私たちに しときなさい! - タテ書き小説ネット

私たちに しときなさい!
IKEDA RAO
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しときなさい!
︻小説タイトル︼
私たちに
︻Nコード︼
N7976X
︻作者名︼
IKEDA RAO
︻あらすじ︼
︻
共有彼氏
︼
にさせら
仏頂面で女っ気無しの男が、なぜか二人のカワイイ美少女から超熱
烈な想いを寄せられ、美少女二人の
︻
出逢い編
︼
は完結 ◆
れてしまうことになる微ハーレムでダブルヒロインな物語。
◆ 第一部
1
プロローグ − ここから受難は始まった −
││ 斜に構えた仏頂面。
<1>
││ 眉間にくっきりと刻まれた二本の深い立て皺。
⋮⋮はっきり言おう。今日も俺は機嫌が悪い。
仲間内から最近益々キツくなってきているぞ、とはやし立てられ
ている目つきは確かに一段と鋭さが増しているような気がする。そ
れは不承不承ながら認める。
俺の不機嫌の原因はただ一つ。
モーニング・スクランブル
﹄中に放映される、
それはここ数日欠かさず見るようになってしまった朝の情報番組、
﹃
。
︼
ホロスコープ
ミミ・影浦の愛の十二宮図
かげうら
︻
こいつが俺の心の平静をいつも乱しやがる元凶だ。
⋮⋮とはいっても星占いに興味があるわけではない。むしろ占い
自称
”
も含めればそれこそ途方も無い数が存在すると思
の類は昔から蛇蝎の如く嫌っている。
“
われる占い師共。
奴さん達は明日やほんの一週間先の近未来から、迷う魂が天に還
るまでに辿るであろう遠い未来までを、さも親身になっているよう
2
な物言いで予言する。
しかし俺はその予言を信じない。
﹁惑う子羊達の足取りがもう乱れないように﹂
という大義名分の下、占い師共はカードや水晶などのそれぞれが
得意とする手段と千里眼を駆使し、より良い人生を送る為の助言と
やらをご大層に指南してきやがる。
俺から見りゃあそんなことは余計な世話だと頭のてっぺんから怒
希望
”
という名の灯のついた特大
鳴りつけてやりたい助言の数々も、悩める者にとっては遥か先の道
筋を煌々と照らし出す、“
カンテラに見えるらしい。まったくもってアホらしい。
占い師達が言葉巧みに紡ぎ出す予言の数々は確かにもっともらし
い響きに聞こえる。
が、考えようによっては何通りかに解釈することの出来てしまう
あんなあやふやな言い草を、どうして世間の奴らは簡単に信じ、そ
してまたそれを己の未来の糧にしようとすることが出来るのか、ま
ったくもって不思議でならない。
だがいくらそう苦々しく思っていても、こちらにはそれに科学的
に反論するだけの確たる物証が無いのが業腹だ。
どっかの科学者がタイムマシンでも実用化してくれればそれで自
分の未来を見に行き、
﹁おい違うじゃねぇか!﹂
と奴らの胸倉掴んで怒鳴りつけてやることもできるんだがな。
限られたデータのみの科学的根拠だけに思考を縛られ、この殺
しかし敵も去るもので︵いつの間にか敵扱いだが︶、
﹃
伐とした時代を孤独に生きていくのでしょうか? 一を三で割るこ
3
﹄
とは永久に出来ませんが、一つのお煎餅を人の手で三つに分けるこ
とはできるのですよ
とすかさず反撃してくる。よく分からねぇが何か頷けるものがそ
の中には確かに存在して、思わず納得してしまいそうになる。
ま、量りで正確に計測すれば手で割ったその煎餅も完全な三等分
ではないだろう。
でも確かに三つに分けることは出来、三人の人間に煎餅を与えて
やることは出来るもんな。
タイプ
⋮⋮ってなんだよ、もしかして俺も結構暗示にかかりやすい型な
のか?
││ 人は悩みを抱えると何かすがるものが欲しくなる。それは
よく分かる。
そしてそれがヘビーな悩みなら悩みであるほど、尚更占いという
物に傾倒し、そこに束の間の安寧を求めて疲弊した心を委ねたくな
そんなもん
る気持ちも分かるような気がする。
だがそれがあまりにも不確かな予言で本当にいいのかよ、と天邪
鬼な俺は思うわけだ。
まぁ俺がいくらこんなにひねくれた考えを持っていても、実際の
所﹁占い﹂というジャンルはこの荒んだ世の中に、どんな強風でも
決して揺らぐ事などのない大木の根っこのようにしっかりと定着、
繁栄していやがるし、もちろん需要もある。
年末になれば書店には﹃来年のなんちゃら星人の未来・丸分かり
!﹄なんていう本がうず高く平積みにされ、それなりにバカスカと
売れていくのを目の当たりにする光景はもうお馴染みだ。結局はあ
4
ちらさんの大勝なんだよな。
を毎朝欠かさずチェックし、しか
︻
⋮⋮少々、暴言が過ぎただろうか。さて、ここからが本題だ。
︼
これだけ占いの類を馬鹿にしまくっているこの俺が、何故
ミミ・影浦の愛の十二宮図
もその結果に密かに一喜一憂しているのか?
理由は至極単純明快。
││ それが異様に当たっちまっているせいだ⋮⋮。
はらだしゅうへい
﹁事実は小説より奇なり﹂とはよく言ったもんだと苦々しく思う。
原田柊兵、ここで華麗に敗北宣言だ⋮⋮。
5
プロローグ − ここから受難は始まった −
<2>
モニン君
︼には専属マスコット的なスタ
つい最近まで、俺にとって朝の情報番組はただの雑音に過ぎなか
モーニング・スクランブル
った。
︻
“
とやらが五分置きに教えてくれる現在の時刻、それだけを無意
ンスの奴がいやがって、珍妙な形の目覚まし時計
”
識にその雑音の中から器用に聞き分けて拾い出す。
朝から生真面目なニュースに耳を傾ける気もねぇし、広げたスポ
ーツ新聞を横目に飯を食うからスポーツニュースも必要ない。まし
てや芸能人で誰と誰が付き合っているだとかなどのゴシップネタに
は毛ほどの興味も無い。
﹁今月オススメのヒット漫画はこれでーす!﹂
などと自分に興味のある話題が偶然耳に飛び込んできた時だけ、
︻
愛の十二宮図
ホロスコープ
︼
なんていう、いかにも女子供の
箸を片手に身体を大きく後ろに捻る、そんな毎朝だった。
だから
みが喜びそうな下らない星占いなんざ、まさに雑音中の雑音、一言
たりと聞きたくない、⋮⋮はずだったのに、今の俺は毎朝この五分
間のコーナーを軽い動揺を抱えながらヘビーチェックしている。
九月十四日、月曜日。午前七時四十八分。
︻ ミミ・影浦の愛の十二宮図 ︼が始まった。いよいよだ。
6
大きく後ろを振り返り、箸を止め、固唾を呑んで本日の自分の運
勢を見る。
この占いはその日の内容によって発表前にBGMが変わる。いい
占い内容の時はポップ調、悪い内容の時はベートーベンの運命の曲
が流れる。
俺は十月十九日生まれなので該当星座は天秤座になるらしい。牡
羊座から始まって七つ目、本日の天秤座の恋愛運命の発表がきた。
﹃さぁっ、占うよ∼ん!﹄
と叫びながら毎回画面中央に飛び出てくる、この全然可愛くねぇ
間延びしたおたふく顔の着ぐるみ天使だけは本気で勘弁してくれ。
こいつを見る度に精神不快指数が軽く五倍に跳ね上がる。
⋮⋮来た。
﹃さぁっ、次は天秤座だよ∼ん!﹄
のアニメ声と共に聞こえてきたのは軽快なポップ調のメロディだ
った。
﹃にゅふふ∼♪ とってもいいことがあるかもよ∼ん!
異性があなたに急接近! 仲間の協力でさらに新しい展開が!?
流れに身を委ねれば、今日は一日超ハッピーディ! やったね♪
﹄
⋮⋮何が﹁にゅふふ﹂だ、何が﹁やったね﹂だ。
やたらと感嘆符が出まくりだった今朝の天秤座の占いを見た俺の
機嫌はここで一気に悪くなる。
不細工なおたふく天使が先端に星のついた長ステッキを振り回し、
﹃やったね♪ やったね♪﹄とドスドス足音を立てながらスタジオ
7
内を所狭しと走り回っている。今すぐ飛び掛って本気でこいつの首
を絞めたい。
しかめっ面で茶碗の残りをかきこむと乱暴に席を立つ。
今の予言は﹁超ハッピー!﹂どころか、俺にとっては﹁今日も大
変なことが起きます﹂と公共の電波で宣言されたようなものだ。
浮かない顔で洗面所に行き、もう一度顔を冷水でザッと洗ってと
りあえず気持ちを切り替えると、スポーツバッグを肩にかけ家を出
た。しかし母親が﹁柊兵、お弁当忘れてるわよ!﹂と玄関で叫んで
いるので慌てて一度家に戻る。
何やってんだ、俺。相当動揺している。
まさかあんたがお弁当を忘れて行こうとするなんてねぇ、と驚く
声を無視し、再び外へと出た。
駅に向かって歩きながら、たった今宣告されたあの予言が今日こ
そ外れろ、と強く強く祈る。
⋮⋮実は最近の俺は恋愛絡みで憂鬱なことがある。
だからこそ、本来の自分なら真っ先に情報遮断にいきそうなあん
な恋愛占いに耳を傾けるようになったのだ。
そして飯を食いながらなんとはなしに耳に入ってくる天秤座の恋
愛占い内容に、
︵ ⋮⋮おい、もしかしてこの占い、ある意味当たってるんじゃね
ぇか?︶
と俺が気付き出してまだ八日目だが、現在までこの占いの的中率
はほぼ百%だ。
怖い。怖すぎる。
なぜなら運命のBGMが流れ、あのおたふく野郎が
8
﹃今日は異性とあまり進展がないかも⋮⋮しくしく、ぐっすん﹄
と予言した時は俺を悩ますあの二名の元凶共は確かに側に来なか
ったし、
また、今朝のように、
﹃ウフッ、いいことがあるかもよ∼ん♪﹄
とあのおたふくが激しく妙な踊りをかました時は筆舌に尽くしが
たい凄まじい攻撃を喰らっている。しかも今朝の予言は恐ろしいこ
とに、≪仲間の協力でさらに新しい展開が!?≫などとまでのたま
いだしていた。
仲間⋮⋮?
まさかあいつら、俺を売る気じゃねぇだろうな!?
一抹の不安が胸をよぎる。
とにかく最近のあいつらは少し態度がおかしい。
⋮⋮いや待て。むやみやたらに仲間を疑うのは良くねぇな。
とにかくあの二名の元凶のせいで最近の俺はこんな風に疑心暗鬼
の塊と化してしまっている状態だ。
つい最近まで現在の生活に特に不満は無かった。
勉強は面倒だが、学校はまぁ面白いし、それに学内でつるんでい
る悪友もいる。家にも特に問題があるわけでもなく、父親、母親、
小学五年の弟一人、という一家四人のありきたりの家族構成だ。
しかし極たまにだが、ふとそんな毎日の日々が退屈で空虚なもの
に感じ、自問自答することがある。いや、あった、というべきか。
9
││ 俺は毎日こうして無味乾燥な日々をただ繰り返し続けてい
ていいのか? と。
しかしそれで良かったのだ。
病に倒れてから初めて健康の有り難味を強く実感するように、波
乱万丈な現在の日々の中に放り込まれて以来、今は安泰で平穏だっ
たあの頃の日々が恋しく、ただただ懐かしい。凪いでいる海の良さ
が分からなかったのだ。後悔しても後の祭り。
それに引き換え、もし今の状態を例えるなら、大しけで荒れ狂う
海の中に取り残され、渦の中に巻き込まれようとしているボート船
S・O・S
が妥当な所か。
しかも救助信号に応えてくれる奴もいない。それどころか逆にオ
ールを取り上げられている始末。漕げねぇじゃんかよ。
そんな孤立無援の哀れな一艘の難破ボート。それが現在の俺だ。
九月半ばの旋風が電柱脇に溜まった気の早い枯葉を巻き上げる。
スポーツバッグを右肩にかけ、スラックスのポケットに両手を突
っ込んで背を丸めてひたすらに歩く。長身のせいで前かがみで歩く
癖がなかなか治らねぇ。
⋮⋮今の俺の願いはただ一つ。
遠くに銀杏高校が見えてきた。
あの恐怖の占いが今日こそ、今日こそ外れること││。
10
プロローグ − ここから受難は始まった −
﹁せぇーのっ!!﹂
<3>
下を見て歩いていた為、不覚にも反応が一瞬遅れちまった。両手
をポケットに突っ込んでいたのも敗因だ。
後ろから聞こえたその声にギクリとしながら振り返ろう⋮⋮とし
たが間に合わなかった。
一気に背中に感じたのはズシリと少々重い感触。だが妙に柔らか
い感触が背中に当たる。
﹁おっはよ││っ! 柊兵!﹂
﹁美月ッ!?﹂
背中にしがみついているある一人の女を見た俺は後ろに向かって
そう叫ぶ。
かざまみつき
白い歯を見せニッコリと笑い、俺の背中に子泣き爺いのように取
り憑いたのは風間美月。
スポーツ好きなせいで日に焼けた肌と、背中の中心までの長く麗
しい黒髪、そして抜群のキュートな笑顔が最大の魅力︵本人談︶の、
天真爛漫といえば聞こえがいいが、有り体に言っちまうととにかく
うるせぇ女だ。
﹁なっ、何してんだよ、お前は!!﹂
と叫びながら後ろを向いたせいで前方の防衛面がついおろそかに
11
なった。重ね重ね不覚。
今度はすかさず俺の胸に目掛けてトンッと何かがぶつかってきた。
感じる軽い激突感。こちらの感触も同じように柔らかい。
﹁おはよ、柊ちゃんっ﹂
﹁れ、怜亜ッ⋮⋮!?﹂
今度は真下に向かって叫ぶ。
もりぐち れあ
勝手に胸の中に飛び込み、はにかみながら俺を見上げている女は
森口怜亜。
透き通るような白い肌に黒目がちの大きな瞳、そして薄茶のショ
ートボブが一際可憐で愛くるしい︵美月談︶、華奢な女。美月に比
べると少々控えめな性格だ。
後ろに一人、前にも一人。
二人の美少女︵繰り返すが美月談︶に抱きつかれ、場所でいうな
ら三色サンドイッチのど真ん中、頼りない薄っぺらな合成添加物た
っぷりのロースハムの位置に置かれた俺は、通りの向こうにまで突
き抜けるような大声で咆哮する。
﹁お前らぁっ! 俺から離れろぉぉぉ││││ッ!!﹂
﹁へ? なんで?﹂
俺の腹の底からの絶叫に背中の美月はケロッとしているが、怜亜
はほんの少しだけ驚いたようだ。小さな口に手を当ててキョトンと
俺の顔を見ている。なぁ、頼むから俺の真下でそんな顔すんな。
﹁お、お前らな、いい加減にしろよ! この間転校してきたかと思
12
しらかば
ったら俺にベタベタしやがって!﹂
﹁いいじゃん、あたし達、白樺小時代のかつての同級生なんだから
さ。チクワの友ってやつよ﹂
﹁竹馬でしょ、美月﹂
美月の言い間違いを優しく怜亜が訂正するがそれも激しくどうで
もいいことだ。
くそっ、それよりもこの、この前後の柔らかい感触⋮⋮ッ! 脳
内水銀温度計が急激に上昇中。沸点百度は軽く超えていそうだ。
⋮⋮駄目だ!! 何も考えられなくなってきやがった!! おか
げでただでさえ口が悪いのに余計に拍車がかかる。
﹁うるせぇっ! チクワでも竹馬でもどっちでもいい! たっ⋮⋮、
いっ、いいから俺の側に来んじゃねぇ!﹂
││ 危ねぇ、うっかり﹁頼むから側に来るな﹂と言いそうにな
っちまった。こっちが下手に出てどうすんだ。
﹁こんな朝っぱらからそれだけ大声出せるってことはちゃんと朝御
飯食べてきてるね、柊兵!﹂
俺の背中から飛び降りた美月は前に回り、怜亜と共に俺の正面に
立つ。
﹁そういえばこの間新聞の記事で読んだんだけど、十代の男の子っ
て朝御飯を食べて来ない人がとっても多いんですって。朝はちゃん
と食べないと脳が活性化しないのに⋮⋮。えらいわ、柊ちゃんっ﹂
﹁怜亜! お前は俺の事を柊ちゃんって言うのも止めろ!﹂
﹁だって柊ちゃん⋮⋮﹂
﹁呼ぶなっつってんだろ!﹂
﹁ちょっと柊兵! 怜亜をイジめたらあたしが許さないからね!﹂
13
ひゅっ、と空を切る音がして美月の正拳が俺の鼻先三寸の所で止
まる。
﹁美月、お前まだやってたのか?﹂
殴りつける真似をされて反射的に脳内温度が下がり、逆に冷静さ
を取り戻せた。
﹁ううん、ここを引越して以来、道場にはもう通ってない。自己鍛
錬のみ!!﹂
こいつはかつて俺と同じ道場で空手を習っていたことがある。
﹁その割にはいい動きしてるな﹂
﹁えーっ! そう? ありがとっ!﹂
俺に対して激怒しかけていたはずなのに、ちょいと褒めてやった
らもうニコニコと笑っている。
しっかし昔から変わんねぇよな、その単純な所⋮⋮。
﹁柊ちゃん、一緒に学校に行きましょっ﹂
ほれ見ろ、こっちも全然堪えてねぇし!
また怜亜が俺の名前をちゃん付けで呼びやがったが、もう俺は叱
りつける気力を完全に削がれていた。返答する間も与えられず、即
座に両腕にこいつらの腕が絡みつき、ずっしりと重力がかかる。
﹁ではでは、れっつごー!﹂
能天気な美月の声が気分をさらに落ち込ませる。
覆面パト内に連行される犯人の心境はこういう心境なのだろうか
⋮⋮。
◇ ◆ ◇
14
”。
嫌い
男の中にいればまったく平気なのに、女の前だと途端にグダ
││ クラスを見渡せば何人かは必ずいるはずだ。
“
グダになる奴
俺はまさにこのタイプだ。
⋮⋮⋮⋮って自分で言ってて情けねぇな。
︻
のカテゴリーに入っていない所がミソなんだそうだ。ほっと
仲間の一人によく言われているのだが、それでも女が
︼
け。
でもその指摘は確かに当たっているのかもしれない。女は嫌いで
は無く、あくまで苦手な存在だ。
周囲の奴らには硬派と思われているらしいが、別に硬派を気取っ
ているわけではない。緊張のあまり、単純に女と何を話していいの
か分からなくなるだけだ。
だから仲間とつるんでいる時は、極たまにだが冗談も言い、時に
は突っ込まれ、口下手なりに口数も増えるのだが、自分から女に話
しかけることは一切無い。
逆に女から話しかけられると、≪直径十センチ級の特大正露丸≫
を思いっ切り噛み潰したようなしかめっ面になっちまう。
女の他に苦手なのはネコだ。
この小動物が苦手なのも、どことなくネコは女っぽいところがあ
るせいだと思う。ミャア、と可愛らしく鳴かれ、澄んだ目でこっち
を見上げてその何ともいえないすべすべした毛並みを身体になすり
つけられでもしたら、背中にゾゾォーッと悪寒が走る。
ネコを愛でる気持ち自体はたぶん俺の根底に脈々と流れていると
は思うのだが、その上に、
15
﹃
﹃
﹃
﹃
冷や汗
眩暈
息切れ
動悸
悪寒
﹄
﹄
﹄
﹄
﹄
﹃
以上の断層が何層にも渡って次々に厚く覆いかぶさっているので、
どうしても及び腰になってしまう。
ネコでこれだから女が側にくるとこの症状は更に増し、身体が硬
直する。気つけ及び平静を保つ為に、救心一ビンの中身を全部口に
放り込みたいくらいだ。
⋮⋮おい、それよりも美月に怜亜。
お前らが俺を両脇から連行するのはまだ我慢する。耐えてみせる。
だが、だがな! そんなにぐいぐいと身体を押し付けないでくれ
! 腕にな、お前らの片胸が時々当たってきやがるんだっての!
しかしそんな俺の内心の叫びを知ってか知らずか、美月の奴が、
﹁う∼今日は寒いよねーっ! ねー怜亜、ちゃんとあったかくして
る? 寒かったらさ、柊兵にもっとくっつけばいいよ!﹂
﹁えぇっ!﹂
﹁じゃっせっかくだからあたしもーっ!﹂
おいおいおいおいっっ! お前ら待てってッ!
││ だが容赦の無いWサンドイッチ攻撃再び。
頬を染めてそっと俺に擦り寄り、腕をさらに絡ませてくる怜亜。
二の腕が鬱血するんじゃねぇかというぐらいの力でしがみついて
16
くる美月。
両腕にでっけぇマシュマロをムギュッと強引に押しつけられたよ
うな柔らかい感触がまたしても俺を襲う。
⋮⋮くそっ、一旦は静まった動悸がまた激しくなってきやがった
じゃねぇか!
このままだと次々に襲い掛かる激しい動悸に耐えかねて、その内
冗談抜きでぶっ倒れそうな気がする。そんな醜態を晒したら末代ま
での恥だ。マジで救心が欲しい。今なら一ビン飲み干してみせる。
あぁ畜生、そんなことよりもやっぱり今日もあのおたふく占いが
当たりやがったか⋮⋮。
ミミ・影浦、恐るべし。
⋮⋮なぁミミさんよ、俺にとっては有難迷惑だが、あんたの恋愛
占いとやらがよく当たるのは分かった。大したもんだ。褒めてやる。
だからその占いで教えてくれ。
俺がこの生き地獄から抜け出すには一体どうしたらいいんだ!?
