シニアの季節:さいたま - Biglobe

季刊誌
シニアの季節:さいたま
(新年号:H19年12月)
さいたまSLAの会
http://saitama-sla.at.webry.info/
Contents
3
冬のアルル
4
私の坂東三十三箇所お遍路の旅(後編)
16
18
視覚障害者のスポーツ(最終回)
「見沼の開拓者たち」の連載を終えて
20 NPO考:3つのNPO
23
身近な国際交流によるボランティア活動
24
編集後記
(表紙出典:写真はphotolibraryより)
2
冬のアルル(傑作の2年、初冬)
1888年2月ゴッホは、スポンサーであり画商であるテオのいるパリから
アルルに到着した。まだ雪が残っていたが、ここアルルは、南欧の日本であ
った。
傑作が集中する最後の2年間はこうして始まった。
1888年2月∼
アルル時代
1889年5月∼
サン・レミ時代(入院時代)
1890年5月∼7月29日
27日
29日
オーヴェール時代(療養時代)
ピストル自殺未遂
未明駆けつけたテオが看取る
1889年9月
1890年1月
1890年3月
第5回アンデパンダン展、2点出品
“アイリス”に評判出る
二十人展、6点出品
“赤い葡萄畑”が売れる
第6回アンデパンダン展、10点出品
モネ絶賛
テオ「凄い評判!」
消沈し支え疲れたテオは翌年1月25日、追うように亡くなる。
後世のために2人で駆け抜けた、余りにも貴重で限りなく短い一時であった。
この頃、ゴッホの成功を予想した者が3人いた。
パリに住むオランダ人 J.J.イサークソンは1889年9月、雑誌にその旨を
記した。1890年1月アルベール・オーリエは象徴主義者機関誌「メルキ
ュール・ド・フランス」にゴッホを「山をも鳴動させるような巨人である」
とする長大な論文を載せた。そしてもう1人がゴッホ自身である(書簡60
5)。では何故自殺を図ったのか。
幾つかの定説があるが、「死んだ画家の絵を扱う画商と生きている画家の絵
を扱う画商の間の状況の緊張した一瞬」(書簡652)によるとしている。
スポンサーにして画商、そして最大の理解者であるテオが家族を養うのに苦
労していたことを知っていたし、また亡くなったミレーの絵に大変高価な値
がついたことを知っていた。その手段がピストルであったのである。
3
私の坂東三十三箇所お遍路の旅(後編)
第五回の旅は7月2日 群馬
2007年12月
松本桂子
安楽寺・正法寺・慈光寺・水沢・長谷寺
まさに梅雨空の中を出発。木々の緑は更に深く、今日はねむの木のピンク・のう
ぜんかつらのオレンジ・さらに濃いオレンジ色の日光キスゲの花達が迎えてくれた。
紫陽花も美しい。わずか一ヶ月で草花は季節の移ろいを見せている。
必然的にバスの席は決まってきたようだ。いつものように四季の歌を歌い、軽い
体操をしているうちに川越から1番近いという吉見百穴の近くの安楽寺に着いた。
安楽寺 雨も小休止の中、しっとりした佇まいのお寺さんに感動
しながら、最初の般若心経を唱える。時に皆と合わずバラバラに唱
えてしまうこともある。まだどう唱えてよいのかリズムがとれない。
いつか流れるような気持ちの良いお唱えをしたいな∼と思う。
庭の蓮池に蓮が3輪ほど咲いていたが、何て清楚で気高く優しい
花なのだろう。三重塔も美しい。
正法寺
とうとう雨が降り出したが小雨程度で済む。お寺さんの背後に物見山が
そびえ、山寺の趣きがある。崖の裾に幾つもの小さな石仏が並ん
でいた。どこのお寺さんにも鐘撞堂があるが、ここの鐘撞堂は小
高い山の先端にあって、それは可愛らしい瓦葺屋根でこれ以上省
略できないと思えるほどの素朴さで建っていた。同行の方が教え
てくださったので見逃さずにすんで感謝する。
慈光寺 回りくねった山道を小型のバスは懸命に走る。山々はもやが立ち込め幽
玄な雰囲気に包まれた山寺であった。貴重な文化財も多いとか。階段を登る両脇に
花の終ったしゃがが茂っていた。立て札に漢字で菁莪と書かれていて、同行の人達
とこんな漢字を書くのねと話しが弾む。お寺さんに銀杏の木は多いが、ここは樹齢
1100 年余りという多羅葉樹という樹があり、古代インドではこの葉に字を書き紙と
して使っていたという。
頭に手ぬぐいを乗せ、小柄なご住職がその風貌に似合った飄々とした語り口で、
「千手観音様は母であり、母が子育てするのに沢山の手を使うでしょう、パンツを
履かせるだけでも手を何回使うかな∼」と。千手観音様が母の観音様であったと今
知った。そしてこの千手観音様の1番下の左の手が甲を見せているのは珍しく3寺
だけだと、その3寺を誰かが責任をもって覚えておきなさい
と・・・私はパス。古い方の千手観音様のお顔が優しくて絵ハ
ガキが欲しかったがない、その代わりにそれはそれはとても良
いお顔をした仏様の絵ハガキがあったので、友人にもと3枚買
い求める。隣の席の水巻さんも同じハガキを3枚買ったとか、
気が合うわねと親近感が増す。山門の欄干の堂字の「合掌」の堂々とした味のある
字が強く印象に残っている。本堂の天井に大きな白い馬が吊り上げられているのも
珍しかった。
4
水澤寺 水沢うどんで有名な所にあるお寺さん?ということで観光的なお寺さんで
あった。このお寺さんに行く前にその有名な水沢うどんの昼食を岩戸屋さんで頂く。
てんぷらの揚げ方がとても綺麗。つけ汁がちょっと苦手だったけど、名物を食べられ
るのも旅の楽しみ。
本堂の中まで入れるのは年々難しくなってきたとか、お遍路の
人々の中にはエチケットを守らない人がいるとは思いたくない
が。山門には大きな提燈と華やかな彫刻が施されていた。
