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Myanmar
Kyaingtong
Laos
Thailand
Cambodia
Vietnam
Malaysia
Singapore
チャイントン MYANMAR
Kyaingtong
美しい自然を歩き、
人々の暮らしと出会う旅
ミャンマー東部に位置し、シャン州でもっとも風光明媚な
地とされる国境の町チャイントンへ。緑豊かな山村で待っ
ていたのは、大自然とともに昔ながらの暮らしを続ける心
穏やかな人々でした。
写真・文/八井麻由美(ピース・イン・ツアー/ミャンマー担当)
国境に架かる橋
タチレクへの入り口
国境を行き交うタイ人
(マンダレー経由)
午後:空路にてタチレクよりヤンゴンへ
ニ ュ ー も タ イ 語 で す。 ミ ャ ン マ ー に
ミャンマーからタイへ⇒入国不可。
タイからミャンマーへ⇒入国可。
方法:イミグレーションにてパスポートを預
け許可証を発行してもらう。手数料US$10
期間:14 日間以内の滞在が可能。ただし、
ンなど遠方へ行く場合には、ガイドの同行が
は 今、 人 気 の よ う で、
iPHONE
(2011 年7月現在の情報です)
いるのにまるでタイに来たかのよ
義務付けられる。
う!
ここでは国境の橋やタロー市場の
見 学 を し ま す。 こ れ が 国 境 と い
くらいです。
に な っ て い ま す。 泳 い で 渡 れ そ う な
うくらいに幅の狭いサーイ川が国境
!?
タ ロ ー 市 場 に は 洋 服、 日 用 雑 貨 は
国境から 5 キロ以内に限られる。チャイント
中 は タ イ 語 が 通 じ、 レ ス ト ラ ン の メ
も ち ろ ん の こ と、 中 国 産 の 漢 方 薬、
6日目 午前:チャイントンよりタチレクへ
●タイと国境を接する町タチレク
午後:エン族&パラウン族集落見学&温泉
海賊版のDV D やCD などたくさん
5日目 午前:チャイントン市内観光
タイの最北端メーサイと国境を接
( ラフ族&&ワ族&アカ族集落 )
タチレクでの出入国(外国人の場合)
の商品が売られています。ミャンマー
4日目 終日:ルイムエ周辺トレッキング
す る 町。 毎 日、 大 勢 の ミ ャ ン マ ー 人
終日:ホジン村のアカ族集落トレッキング
でも
3日目 朝 :チャイントン朝市見学
がここからタイ側へ出稼ぎに出かけ
着後、アク族集落見学
スマートフォンのコピー商品もたく
( 約3時間 )
る 町 で、 タ イ 人 に と っ て は 買 い 物 ス
午後:タチレクよりチャイントンへ
さんありました。
( ヘーホー経由 )
ポ ッ ト と し て 人 気 の 場 所 で す。 町 の
日
旅のプラン
1日目 ヤンゴン IN
2日目 午前:早朝便にてヤンゴンよりタチレクへ
近くで収穫されたハヤトウリ
マンゴーが売られていました
幼虫を油で揚げたスナック
タチレクからチャイントンまでは
え て き て い る と は い え、 き れ い に 拭
最近はトタンや瓦造りの屋根が増
けることができるそうです。
車 で 約 3 時 間。 チ ャ イ ン ト ン ま で の
か れ た 茅 葺 き 屋 根 の 家 に 住 み、 農 作
●タチレクからチャイントンへ
道 は 一 面、 木 々 の 緑 と 空 の 青 の み で
い ま す。 茅 葺 き 屋 根 の 家 が あ る 景 色
物 を 育 て、 自 給 自 足 的 な 生 活 を し て
途 中、 牛 の 散 歩 や 美 し い 棚 田、 採
は、 ど こ と な く 日 本 の 田 舎 の 風 景 の
