弁蓮華紋 を飾 ってお り、中房 の蓮子配列 が中心 に います。 現代 の感 覚 でい えば、 「 播磨 国の平城京 1つ置 き、その周 囲に 6つ を配置す る 1+ 6の Ⅰ 京東市の西辺 りに相模 国の調邸があった こ とが知 型 と、 1+ 5の Ⅱ型 が知 られ ています が、今回の られ るのみです が、当然諸国が平城京 内外 に もっ 出土例 は Ⅰ型 です。 「 古大 内式軒平 瓦」 は、内 区 ていた と想 定で きます。 この よ うな性格 を もつ調 に 5回反転均整唐草紋 を飾 っています。唐草各単 邸 には、調物 を保管す る倉庫群や運脚夫達 の宿泊 つぼみ 管す る施設 であ り、国か ら調物 を運 んできた運脚 出張所」 とで もい えま しょ うか。史料 では、平城 ふ せ う ま や 位 に山形 の膏 を配す る点が特徴的です。布施駅家 したであろ う長屋建物 の存在 が想定で きます。 し に比定 されてい る兵庫県龍 野市の小犬丸遺跡 出土 か しなが ら、 これ までの九坪 での調査地 は、大半 品 との実物照合 を行 った結果、同箔品で製作技法 が南端部 であることもあ り、遺構 の上か ら存在 を も同 じであることか ら、播磨 で生産 され た瓦が平 証明で きてい るわけではあ りませ ん。今後 の発掘 城京 内に持 ち込 まれ てい るこ とがわか りま した。 調査 による九坪 内の様相解 明が期待 され ます。 播磨産 の瓦 発行 案良市教育委員会 平成 21年 3月
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