ここに六角堂があり3回歩きながら廻して祈願をする。土産物
屋さんもあり炭いりの真っ黒いお饅頭を買う。
長谷寺 今日訪れたお寺さんとは少し趣きが違うと感じたのは、痛みの激しい本堂
の建物のせいだろうか。ここでの法話でこのお寺さんの由来を聞く。武田信玄の戦い
で明かりを得るのに本堂を燃やされたそうだ、その後3度の建て増しの為歴史は古く
ても国の重要文化財に指定されないとか。お寺さんの経営の難しさを垣間見たようだ
った。観光地的お寺さんとの差を感じさせられた。
「沢山のお寺さんを訪ねて1番気に入ったお寺さんを見つけ
けるのも良いですよ」と副住職。お願いごとのお賽銭がこう
したお寺さんの維持のお手伝いになるのだと、当り前だがお
賽銭を上げるということの大事さも少し考えた旅にもなった。
晴れていたら榛名湖に寄るという計画は残念ながら中止に、その代わりに高崎観音
に寄る事に。遠くから見ては気になっていた高崎観音様は真近に見るとその大きさに
ただびっくり。時間の関係で中には入らずに帰路に着く。6回目は8月夏の盛り。
安楽寺
慈光寺
蓮池
水澤寺
正法寺
長谷寺
高崎観音
5
第6回の旅は8月6日
千葉
笠森寺・清水寺・那古寺・高蔵寺
明日から立秋だとゆうが盛夏の中を出発。月見草が夕べの名残りを秘めて閉じかけ
ている。木々がこの暑さに耐えうるべく黒々と葉を茂らせている中に、
さるすべりと夾竹桃の花が可憐にも色とりを添えている。
今日は広島原爆の日 8 時 車中で皆と黙とう。心から冥福を祈る。
今まさに夏休み・千葉とくれば海水浴、やはり高速道路は渋滞。最初のお寺さんに
着いたのがすでに 11 時過ぎ、最後のお寺さんに着いたのは、5 時過ぎ日差しは強い
が夕暮れの気配を微かに感じながらのお参りとなった。
でも今回のお寺さんは山深い所にあり、歴史も古く十分に見応えがあり心に残っ
た 1 日になった。
笠森寺 このお寺の最大の見どころは、京都の清水寺と同じ崖造
りの観音堂とか。山深い階段を登って行く途中に子授けの楠があり
見事に人が通り抜けるほどの大きな穴が開いている。過去に「くれ
ぐれもここを通り抜けない様に」という高木さんの指示に逆らい、
ただ長男のところに子宝をという一念でご自身が身代わりになって
潜り抜けた方がいたとか、切ない母親の思いが伝わる。
階段を上りきった更にその上に本堂は気高い素朴さで建っていた。
山上の岩は気の遠くなるほどの時の流れに侵食され、その岩を守る
ように組み立てられた木で出来た 75 段の階段を登りながら、人の
(信仰心)力の偉大さを感じないではいられない。ご本堂には観音
様と参拝者の心を直接繋ぐという縄に、沢山のハンカチが結ばれて
いた。元旦に真新しいハンカチに名前などを書きここに結ぶそう
な・・・どんなにか観音様を身近に感じられることだろう。ハンカ
チを結べないことが残念に思える。
そして何とも穏やかな優しい雰囲気を漂わせて、ご住職の奥様が何かと心配りをし
てくださる。その奥様の法話は風ひとつない暑さも忘れる心地よい時間であった。
「こ
うしてお参りに来れることは、健康であり、幸せな事なのですよ」と。心にすーと沁
みてくる語り口にあ∼私もかくありなんと思う。
お参りが終わってバスの中で運転手さんからお茶のご接待を受け、お弁当をいた
だく、まだ 3 寺が残っている。清水寺に行く途中にサビついた二本の線路が
民家の脇や草の中に埋もれるようにどこまでも伸びている。野田線だろうか。
田んぼの稲はもう小さな穂をいっぱい付けて、可愛らしいお辞儀をしていた。いいい
清水寺 このお寺さんも700∼800年代という歴史の
重みを十分に感じることのできるお寺さんであった。本堂外
陣のなげしに珍しい大きな絵馬が何枚も掲げられていた。大
漁祈願らしい絵馬は今も雄大な漁を忍ぶことができる。ここ
の鐘撞堂が赤いというのが、何とも古い本堂との不思議さを
感じたのは私だけなのだろうか。
6
そして恐ろしいお顔の閻魔様の堂の隣に百観音様がずらり
と並んでいる堂があり、その脇に赤穂四十七士の堂がある
のも「う∼ん」と一瞬戸惑う。
千葉のお寺さんに風神・雷神が奉られているのも興味が
わく。
ここのお寺さんだったと思うのだが、風神と雷神の何とも
愛らしいお姿に笑みが自然にこぼれる。きっとご本人はおっ
かない顔しているつもりなのだろうが・・・。そしてもう
一箇所、普通仁王門には猛々しい仁王様がいるのに、そこに
も風神・雷神の堂々とした姿があった。笠森寺のような気が
するが確かではない。パソコンで調べても分からなかったが、そのお姿は目に浮かぶ。
やはりメモなり写真は必要だと思った。
今日のお遍路の旅は房総を一周する旅と聞いて、いつ海が見えるのか楽しみにして
いた。その海が見えてきた。海水浴場の辺りには人も見られたが、岩場になると人数
も少なく、水が透き通り美しい。暫くは外房の海岸沿いの景色を眺めながら、次の那
古寺へとバスは速度を上げて向う。
千葉ということもあり途中魚センターに寄り夕飯のお惣菜を、でもこの暑さ、生魚
を買うのはちょっと抵抗があったが、車の中は冷房がきいているから大丈夫なのだろ
う。私は大好きな塩昆布を買う。そしてソフトクリームをでも高木さんの計らいでソ
フトクリームが振舞われた。お陰で私は 2 個も食べられた。この暑さでなんと美味し
かったことか。
那古寺 ここも 700年代からと歴史は古い。結願寺だが
残念だがまだ修復中とかでここが完成したらもう 1 度訪れた
いとゆう人もいた。お寺さんに銀杏の樹が多いのに、熱帯系
のソテツがあったのもやはり房総のお寺さんだと納得。
千手観音様はここでも優しいお顔で私達を迎えて下さった。