とても爽やかな景色です。
れ た て の マ ン ゴ ー な ど が 見 ら れ、 大
よ う で、 か つ て ア ユ タ ヤ 王 朝(
~
都会ヤンゴンから来た身としては澄
んだ空気と自然の美しさに心が癒さ
れます。
約3 時 間 車 で 走 る と チ ャ イ ン ト ン
の チ ェ ッ ク ポ イ ン ト に 到 着。 こ こ で
外国人は入域の許可申請をします。
チ ャ イ ン ト ン( kyaingtong
)はミ
ャンマー東部のシャン州に位置する
世紀)の日本人町から逃げてきた
14
日本人がこの地に住んでいたという
話もうなずけます。
●チャイントン散策の楽しみ
チ ャ イ ン ト ン の 町 は、 半 日 あ れ ば
のんびり観てまわれるほどの規模で
ン」はシャン語で町、「トン」はこの
が あ り、 門 の 保 存 状 態 も 良 好 で す。
町には昔の城壁が残っている箇所
す。
地で有名なかつての修行僧の名前を
マンダレーのマハムニパゴダをその
まま真似て建てられたマハムニパゴ
ダ や、 約
近くの集
落 が あ り、 ア カ 族、 シ ャ ン 族、 ラ フ
ェットォームーパゴダなどを見学し
メートルの立像が立つイ
族、 パ ラ ウ ン 族、 ワ 族、 ア ク 族、 エ
メ ー ト ル も あ る 一 本 杉 が 立 ち、 こ
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と っ て 生 活 す る 民 族 も い ま す。 同 じ
普段から伝統的な民族衣装を身にま
には、それぞれの言語、文化を持ち、
ルたちのデートスポットにもなって
ま た、 ミ ャ ン マ ー に 多 い 若 い カ ッ プ
こは夕陽観賞のベストスポットです。
ノ ン ト ォ ン 湖 は 夕 涼 み 場 所 で、 夜
います。
り、 そ れ ぞ れ 衣 装 や 帽 子 な ど で 見 分
民族の中でもさらに細分化されてお
て い る と い わ れ て い ま す。 彼 ら の 中
ン族などの約
ま す。 町 の 南 に あ る 丘 に は 髙 さ が 約
40
の少数民族が生活し
チャイントン周辺には
意味します。
標高約800 メートルの町。「チャイ
18
66
20
もち米で作ったさまざまな食べものを売る女性
買い物にきた少数民族の女性
市場で見つけた野菜。豆の一種
になると喫茶店や屋台が出て少しだ
け賑やかになります。
チャイントン市内の観光でいちば
ん お も し ろ い の は、 な ん と 言 っ て も
市 場 見 学 で す。 こ こ で は、 近 隣 の 少
数 民 族 も 集 ま り、 売 り 買 い を し て い
日本では見かけないさまざまな野
菜やこの地方の人たちが食べる食用
の 虫、 魚、 ミ ャ ン マ ー ス イ ー ツ、 衣
服など見ていて飽きないものばかり
です。
市場の乾物屋さん
ます。
民族衣裳や雑貨も売っています
茅で屋根を葺いた民家
青空に緑豊かな水田が映える
煙管をくわえたアク族の女性
赤ちゃんを抱く女性
家の中には竈があり鉄瓶で湯を沸かす
村の教会
●ワンサイ村・アク族
( Wansai village/Ahkhu
)
チャイントンから車で約
いしかったです。
分。 途
さ も 程 よ く、 お 米 の 甘 さ が と て も お
さ ん が 味 見 を さ せ て く れ ま し た。 硬
お い し そ う に 眺 め て い る と、 お ば あ
熾 し て 炊 い た も ち 米 が あ り ま し た。
備 も す べ て 手 作 業。 囲 炉 裏 に は 火 を
は 電 気 も ガ ス も な い の で、 食 事 の 準
