喜光寺だより第28号を読む

平成 21 年 6 月 12 日発行
喜 光 寺 0742(45)4630
〒 631-0842
奈良市菅原町 508
発行責任者 山 田 法 胤
第 28 号
法相宗別格本山
天平の心をつたえる
行基さんのお寺
それで国は幸せになったのかよく考えるべきで
しょう。国民の全部が百歳までも、百二十歳ま
でも生きたら、社会はどうなるでしょうか。『能
く生きる』ということは、桜は桜として厳しい
冬を乗り越え、春になったら精一杯美しい花を
咲かせ、そこに小鳥や蜂が来て蜜を与えてもら
うことです。これが桜の生き方であり、そこに
人が見に来てくれたとか、見に来なかったとい
うことではありません。
人間はすぐ、自分のしていることが善だとか
悪だとか、価値が有るとか無いとか評価します
が、自然の営みにはそういった倫理観も道徳観
もないのです。鳥は鳥、草木は草木として精一
杯生きているのです。地球全体の生きとし生き
るものが、精一杯生きる生き方に立ち返るべき
ではないでしょうか。 合 掌
喜光寺仁王像
喜光寺住職 山田法胤
仁王さまといえば、東大寺の南大門に祀られ
る仁王さまで、鎌倉時代を代表する彫刻家 運慶・
快慶の作です。大きさも八メートルを超える最
大の仁王さまです。日本最古(七一一年)の仁
王像は、法隆寺の中門に安置される、阿吽の仁
王さまです。高さも三 七
・ メートルを超えるも
ので、阿吽共に塑像です。
今 回、喜 光 寺 の南 大 門 復 興に 伴 い 安置する 仁
王像は、日本で最も新しい平成の仁王さまです。
木彫や塑像ではなく、銅像(ブロンズ像)の仁
王さまで、大きさは三 二
・ メートルの大作です。
この仁王さまは、現在の彫刻家の大御所として
有名な、中村晋也先生が製作される仁王像です。
ブロンズという素材も珍しく、迫力せまる素晴
らしい傑作です。
仁 王さ まは 寺の 正面入 口に 安置され、寺 の内
外を守護する大切な意味があります。又、阿吽
という発音には、初めと終りという人生観があ
り、物事の全ては阿で始まり吽で終るというこ
とから、参拝者の身と心を守ってくださるとい
う信仰があります。
今 回、 平 成 の 大 傑 作 の 仁 王 さ ま が、 六 月 十 七
日の火入れ式を経て完成し、八月頃に復興中の
喜光寺南大門に納入されます。これは「いろは
写経」をしてくださる方々、そして建築用材の
ご寄進をしてくださる皆様のご信仰のおかげと
感謝しております。 合 掌
―1―
能く生きる
法胤
喜光寺住職 山田
『花無心にして…』というこの言葉は、良寛さ
んの漢詩の一節です。全文を紹介すると、
『花無
心にして蝶を招く 蝶無心にして花を尋ねる 花
開く時蝶来たり 蝶来る時花開く 吾も又人を知
らず 人も又吾を知らず 知らずして帝則に従う』
これが全文です。自然の中の花と蝶の関係には、
有心(私という心)はなく、共に無心に与え合っ
ている。これが自然の営みであるという教えで
す。
この自然のあり方こそ『能く生きる』という
ことです。人間は、愚かな知識をもっているか
ら、 医 者 は 人 を 長 生 き さ せ る 事 が 大 事 だ と 考
え、延命治療に命をかけてそれを目的にしてい
ま す。 日 本 は 世 界 一 の 長 寿 国 に な り ま し た が、
東側の阿形像(3.2m)
西側の吽形像(3.2m)
―2―
