職場の取り組み(65KB、11頁) - 高齢・障害者雇用支援機構

職場の取り組み
この分野で最初に企業がやるべきことは、企
以上の問題意識から、企業が行うべきメンタ
業経営が従業員の健康を左右するという自覚を
ルヘルス対策として二つを取り上げる。一つは
持ち、経営を正すことである。企業のメンタル
個人の健康を主として扱う「相談窓口」の充実
ヘルス問題は、企業の問題であり、企業の責任
であり、もう一つは組織の健康を主として目的
において解決すべきものである。確かに企業は
とする「管理職教育」などの組織的対応につい
この問題にノウハウを持ち合わせていることが
てである。
少ないが、だからといって専門家に任せっきり
でよいはずがない。長時間労働と自殺の因果関
1.相談窓口の充実(個人の健康)
係を認めた最初の最高裁判決であった電通事件
この方法論は、どのメンタルヘルス戦略でも
などでも責任を問われるのは企業なのである。
登場する(図表2−1、図表2−2)。仕事の
図表2−1 米国安全衛生研究所(NIOSH)が提案したメンタルヘルスの予防に関する国家戦略
_
働く環境の改善、従業員のためのメンタルヘルス・サービスの充実
`
問題の理解を促進する調査研究の充実
資料出所 米国安全衛生研究所
(NIOSH)
. Sauter et al, 1990
図表2−2 職場のストレス、経営者へのガイドブック
1.事業主は、現実に可能なかぎり、職場の安全と健康を確保する義務がある。
2.事業主は、職場の健康上のリスクを評価し、リスク・コントロールの基盤を築かなければ
ならない。
① 良い経営を維持すること(非一貫性や無関心、恐怖を排除する)
。
②
組織で行われることに関して個人は罰せられないということをほんとうに強調する態度
を養う。
③ 個人は自分の仕事を知り、それを遂行するスキルを持つ。
④ ストレスに気付き、ストレスをマネジメントするプログラムをセットする。
⑤ 部下が援助をあおげるようにラインのマネージャーを援助する。
⑥ カウンセリングを供給する。
⑦ 専門家に援助を求めるように従業員を勇気づけること。
資料出所 英国安全衛生庁(Health and Safety Executive), 1995
−9−
組織とは別に従業員の個人的な相談に応じる窓
アルコールばかりでなく、薬物依存、家族問題、
口を設けることは、T型フォード時代のフォー
職場問題など幅広く問題を扱うようになり、企
ド自動車会社に始まる(Carroll 1996)。日本で
業内ばかりでなく、外部の企業がサービスを提
は大正中期の八幡製鉄所にあったといわれてい
供するようになった(今井, 1988)
。
外部の企業がサービスを提供するという部分
る(中西1994)
。
最近、相談室はEAP(従業員援助制度)と
が従来になかったことなので、日本ではこの外
いうふうに言われることがあるが、日本の場合、
部の企業をEAPだと誤解している専門家もい
基本的には従来の相談室と変わるところがな
るほどだ。このEAPプロバイダーから企業に
い。社外にEAPのサービスを提供する企業が
カウンセラーを派遣することも多いので、外部
現れたのが新しい展開である。
のEAP、内部のEAPと単純に分けることは難
しくなった。となると、EAPプロバイダーの
∏
存在が従来の相談室のみの時代との形式的な相
米国のEAPとは
筆者は、1985年、米国メンタルヘルス事情の
違点である。米国とてEAPの形態はさまざま
視察の後にまとめた報告書(メンタル・ヘルス
であるが、次の社会的背景は抑えておかなけれ
研究所, 1985)で、EAP(Employee Assistance
ばならない。
Program:従業員援助制度)を始めて日本に紹
介し、1988年には学会誌(今井, 1988)にも紹
π
Drug Free Workplace Act 1988
介したが、当時EAPはまったく注目されなか
Drug Free Workplace Actとは、米国で1988
った。ところがここ数年、EAPは産業界のメ
年に施行された、麻薬を職場に持ち込んではな
ンタルヘルス対策としてもてはやされている。
らないとする法律。違反した企業は、最長5年、
メンタルヘルス対策が充実することは歓迎すべ
政府関連の仕事ができない。違反した従業員は
きことだが、米国のEAPを日本に移植するこ
有罪が確定したら、
事業主に報告の義務がある。
とは可能なのだろうか。
報告を受けた事業主は、30日以内に解雇を含む
