JMJA-News 第5号 2007年9月1日発行 - 日本マスターズ柔道協会

と言舌03(3326)3333
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野 口宏 水
会長
発行
http://Januahp infosook oojp/
日ま で 1 3 日 間 の長 い旅 行 を
出場 のみ の 一四名を
プ ラ ジ ル大 会 を 振 り 返 って 除≦ 〓 一
名は、大会
会 長 野 口宏 水 後もブ ラジ ルからア
ルゼ ンチ ンを経 て成
四 四 才 東 北 大 柔道 部 出 身 の
同 じ く ト ヮー ル大 会 出 場 の
在 住 の松 本 淳 四 段 であ り 、
今 回 の大 会 参 加 者 のう ち
三 段 で、 お 二人 と も ご 自 分
大学 英 文学 教授 、斉 藤 孝 滋
業 在 勤 十 一年 にな る 滋 賀 県
ラジ ルを 故 国 に持 ち 日本 企
も ト ウ ー ル大 会 に 参 加 し ブ 榛
共 に した。
本 年 は大 会 九 回 日 に し て は
日本 と 季 節 も 昼 夜 も 真 反 対 の
第 五 回講 道 館 大 会 を除 いた 海
の環 境 を 最 大 活 用 し て本 大
じ め て の南 半 球 、 文 字 通 り 、
南 米 ブ ラ ジ ル は サ ン パ ウ ロに
は 人 一才 最 年 長 の大 円尚 充 人
外 で の世 界 大 会 への初 参 加 者
青 森 県 ︶、 七 二 才 の岡 田庫
段︵
形 並 び に試 合 の結 果 は表
て、 形 と試 合 で ﹃世 界 のメダ
ル﹄を競 い合 い
ま した 。 三 七 名
二郎 人 段 ︵
兵 庫 県 ︶に 国 重 敏 明
│
T157-0063
FAX 03(3305)7301
〔
ご立 派 ︲﹂
会連続ご出場 は ﹁
と いう 以外 に言葉 はな い。
の大 会 出 場者 と
の通 り です 。 そ れ ぞ れ全 員
今 ま で培 って き た 技 を こ の
三 方 と も 人 段 の先 生 で、 これ
一戦 に 心身 の全 力 を 結 集 し
人 段 のお 三 方 で 奇 し く も お
によ り 人段 位 者 が 、 高 橋 勘 十
九 名 の応 援 家 族
の合 計 四 六 名 が
参 加 。 こ の内 仕
界 の 頂 点 に 立 つこ と を 期 し
│
ヽ‐
て出 場 した も の です。
大 会 一日 日 は形 。 全 員 世
人柔道 人 か ら 見
ゴ
`レ
:`‐
人 段 に清 水 正 敬 人段 と、 外 国
れば豪 華 横 綱 揃
て会 場 に入 る。 女 子 横 山
り 日 は
特 ″
事 等 のた め 大 会
い踏 み 眩 い ば
か り の講 道 館 高
大
森
1 昨
ル 年 組
ド トの
に ツ
種
続
く ル 日
連 大 ゴ
覇 会
と 二 ル
宗
主
国
ロ
本
で
も
頂
点
段 者 の 一行 で あ
る。 こ れ に 対 し
若 年 者 は 昨 年
力 :='ケ イ編7¬
│「 万
日本 マスターズ 柔 道 協 会
を
│=
F萱 ■玲 領事 型 ]ん rJ
サ ンバ ウロ総領事館
6月 22日
東 京 都 世 口谷 区 III谷 3301
マス ターズ
9月 1日
2007年
く 日本 マス ター ズ柔道 ●
会報
2007年 9月 1日
」MJA― News 第 5号
立 って いるご 両 人 の優 勝 は当
然 と し ても 男 子 の場合 、 外
た多 く の方 々、
マスタ ー ズ仲
間 、 そ し て生 涯 柔道 を 続 け さ
せ てく れ る妻 に感 謝 し てお り
ます。
し ては異 議 あ る も の の︰ 嬉 し
く、小生 の出場を支え て下さ つ
今 回 の交歓 稽 古 は、 全 伯 講
国勢 の取 り組 みは侮 りが たく
参 加 者 も多 く 、 そ の中 にあ つ
て重 厚 な 五 の形 の毛 利 ・清 家
組、 並 び に古式 の形 で の清水
清家 組 のゴ ー ルド は大 いに賞
賛 に値す る。
で行 わ れ た。 稽 古 に は、 同会
の篠原名誉会 長始 め岡 野会長、
関 根 副 会 長 、 早稲 田柔道 部 出
身 でブ ラジ ル ヘ雄 飛 ブ ラジ
国 政 府 に働 き か け て本 年 二 月
悲 願新 装 な ったば か り の柔道
オ リ ンピ ツク ア レー ナ ︵
南
米講道館、緩衝材敷き三百畳︶
0‘4
大 会 二 日日 は M 5 ︵
同野修平会長︶
5 5才 ︶ 道館有段者会 ︵
か ら M H ︵m 才 以 上 ︶ま で の体
に お願 いし て、 同 会 が 日伯 両
重 別 試 合 で 、 我 が 日本 軍 団 は
殆 ど が こ の日 に出 場 。 表 彰 式
で は 昨 年 同 様 ﹁君 が 代 ﹂ が
鳴 り 上 ま ず 日章 旗 を 誇 ら し く
易 す ゴ ー ル ド メダ リ スト の凱
歌 で 騰 が つた 。 尚 、 私 事 です
が 、 試 合 の部 で、 九 九 年 第 一
回参 加 以来 連 続 人 回出 場 、 内
七 回ゴ ー ルド ^一回 シルバー︶
グ ラ ンド ゴ ー ル
のか ど で ﹁
ド メ ダ リ スト ﹂ と し て 、 世
界 マ スタ ー ズ 協 会 よ リ ア メ リ
カ の F テ ヒ スタ 、 N I の
T ワ ツト の二人 と 共 に 表 彰 を
ルに初 のオ リ ンピ ツク 柔道 メ
ダ ル ︵ミ ュン ヘン銅 メグ リ ス
ト ︶ を 薔 し、 今 日 のブ ラジ ル
柔道 会 へのメダ ルラ ッシ ュの
嗜 矢 と な つた 石井 千 秋 氏 、 又
世界 マスター ズ の形 部 門 で第
二 回 辺 り から 常 勝 の R 内 田
ほ か大 勢 のジ ュウ ド ウ 家 が 参
集 . 親 善 交 歓 と は 云え 存 分 に
汗 だ く と な った。 清 水 副 会 長
=副 団 長 は か って の早慶 戦 宜
し く 石井 メダ リ スト を相 手 に
大汗を掻 いていた。
次 い で、 岡 野会 長 よ り 世 界
マスタ ー ズ ゴ ー ルド メダ リ ス
を 半 分 借 り き り 、 本 物 の 上
鸞
鶴
﹁
曇
,
・
鑢
ま る こと な く 出 て く る シ ュラ
ス コ肉 と ビ ー ル と ウ ィ ス キ ー
と そ の他 飲 み 物 の懇 親 会 と な
り 汗 を 流 し た 互 い の顔 は 、
鷲 ドい
攣
鐵
プ ラジ ル人 日本 人 の区 別 な く 、
心 は国 境 を越 え た ﹁
草 の根 外
“L級
0
6 、級
η セ級
& て級
3
7 峰級
交﹂ そ のも のであ った。
︲ M 9
山本 健 夫 7
9M 8
永島 健 次 郎 6
6 M 8
内藤 純 6
2 M 7
清家春夫 6
中 村 茂 晴 “ M 6
6
6鼈級
3
7峰級
0
6、級
6
6セ級
0
6k級
3
7﹂級
3
7雉級
“嗜級
︲ M 9 無 差 別
山本 健 夫 7
男子
7 M 0
大矢秀昭 7
︲
安 河 内 浩 “ M Ю
3M9
岡 田庫 二郎 7
坂 本 ヒ ロミ ツ M 9
5 M8
紀 口盛良 6
5 M8
伊藤 久雄 6
2 M7