17
ツインカム・エンジェル! <1>
朝のHRが終わった。
椅子にどっかりと座り、机に頬杖をついて険しい顔で窓の外に顔
を向けていた俺に背後から声がかかる。
﹁柊兵く∼ん、今日も君は朝からハッピーなことがあったようだね
∼? いやぁ羨ましいなぁ∼っ!﹂
⋮⋮来やがったな。
悪友メンバー四人の内の一人が早くも登場だ。
くすのせしんいち
││ 楠瀬慎壱。通称、シン。
こいつはグループのムードメーカー的存在で、とにかく場を盛り
上げるのが上手い男だ。
涼やかな二枚目顔に合わせたロングレイヤーのヘアスタイルが自
慢で、後ろから見ると女と間違われそうだが背丈があるので今のと
ころ間違われたことは無いらしい。
俺を一番からかうのがこいつだ。とにかくいじるのが面白いと言
ボーダーライン
う。相手にすると益々いじられまくるのでシンのからかいには無視
を決め込むことが多い。
だがそれでも時折堪えきれずに怒りの臨界線を突破しそうになる
時があるが、シンはその見極めに非常に長けている男だ。俺の発す
る霊気を直接肌で感じることが出来るのか、俺がブチ切れそうにな
る直前でからかうのをピタリと止める。
しかしシンは何度ヒヤリとする場面になっても俺をからかうその
スリル
危険な遊びを一向に止めようとする気配は無い。こいつはもしかし
たら目前にせまる恐怖を楽しむのが好きな、真性のマゾ体質なのか
もしれないと最近の俺は時々思う。
18
﹁なになに? 聞くところによると今朝はあの可愛い美女二人を両
ラッキーマン
手にぶら下げて登校したんだって? いやぁ∼今、この学校で柊兵
くん以上の幸福男はいないだろうなぁ∼! 俺が断言するよ!﹂
俺は窓の外に顔を向けたままでシンを無視する。こいつの相手に
なれば余計に泥沼になっちまうからな。しかし毎朝遅刻ギリギリで
来るシンがこんなことを言い出すのは他の仲間の誰かが教えたから
に違いない。余計なことをしやがって。
﹁どうでしたか、美少女二人に挟まれたご気分のほどは?﹂
無視しているにも関わらず、シンはまだこの話題を続けている。
悔しいことにあのおたふく占いもまた的中しちまったし、今朝は久
しぶりにキレそうな予感がしてきた。そこで最終警告代わりに横目
でギロリとシンを一睨みする。今まで何度も見慣れてきているはず
なのに、シンは俺の顔を見て一瞬たじろいだ。やはり今朝は相当ヤ
バい目つきになっているらしい。
﹁でっでさ、柊兵くんはこれからずっとあの娘達と一緒に登校する
わけ?﹂
ビビッているくせに最初の出だしをつっかえながらもシンはまだ
俺に絡みやがる。
﹁知らねぇっ! 俺に聞くよりあいつらに聞け! ついでにもうま
とわりつくなって言っとけ!﹂
と苛立ちを一気にシンにぶつけたが、シンは途端に
﹁はぁ?﹂
と素っ頓狂な声を上げた。
﹁なんでだよ? 勿体無いことすんなよ! あんなに可愛い女の子
19
二人から好かれてさ、お前はマジで幸せモンだぜ! ドゥーユーア
ンダースタン? 柊兵くん、君は分かってるか? 今置かれている
ご自分の素敵な立場ってものをさ﹂
﹁じゃあお前が代わってくれ﹂
﹁ちょい待てよ柊兵! もしかしてわざと言ってるのかよ!? お
前って意外と性格悪いんだな∼!﹂
シンはそう叫ぶと大袈裟に肩を竦め、両掌を上に向けて腕を二、
三度上下させた。オーバーアクションが好きな奴だ。
﹁いいかい柊兵くん、代われるもんなら今すぐ代わりたいっつーの
! ソッコーで、チョー電光石火で代わってほしいよ! でもよ、
美月ちゃんも怜亜ちゃんも、お前しか見てないじゃんか! あーあ
本当にいいよな∼、あんな可愛い幼馴染二人から想われるなんてさ
∼! 俺も真実の愛を探しに旅立とうかなぁ⋮⋮﹂
そこへすかさず割り込む低い声。
ひでのり
﹁いや、幼馴染というのは少々違うな、シン﹂
さくま
││ 佐久間英範。通称、ヒデ。
あくまで俺らグループの中での話だが、一番の常識人だ。
百八十四センチのがっしりとした身体とその濃い顔つきのせいで、
二十代半ばに見られることも多々ある。
高校生とは思えないその落ち着きは、シンに言わせるとすでに﹁
老成﹂の域に到達。父親が空手の師範で道場を経営しているので、
幼い頃から拳法を嗜んでいるせいもあるかもしれない。俺も小学二
年の時からその道場に通っているので、高校に入ってからつるむよ
うになった今のメンバーの中でヒデだけとは小学生時代からの腐れ
縁だ。
俺とシンのすぐ横で腕組みをしながら話を聞いていたそのヒデが
会話に割り込んできた。余計なこと言い出すんじゃねぇぞ、ヒデ。
20
﹁へ? 幼馴染じゃないの?﹂
﹁シン、前にも話したと思うが、美月と怜亜、柊兵、そして俺が白
樺小で同じクラスになったのが小学四年の時だ。その時からの付き
合いだからで幼馴染っていうのとは少し違う﹂
﹁だって小学四年なら九∼十歳あたりだろ? その辺りなら充分幼
馴染の定義内じゃん﹂
。
﹁そうか? 俺は幼稚園ぐらいからの付き合いが当てはまるものだ
と思っていたが。柊兵はどう思う?﹂
﹁知らねぇっ! どうでもいいっ!﹂
﹁ははっ、今朝は一段と機嫌が悪いね、柊兵﹂
とそこにまた俺らの輪に加わってくる爽やかな男が一人
﹁僕、今朝ここから柊兵が登校するのを見てたんだけどさ、もう少
し歩くスピード落としてあげなよ。あの娘達、ずんずん歩く柊兵の
ソース
さなだ なおと
腕から降り落とされないように必死にしがみついてたよ?﹂
こいつが情報源か⋮⋮。││ 真田尚人。
俺らの中で一番世渡りが上手い。
中性的なその笑顔と自分のことを﹁僕﹂と言う優しい口調は年上
女の母性本能をくすぐる大きな武器だ。そのせいかこいつの知り合
いの女は見事に年上ばかりだ。女の遍歴は非常に偏っていると言わ
ざるを得ない。
俺らのグループは学業、素行の面で教師からの呼び出し率が高い
ことでも有名だが、その中で尚人だけは例外だ。頭の良いこいつは
教師の覚えもめでたく、職員室への入室率は断トツで低いのも特徴
だ。ちなみにシンと出身中学が同じで昔から二人でよくつるんでナ
ンパに繰り出していたらしい。
﹁ほら睨まない、睨まない。柊兵もさ、そんな世間を警戒しまくる
21
ハリネズミみたいな顔してないで、もっと自然な顔してなよ。悪く
ない顔してんのにさ、絶対損してるよ﹂
﹁う、うるせぇ﹂
尚人はメンバーの中で一番人当たりがいいのでこいつと話す時が
コンバート
気立ての優しい綺麗な女を男に転向させたら尚人になった
一番調子が狂う。
“
”、というのがこの男に対して一番しっくり来る説明のような気が
する。だからこいつから微笑みを浮かべて話しかけられると、それ
が俺にとってどんなに怒髪天を衝くような内容でも怒りが天を震え
させることはない。ったくいいんだか悪いんだか。
尚人から顔を背けた途端、男にしては少々甲高い声が場に挟まる。
﹁なぁなぁ柊兵、でさ、お前はどっちが本命なわけ? さっさと決
めろよなぁ!!﹂
なんば しょうや
││ 難波将矢。
グループの中で一番のお調子者。
そしてメンバーで唯一兄弟姉妹がいないせいか、どこか呑気で坊
ゴーイング・マイウェイ
ちゃん的な所がある。
良くも悪くも我が道を行く男だ。
ブリーチ
実は尚人の次に童顔の男なのだが、それを嫌っている将矢はこの
銀杏の校風が比較的自由なのをいい事に、髪を脱色しまくっている。
俺ら五人の中で一番背が低いこともかなり気にしているようだ。男
は見てくれじゃないと思うんだがな⋮⋮。
その将矢がまたしてもやかましく叫ぶ。
﹁なぁマジで早く決めてくれって柊兵! で、残った方をこの俺が
パックリといただくっ!!﹂
22
俺の交感神経のあちこちに埋められている激怒地雷源を踏みつけ
たのはこの日もこいつだった。
将矢はとにかく場の空気が読めない男なので、こいつが俺をネタ
に口を出すとそれは大抵俺の大いなる怒りを呼び起こすことになる。
そう考えると、俺が憤怒の形相になる前にシンが紙一重の所で毎回
アタック
それを上手く回避するのは、やはりシンの才能なのだろう。ま、羨
ロック
ましくも有難くもなんともないがな。
それよりも将矢だ。
俺の視線は完全に将矢を照準固定する。攻撃開始。
﹁ぐぁぁぁあああぁぁ││ッッ!!﹂
無言で椅子から立ち上がり、将矢の首にスリーパーホールド。
思わず出たこの技、昨夜読んだ昔のプロレス漫画の影響か。
しかし面白いくらいに綺麗に決まったな。気を良くし、さらにき
つく締めつける。と同時に苛々していた気持ちが少しずつ霧散して
いく。将矢に感謝だ。
頚動脈を締められ、青い顔で空中をかきむしっている将矢を憐憫
たっぷりの視線でシンが眺める。
﹁あーあ、将矢はストレートに言い過ぎ。ほんと下手だなぁ、柊兵
をいじるのが﹂
﹁まぁ今日はもうその辺にしとけ柊兵﹂
金のヘッドを抱えていた腕をヒデに軽く掴まれた。
そら
﹁見ろ、将矢はすでに宇宙に逝きかけてるぞ﹂
ここで将矢に死なれても寝覚めが悪い。渾身のスリーパーホール
ドでだいぶ怒りを放出できた俺はあっさりと獲物を放擲することに
23
した。
教室の床にバタンとうつ伏せに倒れ、ヒクヒクと床で蠢めく無様
な将矢の側に心配そうな顔で尚人がスッと膝をつく。優しいもんな、
尚人は。
﹁⋮⋮なんかこの動き、理科の実験でカエルを解剖して電流を流し
た時の動きによく似てるね﹂
おいおい尚人、見かねて心配したんじゃないのかよ? まぁやっ
たのは俺だが⋮⋮。
﹁いいかお前ら、こんなふうになりたくなければもう黙れ﹂
将矢を除いた全員に改めて最終通告すると、残りのメンバーは神
妙な顔で全員一度だけ首を縦に振った。
なかなか素直じゃんか。今日の俺は余程危ないオーラを発してい
るらしい。こいつらの従順さにとりあえず納得した俺はドサリと椅
子に腰を下ろし、再び仏頂面で外を眺める。
⋮⋮後で知ったことなのだが、もしこの時、後ろの教室内を振り
返っていたら俺の運命もまた少し変わっていたのかもしれない。
あの恐怖のミミ・影浦の占いも半分は外れ、俺の溜飲も多少は下
がったかもしれない。
でもこの時の俺は知らなかった。
俺の背後でシン達が神妙な顔をとっくに止め、お互い目配せをし
ながら肩を震わせ、声を殺して笑っていたことを。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
24
︱︱︱・︱︱︱・
昼休み。昼食の時間だ。
俺達は天気が晴れの場合は必ず外で昼飯を食うことにしている。
がやがやとやかましい教室より、気持ちのいい青空と風の下で食う
ほうが百倍美味く感じるからだ。
場所は校舎裏のケヤキの大木の下。
以前、この場所は争奪戦が激しい場所だったようなのだが、俺ら
がここで弁当を食い出すようになって自然と他の奴らはこの付近に
足を向けなくなった。
⋮⋮まぁ、その理由はなんとなく分かる。
図体のでかい男共がわらわらと五人も群れて、しかもその中に目
つきの悪い俺や、更に大柄のヒデ、金髪頭の将矢などがいれば、普
通の奴なら触らぬ神になんとやらで、因縁でもふっかけられないよ
うに自己防衛に走るのも頷ける。
ま、こっちにしてみりゃあ、こんないい場所を俺らだけで独り占
めできるので願ったり叶ったりだ。
九月半ばに入り、何気なく見上げた空がまた一段と高くなってい
ることに気付く。
ケヤキの葉も少しずつ枯葉に変わり、風も段々と薄ら寒くなって
きている。あともう一ヶ月もしない内にここで昼飯を食うのもしば
らくはお預けだろう。
﹁いや∼しかし今日はいい秋晴れだねぇ。飯も食ったし、午後の授
業に備えてシェスタでもしませんか、皆の衆?﹂
一番初めに飯を食い終わったシンが芝生の上に大きく足を投げ出
25
して昼寝の提案をした。
﹁いいな﹂
﹁僕も依存無し﹂
﹁寝ようぜ、寝ようぜ!﹂
ヒデ、尚人、将矢がすかさず同意し、弁当箱を片付けると俺以外
の全員が芝生の上にさっさと身体を横たえる。
﹁あれ? 柊兵は寝ないのか?﹂
胡坐をかいたまま動かない俺をシンが促した。
﹁いや、別に寝てもいいけどよ⋮⋮﹂
﹁じゃあほらほら横になって横になって! 食後のくつろぎは重要
ですよ柊兵くん!﹂
シンに急かされ、両腕を頭の後ろで組み、それを枕代わりにして
俺もとりあえず仰向けになった。
なんとなくだが今のこの展開がなぜかとってつけたような展開に
感じたのは気のせいか? だがこうやって食後に寝るのは誰かが言い出してたまに起こる展
開なので俺もそれ以上は深く考えずに、上空に斑点状に広がる鰯雲
を視界から遮断することにする。
すぐに周りは静かになった。
昨夜、深夜二時過ぎまで部屋で格闘漫画の二度読みなんて馬鹿な
事をしていたせいであっという間に睡魔に襲われ始める。たぶん五
人の中で一番最初に意識を失ったのは俺だ。
⋮⋮というか、意識を失ったのは実は俺だけだった。
26
ツインカム・エンジェル! <2>
││ 夢を見た。
ネコに襲われる夢だ。
元々夢見が悪い方なのか、俺は昔から毎夜見ている夢を滅多に覚
ナイトメア
えていない代わりに、記憶に留まる夢はほとんど悪夢という悲惨な
体質だ。
今回俺のレム睡眠がご丁寧に見せてくれやがった悪夢は、よりに
もよって真っ白いネコが俺にその身体を摺り寄せてくる夢だった。
モルモット
逃げ出したくてもなぜか俺の身体はまさにこれから人体実験され
る生贄のように、手術台に革のベルトで手足をしっかりと固定され、
身動きが一切出来ない状態になっている。
白ネコはニャーニャーと甘ったるい声で鳴きながら、まず俺の腹
の上にヒラリと飛び乗った。
﹁あ、あっちに行けって!!﹂
首にも革ベルトを巻かれているがそれがぎりぎりと喉仏に食い込
むのも構わずに、必死に四十五度まで頭をもたげて怒鳴りつける。
しかし白ネコはまだ子猫のせいか全然ビビる様子を見せず、相変
わらずみーみーと鳴きながら俺の顔目掛けて一直線に身体の上をト
コトコと軽快に歩いてくる。
﹁くっ、来るなぁ││ッ!!﹂
一歩一歩近づいて来るたびにどんどんと大きくなる、つぶらなネ
コの瞳に悪寒が走る。
27
ついに白ネコは首元にまで来ると、絶妙のマウンテンポジション
からじぃっと真下を見つめ、
﹁んにゃっ﹂
と鳴いた後、その小さい舌でぺろぺろと俺の顔を舐め始めた。
ぎゃぁあああぁぁぁぁッ!! やっ、止めろぉぉぉぉぉ︱︱ッ!!
必死に顔を背けてもネコの奴は俺の顔を舐めるのを止めない。と
うとう口までガッツリと舐められた。
おい、ファーストキスがよりによってネコかよ⋮⋮と、この時ま
だ夢の中と気付いていない俺は色んな意味で気が遠くなる。
その時、ふと気付いた。
⋮⋮この感触、全然ネコの舌っぽくねぇぞ? ざらざらしてねぇ
し。
どっちかっていうと人間のある部分の感触に近いような気が⋮⋮。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
││ 俺の意識は一気にここで覚醒した。
目を開けた時のこの光景を俺は墓場まで忘れないだろう。
俺の顔の上に二人の女の顔があった。説明するまでもなく美月と
怜亜だ。熟睡していた俺はこいつらに同時にキスされていたのだ。
上空から何やら激しいシャッター音。
28
ニヤニヤと下卑た笑い顔を浮かべたシンが、デジカメを俺らに向
けて何度もシャッターを押している。
﹁あ。柊兵、起きちゃった。ね、シン、ちゃんと撮れた?﹂
俺から口を離した美月が上を振り返って聞いている。っつーか美
月はなんでシンを気軽に呼び捨てにしてんだ?
﹁バッチリっすよ、美月ちゃん!﹂
片目をつぶり、グッと親指を突き出すシン。後で絶対に殺す。
怜亜も唇を離し、﹁楠瀬さん、どうもありがとう﹂と丁寧に礼を
言っている。
おいおい、こいつら、いつのまに仲良くなってたんだ?
⋮⋮本来の俺なら二人の女に同時にキスされている事を知った時
点で、動悸が激しくなり呼吸困難でも起こしかねなかったが、自分
が理解できる範疇のレベルを飛び越えた状況だったために思考はそ
の活動を緊急停止していた。
ルート
その後、ようやく白濁していた思考が活動を再開すると、混乱は
逆上へ向かって一直線の経路を突き進み出す。
今の状況を把握した俺の目に怒りの色が表れ始めた事に気付いた
シンが素早く釘を刺してきた。
﹁言っとくけど柊兵、俺らに怒るのは筋違いだからな? 俺らは美
月ちゃんと怜亜ちゃんに頼まれて、仕方なーくやったんだからな。
そこんとこよろしくっ﹂
﹁そうよ、柊ちゃん。悪いのは全部私たち。だから怒るなら私たち
を怒ってね﹂
すぐ側の至近距離で怜亜が両手を合わせて頼み込んでくる。バカ
野郎、女をどつけるかっての。
﹁皆、どうも協力ありがとうね! これでまず今年の目標の一つは
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達成よ!﹂
美月の声高らかな勝利宣言に男共が﹁おぉ∼!﹂と感嘆の声を上
げながらパチパチと手を叩く。
目標ってなんだよ、おい!
﹁ねぇ怜亜、ちゃんと同時に半分こずつに出来て良かったよね!﹂
﹁えぇ!﹂
││ だからなんのことなんだっての!
左袖で乱暴に口を拭い芝生から素早く身を起こすと、まずは周り
を囲んでいるシン達を、次に両横にいる美月と怜亜を無言で睨み付
けた。
しかし美月はへへへっと得意げに胸を逸らし、怜亜は柔和な顔で
微笑んでいる。
この銀杏高の女達の中で俺の睨みに全然ビビらないのはたぶんこ
いつら二人ぐらいだろう。
﹁あのね柊兵、あたし達決めたんだ。これから柊兵のことは何でも
半分こしようって! ねっ、怜亜?﹂
﹁そうよ、柊ちゃん。美月も、私も、柊ちゃんのことが大好きだか
らなんでも半分こなの。でね、今回は柊ちゃんとの初めてのキスを
半分こすることにしたのよ﹂
⋮⋮全然意味分かんねぇ!
﹁だからぁ、柊兵の唇を真ん中から半分に分けて、左の口角までを
あたし、右の口角までを怜亜って決めて、今日のお昼に奪いにきた
んだ! ヒデやシン達に協力してもらってね! まぁでも二人で同
時にキスしたから口の端になんとかぎりぎり触れたくらいだけどね﹂
⋮⋮そうかっ、だからシンはさっき急に昼寝をしようなんて言い
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出しやがったのかっ⋮⋮!
﹁でもいいじゃない。それでもちゃんとキスできたわ。あ、楠瀬さ
ん、カメラありがとう﹂
怜亜がシンからデジカメを受け取ろうとした所を横からすかさず
横から奪い取る。
﹁あん、柊ちゃん返して﹂
﹁おっ、お前ら! 俺にもうまとわりつくんじゃねぇって言っただ
ろッ!?﹂
﹁でもあたし達は柊兵のことが好きなんだからしょうがないじゃん
!﹂
﹁だっだから、おっ俺の都合も考えろ!﹂
﹁だって柊兵、彼女いないんでしょ? ヒデから聞いたよ?﹂
﹁だから私たち、柊ちゃんを仲良く半分こしようと思って⋮⋮﹂
おい、だからその≪半分こ≫、っていう思考がそもそもおかしい
だろ!?
そう言いかけてふとあることを思い出す。
││ 美月と怜亜の父親は同じ製薬会社に勤めている。
だから小学生の頃、美月と怜亜はその製薬会社が契約しているマ
ンションに住んでいた。要は社宅みたいなもんだ。
同じ建物に住み、同じ年で同じ性別。こいつらが親友になるのも
まぁ当然の成り行きみたいなものだったのだろう。
事実、こいつらは友達というよりは姉妹⋮⋮、いや、同い年だか
ら双子のように育っていた。
こいつらはいつも一緒だった。
俺は小学四年の時に転校してきたこいつらと同じクラスになって、
その後の小学校を卒業するまでの三年間、ヒデと四人でそれなりに
仲良く遊んでいたような気がする。中でも美月は俺やヒデと同じ道
場に通い始めたのでよく一緒にいた。
31
しかし中学にあがる年の三月に、美月と怜亜の父親に同じ都市へ
の転勤辞令が出て、こいつらはまたも仲良く引っ越していったのだ。
転勤先が同じ場所だったので、中学以降もこいつらはずっと仲良
しこよしをしてきたらしい。そして今年の九月に親達の転勤期間が
終わり、美月と怜亜は半月前に再びこの街に帰ってきて、この銀杏
高校に編入してきた、というわけだ。
そういや、小学生の時、よくこいつらは何でも半分に分けていた
な。
それは美月と怜亜にしてみれば双子のように育った親友として当
たり前の行為なのだろう。
⋮⋮しかし男まで半分に分けようだなんて頭おかしくねぇか?
32
ツインカム・エンジェル! <3>
﹁柊ちゃん、お願い、カメラ返して⋮⋮﹂
怜亜がうるうるとした瞳ですがるように俺を見ている。
メモリー
⋮⋮ヤバい、また調子が狂う⋮⋮!
﹁か、返すが、中の記憶は消す!﹂
怜亜は本当の女の分だけ、尚人よりも激しく調子が狂っちまう。
羞恥写真を消そうと削除キーを探す俺の腕に美月が齧りつく。女の
くせにすごい力だ。
﹁あぁっ止めてよ柊兵! 永遠の乙女の思い出になるあたし達のフ
ァーストキスのメモリーショットなんだからぁ!﹂
﹁知るか!﹂
││ なんだ、お前らも初めてだったのか⋮⋮。実は俺もそうな
んだよな。死んでも言わねぇけど。
﹁いいじゃないか、柊兵。黙って渡してやれよ。男ならそんな写真
一、二枚撮られたぐらいでうろたえるな﹂
むずがる赤子をなだめるような口調でヒデが横から口を出してく
る。
﹁さっすがヒデ! もっと柊兵に言ってやってよ!﹂
美月がヒデをけしかけている。
両手を胸の前で組み、悲しそうな瞳で俺を見ている怜亜の側に尚
人が近づき、
﹁はい怜亜ちゃん﹂
ウォーミングアップ
とその目の前にスッと携帯電話を差し出した。
﹁ほら大丈夫、今の本番前の口慣らしなら僕もこれで一枚撮ったか
33
ら。これ、すぐに怜亜ちゃん達のケータイに送るよ﹂
﹁えっ、本当ですか? 嬉しい!﹂
慌てて横目でディスプレイを覗くと、寝ている俺の頬に両側から
幸せそうに口付けをしている美月と怜亜の横顔がどでかく飾られて
いる。これ以上無いぐらいの羞恥写真じゃねぇか⋮⋮。
﹁おっ、お前らなぁ!﹂
本気で頭に沸騰した血が集まり出した俺に﹁まぁまぁ落ち着け柊
兵くん﹂と笑みを浮かべたシンが近づいてくる。このだらしのねぇ
シンの顔。この顔は絶対に何か企んでいやがる顔だ。間違いない。
咄嗟に身構えた俺を横目にシンはまた大げさな素振りで大きく両
手を広げた。
﹁さぁ美月ちゃん、怜亜ちゃん! どうぞ俺らにすべてお任せ下さ
い! 可愛い女の子二人がその可憐な胸にずっと秘めてきた夢を今
ヒ
ここで華々しく成就させる為、俺ら正義の戦隊がこれからお手伝い
をさせていただきます!﹂
ール
⋮⋮正義の戦隊って何だ。それじゃあ俺はこれから成敗される悪
役か?
﹁じゃあ皆いいなっ!? レディッ、GOッ!!﹂
突然シンが俺の両腿の上にガバッと馬乗りになる。そして俺の下
半身の動きを封じると続けて叫んだ。
﹁ヒデ! 腕ッ!﹂
﹁おう任せろ!﹂
ヒデの太い腕ががっしりと俺の二の腕を掴み、俺の上半身は再び
芝生に押し付けられた。
﹁うぉわっ!?﹂
﹁尚人は頭だ!﹂
34
﹁了解っ!﹂
横から伸びてきた尚人の手が俺の両耳をがっしりと万力のように
固定する。
﹁将矢は柊兵からカメラ取り上げろ!﹂
﹁イエッサー!!﹂
ヒデに腕を押さえつけられているのでカメラはあっさりと奪われ
た。
感心するぐらいの巧みな連携プレー。さすがつるみだして二年目
突入だな。頭に血が昇っているつもりだったが、こいつらの阿吽の
呼吸に感心している俺もまだ結構冷静かもしれん。
﹁うわ∼スゴーイ! 鮮やか∼!!﹂
﹁柊ちゃん、捕まっちゃった!﹂
俺の側で美月と怜亜が手を取り合ってきゃいきゃいと喜んでいる。
モルモット
たちまち俺はさっき見た悪夢の中のように、両手足の自由を奪わ
れた生贄に逆戻りした。
﹁は、離せって! てめぇらっ、後で覚えてろよッ!?﹂
身をよじってそう怒声を上げるが誰も聞いちゃいねぇ。
さすがに男三人に全力で押さえつけられれば逃げ出すことも叶わ
なかった。
﹁さぁさぁではどちらのお嬢様からにしましょうか?﹂
俺の脚の上にいるシンが美月と怜亜に向かって尋ねている。
ここまできてやっと俺はこれから自分の身にどんな災いがふりか
かろうとしているかをうっすらと理解し始めていた。
ミミ・影浦の占いで出ていた≪仲間達の協力で起こる、とっても
いいこと≫とは⋮⋮!
﹁美月からでいいわ﹂
35
怜亜が微笑みながら順番を譲っている。
あぁ、やはりこいつも昔から全然変わってねぇな⋮⋮。こういう
時必ず先に一歩引くのが怜亜だ。自己犠牲精神が強いんだよな、こ
いつ。昔から自分一人が貧乏くじを引くと分かっていてもためらわ
ずに引きに行く性格だった。
﹁ん∼そぅお? ファーストキスは一応同時に出来たし、じゃあお
言葉に甘えて!!﹂
美月がよいしょっ、と言いながら俺の腹の上に跨る。
スカートが大きくひらめき、慄いた俺は即座に腹筋に力を入れた。
間髪入れずに胃の真上にドスッと勢いよく美月が座り込む。
﹁ぐぉわぁっ!﹂
﹁うわっ、柊兵のお腹、すごく硬い!﹂
当たり前だろ、普段から影で鍛えてんだからな。それよりもうち
ょい遠慮して座れよ。ついさっき食った弁当がリバースしたらどう
すんだ。
﹁へへ∼、まさか今日一日で一気にここまで進めるとは思わなかっ
たよ∼! じゃあ風間美月、参りますッ!﹂
参ります、ってこれから組み手練習するわけじゃねぇんだからよ
⋮⋮。
腹の上から俺を見下ろす美月は太陽のような輝く笑顔で俺に向か
って顔をほころばせている。
⋮⋮どうでもいいがこいつ、胸でけぇ⋮⋮。
下から見ているとそれが一層よく分かった。胸元の赤のリボンが
垂れ下がることが出来ずにその上に乗っている。
小学校を卒業する頃はまな板みたいな胸だったくせに、その後の
四年間、美月の成長細胞は童話、﹃アリとキリギリス﹄の蟻のよう
にコツコツと額に汗水垂らして懸命に働き、食料の代わりにせっせ
と大量の脂肪を溜め込んでここまでこいつの胸を見事に膨らませた
36
らしい。
しかしよくここまで育ったもんだ。少々感動した。
⋮⋮いや待て、感動している場合じゃねぇ!
そのでかいゴム鞠二つを標準装備した美月が俺に向かってぐいと
顔を寄せて⋮⋮。
﹁やっ、やめろぉおおおおぉぉぉぉ││ッッ!!﹂
モルモット
叫ぶだけ結局全て無駄。この状況で哀れな生贄が縛めから解き放
たれる可能性など一切ありはしなかった。
﹁んーっ♪﹂
唇に柔らかい感触が再び当たる。しかもかなり強引に。脳天が痺
れる。
美月がますます強く唇を押し付けてきたので、伏せられたその長
い睫と黒髪が俺の上頬にかすかに触れた。組み手でヒデから頭部に
まともに蹴りを喰らっちまった時より今の方が脳の衝撃が強いのは
どういうことだ?
﹁おい将矢、カメラカメラ! 撮れ撮れ!﹂
﹁イエッサー!!﹂
シンに促され、目線を合わせるために芝生に腹ばいになった将矢
が、俺と美月が唇を合わせている横顔をデジカメで何度も撮影して
いる。
⋮⋮これは悪い夢だ。悪夢だ。さっきのネコの夢が現実で、こっ
ちが夢であってくれ⋮⋮!
37
﹁はい! いいよ怜亜! 次は怜亜の番!!﹂
約十秒近く俺に唇を押し付けていた美月が俺の腹から下り、怜亜
を促す。
頬を赤らめた怜亜は小さく頷き、耳横の髪に手をやると、しゃな
り、と俺の側に擦り寄ってきた。
しかし前から思っていたが本当にこいつはネコみたいな動きをす
る奴だ。
﹁柊ちゃん⋮⋮﹂
怜亜は脚を崩して横座りになると、全身を投げ出すように俺の身
体にもたせかけ、そっと覆いかぶさってくる。潤んだ瞳の怜亜の顔
がゆっくりと近づき、香水か何かのいい匂いが鼻腔をくすぐりだす。
⋮⋮うわっ、やべッ! 心臓の鼓動が勝手に早まってきやがった
ッ! 俺のこの拍動、くっついている怜亜に直に伝わっちまってる
んじゃねぇか!? 美月のムードゼロのモーションと違い、怜亜のこれは最早立派
な反則技だ。引きつった顔で硬直する俺の頬に優しく両手を添え、
怜亜が顔を寄せてくる。いい形をした桜色の唇がどんどんと接近し
てきて⋮⋮。
ちょっ、ちょっと待て! 待てって怜亜! せっ、せめて心の準
備をさせてくれッ!
││ しかし容赦無く再び柔らかい感触。
柔らかさの中にも美月と怜亜のそれぞれの唇は感触が違った。
美月の唇は温かくて怜亜のは少しひんやりとしている。決して強
くはないが、ぴったりと唇を押し付けてくる怜亜のそれは、母犬が
子犬をいとおしむ様な保護的な優しさを感じた。⋮⋮だがどっちに
しても心臓が締めつけられるように痛いことには変わりない。キュ
38
⋮⋮救⋮⋮心⋮⋮⋮⋮!
﹁うぉぉー! いいね、いいねぇ! 月9のラブシーンみてぇだ!﹂
そんなに連写したら壊れちまうんじゃねぇかと心配するぐらい、
デジカメラのシャッターを切りまくりながら将矢が興奮した声を上
げる。⋮⋮おい、男三人がかりで体中を拘束されたこんな状態でや
るラブシーンなんかあるのかよ⋮⋮
怜亜はたっぷり十五秒近く俺から離れなかった。
息が苦しくて、マジで甘い拷問を受けているような気分にさせら
れる。
やがて怜亜は聖母のような慈愛に満ちた顔で俺から優しく唇を離
した。酸欠で頭がくらくらする。
﹁満足しましたか? お嬢様方?﹂
デス
シンの言葉に美月と怜亜が﹁うんっ!﹂﹁えぇ!﹂と満面の笑顔
で答えている。
和やかな雰囲気漂うこの場の中で俺一人が即死状態。今にも本気
で死にそうだ。
﹁そりゃあ良かった。じゃあ早速次の用意だ。いいか、皆?﹂
何ッ、まだ俺に何かする気かよっ!? 2、
1、GOーッ!!﹂
焦る俺を尻目にシンが全員を見渡してカウントダウンを始める。
﹁いくぞぉーっ! 3、
││ 次の瞬間、俺は自由の身になった。
シン達が押さえつけていた俺の身体から手を離し、一目散に逃げ
39
出したのだ。
全員脱兎の如くこの場から走り出している。むろん、マジでブチ
切れ五秒前の俺の攻撃から安全な場所に退避するためだ。
それにしてもあいつら逃げ足だけは本当に速いな⋮⋮。
美月なんかは男共にも負けていない。運動が苦手な怜亜だけはヒ
デが手を引いて走ってやっている。
﹁先に教室に帰ってるぜ、柊兵く∼ん!﹂
﹁またね、柊兵∼!﹂
﹁ありがと、柊ちゃん!﹂
﹁へへっ、いい写真撮れたぜ∼!﹂
﹁後で見せてくれな、将矢?﹂
﹁あっ僕にも!﹂
口々に好き勝手な台詞をのたまいながら奴らはあっという間にい
なくなった。
一度はふらつきながら上半身を起こしたが、結局バッタリとまた
芝生に倒れこむ。
フォースインパクト
HPはすでにゼロ。マイナスかもしれん。
ジ・エンド
MPもさっきの強制接吻で綺麗に残らず吸い尽くされた。このま
ま昇天か?
魂の抜け殻、憔悴の躯状態で早秋の高い空を見上げながら俺は複
雑な気分になる。
⋮⋮なんであいつら、俺がいいんだ?