EAPは1940年代の米国で、企業のアルコー
ル依存者へのインフォーマルな援助として始ま
処分をするか、自助プログラム(EAP)を提
示しなければならないというものである。
る。アルコール依存から立ち直った人々は、対
不法な薬物服用者の70%が実際に雇用されて
策の必要性と有効性を訴え、企業も関与するう
いる(Bennett-Alexander & Pincus, 1988, p.422)
ちに従業員の情緒的側面が仕事の遂行を阻害す
という米国の現状に危機感をおぼえたロナル
ることが注目され始めた。初めはアルコール更
ド・レーガン大統領が発案し、ジョージ・ブッ
生者が活動の推進者であったが、後にはソーシ
シュ大統領のとき発効されたものである。
ャル・ワーカーやカウンセラーなども加わり、
EAPの目的にも、国の目的にも、そして経営
より組織だった活動をするようになった。そし
の目的にも合う法律が、EAPの存在を確固と
てフォーマルな形で企業の従業員を援助する部
したものにした。その後、法律が効を奏したせ
門およびその制度をEAPと呼ぶようになった。
いか、ドラッグ・テストで陽性のものが1987年
− 10 −
には18.1%だったが、1995年には6.7%に減少し
比重が高くなっている(Lewis and Lewis,
ている(McGraw, 1998, p.93)。EAPは、その
1986)
。
企業は、この健康保険を従業員の付加給付制
発祥も、その定着も、アルコールとドラッグ問
度(fringe benefits)に加えることが通例であ
題によっている。
る(EBRI, 1989)。そして従業員への付加給付
∫
の与え方としてEAPが絡むことがある。例え
健康保険制度
米国の社員は通常、メディケア(Medicare:
ば、EAPを通して紹介された医療機関にかか
65歳以上の高齢者医療保険制度)や、メディケ
る場合は治療代を無料にし、EAPが経過観察
イド(Medicaid:メディケアに加入できない
をし、医療コストのコントロールをしようとす
低所得者向け医療補助制度)の対象でないの
るのである(メンタル・ヘルス研究所, 1985)
。
で、民間保険会社の販売する健康保険に加入し
EAPの普及の背景には、そもそもカウンセ
なければならない。米国のカウンセリングの隆
リングの普及が既にあり、EAPはカウンセリ
盛はこれら民間保険会社がカウンセリングを保
ングと組んで、医療費のコストを削減しようと
険の対象としていることに支えられている
する目的にかなったものとして登場してきたと
(Veggeberg, 1996, p.90)。医療では薬が使われ
いえよう。
るのでその分医療費がかさむ。一方、心理療法
は薬を使わないので医療費が安くなる。これが、
ª
経営の一環として
保険会社がカウンセリングを認める理由であ
Lewis and Lewis(1986)は、伝統的EAPと
る。EAPのスタッフも最近はカウンセラーの
今日的EAPを図表2−3のようにまとめてい
図表2−3 伝統的 EAP と今日的 EAP
伝統的 EAP
第一にアルコール問題
今日的 EAP
ブロードブラシ・アプローチ:どんな問題にも適切にサ
ービスする
第一に上司からのリファー
上司、自分自身、他の人からのリファー
後になって発見された問題
問題の初期段階でのサービス
医療やアルコール・スペシャリストによ 薬物依存やその他の問題にたけたゼネラリストと
るサービス
してのカウンセラーによるサービス
仕事を遂行するうえで、トラブルを抱え 仕事上のトラブルを抱えた従業員ばかりでなく、仕事の
た従業員に焦点
トラブルがなくても、従業員とその家族を対象とする
リファーされた人のプライバシーを守る リファーされた人のプライバシーを守る;自分で相談に
来た人や家族のプライバシーも守る
− 11 −
る。一言でいえば予防的観点が今日的EAPで
は、企業内でカウンセリングをするからには慣
は強くなった。ここで注目すべきは、伝統的
れ親しんでもらうのは当然のことと思われる。
EAPの時代から、つまりDrug Free Workplace
EAPを“従業員援助計画”と翻訳すること
Actが制定される以前から、上司からのリファ
が多いようだが、EAPの場合、Programを計画
ーが多いことである。このとき上司は彼の個人
的問題に共感したというより、マネジメント上
の不都合によりEAPを紹介するのである。
図表2−4 カウンセラーの資質と技能
(必要な能力)
EAPの利用を管理職にすすめる資料(U.S.
