銀河通信が18周年を迎えました - みな子の銀河通信

2006.7.30
№140
編集 樋口 みな子
〒069-0831
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011-382-9020
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「銀河通信」02740-7
-56535
(6号分1,000円)
銀河通信が18周年を迎えました
や っと 北海 道も 夏ら しく なり まし た。 あっ とい う間 の2 ヶ月 でし た。 みな さま はお 元気 でし たか ?
こ の7 月、 おか げさ まで 銀河 通信 が1 8 周年 にな りま した 。い つま で続 けら れる だろ うか と思 うこ とも し
ばし ばで すが ここ まで 来た ら、 1 5 0 号ま で頑 張ろ うと 決意 して いま す。
退 職し てか ら、 山岳 会に 入っ たこ とも 大き な転 機で した が、 今年 の春 から 北海 道高 山植 物盗 掘防 止ネ
ット ワー ク委 員会 の事 務局 長を 引き 受け たり 、山 岳会 の自 然保 護副 委員 長な ど実 力以 上の 大任 を周 りの
仲間 に支 えら れな がら 頑張 って いま す。 7 月 2 3 日 に5 7 歳の 誕生 日を 迎え まし た。
山 を始 めて から 、あ きら めな い粘 り強 さが 身に つい たよ うに 思い ます 。家 族も 、私 が山 に行 けば なん
とか 食事 の支 度を しな けれ ばな らな いの で自 立? に役 立っ てい るか なと も思 いま す。
映 画や 本か らも 学ぶ こと はた くさ んあ りま す。 私な りに 書く こと で自 然や 平和 の大 切さ を伝 えて いけ
たら と思 いま す。
女 優の 宮本 信子 さん は5 0 代に なっ てか らジ ャズ を歌 うよ うに なっ たと か。 それ もプ ロな ので すか らす
ごい 。「 楽し いこ とは 生き てい く上 でと ても 大切 。も う年 だか らと か、 失敗 した らど うし よう なん て思
いま せん 」と 語っ てい ます 。素 敵で すね 。私 も見 習い たい と思 いま す。
心 新た に通 信を 書い て行 きた いと 思い ます 。こ れか らも ご愛 読く ださ い。
6. 25 摩 周湖 をバ ック に
7. 22 山 の仲 間と 空沼 岳山 頂で
写 真提 供 坂口 一弘 さん
-1-
みな子の花パトロール日記
日 本山 岳会 北海 道支 部は 大雪 山系 と十 勝岳 連峰 の高 山植 物の 保護 パト ロー ルを 道か ら委 託を 受
けま した 。会 員に お願 いす るだ けで なく 、自 らも 積極 的に パト ロー ルし なけ れば と例 年に なく た
くさ んの 山に 登り まし た。 丁度 、花 のピ ーク で、 たく さん のお 花に 出会 いま した 。氷 河期 の生 き
残り の高 山植 物が いつ まで も咲 き続 けら れる 環境 を守 りた いと 強く 思い まし た。
天を突く二ペソツ山 7・3
糠 平の キャ ンプ 場で 前泊 して 、7 月3 日憧れ の二 ペソ ツに 登っ てき まし た。
佐 藤謙 先生 が、 パト ロー ルす るな ら、 二ペ ソツ 、平 山、 白雲 、富 良野 岳を と提 案さ れて いま した 。友 人
を誘 い3 人で 登り まし た。 糠 平の 登山 口に 向か う国 道か ら、 二ペ ソツ が朝 日に あた って 厳か にそ びえ てお りこ れか ら登 る山 にわ く
わく 。登 山口 を6 時に 出発 しま した が、 すで にマ イク ロバ スの 団体 さん や、 本州 から の個 人な ど、 5 組ぐ