昔小学校時代の同級生だったってだけで、中学時に転校して以来、
俺は美月や怜亜と一度も会っていない。あいつらから毎年欠かさず
40
年賀状は来ていたが、俺は筆不精なせいもあり一度も送り返してい
ない。
それなのに美月と怜亜は俺がこの高校にいることを知っていた。
そして十一日前に隣のクラスに転校してきたあいつらは真っ先に
俺に会いに来た。
あれは忘れもしない九月三日。
いつも通り教室内で不機嫌な表情で外を眺めていた俺の目の前に
﹁久しぶり!﹂と突然現れ、放課後に俺を体育館裏に呼び出したあ
いつらはいきなり告白してきやがったんだ。
﹁柊兵! あたし、あんたの事が好き!﹂
﹁私も柊ちゃんのことが大好きっ﹂
﹁だ・か・らっ♪﹂
この後、美月と怜亜が唄うように口にしたハモリ音は衝撃、ただ
その一言に尽きた。
﹁二人一緒に彼女にしてちょうだいっ!!﹂
ミミ・影浦の愛の十二宮図
ホロスコープ
﹄
の過去の占いを密かに
⋮⋮後日、︻モーニング・スクランブル︼の公式サイトにアクセ
スし、﹃
調べてみた。
不細工天使のミニイラスト付きの九月三日の天秤座の恋愛運は、
41
︻ 天変地異が起こるくらいの劇的な出会いが
あなたの頭上に華麗に華咲くことでしょう! ︼
だった。
⋮⋮ミミ・影浦、あんたは
マジで凄いよ。脱帽だ⋮⋮。
42
所詮この世は男と女 ︻前編︼
﹃♪ぼぉ∼くらぁ∼のぉ∼愛はぁ∼∼こぉのぉ世界ぃぃ中でぇ∼、
誰にぃも邪魔ぁさせぇ∼やぁしなぁぁぁぃぃぃぃぃぃ∼∼! だか
らぁぁあぁ∼∼今すぐぅぅキスうぉお∼してぇぇ∼∼!﹄
﹁よっ将矢ッ! この大統領ッ! キスしろキス!!﹂
﹁へぇ∼将矢って歌上手いんだね! ね、怜亜?﹂
﹁えぇ、こんなに上手に歌う人初めて見たわ﹂
﹃いやいやいやいや∼、そんなことないッスよ∼! だはは∼!!﹄
シン、美月、怜亜に次々に煽てられ、調子に乗った将矢の天狗声
がマイクを通して何倍にも増幅されて俺の鼓膜にガンガンと響く。
おかげで元々不機嫌な顔が更に暗鬱になる。
ここは銀杏高校からほど近い場所にあるカラオケボックスだ。
このさざめく防音密室の中で、俺は相も変わらず仏頂面で腕組み
をし、安っぽい革張りソファに気だるく身を沈めきっていた。
数あるアミューズメントスポットの中でカラオケボックスが俺は
一番嫌いだ。
で、何故その俺が今そこにいるのかというと、
⋮⋮またこいつらに嵌められたのだ。
笑いたきゃ、笑え。
一日に二度も同じ面子に一杯食わされた俺を、心の底から嗤笑し
ろ。
昼に全員で示し合わせてあれだけの謀略を俺にしたシン達は、自
分達の身の安全を危惧したのか、目に怒りの光を残したまま教室に
43
もう自分達は充分に反省している
戻って来た俺に即座に陳謝し始めた。そして、
“
魔が差したんだ
”
“
今日の放課後に詫びの印に四人で上手いモンを奢る
”
“
頼む、どうかそれで許してくれ!
”
“
”
とコメツキバッタのようにペコペコと何度も謝ってきたので急に
馬鹿らしくなった俺は﹁分かった﹂と答え、それを受けたのだ。今
思えばおめでたいにも程があるのは認める。
││ 放課後、俺は四人にこのカラオケボックスに連れ込まれた。
そういや、﹁最近はこういう所でも結構美味いメニューがあるん
だ! たらふく食ってくれ!﹂と、妙におかしなテンションでシン
ドア
が熱弁していたな。
扉の一部分がガラスになっているのは室内で良からぬ事をさせな
いための店側の防止策だとは思うのだが、食い物を適当に頼んだ数
十分後、ガラス部分の向こう側に紺のハイソックスを穿いた細い女
の足が二人分見えた時、俺はまた自分が罠に陥れられた事を悟る。
そしてすぐに扉が勢いよく開き、
﹁じゃあぁぁーんっ! 遅くなってごめんねぇ!﹂
﹁お掃除当番が長引いちゃって⋮⋮⋮⋮あらっ柊ちゃんどうしたの
!? 気分でも悪いの!?﹂
ソファでがっくりと頭を垂れている俺に怜亜が駆け寄ってきた。
⋮⋮お前らのせいだろうが。
﹁柊兵のことだからお腹減りすぎて具合悪くなったんじゃなーい?﹂
美月が呑気な口調でそう言い放った後、さも当然のように俺の横
44
にドサッと座ってきやがった。シン達がニヤニヤとしまりの無い顔
で朗笑しているのがムカついてしょうがねぇ。
そこへ再び入り口のドアが開き、光合成一切無しの暗室で育った
モヤシみたいな貧相な体格の店員が、﹁お待たせしました﹂と棒読
みの口調で注文した食い物を室内に運び、テーブルの上に次々と並
べ出す。
﹁ほら柊兵、食べ物が来たから元気出しなさいよ! あ、皆サラダ
取ってくれてないでしょ? じゃあサラダ追加注文しま∼す!﹂
﹁かしこまりました。大根サラダ、グリーンサラダ、シーザーサラ
ダ、トマトサラダ、ミモザサラダがあるのですが、どれになさいま
すか?﹂
無表情で追加オーダーを受けるモヤシ店員。
こいつに恨みは無いが、八つ当たりでその逆三角形の細顎に思い
切り掌底を喰らわせたい気分だ。
﹁う∼ん、どれにしよっかな∼⋮よーし! シーザーサラダと、ト
マトサラダと、ミモザサラダッ!﹂
⋮⋮おい、そんなに食う気か、美月。
内心でそう思ったことが視線にまで出ちまったようだ。
﹁あぁ∼! 柊兵ってば今さ、﹃よくそんなに食うな﹄って思った
でしょ!? サラダだから大丈夫だもん!﹂
オーダーを受けたモヤシ店員は一礼後、幽霊のように出て行き、
美月の言葉を聞いたシンが意外そうな声を出す。
﹁えっ美月ちゃん、まさかダイエット中なの?﹂
﹁うん、ちょっとだけ節制中なんだよね﹂
﹁何言ってんのさ。全然太ってないじゃん﹂
﹁ううん、ここで気を抜くと一気に来るのよ、あたしの場合﹂
﹁もしかして怜亜ちゃんもダイエット中?﹂
﹁いえ、私は特に⋮⋮﹂
45
﹁怜亜がダイエットなんかしたら倒れちゃうわよ! こんなに細い
のに! ね、柊兵?﹂
なんで急に俺に振るんだ。
無言でそっぽを向く。本意では無かったにせよ、つい数時間前に
それぞれ唇を合わせた女が両脇にいるのでいたたまれないことこの
上ない状態だっていうのによ。
今月の新曲配信リストからどの曲にするかを決めかねていた尚人
が、リストから視線を外さないままでそんな俺を一笑する。
﹁ははっ、柊兵、マジで怒ってるっぽいね﹂
やっとこいつらがこの話題を出してきたのでそれまで黙り込んで
いた俺はここぞとばかりにすかさず激高し始めた。
﹁当たり前だっ!! おい、てめぇら! 一体何度俺を騙したら気
が済むん﹂
ことわり
﹁あぁーっ!! ヒデ! それ俺の分の春巻きじゃんっ!!﹂
﹁甘いな将矢。この世は弱肉強食。それが自然の理。よって早い者
勝ちだ﹂
﹁お前に情けは無いのかよ!﹂
﹁無いな。特に男には﹂
﹁ひでぇ!! ﹂
﹁ねぇ美月、このバームクーヘンのプチケーキ、美味しいわ。ちょ
っと食べてみて﹂
﹁じゃダイエット中だけどちょっとだけ⋮⋮。あ! ホントだ! なかなかイケるじゃない! もうちょい生クリームあれば完璧!﹂
﹁そうね、フルーツも添えてあればもっといいかもね﹂
⋮⋮⋮⋮またしても誰も聞いてねぇし⋮⋮⋮⋮。
﹁さぁ、ここいらで我らが柊兵くんも一曲どうだい?﹂
46
シンが俺に向けてマイクを差し出したがうっかり熱湯に触れたか
のように慌てて手を引っ込める。眉間を射抜くような俺の威嚇視線
にビビッたせいだ。するとこのやり取りを見ていた美月がケラケラ
と笑い出す。
﹁あ∼柊兵はダメダメ! いくら言っても絶対歌わないよ! だっ
て柊兵ってすっごく音痴なんだもん! ねっ、怜亜!﹂
﹁え? そそっ、そんなことないわよ?﹂
⋮⋮怜亜の奴、今一瞬どもったな。嘘のつけない奴だ。
﹁小学生の時の話なんだけどさ、音楽の時間とか皆で斉唱したりす
るじゃない? 柊兵って絶対歌わないの! クラス合唱コンクール
の時も結局最後まで歌わなかったし。そうだよねヒデ?﹂
美月に同意を求められ、将矢から強奪したピリ辛特大春巻きを箸
に挟みつつヒデは鷹揚に大きく頷いた。
﹁あぁ。半端じゃ無い音痴だからな柊兵は。俺もこいつとは長い付
き合いだが、今まで柊兵が歌を唄ったところを一度しか見たことが
ない﹂
それを聞いたシンが急に興味深々の顔つきになった。また俺をお
ちょくるネタを探すつもりなのだろう。
﹁ヒデ、そんなにすごいのかよ、柊兵くんの歌声は?﹂
﹁あぁ、正直突き抜けてるな。その様子を上手く説明するのは難し
いが⋮⋮﹂
﹁じゃあ、あたしが的確に教えてあげるーっ!!﹂
焦った様子の怜亜を左手で制し、トマトサラダを食いきった美月
が陽気に叫んだ。
﹁もうね、本当にスゴイよ!? とにかくね、メロディの中で合っ
ている音程がほぼゼロなの! どのフレーズにも一個も無い、と言
47
い切ってもいいくらい!﹂
﹁でっでもね美月、そこまで完全に音を外して歌えるのも逆に才能
よ! ねっ、柊ちゃん?﹂
││ 怜亜、お前のそれはフォローしているつもりなのか。
突如ここで甲高い声の大音量が響く。
マイクのボリュームをONにしたままで将矢が俺を茶化してきた
のだ。
﹁だはは∼っ! 要は柊兵の唄はジャイアン・ソングってことなん
だなぁ∼っ!﹂
⋮⋮この発言の十五秒後に将矢はこのカラオケボックスの床でま
た痙攣するはめになったことは言うまでもない。
そんな将矢を見下ろし、﹁しっかし本当に要領の悪い奴だなぁ﹂
とシンが小さく呟く。そして痙攣しながらもいまだマイクを離さな
い将矢の手からそれをさっさと取り上げ、懲りもせずに満面の笑み
で再び俺に差し出す。
﹁なるほどね。道理で今までカラオケ行くか、っていう話になる度
に柊兵くんが嫌な顔になっていたのかがようやく分かったよ。俺、
是非お前の唄を聴いてみたくなったぜ! なぁ柊兵くん、今ここで
一曲歌ってくれよ?﹂
﹁断る﹂
﹁そんなこと言わないでさ∼﹂
﹁断るっ!﹂
俺の怒号がマイクを通して室内を一瞬の内に駆け巡った。
﹁ちぇっ、ノリの悪い奴だなぁ。まぁ柊兵くんだからしょうがない
か﹂
つまらなそうな声を上げ、シンはマイクをオフにしテーブルの上
に置くと制服のジャケットから煙草を取り出した。
シンが選んだこの部屋は喫煙ルームなので当然のように灰皿も置
48
いてある。臆病さがその全身に滲み出ている小心者のモヤシ店員は、
学生服の俺らが喫煙ルームを選んでも何も言わずに無表情でこの部
屋に案内したのだ。
青いライターの火が俺の視界に入った瞬間、それまでソファに深
々と身を沈めていた俺はグイと身を乗り出し、煙草を咥えたシンの
口から黙ってそれをむしり取る。
﹁何すんだよ、柊兵!?﹂
一驚したシンがポカンと口を開けている。
そうだよな、今までお前が煙草を吸っていてもこんな真似をした
ことなんて無かったよな。そりゃ驚くだろう。
﹁⋮⋮シン、ここで煙草を吸うな﹂
﹁何でだよ?﹂
﹁空気が悪くなる﹂
﹁何だよ急に。お前だってたまに俺と一緒に吸ってるじゃんか?﹂
﹁⋮⋮いいからここでは吸うな。どうしても吸いたかったら外に出
て吸ってこい﹂
俺はそうぶつ切りに言葉を終わらせると握り潰した煙草をゴミ箱
に放り投げ、再び不機嫌な顔でソファに深く腰を落とした。
﹁そうだよシン、柊兵の言う通り! 吸いたかったら外に行って!﹂
アボガドをフォークに刺したままで美月がソファから立ち上がり、
強い口調で俺に同意する。
﹁あ、そっか、美月ちゃん、煙草の煙ダメなんだ?﹂
﹁ううん、あたしじゃない。怜亜なの﹂
美月は怜亜に目をやる。それは大切な妹を心配する姉のような視
線だった。シンの横に座っていたヒデがあぁ、と急に何かを思い出
したように声を上げる。
49
﹁そうだ、怜亜は喉が弱かったんだったな﹂
﹁そうだよ。だから怜亜に煙草の煙とか埃っぽい場所はタブーなの。
だからシン、外で吸って﹂
﹁ごめんなさい、楠瀬さん⋮⋮﹂
申し訳なさそうな視線をシンに向け、済まなそうに怜亜が謝って
いる。
怜亜、お前やっぱりまだ治っていなかったのか⋮⋮。
﹁あ、そういう理由ね。ごめん、気が利かなくて!﹂
慌てたようにシンは煙草を制服の上着ポケットに突っ込んだ。
﹁でもさっすが柊兵だね!﹂
美月が嬉々とした声で俺の右肩を容赦ない力でバシバシと叩く。
﹁怜亜の喉のことまだちゃんと覚えてたんだ? あたしより早くシ
ンの煙草に反応してたもんね!﹂
﹁ありがと、柊ちゃん⋮⋮﹂
俺を見つめる怜亜の愛慕がたっぷりこめられた視線に気付かない
振りをして、横を向くとぶっきらぼうに﹁別に﹂と呟く。
ここで面目躍如しようと思ったのか、シンが再びマイクを手に立
ち上がった。
﹁よしっ! じゃあたった今、痺れるようなカッコいいところを見
せてくれた柊兵くんに、俺からこのメッセージソングを捧げます!
尚人、先に歌ってもいいか?﹂
﹁いいよ、シン﹂
尚人が配信曲リストを差し出す。しかしシンは﹁あ、もう決まっ
てるからいい﹂と断ると、タッチパネル式端末でコードを素早く入
力する。
︱︱ 数秒後に流れてきた曲は超ド演歌だった。
﹁皆様、今宵は目一杯楽しんでおられるでしょうか? 本日ここで
皆様にある重大な事実をお伝えしたいと思います!﹂
50
演歌の前奏部分の間をうまく利用し、シンはわざとらしいほどの
高いテンションで即興で考えた前振りを饒舌に語り出す。
﹁え∼、今まで女の話をしていても一切加わろうとせず、俺らの中
で唯一女性に苦手意識を持っていた柊兵くんでありますが、この見
目麗しい二人の天使が遥か彼方の天空から舞い降りてきてくれたお
青い春
”
と書いて青春
かげで、とうとう柊兵くんにも遅い春の目覚めが到来したようでご
ざいます! あぁ素晴らしきかな、“
! ワタクシは柊兵くんのこの性の目覚めを一友人として非常に喜
んでおります! おめでとう、柊兵くん! 本当におめでとう! ではいよいよ大人の階段を登り始めようとしている柊兵くんに、友
所詮この世は男と女
しょせん
﹄!! ではご
であるワタクシ楠瀬慎壱から謹んでこの曲を贈らせていただきます
! そう曲はもちろん、﹃
ゆっくりとご堪能下さい!﹂
ヒップフェチ
ナースフェチ
そしてシンは朗々とド演歌を歌いだした。⋮⋮⋮⋮中の歌詞を俺
チェリーボーイ
バストマニア
をからかう単語すべてに置き換えてな。
ムッツリスケベ
一体幾つ出ただろう。
陰鬱助平、 童貞野郎、 乳星人、 尻偏愛、 白衣執心⋮⋮等、
一度もつっかえる事なく流暢に歌う完璧なその替え歌に、男共は拍
手喝采の嵐、抱腹絶倒の渦。
⋮⋮
一方、美月と怜亜は呆然と頬を赤らめて俺とシンの顔を交互に見
ている。
⋮⋮シン、お前は帰り際に絶対殺す。
51
所詮この世は男と女 ︻後編︼
﹁あ∼面白かった∼! 特にシンのあの演歌は凄かったよね! あ
たし食べていたアボガド噴き出しちゃったもん!﹂
﹁柊ちゃんのお友達って楽しい人ばかりよねっ﹂
薄暗くなってきた秋の夕暮れ空の下、俺は黙々と早足で歩く。
両腕には必死にしがみつくこいつらの重力がしっかりとかかって
いるが、この重さに微妙に両腕が慣れてきているのが小癪に障って
いた。
チェリーボーイ
﹁でもさっ、柊兵って童貞少年だったんだね!!﹂
⋮⋮こめかみに青筋が立ったのが分かる。畜生っ、シンの野郎、
明日は必ずぶっ飛ばす!
二時間後にいざ解散となるや否や、いつもの危険回避本能を遺憾
なく発揮したあの優男は逃げるように一番最初に夕闇の中に消えて
いきやがった。
ヒデ、尚人、将矢は美月と怜亜に気を使ってさっさと三人で帰っ
ちまい、残った俺はこいつらを無事に家に送る役目を押し付けられ
る羽目となる。
非常にムカつくが、この辺りは歓楽街も近いためあまり治安のい
い場所ではない。こいつら二人をここにほっぽり出して一人で帰る
ほど俺も人でなしでは無いので、やむなくこいつらを家まで送るこ
とにする。
﹁でも良かったよね、怜亜! 柊兵が他の女の人とまだエッチ経験
無くてさ!﹂
おい、まだその話題を引きずってるのか、美月!? こんな場所
でそんなデカい声を張り上げてはしたねぇことを叫ぶんじゃねぇ!
52
しかも怜亜! お前も頬を赤らめてこくこく頷いてんじゃねぇっ
ての!
﹁えぇ本当に良かったわ! 柊ちゃんが他の女の人のものになって
なくてっ﹂
うあああぁぁ! 確かにこいつらの言ってる事は合っている! 合っているんだがいたたまれない!
﹁う、うっせぇな! お前ら、シンの言ったでたらめを勝手に鵜呑
みにすんなっ!﹂
⋮⋮ばっ馬鹿か、俺! 思わず強がっちまった! で、でも仕方
ねぇだろ、男から見栄と誇りを取ったら一体何が残るって言うんだ
!?
しかしこの一世一代の強がりはこいつらにとって効果覿面だった
ようだ。両脇の幼馴染たちは途端に顔を曇らせ、それぞれ俺の腕か
ら手を離す。
﹁じゃ、柊ちゃんは他の女の人とエッチしたことがあるのね⋮⋮﹂
﹁そっかー⋮⋮、柊兵はやっぱり経験あるんだー⋮⋮﹂
く⋮⋮っ⋮⋮!
怜亜の寂しそうな横顔に良心がキリキリと痛む。その物憂げな儚
い表情に心臓が急激に激しく高鳴り出した。
美月も同じような顔で細く吐息を吐いている。普段爆弾みたいに
うるせぇ女が急にしおらしい面を見せてきやがると、それはかなり
の威力で男心の鐘をぶち鳴らすことを俺は今初めて知った。
⋮⋮どうする? こいつらに今のは嘘だってバラしちまおうか⋮
⋮。
悩む俺の左横で怜亜がフイと顔を上げ、キッパリとした口調で言
う。
53
﹁でも美月。もう済んじゃっている過去の事を気にしてもしょうが
ないわ。それにそんなことをいつまでも気にしていたら柊ちゃんに
嫌われちゃうもの﹂
﹁⋮⋮そうだね! これから柊兵にそういう女が近づかないように
すればいいだけの話だもんね!﹂
⋮⋮おい、立ち直り早いな、お前達⋮⋮。
﹁そうよ美月。大事なのはこれからのことだもの。だからこの先も
し柊ちゃんに近づく女の人が現れたらその時は⋮⋮ねっ﹂
﹁そうそう! 前に決めたように二人で完膚なきまでに目一杯叩き
潰しちゃおうねっ!!﹂
⋮⋮⋮⋮しかも恐ろしいな、お前達⋮⋮⋮⋮。正直少々鳥肌が立
っているんだが。
﹁しゅーちゃん♪﹂
﹁しゅーへい♪﹂
目一杯の甘ったるい声で美月と怜亜が再び抱きついてくる。俺は
小さくため息をつくと歩くスピードを少しだけ落とした。
道なりに立ち並ぶオレンジ色の外灯にぽつぽつと暖かな光が灯り
始めている。
橙色に照らされた美月と怜亜の楽しそうな顔を視界の隅にそれぞ
れ収め、ついに意を決してボソリと尋ねてみることにした。
﹁⋮⋮なぁ、お前らがこっちに戻ってきてからずっと聞きたかった
んだけどよ⋮⋮﹂
﹁なに? 柊兵﹂
﹁なぁに? 柊ちゃん﹂
﹁⋮⋮俺とお前らは小学校を卒業してから今まで一度も会ってもい
54
ないし、特に連絡も取ってなかっただろ? それなのに久々に会っ
たばかりでなんでいきなり俺のことが好きになるんだよ?﹂
急に右腕に力強い重力がかかった。
﹁いきなりじゃないよ、柊兵!﹂
そして今度は左腕だ。
﹁そうよ柊ちゃん! 私たちはずっとずっと柊ちゃんのことが好き
だったの。その気持ちが今まで変わらなかっただけ。それだけよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
その答えに俺は黙り込んだ。
⋮⋮ということは何か? こいつらは小学生の頃から俺が好きで、引越しで離れても俺のこ
とがずっと好きなままで、ここに戻って来てもまだ好きだ、という
ことか。マジかよ⋮⋮。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
わずか数度の狂いも無いくらいにきっちりと真正面に顔を向けた
が、それでも両横の女二人の頭は嫌でも視界に入ってきちまう。
美月の長い髪が斜め前から吹いてくる風に流されて右肩にかけて
いるスポーツバッグに何度も当たり、沈みかけた夕日の色を吸った
怜亜の短い髪が小さな頭のてっぺんで丸い光の輪を作っていた。
﹁柊兵、あたしと怜亜はね、小学生の頃、二人とも柊兵のことが好
55
きだったんだよ。でもお互いの事を気にかけて告白できなかったん
だ﹂
﹁ここを引っ越すことになって、新しい街に行った後、美月とよく
柊ちゃんの話をしたわ。そして柊ちゃんに対してお互いに遠慮して
いたこともそこで初めて知ったの﹂
俺が急に黙り込んだせいなのか、こいつらは更に詳しく自分達の
気持ちを語り出してきた。
﹁で、あたし達はその時決めたんだ。お父さん達の転勤期間は四年
って聞いていたから、またこの街に戻って来て、その時になっても
柊兵への想いが変わっていなかったら今度はちゃんと告白しようね
って。あ、それとあたし達ね、引っ越しても時々ヒデとは連絡取っ
てたんだよ?﹂
﹁何ぃっ!?﹂
︱︱ ヒデの奴、俺にそんなこと一度も言ったこと無かったぞ?
﹁ヒデちゃんから中学や高校の柊ちゃんの様子を時々聞いていたの。
高校に入って今は楠瀬さん達と仲良くしていることも事前に教えて
くれていたから、私たち、あの人達ともすぐに打ち解けられたもの
ね﹂
﹁あたしなんて初対面でいきなりあの三人を下の名前で呼び出した
から、シンとか最初驚いてたよね!﹂
⋮⋮なんてこった。しかしヒデの奴、なんで俺に黙ってたんだ?
﹁柊ちゃん、私たち、銀杏高校に編入してすぐに柊ちゃんに会いに
行ったでしょ? あの時、教室の一番後ろで窓の外を退屈そうに見
ていた柊ちゃんの横顔を見て、柊ちゃんへの気持ちが全然変わって
56
いないことを確信したのよ﹂
﹁そう、怜亜の言う通りっ!﹂
二人同時に彼女にし
なんてクレイジーな思考に辿り着けるんだよ?﹂
“
ここで両腕に今までで最高の重力がかかる。さすがに重い。
”
﹁⋮⋮だ、だからってよ、なんでそこで
てくれ
﹁だぁって、あたしと怜亜は親友だもん!!﹂
﹁今まで何でも半分こにしてきたからっ﹂
キーワード
⋮⋮出たな、≪半分こ≫。
俺には恐怖の鍵言葉だ。
﹁だ、だからよ、どう考えてもおかしいだろそれは。大体な、二股
かけて付き合ったとしたって、それが未来永劫続けることができる
関係だと思ってんのか?﹂
︱︱ 理路整然と鋭い所を衝けたな。
そう思ったのだが、すぐにこいつらの思考の方が遥かにぶっ飛ん
でいることを嫌というほど俺は思い知らされる。
﹁そう! その点があたし達もネックだったのよ! だから考えた
んだっ、いい解決策を! ねーっ怜亜!﹂
﹁えぇ!﹂
﹁な、なにをだよ?﹂
⋮⋮なんだ? すげぇ、すげぇ、嫌な予感がする⋮⋮。
﹁あのね! あたし達のどっちかが将来政治家になってね、この日
本に﹃一夫二婦制﹄を導入するんだ!!﹂
﹁フフッ、そうなったら素敵よね。何も問題は無くなるもの﹂
︱︱ おいおいおいおい! 待て待て待て待て!
こいつら、完全に着眼点がずれてるって⋮⋮⋮⋮!
57
﹁お、お前ら、頭大丈夫か⋮⋮?﹂
﹁少なくとも柊兵よりは頭いいと思うけど?﹂
﹁そんなにおかしい? 柊ちゃん﹂
﹁政治家になって一夫一婦制を一夫二婦制に変えるだと?﹂
﹁あ、逆もだよ? 女の人が二人のダンナさんを持ってもOKバー
ジョンの﹃一婦二夫制﹄もね!﹂
﹁そうね、やっぱり男女平等じゃなくっちゃね﹂
ヤバい、こいつらについていけねぇ⋮⋮! 頭を抱えようとした
が、両脇にこいつらがぶら下がっているのでそれすらも叶わない。
﹁へへ∼、それならすべて解決する問題でしょ?﹂
﹁でもその法令成立はまだ時間がかかるから後回しにして、先に二
人一緒に柊ちゃんの彼女にしてほしいの。私たちの望みは今はそれ
だけよ。だから私たちにしておいて! ねっ、柊ちゃんっ﹂
﹁そうそう! おとなしくあたし達にしときなさいって!﹂
完全に沸い
︱︱ 脳内でくわんくわんと梵鐘がわなないているようなエコー
音が断続的に響いている。
脳が震え、思考能力完全に停止。こいつらの頭ん中
てんじゃねぇのか?
⋮⋮なぁミミ・影浦、あんたなら一体この場でどう言えば上手く
とりあえず明日のおたふく占いは運命のBGMが流れてくれる
事が収まるか分かるか?
ことを、頭上に瞬き出した宵の明星に向けて俺は痛切に願った。
58
59
未来を見通す
“
稚い淑女
”
<1>
最近の俺は考え込むことが多くなった。悩みがあるとこんなにも
気が重くなるものなのか。
とんでもねぇ思考回路を持つ、押しかけ女房気取りの幼馴染二名
︻RED︼
ゼロ
が点灯し続けている。予備のバッテリーな
に十一日前から振り回され続け、ここしばらく精神力のチャージメ
ーターは
どあるはずも無いのですでに極限状態だ。
今朝のおたふく占いは、昨夜願をかけたあの一番星がいい仕事を
してくれたのか、待ち望んでいた運命のBGMが流れた。これで今
日一日の俺の身の安全は保障されたようなもんか。
だがもし今日あいつらがまた俺に特攻をかけてきたら、占いは俺
が気付いた九日目にしてとうとう外れることになる。こんなもんを
気にしている自分に腹立たしさを感じているので、外れて欲しい気
持ちもあった。
︱︱ 今の俺はどっちの運命を望んでいるんだ? 今日の占いが当たるようにか?
それとも外れるようにか?
分かんねぇ⋮⋮。
﹁柊兵、今日は元気ないね﹂
尚人が俺の顔を覗き込む。
﹁疲れてんだろ、色々と﹂
お前が言うか、シン!?
