演奏家育成のためのヴァイオリン教授法 - 滋賀大学学術情報リポジトリ

滋賀大学大学院教育学研究科論文集
33
第 12 号,pp. 33-44,2009
原著論文
演奏家育成のためのヴァイオリン教授法
―― 学習者と教師の観点から ――
越
後
真
理†
Violin Teaching for building Professional Players
―― From the View Point of Students and Teachers ――
Mari ECHIGO
Abstract
The purpose of this study is to show important factors of violin teaching for those students who hope
to be professional players, by analyzing the didactics and their reactions to having lessons.
By investigating the teaching methods of those who have produced great violinists, I found what
they considered most important in the procedure, including : 1) initiation of the basic technique, 2)
performance style, 3) didactics and the manner of practice which solve problems in performance, and 4)
teachersʼ observation and analysis on studentsʼ performance.
In order to investigate studentsʼ attitudes toward learning, I conducted a survey of conservatory
violin students and found the problems they face ; the anxiety for performance and how to use their right
hand. They feel that appropriate technique is required to express the works, but at the same time they
are concerned that they have problems to solve with respect to the techniques themselves. They also
have problems of practice method, performance technique, and usage of body and brain that are
concerned with concentration and breath. I also observed and analyzed the violin lessons of great
teachers who have brought up professional violinists. I found that didactics is not the universal method
for all students. The important point of didactics is how teachers analyze studentsʼ performance, point
out their problems and give them appropriate solutions.
Key words : violin teaching, professional player, lesson analysis
授法の合理的,そしてより具体的な指導が行わ
1.研 究 目 的
れるようになったことが関連していると考えら
れる。これまでにもロシア,アメリカ,日本を
近年世界的に活躍する日本人ヴァイオリニス
始め多くの国々で演奏家を多数輩出した教師が
トが増えている。その背景にはヴァイオリン教
存在する。彼らの教授法についてはこれまであ
まり明らかにされていないが,そこに演奏家を
†教科教育専攻
指導教員:林
音楽教育専修
睦
目指す学習者の指導に必要な要素があるのでは
ないかと筆者は考えた。ヴァイオリン演奏に関
34
越
後
する書物については,演奏技術やヴァイオリン
真
理
すことである。
作品の解釈について,あるいは演奏と体との関
連を示した本が多数出版されている。しかし,
2.研究方法と研究内容
ヴァイオリン教授法について書かれた本は少な
く,過去現在共に演奏家が如何なる指導を受け
本研究では,過去に多くの演奏家を育成した
たかということについては不透明な点が多い。
ヴァイオリン教師と,現在演奏家を育成してい
普段のレッスンにおいても,指導内容や方法等
るヴァイオリン教師によるヴァイオリン教授法
の実態はほとんど明らかにされていない。様々
を取上げ,さらに専門的なヴァイオリン指導を
な教師の指導について把握する手段としては公
受けた学習者の見解を調査することによって,
開レッスンが挙がられるが,公開レッスンは
演奏家育成のために必要な教授法について考察
様々な利点を持っている一方で,普段のレッス
した。はじめに,過去と現在のそれぞれのヴァ
ンとは幾分異なる点もある。受講生は一定の技
イオリン教師による教授の特徴を抽出し,さら
術を要する学習者である場合が多く,一人の生
に教授における共通点を見出した。また,学習
徒につき一度きりのレッスンしか見ることがで