目線が同じで手の届きそうな位置においでのこの観音様にひとしおの愛しさを感じる。
廊下から時折涼しい風が吹き込み、セミの鳴き声が聞こえてくる本堂で、住職の法話
にふと目頭が熱くなる。
一つ一つの言葉をかみ締めながら聞いていたのに、正座に耐えられる限界にきて、
足をもぞもぞしているうちにどうしても、その言葉が思い出せなくなってしまった。
それでも『お遍路の旅は自分探し』とゆう言葉はまさに私が求めているものだと、
しっかりと心に残った。
脳の活性化に必要なのは、答えを出せなくても考えるだけで、効果があると聞いた。
ならばきっと思い出せなくてもその時感動したことは、体のどこかの細胞に、生き
ているそう思うことにした。少なくとも心の活性化にはなったに違いない。
7
高蔵寺 ここを訪ねたのは既に 5 時を過ぎていた為、本堂
の中には入れなかったが、床の高いなかなか尊厳のあるお寺
さんである。ここに天国と地獄の世界がみられるところが
あるそうだが、本堂のお参りのみになった。
日暮れが遅いといっても山中のお寺さん、心せかされるお
もいでここを出発。帰りの渋滞を覚悟しながら帰途につく。
笠森寺の楠
しなやかに・・・・
したたかに・・・・
つややかに・・・・
にこやかに・・・・
おだやかに・・・・
高蔵寺
四天門
笠森寺の手すりの蛙
つややかに・・・・
にこやかに・・・・
おだやかに・・・・
清水寺の鐘撞堂
寺々で素敵な言葉に出会う
夕日が木立を染め始めている。
8
第7回の旅は8月20日 栃木
中禅寺・満願寺・大谷寺・埼玉
慈恩寺
天気予報の外れで思いがけなく快晴。最初に新鮮野菜がある道の駅に寄る。今日唯
一買い物ができる場所。トウモロコシと、お昼はお弁当なのでちょっと生野菜を添
えようかとミニトマトを買う。後はまっしぐらに日光に向う。その沿道にまるばた
けぶきの群生が所々黄色の絨毯のように咲き、心楽しくなる。もうススキの穂が出
ているのにはびっくり、残暑の最中にも確実に秋が忍び寄っているのを感じる。
中禅寺 渋滞もなくいろは坂を快調に進み中禅寺湖に着く。
空は碧く、雲は白く、湖は輝いて最高な天気。お寺さんを案
内して下さった方も「珍しいんですよ、こんなに晴れる事は」
と。日光には何回も来た事があっても中禅寺には訪れた事は
なかった。「何て明るい境内なのだろう。」が第一印象だった。
本堂に案内されて先ずその観音様の大きさに圧倒されるが、十一面千手観音様の
伏し目がちのお顔はより優しく、慈愛に満ちていて威圧感はない。この立木観音様
は桂の巨木に立木のまま刻まれたものだとゆう。お手には色々な物を持っていらし
た。両隣にいかつい顔の四天王像は観音様をお守りしているそうだ。ここでの説明
が済んだ時、願いがかなう時色が変わるとゆうお守り札の話があり、どうしても祈
願したいことがあってそれを買い求めた。金色に変わることもあるとか・・・。
階段を上って五大堂へ。ここは五つの明王を安泰してあっ
た。説明の話の最中にお賽銭の音がちょっと気になった。
「お賽銭は音を立てないように、出来たら音のでないお賽
銭?の方が喜ばれるんですがね」と高木さん。
天井の大雲龍の絵は何とも見事なものだと感嘆する。各天井の日光の花の絵は全
て観音様に向いているそうだ。説明の後、ここでは芳香なお線香を勧められその香
りに惹かれて買い求める。でも何だかちょっぴり釈然としない気持ちを抱いたが、
檀家を持たないお寺さんの大事な収入源であると聞き、買って良かったと素直に思
った。
五大堂から見る中禅寺湖と男体山は思わずシャッターをなんども押してしまう
ほど素晴らしい景色だ。
9
『愛染かつら』のロケ地になった、桂の木もあり、自分の
名の「桂」の木に関わりがあるこのお寺に一層の親しみを
持った。ここで何とも奇妙な木を見つけた。根元から少し
上にコブがぼこぼこに重なっている。こんなものが体内に
できませんようにと祈る。
鐘撞堂はどこにでもあるが、ここは登って誰でも
鐘を撞くことができる鐘楼になっていた。もう時
間がないのにこの狭い所で写真を撮っていて、後
の仲間に迷惑をかけてしまった。写真を撮る事が
目的の旅ではないのに・・・。
サルを目にすることもなく、いろは坂を下り大谷寺へ向う。もうお昼。
近くに公園があるそうだがこの暑さでは、涼しい車中で目の前の大谷寺を見な
がらお弁当を食べる。道の駅で買ったミニトマトを添えて。
大谷寺 何といっても大谷石の巨岩が迫るばかりに
そびえているのは圧巻である。窪みには何体もの石仏が
見える。その巨岩に岩屋があり本堂の観音堂が建ってい
て、その本堂の正面の岩に千手観音が刻まれている磨崖
仏である。日本最古の石仏とか。ご住職が案内してくだ
さり昔は金箔がほどこされていたが今は岩肌のままだと
聞くが、このお姿の方が親しみがあっていいな∼と思う。
脇の堂にもそれぞれの三尊像9体があった。
遠くなる程の年月に岩肌のままのお姿は優しい威厳がある。住職の「自分だ
けのお願いだけではなく、最後に皆の幸せも祈るように」とここで初めて住職
とご一緒に仏像の前で「普回向」を唱える。
その通りだと、これからはせめてご縁のあった人達の幸せも願おう。分かっ
ているつもりが、いつの間に自分の祈願だけに夢中であったと、改めて気づか
された。気持ちよくお経を唱えることが出来たような気がする。
この近辺で7000年前の人骨や土器が発見されたとかで、展示されていた
がまだ生々しい思いがあって人骨だけは見ることが出来ない。
近くに巨大な平和観音がある公園になっていたが、果てしない時の流れのな
かで培われた大谷観音様の威厳や優しさに心が残る。