品を頂き有り難く思いました。
南大門復興と喜光寺様の益々の
ご繁栄を心よりお祈り申し上げま
す。 合 掌
(平成二十一年三月三十一日)
(冨永 整様提供)
「いろは写経」とのご縁
(冨永 整様提供)
びを得ています。
このご縁をこれからも大切にして
いきたいと願っています。
喜光寺南大門復興がもうすぐ完
成とのことお喜び申し上げます。
山 田 法 胤 御 住 職 の ご 健 康、 ご 活
躍をお祈り申し上げます。
合 掌
(平成二十一年五月二十日)
白蓮系一重 新品種 雪姫(ユキヒメ)
彰
白蓮系八重 新品種 中田島砂丘
富山市 北川
いろは写経九十六巻満行者
て楽しいひとときを過ごしていま
平 成 二 十 年 二 月 よ り、 い ろ は 写
経 を 始 め、 二 十 一 年 四 月 に 満 願 い
す。 ま た、 勉 強 に も な り、 知 ら な
た し ま し た。 最 初 の 頃 は、 無 我 夢
いことがまだまだ沢山あり参加で
中 で し た が、 だ ん だ ん 筆 の 運 び も
き る こ と を 喜 び と 感 じ て い ま す。
滑 ら か に な り、 無 事 達 成 い た し ま
会場の雰囲気も明るく皆様のお顔
し た。 お 写 経 す る こ と で、 こ こ ろ
がいきいきとしています。
穏やかなときを過ごしました。
「富山行基さん会」のお世話に感謝
いたします。
ご縁をいただいて「富山行基さん
会」に毎回必ず参加しております。
な に げ な く「 い ろ は 写 経 」 を は
じめ、一巻一巻と積み重ねながら、
山田法胤御住職さんにお目にか
かり、「日本の心」の御法話を聴い
九十六巻まで達成することができ
ま し た。 自 分 で も 驚 き と 感 動 と 喜
輪王蓮(金輪蓮と王子蓮との交雑種)
=実生が花茎(20 センチ)程の小さ
い蕾をつける(喜光寺)平成 21 年
5 月 25 日
平成二十年十二月一日から平成
二十一年五月三十一日までの満行者
は左記の通りです。
石﨑 彌生様
(荒川区)
山木 郁江様
(台東区)
中山 信様
(岡崎市)
(奈良市)
松本 秀子様
藤谷 キミ様
(奈良市)
長田 榮子様
(奈良市)
松澤 勝子様
(城陽市)
北川
彰様
(富山市)
西尾 明様
(岡崎市)
白蓮系一重 行基蓮(大賀蓮の実生)喜光寺
いろは写経との縁
先 日、 ご 住 職 様 直 筆 の 記 念 の 御
東京都 石﨑 彌生
この度、いろは写経を百巻、納経
することが出来感無量であります。
東 京 別 院 で、 は じ め て、 い ろ は
写 経 に 出 合 っ た 時、 ひ ら 仮 名 と 漢
字が一字一字蓮華の台座にのる写
経 に、 や さ し さ と、 た お や か さ を
感 じ、 こ ん な 写 経 が あ る の か と 衝
撃を覚えました。
お写経をしてゆくうちに、「ぼん
やり過していては」と時に発憤奮
起し、また物事に諦めがついたり、
励 ま さ れ た り、 諸 行 無 常 と 言 う こ
と が 実 感 と し て わ か り ま し た。 当
初、「 や さ し い 」 と 感 じ た こ と は、
写経の表面から受けたことであり
ましたが、この世の中無常故に「や
さしさ」の一言の意味の広いこと
に気付かされました。
こ の い ろ は 写 経 に ご 縁 を 頂 き、
佛教の教えに深く感動を覚えまし
