新収蔵 展 - 山形県立博物館

資
展
な
主
料
名
料
資
示
点数
資
f蔚
点数
名
料
{崩
岳
ヨJ
フジクマワラビ
佐
川
昇氏寄贈
考
ナツノハナワラビ
活・
秘
l't次郎氏寄贈
f主化木
1
冨
鰹
高
弘氏寄贈
キ‘ボウシラン
It
�長
敬氏寄贈
Mizuhoþecten sp
I
沼
野
達
明氏寄贈
吾妻山の白ザル生態写真
遠
縁
平氏寄贈
白
幡
光氏寄贈
スズメバチ類の巣
'H;
!l'f'
郎氏寄贈
ジャスパー(碧玉)
1i
Nanonavis sp
4
アカショウビン
県立左沢高等学校寄贈
3
11
アメリカカフ'トガニ
及
川
Jzumia trapezoidalis
3
11
メイカ科
Erzþhyla Japonica
4
11
Clisocolus crenulat us
4
1/
Perzþiomya grandis
l
1/
1/
田
Leionucula azenotanensis
吉
、 科
ツトカ亜
9
t;i",
集
ノメイガ亜科
32
H,
集
ミズメイカ車料
4
t;i",
集
ツヅリガ月E f'1
l
J長
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フトメイカ1E千|
i
円
N;
集
1/
シマメイカ、版科
9
H,
集
Aρiotrigonia dobia
1/
マタラメイガ月F. f'1
7
採
集
Baculites vegina
11
Juρiterria mactraeformis
"
Portlandia izumensis
Nurnulites sp
2
宇佐美
tfz
泌氏寄贈
2
東海林
秀
矩氏苦手贈
Leþtastrea purpurea (Dana)
11
松
多八郎氏寄贈
サンリンソウ
;昂
I尺
1話氏寄贈
加
藤
信
英氏苦手贈
土
門
尚
三氏寄贈
平[
山
恵美子氏寄贈
エゾノリュウキンカ
然
m
美
秋氏苦手贈
オランタフウロ
小
形
利
吉氏寄贈
ミヤガラシ
l
カワシロナナカマド
/
内裏雛(古今雛)
斎
ミヤマフタパラン
内裏雛(小菅人形)
治氏苦手贈
藤
山
田
寛
この企画展は、 博物館の収集・
l
11
フカクススムンソウ
開催にあたって
最新山形市明細l図(大正14年)
内裏雛(相良人形)
若
l
山形県立博物館
l
大日本帝国山形県管内全国(明治27年)
シロパナコマツナキ
ホソノ-;:コンギク
2月22日(土)--- 4月13日(日)
山形市街全国(明治22年)
山形市街全国(明治25年)
11
1986
昭氏寄贈
改正山形県山形市街全国(明治14年)
2
Acroþora sp
展
山形県山形市街全国
Sりlocoeniella armata
(Ehrenberg)
崎L
回
目目
晴氏寄贈
Pleurogrammatodon splendes
竹
新収蔵
8組
整理活動のまとめとして、 昭和60
7
年度中にあたらしく収蔵した資料
2組
や、整理の終わった資料の中から、
l組
県民のみなさまにとって興味深い
l
万国人物図
藤
佐
は
弘氏;寄贈
貴重な資料をえらんで展示するも
のです。
山形第三尋常高等小学校
3
高等科生徒記念図画申ii
4
尋常小学算術書(教師期)
荷氏寄贈
高等小学算術 書(教師用 )
I
凹
太
il�
f')t
Ht\寄贈
開催するにあたって、 資料をご
俊次郎氏寄贈
寄贈くださった方々や、 収集活動
2
11
にご協力いただいた方々に厚くお礼
5
11
申し上げ、ます。
シラタマソウ
l
大
高
滋氏寄贈
尋常小学算術(教師用)
i
ヤマヌカボ
l
鈴
木
目先氏寄贈
カズノホン(教師用)
i
i
11
クロカラシ
平
日欠
喜
六氏寄贈
初等科算数(制Ili用)
"
エゾシロネ
大
類
貞
夫氏寄贈
実験用具(旧制山形高等学校使用)
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2
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解
地
説
動
民
物
和泉層群の化石 千[]泉山脈は、 大阪府の南端を東西に連なる
山脈で、 和歌山県との県境になっています。 この和泉山IJJ氏を形
成している地層は、 レキ岩、砂昔、iJË岩などからなり、手[l泉層群
とII乎ばれています。 和泉層群は、 中生代末のじL<f!í.紀にできたもの
西吾妻地区に自L、サルが生,白、して
万国人物図 江戸時代長崎に発達した木版画のlつです。 こ
これはあまり例のないめずらしいことで
の木版画は長崎版画や長崎絵と呼ばれ、 a:戸絵や_j ..Jj絵が美人や
吾妻山の白ザル生態写真
L、ることは有名です 、カ
学
俗
芝居をJ品、たのに対し、長崎絵は多く外国 人を主題にしています。
す。
米沢市のi皇族
亨氏は長年にわたうて生態観察と生態写真樹;;与
をされてきましたが、 その成栄の lつを4-'館に寄贈されました。
製作期間は正保年間( 1644-1647)から幕末までといわれ、 正保2
年(1645)版行の「万国人物図」カ、最古のものと伝えられます。 図は
従来博物館にtJ.メイカ千|の蛾の標本は
世界40ヵ国の民放を墨摺りにしたもので、 後で彩色を施していま
で、 いろいろな化石を産するので有名です。 おもな産出化石は、
3陣39長しか所蔵されていませんでした。 そこで峨の標本を充実
す。jE似のr JirìJ人物図」は、 長崎県立美術開秒j館や神戸市立l*îßl