者がこれまでに受けたヴァイオリン指導の実態
きないという状況がある。そのため公開レッス
を把握し,その中で学習者が評価した指導と,
ンでは,学習者の技術を構築する過程や,複数
現在新たに求めている指導を明らかにした。
回の指導を重ねる事で演奏を完成させていく過
まず,過去に演奏家を育成した教師の教授法
程を観察する事は難しい。このようにヴァイオ
について,教師の著書,教授について弟子の発
リン教授法に関する書物が少なく,普段行われ
言を記録した複数の書物,公開レッスンを記録
ている指導の実態は明らかでない。そこで筆者
した映像資料をもとに考察した。レオポルド・
は演奏家を育成している教師の教授法について
アウアー,鷲見三郎,イヴァン・ガラミアン,
調べ,それを文章化して広く伝える事で,多く
イェフーディ・メニューイン,ドロシー・ディ
のヴァイオリン学習者の演奏を更に向上させる
レイの教授法について調べた。この 5 名の教師
ことができるような教授法を提示する事を試み
の教授法については,生い立ちと演奏家や教師
た。
としての経歴,教師が受けたヴァイオリン教育,
かつて独奏者や室内楽奏者,そして教師とし
教師の教授法に対する見解,教師のヴァイオリ
て活躍し,確実な技術と優れた分析力を持って
ンの基礎技術についての研究という 4 観点につ
いたハンガリーのヴァイオリニスト,カール・
いて検討した。さらにカール・フレッシュの
フレッシュはヴァイオリン演奏と指導に関する
『ヴァイオリン演奏の技法』をもとに,フレッ
研究を行い,それを書物として多くの国々に出
シュの教授法について調べた。
版した。この書物の出版により,それまで様々
な水準にあった学習者の演奏を一定の水準に引
3.過去のヴァイオリン教師による教授法
き上げる事に成功した。フレッシュの書物は学
習者や教師によって研究され,ヴァイオリン演
レオポルド・アウアーはハンガリーのヴァイ
奏におけるバイブルと高い評価を受けていた。
オリニストであり,ミッシャ・エルマンやエフ
しかし,時代と共に演奏法は少しずつ変化を遂
レム・ジンバリスト,ヤッシャ・ハイフェッツ
げており,また教授法においては更に緻密で多
など現在でも重要な演奏家として注目されてい
様な指導が成されていると考えられる。フレッ
る弟子を育成した。アウアーはリドレイ・コー
シュが当時の指導について記した事で,その当
ネ,ヤーコブ・ドント,ヨーゼフ・ヘルメスべ
時どのような指導が成されていたかを把握する
ルガー,ヨーゼフ・ヨアヒムからヴァイオリン
貴重な書物となった。同様に筆者は現在行われ
を教わった。ドントからは基礎技術を教わり,
ている指導の一部を残す事が重要だと考えた。
ヨアヒムから作品の解釈において大きな影響を
本論文の目的は,教師と学習者の二つの立場か
受けた事を取上げた。一方でアウアーはヨアヒ
ら演奏家育成のために必要な教授法について示
ムの指導について問題点も示した。一つは常に
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弾いてみせる指導法を取り,言葉による説明を
演奏家やヴァイオリン教師として広く活躍し,
行わなかったために,ヨアヒムの意図を理解で
現在の学習者の指導においても非常に重要な役
きない生徒も中にはいたということである。二
目を担っている。
点目は技術面の指導を行わなかったために,生
鷲見自身のヴァイオリンの学習は,模倣によ
徒が自身で技術上の問題を解決する必要があっ
る独学から始まった。鷲見が専門的なヴァイオ
たことである。しかしアウアーの場合にはヨア
リン指導を受けたのは,22 歳の頃であり師は
ヒムの指導を受ける前にドントから徹底した技
多久寅である。その後ヨーゼフ・ケーニッヒ,
術指導を受けていたため,技術上の問題はさほ
ニコライ・シフェルブラットに師事した。鷲見
ど大きな問題ではなかったということが確認で
は多から様々な作品やエチュードのカイザーを
きた。
教わり,ケーニッヒからはセヴシックの練習法
アウアーの教授法に対する見解からは,第一
や,手や指を柔軟にするためのボーイングの練
にアウアーが生徒の個性を尊重し,生徒それぞ
習,左手の位置などの基礎的な指導を受けたと
れのスタイルを確立することを奨励したことを
考えられる。シフェルブラットからは音階や音
挙げた。またアウアーは美を重視し,それに反
程などの厳格な指導を受けた。
しない限り生徒の演奏に自由を与えた。さらに
鷲見の教授法に対する見解から,まず基礎的
アウアーの指導は型にはめた指導ではなかった
な指導を初歩から徹底することが極めて重要で
ということについて言及した。そしてアウアー
あるという見解を示した。そして教師は様々な
は教授する際,生徒に完全な技巧を求めていた
教授法や演奏法の研究を行うべきであるという
という見解を示した。
鷲見の見解についても取上げた。さらに,鷲見
アウアーのヴァイオリン基礎技術についての
はカール・フレッシュの演奏法について合理的
研究の中から主に運弓について分析した。弓の
であると考え,その演奏法をよく分析した上で
持ち方,9 つの運弓法と体の用い方という観点
積極的に取り入れた。また鷲見はセヴシックの
から他の教師のそれらと比較した。フレッシュ
教則本の効果について,この教本の問題点も指
は,人差指の位置が深く第二関節が弓に触れる
摘した上で効果的な用い方を示した。
アウアーの持ち方について,わずかな労力で最
鷲見のヴァイオリンの基礎技術についての研
良の音を生み出すものであると高く評価してい
究では,初歩の指導とヴィブラートについて考
る。9 つの運弓法では,デターシェ,マルテレ,
察した。初歩の鷲見の指導で注目すべき点は,
スタッカート,フライイング・スタッカート,
右手と左手を分けて指導し,生徒が弾けるよう
スピッカートとソーティエ,リコシェ・サル