来 日 武 6
原 優 M6
0
6に級
0
6セ級
0
6●級
6
6﹂級
3
7t級
尉L級
︲
8k級
“建級
”ヽ級
0
9 ●級
2M 9 無 差 別
小 川栄 一郎 7
男子
小川 未 一郎 ″ M 9
9M8
福 盛 日立 明 6
7 M 8
鬼 柳 一宇 6
7 M8
中島 忠 6
川久 保精 祐 M8
7 M8
毛利 修 6
5 M8
国重 敏 明 6
4 M 7
宿利憲生 6
4 M 7
大上敏キ 6
上 木 保 男 “ M 6
‡
卜 の形 を 見 せ て欲 し いと の要
請 が あ って、 清 水 人段 清 家
七 段 に よ る古 式 の形 及 び毛 利
七 段 清 家 七 段 によ る 五 の形
が全 員 正座 の裡 に荘 重 に演 じ
ら れ 、 大 拍 手 のう ち に交歓 稽
古 の幕を開 じた。
そ の後 、 大 き な レ スト ラ ン
柔 の形 女 子 検 山愧 子
大森 千卓
古式 の形 男子 清水 正敬
清家春夫
女 子 横山悦 子
大森 千草
I の形 男 子 毛利 修
清家春大
女 子 横 山悦 子
大森 千草
形 載 右 受こ
メダ リ ス ト
第9回世界大会
金
銀
大矢 秀 昭
固の形 男子 永島健次郎
試合
金 男子
0t級
太 口尚 充 a M■ 9
6 MЮ 3セ級
高橋勘+ 7
7
森 本 唯 之 % M Ю ∞鳳級
2 M 9 3鼈級
野 口宏 水 7
7
杉 原 尚 ﹁ M 9 ∞t級
大会 1日 目 形 の表彰式 の後 で
秩 否 三百百玉雇再巧孫馨ラ3表 彰式 の後 で 、中央右 篠原先 生
「
受 け た の は ︰ 協 会 の運 営 に 関
レドメグル
グラン ド ゴーフ
の表彰 を受 ける野 口会長
9月 1日
2007年
く 日本 マ ス ター ズ柔道 ●
会報
世 界 マスター ズ大 会 に
参 加 して
大 田尚 充
︵
青森県柔道連盟会長︶
野 口会 長 さ ん は じ め 会 員
のご 好 意 に 甘 え てご 相 伴 に 預
た と き は、 感 激 も ひと し お で
した。
い、 国 歌 君 が 代 の吹 奏 を 聞 い
試 合 が 終 って 翌 二 一日 の観
か り ま し た 。 お 互 いに 懐 か し
く 久 し ぶ り に お 会 いす る こと
な の で、 お 話 も 自 然 に 豊 か に
な り 、 私 は そ れ ら の楽 し そ う
のと き マサ オ シ ノ ハラ 氏 と
私 はな が い年 月 、 曲 が り な
のプ ラジ ル柔 道 のお 話 . 二三 、 り にもず っと柔道 を 続 け てや っ
二四 日 の グ ア ス の滝 の観 光 、 て き ま し た が 、 何 か のは ず み
イ
で、 ふ と 虚 脱 感 と いう か 、 心
に住 む青 森 県 五所 川 原市 出身
力 感 に襲 わ れ る こと が 度 々あ
りま した。 場 在 でも 起 こり得
身 の力 が 抜 け 落 ち た よ う な 無
こ の 日 ブ エノ ス ア イ レ ス市
の相 馬 英 樹 氏 と お 会 い で き た
のか ぎ り 励 め 吾 が 友 小 谷 十
光 、 リ オ デ ジ ャネ イ ロ の清 潔
コ
な 感 じ の市 街 や 海 水 浴 場 、
う と 相 馬 氏 に つい て は よ く
知 って いま し た ︶ 、 二 五 日、
な お話 に耳 を 傾 け な が ら 友
情 の深 い つな が り に 感 銘 を 受
け た も の で し た 。 野 口会 長 さ
ロー プ ウ エイ で のポ
スト 像 、
ン デ ア スー カ ル、 や は り
皆 さ ん の親
ん 、 いろ いろ と 有 難 う ご ざ い
絵 は が き よ り 実 物 が よ い。 二
段﹂
林 領 事 さ ん が 、 二 一日 のブ ラ
レ コレー タ 墓 地 が 印 象 的 だ つ
た 。 そ の夜 のタ ンゴ シ ヨー も
忘 れ 難 い。 二 六 日 のガ ウ チ ョ
の気 遺 い に 甘 え た り 励 ま さ れ
小 谷 先 生 が 昭 和 五 九 年 ︵¨
︱ に 小、
力 t札喀●す護 ●“筆
,
● ;・
︱め ●”●・
た
黙 って次 の掛 軸 と 対 面 し ま す。
﹁
力 む れば 必ず 達 す 何 事 も命
る のです が 、 そ のよ う な 時 は、
切な後押 し
ま した。 これ か ら も ま た、 ビ
ブ エノ ス ア イ レ ス市 の観 光 、
こと ︵
七 月 一五 日、 五 所 川 原
市 で国 体青 森 県 予 選会 が あ っ
ヾ
のおかげ一
指 導 のほど 、 よ ろ し く お 願 い
二 日総 領 事 館 表 敬 のと き 、 西
ジ ル新 間 を 手 に し て、 高 齢 者
ル コバ ー ド の 丘 や 巨 大 な キ リ
は じ め て世
中 し上げ ます 。
参 加 の記 事 を 話 題 に し て く れ
た の で 、 当 市 の年 輩 の方 に 伺
界 マ スタ ー
ズ 柔道 大 会
試 合 で は 、 人 十 歳 以 上 の方
に 参 加 す る こと が でき ま し た 。
が 私 以 外 に参 加 者 が な く 、 ブ
も 盛 り上 が って楽 し か った。
年 長 者 と いう こと で いろ い
ろ と 気 を 遣 つて いた だ き 、 そ
ラ ジ ルま で 行 った の に 試 合 は た こと 、 ま た ブ ラ ジ ル講 道 館
でき ま せ ん でし た 。 これ に は、 と いう 四 試 合 場 常 設 の道 場 で
ツアーも 馬 に乗 った り、 シ ョー
た り し て の プ ラジ ル サ ンパ
残 念 と いう 気 持 ち が 半 分 と 、
2 か国 千 人 の選 手 出 場
4
の熱 の こも った 交 歓 稽 古 、 そ
ウ ロ大 会 への参 加 で し た 。 こ
半 ば し、複 雑 で した。
順 番 が 進 ん で自 分 の名 前 が 呼
ば れ 試 合 場 に 出 て、 審 判 員
こ れ を 眺 め て、 直 ぐ に パ ツと
それ でも、 と に か く 試 合 の
ホ ッと し た と いう 気 持 ち が 相
こに、 改 め て厚 く お 礼中 し上
げ る次 第 です 。 有 難 う ご ざ い
ま した。
同 室 を お 願 い し て 万 事 に ご
か ら 不 戦 勝 ち の宣 告 を 受 け た
目覚 め る わ け で は あ り ま せ ん
九 人 四︶ 四 月 二七 日卜 段 にな
ら れ た と き、 是 非 に と お 願 い
し て書 い ても ら つた も の です 。
指 導 を 賜 わ り 、 いろ い ろ と ご
とき、自 分 は試 合者 と し て勝 っ
闇 世界 マスタ ーズ 柔道 大 会
面倒 を お かけ しま した。 お か
た 立 場 に な った のだ と 喜 び が
と く に 、 野 口会 長 さ ん に は
げ で、 は じ め て の世 界 大 会 ヘ
湧 い てき ま し た。 ま た こ の時 、
3k攣伯の青山選手日本瀾手に快勝
7
楽 し み な 日伯 対 戦
の参 加 を ど う に か 無 事 に 終
これ を 見 て いた 日本 の応 援 席
.
