古事記物語

古事記物語
鈴木三重吉
3
かい
とんぼのお歌
かい
目次
し
うし 飼 、うま 飼 めがみ
いわや
おろち
むろ
あめ
神 の 女
死 やまた
の岩
天 屋 むろ
俣 の 八
大蛇 つか
むかでの 室 、へびの室 かささ
ひしお
きじのお 使 い
みちしお
沙 のお宮
笠
やたがらす
たて
むれ
潮 の玉、干
満
潮 の玉
たて
咫烏 八
おうじ
赤い盾 、黒い盾 おしの 皇子 ちょうせんせいばつ
白い鳥
わた
鮮征伐 朝
う じ
赤い玉
なにわ
治 の 宇
渡 し
おおすず こ す ず
波 のお宮
難
むれ
鈴 小
大
鈴 しかの 群 、ししの群 4
いざなみのかみ
に、 伊弉諾神 と 伊弉冉神 とおっしゃる男神女神がお生ま
いざなぎのかみ
め
れになりました。
﹁あの、ふわふわしている地を固めて、日本の国を作り
あめのみなかぬしのかみ
し
天御中主神 はこのお二方の神さまをお召 しになって、
めがみ
女
神 の死 あげよ﹂
つしま
あ
ごてん
い き
お き
さぬき
さず
一
とおっしゃって、りっぱな 矛 を一ふりお 授 けになりま
ほこ
した。
うきはし
世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができ
それでお二人は、さっそく、 天 の浮
橋 という、雲の中
あめ
あがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいち
に浮かんでいる橋の上へお出ましになって、いただいた
かみむすびのかみ
あめのみなかぬしのかみ
ばんご先祖の、 天御中主神 とおっしゃる神さまが、天の
でもって、下のとろとろしているところをかきまわし
矛 たかみむすびのかみ
ほこ
上の 高天原 というところへお生まれになりました。その
て、さっとお引きあげになりますと、その矛の 刃先 につ
たかまのはら
つぎには 高皇産霊神 、神
産霊神 のお二
方 がお生まれにな
いた 潮水 が、ぽたぽたと下へおちて、それが 固 まって一
い よ
はさき
りました。
つの小さな島になりました。
ふたかた
そのときには、天も地もまだしっかり 固 まりきらない
お二人はその島へおりていらしって、そこへ 御殿 をた
う
あわじしま
と さ
かた
で、両方とも、ただ油を 浮 かしたように、とろとろになっ
ててお住まいになりました。そして、まずいちばんさきに
しおみず
て、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりまし
路島 をおこしらえになり、それから 淡
伊予 、讃
岐 、 阿波 、
かた
た。その中へ、ちょうどあしの 芽 がはえ出るように、二
佐 とつづいた四国の島と、そのつぎには隠
土
岐 の島、それ
おがみ めがみ
さ ど
わ
人の神さまがお生まれになりました。
から、そのじぶん筑
紫 といった今の九州と、 壱岐 、対
島 、
め
それからまたお二人、そのつぎには 男神 女
神 とお二人
渡 の三つの島をお作りになりました。そして、いちば
佐
つくし
ずつ、八人の神さまが、つぎつぎにお生まれになった後
5
ひ ば
ほうむ
これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島
まえをおつけになりました。
い剣を引きぬいて、 女神の 災 のもとになった火の神を、
伊弉諾神 は、そのあとで、さっそく 十拳 の剣 という長
まっくらな国へたっておしまいになりました。 み
いにある 比婆 の山にお葬 りになりました。
ができました。ですからいちばんはじめには、日本のこ
一うちに 斬 り殺してしまいになりました。
よ
んしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州を
女神は、そこから、 黄泉 の国という、死んだ人の行く
とを、 大八島国 と呼 び、またの名を豊
葦原水穂国 とも称 しかし、神のおくやしみは、そんなことではお 癒 えに
おおやまととよあきつしま
おこしらえになって、それに 大日本豊秋津島 というお名
えていました。
なるはずもありませんでした。神は、どうかしてもう一
き
よ
ごてん
つるぎ
こうして、いよいよ国ができあがったので、お二人は、
度、女神に会いたくおぼしめして、とうとうそのあとを
とつか
こんどはおおぜいの神さまをお生みになりました。それ
追って、まっくらな 黄泉 の国までお出かけになりました。
いざなぎのかみ
といっしょに、風の神や、海の神や、山の神や、野の神、
めがみ
わざわい
川の神、火の神をもお生みになりました。ところがおい
二
とな
たわしいことには、 伊弉冉神 は、そのおしまいの火の神
とよあしはらのみずほのくに
をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、
女神 はむろん、もうとっくに、 黄泉 の神の 御殿 に着い
よ
そのためにとうとうおかくれになりました。
ていらっしゃいました。
いざなぎのかみ
おおやしまぐに
伊
弉諾神 は、
すると、そこへ、夫の神が、はるばるたずねておいで
なみだ
いざなぎのかみ
い
﹁ああ、わが妻の神よ、あの一人の子ゆえに、大事なおま
になったので、女神は急いで戸口へお出迎えになりまし
なげ
ほうき
よ み
えをなくするとは﹂とおっしゃって、それはそれはたい
た。
いざなみのかみ
そうお 嘆 きになりました。そして、お 涙 のうちに、やっ
伊弉諾神 は、まっくらな中から、女神をお 呼 びかけに
いずも
よ み
と、女神のおなきがらを、 出雲 の国と伯
耆 の国とのさか
6
﹁それならば、もっと早く迎えにいらしってくださいま
くれ﹂とおっしゃいました。すると女神は、残念そうに、
が、まだできあがらないでいる。どうぞもう一度帰って
﹁いとしきわが妻の女神よ。おまえといっしょに作る国
なって、
いて、臭 い臭いいやなにおいが、ぷんぷん鼻へきました。
からだじゅうは、もうすっかりべとべとに 腐 りくずれて
しゃいました。そのお姿をあかりでご覧になりますと、お
そうすると、御殿のいちばん奥に、女神は寝ていらっ
ました。
がら、足さぐりに、御殿の中深くはいっておいでになり
くさ
せばよいものを。私はもはや、この国のけがれた火で 炊 そして、そのべとべとに腐ったからだじゅうには、うじ
なか
くさ
いたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰るこ
がうようよとたかっておりました。それから、頭と、胸
た
とはできますまい。しかし、せっかくおいでくださいま
と、お 腹 と、両ももと、両手両足のところには、そのけ
よ み
したのですから、ともかくいちおう 黄泉 の神たちに相談
がれから生まれた 雷神 が一人ずつ、すべてで八人で、 怖 いざなぎのかみ
おそ
をしてみましょう。どうぞその間は、どんなことがあり
ろしい顔をしてうずくまっておりました。
すがた
らいじん
ましても、けっして私の 姿 をご 覧 にならないでください
伊弉諾神 は、そのありさまをご覧になると、びっくり
おく
らん
ましな。 後生 でございますから﹂と、女神はかたくそう
なすって、怖ろしさのあまりに、急いで 遁 げ出しておし
ごてん
すがた
申しあげておいて、 御殿 の奥 へおはいりになりました。
まいになりました。
いざなぎのかみ
ごしょう
伊
弉諾神 は 永 い間戸口にじっと待っていらっしゃいま
女神はむっくりと起きあがって、
いざなぎのかみ
かた
に
した。しかし、女神は、それなり、いつまでたっても出て
﹁おや、あれほどお止め申しておいたのに、とうとう私
なが
いらっしゃいません。 伊弉諾神 はしまいには、もう待ち
のこの 姿 をご覧になりましたね。まあ、なんという 憎 い
おおは
にく
どおしくてたまらなくなって、とうとう、左のびんのく
お方 でしょう。人にひどい 恥 をおかかせになった。ああ、
かた
はじ
しをおぬきになり、その 片 はしの、 大歯 を一本 欠 き取っ
くやしい﹂と、それはそれはひどくお怒りになって、さっ
か
て、それへ火をともして、わずかにやみの中をてらしな
7
きました。
﹁おのれ、待て﹂と言いながら、どんどん追っかけて行
女の悪鬼たちは、
しながらお言いつけになりました。
﹁さあ、早く、あの神をつかまえておいで﹂と歯がみを
そく女の 悪鬼 たちを呼 んで、
ぶ向こうまでお 遁 げになりました。そしてもうこれなら
伊
弉諾神 は、そのすきをねらって、こんどこそは、だい
き抜いて、もぐもぐ食べだしました。
女鬼 たちは、そのたけのこを見ると、またさっそく引
のくしの歯が 片 はしからたけのこになってゆきました。
け、ひっ欠いては投げつけなさいました。そうすると、そ
右のびんのくしをぬいて、その歯をひっ欠いては投げつ
よ
伊
弉諾神 は、その鬼どもにつかまってはたいへんだと
だいじょうぶだろうとおぼしめして、ひょいとうしろを
わるおに
おぼしめして、走りながら 髪 の飾 りにさしてある黒いか
ふりむいてご覧になりますと、意外にも、こんどはさっ
いざなぎのかみ
かた
ずらの葉を抜 き取っては、どんどんうしろへお投げつけ
きの女神のまわりにいた八人の 雷人 どもが、千五百人の
おんなおに
になりました。
鬼の軍勢をひきつれて、死にものぐるいでおっかけて来
よもつひらざか
に
そうすると、見る見るうちに、そのかずらの葉の落ち
るではありませんか。
いざなぎのかみ
たところへ、ぶどうの実がふさふさとなりました。女鬼
神はそれをご覧になると、あわてて 十拳 の 剣 を抜きは
かざ
どもは、いきなりそのぶどうを取って食べはじめました。
なして、それでもってうしろをぐんぐん切りまわしなが
かみ
神はその間に、いっしょうけんめいにかけだして、やっ
ら、それこそいっしょうけんめいにお遁げになりました。
ぬ
と少しばかり 遁 げのびたとお思いになりますと、女鬼ど
そして、ようよう、この世界と黄
泉 の国との境 になってい
よ
み
らいじん
もは、まもなく、またじきうしろまで追いつめて来まし
る、 黄泉比良坂 という坂の下まで遁げのびていらっしゃ
さかい
つるぎ
た。
いました。
とつか
神は、
に
﹁おや、これはいけない﹂とお思いになって、こんどは、
8
すると、その坂の下には、ももの木が一本ありました。
三
人を一日に千人ずつ 絞 め殺してゆきますから、そう思っ
﹁わが夫の神よ、それではこのしかえしに、日本じゅうの
岩をにらみつけながら、
も 踏 み出すことができないものですから、 恨 めしそうに
うら
神はそのももの実を三つ取って、鬼どもが近づいて来
ていらっしゃいまし﹂とおっしゃいました。神は、
ふ
るのを待ち受けていらしって、その三つのももを力いっ
﹁わが妻の神よ、おまえがそんなひどいことをするなら、
神はそのももに向かって、
ました。
神は、
んどんこちらへお帰りになりました。
ら、いっこうかまわない﹂とおっしゃって、そのまま、ど
し
ぱいお投げつけになりました。そうすると、雷神たちは
わしは日本じゅうに一日に千五百人の子供を生ませるか
﹁おまえは、これから先も、日本じゅうの者がだれでも
﹁ああ、きたないところへ行った。急いでからだを洗って
に
びっくりして、みんなちりぢりばらばらに 遁 げてしまい
苦しい目に会っているときには、今わしを助けてくれた
けがれを 払 おう﹂とおっしゃって、 日向 の国の 阿波岐原 うで
あわきはら
とおりに、みんな助けてやってくれ﹂とおっしゃって、わ
というところへお出かけになりました。
かんむり
ひゅうが
ざわざ 大神実命 というお名まえをおやりになりました。
そこにはきれいな川が流れていました。
うでわ
はら
そこへ、 女神は、 とうとうじれったくおぼしめして、
神はその川の岸へつえをお投げすてになり、それから
おおかんつみのみこと
こんどはご自分で追っかけていらっしゃいました。神は
お帯やお下ばかまや、お 上衣 や、お冠 や、右左のお腕 に
た。そうすると、それだけの物を一つ一つお取りになる
うわぎ
それをご覧になると、急いでそこにあった大きな大岩を
はまった 腕輪 などを、すっかりお取りはずしになりまし
ふさいでおしまいになりました。
たんびに、ひょいひょいと一人ずつ、すべてで十二人の
お
ひっかかえていらしって、それを 押 しつけて、坂の口を
女神は、その岩にさえぎられて、それより先へは一足
9
下 の瀬は瀬が弱い。
上 の瀬 は瀬が早い、
神は、川の流れをご覧になりながら、
神さまがお生まれになりました。
﹁わしもこれまでいくたりも子供を生んだが、とうとう
伊弉諾神 はこのお三
方 をご覧になって、
という神さまがお生まれになりました。
んしまいにお鼻をお洗いになるときに、 建速須佐之男命 りますと、月
読命 という神さまがお生まれになり、いちば
おつけになりました。そのつぎに右のお目をお洗いにな
伊弉諾神 は、この女神さまに 天照大神 というお名前を
あまてらすおおかみ
とおっしゃって、ちょうどいいころあいの、中ほどの瀬
しまいに、一等よい子供を生んだ﹂と、それはそれは大喜
いざなぎのかみ
におおりになり、水をかぶって、おからだじゅうをお洗
びををなさいまして、さっそく玉の 首飾 りをおはずしに
しも
いざなぎのかみ
つきよみのみこと
いになりました。すると、おからだについたけがれのた
なって、それをさらさらとゆり鳴らしながら、 天照大神 つきよみのみこと
すさのおのみこと
あまてらすおおかみ
たけはやすさのおのみこと
めに、二人の禍 の神が生まれました。それで 伊弉諾神 は、
におあげになりました。そして、
せ
その神がつくりだす禍をおとりになるために、こんどは
﹁おまえは天へのぼって 高天原 を治めよ﹂とおっしゃい
かみ
三人のよい神さまをお生みになりました。
ました。それから 月読命 には、
さんかた
それから水の底へもぐって、おからだをお清めになる
﹁おまえは夜の国を治めよ﹂とお言いつけになり、三ば
おおうみ
くびかざ
ときに、また二人の神さまがお生まれになり、そのつぎ
んめの 須佐之男命 には、
いざなぎのかみ
に、水の中にこごんでお洗いになるときにもお二人、そ
﹁おまえは 大海 の上を治めよ﹂とお言いわたしになりま
わざわい
れから水の上へ出ておすすぎになるときにもお二人の神
した。
めがみ
たかまのはら
さまがお生まれになりました。そしてしまいに、左の目
とうと
をお洗いになると、それといっしょに、それはそれは美
しい、 貴 い女
神 がお生まれになりました。
10
になりました。
まのご命令に従って、それぞれ大空と夜の国とをお治め
天
照大神 と、二番目の弟さまの 月読命 とは、おとうさ
一
天 の岩
屋 がめになりました。
をそんなに泣き狂ってばかりいるのか﹂ときびしくおと
﹁いったい、おまえは、わしの言うことも聞かないで、何
さっそく 須佐之男命 をお呼 びになって、
伊
弉諾命 は、それをご覧 になると、びっくりなすって、
てきました。
かげで、地の上にはありとあらゆる 災 が一どきに起こっ
んで、わいわいとうるさくさわぎまわりました。そのお
すると、いろんな悪い神々たちが、そのさわぎにつけこ
がったほどでした。
あまてらすおおかみ
いわや
ところが末のお子さまの 須佐之男命 だけは、おとうさ
すると 須佐之男命 はむきになって、
あめ
まのお言いつけをお聞きにならないで、いつまでたって
﹁ 私 はおかあさまのおそばへ行きたいから 泣 くのです﹂
おおうみ
むね
すさのおのみこと
わたし
すさのおのみこと
すさのおのみこと
いざなぎのみこと
よ
わざわい
も大
海 を治めようとなさらないばかりか、りっぱな長い
とおっしゃいました。
らん
おひげが 胸 の上までたれさがるほどの、大きなおとなに
伊弉諾命 はそれをお聞きになると、たいそうお 腹立 ち
な
いざなぎのみこと
おなりになっても、やっぱり、赤んぼうのように、絶え
になって、
つきよみのみこと
まもなくわんわんわんわんお 泣 き狂いになって、どうに
﹁そんなかってな子は、 この国へおくわけにゆかない。
みこと
な
もこうにも手のつけようがありませんでした。そのひど
どこへなりと出て行け﹂とおっしゃいました。
ご
はらだ
いお泣き方といったら、 それこそ、 青い山々の草木も、
命 は平気で、
か
やかましい泣き声で泣き 枯 らされてしまい、川や海の水
﹁それでは、 お姉上さまにおいとま 乞 いをしてこよう﹂
ひ
も、その火のつくような泣き声のために、すっかり 干 あ
11
二
たかまのはら
とおっしゃりながら、そのまま大空の上の、 高天原 をめ
すさのおのみこと
みこと
ざして、どんどんのぼっていらっしゃいました。
すがた
らん
まもなく 須佐之男命 は大空へお着きになりました。
らんぼう
すると、力の強い、大男の 命 ですから、力いっぱいず
女神はそのお 姿 をご 覧 になると、声を張りあげて、
みこと
しんずしんと 乱暴 にお歩きになると、山も川もめりめり
﹁ 命 、そちは何をしに来た﹂と、いきなりおしかりつけ
ふる
とゆるぎだし、世界じゅうがみしみしと震 い動きました。
ひび
になりました。すると命は、
あまてらすおおかみ
天
照大神 は、その響 きにびっくりなすって、
﹁いえ、私はけっして悪いことをしにまいったのではご
らん
﹁弟があんな勢いでのぼって来るのは、必ずただごとで
ざいません。おとうさまが、私の泣いているのをご 覧 に
わたし
うば
はない。きっと 私 の国を 奪 い取ろうと思って出て来たに
なって、なぜ泣くかとおとがめになったので、お母上の
そうい
違 ない﹂
相
いらっしゃるところへ行きたいからですと申しあげると、
おこ
こうおっしゃって、さっそく、お身じたくをなさいまし
たいそうお 怒 りになって、いきなり、出て行ってしまえ
かみ
お
まがたま
た。女神はまず急いで 髪 をといて、男まげにおゆいにな
やさか
とおっしゃるので、あなたにお別れをしにまいったので
うで
り、両方のびんと両方の 腕 とに、 八尺 の 曲玉 というりっ
す﹂とお言いわけをなさいました。
かざ
ぱな玉の 飾 りをおつけになりました。そして、お背中に
でも女神はすぐにはご信用にならないで、
しょうこ
は、 五百本、 千本というたいそうな矢をお 負 いになり、
みこと
﹁それではおまえに悪い心のない 証拠 を見せよ﹂とおっ
ふ
右手に弓を取ってお突きたてになりながら、勢いこんで
しゃいました。 命 は、
たが
足を 踏 みならして待ちかまえていらっしゃいました。そ
﹁ではお 互 いに子を生んであかしを立てましょう。生ま
れた子によって、二人の心のよしあしがわかります﹂と
こなゆき
うにもうもうと飛びちりました。
おっしゃいました。
かた
のきついお力ぶみで、お庭の 堅 い土が、まるで 粉雪 のよ
12
の中から、三人の女神がお生まれになりました。
かみになり、ふっと 霧 をお吹きになりますと、そのお息
に折って、天
真名井 という井戸で洗って、がりがりとお
ばん先に、命 の十
拳 の 剣 をお取りになって、それを三つ
分かれてお立ちになりました。そしてまず 女神 が、いち
そこでごきょうだいは、 天安河 という河 の両方の岸に
飾りからできたのだから、私の子だ﹂とおっしゃいまし
たのだから、おまえの子だ。あとの五人の男神は 私 の玉
﹁はじめに生まれた三人の女神は、おまえの 剣 からでき
天照大神 は、
れになりました。
男神が一人ずつ︱︱︱これですべてで五人の男神がお生ま
かんで、息をお吹きになりますと、そのたんびに、同じ
かわ
そのつぎには 命 が、女神の左のびんにおかけになって
た。
あめのやすのかわ
いる、 八尺 の 曲玉 の飾 りをいただいて、玉の音をからか
命は、
やさか
あめのまない
みこと
まがたま
きり
かざ
あめのまない
あめのおしほみみのみこと
たまかざ
めがみ
らいわせながら、 天真名井 という井戸で洗いすすいで、
﹁そうら、私が勝った。私になんの 悪心 もない印 には、私
つるぎ
それをがりがりかんで霧をお吹き出しになりますと、そ
の子は、みんなおとなしい女神ではありませんか。どう
とつか
れといっしょに一人の男の神さまがお生まれになりまし
です、それでも私は悪人ですか﹂と、それはそれは大い
みこと
た。その神さまが、 天忍穂耳命 です。
ばりにおいばりになりました。そして、その勢いに乗っ
せん
あば
あぜ
め
あまてらすおおかみ
それからつぎには、女神の右のびんの 玉飾 りをお取り
てお 暴 れだしになって、女神がお作らせになっている田
はつほ
しるし
つるぎ
になって、先 と同じようにして息をお吹きになりますと、
の 畔 をこわしたり、みぞを埋 めたり、しまいには女神が
い
わたし
その中からまた男の神が一人お生まれになりました。
お 初穂 を召 しあがる 御殿 へ、うんこをひりちらすという
な
あくしん
つづいてこんどは、 おかずらの玉飾りを受け取って、
ような、ひどい 乱暴 をなさいました。
ま
う
やはり 真名井 で洗って、がりがりかんで息をお吹きにな
ほかの神々は、それを見てあきれてしまって、女神に
ごてん
りますと、その中から、また男の神が一人お生まれにな
言いつけにまいりました。
うで
らんぼう
り、いちばんしまいに、女神の右と左のお 腕 の玉飾りを
13
地の上も、一度にみんなまっ暗 がりになって、それこそ、
くら
しかし女神はちっともお 怒 りにならないで、
昼と夜との区別もない、長い長いやみの世界になってし
おこ
﹁何、ほっておけ。けっして悪い気でするのではない。き
あぜ
まいました。
は
たないものは、 酔 ったまぎれに 吐 いたのであろう。 畔 や
そうすると、いろいろの悪い神たちが、その暗がりに
よ
みぞをこわしたのは、せっかくの地面を、そんなみぞな
つけこんで、わいわいとさわぎだしました。そのために、
て来ました。
お
ぞにしておくのが 惜 しいからであろう﹂
世界じゅうにはありとあらゆる 禍 が、一度にわきあがっ
りました。
そんなわけで、大空の神々たちは、たいそうお 困 りに
みこと
すると命は、ますます 図 に乗って、しまいには、女た
なりまして、みんなで 安河原 という、空の上の 河原 に集
わざわい
こうおっしゃって、かえって 命 をかばっておあげにな
ちが女神のお召
物 を織っている、 機織場 の屋根を破って、
まって、どうかして、天照大神に岩屋からお出ましになっ
ひ
したはら
いしむろ
つ
かく
や た
やすのかわ
おもいかねのかみ
かなどこ
かわら
こま
その 穴 から、ぶちのうまの皮をはいで、血まぶれにした
ていただく方法はあるまいかといっしょうけんめいに、
に
ず
のを、 どしんと投げこんだりなさいました。 機織女 は、
相談をなさいました。
いわや
たかまのはら
やすのかわら
びっくりして 遁 げ惑 うはずみに、梭 で下
腹 を突 いて死ん
そうすると、 思金神 という、いちばんかしこい神さま
あめ
はたおりば
でしまいました。
が、いいことをお考えつきになりました。
めしもの
女神は、命のあまりの乱暴さにとうとういたたまれな
みんなはその神のさしずで、さっそく、にわとりをどっ
あな
くおなりになって、 天 の岩
屋 という石
室 の中へお隠 れに
さり集めて来て、岩屋の前で、ひっきりなしに鳴かせま
はたおりおんな
なりました。そして入口の岩の戸をぴっしりとおしめに
した。
まど
なったきり、そのままひきこもっていらっしゃいました。
それから一方では、 安河 の河上から 固 い岩をはこんで
かく
かた
すると女神は日の神さまでいらっしゃるので、そのお
来て、それを 鉄床 にして、八
咫 の鏡 というりっぱな鏡を
すがた
かがみ
方がお 姿 をお 隠 しになるといっしょに、 高天原 も下界の
14
ました。そして、 天香具山 という山からさかきを根 抜 き
作らせ、 八尺 の曲
玉 というりっぱな玉で 胸飾 りを作らせ
を細めにあけて、そっとのぞいてご 覧 になりました。そ
ると、何ごとが起こったのかとおぼしめして、岩屋の戸
天照大神は、そのたいそうなさわぎの声をお聞きにな
むなかざ
にして来て、その上の方の 枝 へ、八
尺 の 曲玉 をつけ、中
して 宇受女命 に向かって、
まがたま
ほどの枝へ八
咫 の鏡 をかけ、下の枝へは、白や青のきれ
﹁これこれ 私 がここに、隠れていれば、空の上もまっく
やさか
をつりさげました。そしてある一人の神さまが、そのさ
らなはずだのに、おまえはなにをおもしろがって踊って
かがみ
ぬ
かきを持って天の岩屋に立ち、 ほかの一人の神さまが、
いるのか。ほかの神々たちも、なんであんなに笑いくず
あめのかぐやま
そのそばでのりとをあげました。
れているのか﹂とおたずねになりました。
あめのかぐやま
かみかざ
わたし
らん
そ れ か ら や は り 岩 屋 の 前 へ、 あ き だ る を 伏 せ て、
すると宇受女命は、
なか
まがたま
宇受女命 と い う 女 神 に、 天
天香具山 の か ず ら の つ る を
﹁それは、あなたよりも、もっと 貴 い神さまが出ていらっ
ちち
やさか
たすきにかけさせ、かずらの葉を 髪飾 りにさせて、その
しゃいましたので、みんなが喜んでさわいでおりますの
うずめのみこと
えだ
おけの上へあがって踊りを踊らせました。
でございます﹂と申しあげました。
くる
うずめのみこと
宇受女命 は、 お 乳 もお 腹 も、 もももまるだしにして、
それと同時に一人の神さまは、例の、 八咫 の鏡 をつけ
ふ
や た
足をとんとん 踏 みならしながら、まるでつきものでもし
たさかきを、ふいに大神の前へ突き出しました。鏡には、
おど
ふ
たように、くるくるくるくると 踊 り狂 いました。
さっと、大神のお顔がうつりました。大神はそのうつっ
あめのうずめのみこと
するとそのようすがいかにもおかしいので、何千人と
た顔をご覧になると、
とうと
いう神たちが、一度にどっとふきだして、みんなでころ
﹁おや、これはだれであろう﹂とおっしゃりながら、もっ
かがみ
がりまわって笑いました。そこへにわとりは声をそろえ
とよく見ようとおぼしめして、少しばかり戸の外へお出
た
て、コッケコー、コッケコーと鳴きたてるので、そのさ
ましになりました。
や
わぎといったら、まったく耳もつぶれるほどでした。
15
﹁どうぞ、もうこれからうちへはおはいりくださいませ
まわって、
それといっしょに、一人の神さまは、女神のおうしろへ
神のお手を取って、すっかり外へお引き出し申しました。
ていた、 手力男命 という大力の神さまが、いきなり、女
すると、さっきから、岩屋のそばに 隠 れて待ちかまえ
て、いきなり剣を 抜 いて、 大気都比売命 を一うちに切り
食えるか。無礼なやつだ﹂と、たいそうお 腹立 ちになっ
﹁こら、そんな、お前の口や鼻から出したものがおれに
らしって、
すると 須佐之男命 は大
気都比売命 のすることを見てい
してさしあげました。
いろいろの食べものを出して、それをいろいろにお料理
かく
んように﹂と申しあげて、そこへしめなわを張りわたし
殺しておしまいになりました。
たぢからおのみこと
てしまいました。
そうすると、その死がいの頭から、かいこが生まれ、両
ぬ
おおけつひめのみこと
おおけつひめのみこと
それで世界じゅうは、やっと長い夜があけて、再び明
方の目にいねがなり、二つの耳にあわがなりました。そ
すさのおのみこと
るい昼が来ました。
れから鼻にはあずきがなり、おなかに、むぎとだいずが
かみむすびのかみ
すさのおのみこと
した。
はらだ
神々たちは、それでようやく安心なさいました。そこ
なりました。
らんぼう
すさのおのみこと
でさっそく、みんなで相談して、 須佐之男命 には、あん
それを 神産霊神 がお取り集めになって、日本じゅうの
おおけつひめのみこと
ばつ
なひどい 乱暴 をなすった罰 として、ご身代をすっかりさ
物 の種になさいました。
穀
すさのおのみこと
こくもつ
し出させ、そのうえに、りっぱなおひげも切りとり、手
須佐之男命 は、そのまま下界へおりておいでになりま
つめ
足の 爪 まではぎとって、下界へ追いくだしてしまいまし
た。
おおけつひめのみこと
そのとき須
佐之男命 は、 大気都比売命 という女神に、何
あな
か物を食べさせよとおおせになりました。 大気都比売命 は、おことばに従って、さっそく、鼻の 穴 や口の中から
16
と申します者でございます。妻の名は 手名椎 、この娘の
てなずち
名は 櫛名田媛 と申します﹂とお答えいたしました。
てお聞きになりました。
﹁それで三人ともどうして泣いているのか﹂と、かさね
やまた
おろち
むすめ
一
くしなだひめ
おろち
命は、
やまた
八
俣 の大
蛇 いずも
おじいさんは涙をふいて、
すさのおのみこと
﹁私たち二人には、もとは八人の 娘 がおりましたのでご
おそ
須
佐之男命 は、大空から追いおろされて、 出雲 の国の、
かわかみ
とりかみ
ざいますが、その娘たちを、 八俣 の 大蛇 と申します怖 ろ
かわ
しい大じゃが、毎年出てきて、一人ずつ食べて行ってし
ひ
の河 肥 の河
上 の、鳥
髪 というところへおくだりになりま
した。
まいまして、とうとうこの子一人だけになりました。そ
みこと
ういうこの子も、今にその大じゃが食べにまいりますの
かわ
すると、 その 河 の中にはしが流れて来ました。 命 は、
それをご 覧 になって、
でございます﹂
らん
﹁では、この河の上の方には人が住んでいるな﹂とお察
こう言って、みんなが泣いているわけをお話しいたし
さが
しになり、さっそくそちらの方へ向かって 探 し探しおい
ました。
みこと
でになりました。そうすると、あるおじいさんとおばあ
﹁いったいその大じゃはどんな形をしている﹂と、 命 は
お聞きになりました。
むすめ
さんとが、まん中に一人の 娘 をすわらせて三人でおんお
ん泣 いておりました。
﹁その大じゃと申しますのは、からだは一つでございま
な
命は、おまえたちは何者かとおたずねになりました。
すが、頭と 尾 は八つにわかれておりまして、その八つの
お
おじいさんは、
あしなずち
頭には、赤ほおずきのようなまっかな目が、燃えるよう
おおやまつみ
﹁私は、この国の 大山津見 と申します神の子で、 足名椎 17
に光っております。それからからだじゅうには、こけや、
しに化けさせておしまいになりました。そして、そのくし
命は、 櫛名田媛 をおもらいになると、たちまち媛をく
くしなだひめ
ひのきやすぎの木などがはえ 茂 っております。そのから
をすぐにご自分のびんの 巻髪 におさしになって、足
名椎 しげ
だのすっかりの長さが、八つの谷と八つの山のすそをと
と 手名椎 に向かっておっしゃいました。
あしなずち
りまくほどの、大きな大きな大じゃでございます。その
﹁おまえたちは、これからこめをかんで、よい酒をどっ
まきがみ
はいつも血にただれてまっかになっております﹂と怖
腹 さり作れ。それから、ここへぐるりとかきをこしらえて、
てなずち
ろしそうにお話しいたしました。命は、
そのかきへ、 八 ところに門をあけよ。そしてその門のう
はら
﹁ふん、よしよし﹂とおうなずきになりました。そして
ちへ、一つずつさじきをこしらえて、そのさじきの上に、
よい酒を一ぱい入れて待っておれ﹂とお言いつけになり
や
改めておじいさんに向かって、
大おけを一つずつおいて、その中へ、二人でこしらえた
とおっしゃいました。
ました。
よめ
﹁その娘はおまえの子ならば、わしのお嫁 にくれないか﹂
﹁おことばではございますが、あなたさまはどこのどな
二人は、おおせのとおりに、すっかり準備をととのえ
て、待っておりました。そのうちに、そろそろ大じゃの
あや
ただか存じませんので﹂とおじいさんは 危 ぶんで怖る怖
るこう申しました。命は、
はら
出て来る時間が近づいて来ました。
あまてらすおおかみ
﹁じつはおれは 天照大神 の同じ 腹 の弟で、たった今、大
命は、それを聞いて、じっと待ちかまえていらっしゃ
あしなずち
てなずち
空からおりて来たばかりだ﹂と、うちあけてお名まえを
いますと、まもなく、二人が言ったように、大きな大き
おろち
おっしゃいました。すると、 足名椎 も 手名椎 も、
な八
俣 の大
蛇 が、大きなまっかな目をぎらぎら光らして、
やまた
﹁さようでございますか。 これはこれはおそれおおい。
のそのそと出て来ました。
なら
それでは、おおせのままさしあげますでございます﹂と、
大じゃは、目の前に八つの 酒 おけが 並 んでいるのを見
さか
両手をついて申しあげました。
18
いましたが、やがて、さあ今だとお思いになって、 十拳 須
佐之男命 は、そっとその 寝息 をうかがっていらっしゃ
う寝 いってしまいました。
じゅうによいがまわって、その場へ倒れたなり、ぐうぐ
に飲み 干 してしまいました。そうするとまもなくからだ
そのたいそうなお酒を、がぶがぶがぶがぶとまたたくま
ると、いきなり八つの頭を一つずつその中へつっこんで、
した。
へ流れこんで、河の水もまっかになって落ちて行きま
河 でいっぱいになっておりました。その血がどんどん 肥 の
一面は、きれぎれになった大じゃの胴体から吹き出る血
二人はがたがたふるえながら出て来ますと、そこいら
になりました。
﹁ 足名椎 、 手名椎 、来て見よ。このとおりだ﹂とお 呼 び
に切り 刻 んでおしまいになりました。そして、
きざ
の剣 を引き抜 くが早いか、おのれ、おのれと、つづけさ
命はそれから、 櫛名田媛 とお二人で、そのまま 出雲 の
ぬ
すさのおのみこと
つるぎ
はさき
が
さが
あしなずちのかみ
おおなむちのかみ
かしら
いずも
ひ
よ
まにお切りつけになりました。そのうちに八つの 尾 の中
国にお住まいになるおつもりで、 御殿 をおたてになると
かた
す
てなずち
の、中ほどの尾をお切りつけになりますと、その尾の中
ころを、そちこちと、 探 してお歩きになりました。そし
みこと
さ
あしなずち
に何か 固 い物があって、剣の刃
先 が、少しばかりほろり
て、しまいに、 須加 というところまでおいでになると、
ほ
と欠けました。
﹁ああ、ここへ来たら、心持がせいせいしてきた。これ
ね
命 は、
はよいところだ﹂とおっしゃって、そこへ御殿をおたて
ねいき
﹁おや、変だな﹂とおぼしめして、そのところを切り 裂 になりました。そして、 足名椎神 をそのお宮の役人の 頭 かわ
いてご覧になりますと、中から、それはそれは刃の鋭い、
になさいました。
けんじょう
とつか
りっぱな剣が出て来ました。命は、これはふしぎなもの
命にはつぎつぎにお子さまお孫さまがどんどんおで
あまてらすおおかみ
おおくにぬしのかみ
くしなだひめ
が手にはいったとお思いになりました。その剣はのちに
きになりました。 その八代目のお孫さまのお子さまに、
お
照大神 へご献
天
上 になりました。
国主神 、またの名を 大
大穴牟遅神 とおっしゃるりっぱな
ごてん
命はとうとう、大きな大きな大じゃの胴体をずたずた
19
神さまがお生まれになりました。
20
﹁おいうさぎよ。 おまえからだに毛がはやしたければ、
一
ぼって、そのまま寝ころんでおりました。
く海につかって、ずぶぬれになって、よちよちと山への
らかいました。うさぎはそれをほんとうにして、さっそ
ね
この海の 潮 につかって、高い山の上で風に吹かれて 寝 て
するとその 潮水 がかわくにつれて、からだじゅうの皮
しお
おれ。そうすれば、すぐに毛がいっぱいはえるよ﹂とか
