流動・散在・結集する戦国期の勧進聖 - 歴史の目的をめぐって

2011/05/28
大谷大学日本史の会
流動・散在・結集する戦国期の勧進聖
工藤 克洋
はじめに
中世後期の勧進・勧進聖研究
①体制化・堕落論
[中ノ堂 70・78]
・宗教的作善→権力の支配機構を利用した勧進(棟別銭徴収・関銭)
[網野 78]
・勧進の「本来的意義」の自己解体[中ノ堂 78] 勧進の「堕落」
②寺社勢力・寺院社会論と本願論
・寺院内社会における「聖」の台頭[吉井 84]
[下坂 91]
・膨大な奉加を集める中世後期勧進聖(清水寺勧進聖願阿、同寺本願成就院)
・棟別にかわり寺社の造営費用を捻出する中世後期の勧進聖[太田 08]
⇒中世後期の勧進の体制化論(①)を相対化する途を開く
問題の所在
[河内 04]
[太田 08]
・②→勧進聖の寺社への定着・内在化[下坂 91]
⇒中近世移行期における寺院内社会(神社を含む)の変容を示す象徴的な存在[河内 04]
[豊島 10]etc ⇒「本願」の多様性[大谷 06]
→各寺社の「本願」の個別研究[太田 08]
⇒寺院内社会における位相、寺社の内在化を指標に勧進聖の歴史的意義が問われる。
※②の評価の背景 黒田俊雄の寺社勢力論における「聖」
【資料1】
・②の指標→各寺社における勧進聖・本願の位置づけとしては可
→各寺社における勧進聖・本願の位相から彼等の存在意義を論じるだけでは、①の相対化とし
ては不十分。勧進聖が棟別にとって変わる理由にならない。
・なぜ勧進聖なのか?
→勧進の成果(膨大な収益)とそれを可能とする本尊開帳、廻国による奉加徴収といった勧進スタイル
[下坂 91]
⇒それらを可能とした勧進のしくみについては未検討
・中世社会における「聖」の位相-黒田俊雄の身分論―【資料1】
・
「寺院大衆」から「離脱した存在」としての「聖」
・寺院社会ではなく中世社会における支配秩序の身分から逸脱する身分
[工藤 10]
)
、勧進の体制化を相対化
★寺社への内在化にとらわれない勧進聖像と勧進のしくみの提示し(
することを目指す。
1.勧進聖の出自と経歴
出自【表1】
・勧進聖となるのは、時衆(①)
、隠遁僧(元学侶)
(②)
、十穀(①③④⑤⑦)
、山伏(⑥)
、木食(⑧⑩)
、
六十六部(⑨)とその出自はさまざま。
(
「三十二番職人歌合」
)
(⑥)←①~⑩
・
「勧進聖」は「職人」
⇒勧進聖になるのは寺社の非正員(注.勧進を行うのは勧進聖だけに限らない)
経歴【表1】
・さまざまな勧進事業を手がける(①②⑩)
・寺社付の勧進聖であっても兼帯する場合がある(③⑦⑧⑩)
・推挙(寺社外によるものもある)によって寺社付の勧進聖となる(②~⑤、⑧⑨⑩)
・勧進聖側からの辞意表明(②③)
⇒戦国期の勧進聖は、寺社の非成員であり、所属は流動的。1つの寺社(勧進事業)に従事するわけでは
なく、兼帯というあり方からして勧進聖は身分的な拠所を寺社に置かない。聖側からの勧進辞退から定
着化の志向性も希薄。
→定着を指標とする本願(勧進聖)の位置づけは適当ではない。
1
勧進聖の転任や兼任というあり方、推挙による任用から、系譜的連続性や寺社に所属していることより
も「勧進聖」としての「個」の能力が社会から重視・期待されている。→中世社会において「勧進聖」
の所属(寺社)は問われていない。
※清水寺本願成就院等のように師資相承による勧進聖継職においても「器用」が優先【資料9】
★寺社(所属)ではなく、聖・山伏の「個」の勧進能力が、戦国期社会においては彼等の存在を証明する
指標。
2.勧進聖のユニットと本願の組織構造
・
「本願」…勧進聖が結集した組織。15C 末以降確認される。
・本願組織のイメージ【資料 10・11】
【図1】
→①本願がトップとして勧進聖を統率(高い地位にある)
②すべての勧進聖は本願つとめる勧進聖と師弟関係にある。本願以外は本願弟子。