らい はす でに 入山 。携 帯ト イレ をど うぞ 」と いう ボッ クス があ った ので 開け てみ まし たが 、す でに 空で し
た。
丸 太橋 をわ たり 、い きな り急 斜面 に取 り付 くが 、風 倒木 が、
横た えら れて いて 足元 が滑 るの で大 変。 暗い 森を 登り きる まで
は、 見通 しが 悪い 。天 狗の コル に8 時1 0 分着 。前 天狗 には 9 時
半に 着き まし た。 ここ まで は、 ガイ ドに もあ るよ うに 、ハ イマ
ツの トン ネル をく ぐっ て進 みま す。 時折 、ナ キウ サギ の声 がし
ます が姿 を見 るこ とは でき ませ ん。 前天 狗か らは 、素 晴ら しい
眺望 が待 って いま した 。岩 峰が 鋭く どっ しり とし た二 ペソ ツが
目の 前に あり まし た。 オプ タテ シケ やト ムラ ウシ 、旭 岳な どの
大雪 山系 の 雄大 な風 景に 感激 です 。
頂 上に 向か って 2 0 人近く の団 体が 歩い てい るの が見 えま し
た。 前天 狗で 休ん でい た方 に聞 くと 東京 から のツ ア
ーだ とい いま す。
私 たち は、 高山 植物 の監 視を しな がら です から 、す ぐ
には 頂上 には 向か わず 周辺 の植 物を 観察 しま した 。ロ ー
プが 張ら れて いま すが 、写 真を 撮る ため にロ ープ の中 に
入っ たば かり の跡 があ りま した 。花 がま わり にた くさ ん
散っ てい るの です 。
岩 には イワ ウメ がび っし りと 咲い てい まし た。 エゾ ツ
ガザ クラ 、エ ゾコ ザク ラ、 エゾ ノハ クサ ンイ チゲ メア カ
ンキ ンバ イ、 ミネ ズオ ウも 咲き 始め てい ま
す。 そこ から 1 時 間半 かか って 頂
上に 。1 1 時半 。途 中で 下山 して
メア カン キン バイ
くる 、東 京の ツア ーと す
れ違 い まし た。 1 8 人の団 体で すが 、若 い男 性ガ イド が先 頭と 真ん 中と 後部 に
いて しっ かり サポ ート 。
6 0 代後 半の 女性 と男 性。 その 体力 に圧 倒さ れま した 。私 もま だま だ頑 張ら な
くっ ちゃ と励 まさ れま した 。
眼 下に 糠平 湖、 2 年 前に 登っ たウ ペペ サン ケが 見え 懐か しい 。頂 上で 写真 を
撮ろ うと した ら三 角点 の標 柱が 倒れ てい まし た。 ツア ー客 が下 山し た後 で静 か
な山 頂を 楽し みま した 。下 山は 3 度 の登 り返 しが あり つら かっ たで す。 4 時半 下
山。
-2-
花の名山 大平山 7.8
7 月8 日、 近所 の山 仲間 7人 で車 2 台に 便乗 して 札幌 を朝 4時 に
出発 し、 島牧 の大 平山 に登 りま した 。
私 は3 度目 の大 平山 です 。前 日の 雨で 登山 道は 滑り やす く尻 餅を
つく 人も いま した 。曇 って いた 空も 青空 にな り、 第1 ピー クを 過ぎ
る頃 から 、た くさ んの 花た ちが 迎え てく れま した 。イ ブキ トラ ノオ
が涼 しげ 。ミ ヤマ キン ポウ ゲの 群落 、第 2ピ ーク 付近 は、 テガ タチ
ドリ や、 ムラ サキ モメ ンヅ ルが たく さん 咲い てい まし た。
貴重 種が 多く 、落 石の 危険 も大 きか った 、第 2ピ ーク 超え のル ート
は、 付け 替え られ 歩き やす くな って いま した 。お 花も 充分 に楽 しむ
こと が出 来ま す。
頂 上直 下か ら、 道を ふさ ぐほ どの 藪を 越え て進 みま す。 やぶ 蚊の
大群 に虫 除け スプ レー はた いし て役 には たち ませ ん。
カノ コソ ウ
2 週間 前の 摩周 岳の やぶ 蚊に 食わ れた 手足 が、 ま
