天理市立二階堂小学校問題について

「二階堂小学校問題」議会経過報告(総集編)
<はじめに>
2月13日、毎日新聞にこの問題が掲載され、20日に奥田校長が自死されるという悲
しい事態を招きました。しかし、議会を初め多くの市民には、新聞内容しか
知らされず、何が問題であったのか分からないまま推移する中、2月26日、
市教委より市議会へ初めて報告がなされました。
<天理市議会全員協議会開催される。>
2月26日、市教委より「二階堂児童不登校問題」について、以下の報告書
と一連の新聞記事のコピーが示され、吉岡教育長ならびに喜多教育委員長よ
り報告がなされる。
児
童
不
登
校
問
題
【発端】
5 月 23
日(金)二階堂養護学校との交流の事前指導の中で、担任が当該児童の姉の二
養在籍の話をしたり、動物のよだれを引き合いに出したりした。
5 月 30
日(金)当該児童は、二階堂養護学校との交流に参加。担任は体調の悪い児童
を車に乗せて参加。帰りに当該児童より体調不良の訴えがあったので、車に乗るか?と声
がけし、担任の運転する車で帰校した。特に担任に対する特別な感情は認められなかった。
6 月 3 日(火)校長・担任・母が懇談。途中、父・祖父・義弟、PTA 会長、教諭 3 名が
加わる。とりわけ、姉の話を始めたのが、児童か教師かで押し問答となる。事態収拾のた
め、担任が嘘をついていたと認めたところ、嘘つきは担任を降りろ、学校を代われ、教師
の資格がないと、明け方 3 時頃まで抗議が続いた。結局、
「翌日に、母親が子どもを連れ
てきて、担任が謝る。」ということで、散会となった。
しかし、子どもが「行くの嫌と言っている。
」とのことで、実現しなかった。
【学校の対応(報告等から)】
担任からは、連絡帳や児童の登校に合わせた声がけ等の働きかけをしたが、保護者から
校長を通して、一切関わらないようにとの強い申し出があったりして、以後の対応が鈍く
なった。
夏期休業中には、地区別水泳や家庭訪問を通して、なかまづくりや学力補充を考えたが、
学校としての取組まで高めることが出来ずに終わった。
1
2 学期には、担任からのコメントを届けたり、学級の子どもたちの手紙やビデオレター
を届けたりしたが、児童や保護者の心に響くことができなかった。
12 月 4 日(木)の個人懇談では、再び、担任と保護者が激しく対立する状況になったが、
担任の応対については、事情がどうあれ、保護者に対してとるべき態度ではなかったと考
えて、指導をした。
3 学期に入り、人権教育推進教員が主となって、なかまづくりや学力補充を中心に取り
組み、児童がスムーズに学校へ登校できるように、また、安心して 4 年生を迎えられるよ
うに保護者の方に提案するべく、話し合いの日の設定を保護者にお願いしている中で、新
聞報道があった。
【市教育委員会の対応】
市教育委員会として、子どもがとにかく学校へ出て来られるように配慮することと、親
と担任との関係修復に向けて、学校体制をあげて全力で取り組むよう指導するとともに、
担任と話をする場を設定しようと母親に働きかけたが、不調に終わった。
7 月 10 日(木)の学級懇談会直後、指導主事が母と懇談。対応によっては、来週からで
も登校させるという事であったが、学校の対応に満足できず登校には至らなかった。市教
育委員会として、母親に「子どもと話をさせてほしい」と連絡したが、断られた。
夏期休業中について、学校としての方策を決め、学力補充、家庭訪問等に取り組むよう
指導した。また、8 月下旬には、夏期休業中の積残し課題の整理と研修会後の方向等につ
いて指導した。
9 月 29 日(月)には、教育委員が学校訪問をし、教育委員、教育長が、この問題を全校
で取り組むよう強く促すとともに、職員と懇談した。
担任には、連絡帳を届けるのは最低限の担任の職務であること、大事なのはまず子ども
である。子どもには何も罪はなく、子どもの登校をまず第一に取り組むのが大事であると
指導した。具体的には、担任から子どもへのコメント内容について指導するとともに、担
任からのコメントを届け続けるよう校長に指導した。
10 月 8 日(水)Ⅰ教諭の希望により、教育長、教育次長、学校教育課長が本人の思いを
聞き解決に向けての取組を指示する。
10 月 30 日(木)担任と教育長、教育次長、学校教育課長と会い、本人の思いも聞きなが
ら解決に向けて取り組むよう指示する。
11 月 14 日(金)には、教育長、教育次長、学教課長が、校長同席のもと、母・祖父
と懇談し、収拾を図ったが不調に終わった。
12 月 5 日(金)以降、これまでのことと今後のことについて、校長、教頭、担任、関係
教諭と協議・指導するとともに、母親と懇談したり、校長、教頭と家庭訪問したりした。
1 月 9 日(金)には、積残し課題及び、早急に取り組むことについて、教育長から直接指
導をした。下旬にも、複数回、学力補充、家庭訪問について相談にのり、取り組みを促し
2
た。
学力補充となかまづくりを主とした学校対応を、保護者に提案する日取りの交渉をして
いる中、新聞報道があった。
【新聞記事掲載後】
2 月 13 日(金)本日より自宅待機するように担任に指示する。校長が病気休暇中なので
教頭と教育委員会が相談し学校運営にあたる。職員会議を早急に開き学校の方向性を決め
るとともに、PTA 役員と協議し保護者説明会を開催することを指示する。
2月14日(土)校長宅を教育委員長、教育長、教育次長が訪問する。
2月16日(月)、全校集会において全児童に教頭より話をする。
2月18日(水)、校長が出勤し、職員会議で 2 月 20 日(金)に当該学級の保護者会開催、
2月 22 日(日)に保護者会の開催が決定される。
2 月 19 日(木)「当該学級の指導体制づくり、保護者会の持ち方について」職員会議が
開催される。
2 月 20 日(金)臨時教育委員協議会を招集する。夜開催の当該学級の保護者会の開催に
ついて、校長と指導主事が担任宅を訪問する。午後 2 時に学校に戻り、午後 3 時頃校長が
外出した。午後 4 時頃、校長が学校に戻らないとの連絡を受け捜索するが、5 時頃、死亡
の連絡が入った。夜に、当該学級の説明会を開いた。
2 月 21 日(土)、カウンセラー2 名を教育総合センターより該当児童宅を訪問させる。
「今
後について」職員会議が開催され教育委員会からも指導主事を派遣する。
2 月 23
日(月)、全校集会が開催される。市単講師を配置するとともに、2 名のカウン
セラーを学校に派遣し、当該児童宅には継続的にカウンセラーを派遣する。なお、今後、
県費講師も派遣予定している。
・2 月 14 日(土)、16 日(月)、21 日(土)、22 日(日)、23 日(月)、24 日(火)担任
宅を訪問し指導する。
*
議員からは、「教員内部の関係はどうなっていたのか」
「新聞に載ったのは内部からの
リークが無かったのか」
「校長の自殺は、当該児童にとって一生の心の傷として残る。命
の大切さを指導する教師がとるべきでない行為と考えるが、市教委の見解を聞きたい」
等の意見が出された。
市教委からの適切な答弁はなされず、改めて事実経過と問題点の整理を行なうよう要
請がなされた。
吉岡教育長の説明の中で、T さん(S 児童の母)や I 教員への批判的言動が見られた。
その中で、過去に S 児童の姉が二階堂小学校に通う中で、当時の担任(K 教員)とこじ
れた問題があったと発言された。説明不足のため、各議員には、N 教員(S 児童の担任)
と混同する内容であったため、訂正するよう Y 議員より指摘がなされた。
3
また、Y 議員から「吉岡教育長、喜多教育委員長の説明で強調された、
『お詫びの相互
関係が必要なのに出来なかったことが問題。それが何故出来なかったのか。現在の世の
風潮が自己中心的であるため云々・・』『大人が何をしているのかと大反省をしている』
と言う総括であるが、何が問題なのか一向に理解できない。あえて言わせていただけば、
具体的な問題点を今日にもなって、なお理解できていない教育長を始めとする教育委員
の現状が、今回のような最悪の混乱をもたらした要因・根幹と考えざる得ない。そうし
た認識をするべきではないのか。」と言う指摘がなされた。
十分な答弁がなされないまま、改めて市教委として整理しなおすことを持って会議は
終了した。
<3月 26 日、文教民生委員会における議論>
吉井議員: 2 月 26 日、議員全体協議会において、教育委員会より「二階堂小学校問題」
に関する報告書をいただき、経過説明を受けました。その後、その資料をも
とに問題点の整理をしょうと思いましたが、不明な点が多いですので改めて
質問をさせていただきます。
1 点目は、2 月 13 日の毎日新聞の記事では、不登校児童を「学校、市教委
は放置」と記されていますが、報告内容からは、放置されていたという事実
はありません。どちらが事実なのですか?
2 点目は、
「担任が障害者差別発言・ショックの女児不登校」とありますが、
ショックを受けたとする事前学習指導後も女児は登校しています。担任の発
言が即不登校となっていないのに、何故こうした記事になるのか?
3 点目は、差別発言と断定されていますが、何が差別で、また、それをど
のようにして市教委は確認されてきたのでしょうか?
4 点目は、教育長のコメントで学校の対応が「ワンテンポ遅れている」と
いう内容がありましたが、何がワンテンポ遅れていたのですか?
吉岡教育長:
1点目に付いては、決して放置と言う言葉には当たらないというのが私の
見解です。
2点目に付いては、事前学習会の内容が程度の差はあれ、児童がショック
を受けたと思われます。ただ、後の交流会に参加するとともに、担任の車に
同乗し移動しており、ショックが不登校になったとは思えない。その後、6
月30日に校長立会いの下で、保護者と担任等が話し合った後に登校しなく
なっています。
(3点目には答えがない)
4点目に付いては、校長と今後の取り組み方について話し合い指示を出し
4
てきましたが、その指示を関係教員等に遅れて出すなど、事態が悪い方向に
行った。校内での出来事全てがそういった格好になっていた。これがワンテ
ンポ遅れたという意味です。
吉井議員: 4点目に関わってですが、校長は教育長の指示を理解できなかったのでは
なく、納得できなかったのではないでしょうか?教育長と校長の認識にずれ
があり、問題の本質について共通理解できてなかったことが、教育長がワン
テンポ遅れていると言う認識になっているのではないか。その事について、
事実経過を振り返る中で考えていただきたい。
教師間の連携不足もあるが、教育委員会と学校現場との連携が出来ていな
かった面が多々見られる。その事を、教育長が認識しない限り、適切な指示
は出せないし、この問題の整理も出来ないと考える。
その事を踏まえて、事実経過についていくつか質問を行います。まず、こ
の事象を学校教育課長はいつごろ認識されたのか?
川口課長:
5月24日に親から指導主事に連絡があり、学校長に伝えました。
吉井議員:
母親から問題提起を受けた、S 指導主事が26日学校を訪問し、教頭と話
し合っていますが、一方の担任から事情を聞いていません。何故ですか?
川口課長:
26日については記録に残っておりません。
吉井議員: 双方の話を聞かないで、差別発言があった。と決められたのは何故ですか?
川口課長: 新聞には、差別発言と出ておりましたが、まだその部分については検証等
されていませんので、断定できません。
吉井議員: 6月3日に校長等立会のもと、担任と母親の話し合いが行なわれ感情的な
対立が表面化しています。その日までの数日間、最初に報告を受けた市教委
が何故発言の検証をしなかったのですか?
川口課長:
学校長にお願いしておりました。
吉井議員:
母親から直接聞いたのは、S 指導主事です。また、天理市は1992年4
月からの機構改革において、啓発推進課(現人権啓発課)が新設されました。
その際、業務内容について、次のように記されています。
「学校教育現場・地
域生活現場・企業労働現場における、差別事象、事件に対する関わりについ
て(中略)
・・・・。差別は、個人個人の関係で存在しているのではありませ
ん。(中略)・・・差別事件が報告されれば、担当課とともに話し合いのテー
ブルにつく。」と定義付けられ、学校現場の場合、「窓口は学校教育課とし担
当は課長と指導主事となっており、いずれも啓発推進課が同席する。」となっ
ている。これらについては、1994年に趣旨を徹底するとして、各学校現
場にも公文書として配布されている。
今回何故、これに基づいた取り組みがされなかったのか?
5
福井助役: 過去の取り組みを通して、人権啓発課が作られてきたにもかかわらず、今
回、人権啓発課とともに考えてこなかったという事を反省し、今後努力した
い。
吉井議員: 母親が、5月30日、6月6日の2回にわたり天理市人権教育研究会に相
談しています。この研究会は、市が補助金を出している教職員の団体ですが、
こことの連携はされていますか?また、母親からの相談内容について、意見
交換されましたか?
川口課長: 今回の件については、相談を受けたという事は聞いていますが、内容の報
告は聞けていません。連携も出来ていません。
<*この問題に関わって、約4時間にわたり質疑を行いました。市教委の答弁があまりに
もずさんでした。報告は、長文になる為、別にこの問題に対する報告文を作成し掲載
したいと思います。吉井議員は、質疑の最後に次のような意見を述べて質問を終えま
した。>
吉井議員: 障害者差別を語りながら、差別を憂いた話し合いがされておらず、感情的
対立の中で生み出されてきた「要求」
「条件」に振り回されている姿しか見え
てこない。市教委は何が問題なのか整理できないままに、校長の責任・権限
を盾にしてしか事にあたれていない。
(中略)また、部落問題を悪用してこの
問題の隠ぺいを図るような行為があったとするならば、断じて許されない。
(中略)私は、教育長の弔辞の内容に異論を持っています。
「解決の展望が見
えたときに」「奥さんが、これが主人の生き方と言われた」。いつ展望が見え
たのか!2月13日の毎日新聞掲載後、市教委が浮き足立ち「担任を出席停
止」させる事を通して、ことの整理をしょうとした事に対し、最も矛盾を感
じていたのは校長先生ではなかったのか!にもかかわらず、その事を自らの
職務命令として、実行するように強要した市教委の姿が問われる。改めて何
が問題であったのか、問い返すべきです。(中略)
私のほうからも、数点に渡り課題を提起したいと思います。
第一は、女児の精神的な治癒と、学習の遅れを取り戻す事です。世の中に
は、さまざまな意味で一方的に大人に犠牲にさせられる子供はたくさんいま
す。今回も同様ではないでしょうか。市教委・学校・担任・親・地域を含め
児童の視点で問題を考え展開してきたのかが問われます。その反省の上に立
って考えてください。
第二は、制度的・構造的な問題です。養護学校との交流が何故マンネリ化
になっていってしまったのか。子供の視線で教育を考えていない事が見受け
られます。また、学校現場と市教委の連携が不十分になるのは何故か。校長
からの協力要請を「校長権限・責任」にすり替える事しか出来ていない現状
6
を改革しなければなりません。そして、「学級王国」として批判されてきた、
教員同士の連携が出来ない実態が、今回も浮き彫りにされてきました。これ
は二階堂小学校だけの問題ではありません。早急に改革されるべき課題です。
第三に、問題解決の方法論上の問題です。せっかく長い取り組みと努力の
中で、啓発推進課をつくり業務を具体化した事が、全く生かされていません。
今後、教育委員会のみならず、市役所が地域と一体となって取り組む姿勢を、
再確立していただきたい。
第四に、当事者以外の外部への説明・広報の問題です。マスコミ、その読
者、同じクラスの保護者、PTA に分けて、それぞれ可能な事をひとつひとつ
整理して対応するべきです。校長先生の自死を繰り返さない為にも、誰が悪
いという整理ではなく、共に生きる視点を築く為の、説明と取り組みが求め
られています。
最後に、教育長が月刊奈良に投稿された一文をお借りして、私の発言の締
めくくりとさせていただきます。
・・・
「かつて農業教育に携わり、
『緑・花い
っぱい運動』を提唱、実践してきた私は『命を育てる“農の心”は思いやり
と優しさを育み、緑・花を育てる人は緑・花を持つ心になる』と信じている。
そして、
『一輪の花が多くの人の心に花を咲かせるように、子どもたち一人ひ
とりに一輪の花、心の花を咲かせてあげたい』と願っている。」・・・。
教育長自身が職責上だからと受取れる様な義務的対応ではなく、心を込め
ての取り組みを強く願い、発言を終わります。
<6月議会の冒頭に「顛末」が出される>
6月議会初日(15日)の議員全員協議会において突如「二階堂小学校問題の顛末」と
いう文章が配布され、18日の文教民生委員会において協議し、25日の最終日、議員全
員協議会で再協議の上承認していく提案が議長よりなされました。中2日しかありません
でしたが、熟読し21項目にわたり疑問と憤りをもたざる得ない中身に愕然とすると共に、
議論に値しないどころか「死者に鞭打つもの」でしかないと読み取りました。このような
文章を平気で作成する教育委員会とどのような議論をすればいいのか?怒りが先立ち冷静
に話せるだろうか?3月議会の時と同様に4時間以上に渡る議論の中で感じた虚しさをま
た再現するだけなのか?しかし、議員として人間としてこのまま「顛末」を放置出来ない。
今回はこの「顛末」を撤回させる事を第一義に取り組む決意をして、18日の文教民生委
員会に望みました。委員会の最後の議題として審議が始まり、冒頭、加藤委員長より「顛
末」文に市教委幹部の責任が示されていない事への批判がなされました。続いて、
(下記の
通り)私(吉井議員)より発言を行い、委員会としてはこの「顛末」を承認できないとし
7
て終えました。25日の全員協議会でも数人の議員の発言の後、議長より「文教民生委員
会における某(吉井)議員の発言にあったように、内容に不備がある再度作成しなおし文
教民生委員会に提出するように」と提案があり確認されました。今後、9月議会までに一
定の動き(再度の「顛末」提出)があると思います。つきましては、皆様方に今回の「顛
末」文を送付させていただく事を通して沢山のご意見をいただきたくお願い申し上げます。
奥田校長先生の死を無駄にすることなく、多くの教育現場で生かせれることを強く願って
おります。人のうわさも75日と取れるような市教委の姿勢は許せません。皆様と共に二
階堂小学校問題から何を学び課題とするのかを明確にする取り組みを出来ればと強く思っ
ております。よろしくお願いします。
6月18日文教民生委員会における吉井議員の発言
冒頭に申し上げたい。この「顛末」なるものは議論に値しない内容である。到底受け入
れる事は出来ない。しかし、議員として全く議論をしない事は無責任であることから、3
点の指摘をさせて頂き「顛末」の撤回を求める発言としたい。
1点目は、5月23日の事前指導に関わって、母親より市教委学校教育課の S 指導主事
が問題提起を受けている。その上で、5月26日に S 指導主事は二階堂小学校を訪問して
いる。校長先生が不在と言う事で教頭先生に内容を報告している。その日は、担任の N 先
生が年休を取りお休みであったが、以後、6月3日の最悪な結果となった話し合いに至る
まで、S 指導主事は N 先生に会い事情を聞き取る事をしていない。双方の話を聞こうとす
るのが当たり前ではないか。市教委は連携の強化を口にしてきたが、現場の先生方との連
携を放棄してきたのは市教委の方ではないのか。当初から客観的な関わり方が伺えないの
は何故か。指導主事は管理職の許可がないと現場の先生とは話も出来ないのか。また、そ
うした事実をいまだ隠し通そうとする姿勢に対し反省を求める。
2点目は、教育長は口を開けば学校長をきびしく指導してきたと言われる。とくに、9
月29日の教育委員と市教委幹部による学校訪問について、P4 の8行目にも記載されてい
るように「・・・強く指導した」と書かれている。貴方たちは「指導」と受け止めている
らしいが、現場の先生方や校長は「一方的な叱責」と受け止めている事をいまだ認識され
ていない。教育長、あの日のことを思い出してください。貴方は校長室で校長を批判し、
次に行なわれた職員との交流会の中でも「主に校長の対応が遅い」と指摘されていますね。