﹁⋮⋮シン、昨日はあの下らない歌で散々俺を馬鹿にしてくれたな。
後で校舎裏に来い。今度は逃がさねぇぞ﹂
60
﹁おー、怖い怖い﹂
またしても大袈裟に肩を竦めやがって。“
怖い
つその声の八割は笑い声が含まれていやがる。
”
と言いつ
﹁柊兵くんのお仕置きは本気で天国に行っちゃいそうなんで遠慮し
ておくよ﹂
﹁お前に断る権利は無い﹂
﹁ふーん⋮⋮。じゃあいいよ、俺これからますます美月ちゃんと怜
亜ちゃんのために粉骨砕身しちゃうぜ?﹂
ウッと言葉に詰まる。
シンの暗躍がこれ以上激化したら本気で自分の身がどうなるか分
からん。
﹁この間は自然に柊兵くんが眠ってくれるように場を作ったけどさ、
今度は強制的におねんねしてもらって、そのままホテルにでも放り
こんじゃおうかなぁ? 介抱はもちろんあの天使達にお任せして﹂
﹁お、お前の力で俺に勝てると思ってんのかよ!?﹂
タチ
﹁チッチッ、野蛮な柊兵くんはなんでも力で解決できると思ってい
るから性質が悪い。強制的、って言っても別に腕力だけじゃないじ
ゃん? 方法はいくらでもあるさ、例えば飲み物にこっそり眠り薬
を入れてそれを柊兵くんに飲ませちゃうとか﹂
⋮⋮こいつならマジでやりかねん。
うっとおしい長髪を掻きあげ、目の前で悪魔の微笑みを浮かべる
皆にばかり頼っていられ
って昨日言ってたし、後は自分達で何とかするんじゃな
“
シンを腹立たしげに睨みつける事しか俺に残された選択肢は無かっ
た。
”
﹁でもさ、安心しろよ。あの子達も
ない
いの? だからこれからは傍観者で行くつもりだぜ、柊兵くんが俺
に乱暴しなければさ。⋮⋮あーあ、しかし羨ましいねぇ。俺も真実
の愛が欲しいよ﹂
61
畜生⋮⋮、どうやら今回もシンも見逃すしかないようだ。
それよりも今シンが言った、﹁後は自分達で何とかする﹂と言っ
たあいつらの言葉がずっしりと脳内に居座り始めたせいでまた気分
が重くなった。
そんな憂鬱な俺の鼓膜に、何の前触れも無くある名前が飛び込ん
でくる。
﹁ねぇ、今日ミミ・影浦が来るの何時からだったっけ?﹂
︱︱ 何ッ!?
クラス内のどこかから聞こえてきたその声に俺はガバッと顔を上
げた。
教室内をぐるりと見渡すと、入り口付近で四、五人の女共が顔を
寄せ合い、何かを見て騒いでいる。
﹁んっと、三時だって!﹂
﹁え∼! じゃあ学校終わってから行ったら間に合わないんじゃな
い?﹂
﹁でもほら、占いは三時から四時半までって書いてあるよ! だか
らHR終わってからソッコーで走れば間に合うって!﹂
︱︱ その後の俺の行動はほぼ無意識に、そして本能的に行われ
たものだった。
﹁おい、どこに行くんだ柊兵?﹂
椅子から立ち上がった俺にシンが声をかけてきたが、返事をせず
に一枚のチラシを見て嬌声を上げている女共の側に近寄った。
﹁は⋮⋮原田⋮⋮くん⋮⋮?﹂
女共が一様に俺を見上げて怯えた顔をしている。クラスの女と会
62
話などほとんどしたことの無い俺が急に無言で近寄って来て、険し
い顔で見下ろしたのでビビっているらしい。
﹁ちょっとそれ見せてくれ﹂
︻
モーニング・スクランブル
︼
の星占いで大人
机の上にあったチラシを勝手に取り上げた。蛍光ピンクの縁取り
あの
文字が目に突き刺さる。
﹃
﹄
気のミミ・影浦さんが、このエスタ・ビルであなたの恋愛運を占っ
てくれます!
ミミ・影浦がここに来るのか⋮⋮。
﹁は、原田くんも占いに興味があるの⋮⋮?﹂
女共の一人がためらいがちに問い掛けてきた。ハッと自分を取り
戻す。
﹁あっ、あるわけねぇだろ!﹂
そうぶっきらぼうに言い捨てると唖然とする女共の中心にチラシ
を乱暴に投げ捨て、足音荒く再び席に戻った。
﹁⋮⋮なぁ今の見たか? 挙動不審もいいとこだぜ? なんかかな
りヤバ気じゃないか、今日の柊兵くん﹂
﹁もしかしたら昨日解散した後、あの娘達に何かされたのかもね﹂
﹁なぁ尚人、それってどんなことだよ? 俺、なんだかわくわくし
てきた!﹂
﹁気持ちは分かるが今は聞けないぞ将矢。間違いなく殺される。長
年ダチをやってる俺が保証する﹂
会話は丸聞こえだが今は怒鳴る気力も起こらない。俺の後ろでこ
そこそと話し続けているシン達を無視し、どんよりと厚い雲が覆わ
れている空を投げやりに眺める。
63
︱︱ そして美月と怜亜はこの日、俺の前に姿を現さなかった。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
⋮⋮⋮⋮何をやってるんだろう、俺は。
壁際に置かれたヨーロピアン調の洒落た白いベンチに深く腰掛け、
目の前に広がる光景を見ながらそう自問自答する。
ここはエスタ・ビルの七階だ。
このビルはファッション関連のテナントが主に軒を連ねていて、
女が好んでよく来る場所らしい。クラスの女共のやかましい嬌声の
中でよく名前が上がっている。
俺が現在いるこの七階はファンシーショップが中心のフロアのよ
うだ。
あちこちの店に大小様々の人形が乱雑に並ぶ中、あのおたふく天
使のヌイグルミを見つけてまた胸糞が悪くなった。しかし何度見て
も不細工極まりない奴だ。
こうして各店舗ごとにパステル調のふわふわした妙ちくりんなグ
ッズやら飾りやらを無秩序にディスプレイしている光景を眺めてい
ると、色とりどりのドロップやゼリービーンズをこの空間一帯に豪
快にぶち撒けているような錯覚すら起きてくる。
64
︱︱ そんなパステルワールドの中に真っ黒な異端物が紛れ込ん
でいた。
数十メートル先にある何やら怪しげな黒いミニチュアテントがそ
れだ。
両脇のテナントが普段そこに商品を展示しているはずのスペース
を強引に撤去させ、無理矢理設営したと思われるそのテントは少々
肩身が狭そうにひっそりと佇んでいる。例えるなら、きらびやかな
パーティ会場の派手なドレスの女達の中に、喪服の女がポツンと一
人混じっているようなものだ。
テントの右前には手製の看板が置かれてある。
たぶんこのビルの関係者が急いで作ったものなのだろう、分厚い
ダンボール地に赤の極太サインペンで、﹃↑ミミ・影浦さんの愛の
星占い会場はここです!﹄と手書きで書かれてある。
時間が無かったのかどうか知らないが、それにしてももうちょい
マシな看板を作ってやれなかったのか。
黒テントをしげしげと眺める。
占いが終わる四時半過ぎに合わせてここに寄ってみたのだが、予
想以上にミミ・影浦は人気のようだ。まだテント前には数人の女が
列を作り、自分の未来を占ってもらおうと従順に待機している。
現在、このフロアにいる人間のほとんどが若い女だ。おかげで学
生服姿でベンチに座っている俺は一際浮いて見える。しかし女達は
俺を不審人物扱いにはせず、逆に同情するような目でこちらをチラ
ッと一瞥していく。恐らく占い好きな女に学校帰りに無理矢理拉致
され、そいつの占いが終わるまで手持ち無沙汰で待っている、哀れ
な男に見えているのだろう。
畜生、誰がそんな格好悪い真似をするかよ。
だが不審人物に見られるよりはマシなので、人待ち顔で多少の演
65
技はしておくことにする。
︱︱ さらに三十分が経った。
最後の迷える子羊がようやくテントから出てくる。
自分が進むべき羅針盤の針が指し示す方向を教示してもらったら
しい。晴れ渡った顔で出てきたそのラストの子羊は、今にもスキッ
プしそうなほどの軽い足取りで下りエスカレーターの方角に消えて
いった。
その直後、テントの側にヒマそうに突っ立っていた従業員が動き
出す。
そいつがすぐ奥の従業員通用口を開けて﹁終了っ﹂と小さく叫ぶ
と、たちまち中からわらわらと大勢の男の従業員が出てきて、テン
トの解体を始めた。
中から運び出される数脚の椅子、丸テーブル、照明スタンド、何
本もの鉄パイプ、そして黒い布。瞬く間に黒テントはそこから姿を
消した。
そしてそのテントのあった場所に代わりに現れた一人の女に目が
釘付けになる。
⋮⋮こいつがミミ・影浦か?
予想とはだいぶ違った。
俺のミミ・影浦の予想パターンは二通りあった。
まず、一つ目は妖艶な美女。
年齢は二十五歳前後。ボディスタイルも完璧な、色香で男を垂ら
しこむのが得意そうな感じの女。
もう一つ考えていたパターンが老婆。
66
クラスチェンジ
年齢は六十を軽く超えていてあと数年で本物の魔女に等級変化し
そうな容姿の婆さん。
しかしミミ・影浦と思われる人物はこのどちらでも無かった。か
すりもしていない。
一言でいうとフランス人形と日本人形を足して二で割ったみたい
な女だった。
手も足も異様に小さく、もちろん背も低い。百五十センチあるか
ないかぐらいだろう。中学生ぐらいか?
金髪に近い色の髪全体に幾つも大きな巻き毛を作っているので頭
が大きく見える。だがそれに反比例して顔は小顔なのでますます人
形っぽい。ここまではフランス人形だ。
どこが日本人形なのかというと顔の作りだ。
顔は純和風的で切れ長の目で、鼻筋は通っているがどちらかとい
うと低め。
西洋と和風をミックスさせようとしたがどこかちぐはぐ、そんな
印象だった。
しかしこの女の場合はそれがミステリアスでどこか人を惹きつけ
てやまない雰囲気を作り出すのに一役買っている。占いなんて職業
を生業にしているのだからさぞかし都合がいいことだろうな、と頭
の片隅で考えた。
その時だ。
黒のローブを肩からすっぽりとかぶった、多分ミミ・影浦と思わ
れるその女は俺の方を一瞬見た。
目が合った。
逸らせなかった。
しばらく見つめ合った。
向こうが笑った。
67
何かを呟いた。
読唇術をマスターしているわけでもないのに向こうが何て言った
のかが分かった。
﹁あなた、背中を押してほしいのね﹂
この小さくて奇妙な女は確かにそう言った。そう言いやがったん
だ。
68
未来を見通す
“
稚い淑女
”
<2>
⋮⋮⋮⋮何をしているんだろう、俺は。
ついさっきも同じようなことを言ったような気がする。
場所は変わってここはエスタビルの七階から八階へと続く階段の
踊り場だ。屋上扉は施錠されているようだし、この階段は従業員専
用なので今のところ周囲には誰もいない。
││ 俺とミミ・影浦らしき女以外は。
“
鈴を転がすような
”
というの
﹁久しぶりだったわ! あれだけ無遠慮に男の子からジロジロ見ら
れたのって!﹂
女の声の表現法の一つに
があるが、こいつの声はまさにそれだった。聞いていると心臓の裏
側を軽く撫でられているような、妙なこそばゆさを感じる。
年齢はたぶん俺より年下だろう。なのになぜか目上を気取った口
調にカチンとくる。
先ほど占いを終えたこの女は七階のフロアで俺に向かって妙なこ
とを呟いた後、側にツツッと近寄って来た。そして強引に手を取り、
﹁ちょっとこっちへ来て﹂と言うと俺の承諾も得ずにこの踊り場ま
で半ば強引に引っ張ってきたのだ。
こんなチビっ子にこれ以上舐められるわけにはいかない。不機嫌
さを露にした声で牽制する。
﹁あんたさ、なんで俺をこんな所に連れ込んだんだ?﹂ ﹁連れ込んだ? 嫌な言い方ね﹂
そう言いつつもチビ女は楽しそうに笑う。細い首にかけていた大
小様々なペンダントがその笑い声に合わせてしゃらしゃらと軽快な
69
音を立てた。
﹁だってあなた、私に会いに来たんでしょ?﹂
﹁だ、誰がだ!﹂
﹁嘘をつかないでっ。目を見れば分かるんだからっ﹂
意志の強そうな切れ長の目が俺を射抜く。その強烈な炯眼で思考
を勝手に見透されそうな気がして、わずかだが身を引いちまった。
﹁本当はもう今日の占いは終わりなんだけど、特別に見てあげるわ。
あなたが今日最後のお客様よ﹂
﹁いらねぇよ!﹂
﹁どうして? あなた悩みがあるんでしょ?﹂
﹁無い!﹂
﹁じゃあどうしてあのベンチから私の事をずっと見ていたの?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
下から問い掛けてくる涼やかな声に上手く返せる答えが思いつか
なかった。
⋮⋮俺は何をしに、ここに来たんだろう?
﹁⋮⋮ふぅん、なんだか最後に大物さんが来たようね。ちょっと待
っててくれる?﹂
チビ女は俺の返事を待たず、下の階に下りて行ってしまった。七
階の従業員通用口の扉が開いた音がしたかと思うと、またすぐに閉
じられた音が鳴る。
やがて、よいしょ、よいしょ、という声が一段下から聞こえてき
た。
踊り場の手摺から下を覗いてみると、折り畳んだパイプチェアと
商売道具が入っているらしい大きな黒鞄を抱えてチビ女がよろよろ
とふらつきながら昇ってくる。何やってんだ、あいつ。
70
やがて俺が上から身を乗り出して自分の様子を見ていることに気
付いたチビ女は、階段の途中で足を止めてパイプチェアーを差し出
した。
﹁ねっ、これをそこまで持って行ってちょうだい! あなた、レデ
ィにこんな重い物二つも持たせて平気なの?﹂
冗談じゃねぇ、なんで俺がそんなことをしなきゃなんないんだ。
その椅子はあんたが勝手に持ってきたもんじゃねぇか。そう思って
そっぽを向いた瞬間、
﹁ほらぁーっ! 早くしなさぁーいっ!!﹂
﹁ぐわっ!﹂
慌てて両耳を押さえた。
場所が場所だけにデカい声を出すとそれが大きく反響しやがる。
こいつの声があまりにやかましいので仕方なく要求通りに椅子を踊
り場にまで運んでやった。すると早速チビ女は屋上に続く階段の方
角に向けてパイプチェアーを広げる。
﹁はい、じゃあなたはそこに座ってね!﹂
﹁なんで俺がここに座らなくちゃいけないんだよ﹂
﹁だって立って話してたら話しづらいでしょ? あなたと私はこん
なに背が違うんだから。だからこうやってずっと上を見て話してい
ると首が疲れるの。分かる? あなたも男の子ならもう少し女性に
気を使うべきね﹂
﹁⋮⋮なぁ、俺に何の用なんだ?﹂
﹁え? あなたが私に用があるんでしょ? 占って欲しいんでしょ
?﹂
﹁だからさっきも言ったろ? あんたに占って欲しいことなんて無
⋮⋮﹂
﹁あぁ、もういいわっ! まずはとにかく座りなさあああぁーいっ
! 首が疲れるのおおおぉーっ!﹂
71
﹁うぉ!?﹂
またしてもこの空間に鼓膜直撃の破壊音がガンガンと響き、俺は
顔をしかめた。
次の雄叫び口撃に備えてまたこいつが小さな口を目一杯開けかけ
たので、忌々しいが渋々パイプチェアーに腰を落とす。
﹁そうそう、それでいいの!﹂
座った俺を見届け、チビ女は屋上に続く三段目の階段に座る。し
かしまだ俺との目線がいい位置に来なかったのか、慌ててもう一段
上に上がった。少し上から俺を見下ろす位置に座り、やっと満足そ
うな顔を見せる。
﹁さぁ、まずあなたの名前は?﹂
﹁だから、占って欲しくないって言ってるだろ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
いつまでも頑なに占いを拒み続ける俺に、チビ女は少し気難しそ
うな顔になってとうとう黙り込んだ。明らかに気分を害しているそ
の顔を見て、自分があまりにも冷たい態度を取りすぎていることに
気付き、少しだけ後悔の念が起こる。
﹁⋮⋮あんた、ミミ・影浦?﹂
勝手に決め付けていたが、そういえばこの小さな女がミミ・影浦
かどうか確かめて無いことに気付く。こんなにちびっこいし、もし
かしたら助手とか弟子の可能性もある。
すると階段に座っていた女は口を尖らせたままで頷いた。やはり
こいつがミミ・影浦で間違いないようだ。予想と全然違ったな。
﹁俺は原田柊兵。⋮⋮言っておくが占って欲しいわけじゃないぞ?
ただ、こっちだけ名を言わないのも礼に失すると思ったから名乗
っただけのことだからな﹂
﹁ふぅーん。はらだ、しゅーへい君かぁ⋮⋮﹂
72
君付けで呼ばれてムカついたがグッと堪える。さん付けで呼べよ。
﹁ねぇどうして占って欲しくないの? 私の占い、インチキだと思
ってる?﹂
一段上の場所からミミが俺の方にグイ、と身をかがめてくる。お
互いの鼻の頭が今にもぶつかりそうになったので慌てて後ろにのけ
ぞった。
﹁あら、もしかして照れちゃってるの? キミ、今時の男の子にし
ては珍しくシャイなのねっ﹂
ミミはクスリと笑うとそのちっこい手で俺の鼻をツン、とつつい
た。
途端に心臓をガツンと一発殴られたかのような衝撃。
⋮⋮何っ!? 鼓動が早まってきてるだと!? たっ、確かに女
とはいえ、なんでこんなチビっ子に⋮⋮。
動揺を必死に押し隠す。
と、とりあえずこいつに何か言わねぇと⋮⋮。でも何を言えばい
”
占いはまったく信じてねぇけどあんたの星占いはなぜか恐ろ
いんだ?
“
しいくらいによく当たって、正直かなりビビッている所なんだ
⋮⋮とでも言えばいいのか?
そんなみっともねぇ事、口が裂けても言うわけにはいかない。考
えあぐねている内にミミがまた口を開く。
﹁だってあなた、私が占った女の子達の付き添いで来ていた訳でも
なさそうだし、どうしてあのベンチから私の事を熱い眼差しでじっ
と見ていたの? ⋮⋮あ、そっか! もしかして私のファン?﹂
﹁違う!﹂
73
どうでもいいが論理が飛躍する女だ。
﹁それもそうよね⋮⋮。私、メディアにまだちゃんと顔を出したこ
とないし⋮⋮﹂
︱︱ 訪れる沈黙。
モーニング・スクランブル
﹄
のあんたの星
何か言わないと帰るにも帰れなさそうな雰囲気に、仕方なく話題
を振る。
﹁⋮⋮あのさ、﹃
占いって、的中率は高いのか?﹂
﹁エ?﹂
切れ長の目を瞬き、ミミは唐突に不機嫌な顔を止めた。
﹁そうね、なんて説明すればいいかしら⋮⋮。あの占いは万人向け
の占い、プレタポルテなの﹂
﹁な、何?﹂
ヤバい、こいつの言っている意味がいきなり分からん。
だがそれは俺の反応を見たミミにも伝わったようだ。ミミは少し
考える素振りを見せた後、俺が理解し易いよう、優しく噛み砕くよ
うに詳しく説明を始める。
﹁つまりね、あれは多くの人に当てはまるように作られた占いなの。
ただの吉凶判断で、服で言えば高級な既製服。だからその日、その
日であつらえた既製服はたくさんの人が身に着けることができるけ
ど、既製服故に日によってはどうしてもそれが身に着けられない人
もいるわ。だから占いが当たる日もあれば当たらない日もあるでし
ょ? でももちろん私があつらえている服が毎日のようにとてもよ
く似合う人も中にはいるのでしょうけどね﹂
ミミは一段上の場所から笑った。
切れ長の目のせいで冷たい印象を与える顔が、一瞬和らいで見え
る。
74
パーソナル
ホロスコープ
﹁でもね、既製服だけじゃなくて特別にあつらえた高級注文服もあ
オリジナル
るのよ? いわゆるオートクチュールね。それが個人的十二宮図。
これはその人の運勢だけを占う、独創的な占いよ﹂
﹁オリジナル?﹂
﹁そう。ねぇ柊兵君、この世の中には何十億っていう人々が存在し
ているでしょ?﹂
﹁あぁ﹂
﹁でもそれだけの数の人間がこの地球上に存在していたとしても、
柊兵くんも私も、その何十億分の一の中でちゃんと独立した一個の
生命体だわ。だから柊兵くんの運命も、私の運命も、それぞれ違っ
たものでなくてはならないの﹂
﹃
モーニング・スクランブル
﹄
のおたふく占い
優しく教えてもらっているのに早速混乱してきた。
⋮⋮要は
は万人向けの占いだから信憑性はイマイチだと言うことが言いたい
バースチャ
らしい。少々乱暴な解釈かもしれないが内容は概ね合っているはず
だ。
ート
﹁だからね、柊兵くん個人のもっと詳しい未来を占うには出生天宮
図を作成しなくちゃいけないの。これを作るには柊兵くんの生年月
日、出生時刻、出生地のデータが必要なのよ。柊兵くん、今それが
分かる?﹂
﹁だっ、だから、いいって! 占ってくれなくても!﹂
﹁あなたの悩みは何?﹂
﹁悩みも無い!﹂
﹁嘘っ!﹂
ミミはまた先ほどと同じ炯眼をまた容赦なく俺に浴びせる。
﹁最初にあなたの顔を見た時、すぐに思ったわ。あぁ、この人何か
悩みがある。それを私に取り払って欲しがってるって。あの朝の占
75
いを気にしているってことはもしかして恋愛絡みの悩み?﹂
﹁あのなぁ⋮⋮﹂
﹁いいから最後まで言わせてっ!﹂
”
ミミは鋭く言い放った。こんなちびっこい女なのになぜか言い返
歯向かう敵の気力を一瞬で無効化しちまう強者のオーラ
せない。
“
というものがあるのだとすれば、こいつは間違いなくそれを持っ
ている。
﹁柊兵くんが占って欲しくない、って言うならもう無理には言わな
い。その代わり教えてよ。じゃあ占っても欲しくないし、私に興味
があるわけでもないのに、どうしてあなたはあそこにいたの?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
どもり、黙り込んだ俺をミミも同じく黙って見つめる。
またしばらく続く沈黙。
⋮⋮しゃあねぇな⋮⋮。
根負けした俺は意を決して本音をぶちまけることにした。
﹁⋮⋮あ、あのさ、気を悪くしないでほしいんだけどよ﹂
﹁うん﹂
﹁俺から見るとさ、占いなんてやつはどうにでも解釈できるような
あやふやで不確かな言葉で適当なことを言って、ただ相手を煙に巻
いているようにしか見えないんだよな。占いなんて胡散臭いもんの
代名詞だと思ってんだ﹂
ミミは不思議そうな顔でおとなしく聞いている。
﹁だけど、あのあんたの星占いがさ、毎日すげぇ当たり続けてるん
だよ。今日で九日目⋮⋮、いや途中で土日を挟んでいるから正確に
は七日間、ピタリと当たってんだよ。で、たまたまあんたが今日こ
のビルに来るって知って、なんだその、ちょっとあんたがどんな占
い師か見てやろうかって野次馬根性が出たんだと思う﹂
76
的中し続けるこいつの占いにビビッていることはもちろん伏せて
おく。当然のプライドだ。
”
そし
ミミは納得したようなしてないような微妙な顔で膝の上で頬杖を
つき、しばらく俺の顔を穴の開くほどじっと見つめていた。
てようやくおもむろに口を開いたかと思うと、
可愛い
だーぁ!? ﹁あなた、可愛いわねっ! 私のタイプかもっ!﹂
とまた鼻をチョンと軽く突つかれた。
な、なんだとっ!?
“
一瞬絶句した後、本気で頭に血が昇り出す。
年下のくせに男に向かって
ちっくしょう、いくら占い師だからってもう許せねぇっ!
ミミに向かって一発怒鳴りつけてやろうとした時、この摩訶不思
議な空気を持つ女は転がる鈴の声で一言、俺に向かってこう言った。
﹁ねぇ柊兵くん、私と付き合ってみる?﹂
77
未来を見通す
“
稚い淑女
”
<3>
両頬をモミジみたいなちっこい手が挟み込み、顔を強引に上向き
にさせられた。
﹁柊兵くん、もっとよく顔見せて!﹂
うぉっ、さっきよりも顔が近いっ!
興味津々のこいつの瞳孔がわずかに開いたのまで肉眼で確認でき
ちまうぐらいの距離だ。
⋮⋮しかしつくづく自分が情けない。なぜなら現在の心拍数がす
でに平常時の倍になっているからだ。いくら女が苦手だからとはい
え、こんなちびっ子すらも駄目だったとは⋮⋮。立ち直れないくら
いのショックに打ちのめされる。
﹁うふふっ、そんなに緊張した顔しないでよ!﹂
引きつっている俺の顔を見て、ミミは心底おかしそうにケラケラ
と笑った。
﹁今のはジョーダンよ、ジョーダン! あなた可愛いからちょっと
からかってみちゃったっ! ねぇねぇ、もしかして柊兵くんって女
の子にあまり慣れてないの?﹂
﹁うっ、うるせぇ! 余計な世話だ!﹂
怒鳴りはしたが、今のが冗談だったことに本気で安堵する。
﹁よしっ、じゃあ本題に入りましょ! 柊兵くんの話はよく分かっ
たわ。でもあの占いは所詮はプレタポルテだしね。世の中には偶然
も多いし、たまたま連続してピッタリ当たっちゃっただけじゃない
? 明日はきっと外れるわよ﹂
78
﹁おい、占い師が
いのかよ?﹂
﹁えぇ!﹂
“
明日はきっと外れる
”
なんて言ってい
遥か下の階で扉の開閉音が聞こえ、それによって発生した突風が
階下から吹き上げてくる。その風が金の巻き毛を大きく波打たせる
中、ミミは悠然とした態度で首を縦に振った。
﹁だって占いって決して絶対的なものじゃないもの。それに現実っ
バ
てたった一つのものじゃなくて、見る角度を変えれば幾通りもある
ースチャート
ものでしょ? だから詳しく柊兵くん個人の運命を知るためには出
生天宮図を作らなくっちゃ。生年月日と出生地は分かってるだろう
けど、出生時刻を知ってる?﹂
﹁んなもん知らねぇよ﹂
﹁やっぱり普通はそんなこと知らないわよね。母子手帳にはちゃん
と記載されていると思うけど、今自分の母子手帳なんて持ってない
でしょ?﹂
﹁持ってるわけねぇだろうが﹂
﹁そうよねぇ⋮⋮。出生時刻が分からなくても一応作る事は出来る
んだけど、正確なチャートに比べるとハウス解釈の精度は格段に落
ちちゃうし⋮⋮﹂
ミミは困り顔で小さなため息をつく。
﹁ねぇ柊兵くん、ちなみにお誕生日はいつ?﹂
ライブラ
﹁⋮⋮十月十九日﹂
﹁ふーん。じゃあ天秤座ね﹂
﹁ライブラ?﹂
﹁天秤座の学名よ。リブラとも言うわ。⋮⋮うん、柊兵くんは結構
ストレートに特徴が出ているかも﹂
﹁どういう意味だよ?﹂
﹁あのね、<サインの法則>っていうのがあってね、この世に生ま
れ落ちた時に太陽がどの星座にいたのかでその人の性格や運命って
決定するの﹂
79
ミミの背筋がさらに一層伸びた。
コホン、と軽く咳払いをし、この小さな占い師は長々と余計な講
釈を勝手に垂れ始める。
﹁天秤座の性格はね、天秤という名の通り、元々バランスと社交性
に優れていて、理性と感情の間に上手に均衡を取るの。だからたく
さんの人との関わりを通して生きていく星座。多くの人間関係を通
じて人生が発展してゆく星座。でも人の好き嫌いは十二星座中、一
番ね。クールな面と強さを持つけど、意外とケンカっ早い所もある
わ。あっ、でも争いごとは幸運を遠ざけちゃうから気をつけてね。
そして欠点は、虚栄心が強くって、八方美人で、ナマケ癖があるこ
と。それと十二星座中、最も美しいものを与えられていると言われ
ているから整った顔立ちの人が多いのも特徴よ﹂
ミミは俺の顔を再びまじまじと見た。
﹁ほーら、やっぱり結構当たってそう! あなた、目つきはあまり
良くないけど顔立ちは整っているし、とても綺麗な目をしているわ。
この星座の人の身長は概して高くって、若い時は痩せ型でスマート
な人が多いし。明朗で快活なタイプが多いんだけど、でもそこはち
ょっと違ってそうね⋮⋮。そうそう、この星座の人ってエクボを持
っている人も多いわ。柊兵くんある? ちょっと笑ってみてよ!﹂
﹁死んでもごめんだ﹂
﹁ケチねぇ⋮⋮。あ、、それと悩みの原因の女の子って何座?﹂
﹁知らん﹂
﹁えっ、好きな女の子の星座知らないの? 冷たいのねー。⋮⋮⋮
⋮あっ、そうか! じゃあ柊兵くんはもしかして逆に迷惑してると
か? その女の子に?﹂
80
返答に詰まる。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮あ、あぁ⋮⋮﹂
たっぷり間を置いてから俺はようやくそう答えた。
そして返事を即答出来なかった自分自身に驚く。もしかして俺は
⋮⋮?