になるまで片手ずつ練習させていることである。
タート,トレモロ,レガートについて検討した。
左手の練習では初めのうちはピッチカートで行
その結果,フレッシュが前腕や上腕を必要に応
う。その際,指の形を整える事や,押さえた指
じて用い,ガラミアンが右手の 1〜4 指をよく
を押さえたままにしておくことなどに注意して
利用していたのに対してアウアーはほとんどの
行い,音程感覚に注意しながら正確な指の押さ
場合に手首を使い,手首のみで行えない場合に
え方を修得させている。ピッチカートによる初
は腕を使って支えるという演奏法であると筆者
歩の導入については,東儀祐二氏も評価してい
は分析した。アウアーの運弓に関する著書から
る。
は,手首に加えて腕を使う場合に,前腕を使う
さらにイヴァン・ガラミアンの教授法につい
という記述はあるが,上腕の使用はほとんど見
て分析した。ガラミアンはアメリカのヴァイオ
られなかった。アウアーの運弓法を用いるなら
リニストであり,教師として知られている。ガ
ば,手首の柔軟性と強化が必要不可欠である。
ラミアンの生徒はイツァーク・パールマンやピ
次に鷲見三郎の教授法について考察した。鷲
ンカス・ズッカーマン,チョン・キョン=ファ
見は実に多くの演奏家を国内外に送り出し,生
などの他,弦楽四重奏やオーケストラ奏者とし
徒は国際コンクールも含め数多くのコンクール
て活躍している。
で優秀な成績を残した。現在でも鷲見の生徒は
ガラミアンはコンスタンティーン・モースト
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ラス,リュシアン・カペに師事した。モースト
一人の演奏を分析することであるということを
ラスは,モスクワ音楽院でヴァイオリン演奏技
挙げた。そして教師は生徒の演奏上の問題を生
術の独自のコースを導入した教師である。カペ
徒が理解できるように伝える必要があるという
は運弓法の技術が優れていたことで知られてお
ことも示した。師弟関係については,教師の教
り,左手のテクニックにおいてもセヴシックと
えることへのインスピレーションと,子供の学
同等の高い技術を持つヴァイオリニストであり
びたいという意欲,音楽自体にある喜びによっ
教師であった。
て形成すべきだというメニューインの見解を取
ガラミアンの教授法に対する見解からは,自
上げた。
然である演奏法が重要であり効果的であるとい
メニューインのヴァイオリン基礎技術につい
う内容を挙げた。さらに技術の個々の要素は皆
ての研究より,楽器の構えについて考察した。
関連性を持っていることを認識する必要がある
まず,メニューインが指摘した顎で楽器を押さ
というガラミアンの見解を示した。また,教授
えつける構え,あるいは肩を上げて楽器を固定
する際に,教師は生徒の演奏をよく観察し,改
する構え方,左手の親指と人差し指で握り締め
善すべき癖を把握する事と優れた面を把握する
てしまう構えなどで楽器を固定することの問題
事が必要であるとガラミアンは考えていた。さ
点を取上げた。さらに左腕の力を抜き,肘を自
らに教師は自己教育のための指導を行うべきで
然な状態にすることや,楽器を構える時に支え
あるというガラミアンの見解を取上げた。
となる親指を柔軟にすることが大切であるとメ
ガラミアンのヴァイオリン基礎技術について
ニューインは認識し,様々な練習法を示した。
の研究から,音程に関わる左手の位置,左手の
ドロシー・ディレイはアメリカのヴァイオリ
指,音程の調整,シフティングの 4 つの内容に
ン教師であり,五嶋みどり,諏訪内晶子,竹澤
ついて考察した。手の位置や指に関しては,特
恭子,戸田弥生など日本を代表する多くのヴァ
に手の緊張を起こさないこと,力を入れて筋肉
イオリニストを輩出した。イツァーク・パール
を固くしないことが重要であると考えている。
マンもディレイの弟子である。ディレイはレイ
音程の調整について,ガラミアンは 4 つの要素
モンド・サーフ,マイケル・プレス,ハンス・
であるシフティングの練習過程,手の形の決定,
レッツ,フィリックス・サーモンド,ルイス・
手や指と楽器の接点が 2 点であること,音程を
パーシンガー,イヴァン・ガラミアンのもとで
調整する耳の働きとヴィブラートを用いるとい
ヴァイオリン演奏の研究を行った。またディレ
う方法について述べており,それらについて取
イはガラミアンからヴァイオリンを教わるだけ
上げた。
でなく,ガラミアンの指導を聴講するなどガラ
イ ェ フ ー デ ィ・メ ニ ュ ー イ ン は 早 く に デ
ミアンの教授法についても研究を重ねた。ディ
ビューし,数々の演奏旅行を行った後,音楽祭
レイが受けたヴァイオリン指導について,ディ
での指導や交響楽団の指揮を行い,また音楽的
レイは教師が模範演奏で伝えようとした内容が
な才能を持つ子どものための学校を創設した。
理解できなかった事,教師が示す通りの演奏し
メニューインはシグムンド・アンカー,ルイ
か認められなかった例を挙げて批判した。
ス・パ ー シ ン ガ ー,ジ ョ ル ジ ュ・エ ネ ス コ,
ディレイの教授法に対する見解から,生徒は
アードルフ・ブッシュからヴァイオリンを教
自身が持つ可能性のごく一部しか発揮していな
わった。メニューインは演奏家であるパーシン
いことが多く,教師はそれがすべてだと判断し
ガーや,作曲家エネスコから音楽の霊感を受け,
てはならないということを取上げた。また,
音楽の意味を学ぶなど作品解釈や創造性という
ディレイは演奏上の問題を一つに絞り,順を
点において彼らから大きな影響を受けた。しか
追って指導する方法を用いていた。さらに生徒
し徹底した演奏技術の指導は不十分であったと
に対して作曲者が意図したこと,テーマの移行
いうことを筆者は示した。
をより上手く行う方法,他のボーイングの方法
