轟近の子どもの荒れと社会科教膏 一新しい社会科教ーのあり方を求めて一

最近の子どもの荒れと社会科教育
一新しい社会科教育のあり方を求めてー
西谷
寿
春日井市立神領小学校教諭
愛知教育大学昭和54年度卒
I。はじめに
1995年以降,学校,とくに小学校では新しい子どもの荒れとして,学級崩壊が問題と
なった。当時の文部省でも,深刻な問題として対策を急いだ。『学級経営の充実に関する
調査研究(最終報告書)』(1)では,学級崩壊の対策として,次の5つをあげていた。
・
早期の実態把握と早期対応。
・
子どもの実態を踏まえた魅力ある学級づくり。
・
TTなどの協力的な指導体制の確立と校内組織の活用。
・
保護者などとの緊密な連携と一体的な取り組み。
・
教育委員会や関係機関との積極的な連携。
しかし,この対策は,教師の間では失望の声しかもたらさなかった。その理由は,あ
まりに常識的な対策であり,どの学校でも日常的に取り組んでいる対策だったからであ
る。それは,学級崩壊についての特別で効果的な対策ではなかったからである。学級崩
壊が深刻な問題であり,効果的な対策がないことを示すこととなった。
全日教連モニターによる『学級の状態に関する調査』(2)を見ると,学級崩壊・授業
崩壊を体験した教師は20%以上もいて,このような現象はどんな教師にも起こりうるこ
とを意味しているという。この調査で,学級崩壊の原因を家庭が子どもに基本的習慣や
倫理観をしっかりとしつけていないためと,教師の多くは考えていることがわかった。
また,教師が基本的習慣や倫理観をしっかりとしつけられていない子どもにうまく対処
できていないこと,そうした子どもによって教師自身がストレスを受けていることがわ
かった。さらに,学級崩壊に対する有効な対策は今のところないと結論づけている。
このように,文部省も教師も,最近の子どもの荒れは深刻であり,対策はおろか学級
崩壊の原因すらわからないという状況であることがわかる。
n。最近の子どもの荒れ
臼ノ子ど6の
μ‘のμ震
子どもは本来的に健康的・活動的で疲れを知らないというイメージを,誰もが持って
いる。しかし,「今の子どもはちょっとしたことでもすぐに骨折をする。」とか,「喘息や
アトピーの子どもが最近よく目立つようになった。」ということが,職員室で話題になる
ことが多くなった。今の子どもの身体は,私が子どものころよりもひ弱になったという
感じがする。運動能力が低くなっただけではなく,もっと根源的に子どもの身体が変化
した,ひ弱くなったと思うことがよくある。例えば,自転車が近づいても避けようとし
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ないでぶつかった,倒れてもとっさに手が前に突かないために顔を負傷した,鉄棒で遊
んでいたら腕が脱臼したなど,どうしてこんなけがをするのか不思議に思うことが多く
なった。危機意識が薄れ,自己防衛能力が低下していると私は思う。
このような子どもの身体の変化を重視している研究がある。代表的なものは日本体育
大学学校体育研究室の研究(3)である。
その調査によると,次の通りである。
・
子どもは成長期を通して「アレルギー」と「すぐ“疲れだ」と感じる「からだ
のおかしさ」を抱えながら生活している。
・
「保育・授業中じっとしていない」が「最近増えている」と教師が回答した割
合は,保育所・幼稚園で約6割,小学校で約8割,中学校で約6割,高校で5割
に達し,保育所・幼稚園段階ですでに学級崩壊の兆しが読み取れるという。
・
原因として,大脳新皮質・前頭葉の発達の遅れと,ダイエット志向による食生
活の乱れ,栄養の偏りが考えられる。
子どもの健康がおかしい,その理由は大脳新皮質・前頭葉の発達の遅れが原因である
というのである。だから授業中,子どもが落ち着かないというわけである。この考えは,
最近の子どもの荒れの原因を考える上で示唆にとんだものであると思われる。
r2ノ子ど6の;kmmmのパターンの大きな蒼佑
子どもは遊びによって身体や心を鍛錬してきた。遊びで身体を丈夫にし,仲間との交
流の方法や人間関係を学んできた。遊びは子どもの成長に重要な働きをしてきた。しか
し,子どもを取りまく環境は急激に変化してきた。経済の発達によって,豊かな自然は
破壊され,子どもの情緒を育てる場はなくなった。遊び場は少なくなり,遊びの内容が