その後、市教委3役・3学年担当教員・人推教員・N 先生と話し合いをされています。そ
の際、それまでの貴方の発言に違和感を持ってきた教員が反論した事をどう認識しておら
れますか。人推教員の F 先生は「学校は今まで何もしてこなかったのではない。
(一定の取
り組みを説明)校長先生の指導の下で取り組んできた。」と発言しています。この段階で貴
方の認識(これまでの情報)と学校現場(校長先生)との認識にズレがあった事をいまだ
8
理解できていないのではありませんか。その後の市教委(教育長)の対応は誤った認識の
上に立ち校長先生に対応を迫っている事を自覚するべきです。それが貴方の指示をすんな
りと受け止められなかった校長先生の姿ではなかったのか。
「校長の対応が遅い」のではな
く「貴方の指示が的外れ」ではなかったのか。問い返していただきたい。
最後に、議論に値しないと最も感じた文面について述べさせていただく。P7 の下段から
6行目の内容です。
「自殺」の原因に言及されているが、読めば読むほど市教委の無責任さ
を感じてならない。
「顛末」文全般においても自死された校長への批判としか受け止められ
ないのだが、その中でもひどい内容です。指導主事の天羽先生が奥田先生の奥様と語られ
た中で「校長先生は、S 児と母親そして N 先生を最後まで守られたと思います」と自死に
ついて語られています。私もそう思います。誰かに責任を負わす事でこの問題の沈静化を
図ろうとした市教委への批判として受け止めるべきです。貴方たちから言えば、私のこの
意見も勝手で独断と言われるかもしれません。そうであればなおのこと、貴方たちの独断
で校長の自死を語るこの文面こそ無責任極まりないのではないか。即座に削除を求めます。
以上の点から今回の「顛末」を全面否定させていただく。また、その意思を述べ今日の
これからの議論を必要としない事を申し上げ、私の発言を終えたいと思います。
二 階 堂 小 学 校 問 題 の 顛 末
(問題点などの総括と今後に向けて)
天理市教育委員会
本件は、二階堂小学校とN養護学校との交流学習の事前指導における担任の発言に端を発
し、関係の児童が登校できない状況となったものであるが、これらの問題解決には様々な要
因が重なって、長い期間を要することとなり、さらに、学校長の自殺という大変いたましい
事態もまねいた。
天理市教育委員会として、本件の解決が長期にわたったことなどの問題点を整理し、今後、
このようなことを繰り返さないための総括とし、問題点の分析から見えるよりよき解決への
方途についてとりまとめ、今後の方向性について述べるとともに、ご支援をお願いいたしま
す。
1. 発 端
平成15年
5月23日(金) N養護学校との交流の事前指導の中で、担任が動物のよだれを引き合い
に出した。
5月30日(金) 当該児童(以降「S児」と表記)は、N養護学校との交流に参加。担任
9
は体調の悪い児童を車に乗せて参加。帰りにもS児より体調不良の訴えが
あったので、担任の運転する車で帰校した。
6月3日(火) 校長・担任・母が懇談。途中、父・祖父・義弟、PTA会長、教諭3名が加
わる。保護者から授業の中で配慮を欠いた発言があったこと、S児の姉の
N養護学校在籍の話をしたことの指摘があった。とりわけ、姉の話を始め
たのが、S児か担任かで押し問答となる。祖父の助言があり、最終的に、
担任が嘘をついていたと認めたところ、母親から「何で嘘をついたんです
か」と言われ、「担任をおりてもらいたい」「教師の資質が問われる」「教
師をやめてもらいたい」と、明け方3時頃まで抗議が続いた。
結局、「翌日に、母親が子どもを連れてきて、担任が謝る。」ということ
で、散会となった。しかし、「S児が行くの嫌と言っている。」とのこと
で、実現しなかった。
2. 事 実 経 過
(1) S児の出席状況
月
授業日数
出席日数
4
17
17
5
20
19
6
21
14
備
考
6/2までは通常に登校。6/3は病院への通院で欠席。
4日から11日は欠席。12日は「まち探検」に出席。
13日からは登校するが、カウンセリングルームで学習。
7
14
2
7/2までの登校はカウンセリングルーム。
3日以降は欠席。
9
20
2
運動会前日、当日の2日登校。他は欠席。
10
22
1
担任一日出張の日に登校。他は欠席。
11
18
0
11月より3/10まで欠席。
3
11日から出席。 3/24に3年生の修了式を迎える。
※ S児の平成15年度の全出席日数 … 65日/全授業日数 202日
(2) 学校の対応
カウンセリングルーム登校時(6/13∼7/2)には、担任から、連絡帳やS児の登校に合
わせた声がけ等の働きかけをしたが、保護者から校長を通して、一切関わ
らないようにとの強い申し出があったりして、以後の対応が鈍くなった。
10
7月10日(木) 学級懇談会において校長より経過説明をし、母親の思いや他の保護者
の意見を聞いた。
7月11日(金) 校長が職員会議で経過を説明し、対応について話し合おうとするが、
それまでにS児の対応をめぐり対立していた担任と当該学年部・障害児学
級担任A教諭の対立が先行し、対応策まで至らず会議は終了となった。
夏期休業中には、地区別水泳や家庭訪問を通して、級友とのなかまづくりや学力補充
を考えたが、学校としての取組まで高めることが出来ずに終わった。
8月27日(水) N養護学校校長を講師に迎え、障害児教育に関する職員研修を実施したが、
担任は欠席であった。
9月11日(木)∼19日(金) 運動会(9/21)にS児を参加させるべく取り組んだ。親と学
校で作成した文面により、3年生全員の児童の前で担任が、「S児が来れ
なくなったのは自分に原因があり、登校できるようになったらみんなで支
えてほしい」と話した。S児は前日の練習と運動会に参加した。
2学期には、担任からのコメントを届けたり、学級の子どもたちの手紙やビデオレタ
ーを届けたりしたが、S児や保護者の心に響くことができなかった。
12月4日(木) 個人懇談で、担任と保護者が激しく対立する状況になった。
・7月10日からこの時点まで、担任と保護者は会わずに経過した。
3学期に入り、人権教育推進教員が主となって、級友とのなかまづくりや学力補充を
中心に取り組み、S児がスムーズに学校へ登校できるように、また、安心
して4年生を迎えられるように提案するべく、教育委員会もいっしょにな
って話し合い、校長から、日の設定を保護者にお願いしていた。
2月13日(金) 本件の新聞報道があった。取組が一時中断するが、S児の登校を最優
先にし、当該学級の運営について保護者の理解と協力を得るべく進めた。
2月16日(月) 全校集会を開き、教頭より、新聞報道に触れ、落ち着いて学習に取り
組むように話をした。
2月18日(水) 体調不良(インフルエンザ)で休んでいた校長が出勤し、職員会議で、
2月20日(金)に当該学級の保護者会開催、2月22日(日)に全校の保護者会開
催が決定される。
2月19日(木) 当該学級の指導体制づくり、保護者会の持ち方について職員会議が開
かれる。
2月20日(金) 当該学級の保護者会について、校長と指導主事が担任宅を訪問した。
午後5時頃、外出していた校長死亡の連絡が入った。S児の学級の保護者
説明会が予定通り開かれ、学級の学習保障について保護者の理解を求めた。
新担任を、23日より実施とした。
11
2月21日(土) 教頭が校長職務代行者となる。
2月29日(日) 学校と教育委員会が全校の保護者への説明会を実施した。
3月1日より
担任は、奈良県立教育研究所で臨時特別研修を開始する。3年生1組
に派遣された講師を含めて、3年生担当でチームを組み、家庭訪問を始め
た。
3月11日(木) S児が登校し始める。その後、T講師が学力補充のために家庭訪問を
続け、24日に終了式を迎えた。春休み中も学力補充の家庭訪問を実施した。
(3) 市教育委員会の対応
6月6日(木) 学校長より本件に関して正式に報告を受ける。S児がとにかく学校へ出
て来られるように配慮することと、親と担任との関係修復に向けて、学校
体制をあげて全力で取り組むよう指導する。
6月20日(金)∼23日(月) 母親と担任が話をする場を設定しようとしたが、不調に終
わった。
7月10日(木) 学級懇談会の中で、他の保護者より、他の児童の力を借りてS児が登
校しやすい環境をつくるなど、解決のヒントとなるアドバイスがあった。
懇談会後、指導主事が母と懇談し、対応によっては、翌週からでも登校さ
せるという事であった。その後の担任との懇談で、「学校長と相談する」
ということであったが、学校の目立った取り組みがなされず、登校には至
らなかった。
7月16日(水) 市教育委員会として、母親に「子どもと話をさせてほしい」と申し入
れたが、「今はダメ」と断られた。
夏期休業中について、学校としての方策を決め、研修会や学力補充、家庭訪問等に取
り組むとともに、学校行事を利用して、子どもの関係づくりを進めるなど
して、自然な形で2学期の登校につながるよう指導した。
8月下旬には、夏期休業中の積残し課題(学力補充、友達の関係など)の整理と研修
会後の方向等について指導した。
9月29日(月) 教育委員が学校訪問をし、教育委員、教育長が、職員と懇談し、この
問題を全校で取り組むよう強く促すとともに、それまで、校長、担任によ
る家庭訪問がなされていないことがわかったため、家庭訪問を実施し、保
護者と話をすることの大事さを強く指導した。
10月8日(水)
教育長、教育次長、学校教育課長からA教諭に対し、担任と協力して解
決に向けて取り組むように指導する。
10月14日(火) 日々のクラスの予定を知らせる連絡帳は、S児が休んでいる間、継続
12
して級友が自宅に届けていたが、その渡し方のトラブルから、保護者から
連絡帳を届けないようにと言われた。しかし、連絡帳を届け続けるのは最
低限の担任の職務であることを、担任に対し指導する。
10月30日(木) 教育長、教育次長、学校教育課長から担任に対し、具体的なS児への
アプローチの仕方を考えて取り組むように指導する。
11月5日(水)∼13日(木) 指導主事を学校に派遣し、担任からS児へのコメント内容
について指導するとともに、担任からのコメントを届け続けるよう校長に
指導した。
11月14日(金) 教育長、教育次長、学校教育課長が、校長同席のもと、母・祖父と懇
談したが、担任をはずせとの主張が強く、事態収拾は不調に終わった。
12月5日(金)以降、これまでのことと今後のことについて、校長、教頭、担任、関係
教諭と協議・指導するとともに、担任とS児が会って話ができるように、
指導主事が母親と懇談したり、校長、教頭とともに家庭訪問をしたりした。
1月9日(金)
積残し課題及び、早急に取り組むことについて、教育長から校長に対
し、直接指導をした。
1月下旬から
複数回、校長、教頭、担任、人権教育推進教員、3年生担当者が、学
力補充、家庭訪問するように指導する。また、学校長の相談にのり、取組
の進行を促した。
2月9日(月) 校長、教頭、人権教育推進教員とともに、学力補充となかまづくりを主
とした学校対応を、保護者に提案しに行くように強く促した。
2月13日(金) 新聞報道があり、担任に自宅待機するように指示し、校長が病気休暇
中なので、この日から、教育委員会より、学校教育課長と指導主事を派遣
し、教頭と相談して、学校運営にあたることにした。また、職員会議を早
急に開き、学校の方向性を決めるとともに、PTA役員と協議し、保護者説明
会を開催することを指示した。
2月14日(土)から、指導主事が担任宅を訪問し指導する。
2月20日(金) 当該学級の保護者会について、校長と指導主事が担任宅を訪問した。
午後5時頃、外出していた校長死亡の連絡が入った。夜の当該学級の説明
会は予定通り開いた。
2月21日(土)より、カウンセラー2名を当該児童宅に訪問させる。教育委員会も入り、
職員会議が開かれ、今後について協議する。
2月23日(月) 市単講師を配置するとともに、2名のカウンセラーを学校に派遣し、
当該児童宅には継続的にカウンセラーを派遣した。
◇教頭が二階堂小学校校長職務代行者として学校運営に当たることになったため、教
13
育委員会から指導係長を教頭の職務補助として派遣する。
◇7月から、月に1回程度、県教育委員会に出向き、状況報告(口頭)をおこなうと
ともに、アドバイスを受ける。3月には、事故報告書を提出する。
◇担任については3月1日より、奈良県立教育研究所で臨時特別研修を実施するとと
もに、口頭による厳重注意をおこなった。
◇年度末人事の中で、二階堂小学校の4月からの再出発を支援する意味で、人事の刷
新を図った。
3.発端及び事実経過から見る問題点・課題の整理・分析
本件は、今日までの1年に及ぶ経過を経て一定の落ち着きを見るに至っているが、
本件を理解する上でも、何点かの重要なポイントとなる節目があった。それらに沿
って、再度、問題点などを整理・分析してみたい。
節目1 「6月3日、学校、S児の保護者・親類、PTA代表との長時間の懇談がもたれた。」
<< この時点までの問題点 >>
○N養護学校との事前学習における担任の発言、授業の経過について、事実確認
がおこなわれず、人権啓発課と連携して進められなかった。
○担任の事前学習において、関係学年での事前の打ち合わせなどがなく、関係の
児童が在籍することを考慮して、保護者の了解をもらわず、交流会の目的、留
意点など、事前指導の流れについても話し合いがなされなかった。
○6/3の保護者との話し合いに向けて、どのような流れを予想し、どのような収
め方をするのかについて、学校として方向性がなかった。
・懇談の本質は、事前学習における不適切さに対する担任の謝罪であったと
考えるが、事前学習の中での、S児の姉への言及が、担任からかS児から
かの内容に終始し、祖父の助言があり、最終的には、担任は「うそつき」
と認め、その後の流れに大きな影響を与える新たな問題を生み出す結果と
なった。
<< この後の問題点 >>
○6/3懇談の翌日、担任のS児への謝罪ということで解決の方向へ向かうはずで
あったが、S児は登校しなかった。保護者の担任への不信感を拭いきれていな
いこの時点で、学校として、問題を学校全体の問題とし、それまでの経過や問
14
題点、解決への方向性などについて、共通認識がなされるべきだった。
○市教委として、事前指導における不適切な発言については、学校中心に研修を
進めること。また、家庭訪問などにより、担任と保護者の修復をはかり、S児
の早期の登校が実現されるように、指示をした。
・指示内容としては適切と考えるが、学校が組織体として、解決に向けて進
まない状況を分析して、市教委としての対応を組み立て直す必要があった。
また、この時点で、人権啓発課との連携をとるべきであった。
○S児のカウンセリングルーム登校時(6/13∼7/2)には、担任から、連絡帳やS
児の登校に合わせた声がけ等の働きかけをしたが、保護者から校長を通して、
一切関わらないようにとの強い申し出があり、学校としての問題解決のための
動きが鈍くなった。
○夏期休業中には、地区別水泳や家庭訪問を通して、級友とのなかまづくりや学
力補充をするなど、学校、市教委で具体的な取組について考えたが、学校・学
年としての取組まで高めることが出来ず、校長と担任による学級の取組に終わ
った。また、N養護学校校長を講師に迎え、障害児教育に関する職員研修を実
施したが、担任は欠席であった。
節目2 「9月、2学期の始め、運動会への参加に向け、S児の登校へと向かうきっかけの時期と考
えられるが、結果として、運動会の練習と当日の二日のみの登校となった。」
○運動会に参加したいというS児の強い思いを祖父が担任に働きかけたことが、
S児の運動会参加への取組の大きな力となった。
○9/19(金)運動会練習日前日に、関係者協議によって作成された文面により、S
児在籍の3年生児童全員の前で、担任が、S児が来られなくなったのは自分に
原因があること、登校できるようになったら、みんなで支えて欲しいこと、を
訴えた。
<< この時点及び以降の問題点 >>
○2学期を迎えるにあたり、S児の登校したいという気持ちが高まっていたにも
かかわらず、実現には至らなかった。
○保護者の担任への不信から、担任を代える申し入れは続いた。
・S児以外の児童に対し、通常の学級経営している状況下において、担任を
代えることは困難であり、S児の保護者との感情のもつれや関係を粘り強
く修復し、子どもの登校を促す方向で解決策を求める学校の主張と、担任
15
を代えることが問題解決の条件と考える保護者に歩み寄ることは困難であ
った。
○9月29日に教育委員が学校訪問をし、職員と懇談し、この問題を全校で取り組
むよう強く促すとともに、それまで、校長、担任による家庭訪問がなされてい
ないことがわかったため、家庭訪問を実施し、保護者と話をすることの大事さ
を強く指導した。
○市教委は、担任にS児との関係を修復するための担任のコメントを書き込んだ
連絡帳を届けるよう指導したが、母親のクレームを受けて、学校長が担任に届
けることを差し止めざるを得なかった。
○依然として本件が職員全体のものとなっていないことから、数度にわたり、全
職員の共通認識を図るよう指示をしたが、実行されなかった。
・このことには、学校が組織体としてまとまりきれていなかったことが背景
としてあり、本件の問題解決を長びかせた要因の一つであったと考える。
節目3
「1月、3学期に入り人権教育推進教員が主となり、なかまづくりや学力補充を中心に取
り組み、S児がスムーズに登校できるように、また、安心して4年生を迎えられるように保護者に提
案すべく、話し合いの日を調整中に新聞報道があった。この数日後に、学校長の死という大変いたま
しい事態をまねいた。」
<< 3学期に入っての取組 >>
○担任を代えるように申し入れの続く一方で、市教委、学校の働きかけの中で、
人権教育推進教員が主となり、S児に対してなかまづくりや学力補充の取組を
進めることについて、保護者の理解を得られたことから、その具体化に向けて
動きかけていた。
<< 新聞報道後 >>
○新聞では、「担任が障害者差別発言、ショックの女児不登校」と報道されるこ
とにより、差別発言による不登校と印象づけられた。そのため、混乱は更に大
きくなった。
○新聞報道により、動きかけた取組を中断し、事態の収拾を図った。
○当該学級の保護者会開催予定の2月20日、学校長の自殺といういたましい事態
を招いた。
・自殺の原因ははっきりとしないものの、S児の登校が実現しないまま問題
解決に至らず長期間かかったことに対する責任感と、保護者との対立や職
員間の対立に対する対応策、そして、新聞の報道、また保護者会の運営な
16
ど、諸々の事柄への見通しが得られないため、心労が重なったものと推察
される。
○教育委員会として、市単講師を配置するとともに、2名のカウンセラーを学校
に派遣し、S児宅には継続的にカウンセラーを派遣した。また、教頭が二階堂
小学校校長職務代行者として学校運営に当たることになったため、教育委員会
から指導係長を教頭の職務補助として派遣する。
○担任については、3月1日より、奈良県立教育研究所で臨時特別研修を実施し
た。
節目4 「4月、新学年。S児は4年生になり元気に登校している。学力補充とカウンセリングは
継続中。学校は、S児が元気に登校できる環境づくりをするとともに、PTAや区長会などへの信頼
回復の取組と学校再生への取組を推進」
○春休み中は、平日、午前2時間、午後2時間、スクールサポートのT講師が家
庭訪問し学力補充を行った。学力補充は、1学期間継続の予定。
○カウンセラーは、週1回家庭訪問を継続している。
○S児、始業式より、けがによる通院以外は継続して登校。学校生活を元気に過
ごしている。
○4月21日(水) 授業参観があり、母親も参観した。
○3年時の担任は、奈良県立教育研究所で1年間の長期研修員として研修中であ
る。
<< 学校の信頼回復・再生をめざして >>
○4月3日(土)校長・教頭が父と会い、4月5日(月)には、校長・教頭、指
導主事がS児宅を家庭訪問し、母親・祖父と懇談。
○学校は子どもとの新しい関係づくりに力を入れること、何よりも子どもが安心
して楽しく学校にこれるようにすることを最優先として取り組んでいる。
○5月27日 PTA総会において、学校長より、昨年度の大変な時期に支えてい