10
万願寺 本堂へ行く道は赤い灯篭が並び、渓流沿いに林
の中を歩く。今までと赴きの違ったお寺さんである。
山伏の修練の場でもあるとかで、行者達が水垢離をする
大悲の滝があり、滝から涼しい風が吹い
てきてほっと一息。落下6メートルの水
圧はどの位なのだろうか。
開基は700年代とゆう。さすが本堂
も堂々とした構えであり、欄干などにそ
の歴史の重さを感じる。ここは水が豊富でお蕎麦が名物だと
か。境内にも川が流れている。ただ残念なことに、奥の院の
方まで行かなかったので、絶壁の中腹にあるとゆう舞台造りの奥の院拝殿や鐘
乳石からなる、十一面観音を見ることはできなかった。
慈恩寺 埼玉岩槻に戻る。ここのお寺さんは今上映さ
れている、『西遊記』の三蔵法師にゆかりのある寺とか。
その三蔵法師の霊骨を安置した、十三塔がすぐ近くに
あるがここからの拝見に留まる。このお寺さんに孫悟空
のスクラップがあって、孫達に買って帰ることにした。
中世の慈恩寺は関東屈指の大
寺院だったとかで、その面影
が伝わる本堂である。こんな
身近な所にあるなんて知らなかった。
帰り道、あ!この道を行けば我が家まで15分、無常にもバスはひた走りに走
り過ぎる。でも車中は高齢者の診療の様子を面白可笑しく講演しているビデオ
に大笑い、つい私も楽しく笑っている間に川越に着く。
満願寺
満願寺
平和観
私達の足
11
第8回の旅は9月3日 茨城
清滝寺
大御堂
楽法寺
西明寺
バスでのお遍路巡りは今日が最終回。最後部にいつものメンバー が座る。打ち解け始
めた頃に別れは訪れるもの・・・。来年の秩父のお遍路の旅で再開できるかは、まだは
っきりしていない。複雑な思いをそのままに恒例の車中の体操、
「四季の歌」を歌いなが
らバスは順調に走る。茨城県に入ってからは萩・葛 などの秋の花が咲き、初秋の訪れを
感じる。稲は刈りを待つかのように黄金色に輝いている。
清滝寺 筑波山ののどかな田園風景から山の麓に向うと、突然目の前に急階段があり、
昨日一泊の山登りから帰ったばかりで、少し痛みが残っている足で大丈夫かと、一瞬ド
キッとする。階段を登ると塗りがはがれた古びた仁王門があり、木立に囲まれたこの寺
の厳かさが伝わってくる。
さらにその階段の上方に観音堂がみえた。さほど大きな本堂では
ないが、落ち着いた山のお寺さんの雰囲気を漂わせている。
境内に珍しい仏さま?の像を見つけた。
4つ足なので動物には違いないのだろうが。
急な下りの坂はちょっと注意が必要だ。
ここの周辺は小野小町ゆかりの地でお墓があるとか。山並みには白い雲が浮かび、田
畑が続き、柿の実はまだ小さくて、それでも中にはほんのり黄色に頬を染めはじめてい
たり、故郷を持たない私には羨ましい田園の景色の中を歩く。小野小町のお墓は小さく
献花が枯れていたのも、絶世の美女のお墓と思うと寂しさを感じる。
「自分にはもう遅す
ぎる美人への願いを孫に託して祈りましょう」と言う声が聞こえる。
この近くに公園?があり物産店や何故か水車小屋も。俳句の碑もありその中にとても
気に入った句をみつけた。
12
筑波山大御堂
ここのお寺の中の石に触ると字が上手になるとゆう。どうしても触らなくては。その他
にも池の脇の石に触れると何でも願いがかない、特にガン
にご利益があるそうで、ここでも石を触りまくる。
境内で種の中に納まっていらっしゃるような何とも愛らし
い観音様を見つける。
明治の神仏分離令までは筑波神社と知足院中善寺は胴体だったが、今は大御堂が再建
されているそうで、どうしてここに筑波神社があり、仁王門に仁王像でないことも納得。
その仁王門はなかなか趣があって歴史を十分感じさせてくれる。
筑波神社
楽法寺 山の中腹にあるこの寺は私にとって『坂東三十三箇所』のお寺の中でも忘れ
られないお寺のひとつになった。
12時に僧侶が修行の為廊下を渡って来る姿を拝見できるとゆう。バスの到着時間が
鍵を握る。間に会った。先に般若心経を唱えその時間を待つ。ところが何と本堂の中で
その修行を拝見できる事になった。やがて澄み切った鈴の音が聞こえ、布張りの履物の
音が聞こえてくる。息を殺すように本堂の入り口を見守る。若い僧二人と大導師が席に
着く。護摩が焚かれる。私達もそれぞれローソクに火を灯す。護摩の炎と何本ものロー
ソクの火、ドドーンドンと体全身に響く太鼓の音、始めは自分の体を打たれているかの
ような傷みさえ感じた。やがてお経の声と混じり合っていく。
目を閉じお数珠を手にしてただ身を委ねる。涙が頬を伝わりいつしか心が癒されてい
く・・・。幸いなことに廊下を渡って帰るお姿を写真に収めることもできた。
澄み切った鈴の音と布張りの履物の音の余韻を残して・・・・・・・・
3
13
多宝塔
渡り廊下
仁王門(桜門)
ここのトイレが坂東三十三箇所の中で1番綺麗だから是非、とゆう薦めに従った後
、二階の落ち着いたお部屋でお茶のご接待を受けた。そしてお体もお顔も福々としたご
住職がお寺の由来を話して下さった。本尊は延命観世音菩薩様であったので、参拝者も
年配者だったが、光明皇后の安産子育ての御祈願により、安産子育てとして今は日本一
参拝者が若い層になったとか。それで若いカップルが多かったのだろう。
ここで造花だと疑いたくなる色と形の珍しい睡蓮を見かけ
る。「一年中花の咲く寺にしたいから、睡蓮・紫陽花・桜を、
花のない季節には孔雀の羽で愉しんでもらいたいと放し飼い
にしているからご覧になって下さいね」と。言葉どおりその
孔雀が目の前をのんびりと歩いていたのにはびっくり。
深い香りのする睡蓮
この部屋から真正面に筑波山
が見える。