メニューインの教授法に対する見解について,
まず教授する上で重要な事は,教師が生徒一人
などについて質問をし,コミュニケーションを
取ることで生徒に考える力をつけさせる指導を
演奏家育成のためのヴァイオリン教授法
行っているとディレイは述べた。
ディレイの演奏解釈に基くヴァイオリンの基
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いて教わり,さらにウジェーヌ・ソゼー,マル
タン・マルシックからヴァイオリンを教わった。
礎技術についての研究では,1990 年 6 月 4 日
マルシックはフレッシュに非常に大きな影響を
に桐朋学園大学で行われた「ドロシー・ディレ
与えた教師である。マルシックは常に完全な演
イ先生公開レッスン (ヴァイオリン) 演奏解釈
奏を目指すこと,論理的に考えてから弾くこと
第 2 回」のビデオを元に 4 名の生徒に対する教
をフレッシュに教え,また技術に関してマル
授内容について分析した。テーマの使われ方,
シックは,ボーイングが長けていて多彩な音を
クライマックスの作り方や,段階を経て作るク
出す事ができたとフレッシュは述べた。フレッ
レッシェンドの方法等について教授した。また
シュは自身が受けた教育に対する疑問をもとに,
左手が楽に確実に動くようにするために,指の
ヴァイオリン教授法のあり方を深く研究した。
圧力やバランスなどをチェックする練習が必要
フレッシュが初歩教育の重要性を訴え,音楽的
であることも指摘した。さらにオリジナルと自
演奏を促したのも,フレッシュの受けた初歩教
由な解釈によるテンポについて説明し,表現に
育が不十分であったことをフレッシュ自身が強
コントラストを加える指導を行っていたことを
く認識していたことと関連している。
確認した。具体的な表現方法と練習方法,演奏
学習・練習の問題と解決について,練習にお
法を選択する上での研究方法についてもこの
いて重要な事柄は,作品を構成している要素を
レッスンを通して把握することができた。
単純化する事,不必要な運動を取除き余計な力
カール・フレッシュの教授法では,主に以下
を使わないという事にあるとフレッシュは示し
の 10 の内容について考察した。はじめにカー
た。そしてフィンガリングとボーイングにおい
ル・フレッシュが受けたヴァイオリン教育がど
ても,無駄な運動や力を入れずに弾く事のでき
のようなものであったかを調べ,フレッシュの
る運動であり,目的に適ったものであるべきだ
受けた指導とフレッシュが行った指導の関連に
と言及した。さらにフレッシュは練習の問題点
ついて述べた。次にカール・フレッシュの著書
について,学習者が弾けるようになるまで反復
『ヴァイオリン演奏の技法』について,その出
練習することが必要と判断しているということ
版までの契機と,この書物を書いた目的,この
を批判した。過度に行われる反復練習は,音楽
書物の評価について取上げた。そしてこの本か
表現や音楽への感情を奪うものであるとして,
ら,①教師のあり方と指導のあり方②言葉と演
習慣的・継続的反復練習をすべきでないと述べ
奏による指導③正しい音程④きれいな音⑤正し
た。そして教師は生徒に考える力をつけさせる
いテンポ⑥集中力と呼吸⑦本番の不安について
ことが必要であり,短時間で効果的な練習が行
⑧学習・練習の問題と解決について検討した。
われるよう認識すべきだとフレッシュは示して
ここではフレッシュが受けた教育と,学習・
いる。またフレッシュは楽曲の難しい箇所とそ
練習の問題と解決について取上げる。フレッ
の練習法について具体的な練習法を提示した。
シュはヨーゼフ・マクシンツァクの指導を受け
その一例がヘンリク・ヴィエニャフスキ作曲,
るまでに 3 名のヴァイオリン教師に師事した。
ヴァイオリン協奏曲第 2 番作品 22 より第一楽
彼らの教授法に関して,フレッシュは当時使っ
章の以下の譜例である。原曲の状態が譜例 11)
ていた教則本やヴィブラートの指導なども含め,
であるが,左手の指の進行と形を修得するため
初歩の基礎技術の指導が不十分であったことを
に,楽譜を譜例 22) や譜例 33),譜例 44) のよう
述べている。しかしマクシンツァクの指導につ
に分解した練習法を示している。その他多数の
いては,音程とリズムに対して非常に厳格な指
楽曲例を挙げ,その効果的な練習法について言
導をしたとフレッシュは評価している。フレッ
及した。
シュはマクシンツァクのもとで様々なエチュー
ドを勉強すると同時に,確実な基礎技術を身に
つけることができた。その後フレッシュはヤー
コプ・グリューンに師事し,音楽的な演奏につ
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理
に受けてきた教育と現在の学習者の考えを示す
譜例 1
事で,今後どのような指導が必要かということ
を明らかにすることがこの調査の目的である。
始めに学習者がこれまでに受けてきたヴァイ
オリン指導の実態について考察した。学習者が
良かったと考える指導を経験した人は 98.7%
で あ り,練 習 に 関 す る 指 導 96.0%,音 程
譜例 2
98.7%・音 質
92.0%・テ ン ポ 90.7% に 関 す る
指導,音楽性に関する指導 97.3% と,いずれ
も 90.0% 以上の学習者がこのような指導を経
験しており,学習者は全体的に徹底した指導を
受けていることが分かる。一方で良くないと思
う指導を経験した人も 6 割を超えた。その内容
譜例 3
を記述式回答で尋ねたところ,大きく三点の回
答に集中した。一つ目は学習者ができていない
という事実を教師が述べるだけで,学習者は
「どこに問題があってどう改善すべきかが分か
らない」という教師の説明に関する内容である。
譜例 4