た。そして、「写経」という形式に
して下さった事に心から感謝いた
したく存じます。
私 ご と な が ら、 今 年 は 亡 父 の 七
回忌でした。その法要の日までに、
百巻納経したいと思いお写経をい
た し ま し た。 そ し て 二 月 の 上 旬 に
達成成就出来ましたことを喜んで
おります。
いろは写経九十六巻をご納経して
南大門復興を願って~天井板絵
勧進の御礼と更なるお願い~
喜光寺副住職 小林 澤應
喜光寺では、皆様の温かい信仰の
お心のおかげにより、本年七月二十
日、南大門上棟式を厳修し、明年の
春、落慶を迎える運びとなりました。
工 事 の 進 捗 状 況 に つ き ま し て は、
金剛組の西田徹氏より寄稿された文
章をご参照願いたく存じますが、南
大門の二階は皆様よりご奉納頂きま
したいろは写経の永代納経藏とな
「高倉寺」の参拝
皓生
幹 事 川口
和 泉 国 大 鳥 郡( い ま の 大 阪 府 堺 市 )
に 行 基 さ ん が 慶 雲 二 年( 七 〇 五 年 ) に
建立された高倉寺があります。
「行基四十九院」で現存するのは十ケ
寺 余 し か あ り ま せ ん が、 堺 泉 北 ニ ュ ー
タ ウ ン の 住 宅 団 地 の 中 に、 高 倉 寺 宝 積
院として存続しているのです。
今年の三月三日(火)「行基菩薩ゆか
りの霊場巡礼講」五十一名で参拝いた
しました。
和泉国は樹木がこんもりと茂った処
だ っ た そ う で す が、 寺 院 の 瓦 や 陶 器 を
焼くために木が切り倒され水不足に悩
む よ う に な つ た の だ そ う で す。 大 修 恵
院( だ い す え い ん ) と い う 山 号 は「 陶
器材」として行基焼の本場であつたの
で、「陶(とう)」の和訓をもって「修恵(す
え)」と記して山号としたのだそうです。
記念写真は行基菩薩をお祀りしてあ
るお堂で山田法胤住職の読経に一同で
唱和いたしました後のものです。
高野山真言宗の本堂にあがらせてい
た だ き、 再 び 読 経。 高 倉 寺 住 職 の 寺 の
来 歴 説 明。 茶 菓 の 接 待 と、 三 月 と は い
え 寒 い 時 季 に「 暖 房 」 と「 温 か い お 茶
の接待」はまことに結構でございまし
た。 合 掌
お便りコーナー
「喜光寺」の本を見ながら
東京都 磯崎波里枝
ゴ ー ル デ ン ウ ィ ー ク の 真 っ 只 中 で、
主 要 道 路 の 混 み ぐ あ い を、 テ レ ビ で 放
送しています。
どこにも出かけない私達は関係ない
の で す が、 出 か け て 渋 滞 に ま き こ ま れ
た人達は、気の毒に思っています。
季 節 の 変 わ り 目 で、 体 の 変 調 を き た
し、 何 と な く 気 分 は、 落 ち こ ん で い ま
す が、 休 息 を と り 乍 ら、 何 と か 過 せ る
ことに感謝しています。
「いろは写経」四巻同封させていただ
き ま す。 よ ろ し く お 納 め 願 い ま す。 喜
光 寺 さ ま の「 蓮 の 花 」 を 見 に 行 き た い
と思っていますが、「喜光寺」の本の中
の 美 し い 写 真 を 見 て、 心 が 癒 さ れ、 眺
めています。 合 掌
(平成二十一年五月六日)
◎「喜光寺」の本、
絶賛販売中!