この 大国主神 には、 八十神 といって、何十人というほ
がひきつれて、びりびり 裂 け破れました。うさぎはそのひ
むろ
どの、おおぜいのごきょうだいがおありになりました。
りひりする、ひどい 痛 みにたまりかねて、おんおん泣き
むろ
むかでの室 、へびの室 その 八十神 たちは、 因幡 の国に、八
上媛 という美しい
しておりました。そうすると、いちばんあとからお通
伏 やそがみ
いなば
しおみず
女の人がいると聞き、みんなてんでんに、自分のお 嫁 に
りかかりになった、お供の大国主神がそれをご 覧 になっ
やそがみ
もらおうと思って、一同でつれだって、はるばる因幡へ
て、
おおくにぬしのかみ
出かけて行きました。
﹁おいおいうさぎさん、どうしてそんなに泣いているの﹂
き
さ
みんなは、大国主神が、おとなしいかたなのをよいこ
とやさしく聞いてくださいました。
とも
け た
お
わた
いた
とにして、このかたをお 供 の代わりに使って、 袋 を背お
うさぎは泣き泣き、
はだか
やがみひめ
わせてついて来させました。そして、因幡の 気多 という
﹁私は、もと 隠岐 の島におりましたうさぎでございます
ふ
海岸まで来ますと、 そこに毛のないあか 裸 のうさぎが、
が、この本土へ 渡 ろうと思いましても、渡るてだてがご
よめ
地べたにころがって、苦しそうにからだじゅうで息をし
ざいませんものですから、海の中のわにをだまして、いっ
らん
ておりました。
たい、おまえとわしとどっちがみうちが多いだろう、ひ
やそがみ
ふくろ
八
十神 たちはそれを見ると、
21
おれがその背 中の上をつたわって、かぞえてやろうと申
ての、 気多 のみさきまでずっと 並 んでみよ、そうすれば
ん族をすっかりつれて来て、ここから、あの向こうのは
とつくらべてみようじゃないか、おまえはいるだけのけ
大
国主神 は、話を聞いてかわいそうだとおぼしめして、
こう言って、うさぎはまたおんおん泣きだしました。
なにびりびり 裂 けてしまいました﹂
れておりますと、からだじゅうの皮がこわばって、こん
しゃいましたので、そのとおりに 潮水 を浴びて風に吹か
しおみず
しました。
﹁それでは早くあすこの川口へ行って、ま水でからだじゅ
さ
すると、わにはすっかりだまされまして、出てまいり
うをよく洗って、 そこいらにあるかばの花をむしって、
なら
ますもまいりますも、それはそれは、うようよと、まっ
それを下に敷いて 寝 ころんでいてごらん。 そうすれば、
た
くろに集まってまいりました。そして、私の申しました
ちゃんともとのとおりになおるから﹂
け
とおりに、この海ばたまでずらりと一列に並びました。
こう言って、教えておやりになりました。うさぎはそ
せ
私は五十八十と数をよみながら、その背なかの上をど
れを聞くとたいそう喜んでお礼を申しました。そしてそ
おおくにぬしのかみ
んどん渡って、もう一足でこの海ばたへ上がろうといた
のあとで言いました。
ね
しますときに、やあいまぬけのわにめ、うまくおれにだ
﹁あんなお人の悪い 八十神 たちは、けっして 八上媛 をご
とも
ふくろ
やがみひめ
まされたァいとはやしたてますと、いちばんしまいにお
自分のものになさることはできません。あなたは 袋 など
やそがみ
りましたわにが、むっと 怒 って、いきなり私をつかまえ
をおしょいになって、お 供 についていらっしゃいますけ
おこ
まして、このとおりにすっかりきものをひっぺがしてし
れど、八上媛はきっと、あなたのお 嫁 さまになると申し
よめ
まいました。
ます。みていてごらんなさいまし﹂と申しました。
な
そこであすこのところへ 伏 しころんで泣 いておりまし
まもなく、八十神たちは八上媛のところへ着きました。
ふ
たら、さきほどここをお通りになりました 八十神 たちが、
そして、代わる代わる、自分のお嫁になれなれと言いま
やそがみ
いいことを教えてやろう、これこれこうしてみろとおっ
22
のご自由にはなりません。私は、あそこにいらっしゃる
﹁いえいえ、いくらお言いになりましても、あなたがた
したが、 媛 はそれをいちいちはねつけて、
死んでおしまいになりました。
﹁あッ﹂とお言いになったきり、そのままただれ死にに
焼けの石の 膚 にこびりついて、
つきになったと思いますと、からだはたちまちそのあか
ひめ
大国主神のお嫁にしていただくのです﹂と申しました。
にいてつかまえろ。へたをして 遁 がしたらおまえを殺し
山の上からそのいのししを追いおろすから、おまえは下
﹁この山には赤いいのししがいる。これからわしたちが
の下へつれて行って、
すると、 高皇産霊神 は、 蚶貝媛 、 蛤貝媛 と名のついた、
いになりました。
て、 高天原 においでになる、 高皇産霊神 にお助けをお願
と、たいそうお 嘆 きになって、泣 き泣き大空へかけのぼっ
大国主神の生みのおかあさまは、それをお聞きになる
はだ
八十神たちはそれを聞くとたいそう 怒 って、みんなで
二
おこ
大国主神を殺してしまおうという相談をきめました。
てしまうぞ﹂と、言いわたしました。そして急いで、山
あかがいとはまぐりの二人の貝を、すぐに下界へおくだ
て ま
の上へかけあがって、さかんにたき火をこしらえて、そ
しになりました。
ほうき
みんなは、大国主神を、 伯耆 の国の手
間 の山という山
の火の中で、いのししのようなかっこうをしている大き
二人は大急ぎでおりて見ますと、 大国主神 はまっくろ
たかみむすびのかみ
たお
けず
きさがいひめ
おおくにぬしのかみ
うむがいひめ
たかみむすびのかみ
な
な石をまっかに焼いて、
こげになって、山のすそに倒 れていらっしゃいました。あ
なげ
﹁そうら、つかまえろ﹂と言いながら、どしんと、 転 が
かがいはさっそく自分のからを 削 って、それを焼いて黒
たかまのはら
し落としました。
い粉をこしらえました。 はまぐりは急いで水を出して、
に
ふもとで待ち受けていらしった大国主神は、それをご
その黒い粉をこねて、 おちちのようにどろどろにして、
ころ
覧になるなり、大急ぎでかけ寄って、力まかせにお組み
23
えらせになりました。おかあさまは、
ぬ
二人で大国主神のからだじゅうへ塗 りつけました。
﹁も う お ま え は う か う か こ の 土 地 に お い て は お か れ な
すさのおのみこと
そうすると大国主神は、それほどの大やけどもたちま
うずに大国主神をだまして、こんどは別の山の中へつれ
みんなでひそひそ相談をはじめました。そしてまたじょ
八
十神 たちは、それを見ると、びっくりして、もう一度
へ帰っていらっしゃいました。
ろへお着きになりました。すると、命のお 娘 ごの須
勢理媛 大国主神は、言われたとおりに、命のおいでになるとこ
お行かせになりました。
こう言って、 若 い子の神を、そのままそちらへ立って
はからってくださるから﹂
みこと
こみました。そしてみんなで寄ってたかって、ある大き
がお取次をなすって、
に
い。どうぞこれからすぐに、須
佐之男命 のおいでになる、
なたち木を根もとから切りまげて、その切れ目へくさび
﹁お父上さま、きれいな神がいらっしゃいました﹂とお
ねのかたすくに
ちなおって、もとのとおりの、きれいな若い神になって
堅国 へ遁 根
げておくれ、そうすれば命 が必ずいいように
をうちこんで、その間へ大国主神をはいらせました。そ
言いになりました。
うち
お起きあがりになりました。そしてどんどん歩いてお 家 うしておいて、ふいにポンとくさびを打ちはなして、は
お父上の 大神 は、それをお聞きになると、急いでご自
おおかみ
わか
さみ殺しに殺してしまいました。
分で出てご覧になって、
やそがみ
大国主神のおかあさまは、若い子の神がまたいなくなっ
﹁ああ、あれは、大国主という神だ﹂とおっしゃいまし
すぜりひめ
たので、おどろいて方々さがしておまわりになりました。
た。そして、さっそくお 呼 びいれになりました。
むすめ
そして、しまいにまた殺されていらっしゃるところをお
媛 は大国主神のことをほんとに美しいよい方だとすぐ
よ
みつけになると、大急ぎで木の幹を切り開いて、子の神
に大すきにお思いになりました。大神には、第一それが
ひめ
のお死がいをお引き出しになりました。そしていっしょ
お気にめしませんでした。それで、ひとつこの若い神を
かいほう
うけんめいに 介抱 して、ようようのことで再びお生きか
24
かけのように使うきれを、そっと大国主神におわたし
肩 お思いになりました。 それでご自分の、 比礼 といって、
そうすると、やさしい 須勢理媛 は、たいそう気の毒に
るきみの悪いおへやへお 寝 かせになりました。
へびの 室 といって、大へび小へびがいっぱいたかってい
らせてやろうとお思いになって、その晩、大国主神を、
困 たので、よし、それではこんどこそは見ておれと、心の
大神は、大国主神がふた晩とも、平気で切りぬけてき
ました。
いはらって、また一晩じゅうらくらくとおやすみになり
たので、大国主神は、その晩もそれでむかでやはちを追
たこっそりと、ほかの首飾りのきれをわたしてくだすっ
ているおへやへお 寝 かせになりました。しかし 媛 が、ま
ひめ
になって、
中でおっしゃりながら、かぶら 矢 と言って、矢じりに 穴 ね
﹁もしへびがくいつきにまいりましたら、このきれを三
があいていて、 射 るとびゅんびゅんと鳴る、こわい大き
こま
度振 って追いのけておしまいなさい﹂とおっしゃいまし
な矢を、草のぼうぼうとはえのびた、広い野原のまん中
むろ
た。
にお射こみになりました。そして、大国主神に向かって、
ふ
おおくにぬしのかみ
すぜりひめ
ね
まもなく、へびはみんなでかま首を立ててぞろぞろと
﹁さあ、今飛んだ矢を拾って来い﹂とおおせつけになり
かざ
ひ れ
むかって来ました。 大国主神 はさっそく言われたとおり
ました。
かた
に、 飾 りのきれを三度お 振 りになりました。するとふし
若い神は、 正直 にご命令を聞いて、すぐに草をかき分
しょうじき
あな
ぎにも、へびはひとりでにひきかえして、そのままじっ
けてどんどんはいっておいでになりました。大神はそれ
や
とかたまったなり、一晩じゅう、なんにも害をしません
を見すまして、ふいに、その野のまわりへぐるりと火を
わか
い
でした。若 い神はおかげで、気らくにぐっすりおよって、
つけて、どんどんお焼きたてになりました。大国主神は、
おやと思うまに、たちまち四方から火の手におかこまれ
おおかみ
らっしゃいました。
になって、すっかり遁げ場を失っておしまいになりまし
ふ
朝になると、あたりまえの顔をして、 大神 の前に出てい
すると大神は、その晩はむかでとはちのいっぱいはいっ
25
遠のいてしまいました。
で燃えて来た火の手は、その穴の上を走って、向こうへ
まこごまって隠れていらっしゃいますと、やがてま近ま
ぽりとその中へ落ちこみました。それで、じっとそのま
ちゃんと下が大きな穴になっていたので、からだごとすっ
を、 とんときつく 踏 んでごらんになりますと、 そこは、
若い神は、すぐそのわけをおさとりになって、足の下
う意味でした。
れは、中は、がらんどうで、外はすぼまっている、とい
﹁うちはほらほら、そとはすぶすぶ﹂と言いました。そ
出て来まして、
いをしていらっしゃいますと、そこへ一ぴきのねずみが
た。それで、どうしたらいいかとびっくりして、とまど
大神 もこれには内
々 びっくりしておしまいになりまし
ら矢をちゃんとお手におわたしになりました。
なかから出ていらっしゃいました。そしてさっきのかぶ
すると 大国主神 は、もとのお 姿 のままで、焼けあとの
なりました。
うとお思いになって、媛のあとからいらしってごらんに
お父上の大神も、こんどこそはだいじょうぶ死んだろ
て、 泣 き泣 きさがしにいらっしゃいました。
そして火が消えるとすぐに、急いでお 弔 いの道具を持っ
いになって、ひとりで 嘆 き悲しんでいらっしゃいました。
すから、美しい若い神は、きっと焼け死んだものとお思
須勢理媛 は、そんなことはちっともご存じないもので
三
おおかみ
な
ないない
おおくにぬしのかみ
な
すぜりひめ
そのうちに、さっきのねずみが大神のお射になったか
て、しかたなくいっしょに 御殿 へおかえりになりました。
なげ
ぶら矢をちゃんとさがし出して、口にくわえて持って来
そして大きな広間へつれておはいりになって、そこへご
とむら
てくれました。見るとその矢の羽根のところは、いつのま
ろりと横におなりになったと思うと、
ふ
にかねずみの子供たちがかじってすっかり食べてしまっ
﹁おい、おれの頭のしらみを取れ﹂と、いきなりおっしゃ
すがた
ておりました。
いました。
ごてん
26
て、たくさんなむかでが、うようよたかっておりました。
き分けてご覧になりますと、その中には、しらみでなく
大国主神はかしこまって、その長い長いお 髪 の毛をか
の幹にぶつかって、じゃらじゃらじゃらんとたいそうな
するとまの悪いことに、抱えていらっしゃる琴が、 樹 ぶって、そっと御殿をお 逃 げ出しになりました。
い 琴 とをひっ 抱 えるなり、急いで 須勢理媛 を背なかにお
すぜりひめ
すると、須
勢理媛 がそばへ来て、こっそりとむくの実
ひびきを立てて鳴りました。
かか
と赤土とをわたしてお行きになりました。
大神はその音におどろいて、むっくりとお立ちあがり
こと
大国主神は、そのむくの実を 一粒 ずつかみくだき、赤
になりました。すると、おぐしがたる木じゅうへ縛りつ
ぐし
土を少しずつかみとかしては、いっしょにぷいぷいお 吐 けてあったのですから、 大力 のある大神がふいにお立ち
おおぢから
に
き出しになりました。大神はそれをご覧になると、
になるといっしょに、そのおへやはいきなりめりめりと
き
﹁ほほう、むかでをいちいちかみつぶしているな。これ
れつぶれてしまいました。
倒 すぜりひめ
は感心なやつだ﹂とお思いになりながら、安心して、す
大神は、
ひとつぶ
やすやと寝いっておしまいになりました。
﹁おのれ、あの 小僧 ッ神め﹂と、それはそれはお 怒 りに
は
大国主神は、この上ここにぐずぐずしていると、まだ
なって、髪 の毛をひと束ずつ、もどかしく解きはなしてい
みこと
たお
まだどんなめに会うかわからないとお思いになって、 命 らっしゃるまに、こちらの大国主神はいっしょうけんめ
いか
がちょうどぐうぐうおやすみになっているのをさいわい
いにかけつづけて、すばやく遠くまで逃げのびていらっ
ぐし
よもつひらざか
こぞう
に、その長いお 髪 をいく 束 にも分けて、それを四方のた
しゃいました。
とうと
かみ
る木というたる木へ一束ずつ 縛 りつけておいたうえ、五
すると大神は、まもなくそのあとを追っかけて、とう
たば
百人もかからねば動かせないような、大きな大きな大岩
とう 黄泉比良坂 という坂の上までかけつけていらっしゃ
ゆみや
しば
を、そっと戸口に立てかけて、中から出られないように
いました。そしてそこから、はるかに大国主神を呼びか
おおかみ
た ち
しておいて、 大神 の太
刀 と弓
矢 と、玉の飾りのついた貴 27
て、 宇迦 の山のふもとに御殿を立てて住め。わしのその
るところへ追いつめ切り 払 い、そちが国の神の 頭 になっ
ちのきょうだいの 八十神 どもを、山の下、川の中と、逃げ
﹁おおいおおい、小僧ッ神。その太刀と弓矢をもって、そ
けて、大声をしぼってこうおっしゃいました。
ちに、ある日、 出雲 の国の 御大 の 崎 という海ばたにいっ
だんと国を広げておゆきになりました。そうしているう
大国主神はそれからなお順々に四方を平らげて、だん
またおうちへ帰って行きました。
というりっぱなお嫁 さまができていたので、しおしおと、
るたずねて来ましたが、その大国主神には、もう須
勢理媛 すぜりひめ
はおまえのお嫁 娘 にくれてやる。わかったか﹂とおどな
ていらっしゃいますと、はるか向こうの海の上から、一
やそがみ
う
か
いずも
よめ
りになりました。
人の小さな小さな神が、お供の者たちといっしょに、ど
ゆみや
おおくにぬしのかみ
ち
やそがみ
大
国主神 はおおせのとおりに、改めていただいた、 大神 んどんこちらへ向かって船をこぎよせて来ました。その
た
ほろ
かしら
の 太刀 と 弓矢 を持って、 八十神 たちを 討 ちにいらっしゃ
乗っている船は、ががいもという、小さな草の実で、着
つ
はら
いました。そして、みんながちりぢりに 逃 げまわるのを
ている着物は、ひとりむしの皮を丸はぎにしたものでし
う か
追っかけて、そこいらじゅうの坂の下や川の中へ、切り
た。
たお
かしら
すぜりひめ
さき
し突 倒 き落として、とうとう一人ももらさず 亡 ぼしてお
大国主神は、その神に向かって、
ごてん
み お
しまいになりました。そして、国の神の 頭 になって、宇
迦 ﹁あなたはどなたですか﹂とおたずねになりました。し
よめ
の山の下に御
殿 をおたてになり、 須勢理媛 と二人で楽し
かし、その神は口を 閉 じたまま名まえをあかしてくれま
むすめ
くおくらしになりました。
せんでした。大国主神はご自分のお供の神たちに聞いて
おおかみ
ご覧になりましたが、みんなその神がだれだかけんとう
う
四
がつきませんでした。
に
するとそこへひきがえるがのこのこ出て来まして、
やがみひめ
と
そのうちに例の八
上媛 は、大国主神をしたって、はるば
28
した。
くえびこ
﹁あの神のことは 久延彦 ならきっと存じておりますでしょ
大
国主神 はがっかりなすって、 私 一人では、とても思
すさのおのみこと
わたし
う﹂と言いました。久延彦というのは山の田に立ってい
いどおりに国を開いてゆくことはできない、だれか力を
おおくにぬしのかみ
るかかしでした。 久延彦 は足がきかないので、ひと足も
えてくれる神はいないものかと言って、たいそうしお
添 くえびこ
歩くことはできませんでしたけれど、それでいて、この
れていらっしゃいました。
そ
下界のことはなんでもすっかり知っておりました。
するとちょうどそのとき、一人の神さまが、海の上一面
くえびこ
それで大国主神は急いでその 久延彦 にお聞きになりま
にきらきらと光を放 ちながら、こちらへ向かって近づいて
はな
すと、
いらっしゃいました。それは 須佐之男命 のお子の 大年神 おおとしのかみ
﹁ああ、あの神は大空においでになる 神産霊神 のお子さ
というお方でした。その神が、大国主神に向かって、
て国を作りかためてあげよう。おまえさん一人ではとて
すくなびこなのかみ
かみむすびのかみ
まで、 少名毘古那神 とおっしゃる方でございます﹂と答
﹁私をよく大事にまつっておくれなら、いっしょになっ
いになりますと、神も、
もできはしない﹂と、こう言ってくださいました。
かみむすびのかみ
﹁あれはたしかにわしの子だ﹂とおっしゃいました。そ
﹁それではどんなふうにおまつり申せばいいのでござい
うかが
えました。大国主神はそれでさっそく、 神産霊神 にお伺 して改めて少名毘古那神に向かって、
ますか﹂とお聞きになりますと、
みもろ
﹁おまえは大国主神ときょうだいになって二人で国々を
﹁大
和 の 御諸 の山の上にまつってくれればよい﹂とおっ
やまと
開き 固 めて行け﹂とおおせつけになりました。
しゃいました。
かた
大国主神は、そのお言葉に従って、 少名毘古那神 とお
大国主神はお 言葉 のとおりに、 そこへおまつりして、
すくなびこなのかみ
二人で、だんだんに国を作り開いておゆきになりました。
その神さまと二人でまただんだんに国を広げておゆきに
とこよのくに
ことば
ところが、 少名毘古那神 は、あとになると、急に 常世国 なりました。
すくなびこなのかみ
という、海の向こうの遠い国へ行っておしまいになりま
29
にさせるには、いったいだれを使いにやったものであろ
ている。あの神たちを、おとなしくこちらの言うとおり
のに、今あすこには、悪強い神たちが勢い鋭く荒れまわっ
﹁下界に見える、あの 豊葦原水穂国 は、おまえが治める
に向かって、
そのうちに大空の 天照大神 は、お子さまの天
忍穂耳命 一
さっそくその 菩比神 をおくだしになりました。
うございましょう﹂ と申しあげました。 そこで大神は、
﹁それには 天菩比神 をおつかわしになりますがよろしゅ
をして、
すると例のいちばん考え深い 思金神 が、みんなと会議
た。
う﹂とこうおっしゃって、みんなにご相談をなさいまし
つか
きじのお使 い
べき国である﹂とおっしゃって、すぐにくだって行くよ
ところが 菩比神 は、下界へつくと、それなり 大国主神 うきはし
みこと
あめ
あば
ほひのかみ
ほひのかみ
たかみむすびのかみ
あめのわかひこ
おもいかねのかみ
うに、お言いつけになりました。 命 はかしこまっており
の手下になってしまって、三年たっても、大空へはなん
あめのおしほみみのみこと
ていらっしゃいました。しかし 天 の浮
橋 の上までおいで
のご返事もいたしませんでした。
あまてらすおおかみ
になって、そこからお見おろしになりますと、下では勢
それで大神と 高皇産霊神 とは、またおおぜいの神々を
ほひのかみ
あめのほひのかみ
いの強い神たちが、てんでんに 暴 れまわって、大さわぎ
お 召 しになって、
とよあしはらのみずほのくに
をしているのが見えました。命は急いでひきかえしてい
﹁ 菩比神 がまだ帰ってこないが、こんどはだれをやった
たかみむすびのかみ
おもいかねのかみ
あまつくにたまのかみ
おおくにぬしのかみ
らしって、そのことを大神にお話しになりました。
らよいであろう﹂と、おたずねになりました。
め
め
それで大神と 高皇産霊神 とは、さっそく 天安河 の河原
思金神 は、
しそん
あめのやすのかわ
に、おおぜいの神々をすっかりお召 し集めになって、
﹁それでは、 天津国玉神 の子の、天
若日子 がよろしゅう
みずほのくに
﹁あの 水穂国 は、私たちの 子孫 が治めるはずの国である
30
す る と そ の 若 日 子 は 大 空 に ちゃん と ほ ん と う の お 嫁 りました。
をお授けになって、それを持たせて下界へおくだしにな
大神はその 言葉 に従って、天
若日子 にりっぱな 弓 と矢 ございましょう﹂と、お答え申しました。
名鳴女は、はるばると大空からおりて、天若日子のう
だしてこい﹂とお言いつけになりました。
てもご返事をしないのか、と言って、そのわけを聞きた
説き伏せるためではないか、それだのに、なぜ八年たっ
を 水穂国 へおくりだしになったのは、この国の神どもを
﹁おまえはこれから行って 天若日子 を責めてこい。そち
あめのわかひこ
があるのに、下へおり着くといっしょに、 大国主神 の娘 ちの門のそばの、かえでの木の上にとまって、大神から
みずほのくに
はら
むすめ
や
みずほのくに
の下
照比売 をまたお嫁にもらったばかりか、ゆくゆくは
おおせつかったとおりをすっかり言いました。
や
穂国 を自分が取ってしまおうという 水
腹 で、とうとう八
すると若日子のところに使われている、 天佐具売 とい
ゆみ
年たっても大神の方へはてんでご返事にも帰りませんで
う女が、その言葉を聞いて、
あめのわかひこ
した。
﹁あすこに、いやな鳴き声を出す鳥がおります。早く 射 たかみむすびのかみ
ことば
大神と 高皇産霊神 とは、また神々をお集めになって、
ておしまいなさいまし﹂と若日子にすすめました。
よめ
﹁二度めにつかわした天若日子もまたとうとう帰ってこ
若日子は、
せ
おおくにぬしのかみ
ない。いったいどうしてこんなにいつまでも下界にいる
﹁ようし﹂と言いながら、かねて大神からいただいて来た
したてるひめ
のか、それを 責 めただしてこさせたいと思うが、だれを
と矢 弓 を取り出して、いきなりそのきじを射殺してしま
おもいかねのかみ
たかみむすびのかみ
あめのやすのかわ
むね
あめのさくめ
やったものであろう﹂とお聞きになりました。
いました。すると、その当たった矢が名鳴女の 胸 を突 き
ななきめ
かわら
い
思
金神 は、
通して、さかさまに大空の上まではねあがって、 天安河 ゆみ
﹁それでは名
鳴女 というきじがよろしゅうございましょ
の 河原 においでになる、 天照大神 と 高皇産霊神 とのおそ
つ
う﹂と申しあげました。大神たちお二人はそのきじをお
ばへ落ちました。
め
あまてらすおおかみ
しになって、
召 31
くもつ
て、死人を寝かせておく小屋をこしらえて、がんを 供物 らん
高皇産霊神 はその 矢を 手に 取ってご 覧 に なり ます と、
をささげる役に、さぎをほうき持ちに、かわせみをお 供 たかみむすびのかみ
矢の羽根に血がついておりました。
えの魚 取りにやとい、すずめをお供えのこめつきに呼 び、
たましい なぐさ
したてるひめ
そな
高皇産霊神は、
きじを泣き役につれて来て、 八日 八
晩 の間、若日子の死
おおくにぬしのかみ
くや
よ
﹁この矢は 天若日子 につかわした矢だが﹂ とおっしゃっ
がいのそばで楽器をならして、死んだ 魂 を慰 めておりま
さかな
て、みんなの神々にお見せになった後、
した。
つまこ
ようか よばん
﹁もしこの矢が、若日子が悪い神たちを射たのが飛んで
そうしているところへ、 大国主神 の子で、 下照比売 の
わかひこ
﹁おや﹂とびっくりして、その神の手足にとりすがりな
あめのわかひこ
来たのならば、若日子にはあたるな。もし若日子が悪い
おあにいさまの 高日子根神 がお悔 みに来ました。そうす
たかひこねのかみ
心をいだいているなら、かれを射殺せよ﹂とおっしゃり
ると 若日子 の父と妻
子 たちは、
ぱいにお突きおろしになりました。
がら、
あな
ながら、さきほどの矢が通って来た空の 穴 から、力いっ
そうするとその矢は、若日子がちょうど下界であおむ
さ
﹁まあまあおまえは生きていたのか﹂
ね
きに 寝 ていた胸のまん中を、ぷすりと突き 刺 して一ぺん
な
あめのわかひこ
うれ
﹁まあ、あなたは死なないでいてくださいましたか﹂と
したてるひめ
で殺してしまいました。
言って、みんなでおんおんと 嬉 し 泣 きに泣きだしました。
よめ
若日子のお 嫁 の下
照比売 は、びっくりして、大声をあ
それは 高日子根神 の顔や姿 が天
若日子 にそっくりだった
すがた
げて泣 きさわぎました。
ので、みんなは一も二もなく若日子だとばかり思ってし
あまつくにたまのかみ
たかひこねのかみ
その泣く声が風にはこばれて、大空まで聞こえて来ま
まったのでした。
な
すと、若日子の父の 天津国玉神 と、若日子のほんとうの
すると高日子根神は、
おこ
お嫁と子供たちがそれを聞きつけて、びっくりして、下
や
﹁何をふざけるのだ﹂とまっかになって 怒 りだして、
も
界 へ お り て 来 ま し た。 そ し て 泣 き 泣 き そ こ へ 喪屋 といっ
32
﹁人がわざわざ 悔 みに来たのに、それをきたない死人な
ちょっと 呼 びにもまいれません。これはひとつ 天迦久神 を通れないようにしておりますから、 めったな神では、
くや
どといっしょにするやつがどこにある﹂とどなりつけな
をおさしむけになりまして、尾羽張神がなんと申します
あめのかくのかみ
あめのかくのかみ
がら、長い剣 を抜 きはなすといっしょに、その 喪屋 をめ
か聞かせてご覧になるがようございましょう﹂と申しあ
よ
ちゃめちゃに切り倒し、足でぽんぽんけりちらかして、ぷ
げました。
も や
んぷん怒って行ってしまいました。
大神はそれをお聞きになると、急いで 天迦久神 をおや
したてるひめ
ぬ
そのとき妹の 下照比売 は、あの美しい若い神は私のお
りになってお聞かせになりました。
つるぎ
あにいさまの、これこれこういう方だということを、歌
そうすると 尾羽張神 は、
ほこ
﹁これは、わざわざもったいない。その使いには私でも
おはばりのかみ
に歌って、誇 りがおに若日子の父や妻子に知らせました。
すぐにまいりますが、それよりも、こんなことにかけま
たけみかずちのかみ
二
しては、私の子の 建御雷神 がいっとうお役に立ちますか
あまてらすおおかみ
と存じます﹂
ぜん
天
照大神 は、そんなわけで、また神々に向かって、こ
こう言って、さっそくその神を大神のご 前 へうかがわ
つか
んどというこんどはだれを 遣 わしたらよいかとご相談を
せました。
たが
いずものくに
つ
い
さ
つるぎ
な
あめのとりふねのかみ
なさいました。
大神はその建御雷神に、 天鳥船神 という神をつけてお
おもいかねのかみ
たけみかずちのかみ
いわや
思
金神 とすべての神々は、
くだしになりました。
おはばりのかみ
あめ
﹁それではいよいよ、天
安河 の 河上 の、天 の岩
屋 におりま
二人の神はまもなく 出雲国 の 伊那佐 という浜にくだり
つかわ
あめのやすのかわ かわかみ
す尾
羽張神 か、それでなければ、その神の子の 建御雷神 つきました。そしてお 互 いに長い 剣 をずらりと抜 き放 し
はな
か、二人のうちどちらかをお 遣 しになるほかはございま
て、それを海の上にあおむけに 突 き立てて、そのきっさ
ぬ
せん。しかし尾羽張神は、天安河の水をせきあげて、道
33
おおくにぬしのかみ
も、むすこの 八重事代主神 が、とかくのご返事を申しあ
﹁これは私からはなんともお答え申しかねます。私より
いやだとお言いか﹂と聞きますと、 大国主神 は、
お子さまにこの国をすっかりお 譲 りなさるか。それとも
る国だとおっしゃっている。そのおおせに従って大神の
いるこの 葦原 の中 つ国 は、大神のお子さまのお治めにな
わざお使いにまいったのである。大神はおまえが治めて
﹁わしたちは 天照大神 と高
皇産霊神 とのご命令で、わざ
た。
答えになりました。
いうものがおります。もうそれきりでございます﹂とお
﹁私の子は事代主神のほかに、もう一人、 建御名方神 と
大国主神は、
ずねました。
は、もうちがった意見を持っている子はいないか﹂とた
﹁ただ今事代主神はあのとおりに申したが、このほかに
建御雷神 は大国主神に向かって、
きの中へ急いでからだをかくしてしまいました。
けがきに変わってしまいました。事代主神はそのいけが
じないの手打ちをしますと、その船はたちまち、青いい
げますでございましょうが、あいにくただいま 御大 の崎 そうしているところへ、 ちょうどこの 建御名方神 が、
きの上にあぐらをかきながら、 大国主神 に談判をしまし
へりょうにまいっておりますので﹂とおっしゃいました。
千人もかからねば動かせないような大きな大きな大岩を
あしはら
なか
くに
よ
やえことしろぬしのかみ
ことしろぬしのかみ
たけみかずちのかみ
ゆず
あめのとりふねのかみ
おおくにぬしのかみ
たかみむすびのかみ
建
御雷神 はそれを聞くと、すぐに 天鳥船神 を 御大 の崎 両手でさしあげて出て来まして、
あまてらすおおかみ
へやって、事
代主神 を 呼 んで来させました。そして大国
﹁やい、おれの国へ来て、そんなひそひそ話をしている
み お
さき
たけみかずちのかみ
主神に言ったとおりのことを話しました。
のはだれだ。さあ来い、力くらべをしよう。まずおれが
ことば
みかずちのかみ
たけみなかたのかみ
たけみなかたのかみ
すると事代主神は、父の神に向かって、
おまえの手をつかんでみよう﹂と言いながら、大岩を投
さき
﹁まことにもったいないおおせです。お言
葉 のとおり、こ
げだしてそばへ来て、いきなり 建御雷神 の手をひっつか
かたむ
み お
の国は大空の神さまのお子さまにおあげなさいまし﹂と
みますと、 御雷神 の手は、たちまち氷の柱になってしま
ふ
たけみかずちのかみ
言いながら、自分の乗って帰った船を 踏 み傾 けて、おま
34
﹁さあ、こんどはおれの番だ﹂と言いながら、御名方神
をしかけますと、 御雷神 は、
御名方神はすっかりこわくなっておずおずとしりごみ
手はまたひょいと 剣 の刃 になってしまいました。
いました。御
名方神 がおやとおどろいているまに、その
と申したが、おまえもこれでいよいよ言うことはあるま
﹁おまえの子は二人とも、大神のおおせにはそむかない
問いつめました。
そこで 建御雷神 はまた出
雲 へ帰って来て、 大国主神 に
おわびしました。
子さまにさしあげますでございます﹂と、平たくなって
みなかたのかみ
の手くびをぐいとひっつかむが早いか、まるではえたて
いな、どうだ﹂と言いますと、大国主神は、
みかずちのかみ
は
のあしをでも扱うように、たちまち一 握 りに握りつぶし
﹁私にはもう何も異存はございません。この中つ国はお
つるぎ
て、ちぎれ取れた手先を、ぽうんと向こうへ投げつけま
おせのとおり、すっかり、大神のお子さまにさしあげま
ごてん
やしろ
おおくにぬしのかみ
した。
す。その上でただ一つのおねがいは、どうぞ私の 社 とし
いずも
御名方神は、まっさおになって、いっしょうけんめい
て、大空の神の 御殿 のような、りっぱな、しっかりした
みかずちのかみ
たけみかずちのかみ
に逃 げだしました。御
雷神 は、
御殿をたてていただきとうございます。そうしてくださ
にぎ
﹁こら待て﹂と言いながら、どこまでもどんどんどんど
いませば私は遠い世界から、いつまでも大神のご子孫に
に
ん追っかけて行きました。そしてとうとう 信濃 の諏
訪湖 お仕え申します。じつは私の子は、ほかに、まだまだい
こ
のそばで追いつめて、いきなり、一ひねりにひねり殺そ
くたりもありますが、しかし、 事代主神 さえ神妙にご奉
たけみなかたのかみ
わ
うとしますと、 建御名方神 はぶるぶるふるえながら、
公いたします上は、あとの子たちは一人も不平を申しは
す
﹁もういよいよおそれいりました。どうぞ命ばかりはお
いたしません﹂
しなの
しなの
助けくださいまし。私はこれなりこの 信濃 より外へはひ
こう言って、いさぎよくその場で死んでおしまいにな
あしはら
ことしろぬしのかみ
と足も 踏 み出しはいたしません。また、父や兄の申しあ
りました。
ふ
げましたとおりに、この 葦原 の中つ国は、大空の神のお
35
たけみかずちのかみ
やしろ
いずものくに
た
ぎ
し
それで 建御雷神 は、さっそく、出
雲国 の 多芸志 という
くしやたまのかみ
そな
浜にりっぱな大きなお 社 をたてて、ちゃんと望みのとお
そ
りにまつりました。そして 櫛八玉神 という神を、お供 え
やたまのかみ
そこ
ものを料理する料理人にしてつけ添 えました。
くき
ひきりうす
ひきりぎね
たかみむすびのかみ
りました。そして 天照大神 と高
皇産霊神 に、すっかりこ
あまてらすおおかみ
建
御雷神 はそれでひとまず安心して、大空へ帰りのぼ
たけみかずちのかみ
と言いました。
なりっぱなごちそうを、いつもいつもお供えいたします﹂
ずきをたくさんに料理して、大空の神の召しあがるよう
で絶えず火をもやして、りょうしたちの取って来る大す
火をたき、かまどの下が地の底の岩のように 固 くなるま
かた
お料理場のように、すすでいっぱいになるまで欠かさず
﹁私が切ったこの火で、そこいらが、大空の神の御殿の
に向かってこう言いました。
しらえて、それをすり合わせて火を切り出して、建
御雷神 たけみかずちのかみ
それからある海草の茎 で火
切臼 と 火切杵 という物をこ
こしらえました。
来て、それで、いろんなお供えものをあげるかわらけを
すると 八玉神 は、 うになって、海の 底 の土をくわえて
、
そうじょう
のことを、くわしく 奏上 いたしました。
36
ました。
は、この子がいちばんよいかと存じます﹂とおっしゃい
﹁下界に見えるあの中つ国は、おまえの治める国である
