大尻の海女 久喜の海女 - 久慈市

 大尻海女の現況
大尻では、震災後はウニの
﹁口開け﹂︵※下記参照︶がな
く 海 女 漁 は 行 っ て い ま せ ん。
き勝手に採っていました。
口開けをするようになってか
らも、入漁料を払えば 各家
から何人でも潜れました。
ウニ以外では、ワカメやコ
ンブ採りも。刈るとバラバラ
着て潜っていました。その前
す。市日で売ったりはしませ
りまで売りにいったと思いま
になるので、カギで根元から
引き剥がしました。採ったも
は、裸に股引や腰巻きくらい。
んでした。
て作りました。大尻では、大
いから8月いっぱいまでドウ
海 岸 道 路 が 通 っ て か ら は、
海女組合を作って、6月くら
観光海女として
体の人はひもは付けず、手に
装は絣の半纏に、赤いオコシ
カイ︵かぶと岩付近︶で実演
頭 に は 手 拭 い。 メ ガ ネ は、
昔は松島メガネ。曇りを防ぐ
︵ 腰 巻 ︶ を 巻 い た も の。 昭 和
をしてました。観光海女の服
ためにヨモギをすりこみまし
年の久慈大火で舟渡レスト
そのまま潜りました。
ハウスなどが焼け、そのあた
ウニの数で競いました。堤防
地 区 か ら そ れ ぞ れ6、7 人 参
ウニを剥いたら生のまま桶
に入れ、久慈の街まで担いで
の中だったので、深いし視界
加して、実際に潜って採った
いき、家を回って升と杓子で
は悪いしで、大変でした。
販売先
うのをやったことも。両方の
りでやめてしまいました。
足には岩場で滑らないよう
みなとまつりで、大尻と小
に、足袋の上に草鞋を履いて、
袖が参加して海女競技会とい
ぶ一眼メガネになりました。
た。その後は﹁バッパ﹂と呼
持って潜りました。
柄は桐の木を自分で取ってき
て、分けてもらっていました。 カギは、気仙カギ。気仙沼
からまとめて仕入れる人がい
のは、そのまま舟に載せたり、
綱につけて引き上げてもらい
ました。
大尻の浜
年ころは、
あ っ て も 潜 れ る 人 は3、4 人
でしょうか。昭和
人以上も潜っていました。
大尻の海女漁
潜ることは﹁くぐる﹂と言
います。昔の人たちは﹁カツ
ギ﹂とも言っていました。
﹁海
女﹂という言葉は無かったと
大尻の浜は、舟渡海水浴場
の近くにある小さな防波堤か
流れる鹿妻川まで。浜の呼び
思います。
潜るのは、ほぼ夏の間だけ
で大体はウニ採りでした。潜
名 だ と、
﹁ ア シ ン ジ ャ ー﹂ か
ら、小袖の集落のすぐ手前に
る の は 5、6 ㍍ く ら い。 昔 は
ら﹁カヅマ﹂までです。
五丈の滝の下
﹁オソケナイ﹂
を境にして、大尻側が上、小
袖側が下。浜伝いにはいけな
い場所も多く、海岸道路がで
きる前は、山の上にある道を
歩いて行き、急な坂を下って
浜に降りました。
服装・道具
量り売りしました。荒町あた
び付け、持っていかせるとい
販売先
う風習があります。
塩ウニや焼きウニ、干しワ
カメなどは久慈まで売りに行
一抱えして、鎌でスパッと刈
のセーターに、毛糸の赤い股
ウェットスーツは、昭和
年から。その前は、上は毛糸
禁止されています。
履く人が多いです。足ひれは
今は、ウェットスーツの上
にガードル、足にはズックを
服装・道具
ウェットスーツになる前は、
毛糸の上下や綿の肌着などを
います。タモの使用が許可さ
れていた時は、カギでタモの
中にかき込むようにして採っ
ていました。
今 は ウ ニ 採 り だ け で す が、
以前はワカメやコンブも採っ
りました。一度でうまく全て
引と黒いズロース、足には白
に久喜を出発し、6時ころに
きました。干しワカメはカマ
刈らないと、海から上がって
足袋が定番でした。その前は
貫目︵約
㌔︶くら
さらに前はカリマタで、この
てもらい、すぐに帰りました。
ので、﹁中新﹂さんに買い取っ
い背負います。夜の2時ころ
1人で
ス︵わらを編んだ袋︶に入れ、
これないので大変でした。
久慈に到着。浜の仕事もある
ころは素足で潜ったようです。
は女が参加して潜って採るこ
りました。皆、柄にひもをつ
山に植えてあるのを切って作
で、昔からやっていません。
光の海女は許可しなかったの
浜ばかり。密漁を心配して観
久喜の浜は、道路が通じて
いないし、目に付きにくい裏
観光海女として
生ウニを担いで久慈まで量
カギは、野田の岩岡鉄工所
に頼んで製作。柄は桐の木で、 り売りに行く人もいました。
ともありました。冬になると、
けていますが、最近はゴムひ
をヤツカリに入れて墓石に結
この辺りでは、亡くなった
時にカギ・メガネ・鎌・下駄
もを使っています。
水の中の方が暖かいんですよ。
稼ぎなどで男手のない家から
は男が船から採りますが、出
月のアワビの口開けで、普通
昔はお盆用の共同のアワビ
採りもありました。また、
黒いブルマにメリヤスの肌着。
ていました。コンブは、腕で
58
泳いで足をつけば刺さるほど
ウニがいて、口開けもなく好
人ほどです。参加した
震災以降、ウニの口開けが
共同採りになっており、参加
者は
りしなかったりという人もい
るので、現時点で﹁潜って海
女ができる人﹂というのであ
れば、倍の 人くらいは居る
はずです。
ウニは最初は手で簡単に取
れますが、何度かさわると岩
に採ったものでした。
付いて行き、習いながら一緒
今は、漁に出られるのは1
軒から1人まで。昔は母親に
久喜の海女漁
60
に張り付いて容易に取れなく
いて、さらにその先の三崎ま
でが久喜の浜。今は、それぞ
れの浜で各1回ウニの口開け
があります。昔は三崎のあた
りでも潜りましたが、現在は
海藻などをとる﹁磯浜の口開
け﹂
だけで、
海女はやりません。
50
30
なるので、その時はカギを使
集落の前から、近い順に前
浜、中浜、奥の浜と分かれて
久喜の浜
下/(左から)大道洋子さん、大
13
下/甲地ヒロ子さん
(左)
と外野タ
廣崎このえさん、伊川ハツエさん
47
35
上/大尻の観光海女衣装
上/(左から)廣崎ミチルさん、
11
30
久喜海女の現況
久喜 の 海女
2014.7.1号 6
7 広報くじ№200
ミさん。88歳の外野さんは、震
大尻 の 海女
6月11日、喜多八食堂で元大尻漁協
婦人部長の外野さんと海女をしてい
た甲地さんにお話を伺いました
6月14日、久喜地区防災センター
で久喜の海女さん6人にお話を伺
いました
災前まで現役の海女でした
道チサコさん、野崎幸子さん
今昔
海女さんの話
海女さんの
※口開け…資源を保護するため休漁していた浜を開放し、漁を行うこと