に咲く蓮の写真集です。
※ 行 基 終 焉 の 古 刹「 喜 光 寺 」 喜 光 寺
定価 ¥一、二〇〇
送料不要定価 ¥一、〇〇〇
※ こころを耕す
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「生き方」がある
定価 ¥一、五〇〇
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扱票をご利用下さい。
(口座番号01070― 8― 75305)
―3―
り、大日如来をお祀り申し上げます。
昨年の起工式後、山田住職が納経
藏の天井板絵一文字写経の勧進を発
願し、皆様にご寄進のお願いを致し
ましたところ、多くのご結縁を賜り
ま し て 誠 に 有 り 難 う ご ざ い ま し た。
皆様のご法恩に心より感謝し、謹み
て御礼申し上げます。
お申し込み頂きました一文字写経
は、皆様のお名前とお願い事をご本
尊にお取り次ぎしながら、一文字一
文字祈りをこめて代筆をさせて頂い
ております。
皆様には、行基菩薩のご遺徳顕彰
並びに南大門の復興成就を願い、更
なるご奉納を賜りますよう、何卒よ
ろしくお願い申し上げます。合 掌
行基菩薩巡礼講が「高倉寺」に参拝
隆光
喜光寺 法師 本田
ら、二粒のハスの実が発見され、その
発芽実験に成功し、その二年後に紅色
の大輪の花を咲かせた故大賀一郎博士
とそのグループの人達です。
この事例をきっかけとして、実生から
の花蓮栽培が広く行なわれ、交配種の研
究と実験がなされるようになりました。
花蓮は、種れんこんからの栽培が一般的
です。そしてこれまでの伝統的な品種を
守り、
育てる傾向が強いものがあります。
種れんこんの場合、親と全く同じものが
出来るというクローン現象です。
しかし、新しい品種を作ることは未
知なるものへの一つの挑戦だと思い
ます。平成十一年の春に、今はもう故
人となられた京都の内田様から数十本
の種れんこんを頂き、それを育て、翌
年の夏には大賀蓮も見事に花をつけま
した。この年の八月末に、私は、大賀
蓮だけの種十六個を発芽処理をしまし
た。これらの実生苗は、冬を越えて平
成十三年の春には、鉢の中でゴボウの
よ う な 種 れ ん こ ん に な っ て い ま し た。
これが命の再出発であり、毎年種れん
こんが出来るのです。
と命名することにしました。
花の色・形から見て、これと似た花
蓮があります。それは王子蓮と呼ばれ
る淡黄の花蓮です。これは、当時皇太
子様でした今の天皇様が、日米親善の
訪問の時に、日本人技師から、アメリ
カ蓮の種を頂くのです。その発芽処理
に成功し、その二年後に王子蓮として
育てられるのです。ここでも
「実生の蓮」
が生きつづけているのです。わが国の
花蓮は「実生」からと云えると思います。
自然界に生きているものを育てると
き、大切なことは、やさしい愛をもっ
た観察が基本になると思います。
さて、今年の喜光寺の花蓮はどうだ
ろうかと聞かれますが、無事に行くと
信じています。例年に比べて植えかえ
が少し早かったと思いますが、今、五
月二十五日現在で、花の蕾は二十セン
チ位の鉢が数鉢あります。
好調に花芽を出しているのは、実生
か ら の「 輪 王 蓮 」、 南 大 門 の 完 成 を 祈
る「喜盈門」(喜びに満ちる門)、新潟
県十日町市の弁天池からの弁天池大賀
蓮です。重ねて無事の開花を祈ってい
ます。 合 掌
(平成二十一年五月二十五日)
―4―
喜光寺不動(大賀蓮の実生)
大賀蓮からの実生の花蓮は、三種類
のものが出来ました。一つは、花の色
が白色となり、形は大賀蓮と同じでし
た。あとの二つは、色は紅色の薄紫色
と濃い紅色です。それぞれ名前をつけ
ねばなりませんので、住職に相談しま