りますと、改めておそばへ召して、
みこと
それで大神は、そのお孫さまの 命 が大きくおなりにな
一
ぞ﹂とおっしゃいました。命は、かしこまって、
かささ
笠
沙 のお宮
みだ
﹁それでは、これからすぐにくだってまいります﹂とおっ
たかみむすびのかみ
天
照大神 と 高皇産霊神 とは、あれほど 乱 れさわいでい
しゃって、急いでそのお手はずをなさいました。そしてま
うど、大空のお通り道のある四つじに、だれだか一人の
たけみかずちのかみ
あまてらすおおかみ
た下界を、建
御雷神 たちが、ちゃんとこちらのものにし
もなく、いよいよお立ちになろうとなさいますと、ちょ
て、
神が立ちはだかって、まぶしい光をきらきらと放ちなが
め
﹁葦
原 の中つ国はもはやすっかり 平 らいだ。おまえはこ
ら、上は 高天原 までもあかあかと照らし、下は中つ国ま
あめのおしほみみのみこと
て帰りましたので、さっそく 天忍穂耳命 をお 召 しになっ
れからすぐにくだって、さいしょ申しつけたように、あ
でいちめんに照り 輝 かせておりました。
みこと
たい
の国を治めてゆけ﹂とおっしゃいました。
天照大神 と 高皇産霊神 と は そ れ を ご 覧 に な り ま す と、
あしはら
命 はおおせに従って、すぐに出発の用意におとりかか
急いで 天宇受女命 をお呼びになって、
たかみむすびのかみ
あめのうずめのみこと
あまてらすおおかみ
たかまのはら
り に な り ま し た。 す る と ちょう ど そ の と き に、 お 妃 の
﹁そちは女でこそあれ、どんな 荒 くれた神に向かいあっ
あきつしひめのみこと
おしほみみのみこと
つかわ
かがや
津師毘売命 が男のお子さまをお生みになりました。
秋
ても、びくともしない神だから、だれをもおいておまえ
きさき
忍
穂耳命 は大神のご前 へおいでになって、
を 遣 すのである。あの、道をふさいでいる神のところへ
よつぎ
あら
﹁私 た ち 二 人 に、 世嗣 の 子 供 が 生 ま れ ま し た。 名 前 は
行ってそう言って来い。大空の神のお子がおくだりにな
ひこほのににぎのみこと
ぜん
子番能邇邇芸命 とつけました。中つ国へくだしますに
日
37
す。ただいまここまで出てまいりましたのは、大空の神
﹁私は下界の神で名は 猿田彦神 と申します者でございま
ました。すると、その神は 言葉 をひくくして、
宇
受女命 はさっそくかけつけて、きびしくとがめたて
りました。
者かと、しっかり 責 めただして来い﹂とお言いつけにな
ろうとするのに、そのお通り道を 妨 げているおまえは何
り行なえよ﹂とおおせつけになりました。
﹁ 思金神 よ、そちはあの鏡の 祀 りをひき受けて、よくと
け 添 えになったうえ、
と、いちばんすぐれて力の強い 手力男神 とをさらにおつ
た。それから大空の神々の中でいちばんちえの深い思
金神 おりに、たいせつに 崇 め祀 るがよい﹂とおっしゃいまし
﹁この鏡は私の魂 だと思って、これまで私に仕えてきたと
にお授けになって、
命 みこと
のお子さまがまもなくおくだりになると承りましたので、
邇邇芸命 はそれらの神々をはじめ、おおぜいのお供の
さまた
ばずながら私がお道 及 筋 をご案内申しあげたいと存じま
神をひきつれて、いよいよ大空のお住まいをおたちにな
およ
さるたひこのかみ
すじ
かしら
おもいかねのかみ
え
ににぎのみこと
みね
お
かか
あめのおしひのみこと
つるぎ
あまつくめのみこと
あめのうきはし
たましい
して、お迎えにまいりましたのでございます﹂とお答え
り、いく 重 ともなくはるばるとわき重なっている、深い
せ
申しました。
雲の 峰 をどんどんおし分けて、ご 威光 りりしくお進みに
みこと
こうごう
まつ
大神はそれをお聞きになりましてご安心なさいました。
なり、やがて 天浮橋 をもおし 渡 って、どうどうと下界に
かがみ
あめのこやねのみこと ふとだまのみこと あめのうずめのみこと
たまのおやのみこと
まがたま
た
あが
そして天
児屋根命 、 太玉命 、天
宇受女命 、 石許理度売命 、
向かってくだっておいでになりました。そのまっさきに
そ
やさか
や
ひゅうが
まつ
わた
いこう
たかちほ
くしふるだけ
おもいかねのかみ
玉祖命
の五人を、お孫さまの 命 のお供の 頭 としておつ
は、 天忍日命 と、天
津久米命 という、よりすぐった二人
うずめのみこと
け 添 え に な り ま し た。 そ し て お し ま い に お 別 れ に な る
の強い神さまが、大きな 剣 をつるし、大きな弓と強い矢
くびかざ
すさのおのみこと
けわ
たぢからおのかみ
ときに、 八尺 の曲
玉 という、それはそれはごりっぱなお
とを 負 い抱 えて、勇ましくお先払いをして行きました。
ことば
飾 りの玉と、 首
八咫 の 鏡 という神
々 しいお鏡と、かねて
命たちはしまいに、 日向 の国の 高千穂 の山の、串
触嶽 とうと
そ
佐之男命 が大じゃの尾の中からお拾いになった、鋭い
須
という 険 しい峰の上にお着きになりました。そしてさら
みつるぎ
いしこりどめのみこと
剣 と、この三つの 御
貴 いご自分のお持物を、お手ずから
38
﹁ここは朝日もま向きに 射 し、夕日もよく照って、じつ
邇
邇芸命 は、
そのうちに同じ 日向 の笠
沙 の岬 へお着きになりました。
ました。
る場所を探し探し、海の方へ向かって出ておいでになり
と、ひら地へおくだりになって、お住まいをお定めにな
に韓
国嶽 という峰へおわたりになり、そこからだんだん
﹁おまえたちは大空の神のお子さまにお仕え申すか﹂と
の海ばたへ、大小さまざまの 魚 をすっかり追い集めて、
宇受女命 はその神を送り届 けて帰って来ますと、笠
沙 引き入れられて、おぼれ死にに死んでしまいました。
う大きな貝に手をはさまれ、とうとうそれなり海の中へ
でいましたが、あるときりょうに出て、ひらふがいとい
猿田彦神は、その後、 伊勢 の阿
坂 というところに住ん
まって、猿田彦神を送ってまいりました。
からくにだけ
にすがすがしいよいところだ﹂とおっしゃって、すっか
聞きました。そうすると、どの魚も一ぴき残らず、
さ
とど
さかな
あざか
りお気にめしました。それでとうとう最後にそこへお住
﹁はいはい、ちゃんとご奉公申しあげます﹂とご返事を
だま
ぬ
うずめのみこと
かいけん
い せ
まいになることにおきめになりました。そしてさっそく、
しましたが、中でなまこがたった一人、お答えをしない
うずめのみこと
みさき
地面のしっかりしたところへ、大きな広い 御殿 をおたて
で 黙 っておりました。
かささ
になりました。
すると 宇受女命 は怒って、
みこと
ひゅうが
命 は、それから例の宇
受女命 をお召 しになって、
﹁こゥれ、返事をしない口はその口か﹂と言いざま、手
さ
かささ
﹁そちは、われわれの道案内をしてくれた、あの 猿田彦神 早く 懐剣 を 抜 きはなって、そのなまこの口をぐいとひと
さるたひこ
うずめのみこと
とは、さいしょからの知り合いである。それでそちがつ
えぐり切り 裂 きました。ですからなまこの口はいまだに
ににぎのみこと
き添って、あの神が帰るところまで送って行っておくれ。
裂けております。
うずめのみこと
ごてん
それから、あの神のてがらを記念してやる印に、 猿田彦 つ
め
という名まえをおまえが 継 いで、あの神と二人のつもり
二
わたし
さるたひこのかみ
で私 に仕えよ﹂とおっしゃいました。 宇受女命 はかしこ
39
﹁私は 大山津見神 の娘の 木色咲耶媛 と申す者でございま
女の人は、
﹁おまえはだれの 娘 か﹂とおたずねになりますと、その
な若い女の人にお出会いになりました。
そのうちに 邇邇芸命 は、ある日、同じみさきできれい
すぐに、父の神の方へお送りかえしになりました。
におくらしになるのがおいやだものですから、そのまま
顔をした、みにくい女でしたので、同じ 御殿 でいっしょ
さいました。しかし姉の石長媛は、それはそれはひどい
命 は非常にお喜びになって、すぐ咲耶媛とご婚礼をな
をどっさり持たせてさしあげました。
姉の 石長媛 をつき添 いにつけて、いろいろのお祝いの品
そ
す﹂とお答え申しました。
大山津見 は 恥 じ入って、使いをもってこう申しあげま
いわながひめ
﹁そちにはきょうだいがあるか﹂とかさねてお聞きにな
した。
ににぎのみこと
りますと、
﹁私が 木色咲耶媛 に、わざわざ石
長媛 をつき添いにつけ
おおやまつみのかみ
いわながひめ
みこと
さ
このはなさくやひめ
おおやまつみ
みこと
﹁私には 石長媛 と申します一人の姉がございます﹂と申
ましたわけは、あなたが 咲耶媛 をお嫁になすって、その
むすめ
しました。命 は、
名のとおり、花が咲 き 誇 るように、いつまでもお栄えにな
いわながひめ
ごてん
﹁わたしはおまえをお嫁 にもらいたいと思うが、来るか﹂
りますばかりでなく、 石長媛 を同じ御殿にお使いになり
さくやひめ
このはなさくやひめ
とお聞きになりました。すると 咲耶媛 は、
ませば、あの子の名まえについておりますとおり、岩が
は
﹁それは私からはなんとも申しあげかねます。どうぞ父
雨に打たれ風にさらされても、ちっとも変わらずにがっ
おおやまつみのかみ
いわながひめ
いわながひめ
の大
山津見神 におたずねくださいまし﹂と申しあげまし
しりしているのと同じように、あなたのおからだもいつ
さくやひめ
さくやひめ
た。
までもお変わりなくいらっしゃいますようにと、それを
みこと
さくやひめ
さくやひめ
ほこ
命 はさっそくお使いをお出しになって、 大山津見神 に
お祈り申してつけ添えたのでございます。 それだのに、
よめ
耶媛 をお嫁にもらいたいとお申しこみになりました。
咲
耶媛 だけをおとめになって、 咲
石長媛 をおかえしになっ
おおやまつみのかみ
おおやまつみのかみ
大山津見神 はたいそう喜んで、 すぐにその 咲耶媛 に、
40
も、ちょうど咲いた花がいくほどもなく散りはてるのと
たうえは、あなたも、あなたのご子孫のつぎつぎのご 寿命 ちゃんとご無事に三人もお生まれになりました。 媛 は、は
しかしそんな乱
暴 な生み方をなすっても、お子さまは、
しになりました。
じゅみょう
同じで、けっして 永 くは続きませんよ﹂と、こんなこと
じめ、うちじゅうに火が燃え広がって、どんどん炎 をあげ
さくやひめ
らんぼう
を申し送りました。
ているときにお生まれになった方を 火照命 というお名ま
ふたかた
ひこほほでみのみこと
よ
ほおりのみこと
ほすせりのみこと
ほのお
ひめ
そのうちに 咲耶媛 は、まもなくお子さまが生まれそう
えになさいました。それから、つぎつぎに、火
須勢理命 、
なが
になりました。
遠理命 というお二
火
方 がお生まれになりました。 火遠理命 ほてりのみこと
それで命にそのことをお話しになりますと、命はあん
はまたの名を 日子穂穂出見命 ともお 呼 び申しました。
ほおりのみこと
まり早く生まれるので変だとおぼしめして、
さくやひめ
﹁それはわしたち二人の子であろうか﹂とお聞きになり
ました。 咲耶媛 は、そうおっしゃられて、
﹁どうしてこれが二人よりほかの者の子でございましょ
う。もし私たち二人の子でございませんでしたら、けっ
しるし
して無事にお産はできますまい。ほんとうに二人の子で
ある 印 には、どんなことをして生みましても、必ず無事
に生まれるに相違ございません﹂
こう言ってわざと出入口のないお家をこしらえて、そ
ぬ
の中におはいりになり、すきまというすきまをぴっしり
も
土で 塗 りつぶしておしまいになりました。そしていざお
産をなさるというときに、そのお家へ火をつけてお 燃 や
41
らお取りかえになりました。
しゃるものですから、とうとうしまいに、いやいやなが
りませんでした。しかし弟さまが、あんまりうるさくおっ
りになりました。その中でおあにいさまの 火照命 は、海
三人のごきょうだいは、まもなく大きな 若 い人におな
一
おあにいさまの 命 も、山のりょうにはおなれにならな
くしておしまいになりました。
れになれないばかりか、しまいにはつり 針 を海の中へな
がちがうので、いくらおあせりになっても一ぴきもおつ
けになりました。しかし、つりのほうはまるでおかって
弟さまは、さっそくつり道具を持って海ばたへお出か
ひしお
でりょうをなさるのがたいへんおじょうずで、いつもい
いものですから、いっこうに 獲物 がないので、がっかり
みちしお
満
潮 の玉、干
潮 の玉
ろんな大きな 魚 や小さな魚をたくさんつってお帰りにな
なすって、弟さまに向かって、
ばり
りました。末の弟さまの 火遠理命 は、これはまた、山で
﹁わしのつり道具を返してくれ、海のりょうも山のりょ
わか
りょうをなさるのがそれはそれはお得意で、しじゅうい
うも、お 互 いになれたものでなくてはだめだ。さあこの
ほてりのみこと
ろんな鳥や獣をどっさりとってお帰りになりました。
弓矢を返そう﹂とおっしゃいました。
みこと
みこと
あるとき弟の 命 は、おあにいさまに向かって、
弟さまは、
たが
たの
えもの
﹁ひとつためしに二人で道具を取りかえて、 互 いに持ち
﹁私はとんだことをいたしました。とうとう魚を一ぴき
さかな
場をかえて、りょうをしてみようではありませんか﹂と
もつらないうちに、針を海へ落としてしまいました﹂と
ほおりのみこと
おっしゃいました。
おっしゃいました。するとおあにいさまはたいへんにお
たが
おあにいさまは、弟さまがそう言って三度もお 頼 みに
りになって、無理にもその針をさがして来いとおっしゃ
怒 おこ
なっても、そのたんびにいやだと言ってお聞き入れにな
42
した。それで弟さまはまた千本の針をこしらえて、どう
とおっしゃって、どうしてもお聞きいれになりませんで
しかし、おあにいさまは、もとの針でなければいやだ
しらえて、それを代わりにおさしあげになりました。
になる長い剣 を打ちこわして、それでつり針を五百本こ
いました。弟さまはしかたなしに、身につるしておいで
に、かたく編んだ、かごの 小船 をこしらえて、その中へ
言いながら、大急ぎで、水あかが少しもはいらないよう
﹁それでは私がちゃんとよくしてさしあげましょう﹂と
て、
塩椎神 はそれを聞くと、たいそうお気の毒に思いまし
こう言って、わけをお話しになりました。
お聞きにならないのです﹂
つるぎ
ぞこれでかんべんしてくださいましと、お頼みになりま
遠理命 をお乗せ申しました。
火
ほおりのみこと
しおつちのかみ
したが、おあにいさまは、どこまでも、もとの針でなけ
﹁それでは私が 押 し出しておあげ申しますから、そのま
こぶね
ればいやだとお言いはりになりました。
まどんどん海のまんなかへ出ていらっしゃいまし。そし
お
ですから弟さまは、 困 っておしまいになりまして、ひ
てしばらくお行きになりますと、向こうの波の間によい
こま
とりで海ばたに立って、おいおい 泣 いておいでになりま
道がついておりますから、それについてどこもでも流れ
ておいでになると、しまいにたくさんのむねが魚のうろ
しおつちのかみ
な
した。そうすると、そこへ 塩椎神 という神が出てまいり
まして、
このように立ち 並 んだ、大きな大きなお宮へお着きにな
わたつみ
なら
﹁もしもし、あなたはどうしてそんなに泣いておいでに
ります。それは 綿津見 の神という海の神の御
殿 でござい
ごてん
なるのでございます﹂と聞いてくれました。弟さまは、
ます。そのお宮の門のわきに 井戸 があります。井戸の上
ど
﹁私 はおあにいさまのつり針を借りてりょうをして、そ
にかつらの木がおいかぶさっておりますから、その木の
い
の針を海の中へなくしてしまったのです。だから代わり
上にのぼって待っていらっしゃいまし。そうすると海の
わたし
の針をたくさんこしらえて、それをお返しすると、おあ
神の 娘 が見つけて、ちゃんといいようにとりはからって
むすめ
にいさまは、どうしてももとの針を返せとおっしゃって
43
大きな大きなお宮へお着きになりました。
うするとまったく 塩椎神 が言ったように、しばらくして
命 はそのままずんずん流れてお行きになりました。そ
二
てくれました。
くれますから﹂と言って、力いっぱいその船を押し出し
女は、
﹁門
口 にだれかおいでになっているのか﹂と聞きました。
豊玉媛 は、その玉を見て、
した。
の中へ持ってはいって、豊玉媛にその器ごとさし出しま
んなにしても 離 れませんでした。それで、そのままうち
としますと、玉は器の底に 固 くくっついてしまって、ど
なりました。女は器を受け取って、その玉をとり出そう
ふくんで、その玉の器の中へ 吐 き入れて、女にお渡しに
は
命はさっそくその門のそばのかつらの木にのぼって待っ
﹁井戸のそばのかつらの木の上にきれいな男の方がおい
むすめ
かどぐち
みこと
らん
かた
ておいでになりました。そうすると、まもなく、 綿津見神 でになっています。それこそは、こちらの王さまにもま
い
ひめ
はな
の娘 の豊
玉媛 のおつきの女が、玉の 器 を持って、かつら
さって、それはそれはけだかい 貴 い方でございます。そ
みこと
の木の下の井
戸 へ水をくみに来ました。
の方が水をくれとおっしゃいましたから、すぐに、この
すがた
とよたまひめ
女は井戸の中を見ますと、人の姿 がうつっているので、
器へくんでさしあげますと、水はおあがりにならないで、
しおつちのかみ
ふしぎに思って上を向いて見ますと、かつらの木にきれ
お首飾りの玉を中へお吐き入れになりました。そういた
わたつみのかみ
いな男の方がいらっしゃいました。
しますと、その玉が、ご 覧 のように、どうしても底から
うつわ
命は、その女に水をくれとお言いになりました。女は
離れないのでございます﹂と言いました。
とよたまひめ
急いで玉の器にくみ入れてさしあげました。
媛 は命 のお姿を見ますと、すぐにおとうさまの海の神
とうと
しかし命はその水をお飲みにならないで、首にかけて
のところへ行って、
かざ
ど
おいでになる 飾 りの玉をおほどきになって、それを口に
44
いて、いろいろごちそうをどっさり 並 べて、それはそれ
の上へまた絹の畳 を八枚重ねて、それへすわっていただ
申しました。そしてあしかの毛皮を八 枚 重 ねて敷 き、そ
さまのお子さまだ﹂と言いながら、急いでお宮へお通し
﹁おや、あのお方は、大空からおくだりになった、貴い神
海の神は、わざわざ自分で出て見て、
﹁門口にきれいな方がいらしっています﹂と言いました。
してこの海の中なぞへおいでになったのでございます﹂
なるのでございますか。いったいいちばんはじめ、どう
ため息をなさいましたと申します。何かわけがおありに
ものをお 嘆 きになったことがないのに、ゆうべはじめて
ところにおいでになりましても、ふだんはただの一度も、
﹁さきほど 娘 が申しますには、あなたは三年の間こんな
海の神はそれを聞くと、あとで命に向かって、
しょうか﹂と言いました。
なら
なげ
むすめ
はていねいにおもてなしをしました。そして豊玉媛をお
こう言っておたずね申しました。
し
にさしあげました。
嫁 命はこれこれこういうわけで、つり 針 をさがしに来た
まいかさ
それで 命 はそのまま媛 といっしょにそこにお住まいに
のですとおっしゃいました。
たたみ
なりました。そのうちに、いつのまにか三年という月日
海の神はそれを聞くと、すぐに海じゅうの大きな 魚 や
よめ
がたちました。
小さな魚を一ぴき残さず呼 び集めて、
こま
ばり
すると命はある晩、ふと例の 針 のことをお思い出しに
﹁この中にだれか命の針をお取り申した者はいないか﹂
とよたまひめ
みこと
ひめ
なって、深いため息をなさいました。
と聞きました。すると魚たちは、
みこと
豊
玉媛 はあくる朝、そっと父の神のそばへ行って、
﹁こないだから 雌 だいがのどにとげを立てて物が食べら
さかな
﹁おとうさま、命 はこのお宮に三年もお住まいになって
れないで 困 っておりますが、ではきっとお話のつり針を
よ
いても、これまでただの一度もめいったお顔をなさった
のんでいるに相違ございません﹂と言いました。
はり
ことがないのに、ゆうべにかぎって深いため息をなさい
海の神はさっそくそのたいを呼んで、のどの中をさぐっ
め
ました。なにか急にご心配なことがおできになったので
45
ろへお作りなさいまし。そのあべこべに、おあにいさま
ところへ田をお作りになりましたら、あなたは低いとこ
さいまし。それから、こんどからはおあにいさまが高い
とおっしゃりながら、必ずうしろ向きになってお渡しな
ばかなつり針。
わるいつり針、
いやなつり針、
りますときには、
﹁それではお帰りになって、おあにいさまにお返しにな
たあの針でした。海の神は、
あげました。すると、それがまさしく命のおなくしになっ
海の神はそれを取り出して、きれいに洗って命にさし
ました。
て見ますと、なるほど、大きなつり針を一本のんでおり
帰ってくるか﹂と聞きました。
るのだが、おまえたちはいく日あったら命をお送りして
﹁これから大空の神のお子さまが陸の世界へお帰りにな
ました。それからけらいのわにをすっかり 呼 び集めて、
こう言って、そのたいせつな二つの玉を 命 にさしあげ
て少しこらしめておあげになるがようございます﹂
て、水をひかせておあげなさいまし。ともかく、そうし
れておわびをなさるなら、こちらのこの 干潮 の玉を出し
ます。しかし、おあにいさまが助けてくれとおっしゃら
しておあげなさい。この中から水がいくらでもわいて出
ん。そのときには、この 満潮 の玉を取り出して、おぼら
あなたをねたんで殺しにおいでになるに相違ございませ
乏 になっておしまいになります。そうすると、きっと
貧
申します。ですから、おあにいさまは三年のうちに必ず
あげないで、あなたの田にばかりどっさり入れておあげ
たから、これからはおあにいさまの田へはちっとも水を
さまは針のことでずいぶんあなたをおいじめになりまし
びんぼう
が低いところへお作りになりましたら、あなたは高いと
わにたちは、お互いにからだの大きさにつれてそれぞ
みちしお
ころへお作りになることです。すべて世の中の水という
れかんじょうして、めいめいにお返事をしました。その
よ
みこと
ひしお
水は私が自由に出し入れするのでございます。おあにい
46
て、海の神が教えてくれたとおりに、
命はそれからすぐに、おあにいさまのところへいらしっ
おかえしになりました。
きになって、それをごほうびにわにの首へくくりつけて
命はご自分のつるしておいでになる小さな刀をおほど
までおつれ申しました。
わにはうけあったとおりに、一日のうちに命をもとの浜
して、 はるばるとお送り申して行かせました。 すると、
とよく言い聞かせた上、その首のところへ命をお乗せ申
きに、けっしてこわい思いをおさせ申してはならないぞ﹂
﹁それではおまえお送り申してくれ。しかし海を渡ると
の神は、
﹁私は一日あれば行ってまいります﹂と言いました。海
中で六 尺 ばかりある大わには、
まも、しまいには弟さまの命にはとてもかなわないとお
水をおひかせになりました。そんなわけで、おあにいさ
いました。命はそのときには 干潮 の玉を出してたちまち
れそうになって、助けてくれ、助けてくれ、とおっしゃ
てお防ぎになりました。おあにいさまは、たんびにおぼ
そのときにはさっそく 満潮 の玉を出して、大水をわかせ
たんで、いくどとなく殺しにおいでになりました。命は
するとおあにいさまは、あんのじょう、命のことをね
になっておしまいになりました。
のですから、おあにいさまは、三年の間にすっかり 貧乏 るのに、おあにいさまの田には、水がちっとも来ないも
そうすると、命の田からは、毎年どんどんおこめが取れ
おりになさいました。
になりました。それから田を作るにも海の神が言ったと
と言い言い、例のつり針を、うしろ向きになってお返し
しゃく
思いになり、とうとう頭をさげて、
びんぼう
いやなつり 針 、
﹁どうかこれまでのことは許しておくれ。私はこれから
ちか
みちしお
悪いつり針、
しょうがい、夜昼おまえのうちの番をして、おまえに奉
ひしお
ばかなつり針。
公するから﹂と、かたくお 誓 いになりました。
ばり
47
ぶ
は、もう産けがおつきになって、急いでそのうちへおは
よ
み
ですから、このおあにいさまの命のご子孫は、後の代 ま
いりになりました。
﹁すべての人がお産をいたしますには、みんな自分の国
ひめ
で、命が水におぼれかけてお苦しみになったときの 身振 そのとき 媛 は命に向かって、
きまりになっておりました。
のならわしがありまして、それぞれへんなかっこうをし
おど
りをまねた、さまざまなおかしな 踊 りを踊るのが、代々
て生みますものでございます。それですから、どうぞ私
たしますときがまいりました。しかし大空の神さまのお
﹁私はかねて 身重 になっておりましたが、もうお産をい
出ていらしって、
いつのまにか八ひろもあるような恐ろしい大わにになっ
そうすると、たった今まで美しい女であった豊玉媛が、
覧になりました。
て変だとおぼしめして、あとでそっと行ってのぞいてご
らん
三
がお産をいたしますところも、けっしてご 覧 にならない
ほおりのみこと
でくださいましな﹂ と、 かたくお願いしておきました。
子さまを海の中へお生み申してはおそれ多いと存じまし
て、うんうんうなりながらはいまわっていました。命は
ひめ
そのうちに、 火遠理命 が海のお宮へ残しておかえりに
命は 媛 がわざわざそんなことをおっしゃるので、かえっ
て、はるばるこちらまで出てまいりました﹂とおっしゃ
びっくりして、どんどん 逃 げ出しておしまいになりまし
とよたまひめ
いました。
た。
よめ
なった、お嫁 さまの豊
玉媛 が、ある日ふいに海の中から
それで 命 は急いで、うぶやという、お産をするおうち
豊玉媛はそれを感づいて、恥ずかしくて恥ずかしくて
みおも
を、海ばたへおたてになりました。その屋根はかやの代
たまらないものですから、お子さまをお生み申すと、命
に
わりに、うの羽根を集めておふかせになりました。
に向かって、
みこと
するとその屋根がまだできあがらないうちに、豊玉媛
48
茅草葺不合命 とお 鵜
呼 びになりました。
えないうちにお生まれになったので、 それから取って、
お 二 人 の 中 の お 子 さ ま は、 う の 羽 根 の 屋 根 が ふ き お
度と出ていらっしゃいませんでした。
しまいになりました。そしてそれなりとうとう一生、二
すっかりふさいでしまって、どんどん海の底へ帰ってお
お子さまをあとにお残し申したまま、海の中の通り道を
うこれきりおうかがいもできません﹂こう言って、その
ご覧になりましたので、ほんとうにお恥ずかしくて、も
にまいりますつもりでおりましたが、あんな、私の姿を
﹁私はこれから、しじゅう海を往来して、お目にかかり
あなたの貴いお 姿 を、私はしじゅうお 慕 わしく思ってお
すが、その赤玉にもまさった、白玉のようにうるわしい
して 飾 りにすると、そのひもまで光って見えるくらいで
﹁赤い玉はたいへんにりっぱなもので、それをひもに通
という歌をお送りになりました。これは、
貴 くありけり。
君が 装 し、
白玉 の、
緒 さえ光れど、
赤玉は、
ひめ
みこと
かざ
とうと
よそお
しらたま
お
媛 は海のお宮にいらしっても、このお子さまのことが
ります﹂という意味でした。
よ
心配でならないものですから、お妹さまの 玉依媛 をこち
命 はたいそうあわれにおぼしめして、私もおまえのこ
うがやふきあえずのみこと
らへよこして、その方の手で育てておもらいになりまし
とはけっして 忘 れはしないという意味の、お情けのこもっ
たかちほ
わす
した
た。媛は夫の命が自分のひどい姿をおのぞきになったこ
たお歌をお返しになりました。
すがた
とは、いつまでたっても 恨 めしくてたまりませんでした
命は 高千穂 の宮というお宮に、とうとう五百八十のお
たまよりひめ
けれど、それでも命のことはやっぱり恋しくおしたわし
年までお住まいになりました。
わす
うら
くて、かたときもお忘 れになることができませんでした。
それで玉依媛にことづけて、
49
一
八
咫烏 田宮 というお宮に一年の間ご滞在になった後、さらに
岡
命はそこから 筑前 へ お は い り に な り ま し た。 そ し て
くおもてなしをしました。
という二人の者が、 御殿 をつくってお迎え申し、てあつ
着きになりますと、その土地の 宇佐都比古 、宇
佐都比売 かっておたちになりました。その途中、 豊前 の宇
佐 にお
おっしゃって、軍勢を残らずめしつれて、まず 筑前国 に向
ちくぜんのくに
鵜
茅草葺不合命 は、ご成人の後、 玉依媛 を改めてお妃 芸 の国へおのぼりになって、多
安
家理宮 に七年間おとどま
あ き
ちくぜん
びぜん
う さ つ ひ こ
たけりのみや
さかな
たかしまのみや
う さ つ ひ め
さ
にお立てになって、四人の男のお子をおもうけになりま
りになり、ついで備
前 へお進みになって、八年の間 高島宮 はやすいのと
みこと
う
した。
にお住まいになりました。そしてそこからお船をつらね
わかみけぬのみこと
てまね
ぶぜん
この四人のごきょうだいのうち、二番めの稲
氷命 は、海
て、波の上を東に向かっておのぼりになりました。
やたがらす
をこえてはるばると、 常世国 という遠い国へお渡りにな
そのうちに 速吸門 というところまでおいでになります
たかちほ
ひゅうが
よ
うずひこ
ごてん
りました。ついで三番めの 若御毛沼命 も、お母上のお国
と、向こうから一人の者が、かめの背なかに乗って、 魚 かんやまといわれひこのみこと
まつりごと
いつせのみこと
おかだのみや
の、海の国へ行っておしまいになり、いちばん末の弟さ
をつりながら出て来まして、 命 のお船を見るなり、両手
きさき
まの 神倭伊波礼毘古命 が、高
千穂 の宮にいらしって、天
をあげてしきりに 手招 きをいたしました。命はその者を
たまよりひめ
下をお治めになりました。しかし、 日向 はたいへんにへ
びよせて、
呼 うがやふきあえずのみこと
んぴで、 政
をお聞きめすのにひどくご不便でしたので、
﹁おまえは何者か﹂とお聞きになりますと、
いなひのみこと
はいちばん上のおあにいさまの 命 五瀬命 とお二人でご相
﹁私はこの地方の神で 宇豆彦 と申します﹂とお答えいた
とこよのくに
談のうえ、
しました。
みこと
﹁これは、もっと東の方へ移ったほうがよいであろう﹂と
50
しましたので、命はすぐにおそばの者に命じて、さおを
﹁かしこまりました。ご奉公申しあげます﹂とお答え申
﹁それではおれのお供につくか﹂とおっしゃいますと、
﹁よく存じております﹂と申しました。
なりますと、
﹁そちはこのへんの海路を存じているか﹂とおたずねに
一度お船におめしになり、大急ぎで海のまん中へお出ま
て、みんなをめし集めて、弟さまの命といっしょにもう
して、 お日さまを背なかに受けて戦おう﹂ とおっしゃっ
れらの矢にあたったのだ。これから東の方へ遠まわりを
に向かって攻めかかったのがまちがいである。だからか
﹁おれたちは日の神の子孫でありながら、お日さまの方
がら、
あをぐも
さし出させてお船へ引きあげておやりになりました。
かわちのくに
しになりました。
なみはや
みんなは、 そこから、 なお東へ東へとかじを取って、
せっつ
その途中で、命はお手についた傷の血をお洗いになり
しらかたのつ
やがて 摂津 の 浪速 の海を乗り切って、河
内国 の、 青雲 の
お
みなと
ました。
きいのくに
肩津 という浜へ着きました。
白
しかしそこから南の方へまわって、 紀伊国 の 男 の水
門 たて
ながすねひこ
するとそこには、 大和 の鳥
見 というところの長
髄彦 と
までおいでになりますと、お傷の 痛 みがいよいよ激しく
み
いう者が、兵をひきつれて待ちかまえておりました。命
なりました。命は、
と
は、いざ船からおおりになろうとしますと、かれらが急
﹁ああ、くやしい。かれらから負わされた手傷で死ぬる
やまと
にどっと矢を射 向けて来ましたので、お船の中から 盾 を
のか﹂と残念そうなお声でお叫びになりながら、とうと
いた
取り出して、ひゅうひゅう飛んで来る矢の中をくぐりな
うそれなりおかくれになりました。
いくさ
い
がらご上陸なさいました。そしてすぐにどんどん 戦 をな
さいました。
二
みこと
ながすねひこ
そのうちに 五瀬命 が、長
髄彦 の鋭い矢のために大きず
いつせのみこと
をお受けになりました。 命 はその傷をおおさえになりな
51
たすぐ消えさってしまいました。ところが、 命 もお供の
るとふいに大きな大ぐまが現われて、あっというまにま
り、同じ 紀伊 の熊
野 という村にお着きになりました。す
神
倭伊波礼毘古命 は、そこからぐるりとおまわりにな
おめしになりまして、 葦原中国 は、今しきりに 乱 れ騒 い
の中で、 天照大神 と 高皇産霊神 のお二
方 が、 建御雷神 を
﹁実はゆうべふと夢を見ましたのでございます。その夢
高倉下 は、うやうやしく、
い剣 貴 のいわれをおたずねになりました。
とうと つるぎ
軍勢もこの大ぐまの毒気にあたって、たちまちぐらぐら
でいる。われわれの子孫たちはそれを平らげようとして、
かんやまといわれひこのみこと
と目がくらみ、一人のこらず、その場に気絶してしまい
神 どもから苦しめられている。あの国は、いちばんは
悪
しょうき
ふ
わるがみ
あまてらすおおかみ
たかくらじ
ました。
じめそちが従えて来た国だから、おまえもう一度くだっ
くまの
そうすると、そこへ 熊野 の高
倉下 という者が、一ふり
て平らげてまいれとおっしゃいますと、 建御雷神 は、そ
いわれひこのみこと
い
の太
刀 を持って出て来まして、 伏 し倒 れておいでになる
れならば、私がまいりませんでも、ここにこの前あすこ
き
波礼毘古命 に、その太刀をさしだしました。命はそれ
伊
を平らげてまいりましたときの 太刀 がございますから、
あしはらのなかつくに
ち
みだ
さわ
くら
たけみかずちのかみ
ち
たかくらじ
た
くら
たけみかずちのかみ
といっしょに、ふと 正気 におかえりになって、
この太刀をくだしましょう。それには、 高倉下 の倉 のむ
ながね
た ち
たけみかずちのかみ
ふたかた
﹁おや、おれはずいぶん 長寝 をしたね﹂とおっしゃりな
ねを突きやぶって落としましょうと、こうお答えになり
たかくらじ
たかみむすびのかみ
がら、高
倉下 がささげた太
刀 をお受けとりになりますと、
ました。
わるがみ
みこと
その太刀に備わっている威光でもって、さっきのくまを
それからその 建御雷神 は、私に向かって、おまえの 倉 たかくらじ
さし向けた熊野の山の荒くれた 悪神 どもは、ひとりでに
のむねを突きとおしてこの刀を落とすから、あすの朝す
たお
くまの
ばたばたと倒 れて死にました。それといっしょに命の軍
ぐに、大空の神のご子孫にさしあげよとお教えください
たお
勢は、まわった毒から一度にさめて、むくむくと元気よ
ました。目がさめまして、倉へまいって見ますと、おお
た ち
く起きあがりました。
せのとおりに、ちゃんとただいまのその 太刀 がございま
たかくらじ
た
命はふしぎにおぼしめして、 高倉下 に向かって、この
52
したので、急いでさしあげにまいりましたのでございま
ました。そしてその井戸がぴかぴか光りました。
しりにしっぽのついている人間が、 井戸 の中から出て来