ただいたことへの感謝と、これからのご協力へのお願い、そして、学校は「子
どもたちの夢をふくらませてくれるところ」であり、「魅力のある学校にして
いこうとしている」と決意を述べ、学校・家庭・地域が共につながり合うこと
の大事さを訴えた。
17
4.課題の整理と分析後のまとめ
(1)本件の発端は、事前指導における担任の発言の不適切さにあるが、交流学習後の
6月3日、担任を含めた学校側と保護者側の話し合いで、事前学習の中での、S児
の姉への言及が、担任からかS児からかの内容に終始し、最終的には、担任は「う
そつき」という、その後の流れに大きな影響を与える新たな問題を生み出す結果と
なった。このことが、さらに保護者の不信をつのらせ、S児も登校できない状況に
陥った。
教育委員会は、担任や保護者の理解を得るために、S児が登校することを一番に
願って、度々理解を求めるために話し合いをもったが、一度生まれた担任と保護者
の不信は簡単に取り除くことはできず、状況も改善されなかった。
本事象を振り返ると、子どもを登校させたいという思いはそれぞれ持っていたが、
お互いの主張を譲らなかったことが問題を長期化させた大きな要因と考えている。
(2)N養護学校との交流会を実施する意味を再確認することや、職員の障害児理解の
問題、また、同和教育で培った被差別の側の思いや願いに寄り添うところから、交
流会やその事前指導のあり方を点検すること。そして、教師一人一人の取組の問題
点などを互いにチェックし合う開かれた関係または環境を普段の活動をとおして作
り上げていくことなどが学校として必要だと考える。
(3)学校の職員組織が一体化しておらず、指示や指導が徹底しないなど、校長を中心
として、全職員の共通理解が図れず、学校組織として有効な解決策がとれなかった
ことも大きな課題の一つである。分析するといくつかの問題・課題として整理でき
る。
学校を運営する上での管理職のリーダー性や判断力の問題。また、職員同士の信
頼関係のベースであったり、保護者や地域の方の学校への信頼のベースとなる教育
公務員としての守るべき服務の問題。困難な状況の中でも学校が組織として、状況
を分析したり、問題解決の方策を考え・決定するということを可能とし、有効に機
能する分掌組織の問題など、組織としての問題が浮き彫りになった。
(4)教育委員会として、初期対応時に的確に分析し対応するための組織化の問題。ま
た、事態の進行、問題の内容、または長期化に対応し、人権啓発課を始めとする関
係課及び機関との連携の問題。また、管理職や学校組織の状態に合わせた指導のあ
り方、相談体制のあり方の問題などについて整備していく課題がある。今回、課題
となった学校の諸課題に対応する管理職研修や職員研修を計画することについても
18
対応が必要である。
5. 今後の方向性について
(1) 二階堂小学校として
① 学校に通う児童一人一人が元気にまた充実した学校生活を送ることが、最も大
切である。そのためには、児童一人一人が意欲をもって取り組める学習環境を
つくるとともに、保護者との普段の意思の疎通を充分に図ることが大切である。
② 学校の教育推進計画を再検討し、見直しを図る。
・人権教育、特に障害児教育についての再検討をし、N養護学校との交流会に
ついても、「子どもの視点」「親の思い」を念頭に置き、実施する目的につ
いて再確認をする。
・教育計画の作成にあたっては、学年部や他の関連する分掌組織の連携を図る
など、普段の教職員の協力・連携関係を図るようにする。
③ 開かれた学校づくりをより強く進める。
・学校評議員制度や関係機関との連携、PTA活動の活発化など保護者の意見
を学校に活かす機会を多くする。
・学校の信頼回復のためにも、これまで以上に、学校の取組などについて保護
者、地域に対し情報発信をするとともに、地域人材を活かした教育活動、ま
た、地域に出かけての学習活動など、地域や保護者の協力のもと進める。
④ 職員の日常の情報交換、意思疎通を大事にする。
研修会という形ではなくても、日常の職員室での情報交換などを大切にし、
意思疎通を図ることで、自分一人では把握できない子どもの様子や、他の教師
の考え方などを知るなど、教育効果を高める日常の取り組みを大事にする必要
がある。そのことは、学校が組織体としての機能を高めることにもつながると
考える。
(2) 教育委員会として
1) 学校組織の活性化について
二階堂小学校の職員組織が一体化しておらず、指示や指導が徹底しないことや、
校長を中心として全職員の共通理解が図れなかったことなど、学校組織として有効
な解決策がとれなかったという状況があったことから、年度末の人事異動により教
職員の刷新を図った。
今後も、同一学校における長期勤務者の解消を図りつつ、バランスのとれた学校
組織化につとめ、一層の活性化に向けて努力したい。
19
2) 相談・指導・支援体制について
各校園の問題を、一課のみでの対応にせず、教育委員会関係課が一体となった相
談・指導体制を作り、解決にあたっては、関係団体・機関との連携を密にし、協力
を得ながら進めていく必要がある。
具体的には、各校からあがってきた問題の内、教育次長が必要と判断する案件に
ついては、教育次長、教育総務課長、学校教育課長、主幹、指導係長、教育総合セ
ンター所長、及び青少年係長等で組織する支援ネットワーク的な「学校問題支援会
議」で情報収集や問題の分析、解決への方策について協議する。また、状況や内容
に応じて、関係機関・団体の協力を得て、より有効な解決へのアプローチができる
よう相談・指導・支援体制の強化を図りたい。
また、学校で起こる問題を市教委が把握することについて、校長として、学校の
問題をなるべく外へ出したくないという意識がはたらき、市教委の問題把握が遅く
なることもあることから、そうならないような市教委と学校長の関係づくりに日常
的に取り組む必要がある。そしてまた、教育委員会内の各課においても、教育次長
を調整役とし、報告・連絡・相談の徹底を図り、問題が発生したときの情報の共有
化を早く確実にし、機敏な対応が取れるよう、風通しの良い組織関係を作ることが
必要である。これらのことを通して、問題の初期の段階から学校と一体となって取
組を進めるようにしたい。
3) 教育課程の具現化に向けて
平成15年度末に各学校園の教育活動のまとめとして、「年間活動報告書」を作
成した。この報告書を基に、学校と共に、学校評価の取組を積極的に進めるなどし
て、開かれた学校づくりを進めるとともに、各校園の教育課程の具体化に取り組み
始めている。
教育委員会としても、6月28日より学校園訪問を実施し、教育計画の内容につい
て確認し、具現化に向けて指導助言・激励を行うとともに、学校分掌組織が学校の
目標を達成するために機能しているかという点についても学校長と懇談する予定
である。
4) 不登校児への対応に向けて
これまでも、不登校の問題については、教育総合センターで、学校や保護者と連
携をもちながら取り組んできたが、本件を受け、今年度早々より、学校教育課指導
主事とともに、学校を訪問し、不登校児童生徒のより詳細な状況把握と学校の対応
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状況について情報収集している。現在、そのまとめをおこなっており、学校現場と
のより積極的な連携関係の強化を進めている。
5) 研修の充実に向けて
学校が組織体として機能するためには、管理職のリーダー性及びそれが発揮でき
る組織、また職員のモラルとモラール(士気)を高める必要があり、それぞれの内
容に対応した管理職研修、職員研修を実施していきたい。
<< 具体的な研修内容として >>
・管理職及び教職員の資質の向上にむけて
職員の資質向上のための研修の一つとして、閉鎖的になりがちな教職員
の意識変革のための研修として、職種の異なる職場での体験的な研修につ
いて、例えば、夏季休業中の一般企業体験研修などの実施を、今後検討す
る。
・管理職のリーダー性が発揮できる学校組織の構築に向けて
1月14日(金) 校園長研修
テーマ「企業における人材開発」 講師:(株)シャープより
1月24日(月) 教頭主任者研修
テーマ「松下電器産業の人づくり」講師:松下電器産業より
・管理職として、リーダーシップを発揮するために
8月10日(火) 校園長研修
テーマ「児童相談をふりかえって∼管理
8月24日(火) 教頭主任者研修
職のみなさんへの期待∼」
講師:大山徹真氏
・民間人校長から見た学校現場
10月8日(金) 校園所長研修
テーマ「人間力を高めたい∼キーは教師の企画力、生徒の表現力∼」
講師:町田健一氏(県立登美ヶ丘高校校長)
・危機管理への対応について
11月8日(月) 大学教授等を招いた校園長研修
*8月20日、文教民生委員会の委員長・副委員長に「顛末」が再提出される。
*8月25日、緊急の教育委員会が開催され、教育長以下幹部の処分が決定される。
21
*9月議会を前に、吉井議員は市教委に対して「質問書」提出する。
<吉井議員の質問書の内容と市教委の回答>
2004 年 9 月 1 日
天理市教育委員会事務局御中
天理市議会議員
吉井猛
二階堂小学校問題についての質問
(9月1日質問書提出・7日回答、14日再質問書提出・17日回答)
1、
T(S ちゃんの母)は市教委学校教育課の杉田指導主事に対し、「二階堂養護学校と
の交流に関わる事前学習」における N 教員(S ちゃんの担任)の指導内容について抗
議をし、厳しい指導を求めている。それを受けて、5 月 26 日に杉田指導主事は二階堂
小学校を訪問し、教頭に内容を伝えている(当日は校長、N 教員は不在)。
以後、T は校長に申し入れ(N 教員の謝罪と担任の交代)を行なっている。続いて T
は 5 月 30 日と 6 月 6 日に天理市人権教育研究会の K 事務局長に電話を入れ次のように
話している。
(K 事務局長からの報告内容)
5 月 30 日(金)16 時ごろ,2 人の子ともを持つ保護者(母)
・T さんより電話が入る。
上の子(A ちゃん)は二階堂養護学校・中学部。下の子(S ちゃん)は二階堂小学校
3 年生。市教委の杉田さんに話をし、校長から指導が入っているだろうが、うやむや
になってしまうことを恐れている。いい方向に向いてほしいが、保護者として、どこ
に言ってよいのかわからないということで、市人教・K(事務局)に電話をしてこられ
た。
以下,その内容。
二階堂小学校(3 年生)と二階堂養護学校(小学部)との交流の事前学習(5 月 23
日(金)5 限)において子どもが担任(N 先生)より人権侵害を受けている。クラスの
学級委員さんから聞いて、子どもに詳しく話を聞いて以下のようなことがわかった。
学級で、唐突に病気、障害の定義もなく、上の子の名前を出し、
「お姉ちゃんは病気
か?障害か?」と聞かれた。子どもは、
「障害」と答えたが、そのことに対して、何の
言葉も無かった。その後、
「二階堂養護学校の子どもは涎をたらしていて、それが付い
た手で手をつなぐこともある。それが嫌ならば逃げてもいい。犬や猫の涎より人間の
ほうがまし」と言った。二階堂小学校の障害児の名前をすべて出して、
「この子らは心
の病気や」と説明。授業の終わりに、交流が嫌だと思う子どもがいるか手を挙げさせ
たところ、何人かが手を挙げた。
22
そして,母親は次のことを主張された。
・うちの子の人権が侵害されている。
姉も潅をたらしているように捉えている子どももいるだろう。そのことで、うち
の子がどんなふうに見られるか。
・障害者の人権が侵害されている。
犬や猫と比較され、対等な人格を持った存在として捉えられていない。障害は心
の病気ではない。認識不足の授業をしている。二階堂養護学校の保護者としても、
見逃せない。障害児教育に対する捉えが弱い。どの子がどんな障害を持っているの
か理解していない。もっと勉強してもらいたい。
直接関係ないが,以下のことも言われた。
・忘れ物をした子どもは、部屋の掃除をするという指導をされており、これはいいこ
とだと思うが、先生の肩もみをさせてもいるという。これはおかしいことであろう。
・上の子は 3 年前(4 年生)のとき、いじめにあっていた。当時の担任は、KB さん(現・
朝和小)。ところが、当時の U 校長がこれをふせた。去年の 10 月、復帰したとき、
校長は代わっていた。F 先生、HO 先生、HI 先生、I 先生(障担)がかかわってくれ
た。
6 月 6 日(金)11時頃、再び母親より、事務局に電話が入る。(6 月 3 日から 5
日までの顛末を話された。)
以下、その内容。
6 月 3 日(火)二階堂小学校にて、校長と担任と話し合うが、4 時間押し問答で
あった。N 担任は、最初、子ども(S ちゃん)が「姉が二階堂養護学校に通ってい
る」と発言したと主張していたが、自分が先に言ったことを認めた。
(後日、N 担任
は、その場を収めるために認めたと、発言を撤回している)
担任「(開き直って)どうしてほしいんや」
母親「担任を降りてほしい」「教師やめてしまえ!」(指を指して)
ダウン症を心の病気だという担任の資質の無さがなっていないと言うと
担任「教えてくださいや」
I 先生、O 先生、IU 先生、PTA 会長も話し合いに入り、夜中 2 時半頃まで話し合い
が続いた。I 先生、O 先生が「悪いようにしないから信じてくれ」と言ったので任す
ことにする。
6 月 4 日(水)子どもにすべて(担任がウソを付いていたこと)を話した。泣い
て騒いだ。狂ってしまった。(母親の言葉のまま)「友だちに会いたい。お母さん助
けて」→仕事を休んだ。
6 月 5 日(木) 1 時間遅れて仕事(朝和幼稚園)に行き、出張先で杉田さん(市
教委)と一緒だった。ハッスルの前の喫茶店に二人でいると、N 担任の兄から嫌が
23
らせの電話があった。恐くて切るが、2 回目にかかってきたとき留守電に録音され
た。
「何、逃げとんねや。部落の人間なめとったら承知せんぞ。あした、幼稚園に乗り
込んでいくから‥」(録音を電話で聞かせてもらう)
以上のような内容であった。
* T からの申し入れに内容を N 教員は 6 月 3 日に聞かされ「事実関係の食い違っている
ところについては、親に説明したい。誤解を招く言い方については謝りたい。」と述べ、
校長が設定した午後 6 時からの話し合いに出席している。
<質問①>
T から最初に指摘を受け、指導等を要請された市教委杉田指導主事は T の話を受けて
一方の当事者である N 教員に事実関係の確認を一切していない。市教委は学校現場との
連携を口にするが、杉田指導主事の関わり方を見るとき客観的な内容の把握や課題の克
服に向けて連携した姿が見られない。N 教員に直接事実関係を確認しない姿勢を市教委
としてどの様に総括されているのか明らかにされたい。まさかと思うが、「学校に確認
を任した」という無責任な回答は市教委の主体性と指導主事の仕事内容を放棄したもの
である事を、老婆心ながら事前に申し上げておく。そうした事を踏まえ、責任ある回答
をお願いしたい。
<市教委回答>
【質問1-①】…N教員に直接事実関係を確認しない姿勢を市教委としてどのように総括さ
れているか、明らかにされたい。
○Tの話しを電話を受けて聞き、二階堂小学校には5/26に訪問したが、N教員は病
気のため欠席であり、また、学校長もこの事象については知っていて、「確認しよ
うと思っている。」ということであった。5/30の交流会参加の状況については、指
導主事が参加し、状況把握を行った。
○以前からのTとのかかわりから、学校長ともっと連携を密にして関わりを持つべ
きであった。
<再質問1−①>
杉田指導主事が何故に校長・N 教員と連携し双方の事実関係を明らかにしようとしなか
ったのか明らかにされたい。
<市教委回答>
○5/26(月)に指導主事が二小に事情を確認をしに行ったとき、Nが腰痛で休みで
あり、学校長から、「(そのことは)担任に確認するつもり」という一応の方
向性を聞くことができた。
○市教委としては、通常、学校長の報告を待つが、この場合、学校長の報告がな
24
く、適切な日をおいて確認の電話なりを入れる必要があった。5/30(金)の交流
会にSちゃんが参加していることを参加した指導主事が確認し、市教委として、
一定の安心感を持った。
○6/4 にTが祖父を伴い、「(学校に)ひどい教師がいる。Sも学校へいけなくな
った。」と訴えがあり、市教委として、6/3 の二小での話し合いのことも知った。
○「6/3 にTから人権侵害を受けた」とするN、「担任への不信」を訴えるTへの
対応により、5/23 の「事前指導」の事実関係の確認が途切れ、以後、そのまま
経過してしまった。
<質問②>
6 月 4 日に昨日からの経過報告が教職員にされている。その際、N 教員が「昨夜はい
ったん謝ったが、その場を収めるために謝った。」と話したとされている。ところが、
同日校長の指示を受け T 宅に家庭訪問した教員にその内容が伝わっており T は憤ってい
たという。その日の教職員の話がすぐに T に知れるのは何故か?それも混乱を及ぼす内
容かどうか判断の無いままに伝えられても良いものなのか?市教委及び学校の見解を
明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問1-②】…その日の教職員の話がすぐにTに知れるのは何故か?それも混乱を及ぼす
内容かどうかの判断のないままに伝えられても良いものなのか?市教委及び学校の見解を
明らかにされたい。
○Tに知れたことについては、学校から正式に伝えていない以上、学校職員から情
報提供されたことは思われる。
○意図的に混乱をさせる目的で情報を漏らしたとは考えられない。結果としては混
乱することとなり、個人的に情報を伝えることは不適切であると考える。
○誰によって情報が漏らされたか、推測の域を出ない。
<再質問1−②>
学校運営に関わる情報公開が全面否定される事は無い。それどころか、もっと開かれたも
のと成るべきだろう。しかし、T と N が6/3に言い争いになった事実を踏まえた見解を持
つべきではないか。長時間の混乱の後における情報提供は「混乱を目的あるいは N への抗
議を意図したもの」と受け取れるのではないか。
<市教委回答>
○ご質問のように、6/3 の言い争いの後に、関係する情報をTに流すという行為は、
問題があると考えている。
○先にも書いたとおり、この時点では、誰が情報を流しているのか、と言う点に
ついては特定することができず、具体的な対応をすることはなかった。
25
<質問③>
6 月 6 日、学校においても I 教員や校長より人推教員達に次のように経過報告がされ
ている事も明らかになっている。
6 月 5 日、T 宅に N 教員の兄(天理市教委職員)より脅迫電話が入る。
「部落をなめた
らあかん」等。(録音された事は先に K 事務局長の報告で述べている)
T は、I 教員と杉田指導主事に連絡。I 教員は校長に連絡。校長は、T に電話で確認を
取る。その後、市教委に連絡をする。市教委は兄に対応する。兄は二度としないと言っ
たが、謝罪はしていない。同日、N 教員に兄の電話の件を確認。「兄の件は知っていた。
兄には、『やられっぱなしか』と叱られた。等」の確認がなされている。
改めてお聞きしたい。市教委は N 教員の兄(天理市教委職員)の問題をどのように受
けとめ、どのような対応をされてきたのか具体的に明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問1-③】…市教委はN教員の兄の問題をどのように受けとめ、どのような対応をされ
てきたのか具体的に明らかにされたい。
○N教員の兄の問題は、Tの気持ちを解決からは程遠いところに追いやった、とい
う意味に置いて、本件の解決を阻んだ大きな要因ととらえている。
○対応としては、6/6(金)Tの訴えから、市教委としてNの兄に会い、今後、同様
のことのないよう話しをし、後、母にその旨を報告した。
○I教員に対する電話の中で「Tに言うとけ」と言ったとIから聞いた。IはTに
も伝えている。これが、「2度目」として、ずっと追求され、それに対する謝罪が
ないことも、反省していない証拠と言われた。
<再質問1−③>
N の兄に対してどの様な内容により対応されたのか。T はその内容を納得したのか。N
の兄に何故謝罪させないのか。この一連の言動を市職員であり元同和教育指導室職員が行