・短期療法ができること(6回以下)
Department of Health and Human Services,
・危機介入のカウンセリングができること
1989)でも、部下のパフォーマンスの低下を直
・メンタルヘルスとコーピングスキルのア
すためにEAPにリファーしなさいとなってい
る。リファーするときは、前記のDrug Free
Workplace Actがあるために、米国の管理職は
セスメント
・アルコール依存のアセスメントと適切な
介入
・組織内のカウンセリングのプロモーション
部下に強い姿勢で臨むことができる。
また、Megranahan(1989)は、産業カウン
セラーの求められる資質として図表2−4の内
・企業の政策・制度の立案
・政策・制度の評価
容を提案している(Orme, 1997)。これは経営
者向けに提案されているものである。EAPプ
ロバイダーが提供するカウンセリングは6回以
下ぐらいまでは企業が負担するが、それ以上は
(慣れ親しんでもらいたいもの)
・組織構造、仕事の性質、仕事の成果、懲
罰の制度
本人負担となるものが多い。近年、短期療法な
・労使関係、労働組合の代表者
るものが台頭してきているが、企業は無制限に
・付加給付制度
面倒は見ないので、短期に決着をつけ、EAP
・援助の社会資源、健康管理システム
の有効性を主張しなければならないという
EAP側の事情が短期療法を生んだともいえよ
う。
(付加的なスキル)
・プロとしての倫理、法的な義務
必要な能力として挙げられているものでも、
・借金処理のカウンセリング
「組織内のカウンセリングのプロモーション」
・ドラッグの合法・違法の知識
「企業の政策・制度の立案」
「政策・制度の評価」
・講師としての能力
をカウンセラーに求めるのは酷のような気もす
・文章力
るが、慣れ親しんでもらいたいものとして挙げ
・コンサルティング・スキル
られているもの、「組織構造、仕事の性質、仕
・個人的な時間の管理能力
事の成果、懲罰の制度」「労使関係、労働組合
の代表者」
「付加給付制度」
「健康管理システム」
− 12 −
資料出所 Megranahan, 1989
と訳すのは間違っている。企業の付加給付制度
るところもあるが、社員相談室ではいけないの
を解説した EBRI(1989)のタイトルは
だろうか。上記のように米国のEAPを、深刻
「Fundamentals of Employee Benefit Programs」
なアルコール・ドラッグ問題があり、それを取
であり、企業年金制度や医療福祉制度とともに
り締まる法律の一部に組み込まれていること、
EAPが紹介されている。ここではEAPは従業
健康保険制度とも共生をしていること、経営の
員援助制度と翻訳されている。企業内のもろも
一部となっていることと検討した。このような
ろの制度とともにEAPがあると認識すれば、
日米の文化的な差異を理解した上で、日本で
計画ではなく制度と訳すのが妥当だと知れよ
EAPと名乗るには少なくとも次の条件を備え
う。計画と訳せば、一時的なもの、計画が終わ
ていなければならないだろう。
ればそれまで、と解されかねない。計画と翻訳
するところにEAPの本質的な理解が欠けてい
① 経営の主導のもとにあること
日本では安全衛生法に基づいた産業保健活
るように思える。
EAPが企業内のアルコール自助グループと
動がある。保健活動としては他にも地域保健
して発祥したとしても、企業が他の制度ととも
や学校保健などがあるが、産業保健はその実
に経営の一部として取り込んだことによって
施が事業者の責任と意思によって行われる。
EAPは普及したといえよう。Klarreich,
森(2001)は、企業のメンタルヘルスを産業