すと、喜光寺は行基菩薩創建のお寺だ
から、白色のものは、「行基蓮」、紅色
の 濃 い の は「 喜 光 寺 蓮 」、 紅 色 の 少 し
うすい紫色のものは「喜光寺不動」と
命名していただきました。中でも行基
蓮は良く育ち、花茎や葉茎も背が高く
なり立派な花蓮となり、テレビでも紹
介され、親しまれています。
次 に 実 生 の 花 蓮 の 珍 し い 例 と し て、
落 下 実 生 が あ り ま す。 一 昨 年( 平 成
十 九 年 ) の 九 月 に、 ヴ ァ ー ジ ニ ア 蓮 の
落下実生を見つけました。夏の終り頃
でしたが、鉢の中に細い芽を出してい
るのがありました。取り出してみると、
蓮の種から、自然に芽を出していたの
です。大切に取り上げ、発芽処理をし
ました。これが落下実生と呼ばれてい
ます。昨年(平成二十年)見事に花を
つ け、 拝 観 者 の 方 が、「 淡 黄 蓮 」 と 呼
ばれました。そこで、「喜光寺淡黄蓮」
喜光寺淡黄蓮の花蕾
平成 21 年 6 月 1 日
○
王子蓮(アメリカ産蓮の実生)喜光寺
花蓮を育てる場合、二つの方法があ
ります。一つは、種れんこんから育て
る場合と、もう一つは、花蓮の種から
育てる場合、これを「実生」から育て
ると云っています。一般的には、種れ
ん こ ん か ら 育 て て い る の が 殆 ど で す。
喜光寺の二百鉢、百種類の花蓮につい
ても、毎年この種れんこんからの栽培
です。
花蓮は、開花した時すでにその花托
に は、 十 個 ほ ど の 種 が で き て い ま す。
この種は、三週間後には緑色になりま
す。この種の軟らかい時に取り出して
作るのが蓮のお菓子です。その種はや
がて黒色になり硬くなります。この実
(種)の底部を種皮が見えるところま
で、ヤスリ等で削り発芽処理を段階的
に行うのです。この実から生まれ育っ
てきた花蓮を実生の花蓮と云い、名前
をつけることが出来ます。
実生の花蓮を育てることは、根気も
必 要 で す が、 喜 び も 大 き い も の で す。
わ が 国 の 花 蓮 栽 培 の 先 駆 者 は、 昭 和
二十五年に千葉県検見川の泥沼の中か
「実生」の花蓮を育てる
喜光寺淡黄蓮(ヴァージニア蓮の落下実生)
南 北 に 向 け 塀 の 新 設、 そ の 他 庭 園
○ 喜光寺南大門復興奉賛会事務局長
整 備 等 を 進 め、 来 年 四 月 に は、 法
辻谷 清和
相宗別格本山にふさわしい喜光寺
平城遷都一三〇〇年を迎える来
と し て、 こ れ か ら の 千 年 先 に 向 っ
年( 平 成 二 十 二 年 ) 四 月 に 奈 良
て落慶されます。
の 西 の 玄 関 口 と し て、 南 大 門 が
私達も先人達が守り伝えてくれ
四 百 五 十 年 ぶ り に 再 建 さ れ ま す。 た貴重は文化遺産を後世に伝えて
喜 光 寺 住 職 に 就 任 さ れ て 以 来、 悲
い く 大 き な 使 命 が あ り ま す。 中 で
願とされておりました楼門様式の
も、 南 大 門 再 建 に 携 わ っ て き た 一
外観も重厚で仁王像も安置される
人 と し て、 そ の 想 い は 格 別 で ご ざ
行基菩薩建立の寺にふさわしい南
い ま す。 皆 様 方 と 一 緒 に な っ て 法
大 門 で す。 こ の 時 に 由 緒 あ る 喜 光
灯をたやすことなく守り伝えるこ
寺の南大門復興のお手伝いが出来
と に よ っ て 国 宝 と な り、 人 々 か ら
ますことを光栄に思っています。
親しまれる古都奈良のお寺になっ
お寺とはゆかりもなかった私で
ていくことを願っております。
すが、住職との出合い、ご縁のお陰