アンモナイト、 巻貝、 二枚貝、 ウニ、帆物の破)十などで、 アンモ
させるために、収集につとめ、 メイガ刊の蛾42栂6911良を収集する
美術館などにも保干Fされています。
ナイトでは、 バクテリス、 二牧民では、 ナノナビス、 エリフェラ
ことができ、その結果本館所f訟のメイガ科の標本は44種72H員にな
や三角� 1のアピオトリゴニアなどがあります。
リました。 なお、 メイカ刊の蛾は県内に 250純以上が生j己‘してい
のは近年のことです。 明治頃、 村wの人びとは地元の窯でがt�、た
ると推定されていますが、1見(I:まだその正確な分布状況はわかっ
安価な土製の男雛と女雛を買い求めて祭1)ました。 米沢市内で焼
ていません。
かれた相良人形や小菅人形もその 1 つです。 土製の雛人形は内離
カへイ石
円形の平べったい形をしており、 硬貨によく似て
いるので、1'í:幣石とよばれています。 このカへイ石は、有孔虫の
仲間で、 新生代古第三紀の海にしかすんで、いませんでしたので、
こ の時代の示ホ化石と して有名です。
大きさは、 ふつうO.1-1cmぐらいですが、 まれに数c-mもある化
石もみられます。 熊本県の天草山や小笠原諸J誌の母!誌などが有名
蛾類標本(メイガ科)
土 雛
各家庭が衣装蜘を 5段や6段にも飾るようにな勺た
スズメバチの巣 ススメパチの仲間の多くは、 球状の大きな
雛だけで「ドヒーナ」などと呼ばれました。 土雛は素焼の1111をH��、
巣をつくります。 大きなものでは、 長径が8();rn(こもなるものがあ
て作リ、 目鼻や衣装は顔料で彩りました。 それには衣装雛のよう
りますc このたび寄贈をうけたものは、山形市の上桜田てす禾集さ
なきらびやかさはないものの
れたものですが、 スズメパチの柿矧については不明です。
L、創をしたものも多くみられました。
村里の子供たちのようなあどけな
な産地です。
歴
植
サンリンソウ
教 育
史
改正山形県山形市街全国(明治14年)
物
ニリンゾウによく似たキンポウゲ刊の多年革
ですが、 総包菓に知山、制があること
明治14年(1881) 8月、
明治の小学校高等科生徒の記念画帖
明治36年から3尚三まで
山形七日町の五十嵐太右衛門、 同1-日町の荒井清作により出版発
の山形第三尋常高等小学校(現山形市立第三小ど付文)高等科生徒の
似茎が知いことなとーの特徴
行された市街図で、 県庁か旅能町に移1)、 旧山形城の三の丸lhllは
図画集です。
がみられます。 主なl窒地は日本の�jl部地方ですが、 太平洋側では
姿を消しています。 左半分は「管内各駅里位附」となっており、 山
任の児二丘|託事先生が3冊の画中l'i(こまとめて保存していました。 域
岩手県に分布します。 昭和60年の庄内地方での発見は極めて珍し
形七日町の山形県元樗から県内の主な町村まで、 および各町村聞
約;の小学6 年から中学2年に当る学年です。明治40年の小'�tt交改
く日本机物分布図に新たに1mえられるべきものです。
の県粧や人力車n銭が記されています。
正まで、義務教育は尋常小学4年までで、 その上に高等干:j- (3 年
フガクスズムシソウ
クモキリソウによく似たラン刊の机物
で、 高J:山を中心l二産することから名づけられたものですc
花の色は]\1;\紫色でススムンソウに似ており、 また、 特弁が'Jrtl <
山形市街全国(明治22年)
明治22年(1889)6 月調製された、
2 年生から4 年生になるまでの 3年聞の図画を、 引J
から4 年間) がありました。
縦191crn、横250crnの市街図て、すo表紙に「羽前回南村山郡山形」と
当時の図画の授業では手本をみてかく「臨両」や、手本を記憶し
ありますが、 同年4月に成立した山形市が作った全市域の地図で
たあとみないでかく「記憶画」などを教えており、 このl画帖の絵は
反巻すること、1ft1]が< }'Iーが枯I!tこ開出することなどクモキリソウと
す。 道路や町名・小字名等が記されており、 旧山形城の本丸と二
それらの方法に想像を加えた応用篇といえましょう。
も似ていることから、 スズムシソウとクモキリソウの白r�待針。Eと
の丸は、 香澄町の 「拾五番
字霞ヶ城」となっています。
明治36 年は図画の教科書が固定にな勺た年で、教科書の図形の
考えられています。 東北地方では、 秋田県・耐f;j県の産カ咲11られ
最新山形市明細図(大正14年)大正14年(1925) 8月印刷発行
ており、山形県では昭和34年に大江町古寺鉱泉で採集された記録
された市街図で、鉄道ができ、111山形城は本丸の堀カ、なくなリ歩
鉛筆画はまだ少ししかみられません。使いなれたモ;楽による黒松
があ1)ますが、 昭和 59年fl:内地万て2
. 0数年ぶりに発見されたもの
兵三十二聯隊となっています。 県庁や学校等のほか、 多数の商庖
風の方がかきやすかったようで、中には小学生とは思えないもの
です。 なお同年、 平旧町で発見された) \ ,i'JLのススムンソウは山形
の名前も記きれています。 裏面には、 「商工業者一覧」かあり、 業
もみられます。毛筆画か.多いのは、 明治初期の|状化に対し、 日本
県新係集十Ir(物で・す。
種別に商白名や会社名、 電話番号等が記きれています。
の伝統の美を見直し、 重視し始めた時代の影響も与えられます。
応用がみられます。 毛筆画と共に鉛筆画用教科書も出たのですが、