変わった。外遊びは減り,室内遊び,とくにテレピゲームなどの個人で遊ぶものが多く
なってきた。子ども同士の会話はなくても快適に過ごせるようになった。その結果,子
どもは身体を丈夫にしたり,コミュニケーション能力を育てたりすることが困難になっ
てきた。こうした子どもを取りまく環境の変化,それによる子どもの遊びの変化が,子
どもの身体の変化を生じさせ,子どもの荒れの原因になったと考えられる。
大脳の発達には楽しい体験が必要である。豊かな自然の中で楽しく身体を動かして遊
ぶ経験の乏しい子どもは,大脳新皮質・前頭葉の発達を遅。らせる。そうした子どもは授
業中にじっとしていられず,集中できない。「大脳新皮質・前頭葉の活動の強さを発達さ
せるためには,身体接触型の遊び(じゃれつき遊び)が有効である」(4)という。
子どもの大脳の変化を裏づけるものとして,寺沢宏次らの調査研究(5)がある。通常,
子どもの大脳活動は,不活発型→興奮型→抑制型へと興奮過程と抑制過程の強さが備わ
り,バランスが取れる。そして,安定的な活発型に移行する。
しかし,子どもの大脳の
活動は, 1979年調査では活発型が中学生で減少し,不活発型が中学生で増加傾向を示し
た。興奮型の出現ピークは小学校高学年であった。
1998年調査では幼児期では活発型が
多く,不活発型が少ない傾向が見られた。1979年調査から見られ始めた興奮型の出現率
のピークの遅れがさらに遅れ,小学6年,中学1年となり,その比率は30年前の小学校
低学年並となっている。これらのことから,
1969年から1979年代に日本の子どもの大
脳活動のパターンは大きく変わったということができる。
1969年から1979年代に日本の子どもの大脳活動のパターンは大きく変化した理由
として,寺沢宏次らは子どもの遊びの変化が大脳活動のパターンを変えたという。戸外
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遊びから室内遊びの変化が,テレピ・漫画の充実が,子どもの遊びの変化に拍車をかけ,
子どもの大脳の発達に大きな影響を及ぼした。つまり,子どもの遊びの変化が大脳活動
のパターンを崩したのである。
猿の実験でも同じような結果が推測できるという(6)。寺沢宏次らは,「サルの隔離
実験では,3ヶ月で社会的な適応能力を失って,6ヶ月では自分を防御する行動が取れ
ず,12ヶ月では探究心や好奇心もなく,自分の手足を食いきるほどの激しい自分への
攻撃を行うという報告もあり,動物同士のふれ合いの減少がからだを動かさないという
運動不足を引き起こしていることも報告されている。動物実験がそのまま人間にあては
まるとは言えないが,日本の子どもにも同じような傾向性が考えられるかもしれない。
前頭前野の活動は人の社会性と深く関わると考えられており,
1960年代に始まり今な
お続いている核家族化・少子化に伴う群れ遊びの崩壊,すなわち,怒り・悲み・喜びな
ど多様な感情変化を伴う多種の人間関係を持つ機会の減少が,この変化を生んだ一因で
あろうと思われた。」と,猿の実験から子どもの荒れの原因を推測している。つまり,人
間同士の触れ合いが少ないと,大脳新皮質・前頭葉が十分に発達しないで,感情のコン
トロールや社会性が育たなくなるのである。
このように,核家族化・少子化に伴う群れ遊びの崩壊,多様な感情変化を伴うさまざ
まな人間関係を持つ機会の減少が危惧される。触れ合いの減少,戸外遊びから室内遊び
の変化が,子どもの大脳新皮質・前頭葉の発達によくないのである。
次に,問題行動を引き起こした子どもの脳はどうであるかを検討してみる。問題行動
を引き起こしてしまった子どもにも最近,脳の異常が認められるという。児童自立支援
施設・埼玉学園寮長の小林英義は,教護院に入所する少年にも脳波異常による子どもや。
「微細脳損傷症候群」,「注意欠陥多動症候群」といった診断名のついた子どもが増加し
ているという。さらに,親の養育態度も問われていると指摘する(7)。
小林英義の体験によると,教護院に入所する子どもは脳の異常が目立つようになり,
子どもの脳に変化・異常が起きているという。また,その原因として親の養育態度が問
われている場合が多いという。親の自覚が欠如しているため,子どもの脳が健全に発達
できないのである。子どもの脳の変化は,親の養育によって起きるという可能性も考え