だ直 らな いの に、 さら にの 追い 討ち です 。仲 間の K
さん は、 目の 周り を刺 され て腫 れて いま した 。
大 平山 も急 峻な 山で すが 、二 ペソ つよ り楽 に感 じ
たの は登 った こと のあ る山 でル ート を知 って いる か
らで しょ う。
茹 でて 持っ てき た、 ソー メン が。 ネギ 、お ろし 生
姜つ きで 美味 しか った です
エゾ ノハ ナシ ノブ
オ オヒ ラタ ンポ ポも まだ 咲い てい ます 。ミ ヤマ ハナ シノ ブと いう 美し い名
前の 花を 初め てみ るこ とが でき 感激 しま した 。ア ポイ カラ マツ も咲 いて まし
た。 私の 花? ミツ モリ ミミ ナグ サも たく さん 咲い てい て嬉 しか った です 。
タ ニギ キョ ウ、 サイ ハイ ラン 、レ イジ ンソ ウ、 タニ ウツ ギ、 イワ オウ ギ、
シロ ウマ アサ ツキ 、ホ ソバ ツメ クサ 、ウ ツボ グサ 、イ ワオ トギ リ、 トウ ゲブ
キ、 カノ コソ ウ等 、た くさ んの 花に 出会 えま した 。
頂上 には 2組 の登 山者 だけ 。静 かな 山で した 。
タ イム 登 山口 8 :4 0 尾根 上 10 :1 0 8 00
M地 点 11 :0 0 大休 止 頂上 13 :5 0 下 山開 トウ ゲブ キ
始 14 :1 5 登山 口 17 :2 5
宮 内温 泉で 汗を 流し 、島 牧ユ ース に宿 泊し て、 海の 幸、 山の
幸の 料理 に感 激。 翌日 島牧 のお 祭り で、 ウニ 、あ わび が新 鮮で
美味 しか った です 。賀 老の 滝を 観光 。不 思議 な炭 酸水 、ド ラゴ
ンウ オー ター も飲 んで きま した 。
富良野岳~上ホロカメットク山
登 山教 室の アシ スタ ント とし て7 月1 5 日に 前泊 して 1 6 日 、十 勝岳 温泉 から 富良 野岳 ~
上ホ ロカ メッ トク 山を 1 2 人で縦 走し まし た。
天 気予 報が 外れ て、 前日 はカ ミホ ロ荘 の露 天風 呂か ら北
斗七 星が 輝い てい まし た。
1 6 日早 朝、 カミ ホロ 荘か ら、 富良 野岳 がど っし りと し
た姿 を現 しま した 。5 時2 0 分、 登山 口は すで にた くさ んの
車が 並ん でい て、 大型 バス も2 台。 上ホ ロ分 岐ま で快 調に
進み ます 。こ こを 過ぎ た頃 から 次か ら次 に現 れる お花 に足
が止 まり ます 。ヨ ツバ シオ ガマ のピ ンク が可 愛い 。イ ワヒ
ゲの 群落 。エ ゾツ ガザ クラ とア オノ ツガ ザク ラ、 コエ ゾツ
ガザ クラ が混 生し てい るの も見 事で した 。エ ゾヒ メク ワガ
タや エゾ ツツ ジも 今が ピー クで す。 コイ ワカ ガミ やエ ゾル
リソ ウも 見ま した が少 なく なっ てい るの は残 念で した 。
-3-
緑の 山、 富良 野岳 から 三峰 山ま では お花 を楽 しみ なが らゆ っく り
歩き まし た。 チン グル マ、 ハク サン イチ ゲが 一面 に。 ミヤ マリ ン
ドウ やイ ワギ キョ ウ、 ハイ オト ギリ がお 花畑 を彩 って いま した 。
キャ ップ をつ けな いス トッ クに よる 、土 の掘 り返 しが 気に なり ま
した 。い つま でも 美し いお 花畑 を守 りた いで すね 。
三 峰山 は、 振り 返っ てみ ると 大き くて 迫力 があ りま す。 上富 良
野岳 に登 る手 前に 高山 植物 を見 よう と登 山者 がつ けた 踏み 分け 道
がつ いて いま した 。登 山道 から はず れな いマ ナー を守 って 欲し い
です ね。 上富 良野 岳か ら、 上ホ ロカ メト ック には 、ザ ック をデ ポ
して 1 5 分で登 りま した 。