・勧進聖のユニット 祇園社本願万蔵【資料 12】 善光寺本願聖智円【資料 13】
→師(
「主」
)と弟子、召仕の4名程度で勧進聖はユニットを構成
・本願の組織構造
祇園社 師資相承ではなく遷代による本願職の継職【資料 11・14】
多賀社 本願不動院 敏満寺系坊院の成就院・般若院[工藤 10]
※配札範囲をめぐり勧進聖間での連携がとれず相論勃発[工藤 10]
→本願内の勧進聖は独立したユニットを形成している。
・本願以前の寺社付勧進聖
「八坂神社文書」
)
例)祇園社 左方大政所/八坂塔修造/祇園社少将井御旅所(
長谷寺 一切経勧進聖/三重塔勧進聖/閻魔堂勧進聖【資料 15】
【図3】
『言経卿記』文禄 2.8.5 条)
清水寺 本願成就院/清水寺奥千手堂本願清雲(
⇒【図1】→【図2】
複数の勧進聖ユニットが集合してできたのが「本願」組織。本願職は諸々の勧進聖を統括する職務。本
願内の勧進聖はそれぞれ師弟関係に基づく独立したユニットを形成しており、本願内の勧進聖間の関係
は必ずしも本願職につく勧進聖と師弟関係にあるわけではなく、また完全な支配下にあるわけではない。
★個々に独立した勧進聖が集合してできたフラットな勧進組織が戦国期に登場する「本願」
3.寺社付勧進聖と散在する勧進聖の結集
・諸国散在の寺社付でない勧進聖との連携[工藤 10]
・多賀社 諸国に私宅を構える同宿-京都住山伏慶春の勧進【資料 16・17】
・善光寺 堺住の本願聖智円と河内高屋住の聖宗印による勧進企画【資料 13】
・長谷寺 長谷寺勧進聖玄空による「北国案内」の十穀登用【資料 18】
・東大寺 本願清玉の薩摩勧進に阿蘇山行者が関与【資料 19】
・伊勢社 本願慶光院清順による勧進に飯道寺行仙が関与【資料 20】
・延暦寺 熊野新宮本願(飯道寺梅本坊)による伊達家への根本中堂勧進【資料 21】
・清水寺 成就院の使僧が大峯入峯の行者【資料 22】
・所属をこえた勧進聖の結集
・長谷寺 長谷寺勧進聖だけでなく法隆寺、内山永久寺等の勧進聖参加【資料 15】
・勧進聖の都市居住
・善光寺 堺に居住【資料 13】
・宗印
河内守護畠山氏の居城高屋城下に居住【資料 13】
・高野山 「高野本願」が安土城下、京都に居住【資料 23】堺に高野道場[太田 08]
・他寺社に止住する寺社付勧進
・浄土寺住する吉野勧進【資料 24】高野山西光院堂勧進のため土佐に下向【資料 25】
・勧進聖プロデュース 住吉・吉野・長谷寺巡回万部経法会【資料 26】
2
⇒①寺社付勧進聖 ②寺社外の勧進聖(山伏)によって勧進は進められる。
勧進聖は在地や他寺社の勧進聖と連携、
また自身ないし弟子が都市にあって独自のネットワークを形成。
寺社付の勧進聖に代わり勧進を所属の異なる聖・山伏が勧進を請負う。
★戦国期の勧進は寺社(所属)の枠組みをこえ、諸国散在の聖・山伏の結集により成立
4.勧進聖の「個」の力と勧進-戦国期勧進の特徴-
[網野 78]
・諸国勧進=棟別銭徴収⇒勧進の体制化[中ノ堂 70・78]
→応永 20 年(1413)東寺修造棟別銭の山伏徴収[榎原 86]→失敗[伊藤 99]
※棟別銭徴収の消滅 東寺[伊藤 99] 熊野社[太田 08]
「成就院文書」
)
[下坂 91]
・清水寺勧進聖願阿 膨大な奉加(6515 貫)の獲得(
(1)諸国勧進
①勧進実施国の選定【資料 13】
・在地勧進聖と相談し勧進先を決定
②勧進実施国の領主に勧進許可と領内の通行許可を申請
・朝廷、幕府、大名など申請先はさまざま【資料 27・13】
・勧進先の事情に明るい者が随行(将軍との交渉)
【資料 18】
⇒許可を得て最も効果が期待される人物のもとを訪れ協力を要請
③諸国下向
・勧進帳作成【資料 17】
・配札勧進 熊野[山本 99]多賀[菊池 83]福智院地蔵堂[阿諏訪 04]東寺[太田 08]
・勧進=檀那廻【資料 28】
⇒先達山伏のもつ檀那場が勧進対象→恒常的な利益をあげる[工藤 10]