なくてはならない。
以上の研究などから考えると,子どもの荒れは子どもの遊びの変化,親の養育態度な
ど,さまざまな面から考察する必要がある。しかし,もっと大切なことは,子どもの大
脳活動のパターンの変化という視点を決して忘れてはならない。大脳新皮質・前頭葉が
どうして変化したのかを考察していくことが肝要である。
Ⅲ。これからの社会科教育のあり方についての提案
(1)
JT/tからの鳶丿会μ&穿のー本政な考え
現在のところ,子どもの問題行動を予防する実践は少ないし,その実践はまだ科学的
に立証されてはいない。その理由は,子どもの大脳新皮質・前頭葉の発達について実験
することができないからである。しかし,これまで見てきたように子どもの大脳新皮質・
前頭葉の発達を考えた実践が,これからは非常に大切になってくることは確かである。
それとともに,「生徒の変容や成長という,測りがたい視点から考究・検証してゆかねば
ならない課題」(8)という指摘のように,最近の子どもの大脳活動のパターンをよく分
10
析て,社会科教育を考えていかなければならない。そこで,いくつかの実践や調査を
総合的に考えて,有力な実践となる可能性があると思われるものをここで述べていきた
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その1つは,子どもに人生目標の確立をさせることである。マスローは,「歴史学,
数学,天文学,生物学などの各教科に関する知的,技能的な専門教育(それは外部の知
識体形を,専門家の徹底した教授訓練を通じて,習得せられるものである)は,自己実
現のための明確な人生目標が確立すれば,おのずとその学習の重要性が痛感せられ,そ
の習得にも熱意を示すようになる。J
(9)といっている。「日本では,ことばでは訓育の
大切さがいわれ,学校教育に訓育的任務を求める声が大きい。しかし,実際は教授中心
の教育なのである。」(10)という指摘のように,第2次世界大戦後,日本は戦前の修身科
の反省から社会科と道徳を切り離した。その結果,子どもは人生について十分な教育を
受けることができなくなった。確かに,「『望ましい家庭のあり方』については,余り考
えてこなかった。」(U)という指摘にあるように,「基本的人権」とか「権利と義務」な
ど,言葉の概念としては学習してきたが「家庭のあり方」とか「社会に貢献する生き方」
などといった人生について,いかにあるべきかについては社会科授業ではあまりふれら
れてこなかった。また,子どもは本来的には自分の可能性を信じ,自らの力で伸びよう
とする。それができないのは何らかの障害が子どもの意欲を阻んでいるのである。小野
木義男は,学校の授業について「教室での学習は,恐らく異国の世界の忍耐を強いられ
る時間」(12)というが,子どもにとって授業がそのような状態では,学習意欲を高める
ことはできないだろう。学習意欲を高めるために,子どもの生活感覚に合った学習内容
が求められる。そのために,人生目標の確立がポイントになる。学習と生活の密着が,
そして何のために学習するのかという目的が明確にならなくてはならない。
また,最近の子どもは「消費社会を日常的に体験して,選択的感性というべきものを
獲得」(13)した経験が多いということにも考慮しなくてはならない。自分の好みが優先
した生活を送っている子どもは,強制されることを極端に嫌うのが特徴である。衣食な
どあらゆる場面で,子どもは自分の好みを自由に選択している。学校は子どもの世界と
は大きく違って,集団行動を重視する。「学校は鍛錬の場である。」という気持ちで指導
する教師も多い。「子どもの自主性を大切にしたい。」といいながら,教師のあらかじめ
想定した路線に子どもを導こうとする場面は少なくない。授業内容に子どもが選択でき
る場を多く設けることは大切な要素である。
次に,子どもと教師との良好なコミュニケーションが学習にもよい影響を与える。人
間は他者との関係によって生きている。その関係の良し悪しが学習に大きな影響を及ぼ
す。とくに,言葉の障害をなくす努力が必要である。言語能力の向上を図ることが大切
である。人間は言葉でコミュニケーションを図っている。相手に自分の意思が言葉で伝
わらなくて,かっとなって殺人や傷害事件が起きる事例が多いことからでもわかる。厚
生省(当時)の調査でも,「学業や職業生活に必要なレベルの言語力を有していないこと