前 方に 緑の 富良 野岳 が、 上ホ ロか らは 荒々 しい 安政 火口 と形 のい い十 勝岳
が見 え、 縦走 コー スの 雄大 さ、 景観 の素 晴ら しさ に感 激し まし た。 私は 昨年
9 月 に同 じコ ース を歩 きま した が、 花の 素晴 らし さは 今回 最高 でし た。
途 中、 雷が なっ て、 雨に も少 しあ たり まし た。 とこ ろが 、時 間が ある から
と安 政火 口を 見学 して 、さ あ下 山と いう とき に、 バケ ツを ひっ くり 返し たよ
うな 雨が 降り 出し 、カ ッパ は着 たも のの 全身 ずぶ 濡れ にな りま した 。 山 中で 、山 仲間 のH YM Lの メン バー と会 うな ど、 山で の出 会い が嬉 しか
った です 。
コイ ワカ ガミ
緑岳~白雲小屋~白雲岳~小泉岳~赤岳~緑岳とニセイカウシュッペ
7.24~26
7 月2 4 日、 旭川 で友 人と 待ち 合わ せ3 人で高 原温 泉に 向か
いま した 。1 1 時半 出発 。見 晴台 近く で鹿 の親 子が 登場 。人
慣れ して いる のか 、シ ャッ ター を向 けて も道 をふ さい で逃
げよ うと しま せん 。第 一お 花畑 では エゾ コザ クラ とチ ング
ルマ の群 落が 素晴 らし い。 友人 は花 の写 真を 撮る のに 大き
なカ メラ を背 負っ てき て、 しば し写 真撮 影を 楽し むが 、緑
岳へ の急 斜面 をジ グを 切り つつ 高度 を稼 ぎま す。 厚い 雲が
覆っ てい て眺 望は あり ませ ん。
緑 岳に 15 :2 0到 着。 雨が 降り 出し 夕方 まで には 白雲
小屋 に着 きた いの でこ こか らは 少し 急ぎ 小屋 に1 6: 15
に着 きホ ッと しま した 。す でに 小屋 は満 杯。 6 0 人は泊 って
いた と思 いま す。 濡れ た雨 具を 乾か し、 すぐ に食 事の 準備
です 。こ の日 は豚 シャ ブの 豪華 な夕 食に なり まし た。
ニセ イカ ウシ ュッ ペか ら東 大雪 を望 む
思い ザッ クを おろ して 安堵 した のか 、7 時に は就 寝。
2 5 日は 風が 強く 寒い ほど 。6 時に 小屋 を出 発。 白雲 分岐 でザ ック をデ ポし て
白雲 岳に 向か いま す。 巨大 なク レー ター が広 がり 、ど うし てこ んな 山に と自 然
の不 思議 さに 驚き まま す。 岩礫 の頂 上を 往復 して 今度 は赤 岳に 。チ ョウ ノス ケ
ソウ をみ つけ まし たが 、数 は少 ない です 。キ バナ シオ ガマ やホ ソバ ウル ップ ソ
ウが たく さん 咲い てい まし たが 、コ ース ロー プが なく 登山 時に は、 踏み 込み が
心配 です 。目 の前 で盗 掘す る人 はい ない でし ょう が対 策が 必要 でし ょう 。1 週
間前 に同 じコ ース をパ トロ ール した 人か らも 同様 の感 想が 寄せ られ まし た。 小
泉岳 から 緑岳 にか けて は花 の尾 根道 でエ ゾミ ヤマ ツメ クサ やミ ヤマ リン ドウ 、
コマ クサ やク モマ ユキ ノシ タ、 エゾ タカ ネス ミレ など たく さん の花 に出 会い ま
した 。
キバ ナシ オガ マ
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緑岳 付近 で強 風が 吹き 荒れ 、岩 場で 転ん だら 大変 と、 緊張 を強 い
られ まし た。 高原 温泉 への 下山 は1 3 時で した 。
2 6 日、 ニセ イカ ウシ ュッ ペの 登山 口は 9 時 3 5 分 。2 日間の 重い ザ
ック を背 負っ ての 登山 に比 べた ら、 登り も緩 やか でと ても 楽に 感
じま した 。昨 夜の 雨で 、ぐ ちゃ ちゃ の泥 んこ 道で 景色 も開 けず 単