・上洛した日向山伏が伊勢の御祓と鞍馬山伏の書状を携え帰国【資料 29】
[工藤 11]→参詣の願望、情報の収集
・代参・引導の需要【資料 30】
⇒祓・札の配布は散在の聖・山伏が請負。また、檀那側からみれば、散在の聖・山伏は自身の宗教的
願望を満たしてくれるとともに、諸国の情勢を伝えてくれる存在として重宝される。
★課税として受け止められ拒否された棟別銭徴収にかわり、奉加者である檀那の要求に沿った活動を聖・
山伏が展開することで、戦国期の勧進聖による勧進は社会に受け入れられる。勧進の体制化(棟別銭徴
収)にかわる新たな勧進奉加取得方法が創出される。その際、勧進場所の選定や対外交渉など散在の聖
(寺社付でない聖)が重要な役割を果たす。
(2)千部・万部経法会
①本尊開帳の許可
・長谷寺本尊「大聖」開帳のため、本寺尋尊の許可と勅許を勧進聖が申請【資料 31】
・勧進聖執行の千部経法会に北野社社家は開帳拒否。幕府の命により許可【資料 32】
※永正 2 年より千部経法会を勧進聖が執行。それ以前も執行していたが、
「無御布施」きにより「経
『北野社家日記』明応 2.10.9 条)
衆悉退散」の状態(
・散銭収入を増やすべく、女人の参詣を促すため、千手観音造仏=女人救済の論理で、東大寺大仏殿内
における女人禁制解除の勅許を求める。
【資料 33】
⇒寺家・社家が本尊の進退(所有)権を有す。勧進聖は寺社の正員でないため朝廷・幕府の許可を得て
本尊の開帳を行う。千部経法会は勧進聖執行以前から寺社主催で行われており勧進聖独自の事業では
ない。その中で勧進聖が採用される。いかに参詣者を増やすかが課題。
②導師・経衆の調達
『清水別当記』
)
・清水寺 本寺が調達(
「太山寺文書」
)
・祇園社 勧進聖所縁の地方寺院に依頼(
・北野社 勧進聖が経衆布施物を負担(先述)
・長谷寺 万部経興行で得た散銭が経衆布施物に当てられる【資料 34】
⇒経衆の確保の仕方はさまざまであるが経衆布施物は、寺家・社家では経済的に執行困難であるため勧
3
進聖が請負(先述)
。布施物負担は莫大(
【表2】参照)
。勧進聖は経衆布施物を賄うだけの私財と興
行能力を有す。勧進聖の私財で成り立つ寺社の仏神事。
③万部経法会の宣伝
・清凉寺 幕府-戦国大名-国内の伝達回路を用い万部経法会を宣伝【資料 35】
・清水寺 洛中洛外および諸国に札を立て万部経法会を宣伝【資料 9・36】
・長谷寺 長谷寺出入停止の勧進聖が札を打ち十万部経を単独執行【資料 37】
・住吉・吉野・長谷の万部経巡回執行の宣伝【資料 26】
⇒幕府・守護の支配機構を利用し札を立てたり、勧進聖のネットワークによって宣伝
④法会(興行)の場【資料 38】
・諸国から貴賎男女が上洛。興行の場には市が立ち、賑わいをみせる。
・本尊開帳・法宝物展示。近隣の寺院から霊物借用。
⇒大名領国の垣根をこえて人々が群集。霊物の展示。興行期間中複数回参詣する者も。
★勧進聖の私財とネットワークが万部経法会執行に活かされ寺社参詣者の増大をもたらす。
5.勧進奉加物の行方-勧進聖の私財-
・万部経興行の収支(例.長谷寺)
【資料 31・34・39】
・支出(文明 16 年)
・会場(仮屋)設営費 80 貫/本尊使用料 100 貫→勧進聖支出
・経衆布施物 500 貫→万部経法会期間の散銭収入にて支出
(
『大乗』明応 8.2.21 条)
※万部経法要 経衆布施物 360 貫(経衆 1200 人・人別 300 文)
・収入-散銭収入-【資料 34】
・文明 13 年万部経 1200 貫(120 貫/1 日) 文明 16 年万部経 600 貫(60 貫/1 日)
『大乗』文明 16.4.2)
※【参考】尋尊 北陸荘園年貢収入 17 貫 500 文(
[阿諏訪 04]
東寺大師御影供(3/21)40~50 貫(文明 10 年見込)
文安年間東寺「諸国大師門徒勧進」10 ケ国 370 貫[伊藤 99]