い ど
す﹂
に向かって、
命 はそれらの者を、 いちいちお 供 におつれになって、
お答えいたしました。
か
﹁おまえは何者か﹂とおたずねになりますと、
﹁大空の神のお子よ、ここから奥 へはけっしてはいっては
そこから山の中を分けていらっしゃいますと、またしっ
い ひ
こう言って、わけをお話し申しました。
﹁私はこの国の神で 井冰鹿 と申すものでございます﹂と
いけませんよ。この向こうには 荒 らくれた神たちがどっ
ぽのある人にお会いになりました。この者は岩をおし分
いわれひこのみこと
さりいます。 今これから私が 八咫烏 をさしくだすから、
けて出て来たのでした。
たかみむすびのかみ
そのうちに、 高皇産霊神 は、雲の上から 伊波礼毘古命 そのからすの飛んで行く方へついておいでなさい﹂とお
﹁おまえはだれか﹂とお聞きになりますと、
あ
やたがらす
だ
おとうかし
う
いわおしわけ
とも
さとしになりました。
﹁わたしはこの国の神で、 名は 石押分 の子と申します。
やまと
さかな
みこと
まもなくおおせのとおり、そのからすがおりて来まし
ただいま、大空の神のご子孫がおいでになると承りまし
おく
た。 命 はそのからすがつれて行くとおりに、あとについ
て、お供に加えていただきにあがりましたのでございま
みこと
てお進みになりますと、やがて 大和 の 吉野河 の 河口 へお
す﹂と申しあげました。命は、そこから、いよいよ 険 し
かわぐち
着きになりました。そうするとそこにやなをかけて 魚 を
い深い山を 踏 み分けて、大
和 の宇
陀 というところへおで
よしのがわ
とっているものがおりました。
ましになりました。
にえもち
あら
やたがらす
けわ
﹁おまえはだれだ﹂とおたずねになりますと、
この宇陀には、兄
宇迦斯 、 弟宇迦斯 というきょうだいの
やまと
﹁私はこの国の神で、名は 贄持 の子と申します﹂とお答
くれ者がおりました。命はその二人のところへ 荒 八咫烏 ふ
え申しました。
を使いにお出しになって、
え う か し
それから、なお進んでおいでになりますと、今度はお
53
お使いのからすを追いかえしてしまいました。 兄宇迦斯 すると、兄の兄
宇迦斯 はいきなりかぶら矢を 射 かけて、
はご奉公申しあげるか﹂とお聞かせになりました。
﹁今、大空の神のご子孫がおこしになった。おまえたち
こみました。 兄宇迦斯 は追いまくられて逃げこむはずみ
つかみ、矢をつがえて、無理やりにその御殿の中へ追い
しのしかたを見せろ﹂とどなりつけながら、 太刀 のえを
ずはいって、こちらの 命 をおもてなしする、そのもてな
﹁こりゃ 兄宇迦斯 、おのれの作った御殿にはおのれがま
え う か し
は命がおいでになるのを待ち受けて 討 ってかかろうと思
に、自分のしかけたつり天じょうがどしんと落ちて、た
おとうかし
しろ
す
けんじょう
みこと
いまして、急いで兵たいを集めにかかりましたが、とう
ちまち 押 し殺されてしまいました。
う だ
え う か し
う だ
やそたける
おさか
た ち
とう人
数 がそろわなかったものですから、いっそのこと、
二人の大将は、その死がいを引き出して、ずたずたに
い
命をだまし討ちにしようと思いまして、うわべではご奉
切り 刻 んで投げ 捨 てました。
え う か し
公申しあげますと言いこしらえて、命をお迎え申すため
命は 弟宇迦斯 が 献上 したごちそうを、けらい一同にお
え う か し
に、大きな御
殿 をたてました。そして、その中に、つり
くだしになって、お祝いの大 宴会 をお開きになりました。
おとうかし
せ
え う か し
天じょうをしかけて、待ち受けておりました。
命はそのとき、
う
すると弟の 弟宇迦斯 が、こっそりと命 のところへ出て
﹁ 宇陀 の城 にしぎなわをかけて待っていたら、しぎはか
ふ
え う か し
わら
お
来まして、命を 伏 し拝みながら、
からないで大くじらがかかり、わなはめちゃめちゃにこ
にんずう
﹁私の兄の兄
宇迦斯 は、あなたさまを攻 め亡 ぼそうとた
われた。ははは、おかしや﹂という意味を、歌にお歌い
みちおみのみこと
きざ
くらみまして、兵を集めにかかりましたが、思うように集
になって、 兄宇迦斯 のはかりごとの破れたことを、喜び
ごてん
まらないものですから、とうとう御殿の中につり天じょ
お笑 いになりました。
よ
えんかい
うをこしらえて待ち受けております。それで急いでおし
それからまたその 宇陀 をおたちになって、忍
坂 という
え う か し
みこと
らせ申しにあがりました﹂と申しました。そこで 道臣命 ところにお着きになりますと、そこには八
十建 といって、
おおくめのみこと
ほろ
と大
久米命 の二人の大将が、兄
宇迦斯 を 呼 びよせて、
54
石に、きしゃごがまっくろに取りついているように、か
あら
の中に住んでいる、しっぽのはえた、おおぜいの 穴 荒 く
れらをひしひしと取りまいて、一人残さず討ち取らなけ
あな
れた悪者どもが、 命 の軍勢を討 ち破ろうとして、大きな
ればおかないという意味を、勇ましい歌にしてお歌いに
う
岩屋の中に待ち受けておりました。
なりました。そして、とうとうかれらを攻め亡ぼしてお
みこと
命はごちそうをして、その悪者たちをお呼びになりま
しまいになりました。
みこと
にぎはやひのみこと
ながすねひこ
した。そして前もって、相手の一人に一人ずつ、お給仕
そのとき、 長髄彦 の方に、やはり大空の神のお血すじ
かく
につくものをきめておき、その一人一人に 太刀 を隠 しも
の、 邇芸速日命 という神がいました。
ち
たせて、合い図の歌を聞いたら一度に切ってかかれと言
その神が 命 のほうへまいって、
た
い含 めておおきになりました。
﹁私は大空の神の御子がおいでになったと承りまして、
ふく
みんなは、命が、
ちすじ
けんじょう
ご奉公に出ましてございます﹂と申しあげました。そし
しるし
﹁さあ、今だ、うて﹂とお歌いになると、たちまち一度
たける
て大空の神の 血筋 だという印 の宝物を、命に 献上 しまし
ぬ
に太刀を 抜 き放って、建 どもをひとり残さず切り殺して
み
え
し
たて
き
おとしき
いくさ
い
な
さ
た。
と
しまいました。
うば
命はそれから 兄師木 、弟
師木 というきょうだいのもの
みこと
しかし命は、それらの賊たちよりも、もっともっとに
をご征伐になりました。その 戦 で、命の軍勢は 伊那佐 と
つか
なら
くいのはおあにいさまの 命 のお命を奪 った、あの鳥
見 の
いう山の林の中に 盾 を並 べて戦っているうちに、中途で
ながすねひこ
髄彦 でした。命はかれらに対しては、ちょうどしょう
長
ひょうろうがなくなって、少し弱りかけて来ました。命
うら
わす
がを食べたあと、口がひりひりするように、いつまでも
はそのとき、
う
みをお 恨 忘 れになることができませんでした。命は、畑
﹁おお、 私 も飢 え疲 れた。このあたりのうを使う者たち
わし
のにらを、根も 芽 もいっしょに引き抜くように、かれら
よ。早くたべ物を持って助けに来い﹂という意味のお歌
め
を根こそぎに討ち亡ぼしてしまいたい、海の中の大きな
55
いよいよ 大和 の橿
原宮 で、われわれの一番最初の天皇の
ぼして、とうとう天下をお平らげになりました。それで
どもをなつけて従わせ、 刃 向かうものをどんどん 攻 め亡 命 はなおひきつづいて、そのほかさまざまの 荒 びる神
をお歌いになりました。
そ こ で 天 皇 は、 大 久 米 命 を お つ れ に なって、 そ の
まれになったお媛さまでございます﹂と申しあげました。
なりになりました。 伊須気依媛 はそのお二人の中にお生
もとのりっぱな男の神さまになって、媛のお 婿 さまにお
を持っておへやにおはいりになりますと、矢はたちまち
そばへ、 朱塗 りの矢に化けておいでになり、 媛 がその矢
ひめ
お位におつきになりました。 神武天皇 とはすなわち、こ
須気依媛 を見においでになりました。すると同じ 伊
大和 しゅぬ
の貴 い伊
波礼毘古命 のことを申しあげるのです。
の、 高佐士野 という野で、七人の若い女の人が野遊びを
あら
し て い る の に お 出 会 い に な り ま し た。 す る と ちょう ど
とうと
みこと
三
須気依媛 がその七人の中にいらっしゃいました。
伊
いわれひこのみこと
たぎしみみのみこと
あひらひめ
ひとかた
たかさじの
いすけよりひめ
いすけよりひめ
むこ
大久米命はそれを見つけて、天皇に、このなかのどの方
め
ひゅうが
きさき
ほろ
天皇は、はじめ日
向 においでになりますときに、 阿比良媛 をおもらいになりますかということを、歌に歌ってお聞
せ
という方をお 妃 に召 して、多
芸志耳命 と、もう 一方 男の
き申しますと、天皇はいちばん前にいる方を 伊須気依媛 は
お子をおもうけになっていましたが、お位におつきになっ
だとすぐにおさとりになりまして、
おおくめのみこと
せやだたらひめ
いすけよりひめ
てから、改めて、皇后としてお立てになる、美しい方を
﹁あのいちばん前にいる人をもらおう﹂と、やはり歌でお
かしはらのみや
おもとめになりました。
答えになりました。大久米命は、その方のおそばへ行っ
やまと
すると 大久米命 が、
て、天皇のおおせをお伝えしようとしますと、媛は、大
おおものぬしのかみ
じんむてんのう
﹁それには、やはり、大空の神のお血をお分けになった、
久米命が大きな目をぎろぎろさせながら来たので、変だ
や しろ
いすけよりひめ
わ
やまと
須気依媛 と申す美しい方がおいでになります。これは
伊
とおぼしめして、
み
いすけよりひめ
輪 の 三
社 の大
物主神 が、勢
夜陀多良媛 という女の方のお
56
ほうむ
天皇は、後におん年百三十七でおかくれになりました。
うねびやま
おなきがらは畝
火山 にお葬 り申しあげました。
ひゅうが
あめ、つつ、
はら
ひこやいのみこと
す る と ま も な く、 さ き に 日向 で お 生 ま れ に なった
三人をお殺し申して、自分ひとりがかってなことをしよ
たぎしみみのみこと
ちどり、ましとと、
芸志耳命 が、 お 多
腹 ち が い の 弟 さ ま の 日子八井命 た ち
うとお 企 てになりました。
と め
とお歌いになりました。それは、
お母上の皇后はそのはかりごとをお見ぬきになって、
さ
など 裂 ける 利目 。
﹁ あ めという鳥、つつ という鳥、 ま し と とという鳥やち
﹁畝
火山 に昼はただの雲らしく、静かに雲がかかっている
うねびやま
くわだ
どりの目のように、どうしてあんな大きな、鋭い目を光
けれど、夕方になれば 荒 れが来て、ひどい風が吹き出す
らしい。木の葉がそのさきぶれのように、ざわざわさわ
でございます﹂と歌いました。
が、いまに、おまえたちを殺しにかかるぞということを、
さいがわ
それとなくおさとしになりました。
ひめ
媛 のおうちは、狹
井川 という川のそばにありました。そ
三人のお子たちは、それを聞いてびっくりなさいまし
かわら
この川
原 には、やまゆりがどっさり咲いていました。天皇
て、それでは、こっちから先に 命 を殺してしまおうとご
ひこやいのみこと
かんぬかわみみのみこと
みこと
は、媛のおうちへいらしって、ひと晩とまってお帰りにな
相談なさいました。
かんぬかわみみのみこと
とうと
りました。媛はまもなく宮中におあがりになって、貴 い皇
そのときいちばん下の 神沼河耳命 は、中のおあにいさ
かんやいみみのみこと
お
﹁では、あなた、 命 のところへ押 しいって、お殺しなさ
かんやいみみのみこと
后におなりになりました。お二人の中には、日
子八井命 、
まの神
八井耳命 に向かって、
れになりました。
みこと
八井耳命 、神
神
沼河耳命 と申す三人の男のお子がお生ま
たぎしみみのみこと
大久米命は、すぐに、
いでいる﹂という意味の歌をお歌いになり、 多芸志耳命 あ
らせているのであろう﹂という意味でした。
、
、
、
、
﹁それはあなたを見つけ出そうとして、さがしていた目
、
、
57
かんやいみみのみこと
かたな
い﹂とおっしゃいました。
それで 神八井耳命 は刀 を持ってお出かけになりました
が、いざとなるとぶるぶるふるえ出して、どうしても手
かんぬかわみみのみこと
出しをなさることができませんでした。そこで弟さまの
沼河耳命 がその刀をとってお進みになり、ひといきに
神
かんやいみみのみこと
命を殺しておしまいになりました。
神
八井耳命 はあとで弟さまに向かって、
﹁私はあのかたきを殺せなかったけれど、そなたはみご
とに殺してしまった。だから、私は兄だけれど、人のか
みに立つことはできない。どうぞそなたが天皇の位につ
いて天下を治めてくれ、私は神々をまつる役目をひき受
けて、そなたに奉公をしよう﹂とおっしゃいました。そ
やまと
かつらぎのみや
れで、弟の命はお二人のおあにいさまをおいてお位にお
すいぜいてんのう
つきになり、 大和 の葛
城宮 にお移りになって、天下をお
かく
治めになりました。すなわち第二代、 綏靖天皇 さまでい
らっしゃいます。
天皇はご短命で、おん年四十五でお 隠 れになりました。
58
やしろ おおものぬしのかみ
するとその夜のお夢に、 三輪 の社 の大
物主神 が現われて
み わ
たて
いらしって、
たて
たけみかづちのみこと
おおたねこ
﹁こんどのやく病はこのわしがはやらせたのである。こ
やしろ
ほろ
赤い 盾 、黒い 盾 れをすっかり 亡 ぼしたいと思うならば、 大多根子 という
みぬむら
まつ
ものにわしの 社 を祀 らせよ﹂とお告げになりました。天
すじんてんのう
一
おん
皇はすぐに四方へはやうまのお使いをお出しになって、
すいぜいてんのう
そういう名まえの人をおさがしになりますと、一人の使
かわち
綏
靖天皇 から御 七代をへだてて、第十代目に 崇神天皇 いが、 河内 の美
努村 というところでその人を見つけてつ
おおたねこ
おおものぬしのかみ
め
がお位におつきになりました。
おうじ
やしろ
れてまいりました。
あまてらすおおかみ
天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その
せ
天皇はさっそくご前にお 召 しになって、
とよすきいりひめ
い
中で皇女、豊
鉏入媛 が、はじめて 伊勢 の天
照大神 のお社 ﹁そちはだれの子か﹂とおたずねになりました。
やまとひこのみこと
つかさど
に仕えて、そのお祭りをお司 りになりました。また、皇
子 すると 大多根子 は、
とも
ちすじ
倭日子命
がおなくなりになったときに、人がきといって、
﹁私は 大物主神 のお血
筋 をひいた、 建甕槌命 と申します
う
お墓のまわりへ人を生きながら 埋 めてお 供 をさせるなら
やまい
いくたまよりひめ
おおたねこ
だい
者の子でございます﹂とお答えいたしました。
み よ
わしがはじまりました。
むすめ
それというわけは、 大多根子 から五 代 もまえの世に、
よりひめ
すえつみみのみこと
この天皇の 御代 には、 はやり 病 がひどくはびこって、
都耳命 という人の 陶
娘 で活
玉依媛 というたいそう美しい
なげ
人民という人民はほとんど死に絶えそうになりました。
人がおりました。
むこ
天皇は非常にお 嘆 きになって、どうしたらよいか、神
きよ
この 依媛 があるとき、一人の若い人をお婿 さまにしま
おんみ
のお告げをいただこうとおぼしめして、 御身 を 潔 めて、
ねどこ
した。その人は、顔かたちから、いずまいの美しいけだ
つつし
んでお 慎 寝床 の上にすわっておいでになりました。そう
59
ある日、 媛 に向かって、
お婿さんを、どこの何びとか突きとめたいと思いまして、
媛のおとうさまとおかあさまとは、どうかして、その
あけませんでした。
さんの媛にさえ、どこのだれかということすらも、うち
てしまって、けっしてだれにも顔を見せませんし、お嫁
るきりで、あけがたになると、いつのまにかどこかへ行っ
そのお婿さんは、はじめから、ただ夜だけ媛のそばにい
媛 はまもなく子供が生まれそうになりました。しかし
い、りっぱな、りりしい人でした。
かいことといったら、世の中にくらべるものもないくら
しょに、お供えものを入れるかわらけをどっさり作らせ
て、大物主神のお祭りをおさせになりました。それといっ
天皇は、さっそくこの大多根子を三輪の社の 神主 にし
でした。
大多根子 はこのお二人の間に生まれた子の四代目の孫
お婿さんは 大物主神 でいらしったことがわかりました。
のお社 にはいって止まっていました。それで、はじめて、
る方へずんずん行って見ますと、糸はしまいに、 三輪山 していたことがわかりました。媛はその糸の伝わってい
それで、ともかくお婿さんは、戸のかぎ穴から出はいり
まわり 輪 に巻けた長さしか残っておりませんでした。
は、すっかり繰りほどけて、おへやの中には、わずか三
はり
おおたねこ
わ
﹁今夜は、おへやへ赤土をまいておおき、それからあさ糸
て、大空の神々や下界の多くの神々をおまつりになりま
ひめ
のまりを 針 にとおして用意しておいて、お 婿 さんが出て
した。その中のある神さまには、とくに赤色の 盾 や黒
塗 たて
くろぬり
かんぬし
みわやま
来たら、そっと着物のすそにその針をさしておおき﹂と
の盾をおあげになりました。
やしろ
言いました。
そのほか、山の神さまや川の 瀬 の神さまにいたるまで、
おおものぬしのかみ
媛はその晩、言われたとおりに、お婿さんの着物のす
いちいちもれなくお供えものをおあげになって、ていちょ
ひめ
そへあさ糸をつけた針をつきさしておきました。
うにお祭りをなさいました。そのために、やく病はやが
むこ
あくる朝になって見ますと、針についているあさ糸は、
てすっかりとまって、天下はやっと安らかになりました。
あな
せ
戸のかぎ 穴 から外へ伝わっていました。そして糸のたま
60
途中で、山
城 の幣
羅坂 というところへさしかかりますと、
大毘古命 はおおせをかしこまって出て行きましたが、
命令に従わない、多くの悪者どもをご征伐になりました。
を東
山道 へ、そのほか強い人を方々へお 遣 しになって、ご
天皇はついで 大毘古命 を北
陸道 へ、その子の建
沼河別命 二
ふいに 姿 が見えなくなってしまいました。
けでございます﹂と答えるなり、もうどこへ行ったのか、
﹁私はなんにも言いはいたしません。ただ歌を歌っただ
すると 小娘 は、
﹁今言ったのはなんのことだ﹂とたずねました。
えして、
大毘古命 は変だと思いまして、わざわざうまをひきか
と、こんなことを歌いました。
おおひこのみこと
やましろ
こし
へらざか
こむすめ
たけはにやすのみこ
おおひこのみこと
すがた
こむすめ
おおひこのみこと
その坂の上に 腰 ぬのばかりを身につけた 小娘 が立ってい
大毘古命 は、その歌の 言葉 がしきりに気になってなら
たけぬかわわけのみこと
て、
ないものですから、とうとうそこからひきかえしてきて、
ほくろくどう
天皇にそのことを申しあげました。すると天皇は、
おおひこのみこと
これこれ申し天子さま、
﹁そ れ は、 きっと、 山城 に い る、 私 の 腹 ち が い の 兄、
うら
つかわ
あなたをお殺し申そうと、
波邇安王 が、悪だくみをしている知らせに相違あるま
建
とうさんどう
前の戸に、
い。そなたはこれから軍勢をひきつれて、すぐに 討 ちと
そ
つかわ
やましろ
ことば
裏 の戸に、
りに行ってくれ﹂とおっしゃって、 彦国夫玖命 という方
たけはにやすのみこ
ひこくにぶくのみこと
はら
行ったり来たり、
を 添 えて、いっしょにお 遣 しになりました。
ねら
きつがわ
わし
すきを狙 っている者が、
二人は、神々のお祭りをして、勝利を祈って出かけまし
う
そこにいるとも知らないで、
た。そして、 山城 の 木津川 まで行きますと、 建波邇安王 やましろ
これこれ申し天子さま。
61
かい合いに陣
取 りました。 彦国夫玖命 は、敵に向かって、
受けていらっしゃいました。両方の軍勢は川を 挟 んで向
は案のじょう、天皇におそむき申して、兵を集めて待ち
そのうちに 大毘古命 の親子をはじめ、そのほか方々へ
改めて 北陸道 へ出発しました。
大毘古命 は天皇にそのしだいをすっかり申しあげて、
くだって行きました。
や い
つかわ
ほくろくどう
おおひこのみこと
﹁おおい、そちらのやつ、まずかわきりに一 矢 射 てみよ﹂
お 遣 しになった人々が、みんなおおせつかった地方を平
たけはにやすのみこ
くにぶくのみこと
さ
はさ
とどなりました。敵の大将の 建波邇安王 は、すぐにそれ
らげて帰りました。そんなわけで、もういよいよどこに
ひこくにぶくのみこと
に応じて、大きな矢をひゅうッと射放しましたが、その
も天皇におさからいする者がなくなって、天下は平らか
じんど
矢はだれにもあたらないで、わきへそれてしまいました。
に治まり、人民もどんどん 裕福 になりました。それで天
たけはにやすのみこ
えもの
おおひこのみこと
それでこんどはこちらから 国夫玖命 が射かけますと、そ
皇ははじめて人民たちから、 男から 弓端 の 調 といって、
つむ
ゆうふく
の矢はねらいたがわず 建波邇安王 を刺 し殺してしまいま
弓矢でとった 獲物 の中のいくぶんを、女からは 手末 の 調 みつぎもの
みつぎ
した。
といって、 紡 いだり、織ったりして得たもののいくぶん
ゆはず
敵の軍勢は、 王 が倒れておしまいになると、たちまち
を、それぞれ 貢物 としておめしになりました。
に
かわち
よ
みつぎ
総くずれになって、 どんどん 逃 げだしてしまいました。
天皇はまた、人民のために方々へ耕作用の池をお作り
なが
たなすえ
夫玖命 の兵はどんどんそれを追っかけて、 国
河内 の国の
になりました。天皇の高いお徳は、後の 代 からも、いつ
よご
みこ
ある川の渡しのところまで追いつめて行きました。
いつまでも 永 くおほめ申しあげました。
くにぶくのみこと
すると賊兵のあるものは、苦しまぎれにうんこが出て
下ばかまを汚 しました。
こちらの軍勢はそいつらの逃げ道をくいとめて、かたっ
ぱしからどんどん切り殺してしまいました。そのたいそ
うな死がいが川に浮かんで、ちょうど、うのように流れ
62
ようではないか﹂と言って、無理やりに皇后を説き 伏 せ
ふ
てしまいました。
一
皇后はこのときだとお思いになって、いきなり短刀を
皇后のおひざをまくらにしてお 眠 りになりました。
ご存じないものですから、 ある晩、 なんのお気もなく、
さほひめ
たまがき
ふ
ほ
ねむ
き放して、天皇のお首をま下にねらって、三度までお
抜 つ
やまと
ぬ
崇
神天皇 のおあとには、お子さまの 垂仁天皇 がお位を
りかざしになりましたが、いよいよとなると、さすが
振 おそ
天皇は二人がそんな 怖 ろしいたくらみをしているとは
おうじ
おしの 皇子 すいにんてんのう
お継 ぎになりました。天皇は、 沙本毘古王 という方のお
においたわしくて、どうしてもお手をおくだしになるこ
すじんてんのう
妹さまで沙
本媛 とおっしゃる方を皇后にお 召 しになって、
とができませんでした。そしてとうとう悲しさに 堪 えき
さほひこのみこ
さほひこのみこ
和 の 大
玉垣 の宮にお移りになりました。
れないで、おんおんお 泣 きだしになりました。
め
その 沙本毘古王 が、あるとき皇后に向かって、
その 涙 が天皇のお顔にかかって流れ落ちました。天皇
さ
た
﹁あなたは夫と兄とはどちらがかわいいか﹂と聞きまし
はそれといっしょに、ひょいとお目ざめになって、
な
た。皇后は、
﹁おれは今きたいな夢を見た。沙
本 の村の方からにわかに
なみだ
﹁それはおあにいさまのほうがかわゆうございます﹂と
大雨が降って来て、おれの顔にぬれかかった。それから、
みこ
お答えになりました。すると 王 は、用意していた鋭い短
にしき色の小さなへびがおれの首へ巻きついた。いった
しるし
刀をそっと皇后にわたして、
いこんな夢はなんの 兆 であろう﹂と、皇后に向かってお
わし
﹁もしおまえが、 ほんとうに 私 をかわいいと思うなら、
たずねになりました。皇后はそうおっしゃられると、ぎ
かく
どうぞこの刀で、天皇がおよっていらっしゃるところを
くりとなすって、これはとても 隠 しきれないとお思いに
さ
し殺しておくれ。そして二人でいつまでも天下を治め
刺 63
﹁いやそれは危くばかな目を見るところであった﹂とおっ
天皇はそれをお聞きになると、びっくりなすって、
みをすっかり白状しておしまいになりました。
なったので、おあにいさまとお二人のおそれ多いたくら
うに、とくにご命令をおくだしになりました。
とりでもただ遠まきにして、むやみに攻め落とさないよ
どうか皇后のお身におけががないようにと、それからは、
ものですから、 いっそうおかわいそうにおぼしめして、
すると 沙本毘古 のほうでは、いねたばをぐるりと積み
を討 ちとりにおつかわしになりました。
そんなことで、かれこれ 戦 も長びくうちに、皇后はお
二
さ ほ ひ こ
しゃりながら、すぐに軍勢をお集めになって、 沙本毘古 あげて、それでとりでをこしらえて、ちゃんと待ち受け
あにいさまのとりでの中で皇子をお生みおとしになりま
う
ておりました。天皇の軍勢はそれをめがけて撃ってかか
した。
さ ほ ひ こ
りました。
皇后はそのお子さまをとりでのそとへ出させて、天皇
いくさ
皇后はそうなると、こんどはまたおあにいさまのこと
の軍勢の者にお見せになり、
こ
がおいたわしくおなりになって、じっとしておいでにな
﹁この 御子 をあなたのお子さまとおぼしめしてくださる
み
ることができなくなりました。それで、とうとうこっそ
ならば、どうぞひきとってご養育なすってくださいまし﹂
さ ほ ひ こ
り裏
口 のご門から抜 け出して、沙
本毘古 のとりでの中へ
と、天皇にお伝えさせになりました。
ぬ
かけつけておしまいになりました。
天皇はそのことをお聞きになりますと、ついでにどう
なか
かして皇后をもいっしょに取りかえしたいとお思いにな
うらぐち
皇后はそのときちょうど、お 腹 にお子さまをお持ちに
なっていらっしゃいました。
りました。それは、兄の 沙本毘古 に対しては、 刻 み殺し
いきどお
きざ
天皇は、もはや三年もごちょう愛になっていた皇后で
てもたりないくらい、お 憤 りになっておりますが、皇后
さ ほ ひ こ
おありになるうえに、たまたまお身持ちでいらっしゃる
64
いちばんすばしっこい者をいく人かお選びになって、
それで味方の兵士の中で、いちばん力の強い、そして
らっしゃるからでした。
のことだけは、どこまでもおいたわしくおぼしめしてい
をすり 抜 いてお逃 げになりました。こちらはまたあわて
のお手の玉飾りの 緒 もぷつりと切れたので、 難 なくお手
﹁おや、しまった﹂と、こんどはお手をつかみますと、そ
まちすらりとぬげ落ちてしまいました。
ばやく飛びかかってお 髪 をひっつかみますと、髪はたち
ぐし
﹁そちたちはあの皇子を受け取るときに、必ず母の 后 を
て追いすがりながら、 ぐいとお召物をつかまえました。
くや
めしもの
かか
なん
もひきさらってかえれ。髪でも手でも、つかまりしだい
すると、それもたちまちぼろりとちぎれてしまいました。
ひも
に取りつかまえて、無理にもつれ出して来い﹂とお言い
その間に皇后は、さっと中へ逃げこんでおしまいになり
くわだて
に
つけになりました。
ました。
かぶ
ぬ
しかし皇后のほうでも、天皇がきっとそんなお 企 をな
勇士どもはしかたなしに、 皇子一人をお 抱 え申して、
きさき
さるに違いないと、ちゃんとお感づきになっていました
しおしおと帰ってまいりました。
ぐし
ので、そのときの用意に、前もってお 髪 をすっかりおそ
さいくにん
ひも
天皇はそれらの者たちから、
めしもの
ぐし
り落としになって、そのお毛をそのままそっとお 被 りに
たまかざ
﹁お 髪 をつかめばお髪がはなれ、玉の 緒 もお 召物 も、み
うでさき
なり、それからお 腕先 のお玉
飾 りも、わざと、つなぎの
んなぷすぷす切れて、とうとうおとりにがし申しました﹂
み え
を腐 緒 らして、お腕へ 三重 にお巻きつけになり、お 召物 とお聞きになりますと、それはそれはたいそうお 悔 みに
くさ
もわざわざ酒で腐らしたのをおめしになって、それとも
なりました。
ひも
なげに皇子を 抱 えて、とりでの外へお出ましになりまし
天皇はそのために、宮中の玉飾りの 細工人 たちまでお
かか
た。
みになって、それらの人々が 憎 知行 にいただいていた土
ちぎょう
待ちかまえていた勇士たちは、そのお子さまをお受け
地を、いきなり残らず取りあげておしまいになりました。
にく
取り申すといっしょに、皇后をも奪い取ろうとして、す
65
皇后はそれに答えて、
になりました。
あの皇子は、なんという名前にしようか﹂とお聞きかせ
﹁すべて子供の名は母がつけるものときまっているが、
それから改めて皇后の方へお使いをお出しになって、
め落として、沙
本毘古 を殺させておしまいになりました。
天皇はもういよいよしかたなしに、一気にとりでを攻
さいまし﹂とおっしゃいました。
い女たちでございますから、どうかその二人をお 召 しな
うきょうだいの 娘 がございます。これならば 家柄 も正し
﹁それには、 丹波 の 道能宇斯王 の子に、 兄媛 、弟
媛 とい
おとひめ
﹁あの 御子 は、ちょうどとりでが火をかけられて焼ける
皇后も、それといっしょに、えんえんと燃えあがる火
えひめ
さいちゅうに、その火の中でお生まれになったのでござ
の中に飛びこんでおしまいになりました。
みちのうしのみこ
いますから、 本牟智別王 とお呼び申したらよろしゅうご
たんば
ざいましょう﹂とおっしゃいました。そのほむちという
三
さ ほ ひ こ
ほむちわけのみこ
あいず
いえがら
のは火のことでした。
かか
むすめ
天皇はそのつぎには、
お母上のない 本牟智別王 は、 それでもおしあわせに、
め
やまと
まるきぶね
め
﹁あの子には母がないが、これからどうして育てたらい
ずんずんじょうぶにご成長になりました。
こ
いか﹂とおたずねになりますと、
天皇はこの皇子のために、わざわざ 尾張 の 相津 という
み
﹁ではうばをお 召 し抱 えになり、お湯をおつかわせ申す
ところにある、二またになった大きなすぎの木をお切ら
ほむちわけのみこ
女たちをもおおきになって、それらの者にお 任 せになれ
せになって、それをそのままくって二またの 丸木船 をお
おわり
ばよろしゅうございます﹂とお答えになりました。
作らせになりました。そして、はるばると 大和 まで運ば
まか
天皇は最後に、
せて、 市師 の池という池にお 浮 かべになり、その中へご
う
﹁そちがいなくなっては、おれの世話はだれがするのだ﹂
いっしょにお乗りになって、皇子をお遊ばせになりまし
いちし
とお聞きになりました。すると皇后は、
66
くのをご 覧 になって、お生まれになってからはじめて、
ところがあるとき、こうの鳥が、空を鳴いて飛んで行
も、お口がちっともおきけになりませんでした。
いお下ひげがお 胸先 にたれかかるほどにおなりになって
しかしこの皇子は、後にすっかりご 成人 になって、長
た。
﹁ 私 のお社 を天皇のお宮のとおりにりっぱに作り直して
そのうちに、ある晩、ふと夢の中で、
なっていたかしれませんでした。
天皇はそのために、いつもどんなにお心をおいために
ませんでした。
かし皇子は、やはりそのまま 一言 もおものをおっしゃい
して、わざわざとりにおつかわしになったのでした。し
いずも
みこ
おおかみ
ひとこと
﹁あわわ、あわわ﹂とおおせになりました。
下さるなら王 は必ず口がきけるようにおなりになる﹂と、
しなの
せいじん
天皇は、さっそく、山
辺大鷹 という者に、
こういうお告げをお聞きになりました。
はりまのくに
むねさき
﹁あの鳥をとって来てみよ﹂とおいいつけになりました。
天皇は、どの神さまのお告げであろうかと急いで 占 い
きいのくに
らん
大
鷹 はかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追っか
の役人に言いつけて占わせてごらんになりますと、それ
たじま
おわり
やしろ
けて、紀
伊国 、 播磨国 へとくだって行き、そこから因
幡 、
は 出雲 の大
神 のお告げで、皇子はその神のおたたりでお
たんば
み の
わし
波 、 丹
但馬 をかけまわった後、こんどは東の方へまわっ
しにお生まれになったのだとわかりました。
おうみ
み
やまべのおおたか
て、 近江 から 美濃 、尾
張 をかけぬけて信
濃 にはいり、と
それで天皇は、すぐに皇子を出雲へおまいりにお出し
えちご
わ な
けたつのみこ
うらな
うとう越
後 のあたりまでつけて行きました。そして、やっ
になることになさいました。
おおたか
とのことで和
那美 という港でわな網 を張って、ようやく、
それにはだれをつけてやったらよかろうと、また占わ
いなば
そのこうの鳥をつかまえました。そして大急ぎで都 へ帰っ
せてごらんになりますと、 曙立王 という方が占いにおあ
あみ
て、天皇におさし出し申しました。
たりになりました。
みやこ
天皇は、その鳥を皇子にお見せになったら、おものが
天皇は、その 曙立王 にお言いつけになって、なお念の
けたつのみこ
おっしゃれるようにおなりになりはしないかとおぼしめ
67
した。
ために、うかがいのお祈りを立てさせてごらんになりま
中でいざりやめくらに会うし、 大阪口 から行っても、や
お 占 わせになりました。すると、 奈良街道 からでは、途
そのご 出立 のときにも、どちらの道を選べばよいかと
しゅったつ
王 はおおせによって、さぎの巣 の池のそばへ行って、
はりめくらやいざりに会うので、どちらとも旅立ちには
ふきつ
さき
なが
くにのみやつこ
ほ む ち べ
おおさかぐち
ならかいどう
﹁あの夢のお告げのとおり、出雲の大神を 拝 んでおしる
吉 である、脇
不
道 の 紀井街道 をとおって行けば、必ずさ
うらな
しがあるならば、その 証拠 にこの池のさぎどもを死なせ
い 先 がよいと、こう占いに出ました。一同はそのとおり
す
て見せてくださるように﹂とお祈りをしますと、そのま
にして立っておいでになりました。
みこ
わりの木の上にとまっていた池じゅうのさぎが、いっせ
天皇は皇子のお名前を 永 く後の世までお伝えになるた
おが
いにぱたぱたと池に落ちて死んでしまいました。そこで
めに、その途中のいたるところに、 本牟智部 という部族
かり
きいかいどう
こんどは祈りを返して、
をおこしらえさせになりました。
みやこ
わきみち
﹁あのさぎがことごとく生きかえりますように﹂と言い
皇子は、いよいよ出雲にお着きになって、 大神 のお 社 しょうこ
ますと、いったん死んだそれらのさぎが、またたちまち
におまいりになりました。
おか
ひ
やしろ
もとのとおりに生きかえりました。そのつぎには 古樫 の
そしてまた 都 へお帰りになろうとなさいますと、その
けたつのみこ
ほそき
なぐさ
おおかみ
という岡の上に 岡 茂 っている、 葉の大きなかしの木も、
出雲の国をおあずかりしている、 国造
という、いちばん
ほむちわけのみこ
おおかみ
ふるがし
立王 の祈りによって、同じように 曙
枯 れたりまた生きか
