特集 13 vol. 季刊 2009 秋 知多半島 ものづくり文化 [特集] [特集] 知多半島 ものづくり文化 知多半島 ものづくり文化 02 知多半島 海とものづくり 04 知多半島 ものづくりの周辺 13 vol. 盛田 味の館/ 博物館「酢の里」 06 1 西に伊勢湾、 東に知多湾と三河湾、 南にはるか太平洋を望む「知多半島」 は、 南北約40km海に突き出している。 名古屋を中心に考えると、 「半島の先は行き止まり」 と思いがちだが、 半島に住む人の実感は違う。 そこは 「海への入り口」 なのだ。 そして知多半島の海は、 日本全国へつながる 「道」 として、 特有の 「ものづくり文化」 を育んできた。 「世界のタイル博物館」エン トランスホールの床。19世紀 にイギリスで機械生産が確 ぞう がん 立した「象嵌タイル」が使わ れています。 日本では未完成 のままになっていた技術でし たが、当館建設の際に、地元 の鉄工所や窯業技術者たち の記憶と、 かつての技術・経 験を結集して、完璧なプレス 成形によって完成させました。 2 LIVE REPORT 開催報告 光るどろだんご大会2009 どろんこ広場で遊ぼう! 巨大などろ玉づくり ミストで涼しいひとときを 企画展 緑の常滑 考現学 私の小さな森づくり ワークショップ 緑の地図づくり 企画展 やきもの新感覚シリーズ 3 4 秋 表紙写真 メイド・イン・知多半島を学ぶ 産業博物館へ出かけよう。 07 季刊 2009 (2009.8.29) 撮影:加藤弘一 LIVE SCHEDULE 09 これからの催し 常滑から 6 12 5 8 かめ 常滑焼の甕 7 貯水タンク 植木鉢 黒や赤褐色 土に埋もれたま として屋上で現役中のも に使われているも ※ INAXが生まれ育った常滑のやきものや土に関わる人、 風景、できごとなどを、INAXライブミュージアムのスタッフが伝えます。 ま水が溜ま たも かれている げ がめ 下甕や肥 の大小さまざまな甕がさりげなく置 「陶房ギャラリー さかゑ」 の入口 開窯して間もない平安時 代末期より甕など 海路を使 防 火の 貯 水 や 酢 な ど 大甕なら 30 甕という大小便や畑の肥やしを入れ 小甕なら昭和 年代 口径が1・26m に百軒以上の製陶所でつくられてい 現在 碑(半田) 12. 復元された粕酢 13. 知多米 14. カブトビール工場跡 11.「知多酪農発祥の地」 高 さ が 1・2 m も あ る 大 甕 を 唯一つ く vol.13 大小併せて年間十 01 7. 朱泥急須 (四代山田常山作) 8. 酒 9. 知多木綿 10. ラン 湯の掛け湯や焼酎・酢などの発酵食品 1. えびせんべい 2. カブトビール 3. 土管 4. 有松・鳴海絞り 5. タイル 6. トマトソース 14 大き 12 数 個の 需 要 が あ る 程 度 と 立花 嘉乃 ︵企画担当︶ 13 な窯を持 11 甕づくりを行 ているのは2軒 10 見過ごしがちな甕 9 その変遷に思いを巡らせてみては? 餅菓子店「井桁屋」 の屋上 ※ 里 里 里 里 三崎 里 里 2 3里 5里 75里 安乗 長津呂 中木 2里 2里 7里 ゲ トに 持つ 世 紀の世 界 最 大 都 市 遠隔地を航海する 木 伊勢 4 5 だ て陸路を行くより 村人が使うだけつくり 消費してい いろいろな理由があ て伸びて 天 下の台 所﹁ 大 坂 ﹂ より江 戸に 近 自 分たちで消 費 それに対応す ものづくりを行う する さらに質 たいへん熱 江 戸での人 気も 高まると 考えた方がわか とい う 姿 勢 ﹁知多半島は技術を取り入れること 江 戸 中 期を 過 ぎる ︵ 日本福祉大学経済学部准教授 ︶ だ たとえ ば 各蔵 商品の輸 