晰﹂
摯螂一
誦壇 都 ﹁
﹄ 嬌 楓 鸞一
樹¨
崎馨げ
神梅鮮 嵩 一
﹁ 詢 洲 酬i騨 町
暑■h ”
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早器
”
罵騨
﹄
郡総
論冊
こ の軸 は 、 自 宅 の質 素 な 床
う にな った も のでした。
かま た 続 け る こと が でき るよ
自 分 を 励 ま し励 ま し、 ど う に
て、 渡 し て く れ た 情 景 を 思 い
起 こ し ま す 。 何 日 か 経 って、
が 、 先 生 が 特 別 に何 も 云わ な
い で、 私 の目 を ち ら と み つめ
え る こと が でき た と 、 感 謝 の
か つた.
一番 最 後 に 表 彰 台 に あ が つ
の相 手 を いた だ い た 時 は 嬉 し
賀 県 の方 へのご 訪 間 に 当 た つ
︲
て 首 に 金 メグ ルを 掛 け て も ら
︱
一てご 一緒 さ せ て いた だ き 、 そ
パ ウ ロ在 住 の 三 日会 の方 や 佐
ま た 野 口会 長 さ ん が 、 サ ン
は じ め 、 多 く の方 々か ら 祝 福
“
気 持 ち で い っば い です。
o SlimO“ x
o鮨
S●
サンパウロ新聞
9月 1日
2007年
く 日本 マ ス ター ズ柔道 >
会報
9月 1日
2007年
く 日本 マ ス ター ズ柔道 >
会報
三 試 合 で 計 三 分 で終 了 し ま し
の間 の壁 に年中 掛 って いま す。 りま した。 二十 四時 間 も か か っ
最 近 、 こ の軸 を 読 み 返 し て い て 出 場 し た の に 汗 も か か ず 、
お 願 いしま す。
指 導 ご 鞭 撻 を 賜 わ り ま す よう
道 に 励 み ま す の で、 今 後 共 御
役 、 大 関 、 横 綱 や と 思 って柔
勝 一敗 で勝 ち 越 し や 、 次 は 三
た 。 神 技 か 名 人 技 か あ る い
今 ま で沢 山 試 合 を しま した
表 敬 訪 間 を 初 め観 光 見学 イグ
が 、 今 回 のよ う に 汗 も か かず 、
試 合 を し た の は 初 め て です 。
ア ス の滝 、 プ ラ ジ ル側 や ア ル
な り と の言 葉 ど う り や な と 思
五 百 回 と 一日千 回 の稽 古 で
足 払 い五 百回 下校 時 も 同 じく
な り ま し た 。 そ の立 番 時 に は
交 差 点 に て 立 番 を す る こと に
全 のた め 登 校 時 、 下 校 時 と に
私 ご と です が 、 独 身 者 が 半
路 で お 会 い致 し ま し ょ う 楽
し み に待 って居 ります .