った事を市教委としていかに総括されるのか。
<市教委回答>
○Nと兄の関係を考えると、このことについては、もっと重要視し、兄と関わり
をもつべきであった。
2、6 月 12 日までの間、複数の教員が T 宅への家庭訪問を行なっている。その結果、12
日には校区探検(3学年全体の取り組み)に S ちゃんは参加し、13 日から別室ではあ
るが登校を始めている。その際に新聞にも記載されていた次の件がおきている。
(別室登校の状況から)
あき時間の教員、人推教員が学力補充を行う。専科の授業は受ける。休み時間は友
26
達と遊ぶ。給食は人推教員と食べる。(何日かこういう状況が続く。)その中で、S ち
ゃんから「給食を教室で食べたい。皆とプールに入りたい。」という要望があり、T は
それを実現させる条件として、「その間は担任の N 教員を指導から外してもらいたい」
と校長に要請している。
校長からその話の打診を受けた N 教員は、「他の子供たちに責任がもてない」「どう
してもと言うのであれば、職務命令を文書で出してほしい」とこれを拒否している。
「職務命令など出せない」とする校長の姿勢に対し、T は「校長に嘘をつかれた」
(新
聞報道に掲載された内容)とし、S ちゃんは 7 月 3 日より再び学校へ来なくなった。
こうした中、6 月 20 日に校長と共に N 教員が「自分の思いについて聞いてほしい」
と言う事で市教委を訪問している。その際、
「指導の不十分性については謝りたいので、
市教委が中に入って、話し合いの場を設定してほしい。」との要請を村上次長、川口課
長に行っている。後に、日の設定がされたが、T の方が会うことを拒否した。
それを受け再度奥田校長より市教委に対し、仲介の働きかけを行ったが、その後は
「学校が汗をかけ」という事に終止した。7 月 3 日以後学校では、I 教員、O 教員が軸
となり放課後を中心に T 宅へ連日家庭訪問がされている。
<質問①>
平成 16 年 2 月 13 日の毎日新聞の記事では「学校側は直後に、別室に登校してもらう
措置をとり、校長が女児に『昼食時は別の教諭を充てるので、クラスに戻って一緒に食
べられるようにする』と約束した。しかし教諭が『担任は教室を空けられない』と拒ん
で実現せず、女児は『校長先生もうそをついた』と 7 月上旬から再び欠席。以後は数回
登校しただけ。」と掲載されている。
給食及びプール指導に関わって、T からの「N 教員を外せ」という要求に対する N 教
員や校長の判断を市教委はどの様に受け止めているのか。受け止めるべき正当な要求と
して認識されているのか。また、当時どの様に対応されたのか明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問2-①】…給食及びプール指導に関わって、Tからの「N教員を外せ」という要求に
対するN教員や校長の判断を市教委はどの様に受け止めているか。受け止めるべき正当な要
求として認識されているのか。また、当時どの様に対応されたのか明らかにされたい。
○S児の「給食をみんなと一緒に食べたい」や「プールで泳ぎたい」は当然の思い
であるが、「N教員の担任外し」を条件とするTの要求がある以上、一貫してN教
員を担任から外さないという校長の考えとは相容れず、市教委としても、TとN教
員の関係修復なしには糸口は見いだせなかった、と考えた。
<再質問2−①>
「N 教員を担任から外す」という要求について、正当なものなのか?市教委の見解を明
27
らかにされたい。
<市教委回答>
○正当な要求とは考えていない。なぜなら、学級崩壊とか、担任として学級を指
導できないという状況にはなっていなかったからである。この場合、児童との
信頼関係や保護者との関係修復を取り戻す方向で考えていくことが、通例と考
えられた。
<質問②>
6 月 20 日以後、校長は市教委へ協力要請(仲介)を行なっている。それに対して、市
教委も T への対応を行なったと議会への報告でも話していたが、事実は T に会う事を拒
否されただけに終わっており、その後は学校にお任せとなっている。こうした市教委と
しての姿勢が正しかったと考えておられるのか明らかにされたい。また、T と学校は S
ちゃんの姉が在学中も子供の指導内容について幾度となく意見を交わしたり、市教委へ
も T が直接訪問するたびに学校教育課の指導主事が対応されている。そうした状況も校
長は赴任された際、前校長から引継ぎを受けていると考える。そうした過去の経過を踏
まえたうえで今回の対応が適切に市教委として行なえてきたのか説明されたい。
<市教委回答>
【質問2-②】…6月20日以後、校長は市教委へ協力要請(仲介)を行っている。それに対し
て、市教委もTへの対応を行ったと議会への報告でも話していたが、事実はTに会うことを
拒否されただけに終わっており、その後は学校にお任せとなっている。こうした市教委とし
ての姿勢が正しかったと考えておられるのか明らかにされたい。
○市教委として、学校とTが会うための日の設定を図ったが行き違いにより、Tの
「N教諭の今後の誠意を見る」とのかたくなな対応の中で、「正しい」「正しくな
い」というより、関係修復についてどうすることもできなかった。
○決して、お任せということではなく、以下の対応を継続していた。
・6/20、話し合いの件で電話をするがTより「もういい」と断られる。
・6/21(土)にも、「もういい」と断られる。
・6/23(月)、会えるかもしれないということで、学校長、担任と市庁舎で待つが、
Tが来ないので、電話をすると「Nの誠意を見る」ということであり、会えなかっ
た。
○会えなかったので、I教諭、N教諭から話しを聞き、学校長とその後の方向性に
ついて協議を継続した。
【質問2-②-2】…(Sちゃんの姉をめぐる)過去の経過を踏まえたうえで、今回の対応が
適切に市教委として行えてきたのか説明されたい。
○市教委が、Tと担任の関係修復に積極的に関わるべきであった。
28
○事前指導の問題点の整理をし、不適切な発言をしたことについて、S児に謝るこ
とにより、Tとの関係修復へと向かう糸口を見つける取組にも目を向け、市教委も、
学校と共に家庭訪問するなど関わるべきであった。
<再質問2−②>
市教委でも困難に思える T との関わりはこの段階で明らかである。校長の協力要請にこ
たえ切れていない市教委の現状をどう総括するのか。
<市教委回答>
○市教委が中に入って仲介がうまくいかない状況の中で、他の力(人、団体)を
積極的に借りて関係修復を図ることを実行すべきであった。
<再質問2−②−2>
何故関われなかったのか。「事前指導」内容をマイナス(不適切)と決めつけ S に対応
する事が正しいのでしょうか。N は、何を意図して語ったのかを問い返してこそ、S と N
及び T の共通理解を生むのではないでしょうか。T と関わりがあった杉田指導主事がもっ
と前面に出て関わってほしかった。何故、それが出来なかったのでしょうか。
<市教委回答>
○市教委として、5/23 の事前指導の事実確認ができていなかったため、Nの指導
内容に対する思いをTに伝えることができず、また、Tの思いをNに伝えるこ
ともできなかった。
○関係修復と言いつつ、問題の本質である事前指導の中にある問題性を追及しな
かったことに課題がある。
3、
7 月 10 日の学級懇談会をうけ翌 11 日職員会議において N 教員と I 教員の意見の対
立により対応策が具体化できず会議を終了している。その直後に T から学校に電話が
入り抗議のため来校している。その後、市教委から校長に数点の指導助言がされた中
に夏休み中の「障害児教育の研修」があったことはこれまでの報告で分かる。そうし
た中、8 月 27 二階堂養護学校の校長を迎え職員研修が取り組まれている。しかし、N
教員は欠席している。
二学期が始まり、引き続き S ちゃんの登校を実現するべく学校の取り組みが行なわ
れる中、9 月 29 日に教育委員と市教委幹部が学校を訪問し話し合いが行なわれている。
その点について、今年 2 月 26 日の天理市議会全員協議会において、市教委からの「二
階堂児童不登校についての報告書」には次のように記されている。「・・・9 月 29 日
(月)には、教育委員が学校訪問をし、教育委員、教育長が、この問題を全校で取り
組むよう強く促すとともに、職員と懇談した。担任には、連絡帳を届けるのは最低限
の担任の職務であること、大事なのはまず子どもである。子どもには何も罪はなく、
子どもの登校を、まず第一に取り組むのが大事であると指導した。具体的には、担任
29
から子どもへのコメント内容について指導するとともに、担任からのコメントを届け
続けるよう校長に指導した。・・・」
<質問①>
今回の問題は養護学校との交流教育における事前学習の内容が問われたものです。に
もかかわらず N 教員が研修に欠席したことをどのように受け止めたのか。当時、市教委
として欠席した N 教員への指導助言はどのように行なっていたのか明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問3-①】…N教員が(夏の障害児教育に関する)研修に欠席したことをどのように受
け止めたのか。当時、市教委として、欠席したN教員への指導助言はどのように行っていた
のか、明らかにされたい。
○事前の経過をたどれば、8/6の登校日に、職員に対し、研修会について周知をお
こなうよう、市教委として、校長に確認をとった。
○N教員の欠席については、事後に、市教委が学校長に確認をし、特休の届けによ
り欠席していたことを知った。校長は事前に把握していたが、事前の相談等はなか
った。
○市教委として、直後、担任へ指導はしていないが、後日、注意を行う。
<再質問3−①>
指導内容が大切。何故研修を行うのか。研修課題を明確に示すことが市教委の責務では
ないか。それが無ければ、研修会開催を指示した意味が無い。その内容があってこそ N へ
の指導が行えるのではないか。
<市教委回答>
○Nの障害児教育についての認識に問題があり、市教委として、職員に一連の流
れを伝えること、障害児教育についての研修を持って欲しいこと、人権教育の
見直しをし、交流会の進め方と指導計画の見直しを行うことを、6月以降、校
長に話しをしていた。
○7 月末、8/27 に障害児教育に係る研修をすることを校長と相談し、決める。
○研修内容については、校長が養護学校長への講師依頼をし、市教委としても、
養護学校長から、研修内容として、障害児を持つ親の思いを話すことなどを確
認している。
○夏の休業に入ったこともあって、職員に 8/27 の研修について周知していないこ
とがわかり、8/6 の全校登校日におろすよう指示をし、N教員にもその旨しっか
りと伝えるようお願いした。
<質問②>
教育長は、毎日新聞の記事で「女児を早く学校に復帰させたい思いはみんな同じだが、
30
ワンテンポ遅れている」とのコメントを載せている。9 月 29 日の学校訪問においても同
じような発言(指導?)をして来た事は、これまでの議会での協議でも明らかであるが、
現場の教員は一方的な叱責と捕らえていることが 3 月 6 月の文教民生委員会における委
員の方から指摘されてきた。そうした認識のずれを解消するためにも学校現場における
具体的取り組みについて市教委がいかに把握できているかが問われる。改めて、学校現
場がいかに取り組んでいたかを現場教員との協議を通して明らかにしていただきたい。
とりわけ、市教委が課題を与えたとされる夏休み以降 2 月期の初期(教育長訪問まで)
の学校の取り組み(S ちゃんへの呼びかけや 9 月 15 日の PTA3 役との話し合い等)を明
らかにしていただきたい。
<市教委回答>
【質問3-②】…そうした認識のずれを解消するためにも、学校現場における具体的な取組
について市教委がいかに把握できているかが問われる。改めて、学校現場がいかに取り組ん
でいたかを現場教員との協議を通して明らかにしていただきたい。とりわけ。市教委が課題
を与えたとされる夏休み以降2学期の初期(教育長訪問まで)の学校の取組(Sちゃんへの
呼びかけや、9月15日のPTA三役との話し合い等)を明らかにしていただきたい。
○夏休み期間中の取組については、一つ目は、地区別水泳に近所の児童が誘って共
に参加すること。このことについては、担任から関係の保護者に依頼したが、うま
くいかなかった。二つ目は、Sちゃんの学力補充の計画を作成し実施の方向であっ
たが、Tに示すことができず、うまくいかなかった。
○9/15、T及び管理職とPTA4名が入り、会議をもった。詳細は不明だが、S児
の2学期の登校をどうするのか、どのように登校・学習をするのかについて話され
たと聞く。
○2学期の運動会への参加については、Sちゃんの祖父の働きかけがあり、Sちゃ
んが運動会に参加しやすい環境をつくることについて、学校と話し合いが進められ
た。担任が3学年全員の前で、「Sちゃんが学校に来れなくなったのは自分に原因
があり、Sちゃんが登校できるようになったらみんなで支えてほしい」旨の話しを
する原稿づくりなども行った。9/19、運動会練習の前日、N教員から3年生全体に
Sちゃんについての話をし、Sは9/20の練習と9/21の運動会に参加した。
<再質問3−②>
この話し合いを持つきっかけとなった取り組みや会議の内容を不明とする市教委の現
状は問われないのか。また、PTA4 人ではなく PTA3 役と祖父の参加である。これらは、市
教委が学校の取り組み、努力を認識できていなかった事の表れではないか。9 月 12 日に教
頭より T 宅に電話し、対応に祖父が出た事を機に話が進んでいる。そうした中で、T が PTA3
役との話し合いの要請を行っている。こうした取り組みの中、N と祖父との話し合いが行
31
われて、N が学級で S の話をすることになった。後に、祖父から N の話の内容に対する文
章化(原稿つくり)の要求も出されている。そうした事実経過を踏まえることなく 9 月 29
日の学校訪問が行なわれている。教育長の言う当時の「指導」という内容は教職員にとっ
て納得しがたい「叱責」という印象をもたらした事は議会でも明らかにされてきた。しか
し、市教委はそうした認識を今もなお持っているのか疑問である。いかがか。
<市教委回答>
○学校が保護者と連携・協力しながら、Sの運動会への参加について準備を進め、
参加できたことに対し、市教委として認識をし評価もしていた。
○「叱責」ととらえられた内容は、運動会に向けての取組が、以後のSの出席に
つなげられなかったのかという主旨での問いかけの内容であったと理解してい
る。
○したがって、訪問の際に、職員ともその後の具体的な取組について相談できれ
ばよかった、と考えている。
4、
市教委からの「二階堂児童不登校についての報告書」及び「顛末」では、「10 月 8
日(水)Ⅰ教諭の希望により、教育長、教育次長、学校教育課長が本人の思いを聞き
解決に向けての取組を指示する。10 月 30 日(木)担任と教育長、教育次長、学校教
育課長と会い、本人の思いも聞きながら解決に向けて取り組むよう指示する。11 月 14
日(金)には、教育長、教育次長、学教課長が、校長同席のもと、母・祖父と懇談し、
収拾を図ったが不調に終わった。12 月 5 日(金)以降、これまでのことと今後のこと
について、校長、教頭、担任、関係教諭と協議・指導するとともに、母親と懇談した
り、校長、教頭と家庭訪問したりした。」「2 学期には、担任からのコメントを届けた
り、学級の子供たちの手紙やビデオレターを届けたりしたが、S 児や保護者の心に響
く事は無かった。12 月 4 日(木)個人懇談会で、担任と保護者が激しく対立する状況
になった。7 月 10 日からこの時点まで、担任と保護者は会わずに経過した。」と記さ
れ、10 月 1 日以降の経過が示されている。
<質問①>
11 月 14 日の話し合いについて報告書では「・・・収集を図ったが不調に終わった。
・・・」
とされている。どのような協議であったのか明らかにされたい。学校に「汗をかけ」と
指導してきた市教委の力量でも無理な状況・課題とは何であったのか明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問4-①】…11月14日の話し合いについて、報告書では「…収拾を図ったが不調に終わ
った。…」とされている。どのような協議であったのか明らかにされたい。学校に「汗をか
け」と指導してきた市教委の力量でも無理な状況・課題とは何であったのか明らかにされた
32
い。
○協議内容は、打開策を探るものであったが、T側は「担任を外す」という条件の
主張は変えられず、協議は不調に終わった。
○課題は、Tの解決への条件が「担任外し」以外に選択がなかったことと、一方で、
校長として、Nを担任から外す考えはなかったことで、両者、歩み寄ることが困難
であったことである。
○背景には、N教員の兄の「抗議」が、Tには、N教員の「態度」と思われ、怒り
を収めることができなかった、と思われる。
<再質問4−①>
「担任外し」への市教委の主体的姿勢・見解は何処にあるのか。また、市教委の N の兄に
対して、なすべき責任は何であるのか、他人事になってはいないのか。
<市教委回答>
○先の回答では、「担任外し」を受け入れない姿勢を学校長の姿勢と書いたが、
11/14 の話し合いの中で、「担任外し」に対し、学校長の意見を求めると同時に、
市教委としても同意見である旨をTに伝えた。
○「Nの兄に対してなすべき責任」は、十分に話をするべきであった。
<質問②>
12 月 4 日の個人懇談会の状況を「顛末」でも明記されているが、激しく対立した内容
について明らかにされたい。その後、T および N 教員にどのような対応を市教委として
行なってきたのか具体的に明らかにされたい。
また、個人懇談会への T の出席に関わり教頭は T が勤務していた幼稚園の園長に対し、
T に出席を促すよう協力を求めている。その際「来なかったら、N 教員の思う壺である」
と言う内容を話し、この件について後に市教委が教頭に厳しく指導されたと言う話が聞
かれるが事実関係を明らかにされたい。事実とすれば、学校現場における教員同士の関
係に深い混乱があったと察しがつく。それらを踏まえた市教委の指導がなされてきたの
か明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問4-②】…12月4日の個人懇談の状況を、…、激しく対立した内容について明らかにさ
れたい。その後、T及びN教員にどのような対応を市教委として行ってきたのか具体的にあ
きらかにされたい。
○「激しく対立」とは、個人懇談の場に、前日まで欠席するとしていたTが、それ
までの感情的な対立が収まらないまま、仲介の者も誰もいないまま、懇談にTが突
然あらわれたので、両者口悪く、「何をしに来た」「担任として認めていない」な
ど、ののしり合いになった。同席した校長は、幾度か、争いを制しした。
33
○TとN教員2人から個別に聴取。
○N教員に対し、「いくら感情的な対立があるとしても、教員としてとるべき態度
ではない」と指導主事同席のもと学校長が口頭注意をした。
○Tからの「2学期中にSが登校できる状況をつくように」との要望を受け、市教
委として、まずは、Sと担任の関係修復に向けて、「父や祖父と同席(母親抜き)
で担任と子どもを会わせたい」という提案をした。結果は不調であった。
【質問4-②-2】…Tの出席に関わり、(教頭の対応に対し)、この件について、後に市教
委が教頭に厳しく指導されたと言う話が聞かれるが、事実関係を明らかにされたい。事実と
すれば、学校現場における教員同士の関係に深い混乱があったと察しがつく。それらを踏ま
えた市教委の指導がなされてきたのか明らかにされたい。
○Tは個人懇談には出席しないと前日までしており、なぜ懇談に行くこととなった
かについて、Tに話を聞くと、懇談の当日の朝、教頭から連絡があり、個人懇談に
出席した方がいいとアドバイスがあった、とのことであった。もちろん、学校とし
て、そうすることについてなんらの協議もなかった。
○教頭の行為は、校長と相談することなく、解決への見通しのないまま、混乱を助
長するものでしかなく、学校長を通じて教頭を厳しく指導した。
○それまでN教員と教頭の反駁があり、これを契機に、教頭が積極的に問題解決に