これらの酒は 上方と江戸の中 酒づくりの技術が確立してくるのは 良い酒を決めるのは原料の米と水だと言い そ ﹁よ 精米 き たところで 幅広い視野を持 て創意工夫して 小さな 町 だけれどその地 域 だけに そういう気質があるのかもしれません 意気 そして この ﹃きちんとものづくりを 頑張りは 知多半島のものづくりを考えるうえ 地域への深 ここで生産することにこだわるのは この地域 い愛着からに違いない で営んできたものづくりの歴史への誇り に置 は 世 界 規 模にな た 企 業が 本 社や 工 場を 知 多 半 島 知 多 半 島という地 域が 育んだ﹁ものづくり﹂現 在 け継がれていると思います﹂ していく﹄ という姿勢は 現在も知多半島の企業に受 で大事なことで 込 ていた職人の ﹃いいものをつくろう﹄ という 灘の高い醸 造 技 術に﹃ 追いつき 追い越せ﹄ と頑張 い 埋没することな にな て表れた 知多半島はいろいろな情報が入 て が品質の差 具合や寒い時期の仕込みとい た﹃製法﹄ れまでは 原料米の種類にこだわるのではな ます 間にあることから﹁中国酒﹂ と呼ばれ人気を博した 急速に発展してい 送にも迅速に対応できる知多半島の酒造業は 江戸からの情報収集が灘や伏見より早 元の技術研鑽による酒質の向上が理由にあげられる には 尾張藩の保護や輸送体制の確立ととも 戸に向けた酒づくりが産業として台頭してくる これ 知 多 半 島で江 心な地域でもありました﹂ と言うのは 曲田浩和さん まがり だ ﹃ き ち ん と も の づ く り を し てい く ﹄ りやすいでし うか﹂ 部さん が向上 に享受しなが るために知恵をしぼり 工夫する 情報や技術を互い ﹁江戸の人々は良いものを好みま する以上のものづくりをするようにな てい たのだ 江 戸の人々の生 活を 支えるため 船で運べる知多半島は有利だ 当時生産力の低か た 生 産 物を 世紀の江戸は世界最大規模の その最大の特徴は ﹁江戸﹂ というタ ゲ トを持 いく地域がある 知多半島は伸びた地域なんです﹂ 資金が得やすいな そのなかで 技術を取り入れる 物を運ぶ手段を持つ ﹁ 小さな 酒 蔵や 窯 場は 全 国に たくさんありまし た た 言いかえれば ものづくりは日本中で盛んだ た 結する 江 戸 時 代の人々の暮らしは 基 本 的に 村の中で完 日常生活の一部としてそこにあ た 便 利でし う﹂ 海は未 知の世 界へのロマンととも 遭 難もしたみたいですけど (笑) 人 乗りの船で ﹃ 行こうか ﹄ て どんどん 行 ち う で行 た ﹁ 浜 名 湖の周 辺くらいまでだ た 知多半島の人々は 名古屋にもお伊勢さんにも船 さん︵日本福祉大学知多半島総合研究所准教授 ︶ 戸 時 代の伊 勢 湾 周 辺の生 活 史を 研 究する 部 淑 子 湾を巡る船など輸送手段も発達していました﹂ 江 綿業など生産力が高 ﹁江戸時代の知多半島は 農業 ﹁ 江 戸 ﹂を タ 19 ていたことだという 19 02 vol.13 vol.13 03 5里 大湊 鳥羽 的矢 25 外浦 松崎 子浦 下田 相良 戸田 土肥 清水 常滑 亀崎 半田 四日市 白子 掛塚 吉田 師崎 13 網代 7 2 足助 名古屋 宮 桑名 神奈川 知多半島 海とものづくり 浦賀 沼津 7 小網代 7 品川 海路図「伊勢湾地域から江戸までの航路」 江戸 知多酒を船積みする図 (「小治田之真清水」名古屋市蓬左文庫蔵 尾崎久弥コレクション) (題不明 作者不明・半田酒造協同組合所蔵 非公開) 半田酒造協同組合に伝わる絵巻物 ビーカーをかぶり、試験管を手にした知多軍の兵隊 が攻め込んでいる。