た く な り ま し た 。 そ の前 に 姫
次 は ベ ルギ イ ー です か 、 行 き
山 出来 喜 ん で居 る毎 日 です。
そ し て楽 し い良 い思 い で が 沢
スバ ラ ンイ ー
ク リ、 ゴ ツイ、
と オ ド ロキ 感 心 ば か り で す 。
いま す 。 と 思 う の は今 年 正 月
す 。 そ のお 陰 で、 後 の先 で す
か、 咄嵯 に足技が 出 た のかな ︱
よ り 小 学 生 の通 学 時 に 交 通 安
と 思 って 居 り ま す 。 ま た 、 二
ゼ ンチ ン側 よ り 観 光 、 市 内 タ
ンゴ シ ョウ等 の見学 では、 ビ ツ
良 い方 に考 え る と 、 継 続 は カ
見 学 の方 で す が 、 総 領 事 館
は迷 人技 でし ょう。
るう ち に、 ﹁
精 力 善 用 ﹂ は、
﹁
生 命 力 の全 用 ﹂ が基 に あ る
ん だ と信 ず るよ う にな り ま し
た。 こ のよ う に、 生 き 続 け よ
うと思 って います。
初 出 場 第 九 回 世 界 マスタ ー ズ
柔道 選 手権 大 会
岡 田庫 二郎
︵
兵庫 県 理事 ︶
初 め て の海 外 旅 行 で飛 行 機
に 乗 る のも初 め て でし た が 、
皆 様 のお陰 で楽 し い思 い出 が
沢 山 出 来 ま した。 本 当 に有 難
う 御 座 います . さ て試合 の方
です が 外 国 人 は力 が 強 いと
聞 いて居 り ます が、
一度 は試
合 を し てみた いと思 い出 場致
月 も 留 守 に し た の で友 人 知 人
た ち の知 る こ と と な り 下 は
子供 会 か ら 上 は 高 年 者 会 よ り
今 回 は い ろ ん な 思 い出 が 沢
言 う 間 に終 り ま した。
の娘 さ ん よ り 花 東 贈 呈 を 受 け
以上納 涼懇 親 昼食会 に は、昔 々
お 声 が 掛 り 、 特 に朗 友 会 3 才
6歳 と の こと、 丁度 我 々の半
決 め ら れな い限 り今 後 も メダ
ルは難 し いと 思 わ れ ま す 。 1
人 の若 者 に年 齢 を 聞 いた ら 3
2組
今 後 も 柔道 に励 む つも り です 習 も しな か った 固 の形 が 1
のでよ ろ しく御 指導 願 います。 中 5位 でした。
特 に投 の形 は皆 か な り高 い
レベ ルにあ り、 本 格 的 裏 投 が
世 界 マスタ ー ズ柔 道 大 会 に
初 めて参 加
山本 健 夫
︵
東京都 理事︶
や は り遠 い国 です ね 。 帰 っ 分 でした。 技 に切 れ が あ り、
て 一週 間 も す る と も う夢 の出 動 き に力 強 さ が あ る のも 当 然
来 事 の様 な 気 にな り ま した 。 な のか。
戦 績 は これ 又夢 のよ う な 好 成
9 6
6峰級と無 差別級
さ て、 日本 に帰 ってか ら
績。試 合 M
で金 メダ リ スト とな りま した。 海 外 の人 々から も Eメ ー ル、
6
し 、 写真、 DVD等が届きま した
蹂
は
あ
許
さ
れ
る
と
て
ま
6
無 差 別 は こんな 非 力 な 者 が金
︵
小川栄 一郎選手経由も含め︶。
これ に関連 し 2 つ程 内 容 を 紹
介さ せ て頂きます。
マスター ズ の権
メダ ルで は、
威 を傷 付 け そ う で、 必要 以 上
に他 人 に は 云わな い様 に し て
ま し た . 少 し 恥 ず か し か った
です ね 。 ま ず は 七 月 は あ っと
いま す。 何 のこと はな い、 予
想 に 反 しゴ リ ラ の様な 大男 が
出て来なか った結果な のです、
でも そ れも 又拍 子抜 け で残
念 でした。 基 本的 に柔道 が世
界 によ が った のは、 19 64
しま し た。 今 回 お陰 様 で念 願
が かな つてイ タリ ヤ の選 手 と
対戦 す る こと にな りま した.
出場時 に小 川先 生 よ り 寝 技
で取 りま した 頑張 って下さ
いと 応援 を頂 き、 ヨ ッシ ヤー
と私 は立ち 技 で取 るぞ ︱と 心
山 出 来 ま した 。 会 長 初 め会 員
た。 練 習 を し て い った筈 の投
の皆 様 のお陰 や と 思 って居 り、 の形 が 8組中 8位。 あま り練
形 の方 にも 2 つ出 場 しま し
年 の東 京 オ リ ンピ ツク の頃 か
ら か 従 って年齢 が高 い人程
マスタ ーズ 世界大 会 は 日本 人
有利 と 云う こと でしょう。
に決 め て試合 場 へと行 き 小
内 刈 り で 一本取 りま した。 次
の試 合 は相 手 の技 をす か し て
小内 刈 り 一本取 った よう に思
います 。 二勝 一負 で 二位 とな
9月 1日
2007年
く 日本 マ ス ター ズ柔道 >
会報
一つは、 今 回 の マスタ ー ズ
大 会 は 運営 が お粗 末 で、 ブ ラ
ジ ル人とし て恥ず かしか った
と 云う も の。 これ に は驚 き ま
し た。 外 国 から の参 加 者 が そ
う 思 う のは当 然 だ った と し て
も 、 楽 天的 な プ ラジ ル人 の中
に も そ う感 じた 人が 居 た と 云
う こと です。 尤 も、 私 は 少 し
い い加 減 な 処 がブ ラジ ル人 の
良 い 一面 でも あ ると 思 って い
る のですが。
二 つ日 は、ブ ラジ ル在 住 の
日系 人 が 日本 から 来 た我 々
を歓 迎 し 心 で応 援 し てく れ
て いた と 云う こと です 。 無 差
別 の表 彰 式 の後 、多 数 の日系
人 が 寄 つてき て写真 を撮 った
り して祝福 してくれました。
第 9回 世 界 マスターズ
柔 道 大 会 に初 めて参 加 して
毛利 修
︵
埼 玉県︶
時 は 過 ぎ て そ の 2 0 0 7
た 言葉 であ った
も 兼 ね て ま た パ ラ グ ア イ ヘ立
ち 寄 ろ う 、 と 思 って咄 嵯 に 出
こと と な って 居 り 、 そ の観 戦
で世 界 柔道 選 手権 が 開 催さ れ
な に 歓 待 さ れ る と は 思 って い
大 き な ベ ルを も ら つた 。 こ ん
た。 お 生 産 に 牛 の首 に つけ る
み ん な 英 語 も う ま く て安 心 し
た。 通 常 は ド イ ツ 語 だ け れ ど
ゆ き フラ イ と ビ ー ル で歓 談 し
よ う ﹂ と 近 く の レ スト ラ ン ヘ
てから 、 み ん な で ﹁
魚 をた ベ
体 の形 の流 れ と し て稽 古 し よ
る と ころ イ メ ー ジ しな が ら 全
く 多 く の ペ ー ジ が ﹁五 の形 ﹂
に 割 か れ て居 り 、 そ の中 で 太
日先 生 が ﹁一本 一本 の意 味 す
つ つ﹂ を 見 つけ た め ず ら し
屋 で太 日尚 充 著 ﹁
柔道 を 学 び
ダ ルに終 わ つた。
いな ど と 思 つた 、 な ど と 勝 手
う ま くす れば 決 勝 であ た り た
な か つた の で感 激 し た が 、 始
歩 数 、 回 転 の スピ ー ド 、 背 筋
た。 自 分 はそ れ ま では歩 幅 、
先 生 , 山 元 先 生 と のそ の 日 の
そ の後 イ グ ア ス の滝 の見 学
か らブ エノ スアイ レ ス ペゆ き、
ア ルゼ ンチ ン に 山 元 先 生 と 相
