私の一枚

あなたにとって
「わたしの一枚」とは
どんな写真ですか?
わたしの一枚
my photograph
わが店のルーツ
山本 章夫(富山県高岡市 (有)山本写真館)
この写真は、私の祖父で山本写真館の初代である
山本順次が大正時代に写した、今も受け継いでいる
わが店の学校写真のルーツとなる一枚です。
祖父は、明治・大正時代に生まれ育った北九州の
小倉で化学の教師をしていましたが、大正中期に転
勤で富山県高岡市の富山県立高岡高等女学校(現、
富山県立高岡西高等学校)に赴任しました。
祖父はこの時代としては大変ハイカラで多趣味な
人でした。庭球部(テニス部)の監督をして大会に出
場したり、生徒を登山やスキーに連れて行ったりし
ていたようです。そしてその様子をこれも趣味の一
つであった写真に収めてあります。この当時は機材
を運ぶのも大変だったと思われますが。当時の学校
での修学旅行・運動会・音楽会等いろんな行事やクラ
ス集合まで写してあり、
大変貴重な写真として学校や
地域の記念誌に何度も掲載されました。
ところで祖父ですが、四季のはっきりとした富山
県を大変気に入りこの地を安住の地とし、趣味が高
じて学校を退職し、学校の近くの商店街に山本写真
館を昭和2年に開業しました。そしていち早く学校
写真を手掛けたようです。
私が6歳の時に亡くなったのでうっすらとしか
覚えていませんが、学者肌で少し気難しい所もあり
ましたが、当時の学生達には結構人気があったと聞
きます。私が家業を継ぎこの学校の同窓会を写しに
行った時におばあさん達に
「おちび先生のお孫さ
ん!」と取り囲まれました。
(おちび先生とは祖父の
大正14年、庭球北陸大会優勝の宇野さんと定塚さん。
あだなで、アルファベットのABCD…が九州なまり
でエービー〝チービー〟…と聞こえたそうです。)
教職時代の写真がきちんとアルバムに整理・保存
されていて、写真の下には生徒の名前まで一人一人
記入しています。これらの写真に対する思いや、当時
の学校生活の一部を垣間見るようで、私たちも懐か
しい気持ちになります。以前、このアルバムを卒業生
にお見せする機会があり、その時には涙を流して喜
んで頂きました。
祖父の時代の店の写真入れ袋には、
「人は一代、写
真は末代」と印刷してありました。
この祖父の思いを忘れずに、その人にとって大切
大正14年、生徒との海水浴。
大正10年、スキー
をする祖父。
な思い出の一枚を今できる最高の仕上がりでお届け
するように心がけていこうと思います。
11p 写真文化 12 月号