⇒散銭収入だけで、万部経興行の経費を賄えるだけの収入が見込める。ここに諸国奉加物が加わる。た
だし、勧進聖による万部経興行による参詣者からの散銭は勧進聖のものとはならない。よって、布施
物を除く万部経興行経費分は赤字。
「成就院文書」
) 東寺散銭収入は東寺公人[阿諏訪 04]
例)清水寺散銭収入は寺家六坊(
・勧進による取得物の行方【資料 34・44】
[太田 08]
・万部経興行収入(散銭)→寺家へ納入 例)東寺[阿諏訪 04]
・諸国奉加物→勧進聖が取得
例)東寺
勧進聖の奉加物は寺納されていない[太田 08]
多賀社 社家は不動院・敏満寺坊院の檀那場を把握しておらず、檀那からの祈祷依頼・祈祷料寄
進も社家ではなく不動院宛[工藤 10]
⇒勧進奉加物は寺納されず勧進聖の私財となる。万部経興行の赤字をこれで補填。
⇒私財を投入して興行を行い、諸国奉加物で回収する。寺社造営を勧進聖が請負うということは、勧進
聖の私財で寺社を造営することを意味する。
・金融業を営む勧進聖【資料 40】⇒莫大な私財を有す。
・本願職補任を拒否し「成就院納所」を立てることを希望【資料 41】
・本願職は勧進聖の経済基盤(奉加物)を守るものではない。寺納の回路となりうる。
・清水寺の一院家として確立し、清水寺の正員として憚ることなく寺名を使い勧進を行い、その奉加物
の独占をはかる(清水内在化の理由)
。
★勧進聖の勧進による奉加物は、散銭を除き勧進聖の私財となる。寺社から独立した経済基盤と財産を所
持する。寺社修造は勧進聖の私財によって進められるしくみ。寺家・社家の反発にものともしない造営
事業における勧進聖のイニシアチブはここに由来する。
『大乗』長享 3.3~4 月)
※長谷寺経蔵上葺 玄空は尋尊が拒否する瓦葺を幾度も主張(
4
6.戦国期勧進聖の限界-散在聖の勧進と「まね勧進」-
・勧進は物乞行為と還元行為の二つの原理によって成立。中世後期・近世は「物乞的領野の利権化と多義
[東島 00]
化による〈社会的還元の回路の喪失〉
」
・中世末・近世、偽勧進、
「まね勧進」の横行【資料 42】⇒頽廃・堕落、乞食化[五来 65]
⇒勧進聖の頽廃・堕落は進行していたことは否定できないが、本報告で明らかにしてきた戦国期の勧進し
くみから「まね勧進」問題を読み解く。
(
『清水別当記』
)
・成就院納所設立事件の顛末→成就院「本願職」就任(任料不納で手打ち)
⇒成就院は奉加物の独占を諦めて、
「本願」
(勧進聖)であることを選択。
・
「本願職」の意味【資料 43】
・勧進聖の勧進活動が正当であることを保証する。
・
「猥徊国之輩」の勧進を止め「本願一人」に勧進活動を一本化させる政治権力の意向
・
「猥徊国之輩」
「まね勧進」の中身
・
「号勧進、国々江往還族」
【資料 16】/「御伊勢殿と申まね勧進之者数多下国仕」
・他社の札を配布する山伏の姿(先述)
【資料 29】
⇒「猥徊国之輩」
「まね勧進」=諸国散在の聖・山伏による勧進(配札)
⇒戦国期の勧進聖がうみだした諸国散在の勧進聖との連携によって成り立つ戦国期の勧進は、偽勧進、ま
ね勧進と表裏の関係。散在聖・山伏との連携によってもたらされる利益をとるか、それとも偽勧進・ま
ね勧進問題の解消をとるかの二者択一を迫られる。
・戦国期、近世における散在聖・山伏による勧進の禁圧レベル
・戦国期、諸国勧進聖の進退問題は本願にゆだねられる。自浄作用を期待。
・近世、幕府から寺家・社家にまね勧進禁止を通達。寺社が勧進(聖)を取り仕切る。寺社の正員の聖・
山伏でなければ勧進ができなくなる。
※近世初頭、勧進聖(山伏)が伊勢御師へ転進[西山 87]
※近世、祇園社本願内に聖護院山伏[加藤 10]→両属のあり方は完全に消滅しない
★近世において、散在聖・山伏による勧進は完全に否定される。戦国期、寺家・社家の管轄外であった勧
進が、幕府の命によって寺社の問題として扱われ、勧進の主体が聖から寺家・社家に移行していくこと