が,学校や職場への不適応につながっていると考えられる。」(14)ということがわかって
いる。言語能力が低いと,学習の障害になるというのである。そればかりか,社会の不
適応さえ起きるのである。社会科学習の問題点の1つに,社会科用語のむずかしさがあ
げられる。それをわかりやすい言葉で表現することができれば,幾分かは子どもの社会
科嫌いが少なくなるだろう。また,最近,朝の10分間読書運動が各地の学校で拡がって
11
いる。言語能力を向上させ,学習意欲を高めさせる運動になると見てよい。10分間読書
運動を体験した中学3年生の池田知史は,「この一年間の読書を通して,感じたことは,
授業に入りやすいことです。集中力がついたような気がします。」(15)と述べているが,
読書をすることで言語能力が高まったと推測できる。読書のよいことは,人生の目的を
子どもに示してくれることである。伝記や文学作品の中に示されている人生の指針が,
子どもの学習意欲を高めることができると考えられる。
第3に,自然体験の重視があげられる。青少年教育活動研究会の調査(16)では,「『自
然体験』が豊富な子どもほど,『道徳観・正義感』が身についている傾向が見受けられた。」
ということがわかった。自然は神秘を与えてくれる。神秘さは畏れという感情を育てる。
畏れは人間を謙虚にする。自然の神秘を感じることが少ない最近の子どもは,畏れとい
う体験が少ない。そのため,世界は自分のために存在しているという,自己中心の誤っ
た認識を持ってしまう。自然体験が少なくなった子どもは高慢な精神に陥りやすくなる。
世界は自分のために存在しているという誤った認識を持ってしまう。人間と自然との結
びつきが希薄になったため,動植物の生命を愛することもなくなり,やがて自分以外の
人に対しても生命の崇高さを感じなくなってしまう。残虐な行動を防止するには自然体
験を多く取り入れた学習内容が重要になる。
最後に,大脳新皮質・前頭葉を育てることが大切である。宇都宮市のさつき幼児園の
じやれっこ遊び,町田市の小学校のゲーム運動,法政第二高校の柔道の寝技が注目され
る。正木健雄は,「もじ荒れ"にかかわるからだの問題が「前頭葉」の発達問題だとす
れば,この問題解決に取り組んでいる宇都宮市の幼稚園と東京・町田市の小学校,また
法政二高での模索は有力な仮説になると考えます。」(17)と述べているが,さつき幼児園
でのじやれっこ遊びが大脳新皮質・前頭葉を育てる最初の試みであるといわれている。
それを応用したのが町田市の小学校と法政二高の実践である。さつき幼児園でのじやれ
っこ遊びは大人でもハードな運動である。子どもが思いつ切り身体を動かし,大きな声
をあげながらあちらこちらに走ったり,マットなどにぶつかったりして遊ぶ運動である。
この運動を実施したら子どもは落ち着き,この運動を中止にしたら子どもは落ち着きが
なくなったという。子どもの大脳新皮質・前頭葉の発達の遅れが原因できれる子どもが
増加したと推測できるので,これらの実践は有力な手段として注目される。
これら以外にも,食べ物・睡眠・歩数など,さまざまな要因と学習意欲(学力も含め
て)との相関関係が認められるが,今回は省く。
このように,基本的な方法として子どもの大脳新皮質・前頭葉をどう育てていくかが
ポイントになるといえる。
r2ノごれからの鳶会μ羨亨/ごついての遼鳶
学習の基本は,規則性よりも経験や直感を大切にすることである。自然や社会という
具体的な事物・事象から学びさまざまな経験を積んで,子どもの認識能力は育つ。教育
を受けることで,よりよい生き方や社会への貢献を知ることになる。また,協力と助け
合いの大切さを自然と知る。しかし,現実の学校での学習は知識を獲得しても,自分自
身との関わりや生活に結びつかない場合が多い。学習したことを社会に貢献できるよう
にすることが大切である。学習することが心を高慢にするならば,教育の目的・方法が
誤っていたことになる。教育は子どもの人格形成を支援するものである。知識だけを獲
得する学習は,学習者が高慢になり,社会への貢献を軽視し,人格の完成に岨齢をきた
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すことになる。教育,とくに社会科教育の重要な目的の1つが,人格の完成を究極の目