遅いお昼を車の中で食べる。こうしてお弁当を食べるのも最後だと思うといつものお
弁当もさらに美味しく感じる。
西明寺 陶芸の里・益子の山の中腹に建つ。鬱蒼とした木
立の間に真っ直ぐ続く石段を登りきると、そこには瓦葺屋根の
何とも奥ゆかしく優しげな仁王門があり、その門をくぐるとこ
こにも茅葺屋根の見事な本堂が厳かな姿をみせている。
14
坂東三十三箇所の浅草寺を除いた最後のお寺さんとして、本堂の中で般若心経を3回お
唱えする。声を張り上げながら32箇所欠けることなく
お参りできたことはなんと有難いことなのだろうと思う。
ご住職のお話を聞きながら前日の山登りの疲れの為か足が
棒のように痺れ、早く終わることを始めて願ってしまった。
本堂には木彫りの六観音が目の前にあり、どの観音様も優
しいお顔をしているのに、馬頭観音様だけは恐ろしい表情を
しているが、守って下さるとゆう安堵感を抱くことができる。ここには何と『笑いの閻
魔』閻魔様が笑っている像がある。それも大きい像で迫力があるがなんとも愛嬌のある
お顔で思わずつられて笑ってしまう。でもその傍の恐ろしい奪衣婆?はさすが写真を撮
る気にもなれない。この閻魔堂も茅葺屋根の愛らしいお堂にあるので親しみが持てる。
見所の多いお寺さんでこの三重塔の屋根のそり具合も美しい。
途中地元の野菜を扱うお店や益子の陶芸センターでそれぞれ買い物を楽しむ。
帰りの車中はビンゴゲームで盛り上がり、あちこちでため息や、残念と言う声が飛び
交う。その後瀬戸内寂聴さんのCDを見ながら、バスでのお遍路の旅の最終回を無事終
えることができた。
まだ真っ暗な 5 時 30 分の早朝に心細い思いで家を出た第 1 回目の 3 月。(川越駅前に
7 時集合だが電車の連絡が悪く始発の電車に乗らなくてはならない)
。早朝だとゆうのに
汗をかきながら電車に乗った夏の日々。そしてバスでの旅の最終回、やっと明け始めた
朝の涼しい風をうけながら電車に乗った 9 月。季節の移ろいをしみじみと感じる。あの
心細さもすっかり消えて、仲間に会えるとゆう楽しみに変わってもきた。自分探しの旅
はまだ終わりではないけれど、少し強くなれたようなそんな気がする。
お世話して下さった高木さん・同行の皆様に感謝しつつ一抹の寂しさを感じる。
またご縁がありますように・・・・。
合掌
15
視覚障害者のスポーツ、最終回
障害者スポーツ指導員 横山 二三男
冬号では、サウンド テーブル テニス(STT)の、主審デビューのお話を中心にレポー
トいたします。三年以上玉拾いを経験し、一年前に公式審判員の資格を取得し、副審をするこ
とはできても、主審はいまだ未経験。関東ブロック大会で主審デビュー。その経緯と大会の内
容をサラッと。
特訓が始まる。
11月24日、25日の大会に向けて、青葉マークの横山の特訓が開始です。県内の、参加
予定選手の練習会が、各地で始まり、その練習会に参加して審判練習が始まりました。
各地の代表選手ですから、さすがにレベルが高く、ボールのスピードがとても速いのです。主
審は、声を出してジャッジし、どちらのミスか宣言し、得点選手の名前を「ポイントだれそれ、
ワンツー」とスコアをいいます。早いラリーでは、瞬間に「ストップ」をかけ、判定を宣言しな
くてはなりません。迷っているとラリーはどんどん進んでしまいます。この練習を1時間も続
けると頭が「ぼー!」としてしまいます。実際の試合では30分くらいで勝負が決まりますが、
1時間の緊張を続けるのも訓練です。毎週土日と、試合前前日まで練習に明け暮れました。目
と音の訓練、参りました。
試合前の主審のコール
試合前に「これより、A選手対B選手の、21点、3ゲームズマッチを行います。主審横山、
副審○○、よろしくお願いします。
」と声かけをします。試合前の主審の緊張の一瞬です。
組み合わせ表も作ります。
参加選手の、キャリア、参加地域をもとにトーナメント形式で組み合わせ表を作ります。参
加者の人数が確定した段階で、当日配るパンフレット、会場に張り出す見やすい大判のトーナ
メント表を審判員が作ります。卓球協会のメンバーの応援もいただけます。
多くのボランティアが支えます。
試合会場には、2名の選手はもちろん、主審、副審、カウンター(飲み屋のあれではなく、
スコアをつける人)の3名と、選手のチェンジコートの手伝いと、玉拾いをするボールパーソ
ンが2名必要です。ボールパーソンは試合中ガイドさんに代わって選手を誘導するのが仕事で
す。試合会場は4箇所あり、選手召集所に選手、ガイドさんを集める係りの人達、試合の進行
を管理する人たち、食事、着替え、の世話をする人たち、そして大会全般の運営に関わる人た
ち、百数十名のボランティアの人達が大会を支えています。
ボランティアの練習会
はじめて、STTを手伝う、視覚障害者に接する人がほとんどです。私もそうでしたが
そんな人達のために、試合当日を想定した練習会も開催されています。練習はしていても、当
日はいろいろな苦労もあります。
16
大会の概要。
今回の大会は、第21回 日盲連関東ブロック 視覚障害者サウンドテーブルテニスさいた
ま市大会で、神奈川県、横浜市、川崎市、東京都、千葉県、千葉市、山梨県、茨城県
栃木県、群馬県、埼玉県、さいたま市の12地域、選手58名が参加する大会でした。会場は
埼玉県障害者交流センター(大原)で、個人戦と団体戦が24日、25日の二日間、開催され
ました。さいたま市、県内マスコミ支局、県内企業の後援もありました。地元選出の自民党、
民主党の衆議院議員も開会式会場に顔をだして、試合の観戦もしていました。総選挙は近いの
か?