調で す。 15 00 mを 超え ると 一気 に展 望が 開け て表 大雪 が一 望
でき ます 。で も高 度を あげ るほ ど雲 が厚 くな り、 頂上 から は何 も
見え なか った です 。チ シマ ノキ ンバ イソ ウの 群落 が素 晴ら しか っ
たで す。
登 山口 には トイ レが ない ため 、テ ッシ ュが 散乱 。景 観を 損ね て
いま す。 ここ も人 気の ある 山で すか ら、 テッ シュ の持 ち帰 りの 啓
蒙活 動が 必要 だと 思い まし た。
ラルマナイ川から空沼岳 7.22
山 メー リン グリ スト の仲 間が 沢の 本を 出し 沢初 心
者の 私が 本の 紹介 を書 きま した 。( 本の コー ナー を
読ん でく ださ い)
著 者で ある ga nさ んに 7 月 2 2 日 、ラ ルマ ナイ 川
から 空沼 岳へ の遡 行に 参加 させ てい ただ きま した 。
メン バー はベ テラ ン4 人の 中に 初心 者は 私だ け。
笏 湖へ 向か う国 道を 行き 、左 から 恵庭 から の道 道
が入 ると ころ が林 道入 り口 です 。
山 水橋 の標 識が あり 左岸 を進 み、 右岸 に渡 り程 な
く再 び橋 を渡 るが 、そ の川 が3 7 0 三 俣の 左俣 です 。
入渓 1 時 間ほ どで 、小 滝と
ゴル ジュ が美 しい 。岩 盤の
小滝 の下 の釜 の水 がま た美
しい 。私 は必 死で つい てい くの です が、 ga nさ んは 忍者 のよ うに 身の こな
しが すば やい 。さ すが です 。赤 い岩 盤の ナメ が快 適で すが 、足 の運 びが どた
どた とい う感 じで 、何 度も 転ん で、 手足 が青 あざ だら けに なり まし た。 30
mの 岩盤 のナ メや 、苔 むし た滝 など 、思 いが けな い出 会い があ り札 幌近 郊に
、こ んな 素晴 らし い沢 があ るこ とを 教え ても らい 感激 でし た。
突然 、前 方が 開け て空 沼( から ぬま )が 姿を 現し まし た。
誰も 入っ たこ とが ない よう なま さに 秘境 でし た。 沢の 魅力 って こん なと ころ にも ある んで すね 。そ こか
らが 大変 。2 時間 の藪 こぎ がつ らか った です 。S さん が、 前を 歩き 本当 はも のす ごく 早く 歩く 人な のに
私の ため に藪 が顔 をた たか ない よう に待 って いて くれ るの です から 、弱 音を 吐く わけ には いき ませ ん。
歩き 始め て7 時間 5 0 分 、よ うや く空 沼岳 の山 頂に 立ち まし た。 沢を 始め るに は体 力が 必要 だな あと 実感
しま した 。そ れで も誕 生日 前日 にい い記 念に なり まし た。 タイ ム 5: 24 3 7 0 三 俣左 俣~ 11 :4 0源 頭~ 1
2: 30 1 2 0 0 稜線 13 :1 4 空沼 岳山 頂 14
:0 9~ 17 :0 0登 山口
藻琴山と摩周岳 6.24~25
6 月2 4 日札 幌か ら5 時間か かっ て、 小清 水に 。登 山教
室の アシ スタ ント とし てこ の日 は、 足慣 らし で藻 琴山 に
登り まし た。
快晴 の摩 周湖
-5-
残 念な がら 、眺 望は なく 、屈 斜路 湖は 姿を 見せ てく れま せん でし た。 屏風 岩は 、ハ クサ ンイ チゲ の
群落 が素 晴ら しか った です 。チ シマ ザク ラも まだ 咲い てい まし た。
2 5 日は 快晴 。摩 周岳 は展 望台 から も青 い湖 面を 見せ てい まし た。 第一 展望 台か らの スタ ート 。歩 き
始め てす ぐに 笹薮 が深 い。 まる で刈 られ てい ない よう です 。し ばら くす ると 展望 が開 けま すが 、笹 や