た お 宅 は 夕 飯 の 準 備 中 で し た。 村 に
夕 方 前 に 訪 問 し た た め、 お 邪 魔 し
び場にもなっています。
村 に は 教 会 が あ り、 子 ど も た ち の 遊
人 で キ リ ス ト 教 を 信 仰 し て い ま す。
込 ん で い ま す。 村 の 人 口 は 約 1 5 0
が 多 く、 美 し い 自 然 景 観 と よ く 溶 け
人 々 の 住 む 家 は、 茅 葺 き 屋 根 の 家
そうに煙管タバコを喫んでいます。
年 配 の 女 性 は 皆、 プ カ プ カ と お い し
煙管タバコを加えた姿が特徴的です。
アク( Ahkhu
)とは「犬」という意味。
アク族の特徴は黒っぽい民族衣装に
かずにたどり着くことができます。
い く と 村 の 入 り 口 で す。 ほ と ん ど 歩
から竹の生えた細い道を少し登って
と き れ い な 田 園 風 景 が 広 が り、 そ こ
ぼ こ 道 を 車 で 進 み ま す。 車 を 降 り る
中からあまり整備されていないでこ
40
ホーラン村の仏教寺院
●ホーラン村・エン族
( Horan village/Enn
)
チャイントンから車で約
分。 ア
ま す。 こ こ の 村 は 仏 教 徒 で 村 の 近 く
落 に 分 か れ て 生 活 を し て い ま す。 そ
れ ぞ れ の 集 落 は 山 の 上 に あ る た め、
トレッキングをして各集落をまわり
ま す。 ト レ ッ キ ン グ コ ー ス は 全 長 約
キロ。少しハードなコースです。
もともとは土着のナッを信仰する
けるためという理由もあるそうです。
ま す。 ま た、 自 分 た ち と 動 物 を 見 分
好 み、 お し ゃ れ の 点 か ら 歯 も 黒 く し
も い ま す。 エ ン 族 は 黒 い 色 の 洋 服 を
配の女性の中には歯の真っ黒な女性
ど の 集 落 に も ア カ 族 が 暮 ら し、 女
ろいろな宗教の人が暮らしています。
リ ス ト 教、 ナ ッ 信 仰 者、 仏 教 徒 と い
へ と 移 っ て い き ま し た。 N O 4 は キ
村 へ、 溢 れ た キ リ ス ト 教 徒 は N O 3
そ れ と と も に ナ ッ 信 仰 者 がN O 2 の
ひ と つ の 村 で し た が、 キ リ ス ト 教 の
エン族の女性は本当におしゃれが
性は銀の装飾がされたきれいな帽子
エン族の特徴は日本で言うお歯黒
好 き で す。 突 然 訪 問 し た 私 に も 自 分
を 被 っ て い ま す。 こ の 帽 子 に は 昔 の
伝 来 と と も に キ リ ス ト 教 徒 が 増 加。
たちの衣装を貸して着させてくれま
の 風 習 が 残 っ て い る と こ ろ で す。 年
には僧院とパゴダがあります。
14
40
ク族の住むワンサイ村の近くにあり
ホーラン村の子どもたち
い う 間 に 着 付 け も 完 了 で す。 そ の 間
し た。 数 人 の 女 性 に 囲 ま れ て あ っ と
るくらい高価なものです。
ひ と つ5 0 0 米 ド ル 以 上 と も い わ れ
硬貨なども飾りとして使われており、
女 性 と も 気 が 合 い そ う で す ね。 村 の
が ら 相 談 を し て い ま す。 日 本 の 若 い
田を眺めながら新緑の中を進みます。
り ま す。 道 中 は お 茶 畑 や き れ い な 棚
車で約
トレッキングはチャイントンから
皆さんときれいな民族衣装で記念撮
途 中、 牛 や 豚、 民 族 衣 装 を 着 た ア カ
ました!