Francek, & Moore(1984)は、経営学分野の
保健活動の一部として展開することを検討し
ひとつである人的資源管理論にEAPを位置付
ているが、仮に日本でアルコールやドラッグ
けようとしている。また、上記のMcGraw
問題が深刻化したら、現在の産業カウンセラ
(1998)もEAPを管理する側の企業向けのイヤ
ーと呼ばれる人たちが対応するのだろうか。
ーブックである。以上を見ると、いかに経営が
あくまでも想定だが、産業保健の担い手であ
EAPに期待しているか、経営の一部として
る産業医や保健婦が対応する人材なのではな
EAPが取り込まれているかが読める。
いか。彼らは法律で位置付けられており、カ
その他の経営上のコスト、特に訴訟問題を減
ウンセラーよりはアルコールやドラッグに強
らそうとする意図もEAP導入の動機となって
いだろう。初期の米国EAPには医療関係者
いる(McGraw, 1998)。この点は日本でも、自
がいたことを思い出していただきたい(図表
殺に対する労災認定基準の大幅な緩和や、それ
2−3)
。
に伴う損害賠償請求の増加が予想される状況に
管理職の態度もそのまま日本に導入するこ
あるので、米国の事情に近づきつつあるともい
とは難しい。管理職が部下に強い姿勢で望め
える。
るのはDrug Free Workplace Actがあるから
だ。解雇の代わりにリファーされる先が
º
日本のEAPの条件
EAPであること、また、カウンセリングが
従来の日本の社員相談室はEAPと呼ぶにふ
さわしいのだろうか。既にEAPと名乗ってい
− 13 −
懲戒の要素を含んでいることを知ってほし
い。1992年のハリウッド映画「氷の微笑」で、
アルコールによる業務上の問題行動をとがめ
いる者と職場の仲立ちをすることなどが期待
られた主人公の警察官が、警察署内のカウン
される。
あくまでも個人の健康を対象に企業経営に
セラー室に通うシーンがあったことを記憶さ
貢献することが求められている。
れている方も多いだろう。このようなシーン
を日本で想像できるだろうか。
日本の現状を見ると、従来の社員相談室は
② 職場で起こる問題を扱えること
EAPと呼ぶにはふさわしくない。また、日本
日本の産業メンタルヘルスのテーマはアル
の産業カウンセリングをEAPと言い直すのも
コールやドラッグではない。労働省(現厚生
間違っている。何故なら、産業医・保健婦も
労働省)がまとめた、2000年度の精神障害に
EAPスタッフであること、カウンセリングば
よる労災認定状況によると、女性は全員が災
かりでなくコンサルティングも重要なEAPの
害や事件、事故をきっかけとして発症した
機能であることなどが挙げられる。EAPは米
PTSD(心的外傷後ストレス障害)や類似の
国企業の制度であり、日本とは社会背景も異な
疾患で認定され、一方男性の9割は業務起因
り、日本には翻訳不可能である。しかし、米国
性のうつ病などで認定されている。件数だけ
のEAPに学ぶところは多くあり、その意図か
を見れば、うつ病が圧倒的に多い。職場の心
らEAPと名乗る気持ちも理解できる。そして、
の病をABC分析すれば、米国はアルコール、
従業員の個人的問題を援助する制度をEAPと
日本はうつ病といえようか。
呼ぶことが普及した日本の現状では、別の名称
自殺がゼロ件になったと自慢している産業
に代えることも難しい。ならば、米国のEAP
医がいる。この企業はリストラを加速させて
と日本のEAPは似て非なるものであることを
きており、希望退職も計画どおりに進んでい
十分認識した上で、個人的問題を援助する制度
ない。こんな状況では病気でパフォーマンス
の総称としてEAPという名称を使うべきであ