ア イ に いた 頃 お 世 話 に な った
な 力 な の か も し れ な いと 思 っ
約 し た 。 こ れ も 柔 道 の不 思 議
と け て ビ ー ルを 交 わ し 再 会 を
ら 知 って いた 人 の よ う に う ち
﹁
形 ﹂ の意 味 す る と こ ろ を 表
現 す る に は至 ってな か った。
を 引 い て し ま った が 、 安 河 内
先 生 に も ら つた 薬 で こ れ を 抑
た ブ エノ ス ア イ レ ス で 風 邪
た。
6 日、 こ こ で本 隊 と は
6月 2
お別 れ し てパ ラグ アイ に向 か っ
は数 十 年 ぶ り の 再 会 を 果 た し
た。 ブ エノ スアイ レ スは寒 か っ
か な 時 間 で あ った が 清 家 先 生
飲 み 会 は キ ャ ン セ ルと な って
し ま つた が 、 次 の 日 の夕 刻 僅
飛 行 機 が 遅 れ て そ こ で の相 馬
つき あ いな の に ま る で 以 前 か
め て し か も た つた 2時 間 のお
人 と も 敗 れ てと も に 三 位 銅 メ
な想 像 を した。 残 念 な が ら 二
年 に入 り逢 巡 し て いる頃 同
じ 丸 の内 柔 道 ク ラブ の清 家 春
う と心 がけ て いる﹂ ︵
Pl 27︶
と 語 って 居 ら れ る のを 見 つけ
て来 よ う と 誘 わ れ た パ ラグ
夫先 生 から ﹁マスターズ で形 ﹂
を や つて ア ルゼ ン チ ン に 寄 っ
馬 先 生 が ア ルゼ ン チ ン柔 道 の
の伸 ば し方 、 腰 の高 さ 、 日 線
等 々 ﹁形 ﹂ ば か り に と ら わ れ
重 鎮 と し て健 在 で、 相 馬 先 生
た 太 日先 生 の視 線 を 意 識 し
し て 来 ら れ て いる のを 知 った
の は 出 発 直 前 の集 ま り で あ っ
そ の先 生 が 選 手 団 の 一員 と
な が ら 演 ず る のは 相 当 な プ レ
や って いた だ い て いる の で そ
シ ャー であ つた が、優 れた ハー
ト ナ ー であ る 清 家 先 生 が 受 を
る よ う な 試 合 に 出 た こと が な
い の で 、 飛 行 機 の中 で は ヨー
の意 味 で は 開 き 直 つてす る こ
と が でき た。 結 果 、 十数 組 終
形 は、 当 初 ﹁
護身術 ﹂を 予
定 し て いた が 今 回 か ら ﹁五 の
0日 ︵
6月 2
水 ︶ 、 そ の朝 の
0 3聴とゆとりを持 っ
計量 では 8
て 通 過 し た 、 。 こ の組 に は 同
わ つて 、 得 点 が 一番 高 く 金 メ
グ ルと な った 。 ま さ か 、 の結
次 の 日 夕 方 か ら J君 の道 場
形 ﹂ が 新 し く 種 日 に 入 つた と
か で、 こ の ﹁五 の形 ﹂ を 中 心
果 であ る
4 ∼ 5名 で こ
へ。 そ の道 場 は 1
・
じ ん ま り と し て い て 年 配 の人
じ 選 手 団 の 国 重 先 生 も い て、
二人 で軽 く 打 ち 込 み を や つた 。
たちが多 く ほと んど が黒 帯だ っ
に 勉 強 し てき た 。 大 会 も 近 く
な った あ る 日、 ふ と 入 った 本
7 日 ︵日︶ 日 本 か ら
6月 1
の選 手団 に合 流.
グ ルト のみ に し て節 制 した
を 思 い出 し た 体 重 を 気 に す
は 元 々警 視 庁 の出 身 で そ の当
た。
時 清 家 先 生 と は 同 期 であ った 。
次 の 日 ア ム ステ ルダ ム経 由
で サ ン パ ウ ロ ヘ向 か った が 、
世 界 選 手 権 は 日本 で冒 で 見 る
g級 の試 合 に で る の
こと に し て、
マ スタ ー ズ に 参
自分 が 税 k
に 3、 4 峰 オ ー バ ー 気 味 な の
加 しな が ら ブ エ′ ス ア イ レ ス
ベ行 く決 心を した。
そ れ に スイ ス のチ ュー リ ッ
ヒ の近 く で アメリ カ ン スクー
ル の先 生 を や つて い る 柔 道 の
元 生 徒 の J君 の道 場 で 一汗 か
い てブ ラ ジ ルに 向 か う こと と
0月 ま で国 際
2 0 0 3年 の 1
協 力機構 ︵
宮 9 ︶ の シ ニア
ボ ラ ンテ イアと し て南 米 のパ
ラグ アイ で柔道 指 導 に行 った
時 、 お 別 れ パ ー テ イー の席 で
2007年にはまた来 ると言 っ
た 。 二時 間 ほ ど や って終 わ っ
8 曰成 田 を 出
な つた 。 6月 1
発 、 同 日 の夜 チ ュー リ ッヒ着
て しま った。 2 0 0 7年 に は
プ ラジ ル、 リ オデ ジ ャネ イ ロ
く だ さ いま し た マスタ ー ズ の
1会 長 、 清 水 副 会 長 な ど 諸
野1
先 生 方 に感 謝 しな が ら拙 文 を
た こ のよ う な 機 会 を 与 え て
た が 、 思 い出 に 残 る 旅 と な っ
は じ め て の マスタ ー ズ で あ つ
柔 道 連 盟 の会 長 に も 暖 か く 迎
え ら れ 、 “ アサ ド” ︵
パ ラグ
ア イ の焼 き 肉 ︶ も 食 べ て楽 し
い 一週 間 を 過ご した。
え 込 み 、 生 徒 達 や パ ラグ ア イ
た。 来 口さ ん と 明 日 か ら の無
事、
一時 間 遅 れ と な る . 成 田
6時 着 のと ころ 9時 着 と な っ
て ほ っと す る 。 順 調 に 滑 り 出
し た と 思 って いた と こ ろ 新 横
ふう いいなが ら到着 、 間 に合 っ
て いた と ころ 来 田さ ん が ふ う
は ﹁
パ スポ ー ト を 忘 れ た ﹂ と
家 に 帰 る。 岡 山 で 一時 間 待 っ
よ う に と お 願 い し て いた 。 汽
浜 駅 で急 停 車 、 投 身 自 殺 と の
車 に 乗 る時 、 来 田さ ん が 今 度
終 わ りま す。
事 を祈 って乾 杯す る.
ら ず 家 、 車 等 あ ら ゆ る場
符 ホ テ ル の宿 泊 券 が 見 あ た
。
4
︲ 日 出 発 前 です 来 日さ ん
か ら 買 って頂 いた 新 幹 線 の切
プ ジ
ンチン道 中 記
ラ
″
ア
ル
ゼ
国重 敏 明
︵
香川県︶
一
どたばた出発記
鎧 で の古 式 の形 は 大 人 気 で し
シ ヨ ン の大 森 さ ん 横 山 さ ん の
が印象 に残 る。デ モン スト レー
金 メダ ル の古 式 の形 、 五 の形
で は これ 程 ま で に 出 来 る のか
二、 世界 マスタ ーズ 大 会
所 を 捜 し た が 残 念 な か つた 。
く り は軽 量 中 の模 様 です 。 体
6歳 で こ
な が ら教 えを 乞 う。 7
の技、 や は り N H K の柔道 名
人と いわ れ る人 と納 得 す る。
交 代 しな が ら の練 習 気 持 良
か った。 早く就寝す る。
二十 日。 いよ いよ試 合 。 十
年ぶ り の試 合 でな に か音 に か
え った気 持。 ど きど き 感 が た
そ れ に紀 元前 2 0 0年 頃ギ
リ シ ャ の哲学 者 フイ ロンが 選
んだ 世 界 7不思議 が 今 エジ
ブ ト ・ギザ のピ ラ ミ ッド し か
欲 し か った 。 ト イ レ、 食 事 、
話 な ど 長 い旅 で の会 話 が 出 来
にく か った事 .