私も住職のもと、精一杯がんばっ
様 で、 こ う し て 喜 光 寺 の 関 係 者 の
て 参 り ま す の で、 今 後 共、 ご 協 力
一 人 と し て 再 建 に 携 わ り、 多 く の
頂きますようお願い申し上げます。
皆様方の暖かいお力添えを頂き来
終りに南大門の復興にご尽力
年 四 月 の 竣 工 を 目 指 し、 七 月 二 十
賜っております多くの方々に心よ
日に上棟式を迎えられますことは
りお礼と感謝申し上げますと共に、
これ以上の喜びはございません。
南大門の無事落慶と喜光寺のさら
今から約三年前、住職就任以来、 な る 発 展 を お 祈 り い た し ま す。
懸案とされておりました南大門の
合 掌
用地が県の高架工事と相関連する
形 で 遷 都 一 三 〇 〇 年 に 向 け 急 に 進 ○ 喜光寺 浄光会会長 田中金子
む こ と と な り ま し た。 十 数 年 前 よ
春 は 曙。 で は な く て、 東 大 寺 二
月堂のお水取りが済まないと春は
り南大門の再建にと日々ご努力さ
来 な い と 云 わ れ て い ま す が、 三 月
れ て き た 住 職 の 願 い、 想 い に 光 明
末 か ら の 薬 師 寺 の 花 会 式 に 続 き、
がさしてきたものと思います。
五 百 年 振 り に 復 活 し た 最 勝 会、 夕
南大門を正門とする境内の全体
方から始まる伎楽の主役は誰か(今
整 備 も こ の 八 月 よ り 進 め ま す。 庫
年は狂言師の茂山逸平さん)の話
裏 の 建 替、 正 門 よ り 両 側 か ら 東 西
喜光寺南大門復興を祈願して
題 に な っ た り し ま す が、 そ れ も 終
り、 新 型 イ ン フ ル エ ン ザ の 流 行 で
さ わ が し く、 早 く ひ ど く な ら な い
内に早く治ります様にと祈る此頃
で す が、 喜 光 寺 の 境 内 で は 若 葉 の
緑 も 美 し く、 爽 や か な 槌 音 と 共 に
南大門復興が着々と進み七月二十
日には上棟式が挙げられる事にな
り ま し た。 ご 住 職 は 平 成 二 年、 今
は亡き高田好胤和上より喜光寺の
復 興 を 示 達 さ れ、 日 夜 そ の 事 に 心
くだ
を砕かれました。喜光寺は、「喜光
寺 だ よ り 」 創 刊 号 よ り、 信 者 様 の
温い声も随分載せて参りましたが、
当時は草茫々で荒れてひどい状態
で し た。 私 は 平 成 四 年 二 月 初 め て
お 参 り し、 数 人 の 友 達 と 箒 を 探 し
ま し た。 掃 除 の 後、 い ろ は 写 経 の
第 一 巻 を 書 か せ て 頂 き、 感 激 致 し
ました。
行基菩薩御命日の二月二日の行
基会大祭の柴燈大護摩とおぜんざ
い、 そ れ に 加 え て 蓮 の 花 が 咲 き 匂
う七月の暁天講座と浄光会の親睦
旅行など行事も多くなり御住職も
薬 師 寺 の 執 事 長、 副 住 職 と な ら れ
日夜忙しく東奔西走と元気に御活
躍され益々喜光寺も有名になって
六月十七日には南大門に納入され
る仁王像阿吽の金剛力士尊像の火
入れ式が富山で行われ鋳造されま
す。 平 成 十 四 年 か ら 行 基 さ ん ゆ か
―5―
りの寺々を参拝されるグループの
方々と共に浄光会の皆さんもその
行事に参加する事になっています
ので創作された彫刻家の中村晋也
先生のお話も聞けるとのことです
ので「いろは写経」されている方々
も た く さ ん 参 加 さ れ ま す。 一 人 で
も多くの方と立派な完成を御祈念
さ せ て 頂 き た い と 思 い ま す。 そ の
後山田御住職と御一緒に宇奈月温