で、勧進聖が寺社の枠組みにからめ取られる。寺社に内在化した一部の本願(成就院、多賀不動院、祇
園社本願など)を除き、本願は寺社の正員でないこと(本来的な姿)を理由に排斥の憂き目にあう。戦
国期の勧進聖が創出した勧進のしくみはここで解体していく。
おわりに
・戦国期の勧進聖は寺社に自身の身分的拠所を置かない流動的な存在。社会側も、寺社の所属を問題とす
ることはなく、純粋に聖・山伏個人の勧進能力が期待されていた。
・独立した「個」としての勧進聖が集合しフラットな勧進組織集団を創出。その枠組みは寺社の枠組みを
こえて諸国散在の聖・山伏と連携し勧進を展開。寺社付でない諸国散在の聖・山伏が勧進において将軍
との交渉や勧進場所の選定など重要な役割を果たす。
・寺社付勧進聖および散在聖・山伏がもつ私財、経済基盤(檀那)
、活動(配札)が、諸国勧進や万部経法
会執行による寺社参詣者の増大をもたらし勧進の体制化にかわる奉加取得方法を生み出す。
・勧進聖は私財を投入し寺社造営等を行い、諸国勧進によって得られた奉加物を取得することで負担費用
を回収。金融業などを展開し利殖を行う。
・諸国散在聖・山伏の存在によって成り立っていた戦国期の勧進は、偽勧進・まね勧進と表裏の関係にあ
ったため、勧進主体を寺社に設定し所属のあいまいな聖・山伏の勧進を禁止した江戸幕府によって解体
させられる。勧進聖個々の能力よりも所属(寺社)が重視される時代に転換。
★偽勧進、まね勧進という構造的な問題を抱えるが、所属にとらわれることなく、散在する聖・山伏の個々
の能力を認め結集することで成果をあげるところに戦国期の勧進聖の歴史的意義を求めたい。
・寺社への内在化・定着化を指標とする勧進聖の歴史的位置づけの見直し
・中世後期の勧進の体制化論の克服
5
《参考文献》
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(校倉書房、2004 年)
網野善彦『無縁・公・楽』
(平凡社、1978 年。増補版は『無縁・公界・楽』平凡社ライブラリー、1996
年)
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(東寺文書研究会『東寺文書にみる中世社会』東京堂出版、
1999 年所収)
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(
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太田直之『中世の社寺と信仰-勧進と勧進聖の時代-』
(弘文堂、2008 年)
大高康正「中近世における本願の社内定着化―近江国多賀社本願不動院を対象に―」
(
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2008 年)
大谷めぐみ「寺社造営史における「本願」研究の意義と課題」
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年)
河内将芳「宗教勢力の運動方向」
(歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座』第 5 巻「近世の形成」
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加藤基樹「祇園社本願の基礎的研究-本願とその組織-」
(豊島修・木場明志編『寺社造営勧進 本願職の
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柄谷行人『終焉をめぐって』
(講談社、1995 年)
菊池武「多賀大社の本願と坊人」
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黒田俊雄「中世の身分制と卑賤観念」