二つめは特に指導が得られないレッスンである。
これは教師が生徒に考えさせる力をつけるため,
などの意図的な意味ではなく,教師の気分など
指導態度の問題や,教師に教える能力がない場
合など人間的あるいは能力的な問題であった。
三つめは基礎技術の指導が不足していた指導で
ある。
4.現在のヴァイオリン教師に
よるヴァイオリン教授法
ヴァイオリンの学習と練習に関する内容では,
大学に入るまでの学習で生かされたことや大学
に入るまでに確立しておきたかった内容につい
4-1.ヴァイオリン学習者へのアンケートに
よる教授法の分析
て尋ねた。両方において最も多い回答は音程で
あった。確立しておきたかった内容については
第 2 部ではまず,専門的なヴァイオリン指導
音程の他に,精神面のコントロールと右手の技
を受けた経験のある学習者に対して,アンケー
術が多く挙げられた。学習者の練習に関する意
ト調査を行った。調査は 2007 年 12 月中旬から
識も高く,練習の注意点としては個々の技術的
2008 年 9 月上旬まで行い,その調査の対象は
要素よりも頭脳と体を意識した練習法,集中力,
音楽大学,音楽短期大学,一般大学在学中の
脱力に気をつけていることが明らかになった。
ヴァイオリン専攻生と卒業 5 年以内の卒業生で
練習の問題を感じている人は 85.3% 以上であ
ある。調査方法は質問紙を配布し,郵送で回収
る。特に集中力や練習時間に問題を感じている
した。関西 6 大学,関東 2 大学,中国地方 2 大
ということが調査から分かる。
学,東海地方 1 大学,九州 1 大学の学生と卒業
さらに,正しい音程,きれいな音質,正しい
生に依頼した。12 大学 245 名に配布し,75 の
テンポについて困っている事があるか調査した。
回答を得た。回収率は 30.6% である。専門的
特に音程と音質については 9 割近くの人がある
にヴァイオリンを学ぶ人が,自らの演奏をどの
と答えており,それぞれに課題があることが分
ように捉えているかということはあまり明らか
かる。三の内容で困っている事を挙げると音程
にされていない。そのため,学習者がこれまで
では主に「安定性」に欠けるということ,音質
演奏家育成のためのヴァイオリン教授法
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についてはイメージを「実際の音」に変えるこ
り,京都市交響楽団の第 2 ヴァイオリンの主席
とができないということ,テンポについては
奏者を務めた。岡山氏は,西ドイツ政府給費生
「一定のテンポとテンポ感」に問題があるとい
としてハンブルク音楽大学に留学し,1972 年
う傾向がある。全体的に技術に関する問題で
ソリスト国家試験に合格,ミュンヘンにて全ド
あった。それぞれが音程・音質・テンポに対す
イツ音楽大学コンクールヴァイオリン部門で優
るイメージ持っているが,それを技術的にコン
勝しソリスト,室内楽奏者として国内外で活躍
トロールすることに問題を感じていることが明
し,愛知県立芸術大学で指導を行っている。
らかになった。
レッスン見学ではビデオ撮影を行い,レッスン
最後に,現在教師に教えてもらいたい内容と
記録を残した。
学習者の課題について取上げた。指導してもら
はじめに玉井洋子氏による指導の分析と氏へ
いたい内容はボーイングに集中しており,学習
のインタビューをもとに教授法について考察し
者が現在右手に強い意識を持っていることが分
た。玉井氏が指導した中学 2 年生の生徒のレッ
かる。また学習者の現在の課題の中で最も多い
スンでは,手や指と音程に関する技術,理論と
ものは精神面に関する内容であった。個々の技
音程の関係,間違う部分の修正と間違う原因に
術よりも精神面に関する事柄が課題として最も
ついて,表現と解釈に関する指導,譜割の考え
多いことからも,学習者の抱える大きな問題の
方,練習に関する指導について取上げた。
一つである事が明らかになった。
この他アンケート調査では,集中力と呼吸,
演奏における苦手意識と自信,本番に関する事
玉井氏の手や指に関する指導では,スケール
のアルペジオで 4 指の最高音を取る際指を下か
ら伸ばして押さえるのではなく,上から音を捉
柄について,精神面に関する内容について考察
えて余裕を持って音を取るという押さえ方や,
し,演奏に関する書物が学習者に与える影響に
スケールの順次進行の下降形で 1 から 4 指を取
ついて調べた。全体的に学習者の問題意識は高
る際に 1 指と 4 指を開く押さえ方など,押さえ
く,演奏時の集中力に関して問題があると回答
方一つの項目においても様々な指示が与えられ
した人や呼吸について演奏時に意識しているこ
た。ローデの作品では,開放弦 G から E 線の
とがある人は多い。本番に問題を感じていない
ハイポジションの音を取る時に基準とする音を
人の対策は「本番までに人前で弾く」「周囲を
教師が示した。理論に関する指導は調の判定や
忘れて曲に集中する」「本番の状態を楽しむ」
転調に関する指導の他にスケールの 6 度では音
という結果に集中した。またかつて多くの人が
程感覚が長 6 度か短 6 度かの二パターンしかな
参考にしたフレッシュの『ヴァイオリン演奏の
いという事など,音程感覚と理論に関する説明
技法』については,その本を知らない学習者も
も行った。間違った箇所については音やポジ
増え,実際に読んだ事のある人は 25.3% にす
ション,リズム,トリルの入れ方などを一つ一
ぎなかった。ヴァイオリン演奏に関する書物か
つ諦めず丁寧に訂正し,確かな技術を身につけ
ら影響を受けていると考えられる学習者は少な
るための指導を行った。生徒が理解して感覚が
く,影響を受けた書物と内容について回答した
得られるまで諦めずに訂正する姿勢がここに表
人 は 32.0% で あ る。参 考 に し た 書 物 と し て,