上の役人が、 肥 の 河 の中へ 仮 のお宮をつくり、 それへ、
しげ
えったりしました。
木 を編 細
んだ橋を渡して、その宮で、皇子を、ごちそう
か
そんなわけで、お夢のこともまったく出雲の 大神 のお
しておもてなし申しあげました。
うがみのみこ
かわ
告げだということがいよいよたしかになりました。
そのとき川下の方には、 皇子のお目を 慰 めるために、
けたつのみこ
青葉で、作りものの山がこしらえてありました。
あ
天皇はすぐに 曙立王 と 兎上王 との二人を 本牟智別王 に
つけて、出雲へおつかわしになりました。
68
らん
こ
ひっぱらせて山の間をお 越 えになり、またその船をおろ
ぞうえい
みやこ
皇子はそれをご 覧 になって、
して海をお 渡 りになったりなすって、やっと無事に 都 へ
わた
﹁あの川下に、山のように見えている青葉は、あれはほ
逃げておかえりになりました。
おおくにぬしのかみ
んとうの山ではないだろう。 神主 たちが 大国主神 のお祭
曙立王 は天皇におめみえをして、
かんぬし
りをする場所ででもあるのか﹂と突然こうお聞きになり
﹁おおせのとおりに大神をお 拝 みになりますと、まもな
けたつのみこ
ました。
く、急にお口がおきけになるようになりましたので、一
やしろ
うがみのみこ
おが
お供の 曙立王 や兎
上王 たちは、皇子がふいにおものを
同でお供をして帰ってまいりました﹂と申しあげました。
うがみのみこ
おっしゃれるようになったので、びっくりして喜んで、す
天皇は、それはそれは言うに言われないほどお喜びに
けたつのみこ
ぐに早うまのお使いを立てて、そのことを天皇にお知ら
なりました。そしてすぐに 兎上王 をまた再 び出
雲 へおく
いずも
せ申しました。
だしになって、大神のお 社 をりっぱにご造
営 になりまし
ひながひめ
た。
ふたた
皇子はそれからほかのお宮へお移りになって、 肥長媛 という人をお妃 におもらいになりました。
きさき
ところがあとでご 覧 になりますと、それはへびが女に
四
らん
なって出て来たのだとわかりました。皇子はびっくりな
に
すって、みんなとごいっしょに船に乗ってお 逃 げになり
天皇はそれですっかりご安心になったので、こんどはご
した
ました。
不自由がちな、おそばのご用をおいいつけになるために、
ひめ
するとへびの 媛 は、皇子のおあとを 慕 って、急いで別
かねて皇后がおっしゃってお置きになったように、 丹波 たんば
の船をしたてて、海の上をきらきらと照らしながら、ど
から 兄媛 たちのきょうだい四人をおめしよせになりまし
えひめ
んどん追っかけて来ました。皇子はいよいよ 気味 が悪く
た。
き み
おなりになって、あわてて船をひきあげさせて、それを
69
皇は 兄媛 とそのつぎの 弟媛 とだけをお抱 えになって、あ
しかし下の二人はたいそうみにくい子でしたので、天
りして、 葉つきの実を四つと、 葉のないのを四つとを、
多遅摩毛理 はそのことを承ると、それはそれはがっか
くにおかくれになっていました。
な
らん
た じ ま も り
との二人はそのまま家へかえしておしまいになりました。
天皇のおそばにお仕え申していた 兄媛 にさしあげたうえ、
まどのひめ
かか
すると、いちばん下の円
野媛 は、四人がいっしょにおめ
あとの四つずつを天皇のお墓にお供え申しました。そし
おとくに
おとひめ
しに会って伺 いながら、二人だけは顔が 汚 ないためにご
て 泣 き泣き大声を張りあげて、
えひめ
奉公ができないでかえされたと言えば、近所の村々への
﹁ご 覧 くださいまし。このとおりおおせの実を取ってま
やましろ
えひめ
聞こえも恥ずかしく、とても生きてはいられないと言っ
いりました。どうぞご覧くださいまし﹂とそのたちばな
きた
て、 途中の 山城 の 乙訓 というところまでかえりますと、
を両手にさしあげて、 繰 りかえし繰りかえし、いつまで
うかが
あわれにも、そこの深いふちに身を投げて死んでしまい
もそのお墓の前で叫び続けて、とうとうそれなり叫び死
た じ ま も り
み
く
ました。
にに死んでしまいました。
かおり
とこよのくに
それから天皇はある年、多
遅摩毛理 という者に、常
世国 としつき
へ行って、香 の高いたちばなの 実 を取って来いとおおせ
た じ ま も り
つけになりました。
おおうみ
多
遅摩毛理 はかしこまって、長い 年月 の間いっしょう
けんめいに苦心して、はてしもない 大海 の向こうの、遠
えだは
い遠いその国へやっとたどり着きました。そしておおせ
のたちばなの実の、 枝葉 のままついたのを八つ、実ばか
りのを八つもぎ取って、また長い間かかって、ようよう
都へ帰って来ました。しかし天皇はその前に、もうとっ
70
おつもりで、皇子の 大碓命 にお言いつけになって、二人
おおうすのみこと
を 召 しのぼせにお遣 わしになりました。
えひめ
おおうすのみこと
つか
すると、 大碓命 は、その二人の者をご自分のお召使い
め
白い鳥
に取っておしまいになり、別に二人の 姉妹 の女を 探 し出
さが
して、それを 兄媛 、 弟媛 だといつわって、天皇にお目通
きょうだい
一
りをおさせになりました。
しゃく
ごてん
おとひめ
天皇はそれがほかの女であるということを、ちゃんと
すん
第十二代景
行天皇 は、お身の 丈 が一丈 二寸 、おひざか
お見抜きになりました。しかしうわべでは、あくまでだま
じょう
ら下が四 尺 一寸もおありになるほどの、偉大なお体格で
されていらっしゃるようにお見せかけになって、二人を
たけ
いらっしゃいました。それからお子さまも、すべてで八
そのまま 御殿 にお置きになりました。その代わりお 手近 おうすのみこと
けいこうてんのう
十人もお生まれになりました。
のご用は、わざとほかの者にお言いつけになって、それ
わかたらしひこのみこと
おおうすのみこと
ごぜん
てぢか
天 皇 は そ の 中 で、 後 に お あ と を お 継 ぎ に なった
となく二人をおこらしめになりました。
いなぎ
つ
帯日子命 と、 若
小碓命 とおっしゃる 皇子 と、ほかにもう
大碓命 はそんな悪いことをなすってからは、天皇の御
前 ひとかた
くにのみやつこ わけ
おうじ
方 とだけをおそばにお止めになり、あとの七十七人の
一
へお出ましになるのをうしろぐらくおぼしめして、さっ
かたがた
あがたぬし
方
々 をことごとく、地方地方の 国造
、別 、 稲置 、県
主 と
むすめ
おうじ
おうすのみこと
ぱりお顔をお見せになりませんでした。
ごてん
かんおおねのみこ
いう、それぞれの役におつけになりました。
の
天皇はある日、弟さまの 皇子 の小
碓命 に向かって、
み
あるとき天皇は、 美濃 の、 神大根王 という方の 娘 で、
﹁そちが兄は、どういうわけで、このせつ朝夕の食事の
きょうだい
媛 弟
兄
媛 という 姉妹 が、二人ともたいそうきりょうがよ
ときにも出て来ないのであろう。おまえ行って、よく申
え ひ め おとひめ
い子だという評判をお聞きになって、それをじっさいに
し聞かせよ﹂とおっしゃいました。
たし
めしつか
お確 かめになったうえ、さっそく 御殿 にお 召使 いになる
71
おおうすのみこと
せ
れから行って、かれらを打ちとってまいれ﹂とおおせに
い
しかし、それから五日もたっても、 大碓命 は、やっぱ
おおすみ
うわぎ
ひゅうが
ぎ
やまとひめ
なりました。それで命は、急いで 伊勢 におくだりになっ
だいじんぐう
りそのままお顔出しをなさらないものですから、天皇は
め
て、 大神宮 にお仕えになっている、おんおば上の 倭媛 に
おうすのみこと
しょくじ
碓命 を 小
召 して、
お別れをなさいました。
りょう
﹁兄はどうして、いつまでも 食事 に出て来ないのか。お
するとおば上からは、ご料 のお 上着 と、おはかま着 と、
しるし
まえはまだ言わないのではないか﹂とお聞きになりまし
剣 とを、お別れのお 懐
印 におくだしになりました。
かいけん
た。
命はそれからすぐに、今の 日向 、 大隅 、薩
摩 の地方へ
みこと
向かっておくだりになりました。そのとき命は、まだお
さつま
﹁いいえ、申し聞かせました﹂と 命 はお答えになりまし
た。
をお額 髪 にお結 いになっている、ただほんの一少年でい
ゆ
﹁では、どういうふうに話したのか﹂
らっしゃいました。
ひたい
﹁ただ朝早く、おあにいさまがかわやにはいりますとこ
ぐし
ろを待ち受けて、つかみくじき、手足をむしりとって、死
二
みこと
体をこもにくるんでうッちゃりました﹂と、 命 はまるで
きしょう
かこ
たける
くまそたける
むぞうさにこう言って、すましていらっしゃいました。
命は、その土地にお着きになり、 熊襲建 のうちへ近づ
おそ
天皇はそれ以来、 小碓命 のきつい荒 いご気
性 を怖 ろし
いて、ようすをおうかがいになりますと、 建 らは、うち
あら
くおぼしめして、どうかしてそれとなく命をおそばから
のまわりへ軍勢をぐるりと三 重 に立て 囲 わせて、その中
おうすのみこと
遠ざけようとお考えになりました。それでまもなく命を
に住まっておりました。そして、たまたまちょうどその
くまそたける
じゅう
して、
召 家ができあがったばかりで、近々にそのお祝いの 宴会 を
め
﹁実は西の方に 熊襲建 という者のきょうだいがいる。二
するというので、大さわぎでしたくをしているところで
えんかい
人とも私の命令に従わない無礼なやつである。そちはこ
72
みこと
かいだん
さ
命 は、それをもすかさず、 階段 の下に追いつめて、手
ひとこと
たける
せなか
した。
早く 背中 をひっつかみ、ずぶりとおしりをお突き 刺 しに
えんかい
命 はそのあたりをぶらぶら歩きまわって、その 宴会 の
なりました。
みこと
日が来るのを待ちかまえていらっしゃいました。そして、
ゆ
建 はそれなりじたばたしようともしないで、
ぐし
こおんな
いよいよその日になりますと、今までお 結 いになってい
め
﹁どうぞその刀をしばらく動かさないでくださいまし。
いしょう
ふ
たお 髪 を、少女のようにすきさげになさり、おんおば上
みこと
お
言 申しあげたいことがございます﹂ と、 言いました。
一
すがた
さ
からおさずかりになったご 衣裳 を召 して、すっかり 小女 それで 命 は刀をお刺 しになったなり、しばらく 押 し伏 せ
たける
の姿 におなりになりました。そして、ほかの女たちの中
たままにしていらっしゃいますと、 建 は、
えんかい
﹁いったいあなたはどなたでございます﹂と聞きました。
たける
にまじって、 建 どもの 宴会 のへやへはいっておいでにな
りました。
﹁おれは、大
和 の日
代 の宮 に天
下 を治めておいでになる、
おおたらしひこてんのう
おうじ
ちょくめい
やまとおぐなのみこ
てんか
すると 熊襲建 きょうだいは、命をほんとうの女だとば
帯日子天皇 の皇
大
子 、名は 倭童男王 という者だ。なんじ
みこと
みや
かり思いこんでしまいまして、その姿のきれいなのがた
ら二人とも天皇のおおせに従わず、無礼なふるまいばか
たける
ひしろ
いそう気にいったので、とくに自分たち二人の間にすわ
りしているので、 勅命 によって、ちゅう 伐 にまいったの
やまと
らせて、大喜びで飲みさわぎました。
だ﹂と、 命 はおおしくお名乗りになりました。
くまそたける
命は、みんながすっかり 興 に入ったころを見はからっ
建 はそれを聞いて、
ふところ
やまと
ばつ
て、そっと懐 から剣 をお取り出しになったと思いますと、
﹁な る ほ ど、 そ う い う お 方 に 相 違 ご ざ い ま す ま い。 こ
たける
きょう
いきなり片手で兄の 建 のえり首をつかんで、胸 のところ
の西の国じゅうには、私ども二人より強い者は一人もお
つるぎ
をひと 突 きに突き通しておしまいになりました。
りません。それにひきかえ 大和 には、われわれにもまし
たける
むね
弟の 建 はそれを見ると、あわててへやの外へ逃げ出そ
て、すばらしいお方がいられたものだ。おそれながら私
つ
うとしました。
73
は 倭 建 命
とお呼 び申したい﹂と言いました。
がお名まえをさしあげます。これからあなたのお名まえ
ら、
じょうだんのように 建 の太刀をお身におつけになりなが
を見はからって、ご自分の方が先におあがりになり、ご
た ける
じゅく
たける
たける
命は 建 がそう言いおわるといっしょに、その 荒 くれ者
﹁どうだ、二人でこの刀のとりかえっこをしようか﹂と
ほふ
よ
を、まるで熟 したまくわうりを切るように、ずぶずぶと
おっしゃいました。建 はあとからのそのそあがって来て、
やまとたけるのみこと
切り屠 っておしまいになりました。
﹁よろしい取りかえよう﹂と言いながら、うまくだまさ
あら
それ以来、 だれもかれも命のご武勇をおほめ申して、
ぬ
れて命のにせの刀をつるしました。命は、
やまとたけるのみこと
やまと
けんそ
お名まえを 倭 建 命
と申しあげるようになりました。
とな
﹁さあ、ひとつ二人で試合をしよう﹂とお言いになりま
あなど
命は、それから大
和 へおひきかえしになる途中で、いろ
した。 そして二人とも刀を 抜 き放すだんになりますと、
たいじ
たける
んな山の神や川の神や、 穴戸 の神と称 えて、方々の険
阻 のはにせの刀ですから、いくら力を入れても抜けよう
建 かた
なところにたてこもっている 悪神 どもを、片 はしからお
はずがありません。命は 建 がそれでまごまごしているう
いずも
いずもたける
わるがみ
従えになった後、 出雲 の国へおまわりになって、そのあ
ちに、すばやくほんものの刀を引き抜いて、たちまちそ
はば
たける
たりで 幅 をきかせている、 出雲建 という悪者をお 退治 に
たける
たける
の悪者を切り殺しておしまいになりました。そして、そ
みこと
なりました。
のあとで、 建 が抜けない刀を抜こうとして、まごまごと
わら
命 はまずその建 の家へたずねておいでになって、その
あわてたおかしさを、歌につくってお 笑 いになりました。
けず
悪者とごこうさいをお結びになりました。そして、その
かざ
ち
かわ
あとで、こっそりといちいという木を刀のようにお 削 り
た
ひ
三
た ける
たい
になり、それをりっぱな 太刀 のように飾 りをつけておつ
ぞく
みちすじ
るしになって、 建 をさそい出して、二人で 肥 の 河 の水を
命 はこんなにして、お 道筋 の賊 どもをすっかり 平 らげ
みこと
浴びにいらっしゃいました。そして、いいかげんなころ
74
やまと
そうじょう
なみだ
うら
こうおっしゃって涙 ながらにお立ちになろうとしました。
たからもの
みつるぎ
だい
て、 大和 へおかえりになり、天皇にすべてをご 奏上 なさ
とうと
すさのおのみこと
おんおば上は、命のそのお 恨 みをおやさしくおなだめ
と
かみよ
いました。
になったうえ、もと 神代 のときに、 須佐之男命 が 大 じゃ
ふくろ
すると天皇は、またすぐにひき続いて、命に、東の方
ほこ
の尾の中からお拾いになった、あの 貴 いお宝
物 の御
剣 と、
と
の十二か国の悪い神々や、おおせに従わない悪者どもを
ほかに袋 を一つお授けになり、まん一、急なことが起こっ
た。
ふくろ
き従えてまいれとおおせになって、ひいらぎの 説 矛 をお
たら、この 袋 の口をお 解 きなさい、とおおせになりまし
りました。
命はそれから尾
張 へおはいりになって、そこの 国造
の
そ
命はお言いつけを奉じて、またすぐにおでかけになり
の美
娘 夜受媛 のおうちにおとまりになりました。そして、
さず
ました。 そして途中で 伊勢 のお宮におまいりになって、
かえりにはまた 必 ず立ち 寄 るからとお言いのこしになっ
みすきともみみたけひこ
けになり、御
授 鉏友耳建日子 という者をおつけ添 えにな
おんおば上の 倭媛 に再
度 のお別れをなさいました。その
て、さらに東の国へお進みになり、山や川に住んでいる、
さいど
あら
と
かなら
くにのみやつこ
ぬま
こま
さがみ
くにのみやつこ
とき命はおんおば上に向かっておっしゃいました。
くれ神や、そのほか天皇にお仕えしない悪者どもをい
荒 おわり
﹁天皇は私を早くなくならせようとでもおぼしめすので
ちいちお 説 き従えになりました。そしてまもなく 相模 の
みやずひめ
しょう。でも、こないだまで西の方の賊を 討 ちにまいっ
国へお着きになりました。
むすめ
ておりまして、やっと、たった今かえったと思いますと、
するとそこの 国造
が、 命をお殺し申そうとたくらん
い せ
またすぐに、こんどは東の方の悪者どもを討ちとりにお
で、
ぐんぜい
よ
出しになるのはどういうわけでございましょう。それも
﹁あすこの野中に大きな 沼 がございます。その沼の中に
やまとひめ
ほとんど 軍勢 というほどのものもくださらないのです。
住んでおります神が、まことに乱
暴 なやつで、みんな困 っ
う
こんなことからおして考えてみますと、どうしても私を
ております﹂と、おだまし申しました。
らんぼう
早く死なせようというお心持としか思われません﹂命は
75
さがみ
わた
はんとう
かずさ
命はその 相模 の半
島 をおたちになって、お船で 上総 へ
くにのみやつこ
命はそれをまにお受けになって、その野原の中へはいっ
向かってお 渡 りになろうとしました。すると途中で、そ
おおあ
ておいでになりますと、 国造
は、ふいにその野へ火をつ
この海の神がふいに 大波 を巻 きあげて、海一面を 大荒 れ
ま
けて、どんどん四方から焼きたてました。
に荒れさせました。命の船はたちまちくるくるまわり流
おおなみ
命ははじめて、あいつにだまされたかとお気づきにな
せま
されて、それこそ進むこともひきかえすこともできなく
ま
なってしまいました。
あやう
りました。 その間 にも火はどんどんま近に 迫 って来て、
お身が 危 くなりました。
そのとき命がおつれになっていたお 召使 の弟
橘媛 は、
めしつかい おとたちばなひめ
命はおんおば上のおおせを思い出して、急いで、例の袋
ひうち
﹁これはきっと海の神のたたりに相違ございません。私
らん
のひもをといてご 覧 になりますと、中には 火打 がはいっ
があなたのお身代わりになりまして、海の神をなだめま
ひうち
ぬ
ておりました。
みつるぎ
しょう。あなたはどうぞ天皇のお言いつけをおしとげく
たからもの
命はそれで、急いでお 宝物 の 御剣 を抜 いて、あたりの
きぬだたみ
ださいまして、めでたくあちらへおかえりくださいまし﹂
ま
おだや
かわだたみ
草をどんどんおなぎ払いになり、今の 火打 でもって、そ
と言いながら、すげの 畳 を八 枚 、皮
畳 を六枚に、絹
畳 を
ひめ
まい
の草へ向かい火をつけて、あべこべに向こうへ向かって
八枚 重 ねて、波の上に投げおろさせるやいなや、身をひ
おおなみ
たたみ
お焼きたてになりました。命はそれでようやく、その野
るがえして、その上へ飛びおりました。
くさなぎ
かさ
原からのがれ出ていらっしゃいました。そしていきなり、
大波 は見るまに、たちまち 媛 を巻 きこんでしまいまし
てした
その悪い 国造
と、手
下 の者どもを、ことごとく切り殺し
た。するとそれといっしょに、今まで荒れ狂っていた海
くにのみやつこ
て、火をつけて焼いておしまいになりました。
が、ふいにぱったりと静まって、急に 穏 かななぎになっ
やいず
みつるぎ
つるぎ
それ以来そのところを 焼津 と呼びました。 それから、
てきました。
みこと
が草をお切りはらいになった 命 御剣 を草
薙 の剣 と申しあ
命はそのおかげでようやく船を進めて、 上総 の岸へ無
かずさ
げるようになりました。
76
あら
の 荒 くれ神をもお従えになりました。
やまと
事にお着きになることができました。
それでいよいよ、 再 び大
和 へおかえりになることにな
あしがらやま
ふたた
それから七日目に、 橘媛 のくしがこちらの浜へうちあ
りました。
えて現われて、命を見つめてつっ立っておりました。
たちばなひめ
げられました。命はそのくしを拾わせて、あわれな 媛 の
そのお途中で、 足柄山 の坂の下で、お食事をなすって
命 は、それをご覧 になると、お食べ残しのにらの 切 は
ひめ
ためにお墓をお作らせになりました。
おいでになりますと、その坂の神が、白いしかに姿をか
さねさし、
しをお取りになって、そのしかをめがけてお投げつけに
たちばなひめ
橘
媛 が生前に歌った歌に、
さがむの小
野 に、
なりました。すると、それがちょうど目にあたって、し
なげ
よ
きれ
もゆる火の、
かはばたりと 倒 れてしまいました。
らん
火
中 に立ちて、
命はそれから坂の頂上へおあがりになり、そこから東
みこと
問いしきみはも。
の海をおながめになって、あの 哀 れな 橘媛 のことを、つ
さがみ
お の
くづくとお思いかえしになりながら、
たお
これは、 相模 の野原で火攻めにお会いになったときに、
﹁あずまはや﹂︵ああ、 わが女よ︶ とお 嘆 きになりまし
ほなか
その燃える火の中にお立ちになっていた、あの危急なと
呼 ぶようにな
た。それ以来そのあたりの国々を あ ず まと みこと
たちばなひめ
きにも、 命 は私のことをご心配くだすって、いろいろに
りました。
あわ
め問うてくだすった、ほんとに、お情け深い方よと、そ
慰 なぐさ
のもったいないお心持を 忘 れない印 に歌ったのでした。
四
へいてい
しるし
命はそこから、なおどんどんお進みになって、いたる
わす
ところで手におえない悪者どもをご 平定 になり、山や川
、
、
、
77
こ
命はその答えの歌をおほめになって、そのごほうびに、
い
命は、そこから 甲斐 の国へお越 えになりました。そし
老人を 東 国 造
という役におつけになりました。
か
て酒
折宮 という御
殿 におとまりになったときに、
それから 信濃 へおはいりになり、そこの 国境 の地の神
しなの
あずまのくにのみやつこ
を 討 ち従えて、ひとまずもとの 尾張 までお帰りになりま
よ
ごてん
にいばり、つくばを過ぎて、
した。
さかおりのみや
いく 夜 か寝 つる。
命はお行きがけにお約束をなすったとおり、 美夜受媛 いぶきやま
くさなぎ
くにざかい
のおうちへおとまりになりました。そして 草薙 の宝
剣 を
おわり
とお歌いになりますと、あかりのたき火についていた一
におあずけになって 媛 近江 の 伊吹山 の、山の神を 征伐 に
う
人の老人が、すぐにそのおあとを受けて、
おいでになりました。
ね
命はこの山の神ぐらいは、 す手でも殺すとおっしゃっ
ここのよ
せいばつ
ほうけん
みやずひめ
かかなべて、
て、どんどんのぼっておいでになりました。すると途中
よ
おうみ
夜 には九
夜 、
で、うしほどもあるような、大きな白いいのししが現わ
とおか
ひめ
日には十
日 を。
れました。命は、
めしつかい
ば
﹁このいのししに 化 けて出たのは、まさか山の神ではあ
つくば
と歌いました。それは、
にいばり
るまい。神の 召使 の者であろう。こんなやつは今殺さな
ひたち
﹁蝦
夷 どもをたいらげながら、 常陸 の 新治 や筑
波 を通り
くとも、かえりにしとめてやればたくさんである﹂とお
えびす
すぎて、ここまで来るのに、いく夜寝たであろう﹂とおっ
とおかめ
いばりになって、そのままのぼっておいでになりました。
ここのよ
しゃるのに対して、
そうすると、ふいに大きなひょうがどッと降りだしま
おそ
﹁かぞえて見ますと、 九夜 寝て 十日目 を迎えましたので
した。命 はそのひょうにお襲 われになるといっしょに、ふ
みこと
ございます﹂という意味でした。
78
ら ふ ら と お 目 ま い が し て、 ちょう ど も の に お 酔 いになっ
になりましたが、まもなくひどく 疲 れておしまいになっ
て、お嘆 きになりました。そしてそのまままた少しお歩き
なげ
たように、お気分が遠くおなりになりました。
たので、とうとうつえにすがって 一足 一
足 お進みになり
よ
それというのは、さきほどの白いいのししは、山の神の
ました。
ち
つ
た ち
さき
ひとあしひとあし
つか
召使ではなくて、山の神自身が化けて出たのでした。そ
そんなにして、やっと 伊勢 の尾
津 の崎 という海ばたの、
た
お
れを命があんなにけいべつして 広言 をお 吐 きになったの
一本まつのところまでおかえりになりますと、この前お
どくき
い せ
で、山の神はひどく 怒 って、たちまち 毒気 を 含 んだひょ
行きがけのときに、そのまつの下でお食事をお取りになっ
は
うを降らして、命をおいじめ申したのでした。
て、つい 置 き忘 れていらしった 太刀 が、そのままなくな
こうげん
命は、ほとんどとほうにくれておしまいになりました
らないで、ちゃんと残っておりました。
しみず
ふく
が、ともかく、ようやくのことで山をおくだりになって、
命 は、
おこ
倉部 というところにわき出ている 玉
清水 のそばでご休息
﹁おお一つまつよ、よくわしのこの 太刀 の番をしていて
わす
をなさいました。そして、そのときはじめて、いくらか
くれた。おまえが人間であったら、ほうびに太刀をさげ
お
ご気分がたしかにおなりになりました。しかし命はとう
てやり、着物を着せてやるのだけれど﹂と、こういう意
みこと
とうその毒気のために、すっかりおからだをこわしてお
味の歌を歌ってお喜びになりました。それからなおお歩
たまくらべ
しまいになりました。
ぎ
の
きになって、ある村までいらっしゃいました。
み の
た
やがて、そこをお立ちになって、 美濃 の当
芸野 という
え
命は、そのとき、
み
野中までおいでになりますと、
﹁わしの足はこんなに 三重 に曲がってしまった。どうも
つか
﹁ああ、おれは、いつもは空でも飛んで行けそうに思って
の
ひどく 疲 れて歩けない﹂とおっしゃいました。しかしそ
ぼ
いたのに、今はもう歩くこともできなくなった。足はちょ
れでも無理にお歩きになって、 能褒野 という野へお着き
の
うど船のかじのように曲がってしまった﹂ とおっしゃっ
79
帰りつくことはできない。
その恋しい土地へも、
しかし、ああ 私 は、
美しい大
和 が恋しい。
あの 青山 にとりかこまれた、
いになり、
命は、その野の中でつくづくと、おうちのことをお思
になりました。
命 は、ついに、
てきました。
そして、それといっしょにご病
勢 もどっとご 危篤 になっ
と、お歌いになりました。
雲が出て来るよ。︶
はるかな 大和 の方から、
わが 家 のある、
︵おおなつかしや、
雲いたち 来 も。
く
命 あるものは、
やまと
へぐり
とこ
や
これからがいせんして、
おとめの、
かざ
つるき
やまと
あの 平群 の山の、
床 のべに、
かみ
あおやま
くまがしの葉を、
わがおきし、
わたし
髪 に飾 って祝い楽しめよ。
剣 の太
刀 。
ほうけん
きとく
その太刀はや。
みやずひめ
ふたた
びょうせい
という意味をお歌いになり、
みこと
と、 あの 美夜受媛 のおうちにおいていらしった 宝剣 も、
いのち
はしけやし、
とうとう再 び手にとることもできないかとお歌いになり、
かた
た ち
わぎへの方 よ、
80
しお
お 妃 は潮 の中を歩きなやみながら、おんおんお泣きに
きさき
そのお歌の終わるのとともに、この世をお去りになりま
なりました。
き
した。
その鳥は、とうとう 伊勢 から 河内 の 志紀 というところ
し
早うまのお使いは、このことを天皇に申しあげにかけ
へ来てとまりました。それで、そこへお墓を作って、いっ
かわち
つけました。
たんそこへお 鎮 め申しましたが、しかし鳥は、あとにま
せ
大
和 からは、命のお 妃 やお子さまたちが、びっくりし
た飛び出して、どんどん空をかけて、どこへともなく 逃 ちゅうあいてんのう
せいむてんのう
たらしなかつひこのみこと
い
てくだっておいでになりました。そして、命のご 陵 をお
げ去ってしまいました。
しず
作りになって、そのぐるりの田の中に 伏 しまろんで、お
きさき
んおんおんおんと泣いていらっしゃいました。
五
やまと
するとおなくなりになった命は、大きな白い鳥になっ
はまべ
せいばつ
けいこうてんのう
に
て、お墓の中からお出ましになり、空へ高くかけのぼっ
命 には、お子さまが男のお子ばかり六人おいでになり
きさき
かぶ
りょう
て、浜
辺 の方へ向かって飛んでおいでになりました。
ました。その中の、 帯中津日子命 とおっしゃる方は、後
ふ
お 妃 やお子さまたちは、それをご 覧 になると、すぐに
にお 祖父上 の天皇のおつぎの 成務天皇 のおあとをお継 ぎ
わす
みこと
泣き泣きそのあとを追いしたって、ささの切り 株 にお足
になりました。すなわち 仲哀天皇 でいらっしゃいます。
らん
を傷つけて血だらけにおなりになっても、痛 さを忘 れて、
命が諸方を 征伐 しておまわりになる間は、 七拳脛 とい
おんちちうえ
つ
いっしょうけんめいにかけておいでになりました。
う者が、いつもご料理番としてお供について行きました。
そふうえ
そしてしまいには、海の中にまではいって、ざぶざぶ
御父上 の 景行天皇 は、おん年百三十七でおかくれにな
いた
と追っかけていらっしゃいました。
りました。
ななつかはぎ
白い鳥はその人々をあとにおいて、海の中のいそから
いそにと伝わって飛んで行きました。
81
﹁しかし、高いところへ登って西の方を見ましても、そ
た。
した。そしてお心のうちでは、
見えないではありませんか﹂と、天皇はお答えになりま
おおうみ
ちらの方はどこまでも 大海 ばかりで、国などはちっとも
一
﹁これはほんとうの神さまではあるまい。きっといつわ
ちょうせんせいばつ
朝
鮮征伐 りを言う神が乗りうつったにちがいない﹂とおぼしめし
せいばつ
仲
哀天皇 は、ある年、ご自身で 熊襲 をお 征伐 におくだ
て、それなりお 琴 をおしのけて、だまっておすわりになっ
くまそ
りになり、筑
前 の香
椎 の宮というお宮におとどまりになっ
ていました。
ちくぜん
ちゅうあいてんのう
ていらっしゃいました。
すると神さまはたいそうお 怒 りになって、
こと
そのとき天皇は、ある夜、 戦 のお手だてについて、神さ
﹁そんな、わしの 言葉 をうたぐったりするものには、こ
すわ
かしい
まのお告げをいただこうとおぼしめして、大臣の 武内宿禰 の国も 任 せてはおかれない。あなたはもう、さっさと死
まつりば
いか
をお 祭場 へお 坐 らせになり、御自分はお 琴 をおひきにな
んでおしまいなさるがよい﹂と、おおせになりました。
いくさ
りながら、お二人でお祈 りをなさいました。そうすると、
宿禰 はその言葉を聞くと、びっくりして、
おきながたらしひめ
ことば
どなたか一人の神さまが、皇后の 息長帯媛 のおからだに
﹁これはたいへんでございます。陛下よ、どうぞもっと
めずら
たけのうちのすくね
お乗りうつりになり、皇后のお口をお借りになって、
お琴をおひきあそばしませ﹂と、あわててご注意申しあ
くまそ
まか
﹁これから西の方にあるひとつの国がある、そこには金
げました。
こと
銀をはじめ、目もまぶしいばかりの、さまざまの 珍 しい
天皇は仕方なしに、しぶしぶお琴をおひき寄せになっ
たから
いの
がどっさりある。つまらぬ 宝 熊襲 の土地よりも、まずそ
て、しばらくの間、申しわけばかりにぽつぽつひいてお
すくね
の国をあなたのものにしてあげよう﹂とおっしゃいまし
82
みおも
るお子がお治めになるべきものだ﹂とおっしゃいました。
ね
すくね
いでになりましたが、そのうちにまもなく、ふッつりと
ひ
皇后は、そのときちょうどお 身重 でいらっしゃいまし
すくね
お琴の 音 がとだえてしまいました。
た。 宿禰 はそのおおせを聞いて、
すお子さまは、男のお子さまと女のお子さまと、どちら
おそ
宿
禰 はへんだと思って、灯 をさし上げて見ますと、天
﹁では、 恐 れながら、今、皇后のお腹においでになりま
になっていらっしゃいました。
でいらっしゃりましょう﹂とうかがいますと、
たお
皇はもはやいつのまにかお息が絶えて、その場にお 倒 れ
皇后も 宿禰 も、神さまのお罰 に驚 き怖 れて、急いでそ
﹁お子はご 男子 である﹂とお告げになりました。
おそ
のお 空骸 を仮のお宮へお移し申しました。そしてまず第
宿禰 はなお、すべてのことをうかがっておこうと思い
くろ
は
おどろ
一番に、神さまのお怒りをおなだめ申すために、そのあ
まして、
ばつ
たりの国じゅうで生きた 獣 の皮を 剥 いだり、獣を 逆 はぎ
﹁まことにおそれいりますが、かようにいちいちお告げ
すくね
にしたものをはじめとして、田の 畔 をこわしたもの、 溝 を下さいますあなたさまは、どなたさまでいらっしゃい
けが
すわ
そこつつおのみこと
くだ
なかつつおのみこと
なんし
をうめたもの、 汚 ないものをひりちらしたもの、そのほ
ますか。どうぞお名まえをおあかしくださいまし﹂と申
なきがら
か言うも 穢 らわしいような、さまざまの汚ない罪を犯し
しあげました。神さまは、やはり皇后のお口を通して、
ふたた
すくね
たものたちをいちいちさがし出させて、 御幣 をとって、
﹁こ れ は す べ て 天照大神 の お ぼ し め し で あ る。 ま た、
すくね
さか
はらい清めて、国じゅうのけがれをすっかりなくしてお
筒男命 、 底
中筒男命 、 上筒男命 の三人の神も、いっしょ
けもの
しまいになりました。そして、 宿禰 が 再 びお祭場に 坐 っ
に申し 下 しているのだ﹂と、そこではじめてお名まえを
みぞ
て、改めて神さまのお告げをお祈り申しました。
お告げになりました。
きた
すると神さまからは、この前おっしゃった西の国のこ
神さまはなお改めて、
ごへい
とについて、同じようなおおせがありました。
﹁もしそなたたちが、ほんとうにあの西の国を得ようと
なか
うわつつおのみこと
あまてらすおおかみ
﹁それからこの日本の国は、今、皇后のお腹 にいらっしゃ
83
たてまつ
う
おおつなみ
こ
ちょうせん
が、しまいには大きな、すさまじい 大海嘯 となって、こ
かわ
しらぎ
思うならば、まず大空の神々、地上の神々、また、山の
まつ
れから皇后がご征伐になろうとする、今の 朝鮮 の一部分
みたま
神、海と 河 との神々にことごとくお供えを 奉 り、それか
しらぎ
ま
の新
羅 の国へ、ふいにどどんと 打 ち上げました。そして、
はし
せいばつ
ま
ら私たち三人の神の 御魂 を船のうえに 祀 ったうえ、 ま き
あっという 間 に、国じゅうを半分までも 巻 き込 んでしま
ひさご
ぼん
の灰 を瓠 に入れ、また箸 と盆 とをたくさんこしらえてそ
いました。
わた
はい
れらのものを、みんな海の上に散らし浮かべて、その中
皇后の軍勢は、その大海嘯と入れちがいに、息もつか
てじゅん
こうさん
せずうわあッと 攻 めこみました。すると 新羅 の王はすっ
おそ
順 をおしえてくださいました。
手
かり怖 れちぢこまって、すぐに降
参 してしまいました。
ことば
それで、皇后はすぐ軍勢をお集めになり、神々のお 言葉 ぎょうさん
国王は、
ととの
のとおりに、すべてご用意をお 整 えになって、仰
山 なお
げろう
﹁私どもはこれからいついつまでも、天皇のおおせのま
かわ
まいとし
さお
かい
まに、おうま 飼 の下
郎 となりまして、いっしょうけんめ
ふなぞこ
になりました.