﹁ちなみにその迷惑している女の子の性格って快活? それとも控
えめかしら?﹂
﹁⋮⋮どっちも当てはまる﹂
﹁ふぇっ?﹂
俺の答えにミミは素っ頓狂な声を上げた。
そしてしばらく目を瞬かせて考えていたがやがて状況が飲み込め
たらしく、口に手を当てて意味深に笑う。
﹁あらあら大変ねっ﹂
半分小馬鹿にしたようなその仕草にまた頭に血が上った。 ﹁⋮⋮あんたなぁ、占い師だからってよ、妙に上から見下すような
その物の言い方止めろよ。俺より年下だろ? 目上への礼ってもん
を知らねぇのか?﹂
その時もともと上がり気味だったこいつの眉が更に吊り上る。
﹁私があなたより年下ですってー!?﹂
ミミは気色ばんだ顔で横に置いてある黒鞄に手を伸ばす。その中
から財布を取り出し、一枚のカードを引っ張り出すと黄門の印籠ば
りのパフォーマンスで俺の目の前にそれをズイ、と振りかざした。
﹁私、二十六歳なんだけどっ!?﹂
﹁何ッ!?﹂
驚愕の声を上げ、鼻先に突きつけられている運転免許証に目を凝
81
らす。免許証に写っている小顔の女の髪は黒髪だが、間違いなくこ
かげうら みみ
の女だ。
﹃影浦深美﹄という氏名欄の横に生年月日が記載されており、俺
より十年早い生年だった。このちびっ子が俺より十歳も年上だと?
アストロロジー
プライマ
﹁私って背が低いからどうしても幼く見られちゃうのよね。六年前
リィチャイルド
にヨーロッパに占星術を学びに行ったことがあるんだけど、初等科
の小学生と間違えられたこともあるわ﹂
当時の辛酸体験を思い出したのか、ミミはフンッと鼻を鳴らす。
﹁⋮⋮俺、最初あんた見た時中学生かと思った﹂
﹁若く見られるのは女にとっては確かに喜ばしいことだけど、かと
いって若く見られすぎるのも困りものよ﹂
ミミは面白く無さそうな顔でゴールドラインが入った免許証を無
造作に財布に戻す。そしてそれを再び黒鞄の中にしまおうとしたが、
ケースの中を見て何かを思いついたようだ。
﹁今ここで出生天宮図も作れないし、これであなたを占ってあげる
わ!﹂
黒鞄の中から出したタロットカードを見て俺は呆れた声を出す。
﹁あんた、星占いの他にそれもやるのかよ?﹂
﹁ふふっ、占星術の前は少しだけこれにハマッていたの。こっちは
本職じゃないから遊びでちょっとしてみましょっ!﹂
完全にこいつペースで物事が進み出している。
カードを左脇に置いて黒鞄を閉じると、ミミはその鞄を俺の膝上
にドサリと乱暴に投下しやがった。
﹁おいっ何すんだよ!?﹂
﹁テーブルが無いからこれをテーブル代わりにするの。ちょっと重
いけど我慢して!﹂
またしても俺の意向は完全に無視だ。
タロットカードが黒鞄の側面上に置かれ、ばら撒かれる。すぐに
82
キューピー人形のような小さい手が右回りに回り出し、カードを混
ぜ始めた。
たっぷり二十秒以上はかき混ぜていただろうか。それが終わると
カードを一束に集め、今度はシャッフルを始める。手馴れていると
すぐに分かった。カードが自らの意思で勝手に舞っているようだ。
﹁はい、これを三束に分けて﹂
ミミが俺にカードを押し付けてきた。やらないと帰してもらえそ
うにない。渋々三つの束に分けて黒鞄の上に置く。すぐにそれはミ
ミの手によって一束にまた重ねられた。
そしてミミが厳かに命令する。
﹁⋮⋮さぁ、あなたの未来よ。一枚引いてちょうだい﹂
なんだ、妙に緊張してきやがる。こいつの真剣な声に感化された
のだろうか。
︻
恋人
ラヴァーズ
︼ね!﹂と驚嘆
﹁引いたら動かさないでそのまま平行にカードをひっくり返して﹂
言われた通りにカードを開けた。
そのカードを見たミミが﹁正位置で
の声を上げる。
俺から見ると逆さまの絵柄になっているが、カードの上半分には、
神なのか悪魔なのかよく分からないでっかい羽の生えた魔物らしき
生き物が君臨し、カードの下半分には全裸の男が立っている。男の
両脇には同じく全裸の女が二人。つまり男は二人の女に挟まれてい
る絵柄だ。
カードの解説が始まる。
﹁このカードの意味はね、<恋愛>、<誘惑>、<三角関係>。そ
して、<二つの道のどちらかの選択を迫られる>という意味なの。
もしかしたらこれは、近いうちに柊兵くんに何か決断が訪れるって
前触れかもね﹂
83
︱︱ 決断? 選択? どういう意味だ?
﹁二者択一の意味を持つカードだから単純に考えれば二人の女の子
のどっちかを選ぶ、ってことなんだろうけど⋮⋮﹂
ミミはそのカードを手に取り、真剣な眼差しでじっと見つめる。
まるでそこから発する、鼓膜では聞き取ることの出来ないカードの
啓示を聞き取ろうとしているかのようだ。
﹁でも柊兵くんは迷惑しているんだもんね、その女の子達に。⋮⋮
そうね、じゃあもしかしたら、この先あなたの前に現れる選択肢に
よっては、その女の子達を遠ざけることが出来るかもしれない﹂
﹁どういう意味だよそれ!?﹂
﹁う∼ん、具体的には上手く言えないけど、近いうちに柊兵くんと
その女の子達の間で何かトラブルが起きるのかも。そしてその時柊
兵くんが取る行動でその子達との関係が変わるのかもしれない﹂
トラブルが起きるかも、なんてミミは言うが、あいつらとはしょ
っちゅうトラブってる。⋮⋮というか、俺が一方的に翻弄されてい
る。
じゃあ何か? この先、またあいつらが俺に何かしてきた時、思
い切り突き放せばもうつきまとわれなくて済む、ということなのか?
﹁ミミさ∼ん、どちらにおられるんですか∼?﹂
下の階から男の声が聞こえてきた。
﹁あ、いけない。ここの責任者の人だ。私もう行かなくっちゃ。あ、
でもこの椅子どうしよう⋮⋮﹂
﹁俺が戻しておくから早く行けよ﹂
﹁あらそう? ありがと!﹂
四段上の階段から下りてきたミミは、椅子から立ち上がろうとし
た俺の肩をそのちっこい両手で軽く押さえた。
84
﹁最初見た時から思ってたけど、あなた結構優しい所あるわよね。
だからもっと柔らかい表情をするように心がけなさい。その目つき
でだいぶ損してるわ。分かった? はい、分かったらお返事は?﹂
またしてもその上段からの物言いに引っかかりそうになったが、
︵こいつは二十六、二十六、二十六⋮⋮︶、と何度も呪文を唱えて
怒りを抑える。
急いでいるせいかミミは結局俺の返事を待たず、タロットカード
を慌しく片付けはじめた。
そして黒鞄を閉じる前に、中から妙に分厚い一冊の本を取り出す。
﹁これ、私が書いた本なの。特別にタダで柊兵くんにあげるから今
度読んでみて。出生天宮図の作成の仕方もここに紹介してあるから、
今度自分で作ってみるといいわ﹂
胸元に強引に押し付けられた本の背表紙には、﹃愛と幸せに満ち
た惑星の上で﹄ と書かれてある。驚く事に広辞苑に匹敵するくら
いの分厚さだ。
﹁い、いらねぇよ!﹂
﹁フフッ、遠慮しなくていいのよ﹂
﹁マジでいらねぇって!﹂
﹁あなたとはまたどこかで出会えるような気がするし、じゃあそれ
まで貸してあげるっ﹂
ミミは俺に広辞苑もどきをさらにグイと押し付け、黒のローブと
金の巻き毛をなびかせながら風のように階段を駆け下りていく。
﹁おっおい、待てって!﹂
手摺から身を乗り出して必死に呼び止めるも、ミミは足を止める
マクロコスモス
素振りすら見せなかった。代わりに笑いかけられる。
﹁柊兵くん、あなたに大宇宙のご加護がありますように!﹂
﹁だから待てっての! これを持ってけ!﹂
ジェミニ
アクエリアス
﹁あ、言い忘れてたわ。あなたの星座と愛情が芽生えやすいハッピ
ートライアングルは双子座と水瓶座よ。ではごきげんよう♪﹂
85
⋮⋮畜生、行っちまいやがった。
踊り場に一人取り残され、押し付けられた本を片手に小さく舌打
ちをする。
脳内に今しがたミミに言われた怪しげな予言が蘇り、強制的に俺
のテンションを最低ラインにまで押し下げていた。
本当に近いうちにそんな二者択一が俺に訪れるのか?
で、もし予言が当たったら、その時の俺はどういう態度を取るん
だ?
あいつらを冷たく突き放すのか?
自由になる為に?
本の黒表紙を燦然と飾っている青く丸い地球の写真を眺め、ひた
すらに考える。
だが脳味噌をいくらフル回転させて考え続けても、今の俺はまだ
その答えを自らの中に見つけ出すことは出来なかった。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
実は今日は週に一度の空手の稽古日だった。
他の門下生達はとっくに帰り、いつものように俺とヒデだけが道
場に残っている。これから組み手をやろうってわけだ。しかしさっ
きからヒデの顔に浮かんでいる薄ら笑いが気に食わねぇ。何か俺に
言いたそうな顔をしてやがる。イラつく気持ちを封じ込め、上体を
約十五度傾けて立礼。礼から直るとさらにヒデの口角が上がってい
るような気がした。
86
﹁⋮⋮なんだよヒデ。勝負の前にニヤニヤしやがって﹂
﹁悪いが今日は余裕で勝てると思ってな﹂
﹁なに?﹂
﹁稽古に遅刻してくるわ、おまけに集中力は散漫だわ、そんな状態
のお前に負けたら俺は今日限りで空手を止めてもいい﹂
言葉だけではなく、表情にまで漂うヒデの余裕とその挑発に、増
勢したアドレナリンが体内を瞬時に駆け巡る。
﹁何だとっ!? よく言った! じゃあお前が空手を止めたらこの
道場は代わりに俺が継いでやるから有難く思えッ!!﹂
﹁ご随意に﹂
しじま
怒気を帯びた声と物静かな声が交錯した後、道場の中に針が落ち
る音も聞き取れるような無言が訪れる。
今の俺が集中力散漫だと? ぶっ倒した後で﹁さっきの話は無か
ったことにしてくれ﹂と泣きを入れさせてやる⋮⋮!
こいつとやる場合に気をつけるべき点は、素早い足裁きと体裁き
で懐に飛び込まれた後の回し蹴りだ。ヒデの回し蹴りは予備動作は
大きいが体がデカい分、相当な破壊力を持つ。まともに喰らえば吹
っ飛ばされちまう。
ジリジリと間合いを詰め、正面にいるヒデを鋭く見据える。
こいつとはしょっちゅう組み手をしているのでお互いの癖は知り
尽くしている。相手の実力が分かっている分、当然弱点もすべて曝
け出しあっている。だが、だからこそ戦う方策が見えてくる。
俺の得意技は出会いの中段逆突きだが、相手がヒデならたぶんこ
の動きは読まれるだろう。なら、その前に鋭く見えづらい前蹴りを
ノーモーションでぶち込むことに決めた。重心を体の中心よりやや
前寄りにし、寄り足で間合いを詰める。
喰らえっ!!
だが俺の動きにヒデは素早く反応してくる。ふくらはぎの内側部
分を左腕の肘で内から外へと下段払いで払われた。払った際の腰の
ひねりを利用して、ヒデの右拳の正拳が唸りを上げて襲ってくる。
87
﹁ぐっっ⋮⋮!﹂
き
鳩尾に鈍い痛み。⋮⋮畜生、逆突きを極められた!
ヒデは突いた右拳をすぐに引き、残心を取っている。完全に間合
いを取られちまったか⋮⋮!
勝負の行方を大きく握る鍵はカウンターだが、先に自分の間合い
を取ることができた方がその後の勝負はかなり有利なものになる。
間合いを取られるとそれがプレッシャーになり、苦し紛れな動作が
出てきやすくなるからだ。動作も大振りなものになりがちで相手に
動きを読まれやすくなってしまう。
加速と体重が最も乗った状態でヒデが素早く踏み込んできた。一
気に勝負を決める気か!?
突きは何とかかわせた。だが体さばきでバランスを崩しちまった。
体が開き、前足の爪先がヒデの正中線から外れる。すぐに反撃でき
る態勢を取れなかったその隙をヒデが見逃すはずもない。
︱︱ 来るッ!!
内心でそう叫んだのと同時に、ヒデ得意の背足を使った横からの
っ
回し蹴りが飛んで来た。
⋮⋮痛っ!
バランスを崩した俺はその蹴りを入り身で流しきれなかった。側
頭部に軽い衝撃が走る。顔面目掛けて飛んで来た蹴りをかろうじて
背腕で受けたが踏ん張りきれなかった。
﹁勝負ありだな﹂
拳を下げ、仁王立ちになったヒデが目を細めてニッと笑う。パワ
ー負けし、左後方に尻餅をついちまった俺は沈黙で答えるしかない。
⋮⋮畜生、これだけあっさり勝負がついたのは久しぶりだ。
﹁心ここにあらずの浮ついたお前に俺が負けるはずないだろ? お
88
前、今日の稽古に遅刻してきたが、どこに行ってたんだ?﹂
﹁⋮⋮ヤボ用だ﹂
ミミ・影浦に占ってもらってたなんて死んでも言えねぇ。
﹁美月達とどこかに行ってたのか?﹂
﹁違う﹂
﹁何だ違うのか﹂
道着の黒帯に手をかけ、ヒデが近寄ってくる。ヒデは俺の前に来
ると腰を下ろした。
﹁なぁ柊兵、美月と怜亜にあまり冷淡な態度を取るな。可哀想だろ﹂
﹁⋮⋮ヒデ、お前、今まであいつらとずっと連絡取っていたって本
当か?﹂
﹁あぁ。美月達が引っ越して二ヶ月くらい経った頃かな、電話が来
てな、たまにお前の様子を教えてくれって言われたんだ﹂
﹁なんでその事、俺に黙ってた?﹂
﹁言わないでくれって頼まれた。お前、そういうの嫌がりそうだか
らってな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
肩を大きく上下させて息を吐く。
嫌われないために俺に直接連絡をしないで、ヒデを通して俺のこ
とを知ろうとしていたあいつらの胸中を考えてみる。
⋮⋮⋮⋮何だ、この気持ちは⋮⋮⋮⋮?
﹁それでさ、お前の写真も時々送ってたんだ、あいつらが欲しがる
んでな﹂
﹁勝手なことしやがって﹂
﹁そう言うな。そうだ、それで参ったことが一つあったよ。中学の
時、修学旅行や体育祭の写真をクラスで回覧していただろ? 俺、
あいつらの為にお前が一人で映っている写真全部に二枚の焼き増し
を申し込んでたんだ﹂
89
﹁何!?﹂
﹁そしたらな、そのお前の単独写真を映ってもいない俺が、しかも
毎回必ず二枚注文するもんだからさ、俺、お前に気があるとクラス
の一部で思われちまってたみたいでさ、あれには本気で参ったよ。
しかも俺とお前は中学の時はいつも二人でつるんでたろ? だから
柊兵も実は内心満更でもないと思われてたみたいだぜ﹂
ヒデはそう言いながら苦笑いをしたが急に愉快になってきたのか、
今度は大声で笑い出す。
⋮⋮おい、つーことは何か? 俺とヒデはクラスの奴らからホモ
って喜んでんの。まったく憎めない
柊兵に女の子が近寄り
と思われてたってことなのか!? 勘弁してくれ!
”
﹁その事を美月と怜亜に愚痴ったらよ、“
づらくなってラッキー!
奴らだよ。⋮⋮お、柊兵どうした?﹂
﹁頭が⋮⋮﹂
﹁あぁさっきの蹴り、お前咄嗟に背腕で受けたとはいえ、もろに入
ったからな⋮⋮大丈夫か?﹂
﹁いや、そうじゃなくてよ⋮⋮﹂
頭を大きく垂れ、さっきよりも深くため息をつく。
マクロコスモス
︵ 柊兵くん あなたに大宇宙のご加護がありますように││ ︶
別れ際にそう囁いたミミの声がどこかから聞こえたような気がし
た。
90
訪れた二者択一 ︻前編︼
あの摩訶不思議女の占いから六日が経った。
週の始まりの月曜ってやつはどうしてこういつもブルーな気持ち
にさせるんだろう。
ホロスコープ
最近、﹃愛の十二宮図﹄を俺は真剣に見なくなっていた。 理由はまたしても単純で、六日前から占いがまったく当たらなく
なったからだ。
ミミ本人に会い、タロットとはいえ直接占ってもらったせいなの
かどうなのかは分からない。とにかくプレタポルテとやらの星占い
は当たらなくなっていたのだ。
﹁つきまとわれて迷惑なの?﹂
六日前、エスタ・ビルの階段の踊り場でのあの質問をつい肯定し
ちまったのをテレパシーでも使って感じたのか、次の日から美月と
怜亜は一切俺の前に姿を現さなくなっていた。
だからあの不細工なおたふく天使がいくら﹁今日はいいことある
よん!﹂とか﹁今日は全然ダメぴょん←﹂などと騒いでも俺の毎日
は全く変わらなかった。本来ならおたふく占いは運命のBGMを毎
日流していなければおかしいことになる。
以前のような元通りの静かな毎日を手に入れ、俺の心は清々しさ
に満ち溢れている⋮⋮⋮⋮はずだ。
テレビ画面の中ではおたふく天使がいつも以上に騒いでいる。
なんでも今日からもう一人新しい着ぐるみキャラが増えるらしく、
そいつは女の天使でおたふくのガールフレンドという設定らしい。
91
チッ、着ぐるみのくせに色気づきやがって。
飯を食い終わって席を立つ時にチラッと画面を横目で見ると、げ
んなりするぐらいのおかめ顔の、これまたかなり不細工なピンク色
の着ぐるみが画面上でタコ踊りをかましている。
おたふくにおかめか、お似合いだな。
そんな益体もない事を考えながらスポーツバッグを手に外に出る。
週の初めの今日はこの秋一番の冷え込みだと特大温度計の横でア
ナウンサーが叫んでいた。寒風に身を縮めながら学校へと向かう。
もちろん背中にも腹にもあいつらの突撃を喰らうことのないまま
で。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱
︱︱・︱︱︱・
﹁外で弁当を食うの、今日で終わりにしないか?﹂
シンが震えながらそう切り出し、全員がそれに同意する。
確かに今日は本当に冷えている。これでこのケヤキの木も半年先
までしばらくは一人ぼっちだな。
﹁そういえばさ、最近、怜亜ちゃん達を全然見かけないよね﹂
ふいに尚人がそう言い出した。
非難がましそうな目でシンが俺を見る。
﹁柊兵があんなにつれない態度をとり続けるから、あの子達、こい
92
つを見限っちまったんじゃないか? 俺さ、ここ数日、隣のD組を
休み時間に毎回覗きに行っているんだけど、美月ちゃんも怜亜ちゃ
んも教室にいないんだよなぁ。他の女の子に聞いてみたら来ている
のは間違いないみたいなんだけどさ。どこに行ってるのかなぁ⋮⋮﹂
⋮⋮こいつ、休み時間に度々姿を消していると思ったらそんな事
をしていたのか。毎度の事ながら勝手な真似しやがって。
﹁なぁ、柊兵。お前、次の授業終わったら急いで見に行ってみろよ﹂
﹁なんで俺があいつらの様子を見に行かなきゃならねぇんだよ﹂
﹁気にならないのか?﹂
﹁やっと元通りの静けさを取り戻して喜んでいる所だ﹂
﹁はぁ∼⋮⋮。お前はこの世で一番の大馬鹿者だと今ここで断言す
るよ﹂
﹁勝手に言ってろ﹂
俺とシンのやり取りを聞いていた尚人が口を挟む。
﹁もしかして柊兵も年上が好きなの? 良かったら僕の知り合い紹
介しようか?﹂
﹁い、いるか、そんなもん!﹂
﹁同い年、年上がNGなら守備範囲けっこう狭いよね。まぁ僕も人
のことは言えないけどさ。あ、ちょっと待って。ということは柊兵
はロリータ? まさか男色家じゃないよね?﹂
﹁んなわけねぇだろッ!!﹂
この発言が尚人ではなく将矢なら間違いなく制裁を加えていると
ころだ。そこにその将矢がちゃっかりと名乗りを上げる。
﹁なぁなぁ尚人、じゃあ柊兵の代わりに俺に紹介してくれよ∼! 俺、年上のお姉さんがすっごく好みなんだ!﹂
そんな将矢を横目で見ていたヒデがフッと鼻で笑う。
﹁よく言う。将矢は女なら誰でもOKじゃないか﹂
93
││ どうでもいいが話題が俺から微妙にずれてきている。しか
しいい傾向だ。しばらく放っておいて成り行きを見守ることにしよ
う。
﹁しかし嫌味だねぇ、ヒデのその笑顔! さすがこのメンバーで唯
一彼女がいる奴は違うなぁと思うよ﹂
シンが肩をすくめ、ヒデの余裕を羨ましがる。
﹁確かに今彼女がいるのは俺だけだが、柊兵以外はただ彼女がいな
いってだけで普段女と色々遊んでいるじゃないか。特にシン、お前
がな﹂
﹁おっとヒデ。悪いがそれは大きな間違いだ。一番は尚人ですよ?﹂
﹁失礼だなぁ、シン。僕は遊んでないよ、いつも真剣さ﹂
﹁俺も真剣ですが?﹂
﹁ははっ、毎日ナンパばかりしてるくせによく言うよ﹂
﹁お前だってしてるじゃんかっ!﹂
﹁最近してないよ?﹂
﹁どうせここ二、三日の話ってオチだろーが!﹂
﹁おいおい、ケンカはやめろよ﹂
この場に漂いだした不穏な空気を察したヒデが割って入る。
﹁大体最初は柊兵を責めていたはずなのになんでこんな展開になっ
てるんだ?﹂
﹁何言ってんだ、ヒデ。元はといえばお前と将矢が俺達の会話に絡
んできたのが発端だろ?﹂
﹁そうだよ!﹂
逆に責められ出したヒデと将矢は顔を見合わせた。
﹁おい将矢、俺らが原因だとよ﹂
﹁そうなのか? っていうかさ、元はといえば怜亜ちゃん達を毛嫌
いする柊兵が悪いんだよ! 俺らのせいじゃないぜ? ⋮⋮あ! 94
そうだ! 俺、前から皆に聞きたかったんだけどさ、皆は怜亜ちゃ
ん派? それとも美月ちゃん派?﹂
芝生に足を投げ出していたシンが突然ガバッと立ち上がる。
﹁おー将矢、それナイス質問! 実は俺もそれはかなり気になって
たんだ! じゃあ言い出した将矢から元気に行ってみよー!﹂
﹁OK!﹂
シンの音頭で将矢、尚人、ヒデ、と時計周りに強制カミングアウ
トが始まる。
ひと
﹁へへっ、俺は怜亜ちゃんだ! ああいう守ってあげたくなるよう
な子に俺は弱い!﹂
﹁お次は尚人!﹂
﹁僕も怜亜ちゃんだな。元々しとやかな女がタイプだから。怜亜ち
ゃんが四、五歳年上だったら柊兵を差し置いて絶対にさらいに行っ
てたね﹂
﹁しっかし尚人の年上好きは筋金入りだな⋮⋮。さぁ次はヒデだ﹂
﹁なに俺か? 俺、彼女いるんだぞ?﹂
﹁例外は認めない。彼女がいなかったら、と仮定して答えるように
!﹂
シンは右手をピストルの形にし、ヒデに向かって撃つ真似をする。
指名をいう名の空砲をくらったヒデは目を閉じると静かな口調で答
えた。
はアリですか?﹂
どっちも
﹁⋮⋮⋮⋮美月だな。実は小学生の時、美月が好きだった﹂
﹁ヒデ、それマジッ!?﹂
﹁あぁ。まぁでも昔のことだ﹂
”
﹁へぇ⋮⋮。あ、じゃあ次は俺か。なぁなぁ皆の衆、“
好み
﹁それはズルイぜ、シン!﹂
﹁ダメだよ﹂
95
﹁認められんな﹂
三人に一斉にダメ出しをくらい、シンは照れ笑いを浮かべながら
また芝生に腰を下ろした。
﹁やっぱダメか⋮⋮。でもまだあの子達のことよく知らないしなぁ。
見かけはどっちも可愛いしさ、となるとやっぱ重要なのは性格とか
フィーリングじゃん? でも今の時点で俺の直感がビンビンに反応
しているのは美月ちゃんだな。あの陽気な性格、俺と合うような気
がする。⋮⋮ということはこれでちょうど二対二か。じゃあいよい
よ残りは⋮⋮﹂
全員の目が俺に集まる。
当然の如くフイと顔を背け、﹁答えると思ってんのか?﹂と吐き
捨てた。全員が噴き出している。
﹁でもマジであの子達どうしたんだろうなぁ。顔見ないとなんか寂
しいよ﹂
D組の窓を見上げ、シンが呟いた。
そこに昼休み終了のチャイムの音が高らかに鳴り響き、行くか、
というシンの声で俺達はノロノロと芝生から重い腰を上げた。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱
︱︱・︱︱︱・
飯を食って眠気を催してきた。
ちょうどいい、次は気の弱い俺らC組の担任、毛田の古典だから
思い切り寝てやろう、そう思いながらポケットに両手に突っ込み、
96
グループの最後尾を歩いていた俺の腕がグイ、と後ろに引かれた。
あまり強い力ではない。振り返った俺の顔が固まる。
﹁柊ちゃん⋮⋮!﹂
今にも泣きそうな顔で怜亜が俺の腕を掴んでいた。
細く白い指が紺のジャケットをしっかりと握りしめている。
﹁ど、どうした、怜亜?﹂
その顔に心配したのか、それとも久しぶりに怜亜を見たせいなの
かは分からないが、自分でも驚いたぐらい俺の声は穏やかだった。
﹁美月が⋮⋮﹂
目に浮かんだ涙で怜亜の瞳が揺らいでいる。
﹁美月がどうした?﹂
﹁お願い、一緒に来て!﹂
怜亜が俺の手を取り、走る。
走ると言っても怜亜の走る速度は俺には小走りでも遅いくらいだ。
﹁あ、怜亜ちゃんだ! おい柊兵、どこに行くんだ!?﹂
後ろからシンの声が追いかけてくる。
﹁先に行っててくれ!﹂
はくた かなこ
振り返りそう叫ぶと、怜亜に手を引かれるまま廊下を進む。
着いた先は一階の保健室だった。
﹁失礼します﹂
と言い、怜亜が保健室の扉を開ける。
中には銀杏高校一の美人で有名な、養護教諭の伯田加奈子さんが
少々困り気味の顔で椅子に座っていた。
ウエスで眼鏡のレンズの曇りを拭いていたらしく、入ってきた怜
亜を見て慌てて元通りに眼鏡をかける。
﹁森口さん、風間さんのお家の人に連絡はついた?﹂
97
﹁いいえ。美月のお母さん、お買い物に行っているみたいで電話は
留守番電話になってました﹂
﹁そう、困ったわねぇ⋮⋮。あら、原田くん、まさかまたケンカし
たんじゃないでしょうね?﹂
長いポニーテールを揺らし、伯田さんが俺の方に目を向けながら
強い口調で詰問する。
﹁いや﹂
返事はその二文字で事が足りた。
﹁⋮⋮ならいいけど。去年のような鮮烈なデビュー戦はもう絶対に
止めてよ?﹂
││ 普段風邪一つ引かない丈夫な俺が、この美人教諭に何故名
前を知られているのか。
答えは去年この銀杏高校に入学してすぐの頃、俺は乱闘事件を起
こしたことがあるからだ。
⋮⋮とは言っても別にこちらから仕掛けたわけではない。
当時三年だった数人の不良崩れが俺の目つきが悪いと難癖をつけ
てきたのだ。要は生意気そうな新入生の俺を締めたかったらしい。
その時ヒデもその場にいたが、﹁お前が売られたケンカだし一人
その人数ならお前なら間違っても負けないだ
という意味合いだ。
“
でやれるだろ?﹂と言って先に帰ってしまった。一見薄情そうだが、
”
でもそれは逆で
ろ?
何人いただろう。四人か? 五人か?