ぶこ ぎが 何度 もあ り、 やぶ 蚊と ダニ に悩 まさ れな がら 歩き まし た。
で も眼 下に 摩周 湖の 神秘 的な 美し さに 感激 !そ のた びに カメ ラの シャ ッタ ーを 切り なが ら進 みま し
た。 湖面 に山 がき れい なシ ルエ ット を描 いて いま した 。雲 が湖 面に 映っ た姿 も詩 的で した 。
だ らだ らし た尾 根歩 きか ら、 西別 岳分 岐か ら頂 上に 近づ くに つれ て急 斜面 で汗 が噴 出し ます 。 頂
上か らの 眺め も最 高! どっ しり とし た雄 阿寒 岳、 斜里 岳が 望め 、静 かな 山を 満喫 しま した 。ウ コン ウ
ツギ 、ハ クサ ンチ ドリ 、ノ ビネ チド リ、 チシ マザ クラ 、チ シマ フウ ロが いっ ぱい 。
花 の種 類は 藻琴 山の ほう が多 い
よう です 。写 真を とり なが らゆ っ
くり 歩い て登 り3 時間 。下 りは 2
時間 半で した 。私 たち は1 2 人の
グル ープ 。
出 会っ たの は5 組だ けで した 。
外国 人の カッ プル の女 性は ノー ス
リー ブ。 私も 半そ でで 、蚊 に食 わ
れて 大変 でし たが 笹薮 を越 えて き
た人 とは 思え ない ほど 爽や か。 流
暢に 「こ んに ちは 」と 挨拶 して 、
あっ とい う間 に登 り、 下っ てい き
まし た。
私 たち が泊 った 藻琴 山荘 の野 趣
あふ れる 露天 風呂 は絶 品。 熱い 源
泉も 良か った です 。
クル マユ リ
タカ ネオ ミナ エシ
-6-
『君の星は輝いているか』ー世界を駆ける特派員の映画ルポ
伊藤千尋著 シネ・フロント社 1600円+税
世 界6 5 カ国 を現 地取 材し たジ ャー ナリ スト 伊藤 千尋 さん が「 シネ ・フ ロン ト」
誌に 連載 して きた ルポ ルタ ージ ュが 一冊 の本 にな りま した 。
著 者は 『心 して 「辺 境の 地」 を目 指し た。 南米 の南 端や 北極 圏な ど大 陸
の端 をワ クワ クし なが ら訪 れた 。政 治や 経済 の中 心地 より も、 こう した 地に 生き
る人 々の 人生 を伝 えた いと 思っ た。 』と あと がき にあ るよ うに 困難
な状 況の 中で も希 望を 失わ ずに 生き る人 々の 姿を 映画 を通 して 伝え てい て、 映画 をよ り深 く理 解で きま
した 。
キ ュー バの 英雄 とし て親 しま れて いる チェ ・ゲ バラ 。「 モー ター サイ クル ・ダ イア リー ズ」 では 医学
生の チェ ・ゲ バラ が、 友人 とオ ート バイ に乗 り、 南米 一周 のた びに 出た 物語 でし た。 とき にず っこ っけ
、と きに 怒り 、涙 と笑 いに 満ち てい た人 生だ った こと を知 り、 より 身近 な存 在に 思え まし た。 著者 自身
も学 生時 代に キュ ーバ のさ とう キビ 刈り のボ ラン ティ アを した り、 ロマ (ジ プシ ー) と共 に旅 をし たり
とさ まざ まな 体験 をし てい るの です 。そ の行 動力 と感 性が すて きで す。 観て ない 映画 も多 数あ りま すが
、私 自身 もア メリ カ映 画よ り辺 境の 地で 作ら れた 映画 にと ても 惹か れま す。 著者 がル ーマ ニア で出 会っ
た少 年の 言葉 が印 象的 。「 誰も が自 分の 星を 持っ てい る。 見ろ 、あ そこ で一 番輝 いて いる 、あ れが 俺の
星だ 」と 。迫 害を もの とも せず 1 5 0 0 年を 生き 抜い てき た民 族の 誇り が伝 わっ てき ます 。自 由を 謳歌 し
てい るよ うで 不自 由な のは 私た ち日 本人 かも 知れ ませ ん。 自由 と民 主主 義を 求め て闘 う民 衆の 力強 さに