れている。玉井氏の指導の中で,生徒が調判定
あがり等の精神面に関わるものや,体や体操な
をできない際には,どのようにして調判定を行
どに関する書物が挙げられ,そういった内容に
うかという考え方も答えを導くための質問に
も学習者の関心が高まっていることが分かる。
よって示しており,生徒が考え方も学ぶことが
できるという指導が特徴的であった。
4-2.現在の名教師によるレッスンの見学と
教師へのインタビュー
玉井洋子氏と岡山芳子氏にご協力いただき,
玉井氏のインタビューの中で,生徒の演奏を
視覚的にどのように見るかという質問に対し,
氏は「楽器と体が違和感なく,楽器が上手く体
非公開の普段のレッスンの見学と教授に関する
に合っているということ。それが自然であるか
インタビューを行った。玉井氏は 13 年間に亘
ということ」が大切だと述べた。また教授方法
40
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は生徒の理解によって異なるという事も説明し
釈からベートーヴェンの作品を解釈した上での
た。さらに演奏家になった生徒はそれぞれに自
表現へと変わった。
分に合った練習法を見出していたことも明らか
にした。
岡山氏に対するインタビューでは,氏が指導
においても,作品を作曲者が意図したように再
次に岡山芳子氏による指導と氏へのインタ
現するということに重点を置いているというこ
ビューを取上げた。岡山氏のレッスンでは大学
とが分かる。また指導時に岡山氏が大切にして
1 年生の生徒 (B さん) と大学 3 年生の生徒
いることは,生徒の理解の仕方や受け止め方,
(C さん) のレッスンを見学した。B さんの指導
記憶に残る点が異なるという理由からすべての
内容は,表現と解釈に関わる音の流れ,作品の
生徒に同じレッスンはできないということで
構造,フレーズに関する指導が行われ,技術に
あった。この点において玉井氏と同様である。
関する指導では右手の発音と音質,トリルと音
また問題のある箇所の練習について,氏は弾け
質,ポジションチェンジ,重音の練習に関する
ない原因を探る必要性があるという事,問題の
内容であった。
ある箇所を小さな段階に分けて練習することが
音の流れを考える上で,岡山氏は拍子や体の
必要である事を示した。さらに現在ヴァイオリ
動きの変化を考慮した音楽のまとまりに関する
ン指導者に求められているものについて,氏は
指導を行った。また作品の構成に関しては,
基礎の重要性である音程や音色などあらゆる
はっきり弾く音と楽に弾く音,音の進行につい
ベースをきちんと整えるべきだと述べた。その
て氏が説明することで,B さんの表現がより
上に様々な要素を積み上げ,いい形で無理のな
はっきりとした立体的なものに変わった。演奏
いように積み上げていく事が大事であると説明
技術において,氏は右手の腕に力が入っていな
した。また作品を音での再現するためにその時
いかという事を B さんに確認し,トリルに関
代の演奏スタイルなども指導することが求めら
しても親指の力を抜くように指示した。その結
れるという事,そして常に教える立場の者も勉
果潰れたように曖昧に聴こえていた音質がはっ
強を続けていかないといけないという三点を挙
きりと聴こえるように変化した。また B さん
げた。
の指導において注目すべき点は,演奏上の難し
い箇所の解決法にある。氏は B さんに難しい
4-3.現在の名教師による公開レッスン
箇所がどこかを尋ね,生徒の回答を聴いた上で,
原田幸一郎氏,ジャン=ジャック・カントロ
その問題点となる難しい箇所を一点に簡略化し
フ氏,ロスヴィータ・ランダッハー氏の指導に
た。そして何がその難しい原因であるかを考え
ついて,公開レッスンを元に指導内容や受講生
て再度弾くように伝え,教師が解決法を最後に
の演奏の変化について考察した。指導内容等の
示すという方法で問題解決のための考え方と方
記録は,録音や映像機具を使わず,教師の指示
法を教授した。
や教授法を手で書き留めた。
岡山氏の C さんの指導で最も大きな変化が
原田氏は 8 歳でデビューし,桐朋学園とジュ
見られたのは音楽表現であった。それは作品の
リアード音楽院でヴァイオリン演奏の研鑽を積
構成を把握した上で,作品の再現を目指した表
んだ。氏は庄司紗矢香や神尾真由子など国際的
現である。作品の構成に関する指導内容は,作
な活躍をしている演奏家を育成している。また
品の動機に関する指導,作品の骨組みに関する
桐朋学園大学でも指導に当たっている。カント
指導,始まりの音の弾き方の指導であった。作
ロフ氏は 13 歳でパリ国立高等音楽院に入学し,
品の骨組みに関する指導では,音楽の進行,段
カール・フレッシュ国際コンクールやニコロ・
階的な音楽の発展,ベートーヴェンの作品とし
パガニーニ国際コンクールなど 10 以上もの国
ての歌い方を取上げた。構成について教師は一
際コンクールで受賞した。2008 年までパリ国
つずつ音の進行や段階,決定的な音などを言葉
立高等音楽院で教鞭を取り,現在は世界各国で
と演奏で伝えた。このように一つ一つの説明と
マスタークラスを開いている。ランダッハー氏
伝達を重ねる事で,生徒の演奏はやや自由な解
はウィーン国立音楽大学,モスクワ音楽院,パ
演奏家育成のためのヴァイオリン教授法
41
リ音楽院でヴァイオリン演奏の研究を重ね,ヘ
ス ン は 10 月 7 日 (日) に 大 阪 市 役 所 シ テ ィ
ンリク・シェリングやナタン・ミルシテイン等
ホールで行われた。受講生は小学校 6 年生 (A
に師事した。ランダッハー氏もまたカール・フ
さん),高校 1 年生 (B さん),高校 3 年生 (C
レッシュ国際コンクールやニコロ・パガニーニ
さん) の 3 名である。この公開レッスンからは