覚えてないがとにかく全員叩きのめしちまった。
俺らが乱闘しているのを見かけた生徒が教師に通報し、伯田さん
も救急箱片手に慌てて飛んできたのだ。そして一週間の停学になり
そうになった所を、
﹁あの乱闘は原田くんが因縁をつけられて自分の身を守るために仕
98
方なくやった正当防衛です﹂
と証言してくれた生徒がいたらしく、急転直下で俺は何とか無罪
放免になった。
だがそれ以来、教師陣には素行を厳しくチェックされるようにな
っちまったがな。
そして俺はほとんど無傷だった分、伯田さんにはこってりと叱ら
れた。当時の俺は激しく硬直し、その叱責に無様なオットセイのよ
じゃなくて
“
はい
”
でしょっ﹂
うにあうあう、と曖昧に返事をしていたのを覚えている。
あぁ
”
﹁ちょっと、ちゃんと聞いてる? 原田くん﹂
“
﹁あ、あぁ﹂
﹁
はぁ、と伯田さんのため息が漏れる。
一方、その伯田さんに久しぶりに対面し、話しかけられた俺は自
分のある変化に気付いた。
女が苦手な俺が、つい最近まで半径一メートル以内で面と向かい
合うと一番硬直していたのが実はこの人物だった。
しかし今の俺は伯田さんの前でも何とか平静を保てている。これ
は美月と怜亜の今までの度重なる激しい特攻で、俺にも女に対する
多少の免疫がついたということか? いや、それとも⋮⋮⋮⋮。
﹁返事はきちんとしなさい。何度も言ってるのにホントに君って子
は⋮⋮﹂
うざったい小言が続く。だが、
﹁伯田先生!﹂
と怜亜が一歩前に出てその先を遮った。こいつにこんな強引なと
ころがあったとは。少々驚いた。
﹁これから柊ちゃんに手伝ってもらって美月を病院に運びます。美
月のお家には私がまた後で連絡を入れますから。いいですよね?﹂
99
そう怜亜に言われ、伯田さんは少し考えた末に同意した。
﹁そうね⋮⋮あんなに熱があるんだから早く病院に連れて行った方
がいいわよね﹂
﹁じゃあ柊ちゃんお願い!﹂
状況もまだ俺によく説明しないままで怜亜が俺の手を引っ張る。
どうやら美月は熱を出したらしい。ベッドの周りを覆っていた安
っぽい白のカーテンが怜亜の手で大きく開け放たれる。
中のベッドで美月は目を閉じていた。はぁはぁと荒い息と真っ赤
な顔で。
﹁熱が三十九度近くもあるの。体育の授業の後、いきなり気分が悪
いって言い出して⋮⋮﹂
美月を見下ろす俺の横で怜亜が沈痛な顔で呟く。その後ろで伯田
さんが薬品庫から何かを取り出し始めた。
﹁もしかしてインフルエンザにかかっちゃったのかしら⋮⋮? 流
行にはまだ早いけど、急激に熱が出ているし、可能性も無いわけで
はないわね。でももしそうなら早く病院へ連れて行ってお薬を出し
てもらわないと﹂
﹁お願い、柊ちゃん、一緒に美月を病院まで連れて行って!﹂
﹁分かった﹂
素直に頷く。
いつもの元気さなんて微塵も感じさせず、こんなタコみたいに真
っ赤な顔で苦しそうな息づかいの美月を放っておくことなんてさす
がに出来ない。
﹁もしインフルエンザなら感染力が強いから、気休めだけどこれつ
けておくわね﹂
伯田さんの手で美月にガーゼのマスクがつけられた。両頬から顎
までが白いマスクですっぽりと覆われる。
﹁さ、じゃあ原田くん、この子を背負って﹂
100
﹁美月、これから柊ちゃんが病院に連れてってくれるからね﹂
ぐったりとした美月は返事をしなかった。相当辛いようだ。
怜亜と伯田さんが二人がかりで美月にカーディガンを着せる。そ
してその身体を起こすと、ベッドの端に座った俺の背に美月を乗せ
た。
﹁原田くん、大丈夫?﹂
返事の代わりに頷くと俺は美月を背負い、ベッドから立ち上がる。
前にこいつにいきなり背中に飛び乗られた時は少々重いと感じた
が、きちんと背負うとその身体は意外にも軽かった。
自分もカーディガンを羽織ると怜亜は伯田さんの方を振り返る。
﹁じゃあ、先生。後は任せて下さい﹂
﹁頼むわね﹂
﹁はい﹂
俺と怜亜は校舎から外へと出た。
さすが今朝のテレビで今年の秋一番の冷え込みだと言っていただ
けのことはある。風がさらに勢いを増し始めていて、その日の木枯
らしはかなりの冷たさだ。
だが美月の身体から発せられる高熱で、俺の背中だけは熱いくら
いに温かった。
101
訪れた二者択一 ︻後編︼
うつ
﹁怜亜、お前は来なくてもいい。伝染るとヤバいし、寒いから教室
に戻ってろ﹂
美月を背負い直した後、肩越しに振り返り、そう告げる。だが怜
亜は強く首を横に振った。
﹁ううん、行く! だって美月のお母さんに連絡しなくちゃいけな
いし﹂
あぁそうか⋮⋮。なら仕方ねぇか。
さきさか
﹁どこの病院に行けばいいんだ?﹂
﹁ここから一番近いのって向坂病院じゃない?﹂
﹁げ、あそこのヤブか﹂
﹁何言ってるの。私達小さい頃は病気になったらみんな向坂先生の
病院にお世話になっていたじゃない﹂
﹁でも多分もう相当の年だぜ、あの爺さん。美月の診察中にそのま
まポックリ逝ったら洒落になんねぇぞ﹂
﹁もう柊ちゃんたら⋮⋮。失礼よ、そんな事言っちゃ﹂
一応俺をたしなめはしたが、怜亜自身も不安になったのだろう。
その場で少し考えている。
﹁でも大きな病院だと待ち時間が長そうだし⋮⋮。早く美月を診て
もらいたいからやっぱり向坂先生の所にしましょ。ね、柊ちゃん?﹂
﹁分かった﹂
そうと決まればもう迷わない。美月を背負って小走りで駈け出す。
はぁはぁと背中から断続的に聞こえてくる美月のくぐもった吐息
が胸を締めつけた。
もうちょいだからな、頑張れよ、美月⋮⋮!
102
﹁しゅ、柊ちゃん﹂
数分後、後ろから俺の後を追って走っていた怜亜が息を切らせて
足を止めたので、俺も立ち止まった。
﹁私走るの遅いから、柊ちゃん先に行って。早く美月を連れてって
あげて。私も後から行くから﹂
﹁分かった。じゃ先に行ってるぞ﹂
怜亜がそう言い出してくれて助かった。正直もう少し早く走りた
かったところだ。
その場に怜亜を残し、走り出す。
角を二度曲がった後、病院まではずっと登りの坂道だったが、ス
ピードを落とさずに登りきる。さすがに少々息が切れた。
やがて坂の向こう側に病院の看板が見えてくる。
﹁美月、病院に着いたぞ!﹂
そう声をかけたがやはり背中から返事は戻ってこなかった。
坂を登りきってすぐの場所にある﹁向坂病院﹂と看板のある小さ
な個人病院に駆け込む。待合室にいるのは老人ばかりで、病院独特
おにがわら
の消毒薬系の匂いが鼻をついた。健康優良児の俺には少々苦手な匂
いだ。
くわばら
受付に走り寄ろうとしたその時、診察室から出てきた鬼瓦を顔面
ババァ
にベタリと貼り付けたかのような形相の桑原婦長に出くわす。
おい、まだいたのかこの婦長⋮⋮!
美月を背負い、スリッパも履かずに中に飛び込んで来た俺をみて
鬼瓦は状況を察したようだ。女とは到底思えぬドスの利いた声で﹁
急患かい?﹂と尋ねてくる。
﹁あぁ。インフルエンザかもしれないって保健の教師が言ってた﹂
﹁そりゃマズいね。婆さん達に感染したら大変だ。こっちに連れて
おいで﹂
103
お前も婆さんだろ、と内心でツッコみつつ、後に続く。
小さなベッドが一つだけある隔離スペースに俺らを迅速に誘導す
ると、鬼瓦は次の命令を下した。
﹁さっさとそこのベッドに下ろしな﹂
⋮⋮なんつー言い草だ。本当にこいつは看護師か。
海賊船の鬼船長にこき使われている愚鈍な手下のような心境にな
る。とにかく言われた通りに美月をゆっくりと下ろし、ベッドに横
たわらせた。
マスクをつけ、目を閉じ、意思の無い人形のような状態の美月。
爆弾みたいにうるせぇ、いつもの元気な様子は微塵も感じられな
い。まるで別人のようだ。
フフンフンフン、と気色の悪いフシをつけながら鬼瓦は手馴れた
様子で美月のカーディガンを脱がし始め、俺を相手に愚痴りだした。
おかげで隔離室から出て行きそびれる。
﹁しかし今時の娘は本当に発育がいいねぇ⋮⋮。あんたもそう思わ
ないかい? もし私らの若い頃にこんなでかい胸の娘がいたら目立
って目立ってしょうがなかったろうよ。サラシは必需品だったろう
ね。⋮⋮⋮⋮どぉっこらしょぉぉっと!﹂
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?
鬼瓦の渾身の気合と共に美月のシャツが大きく開けられた。
目に飛び込んできたそれを見て、真っ先に思いついたのは、恭し
い桐の箱に入れられたマスクメロン二玉。推定だがサイズはたぶん
2∼3Lクラスに相当するに違いない。
美月はどうやら着やせするタイプらしく、肉眼で見たその贈答用
の肌色メロンは俺が予想していたよりもさらに大きかった。
⋮⋮⋮⋮どうでもいいがここに救心は置いてあるか?
鬼瓦がいるので何とか必死に平静を装っているが、そろそろMy
104
心臓がデッドライン限界だ。向坂のジジィの前に俺がポックリ逝っ
てどうする。
﹁今先生を呼んで内診してもらうからあんたはもう出ておいき。急
患を運んできた苦労に免じて特別にここまではサービスで見せてや
ったんだからありがたく思うんだね。このままそこでこの娘っ子の
診察を見たいんだろうがそうは問屋が下ろさないよ。ヒヒッ﹂
振り返った鬼瓦が魔女のような笑い声を上げてニタァ、と笑う。
⋮⋮チッ、胸クソ悪ィ! てめぇの胸でもねぇくせに何がサービ
スで見せてやっただ!
﹁だっ誰が見たいか!﹂
﹁ハッ、本当は見たくてたまらんくせにやせ我慢すんじゃないよ。
あたしはちゃーんと分かってるんだ。お前ぐらいの年の男の頭ん中
は、四六時中夢の中でも女の乳のことしか考えてないもんさ。そう
いうもんさね﹂
勝ち誇ったようなその顔に向かって、﹁このくそババァ!﹂と叫
びたいのを何とか飲み込む。このババァ婦長の恐ろしさを子供の時
からよく知っているからだ。
この鬼瓦顔でニヤリと不気味に笑い、
﹁ヒヒヒッ、クソ坊主、覚悟はいいかい⋮⋮?﹂
と、太い注射器片手にペタペタとナースサンダルを鳴らしてにじ
ジェイソン
り寄ってくる当時の姿は、幼い頃テレビで見た、唸るチェーンソー
を手にしたあの殺人鬼と真正面からタメを張るぐらいの強烈なイン
パクトだった。思えばよくトラウマにならなかったもんだ。
ここ
しかし一方の鬼瓦は俺のことを全然覚えていないようだ。そうい
や最近病院の世話になったことなんてねぇしな。
﹁桑原さん、急患はこっちかい?﹂
105
カーテンが揺れ、その隙間から向坂のジジィがふらふらと現れた。
頭髪は真っ白で身長は昔に比べて十センチ以上小さくなっている。
チッ、思ってた以上によぼよぼしてやがる⋮⋮。こんな老いぼれ
に美月を任せて大丈夫か?
﹁この娘っ子ですよ﹂
と鬼瓦に言われ、ジジィはベッドに目をやった。
﹁おぉ!﹂
ジジィがベッドに寝かされた美月を見るなり感嘆の声を上げる。
そして感動なのか老衰なのかは知らねぇが、ふるふると震えなが
ら﹁ごっつぁんです﹂と美月の胸の上で中央、右、左、と続けざま
に手刀を切った。⋮⋮⋮おい! なに考えてんだ、このくそジジィ!
しかしジジィは相変わらず﹁こいつは見事だ。生きててよかった﹂
と手刀を繰り返している。
いっそのこと俺がこの場でジジィを冥土に送ってやろうかと思っ
たが、鬼瓦に急き立てられた。
﹁さぁさぁ部外者はあっちの待合室でおとなしく待っといで。それ
とこれをお履き﹂
ババァのくせにぐいぐいと凄まじい力で背中を押され、鬼瓦の言
う通りに渡されたスリッパを履くと美月を隔離室に残して待合室に
戻ることにする。
⋮⋮まぁとにかくこれで俺の役目は無事に終わったな。
暇になったのですぐ横にあったマガジンラックから週刊誌を取り
出し、長椅子に腰をかけてパラパラと眺め出す。そろそろ怜亜も来
る頃だろう。
二十分後、入り口のガラス扉がキィと開く音がした。怜亜が来た
か。
しかし入ってきたのは怜亜ではなかった。でも見知った顔だった。
106
慌てたようにガラス扉を押して入って来たのは美月の母親だ。久
しぶりに見たな。手に保険証を持っているところを見ると、あの後
怜亜がまた連絡を入れたのだろう。看護師の誘導で隔離室の中へと
消えて行く。
よし、これで美月はもう大丈夫だな。良かったな美月、ゆっくり
休め。
そう思いながら再び雑誌に視線を落とそうとして気付いた。
⋮⋮しかしそれにしても怜亜、遅くねぇか?
学校からここまでは大して遠くない距離だ。事実、俺はすぐに着
いたしな。
美月の家に連絡を入れていたとしてももうとっくに来てもいい頃
だ。第一、美月の母親はもうここに来ている⋮⋮。
﹁!!﹂
一筋の戦慄が背中を走り抜ける。顔から一気に血の気が引いてい
くのが分かった。こんなに焦燥感が湧き起こるのはいつ以来だ!?
雑誌を横に投げ捨てて長椅子から立ち上りダッシュしようとした
瞬間、左膝をマガジンラックにぶつけたせいでそいつは騒々しい音
を立てて派手に倒れる。その拍子に綺麗に陳列されていた様々な種
類の雑誌が我先にと飛び出し、待合室の中に大雪崩のように散って
いく様はかなりの圧巻だった。
一瞬足を止め、どうしようか考えたが、結局すぐに身を翻して玄
関へと走る。
﹁こっこらあっ! このクソ坊主││ッ! ちゃんと元に戻してお
行き││っ!﹂
後ろで鬼瓦が憤激しているダミ声が聞こえたが、構わずに病院を
飛び出した。
107
まさか⋮⋮⋮⋮っ!
予知能力なんてものは一切持ち合わせてはいないが、嫌なことに
悪い予感だけは昔からよく当たる方だ。この感が当たってないよう
に、と必死で祈りながら俺は今来た道を全力で戻り出した。
長い坂を下り切ってもまだ怜亜の姿は見えない。焦りがより一層
増す。更に走る。必死に走る。次の角を右に曲がった。
﹁⋮⋮⋮⋮怜亜ッ!﹂
くそっ、やっぱり悪い予感が当たりやがった!! ﹁おいっ怜亜っ! 大丈夫か!?﹂
人気の無い細い路地。
大量のピンクチラシと賃貸物件情報がベタベタ張られた電柱に身
を寄り掛かからせ、うずくまっている怜亜の姿が目に飛び込んでき
た。
││ 十月間近、秋から冬への季節の変わり目、この底冷えする
外気温と、乾燥した湿度、そして急激な運動⋮⋮! 畜生ッ、俺の
馬鹿野郎! 何故もっと早く気付かなかったんだ!
側に駆け寄り、もう一度怜亜の名を呼ぶ。 ﹁だ、大丈夫よ、柊ちゃん⋮⋮。もう治まったから⋮⋮﹂
俺の顔を見上げて怜亜が無理に微笑む。その弱々しい笑顔に自分
を殴りつけたくなった。 ︱︱ 軽度ではあるが怜亜はたまに喘息の発作を起こす。
108
小学生の時、目の前で発作を起こした怜亜を初めて見たあの時の
衝撃はまだこの脳裏に鮮明に残っている。背中を大きく波打たせ、
首を絞められた狼の遠吠えのようにヒューヒューと喘鳴を続ける、
苦しそうなその発作に遭遇した俺達にしてやれることは何も無かっ
た。
ヒーロー
全長十センチほどの緑色の容器に詰められた気管支拡張剤。悔し
いがあの薬剤だけが、当時の怜亜を呼吸困難から救う唯一の主役だ
った。こいつを噴霧した後、ケロリとした顔で微笑んだ怜亜を見て
子供心にホッとしたことをまだ覚えている。
今、怜亜の手の中にあの用具がないかを俺は無意識に探していた。
しかし見当たらない。今は持ち歩いていないのか?
もう症状はだいぶ落ち着いているようだが、地面に片膝を着き、
小さな背中をさすってやる。昔発作を起こす度に俺達が代わる代わ
るやっていたように。
﹁ちょっと待ってろ﹂
角を曲がる前にあった大きめの自販機に駆け戻る。
良かった、水があった。
本当は白湯があれば一番いいのだが、この状況では白湯をすぐに
手に入れるのは難しい。エビアン水を買うと怜亜の所に戻り、差し
出す。
﹁飲め﹂
﹁ありがと、柊ちゃん⋮⋮﹂
コクン、コクン、と少しずつ水を飲み込む怜亜を見て、やっと俺
も落ち着いてきた。
﹁寒い空気の中を走ったからきっと発作が起きそうになったんだな
⋮⋮﹂
﹁ん⋮⋮そうかもしれない。でもここしばらく発作は起こしてない
109
のよ? 中学の時に一度だけ。その後は無いわ﹂
﹁⋮⋮怜亜ももう今日は家に帰れ。送ってやるから﹂
﹁でも美月と私のバッグ、学校に置いたままだし⋮⋮﹂
﹁後で俺が届けてやるから。ほら﹂
﹁え?﹂
しゃがんで背中を向けた俺に怜亜は目を見開いている。
﹁背負ってやるから早く乗れ﹂
﹁ううん、いい! だ、だってもう治まったから。大丈夫、自分で
歩けるわ﹂
﹁いいから早くしろ﹂
﹁で、でも柊ちゃん⋮⋮﹂
﹁いいから乗れって﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
だがこれだけ再三言っても怜亜の奴は俺の背に乗ろうとはしない。
恐らく俺に迷惑をかけたくないと思っているのだろう。
まったくよ⋮⋮本当に変わってねぇな。遠慮のしすぎだ。こうい
う時何事にも常に一歩引いちまう、控えめなこいつの性格に苛立つ。
でもどうすればいいんだ?
普段はサボりっぱなしの怠惰な脳細胞に渇を入れる。するとその
“
王様の命令
キング
”
だっ!﹂
衝撃で各細胞に積もっていた埃でも吹き飛んだのか、いいアイディ
アを思いついた。
﹁いいから従えっ! これは
通りに俺の怒声が響き渡る。強い口調でそう叫んだ瞬間、怜亜の
表情にハッと驚きの色が浮かんだのを俺は見逃がさなかった。すか
さず畳み掛ける。
﹁まだ覚えてるな!? あの時の命令権を今使う! 拒否は許さん
!﹂
﹁で、でも柊ちゃん⋮⋮﹂
110
﹁うるせぇ! 命令だ! さっさと乗れ!﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
もじもじしながら立ち上がるとようやく怜亜はおずおずと俺の背
中にもたれかかってくる。
﹁立つぞ﹂
ゆっくりと立ち上がった。
つい先ほど美月を背負った時その軽さに驚いたが、怜亜はさらに
軽かった。怜亜から漂う香水か何かのいい匂いが俺の身体を包み込
む。
﹁柊ちゃん、ごめんね。迷惑かけて⋮⋮﹂
背中から済まなそうな声が聞こえてくる。
やっぱりそう考えていたのか。わざと聞こえない振りをする。
﹁⋮⋮懐かしかった。柊ちゃんが今言った王様の命令﹂
もうあれから四年半も経ったのね、と呟く声が聞こえる。
﹁ね、柊ちゃん⋮⋮、私達のクラスの女の子ったらね、柊ちゃんの
こと、ケンカ好きな乱暴者で、ぶっきらぼうで、冷たくて怖い人だ
って言うの。そんなことないのにね。何も知らないのよ。だって柊
ちゃんは優しいもん、いつだって﹂
また俺は聞こえない振りをした。ひたすら黙々と歩く。
﹁柊ちゃんの背中、とってもあったかい⋮⋮﹂
怜亜の片頬が背中に密着したのが分かる。
﹁⋮⋮大好き、柊ちゃん⋮⋮⋮⋮﹂
そう呟いた言葉を最後に、しばらく経つと背中からすぅすぅと微
かな寝息が聞こえ出した。
⋮⋮寝ちまったのか。でもな怜亜、頼むから背後でそんな事を囁
くな。俺はお前が思ってるようないい奴じゃない。
111
歩きながらそっと後ろを振り返り、俺に全幅の信頼を寄せながら
すやすやと心地良さそうに眠っている無邪気な寝顔をしばらく眺め
る。⋮⋮⋮⋮ったく幸せそうな顔して寝やがって。
怜亜を家まで届けた後、学校に戻ってこいつらの鞄を持って、も
う一度家に行くはめになっちまったな。面倒だが自分で言い出した
ことだ、仕方ない。
授業はあと一時間で終わりだし、今日はこのままサボッちまおう。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
マンション
その後再び学校に戻り、美月と怜亜のスクールバッグを同じ建物
内のそれぞれの家に届け、逢魔が時の中を歩いて家路に着く。日が
暮れるのが早くなったな。
︻
訪れる二者択一
︼
という未来。
赤紫のグラデーションに染まった水平線を眺めながらふと思う。
⋮⋮ミミが占った
あの占いがもし当たっているとしたならば、俺の予想ではたぶん
それは今日のこの出来事なのだろう。
高熱でフラフラの美月を病院に送り届けるのを断ったり、発作を
起こしそうになった怜亜を見捨てていれば、俺は数々の悩みから解
き放たれ、自由の身になったのかもしれない。
しかし同時に思う。
112
確かにあいつらに俺は悩まされている。
最近不整脈を打ちっ放しの心臓も正直限界を告げている。
だが、そんな非人道的な真似までしないと得られない自由なので
あれば、それならばいっそのこと、俺は今のこの状況を甘んじて受
け入れてみよう。その方が数百倍、いや数千倍マシだ。
そう思いながら上空を見上げると、紫の空に浮かぶ星々が﹁それ
で正解だ﹂と言いたげに一瞬強く煌めいたような気がした。
113
柊兵くんの過激で追憶な週末 <1>
次の火曜日、美月は学校を休んだ。
怜亜も休んでいる。
エンジェル
﹁柊兵閣下、戦況報告です! 天使ちゃん達は本日発見できません
!﹂
隣のD組を覗きに行く行為が習慣化してきたシンが、あいつらの
出席状況について俺にまくし立てている真っ最中だ。
﹁あ∼あ、それにしても俺はマジで心配ですよ! 美月ちゃんと怜
亜ちゃんのことがさ﹂
また例の芝居がかった大げさな身振りで教室の天井を見上げた後、
シンが媚びたような流し目を俺に向ける。
﹁俺、二人のお見舞いに行きたいなぁ∼。⋮⋮というわけで行って
もいいでしょうか?﹂
﹁⋮⋮なんで一々俺に訊く﹂
﹁柊兵閣下の了解を取らないと後が怖いからです!﹂
﹁勝手に行けばいいだろ﹂
﹁あ∼らら! そうきましたか!﹂
待ってましたとばかりにシンがニヤリと笑う。
エンジェル
ナイト
﹁冗談で言ってみたんだけど相変わらず素直じゃないですねぇ∼!
昨日たった一人で二人の天使を助けた騎士のお言葉とはとても思
えないのですが?﹂
昨日、怜亜に手を引かれて消えた以降の状況を当然のことながら
こいつらが訊いてこないわけがない。朝から代わる代わる繰り返し
しつこく尋ねられ、結局一部始終を白状させられちまっている状態
114
だ。
﹁⋮⋮シン、お前のその減らず口を今すぐ閉じろ。でないとそのう
ざったい長髪を全部引っこ抜いてスキンヘッドにしてやるぞ﹂
﹁ちょ、止めてくれよ! 俺、この髪に命かけてんだぜ! これで
中々大変なんだぞ、この美しい張りとキューティクルを保つのがさ。
これから俺は真実の愛を探さなくちゃいけないっていうのに!﹂
ラジャー
﹁じゃあ黙れ﹂
﹁了解⋮⋮﹂
渋々とシンは口を閉じ、代わりに窓枠によりかかって腕組みをし
ていたヒデがしみじみとした口調で語る。
つ
﹁しかしあの丈夫な美月が風邪を引くとはな⋮⋮。だが一度折れた
骨が再び接がれると強度が増すように、美月も復活したらさらにパ
ワーアップしてるかもしれんな﹂
﹁⋮⋮恐ろしい事を言うんじゃねぇ、ヒデ﹂
しかし、確かにそれはありえそうだった。
昨夜、今の状況を拒まずに受け入れるとは決めたが、あいつらの
特攻が激化するのだけは勘弁してほしい。
││ そして水・木・金と、平穏だが平坦でもある三日間が過ぎ
る。
美月は今週一杯休んだようだ。
結局インフルエンザではなく、少々重い風邪だったようで、普段
滅多に風邪など引かないから今回の高熱が堪えたのだろう。
怜亜は水曜から学校に来た。
そして﹁一人で抜け駆けはできないから﹂、と言って俺の所に一
度礼を言いに来ただけでその後は来なかった。どうやらお互いの間
で色々と俺に関する誓約があるらしい。その事実を知り、また少々
115
ビビッている俺。
事件はその最後の金曜日に起きた。
﹁柊ちゃん!﹂
体育を受けるためにグラウンドへ移動中、D組の前を通ると怜亜
が飛び出して来た。
跳ねるように飛び出してきたので膝上十五センチのスカートがふ
わりと大きく持ち上がる。白く細い生脚がかなりの部分まで見え、
脳裏をあの救心のパッケージが凄まじいスピードでよぎっていった。
﹁あのねっ、美月、ほとんど良くなったみたいだから月曜から学校
に来るって!﹂
﹁そ、そうか。良かったな﹂
動悸を沈めながらそう返答する。
怜亜の顔色もいい。お前も大丈夫そうだな。
リフレッシュルーム
だが内心で一安心した次の瞬間、また新たな恐怖に襲われる羽目
になる。
﹁あ、それとね柊ちゃん、来週からお昼は皆で一緒に休憩室で食べ
ようって、楠瀬さんから昨日誘われたの!﹂
﹁なっ、何いッ!?﹂
愕然とする。
⋮⋮あの野郎、また裏で糸を引いてやがるのか⋮⋮っ!
覚悟を決めたとはいえ、結局また荒れ狂う海の中に飛び込まざる
を得なくなりそうな展開に慄く俺に、怜亜が極上の笑顔で笑いかけ
てくる。
﹁だから柊ちゃん、月曜からよろしくねっ﹂
軽く握った右手を口元に添え、輝かんばかりの笑顔だ。そのあま
りの眩しさについ目を逸らしちまった。
116
⋮⋮いや、それよりもこいつらが元気になって良かった。今は素
直にそう思っておこう。
というか、そっちに意識を集中させないと平静を保てない。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
週末は結構ヒマしていることが多い。
一年前まではヒデとお互いの家を行き来して下らない話をしたり
していたのだが、ヒデに女が出来て以来、ヒデの週末はその女の為
に存在するようなものになっちまった。
ヒデがダメならシン達とつるめばいいのだろうが、シンはいつで
もどこでもすぐにナンパに行こうとしやがるし、尚人は尚人で綺麗
な年上女探しの旅に出かけることを好む。付き合ってられねぇ。
将矢はというと、あいつの家は蕎麦屋を営んでいて、一人息子の
将矢は跡継ぎとして親から過大な期待をかけられている。だから将
矢の週末は蕎麦打ち修行でほとんど潰されていた。 今日は土曜日で外は晴れ渡っている。
こうして部屋で一人篭っていることが、とてつもなく不健全な事
のような気がしてきた。
⋮⋮駅前でもぶらぶらすっか。そう考えて出かける支度をしてい
た時、下で話し声が聞こえてきた。
﹁あらいらっしゃい! お待ちしてましたわ! お久しぶりですわ
ね∼! わざわざお出で下さって申し訳ありませんわね。お元気で
した?﹂
117
かなり仰々しい、よそ行きの大声が下から聞こえてくる。
普段俺ら家族に話す時とは全然違う、母親のまともな口調とその
声色。誰か知り合いが来たらしいな。
﹁柊兵∼! ちょっと来なさ∼い!﹂
なんで俺を呼ぶんだ? 親戚でも来ていてとりあえず挨拶だけは
しておけってことか? しゃあねぇな⋮⋮。渋々部屋を出て一階に
降りる。すると玄関で千切れんばかりにぶんぶんと手を振る長い髪
の女が視界に入った。
﹁柊兵∼っ!! この間はありがとうね∼っ!!﹂
⋮⋮げっ! 美月ッ!?
な、なんでお前が俺の家に来ているんだ!?