あたることをN教員ともども、市教委として調整をした。また、指導主事が、I教
諭の思いなどを聞き、解決への糸口を探る取組を行った。
<再質問4−②>
「ののしり合いになった」というこの報告は誰から受けられたのか。
「T と N 教員 2 人か
ら個別に聴衆」とあるがいつされたのか。12 月 15 日市教委へ校長を呼び出し、その場で
N に対する電話による口頭指導を指示し、その結果を踏まえて天羽指導主事と校長が T 宅
を訪問している事が分かる。その際、「父や祖父と同席(母親抜き)で担任と子供を会わ
せたい」という提案をされたとある。この提案内容への思いを明らかにされたい。
<市教委回答>
○「ののしり合いになった」というのは、校長室に待機していた指導主事が、教
室を出て校長室を訪れたTより直接聞いた。また、Nからは、12/12 に、校長室
で、教頭同席のもと、指導主事が聞き取った。
○「父や祖父と同席(母親抜き)で担任と子供を会わせたい」という提案の主旨
は、NとT、NとS児の関係修復を同じ場では困難なため、別々に設定しよう
としたもの。
<再質問4−②−2>
何故、教頭はこのような連絡をしたのか。学校長を通じてではなく市教委は直接指導し
34
なかったのか。しなかったとすれば、それは何故か。また、N と教頭をどのような内容で
調整されたのか。
I 教員の思いとはどの様なものか?何故 I 教員なのか?校長や人推教員の思いは受け止
めようとしなかったのか。
<市教委回答>
○「(個人懇談会の)案内が来ているのに、お母さんから来ないというのは、立
場が悪くなる。」という主旨の連絡を教頭がTに入れている。何故、教頭が、
そのような事をTに入れたかについては、わからない。
○なぜ「直接指導しなかったのか」については、教頭の直接の上司が指導すべき
と、当時考えていた。
○「Nと教頭の調整」とは、12/12 頃、指導主事が学校を訪問し、校長、教頭とN
が同席のもと、教頭から「6 月の頃、Nから『教頭の言うことは聞かない』と言
われたので、この件でNへの働きかけをやめた。」と聞き、また、Nからは「そ
んなことは言っていない」との発言があったが、「この問題に対し、2人が協
力し、学校としてまとまらなくては解決しない」旨を指導主事が伝えたこと。
○「I教員の思い」とは、母親の代弁者として、N及びNの兄を許さない立場か
ら、今もって、Nが反省の姿勢を見せない苛立ちと、本件が解決しないことへ
の不満。
○「何故、I教員なのか?」については、Tに信頼のあるIを糸口にして解決に
結びつけようとしたからであり、このことについては、学校長の方針でもあっ
た。また、市教委としては、異なる言動のあったN、教頭、Iを結びつけるこ
とが、問題解決には必要と感じたからでもあった。
5、
「顛末」では「3 学期に入り、人権教育推進教員が主となって、級友とのなかまづ
くりや学力補充を中心に取り組み、S 児がスムーズに学校へ登校できるように、また、
安心して4年生を迎えられるように提案するべく、教育委員会も一緒になって話し合
い、校長から、日の設定を保護者にお願いしていた。」と記され、学校と市教委の天羽
指導主事が協議し S ちゃんの学力保障について具体化する取り組みがあった事を議会
においても報告されている。
<質問①>
2 月 5 日に天羽指導主事との協議を受け、翌 6 日に S ちゃんへの学力保障についての
プランが作成されている。しかし、保護者との話し合いがうまくいかなかったとある。
どのようなプランを示し、どのような食い違いにより合意がなされなかったのか、S ち
ゃんを中心にと言いながら回り(T・学校・市教委)はそうした視点で行動ができてい
るのか、天羽指導主事を始め、市教委はどのように受け止めてきたのか明らかにされ
35
たい。
<市教委回答>
【質問5-①】…2月5日に天羽指導主事との協議を受け、翌6日にSちゃんへの学力保障へ
のプランが作成されている。しかし、保護者との話し合いがうまくいかなかったとある。ど
のようなプランを示し、どのような食い違いにより合意がなされなかったのか?Sちゃんを
中心にと言いながら回り(T・学校・市教委)はそうした視点で行動できているのか?天羽
指導主事を始め、市教委はどのように受け止めてきたのか明らかにされたい。
○12/4以後、と天羽指導主事の間で、大人の問題とSちゃんの学力保障を分けて考
えられないかについて協議したものの、うまくいかず、一旦、立ち消えとなった。
○1/20母親が来校しての校長側との懇談の中で、大人の問題とSちゃんの学力保障
を分けて考えることにTからの申し出があり、Sちゃんを中心に考えるという視点
で一致した。
○人推教員が中心となり学力補充プランを作成した。Tへの提案の仕方についても
詳細に検討をし、無理をせず、相手の立場に立って進められるようにしたものであ
った。
○2/9の夜、担任を含めて学校側がプランの提案方法を協議し、学校長が、学力補
充の相談で家庭訪問をしたいとTに電話をしたところ、「月曜という約束はしてい
ない」、と訪問を断られた。その後、Tが「学校に行く、O、Iを学校に来てもら
ってほしい」ということであったが、混乱が予想されたので、解散をした。
○2/10より学校長の体調の不調による欠勤や、会議、祝日、など、取組の具体化が
すすまなかった。
○Sちゃんを登校させたいという思いでは、市教委、学校、Tともにあったと思う。
<再質問5−①>
天羽指導主事・校長・人推教員の S ちゃんへの学力保障に対する積極的姿勢がうかがえ
る。しかし、T の姿勢が理解できない。プランが作成された 2 月 6 日に校長は T に連絡し
2 月 9 日の日程を約束した事が市教委でも明らかにされてきた。では何故、その約束が反
故にされたのか。また、T が「O 教員・I 教員(共に二小)を同席させ話し合いたい」とい
うのはどのような意味を持つのか。それに対して市教委は、「混乱が予想されたので解散
した」としているが、どの様な混乱が予想されたのか明らかにされたい。
<市教委回答>
○「約束が反故にされた」のは、「Tが約束していない」と電話口で断ったため。
○Tが「O教員・I教員を同席させ、話し合いたい」という意味は、校長、教頭、
担任、人推2人及び指導主事が同席する中でTが話をする場合、信頼のあるO
教員、I教員を同席させたいと考えたからだと考えられる。
36
○「混乱が予想されたので解散した」とは、Tが「約束をしていなかった」と話
し合いを反故にしようとする意図が感じられ、6/3、12/4 の再現がなされるので
はないか、そして、せっかくの学力保障プランが生かされないのではないかと
いう恐れがあったため。また、Tが以前のように、次々と身内やPTA役員等
を呼び出し、結果として、学力保障プランが進められなくなるのではないか、
と恐れたため。
6、 2 月 13 日毎日新聞で二階堂小学校に関わる記事が掲載される。
平成 16 年 2 月 13 日(金) 毎日新聞
天理の小学校
担任が障害者差別発言
学校、市教委は″放置″
奈良県天理市の市立小学校の男性教諭(47)が昨年 5 月、担任する 3 年生の授業でクラス
の女児(9)の姉が養護学校に通っていることに触れたり、障害者を差別するような発言
をし、ショックで女児が半年以上も不登校になっていることが 12 日、分かった。この教
諭は「女児が学校に来れば謝る」との姿勢を変えず、家庭訪問もしていない。学校と市教
委も、事実を把握しながら打開策を講じていない異常事態となっている。(27 面に関連記
事)
学校などによると、教諭は昨年 5 月.養護学校との交流授業に向けた事前学習で、女児
に「お姉ちゃんが(養護学校に)行ってるよね」と発言。
「養護学校の生徒にはよだれがつ
いていることもあるが、犬や猫のよだれに比べてまし」
「手をつながなくてもいいが、つな
いだ方がいい」などと話した。
女児の保護者の抗議に教諭は「姉の話は女児が出した」と主張。後に校長や母親らに「自
分から言った」と認めたが、「場を収めるために言っただけ」と発言。女児は母親に「『う
そはいけない』と言う先生が、うそをついた。先生が怖い」と訴え、6 月上旬から登校し
なくなった。
学校側は直後に、別室に登校してもらう措置をとり、校長が女児に「昼食時は別の教諭
を充てるので、クラスに戻って一緒に食べられるようにする」と約束した。しかし教諭が
「担任は教室を空けられない」と拒んで実現せず、女児は「校長先生もうそをついた」と
7 月上旬から再び欠席。以後は数回登校しただけ。
学校によると、教諭に女児への謝罪を求めたが、自分から出向くことを拒否するなどし
たという。学校は「教諭への指導に限界を感じる」と市教委に相談した。
市教委は「保護者と教諭が歩み寄る努力をしてきたが、ことごとくうまくいかなかった」
とこれまでの対応の不十分さを認めたが、
「他の児童とは良好な関係。資質は不十分だが粘
り強く指導したい。年度途中に担任を変える考えはない」としている。
37
教諭は取材に「以前よだれを気にする児童がいたので話をした。犬や猫の例は失言だっ
た」としながらも、「女児が学校に来れば謝る」との姿勢を崩していない。
女児の保護者は担任が謝って誠意も示せば登校させたいと市教委に言っている。しか状
況は何ら変わらず、『先生か怖い』という娘を通わせられない」と訴えている。
行政の責任果たせず
教育評論家・尾木直樹さんの話
こんなひどい例は聞いたことがない。市教委は登校を最
優先し、担任を外すなどの措置を早急にとるべきだ。子どもの立場に立ち切れておらず、
教育行政の責任を果たせていない。
【阿部浩之、野村和史】
天理・差別発言
教諭
家庭訪問せず
「拒否された」学校無策
担任の男性教諭(47)の差別的な発言がもとで長期不登校に陥っている奈良県天理市の
小学 3 年女児(9)。
「早く学校へ行きたい」という願いがかなえられないまま、″空白の時
間″だけが過ぎる。
「女児が学校に来れば謝る」という教諭の態度に、学校と市教委の無策。
専門家は対応のまずさを指摘する。
教諭は取材に対し「理由が何であれ、自分が原因で子どもが学校に来られていないわけ
だから、誠心誠意謝りたいとは思っている。本人に会いたいと思い続けている」と話しな
がらも、自分から出向かない理由を「保護者の反発が強いうえ、校長から『機が熟してい
ない』と言われている」と語った。
「教諭に対し謝罪に行くよう求めたが拒否された」とす
る学校側の説明とは食い違っている。
学校によると、教諭はこれまで、女児の復帰を目指す放課後の話し合いや、問題を受け
て昨年 8 月に校内であった障害児教育の研修会にも、
「勤務時間外」とか「私的な理由」を
挙げて参加しないことがあった。
また、昨秋、校長らの強い指導で書き始めた女児あての「連絡帳」もすぐに中断してし
まい、クラスメートが時間割などを書き写して届けるだけになっていたという。
一方、教諭は女児の姉の話を自分から出したかどうかについて、
「今となっては検証する
こともできないでしょう。子どもたちに聞くわけにもいかないし。もともと女児の方から
出たと記憶しており、(女児が)どうしてそんなにショックを受けているのか分からな
い」とも話した。吉岡溥・市教育長は「女児を早く学校に復帰させたい思いはみんな同じ
だが、ワンテンポ遅れている」と対応のまずさを認める。
【阿部浩之、野村和史】
下村哲夫・早稲田大教授(学校経営学)の話
学校も市教委も何ら対処できていない。
校長は教諭に職務命令を出してでも一緒に家庭訪問し、感情のもつれを解くべきだ。教
38
諭の資質に問題はあるが、他の児童とうまくいっているのなら、直ちに担任を代えるのは
難しいだろう。
「子どもの人権と体罰研究会」代表の牧柾名(まさな)
・元東大教授(教育法)の話
学校に来られない子どもに「来たら謝る」は最悪の対応。女児は「誇り高く生きたい」と
の自我を持つ年ごろなのに感情を二重に傷つけられており、トラウマになることを恐れる。
担任を外すことも検討すべきだ。
視点
この問題は、女児の心が幾重にも傷付けられるという、あってはならない結果を生んで
いる。
市教委は「担任交代を主張する保護者と、それに反発するこの教諭の溝が埋まらない」
という。しかし、家庭訪問すらせず、女児復帰への努力が感じられない担任に親が怒りを
示すのは当然。いまだ女児に謝らず、反発し続ける教諭にこそ改善すべき点がある。
市教委は「他の児童と良好な関係にある教諭を年度途中で代えることはできない」とい
う。では女児の立場はどうなるのか。全体の学級運営のため 1 人の児童が泣き寝入りする
状況を学校現場はつくるべきではない。
責任は教育機関全体にある。
「新年度には担任を代える」では何ら解決したことにならな
い。女児の納得を得る方法を示し、心の傷を治して再び通学できる環境を今年度中につく
るのが関係者の責務だ。
【阿部浩之】
<質問①>
大見出しでは「担任が障害者差別発言」「学校、市教委は〝放置″」と掲載されてい
る。市教委からのこれまでの報告では、「差別発言」とされる内容の確認が十分にされ
ていない。N 教員の発言についてどのようにして確認されてきたのか?問題点がどこに
あるのか明らかにされたい。また、二階堂小学校が養護学校と交流教育を始めたきっか
けや目的と共に N 教員発言が学校現場においてどのように総括されているのか協議内容
を具体的に明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問6-①】…N教員の発言に対して、どのように確認されてきたのか?問題点がどこに
あるのか?明らかにされたい。
○学校からの報告書(指導記録/担任作成)により確認 。
○事前指導が十分準備されたものでないことから問題は生じていると考えられる。
発言内容についても、以前の交流におけるN教員の経験から、二小の子ども達にし
っかりと手をつないで養護学校の生徒と交流してほしいという思いのなかでの「イ
ヌ・ネコのよだれ」に関する発言であり、発言そのものは準備の不十分な、不適切
39
な発言であるものの、差別的であったとは思われない。
【質問6-①-2】…二階堂小学校が養護学校と交流教育を始めたきっかけや目的、N教員の
発言が学校現場においてどのように総括されているのか、協議内容を明らかにされたい。
○交流の始まりについては、「庵治方面を通学路としていた二養の子どもたちに対
して、二階堂小学校の子どもたちが差別的な態度をとっているという事実からであ
る。」
○目的としては、「『知らない』ことが差別や偏見を生んできた。子どもたちに二
養の児童と意識的に出会わすことによって、それぞれのもつ意識を問い、共に生き
るなかまとして、違いを認めあっていこうとするもの」
○N教員の発言の総括について…。
・最初から事前指導の内容についての確認ができなかった。そういう中で、犬や猫
のよだれを引き合いに出したということが大きく取り上げられ、
「差別発言」
「差
別的発言」「問題発言」等、報道された。
・私たちは事の発端当時から、事前指導の内容について事実関係を整理した上で、
問題点を明らかにしていくべきであると考えてきたが、その出発の時点で混乱が
起こり、日がたっても内容を議論するにはいたらなかった。
・ しかし、事実関係が整理できていなからといって、手をつけないのではなく、
はっきりとしている問題については、明らかにしていくことが今後の二養交流
や本来の「障害」児教育を、より発展させることである。次の二点についてま
ず、考えたい。
・ 一点目、「『犬や猫…』を引き合いに出していること。」
人間のよだれが汚いものではないということを、3年生の子どもたちに、わかり
やすく、しっかり伝えたかったのだと思う。よだれというものは、体内の浄化作用
を促すために出てくるもので不潔なものではないことは科学的にも証明されてい
る。しかし、「犬や猫…」を引き合いに出さなくてもその説明はできたのではない
だろうか。この言葉は指導者の思いをむしろ、かき消してしまう言葉ではなかった
だろうか。
・二点目、「どうしても抵抗があったら、無理につながなくてもいい。手をつなぐ
ことだけが、交流じゃないし、まず一緒に過ごすことが大切なんだから。」
今回の事前指導では、豊かな交流会にするための方向でけが、まず、獲得目標で
なければならなかった。指導の流れから言えば、「みんな気持ちよく手をつなげた
らいいな」とか「どうしたら良いかみんなで考えてみよう」ということになるだろ
う。言葉でいくらうまく接することができても、いざ「触れる」「共に活動する」
40
という場面になると、引いてしまうことは、子どもたちだけでなく、大人たちにも
ありがちなことである。そこで、子どもたちは自分の意識を問い、葛藤しながら考
えるのである。
「どうしても抵抗があったら…」。このように言われると子どもの心の葛藤はここ
で塞がれてしまい、混乱に変わってしまう。どのような授業でも、私たちは、子ど
もに何を伝えたいのか、明確な目標と指導の流れを持たねばならない。そして、常
に被差別の立場にある子どもたちに心を配りながら進めていきたいものである。そ
のことは、長い同和教育運動の中で培われてきた財産である。
これまでの二養交流のなかで、手をつながなかった子がいたり、不愉快な態度を
とる子がいたり、あるいは、とてもいい出会いがあったり等、そのことを個人まか
せにせず、全体に報告し、議論のテーブルにのせるべきであった。そうれが総括で
ある。そのことができていたらと思われてならない。
○協議内容については、研修資料を読み合わせをした後、職員個々の思いを出し合
った。後、総括へ向けて取組を進めている。
<質問②>
新聞内容では、N 教員が家庭訪問をはじめ一方的に謝罪を拒否しているとある。これ
までの市教委の報告(T が家庭訪問を拒否)との食い違いを感じざるをえない。新聞報
道が事実かどうかの確認は市教委の責務であることは言うまでも無い。これまでの本会
議等においても若干の議論はあったが、改めて報道内容が事実関係に照らしてどうなの
か?学校現場との確認を含めて具体的に記事内容を取り上げながら明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問6-②】…新聞報道では、N教員が家庭訪問をはじめ一方的に謝罪を拒否していると
ある。これまでの市教委の報告(Tが家庭訪問を拒否)との食い違いを感じざるを得ない。
…新聞報道が事実関係に照らしてどうなのか?学校現場との確認を含めて、具体的に記事内
容を取り上げながら明らかにされたい。
○「学校によると、教諭に女児への謝罪を求めた」が間違いで、「担任は、求めら
れるまでもなく、当初から一貫して謝りたいという思いを持っていた。」
○「自分から出向くことを拒否する」及び「謝罪に行くよう求めたが拒否するなど
した。」とする記事を合わせると、回りの働きかけを一切無視して、「来れば謝る」
という不遜な態度を取り続けたことになっている。
同僚からは、家庭訪問を促す働きかけがあったかもしれないが、「校長が指示
した」ことはなく、かつ、「当初は、Tの思いが強く、家庭訪問できる状況にない
と思われた。」ことと合わせると、一貫してN教員は「拒否」したことは誤りと言
える。
41
また、「仲介をたてて、落ち着いて母親と話し合いたい」「母抜きで子どもと
会って謝りたい」とも言っており、相当ニュアンスが違っている。
○以上のことから、「教諭への指導に限界を感じる」という記事も誤りと言える。
○「学校によると」など、学校長が言っていない内容について、そういう表記を使
っている。
○「連絡帳もすぐに中断してしまい、」は「コメントは続けたいが、その都度、T
より、校長を通じ意見が出されたため、校長の指示でひかえることになった」が正
しい。(「Iや親から、校長が責められるのはわかっているので、校長に迷惑をか
けまいと、校長の言うとおり、コメントをひかえている」と担任は言った。)
<再質問6−①・6−②>
新聞の大見出し「担任が障害者差別発言」「学校・市教委は放置」とし、文中でも「N
教員が家庭訪問を拒否」とある内容に対して、事実と食い違っていると認識しているにも
かかわらず、市教委は具体的・積極的に新聞内容への対応(新聞社への抗議や真相表明等)
がなされていないのは何故か。
<市教委回答>
○教育長は記者に対して直接、事実が偏っており、一方的であることを、抗議し
ている。しかし、具体的、個々の記事内容についての訂正というところまでは
対応していない。
..