国際コンクールなどの受賞経験を持っている。
主に 2 名のレッスンを中心に取上げた。A さ
現在はウィーン国立音楽大学で指導を行ってい
んの演奏は非常に完成度が高く,音楽的にも素
る。
晴らしい状態であった。そこで氏は主に A さ
まず原田幸一郎氏による公開レッスンについ
んの演奏に新たな変化や表現を加えるための指
て分析した。原田氏の公開レッスンは 2008 年
導を行った。教授内容は特にヴィブラートに関
9 月 13 日,桐朋学園子どものための音楽教室
する内容が多い。その具体的な内容は,音と音
茨木教室ホールで行われた。受講生は小学 4 年
の間のヴィブラート,頂点の音のヴィブラート,
生から高校 1 年生までの 7 名である。小学校 4
フレージングとヴィブラートの関連,ヴィブ
年生の A さんは,J.S. バッハ作曲ヴァイオリ
ラートのかけ始めの量とどの程度かけるかとい
ン協奏曲第 1 番第 1 楽章を演奏した。A さん
う考え方,フレーズの始めと終わりのヴィブ
は根本的な技術上の問題がなかったため,レッ
ラート,ヴィブラートをかける箇所,速いパッ
スンにおいてはこの作品の表現のための指導が
セージで sf の付いた音のヴィブラートなどで
行われた。氏は「はっきり弾く音」や 16 分音
ある。このレッスンにおける氏の模範演奏に
符の弾き方について,
「少し切りぎみに弾く」
よ っ て,A さ ん の 演 奏 の 様々 な 箇 所 に ア ッ
などと生徒に分かりやすい表現で伝えた他,
チェレランドが加わり,さらにテヌートをした
「弓を速く使う」という指示や「弓を止める」
後すぐに前向きに動くなど,演奏により動きが
という弾き方を教授することで,A さんの演
出た。氏の指導が A さんに与えた影響で注目
奏を生き生きとしたものに変え,リズムを明確
すべき点は,A さんの音楽表現が多彩になっ
に打ち出すことで,演奏をより立体的なものに
たこと,表現により変化が生まれたことであっ
した。このように,氏は表現のための右手の指
た。
導を行った。
B さんの指導においても,氏は演奏表現にお
原田氏の公開レッスンでは,左右の技術的な
いて足りないと感じた要素を教授することに重
問題を持つ受講生もいた。そのような受講生は,
点を置いた。B さんのレッスンでは,具体的な
作品全体を通して速く弾く傾向にあり,音程や
技術よりも音楽のイメージを様々な表現で伝え
音自体がはっきりしない演奏であった。氏はこ
ている。氏が伝えたイメージは音楽の「対比」
のような傾向にある受講生に対して,曖昧な箇
を意識したものであり,それによって B さん
所をゆっくり弾くように指示し,その箇所を一
の演奏の表現の幅は広がり,変化が生まれた。
つずつ修正した。教師は言葉でも直すべきこと
さらに 2007 年 11 月 17 日に,ムラマツリサ
を伝えながら,すべての箇所で必ず模範演奏を
イタルホール新大阪で行われたロスヴィータ・
示した。一つ一つ教師が諦めずに着実に直して
ランダッハー氏による公開レッスンについて分
いく姿勢が非常に印象的であった。また,教師
析した。小学 4 年生から高校 1 年生までの 7 名
が生徒に分かりやすい形で複数の練習法を教授
の受講生がレッスンを受けた。この公開レッス
したことも重要な点であった。原田氏の公開
ンからは 6 名の受講生のレッスンを取上げた。
レッスンでは,作品解釈とその表現のための技
ランダッハー氏の公開レッスンでは,右手の
術指導,演奏技術の矯正,そして音楽表現を主
指の指導や呼吸の指導,フレーズを考慮した歌
とした指導の三つの教授法を確認することがで
い方の指導に特徴があった。右手の指に関して
きた。
は,特に弓の返しで指を柔軟にし,基節を含む
次に 2007 年中之島国際音楽祭において行わ
指をたくさん動かす事が伝えられた。呼吸につ
れたジャン=ジャック・カントロフ氏による公
いては,言葉を話すなど呼吸以外のことに意識
開レッスンについて取り上げた。この公開レッ
を持っていきながら,吐く練習を行った。息を
42
越
後
吐くことができるようになったところで,実際
真
理
が,過去の教師によって示された。
に作品の中で吐くポイントを作るなど,呼吸と
次にヴァイオリン学習者へのアンケートによ
演奏の関係が示されている。また,フレーズの
る教授法の分析から,指導の問題点について学
中に主な頂点と,それよりも小さな重心の二つ
習者の見解を示した。それによると指導の問題
があることを氏は示しており,その二点を把握
は,演奏の問題とその改善法を教わることがで
する事で,その前の音楽の方向性を伝え,表現
きないなど教師の説明に関する内容,そして特
に対する考え方を生徒に教授した。
に何も指導がないということ,基礎技術の指導
またこの公開レッスンにおいては,受講生自
の不足にあるという結果になった。また,大学
身が問題と感じている体の使い方など,氏に教
に入るまでに確立したかった内容として,音程,
わりたい内容を事前に氏に伝えており,受講生
精神面のコントロール,右手の技術であること
はレッスンの中でそれについてアドバイスをも
が分かった。さらに,練習の問題を感じている
らうことができるという特徴もあった。
人は 8 割を超え,中でも集中力や練習時間に問
題を感じている人が多い。正しい音程,きれい
5.考
察
な音質,正しいテンポについて困っている人は
9 割近くに上り,音程に関する問題は安定性に
はじめに,レオポルド・アウアー,鷲見三郎,
欠けるということ,音質についてはイメージを
イ ヴ ァ ン・ガ ラ ミ ア ン,イ ェ フ ー デ ィ・メ
実際の音に変えることができないということ,
ニューイン,ドロシー・ディレイ,カール・フ
テンポについては,一定のテンポでの演奏とテ
レッシュの教授法について考察した。この 6 名
ンポ感に問題があるという学習者の見解を示し