﹁柊兵くん、美月を病院にまで連れて行ってくれたんですってね。
本当にありがとう。ちょっと見ない内にあなたも大きくなったわね﹂
美月の母親が俺に話しかけてきたのでとりあえず生返事をする。
﹁風間さん、せっかくですからどうぞ上がっていって下さいな。久
しぶりですし、積もる話もありますから﹂
﹁えぇありがとうございます。では少しだけ⋮⋮﹂
やっぱり上がるのか⋮⋮。で、でも俺には関係ねぇ。今出掛ける
所だったしな。
ここはさっさと退散するに限る。とりあえずは一時自分の部屋へ
退避だ。
﹁ねぇ柊兵! アルバム見せてよ! 中学の時の!﹂
上着を取りに二階の自室へ戻ろうとした俺の背に向かって美月が
118
どデカい声で叫ぶ。
﹁あらそうね、見せて上げなさいよ柊兵。じゃあ美月ちゃんは柊兵
の部屋でアルバムを見るといいわ﹂
││ げげっ!! 何だって!? ﹁お、俺、悪ィけど今から出掛ける所だから⋮⋮﹂
そう断ると、母親が俺をギロリと睨む。
﹁柊兵っ! あんたはせっかく美月ちゃんが久しぶりに遊びに来て
くれたってのに何冷たいこと言ってんの! いいからそっちの用事
は後回しにしなさい!﹂
﹁いぇーい!! やりぃ!﹂
目の前で美月が元気にガッツポーズをする。
﹁柊兵の部屋に入るのって久しぶりだぁ∼っ!﹂
と騒ぎながらさっさと二階に上っていく美月の後ろを、ゴルゴダ
の丘に向けて重い十字架を背負うキリストのような足取りでついて
行く。
“
神のみぞ知る
”
って
⋮⋮そういや、今日は土曜だから﹃モーニング・スクランブル﹄
は無かったもんな。
ということは、本日の俺の運命は
やつか⋮⋮。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
119
﹁わぁ∼っ!! ねぇねぇ柊兵っ! これって学校祭の写真でしょ
ーっ!?﹂
うるせぇ⋮⋮。 通常時の三倍増しのそのハイテンション。俺の
中学時代のアルバムを見ている美月のはしゃぎっぷりにはほとほと
参っていた。
と昨日ヒデが言っていた事
復活したらさらに
美月の大声が左の鼓膜から右の鼓膜へと一直線に突き抜けていく
”
中、しかめっ面で﹁あぁ﹂と一度だけ頷く。“
パワーアップしてるかもしれんな
が冗談ではなくなっていることを、俺はすぐ横でリアルに体感する
はめになっていた。
﹁あーっ!! この柊兵の黒装束写真、かっこいいーっ!! ねっ、
この写真貰っちゃってもいい!?﹂
﹁あ? 印刷してあるものを剥がせるわけ⋮⋮﹂
﹁切り取ればいいじゃんっ!﹂
美月の右手にはいつの間にか鋏が握られていた。間髪を容れずに
ジョキッ、と小気味良い音が鳴る。
﹁かっ、勝手に切るな!﹂
アルバムの裁断を始めようとしていた鋏を奪い取ると、美月がふ
くれっ面で抗議してくる。
﹁いいじゃん一枚くらいー! もうっ柊兵のケチーッ!!﹂
拒否をされた美月の両頬が膨らむ。お前は水揚げされたトラフグ
か。
しかし傍若無人なこのフグは意外と素直に毒気を抜いて元の顔に
戻った。
﹁まっ、いいや! この間シンにあのラブラブ写真焼き増ししても
らったしー!﹂
120
⋮⋮それを聞いて一気に気が重くなる。
モルモット
美月が言っている写真とは、先週の昼に俺があの中庭で生贄にさ
れた時のものだろう。将矢が撮ったあの羞恥写真をシンが焼き増し
してこいつらにやったに違いない。
﹁よーし! じゃあ次は小学校の時のアルバムに行ってみよー!﹂
⋮⋮ちなみにもうこの場の主導権はとっくにこいつに握られてい
る。
本棚の一番下に無造作に押し込めてあった白樺小の卒業アルバム
を美月が勝手に取り出すのを、俺は為す術無く見ていることしか出
来なかった。
俺らが映っているページを覚えているのか、美月は最初の数ペー
ジをまとめて掴み、一気に飛ばす。
﹁懐かしい∼っ! ホラ見てよ、柊兵! 皆まだちっちゃーい! 柊兵もあたしも怜亜もヒデも! ⋮⋮でもさっきの中学のアルバム
を見て思ったけどさ、柊兵の写真ってどの写真見ても不機嫌そうな
顔してるよねー。たまには笑えばいいのに!﹂
美月が指をさした場所に小学校時代の俺らが映っている。美月と
怜亜が前に、俺とヒデがその後ろに立っている構図だ。昔から写真
を撮られるのが嫌いな俺は確かに仏頂面をしていた。
その写真をまじまじと見ていた美月がふと呟く。
﹁うーん、こうしてみると、あたし結構感じが変わったような気が
するなぁ⋮⋮﹂
その呟きに、ついアルバムを見ていた視線が反射的に上がっちま
った。
カーペットの上にきちんと正座をし、アルバムに目を落としてい
る美月の横顔。
長い睫が何度も瞬きを繰り返している様子が視界に入ってくる。
121
││ そうだな、確かに変わった。
昔は男と変わらないくらいにまで短かった髪も今は背中を覆い隠
すくらいになっているし、身長も伸びている。身体の凹凸も立派な
もんだ。
だが四年半の歳月で変わったのは見た目だけだ。コイツ自身はた
ぶん変わっていない。何も。なんとなくだがそんな気がした。
﹁怜亜と柊兵はあまり変わってないよね。でもさ、一番変わってな
いのは断然ヒデだよ! そう思わない?﹂
そう尋ねられた俺はふとある事を思い出す。
﹁おい美月、ヒデの中学の時の仇名、知ってるか?﹂
﹁知らなーい! なになにー?﹂
インパクトを与えるためにわざと一拍置いてから答えた。
﹁⋮⋮若年寄だ﹂
﹁あはははっ! なにそれ∼っ!!﹂
前のめりになって美月が笑い転げ始めた。ほぼ予想通りの反応だ。
仇名の由来は年齢不相応なその落ち着きと少々老け気味の顔から
きていたらしい。
﹁ヒデ、ショックだったんじゃない!?﹂
﹁いや、全然だ﹂
当時その仇名を知った俺がその事をヒデにあっさり教えてやると、
当人は至って平静に﹁上手いこと言うな﹂と呟いただけだった。昔
から、からかい甲斐の無い奴だ。
﹁おっかしー! 月曜日にヒデに会ったらあたし笑っちゃいそうだ
よ!﹂
爆笑の余韻を残しながら次のページを美月がめくる。そしてまた
デカい声で叫んだ。
﹁出ました│っ!! 六年の時の運動会で最後のクライマックス!
﹃六年男子リレー﹄だぁ! この時さ、柊兵はリレー選手に選ば
122
れたんだよね、しかもアンカーで! アンカーは二周走れるから、
結局柊兵は三人抜いて一着でゴールして! あれは興奮したよ!﹂
﹁⋮⋮お前よくそこまで詳細に覚えてるな﹂
﹁へへ∼、そりゃあもうっ! 柊兵に関することなら何でも覚えて
るよっ!﹂
美月は大きく笑い、またそのデカい胸を張る。
今は服でしっかりとコーティングされているが、向坂のジジィの
病院で見た二つの特大マスクメロンを思い出しちまったので慌てて
目を逸らす。
﹁お、お前だってその前の女子リレーでアンカーだったじゃん﹂
﹁うん! ちなみにあたし、何人抜いたか覚えてる?﹂
赤のたすきを右肩にかけ、必死にトラックを疾走していたこいつ
の姿を思い出した。
﹁⋮⋮一人だったか?﹂
﹁ちが∼う! 二人だよ! ゴール直前のギリギリのところでまた
一人抜いたの! もうっなんで覚えてくれてないのよ∼! 最後あ
んなにスリリングなレースだったのに!﹂
顔を紅潮させ、美月が文句をつけてくる。
﹁じゃあね、じゃあね! 前半のプログラムのハードル競争、あた
しは何位だったでしょー?﹂
﹁んなもん覚えてるかよ﹂
﹁二位だってば! 三つ目のハードルでうっかり足ひっかけちゃっ
たんだよね。この時は怜亜と一緒の組で走ったんだけど怜亜はビリ
だったよ﹂
﹁あいつは体育が苦手だからな﹂
﹁では続いて次の質問です! この午後一番のプログラムの﹃六年
女子のリトミックダンス﹄、あたしは何に扮して踊っていたでしょ
うー?﹂
123
﹁知らん﹂
﹁冷たぁ∼い! ちゃんと覚えててよー! あたしはイチゴだよ!
イ・チ・ゴッ!! ﹂
﹁そんな昔の下らねぇことまで一々覚えてねぇっつーの﹂
⋮⋮質問続きで疲れてきたので母親が持ってきた紅茶をごくりと
飲む。
しかしさっきから感じていたが、こいつとは会話がスムーズに進
むな。幼馴染とはいえ、女とこれだけ普通に話したのはいつ以来だ
ろうと考える。⋮⋮⋮⋮まったく記憶に残ってねぇ。
﹁あ! これ、柊兵達の﹃六年男子の棒倒し﹄! これもすごく熱
い戦いだったよねっ!﹂
一方の美月のハイテンションはまだまだ続行中のようだ。
﹁あぁこっちにはヒデがいたからな。あいつに棒持ちを任しておけ
ば安心して敵地に攻め込めた﹂
﹁当時のヒデの腕力に叶う男子なんていなかったもんね! 柊兵は
すばしっこいから、敵地に攻め込んで上に駆け上って棒を倒す役に
うってつけだったし! 怜亜と二人できゃーきゃー応援してたの覚
えてる! ホント懐かしいよね∼!﹂
そう言いながら次のページをめくった美月の手が止まった。そし
てそれまでマシンガンのように喋っていた口を閉じ、黙り込む。そ
の開かれているページを見て、なぜ美月のテンションが急激に下が
ったのかを俺は悟った。
﹁⋮⋮あたし、今までの人生の中でこの修学旅行ほど楽しくない旅
行は無かったよ﹂
124
柊兵くんの過激で追憶な週末 <2>
ポツリと呟いた美月に俺も思わず頷きそうになる。
今開かれているページは修学旅行のシーンを集めたページだ。修
学旅行は小学校の六年間で最大級の行事のため、紙面は六ページも
割かれている。しかしそのスナップ写真の中に怜亜の姿は一枚も無
い。この修学旅行の直前に運悪く怜亜は発作を起こしてしまい、急
遽旅行の参加を取りやめざるを得なくなってしまったのだ。
﹁あんなに行きたがってたのに、あの時はきっと怜亜もショックだ
ったろうね⋮⋮﹂
││ そうだ。その通りだ。
当時、怜亜が相当な衝撃を受けたのは本当だ。そしてその事実を
知っているのはたぶん俺だけだ。
⋮⋮しかしもうあの時から五年近くも経つからと言って、今更当
時の怜亜の気持ちをここで美月に話す気は無かった。だから沈黙を
決め込む。
ふぅ、と美月の血色のいい唇から小さな吐息が漏れた。気持ちを
切り替えたのか、急に美月は視線を上げて真剣な顔で俺を見つめる。
﹁そういえば柊兵。あたし柊兵に聞きたいことがあったんだよね﹂
﹁なんだ?﹂
﹁あのね、あたしが今週休んでいる間、怜亜、柊兵の所に来た⋮⋮
?﹂
最後の問いかけの時に美月の視線が揺れたような気がしたが、す
125
ぐにまた真っ直ぐな視線が俺に向けられる。ただの気のせいだった
のかもしれない。
﹁あぁ一度だけ来た。一人だけ抜け駆け出来ないとかなんとか言っ
てな﹂
それを聞いた美月はプッと噴き出した。
﹁もう怜亜ったらそんな事言ってたの∼!? ホント真面目っ子な
んだから! せっかく一人だけのチャンス到来なんだからどんどん
柊兵の所に行けば良かったのにさ!﹂
││ なに? お互いの間で何か決め事をしているわけでもない
のか?
﹁もしあたしが怜亜の立場だったらさ、休み時間にバンバン柊兵の
クラスに突撃してたよ! でもきっと怜亜はあたしに悪いと思って
遠慮したんだね。ホントそういう所っていかにも怜亜らしいよ﹂
カップに手を伸ばし、美月も紅茶を飲み込む。
﹁あ、そういえばもう一つ聞きたいことがあったんだ。柊兵、火曜
日って怜亜に何かあった?﹂
﹁⋮⋮火曜日?﹂
火曜は怜亜も学校を休んだ日だ。
﹁うん、あたし、火曜からずっと休んだでしょ? で、怜亜が昨日
の夜にノートを貸しに来てくれたんだけど、火曜の分だけ取り忘れ
た、っていうか半分うたた寝しちゃってろくにノートが取れなかっ
たっていうのよ。でもあの怜亜が授業中に寝るなんてちょっと考え
られなくってさ﹂
一瞬だが返す言葉を失くす。
⋮⋮そうか、怜亜の奴、美月を病院に連れて行く最中に発作を起
こしかけて、次の日に休んだ事を話してないのか⋮⋮。
126
たぶん美月に自分のせいで、と思わせないための怜亜の気遣いな
のだろう。まったく、どこまでもあいつらしい。その気遣いに敬意
を表して、ここは怜亜の為に俺も話を合わせてやることにする。
﹁あぁ、そういや、火曜に俺の所に来た時、あいつ、欠伸ばっかり
してたぜ?﹂
﹁へぇ∼⋮⋮、じゃあやっぱりうたた寝したっぽいね。でもあの怜
亜がねぇ⋮⋮﹂
アルバム
怪訝そうな顔をしながらも俺の嘘のせいで美月は一応納得したよ
うだ。
コクコクと紅茶を飲みながら次の獲物を物色し始めている。
﹁あれ? これは何?﹂
たった今、白樺小のアルバムを抜いた空間の奥にあった一冊の薄
い雑誌に美月が気付き、それを手に取った。
││ うわぁぁああぁぁっっ!! 美月ッ、それに触るなぁ︱︱
ッ!!
﹁わ⋮⋮すっごーい⋮⋮! 柊兵ってこういう女の人が好みなの!
?﹂
美月が手にしている本。
それは俺が去年買った某女性モデルの水着写真集だった。
﹁見るな!﹂と言いたかったが動揺がデカすぎて咄嗟にその言葉が
出てこない。
とにかく無言で奪い返す。
﹁すっごく胸が大きい人だね、その人! ちなみに何カップ?﹂
﹁し、知らんっ!﹂
﹁知らないわけないじゃんっ! そんなのまで買ってるんだからさ
!﹂
﹁知らねぇったら知らねぇっ!﹂
﹁ふーん、どこまでもシラを切るか⋮⋮﹂
127
さてどうしてくれようと言わんばかりの態度で美月が俺に視線を
走らせる。そして何かをハッと思いついたような顔になった。
﹁そうだ柊兵! 実は私も結構胸大きいんだよ! 知ってた?﹂
⋮⋮あぁそれはとっくに知っている。あの向坂のところの鬼瓦バ
バァのせいでな。
﹁ちょっと見て見て!﹂
美月が脱ぎ捨てたGジャンが華麗に宙を舞う。思わず口から﹁う
ぉっ!?﹂と声が出そうになった。
﹁ほらほらっ! 今の女の人には敵わないかもしれないけど、これ
だけあるよっ! どう?﹂
││ バッ、バカか、こいつ!?
美月の奴、鳩尾の部分にぐいと手を入れて、ゴム鞠ツインズを突
き出すように持ち上げて見せてきやがった!
こいつが着ているインナーはピッタリとフィットしているTシャ
ツだったので盛り上がった胸の形がこれ以上無いくらいにまでくっ
きりと露になっている。その形状を見て瞬く間に顔面が熱くなって
きた。こっこれで鼻血でも出たら洒落になんねぇぞ!? ﹁お、お前には羞恥心というもんが無いのかっ!﹂
﹁ん? いや、もちろんあるけどさー、あたしも胸はそこそこある
んだよ! ⋮⋮ってとこを、ここでアピールしておこうかなーと思
っちゃったりなんかしちゃったんだよねっ﹂
﹁すっ、するなっ! そんなもん!﹂
﹁ねぇ柊兵、その女の人って何カップなのー? 知りたーい! あ
っそうだ! その本の中にスリーサイズが載っているんじゃない?﹂
﹁のっ、載ってねぇよ!﹂
128
必死に写真集を背後に隠す。予想以上にかなりヤバい展開になっ
てきた。
原田柊兵、久々の大ピンチだ。
﹁いいからちょっともう一度見せてよ!﹂
﹁ダッ、ダメだ!﹂
﹁後一回! 後一回でいいからっ!﹂
﹁ダメだっつーの!﹂
﹁みぃーせぇーてぇー!﹂
美月が立膝で俺の側に移動してくる。
危険を感じ、座ったまま後ずさる。
寄ってくる。
後ずさる。
寄ってくる。
その度に大きく揺れるゴム鞠Mark?。
目がそこだけに行きそうになるのを何とか堪えながらとにかく必
死に後ずさる。
するととうとう美月が強行手段に出てきた。
﹁いいからとっとと貸しなさっ⋮⋮あやぁっ!?﹂
﹁おわっ!?﹂
強引に俺から写真集を奪い取ろうとした美月が立膝のバランスを
崩して俺の正面にぶつかって来た。
右手を後ろに回していたので支えきれずに俺もその勢いであお向
けにひっくり返る。
⋮⋮いってぇ、もろ後頭部を打っちまった⋮⋮。
﹁あたた∼っ、ごめんっ、柊兵!﹂
カーペットの上に両手をつき、俺の上に覆いかぶさるような形に
129
なった美月が謝る。
その声に目を開けるとチカチカする視界の中央でまたしても二つ
の物体Xがゆらん、ゆらん、と振り子時計のように大きく揺れてい
た。
なんとも妖しいその動き。このまま無言で見続ければ、決して解
けることのない催眠術にでもかかっちまいそうだ。
﹁大丈夫だった、柊兵?﹂
心配そうな顔で美月が俺の顔を覗き込んでいる。
﹁あ、あぁ﹂
⋮⋮どうでもいいがこのシーン、久しぶりだな。約半月前にこれ
とまったく同じシーンを俺は銀杏高校の芝生の上で体験している。
﹁エヘヘッ、なんか、この間のあの時みたいだよね!﹂
どうやら美月も俺と同じ事を思っちまったようだ。急激に嫌な予
感がしてくる。
俺の上であの時と全く同じ輝くような笑顔を見せ、美月が普段と
は違う声で囁いた。
﹁⋮⋮ね、もう一回してもいい⋮⋮?﹂
││ きっ、来やがったッ!!
来ると思ったッ!! 焦る。とにかく焦る。
美月が顔を寄せてきた。肩から落ちてきた美月の長い黒髪が俺の
首筋にふわりとかかる。
﹁いいでしょ?﹂
おっ、落ち着け俺! 確かにあの時のシーンを再現しているよう
ではあるが、シン達に嵌められた時とは大きく違う点が一つある!
130
俺の手足は自由だ! ということは、この美月の行動を阻止する
ことは容易に可能だということだ!
﹁柊兵⋮⋮﹂
うわわっ! 美月の奴、目を閉じやがったっ! 勝手に世界に入
ってんじゃねぇよ!
まっ待て待て! とりあえず、退け!! ここはひとまず退いて
くれっつーのッ!! パニくる思考の中で不意にあの女││、ミミ・
影浦の顔が浮かぶ。
ホロスコープ
おっ、おいミミ! こっ、この場合の二者択一は、どっちを選択
すれば一番最善の道になるんだッ!?
なぜか最近は急に当たらなくなっちまった﹁愛の十二宮図﹂だが、
今日だけはあのおたふくとおかめの不細工カップルがのたまう運勢
を知りたい。
しかし時は待っちゃくれない。ほんのりと紅に染まった唇はため
らうことなく俺に目掛けて急降下してくる。ヤバい! このままだ
と後二、三秒後には⋮⋮! ││ その時だ。
﹁美月ちゃーん!﹂
と声がし、続けて階下から二階に向かって上ってくる足音が響い
てくる。
その後の俺らの行動は早かった。
たちまち俺達の身体は磁石のS極同士に電磁化し、瞬時に分離、
即座に起き上がる。
数秒後にノック音がし、間髪いれずに俺の母親が入ってきた。
131
﹁美月ちゃん、お母さんが用事があるのでもうお帰りになるんです
って﹂
﹁あっはい、分かりました!﹂
そう返事をした美月は立ち上がると部屋の隅に落ちていたGジャ
ンを手に取り、素早く羽織る。そしてにこやかな顔で俺に手を振っ
た。
﹁じゃ、またね柊兵! アルバム見せてくれてありがとっ!﹂
美月はそのままさっさと一階に下りて行ってしまい、間抜けな俺
は一人部屋に取り残された。
││ しかし女という生き物はつくづく恐ろしい。
ついさっきまであんなモーションをかけてきやがったくせに、俺
の母親が来た途端、シラッとした顔で何事も無かったかのようなあ
の美月の顔⋮⋮。
⋮⋮結局俺はこの後、外出をしなかった。
ゼロ
最近あいつらの特攻が無かったせいでようやく回復してきていた
精神力のチャージメーターが、またしても一気に<RED>になっ
ちまったからだ。畜生⋮⋮。
132
柊兵くんの過激で追憶な週末 <3>
一夜が明け、昨日美月から受けたダメージも回復の兆しを見せて
きた。
外も晴れているし、今日こそは駅前でもぶらつこう。そう決めた。
昼飯を食い終わった後、再び支度をする。
今日は何を着ていくか考えていると、また来客が来ている気配が
した。昨日といい、珍しく今週は訪問者が多い。
カーキ色のベロアシャツを身につけ、携帯電話と財布を手にする。
そして出かけようと部屋の扉を開けた途端にゴン、という鈍い音が
響いた。
﹁いったぁ∼い⋮⋮﹂
驚いた。
見知らぬ女が廊下で頭を押さえていたのだ。
丸い眼鏡をかけ、萌黄色のワンピースに白のカーディガンを羽織
デジャ・ヴュ
ったミディアムヘアの小柄な女。見覚えは無かった。
だが妙な既視感を感じるのは何故だろう?
俺が開けた扉に頭をぶつけた衝撃で眼鏡がずれてしまっているこ
の女の顔を凝視してみた。
﹁あ、あの、こんにちは。お久しぶりです⋮⋮﹂
丁寧にペコンとお辞儀をされたが、駄目だ。相変わらず思いだせ
133
ない。
もりぐち かほ
⋮⋮でもなぜこんなにもこいつに懐かしさを感じるんだ?
﹁お前、誰だ?﹂
﹁あ、あの、私、森口果歩です。覚えてないですか⋮⋮?﹂
﹁お前、果歩かっ!?﹂
名前を言われてようやく思い出した。
果歩は怜亜の四つ下の妹だ。⋮⋮とすると今は十二歳か。大きく
なったな。
そういや、よく見てみると小学生の時の怜亜によく似ている。眼
鏡をかけてはいるが、体つきの細い所や、大きな黒目がちの瞳なん
かそっくりだった。
その果歩が眼鏡の奥の瞳をうるうると潤ませながら俺に向かって
両手を組む。その表情はこれ以上ないくらいの真剣さに満ちていた。
﹁あ、あの⋮⋮、じ、実は、柊ちゃんにお願いがあって来たんです
っ﹂
││ おいおい、四つも下の果歩に﹁柊ちゃん﹂なんて呼ばれち
まったぞ⋮⋮。
そういえば昔から怜亜が俺の事を﹁柊ちゃん﹂と呼ぶから、小さ
い果歩も真似してそう呼んでいたっけなぁ。
﹁お願い?﹂
オウム返しに答えると果歩がコクリと首を縦に振る。そして眼鏡
をそっと元の位置に押し上げながらもじもじと体を動かし始めた。
⋮⋮しかし動きまでも姉にそっくりなんだな、お前⋮⋮。しゃあ
ない、とりあえず中に入れるか。
﹁今出かける所だったんだけど、まぁいいや。入れよ﹂
134
﹁は、はいっ。失礼します﹂
果歩は遠慮がちに部屋に入って来たが、途中で急に足取りを速め
て吸い寄せられるように本棚の前に行っちまった。
﹁わぁ∼、本がいっぱいある!﹂
熱心に上段から順に本の背表紙を見始めた果歩を俺は後ろから黙
って見ていた。
小さな頭が忙しく何度も左右を行き交う。どうやら本が好きらし
いな。
﹁柊ちゃんの読むジャンルって随分多岐に渡ってるんですね!﹂
﹁そうか?﹂
﹁はい! もうちょっと見てもいいですか?﹂
﹁あ、あぁ﹂
⋮⋮そう返事はしたが、もし万一、本棚の一番下にあるアルバム
に果歩が手をかけたら話は別になる。あの奥には昨日美月に見つか
った例の写真集が潜んでいるからな。小学生の果歩には見せられね
ぇ。
だからもし果歩がその禁断の場所に手を伸ばそうとした場合、後
ろから羽交い絞めにして場合によってはそのまま床に組み伏せ、そ
れを断固阻止しなければならん。
俺がそんな危険なラフファイトの決意を固めているとはいざ知ら
ず、果歩は目を輝かせながら本棚に収めてある本のタイトルを読み
上げだした。
﹁えっと、﹃戦う身体の作り方﹄に﹃筋力アップ・トレーニング法﹄
、﹃灼熱の烈風ファイター﹄⋮⋮、そうか、この段は全部格闘技系
のご本なんですね。じゃあこっちの段は⋮⋮﹂
小さい頭が隣の棚に移動する。
﹁﹃ブルースギターコード・おいしいフレーズ特集﹄、﹃ザ・ロッ
ク・ラプソディ﹄⋮⋮、あ、分かりました! ここは音楽関係のご
135
本の段ですね? そして次の段が⋮⋮⋮エッ?﹂
驚いた果歩の声が一オクターブ上がる。
﹁﹃意外と知らないはず、葬儀のマナーってものを﹄、﹃やり直せ
ないから後悔しない遺言書を作ろうよ﹄、﹃住宅ローンをゼロに!
借り換えないのはバカで負け組﹄? ⋮⋮柊ちゃんってこういう
世界にも興味があるんですか?﹂
﹁そ、それはだな⋮⋮﹂
言い訳をしようと思ったが、その小柄な体をさらに小さくかがめ
て果歩が本棚の中段を深々と覗き込む。
﹁それにこの、﹃もう一つのアジアの夜・魅惑のムーディナイト﹄
ってなんだか面白いタイトルですね﹂
││ あ?
﹃もう一つのアジアの夜・魅惑のムーディナイト﹄?
それ、読んだ覚えがねぇな⋮⋮。
俺がそう考えている間に果歩はその本を手に取ってしまった。そ
して中を見て絶句している。
取り出されたそのカバーを見て、その本がどういう本なのかを思
い出した。
﹁そ、それは、俺の本じゃないぞ! 親父のだ! ついでに葬儀関
係の本の辺りも全部そうだからな!?﹂
すると果歩は強張った顔をわずかに俺の方に向けて聞き返してき
た。
﹁で、でも、この本がこうやってここにあるってことは、柊ちゃん
もこれに興味があったからおじさんの所から持ってきたってことで
すよね?﹂
くっ⋮⋮果歩の奴、痛いところを突いてきやがる⋮⋮。
果歩が今開いている本は、あっちの国の、まぁ、その、なんだ、
136
男が遊びに行く夜のスポットを分かりやすく紹介してある本だ。女
の顔写真とか、店の場所とか、明快な料金体系とかな。
勤続二十五年祝いだか何だかで、会社が旅費を持ち、親父は去年
アジアに三泊四日で旅行をしてきた。その旅行準備期間中に親父が
タイトル
大量に買い込んできた旅行書の中の一冊がこれだ。
艶っぽい題名と、中に綺麗な女がたくさん載っていたので目の保
養になるかと親父の本棚から持ち出してはきたが、結局ろくに中を
見ずにそのままそこに置きっぱなしにしていた本だ。
﹁ほとんど見てねぇよ、そんな本!﹂
﹁で、でもあちこちにいっぱい折り目がついてますけど⋮⋮﹂
﹁それは俺じゃなくて親父だ!!﹂
││ おい、親父、随分その本を熟読したらしいな⋮⋮。
﹁この中の女の人達、みんな綺麗な人ばっかりですよね。そっか、
おじさんはこういうタイプの女性の方がお好きなのですか⋮⋮﹂
中のページに目を戻し、果歩が呟く。
エロ本と違い、夜のスポットをただ紹介してあるだけなのでたぶ
ん際どい写真は一つも載っていないはずだ。中に書かれてあるサー
ビス内容や料金体系の意味は果歩にはまだ分からないだろう。それ
でも小学六年の果歩には充分妖しげで刺激的な本に見えているんだ
ろうな。もし果歩に昨日美月に見つかったあの写真集を見せたら卒
倒するかもしれん。
﹁い、いいからその本、早くしまえ﹂
愛と幸せに満ちた惑星の上で
﹄⋮⋮これって星
﹁は、はい。あれっ、こっちの段にあるこの厚い本も変わってる⋮
⋮。えっと、﹃
占いの本ですよね?﹂
││ ヤバいっ! それはあのチビ女に強引に押し付けられた本
だ!