○新聞の記事の表現が「学校などによると」とか「学校側は」など、誰の発言な
のかを特定できないようなあいまいな表現が見られ、直ちに間違いであると言
いにくい部分も多くあったため。
○また、「犬・猫よりまし」など、Nの残している記録とは異なる記事について
も、客観的な事実関係を確定できていないことから、積極的な対応ができなか
った。
7、 新聞記事掲載後の取り組みについて市教委の「報告書」
「顛末」では次のようになっ
ている。
「2 月 13 日(金)本日より自宅待機するように担任に指示する。校長が病気休暇中な
ので教頭と教育委員会が相談し学校運営にあたる。職員会議を早急に開き学校の方向
性を決めるとともに、PTA 役員と協議し保護者説明会を開催することを指示する。2
月14日(土)校長宅を教育委員長、教育長、教育次長が訪問する。2月16日(月)、
全校集会において全児童に教頭より話をする。2月18日(水)、校長が出勤し、職員
会議で 2 月 20 日(金)に当該学級の保護者会開催、2月 22 日(日)に保護者会の開
催が決定される。2 月 19 日(木)「当該学級の指導体制づくり、保護者会の持ち方に
ついて」職員会議が開催される。2 月 20 日(金)臨時教育委員協議会を招集する。夜
42
開催の当該学級の保護者会の開催について、校長と指導主事が担任宅を訪問する。午
後 2 時に学校に戻り、午後 3 時頃校長が外出した。午後 4 時頃、校長が学校に戻らな
いとの連絡を受け捜索するが、5 時頃、死亡の連絡が入った。夜に、当該学級の説明
会を開いた。2 月 21 日(土)、カウンセラー2 名を教育総合センターより該当児童宅
を訪問させる。
「今後について」職員会議が開催され教育委員会からも指導主事を派遣
する。2 月 23 日(月)、全校集会が開催される。市単講師を配置するとともに、2
名のカウンセラーを学校に派遣し、当該児童宅には継続的にカウンセラーを派遣する。
なお、今後、県費講師も派遣予定している。2 月 14 日(土)、16 日(月)、21 日(土)、
22 日(日)、23 日(月)、24 日(火)担任宅を訪問し指導する。3 月 1 日より担任は、
奈良県立教育研究所で臨時特別研修を開始する。3 年 1 組に派遣された講師を含め
て、3 年生担当でチームを組み、家庭訪問を始めた。3 月 11 日(木)S 児が登校し始
める。その後、t 講師が学力補充のために家庭訪問を続け、24 日に終了式を迎えた。
春休み中も学力補充の家庭訪問を実施した。」
<質問①>
市教委の指摘により 15 日(日)に職員会議が開催され、新聞報道について及び保護
者会に向けて行われている。議論の内容を具体的に明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問7-①】…市教委の指摘により、15日(日)に職員会議が開催され、新聞報道につい
て及び保護者会に向けて行われている。議論の内容を具体的に明らかにされたい。
○内容としては、まず、教頭により本件の全体の経過が職員に説明され、補足的に
Iが話した。数人の教員からの発言があった。また、子ども達にどうおろすのか、
保護者にどう説明するのか、そして、どのように2/20の保護者会でおろすのか、協
議した。2/16の保護者参観後の懇談は、教頭がすべてのクラスを回って中止するこ
とを伝えること、等。
<再質問7−①>
新聞報道後に行なわれた職員会議は天羽指導主事の参加のもとで行なわれている。その
際、事実経過等に対する教職員からの疑問や意見交換はなされなかったのか。
<市教委回答>
○事実経過に対して、「事実と異なることや感想はないか」との問いに対しては、
誰からも発言はなかった。
○教職員からの疑問や意見交換(以下、天羽指導主事のメモより)
・「関係を修復して欲しい」という主旨での意見。
・「(教頭に対し)学校として、校長と相談してきたのはどんなことか」。
・(との質問に答えて教頭が)「1学期はカウンセリング登校、夏休みは地区
43
別プール(Sが来れなかった)、夏の家庭訪問による学力補充は、O先生の
みであった。9月、10 月は教頭、I教諭がTに対応し、連絡帳のみになり、
今にいたっている。」
・「教委からは、具体的に指導を得られないままだと思っている。」
・人推から「Nからは、夏休み前に、休み中のSの学力補充について相談があ
り、Tに連絡したが、時間がないということで断られた。家庭訪問も、自分
のいないときはやめてほしいと断られた。自分の反省もあるが(進捗につい
て)何度も確認すべきだったし、教頭にもそうして欲しかった。」
・今回の発言で差別性はどこにあり、また、実際、差別発言なのか。障害児教
育をどうしていくのか。職員研修をどうしていくのかが課題だろう。
・(教頭から)障害児教育の問題は、年度末の総括の中で話し合いたい。
・問題解決のネックとなっているのは、障害児教育をどうするかではなく、N
が「ウソをついた」ということに焦点を当てて話をすすめるべきではないか。
・(教頭)今後、「Sの気持ちを確認したうえで、学校長と連絡をとりながら、
学校として対応していく」方向でいいか、の確認。具体的には、人推が関わ
る中で進めていく。
・「校長がいない」とか、「連絡がとれない」、「わからへん」では…(事が
進まないだろう)。
・(2/13 に担任の代わりに該当クラスに入ったID教員)「担任が休みであっ
たが、児童は変わりなく過ごしてくれた。子供も頑張ったし、保護者も目を
細めて見てくれていた。(自分も含め)大人の不甲斐なさを感じた。全体の
先生方の力を借りて、Sが来れるように、心を割って職員の中で話ができな
かった。4時間目、5時間目には、子どもたちから『(N)先生来やへんの』
という、心配する声が聞かれたので、明日が心配です。」
・教育委員会としてのスタンスを求めようとする意見に対して、人推から「教
育委員会の指導に乗るのでは上滑りになるのではないか(自分で考えるべ
き)」
・この後、保護者や子どもたちにどのようにおろすかについての議論が続いた。
<質問②>
2 月 16 日(月)、川口課長が学校(教頭等)と校長が暫く休むことや N 教員の自宅待
機について報告と平行し、天羽指導主事が N 教員宅を訪問し自宅待機を進めるも合意で
きなかったことが明らかになっている。翌 17 日天理市教育労働者組合委員長の稲葉氏
が村上次長を訪問し新聞記事に関わっての見解を求めている。その際、村上次長は「今
日 N 教員が学校へ出勤した。今後来るようなことがあれば、処分として職務命令を出す
つもりである」と答弁していることが稲葉氏から明らかにされている。新聞報道された
44
ことを N 教員の「出席停止」という処置で事象の鎮静化を図ろうとしたのか明らかにさ
れたい。
一方、2 月 14 日(土)教育長等が校長宅を訪問されているが、協議内容を明らかにさ
れたい。その際、校長が 17 日から出勤を申し出たが慰留されたと聞く。ところが、17
日に N 教員が出勤したことにより一転して校長に登校を促し N 教員への「登校を見合わ
せる指導」を要請されたのは事実か明らかにされたい。こうした市教委の動きは「事実
関係を軽視し、新聞報道に翻弄され、事態を一層深刻に導いた。」と受け取れるが見解
を聞きたい。
<市教委回答>
【質問7-②】…新聞報道されたことをN教員の「出席停止」という処置で事象の鎮静化を
図ろうとしたのか、明らかにされたい。
○「出席停止」では無く「自宅待機」であり、「事象の沈静化を図ろうとした」の
ではなく、新聞報道後の混乱をN教員の出勤により、より深めないようにとの意図
であった。
【質問7-②-2】…2月14日(土)、教育長等が校長宅を訪問されているが、協議内容を明らか
にされたい。その際、校長が17日から出勤を申し出たが慰留されたと聞く。ところが、17日
にN教員が出勤したことにより一転して校長に登校を促し、N教員への「登校を見合わせる
指導」を要請されたのは事実か明らかにされたい。
○校長宅訪問の際の協議内容は、主旨は病気見舞いであり、表情などを見て、セキ
がでたり顔色の悪さが見られたので、週明けに病院に行くことをすすめ、医者の指
示にしたがって、もし検査が必要なら検査をし、治療が必要なら治療をし、その後、
出勤してもらえればいい。…というものであった。
○「校長に登校を促し…」とあるが、これはしていないが、2/17に、担任が出勤し
てきたので、校長から電話により「N教員に、登校を見合わせるよう話しをした」
ことは事実。
【質問7-②-3】…こうした市教委の動きは「事実関係を軽視し、新聞報道に翻弄され、事
態を一層深刻に導いた。」と受け取れるが、見解を聞きたい。
○『N教員の自宅待機』は、新聞報道による混乱を防ぐためのものであった。
<再質問7−②>
N の「自宅待機」が混乱を深めない処置といわれるが、N が出勤する事でどの様な混乱
が予想されたのか?逆に新聞内容を一方的に肯定する事になったのではないか。また、新
聞記事にすれば、教員を「自宅待機」にする事が出来るという様な、悪しき前例を生み出
してしまったのではないか。
<市教委回答>
45
○「予想された混乱」とは、報道関係の取材が自宅にも押しかけるなどの状況を
踏まえ、Nの出勤により「本人を出せ」という事態を招き、収拾のつかない状
態になることを懸念した。
○「『自宅待機』させることが新聞内容を一方的に肯定することになったのでは」
とご指摘のこともあるが、混乱を避ける事を優先せざるを得なかった。
○「新聞記事に乗せる=担任の自宅待機」という悪しき前例を作ったというご指
摘ではありますが、やはり、混乱を避けるための処置と言わざるを得ません。
<再質問7−②−2>
稲葉氏の報告にある村上次長の見解をどの様に説明するのか。また、校長は 2 月 18 日
に出勤し、午前中、稲葉氏に(17 日に)N 宅を訪問し、出席を見合わせる話をしてくれた
事へのお礼の電話を入れている。市教委は校長に休養を促したというが、校長に対するそ
の行動と言動は負担の強要としか見えない。この点をどの様に考えているのか。
<市教委回答>
○次長の見解は、Nの出勤により、より深い混乱を招かないためであった。
○2/17 のNの出勤に対し、市教委から校長へ、電話により「Nに出勤しないよう」
依頼したことは、ご指摘のように校長にとっては負担であったと考えられるが、
混乱を避けるために、電話をしてもらったのは事実である。前日の市教委の説
得にもかかわらず出勤したNへの電話は、結果的には、負担の強要になったか
もしれないが、学校長の力を借りて混乱を避けたいと考えたものです。
<質問③>
2 月 20 日校長と天羽指導主事が夜の学年保護者会にむけて内容整理のため N 教員宅を
訪問しているが、どのようなことを確認されたのか明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問7-③】…2月20日、校長と天羽指導主事が夜の学年保護者会に向けて、内容整理のた
め、N教員宅を訪問しているが、どのようなことを確認されたのか明らかにされたい。
○2月20日夜の保護者会については、これからの授業体制、学級体制、また、学力
保障の話を中心に話をすること。経緯等については話をしない。出席者は、校長と
教頭とし、担任は、学校長の指示に従って自宅待機すること。
○2月22日、10時からの保護者説明会について。体育館で、保護者のみの参加で実
施。学校側は、校長と教頭が出席。経過報告、現状報告、今後の取組等の話をする。
経過報告は、2月15日に教頭から職員に降ろしている中味で。
○基本的に、前日の職員会議での方向性をそのまま伝える形での確認であった。
○取材について。「自分の身を守ることを考えた。新聞に出たことで担任を追い込
んだ。私が悪い。『指導が入らない。』と伝わったが、本当は、事が進まないから
46
教委に相談した。名誉回復のために頑張る。」と校長が伝える。
○これまでの取組などの確認。当初、連絡帳には、当該児童の字で「書かんといて。」
という返事があったこと。担任が給食を運んだり、「おはよう。」の声かけをした
が、保護者から校長を通して、「一切、関わらんといて。」と言う強い申し入れが
あったこと。カウンセリングルーム登校で、I、T教諭と空きの先生で対応したこ
と。給食は、人推が当った。地区別水泳では、当該児童を誘ってくれるよう連絡。
留守もあり、北に住んでいる女の子5軒に連絡。
○これまでの校長から担任への指導についての確認。家庭訪問に行くように指導し
たのは、覚えている限りはない。S児から校長への「何で、担任代えられへんの。」
という発言を聞き、連絡帳をやめようとしたとき、「連絡を続けよ。」という指導
をした。結果、1日だけの中断で終わったが、一方、担任からのコメントについて
は、保護者からの強い申し入れによりやめさせた。当該児童から直接言われたこと
でもあり、「給食とプール外れてくれ。」と言ったが、俺が間違っていた。
○学年の取組について(担任から聞き取り)。5月23日以前の障害者理解のための
学習は、なかった。指導計画は、特になかった。学年での教材研究・打合せは、な
かった。2組は、事前指導をしていないと、2組の担任からは聞いている。
○担任から校長へ、「擁護してくれなくてもいいから、事実だけ伝えてほしい。気
持ちの代弁もいらない。」という励ましがあった。今は、無理してもらわなくても
良いという意味合いだった。
<質問④>
3 月 1 日から N 教員は県教育研究所において研修を受けている。4 月 1 日以降も 1 年
間、同所で研修を受ける事となった。研修課題はどの様に設定されているのか明らかに
されたい。今回の事象は障害児教育のあり方や交流教育に関わる課題を問われるものと
なっていることは言うまでも無い。市教委としてその課題を整理された中で研修計画に
反映されるべく県教育研究所に依頼されるのが必然である。市教委は、今事象をどの様
に課題整理され研修に生かされるのか具体的に明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問7-④】…(3月1日以降、4月1日以降の)研修課題はどの様に設定されているのか明
らかにされたい。…市教委は、今事象をどのように課題整理され、研修に生かされるのか具
体的に明らかにされたい。
○3月1日以降の研修は、「臨時特別研修」とい位置づけの研修であり、その研修テ
ーマについては、市が責任を持って、教育研究所の指導を受けながら決定していく。
盛り込むべき研修内容としては、まず、面談を毎日続けながら、指導主事とのディ
スカッションや人権・障害児教育・教員の責務等についての講話を実施するように
47
した。講話についての考察や、日々の研修報告を綴らせる中で、担任自身の「ふり
返り」や「気づき」、「今後の課題」を引き出した。また、福祉施設での実習など、
体験的な研修も含ませた。
○N教員は、4月1日以降の教育研究所における長期研修員となっているが、この研
究領域の設定については、研究員自ら希望をいくつか示し、教育研究所の幹部職員
よりヒアリングを受け決定していく。その後、研究主題(テーマ)については、担
当指導主事と協議して決定していく。
○N教員が「児童と教師が共に学び合う人権教育のあり方」についてを、4月1日以
降の研究テーマに設定したことから、3月1日以降の研修成果を伺うことができる。
この結果は、市教委が県立教育研究所と十分な連携を図ってきた証ともいえる。
<再質問7−④>
この問題の発端となった「事前指導」の内容、いわゆる「障害児教育」「共生教育」の
問題点が整理されていない。その課題を市教委として明らかにする事により N の研修課題
が具体化されるのではないか。その点を示せていないことは無責任ではないか。「研修を
受けたという形のみを N に求めているのか」と受け取られても仕方が無い。研修課題を具
体的に示すべきではないか。N が今後、「障害児教育」「共生教育」推進に向けて自らの知
識,スキル,態度を向上させるという具体的な営みを行う為にも県教育研究所にお任せで
いいのか問い返すべきでは無いか。
<市教委回答>
○「県教育研究所にお任せ」とありますが、確かに4月1日以降の研修課題の設
定については、N本人の意志と教育研究所のヒアリングによるものであり、市
教委の意図が反映されていないように見えますが、教育研究所のヒアリングに
あたっていただいた方は、3月1日からの1月間の研修実施に協力頂いた方で
あり、その1月間の内容を十分踏まえてのヒアリングをしていただき、また、
市教委としても、継続的に話し合いを持って研修の経過を見守って来ました。
したがって、決して、「お任せ」とは考えてはおりません。ただ、発端となっ
たNの発言や事前指導についての分析・整理が十分行えないままの中で、Nの
障害児教育に対する認識の不備や具体的な進め方に対する不備といった概括的
な整理の中で研修に入ったことも事実であります。
<質問⑤>
校長の自死という事態を招いたことについて、「学校長を支えきれず、教育委員会と
して反省しているところです。」とあるが、意思疎通が十分に取れなかった原因が具体
的で無い。学校と T については、S ちゃんの姉の教育に関わり市教委を巻き込んでの議
論がこれまでにもあり、問題意識の共有化は出来ていなければならなかった。にもかか
48
わらず、市教委はそうした認識をした上での適切な対応があったとは思えない経過とな
っている。また、こうした事態を招いた事への市教委の責任も軽くは無いはずである。
これまで、教育長は管理職の力量・対応の不備を強調されてきたが、自らの指導力が問
われていることについて明らかにされていない。一連の経過を振り返り市教委・教育
長・教育委員の責任の所在についてあるやなしや明らかにし具体化されたい。
<市教委回答>
【質問7-⑤】…校長の自死という事態を招いたことについて、…意思疎通が十分にとれな
かった原因が具体的でない。…これまで、教育長は管理職の力量・対応の不備を強調されて
きたが、自らの指導力が問われていることについて明らかにされていない。一連の経過を振
り返り、市教委・教育長・教育委員の責任の所在について、あるやなしや明らかにし、具体
化されたい。
○長期にわたって本事象が解決できなかったこと、また、支えきれず学校長を死に
至らしめたことについての責任を、市教委総体として感じている。
○市教委事務局の責任・課題としては、人権問題の解決に向けて、人権啓発課との
連携において制度的な形骸化の課題があったこと。そうした制度的な課題が問題の
本質(発端となった発言の問題性)を見極めることができなかった。また、市人教、
天人推協などとの連携の問題。
○情報収集にあたって、事実確認が不十分であり、情報の客観性得るまで追求する
姿勢に欠けた。
○問題の本質について、共通理解ができるまで寄り添ったかどうか課題である。今
回の場合、校長との話し合いはしたものの、寄り添うまではできなかったのではな
いか。
○教育委員としての責任について、その責任の自戒を込めて、代表である教育委員
長が教育長を訓告とした。
○教育長は、自らの責任を感じ、減給の処分を申し出た。
<再質問7−⑤>
2 月 20 日、天羽指導主事と校長が N 宅を訪問した際、校長は「本当は、事が進まないか
ら教委に相談した」と明らかにしている。相談された市教委が何故問題の解決に対して結
果を見出す事が出来なかったのか。市教委のトップをはじめ幹部が客観的事実確認を怠り、
その結果、偏った主観的意見(校長の対応がワンテンポ遅れている=教育長見解)に表れ
ているのではないか。市教委幹部自らがその力量や資質が問われていると考えられないか。
<市教委回答>
○新聞記事にある教育長の発言内容としての「ワンテンポ遅れている」について
は、ただ学校長のみがワンテンポ遅れているという意味での発言ではなく、「学
49
校・市教委すべての取組がワンテンポ遅れている」という意味での発言である。
○客観的事実の確認を怠ったというご指摘は、経過のいくつかの場面で認識をし
ているところであり、今後、教訓としていきたい。
○今後、学校支援会議を設置し、情報の収集・分析、対応について、教育委員会
内部の連携強化を図りたい。また、同時に、人権啓発課や関係機関・団体との
連携・協力関係を密にし、学校支援に生かしたい。
<質問⑥>
「顛末」に示される研修計画は、今回の事象がなくても計画できる一般論としての内
容に終止している。リーダーシップの育成が問題の本質かのようにも受け取れるもので
ある。T や N 教員が苦闘してきた障害児教育や地域社会における共生教育の確立が出来
ていない現実にいかに向き合うかと言う課題を明確するべきではないか。また、校長と
いう職責が今日の多様化した社会変動の中で困難性を増してはいないのか。あるいは、
教育委員会・学校・地域の連携が年々気薄になっていると言われる地域社会の現状をど
の様に受け止めるのか。等の課題を明確にしていくべきではないか。その為にも、学校
現場の教員との事実経過の再確認や問題意識の共有化を諮るための協議を十分に行な
うべきではないか。そして、二度とこうした悲しい事態を招かない為、二階堂小学校問
題から見出された課題を導き出す為の「協議機関」を市教委が責任を持って設置すべき
と考える。以上の点についての見解を明らかにされたい。
<市教委回答>
【質問7-⑥】…障害児教育や地域社会における共生教育確立ができていない現実にいかに
向き合うかと言う課題、校長という職責が今日の多様化した社会変動の中で困難性を増して
いること、教育委員会・学校・地域の連携が年々希薄になっているといわれる地域社会の現
状をどの様に受け止めるか、などの課題を明確にしていくべきではないか?
そのためにも、学校現場の教員との事実経過の再確認や問題意識の共有化を図るための協
議を十分に行うべきではないか?
