NO .37 - 大山町

せん ゆう こう らく
すれば、後者は県内版といえる。
死 去 後 年が経 過 するのに、祖 父
は忘れられるどころか、ますます輝
きを増しているといった感じである。
かた
私は今 回の展 示を機に﹁生 活綴 方
生成史﹂︵佐々井秀緒著︶などを読み、
﹁峰地光重展﹂
に寄せて
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農村の風景を
考える
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画が困難な人々は年々増えつつある
と 思 われる。いかに声 な き 声 を 吸い
上 げ、行 政に反 映 できるかが 課 題の
ひとつである。
各 議 員には、町 民 とのパイプ役 と
して、また町民の代弁者として、多く
の 人 々 と 意 見 交 換 を し て も らいた
い。おおいに汗をかいてもらえば、将
来必ず幸せが訪れるだろう。
町民、
議会、
行政の連携のとれた、
住
みよい町づくりを進めようではないか。
生活綴方運動を再見しているところ
である。弾圧した治安維持法を天下
の悪 法とするなら、生 活 綴 方 運 動は
児 童・生 徒 を 信 頼 し 愛 する、この 上
ない良心的な教育運動なのである。
﹁峰 地 光 重 展﹂パート2・パート3
も予定されている。
商工会主催の花火大会
6 月 定 例 会の終 盤 、東 京
都 議 会でのヤジが 世 間 を 騒
がせた。女 性を蔑 視し、人 権
を侵害する内容に、心を痛め
た人も多かったであろう。
このよう な 行 為の責 任は
もちろん 発 言 した 議 員にあ
る。しかしながら 、その議 員
を選んだのは誰なのか。それ
を忘れてはいけない。
無投票でない限り、議員は
直接選挙で住民によって選ば
れる。したがって、責 任の一端
は、投票した有権者にあると
も 言 えないか。我々、議 員 自
身の質 を 高める努 力 も 大 切
だが、有権者にも本質を見抜
く力を養っていただきたい。
加藤
選挙の意義を、あらためて
考 える 機 会になればと 願 う
ばかりである。
委 員 長
副委員長
委員
委員
委員
委員
大森
米本
圓岡
大
大原
加藤
正治
隆記
伸夫
正彦
広巳
紀之
︻発行責任者︼
議長 野口 俊明
︻広報常任委員会︼
発行/大山町議会 編集/広報常任委員会
〒689-3211 鳥取県西伯郡大山町御来屋328
( 0859-54-5213 7 0859-54-5214
道・用水路・ため池の補修、整備を進
めています。また、国の制度の﹁人・農
地プラン﹂を活用し、他集落の担い手
に協 力 を 求 め、水 田・畑 の 耕 作 を お
願いしており、クズ畑、アワダチソウ
畑も減少しました。
用 水 路 には 、エビ・魚 貝 類 も み ら
れ、たくさんのホタルが戻ってくるの
を楽しみにしています。
2014.8 NO.37
こうした中、耕作放棄地も点在す
る状 況となり、平 成 年に国の制 度
を活用し、﹁農地・水環境保全管理支
払制度﹂に参加し、﹁西坪地区環境保
全 会﹂を 設 立 し ま し た 。交 付 金 も あ
り、役 員 スタッフ・住 民の団 結 で、農
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峰地正文
(八重)
斎藤富夫
(西坪)
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つづり
は、﹁先に汗 をかき 苦 労 し ておけば、
後 で必 ず 幸 せが 訪 れる﹂ということ
である。
これは町政に相通ずることがあろ
う。本町でも高齢者は増加の一途で、
立 場の弱い者 を 含 めると、町 政に参
先憂後楽とは
谷野 正
(平田)
元 町 職 員として、私が最 近 興 味を
持っている、中国古代文学の一節を申
し述べたい。
はんちゅうえん
北宋時代の大政治家
﹁宰相 范仲淹﹂
がくようろう き
の﹁岳 陽 楼 記﹂の有 名な語 録﹃先 憂 後
楽 ﹄の 詩 を 考 え て み たい。詩 の 意 味
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4 月 か ら 町 内 各 所 で、
﹁峰 地 光 重
展﹂︵パート1︶が開催されている。町
立図書館長の船原氏をはじめ、多く
の人 々のご 尽 力によるものである。
平 成 ・ 年、鳥 取・倉 吉・米 子 で祖
父の展 示 があった。前 者 を 町 内 版と
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私の住む西 坪は、古くは専 業 農 家
の集 落であり、昭 和 年 代では %
が専業農家でした。時代の変貌と共
に 専 業 農 家 が 減 少 し 、平 成 に 入 り
%に、現 在では専 業 農 家は5 % を
下回る状況となりました。
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