せなか
いにご奉公申しあげます。そして 毎年 船をどっさり仕立
か
むきゅう
みつぎもの
そうすると海じゅうの、あらゆる大小の魚が、のこら
いせい
お
てまして、その 船底 の 乾 くときもなく、 棹 や櫂 の乾くま
かつ
ず駈 けよって来て、すっかりのお船をみんなで 背中 にお
ほろ
もなもないほどおうかがわせ申しまして、絶えず 貢物 を
ひらぐも
り天地が 奉 亡 びますまで無
窮 にお仕え申しあげます﹂と、
つの
しはこんで行きました。そこへ、ちょうどつごうよく、追
となり
くだら
しらぎ
蜘蛛 のようになっておちかいをいたしました。
平
とど
い手の風がどんどん吹き 募 って来ました。ですから、そ
かい
それで皇后はさっそくお聞き 届 けになりまして、新
羅 の
王をおうま飼 ということにおきめになり、その 隣 の百
済 しるし
た。
をもご 領地 にお定めになりました。 そしてそのお 印 に、
りょうち
そのうちに、そのたいそうな大船に押しまくられた 大浪 おおなみ
れだけのお船がみんな、かけ飛ぶように走って行きまし
たてまつ
ぎ申しあげて、わッしょいわッしょいと、 担 威勢 よく 押 かい
船をめしつらねて、勇ましく大海のまん中へお乗り出で
せ
を 渡 って行くがよい﹂とおっしゃって、くわしく 征伐 の
、
、
84
つえ
しらぎ
おうきゅう
つ
さ
お
とも
ゆみ
い
もりにく
うで
ひじ
かわぐ
ど、 鞆 といって 弓 を射 るときに左の臂 につける 革具 のと
とも
おうじんてんのう
おおとものみこと
お杖 を、新
羅 の王
宮 の門のところに 突 き刺 してお 置 きに
そこつつおのみこと
せいばつ
おりの形をしたお 盛肉 が、お 腕 に盛りあがっておりまし
やしろ
なりました。
た。皇后はこれをお名まえにお取りになって、 大鞆命 とお
さしず
まつ
よ
それから最後に、お社 をお作りになって、今度のご 征伐 名づけになりました。すなわち後にお 呼 び申す 応神天皇 うじがみ
についていちいちお 指図 をしてくださった、底
筒男命 以
さまです。その 鞆 のお肉のことをうけたまわったものた
なか
下三人の神さまを、この国の 氏神 さまにお祀 りになった
ちは、天皇がお母上のお 腹 のうちから、すでに天下をお
治めになっていたということは、これでもわかると言っ
しらぎ
て、みんな 畏 れ入りました。
いふう
後、ご 威風 堂々と新
羅 をおひき上げになりました。
二
また、皇后はご出征のまえに、 肥前 の玉
島 というとこ
おそ
ろにおいでになって、そこの川のほとりでお食事をなさっ
たましま
おん母上の皇后はその前に、まだご征伐のお途中でお
たことがありました。
ひぜん
のお子さまがお生まれになろうとしました。 それで、
腹 それがちょうど四月で、あゆが取れるころでした。皇后
なか
どうぞ今しばらくの間はご出産にならないようにとお祈
はためしにその川中の石の上にお下りになって、お 下袴 したばかま
めしつぶ
はんつぶ
したばかま
りになって、そのお 呪 いに、お下着のお 腰 のところへ石
の糸をぬいて 釣糸 になされ、お食事のおあとのご 飯 粒 を
こし
ころをおつるしになり、それでもって当分お腹をしずめ
にして、ただでも決して 餌 釣 ることができないあゆをちゃ
まじな
ておおきになりました。
んとおつり上げになりました。
がいせん
つりいと
するとお子さまは、ちゃんと 筑紫 へお 凱旋 になってか
ですからこの地方では、その後いつも四月のはじめに
つ
らご無事にお生まれになりました。それはかねて神さま
なりますと、女たちがみんな 下袴 の糸をぬいて、 飯粒 を
えさ
のお告げのとおりりっぱな男のお子さまでいらっしゃい
餌にしてあゆを釣り、ながく皇后のお徳をかたりつたえ
たんじょう
つくし
ました。この小さな天皇には、ご 誕生 のときに、ちょう
85
おん母上の皇后は、ついで熊
襲 をも難なくご平定になっ
三
る印 にしておりました。
によって、さいさきを 占 ってみようとなさいました。
皇子たちは、その野原でためしに 猟 をして、その獲
物 た。
めて、 摂津 の斗
賀野 というところまでご進軍になりまし
ちうけて 討 ち亡 ぼそうとおぼしめして、にわかに兵を集
かりになりました。それでまず第一番に皇后の軍勢を待
しるし
て、いよいよ大
和 におかえりになることになりました。
香坂皇子 は、くぬぎの木に上って、その猟の 有様 を見
かごさかのみこ
おしくまのみこ
せっつ
かごさかのおうじ
と
ほろ
しかし、大和には、 香坂王 、 忍熊王 とおっしゃる、お
ていらっしゃいました。すると、ふいにそこへ、 手傷 を
う
二人のお 腹 ちがいの皇子などがおいでになるので、うっ
った大きないのししがあらわれて、そのくぬぎの木の
負 たくら
たお
ほ
の
かりしていると、天皇がお小さいのにつけ入ってどんな
根もとをどんどん 掘 りにかかりました。そしてまもなく
が
悪い事をお企 みになるかわからないとお気づかいになり
すとんと掘り 倒 したと思いますと、いきなり 香坂皇子 に
さくりゃく
おしくまのおうじ
てきず
かごさかのおうじ
おしくまのみこ
ぜんちょう
う
えもの
ました。
飛びかかって、がつがつ皇子を食べてしまいました。
な
りょう
それで皇后は、ちゃんとお策
略 をお立てになって、喪
船 しかし、弟さまの 忍熊皇子 は、そんな悪い 前兆 にもと
くまそ
を一そうお仕立てになり、お小さな天皇をその中へお乗
んじゃくなしに、そのまま軍勢をおひきつれになり、海
なきがら
もふね
うらな
せになりました。
ばたまで押しかけて、待ちかまえていらっしゃいました。
やまと
そして天皇はもはやとくにお 亡 くなりになったとお言
そのうちに、皇后がたのお船が見えて来ました。忍
熊王 つくし
おしくま
ありさま
いふらしになり、そのお 空骸 を奉じておかえりになるて
は、その中の 喪船 には、兵たいたちが乗っていないはず
はら
いにして、筑
紫 をお立ちになりました。
なので、まずまっ先にその船を目がけてお 討 ちかからせ
かごさか
お
こちらは香
坂 、忍
熊 の二皇子は、それをお聞きになり
になりました。
もふね
ますと、案のとおり、ご自分たちがあとを取ろうとおか
86
なり、ふいに、うわッと飛び下りて、たちまち、はげし
りの兵が 忍 ばせてありました。その兵士たちは船がつく
ところがその船の中には、前もってちゃんとよりすぐ
いの 戦 道具をも 片 づけさせてしまいました。
分のほうもひとまずみんなに弓の 弦 をはずさせ、いっさ
すると 伊佐比宿禰 はそれですっかり気をゆるして、自
さもほんとうのように、 伊佐比宿禰 に降
参 をしました。
こうさん
い戦 をはじめました。
建振熊命 はそれを見すまして、
いさひのすくね
そのとき忍
熊王 の軍
勢 には、 伊佐比宿禰 というものが
﹁それッ﹂と合い図をしますと、部下の兵たちは、 髪 の
そうたいしょう
おしくまのみこ
すくね
がんこ
ふせ
せ
いくさ
かく
たけふるくまのみこと
とき
かた
いさひのすくね
大将 に なって い ま し た。 そ れ に 対 し て 皇 后 方 か ら は
総
中に 隠 していた、かけがえの弦を取り出して 瞬 くまに弓
たけふるくまのみこと
たけふるくまのみこと
しの
振熊命 という強い人が将軍となって 建
攻 めかけました。
を張って、
とど
おうみ
おうさか
とど
たけふるくまのみこと
てきぜい
ふ
つる
建
振熊命 は見る見るうちに宿
禰 の軍勢を負かし崩 して、
﹁うわッ﹂と、哄 を上げて攻めかかりました。
やましろ
いくさ
ぐんぐんと、どこまでも追っかけて行きました。すると
敵はまんまと不意を討 たれて、総くずれになってにげ出
いくさ
敵は山
城 でふみ止 まって、頑
固 に防 ぎ戦 をしだしました。
しました。 建振熊命 は勝に乗じてどんどんと追いまくっ
たけふるくまのみこと
いさひのすくね
建
振熊命 は、何をと言いながら、死にもの 狂 いで攻め
て行きました。
ひ
ぐんぜい
かけ攻めかけしました。しかし、どんなにあせっても敵
すると敵
勢 は近
江 の逢
坂 というところまでにげのびて、
は
いさひのすくね
あやう
ささなみ
かみ
はそれなりひと足も 退 こうとはしませんでした。
そこでいったん 踏 み止 まって戦いましたが、また攻めく
たけふるくまのみこと
たけふるくまのみこと
き
おしくまのみこ
またた
建
振熊命 は、しまいには、これでは果 てしがないと思
ずされて、ちりぢりににげて行きました。
き
くず
い直して、急に味方の兵をひきまとめるといっしょに、向
建振熊命 は、とうとうそれを同じ 近江 の篠
波 というと
つる
う
こうの軍勢に向かって、
ころで追いつめて、敵の兵たいという兵たいを一人もの
いくさ
ゆみ
ぐる
﹁実は皇后が急におなくなりになったので、われわれは
こさず 斬 り殺してしまいました。
へいし
おうみ
もう 戦 をする気はない﹂と申し入れながら、その目の前
そのとき 忍熊王 と 伊佐比宿禰 とは、 危 く船に飛び乗っ
ぜんぐん
た
で 全軍 の 兵士 たちに 弓 の 弦 をことごとく 断 ち 切 らせて、
87
たいざい
﹁わしの名を、お小さい天皇のお名と取りかえてくれぬ
て、
いささわけのおおかみ
間そこに 滞在 しておりました。
さあ、おまえ、
か﹂とおっしゃいました。
まつ
て、湖水の中へにげ出しました。
するとその土地に祀 られておいでになる伊
奢沙和気大神 振
熊 に殺されるよりも、
宿禰 は、
すくね
しかしぐずぐずしていると今につかまってしまうのが
という神さまが、あるばん 宿禰 の夢に現われていらしっ
鳰
鳥 のように、
﹁それはもったいないおおせでございます。どうもあり
すくね
この湖水にもぐってしまおうよ。
がとう存じます﹂とお答え申しました。大
神 は、
﹁それで
おうじ
目に見えていましたので、 皇子 は宿
禰 に向かって、
は、 明日 お供をして海ばたへ来るがよい。名を取りかえ
かいつぶり
ふるくま
とお歌いになり、二人でざんぶと飛び 込 んで、それなり
てくださったお礼を上げようから﹂とおっしゃいました。
すくね
あ
すくね
れ死にに死んでおしまいになりました。
溺 それであくる朝早く、天皇をおつれ申して海岸へ出て
わかさ
さかな
おおかみ
見ますと、みんな鼻の先に 傷 をうけた、それはそれはた
おうみ
す
四
いそうな 海豚 が、浜じゅうへいっぱいうち上げられてお
たけのうちのすくね
みそぎ
こ
りました。
おぼ
皇后はそれでいよいよめでたく 大和 へおかえりになり
宿禰 はさっそくお社 へお使いをたてて、
はら
やまと
きず
ました。
﹁食べ料のお 魚 をどっさりありがとう存じます﹂とお礼
けが
いるか
しかし武
内宿禰 だけは、お小さな天皇をおつれ申して、
を申しあげました。
つぬが
やまと
れ払 穢 いの禊 ということをしに、近
江 や若
狹 をまわって、
天皇はそれから 大和 へおかえりになりました。
えちぜん
やしろ
前 の 越
鹿角 というところに仮のお宮を作り、しばらくの
88
皇后は、
お祝いのおさかもりをなさいました。
は大喜びをなすって、さっそくご用意のお酒を出させて、
お待ち受けになっていたお母上の皇后は、それはそれ
とお答えの歌を歌いながら、ともどもお喜び申しました。
ああ楽しや。
舞いたくなってまいります。
いただきますとひとりでに歌いたく、
じんぐうこうごう
お
後の世の人は、この母上の皇后の、いろんな雄
々 しい大
お
このお酒は、 私 がかもした酒ではない。
きなお手
柄 をおほめ申しあげて、お名まえを特に 神功皇后 すくなひこなのかみ
わたし
薬の神の少
名彦名神 があなたのご運をお祝いして、
とおよび申しております。
うす
てがら
喜びさわいでつくってくだされたお酒だから、
のこさず、すっかりめし上がってください。
さあさあどうぞ。
すくね
という意味をお歌いになりました。
宿
禰 は天皇に代わって、
つづみ
このお酒をつくった人は、
ま
鼓 を臼 の上に立てて、
歌いながら、 舞 いながら、
喜び喜びつくったせいでございますか、
それはそれはたいそうよいお酒で、
89
しておりました。すると、ふしぎなことには、日の光が
の阿
具沼 という沼 のほとりで、ある日一人の女が 昼寝 を
それは、この時分からも、もっともっと 昔 、 新羅 の国
が伝わっています。
神
功皇后 のお母
方 のご先祖については、こういうお話
一
赤い玉
﹁いえいえ私はけっしてこのうしを殺そうなどとするの
としました。農夫は、
がら、いきなり農夫をつかまえてろうやへつれて行こう
てそのうしも殺して食おうというのであろう﹂と言いな
せてこんなところへはいって来たのだ。きっと人に 隠 れ
﹁これこれ、そちはどうしてそのうしへたべ物などを乗
て、
王子は農夫がへんなところへうしを引いて行くのを見
の国の王子に出会いました。
せて運んで行きますと、その谷間で、 天日矛 という、こ
は、その田で働いている人たちのたべ物を、うしに負わ
この農夫は 谷間 に田を作っておりました。ある日農夫
たにま
にじのようになって、さっと、その女のお 腹 へ 射 しまし
ではございません。ただこうして 百姓 たちのたべ物を運
あぐぬま
ぬま
なか
さ
ひるね
ひゃくしょう
あめのひほこ
た。
んでまいりますだけでございます﹂と、ほんとうのまま
ははかた
それをちょうど通りかかった一人の農夫が見て、へん
を話しました。それでも王子は、
じんぐうこうごう
なこともあるものだと思いながら、それからは、いつも
﹁いやいや、うそだ﹂と言って、なかなかゆるしてくれな
とこ
かく
その女のそぶりに目をつけていますと、女はまもなくお
いので、農夫は 腰 につけている例の赤い玉を出して、そ
しらぎ
腹が大きくなって、 一つの赤い玉を生み落としました。
れを王子にあげて、やっとのことで放してもらいました。
むかし
農夫はその玉を女からもらって、物につつんで、いつも
王子はその玉をおうちへ持って帰って、 床 の間に置い
こし
こし
につけていました。
腰 90
になりました。王子はその娘を自分のお 嫁 にもらいまし
ておきました。すると赤い玉が、ふいに一人の美しい娘
この 天日矛 の七代目の孫にあたる 高額媛 という人がお
のままそこへいつくことにしました。
に、後にはとうとうその土地の人をお嫁にもらって、そ
よめ
た。
生み申したのが、すなわち神
功皇后 のお母上でいらっしゃ
わた
た じ ま も り
たかぬひめ
そのお嫁は、いつもいろいろの 珍 しいお料理をこしら
いました。例の 垂仁天皇 のお言いつけによって、 常世国 やしな
あめのひほこ
えて、王子に食べさせていましたが、王子はだんだんに
へたちばなの実を取りに行ったあの 多遅摩毛理 は、日
矛 ほうもつ
じんぐうこうごう
わがままを出して、しまいにはお嫁をひどくののしりと
の五代目の孫の一人でした。
めずら
ばすようになりました。
日矛 はこちらへ渡 って来るときに、りっぱな玉や鏡な
おおかみ
い ず
し
ひほこ
とこよのくに
するとお嫁のほうではとうとうたまりかねて、
ぞの 宝物 を 八品 持って来ました。その宝物は、 伊豆志 の
すいにんてんのう
﹁私 はもうこれぎり親たちの国へ帰ってしまいます。も
神 という名まえの神さまにしてまつられることになり
大
ひほこ
ともと私は、あなたのような方のお嫁になってばかにさ
ました。
わたし
れるような女ではありません﹂と言いながら、そのうち
なにわ
ぬ
せっつ
を抜 け出して、小船に乗って、はるばると 摂津 の難
波 の
二
あかるひめ
つ
まで逃げて来ました。この女の人は後に 津 阿加流媛 とい
う神さまとしてその土地にまつられました。
この宝物をまつった神さまに、 伊豆志乙女 という女
神 めがみ
王子の 天日矛 は、そのお嫁のあとを追っかけて、とう
が生まれました。この女神を、いろんな神々たちがお嫁
したびおとこ
いずしおとめ
とう 難波 の海まで出て来ましたが、そこの海の神がさえ
にもらおうとなさいましたが、女神はいやがって、だれ
あめのひほこ
ぎって、どうしても入れてくれないものですから、しか
のところへも行こうとはしませんでした。
なにわ
たなしにひきかえして、 但馬 の方へまわって、そこへ上
その神たちの中に、秋山の下
冰男 という神がいました。
たじま
陸しました。そして、しばらくそこに暮らしているうち
91
た。
﹁私 ならわけなくもらって来ます﹂と弟の神は言いまし
聞きました。
来てくれない。どうだ、おまえならもらってみせるか﹂と
﹁私 はあの女神をお嫁にしようと思っても、どうしても
その神が弟の春
山 の霞
男 という神に向かって、
て持って行きました。弟の神は、すかさず、そのあとに
女神はそれを見つけて、ふしぎに思いながら取りはずし
弟の神はその弓矢を便所のところへかけておきますと、
ず、一度にぱっとふじの花が 咲 きそろいました。
すると、たちまち、その着物やくつや弓矢にまで、残ら
矢 を持って、例の女神のおうちへ出かけて行きました。
弓
弟の神はその着物やくつをすっかり身につけて、その
かすみおとこ
﹁ふふん、きっとか。よし、それではおまえがりっぱに
ついて女神のへやにはいって、どうぞ 私 のお嫁になって
はるやま
あの 女神 をもらって見せたら、そのお祝いに、わしの着
くださいと言いました。そして、とうとうその女神をも
わたし
めがみ
ゆみや
物をやろう。それからわしの身の 丈 ほどの大がめに酒を
らってしまいました。
わたし
って、海山の珍 盛 しいごちそうをそろえて呼 んでやろう、
二人の間には一人子供までできました。
こうげん
わたし
めがみ
さ
しかし、もしもらいそこねたら、あんな 広言 を 吐 いた罰 弟の神は、それで兄の神に向かって、
ひとばん
わたし
に、今わしがしてやろうと言ったとおりをわしにしてく
﹁ 私 はあのとおり、ちゃんと 女神 をもらいました。だか
たけ
れるか﹂と言いました。
ら約束のとおり、あなたの着物をください。それからご
よ
弟の神は、おお、よろしい、それではかけをしようと
ちそうもどっさりしてください﹂と言いました。すると
ちか
めずら
いました。そして、おうちへ帰って、そのことをおか
誓 兄の神は、弟の神のことをたいそうねたんで、てんで着
も
あさまにお話しますと、おかあさまの女神は、 一晩 のう
物もやらないし、ごちそうもしませんでした。
ばつ
ちに、ふじのつるで、着物からはかまから、くつからく
弟の神は、 そのことを母上の女神に言いつけました。
は
つ下まで織ったり、こしらえたりした上に、やはり同じ
すると女神は、兄の神を 呼 んで、
ゆみ
よ
ふじのつるで弓 をこしらえてくれました。
92
﹁おまえはなぜそんなに人をだますのです。この世の中
に住んでいる間は、すべてりっぱな神々のなさるとおり
をしなければいけません。おまえのように、いやしい人
おこ
間のまねをする者はそのままにしてはおかれない﹂ と、
き
あら
ひどく 怒 りつけました。それから、そこいらの川の中の
島にはえているたけを 伐 って来て、それで目の荒 いあら
かごを作り、その中へ、川の石に塩をふりかけて、それ
をたけの葉につつんだのを入れて、
﹁この兄の神のようなうそつきは、このたけの葉がしお
しず
たお
れるようにしおれてしまえ。この塩がひるようにひから
びてしまえ。そして、この石が 沈 むように沈み倒 れてし
まえ﹂とのろって、そのかごをかまどの上に置かせまし
た。
や
すると兄の神は、そのたたりで、まる八年の間、ひか
は
な
らびしおれ、 病 みつかれて、それはそれは苦しい目を見
ました。それでとうとう弱り 果 てて泣 く泣く母上の女神
におわびをしました。
女神はそのときやっとのろいをといてやりました。そ
のおかげで兄の神は、またもとのとおりのじょうぶなか
らだにかえりました。
93
﹁私は比
布礼能意富美 と申します者の子で、宮
主矢河枝媛 みやぬしやかわえひめ
と申します者でございます﹂と、その娘はお答え申しま
ひ ふ れ の お お み
わた
すると、天皇は
した。
う じ
﹁ではあす帰りにそちのうちへ行くぞ﹂とおっしゃいま
宇
治 の渡 し
一
した。
の
じゅんこう
ひめ
媛 はおうちへ帰って、すべてのことをくわしくおとう
あきら
おうじんてんのう
お小さな応
仁天皇 も、そのうちにすっかりご成人になっ
さまに話しました。
じ
まつりごと
て、 大和 の明 の宮で、 ご自身に 政
をお聞きになりまし
おとうさまの 意富美 は、
やまと
た。
﹁それではそのお方は天子さまだ。これはこれはもった
う
み
あるとき、天皇は 近江 へご巡
幸 になりました。そのお
いない。そちも十分気をつけて失礼のないようによくお
やましろ
おそ
お
途中で、 山城 の宇
治野 にお立ちになって、 葛野 の方をご
もてなし申しあげよ﹂と言いきかせました。そしてさっ
お
になりますと、そちらには家々も多く見え、よい土地
覧 そくうちじゅうを、 すみずみまですっかり 飾 りつけて、
おうみ
もどっさりあるのがお目にとまりました。
ちゃんとお待ち申しておりました。
こばた
かづの
天皇はそのながめを歌にお歌いになりながら、まもな
らん
く木
幡 というところまでおいでになりますと、その村の
天皇はおおせのとおり、あくる日お立ちよりになりま
たてまつ
かざ
お道筋で、それはそれは美しい一人の少女にお出会いに
した。 意富美 らは怖 れかしこみながら、ごちそうを運ん
やかわえひめ
み
なりました。
でおもてなしをしました。
お
天皇は、
天皇は 矢河枝媛 が奉 るさかずきをお取りになって、
むすめ
お
﹁そちはだれの 娘 か﹂とおたずねになりました。
94
顔には九
邇坂 の土を、
しいの実 のように白く光っている。
おまえのきれいな歯
並 は、
盾 のようにすらりとしている。
おまえの後
姿 は、
木
幡 の村でおまえに会った。
わしもその 近江 から来て、
近
江 を越 えて来たものか。
横ざまにはって、
越
前 敦
賀 のかにが、
この料理のかには、
人をお 召 しになって、
がいのお兄上でいらっしゃる 大山守命 と 大雀命
のお二
あるとき天皇は、その 若郎子皇子 とはそれぞれお腹 ち
を、いちばんかわいくおぼしめしていらっしゃいました。
その中で、天皇は、矢
河枝媛 のお生み申した 若郎子皇子 ありになりました。
天皇には、すべてで、皇子が十一人、皇女が十五人お
子がお生まれになりました。
なりました。このお妃から、 宇治若郎子 とおっしゃる皇
天皇は、この美しい 矢河枝媛 を、後にお 妃 にお召 しに
とこういう意味のお歌を歌っておほめになりました。
おまえはほんとうにきれいな子だ。
たて
こばた
おうみ
わにざか
み
うしろすがた
こ
えちぜん つ る が
そこの土は、
﹁おまえたちは、子供は兄と弟とどちらがかわいいもの
うわつち
そこつち
おおやまもりのみこと
うじのわかいらつこ
やかわえひめ
はら
わかいらつこおうじ
おおやまもりのみこと おおささぎのみこと
わかいらつこおうじ
め
上
土 は赤く、
と思うか﹂とお聞きになりました。
おおささぎのみこと
きさき
底
土 は赤黒いけれど、
大山守命 は、
なかつち
やかわえひめ
中
土 の、
﹁それはだれでも兄のほうをかわいくおもいます﹂ と、
まゆずみ
おうみ
ちょうど色のよいのを
ぞうさもなくお答えになりました。
まゆ
はなみ
眉
墨 にして、
しかしお年下の 大雀命
は、お父上がこんなお問いを
こ
め
色 濃 く眉 をかいている。
せんが、 弟となりますと、 まだ子供でございますから、
は、もはや成人しておりますので、何の心配もございま
﹁私は弟のほうがかわいいだろうと思います。兄のほう
れでそのおぼしめしに添 うように、
と、ちゃんと、天皇のお心持をおさとりになりました。そ
にお位をお譲 りになりたいというおぼしめしに 相違 ない
おかけになるのは、わたしたち二人をおいて、弟の 若郎子 それを 御殿 へお召 し使いになるつもりで、はるばるとお
たいそうきりょうのよい娘 があるとお聞きになりまして、
天皇は 日向 の 諸県君 という者の子に、 髪長媛 という、
二
つくしになりました。
大雀命
だけは、しまいまで天皇のご命令のとおりにお
おおささぎのみこと
かわいそうでございます﹂とお答えになりました。
召しのぼせになりました。
わかいらつこ
天皇は、
皇子 の 大雀命
は、その髪
長媛 が船で難
波 の 津 へ着い
ささぎ
ささぎ
わかいらつこ
おおやまもり
そうい
﹁それは 雀 の言うとおりである。わしもそう思っている﹂
たところをご 覧 になり、その美しいのに感心しておしま
ゆず
とおおせになり、なお改めて、
いになりました。それで 武内宿禰 に向かって、
つかさど
そ
﹁ではこれから、そちら二人と若
郎子 と三人のうち、 大山守 ﹁こんど 日向 からお召しよせになったあの 髪長媛 を、お
まつりごと
たの
ごてん
らん
め
おおささぎのみこと
ひゅうが
わたし
かみながひめ
たけのうちのすくね
よめ
さかもり
かみながひめ
つ
おおささぎのみこと
かみながひめ
なにわ
かみながひめ
は海と山とのことを 司 れ、雀 はわしを助けて、そのほか
父上にお願いして、 私 のお嫁 にもらってくれないか﹂と
すくね
もろあがたぎみ
のすべての 政
をとり行なえよ。それから若
郎子 には、後
お 頼 みになりました。
ひゅうが
にわしのあとを継 いで天皇の位につかせることにしよう﹂
宿禰 はかしこまって、すぐにそのことを天皇に申しあ
むすめ
と、こうおっしゃって、ちゃんと、お三人のお役わりを
げました。
おおやまもりのみこと
おうじ
お定めになりました。
すると天皇は、まもなくお 酒盛 のお席へ 大雀命
をお
わかいらつこ
大山守命 は、後に、このお言いつけにおそむきになっ
召しになりました。そして、美しい 髪長媛 にお酒をつぐ
わかいらつこおうじ
つ
て、 若郎子皇子 を殺そうとさえなさいましたが、ひとり
95
96
みこと
ごぜん
天皇はそれといっしょに、
になりました。
三
なりました。
同じく歌にお歌いになって、大喜びで 御前 をおさがりに
わしが、子どもたちをつれて、
この天皇の 御代 には、 新羅 の国の人がどっさり渡 って
かしわの葉をお持たせになって、そのまま 命 におくだし
のびるをつみに通り通りする、
来ました。 武内宿禰 はその人々を使って、方々に田へ水
ほ
たけのうちのすくね
くだら
かしこ
わた
あの道ばたのたちばなの木は、
を取る池などを 掘 りました。
あ ち き し
けん
くだら
わ に き し
しらぎ
上の枝
々 は鳥に荒 され、
それから 百済 の国の王からは、おうま一 頭 、めうま一
よ
下の枝々は人にむしられて、
頭に 阿知吉師 という者をつけて 献上 し、また刀や大きな
み
中の枝にばかり花がさいている。
鏡なぞをも 献 じました。
おとめ
あら
そのひそかな花の中に、
天皇は 百済 の王に向かって、おまえのところに 賢 い人
えだえだ
小さくかくれている実のような、
があるならばよこすようにとおおせになりました。王は
とう
しとやかなこの 乙女 なら、
それでさっそく 和邇吉師 という学者をよこしてまいりま
に
けんじょう
ちょうどおまえに似 あっている。
ろんご
に
ほ
さいそ
せんじもん
した。
たくそ
かん
さあつれて行け。
そのとき 和邇 は、十 巻 の論
語 という本と、 千字文 とい
わ に
う一巻の本とを持って来て献上しました。また、いろい
はたおり
という意味をお歌に歌ってお祝いになりました。
ろの職工や、かじ屋の 卓素 という者や、 機織 の西
素 とい
おうじ
皇
子 はとうから評判にも聞いていた、このきれいな人
うれ
う者や、そのほか、酒を造ることのじょうずな 仁番 とい
きさき
を、天皇のお許しでお 妃 におもらいになったお嬉 しさを、
97
おおささぎのみこと
大雀命
は、そのことを早くもお聞きつけになったの
な石を、おつえをあげてお打ちになりますと、その石が
ましになって、 河内 の方へ行く道のまん中にあった大き
という意味の歌をお歌いになりながら、お宮の外へおで
おもしろく酔った﹂
﹁ああ 酔 った、 須須許理 がかもした酒に心持よく酔った。
酒をめしあがりました。そして、
来 を、りっぱな皇子のようにしたてて、その 家
姿 が山の
の上に絹の幕を張り、とばりを立てまわして、一人のご
をしのばせておおきになりました。それから、 宇治 の山
皇子 はまず第一に、 宇治川 のほとりへ、こっそりと兵
ろいろの手はずをなさいました。
若郎子 はそれを聞くとびっくりなすって、大急ぎでい
た。
わかいらつこ
う者もいっしょに渡って来ました。
で、すぐに使いを出して、 若郎子 にお知らせになりまし
びっくりして飛びのきました。
下からよく見えるように、とばりの一方をあけて、その
す ず こ り
中のいすにかけさせておおきになりました。そして、そ
に ほ
天皇はその 仁番 、またの名、 須須許理 のこしらえたお
四
こへいろいろの家来たちを、うやうやしく出たりはいっ
かわち
おおささぎのみこと
わかいらつこ
けらい
おうじ
わかいらつこ
たりおさせになりました。
す ず こ り
天
皇 は後にとうとうおん年百三十でおかくれになりま
ですから、遠くから見ると、だれの目にも、そこには
よ
した。
郎子 ご自身がお出むきになっているように見えました。
若
おおやまもりのみこと
うじがわ
それで 大雀命
は、かねておおせつかっていらっしゃ
皇子はそれといっしょに、 大山守命 が下の川をおわた
わかいらつこ
おおやまもりのみこと
すがた
じ
るとおり、若
郎子 をお位におつけしようとなさいました。
りになるときに、うまくお乗せするように、船をわざと
わかいらつこ
う
ところがお兄上の 大山守命 は、天皇のおおせ残しにそ
たった一そうおそなえつけになり、その船の中のすのこ
てんのう
むいて、 若郎子 を殺して自分で天下を取ろうとおかかり
には、さなかずらというつる草をついてべとべとの 汁 に
しる
になり、ひそかに兵をお集めになりだしました。
98
だが、ひとつそのししをとりたいものだね。どうだ、お
ふ
したものをいちめんに塗りつけて、人が足を 踏 みこむと
まえとってくれぬか﹂とお言いになりました。
船頭の皇子は、
すべ
たちまち 滑 りころぶようなしかけをさせてお置きになり
ました。
﹁いえ、それはとてもだめでございます﹂とお答えにな
そりそこいらへ 隠 れさせておおきになり、ご自分は、よ
すると 大山守命 は、おひきつれになった兵士を、こっ
た。
こうお答えになるうちに、船はもはやちょうど川のま
しいとおぼしめしても、とてもだめでございます﹂
欲 が、どうしてもとれません。ですから、いくらあなたが
﹁あのししは、これまでいろんな人がとろうとしました
そまつ
そしてご自分自身は、 粗末 なぬのの着物をめし、いや
りました。
ろいの上へ、さりげなく、ただのお 召物 をめして、お一
ん中あたりへ来ました。すると 皇子 はいきなり、そこで
すがた
しい船頭のようにじょうずにお 姿 をお変えになって、か
﹁なぜだめだ﹂
人で川の岸へ出ておいでになりました。
どしんと船を 傾 けて、 命 をざんぶと川の中へ落としこん
にぎ
じを 握 って、その船の中に待ち受けておいでになりまし
するとそちらの山の上にりっぱな絹のとばりなどが張
でおしまいになりました。
かく
おおやまもりのみこと
りつらねてあるのがすぐにお目にとまりました。
命はまもなく水の上へ浮き出て、顔だけ出して流され
ほ
命 はそのとばりの中にいかめしくいすにかけている人
流されなさりながら、
わかいらつこ
めしもの
を、 若郎子 だと思いこんでおしまいになりました。それ
お
おうじ
でさっそくその船にお乗りになって、向こうへおわたり
ああわしは 押 し流される。
みこと
になりかけました。
だれかすばやく船を出して、
かたむ
命は船頭に向かって、
助けに来てくれよ。
みこと
﹁おい、あすこの山に大きなておいじしがいるという話
99
かけだして来て、命を岸へ取りつかせないように、みん
きになった兵士たちが、わあッと一度に、そちこちから
するとそれといっしょに、さきに 若郎子 が隠 しておお
という意味をお歌いになりました。
五
した。
そしてお兄上のお死がいを 奈良 の山にお葬 りになりま
になりました。
という意味をお歌いになり、そのまま 大和 へおひきあげ
やまと
なで矢 をつがえ 構 えて、追い流し追い流ししました。
わかいらつこおうじ
ほうむ
ですから命はどうすることもおできにならないで、そ
大雀命
は、それでいよいよお父上のおおせのとおり
い はな
ら
のまま 訶和羅前 というところまで流れていらしって、と
に、 若郎子皇子 にお位におつきになることをおすすめに
わかいらつこ
さぐ
ぜい
みこと
ゆず
な
うとうそこでおぼれ死にに死んでおしまいになりました。
なりました。
かく
若
郎子 の兵士たちは、ぶくぶくと 沈 んだ命 のお死がい
しかし皇子は、お父上のおあとはおあにいさまがお 継 わかいらつこ
を、かぎで探 りあててひきあげました。
ぎになるのがほんとうです。おあにいさまをさしおいて
わかいらつこ
ふ
かま
若
郎子 はそれをご覧になりながら、
お位にのぼるなぞということは、私にはとてもできませ
や
﹁わしは 伏 せ 勢 の兵たちに、 もう矢を 射 放 させようか、
ん。どうぞお許しくださいとおっしゃって、どこまでも
おおささぎのみこと
もう射殺させようかと、 いくども思い思いしたけれど、
お兄上の 命 のお顔をお立てになろうとなさいました。
かわらのさき
一つにはお父上のことを思いかえし、つぎには妹たちの
しかし命は命で、いかなることがあっても、お父上の
みこと
ことを思い出して、同じお一人のお父上の子、同じあの
お言いつけにそむくことはできないとお言いとおしにな
しず
妹たちの兄でありながら、それをむざむざ殺すのはいた
り、長い間お二人でお 互 いに譲 り合っていらっしゃいま
つ
わしいので、とうとう矢一本射放すこともできないでし
した。
たが
まった﹂
100
あ
ま
おおささぎのみこと
けんじょう
うかが
みこと
そのときある海
人 が、天皇へ 献上 する物を持ってのぼっ
て来ました。
わかいらつこおうじ
たてまつ
その海人が、 大雀命
のところへ 伺 いますと、 命 は、
それは 若郎子皇子 に奉 れ、あの方が天皇でいらっしゃる
けん
とおっしゃって、お受けつけになりませんし、それでは
と言って皇子の方へうかがえば、それはお兄上の方へ 献 あ ま
ぜよとおおせになりました。
海
人 はあっちへ行ったり、こっちへ来たり、それが二
な
度や三度ではなかったので、とうとう行ったり来たりに
くたびれて、しまいにはおんおん 泣 きだしてしまいまし
た。そのために、
﹁海人ではないが、自分のものをもてあ
まして泣く﹂ということわざさえできました。
わかいらつこおうじ
お二人はそれほどまでになすって、ごめいめいにお義理
わかじ
おおささぎのみこと
をつくしていらっしゃいましたが、そのうちに、 若郎子皇子 にんとくてんのう
がふいにお 若死 にをなすったので、 大雀命
もやむをえず、
よ
ついにお位におつきになりました。後の代から 仁徳天皇 とお呼 び申すのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。
101
すくね
かつてそういうためしを聞きましたことがございません﹂
宿禰 は、
と、同じように歌に歌って、こうお答え申しあげた後、お
一
そばにあったお 琴 をお借り申して、
﹁なるほど、それはごもっとものおたずねでございます。
﹁これはきっと、あなたさまがついに天下をお治めにな
仁
徳天皇 はお位におのぼりになりますと、 難波 の高
津 るというめでたい先ぶれに 相違 ございません﹂と、こう
みや
ひめじま
いわのひめ
せっつ
さかもり
こと
こと
の宮 を皇居にお定めになり、葛
城 の曽
都彦 という人の娘 いう意味の歌をお 琴 をひいて歌いました。皇
子 はそのと
私もこれほど長生きをいたしておりますが、 今日まで、
なにわ
たかつ
の岩
野媛 という方を改めて皇后にお立てになりました。
おり、十五人もいらしったごきょうだいの中から、しま
難
波 のお宮
なにわ
天皇がまだ皇
子 大 雀 命 でいらっしゃるとき、ある年
いにお父上の天皇のおあとをお 継 ぎになりました。
にんとくてんのう
津 の 摂
日女島 という島へおいでになって、そこでお 酒盛 ご 即位 になった後、天皇は、あるとき、高い山におの
た
そうい
をなすったことがありました。すると、たまたまその島
ぼりになって四方の村々をお見しらべになりました。そ
たまご
むすめ
にがんが 卵 をうんでおりました。皇子は、日本でがんが
してうちしおれておおせになりました。
め
そつひこ
卵をうんだということは、これまで一度もお聞きになっ
﹁見わたすところ、どの村々もただひっそりして、家々
たけのうちのすくね
かつらぎ
たことがないものですから、たいそうふしぎにおぼしめ
からちっとも煙があがっていない。これではいたるとこ
そぜい
ひんきゅう
おうじ
して、あとで武
内宿禰 を 召 して、
ろ、人民たちが 炊 いて食べる物がないほど貧
窮 している
お う じ おおささぎのみこと
﹁そちは世の中にまれな長命の人であるが、いったい日
らしい。どうかこれから三年の間は、しもじもから、いっ
つ
本でがんが卵をうんだという話を聞いたことがあるか﹂
さい 租税 をとるな。またすべての働きに使うのを許して
そくい
とこういう意味を歌に歌っておたずねになりました。
102
おさめもの
ので、お 納物 をするにも、使い働きにあがるのにも、そ
うけたまわ
やれ﹂とおおせになりました。
きゅうちゅう
れこそ楽々とご用を 承
ることができました。
おさめもの
なが
それでそのまる三年の間というものは、 宮中 へはどこ
よ
天皇はしもじもに対して、これほどまでに思いやりの
よ
からも何一つお 納物 をしないので、天皇もそれはそれは
よ
深い方でいらっしゃいました。ですから後の 代 からも 永 み
ひどいご不自由をなさいました。たとえばお宮が破れこわ
くお 慕 い申しあげてそのご 一代 を聖
帝 の御
代 とお呼 び申
せいてい
れても、お手もとにはそれをおつくろいになるご費用も
しております。
いわのひめ
いちだい
おありになりませんでした。しかし天皇はそれでも 寸分 した
もおいといにならないで、 雨がひどく降るたんびには、
二
あま
すんぶん
おへやの中へおけをひき入れて、ざあざあと 漏 り入る雨 も
もれをお受けになり、ご自分自身はしずくのおちないと
この天皇の皇后でいらしった 岩野媛 は、それはそれは、