的とするならば,学習したことをどう生活の場や社会に生かしていけるかを考えなけれ
ばならない。
また,最近の子どもの身体の異変や荒れの原因は,大脳新皮質・前頭葉の未発達によ
るものであると推測される。大脳活動のパターンを促進するためには,じやれっこ遊び
などの身体の触れ合い活動や,私たちの五感を豊かにする活動を取り入れることである。
こういったことを考慮しながら,最近の子どもの荒れを改善することができる社会科
教育について,次のように提案したい。
まず第1に,社会科教科書の改善を指摘したい。社会科教科書を気楽に読めるような
魅力ある内容にしたい。教科書は啓蒙書である。子どもを啓蒙するために教科書は書か
れているのであるから,読みやすい,楽しい,誰にでもわかりやすいことが大切である。
子どもは教科書というと読めない漢字がある,社会科用語がわからない,内容がむずか
しいなどの理由で,教科書を読まないことが多い。教科書は読んでもらうためにある。
子どもが読んで理解しにくい教科書では誰のためのものかわからない。どんな子どもで
も楽しく気楽に読める教科書がほしい。むずかしい内容をのせればよいというものでは
ない。子どものニーズを大切にすることが1番大切なことである。それが子どもの社会
科嫌いを少なくさせる有力な手段の1つといえる。
第2に,社会科授業の方法であるが,複線型授業を積極的に取り入れたい。最近の子
どもは消費生活に育ち,自分の好みに執着する傾向がある。選択ということに慣れてい
る。強制が苦手な子どもに選択させることで,学習意欲が高まると考えられるからであ
る。社会科は社会科知識を身につけることが大切であるが,資料活用能力を身につける
こともそれ以上に大切なことである。・決して知識を軽視するわけではないが,学習内容
を選択させて社会科の面白さを体験させることを私は重視したい。受動的に獲得した知
識は,試験が終わればほとんど忘れてしまう。自分が主体的に探求して獲得した知識は,
さらに次の段階に発展するものである。社会科が好きになれば,自分から学習したいと
思うし,自分で獲得した知識こそが最終的に子どもの身につくのである。
第3に,身体運動を取り入れた活動を重視した学習内容にしたい。これまで見てきた
ように,子どもの大脳新皮質・前頭葉を刺激することが求められている。身体運動を取
り入れることは子どもの大脳新皮質・前頭葉によい刺激を与える。踊ったり歌ったりす
る内容を取り入れたら,子どもは喜ぶし,子どもの大脳新皮質・前頭葉にもよい刺激を
与える。例えば,産業学習での授業で焼き物を製作する,地理学習で世界の国々の民謡・
踊り・遊びなどを体験する,歴史学習では古墳や奈良の大仏を製作するなどである。
第4に,子どもの五感を豊かにするために自然体験を取り入れた学習内容を導入した
い。季節の移り変わりがわかりにくい社会に生活しているせいか,子どもの五感もあま
り育っていないからである。悧えぱ,都会と田舎の山村などとの交流などが考えられる。
炭焼き仕事や田畑での農作業の体験など,豊かな自然生活を体験すれば子どもの五感は
豊かなものになる。自然の神秘や厳しさにふれさせることで,敬虔な精神や畏敬の気持
ちを形成することができる。
最後に,人生の目的を教えることが重要である。自分の生きる目的がわかれば,自分
の人生に責任が持てる,学習にも意欲がわく。例えば,歴史学習で偉人の伝記を読むこ
とや,産業学習で職業体験をするなどである。国家への絶対的奉仕を強調した修身科と
13
は違い。個人として幸福を築きながら社会に貢献できるためにはどう生きるかを目的に
したい。そのためには,地域社会と連携しながら地域社会で貢献している人々に授業を
参加してもらう方法も考えられる。
こうしたことを社会科学習に取り入れることができれば,子どもの荒れが幾分かは減
少して子どもの身体の異変が改善されるだろう。逆にいえば,子どもの荒れを改善でき
る社会科教育が今ほど求められている時はないともいえるだろう。
Ⅳ。終わりに
これまでの教育では医学界と教育界の連携がなされていなかった。その結果,教育は
抽象的な哲学的思考や経験的方法が重視され,教育の指導の一般化が遅れてきた。その
ために学校現場では,あまり教育理論は役に立たない,教育実践の経験の方が大事であ
るという考えを持っている教員は多い。また,これまで通用していた方法がこれからは
通用しないということに気づいていない。これまでの経験は白紙にもどして対策を考え