二度とこうした悲しい事態を招かないために、二階堂小学校問題から見出された課題を導
き出すための「協議機関」を市教委が責任をもって設置すべきと考えるが、以上の点につい
ての見解を明らかにされたい。
○このことについては、市教委が責任を持って学校現場と共に課題を整理し、問題
意識の共有化を図るなど、今後、継続して取組を進めたい。取組の経過の中で、関
係団体(人権団体、障害者団体)との連携を深め、問題の分析、課題の明確化を図
りたい。
50
* (再提出された「顛末」【下記に掲載、太字が訂正された箇所】は、9月10日の文教民
生委員会において、内容の了承はなされず、市教委からの報告書として受取るという確
認がなされた。また、吉井議員より「『顛末』とは終わりを意味する。事実経過と今後
の課題として明記するべき」と指摘を受けた結果、表紙のみを書き換え議会へ再々提出
された。)
二階堂小学校問題の事実経過と今後の課題
(問題点などの総括と今後に向けて)
天理市教育委員会
本件は、二階堂小学校とN養護学校との交流学習の事前指導における担任の発言に端を発
し、関係の児童が登校できない状況となったものであるが、これらの問題解決には様々な要
因が重なって、長い期間を要することとなり、さらに、学校長の自死という大変いたましい
事態もまねいた。
天理市教育委員会として、本件の解決が長期にわたったことなどの問題点を整理し、今後、
このようなことを繰り返さないための総括とし、問題点の分析から見えるよりよき解決への
方途についてとりまとめ、今後の方向性について述べるとともに、ご支援をお願いいたしま
す。
1. 発 端
平成15年
5月23日(金) N養護学校との交流の事前指導の中で、担任が動物のよだれを引き合いに
出した。
5月30日(金) 当該児童(以降「S児」と表記)は、N養護学校との交流に参加。担任は
体調の悪い児童を車に乗せて参加。帰りにもS児より体調不良の訴えがあったので、担任
の運転する車で帰校した。
6月3日(火) 校長・担任・母が懇談。途中、父・祖父・義弟、PTA会長、教諭3名が加わ
る。保護者から授業の中で配慮を欠いた発言があったこと、S児の姉のN養護学校在籍の
話をしたことの指摘があった。とりわけ、姉の話を始めたのが、S児か担任かで押し問答
となる。祖父の助言があり、最終的に、担任が嘘をついていたと認めたところ、母親から
「何で嘘をついたんですか」と言われ、「担任をおりてもらいたい」「教師の資質が問わ
れる」「教師をやめてもらいたい」と、明け方3時頃まで抗議が続いた。
結局、「翌日に、母親が子どもを連れてきて、担任が謝る。」ということ
51
で、散会となった。しかし、「S児が行くの嫌と言っている。」とのことで、実現しなか
った。
2. 事 実 経 過
(1) S児の出席状況
月
授業日数
出席日数
4
17
17
5
20
19
6
21
14
備
考
6/2までは通常に登校。6/3は病院への通院で欠席。
4日から11日は欠席。12日は「まち探検」に出席。
13日からは登校するが、カウンセリングルームで学習。
7
14
2
7/2までの登校はカウンセリングルーム。
3日以降は欠席。
9
20
2
運動会前日、当日の2日登校。他は欠席。
10
22
1
担任一日出張の日に登校。他は欠席。
11
18
0
11月より3/10まで欠席。
3
11日から出席。 3/24に3年生の修了式を迎える。
※ S児の平成15年度の全出席日数 … 65日/全授業日数 202日
(2) 学校の対応
カウンセリングルーム登校時(6/13∼7/2)には、担任から、連絡帳やS児の登校に合わ
せた声がけ等の働きかけをしたが、保護者から校長を通して、一切関わらないようにと
の強い申し出があったりして、以後の対応が鈍くなった。
7月10日(木) 学級懇談会において校長より経過説明をし、母親の思いや他の保護者の
意見を聞いた。
7月11日(金) 校長が職員会議で経過を説明し、対応について話し合おうとするが、そ
れまでにS児の対応をめぐり対立していた担任と当該学年部・障害児学級担任A教諭の
対立が先行し、対応策まで至らず会議は終了となった。
夏期休業中には、地区別水泳や家庭訪問を通して、級友とのなかまづくりや学力補充を
考えたが、学校としての取組まで高めることが出来ずに終わった。
8月27日(水) N養護学校校長を講師に迎え、障害児教育に関する職員研修を実施したが、
担任は欠席であった。
52
9月11日(木)∼19日(金) 運動会(9/21)にS児を参加させるべく取り組んだ。親と学校
で作成した文面により、3年生全員の児童の前で担任が、「S児が来れなくなったのは
自分に原因があり、登校できるようになったらみんなで支えてほしい」と話した。S児
は前日の練習と運動会に参加した。
2学期には、担任からのコメントを届けたり、学級の子どもたちの手紙やビデオレター
を届けたりしたが、S児や保護者の心に響くことができなかった。
12月4日(木) 個人懇談で、担任と保護者が激しく対立する状況になった。
・7月10日からこの時点まで、担任と保護者は会わずに経過した。
3学期に入り、人権教育推進教員が主となって、級友とのなかまづくりや学力補充を中
心に取り組み、S児がスムーズに学校へ登校できるように、また、安心して4年生を迎
えられるように提案するべく、教育委員会もいっしょになって話し合い、校長から、日
の設定を保護者にお願いしていた。
2月13日(金) 本件の新聞報道があった。取組が一時中断するが、S児の登校を最優先
にし、当該学級の運営について保護者の理解と協力を得るべく進めた。
2月16日(月) 全校集会を開き、教頭より、新聞報道に触れ、落ち着いて学習に取り組
むように話をした。
2月18日(水) 体調不良(インフルエンザ)で休んでいた校長が出勤し、職員会議で、2
月20日(金)に当該学級の保護者会開催、2月22日(日)に全校の保護者会開催が決定され
る。
2月19日(木) 当該学級の指導体制づくり、保護者会の持ち方について職員会議が開か
れる。
2月20日(金) 当該学級の保護者会について、校長と指導主事が担任宅を訪問した。午
後5時頃、外出していた校長死亡の連絡が入った。S児の学級の保護者説明会が予定通
り開かれ、学級の学習保障について保護者の理解を求めた。新担任を、23日より実施と
した。
2月21日(土) 教頭が校長職務代行者となる。
2月29日(日) 学校と教育委員会が全校の保護者への説明会を実施した。
3月1日より
担任は、奈良県立教育研究所で臨時特別研修を開始する。3年生1組に
派遣された講師を含めて、3年生担当でチームを組み、家庭訪問を始めた。
3月11日(木) S児が登校し始める。その後、T講師が学力補充のために家庭訪問を続
け、24日に終了式を迎えた。春休み中も学力補充の家庭訪問を実施した。
(3) 市教育委員会の対応
6月6日(木) 学校長より本件に関して正式に報告を受ける。S児がとにかく学校へ出て
53
来られるように配慮することと、親と担任との関係修復に向けて、学校体制をあげて全
力で取り組むよう指導する。
6月20日(金)∼23日(月) 母親と担任が話をする場を設定しようとしたが、不調に終わ
った。
7月10日(木) 学級懇談会の中で、他の保護者より、他の児童の力を借りてS児が登校
しやすい環境をつくるなど、解決のヒントとなるアドバイスがあった。懇談会後、指導
主事が母と懇談し、対応によっては、翌週からでも登校させるという事であった。その
後の担任との懇談で、「学校長と相談する」ということであったが、学校の目立った取
り組みがなされず、登校には至らなかった。
7月16日(水) 市教育委員会として、母親に「子どもと話をさせてほしい」と申し入れ
たが、「今はダメ」と断られた。
夏期休業中について、学校としての方策を決め、研修会や学力補充、家庭訪問等に取り
組むとともに、学校行事を利用して、子どもの関係づくりを進めるなどして、自然な形
で2学期の登校につながるよう指導した。
8月下旬には、夏期休業中の積残し課題(学力補充、友達の関係など)の整理と研修会
後の方向等について指導した。
9月29日(月) 教育委員が学校訪問をし、教育委員、教育長が、職員と懇談し、この問
題を全校で取り組むよう強く促すとともに、それまで、校長、担任による家庭訪問がな
されていないことがわかったため、家庭訪問を実施し、保護者と話をすることの大事さ
を強く指導した。
10月8日(水)
教育長、教育次長、学校教育課長からA教諭に対し、担任と協力して解
決に向けて取り組むように指導する。
10月14日(火) 日々のクラスの予定を知らせる連絡帳は、S児が休んでいる間、継続し
て級友が自宅に届けていたが、その渡し方のトラブルから、保護者から連絡帳を届けな
いようにと言われた。しかし、連絡帳を届け続けるのは最低限の担任の職務であること
を、担任に対し指導する。
10月30日(木) 教育長、教育次長、学校教育課長から担任に対し、具体的なS児へのア
プローチの仕方を考えて取り組むように指導する。
11月5日(水)∼13日(木) 指導主事を学校に派遣し、担任からS児へのコメント内容に
ついて指導するとともに、担任からのコメントを届け続けるよう校長に指導した。
11月14日(金) 教育長、教育次長、学校教育課長が、校長同席のもと、母・祖父と懇談
したが、担任をはずせとの主張が強く、事態収拾は不調に終わった。
12月5日(金)以降、これまでのことと今後のことについて、校長、教頭、担任、関係教
諭と協議・指導するとともに、担任とS児が会って話ができるように、指導主事が母親
54
と懇談したり、校長、教頭とともに家庭訪問をしたりした。
1月9日(金)
積残し課題及び、早急に取り組むことについて、教育長から校長に対し、
直接指導をした。
1月下旬から
複数回、校長、教頭、担任、人権教育推進教員、3年生担当者が、学
力補充、家庭訪問することについて協議した。
2月9日(月) 校長、教頭、人権教育推進教員とともに、学力補充となかまづくりを主と
した学校対応を、保護者にことわられても、繰り返し提案する方向で話し合った。
2月13日(金) 新聞報道があり、担任に自宅待機するように指示し、校長が病気休暇中
なので、この日から、教育委員会より、学校教育課長と指導主事を派遣し、教頭と相談
して、学校運営にあたることにした。また、職員会議を早急に開き、学校の方向性を決
めるとともに、PTA役員と協議し、保護者説明会を開催することを指示した。
2月14日(土)から、指導主事が担任宅を訪問し指導する。
2月20日(金) 当該学級の保護者会について、校長と指導主事が担任宅を訪問した。午
後5時頃、外出していた校長死亡の連絡が入った。夜の当該学級の説明会は予定通り開
いた。
2月21日(土)より、カウンセラー2名を当該児童宅に訪問させる。教育委員会も入り、
職員会議が開かれ、今後について協議する。
2月23日(月) 市単講師を配置するとともに、2名のカウンセラーを学校に派遣し、当
該児童宅には継続的にカウンセラーを派遣した。
◇教頭が二階堂小学校校長職務代行者として学校運営に当たることになったため、教育
委員会から指導係長を教頭の職務補助として派遣する。
◇7月から、月に1回程度、県教育委員会に出向き、状況報告(口頭)をおこなうとと
もに、アドバイスを受ける。3月には、事故報告書を提出する。
◇担任については3月1日より、奈良県立教育研究所で臨時特別研修を実施するととも
に、口頭による厳重注意をおこなった。
◇年度末人事の中で、二階堂小学校の4月からの再出発を支援する意味で、人事の刷新
を図った。
3.発端及び事実経過から見る問題点・課題の整理・分析
本件は、今日までの1年に及ぶ経過を経て一定の落ち着きを見るに至っているが、
本件を理解する上でも、何点かの重要なポイントとなる節目があった。それらに
沿って、再度、問題点などを整理・分析してみたい。
節目1 「6月3日、学校、S児の保護者・親類、PTA代表との長時間の懇談がもたれた。」
55
<< この時点までの問題点 >>
○N養護学校との事前学習における担任の発言、授業の経過について、事実確認
がおこなわれず、人権啓発課と連携して進められなかった。
○担任の事前学習において、関係学年での事前の打ち合わせなどがなく、関係の
児童が在籍することを考慮して、保護者の了解をもらわず、交流会の目的、留意
点など、事前指導の流れについても話し合いがなされなかった。
○6/3の保護者との話し合いに向けて、どのような流れを予想し、どのような収め
方をするのかについて、学校として方向性がなかった。
・懇談の本質は、事前学習における不適切さに対する担任の謝罪であったと考
えるが、事前学習の中での、S児の姉への言及が、担任からかS児からかの内
容に終始し、祖父の助言があり、最終的には、担任は「うそつき」と認め、そ
の後の流れに大きな影響を与える新たな問題を生み出す結果となった。
<< この後の問題点 >>
○6/3懇談の翌日、担任のS児への謝罪ということで解決の方向へ向かうはずであ
ったが、S児は登校しなかった。保護者の担任への不信感を拭いきれていないこ
の時点で、学校として、問題を学校全体の問題とし、それまでの経過や問題点、
解決への方向性などについて、共通認識がなされるべきだった。
○市教委として、事前指導における不適切な発言については、学校中心に研修を
進めること。また、家庭訪問などにより、担任と保護者の修復をはかり、S児の
早期の登校が実現されるように、指示をした。
・指示内容としては適切と考えるが、学校が組織体として、解決に向けて進ま
ない状況を分析して、市教委としての対応を組み立て直す必要があった。また、
この時点で、人権啓発課との連携をとるべきであった。
○S児のカウンセリングルーム登校時(6/13∼7/2)には、担任から、連絡帳やS児
の登校に合わせた声がけ等の働きかけをしたが、保護者から校長を通して、一切
関わらないようにとの強い申し出があり、学校としての問題解決のための動きが
鈍くなった。
○夏期休業中には、地区別水泳や家庭訪問を通して、級友とのなかまづくりや学
力補充をするなど、学校、市教委で具体的な取組について考えたが、学校・学年
としての取組まで高めることが出来ず、校長と担任による学級の取組に終わった。
また、N養護学校校長を講師に迎え、障害児教育に関する職員研修を実施したが、
担任は欠席であった。
56
節目2
「9月、2学期の始め、運動会への参加に向け、S児の登校へと向かうきっかけの時期と考
えられるが、結果として、運動会の練習と当日の二日のみの登校となった。」
○運動会に参加したいというS児の強い思いを祖父が担任に働きかけたことが、
S児の運動会参加への取組の大きな力となった。
○9/19(金)運動会練習日前日に、関係者協議によって作成された文面により、S
児在籍の3年生児童全員の前で、担任が、S児が来られなくなったのは自分に原
因があること、登校できるようになったら、みんなで支えて欲しいこと、を訴え
た。
<< この時点及び以降の問題点 >>
○2学期を迎えるにあたり、S児の登校したいという気持ちが高まっていたにも
かかわらず、実現には至らなかった。
○保護者の担任への不信から、担任を代える申し入れは続いた。
・S児以外の児童に対し、通常の学級経営している状況下において、担任を代
えることは困難であり、S児の保護者との感情のもつれや関係を粘り強く修復
し、子どもの登校を促す方向で解決策を求める学校の主張と、担任を代えるこ
とが問題解決の条件と考える保護者に歩み寄ることは困難であった。
○9月29日に教育委員が学校訪問をし、職員と懇談し、この問題を全校で取り組
むよう強く促すとともに、それまで、校長、担任による家庭訪問がなされていな
いことがわかったため、家庭訪問を実施し、保護者と話をすることの大事さを強
く指導した。
○市教委は、担任にS児との関係を修復するための担任のコメントを書き込んだ
連絡帳を届けるよう指導したが、母親のクレームを受けて、学校長が担任に届け
ることを差し止めざるを得なかった。
○依然として本件が職員全体のものとなっていないことから、数度にわたり、全
職員の共通認識を図るよう指示をしたが、実行されなかった。
・このことには、学校が組織体としてまとまりきれていなかったことが背景と
してあり、本件の問題解決を長びかせた要因の一つであったと考える。
節目3 「1月、3学期に入り人権教育推進教員が主となり、なかまづくりや学力補充を中心に取り
組み、S児がスムーズに登校できるように、また、安心して4年生を迎えられるように保護者に提案
すべく、話し合いの日を調整中に新聞報道があった。この数日後に、学校長の自死という大変いたま
しい事態をまねいた。」
57
<< 3学期に入っての取組 >>
○担任を代えるように申し入れの続く一方で、市教委、学校の働きかけの中で、
人権教育推進教員が主となり、S児に対してなかまづくりや学力補充の取組を進
めることについて、保護者の理解を得られたことから、その具体化に向けて動き
かけていた。
<< 新聞報道後 >>
○新聞では、「担任が障害者差別発言、ショックの女児不登校」と報道されるこ
とにより、差別発言による不登校と印象づけられた。そのため、混乱は更に大き
くなった。
○新聞報道により、動きかけた取組を中断し、事態の収拾を図った。
○当該学級の保護者会開催予定の2月20日、学校長の自死といういたましい事態
を招いた。
・学校長は、当初から、担任、保護者の話を何度となく聞き、児童の思いを
受け止め、それぞれに理解を求め、みんなが納得できる形での解決を図ろう
としてきた。
・しかし、発生以来、なかなか解決の糸口を見いだせず、児童が長期にわた
って登校できない状態が続き、教育委員会も、学校長と共に関係者への働き
かけ等、解決に向けての取り組みを進めてきた。
・3学期に入り、母親の一定の理解もあり、児童の登校に向けての具体的な
話し合いをするための日の設定を、学校長が保護者に働きかけをしていた。
そんな矢先の2月13日の新聞報道であった。
・新聞報道により生じた事態の収拾と、児童の登校に向けて、学校と教育委
員会が相談をしながら取組を進めていたが、2月20日、当該学級の保護者会
開催当日、学校長の自死という事態を招いた。学校と共に取り組みを進めて
いる中でのことであり、学校長を支えきれず、教育委員会として反省をして
いるところです。
○教育委員会として、市単講師を配置するとともに、2名のカウンセラーを学校
に派遣し、S児宅には継続的にカウンセラーを派遣した。また、教頭が二階堂小
学校校長職務代行者として学校運営に当たることになったため、教育委員会から
指導係長を教頭の職務補助として派遣する。
○担任については、3月1日より、奈良県立教育研究所で臨時特別研修を実施し
58
た。
節目4 「4月、新学年。S児は4年生になり継続して登校している。学力補充とカウンセリング
は継続中。学校は、S児が元気に登校できる環境づくりをするとともに、PTAや区長会などへの信
頼回復の取組と学校再生への取組を推進」
○春休み中は、平日、午前2時間、午後2時間、スクールサポートのT講師が家
庭訪問し学力補充を行った。学力補充は、1学期間継続の予定。
○カウンセラーは、週1回家庭訪問を継続している。
○S児、始業式より、けがによる通院以外は継続して登校。学校生活を元気に過
ごしている。
○4月21日(水) 授業参観があり、母親も参観した。
○3年時の担任は、奈良県立教育研究所で1年間の長期研修員として研修中であ
る。
<< 学校の信頼回復・再生をめざして >>
○4月3日(土)校長・教頭が父と会い、4月5日(月)には、校長・教頭、指
導主事がS児宅を家庭訪問し、母親・祖父と懇談。
○学校は子どもとの新しい関係づくりに力を入れること、何よりも子どもが安心
して楽しく学校にこれるようにすることを最優先として取り組んでいる。
○5月27日 PTA総会において、学校長より、昨年度の大変な時期に支えてい
ただいたことへの感謝と、これからのご協力へのお願い、そして、学校は「子ど
もたちの夢をふくらませてくれるところ」であり、「魅力のある学校にしていこ
うとしている」と決意を述べ、学校・家庭・地域が共につながり合うことの大事
さを訴えた。
4.課題の整理と分析後のまとめ
(1)本件の発端は、事前指導における担任の発言の不適切さにあるが、交流学習後の6
月3日、担任を含めた学校側と保護者側の話し合いで、事前学習の中での、S児の姉への
言及が、担任からかS児からかの内容に終始し、最終的には、担任は「うそつき」という、
その後の流れに大きな影響を与える新たな問題を生み出す結果となった。このことが、さ
らに保護者の不信をつのらせ、S児も登校できない状況に陥った。
教育委員会は、担任や保護者の理解を得るために、S児が登校することを一番に願って、
度々理解を求めるために話し合いをもったが、一度生まれた担任と保護者の不信は簡単に
59
取り除くことはできず、状況も改善されなかった。
本事象を振り返ると、子どもを登校させたいという思いはそれぞれ持っていたが、お互
いの主張を譲らなかったことが問題を長期化させた大きな要因と考えている。
(2)N養護学校との交流会を実施する意味を再確認することや、職員の障害児理解の問
題、また、同和教育で培った被差別の側の思いや願いに寄り添うところから、交流会やそ
の事前指導のあり方を点検すること。そして、教師一人一人の取組の問題点などを互いに
チェックし合う開かれた関係または環境を普段の活動をとおして作り上げていくことな
どが学校として必要だと考える。
(3)学校の職員組織が一体化しておらず、指示や指導が徹底しないなど、校長を中心と
して、全職員の共通理解が図れず、学校組織として有効な解決策がとれなかったことも大
きな課題の一つである。分析するといくつかの問題・課題として整理できる。