泉に泊り先生の日頃の御疲れもと
れ、 益 々 御 健 康 で 今 の 日 本 の 心 の
佛法の良き御指導者として御活躍
下さる事をお祈り申しております。
合掌
(平成二十一年五月二十七日)
平成 4 年故高田好胤管長と一緒にお参りして
しております。
に 携 わ れ た こ と に 大 変 感 謝、 感 激
初めに奈良の西の入口を飾るに
ふさわしい喜光寺南大門復興工事
現 場 で は、 二 月 十 四 日 か ら 参 道
一 部 撤 去 等 の 先 行 工 事 を 行 い、 二
始していきました。
て 頂 き、 そ の 後、 材 木 の 加 工 を 開
住 職、 辻 谷 清 和 様 に 原 寸 検 査 を し
○
平成十九年十月に契約をして頂
き、 そ の 後、 材 木 の 検 品 を 薬 師 寺
月十八日より発掘調査が三月十二
同 時 期 に 原 寸 を 書 き 始 め、 二 月
十 三 日 に 鈴 木 嘉 吉 先 生、 山 田 法 胤
様 の 倉 庫 で さ せ て 頂 き、 平 成 二 十
日 ま で 行 わ れ ま し た。 そ の 後 七 月
株式会社金剛組 現場所長 西田 徹
年一月十六日より大阪に有ります
当社の材木加工センターへ随時運
路工事完了後の十月七日より基礎
六 日 に 起 工 式 を 執 り 行 い、 前 面 道
月八日に基礎工事を完了しその後、
色 々 問 題 が 出 て き ま し た が、 十 二
発 掘 調 査 後 の 地 盤 改 良 を 行 い、
又、 境 内 雨 水 排 水 管 の 迂 回 工 事 等
二 十 三 日 ま で に 取 付 け、 小 屋 組 及
飛 燕 垂 木、 茅 負 い、 裏 甲 等 を 五 月
化粧材の隅木、地垂木、木負い、
尾 垂 木 等 取 付 け 開 始、 そ の 後 軒 先
工事を開始いたしました。
礎 石 の 据 付、 外 部 素 屋 根 足 場 を 組
び屋根下地を六月十五日頃に完了
南大門工事現場進捗状況
鬼瓦に釘書きをする住職
み開始、三月十日に上層組物完了、
立 米 ほ ど 有 り、 材 木 の 多 さ に び っ
立、 本 年 一 月 よ り 加 工 材 を 搬 入 し
予定です。
よう細心の注意を払って作業して
います。
工 事 中 の 無 事 故、 無 災 害 は 当 然
のこと、各工種の下請け業者共々、
精 一 杯 努 力 し ま す の で、 今 後 と も
よろしくお願いします。 合 掌
(平成二十一年五月十二日)
―6―
化 粧 材 約 百 二 十 七 立 米、 野 材、
丸 太 材 約 三 十 三 立 米、 合 計 百 六 十
くりいたしました。
組立を開始いたしました。
上 棟 式 後 は 瓦 葺 き 工 事、 下 層 壁
左官工事、基壇等石貼り工事を行っ
る予定です。
を行い七月二十日の上棟式を迎え
屋 根 下 地 完 了 後、 瓦 工 事 の 下 地
搬入化粧材は当社加工センター
にて下塗りし、朱色の状態で搬入、 (土居葺き)を行い、割付、桟打ち
組立を行いました。
一月二十二日に立柱式を執り行
い、 参 列 者 全 員 に 槌 で 柱 を 固 め て
頂きました。
現 在( 五 月 十 二 日 ) 時 点 で 屋 根
軒先化粧材の取り付けを行ってい
て二十二年四月に完成予定です。
賜 り、 二 月 十 日 に 下 層 組 物 完 了、
ま し て、 美 し い 反 り の 曲 線 が 出 る
月 一 回 定 例 会 議 を 開 催 し、 そ の
都 度、 鈴 木 嘉 吉 先 生 の ご 指 導 を
二 十 日 に 濡 縁 完 了、 上 層 柱 建 て 込
天井板絵
天井絵にご寄進者の名前を書き込む
搬させて頂きました。
喜光寺南大門復興工事の進捗状況について