●ホジン村・アカ族
(Hokyin/Akha)
ホ ジ ン 村 はN O1 ~4 の4 つ の 集
分のパンクワイ村から始ま
影という貴重な体験をさせてもらい
ち が 似 合 う!」 と キ ャ ッ キ ャ ッ し な
も「 こ れ は ど う?」「 この 子に はこ っ
黒の衣服をまとったエン族の男性
美しい帽子をかぶったアカ族の女性
め、 山 の 麓 付 近 に は き れ い に 手 入 れ
酎 を 醸 し て 生 活 し て い ま す。 そ の た
ア カ 族 は お 米 を 育 て、 そ こ か ら 焼
できないトレッキングです。
族とすれ違ったりと日本では体験が
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き や す く、 そ こ ま で 急 な 道 を 登 っ た
道 は 土 の 道 で す が、 比 較 的 平 坦 で 歩
された田んぼがたくさん見られます。
して生活しています。
民 族 衣 装 を ま と い、 農 作 業 や 機 織 を
め た り と 分 か れ ま す。 女 性 の 多 く は
ここで市場で買ったお弁当の昼食
ていくとNO4の村に到着です。
色に見えてきます。約2時間ほど登っ
えていたりとどこか日本にも似た景
山 奥 へ 入 っ て い く と、 松 や 竹 も 生
教えてもらってもなかなか覚えられ
こ に 杼 を 通 し た ら 良 い の や …。 何 度
進 ん で い き ま す。 私 は と い う と、 ど
き で リ ズ ム 良 く、 と て も 丁 寧 に 織 り
ら、 パ ラ ウ ン 族 の 女 性 は 慣 れ た 手 つ
い ま し た。 腰 と 足 で 重 心 を 取 り な が
この村では機織を体験させてもら
を と り ま す。 シ ャ ン 州 で は も ち 米 が
ま せ ん で し た。 民 族 に よ っ て、 織 物
りということはありません。
主 食 で、 特 に チ ャ イ ン ト ン 周 辺 の 東
の 色 合 い や 模 様、 刺 繍 の 施 し 方 が 違
分ほどのところに天然の温泉
日本の一般的な温泉とは構造が若
100度とほぼ熱湯です。
が す る お 湯 が 沸 い て い て、 温 度 は 約
が あ り ま す。 源 泉 か ら は 硫 黄 の 臭 い
で約
パラウン族の住むパウッ村から車
●チャイントンに眠る秘湯
ストが印象的でした。
よ く 合 い、 と て も 鮮 や か な コ ン ト ラ
織 物 は、 チ ャ イ ン ト ン の 自 然 の 緑 と
ひ
シャン州ではいろいろな種類のもち
い、 パ ラ ウ ン 族 が ま と う え ん じ 色 の
分 く ら い の 距 離 で す。 キ リ ス ト
わ っ て い き ま し た が、 各 集 落 間 も
~
教の村の入り口には木で作られた十
字 架 が 掲 げ て あ っ た り、 仏 教 徒 の い
る村にはパゴダがあったりと村に
よ っ て 雰 囲 気 が 少 し 違 い ま す が、 各
集落の子どもたちは山の上にあるひ
とつの学校に通っています。
●パウッ村・パラウン族
干 違 い、 パ イ プ で 各 個 室 へ お 湯 が つ
で 渡 っ た 先 に あ る 温 泉 の た め、 雨 季
な が れ て い ま す。 こ の 温 泉 は 川 を 車
ラウン族は腰に金属をはめた民族衣
の雨の多い時期には行くことができ
分。 パ
装 が 特 徴 的。 パ ラ ウ ン 族 の 中 で も 集
ま せ ん。 そ の た め、 雨 季 は 利 用 者 が
( Pauk/Palaung
)
チャイントンから車で約
落 に よ っ て、 金 を は め た り、 銀 を は
45
10
30
10