試合前の主審の仕事。
参加選手は、試合エリアに入る前にアイマスクをし、試合後試合エリアを出るまでは、アイ
マスクをはずせません。主審は、選手が試合エリアに入る前にラケット、ユニフォーム、アイ
マスクのチェックを行います。ラケットは規定どうりか?ユニフォームはJTTA(日本卓球
協会)公認のユニフォームか?アイマスクは中山式の規定どうりのものか?
実際にアイマスクをかけてもらいチェックします。団体戦は、さらにユニフォームが統一され
ているかのチェックが加わります。今回の大会でも事前のアナウンスがされていても徹底度合
いは70%ぐらいでした。せっかく遠くから参加しているのに「だめ」は出せませんので、審
判長に申告して今回限りの許可をいただくことになります。だんだんこのルールも徹底度合い
はよくなってきているとのことです。
アイマスクについて。
中山式のアイマスクは、海外旅行の航空機の中の光を遮断するアイマスクとして、十分機能
を発揮するので、最近は、旅行グッズとして売られています。(1000円前後)
試合後は本部へ。
試合の結果は、速やかにそして正確にスコアと勝者を本部に報告します。ここで正反対の報
告をすると、大会が壊れてしまいます。準々決勝以降の次回の試合会場と、試合開始時間に余
裕を与え、選手と観客のスムースな誘導ために速やかな報告が要求されます。トイレもサッサ
と。(早メシ、早○○○、芸のうち)
大会結果。
今回の大会で、埼玉勢は、女子個人戦優勝Y女史。男子個人戦3位N氏、団体戦さいたま市
優勝。と地元選手の活躍がありました。次年度の大会は千葉県で開催されます。
さて、
初主審の横山は、25日PM8時には、眠りに付き、翌日8時まで爆睡!いたしました。
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「見沼の開拓者たち」の連載を終えて
さいたまSLAの会
蓜島 駿
エピローグ:
インフラ整備・開発特区・再構築:
創刊号では江戸幕府の草創期に活躍した関東郡代伊奈半十郎忠次・忠治親
子に登場してもらいました。伊奈半十郎忠次・忠治は江戸の後背地としての
各河川の整備改修、溜め井による水源
確保・用水路の整備など、食料や生活
物資の需給体制を築きました。
また、中仙道など五街道のほか主要な
脇往還の整備も行い江戸を中心とした
関八州の生活基盤を整備しました。
江戸初期の中仙道は大宮氷川神社の
参道を一部利用していましたが、現在
の大宮区吉敷町の一の鳥居の所で分岐
して新しい中仙道を造り大宮宿を開い
たのも、その一例です。
第2回の坂東家は、第3回の井沢弥惣兵衛による見沼新田開発の先駆者と
して溜め井が新田として開発可能なこと、そのためには見沼溜め井に代わる
用水が必要であることなどを、入り江新田にて実地に検証しました。さなが
ら江戸版の新田開発経済特区といったところでしょう。
しかし、新田開発特区として公許されましたが水不足という開発による被
害者からの訴訟が起こされます。すると既に新田として検地を行い幕府とい
う権威に認められていても裁判の結果は敗訴であり原状復帰となりました。
私は諫早湾の干拓と漁業者の訴訟を思い起こします。
第3回の井沢弥惣兵衛は農業基盤(=財政基盤)の再構築です。幕府は2
万両の巨費を投じて、利根川からの取水、懸け樋・伏せ越の工事、60Km
に及ぶ水路開削を行い、従事した作業人員は延べ50万人といわれています。
溜め井に代わるインフラ設備として完成した見沼代用水は、見沼新田1万
2千町歩と代用水沿線の諸沼干拓による6百町歩の新田をもたらしたので
す。
当時は年貢を納めることの出来ない零細農家を作らないために分家分地は厳
しく制限されていましたが、見沼代用水は貢租可能な自給自足の自作農を数
多く出現させました。国家的プロジェクトによるインフラ設備の再構築が財
政再建と近郊農村の発展、多くの雇用を創設したのです。
見沼の開拓者たちによる、インフラ整備は豪華で絢爛とした元禄時代を支
えましたし、インフラの再構築は文化・文政時代の江戸文化爛熟時代をもた
らしたのです。
私は「見沼の開拓者たち」のひとつの夢の実現を見る思いが致します。
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治水と利水:
見沼元圦公園にある慰霊碑には殉難者「村上彰」さんの名が刻まれています。
見沼代用水の歴史の中で多くの殉難者がいたことに思いを馳せて、第4回は殉難
者と題しました。
江戸を守る治水の一環として利根川と荒川を分離して利根川を鬼怒川の流れ
に替え、さらに荒川を熊谷市の久下で入間川流域に付け替えたのは1629年で
した。それから300余年後の1960年、東京オリンピックの年に首都圏の都
市用水として、見沼代用水の元圦から取水し武蔵水路を経由して荒川に送水され
ました。つまり300余年の歳月を経て利根川の水は治水ではなく利水として東
京に帰ってきました。
この後は日本が遭遇した未曾有の高度成長時代、私達が過ごした昭和元禄時代
を迎えることになります。
福祉の充実した社会:
私達は福祉の充実した社会に住んでいます、上下水道、電気、ガス、電話など