励ま され まし た。
映 画も 好き 。旅 も好 き。 山も 好き 。も う若 くは ない けれ ど、 私も いつ か辺 境の 地を 旅し たい と思 いま
した 。
エゾ シオ ガマ
-7-
「コ コシ リ」
中国 。監 督 ルー ・チ ュー アン
「 青い 山々 」と いう 意味 の海 抜4 00
mの 高さ に位 置す る無 人地 帯「 ココ シリ
」は 中国 最大 の動 物保 護区 です 。チ ベッ
トカ モシ カの 生息 地で すが 、そ の毛 皮が
高値 で売 れる ため 、2 0 年の 間に 1 0 0 万頭
から 1万 頭に 激減 。 19 90 年代 、チ ベッ ト族 の有 志た ちが 山岳 パト ロー ル隊 を
結成 して 密猟 者と の闘 いが 始ま りま す。 金も ない 、人 手も 足
りな い、 銃も ない 、隊 員た ちは 1年 も無 給だ 。
しか し美 しい もの を守 ろう とす る誇 りが 顔に 刻ま れて 清清 しい 。パ トロ ール 隊員 も密 猟者 も普 通の 人々
。共 通し てい るの は貧 困で す。 満天 の星 に感 動し 、陽 気に 歌い 踊り 、別 れの とき は、 互い の無 事を 祈り
、黙 々と 行動 する 男た ち。
密 漁か らカ モシ カを 守る 無償 の行 為に 命を 落と した 人た ちを 記録 した いと いう 、監 督の 願い が結 実し
た力 作で す。
流 砂が 人を 飲み 込み 、ユ キは 全て を凍 らせ る自 然の 猛威 に圧 倒さ れま した 。累 々と 並べ られ たカ モシ
カの 死骸 は無 残で 、怒 りで 心が 震え まし た。
『グ ッド ナイ ト& グッ ドラ ック 』 米 脚本 ・監 督 ジョ ージ ・ク ルー 二ー
実 在し たC BS のニ ュー スキ ャス ター 、エ ドワ ード ・マ
ロー と彼 を支 える テレ ビ局 スタ ッフ が、 19 50 年代 、マ
ッカ ーシ ー旋 風と 言わ れる 赤狩 りに 敢然 と立 ち向 かっ て行
きま す。 ドキ ュメ ンタ リー タッ チで 描か れ、 当時 を再 現さ
せて 臨場 感が あり まし た。 政界 や、 テレ ビの 上層 部か らの
圧力 に屈 しな かっ たニ ュー スキ ャス ター がい たこ とに 改め
て、 マス コミ の役 割を 考え させ られ まし た。
本 当に 伝え て欲 しい こと が伝 わっ てこ ない 今の ニュ ース
。
マ ロー は「 テレ ビの 娯楽 化は 退廃 と現 実逃 避だ 」と 今の 時代 をぴ った り言 い当 てて いて 、テ レビ のあ
り方 を問 いか けて いま す。 マロ ーの 痛烈 な言 葉を 是非 、観 て聴 いて 欲し いと 思い まし た。
購読 料を あり がと う 5. 26 ~7 ・2 1
池田 理恵 子( 札幌 市) 新井 喜美 子( 北広 島市 )加 藤多 一( 長沼 町) 深尾 加那 (札 幌
市) 熊坂 政晃 (八 王子 市) 五十 嵐憲 子( 江別 市) 太田 肇・ 朋子 (鎌 倉市 )ヒ マラ ヤ
圏狭 サパ ナ( 札幌 市) 則末 尚大 (旭 川市 )宮 津公 一( 品川 区)
カ ンパ も含 めて の方
三田 英二 (札 幌市 )3 , 0 0 0 円 小栗 宏( 枝幸 町) 3 , 0 0 0 円 塙と よ子 (札 幌市 )5 ,
0 0 0 円 匿名 (加 賀市 )1 0 , 0 0 0 円 佐藤 文彦 (上 川町 )5 , 0 0 0 円 福原 正和 (札 幌市 )7 , 0 0 0 円と 本( 君は輝 いて いる か) 岩村 和彦 (著 書)
カ ンパ も含 めて 4 8 , 0 0 0 円は、 印刷 、送 料に 使わ せて いた だき ます 。あ りが とう
ござ いま す。
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