灘との激しい競争に勝つため、明 治19(1886)年「知多郡豊醸組」 という知多酒造家の 団体を結成し、全国でも早い段階で科学的分析ので きる試験所をつくった。 「打ち負かしていくぞ!」 という 勢いを感じる。 知多半島 ものづくりの周辺 博物館「酢の里」 創業者・初代 中野又左衛門の挑戦 伝統的な酒造業を営 むかたわら、産 業 廃 棄 知多半島には、自社の歩んできたものづくりの歴史や姿勢を 残し伝えていこうという企業資料館や博物館がたくさんあります。 知多半島の醸造業を代表する盛田(株)の 「盛田 味の館」 と、 世界に展開するミツカングループの博物館「酢の里」 を訪ねました。 物ともいえる 「酒粕」 から 「酢」 をつくろうと考えた 初代 又左衛門は、 チャレンジャーだ。 酒と酢は相性が悪く、酢の酢酸菌は酒をダ メにしてしまう。 だから当時、酒造家が酢をつく 盛田 味の館 るなんて、考えもつかないことだった。大量に廃 盛 田 家 は 江 戸 時 代 初 期か こ す が や 常滑市 味 小鈴谷村で代々庄屋を務めてきた 寛文 (株) 5 ︵1665︶ 年に盛田久左衛門が酒造業 島の酒蔵でも老舗中の老舗だ その を 創 業したのが 盛 田 の始まり 知 多 半 味 醂の製 造 なども 手が けるよ うにな た ソニ の創 業 者 盛 田 昭夫 氏 代当主にあたる ﹁ 味の館 ﹂は170 年 前 15 隣接する味噌工場の建物も170年前のもの。100年以上前につくら れた5トンの杉樽が179並ぶ。お抱えの樽職人もいた。 「樽のタガが 傷んだ時は、転がして前の浜に出すんです。50年前は道路も港もなく て、満潮になると船が着く状態でしたから。朝、大潮のときに海に浸け て洗って、潮が引いて乾いてからタガ屋さんが直す。晩に潮が満ちて きたらまた洗って…と優雅なものでした」 と、 梶田さん。 木樋(もくひ) 二代目又左衛門が取 菜めし田楽定食800円が おすすめ! 味の館 館長 梶田 義之さん り組んだ事業に、水道工 盛田(株)に勤めて50年。長年、 ものづくりの現 場を経験してきた。 「昔から 『堅実でなければいけない』 という会社 事がある。良質な井戸水 を確保するために、全長 1.2kmにわたり木管(木 です。多角経営もその表われでしょう。 そして従 業員や村人を大事にして発展してきました。一 つのことにこだわって、 とことん突き詰めて技術 樋) を地下に敷設したのだ。防水技術を を高めていく職人気質があるように思います。 」 れい けい ぎ じ く 鈴渓義塾 21 めい き * みき 学 費や 代久左衛門︵隠居後命祺︶ が私 11 明 治 ︵ 1888 ︶年に盛 田 家の 第 財 を 投じて創 設した 寮のめんどうもみたという 溝口幹 を 塾 長に 迎 え 今の小 学 校 高 学 年 簿記な から中学校低学年までが学んだ 国 ど 教 育 内 容 は 高 く 体 育では 当 時 珍しい野球まで教えた 鈴渓義塾玄関 多 半 島の子 どもたちの目 標と な 常滑市小鈴谷字亀井戸4 TEL.0569-37-1311 要予約 (1週間前) 40 やがて鈴 渓 義 塾は学 問を志す知 鈴渓資料館 りの窓は後でつけたもの。味噌や酒は 紫外線に弱く、当時は真っ暗な中で作 業していたという。 超す卒 業 生 を 出し その中には ト vol.13 野球ユニフォーム姿の 生徒たち 梁は松、柱は杉。かつては、 ぎっしりと 味噌樽が並んでいた。天井の明かりと ていく 明 治 年までに350 名を *くろくわ:測量技術や堤をつくる高度な土木技術 をもち、溜池や新田、堤などをつくる技術者。土や 石を運搬する人足とは区別される。江戸時代後期 には、知多郡内の約140の村で、100以上に黒鍬 稼ぎをする人々がいて、農閑期に遠く京都・奈良・ 大阪まで出稼ぎに行った。 