︵2︶ リ オ の添 乗 員 の女 、 少
し ヒ ス テ リ ック に な り や す い
︵3︶ サ ンパ ウ ロで添 乗 員 に
マチ ュピ チ ュのイ
ンカ遺 跡 、 ⑤ ヨルダ
ロー マの コ ロツセウ
ム 、 ⑦ イ ンド タ ー
お願 いした と ころ、 8月 6日
にな っても届 いて いな いこと。
皆 さ ん、 出 したと の事 、 信 用
し てく ださ らな い。 残 念 . 絵
はが き はプ ラジ ル出 身 の松 本
淳 さ んに捜 し回 っても ら つた0
ん で欲 しか った。
人 も う 少 し や さ し い人 を 選
残 って いな いので、 1 9 9 9
年 に選 び直 した のが、① リ オ
デ ジ ャネ イ ロの丘 のキ リ スト
像 、 ② 中 国 の万里 の長 城 、 ③
絵 は が き 2 3通 6 月 2 0 日 に
ン のベ ト ラ遺 跡 ⑥
メキ ン コ チ チ エン ・イ シア
一回戦 、 組 ん
ま らな か つた。
で思 い切 り掛 け た払 い腰、 き
れ いに決 ま り 一本 . 足 の不安
な し。 二回戦 ブ ラジ ル人、 組
ん です ぐ痛 め た 足 を攻 め ら れ
ジ マハー ルと か、観
光出来 て幸 せ。
の こ砥 録 ¨ ④ペルー
ギブ ア ップ 、 抑 え 込 み 一本 ま
け. 敗 者 復 活 戦 に足 を攻 め ら
れな い こと を祈 り つ つ試 合 。
寝 技名 人 と の事 立ち 技 で攻
行 の人 は隣 同 士 に 席 を 取 って
︵1︶ 飛 行 機 の中 でや は り 同
た こと
残念.
四、 旅 行 中 少 し残 念 に思 つ
0年前 に母 を訪 ね て三
︵1︶ 5
千 里 マル コの旅 を 読 ん で全
五 思 っても みな か った事
チ ョ シ ョウ。 私 は美的 感覚 が
”
枚.徹夜 で書 いて同室 の森本
唯 行さ ん に迷 惑 を か け てま で
な い せ い か リ オ の港 、 イ グ
ア ス の滝 ほど 感 激 はな か った。 ブ ラジ ル紀 行 を 知 ら せ た が、
一通も届 かな か った こと。
め て こな か った こと幸 い。 ど
︵
2︶ イグ ア スの滝
う にか大
で勝 ち 三位 に入 は世界 三大 滝 のひと
外
刈
賞 念 願 の3試 合 出来 た こと
つ。
一生 に 一度 見 ら れ た だ け
.
で幸 せ で し た 。 カ ナ ダ 大 会 に
幸 せ に感 じ、 来 年 は 足 を完 治
さ せ、 ベ ルギ ー に 出場 し た い 出 場 し た 人 は、 ナ イ ヤ ガ ラ の
と思 つた。
滝 を 見 た と の事 。 私 も ナ イ ヤ
十 年 ぶ り の柔道 の試 合 、 本 ガ ラ の滝 も 一度 見 て みた い。
当 に嬉 しか った。楽 しか った。 ︵3︶ タ ンゴ ・シ ヨウ 、 ガ ウ
重 の重 い人 は 皆 す っぼ ん ぽ ん
三、観 光
で し た 。 世 界 中 の男 子 を 見 た
︵1︶ 世 界 三大 美 港 、 リ オデ
と いう 気 が しま し た。
ジ ャネ イ ロの港 、 オー スト ラ
練 習 場 で久 し ぶ り の打 ち 込
リ ア シド ユー の港 、 イ タ リ
み練 習 . 高 橋 勘 十 さ ん の小内 、 ア ジ ェニスの港 と か、本当 に
大 内 、 体 落 し の妙 技 。 感 心 し 美 し い港 で した。 あ つと 息 を
のむような景色 でした。
余談 ですが、 もう ひと つび つ
た。
と 感 嘆 、 び っく り す る 。 特 に
十 九 日 の形 の試 合 . 約 二 十
年 間 形 を や ってき た の に 世 界
明 口 J R で切 符 を 再 度 買 お う
5 日朝 愛 犬 エンデ イ
と思 う 。 1
の大 小 屋 に あ った。 私 の出 発
をや めき そ う か、 それ と も忘
れん坊 の私 の為を思 つて預 か っ
2時 待
た のか 、 これ で安 心 。 1
合 せ の J R高 松 で来 口さ ん と
合流、家 内 が 足が心配 で見送 っ
てく れ る。 来 日さ ん に く れ ぐ
れ も 足 が 悪 い為 無 理 を し な い
│ リオ のキ リス
9月 1日
2007年
く 日本 マス ターーズ柔道 >
会報
く 予 期 せぬ ア ルゼ ンチ ン の港
を 見 て感 激 、 イ タ リ ア の マル
コが イ タ リ ア、 フラ ン ス、 ス
ペ イ ン、 ア フリカ、プ ラジ ル、
ア ルゼ ンチ ンに旅 し た 7才 か
8才 の少 年 の物 語 に感 激 した
ことが思 い出されました。
︵2︶ ア ルゼ ンチ ン の相 馬 さ
7年 の秋 田国 体 に出
ん。 昭 和 8
場 し て弟 健 治 と知 り合 いと は
奇 遇 でした 。 ア ルゼ ンチ ン で
治 療 院 を 経 営 し て いる と の こ
と、 ご 健 勝 を祈 り つ つお わ か
れした。
③ 一人 でも 二人 でも 香 川 か
ら 参加 者 を つのリ メ ンバー を
増やす こと
④ 再 開 を楽 し み に し てお り
② 私 も仲 間 にな り 日本 、 世
界 マスタ ーズ に参 加 した いと
いう意欲がわ いた こと
取
正敬、受 清 家︶ 、 五 の形 ︵
毛 利修 、 受 清家 ︶ 、 柔 の形
︵
取 清家 、受 安河内 浩︶ の
三種 目 に挑 戦 し、 古 式 の形 と
●形 の演技
六 十九 日、 大 会 初 日 の形
月
の部 では 古式 の形 ︵
取 清水
七 年 ︶ で初 の銅 メダ ルを ブ ラ
日本 選 手 団 二 六 人 に よ る 柔 道
ム の コー チ と し て 活 躍 し て い
現 在 は 、 結 婚 し た ア ルゼ ンチ
ン女 性 と ﹁
健康堂 相 馬治療 院、
ブ エノ スアイ レ ス で三 七 年 間 、
柔道 指 導 と 普 及 に努 め てき た。
てブ ラジ ル柔 道 関 係 者 二〇 人 、 た が 、 そ のま ま 柔 道 を 続 け 、
の交歓 稽 古 が 行わ れた。