ご ざ しょ
ころをお見つけになって、 御座所 を移し移ししておしの
たいへんにごしっとのはげしいお方で、ちょっとのこと
らん
ぎになりました。
にも、じきに足ずりをして、火がついたようにお騒ぎた
め
それから三年の後に、再び山にのぼってご 覧 になりま
てになりました。それですから、 宮中 に召 し使われてい
きゅうちゅう
すと、こんどはせんとはすっかりうって変わって、お目の
かぎ
る婦人たちは、天皇のおへやなぞへは、うっかりはいる
およ
ぶ限 及 り、どの村々にも煙がいっぱい、勢いよく立ちの
こともできませんでした。
あまのあたえ
むすめ
びぜん
ぼっておりました。天皇はそれをご覧になって、みなの
あるとき天皇はそのころ 吉備 といっていた、今の備
前 、
くろひめ
き び
者も、もうすっかりゆたかになったとおっしゃって、よう
備中
地
方 の、 黒崎 というところに、 海部直 という者の子
ぶやく
め
くろさき
やくご安心なさいました。そして、そこではじめて 租税 で、 黒媛 というたいそうきりょうのよい 娘 がいるとお聞
びっちゅう ち ほ う
や夫
役 をおおせつけになりました。
きになり、すぐに 召 しのぼせて宮中でお召し使いになり
そぜい
すると人民は、もう十分にたくわえもできていました
103
あわじしま
ついにある日、 淡路島 を見に行くとおっしゃって皇后の
び
ました。
き
お手前をおつくろいになり、いったんその島へいらしっ
やまかた
くろひめ
ところが皇后がことごとにつけて、あまりにねたみお
くろひめ
たうえ、そこから、黒
媛 をたずねて、こっそり 吉備 まで、
に
くろひめ
いじめになるものですから、 黒媛 はたまりかねてとうと
くろひめ
おくだりになりました。
たかどの
うお宮を 逃 げ出しておうちへ帰ってしまいました。
黒
媛 は天皇を 山方 というところへおつれ申しました。
め
そのとき天皇は、 高殿 にお上りになって、その 黒媛 の
そして、 召 し上がり物にあつものをこしらえてさしあげ
ようと思いまして、あおなをつみに出ました。すると天
らん
ら、
皇もいっしょに出てご覧になり、たいそうお 興 深くおぼ
なにわ
乗っている船が 難波 の港を出て行くのをご 覧 になりなが
しめして、そのお心持をお歌にお歌いになりました。
こぶね
くろひめ
きょう
かわいそうに、あそこに 黒媛 がかえって行く。
天皇がいよいよお立ちになるときには、 黒媛 もお別れ
くろひめ
あの 沖 に、たくさんの小
船 にまじって、あの女の船
の歌を歌いました。 媛 は天皇がわざわざそんなになすっ
おき
が出て行くよ。
て、隠 れ隠れてまでおたずねくだすったもったいなさを、
みつながしわ
えんかい
ひめ
一生お 忘 れ申すことができませんでした。
かく
とこういう意味のお歌をお歌いになりました。
わす
すると皇后は、そのことをお聞きになって、ひどく 怒 っ
三
おこ
ておしまいになり、すぐに人をやって、 黒媛 をむりやり
くろひめ
に船からひきおろさせて、はるかな 吉備 の国まで、わざ
皇后はその後、ある宴
会 をおもよおしになるについて、
き び
と歩いておかえしになりました。
そのお酒をおつぎになる 御綱柏 というかしわの葉をとり
くろひめ
天皇はその後も、 黒媛 のことをしじゅうあわれに思い
に、わざわざ 紀伊国 までお出かけになったことがありま
きいのくに
思いお暮らしになっていました。そんなわけで、天皇は
104
には、 高津 のお宮のお飲み水を取る役所で働いていた、
すと、向こうから一そうの船が来かかりました。その中
れて行き行きするうちに、 難波 の大
渡 という海まで来ま
の中のある女たちの乗っている船が、皇后のお船におく
かって帰っていらっしゃいました。そのお途中で、お供
皇后はまもなく 御綱柏 の葉をお船につんで、 難波 へ向
官 がお仕え申しておりました。
女
そのおるすの間、天皇のおそばには 八田若郎女 という
した。
ぱり天皇のおそばがなつかしい。今この目の前の川べり
あてもなく 山城 の川をのぼって来たものの、思えばやっ
﹁私はあんまりにくらしくてたまらないので、こんなに
その時皇后は、
城 まで行っておしまいになりました。
山
ずん船を 堀江 へお入れになり、そこから 淀川 をのぼって
そのお 腹立 ちまぎれに、港へおつけにならないで、ずん
は 若郎女 のことをお考えになればなるほどおくやしくて、
それからまもなく船はこちらへ帰りつきましたが、皇后
の葉を、すっかり海へ投げすてておしまいになりました。
き
び
みぶん
よぼろ
おおわたり
なにわ
やたのわかいらつめ
備 の生まれの、ある 吉
身分 の低い仕
丁 で、おいとまをい
には、 鳥葉樹 がはえている。 その木の下には、 茂 った、
やたのわかいらつめ
ひろは
やましろ
さしぶのき
かがや
やましろ
ほりえ
はらだ
わかいらつめ
ただいておうちへ帰るのが、 乗り合わせておりました。
葉 のつばきがてかてかとまっかに 広
咲 いている。 ああ、
じょかん
その者が船のすれちがいに、
あの花のように輝 きに充 ち、あの広葉のようにお心広く、
みつながしわ
﹁天皇さまは、このごろ 八田若郎女 がすっかりお気に入
おやさしくいらっしゃる天皇を、どうして私はおしたわ
よどがわ
りで、それはそれはたいそうごちょう愛になっているよ﹂
しく思わないでいられよう﹂とこういう意味のお歌をお
なにわ
としゃべって行きました。それを聞いた女どもはわざわ
歌いになりました。
たかつ
ざ大急ぎで皇后のお船に追いついて、そのことを皇后の
しかしそれかといってこのまま急にお宮へお帰りにな
きしょう
やまと
しげ
お耳に入れました。
るのも少しいまいましくおぼしめすので、とうとう船か
さ
そうすると、例のご 気性 の皇后は、たちまちじりじりな
らおあがりになって、大
和 の方へおまわりになりました。
みつながしわ
み
すって、せっかくそこまで持っておかえりになった 御綱柏 105
りました。
宮よりほかにはなんにもない﹂という意味をお歌いにな
もどこをひとつ見たいのでもない。見たいのは 高津 のお
ぎて、こんなにあちこちさまよってはいるけれど、それ
﹁私 はとうとう山
城川 をのぼり、 奈良 や 小楯 をも通りす
そのときにも皇后は、
の前の地 びたへ平
伏 しますと、皇后は、つんとして、いき
ました。 口子 はその雨の中をもいとわず、皇后のおへや
そのときにちょうどひどい大雨がざあざあ降っており
いまして、 御座所 のお 庭先 へうかがいました。
皇のそのお歌をかたときも早く皇后に申しあげようと思
お使いの 口子 は、 奴里能美 のおうちへ着きますと、天
なりました。
やましろ
つつき
ちょうせん
きかじん
くちこ
うわぎ
へいふく
ご ざ しょ
くちこ
おそ
にわさき
くちこ
くちこ
ぬ り の み
それからまた 山城 へ ひ き か え し て、 筒木 と い う と こ
なり後ろの戸口の方へ立って行っておしまいになりまし
とりやま
じ
くちこ
ろへおいでになり、そこに住まっている 朝鮮 の 帰化人 の
た。口
子 は怖 る怖るそちらがわにまわって平伏しました。
ぬ り の み
おだて
里能美 という者のおうちへおとどまりになりました。
奴
そうすると皇后はまたついと前の方の戸口へ来ておしま
ら
天皇はすべてのことをお聞きになりますと、 鳥山 とい
いになりました。 口子 はあっちへ行ったりこっちへ来た
とねり
わにのおみくちこ
な
う舎
人 に向かって、
りして土の上にひざまずいているうちに、雨はいよいよ
やましろがわ
﹁おまえ早く行って会ってこい﹂という意味をお歌でおっ
どしゃぶりに降りつのって、そのたまり水が 腰 まで浸 す
わたし
しゃって、皇后のところへおつかわしになりました。そ
ほどになりました。 口子 は赤いひものついた、あい 染 め
たかつ
のつぎには、丸
邇臣口子 という者をお召 しになって、
の 上着 を着ておりましたが、そのひもがびしょびしょに
い
じ
﹁皇后はあんなにいつまでもすねて、お宮へもかえって
なって赤い色がすっかり流れ出したので、しまいには青
そうい
くちひめ
くちひめ
ぞ
ひた
来ないけれど、しかし心の中ではわしのことを思ってい
い着物もまっかに染まってしまいました。
つか
こし
るに 相違 ない。二人の間であるものを、そんなに 意地 を
そのとき皇后のおそばには、 口子 の妹の口
媛 という者
め
張らないでもよいであろうに﹂という意味を二つのお歌
がお 仕 え申しておりました。 口媛 はおにいさまのそのあ
くちこ
くちこ
にお歌いになって、また改めて 口子 をお迎えにおやりに
106
あげようとしているのに、見ている私には 涙 がこぼれて
﹁まあおかわいそうに、あんなにまでしておものを申し
りさまを見て、
ざいます﹂と、 口子 は子供でも心得ているかいこのこと
まして、順々に三度 姿 をかえる、きたいな虫だそうでご
が、つぎには 卵 になり、またそのつぎには飛ぶ虫になり
ん。その虫と申しますのは、はじめははう虫でいますの
めずら
おこ
けんじょう
くちこ
ぎょうこう
くちこ
たまご
くる﹂
を、わざと珍 しそうに、じょうずにこう申しあげました。
すがた
という意味を歌に歌いました。
すると天皇は、
なみだ
皇后はそれをお聞きになって、
﹁そうか、そんなおもしろい虫がいるなら、わしも見に
ふ
﹁兄とはだれのことか﹂とおたずねになりました。
行こう﹂とおっしゃって、すぐにお宮をお出ましになり、
くちひめ
ぬ り の み
ぬ り の み
﹁さっきから、あすこに、水の中にひれ 伏 しております
里能美 のおうちへ行
奴
幸 になりました。
くちこ
のが私の兄の 口子 でございます﹂と、口
媛 は涙をおさえ
奴里能美 は、口
子 が申しあげたとおりの三 とおりの虫
なにわ
やたのわかいらつめ
べ
み
てお答え申しました。
を、前もって皇后に 献上 しておきました。
ぬ り の み
口子 はそのあとで、 口媛 と奴
里能美 の二人に相談して、
天皇は皇后のおへやの戸の前にお立ちになって、
くちひめ
これはどうしても天皇にこちらへいらしっていただくよ
﹁そなたがいつまでも 怒 ったりしているので、とうとう
くちこ
りほかには手だてがあるまいと、 こう話を決めました。
みんながここまで出て来なければならなくなった。もう
くちこ
そこで 口子 は急いでお宮へかえって申しあげました。
たいていにしてお帰りなさい﹂とお歌いになり、まもな
か
かんこう
﹁まいりまして、すっかりわけをお聞き申しますと、皇
くおともどもに 難波 のお宮へご 還幸 になりました。
めずら
ぬ り の み
后さまがあちらへお出向きになりましたのは、 奴里能美 天皇はそれといっしょに、 八田若郎女 においとまをお
や
いらつめ
のうちに 珍 しい虫を飼 っておりますので、ただそれをご
つかわしになりました。しかしそのかわりには、 郎女 の
らん
になるためにおでかけになりましたのでございます。
覧 名まえをいつまでも伝え残すために、 八田部 という部族
た
そのほかにはけっしてなんのわけもおありにはなりませ
の近い方を宮
中 にお召 しかかえになろうとして、弟さま
それからあるとき天皇は、 女鳥王 という、あるお 血筋 四
をおこしらえになりました。
﹁これは 速総別王 にお着せ申しますのでございます﹂と
お聞きになりました。すると 女鳥王 もやはりお歌で、
﹁それはだれの着物を織っているのか﹂とお歌に歌って
天皇は、
いらっしゃいました。
いてご覧になりますと、 王 はちょうど中でお 機 を織って
出かけになり、戸口のしきいの上にお立ちになってのぞ
はやぶさわけのみこ
はやぶさわけのみこ
はた
の速
総別王 をお使いにお立てになりました。
お答えになりました。
みこ
めとりのみこ
みこ
王 はさっそくいらしって、そのおぼしめしをお伝えに
天皇はそれをお聞きになって、二人のことをすっかり
めとりのみこ
きゅうちゅう
ちすじ
なりますと、女
鳥王 はかぶりをふって、
おさとりになり、そのままお宮へおかえりになりました。
めとりのみこ
﹁いえいえ私は宮
中 へはお仕え申したくございません。皇后
女鳥王 はそのあとで、まもなく 速総別王 が出ていらっ
やたのわかいらつめ
めとりのみこ
さまがあんなにごしっと深くいらっしゃるので、 八田若郎女 しゃいますと、
め
だってご奉公ができないでさがってしまいましたではご
﹁もし。あなたさまよ。ひばりでさえもどんどん大空へ
きゅうちゅう
ざいませんか。それよりもこんな私でございますが、ど
かけのぼるではございませんか。あなたはお名まえもた
かの中のはやぶさと同じでいらっしゃるのに、さあ早く
たの
ました。
ささぎをとり殺しておしまいなさい﹂とこういう意味を
めとりのみこ
それで 王 はその女
鳥王 をお嫁になさいました。そして
お歌いになりました。それはいうまでもなく、天皇のお
みこ
天皇に対しては、いつまでもご返事を申しあげないまま
名が 大雀命
なので、それをささぎにかよわせて、一と
おおささぎのみこと
でいらっしゃいました。
きも早く天皇をお殺し申してご自分でお位におつきにな
めとりのみこ
すると天皇は、しまいにご自分で 女鳥王 のおうちへお
よめ
はやぶさわけのみこ
うぞあなたのお 嫁 にしてくださいまし﹂とお 頼 みになり
107
108
るようにと、怖 ろしい入れぢえをなすったのでした。
いりました。皇后はそれらの女たちへ、お手ずから、お
の妻は、 女鳥王 のお腕飾りを 得意 らしく手首に 飾 ってま
かざ
そうすると、そのお歌のことが、いつのまにか天皇のお
酒を 盛 るかしわの葉をおくだしになりました。みんなは
とくい
耳にはいりました。天皇はすぐに兵をあつめて 速総別王 かわるがわる 御前 へ出て、それをいただいてさがりまし
めとりのみこ
を殺しにおつかわしになりました。
た。
おそ
速
総別王 はそれと感づくと、びっくりして、 女鳥王 と
皇后はそのときに、ふと、 連 の妻の腕飾りにお目がと
くらはしやま
めとりのみこ
こ
もちもの
も
いっしょにすばやく 大和 へ逃げ出しておしまいになりま
まりました。するとそれはかねてお 見覚 えのある女
鳥王 めとりのみこ
はやぶさわけのみこ
した。そのお途中、 倉橋山 という険 しい山をお 越 えにな
のお 持物 でしたので皇后はにわかにお顔色をお変えにな
みこ
そ に
めとり
ごぜん
るときに、かよわい女
鳥王 はたいそうご難
渋 をなすって、
り、この女にばかりはかしわの葉をおくだしにならない
はやぶさわけのみこ
夫の 王 のお手にすがりすがりして、やっと上までお上り
で、そのまますぐにご 宴席 から追い出しておしまいにな
やまと
はやぶさわけ
むらじ
むらじ
になりました。
りました。そしてさっそく夫の連 をお呼 びつけになって、
やまと
お二人はそこからさらに同じ 大和 の曾
爾 というところ
﹁そちは人の腕飾りをぬすんで来て家内にやったろう。あ
やまべのおおだてのむらじ
よ
めとりのみこ
までいらっしゃいますと、天皇の兵がそこまで追いつい
の 速総別 と 女鳥 の二人は、天皇に対して 怖 ろしい大罪を
ひき
めとりのみこ
みこ
みおぼ
て、お二人を刺 し殺してしまいました。
犯そうとしたのだから、かれたちが殺されたのはもとよ
むらじ
けわ
そのとき軍勢を 率 いて来たのは山
辺大楯連 というつわ
りあたりまえである。しかしそちなぞからいえば、二人
うでかざ
なんじゅう
ものでした。 連 は女
鳥王 のお死がいのお手首に、りっぱ
とも目上の 王 たちではないか。その人が身につけている
かない
あた
えんせき
なお 腕飾 りがついているのを見て、さっそくそれをはぎ
物を、死んでまだ 膚 のあたたかいうちにはぎとって、そ
えんかい
おおだてのむらじ
おそ
取って、自分の 家内 に持ってかえってやりました。
れをおのれの妻に 与 えるなぞと、まあ、よくもそんなひ
さ
そのうちに宮中にあるご 宴会 があって、臣下の者の妻女
どいことができたね﹂とおっしゃって、ぐんぐんおいじ
め
はだ
たちが、おおぜいお召 しにあずかりました。すると 大楯連 109
しけい
めつけになったうえ、ようしゃなくすぐ 死刑 に行なわせ
とさがわ
ておしまいになりました。
み よ
五
この天皇の 御代 に、 兎寸川 というある川の西に、大き
かげ
あわじ
ゆうひ
な大きな大木が一本立っておりました。いつも朝日がさ
かわち
たかやすやま
すたんびに、その木の 影 が淡
路 の島までとどき、 夕日 が
当たると、河
内 の高
安山 よりももっと上まで影がさしま
した。
土地の者はその木を切って船をこしらえました。する
からの
とそれはそれはたいそう早く走れる船ができました。み
あわじしま
んなその船に﹁ 枯野 ﹂という名前をつけました。そして
きゅうちゅう
め
朝晩それに乗って、 淡路島 のわき出るきれいな水をくん
で来ては、それを 宮中 のお召 し料にさしあげておりまし
た。
こと
後にみんなは、その船が古びこわれたのを燃やして塩
ひび
を焼き、その焼け残った木で 琴 を作りました。その琴を
ひきますと、音が遠く七つの村々まで 響 いたということ
です。
天皇はついにおん年八十三でおかくれになりました。
110
さわ
ふいをくって大あわてにあわて 騒 ぎました。
かか
あちのあたえ
天皇は、それでもまだ前後もなくおよっていらっしゃ
おおすず こ す ず
いました。それを 阿知直 という者が、すばやくお 抱 え申
あちのあたえ
た じ ひ の
やまと
大
鈴 小
鈴 しあげ、むりやりにうまにお乗せ申して、 大和 へ向かっ
に
て 逃 げ出して行きました。
なかつのみこ
やまと
かわち
一
お酔いつぶれになっていた天皇は、 河内 の 多遅比野 と
おうじょ
いざほわけ
おうじ
いうところまでいらしったとき、やっとおうまの上でお
にんとくてんのう
仁
徳天皇 には皇
子 が五人、皇
女 が一人おありになりま
目ざめになり、
りちゅうてんのう
な
さんかた
した。その中で 伊邪本別 、水
歯別 、若
子宿禰 のお三
方 が
﹁ここはどこか﹂とおたずねになりました。 阿知直 は、
いざほわけのおうじ
わくごのすくね
つぎつぎに天皇のお位におのぼりになりました。
﹁ 中津王 がお宮へ火をお放ちになりましたので、ひとま
みずはわけ
いちばんのお兄上の 伊邪本別皇子 は、お父上の 亡 きお
ず 大和 の方へお 供 をしてまいりますところでございます﹂
なにわ
とお答え申しました。
とも
あとをおつぎになって、同じ 難波 のお宮で、履
仲天皇 と
してお位におつきになりました。
そくい
よ
天皇はそれをお聞きになって、はじめてびっくりなさ
め
そのご 即位 のお祝いのときに、天皇はお酒をどっさり
り、
ね
しあがって、ひどくお 召 酔 いになったままおやすみにな
﹁ああ、こんな 多遅比 の野の中に寝 るのだとわかってい
ひ
りました。
たら、 夜風 を防ぐたてごもなりと持って来ようものを﹂
はにうざか
なにわ
た じ
すると、じき下の弟さまの 中津王 が、それをしおに天
と、こういう意味のお歌をお歌いになりました。
よかぜ
皇をお殺し申してお位を取ろうとおぼしめして、いきな
それから 埴生坂 という坂までおいでになりまして、そ
なかつのみこ
りお宮へ火をおつけになりました。火の手は、たちまち
こから、はるかに 難波 の方をふりかえってご 覧 になりま
らん
ぼうぼうと四方へ燃え広がりました。お宮じゅうの者は
111
えんえん
みこ
女に道をおたずねになりますと、女は、
ますと、向こうから一人の女が通りかかりました。その
それから同じ 河内 の 大坂 という山の下へおつきになり
になりました。
お宮も、あの中に焼けているのか﹂という意味をお歌い
﹁ああ、あんなに多くの家が燃えている。わが 妃 のいる
した。天皇は、
二
た。
とってまいれ。その上で対面しよう﹂とおっしゃいまし
﹁それならば、これから 難波 へかえって、中
津王 を討 ち
になりました。天皇は、
けっして 中津王 なぞと同
腹 ではございません﹂とお言い
﹁いえいえ私はそんなまちがった心は持っておりません。
目どおりは許されない﹂とおおせになりました。 王 は、
﹁この山の上には、 戦道具 を持った人たちがおおぜいで
すと、お宮の火はまだ炎
々 とまっかに燃え立っておりま
道をふさいでおります。 大和 の方へおいでになりますの
水
歯別王 は、大急ぎでこちらへおかえりになりました。
いくさどうぐ
やまと
みずはわけのみこ
なかつのみこ
め
なにわ
どうふく
なら、当
麻道 からおまわりになりましたほうがよろしゅ
そして 中津王 のおそばに仕えている、 曾婆加里 というつ
なかつのみこ
うございましょう﹂と申しあげました。
わものをお 召 しになって、
じんぐう
きさき
天皇はその女の言うとおりになすって、ご無事に 大和 ﹁もしそちがわしの言うことを聞いてくれるなら、わし
いそのかみ
みずはわけのみこ
そ ば か り
そ ば か り
う
へおはいりになり、 石上 の神
宮 へお着きになって、仮に
はまもなく天皇になって、そちを大臣にひきあげてやる。
はら
なかつのみこ
そこへおとどまりになりました。
どうだ、そうして二人で天下を治めようではないか﹂と
おおさか
すると二ばんめの弟さまの 水歯別王 が、その神宮へお
じょうずにおだましかけになりました。すると 曾婆加里 かわち
うかがいになって、天皇におめみえをしようとなさいま
は大喜びで、
たじまじ
した。天皇はおそばの者をもって、
﹁あなたのおおせなら、どんなことでもいたします﹂
なかつのみこ
やまと
﹁そちもきっと 中津王 と腹 を合わせているのであろう。
112
そ ば か り
そ ば か り
なりました。それで 曾婆加里 に向かって、
おうじ
と申しあげました。 皇子 はその曾
婆加里 にさまざまの
﹁ 今晩 はこの村へとまることにしよう。そしてそちに大
こんばん
お品物をおくだしになったうえ、
臣の位をさずけたうえ、あすあちらへおうかがいをしよ
そ ば か り
なかつのみこ
﹁それでは、そちが仕えているあの 中津王 を殺してまい
う﹂とおっしゃって、にわかにそこへ仮のお宮をおつく
みずはわけのみこ
えんかい
れ﹂とお言いつけになりました。曾
婆加里 は、
りになりました。そしてさかんなご 宴会 をお開きになっ
そ ば か り
だいとくい
そ ば か り
﹁かしこまりました﹂と、ぞうさもなくおひき受けして
て、そのお席で 曾婆加里 を大臣の位におつけになり、す
みこ
さ
飛んでかえり、 王 がかわやにおはいりになろうとすると
べての役人たちに言いつけて礼拝をおさせになりました。
そ ば か り
ひとさ
ころを待ち受けて、 一刺 しに刺 し殺してしまいました。
曾婆加里 は こ れ で い よ い よ 思 い が か なった と 言って
おおさか
やまと
水
歯別王 は、曾
婆加里 とごいっしょに、すぐに 大和 へ
得意 になって喜びました。水
大
歯別王 は、
みずはわけのみこ
向かってお立ちになりました。その途中、例の 大坂 の山
﹁それでは改めて、大臣のおまえと同じさかずきで飲み
みこと
の下までおいでになったとき、 命 はつくづくお考えにな
わし
てがら
合おう﹂とおっしゃりながら、わざと人の顔よりも大き
そ ば か り
りました。
なさかずきへなみなみとおつがせになりました。そして、
かく
そ ば か り
﹁この 曾婆加里 めは、 私 のためには大きな 手柄 を立てた
まずご自分で一口めしあがった後、 曾婆加里 におくだし
めがお
そ ば か り
やつではあるが、かれ一人からいえば、主人を殺した大
になりました。 曾婆加里 はそれをいただいて、がぶがぶ
おそ
悪人である。こんなやつをこのままおくと、さきざきど
そ ば か り
と飲みはじめました。
てがら
みこ
んな 怖 ろしいことをしだすかわからない。今のうちに手
王 は曾
婆加里 の 目顔 がそのさかずきで隠 れるといっしょ
ほ
ぬ
早くかたづけてしまってやろう。しかし、 手柄 だけはど
に、かねてむしろの下にかくしておおきになった 剣 を抜 つるぎ
こまでも 賞 めておいてやらないと、これから後、人が 私 き放して、あッというまに 曾婆加里 の首を切り落として
わし
を信じてくれなくなる﹂
おしまいになりました。
そ ば か り
こうお思いになって急にその手だてをお考えさだめに
113
やまと
とおあすか
た じ
ひ
しばがきのみや
まつりごと
ようによくおそろいになって、ちょうど玉をつないだよ
かわち
それからあくる日そこをお立ちになり、 大和 の遠
飛鳥 うにおきれいでした。河
内 の多
遅比 の柴
垣宮 で、 政
をお
ばん
という村までおいでになって、そこへまた一 晩 おとまり
とりになり、おん年六十でおかくれになりました。
ばら
になったうえ、けがれ 払 いのお祈りをなすって、そのあ
いそのかみ
くる日 石上 の神宮へおうかがいになりました。そしてお
なかつのみこ
たい
四
そうじょう
おせつけのとおり、 中津王 を平 らげてまいりましたとご
ごぜん
はんしょうてんのう
とおあすかのみや
わくごのすくねのみこ
いんきょうてんのう
みこ
上 になりました。
奏
反
正天皇 のおあとには、弟さまの若
子宿禰王 が 允恭天皇 やまと
天皇はそれではじめて 王 を御
前 へお通しになりました。
つかさ
としてお位におつきになり、 大和 の 遠飛鳥宮 へお移りに
くら
それから 阿知直 に対しても、ごほうびに 蔵 の司 という役
なりました。
でんぢ
天皇は、もとからある不治のご病気がおありになりま
あちのあたえ
におつけになり、たいそうな 田地 をもおくだしになりま
した。
じたい
したので、このからだでは位にのぼることはできないと
かた
おっしゃって、はじめには 固 くご 辞退 になりました。し
そくい
三
わかざくらのみや
かし、 皇后やすべての役人がしいておねがい申すので、
やまと
かんきむ
けん
やむなくご 即位 になったのでした。
こんばちん
みつぎもの
天皇は後に 大和 の若
桜宮 にお移りになり、しまいにお
するとまもなく新
羅国 から、八十一そうの船で貢
物 を献 つ
しらぎのくに
ん年六十四でおかくれになりました。そのおあとは、弟
みずはわけのみこ
はんしょうてんのう
じて来ました。そのお使いにわたって来た 金波鎮 、漢
起武 よ
さまの 水歯別王 がお継 ぎになりました。後に反
正天皇 と
すん
なが
という二人の者が、どちらともたいそう医薬のことに通
なが
お呼 び申すのがこの天皇のおんことです。
ぶ
じておりまして、天皇の 永 い間のご病気を、たちまちお
しゃく
天皇はお身のたけが九尺 二寸五分 、お歯の長 さが一寸 、
ぶ
なおし申しあげました。そのために天皇はついにおん年
はば
が二分 幅 おありになりました。そのお歯は上下とも同じ
114
きになり、大
和 のある村へ玖
訂瓮 といって、にえ湯のた
かげんなかってな 姓 を名のっているものが多いのをお嘆 天皇は日本じゅうの多くの部族の中で、めいめいいい
七十八までお生きのびになりました。
前宿禰 、 大
小前宿禰 という、きょうだい二人の大臣のう
らどんなことをしむけるかもわからないとお 怖 れになり、
軽皇子 はこれでは、うっかりしていると、 穴穂王 方 か
いてしまいました。
んな皇子をおいとい申して、弟さまの 穴穂王 のほうへつ
あなほのみこ
ぎっているかまをおすえになって、日本じゅうのすべて
ちへお 逃 げこみになりました。そしてさっそくいくさ道
おおまえのすくね
に
あなほのみこ
おおまえ
お
こまえ
おそ
かこ
いくさ
せ
よ
てくば
あなほのみこがた
の氏
姓 を正しくお定めになりました。そのにえ湯の中へ
具をおととのえになり、 軽矢 といって、矢 の根を銅でこ
しょうじき
かるのおうじ
一人一人手を入れさせますと、 正直 にほんとうの 姓 を名
しらえた矢などをも、どっさりこしらえて、待ちかまえ
いつわ
なげ
のっている者は、その手がどうにもなりませんが、 偽 り
ていらっしゃいました。
せい
を申し立てているものは、たちまち手が焼けただれてし
それに対して、 穴穂王 のほうでもぬからず 戦 の手
配 り
え
まうので、いちいちうそとほんとうとを見わけることが
をなさいました。こちらでも 穴穂矢 といって、後の 代 の
く か
できました。
矢と同じように鉄の矢じりのついた矢を、どんどんおこ
やまと
しらえになりました。そしてまもなく 王 ご自身が軍務を
おうじ
みこ
こまえのすくね
五
おひきつれになって、 大前 、 小前 の家をお攻 め囲 みにな
しせい
りました。
きなしのかるのおうじ
とっしん
や
天皇がおかくれになったあとにはいちばん上の皇
子 の、
王 はちょうどそのとき急に降り出したひょうの中を、
かるや
梨軽皇子 がお位におつきになることにきまっておりま
木
まっ先に 突進 して、門前へ押 しよせていらっしゃいまし
そくい
せい
した。ところが皇子はご即
位 になるまえに、お身持ちの上
た。
あなほや
について、ある言うに言われないまちがいごとをなすっ
﹁さあ、みんなもわしのとおり進んで来い。ひょうの雨は
ちょうてい
みこ
たので、 朝廷 のすべての役人やしもじもの人民たちがみ
115
歌い踊 りながら出て来ました。
すると大
前 、 小前 の宿
禰 は、手をあげひざをたたいて、
て、味方の兵をお招きになりました。
しまうのだ。さあ来い来い﹂という意味をお歌いになっ
今にやむ。そのひょうのやむように、すべてを片づけて
物 までも通して光っていたほどでしたので、またの名
召
ま れ な お 美 し い 方 で、 そ の き れ い な お か ら だ の 光 が お
ご 同腹 のお妹さまがおありになりました。 大郎女 は世 に
軽皇子 には、軽
大郎女 とおっしゃるたいそう 仲 のよい
六
さわ
すず
どうふく
めしもの
そとおしのいらつめ
あなほのみこ
なげ
わた
かるのおうじ
な
い よ
わら
しの
おおいらつめ
なか
﹁何をそんなにお 騒 ぎになる。宮
人 のはかまのすそのひ
を 衣通郎女 と 呼 ばれていらっしゃいました。
おおいらつめ
いらつめ
あなほのみこ
かるのおおいらつめ
もについた小さな 鈴 、たとえばその鈴が落ちたほどの小
穴穂王 の 手 にお渡 されになった軽
皇子 は、その仲のよ
あなほのみこ
かるのおうじ
さなことに、宮人も村の人も、そんなに騒ぐにはおよび
い 大郎女 のお 嘆 きを思いやって、
どうふく
おおいらつめ
は さ
よ
ますまい﹂
﹁ああ郎
女 よ。ひどく泣 くと人が聞いて 笑 いそしる。羽
狹 かるのおうじ
すくね
こういう意味の歌を歌いながら 穴穂王 のご 前 に出て来
の山のやまばとのように、こっそりと 忍 び泣きに泣くが
こまえ
て、
よい﹂という意味の歌をお歌いになりました。
わら
おおまえ
﹁もしあなたさま、 軽皇子 さまならわざわざお攻めにな
穴穂王 は、 軽皇子 を、そのまま 伊予 へ島流しにしてお
おど
りますには及びません。ご 同腹 のお兄上をお攻めになっ
しまいになりました。そのとき 大郎女 は、
みやびと
ては人が 笑 います。皇子さまは私がめしとってさし出し
﹁どうぞ浜べをお通りになっても、かきがらをお 踏 みに
と
かるのおうじ
よ
ます﹂と申しあげました。
なって、けがをなさらないように、よく気をつけてお歩
あなほのみこ
すくね
ささ
かるのおうじ
それで 穴穂王 は囲みを解 いて、ひきあげて待っておい
きくださいまし﹂という意味の歌を、泣き泣きお兄上に
おおいらつめ
て
でになりますと、二人の 宿禰 は、ちゃんと 軽皇子 をおひ
お捧 げになりました。
ぜん
きたて申してまいりました。
大郎女 はそのおあとでも、お兄上のことばかり案じつ
ふ
116
い よ
づけていらっしゃいましたが、ついにたまりかねてはる
かるのおうじ
おおいらつめ
ばる伊
予 までおあとを追っていらっしゃいました。
軽
皇子 はそれはそれはお喜びになって、 大郎女 のお手
をとりながら、
やまと
﹁ほんとうによく来てくれた。鏡のように輝き、玉のよ
うに光っている、きれいなおまえがいればこそ、 大和 へ
やまと
も帰りたいともだえていたけれど、おまえがここにいて
くれれば、大
和 もうちもなんであろう﹂とこういう意味
のお歌をお歌いになりました。
まもなくお二人は、その土地で自殺しておしまいにな
りました。
117
ではおおせのままにさしあげますでございましょう﹂と
にしていました。まことにおそれ多いことながら、それ
ことば
むれ
たいそう喜んでお受けをなさいました。しかしただ 言葉 むれ
しかの 群 、ししの群 らんぼう
みこ
けんじょうひん
おしぎ
だけでご返事を申しあげたのでは失礼だとお考えになっ
ねのおみ
わかくさかのみこ
しるし
て、天皇へお礼のお 印 に、 押木 の玉かずらというりっぱ
かみかざ
一
かるのおうじ
な 髪飾 りを、 若日下王 から献
上品 としておことづけにな
あなほのみこ
りました。
あなほのみや
おうじ
やまと
穴
穂王 は、おあにいさまの軽
皇子 を島流しにおしになっ
するとお使いの 根臣 は、乱
暴 にも、その玉かずらを途
いそのかみ
あんこうてんのう
た後、第二十代の 安康天皇 としてお立ちになり、 大和 の
中で自分が 盗 み取ったうえ、天皇に向かっては、
おおはつせのおうじ
ぬす
上 の 石
穴穂宮 へおひき移りになりました。
﹁おおせをお伝えいたしましたが、 王 はお聞き入れがござ
おおくさかのみこ
にんとくてんのう
天皇は弟さまの 大長谷皇子 のために、 仁徳天皇 の 皇子 いません。おれの妹ともあるものを、あんなやつの 敷物 よめ
しきもの
で、ちょうど大おじさまにおあたりになる 大日下王 とおっ
にやれるかとおっしゃって、それはそれは、刀の 柄 に手
わかくさかのみこ
つか
しゃる方のお妹さまの、 若日下王 という方を、お 嫁 にも
をかけてご立腹になりました﹂
おおくさかのみこ
らおうとお思いになりました。
こう言って、まるで根のないことをこしらえて、ひど
ねのおみ
それで 根臣 という者を大
日下王 のところへおつかわしに
いざん 言 をしました。
きさき
ながたのおおいらつめ
おおくさかのみこ
げん
なって、そのおぼしめしをお伝えになりました。 大日下王 天皇は非常にお 怒 り に なって、 す ぐ に 人 を 派 せ て
おおくさかのみこ
はそれをお聞きになりますと、四たび礼拝をなすったう
日下王 を 殺 し て お し ま い に な り ま し た。 そ し て 大
王 の
は
え、
お 妃 の長
田大郎女 をめしいれて自分の皇后になさいまし
たいめい
いか
﹁実は私も、万一そういうご 大命 がくだるかもわからな
た。
みこ
いと思いましたので、妹は、ふだん、外へも出さないよう
118
﹁いいえけっしてそんなはずはございません。これほど
たずねになりました。皇后は、
﹁そちはなにか心の中に思っていることはないか﹂とお
およこたわりになりながら、おそばにいらしった皇后に、
あるとき天皇は、お 昼寝 をなさろうとして、お 寝床 に
でおしまいになりました。
を抜け出して、 都夫良意富美 という者のうちへ 逃 げこん
り天皇のお首をお切りになりました。そしてすぐにお宮
なり、おまくらもとにあった 太刀 を抜 き放して、いきな
した。 目弱王 はそこをねらってそっと 御殿 へおあがりに
そのうちに、まもなく天皇はぐっすりお 眠 りになりま
ねむ
おてあついお情けをいただいておりますのに、このうえ
天皇はそのままお息がお絶えになりました。お年は五
ねどこ
何を思いましょう﹂とお答えになりました。
十六歳でいらっしゃいました。
ひるね
そのとき、ちょうど御
殿 の下には、皇后が先の 大日下王 そのときには、弟さまの大
長谷皇子 は、まだ 童髪 をおゆ
おおはつせのおうじ
まよわのみこ
どうはつ
おおはつせのおうじ
どうふく
くろひこのみこ
ごてん
との間におもうけになった、 目弱王 とおっしゃる、七つ
いになっている一少年でおいでになりましたが、 目弱王 いきどお
まよわのみこ
におなりになるお子さまが、ひとりで遊んでおいでにな
が天皇をお殺し申したとお聞きになりますと、それはそ
ぬ
りました。
れはお 憤 りになって、すぐにお兄上の 黒日子王 のところ
た ち
天皇はそれとはご存じないものですから、ついうっか
へかけつけておいでになり、
くろひこのみこ
いか
に
りと、
﹁おあにいさま、たいへんです。天皇をお殺し申したや
らん
つ ぶ ら お お み
﹁わしはただ一つ、いつも気になってならないことがあ
つがいます。どういたしましょう﹂とご相談をなさいま
おおくさかのみこ
る。それは目
弱 が大きくなった後に、あれの父はわしが
した。すると、 黒日子王 は天皇のご同
腹 のおあにいさま
ごてん
殺したのだと聞くと、わしに復しゅうをしはしないだろ
でおありになりながら、てんで、びっくりなさらないで
まよわのみこ
うかと、それが心配である﹂とこうおおせになりました。
平気にかまえていらっしゃいました。 大長谷皇子 はそれ
まよわ
目
弱王 は下でそれをお聞きになって、それではお父上
をご 覧 になりますと、くわッとお 怒 りになり、
まよわのみこ
を殺したのは天皇であったのかとびっくりなさいました。
119
われの天皇がお殺されになったのじゃありませんか。そ
﹁あなたはなんという 頼 もしげもない人でしょう。われ
二
しまいになりました。
たの
して、それは、またあなたのおあにいさまじゃありませ
まよわのみこ
おおはつせのおうじ
んか。それを平気で聞いているとは何ごとです﹂とおっ
やしき
大
長谷皇子 はそれから軍勢をひきつれて、 目弱王 をか
つ ぶ ら お お み
しゃりながら、いきなりえりもとをひッつかんでひきず
くまっている 都夫良意富美 の邸 をおとり囲みになりまし
ひとう
り出し、刀を抜くなり、 一打 ちに打ち殺しておしまいに
しろひこのみこ
た。すると、こちらでもちゃんと手くばりをして待ちか
おうじ
なりました。
まえておりまして、それッというなり、ちょうどあしの
おおはつせのおうじ
つ ぶ
おが
ら
だ
皇
子 はそれからまたつぎのおあにいさまの 白日子王 の
花が飛び 散 るように、もうもうと矢 を射 出 しました。
しろひこのみこ
おうじ
からひめ
い
ところへおいでになって、同じように、天皇がお殺され
大
長谷皇子 は、その前から、この 都夫良 の娘 の訶
良媛 どうふく
ら
や
になったことをお告げになりました。 白日子王 は天皇の
という人をお 嫁 におもらいになることにしていらっしゃ
ち
ご同
腹 の弟さまでいらっしゃいました。それだのに、こ
いました。 皇子 は今どんどん 射 向ける矢の中に、 矛 を突 つ ぶ
ら