が落ちた従業員がリストラの対象になりやす
り、実態が従来の社員相談室と変わりないもの
い。つまり自殺しやすい人が辞めさせられた
をEAPと呼んで、あたかも新しい制度である
後で自殺が減ったと自慢し、産業精神保健活
かのように主張すべきではないだろう。従来の
動の成果であると主張するのは意味がない。
社員相談室は従来どおり社員相談室と呼ぶのが
しかし大多数の産業医や保健婦、カウンセラ
ふさわしい。
ーは不調者の対応に全力を注いでくれてい
る。彼らの地道な努力を自殺者数という少数
2.経営の取り組み(組織の健康)
例で評価すべきではないだろう。彼らが真価
20世紀の初頭、農業社会から工業社会に変わ
を発揮するのは、自殺者を取り巻く人々のケ
った時、雇用関係の大きな変化があった。この
アであろう。その他、病気を疑われる人を医
とき著されたのがカウンセリングの起源といわ
療へつなぐこと、職場の問題で困っている人
れるフランク・パーソンズの「職業選択」
(1909
を援助すること、また職場の同僚を困らせて
年発行)であった。どのような工業社会の職業
− 14 −
に就くかが、幸せの条件であったからだ。彼ら
Lim & Murphy(1999)でも、健康な職場
は、官僚組織に組み込まれ、専門性の高い仕事
(Healthy Work Organization)を、「組織の文
化や風土、実際の行動が従業員の健康と安全ば
に就くことになった。
現在はどうであろうか。20世紀初頭同様、大
きな雇用関係の変化がある。原因は、経済のグ
かりでなく、組織効率も実現する組織」と説明
している。
ローバル化(国際化)、技術革新である。今ま
現在の健康管理の目的は、個人の健康を実現
での職業能力は陳腐化し、企業のリストラのた
することだけでは時代遅れである。健康増進方
め雇用の不安定化を引き起こしている。これら
法の評価としても、その方法が個人の健康に寄
の雇用不安が健康に悪影響を与えることは、
与するばかりでなく、組織の効率にも寄与しな
Vahteraら(1997)やメンタル・ヘルス研究所
ければならないということである。
(1999)で実証されている。経営のありようが
健康に大きく影を落としているのである。
π
コストの問題
そして、工業化に伴う疾病管理はフィジカル
ILO(2000)によれば、1983年に出された勧
ヘルス(健・すこやか)であったが、現在は変
告(No.159)は障害者であっても通常の仕事
化への柔軟な適応、つまりメンタルヘルス
に就く権利を有するという主旨であったが、最
(康・やすらか)へ健康管理の重点は移ってき
近では従業員のメンタルヘルスは安全と健康と
労働条件の問題として扱われており、経営者団
ている。
体、労働組合、政策立案者たちが企業の生産性
∏
やコストに与えるインパクトを懸念していると
組織の健康
不調者のいない組織はありえない。不調者の
なっている。
存在を前提として企業はマネジメントを遂行す
さらにILO(2000)の報告書は、各国の経済
るのが現実的で自然なかたちである。そこで不
に及ぼすメンタルヘルスのコストを見積もって
調者への個別対応は専門家に任せ、企業は不調
いる。EU諸国はGNPの3∼4%、米国はうつ
者をできるだけ生まない組織作り、不調者があ
病によって300∼440億ドル、2億日の労働損失
ってもパフォーマンスの落ちない組織作りを目
が1年間にあると見積もっている。英国では、
指すべきである。事実、うまくマネジメントさ
メンタルヘルスが労働疾病のカテゴリーで筋肉
れている組織は構成員も健康である(メンタ
骨格系に次いで大きなものになっており、500
ル・ヘルス研究所1999)。
∼600万日の労働日数の損失があると見積もっ