ることが大切である。教師は自分が経験して獲得した方法を変えることに拒否反応を示
す場合が多い。しかし,最新の理論や成果を基礎にして子どもの問題行動に対処しなく
てはならない。
人間の行動は脳の活動によるところが大きい。子どもの教育を効果的にするには,脳
の働きに注目しなくてはならない。物質として見た脳の活動が非物質としての精神の働
きをすべて決定しているとは考えにくいが,脳と精神は強い相関関係を持っていること
は確かである。やがては,神経生物学的な統一場理論が構築される可能性もあるという
時代になった。そうした成果を教育の場でも生かすことが重要になる。
また,人間は動物としての面を持っている。動物療法で精神が癒されたという事例は,
人間が動物と仲間であるということを示している。人間には動物的本能があることを忘
れてはならない。本能に操られないで本能を支配することができる子どもに育てること
が,今こそ重要になっている時代はない。生物学の成果を教育に取り入れることが重要
となっている。
子どもの荒れに対処できるために,また学際的にさまざまな分野での成果を生かすた
めにも,社会科教育がこれからどう変われるかが問われている。社会科教育は子どもに
社会性や公共性を育成する教科であるからである。子どもの問題行動が深刻化している
今こそ,それに対処できる社会科教育を考えるべきである。子どもの荒れを解決できる
社会科教育が大切になっている。社会科教育はこれらのことをどう解決して脱皮できる
かが問われていて,それを解決することができる方法を見つけることが生き残れる道だ
といえる。これからの社会科教育研究の課題である。
〈註〉
(1)学級経営研究会r文部省委嘱研究(平成10
・ 11 年度)「学級経営の充実に関する調
査研究(最終報告書)」学級経営をめぐる問題の現状とその対応
一関係者間の信頼
と連携による魅力ある学級づくりー』5頁。
(2)全日本教職員連盟『全日教連教育新聞第373号』(1999年)4頁。
(3)日本体育大学学校体育研究室『「子どものからだの調査2000」結果報告』(2000年)
2-4頁。
14
(4)同上。3頁。
(5)寺沢宏次・西條修光・柳沢秋季・篠原菊紀・根本賢一・正木健雄「GO/NO-GO実験
による子どもの大脳発達パターンの調査
一日本の'
69, ' 79, ■ 98と中国の子ど
もの'84の大脳活動の型からー」(『日本生理人類学会誌J]
Vol. 5 , No. 2所収,2000
年』100頁。
(6)同上。100-101頁。
(7)小林英義「教護院で生活する子どもたち」『村山士郎編rムカつく子ども・荒れる学
校
-いま,どう立ち向かうか』所収,桐書房,
1998年)
164-166頁。
(8)中島裕一「公民科『倫理』グループ・プレゼンテーションの実践とその検討」(『社
会科教育研究83号』所収,日本社会科教育学会,2000年)54頁。
(9)上田吉一『人間の完成
マスロー心理学研究』(誠信書房,
(10)住吉奈保子「教授施設から『意味と価値定位』の学校ヘ
1991年)
249頁。
ーバイェルン州における
一九八一年版基礎学校レールプランの研究からー」(『哲学と教育42号(記念号)』
所収,愛知教育大学哲学会,
1995年)78頁。
(11)佐藤洋「学校五日制の教育学について」(『哲学と教育40号(記念号)』所収,愛知
教育大学哲学会,
1993年)17頁。
(12)中日新聞「小野木義男(前三重県立国児学園長)教室はまるで“異国"何が学習意
欲を奪ったか」(2000年11月27日)
(13)向井吉人「第4現場
学館,
教室のなかの子供たち」(『子供がキレる12の現場』所収,小
1999年)95頁。
(14)前川喜平『厚生省心身障害研究
究
ハイリスク児の健全育成のシステム化に関する研
平成9年度研究報告書』(1998年)
153頁。
(15)林公・高文研編集部編『[続]朝の読書が奇跡を生んだ』(高文研,
(16)青少年教育活動研究会編『文部省委嘱調査
ト調査報告書
1996年)109頁。
子どもの体験活動等に関するアンケー
平成10年7月調査』(1999年)5頁。
(17)正木健雄「“荒れ"につながる体の問題
カつく子ども・荒れる学校
教育生理学からのー考察バ村山士郎編『ム
-いま,どう立ち向かうか』所収,桐書房,
頁。
15
1998年)50