都営交通100周年(三ノ輪橋) 1. 会員の声「ビデオの力」 撮影・近藤仁志 中村則子氏 (P2) 2.平成23年7月例会報告 平成23年9月例会のお知らせ (P2) 3.7月の提出作品 (P3~P4) 4.7月例会風景 (P4) 表紙の言葉「都営交通 100周年」 近藤仁志氏 平成23年.8.27 (2011) 通巻140号 (P5) 8月号 平成23年7月16日 松戸・森のホール21・B1・映像スタジオにて 中 村 則 子 7月例会が開催されました。当日は17名の方の参加があり、盛会でした。 1. 加作品 8 作品が上映されました。これらの各々の作品について 3月11日午後、昼食をすませ友人と市役所へ向かっ 酒井先生よりアドバイスがありました。 て いた。 「あれ?何かへん」足元がすくわれる感じがしたなと 思っ 例会では12作品が提出され、平成23年度第1回日帰り撮影会の参 3 2.菅澤 博さんが7月例会を見学されました。 最 た瞬間、道路の電柱や電線が激しく揺れ、駐車 中の車が 揺れていた。「地震だ!」と声を発したのは友人と一緒だった。と っさに二人で落下物のない所に 逃げ、揺れがおさまるのを待った。 揺れがおさまるとそこは異次元の世界だった。駅に停車中の電車は 地震で動かず、踏切の遮断機が下りたまま警報機の音がずっと鳴っ ていた。そのうち 駅員、警察がやって来て、遮断機を手で押し上げ て車を通していた。 道路は車で渋滞していた。 参加者 17名 自宅へ帰ってテレビを見ると、信じられない津波の映像が何回も流 れていた。青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉といたるところで 津波の被害が出ていた。 同時に映像を見ながら、 「よく、撮影が できたな」と思った。撮影した人は生死ぎりぎりのところでビデオ を撮ったのだろう。もしかしたら撮影のために津波に流されてしま った人もいるかも知れない。 時間とともに地震・津波の全容がわかり、 映像・写真・証言が集 められつつある。あの激しい地震や津波の中でビデオは現状を伝え 9月例会は下記の通り開催しますので会員皆様のご出席をお願い致し ます。 1,日 時 平成23年9月17日(土)10時から17時まで 2,場 所 松戸・森のホール21 B1・映像スタジオ タイトル 1 2 川 越 散 策 喜多院 二つの不思議 氏 名 コメント 近藤仁志 ☆川越撮影会参加作品 山家早苗 ☆川越撮影会参加作品 勝部建一 ☆川越撮影会参加作品 土佐の高知を訪ねて 3 繁栄をもたらした 甍津波 4 龍 馬 伝 柴原 5 花の草津 高嶋秀雄 6 スカイツリーと 日々の生活 中村則子 昨年12月に・・・ 7 川 越 散 策 宮澤正直 ☆川越撮影会参加作品 8 川 越 点 描 北出武夫 ☆川越撮影会参加作品 9 2つの寺 石田嘉隆 ☆川越撮影会参加作品 大畑利昭 ☆川越撮影会参加作品 10 小江戸の華ぎ 川越散歩 彬 近藤氏作品 山家氏作品 勝部氏作品 柴原氏作品 高嶋氏作品 中村氏作品 宮澤氏作品 北出氏作品 湯の街草津で花を・・ 11 五百羅漢 大槻祐司 ☆川越撮影会参加作品 12 春から初夏へ 中根光之 ぼけ写真のスライドショー 石田氏作品 大槻氏作品 大畑氏作品 中根氏作品 近 藤 仁 志 東京都交通局は今年8月1日で、創業100周年を迎 えた。都営交通は、都電・都バス・都営地下鉄などがあり、 中でも都電が一番古く、明治44年8月に開業した。 戦災で多大な被害を受けたが懸命な復旧作業により、 昭和30年代半ばまでが最盛期だった。 昭和37年には営業キロ213Km、40系統、一日の利用者150万人 り となり、東京の交通の中心を担った。 しかし、高度経済成長の日本は車が増えはじめ、都電の状態は悪化、路線 は減少してゆき、昭和47年11月には、2系統を残し全て廃止され、東京 の街から都電は消えた。唯一、残った2系統は一本化され、昭和49年10 月「都電・荒川線」となった。残った理由は、路線の大部分が専用軌道であ あ る事 又沿線住民の存続要望が強かった事だった。 現在、荒川線は早稲田~三ノ輪橋間の12.2㎞、停留所は29、所要時間 48分、料金160円と大変利用しやすい乗物である。一日の利用者は約6 万人、新車両も投入され、多くの人々でいつも混み合っている。 100周年記念の花電車は、秋ごろ運行計画があるとの事。 早稲田車庫
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