の過去の教授法の考察を通して,まず教師は特
た。そして学習者が現在教師に教えてもらいた
定の教授法を持っていたわけではないというこ
い内容はボーイングに関する内容であり,学習
とを述べた。教師は生徒皆に対して,同じ指導
者の現在の課題の中で最も多いものは精神面に
を同じ方法で行うのではなく,生徒それぞれの
関する内容であることを取上げた。この調査か
演奏を観察・分析し,生徒に必要な指導を行う
ら,これまで実際にあった指導の問題点と,今
ことを重視していた。生徒の演奏上の問題を解
後指導を徹底すべき内容,そして現在の学習者
決し,不足している点を補うためには,教師の
の課題を把握することができた。これを元に今
鋭い観察力と分析力が必要となる。また,体に
後の指導のあり方を検討することができる。
負担の無い自然な演奏法であるべきだという点
現在の 2 名の教師による普段のレッスンから
を過去の教師は皆強調している。さらに,技術
は,基礎技術の確立までの過程と,音楽表現の
に関しては初歩からの基礎技術の徹底した指導
指導,さらに作品解釈を深める事よって生み出
が必要であり,その後も生徒に完全な技術を求
される表現についての指導が多様な方法で丁寧
める姿勢が明らかになった。このように,演奏
に行われた。2 名の教師の教授からは,技術を
内容については厳格であるが,生徒ができたこ
より正確なものにするための練習法の考え方や,
とを褒める事で喜びを感じさせるということも
作品を構成する要素を理解するための考え方な
意識的に行われていることが明らかになった。
どを,質問を通して教えるという自己教育のた
さらに,フレッシュの時代にすでに具体的な練
めの指導が成されていた点が重要である。また
習法の提示が行われており,その練習法の考え
自然な演奏法であるべきだという見解も一致し
方は現在の考え方と大きな違いはない。フレッ
ており,レッスンの中で過剰な力を抜くことが
シュやディレイが示したように,難しい箇所の
音質や指の動きに与える影響も,教師の指導に
問題点を絞り,一つ一つ段階を経た練習法が教
よって明らかになった。基礎を重視し,体に楽
授されていてことが明らかになった。また,教
で無理のない自然な演奏法を教授し,演奏を作
授の要点として,生徒が教師のもとを離れた後
り上げるまでの考え方を教授することで,自己
も,生徒自身が自己教育できるようになるため
教育のための指導を行い,さらに具体的な練習
の方法を教授することが重要であるという見解
法を提示するという点において,過去の教師と
演奏家育成のためのヴァイオリン教授法
同様の教授法を確認することができた。
また公開レッスンによる教授法の考察を通し
て,小学生にも理解しやすい音楽表現の具体的
43
伝える事が求められており,それによって将来
のヴァイオリン教師と学習者の研究に役立つも
のを残すことができるのではないか。
な指示の仕方や,右手技術の指導によって形成
教授の対象は,様々な体格や個性を持ち,理
する音楽表現の教授法を紹介した。このような
解の仕方や感覚の異なる学習者である。本研究
技術指導から音楽表現を作り出すアプローチの
で示した優れた教授法をもとに,今後具体的に
他,問題点を指摘しそれを改善するための具体
どのような学習者にどのような方法と内容を教
的な練習法を示し,音程やリズムなど基礎技術
授することが必要かを細分化し,より具体的な
を改善する教授法,作品のイメージから音楽表
教授法を提示する必要がある。学習者の演奏の
現を伝え,新たな表現を教える指導など,多種
観察と分析を重ね,学習者に必要な教授法を具
多様な方法とその指導によってどのように演奏
体化することが今後の重要な課題である。
が変化するかを取上げた。また右手の指や手全
体,腕や肩の脱力法と用い方,演奏時の呼吸法
とその考え方の教授法を把握することができた。
このように過去と現在の教授法について考察
する事で,演奏家を育成した教師が考える教授
の要点や方法には同様のものがあることが明ら
かになった。しかし,これら教授の要点が広く
伝わっているかどうかは疑問である。今回のア
ンケートでは大学や短期大学で専門的にヴァイ
オリン演奏を研究した人を対象としたため,学
習者の演奏に対する問題意識は強く,練習や取
り組みにおいてもよく考慮された方法を取って
いることが明らかになった。同じアンケートを,
演奏家を目指す高校生や中学生,小学生を対象
に行えば,大きく異なる回答になることが予測
できる。今回取上げた演奏の観察と分析,体に
負担のない演奏法,演奏技術を確立するための
考え方や練習法を含む自己教育のための指導,
作品解釈の考え方等は,早くから教授すること
によってより明確で目的を持った学習環境を作
ることが出来ると筆者は考える。
6.お
わ り に
本研究では過去に演奏家を育成した 6 名の
ヴァイオリン教師による教授法について取上げ
た。この他複数の過去の教師の指導を分析する
ことを試みたが,過去の教師が行った指導につ
いては情報が少なく困難であった。現在優れた
演奏家を多く輩出している日本のヴァイオリン
指導についても,時間が経つにつれ指導の実態
が掴めなくなることが考えられる。そのため現
在の教授法について記録し,それを分析し広く
注
1 ) フレッシュ,カール『ヴァイオリン演奏の技上
巻』佐々木庸一訳,音楽之友社,1964 年,260
頁.
2 ) 前掲書,261 頁.
3 ) 同上
4 ) 同上
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正 14.
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44
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