今 回 は N O 4 か ら 3、2、1 と ま
米が食べられます。
お茶の葉を広げてお弁当
なだらかな道をトレッキング
ホジン村の子どもたち
ホジン村の民家
民族衣装の赤と大地の緑が鮮やかなコントラストを描く
機織りをするパウッ村の女性
お茶の葉を広げて天日で干す
山の斜面につくられたキャベツ畑
温 泉 で 汗 を 流 し た 後 に は、 温 泉 卵
はきちんと掃除されているそうです。
色 の お 湯 が 出 て き ま し た が、 乾 季 に
れ て お ら ず、 蛇 口 を ひ ね る と 少 し 茶
少 な い と の こ と。 パ イ プ の 掃 除 が さ
よりはたくさん家庭訪問をしたよう
て 感 じ た の は、 い わ ゆ る 観 光 と い う
生活をしている民族の村々を訪問し
ち の 言 語 で 会 話 を し、 自 給 自 足 的 な
で 独 自 の 民 族 衣 装 を ま と い、 自 分 た
か け て き ま し た が、 普 段 の 生 活 の 中
遊 ん だ り、 衣 装 を 着 さ せ て も ら っ た
果 物 を い た だ い た り、 子 ど も た ち と
せ て も ら い、 お 話 を し な が ら お 茶 や
それぞれの集落で家の中に上がら
な感覚です。
も 食 べ ら れ ま す。 ト レ ッ キ ン グ で 疲
れたからだにはお勧め
●ロイモエ
(Loimwe)
チ ャ イ ン ト ン か ら 車 で 約 1 時 間。
の 居 住 区 と し て 使 わ れ て い ま し た。
(1 8 9 7 ~1 9 4 8 ) に イ ギ リ ス 人
す。 こ の 地 は、 イ ギ リ ス 植 民 地 時 代
ば軽井沢ような避暑地にあたりま
降 っ て い た と も い わ れ、 日 本 で 言 え
は、 ヤ ン ゴ ン を 別 の 国 の よ う に 話 す
トンに住む多くのシャン族の人たち
問 題 も あ り ま す が、 実 際 に チ ャ イ ン
う な 印 象 を 受 け ま す。 歴 史 や 民 族 の
の中にあってミャンマーではないよ
ま た、 チ ャ イ ン ト ン は ミ ャ ン マ ー
り と 通 常 の ミ ャ ン マ ー 観 光( パ ゴ ダ
その名残がレンガ造りの教会や建物
こ と が あ り ま す し、 言 語 や 文 化 も タ
見学)とは違ったおもしろさがあり
に 現 れ て い ま す。 ミ ャ ン マ ー が 歩 ん
イ に 近 く、 市 場 で は タ イ バ ー ツ が 使
ロイムエは 霧
「 に 囲 ま れ た 山 」と い
う 意 味 で 標 高 は 約 1 6 0 0 メ ー ト ル。
だ植民地時代の歴史や当時の建造物
え た り す る 不 思 議 な 場 所 で し た。 そ
ました。
に 興 味 の あ る 方 は、 楽 し め る と こ ろ
の点でも、チャイントンはミャンマー
http://www.pitt.jp/article/14163576.html
夏 で も 涼 し く、 昔 は 冬 に な る と 雪 が
で し ょ う。 教 会 は 現 在 で も 使 わ れ て
の旅をリピートされるミャンマー
取れる方などにはお薦めです。
が 好 き な 方、 ミ ャ ン マ ー 滞 在 を 長 く
興 味 が あ る 方、 ト レ ッ キ ン グ や 自 然
フ ァ ン ば か り で は な く、 少 数 民 族 に
お り、 ア カ 族 の シ ス タ ー が お 祈 り を
る 少 数 民 族 は、 い ろ い ろ な 場 所 で 見
チャイントン 少数民族と出会う旅5泊6日
美しい自然を歩き、心なごむ人々と出会う
!?
観光客向けに伝統衣装を身に着け
していました。
イギリス植民地時代の建造物
途中、牛たちとすれ違いました