米国安全衛生研究所(NIOSH)は、健康な
ている。
職場(A HEALTHY WORKPLACE)を「スト
企業単位でメンタルヘルスのコストを見積も
レス関連疾患が少ないこと、満足した生産的な
るのはかなり困難な仕事になろう。コストには、
労働者、競争力があって利益の上がる組織」と
直接コスト、間接コスト、機会損失とあるが、
説明している(http://www.cdc.gov/niosh/
これらを全て列挙し金額を調べるのは、調べる
stresswk.html)。
コストの方が高すぎることになるかもしれな
− 15 −
い。そこで簡便な方法を紹介しよう。労働損失
ことが仕事だと思っている管理職の方々に、少
日数(機会損失)に注目し、明確な理由のある
しは部下の話に聴く耳を持ってもらいたいとい
休務(特定の病気による入院、海外旅行などの
うことである。この態度を傾聴と呼ぶことがあ
休暇など)を除いた休務、つまり体調が悪いと
る。傾聴とは、相手の話に心を傾け、相手の話
いう理由の休務日数を合計し、そこから3日を
に集中することである。話の腰を折ったり、話
1人当たりから減じる。3日ぐらいは風邪など
の先回りをして指示したり忠告したりしないこ
で体調を崩すのが普通と考えられるから、その
とである。じっくりと話を最後まで聴き、性急
分はメンタルヘルスに因るものではないとみな
に結論を出さないことでもある。忍耐を要求さ
す。残った日数は風邪でもなく特定の病気でも
れる行為である。せめて、部下が仕事をどのよ
ないのだからメンタルヘルスによる労働損失と
うに理解し、仕事についての知識がどれだけあ
考えられる。職場に行くのがいやなのを体調が
り、仕事についてどのような感情を持っている
悪いという理由で休んだり、心身症的な不調で
かを、じっくりと聴く耳を持っていただきたい。
休んだりしたとみなす。その合計数に1日の労
きっと仕事の遂行に役立つはずだ。その時は
働コスト3万円(年収600万円/労働日数200日)
“聴く”のであって、くれぐれも“訊き正す”
を乗じる。この方法で、4,000人規模の企業で
ことのないように。
管理職のコミュニケーション能力の向上は、
試算したところ、約3億円の損失になったこと
具体的には管理職研修で実現を期待することに
がある。
なる。研修のポイントは、管理職がメンタルヘ
∫
ルス上重要な役割を担っていることを強調する
「管理職教育」
管理職のメンタルヘルスが思わしくないか
ことである。組織と人の接点にいる管理者に対
ら、メンタルヘルスの対象として管理職のスト
する期待は大きい。また、職場におけるメンタ
レスコーピング能力の向上を取り上げようとす
ル・ヘルスのキーパーソンとして、直接的なケ
るものではない。
むしろ管理職は一般職に比べ、
アを担うことになるので、部下のストレス状態
メンタルヘルスは良好である(今井1999)。そ
への配慮が望まれる。したがって、管理者はメ
うではなく、職場でメンタルヘルス対策を実施
ンタル・ヘルスについての正しい認識をもち、
しようとする時、管理職は重要な位置にあるの
基本的な知識を把握しておくことは当然であ
で彼らの職場管理能力を向上させようとする対
り、更に、職場内のコミュニケーションを円滑
策である。
にすることや部下の指導育成という本来の機能
管理職はカウンセラーになる必要もなけれ
を充実させるために、カウンセリングの理論や
ば、なるべきでもない。管理職としての役割と
技法が役に立つこともある。しかし繰り返すが、
カウンセラーとしての役割は異なる。決して両
管理職をカウンセラーにすることではない。管
立するものではない。よく管理職にはカウンセ
理職にはカウンセラーには決して出来ない役割