ヨタ中興の祖と言われる プロジェクトだった。 酢づくりを支えてきた 「 道 具 」の展 示は 圧 巻だ。豊かな 「ものづ くり文化」の広がりが 見える。 各界で活躍した人も多い 盛田家の 知多半島の持つ技術を総動員した一大 12 敷 島パンの創 業 者 盛 田 善 平 氏 など よる自然落下で長距離を運ぶ工法など、 ひときわ強い香りがする発酵室。酢酸菌が徐々 に表面を覆っていく様子がわかる。 地元への愛着の深さを感じる 池などの土木工事を請け負う 「黒鍬*」 に * 歳で父親と一緒に伊勢神宮の神職を務めるほ どの秀才で 久左衛門にその人物を認められた 持つ船大工による水の漏れない木樋、溜 05 は第 の味噌蔵を改造したもの 外者立ち入り禁止が原則 カビを扱う仕事なので 部 ﹁これからは お よせ むね 河 沿いに 並ぶ 黒い板 壁と 寄 棟 瓦 屋 根の 周囲には ほのかに酢の匂いが漂う 運 この風 景 広大なミツカンの工場だ ミツカ ンは ﹁ 建 物は 会 社のものだ だわる そして ものづくりの歴 史を 後 世 は地域の皆さんのもの﹂ 景観保全にこ に思っています。 そして好奇心の強い人が多 いし、 『やり遂げよう』 という執念があると感じ ます。 そうじゃなきゃだめですよね。 」 その一角に 博 ね。知多半島の人は地元のことをすごく誇り 1986 ていたからと言えるだろう。 物館﹁酢の里﹂ をオ プンした たのも、背後に優れた 「ものづくり文化」 が控え 東京生まれ。 ミツカンに入社後は、営業、企画 など幅広く経験。半田の本社勤務も長い。 「『伝統と革新』 は創業期からのミツカンの精 神です。 その歴史を知っていただきたいです に 伝え たい 海を経て入ってきた情報を活かすことができ 博物館 「酢の里」 館長 三沢 啓志さん ここでは 創業から現在まで 205年 時主流の米酢より安く、甘みやうまみのある粕 酢は江戸に受け入れられた。 にわ たるミツカンの酢づくりの歴 史と 技 かして、又左衛門は江戸に粕酢を送り込む。当 工 程を 巡ることができる館 内は 場 所ご で培われた知多の海運力と販売ノウハウを活 術を見ることができる 実際の酢づくりの よ へ え 握り寿司の考案者 花屋與兵衛との交流、酒 わからない ﹁ものづくり﹂ の現場の匂いだ 始める。 「そこにマーケットがあるという発想が あったんでしょうね」 と、三沢館長も言う。 とに 違う 香りが する 行 てみ な けれ ば 信。江戸をターゲットに、本格的な酢の生産を 客さんに工場へ来てもらい り寿司」に出会うと、 これには粕酢が合うと確 だ た 又左衛門は同時に、素晴らしい商才を持っ ていた。江戸に視察に行くのだ。 そこで今の 「握 1990 年 を重ねる又左衛門の姿が思い浮かぶ。 ものづくりを見てもらうこ 考えついたのだろう。技術者として、創意工夫 とが 大 切 ﹂ 粕に残ったアルコール分を利用できないか」 と くられた味噌や醤油を使 だろうか。酒は酢酸菌で酢に変わる。 ならば「酒 にオ プンし た 工 場でつ た食事もできる 棄される酒粕を見て 「もったいない」 と思ったの vol.13 04 1 有松・鳴海絞会館 6 カゴメ (株)カゴメ記念館 TEL 052-621-0111 TEL 052-603-1161 見学無料 見学有料 絞り体験実習要予約 1週間前までに要予約 団体25名様まで 歌川広重が東海道五十三次の中で描いた町 創業地(東海市) で西洋野菜の栽培を始め、 や 並みが今も残る有松・鳴海絞りの産地。絞会館 ではこの道80年のベテラン女性が実演。人の がて日本初のトマトソースを完成。 それが日本 人の味覚にあったウスターソース、 トマトケチャ 手が生み出す技の美しさを再発見できる。 