乱 取 二 人 目 の相 手 は 、 ミ ュ
ン ヘンオ リ ンピ ツク ︵
昭和 四
健康 堂 指 圧整 体 教 室 ﹂ を経 営
し な が ら 軍 隊 の将 校 に 柔 道 の
日本 と 反 対 側 に あ る最 も 遠
指導 を し て いる。
な ど 積 極 的 に 攻 め て来 る 。 こ
い国 で、 同 期 生 と 四 〇 年 ぶ り
ジ ルに も た ら した 石井 千 秋 先
生 。 大 き な 体 で体 落 大 内 刈
れ に 耐 え な が ら 、 内 股 ・大 外
相 馬 君 か ら 現 地 で の苦 労 話
刈 な ど で反 撃 す る が崩 れ な い。 に 再 開 で き た こと は 、 柔 道 仲
間の ﹁
絆 ﹂ が 大 き な 縁 にな っ
一瞬 、 タ イ ミ ング の良 い体 落
で見 事 に投 げ ら れ、 納 得 す る。 た よう に思 う。
息 を荒 げ な が ら 意 欲 的 に攻 め
柔道 仲 間 と し て の誇 り を 感 じ、
察 学 校 時 代 の同 期 生 、 柔 道 仲
柔道
間 で あ った 相 馬 英 樹 君 ︵
八 段 相 撲 五 段 ︶ に会 う こ と
が で き た 。 四 〇 年 ぶ り の再 開
で あ り 、 立 派 にな つた 姿 を 見
相 馬 君 は警 視 庁 の柔 道 助
が 昭和 四 六 年、 海 外青 年 協
力 隊 員 と し て 柔 道 指 導 のた め
ア ルゼ ンチ ン ヘ派遣 とな った。
同 国 で は 柔 道 ナ シ ョナ ルチ ー
る こと が でき た。
柔 道 の素 晴 し さ を を 再 認 識 す
や 活 躍 ぶ りを 聞 いて、 同期 の
続 け る姿 は 、 生 涯 柔 道 の模 範
のよう に思 わ れ 敬 服 した。
0年 ぶ り に同期 生 と 再会
04
六 月 二 六 日 の夜 、 プ エノ ス
て感 激 し た。
ア イ レ ス のホ テ ル で警 視 庁 警
六 二〇 日 の個 人試 合 は、
月
六〇 ∼六 四歳、
M七 人 一鼈 ︵
人 一厳 以 下︶ に参 加 出 場 者
は 人 人、 対戦 相 手 はオ ー スト
ラ リ ア人、 ア メリ カ 人な どす
べ て外 国 人 で三戦 三 勝 し金 メ
ダ ル、 形 の部 と合 わ せ て三個
教 と な り 、 柔 道 を 続 け て いた
●サ ンパウ ロで の交歓 稽古
六 月 二 二 日、 午 後 六時 ご ろ
か ら オ リ ン ピ ツク アリ ー ナ
の金 メグ ルを 手 にす る ことが
できた。
力 と熱 い精 進 ぶ り に励 まさ れ、
練 習 以上 の演 技 が でき た よう
に感 じ満 足す る こと が できた。
︵
通 称 南 米 講道 館 ︶ に お い
ます。
⑤ 自 分自 身 を も う 一度 鍛 え
直すチ ャンスと思 います。
平成 十 九 年 六 月 十 六 日か ら
六 月 二 人 日 ま で九 泊 一三 日 間
の旅 、 第 九 回 世 界 マ スタ ー ズ
会 を メイ ンに した ツ アー に夫
婦 で参加 した。
サ ンパ ウ ロ イ グ ア ス、 ブ
エノ ス ア イ レ スな ど 地 球 の反
対 側 に な る南 米 地 域 を 回 り 、
柔 道 を 通 じ て の国 際 親 善 、 自
然 歴 史 文 化 と の出 合 い、
土 地 の人 々と の交 流 な ど 充 実
し た 旅 を 満 喫 す る こと が で き
た。
いた の で、 優 勝 でき た喜 び は
大きか ったよう に思う。
柔 の形 は、 入勝 でき な か つ
た が 、 安 河 内 先 生 の地道 な 努
五 の形 で初 め て金 メグ ルを獲
得 した。
古 式 の形 は、 ブ ラジ ル の日
系 人内 日、 カ ル ロス組 が 三大
会 連 続 で優 勝 し てお り、 厳 し
い聞 いにな る こと を 予想 し て
⑥ 初 出 場 の私 を真 の友 と し
て扱 って頂 き 、 心 か ら 感 謝 い
た します。
千葉 県 副 会 長︶
︵
地 球 の反 対 側 で国 際 親 善
六、 お世話 にな った方
旅行 9泊 ホテ ルで同室 にな っ
た 人 森 本 唯 行 さ ん に感 謝 申
柔 道 ブ ラ ジ ル ・サ ンパ ウ ロ大
清家春夫
し上 げ ま す。 足 の痛 いと ころ
を マッサ ー ジ 、 鍼 灸 で治 療 し
て頂 き 無 事 試合 でき た こと
同 じ 四 国 出身 と いう こと で弟
のよう に接 して頂き 夜 のカ ツ
プ ヌー ド ルのうま か った こと、
毎 晩 のよ う に処 世術 、家 族 の
こと 、 柔道 、 相撲 、 接 骨 の こ
と を 話 し て頂 き 勉 強 にな り
ま した。
七、
マスタ ー ズ に参 加 し て
こ の旅行 二週 間 で思 った事 は
① 会 長 を 中 心 に家 族 ぐ る み
で皆 親 切 です。
か ら毛利 さん 、相 馬 さん 、
9月 1日
2007年
く 日本 マ ス ター ズ柔道 >
会報
9月 1日
2007年
く 日本 マ ス ター ズ柔道 >
会報
パリ島 仙 石道 場 を 訪 問 して
勝呂 孝
︵
埼 玉県 常務 理事︶
去 る 6月 1 5 日よ り 5 日間
バ リ島 の同月 2日開 所 し たば
か り の仙 石道 場 を 訪 間 、 仙 石
氏 と 一緒 に現 地 の若者 た ち と
柔道 を 通 じ て楽 し い交 流 を し
てきま した。
デ ンパ サ ー ル か ら 車 で約 1
時 間 、 ギ ア ニヤー ルと いう 奥
地 に突 然 大 き な 立 派 な建 物 が
見 え 、 そ れ が 氏 の全 私 財 を 投
じ て完 成 し た 道 場 で し た 。 開
所 式 間 際 ま で 同 国 特 有 の非 能
率 な 頑 固な 官 僚 主 義 に悩 ま さ
れ た と い いま す 。 中 に は 中 古
品 と は 思 え な いき れ いな 畳 が
入 り 、 試 合 場 が 2面取 れ て い
ます 。
生 徒 た ち は これ ま た 日本 各