やたび ふ
かなら
ほこ
おうじ
つ
からひめ
の方も同じく平気な顔をして、すましておいでになりま
いてお突ッ立ちになりながら、
ぶ
からひめ
むすめ
した。皇子はまたそのおあにいさまのえり首をつかんで
﹁ 都夫良 よ、 訶良媛 はこのうちにいるか﹂と大声でおど
つ
ごぜん
よめ
ひきずり出して、 小治田 という村まで引っぱっていらっ
なりになりました。
う
こし
むすめ
い
しゃいました。そしてそこへ 穴 を 掘 って、その中へまっ
都
夫良 はそれを聞くと、急いで武器を投げすてて、 皇子 おはりだ
すぐに立たせたまま、生き 埋 めに埋 めておしまいになり
の御
前 へ出て来ました。そして 八度 伏 し拝 んで申しあげ
みこ
ほ
ました。
ました。
あな
王 はどんどん土をかけられて、 腰 までお埋められになっ
﹁ 娘 の訶
良媛 はお約束のとおり必 ずあなたにさしあげま
りょうほう
う
たとき 両方 のお目の玉が飛び出して、それなり死んでお
120
そん
そ
けんじょう
ん。いかがいたしましょう﹂と申しあげました。
まよわのみこ
す。また五か 村 の私の領地も、娘に添 えて献
上 いたしま
お小さな 目弱王 は、
わたし
す。ただどうぞ、今しばらくお待ちくださいまし。私がた
﹁それではもうしかたがない。早く 私 を殺してくれ﹂と
むかし
だ今すぐに娘をさしあげかねますわけは、 昔 から臣下の
おっしゃいました。 都夫良 はおおせに従ってすぐに 王 を
か や
の
おおはつせのおうじ
みこ
者が皇子さま方のお宮へ 逃 げかくれたことは聞いており
お 刺 し申した上、その刀で自分の首を切って死んでしま
からぶくろ
ら
ますが、 貴 い皇子さまがしもじもの者のところへお 逃 れ
いました。
まよわのみこ
かた
おうみ
つ ぶ
になったためしはかつて聞きません。私はいかに力いっ
に
ぱい戦いましても、あなたにお勝ち申すことができない
三
たよ
さ
のは十分わきまえております。しかし、 目弱王 は、私ご
のが
とき者をも頼 りにしてくださって、いやしい私のうちへ
このさわぎが 片 づくとまもなく、ある日、 大長谷皇子 とうと
おはいりくださっているのでございますから、私といた
す
のところへ、 近江 の 韓袋 という者が、そちらの 蚊屋野 と
み
しましては、たとえ死んでもお 見捨 て申すことはできま
じ
いうところに、ししやしかがひじょうにたくさんおりま
う
せん。 娘はどうぞ私が 討 ち 死 にをいたしましたあとで、
すと申し出ました。
やしき
かれき
おめしつれくださいまし﹂
いくさ
いくさ
てきず
つの
﹁そのどっさりおりますことと申しますと、群がり集まっ
ら
こう申しあげて御前をさがり、再び 戦 道具を取って邸 ぶ
た足はちょうどすすきの原のすすきのようでございます
つ
おうじ
からぶくろ
にはいって、いっしょうけんめいに 戦 をいたしました。
つ
し、群がった 角 は、ちょうど 枯木 の林のようでございま
まよわのみこ
おしはのみこ
りちゅうてんのう
そのうちに都
夫良 はとうとうひどい手
傷 を負いました。
ら
す﹂と 韓袋 は申しあげました。
ぶ
みんなも矢だねがすっかり 尽 きてしまいました。それで
皇子 は、ようし、とおっしゃって、履
仲天皇 の皇子で、
つ
夫良 は 都
目弱王 に向かって、
ちょうどおいとこにおあたりになる、 忍歯王 とおっしゃ
いくさ
﹁私もこのとおりで、もはや 戦 を続けることができませ
121
おうみ
めしもの
こう申しあげました。それで皇子も、わざわざお 召物 の
きざ
おしはのみこ
ゆみや
るお方とお二人で、すぐに近
江 へおくだりになりました。
下へよろいをお着こみになりました。そして 弓矢 を取っ
の
お二人は蚊
屋野 にお着きになりますと、ごめいめいに別々
ておうまを 召 すなり、大急ぎで 王 のあとを追ってお出か
や
の仮
屋 をお立てになって、その中へおとまりになりまし
けになりました。
か
た。
皇子はまもなく王に追いついて、お二人でうまを 並 べ
みこ
そのあくる朝、 忍歯王 は、まだ日も上らないうちにお
てお進みになりました。そのうちに皇子はすきまをねらっ
おうじ
め
目ざめになりました。それでまったくなんのお気もなく、
て、さっと矢をおつがえになり、罪もない 忍歯王 を、だ
かりや
すぐにおうまにめして、 大長谷皇子 のお仮屋へ出かけて
しぬけに 射 落としておしまいになりました。そして、な
みこ
おおけのみこ
なら
おいでになりました。こちらでは、皇
子 はまだよくおよっ
お飽 き足 らずに、そのおからだをずたずたに切り刻 んで、
おしはのみこ
ていらっしゃいました。王 は、皇子のおつきの者に向かっ
それをうまの 飼葉 を入れるおけの中へ投げ入れて、土の
おおはつせのおうじ
て、
中へ 埋 めておしまいになりました。
い
﹁まだお目ざめでないようだね。もう 夜 も明けたのだか
た
ら、早くお出かけになるように申しあげよ﹂とおっしゃっ
四
おしはのみこ
あ
て、そのままおうまをすすめて、りょう場へお出かけに
かいば
なりました。
忍歯王 には 意富祁王 、 袁祁王 というお二人のお子さま
う
皇子のおつきの者は、皇子に向かって、
がいらっしゃいました。
おしはのみこ
よ
﹁ただ今 忍歯王 がおいでになりまして、これこれとおっ
お二人はお父上がお殺されになったとお聞きになりま
やまと
おけのみこ
しゃいました。なんだかおっしゃることが変ではございま
して、それでは自分たちも、うかうかしてはいられない
かた
せんか。けっしてごゆだんをなさいますな。お身 固 めも十
とおぼしめして、急いで 大和 をお 逃 げになりました。
うたが
に
分になすってお出かけなさいますように﹂と悪く 疑 って
122
やましろ
かりはい
そのお途中でお二人が、 山城 の苅
羽井 というところで
えき
しるし
かお
いれずみ
ろうじん
おべんとうをめしあがっておりますと、そこへ、ちょう
あがりの印 役 に、顔 へ入
墨 をされている、一人の 老人 が
うば
出て来て、お二人が食べかけていらっしゃるおべんとう
お
を奪 い取りました。お二人は、
かみ
か
かい
﹁そんなものは 惜 しくもないけれど、いったいおまえは
やましろ
何者だ﹂とおたしなめになりました。
わるもの
くすばがわ
わた
﹁おれは 山城 でお上 のししを飼 っているしし飼 だ﹂とそ
かわち
の悪
者 の老人は言いました。
はりま
お二人は、それから 河内 の玖
須婆川 という川をお 渡 り
し じ
む
になり、とうとう 播磨 まで逃げのびていらっしゃいまし
た。そして固くご身分をかくして、 志自牟 という者のう
しごと
ちへ下男におやとわれになり、いやしいうし飼、うま飼
の仕
事 をして、お命をつないでいらっしゃいました。
123
一
とんぼのお歌
ぐに人をおつかわしになりました。
﹁行ってあの家を焼きはらって来い﹂とおっしゃって、す
ている﹂とお 怒 りになり、
﹁無礼なやつめ。おのれが家をわしのお宮に 似 せて作っ
者がお答え申しました。天皇は、
﹁あれは 志幾 の大
県主 のうちでございます﹂と、お供の
﹁あの家はだれの家か﹂とおたずねになりました。
あさくらのみや
くさか
ちかみち
みこ
かざ
おおあがたぬし
いか
おおあがたぬし
大
長谷皇子 は、まもなく 雄略天皇 としてご即
位 になり、
すると 大県主 はすっかりおそれいってしまいました。
やまと
わかくさかのみこ
かわち
やまと
こ
し き
和 の 大
朝倉宮 に お 移 り に な り ま し た。 皇 后 に は、 例 の
﹁実は、おろかな私どものことでございますので、つい
おおくさかのみこ
わかくさかのみこ
とうげ
すず
つな
けんじょう
わかくさかのみこ
めずら
に
日下王 のお妹さまの若
大
日下王 をお立てになりました。
なんにも存じませんで、うっかりこしらえましたもので
ただごえ
そくい
その 若日下王 が、まだ 河内 の 日下 というところにいら
ございます﹂と言って、 縮 みあがってお申しわけをしま
くさか
ゆうりゃくてんのう
しったときに、ある日天皇は、 大和 からお 近道 をおとり
した。そして、そのおわびの 印 に、一ぴきの白いぬにぬ
おおはつせのおうじ
になり、 日下 の直
越 という峠 をお越 えになって、 王 のと
のを着せ、鈴 の飾 りをつけて、それを 身内 の者の一人の、
けん
れい
ころへおいでになったことがありました。
佩 という者に綱 腰
で引かせて、天皇に献
上 いたしました。
うつ
そのとき天皇は、山の上から四方の村々をお見わたし
それで天皇も、そのうちをお焼きはらいになることだ
ちぢ
になりますと、向こうの方に、一 軒 、むねにかつお木を
けは許しておやりになり、そのまま 若日下王 のおうちへ
やしろ
とも
しるし
とりつけているうちがありました。かつお木というのは、
お着きになりました。
みうち
天皇のお宮か、神さまのお 社 かでなければつけないはず
天皇はお 供 の者をもって、
こしはき
の、かつおのような形をした、むねの 飾 りです。
﹁これはただいま途中で手に入れたいぬだ。 珍 しいもの
らん
かざ
天皇はそれをご 覧 になって、
124
しんもつ
﹁そちはだれの子か﹂とおたずねになりました。
ほうこう
あかいのこ
だから 進物 にする﹂とおっしゃって、さっきの白いぬを
﹁ 私 は引
田郎 の赤
猪子 と申します者でございます﹂と娘
ひけたべ
日下王 におくだしになりました。しかし 若
王 は、
はお答え申しました。天皇は、
あかいのこ
わたくし
﹁きょう天皇は、お日さまをお 背中 になすっておこしに
﹁それでは、いずれわしのお宮へ召 し使ってやるから待っ
みこ
なりました。これではお日さまに対しておそれおおうご
ていよ﹂とおっしゃって、そのままお通りすぎになりま
わかくさかのみこ
ざいますので、きょうはお目にかかりません。そのうち、
した。
せなか
私のほうからすぐにまかり出まして、お宮へお仕え申し
赤猪子 はたいそう喜んで、それなりお 嫁 にも行かない
め
あげます﹂
で、一心にご 奉公 を待っておりました。しかし 宮中 から
よめ
こう言って、おことわりをなさいました。
は、何十年たっても、とうとうお 召 しがありませんでし
わかくさかのみこ
あかいのこ
きゅうちゅう
天 皇 は お 帰 り の お 途 中、 山 の 上 に お 立 ち に なって、
た。そのうちに、もうひどいおばあさんになってしまい
め
日下王 のことをお 若
慕 いになるお歌をおよみになり、そ
ました。 赤猪子 は、
﹁これではいよいよお宮へご奉公にあがることはできな
みこ
宮へおあがりになりました。
くなった。しかしこんなになるまで、いっしょうけんめ
みこ
いにおめしを待っていたことだけは、いちおう申しあげ
した
れを 王 へお送りになりました。 王 はそれからまもなくお
二
て来たい﹂こう思って、ある日、いろいろの鳥やお 魚 や
さかな
みわがわ
野菜ものをおみやげに持って、お宮へおうかがいいたし
やまと
天皇はあるとき、 大和 の美
和川 のほとりへお出ましに
ました。すると天皇は、
むすめ
なりました。そうすると、一人の 娘 が、その川で着物を
﹁そちはなんという 老婆 だ。どういうことでまいったの
ろうば
洗っておりました。それはほんとうに美しい、かわいら
か﹂とおたずねになりました。 赤猪子 は、
あかいのこ
しい娘でした。天皇は、
125
わか
くさか
いりえ
い女の人たちは、ちょうど 若 日下 の入
江 のはすの花のよ
わたし
﹁私は、いついつの年のこれこれの月に、これこれこう
うに 輝 き 誇 っている。 私 もそのとおりの若さでいたら、
ほこ
いうおおせをこうむりましたものでございます。こんに
すぐにもお宮で 召 し使っていただけようものを﹂と、こ
かがや
ちまでお 召 しをお待ち申してとうとう何十年という年を
ういう意味をお答え申しあげました。
め
ごしました。もはやこんな 過 老婆 になりましたので、も
天皇はかずかずのお品物をおくだしになり、そのまま
ほうこう
め
とよりご 奉公 には 堪 えられませんが、ただ私がどこまで
おうちへおかえしになりました。
まも
ろうば
もおおせを守 っておりましたことだけを申しあげたいと
す
存じましてわざわざおうかがいいたしました﹂と申しあ
三
てんのう
た
げました。天
皇 はそれをお聞きになって、びっくりなさ
りょうば
と
あ き つ の
うで
りょう
やまと
いました。
またあるとき天皇は、 大和 の阿
岐豆野 という野へご 猟 わす
﹁私 はそのことは、もうとっくに 忘 れてしまっていた。こ
においでになりました。そして 猟場 でおいすにおかけに
わし
れはこれはすまないことをした。かわいそうに﹂とおっ
こころね
なっておりますと、一ぴきのあぶが 飛 んで来て、お腕 に
あかいのこ
しょうじき
しゃって、 二 つ の お 歌 を お 歌 い に な り、 そ れ で もって、
くいつきました。すると一ぴきのとんぼが出て来て、た
よめ
らん
と
猪子 のどこまでも 赤
正直 な心
根 をおほめになり、ご自分
ちまちそのあぶを 食 い殺 して飛 んで行きました。
ころ
のために、とうとう一生お 嫁 にも行かないで過ごしたこ
天皇はこれをご 覧 になって、たいそうお喜びになり、
く
とをしみじみおあわれみになりました。 赤猪子 は、その
﹁なるほどこんなふうに天皇のことを思う虫だから、そ
な
あかいのこ
お歌を聞いて、たまりかねて泣 きだしました。その涙 で、
れでこの日本のことをあきつ島というのであろう﹂とい
そで
なみだ
赤色にすりそめた着物の 袖 がじとじとにぬれました。そ
よ
う意味をお歌に歌っておほめになりました。とんぼのこ
ことば
して泣き泣き歌って、
とを 昔 の言
葉 ではあきつと呼 んでおりました。
むかし
﹁ああああ、これから先はだれにすがって生きて行こう。
126
はんのきへ、大急ぎでお 逃 げのぼりになり、それでもっ
がの天皇もこわくおなりになって、おそばに立っていた
とうなりながら飛びかかって来ました。それには、さす
ました。すると、ししはおそろしく怒 り狂 って、うううう
になって、ねらいをたがえず、ぴゅうとお 射 あてになり
飛び出して来ました。天皇はすぐにかぶら 矢 をおつがえ
になりました。そうすると、ふいに大きな大いのししが
そのつぎにはまた別のときに、 大和 の葛
城山 へお上り
い何者だ﹂と、きびしくお問いつめになりました。する
れだのに、わしと同じお供を従えて行くそちは、いった
﹁日本にはわしを除いて二人と天皇はいないはずだ。そ
天皇はおどろいて、すぐに人をおつかわしになり、
でした。
まして、だれが見ても天皇のお行列と 寸分 も 違 いません
やはりみんな、赤ひものついた、青ずりの着物を着てい
行くのがお目にとまりました。その人のお供の者たちも、
すると、向こうの山を、一人のりっぱな人がのぼって
かつらぎやま
て、やっと危 いところをお助かりになりました。
と向こうからも、そのおたずねと同じようなことを問い
やまと
天皇はそのはんのきの上で、
かえしました。
い
や
﹁ああ、この木のおかげで命びろいをした。ありがたい
天皇はくわッとお 怒 りになり、まっ先に矢をぬいてお
ちが
ありがたい﹂とおっしゃる意味を、お歌にお歌いになり
つがえになりました。お供の者も残らず一度に矢をつが
わたし
すんぶん
ました。
えました。そうすると、向こうでも負けていないで、み
くる
んなそろって矢をつがえました。天皇は、
いか
四
﹁さあ、それでは名を名乗れ。お 互 いに名乗り合ったう
かつらぎやま
に
えで矢を放とう﹂とお言い送りになりました。向こうか
あぶな
天皇はその後、 また 葛城山 におのぼりになりました。
らは、
いか
そのときお供の人々は、みんな、赤いひものついた、青
﹁それではこちらの名まえもあかそう。私 は悪いことにも
たが
ずりのしょうぞくをいただいて着ておりました。
127
かつらぎやま
ささ
におさかずきを 捧 げて、お酒をおつぎ申しました。する
ひとこと
ひとことぬしのかみ
ただ一
言 、いいことにも一言だけお告げをくだす、葛
城山 と、あいにく、けやきの葉が一つ、そのさかずきの中へ
ふ
うねめ
の一
言主神 だ﹂とお答えがありました。天皇はそれをお
落ちこみました。 采女 はそれとも気がつかないで、なお
とも
おおかみ
聞きになると、びっくりなすって、
どんどんおつぎ申しました。天皇はふと、その木の葉を
ち
いか
﹁これはこれはおそれおおい、 大神 がご神体をお現わし
ご 覧 になりますと、たちまちむッとお 怒 りになって、い
た
らん
になったとは思いもかけなかった﹂とおっしゃって、大
きなり 采女 をつかみ伏 せておしまいになり、お刀をおぬ
けんじょう
いのち
うねめ
急ぎで 太刀 や 弓矢 をはじめ、お 供 の者一同の青ずりの着
きになって、首を切ろうとなさいました。 采女 は、
おおかみ
ゆみや
物をもすっかりおぬがせになり、それをみんな、 伏 し拝 ﹁あッ﹂と 怖 れちぢかんで、
けんじょうもの
かんこう
はつせ
うねめ
んで、 大神 へご 献上 になりました。
﹁どうぞ 命 だけはお許しくださいまし。申しあげたいこ
おおかみ
おが
すると 大神 は手を打ってお喜びになり、その 献上物 を
とがございます﹂ と言いながら、 つぎのような意味の、
ふ
すっかりお受けいれになりました。それから天皇がご 還幸 長い歌を歌いました。
おおかみ
おそ
になるときには、 大神 はわざわざ山をおりて、遠く 長谷 ﹁このお宮は、朝日も夕日もよくさし入る、はればれと
ぢふく
の山の口までお見送りになりました。
したよいお宮である。 堅 い 地伏 の上に立てられた、がっ
かた
しりした大きなお宮である。お宮のそとには大きなけや
えだ
五
きの木がそびえたっている。その 大木 の上の 枝 は天をお
たいぼく
おっている。中ほどの枝は東の国においかぶさり、下の
はつせ
天皇はつぎにはまたあるとき、その 長谷 にあるももえ
もよお
枝はそのあとの地方をすっかりおおっている。上の枝の
さかもり
つきという大きな、大けやきの木の下でお 酒宴 をお催 し
うねめ
ささ
こずえの葉は、落ちて中の枝にかかり、中の枝の落ちた
じょかん
になりました。
みえのうねめ
葉は下の枝にふりかかる。下の枝の葉は 采女 が捧 げたお
い せ
そのとき伊
勢 の生まれの三
重采女 という女
官 が、天皇
128
それについで天皇も楽しくお歌をお歌いになり、みん
う
さかずきの中へ落ち 浮 かんだ。
なでにぎやかにお 酒盛 をなさいました。
さかもり
それを見ると、 大昔 、 天地がはじめてできたときに、
采女 は罪を許されたばかりでなく、そのうえに、さま
おおむかし
この世界が浮き油のように浮かんでいたときのありさま
ざまのおくだし物をいただいて、大喜びに喜びました。
むかし
うねめ
ひろは
うねめ
が思い出される。また、神さまが、 大海 のまん中へこの
天皇はしまいに、おん年百二十四歳でおかくれになり
たいかい
日本の島を作りお浮かべになった、そのときのありさま
とうと
ました。
に
そうい
にもよく似 ている。ほんとは尊 くもめでたいことである。
うねめ
これはきっと、後の世までも話し伝えるに 相違 ない﹂
めん
采
女 はこう言って、 昔 からの言い伝えを引いておもし
ろく歌いあげました。天皇はこの歌に 免 じて、 采女 の罪
たかいちごおり
しげ
を許しておやりになりました。すると皇后もたいそうお
やまと
喜びになって、
さ
﹁この 大和 の 高市郡 の高いところに、大きく 茂 った広
葉 ひろ
のつばきが咲 いている。今、天皇は、そのつばきの葉と
うねめ
同じように、大きなお 寛 い、そして、その花と同じよう
とうと
に美しくおやさしいお心で、 采女 をお許しくだすった。
なが
さあ、この貴 い天皇にお酒をおつぎ申しあげよ。このあ
りがたいお情けは、みんなが後の世まで 永 く語り伝える
であろう﹂と、こういう意味のお歌をお歌いになりまし
た。 129
うし 飼 、うま 飼 という者が 新築 したおうちでお 酒盛 をしました。そのと
人が 国造
になって行きました。するとその地方の 志自牟 その後まもなく、その 播磨 の国へ、山
部連小楯 という
いました。
がらえておいでになるということはちっとも知らないで
おだて
まい
やまべのむらじおだて
一
き 小楯 をはじめ、よばれた人たちも、お酒がまわるにつ
はりま
れて、みんなで代わる代わる立って 舞 を舞いました。し
ゆうりゃくてんのう
かい
雄
略天皇 のおあとには、お子さまの 清寧天皇 がお立ち
まいにはかまどのそばで火をたいていたきょうだい二人
かい
になりました。天皇はしまいまで皇后をお迎えにならず、
の火たきの子供にも舞えと言いました。
む
お子さまもお一人もいらっしゃいませんでした。
すると弟のほうの子は、兄の子に向かって、おまえさ
かざ
じ
ですから天皇がおかくれになると、おあとをお 継 ぎに
きにお舞いと言いました。兄は弟に向かって、おまえか
おおはつせのおうじ
わら
ち
し
なるお方がいらっしゃらないので、みんなはたいそう 当惑 ら舞えと言いました。みんなは、そんないやしい小やっ
さが
くにのみやつこ
して、これまでのどの天皇かのお血
筋 の方をいっしょうけ
こどもが、人なみに、もっともらしくゆずり合うのをお
け
た
さかもり
んめいにお探 し申しました。すると、さきに 大長谷皇子 もしろがって、やんやと 笑 いました。
お
かつらぎ
おしぬみのいらつめ
け
やまと
お
しんちく
にお殺されになった、 忍歯王 のお妹さまで 忍海郎女 、ま
そのうちに、 とうとう兄のほうがさきに舞いました。
いいとよのみこ
お
せいねいてんのう
たのお名まえを 飯豊王 とおっしゃる方が、 大和 の葛
城 の
弟はそのあとに舞い出そうとするときに、まず大声でつ
つのさしのみや
かい
つ
刺宮 というお宮においでになりました。それで、この
角
ぎのような歌を歌って自分たちきょうだいの身の上をう
じ まつりごと
おしはのみこ
かい
とうわく
お方にともかく一時 政 をおとりになっていただきまし
ちあけました。
はりま
ちすじ
た。みんなは、例の 忍歯王 のお子さまの 意富祁 、 袁祁 の
﹁男らしい大きな男が、 太刀 のつかに赤い 飾 りをつけ、
おしはのみこ
お二人が、播
磨 の国でうし飼 、うま飼 になって、生きな
130
太刀のおには赤いきれをつけて、いかにも人目を引く 姿 にご 注進 申しあげました。 飯豊王 はそれをお聞きになる
ぐに 大和 へ早うまの使いを立てて、おんおば上の 飯豊王 いいとよのみこ
をしていても、深くおい 茂 ったたけやぶの後ろにはいれ
と、大喜びにお喜びになり、すぐにお二人をお 呼 びのぼ
やまと
ば、 隠 れて目にも見えない﹂と、こう歌いだして、たけ
せになりました。
すがた
やぶという言
葉 を引き出した後、
ととの
おけのみこ
むすめ
しびのおみ
おうお
いいとよのみこ
﹁そんなたけやぶの大きなたけを割って、それを 並 べてこ
二
はちげんきん
だいまえ
ちゅうしん
しらえた、八
絃琴 は、それはそれは調子がよく 整 って申
しげ
し分がない。今から五 代 前 の 履仲天皇 は、ちょうどその
お二人は、 角刺 のお宮でだんだんにご 成人 になりまし
おうじ
ゆか
うたのおびと
はば
おけのみこ
もよお
よ
のしらべと同じように、どこまでもりっぱに天下をお
琴 た。
かく
治めになったお方である。その 皇子 に 忍歯王 とおっしゃ
あるとき 袁祁王 は、歌がきといって、男や女がおおぜ
ことば
る方がいらしった。みんなの人々よ、われわれ二人は、そ
いいっしょに集まって、歌を歌いかわす 催 しへおでかけ
おしはのみこ
おだて
しんく
なら
の忍
歯王 の子であるぞ﹂と歌いました。
になりました。
お け
りちゅうてんのう
小
楯 はそれを聞くとびっくりして、床 からころがり落
そのとき 菟田首 という人の 娘 で、王 がかねがねお嫁 に
お お
こんにち
おうお
せいじん
ちてしまいました。そして大あわてにあわてて、さっそ
もらおうと思っておいでになる、 大魚 という美しい女の
かか
な
つのさし
くみんなを残らず追い出したうえ、意外なところでお見
人も来あわせておりました。するとそのころ、臣下の中
こと
出し申した、 意富祁 、 袁祁 のお二人を左右のおひざにお
でおそろしく 幅 をきかせていた 志毘臣 というものが、そ
なみだ
おしはのみこ
え申しながら、お二人の 抱 今日 までのご辛
苦 をお察し申
の大
魚 の手を取りながら、袁
祁王 にあてつけて、
おだて
みこ
よめ
しあげて、ほろほろと涙 を流して泣 きました。
﹁ああ、おかしやおかしや、お宮の屋根がゆがんでしまっ
みこ
小
楯 はそれから急いでみんなを集めて、仮のお宮をつ
た﹂と歌いだし、そのあとの歌のむすびを 王 にさし向け
け
くり、お二人をその中にお移し申しました。そして、す
131
みこ
おおけのみこ
ておひきあげになりました。そして、お宮へお帰りにな
だいく
ふ
ました。 王 は、すぐにそれをお受けになって、
ほろぼ
し び
るとすぐに、 お兄上の 意富祁王 とご相談なさいました。
かさ
﹁それは 大工 がへただからゆがんだのだ﹂とお歌いにな
び
毘 はひとりでつけあがって、われわれをもまるで 志
踏 み
みこ
し
りました。すると 志毘 は 重 ねて、
う
ね
し び
つけている。われわれのお宮に仕えている者も、朝はお
え
おうお
﹁いや、どんなに 王 があせられても、わしがゆいめぐら
や
宮へ来るけれど、それからさきは昼じゅう 志毘 の家に集
なか
した、 八重 のしばがきの中へははいれまい。 大魚 とわし
まってこびいっている。あんなやつは後々のために早く
あら
つか
との 仲 をじゃますることはできまい﹂と歌いかけました。
ち亡 討 してしまわなければいけない。 志毘 は今ごろは 疲 しお
おそ
び
はすかさず、
王 れて 寝入 っているにちがいない。 門には番人もいまい、
し び
し
﹁潮 の流れの上の、波の 荒 いところにしびが泳いでいる。
うのは今だとお二人でご決心になりました。そしてす
襲 みこ
しびのそばにはしびの妻がついている。 ばかなしびよ﹂
ぐに軍勢を集めて 志毘 の家をお取り囲みになり、目あて
い
とお歌いになりました。
の 志毘 を難なく切り殺しておしまいになりました。
おこ
し び
そうすると志
毘 はむっと怒 って、
みこ
し び
﹁王 のゆったしばがきなぞは、いかに堅
固 にゆいまわし
三
けんご
てあろうとも、おれがたちまち切り破って見せる。焼き
はら
みこ
って見せてやる﹂と歌いました。 払 王 はどこまでも負け
さかな
おおけのみこ
そくい
じゅんじょ
お二人はもはや、お年の上でも十分おひとり立ちで天
ま
ないで、
あ
下をお治めになることがおできになるので、順
序 からいっ
つ
﹁あはは、しびよ。そちは 魚 だ。いかにいばっても、そ
て、お兄上の 意富祁王 が、まず第一にご 即位 になるのが
む
みこと
ちを 突 きに来る海
人 にはかなうまい。そんなにこわいも
じ
ほんとうでした。しかし、 命 は弟さまに向かって、
し
のがいては悲しかろう﹂とお歌いになりました。
﹁二人が志
自牟 のうちにいたときに、もしそなたが名まえ
みこ
王 は、そんなにして、とうとう夜があけるまで歌い争っ
132
けがつきます﹂と申しあげました。天皇はさっそく 近江 おうみ
を名乗らなかったら、二人ともあのままあそこに 埋 もれ
の 蚊屋野 へおくだりになって、土地の人民におおせつけ
うず
ていなければならなかったはずであった。お 互 いにこんな
になって、 老婆 の指 す場所をお掘 らせになり、たしかに
の
になったのもみんなそなたのお手
柄 である。それで、私は
お父上のご遺骨をお見出しになりました。それで 蚊屋野 おけのみこ
はかも
か や
兄に生まれてはいるけれど、どうかそなたからさきに天
の東の山にみささぎを作ってお 葬 りになり、さきに、お
たが
下を治めておくれ﹂とおっしゃいました。袁
祁王 はそのこ
父上たちに猟をおすすめ申しあげた、あの 韓袋 の子孫を
みとど
ほうむ
ほ
とだけはどこまでもご 辞退 になりましたが、お兄上がど
お 墓守 りにご任命になりました。
さ
うしてもお聞きいれにならないので、とうとうしかたな
天皇はそれからご 還御 の後、さきの 老婆 をおめしのぼ
ちかあすかのみや
おきめのおみな
ろうば
しに、第一にお位におつきになりました。後に 顕宗天皇 せになりまして、
やまと
てがら
と申しあげるのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。
﹁そちは大事な場所をよく 見届 けておいてくれた﹂とお
なにわのみこ
きゅうちゅう
ろうば
の
天皇はそれといっしょに 大和 の近
飛鳥宮 へお移りにな
ほめになり、置
目老媼 という名をおくだしになりました。
いこつ
ことば
や
り、 石木王 という方のお子さまの 難波王 とおっしゃる方
そして、とうぶんそのまま 宮中 へおとどめになって、お
ろうば
すず
か
を、皇后にお迎えになりました。
てあつくおもてなしになった後、改めてお宮の近くの村
おしはのみこ
いや
おきめ
おきめ
からぶくろ
天皇は、お父上の 忍歯王 のご 遺骨 をおさがし申そうと
へお住ませになり、毎日一度はかならずおそばへめして、
おうみ
じたい
おぼしめして、いろいろ、ご苦心をなさいました。する
やさしくお 言葉 をかけておやりになりました。天皇はそ
こつ
みこ
こつ
かんぎょ
と、近
江 から一人の卑 しい老
婆 がのぼって来て、
のためにわざわざお宮の戸のところへ大きな 鈴 をおかけ
みこ
けんそうてんのう
﹁王 のお骨 をお埋 め申したところは私がちゃんと存じて
になり、 置目 をおめしになるときは、その鈴をお鳴らし
かさ
いしきのみこ
おります。おそれながら、 王 には、ゆりの根のようにお
になりました。
らん
う
なりになったお歯がおありになりました。そのお歯を
重 後には 置目 は、
みこ
ご覧 になりませば、王 のお骨 ということはすぐにお見分
133
あすからそなたを見ることもできないのかとおっしゃる
天皇は 置目 のおねがいをお許しになり、それではもう
たくなりました﹂と申しあげました。
﹁私もたいそう年をとりましたので、生まれた村へ帰り
﹁天皇のみささぎをこわすためなら、ほかのものをやっ
するとお兄上の 意富祁王 が、
なさいました。
というところにある、天皇のみささぎをこわさせようと
ようというおぼしめしから、人をやって、 河内 の多
治比 ひ
意味の、お別れの歌をお歌いになりながら、わざわざ見
てはいけません。 私 が自分で行っておぼしめしどおりこ
じ
送りまでしておやりになりました。
わして来ます﹂とご 奏上 になりました。天皇は、
た
つぎに天皇は、 昔 お兄上とお二人で大
和 からお 逃 げに
﹁それではあなたがおいでになるがよい﹂とお許しにな
かわち
なる途中で、おべんとうを奪 い取った、あのしし 飼 の老人
りました。 意富祁王 は急いでお出かけになりました。そ
おきめ
をおさがし出しになって 大和 の 飛鳥川 の 川原 で死
刑 にお
してまもなくお帰りになって、
やまと
め
かわら
し
しけい
けいばつ
うら
おおけのみこ
そうじょう
わたし
おおけのみこ
行ないになりました。その悪者の老人は 志米須 というと
﹁ちゃんとこわしてまいりました﹂とおっしゃいました。
た
に
ころに住んでおりました。天皇はなおその上の 刑罰 とし
しかし、そのお帰りがあんまりお早いので、天皇は変
すじ
やまと
て、その老人の一族の者たちのひざの 筋 を断 ち切らせて
だとおぼしめし、
むかし
おしまいになりました。これらの者たちは、その後 大和 ﹁いったいどんなふうにおこわしになったのです﹂とお
かい
へのぼるのに、いつもびっこを引いて出て来ました。
たずねになりました。するとお兄上は、
うば
﹁実はみささぎの土を少しだけ 掘 りかえしてまいりまし
あすかがわ
四
た﹂とお答えになりました。天皇は、それをお聞きになっ
す
て、
ゆうりゃくてんのう
やまと
天皇は、お父上をお殺しになった雄
略天皇 を、深くお恨 ﹁それはまたどういうわけでしょう。お父上の復しゅう
たま
ほ
みになりまして、せめてそのみ 霊 に向かって復しゅうをし
134
るお方です。私たちがただ父上のかたきということだけ
おじであり、またわれわれの天皇のお一人でいらっしゃ
方はいくら父上のかたきとはいえ、一方ではわれわれの
﹁そのおおせはいちおうごもっともです。しかし、相手の
上は、
て来てくださらないのです﹂とおっしゃいました。お兄
ないではありませんか。なぜみささぎをすっかりこわし
をするのに、土を少し掘って帰られただけでは 飽 きたり
つぎつぎにお位におのぼりになりました。
閑 、宣
安
化 、欽
明 、 敏達 、用
明 、崇
峻 、推
古 の諸
天皇 が
してお位におつきになりました。そのおあとには、 継体 、
天皇のおつぎには、 皇子 小長谷若雀命
が 武烈天皇 と
てになりました。
略天皇 のお子さまの 雄
春日大郎女 とおっしゃる方をお立
天皇は 大和 の石
上 の広
高宮 へお移りになり、皇后には
富祁王 が仁
意
賢天皇 としてご即
位 になりました。
おありになりませんでした。それでおあとにはお兄上の
あ
考えて天皇ともある方のみささぎをこわしたとなります
やまと
せんか
ゆうりゃくてんのう
あんかん
ひろたかのみや
かすがのおおいらつめ
ようめい
すしゅん
すいこ
お う じ こはつせのわかささぎのみこと
びたつ
いそのかみ
きんめい
そくい
と、後の世の人から必ずそしりを受けます。ただかたき
にんけんてんのう
はどこまでも報いねばならないので、その 印 に土を少し
おおけのみこ
って来たのです。 このくらいの 掘 恥 を与えたのならば、
※校正者註:底本の間違いと思われる箇所のうち、読解
こうせい
月
1
36
けいたい
しょてんのう
日第
14
ページ数 行-数﹁底本﹂→﹁修正﹂
、 10-12
、 21-17
、 22-1
﹁かつら﹂→﹁かずら﹂
10-11
年
1988
ぶれつてんのう
世 だれにもはばかることはありますまいから﹂
後
に支障がありそうな部分を修正しました。その際、
﹁古事
しるし
こう言って、そのわけをお話しになりました。すると
記﹂︵倉野憲司校注、岩波文庫、
はじ
天皇も、
ほ
﹁なるほどそれは道理である。あなたのなさったとおり
刷︶および J-text
︵ http://www.j-text.com/
︶の電子テ
キスト版﹁古事記物語﹂を参照しました。
でよろしい﹂とおっしゃってご満足になりました。
天皇は八年の間天下をお治めになった後、おん年三十
八歳でおかくれになりました。天皇はお子さまが一人も
135
わけいなぎ
おひめ
わけ
おとひめ
﹁どうぞ、この刀で﹂→﹁どうぞこの刀で、﹂
100-10
たが
﹁とおっしゃいました﹂﹂→﹁とおっしゃいました。﹂
17-6
﹁弟
媛 ﹂→﹁弟
媛 ﹂
105-4
はむちわけのみこ
ほむちわけのみこ
﹁本
牟智別王 ﹂→﹁本
牟智別王 ﹂
109-4
たがい
﹁お互 い﹂→﹁お互 い﹂
18-13
ひ
﹁おさ﹂→﹁梭 ﹂
20-13
﹁別
稲置 ﹂→﹁別 、稲
置 ﹂
113-8
ほふ
﹁切りほうって﹂→﹁切り 屠 って﹂
118-12
﹁山の神、海の神、海と河との神々﹂→﹁山の神、
136-3
海と河との神々﹂
いなぎ
﹁鉄
床 ﹂→﹁鉄
床 ﹂
21-12
す か
す が
﹁須
加 ﹂→﹁須
加 ﹂
31-2
﹁あかひのき﹂→﹁いちい﹂
119-3
お ぬ
お の
﹁小
野 ﹂→﹁小
野 ﹂
123-4
かなどこ
﹁一別﹂→﹁一列﹂
33-14
﹁うさぎはおんおん﹂→﹁うさぎはまたおんおん﹂
34-6
﹁のばって﹂→﹁のぼって﹂
125-14
なかつかはぎ
ななつかはぎ
﹁七
拳脛 ﹂→﹁七
拳脛 ﹂
131-14
てつどこ
﹁お引出きし﹂→﹁お引き出し﹂
38-1
﹁お父上の大神の﹂→﹁お父上の大神も﹂
42-2
﹁おりて来ました、﹂→﹁おりて来ました。﹂
51-12
﹁屋羽張神﹂→﹁尾羽張神﹂
53-8
﹁無久﹂→﹁無窮﹂
137-6
﹁さつそく﹂→﹁さっそく﹂
137-8
はやすいのと
﹁なつて﹂→﹁なって﹂
64-14
﹁出てまいりました。﹂→﹁出てまいりまして、﹂
68-1
﹁つれて﹂→﹁奉じて﹂
139-9
きら
き
﹁切 らせて﹂→﹁切 らせて﹂
141-2
はやすいかど
﹁速
吸門 ﹂→﹁速
吸門 ﹂
80-4
﹁そちはそのへんの﹂→﹁そちはこのへんの﹂
80-9
﹁どんどんど﹂→﹁どんどんと﹂
141-11
﹁なりまがら﹂→﹁なりながら﹂
152-8
すじんてんのう
﹁申します、﹂→﹁申します。﹂
85-6
おざか
おさか
﹁忍
坂 ﹂→﹁忍
坂 ﹂
87-1
﹁天皇のおおせの﹂→﹁天皇はおおせの﹂
153-7
﹁さなかつら﹂→﹁さなかずら﹂
160-2
すいじんてんのう
、 100-3
﹁崇
神天皇 ﹂→﹁崇
神天皇 ﹂
93-3
﹁陣取りました、﹂→﹁陣取りました。﹂
98-14
136
おおささきのみこと
ふえき
おおささぎのみこと
ぶやく
﹁ 大雀命
﹂→﹁ 大雀命
﹂
163-3
むかやすやま
たかやすやま
﹁夫
役 ﹂→﹁夫
役 ﹂
167-2
ねおわたり
おおわたり
﹁大
渡 ﹂→﹁大
渡 ﹂
169-10
しらひこのみこ
しろひこのみこ
﹁高
安山 ﹂→﹁高
安山 ﹂
176-15
からぬ
からの
﹁枯
野 ﹂→﹁枯
野 ﹂
177-2
﹁白
日子王 ﹂→﹁白
日子王 ﹂
191-5
ちじ
ちぢ
﹁縮 み﹂→﹁縮 み﹂
197-4
おおけのみこ
おけのみこ
﹁二人の天皇﹂→﹁二人と天皇﹂
201-7
﹁私に兄に﹂→﹁私は兄に﹂
210-5
ゆうりょくてんのう
ゆうりゃくてんのう
﹁袁
祁王 ﹂→﹁袁
祁王 ﹂
210-6
﹁一方は﹂→﹁一方では﹂
213-4
﹁雄
略天皇 ﹂→﹁雄
略天皇 ﹂
213-15
後註
﹁つつに傍点﹂
底本:
「古事記物語」角川文庫、角川書店
1955(昭和 30)年 1 月 20 日初版発行
1968(昭和 43)年 8 月 10 日 31 版発行
1980(昭和 55)年 9 月 30 日改版 19 刷
※校正には 1989(平成元)年 10 月 30 日改版 31 刷を使用しました。
入力:jupiter
校正:鈴木厚司
2001 年 11 月 19 日公開
2003 年 6 月 15 日修正
青空文庫作成ファイル:
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