のインフラは整備され、日常生活のさまざまな部分もさらには介護や看病、最後
の看取りまでも、公共的サービスや社会システムからサービスを受けあるいは買
っています。一方では少しずつ自活能力を失いつつあるような気がします。
見沼代用水も農業用水専用から都市用水併用になり、見沼田圃には耕作放棄地が
増え斜面林は切り拓かれて、高齢者用ホームが次々に建てられています。
連載のエピローグに際して「見沼の開拓者たち」にふさわしい将来を展望でき
るような何かを探し求めましたが、私には見えないのが大変残念です。
最後になりましたが、4回の連載を読んでいただいた皆様と季刊誌という場を
提供してくださったさいたまSLAの会に、お礼を申し上げて筆を擱きます。
ご愛読まことに有難うございました。
取水口のおだやかなれば空っ風
吹くも間近し利根の大堰
通船の用水土堤も春にして
踊り子草は風にぞめぐる
見沼代用水の近影・近詠
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NPO考:3つのNPO
近藤康男
1
はじめに
現在、私が関係しているNPOが3つあります。この概要を紹介しつつ、N
POについて考察を加えたいと思います。
2
3つのNPO
(1)さる音楽団体
日本には NHK交響楽団ほかプロのオーケストラが多数あります。主要な2
1団体の統計によると年間経費は十億円前後しますが(この大半が楽団員の人
件費)、いずれもスポンサーからの助成金が必須です。これが日本の現状です。
さてここに紹介する音楽団体は地方の市民オペラ団体でありますが、23年
に亘り定期公演を重ねる団体であり来年3月、第24回定期公演が行われます。
今年、任意団体から埼玉県のNPO法人化しました。
年間予算は2000万円程。この約半分が入場料収入。残りが助成金です。
公演はソリストとオーケストラがプロ。但しオーケストラとは4日程度しか共
演しません(合わせ1日、GP1日、GPと本番2日)。高いからです。
合唱団はアマチュアですが、都度募集されます。つまり固定的なメンバーが(極
端に言うと)1人もいないのです。恒常的な固定費を避けるためだと思います。
とは言え、公演にはこの他、俳優やダンサーなどの出演者だけではなく演出家、
合唱指揮者、舞台監督など裏方が多数います。手間が掛かるものであります。
さらに、助成金と一口に言いましたが、毎年スポンサー群と交渉し大変な汗と
熱意により獲得しているのであります。
合唱団にはチケット販売ノルマが課されますが(4枚程度)、80人だとして
も320枚。残りの約1000枚以上(2日分)はこの手段以外の方法で販売
されています(常連、プロモーション、その他、未解明ですが)。
今年、埼玉県の文化助成を数十万円獲得しましたが(事業の半額)、埼玉県
協働事業の獲得は出来ませんでした。この事業は2年に亘らないと獲得は無理
そうです。が、1年目で1件獲得はラッキーだと思いますがこれも実力がなけ
れば出来ないことです。NPOの助成獲得は熾烈を極めているとのことであり
ます。
尚、埼玉県の助成報告での経費エビデンス提出は大変そうです(まだですが)。
また人件費は認められません。
20
(2)さる協会
次いで、会員数数百人の東京のNPO法人ですが、こちらの年間予算は70
0万円程度。百∼数百万円規模の事業を幾つか手がける。
例えば墨田区役所の年度末イベントを今年、来年と行うが、今年の場合1日終
日に亘る大講演会が行われた。
かつてのマラソンの宇佐美選手の講演、地元各団体の紹介イベント、プロ歌手
のミニ公演、最後は落語の落ちである。(お年寄り)数百人が集まった。
当日の手伝に刈り出されたが、15人の役員総出、理事長の出身母体の千葉メ
ンバーら多数の応援のもと、会場設営(舞台、マイク、椅子等)、受付準備と
受付仕事、そして進行と補佐(音響、照明など)、一切を何とかやりこなした。
私は音響と伝令と、会場の客へのマイク渡しなど使い走ったものだった。
理事が15人もいると理事会は踊りはすれ収束しないものだが、この様な人手
がいる場合には都合がよいものである。
但し、進行運営の分担表は作成されたが、その範囲はやれるが、境界や全体を
通す整合、その場の適切な判断は不十分であった。1日を取り仕切る舞台監督
の機能を知らず、またいなかったからである(裏方での進行を支援するセミプ
ロが用意されたが「舞台監督」として依頼されたものではなかった)。
尚、幸か不幸か、助成事業はなし。
このNPOは、量の面では参考にできるであろう。
(3)新たに設立予定のNPO
さいたま市周辺で活動するグループが平成20年度当初、NPO 法人化する。
このNPOが3つ目の話である。
年間予算は数十万円の予定。1番目のNPOと比べ2桁小さく、2番目のNP
Oと比べても1桁小さい。しかし昨年と今年、さいたま市生涯学習センターと
の共催講座を受託し、意気は盛んなようである。講座への人気はまずまずであ
り、参加者は楽しそうである。
法人化は前向きであり、また挑戦的である。健闘を祈りたいと思う。
2
NPO考
(1)メリット、その裏にデメリット:目安は8分の出来!?
