地球に舞い降りた天空の球 - 上智大学理工学部・大学院理工学研究科

特
集
'99.6.1.理工学研究科 学際講演会
Sir Harold Walter Kroto 教授●プロフィール
C
を父母として生まれる。有機化学に興味を持ち、1958 年
地球に舞い降りた天空の球
授、1992 年文化勲章受賞)より“草津節”を教わる。
ハロルド・クロト教授
Bell 研究所で研究する。1985 年 Sussex 大学の教授にな
1939 年 10 月 7 日、英国 Cambridgeshire で、ドイツ人
60−バックミンスターフラーレン−
Sheffield 大学に進学、そこで分子分光学に魅せられ、1964
年に博士の学位取得後、カナダの国立研究所 NRC で博士
研究員として 1966 年まで研究する。この間にマイクロ波
分光を修得する。カナダでは森野米三先生(故東大名誉教
Sheffield 大学で量子化学を学んだ John Murrel 教授の誘
いで 1967 年 Sussex 大学の講師に着任するまで、米国の
り、1991 年に英国科学アカデミー(Royal Society)の教
授になり Sussex 大学で研究を続け現在に至る。
1979 年 1 月 30 日(火)午前 10 時頃、Sussex
サッカーボール形の天球儀(Stardome map)
大学の化学教室の建物のポーチで Kroto 先生
にあることは、先生の著書 ※5 に記されていま
に初めてお会いしました。
す。
当時の Kroto 先生は星間分子と熱分解で生
Kroto 先生は冗談に“自分はグラフィックデ
成する不安定分子の研究※1 に夢中でした。先
ザイナーだ”と言いますが、御自慢は Sussex
生等は、既に長鎖の炭素分子 HC5N と HC7N
大学の化学教室を紹介したパン
を実験室※2 と星間※3 で見い出し、天体電波望
フレットの表紙で、これはグ
遠鏡でさらに長鎖の HC9N 分子※4 を星間に発
ラフィックデザイン専門の
見していました。Kroto 先生はますます長鎖の
国際年鑑「Mordern
炭素分子を星間で探索することに魅了され、そ
Publicity」に掲載され
のための実験室でのデーターを得るべく目的
だそうです。このデザイ
ハロルド・クロト先生
分子の有機合成をしようとしました。しかし、
ンはイギリス本島と
合成の専門家で同僚の Walton 先生より爆発の
39 個のバーナーを配
祝をしているとき、千葉大の飛び級
危険が伴うことを教えられ、別の生成法を考え
したものです。バー
る必要に迫られました。それがグラファイトに
ナーはイギリスの
レーザーを照射し炭素分子を蒸発させる方法
大学の場所を示
だ”と主張していたのが印象的でした。そ
でした。このことを研究室に来て間もない私に
し、唯一火の燈
の翌年の 11 月 3 日文化の日の夜、Kroto 先
嬉々として説明してくれたのを昨日のように
っている Sussex
思い出します。
大学の化学研究が一番活
さなイタリアレストランで食事をしている時、
入学が話題になり、Kroto 先生はその
制度に批判的で“年相応に幅広く学ぶこ
とが、後になって色んなことに役立つもの
生御夫妻と私達夫婦が高田馬場の、とある小
発であることを表現したのだそうで
突然、“まだ上智に行っていないが、来年 5 月
す。このパンフレットができた 1977 年頃の
末か 6 月初めに日本に来るので、その時寄ろう
Sussex 大学には、Martin 先生と Cornforth 先
か”と切り出しました。今まで先生にお会いす
生(Sir)の二人のノーベル化学賞受賞者がい
る度に“自分で自分の日程がままならない”と
ましたが、次は誰かという話になり、Kroto 先
零していましたので、私の方から頼み難かった
生は錯体化学の Chatt 先生だろうと予想しま
のですが、これ幸いと上智大学での講演会を企
した。まさか、Cornforth 先生の受賞から 20
画し、実現したという次第です。
年後に御本人が受賞するとは思いもよらなか
ったことでしょう。
大橋 修
化学科 教授
Krätschmer や Huffman 等による C60 大量
生成の成功によりフラレーン科学が世界中に
広まった 1990 年頃から、Kroto 先生は度々日
Kroto 先生の tutorial 風景
本に来るようになり、東京で会う機会が多くな
りました。先生の日本に来る大きな楽しみの一
それから 5 年経ち、その実験ができる場所を
つは神田の古本屋で美術書、取り分けグラフィ
米国南部 Houston にある Rice 大学の Smalley
ックデザインの本を掘り出すことです。先生は
先生の研究室に見い出し、同大学の Curl 先生
どの国に行ってもその国の美術書を求めるの
等と協同で、思いもよらぬ C60 分子の生成に出
ですが、グラフィックデザインに関する日本の
会ったのです。この“C60 分子がサッカーボー
評価は非常に高いようです。先生の家には世界
ル形である”という結論に導びかれる引き金が、
中の美術書が集まっており、美術の資料館がで
Kroto 先生が 1967 年に行なわれた Montreal
きるほどだと笑っています。
万国博の、Buckminster Fuller の設計による
Kroto 先生がノーベル賞を受賞した翌年の
六員環と五員環構造から成るドーム形アメリ
10 月 26 日に、地下鉄神宮前駅近くのフランス
カ館を訪れ、そのデザインの美しさに魅せられ
レストランで原田先生(東大名誉教授、当時千
たこと、そして、先生の子供達に作ってやった
葉大教授)御夫妻と私の家族で先生を囲み受賞
Kroto ご夫妻とのイタリアレストランでの食事
(※1) H.W.Kroto, Chem.Soc.Rew., 11, 435∼491(1982).
Tillden Lecture,“Semistable Moletules in the Laboratory and in Space”
(※2) A.J.Alexander, H.W.Kroto and D.R.M.Walton
J.Mol.Spectrosc., 62, 175(1976)
C.Kirby, H.W.Kroto and D.R.M.Walton
J.Mol.Spectrosc., 83, 261(1980)
(※3) L.W.Avery, L.W.Broten, J.M.MacLeod, T.Oka
H.W.Kroto, Astrophys. J., 205, L173(1976)
H.W.Kroto, C.Kirby, D.R.M.Wahon, L.W.Avery,
N.W.Broten, J.M.MacLeod, T.Oka,
Astrophys. J., 219, L133(1978)
(※4) N.W.Broten, T.Oka, L.W.Avery, J.M.MacLeod,
H.W.Kroto, Astrophys. J., 223, L105(1978)
(※5) H.W.Kroto, Angew. Chem. Int. Ed. Engl., 31, 111∼129(1992)
H.W.Kroto. Science, 242, 1139∼1145(1988)