ップの製造・販売へとつながる。今では当たり メイド・イン・知多半島を学ぶ 産業博物館へ出かけよう。 大人の社会見学として話題を呼ぶ産業観光。 「知多半島」 という地域全体で見渡せば、 前の洋食も このものづくりがあればこそ。 ※現在見学休止中です。 こんなにバラエティ豊かな博物館や美術館。 訪れれば、知多半島の過去、 現在、未来をつなぐ発見がきっとある。 2 高浜市やきものの里 かわら美術館 TEL 0566-52-3366 見学有料 高浜市の地場産業である 「かわら」 をテーマに した美術館。常設展の他に年4回の特別展と 企画展を開催。陶芸創作室では毎日陶芸が体 験でき、 やきものづくりを楽しめる。 至名古屋 7 中部電力知多火力発電所 知多電力館 伊勢湾岸自動車道 5 TEL0562-55-8311 見学無料 発電所見学は要予約 知多半島道路 朝倉 TEL 0569-35-5111 (問合せ 常滑市商工観光課) 入り組んだ路地、埋 懐かしい風情が漂 う散歩道。 ここから 船で全国各地に出 荷された 常 滑 焼 。 誇るべき地場産業 に思いをはせる。 知立 道本 線 刈谷 刈谷市 阿久比 三河高浜 2 常滑 8 半田中央IC 半田中央JCT 知多半田 常滑IC りんくうIC 東浦知多IC 大府 東海 阿久比IC セントレアライン め込まれた土管、登 り窯の煙突。 どこか 豊明IC 名鉄三 河線 8 常滑市 やきもの散歩道 有松 1 JR武豊線 名鉄常滑線 TEL 052-602-0413 見学無料 1週間前までに要予約 大府東海IC 線 名鉄河和 新舞子 線 大府IC 名古屋JCT 太田川 7 本 大府西IC 尾張横須賀 3 コカ・コーラ セントラル ジャパン東海工場 (株) 4 東邦ガス ガスエネルギー館 東海IC 6 発電所内はワゴン車で見学。普段見ることので きないタービン発電機や煙突の根元などの巨 伊勢湾 も同行。 見学後には、 記念品がもらえる。 鉄 名古屋南IC 大高IC 名港塩見IC 大さに圧倒。電力館では、発電所の仕組みや 電気について楽しく学べる。 厳しい衛生・品質管理のもと、 オートメーション 化された一連の製造工程が見学できる。 ガイド 名 4 3 11 12 半田IC 青山 9 碧南 中部国際空港 武豊 中部国際空港IC 知多武豊 TEL 052-603-2527 見学無料 要予約 参加体験型の展示やクイズに挑戦しながら、 エ ネルギーや環境について楽しく学ぶ。 「 燃える 氷」 メタンハイドレートの実験や、展望室からの ダイナミックな眺めも人気。 11 国盛 酒の文化館 TEL 0569-23-1499 見学無料 要予約 TEL 052-604-1111 見学無料 要予約 自動車製造をはじめ製造業に欠かせない鍛造 か じ 技術。 その最新の技術から、中世の大野鍛冶 の歴史や技まで幅広く紹介する日本で唯一の 鍛造博物館。力強いものづくりにふれよう。 中 埜 酒 造(株)が自 社ブランドを冠して 設 立した日本酒を テーマにした博 物 館。建物は1972年 まで操業していた江 戸 後 期 造の酒 蔵 。 日本酒の知識を身 につけてうんちくを 語ろう。 武豊IC 富貴 上野間 名鉄常滑 知多新線 10 盛田味の館 (P4掲載) TEL 0569-37-0733 見学無料(15名以上) 要予約 5 愛知製鋼(株)鍛造技術の館 10 9I NAX ライブミュージアム 美浜IC 知多湾 知多奥田 河和 南知多IC 内海 古布IC 三河湾 豊丘IC 12 博物館 酢の里 (P5掲載) TEL 0569-24-5111 見学無料 要予約 vol.13 06
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