埼玉県はNPOの設立に(現在は)前向きである。団体数も600以上あり
このため埼玉県の助成金の獲得競争は熾烈を極めるようである。この他、民間の
助成がある。
新たに設立予定のNPOの場合1年目は、さいたま市共催講座クラスを2つ行
うのが、まずは目標だろうか(上期、下期)。そして1年を通じ、
(助成情報など)
年間の流れを読むこと、また実力をつけることではないだろうか。
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他のNPOを研究することも必要であろう。ここにNPO事例を紹介したのはこ
のためでもある。いいとこ取りをしようと言うものである。
音楽団体である1つめのNPOの参考とすべきところ、メリットとしては、
「私
語の禁止」など統制がとれていること、恒常的固定費の回避政策、助成金獲得力、
集客力などである。しかしメリットはまたデメリットでもあり、このNPOは“乗
っ取り”を回避するためとして、会員の権限が制限されているのである。
また目的が明解なだけに、会員は論理積を求められがちである。
2つめのNPO、協会の参考とするところ、メリットは量である(理事が多い、
会員が多いなど)。が、理事が多いことはデメリットにも通じる。
以上から言えばメリットばかり、100点満点のNPOはないと言うことであろ
う。
とは言え、メリット・デメリットが相半ばする(50点)と言うのもいかがなも
のだろう。
80点、腹8分が一応の目安だろうか。
(2)協調、協力、そして協働を!
会員が論理積を追求すれば、それはクローズなものになってしまうだろう。
が、単なる論理和だけでは烏合の衆になりかねない。地域や人々との連帯に向け
るなどし、協調、協力、また協働し、一定の社会貢献を求めて行くことは意義が
あるだろう。
(3)会員は顧客満足を、役員は会員満足を!
NPOの活動の対象者を顧客とした場合、顧客満足を獲得し社会貢献に資する
のは会員の一つの役割ではないだろうか。
そしてこの会員の満足を獲得するのは役員の役割であろう。参加意識と参加の向
上、盛り上がりへの配慮などである。
月例会(定例会)がこの場になることを期待するものである。人のため、それが
自分のためにもなる講座やイベントが花咲き、育つことを念じたい。
(4)十年の大計を!
何人かのリーダーのリレーにより、トレンドの一歩先を行く事業運営が図れば
よいのではないだろうか。出来れば女性のリーダーの方にも加わって頂き、十年
の大計が結ばれれば幸いである。
以上
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☆シニアライフの過ごし方
「身近な国際交流によるボランティア活動」
さいたまシニアライフアドバイザー
爪川 嗣敏
<きっかけ>
・5年程前の春、某寺の「枝垂れ桜の下でジャズを聴く会」に夫婦で参加しました。その時30数年振りに高校
時代の同級生に再会した。やはり夫婦で参加していた彼から「○○市国際文化交流会」への入会を勧められ
た。そんな「七面倒くさい」ことは否と言ったところ、彼からは「実態は飲み会」だからとの説明があり、それなら
と入会を承諾した。
<○○市国際文化交流会の活動内容>
・そもそもは、旧浦和市にある「外務省の外郭組織」の日本語センターに全世界から「日本語教師」が
長、短期に亘り「日本語研修」に訪日しています。研修の一環として、日本の一般家庭での一泊2日の
ホームステイを実施しています。その受け入れの家庭として登録し、ボランティア活動しています。
・関連活動としては、春は「さくら祭り」に「チジミの販売」「コーヒー」「アクセサリー」の販売など
秋には、「○○フェスタ」などに参加し、楽しみながら少し売上をあげています。その利益分を寄付を
したりしています。寄付先のテーマは「アジア」「こども」「教育」をキーワードにしている。
・忘年会やクリスマス会、(国際)料理教室なども不定期ながら行っています。
日本語教室も毎週日曜日に開催しており。すでに4年目に入ります。
<交流の拡大=楽しさの拡大=第1ラウンド>
・ホームステイは基本的には「1泊2日」で終了ですが、前回の研修生(インドネシア人=女性)は、何故か拙
宅が気に入ったらしく、その後も5∼6回遊びききてくれました。そしてとうとう親孝行で母親を日本に招待(初
海外旅行)することになったが、時期がクリスマス∼年末∼正月で宿泊先がない。
それで、急遽拙宅に泊めることになった。母娘はたいへん感謝して帰りました。
研修の終了時に話が進み、バリ島に旅行する約束をしました。
<交流の拡大=楽しさの拡大=第2ラウンド>
・9月末、約束通リ夫婦で「バリ島」に旅行しました。研修生の彼女は帰国誤めでたく妊娠しました。
その身重なのに、お母さん、お姉さん、ご主人とともに、インドネシア本島のスラバヤから10時間
かけて車で会いにきてくれました。合流後は、バリ島内のウブドなどを一緒に観光ドライブ。最期は
クタビーチのサンセットを感動して魅入ってしまいました。
<今後の発展>
・今回の交流を通じて、新たな興味・関心として、「アジア地区での日本語教師の支援活動」をやってみたい
という欲求がふつふつと沸いてきています。
以上
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[編集後記]
子供の頃、クリスチャンでもないのにクリスマスで遊びました。
この間、11月でしたか、面白く変装した子供達を目撃しました。ハロウィーンの
遊びだったようです。
子供はいつの時代でも興味津々の生き者なのでしょうね。
今回、長編連載の一つが終了した。力作でもありました。お疲れさまでしたし、
ありがとうございました。
また「坂東巡り」は2回物でしたが、こちらも中々の力作、大作でした。
今回も投稿いただいた皆様をふくめお礼申しあげます。
来年はNPO設立の年でもあり、会員の増加と投稿者の増加を期待しております。
連載ものを含め、あらたに企画したいと思います。
ご意見いただければ幸いであります。
では、よいお年を!!
[ハロウィーン] はてなダイアリーより
万聖節の前夜祭。古代ケルトが起源で、秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭り。
アメリカでは、思い思いのコスチュームに身を包んだ子供たちが、カボチャの提灯
(Jack-o’-Lantern)を持ち、「Trick or Treat?」と言って、近所の家々をまわる。
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