地 か ら送 ら れ た 柔道 着 を 着 て
が ん ば つて いま す 。 下 は 近 所
の 小 学 生 か ら 上 は大 人 、 奥 さ
ん ま で顔 ぶ れ 多 彩 です 。 た だ
し、 指 導 員 は仙 石氏 のほ か は
現 地 の 人 ば か り 。 見 よ う 見
ま ね で覚 え た よ う で き ち ん と
修 行 した と は思 え ま せ ん。 こ
れ で は 仙 石 氏 が 大 変 です 。 そ
れ で も 生 徒 全 員 一生 懸 命 な 様
子が と ても 印象 的 でした。
バ リ 島 と いえ ば 日本 人 は 皆
安 房 高 校 で柔 道 合 宿
安 房 高 校 柔 道 部 の生 徒 だ け で
終 了 道
午前 2
1
時、稽古
ま した 。 こ の 日 の合 宿 練 習 は
は な く 近 隣 の高 校 、 中 学 校 及
乱 取 稽 古 で腕 試 し を し て いま
ら自 分 な り に 研究 し、 以 後 の
く な ると 先 生 に質 問 を しな が
0 名 参 加 し 高 橋 先 生 に教
約6
わ った 技 を 反 復 練 習 、 解 ら な
こ の頃 、
R
J館山駅
の方 か ら
念撮影、
ち よう ど
全 員 で記
をした後
場 に整 列
し、
一礼
した。
7日 本
二 日目 の3月 1
土︶午
前 9時 、 合 宿 練 習 への参 加 者
が 聞 こえ
汽 笛 の音
が 更 に 増 え て総 勢 約 ∞ 名 に な
りま した。 清家 春 夫 先 生 によ
てきま し
陸 ■
る 寝 技 に よ る寝 技 の指 導 、 鈴
蒸 気 機 関車 が館 山 駅 を 通 過 し
マ スタ ー
て いるよ う で した 。
バ ンに詰 め 安 房 高 校 を 後 に
ズ 柔道 選 手 団 は、 柔 道 着 を カ
第 二道 場 で あ る 旅 館 の宴 会 場
に向 か いま した。
︻
編集 後記 ︼ 最 も遠 い国だ っ
午 前 Ю時 、 乱 取稽 古 開始 、
都 合 で大 分 文 章 の 一部 を 割 愛
の多 いお 便 り が 多 く 、 紙 面 の
た 為 か 気 持 の こ も った 字 数
茨 城 県 か ら 杉 原 尚 先 生 も掛 け
さ せ て頂 き ま し た 。 写 真 も 最
り組 ん で いま した。
合 宿 練 習 は昨 日 以上 に熱 が 入
小限 にな りま した。 ホー ムペー
り、 ラ イ バ ル同 士 で切 磋 琢 磨 、 ジ の 一層 の活 用 を 考 え る 時 期
終 始 真 剣 な 眼 差 し で稽 古 に 取
に来 て いる のでし よ・ か。
,
では十 月 に姫 路 で。 ︵
b︶
つけ て く れ ま し た 。 こ の 日 の
た。
私 達 に も大 変 参考 にな り ま し
に 向 か つて の ﹁
大 内 刈 ﹂ の単
独 打 ち 込 み等 、 高 橋 先 生 独 特
の練 習 法 は 、 柔 道 を 指 導 す る
き ま し た 。 道 場 の壁 や 羽 目 板
﹁
投 げ 技 ﹂ に つい て更 に 細 か
いと ころ ま で指 導 し て いた だ
﹁
投 げ の形 ﹂ の演 武 の後 、 高
橋 勘 十 先 生 か ら は 昨 日習 った
た。 鉄道 百 周 年 と いう こと で、
I
木 治 雄 先 生 と 石 邑勇 に よ る
び各 柔道 塾 等 に通 う 子供 達 が
ヤ
ダ
覇鶴撃
ぶ滲7?
金 持 ち 、デ ラ ック スな ホ テ ル
橋 勘 十先 生 は ﹁
投 げ 技 ﹂ の名
人 であ り、 こ の 日は特 に、
﹁
足技 ﹂ で相 手 を 投 げ る時 の
釣 り 手 の使 い方 や 崩 し方 等 に
ついて詳 しく 解 説 を し てく れ
で美 容 に レジ ヤー にと う つ つ
石邑 勇
を抜 か し て いる と と ら れ がち
︵
千葉県 常務 理事︶
です。 そ んな 中 で 日本 の武 道
日本 マスタ ーズ 柔道 協 会 長
精 神 を 広 め る べく奮 闘 し て い 野 日宏 水会 長 以 下 9 の選 手
名
る氏 の姿 は ひと き わ 輝 いて見 団は、平成 9
金︶
1年 3月 “曰 ︵
7日 ︵
え ます。
心あ る柔道 家 の皆 さ と ︲
土 ︶ の両 日、 中 村 茂
ん、 ぜ ひ機 会 を 見 つけ て同 地 晴 先 生 と 上 木 保 夫 先 生 の出身
を たづ ね 、 仙 石氏 を 応 援 し て 校 であ る千 葉 県南 房総 市 の県
くだ さ い。 これ こそ が 日本 人 立 安 房 高 等 学 校 に お いて柔道
本 来 の姿 であ る と 彼 ら に 示 し の合宿練習を行な いま した。
6日 ︵
てやろう ではありませんか。
選手 団 は 3月 1
金︶午
東 京 葛 飾 に奥 様 が 理事 長 の 前 9時 ∞分 、 安 房 高 校 の柔道
3ば ヽ
窓 口が あ りま す ので連 絡 はす
、 道 場 の広 さ は 8
場
に
到
着
3
0
ぐ取れます。
5
畳数 約 2
畳 の大 道 場 であ り
﹁
柔 で世 と 手 を つな ぐ育
道
界
道
場 の壁 に は 醍醐 敏 十 段 が全
TS■ 8 8 東
成 ク ラブ ﹂ 一
日本 柔道 選 手権 大 会 で優 勝 し
京都葛飾 区高 砂 31 21 3
た時 の写真 や 、 篠 巻 政 利 選 手
電話 ・FAx 一788よ 80
を は じ め歴 戦 の雄 の写真 等 が
ヽ
ヽ αい
σ
ヽ
一
¨
´
一
一
宋
整
然 と 飾 ら れ 、 まさ しく 武道
o
●
”
・
﹁
o
∽
o
B
o
も¨
∞
,
ヽ 簡単 ですがご報告 ま で。
の殿堂 と いう のに ふさ わ し い
●
感 じ でした。
o時 、 道 場 に整 列 黙
午前 l
想 坐 礼 を し た 後 、 野 口宏 水
会 長挨 拶 、 準 備 運動 の後 高
橋勘 十 先 生 に よ る技 の説 明、
マスタ ー ズ 柔 道 協 会 のみな さ
ん は良 くご 存 知 のと お り、 高
柔道着姿 右 :仙 石先生、左 :勝 呂さん