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年所収。初出は『部落問題研究』33 号、1973 年)
黒田俊雄「中世寺社勢力論」
(
『黒田俊雄著作集』第 3 巻「顕密仏教と寺社勢力」法蔵館、1995 年所収。
初出は、
『岩波講座日本歴史』6、岩波書店、1975 年)
黒田俊雄「中世寺院史と社会生活史」
(
『黒田俊雄著作集』第 3 巻「顕密仏教と寺社勢力」法蔵館、1995
年所収。初出は、中世寺院史研究会編『中世寺院史の研究』上、法蔵館、1988 年)
五来重『高野聖』
(角川書店、1965 年。増補版は角川書店、1975 年)
下坂守「中世的「勧進」の変質過程-清水寺における「本願」出現の契機をめぐって-」
(
『古文書研究』
34 号、1991 年、後に『描かれた日本の中世』法蔵館、2003 年に再録)
関口真規子「醍醐寺と「当山」派」
(
『山岳修験』25 号、2000 年)
関口真規子「中世修験道における永久寺先達」
(
『山岳修験』33 号、2004 年)
豊島修・木場明志編『寺社造営勧進 本願職の研究』
(清文堂、2010 年)
中ノ堂一信「中世的「勧進」の形成過程」
(日本史研究会史料研究部会編『中世の権力と民衆』創元社、
1970 年)
中ノ堂一信「中世的勧進の展開」
(
『芸能史研究』62 号、1978 年)
西山克『道者と地下人-中世末期の伊勢-』
(吉川弘文館、1987 年)
東島誠「公共負担構造の転換-解体と再組織化-」
(
『公共圏の歴史的想像-江湖の思想へ-』東京大学出
版会、2000 年、初出は「前近代京都における公共負担構造の転換」
『歴史学研究』649 号、1993 年)
東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』
(講談社、2010 年)
満田良順「飯道山の修験道」
(五来重編『近畿霊山と修験道』
『山岳宗教史研究叢書』11 巻、名著出版、1978
年)
山本殖生「熊野比丘尼の配札」
(
『山岳修験』23 号、1999 年)
吉井敏幸「近世初期一山寺院の寺僧集団」
(
『日本史研究』266 号、1984 年)
工藤克洋「聖・山伏がうみだした戦国期の本願―多賀社本願不動院を事例として―」
(
『年報中世史研究』
35 号、2010 年)
工藤克洋「先達と認められなかった白山先達の檀那引」
(
『交通史研究』74 号、2011 年)
6
【表1】勧進聖の出自・経歴
番号
名
属性
①
②
③
所在地
七条白蓮寺
願阿弥
時衆・十穀
孝心房
学侶(興福寺蓮華 興福寺蓮華院
院)
東大寺庵室
隠棲(東大寺庵室)
玄空
十穀(長谷寺)
長谷寺
行順
経歴
①四条橋勧進
②南禅寺勧進
③施餓鬼
④清水寺勧進
①矢田寺地蔵開帳勧進
②四恩院建立勧進
出典
【資料2】
【資料3】
①長谷寺勧進
②千本釈迦堂勧進(兼 【資料4】
任)
長谷寺
東大寺
星吉
④
海乗
十穀
⑤
海弘
十穀
⑥
東光坊大蔵
山伏(木幡)
⑦
堯淳
十穀(清凉寺本願)
清凉寺
①高野山勧進
②東寺勧進
①長谷寺勧進
②東寺勧進
醍醐寺御影堂上葺
①清凉寺勧進
②北野社勧進(兼任?)
[太田 08]
[太田 08]
【資料5】
【資料6】
清玉
誓願寺
⑧
楚仙
木食(誓願寺本願)
⑨
良賢坊
六十六部(高野山) 高野山
⑩
応其
木食(高野山)
①誓願寺勧進
②祇園社大塔勧進(兼 【資料7】
任)
薩摩太平寺
【資料8】
高野山・東寺・石山(兼)
[太田 08]
他多数
【表2】千部・万部経法要の経衆数と経費
寺社
北野社
清凉寺
興福寺
長谷寺
法要
千部経
三万部経
万部経
万部経
日数
10
10
10
10
経衆数
1,000
3,000
1,100
1,200
7
人別(文)
総額(貫)
500
300
550
360