学校を運営する上での管理職のリーダー性や判断力の問題。また、職員同士の信頼関係
のベースであったり、保護者や地域の方の学校への信頼のベースとなる教育公務員として
の守るべき服務の問題。困難な状況の中でも学校が組織として、状況を分析したり、問題
解決の方策を考え・決定するということを可能とし、有効に機能する分掌組織の問題など、
組織としての問題が浮き彫りになった。
(4)教育委員会として、初期対応時に的確に分析し対応するための組織化の問題。また、
事態の進行、問題の内容、または長期化に対応し、人権啓発課を始めとする関係課及び機
関との連携の問題。また、管理職や学校組織の状態に合わせた指導のあり方、相談体制の
あり方の問題などについて整備していく課題がある。今回、課題となった学校の諸課題に
対応する管理職研修や職員研修を計画することについても対応が必要である。
5. 今後の方向性について
(1) 二階堂小学校として
① 学校に通う児童一人一人が元気にまた充実した学校生活を送ることが、最も大
切である。そのためには、児童一人一人が意欲をもって取り組める学習環境をつく
るとともに、保護者との普段の意思の疎通を充分に図ることが大切である。
② 学校の教育推進計画を再検討し、見直しを図る。
・人権教育、特に障害児教育についての再検討をし、N養護学校との交流会に
ついても、「子どもの視点」「親の思い」を念頭に置き、実施する目的につい
て再確認をする。
60
・教育計画の作成にあたっては、学年部や他の関連する分掌組織の連携を図る
など、普段の教職員の協力・連携関係を図るようにする。
③ 開かれた学校づくりをより強く進める。
・学校評議員制度や関係機関との連携、PTA活動の活発化など保護者の意見
を学校に活かす機会を多くする。
・学校の信頼回復のためにも、これまで以上に、学校の取組などについて保護
者、地域に対し情報発信をするとともに、地域人材を活かした教育活動、また、
地域に出かけての学習活動など、地域や保護者の協力のもと進める。
④ 職員の日常の情報交換、意思疎通を大事にする。
研修会という形ではなくても、日常の職員室での情報交換などを大切にし、
意思疎通を図ることで、自分一人では把握できない子どもの様子や、他の教師
の考え方などを知るなど、教育効果を高める日常の取り組みを大事にする必要
がある。そのことは、学校が組織体としての機能を高めることにもつながると
考える。
(2) 教育委員会として
この問題については、教育委員会として、長期にわたって解決できなかったこと、
また、支えきれず学校長を死に至らしめたことについて責任を感じています。そし
て、各方面からいただきましたさまざまなご意見やご指摘を真摯に受け止め、反省
すべき点は反省し、改善すべき点は改善し、二度とこのような事態を繰り返さない
よう、子どもを中心に据えた天理市の教育を進めてまいりたいと決意しております。
つきましては、次の各点について、教育委員会としての今後の取組を取りまとめま
した。
1) 学校組織の活性化について
二階堂小学校の職員組織が一体化せず、指示や指導が徹底しなかったことや、校
長を中心として全職員の共通理解が図れなかったことなど、学校組織として有効な
解決策がとれなかったという状況があったことから、年度末の人事異動により教職
員の刷新を図った。
今後も、同一学校における長期勤務者の解消を図りつつ、バランスのとれた学校
組織化につとめ、一層の活性化に向けて努力したい。
2) 相談・指導・支援体制について
各校園の問題を、一課のみでの対応にせず、教育委員会関係課が一体となった相
61
談・指導体制を作り、解決にあたっては、関係団体・機関との連携を密にし、協力
を得ながら相談・指導・支援体制を強化していきたい。
具体的には、各校からあがってきた問題の内、教育次長が必要と判断する案件に
ついては、教育次長、教育総務課長、学校教育課長、主幹、指導係長、教育総合セ
ンター所長、及び青少年係長等で組織する支援ネットワーク的な「学校問題支援会
議」を設置し、情報収集や問題の分析、解決への方策について協議する。また、状
況や内容に応じて、関係機関・団体の協力を得て、より有効な解決へのアプローチ
ができるよう相談・指導・支援体制の強化を図りたい。
また、学校で起こる問題を市教委が把握することについて、校長として、学校の
問題をなるべく外へ出したくないという意識がはたらき、市教委の問題把握が遅く
なることもあることから、そうならないよう、指導主事が日常的に学校訪問をする
などし、市教委と学校長の関係づくりに日常的に取り組み、情報の共有化を図る必
要がある。そしてまた、教育委員会内の各課においても、教育次長を調整役とし、
報告・連絡・相談の徹底を図り、問題が発生したときの情報の共有化を早く確実に
し、機敏な対応が取れるよう、風通しの良い組織関係を作ることが必要である。こ
れらのことを通して、問題の初期の段階から学校と一体となって取組を進めるよう
にしたい。
3) 教育課程の具現化に向けて
平成15年度末に各学校園の教育活動のまとめとして、「年間活動報告書」を作
成した。この報告書を基に、学校と共に、学校評価の取組を積極的に進めるなどし
て、開かれた学校づくりを進めるとともに、各校園の教育課程の具体化に取り組み
始めている。
教育委員会としても、6月28日より学校園訪問を実施し、教育計画の内容につい
て確認し、具現化に向けて指導助言・激励を行うとともに、学校分掌組織が学校の
目標を達成するために機能しているかという点についても学校長と懇談する予定
である。
4) 不登校児への対応に向けて
これまでも、不登校の問題については、教育総合センターで、学校や保護者と連
携をもちながら取り組んできたが、本件を受け、今年度早々より、学校教育課指導
主事とともに、学校を訪問し、不登校児童生徒のより詳細な状況把握と学校の対応
状況について情報収集している。現在、そのまとめをおこなっており、学校現場と
のより積極的な連携関係の強化を進めている。
62
5) 研修の充実に向けて
学校が組織体として機能するためには、管理職のリーダー性及びそれが発揮でき
る組織、また職員のモラルとモラール(士気)を高める必要があり、それぞれの内
容に対応した管理職研修、職員研修を実施していきたい。
<< 具体的な研修内容として >>
・管理職及び教職員の資質の向上にむけて
職員の資質向上のための研修の一つとして、閉鎖的になりがちな教職員
の意識変革のための研修として、職種の異なる職場での体験的な研修につ
いて、例えば、夏季休業中の一般企業体験研修などの実施を、今後検討す
る。
・管理職のリーダー性が発揮できる学校組織の構築に向けて
1月14日(金) 校園長研修
テーマ「企業における人材開発」 講師:(株)シャープより
1月24日(月) 教頭主任者研修
テーマ「松下電器産業の人づくり」講師:松下電器産業より
・管理職として、リーダーシップを発揮するために
8月10日(火) 校園長研修
テーマ「児童相談をふりかえって∼管理
8月24日(火) 教頭主任者研修
職のみなさんへの期待∼」
講師:大山徹真氏
・民間人校長から見た学校現場
10月8日(金) 校園所長研修
テーマ「人間力を高めたい∼キーは教師の企画力、生徒の表現力∼」
講師:町田健一 氏(県立登美ヶ丘高校校長)
・危機管理への対応について
11月8日(月) 校園長研修
テーマ「学校における危機管理」
講師:原田隆史 氏(天理大学・人間学部講師)
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<2004 年 9 月 22 日、本会議一般質問>
共生教育を求め二階堂小学校問題から問われる課題について
教員と保護者の対立から児童の不登校に発展した二階堂小学校問題は、2 月 13 日の新聞
報道をへて、奥田校長の自死という悲しい結果を生んでしまいました。二度とこうした悲
しい現実を繰り返さない為にも、誰かの責任とか、誰が悪いという締めくくり方をするべ
きではないと思います。
たとえば、ある人が大きな誤りをしたとしても、それが「原則的、本質的な誤りという
行為や考え方である場合。」また「姿勢は真面目であっても、能力の不足や、経験不足や、
アンラッキーな要因が重なって、結果として不十分な形となった場合。
」そして「単純な意
味の無知や、情報不足の為に、正しい判断が出来ず、間違った対応をしてしまったという
場合。」等があります。それらをごちゃまぜにしないで、それぞれに必要でふさわしい対応
の仕方が求められます。そうでないと、議論はかえって、マイナスと恨み・つらみをもた
らす事が少なくありません。
自死された奥田校長の思いを受け止めるという姿勢は、そうした認識の下で勇気を持っ
て真実を語り合い、それぞれの課題を明らかにしょうとする意気込みが、私たちに求めら
れているのではないでしょうか。
私は、今回の事象を振り返りこの間市教委から報告された内容を踏まえ 3 点にわたる問
題意識と再発防止に向け 7 項目の提案をしたいと思います。市教委の真摯な回答を求めま
す。
一点目は、障害児教育、共生教育ということについて、学校、地域の中でどのように展
開できてきたのかという問いかけです。
二階堂小学校の問題を地域社会が抱えている「障害児(者)」問題とリンクさせ共有化し
ながら課題を見つめていかないと、T さんに代表される保護者と今後どう向き合っていく
べきなどかという視点も見えてこない。今回の事前学習や交流学習を問題にするとき、私
たち一人一人が共生へのあり方を問う議論が必要ではないでしょうか。これは二階堂小学
校だけではなく、他の教育現場を始め、行政、地域社会、全てに問われている共通課題で
ある事を、まず確認する必要があります。
具体的には事前学習に於ける担任 N 教員の発言をどう受け止めるのかということです。
社会意識の中には「障害者」に対する差別意識が現実に存在します。しかし私は、N 教員
の発言は差別的だとは言えるが、差別だとは言えない。不十分だとか不適切だとは言える
が、意図的に差別的な思いを込めているとは思えません。N 教員は、差別的意図を持って
犬、猫を出しているのではない。その逆だろうと思います。交流学習を成功させたい、子
64
どもたち同士、手をつないでもらいたいという意図であったと考えます。こうした N 教員
の前向きな善意を受け止める立場での論議が何故出来なかったのか? を問い返すべきで
は無いでしょうか。
十数年前に二階堂小学校の生徒が養護学校の生徒に石を投げた事から交流教育が始まり
ました。当初は、問題意識を高める為に教員、生徒が積極的に学習議論を重ねられていま
した。ところが、年々、内容が希薄(マンネリ化)になって行く課題を残しています。そ
うした課題は二階堂小学校だけのものではありません。そのことについての議論は出来て
きたでしょうか?学校が、行政が、地域が!
昨年、県議会において養護学校の増設をという請願が採択されました。私たちは障害児
(者)と共に地域で生きる事を追求し、その為に地域の学校で共に学ぶ機会を保障する取
り組みを進めてきました。しかし、その思いとは裏腹に養護学校への入学が増加の一途を
たどっています。この事は、地域の学校で共に学ぶ事の困難な状況を表したものと言えま
す。養護学校と近隣にある地域の学校を比較せざる得ないほどに、地域における教育保障
が十分では無いのが現状です。そうした実情と障害児(者)に対する社会意識としての差
別観念が(N 教員と対立した保護者である)T さんに見られる言動、行動を生み出してきた
のではないでしょうか。
奈良県「障害者」解放研究会事務局長の梅谷明子さんは、2003 年 8 月行われた(神戸で
親が障害児を殺した事について)シンポジュウムの中で、障害がある我が子を殺した親に
執行猶予がついたことに対する怒りを示し、無罪にしたらいけないと主張されていました。
それは、自らも息子の庄司君を殺す事が出来た状況があり、その事と葛藤してきた事への
強い思いだったのです。このように親が障害者の敵になってしまう様に追い詰められ、厳
しい矛盾を強いられる社会のシステムの中に生きる親の姿があります。そのぎりぎりのと
ころで、自らを傷つけるか!他の人を傷つけるか!と言う事になる。今回もそうした状況
の下で、Tさんは他の人を厳しく攻撃し、結果として傷つけてしまうという事態に陥りま
した。Tさんにアサーティブネス(非攻撃的自己主張)のスキルがあればよかったと考え
ます。勿論、N教員にも同様のことが言えます。そして、奥田校長の自死がありました。
「親が敵」となるこの構造を、私たちの克服すべき課題として重く受け止めることが必要
であり、それが人権教育ではないでしょうか。
同時に、マスコミにおける今回の報道内容は客観的なものとなっておらず、憤りを感じ
ずには居られません。大見出しでは「担任が障害者差別発言」「学校、市教委は〝放置″」
と掲載されている。市教委からのこれまでの報告では、
「差別発言」とされる内容の確認が
十分にされていない。N 教員の発言についてどのようにして確認されてきたのか?問題点
がどこにあるのか、未だ明らかにされていません。
また、新聞内容では、N 教員が家庭訪問をはじめ一方的に謝罪を拒否しているとある。
これまでの市教委の報告にあった(T が家庭訪問を拒否)との食い違いを感じざるをえな
65
い。新聞報道が事実かどうかの確認は市教委の責務であることは言うまでも無い。報道内
容が事実関係に照らしてどうなのか?学校現場との確認を通して、社会的に明らかにする
説明責任が教育行政に求められています。大人同士の言動から感情的対立へと発展し、S
児・学校・地域にとって、マイナスでしかないマスコミを武器とするような事態を、二度
と起こしてはならないと考えます。
二点目は、被差別の側に立つという事が何なのかという問いかけです。
「被差別の側に立
つ」ということは、彼らの思いがどうなのか、何を求めているのか、対等の立場で(=友
だち関係になって)受けとめ、自分ならばどう感じるか思いを馳せることであり、反差別
の生き方をしようとすることであり、或いは反差別の行動を起こそうとすることであると
思います。このとき、対等の立場であるということが重要であります。自分は差別する側
だからと下の立場に立ち、差別される側の気持ちはわからないだろうと変に遠慮したり、
沈黙したりして、相手の言うがままになることではない。また、相手は差別されている側
だから、なんとか助けてあげようなどと、自分の価値観を相手に押しつけて援助すること
でもないと思います。T さんと N 教員の問題行動の背景をきっちりと分析することを通し
て、
「被差別の立場に立つ」という人権教育運動の中で言われてきた意味をもう一度検証す
る必要があると思う。
例えば、「N 教員やその兄は「部落民」宣言と部落解放同盟という運動団体を利用して、
この問題を優位に導こうとし、T さんは障害者差別と S 児の不登校を前面に押し出す事に
より問題の優位性を保とうとした。
」という見方がある。事実、奥田先生が亡くなられて以
後、天理市内外で部落解放同盟の介在がまことしやかにささやかれている。それも行政、
学校関係者の中でも、見て聞いたかの様に話されるのである。最も悪質なのは、天理市の
同和教育運動に長年連携し、部落差別や障害者差別や民族差別の撤廃に向けて真摯に取り
組んでいる人物の名前を平気でデッチ上げ、奥田先生を直接追い込んだごとく語る人間さ
え出る始末である。一方、こうした噂が出るや否や、沈黙を仕方なしとする姿勢が横行す
る事への問い返しが、強い反省の中で求められます。
被差別の側という立場を悪用する事は断じて許されるものではありません。と同時に悪
用を許す意識を温存している今日の地域社会の実情に対して、これまで取り組んできた私
たちの学校教育、社会教育を初め、各種民主団体が取り組んできた人権教育、運動の質を
問い返す努力が求められているのではないでしょうか。そのことを通して、被差別の側に
立つということが何なのか、改めての議論が必要であると思います。
三点目は、制度的・構造的な問題です。教育委員会の存在目的は何なのか?根本的に考
えなければならないと思います。学校現場と市教委の連携が不十分になるのは何故か。校
長からの協力要請を「校長権限・責任」にすり替える事しか出来ていない現状を改革しな
66
ければなりません。そして、
「学級王国」として批判されてきた、閉鎖的で教員同士の連携
が出来ない実態が、今回も浮き彫りにされてきました。これは二階堂小学校だけの問題で
はありません。早急に改革されるべき課題です。
この問題の初めての提起は、昨年 5 月 23 日の事前学習の後、その内容を聞いた T さんが
市教委の指導主事に指導を求めています。しかし、その指導主事と N 教員が T さんの告発
をめぐり事実関係や双方の思いを確認させようとする姿が一向に見当たりません。校長や
教頭を通してしか現場の教員と指導主事の会話が出来ていない事が異常では無いでしょう
か。市教委と学校現場が連携するとはどういうことなのか、再確認が求められています。
この間、議会に対する市教委の報告の中でも、
「学校と教育委員会の風通しを良くしよう。」
という言葉が数多く聞かれました。風通しが悪い原因は何処にあったのでしょうか。その
事を明らかにする事を通してこそ本当の連携が具体的になるのでは無いでしょうか。
また、差別事象が告発された場合の対応の在り方についても曖昧さを残しています。
過去に人権啓発課との連携による確認作業を示された時期がありますが、それも今日で
は風化しています。客観的に物事の確認を推し進める事が出来る学校運営の確立が求め
られています。
こうした 3 点とともに、まだまだ多くの問い返すべき課題がありますが、再発防止に向
け 7 項目の提案を申し上げます。
①
ノーマライゼーションの立場から、もう一度天理市における障害児教育のあり方の全
体を点検する。
②
今回の事件から引き出した教訓を踏まえて、天理市独自の障害児教育指針という文書
を作成する。
③
天理市立の小・中学校における障害児教育の実態白書を毎年作成する。
④
その中で、不就学の障害児、不登校の障害児の実態を明らかにする。
⑤
障害児の地域の学校への通学介助を促進するためのボランティアを養成する。
⑥
とくに障害児の保護者に対して、上記の事柄を説明するための場を持つ。
⑦
教員の障害児教育に関するスキルを向上させる方策を講じる。
以上 3 点の問題意識と 7 項目の提案に対する市教委の見解を明らかにしてください。
<教育長答弁>
議員ご指摘の3つの問題意識についてお答えします。
第一点目の「障害児教育、共生教育が学校、地域でどのように展開できてきたのか」
67
というご指摘についてでございます。まず、当該教員の養護学校との交流会の事前指
導は、準備の不十分な授業であり、そこでなされた発言は不適切であったと受け止め
ています。しかし、なぜ、準備が不十分となったかについて考察してみますと、当該
教員自身の取組に対する認識の問題もさることながら、議員ご指摘の、学校として、
交流会の初期の目的にそった取組の姿勢が薄れてきていた、ということが問題である
と考えます。今まで取り組んできた障害児教育・共生教育が不十分になっていないか
を再度点検し、教育現場をはじめ、すべてに問われている共通課題であることを認識
して、今後、「共生」の社会を目指すために何をすべきか検証しつつ取組を進めてい
きたいと思います。
二点目の「『被差別の側に立つ』という事が何なのか」という点についてでござい
ます。当該教員の交流会・事前学習の取組、あるいは、その後の経過の中で、市教委
のその問題解決における取組が不十分であったと認識しております。議員ご指摘の今
回のような事案が起こった場合、原点に立ち返り、同和教育・人権教育運動の中で培
い確認してきたことを再度検証し、対応にあたっては、毅然とした態度をとって参り
たいと思います。
そして、三点目、制度的・構造的な問題で、「学校現場と市教委の連携が不十分に
なるのはなぜか」という問いについてであります。これまで、学校の問題解決にあた
っては、学校からの情報を分析し、学校の考える問題解決の方向性を尊重しつつ、必
要なアドバイスや指示をすることを通例の方法としてきました。しかし、今後、本件
を教訓としまして、学校の職員、管理職、教育委員会が自由に腹を割って意見交換を
する場を作るなど、学校と教育委員会の連携のあり方について改革を図っていきたい
と考えます。
最後に、議員ご提案の 7 項目についてでございます。
教育委員会としまして、障害児(者)と共に地域で生きる事を追求し、その為に地
域の学校で共に学ぶ機会を保障する取組を進めてまいりましたが、今回の二階堂小学
校の問題を教訓としまして、天理市内の障害児教育が不十分になっていないか、「共
生」社会を目指してどうすべきか、議員ご提案の7項目を参考としまして、取組を進
めて参りたいと思います。
具体的には、第2の「障害児教育指針の作成」につきましては、二階堂小学校の総
括を進める中で、また、第1の「障害児教育のあり方の点検」及び、第3の「障害児
教育の実態白書の作成」、第4の「不就学、不登校の障害児の実態」につきましては、
実態を明らかにする必要があり、検討したいと思います。また、第5の「障害児の通
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学介助のボランティア養成」につきましては、研究させていただきたいと思います。
第6の「障害児の保護者への説明の場」につきましては、上記の事柄がある程度現実
化の見通しがつきましてから、開催を検討したいと思います。最後の第7の「教員の
障害児教育のスキル向上方策」につきましては、内容を検討し、実施してまいりたい
と考えております。
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