リングマインドが大切といわれるが、その時の
がある。その本来の役割を果たすことで職場の
カウンセリングマインドとは、部下に命令する
メンタルヘルスに貢献することができる。その
− 16 −
役割とは、仕事を成功へ導くことである。
3.まとめ
企業のメンタルヘルスの問題で法的責任を問
ª
われるのは企業である。その意味で企業のメン
職務の再設計
ストレス理論の関連で説明すれば、ストレス
とは仕事の目標を妨げる職務特性ということに
タルヘルスは企業の責任において行われるもの
である。
なる。例えば厚生労働省(2001)が健康への影
企業のメンタルヘルスの具体的な対策として
響を懸念している長時間労働にしても、労働時
「相談窓口」の充実がほぼ例外なく取り上げら
間を制限されることによって目標を妨げられる
れるので、その充実のために米国のEAP(従
ことになれば、それがストレスということにな
業員援助制度)を検討した。その結果、この制
る。それに職場内外のストレスもストレスだが、
度をそのまま日本に翻訳するのは不可能であ
仕事の進め方そのものもストレスを生み出すと
り、従来の社員相談室をEAPと呼んで、あた
いう認識がなければならない。職場には職場固
かも新しい制度であるかのように主張すべきで
有のストレスがあり、有名な要求とコントロー
はないと結論した。
ルモデル(Karasek 1979)では、仕事に対する
「相談窓口」のような個人対応の他に、企業
裁量権の拡大と仕事の要求度の減少という一般
には組織対応という方法が残されている。その
的な提案しかできない。仕事の何が裁量権の拡
取り組みにあたって必要な「組織の健康」の概
大になり、何が要求度の減少になるかを見極め
念と、メンタルヘルスのコストについて検討し
設計するのが職務の再設計である。
た。具体的方法としては「管理職教育」と「職
そのような組織作りのノウハウについてここ
では詳しく述べられないが、従来の職務分析と
務の再設計」を取り上げ、そのあるべき姿を検
討した。
は異なるかたちで職務の再設計をすることが重
「管理職教育」は管理職をカウンセラーにす
要である。従来の職務分析は職務給の決定のた
ることではなく、本来の仕事を遂行することが
めに用いたり、人員配置や作業改善のために用
メンタルヘルス対策となることを強調すること
いられた。現在の知識経済社会における職務の
が重要であるとした。
再設計では、ストップウォッチやビデオカメラ
また、仕事の遂行を妨げる職務特性をストレ
はあまり役に立たない。職務設計は、個人に与
スと定義し、「職務の再設計」とは、この職務
えられた役割や職務の内容を再設計するプロセ
特性を改善して個々の職場固有のストレスを低
スのことであり、その際、職務は組織の全シス
減することとした。
テムの一部であることを忘れてはならないし、
以上のことを踏まえ、
今後の研究課題として、
設計にあたって技術や経済面ばかりでなく、職
職場ストレスを生まないための「職務の再設計」
務を担う人を考慮しなければ最終的に組織の目
の方法の開発を、研究課題としてはどうか。
標は達成されない。
有名なカラセクの要求とコントロールモデル
を足掛かりに、個々の職場で何が裁量権(コン
トロール)の拡大になり、何が要求度(デマン
− 17 −
ド)の減少になるかを見極め、どのように職務
15.メンタル・ヘルス研究所 1985
米国企業活力とメ
ンタルヘルス調査団報告書日本生産性本部
を再設計したらよいかのガイドラインは作れな
16.メンタル・ヘルス研究所 1999「産業人のメンタル
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