137
捨てちまおうかと思ったが面倒で結局その本棚に突っ込んでおい
たんだった!
﹁柊ちゃんって星占いにも興味があるんですか⋮⋮?﹂
俺を見る果歩の視線が明らかに変わっている。
ど、どうする!?
し、仕方がない、ここは我が身を守るためにスケープゴート作戦
でいくしかねぇっ!
﹁そっ、それも俺の本じゃねぇっ! お、親父のだ!﹂
﹁えぇーっ!? これもおじさんの本なんですかっ!?﹂
﹁そ、そうだ! 親父の本棚が一杯だからそこに突っ込んでるだけ
だ!﹂
呆然とした顔で果歩がミミの本に目を落とす。
﹁柊ちゃんのおじさんがこんな本まで⋮⋮⋮⋮!﹂
済まん、親父⋮⋮!
俺は贖罪の羊となっちまった親父に内心で手を合わす。
たぶん果歩の持つ親父のイメージは今日で大きく変わっちまった
はずだ。
必死に住宅ローンの返済を終えた後、後腐れ無く黄泉へ旅立つ為
に遺言書を作成する責任感のある男かと思いきや、夜が更ければ妖
しげなスポットで艶めかしい女達を侍らせる煩悩の固まりと化し、
しかしなぜかその一方では輝く星々に己の運命を重ね合わせる可憐
な乙女心も有しているという、意味不明の変態親父のイメージがつ
いちまったに違いない。
もうこれ以上は心臓に悪い。それに果歩に見られたくない本もま
だ数冊ある。よって即刻、果歩の行為を止めさせることにした。果
歩の手からミミの本を取り上げて乱暴に棚に戻し、要件を再度尋ね
る。
138
﹁果歩。そんなことよりさっき言っていたお願いってなんだよ?﹂
すると急に果歩の顔がタコのように真っ赤になった。そしてすが
るような目で俺を見る。
﹁あ、あのですね、今の私には柊ちゃんしか頼れる男性の方がいな
いんです! 柊ちゃんを頼れる男性と見込んで是非にお願いしたい
んです!﹂
﹁だから何をだよ?﹂
﹁あ、あの、ふ、服を買いに行くのに付き合って欲しいんです⋮⋮
!﹂
﹁服? お前の服をか?﹂
﹁違います! だ、男性のです。ブランド名は⋮⋮﹂
果歩が口にしたそのメンズブランドは俺も知っていた。
二十代半ば以降がターゲットのブランドで、メンズ雑誌にもよく
取り上げられている。
﹁で、その服を買ってどうすんだよ?﹂
すると果歩の顔がますますタコ化し、さすがに俺も気付いた。
そうか、果歩の奴、それを好きな男にやろうとしてるんだな。
﹁⋮⋮誰かにやるつもりか﹂
﹁は、はい﹂
﹁相手は誰だよ﹂
﹁た、担任の五十嵐先生ですっ﹂
担任か⋮⋮。
その相手が変なオヤジだったりするのなら協力はできねぇと思っ
たが、一体幾つ離れてるんだ? かなり無謀だと思うんだがな⋮⋮。
﹁そいつ、独身か?﹂
﹁も、もちろんですっ! 当たり前じゃないですか!﹂
139
何を言い出すのかと言わんばかりの勢いで果歩が俺に噛み付く。
しかしこれから協力を仰ごうとしている相手だということを思い
出したのか、慌てて口をつぐんだ。
﹁ダ、ダメですか、柊ちゃん?﹂
俺が黙り込んだので果歩がおずおずと確認してくる。
﹁いや別にヒマだから付き合っても構わないけどよ﹂
﹁本当ですか!?﹂
果歩の声が弾む。
﹁あぁ良かった⋮⋮。一人でお店に行く勇気も無いし、かといって
他に頼れる男の人もいないし、困ってたんです! 柊ちゃんは先週
発作を起こしかけたお姉ちゃんを家にまで運んでくれたんですよね
? お姉ちゃんにその事を後から聞いて、すぐ側に頼れる人がいた
って気付いたんです!﹂
俺が買い物に付き合うのをOKしたせいで果歩は急に饒舌になっ
た。よっぽど悲壮な決意で俺の所に来たんだな。
﹁そうだ! 柊ちゃん、あの晩にお姉ちゃんが言ってましたよ! 柊ちゃんにはいつも色々助けてもらったり、優しくしてもらったり
しているの、だから私は柊ちゃんが大好きで、柊ちゃんしか見えて
ないのよ、って! ⋮⋮⋮⋮あれっ、どうかしました?﹂
俺が顔を背けたので果歩がそう尋ねてくる。
﹁⋮⋮なんでもねぇ﹂
妙に照れくさい。
今の果歩を見ているとなんだか小学生時代の怜亜に告白されてい
るような気分になっちまった。
﹁じゃあさっさと行くぞ﹂
﹁はいっ!﹂
果歩の行きたい店も駅前にあるらしいからちょうどいい。こいつ
の買い物に付き合った後、そのままそこで別れよう。そう考えなが
140
ら俺は果歩を連れて一階へと降りた。
141
柊兵くんの過激で追憶な週末 <4>
﹁今日はポカポカしていい天気ですねっ﹂
願いを聞き入れてもらえてよっぽど嬉しいのだろう、果歩は勝手
に俺の腕に自分の腕を絡め、ニコニコと歩いている。だがさすがに
小学生と腕を組んでも微塵も硬直はしないので好きにさせておいた。
おそらく傍から見れば仲の良い兄妹あたりに見えているに違いない。
﹁あのですね柊兵ちゃん﹂
﹁あ?﹂
﹁今こうして私と柊ちゃんが腕を組んで歩いていることをもしお姉
ちゃんが知ったら、どんな顔をするのかすっごく興味あります! 柊ちゃんはお姉ちゃんがどんな反応をすると思いますか?﹂
⋮⋮知るか。
だが俺の知っている昔のままの怜亜なら、あいつはニッコリ笑っ
て何も言わないような気がした。
怜亜は嫌なことがあっても決してそれを表面に出さない。そして
必ず自分が一歩身を引いちまう。慎み深いといえば聞こえはいいが、
小学生の頃、俺はあいつのそういう所にイラつくことがあった。
相手を思いやるということも確かに大事なことだとは思う。だが
その結果が自分の気持ちを押し殺してばかりいることになるのなら、
それは間違いだ。
﹁⋮⋮なぁ果歩﹂
﹁はい?﹂
﹁怜亜は中学の時、発作を起こしたことがあるのか?﹂
﹁エッ?﹂
142
予想もしていなかった質問だったのだろう、眼鏡の奥の瞳が大き
く見開かれる。
﹁は、はい、中一の時に一度だけありますけど⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮それ以降は無いのか?﹂
﹁はい、ありません。それにその時も薬を使ったらすぐに治まりま
したから﹂
﹁ならいいんだけどよ﹂
﹁柊ちゃん、そんなに心配しないで下さい。お姉ちゃんの喘息は小
さい頃に比べるとすごく良くなってきているんです﹂
良かった、怜亜が俺に言った事は本当だったんだな。
美月に嘘をついたように、あの時俺にも嘘をついたんじゃないか
と下衆な勘繰りをしたが、どうやら杞憂のようだ。俺にも嘘をつい
ていたのなら正直かなりショックだったので安心する。
﹁そうだ! 今日帰ったら柊ちゃんがお姉ちゃんのことを心配して
たって話しちゃおうっと! きっとお姉ちゃんとても喜びますよ!﹂
﹁いっ、言うな!﹂
﹁なんでですか?﹂
﹁わざわざそんな事言うんじゃねぇ!﹂
﹁本当のことだもん、いいじゃないですか。それとも今の質問はお
姉ちゃんのことを心配しているからしたものじゃないんですか?﹂
ぐっと言葉に詰まる。
こいつ、親父の本の件といい、さっきからなかなか鋭い突っ込み
をしてきやがる。怜亜とそっくりなのは見かけだけと考えた方が良
さそうだ。ここは強引にでも話題を転換させる必要があるな。 ﹁と、ところで果歩。お前が買おうとしている服は少々値が張ると
思うぜ? 小学生がそんな高価なものを男に上げようなんて俺はあ
まり感心しないがな﹂
俺のこの意見に果歩の表情がわずかに曇った。
143
﹁でも先生よくそのブランドの服を着ているんです。せっかくプレ
ゼントをするなら喜ぶ物をあげたいじゃないですか﹂
﹁⋮⋮何を買うつもりなんだ?﹂
ってヤツか。
“
恋わ
﹁ウールのモックニットにしようかな、って思ってます。これから
もっと寒くなるから⋮⋮﹂
”
果歩がどこか遠くを見ているような目で呟く。これが
ずらい
﹁そ、それでですね柊ちゃん、実は今日が先生の誕生日なんです﹂
﹁なにっ!? 今日だと!?﹂
俺の驚きように果歩はうつむく。
﹁今までなかなか買いに行く勇気が出なくて⋮⋮。だから今プレゼ
ントを買ったらすぐに先生の家に渡しに行こうと思ってるんですけ
ど⋮⋮﹂
恐る恐る、といった様子で果歩が俺を見上げる。その目を見ただ
けで果歩が次に何を言いたいのかが分かっちまった。
﹁おい、まさかそれを渡しに行くのにまで付き合えっていうんじゃ
ないだろうな?﹂
﹁ダメですか⋮⋮?﹂
﹁告るなら一人で行けよ﹂
﹁で、でもプレゼント買っても渡せなかったら意味が無いですよね
? だから柊ちゃんが一緒についてきてくれたら、勇気が出るって
いうか、もう絶対後に引けなくなるっていうか⋮⋮﹂
やれやれ、果歩のこの頼みまでもOKしたら今日一日はたぶんこ
れで潰れちまうのは間違いない。どうするか⋮⋮。
﹁私はお姉ちゃんじゃないから、いくらお願いしたってダメですよ
ね⋮⋮﹂
果歩は両肩を落とし、しょんぼりとうな垂れた。そのあまりにも
ストレートな落胆の様子に、柄にもなく憐憫の情が湧く。
﹁そういう可愛げのない物の言い方をするな。行くよ、行きゃあい
いんだろ﹂
144
﹁本当ですかっ柊ちゃん!?﹂
﹁あぁ﹂
﹁わぁっ! ありがとうございますっ!﹂
果歩が無邪気に抱きついてくる。
﹁柊ちゃんっ! 私っ、お姉ちゃんが柊ちゃんのことを大好きなの
が分かるような気がしてきましたっ!﹂
││ 調子いいなお前⋮⋮。
﹁じゃあとっとと買っちまうぞ。時間が無い﹂
﹁はいっ!﹂
その後、俺達は果歩の行きたがっていた店に行き、予定していた
モックニットを無事に購入した。ニットのカラーは相当悩んだ末に
落ち着いたプラムの色を果歩は選択する。
ところが目的の品を手に入れ、さらに浮かれるかと思ったら、段
々果歩の表情が固くなってきていることに気付いた。
﹁緊張してきてるのか?﹂
俺の言葉に果歩は神妙な顔で頷く。
﹁わっ私、男の人に告白するの初めてですし、しかも先生とはだい
ぶ年齢も離れているから、私なんて相手にもしてもらえないかもし
れないと思うと⋮⋮﹂
俺の腕に掴まっていた手が少し震えている。
こういう時、なんて言ってやれば果歩の緊張を解きほぐしてやれ
るんだろうな。女に告白した経験なんて無いからよく分かんねぇ。
当たって砕けろ、っていうのも無責任っぽいし、成るように成るだ
ろ、っていうのも興味が全然無い感じが表れているようだしな。な
んて言おうか⋮⋮。
﹁余計な事を考えずに、真面目にお前の気持ちを伝えればそれでい
いんじゃねぇの?﹂
145
うわ、なんだか恋愛マニュアル本のテンプレみたいな言葉が出ち
まった⋮⋮。
つくづく自分のセンスの無さを痛感する。しかしまだ十二歳にな
ったばかりの果歩にはこんな言葉でも充分だったようだ。
﹁そ、そうですよね、私、頑張りますっ!﹂
そうそう、後は恋愛の神様が何とかしてくれるだろ。
││ ただ憂鬱なことが一つだけある。
俺の直感ではまぁ間違いなく果歩は失恋するだろう。十四も年下
の、しかも小学生の教え子と付き合おうとする教師なんているとは
思えない。だから果歩が失恋したら、その後のフォローも引き続き
俺がやるってことだよな⋮⋮。チッ、厄介事のレベルがどんどん上
がっていきやがる。これから向かう五十嵐って奴がどこかに出かけ
ていてくれれば助かるんだが⋮⋮。
五十嵐とやらのアパートは駅前から三駅先の近くにあった。
店で服を選ぶのに意外と手間取ったので時刻はもうすぐ午後四時
になろうとしている。陽光はもう西日へと変わり始めていた。
﹁あのアパートの二階の左端なんです﹂
果歩が扉の一つを指差す。
今年の正月にクラスの仲間達と年始の挨拶がてら遊びに行ったこ
とがあるらしいので、すでに場所は知っていたようだ。
146
﹁じゃあ俺はここで待ってるから行って来い﹂
﹁えっ! 一緒に来てくれないんですか?﹂
﹁当たり前だろ。横に保護者を立てて告る奴がどこにいるんだよ﹂
﹁そ、それもそうですよね⋮⋮﹂
果歩はモックニットが入っている包みを胸の前に抱えて深呼吸を
する。
﹁じゃ、じゃあ行ってきます!﹂
﹁おう、頑張れ﹂
⋮⋮だが恋愛の神様って奴は結構残酷な奴だったんだな。この時
舌打ちしたいほどにそう思った。
まだ十二歳の幼い女が一生懸命小遣いを溜めて買ったプレゼント
を、初めて好きになった男に渡すチャンスすらも与えてやらないの
かよ。
果歩がアパートの真下に行くと目指していた扉が急に開いた。
中から二十代後半の若い男と、セミロングの髪の女がもたれかか
るように腕を組み、談笑しながら一緒に出てくる。女はかなりの美
人だ。
たぶんこの男が五十嵐という教師だろう。そいつは扉の外に出る
とすぐに果歩に気付いた。
﹁あれ? 森口じゃないか? こんな所で何してんだ?﹂
どう見たってこの二人の関係はただの関係じゃないのは果歩にも
よく分かったようだ。
果歩が胸の前で抱えていた包み紙がくしゃりと押し潰される音が
小さく聞こえる。
五十嵐は軽い身のこなしでアパートの階段を降りてくると果歩の
前に来た。
147
﹁どうした? 一人で来たのか?﹂
果歩は返事をしなかった。
⋮⋮ここまでだな。俺はもたれかかっていた電柱から身を起こす
と果歩の後ろに近寄り、その肩に手を置く。
﹁行こう、果歩﹂
果歩は頷いた。無言で。
﹁君は?﹂
まだ状況が飲み込めていない様子で五十嵐が問いかけてくる。
﹁こいつの兄だ﹂
それだけを告げると俺は果歩を引き寄せ、背を向けて歩き出した。
五十嵐は追って来なかった。きっといまだに意味が分からずに戸
惑っているのだろう。
﹁⋮⋮﹂
横で果歩が小さく震えている。
せめて告白してから振られれば、辛い気持ちは同じでも思い残す
ことも無くなったのだろうが、今のはあまりにもタイミングが悪す
ぎた。
駅に戻る途中で小さな公園の横を通りかかる。
このまま家に帰す前に少し落ち着かせた方がいいだろう。そう思
った俺は公園の中に果歩を連れて入り、ベンチに座らせた。
﹁飲み物買ってきてやる。何がいいんだ?﹂
果歩は下を向いたまま返事をしない。そうだよな、今は何が飲み
たいかなんて考えられる気分じゃねぇよな⋮⋮。
待ってろ、と言い、果歩のベンチに残すと自販機を探す。少し離
れた場所でちょうどオートセンサーが作動し、ライトが点いたばか
りの自販機を見つけた。﹃HOT﹄の欄から緑茶を買う。
転がり出てきた缶はかなり熱かった。時々手から放り投げながら
148
ベンチに戻ってきた俺は、果歩の五メートル手前で足を止める。
泣いていた。
149
柊兵くんの過激で追憶な週末 <5>
夕闇せまるベンチの後方に細く長く伸びる果歩の影。
小さく揺れている。
微かにだがしゃくりあげる声も聞こえる。
眼鏡を外し、手で顔を覆い、ひっく、ひっく、と両方の瞳から大
粒の涙を零し、だがそれでも懸命に泣くのを堪えようと努力してい
るその姿が痛々しくて、それ以上側に近づけなかった。
眼鏡を外したせいでますます怜亜そっくりに見える。
⋮⋮いや、もう今の俺には目の前ですすり泣くこの小さな女が怜
亜本人にしか見えない。
それぐらい今のこの光景はあの時の光景とよく似ていた。
悔恨の情にかられ、苦い記憶が脳裏に甦る。
⋮⋮あれは小学六年の修学旅行直前に怜亜が発作を起こした次の
日の出来事だった。
出発を明日に控え、怜亜は昼過ぎに学校に出てきた。
﹁美月、柊ちゃん、ヒデちゃん﹂
怜亜は笑っていた。笑いながら言った。
﹁あのね、お医者さんが今回は大事をとって修学旅行に行かないほ
うがいいっていうの。だから私は修学旅行に行けなくなっちゃった。
だから明日からみんなで旅行を楽しんできてね﹂
150
﹁う、うそでしょ、怜亜?﹂
一緒に行けると思っていた親友が急に行けなくなり、それを信じ
たくない美月の顔が大きな驚きの後に歪む。今にも泣きだしそうな
美月に怜亜は優しく言った。
﹁私の分まで楽しんできて美月。そして帰ってきたらいっぱい修学
旅行の話をして。私も行った気持ちになれるように。⋮⋮ね?﹂
美月は泣くのを堪えて何度も頷く。
俺とヒデも旅行先で面白いネタがあったら怜亜に一番に教えよう
と誓い合う。
││ その日、怜亜は﹁図書室に用があるから﹂と言い、俺達に
先に帰るよう促した。
﹁皆が旅行に行っている最中、退屈になると思うから本をたくさん
借りようと思って﹂
俺達も付き合うと言ったが、怜亜に頑なに拒まれた。
﹁皆は旅行の最終準備があるでしょ? 早く帰って準備して。じゃ
あ気をつけて行ってきてねっ﹂
そう最後に言い残し、怜亜は扉の向こうに一人消えていった。
残された俺達は図書室の前で立ち尽くす。
全員が怜亜の胸中を察していた。だからこそ怜亜をこの場に残し
て帰りたくなかった。
﹁⋮⋮帰るぞ﹂
だがそう最初に言い出したのは俺だった。
歩き出してすぐにヒデの足音が続く。だが美月がついてくる気配
が感じられない。
振り返ると美月はまだ図書室の前で立ち尽くしていた。
151
﹁美月!﹂
俺の声はガランとした廊下を向う端まで突き抜け、そのルート上
にあった美月の体を貫く。美月の体がビクンと震えた。
﹁行くぞ!﹂
﹁う、うん﹂
俺の催促で石化が解けたのかようやく美月もその場から離れた。
美月は途中で何度も何度も後ろを振り返っていたが、俺もヒデも敢
えて何も言わなかった。 その後、校門を出た俺らに会話は一切無かった。
ただ黙々と歩き、それぞれの家路への分岐点に近づくと﹁じゃあ
な﹂﹁じゃあね﹂とだけ声をかけあって別れた。誰も﹁明日な﹂と
は言わなかった。
しかし美月やヒデと別れた後、俺はすぐに踵を返した。走って学
校に戻り、真っ直ぐに図書室に向かう。
人気のほとんど無くなっていた廊下には古びた幽霊屋敷のような
空気が漂っていた。そのせいなのか、知らず知らずのうちに足音を
殺し、気配を消して廊下を進む。
図書室に着いた俺はゆっくりと扉を開けて中を覗いた。
中には怜亜以外誰もいなかった。
⋮⋮⋮⋮泣いていた。俺の予想通り怜亜は泣いていた。
思えばこの頃から悪い予感はよく当たっていたんだ。
窓際の机に突っ伏している怜亜の小さな背中が、窓から差し込む
燃え上がるような紅い夕陽で朱に染まっている。
かすかな泣き声に引き寄せられるように足音を立てずに室内に入
り、すすり泣いている怜亜の前に立った。
152
俺の背が夕陽を遮り、自分の周囲が急に暗くなったことに気付い
た怜亜が涙で濡れた顔を上げる。目の前に俺がいたので怜亜の顔が
驚愕の表情に変わった。
柊ちゃん、とその唇から小さく涙声が漏れる。
でも俺は。
ただ怜亜の顔を見つめるだけでなんの言葉もかけてやれなかった。
慰めの言葉も、
労わりの言葉も、
何も、何一つも思いつかなかった。
それならせめて元気を出せ、というメッセージ代わりに頭を撫で
てやるぐらいのことをしてやりたかったが、それも気恥ずかしくて
出来なかった。
ただ黙って見つめるだけの俺としばらく目を合わせていた怜亜が
急にまた机に突っ伏する。そして今度は大声で泣き出した。
その胸が張り裂けるような大きな泣き声はあまりにも切なくて、
痛々しくて、堪えきれない辛さが伝わってきて、聞いていると逃げ
出したくなるようないたたまれない泣き声だった。だがそうさせて
しまったのは俺だ。
⋮⋮結局、あの時の俺の行動はただ悪戯に怜亜を更に悲しい気持
ちにさせただけだった。より深い絶望の淵に落としてしまっただけ
だった。
それが今でも俺の中でこんなにも尾を引いている。
現在目の前で声を殺して泣いている果歩の姿を怜亜に勝手にオー
バーラップしている俺は、その思いを苦々しく噛み締めていた。
153
果歩はまだ泣き続けている。
ゆっくりと側に近づき、缶をベンチの端に置くと隣に座る。
顔を手で覆っていたが、気配で俺が戻ってきたことに気付いた果
歩の体がピクン、と反応した。
もう泣くな怜亜⋮⋮いや、果歩。お前らが泣いているのを見ると、
マジで辛い。
手を伸ばし、果歩の小さな頭を優しく撫でてみる。
⋮⋮だがこれは果歩の為じゃない。
当時の俺が怜亜にしたかったことを、今の俺が果歩を代役にして
勝手にやっているだけなんだ。自分が楽になりたい、ただそれだけ
の為に。
﹁柊ちゃん⋮⋮﹂
いきなり頭を撫でられたので果歩が両手を外し、驚いた目で俺を
見る。
⋮⋮悪ィ、子供をあやすみたいなこんな撫で方じゃ、お前の自尊
心を傷つけちまったかもしれねぇな。
﹁ふぇぇ⋮⋮っん⋮⋮﹂
果歩の目にまた大粒の涙が浮かんでくる。
よし分かった。
好きなだけ泣け、果歩。
気が済むまで泣いていい。泣き終わるまでずっと側にいてやるか
ら。
今日一日が完全に潰れてしまったが、俺はもうそんなことはどう
でもよくなっていた。
154
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
軽く三十分は泣いていたな。
﹁ご迷惑かけてすみませんでした⋮⋮﹂
ようやく涙が枯れた果歩が俺に丁寧に頭を下げた。可哀想に、完
全に鼻声になっちまってる。
﹁気を落とすな。世の中いい男は一杯いる。お前は可愛いから大丈
夫だ﹂
と口下手な俺なりに精一杯慰めてみる。怜亜の時もこんな風に何
か言葉をかけてやりたかった、と強く思いながら。
俺に可愛いと言われ、眼鏡をかけようとしていた果歩の頬がみる
みるうちに赤くなる。
﹁あ、ありがとうございます⋮⋮。しゅ、柊ちゃんってそういうお
世辞が言えるんですね、ちょっと意外でした⋮⋮﹂
お世辞だと? いや果歩それは違う、と否定しようとしたが、
﹁あ、あの、柊ちゃんっ!﹂
果歩はベンチの上で俺に大きく身体を向けると勢い込んで捲くし
立ててきた。
﹁あのっ、すっごく、すっごく失礼なことだとは思うんですけど、
これを貰ってくれませんか!?﹂
顔の前に本来は別の男に渡されるはずだった包みが差し出された。
155
返品すればいいだろ、という言葉が喉元まで出掛かったが、果歩
の気持ちを考えるとそれは言い出せなかった。
﹁お店に返すのも、お店の人に迷惑かけちゃうからしたくないし、
でもこのまま捨てちゃうのも服が可哀想だから⋮⋮﹂
果歩の声のトーンがまた沈む。
だがそれを振り切るように果歩は俺に再度強く懇願する。
﹁だからお願いです! これ、柊ちゃんが貰って下さい!﹂
果歩が思い切り抱えこんだせいで、たくさんの折り皺がついてし
まった青色の包み紙をしばらく眺める。果歩の受けたショックがこ
の折り皺の一つ一つに分散されている。
﹁お願いです!﹂
果歩の必死な声が俺を突き動かした。
﹁⋮⋮本当に俺が貰っちまっていいのか?﹂
﹁はい! 服も喜びます!﹂
﹁分かった。じゃあ今着る﹂
﹁エッ!? 今着るんですか!?﹂
﹁あぁ。開けてくれ﹂
ここで完全に気持ちの踏ん切りをつけさせるために敢えて俺はそ
う言った。
俺が包みを開けるのではなく、果歩に開けさせようとしているの
もそのせいだ。
包みを裏返し、果歩は少しの間だけそれを見つめていた。やがて
店名入りのテープを小さな爪で剥がし出す。
そうだ、それでいい。そして今日限りで忘れちまえ。
中からプラム色のモックニットが出てくる。ベロアシャツを脱ぎ、
代わりにモックニットを着ると、上半身はカーキからプラムの色に
156
変わった。
﹁あ、柊ちゃんってこの色もよく似合いますね!﹂
﹁そうか?﹂
果歩にはそう言ったが、実は俺も内心この色は悪くない、と思っ
た。プラムなんて今まで選ぶ色ではなかったが着てみるとまた違う
もんだな。
外はかなり暗くなってきている。
携帯電話を取り出し、ディスプレイに目をやると時刻は午後五時
半になろうとしていた。
﹁もうこんな時間か⋮⋮。果歩、お前今日俺の所に行くって誰かに
言ってきたか?﹂
果歩が首を横に振る。
﹁じゃあ心配しているとまずいから連絡入れろ。これから帰るから
って。ほら﹂
携帯を手渡す。果歩は﹁すみません、お借りします﹂と言うと、
おとなしく電話をかけ始めた。
﹁もしもし⋮⋮あ、お姉ちゃん? うん。私。⋮⋮⋮⋮ごめんなさ
い⋮⋮。うん、うん⋮⋮ごめんなさい⋮⋮﹂
怜亜が心配していたのだろう。怒られているようだ。あのおとな
しい怜亜がどうやって果歩を叱っているのか興味が湧いた。
﹁うん⋮⋮。え? あ、あの、その、え、駅前。⋮⋮うぅん、一人
じゃない。えっとその⋮⋮今は公園にいて⋮⋮﹂
果歩は言いにくそうに言葉を濁している。あの五十嵐という教師
との今回の一件は言いたくないのだろう。﹁貸せ﹂と言い、俺は果
歩から携帯を取り上げた。
﹁怜亜か?﹂
﹁え⋮⋮? 柊ちゃん?﹂
携帯の向こう側から驚いた声が聞こえてくる。
﹁あぁそうだ﹂
157
﹁どうして柊ちゃんが果歩と一緒にいるの?﹂
﹁今日俺が駅前でぶらぶらしていたら果歩とばったり会ってな、ヒ
マだったからそのままあちこち連れ回しちまったんだ。こんな時間
まで連絡入れなくて悪かった。俺が全部悪い。叱るなら俺を叱れ。
それでこれから家までちゃんと果歩を送るから心配すんな﹂
﹁そうだったの⋮⋮。ごめんね柊ちゃん、果歩が迷惑かけちゃった
んじゃない?﹂
﹁いや、全然だ﹂
すると不意に怜亜がくすくすと笑い出す声が聞こえてくる。
﹁柊ちゃん、果歩とどこでデートをしたの?﹂
﹁⋮⋮まぁ色々だ﹂
﹁今度は美月と私も連れて行ってね!﹂
おいそんな気軽に言うな。返事に詰まっちまう。
﹁と、とにかくこれから果歩を送っていくからな﹂
﹁うん。ありがとう柊ちゃん。じゃあ待ってるね﹂
﹁あぁ。じゃあな﹂
携帯を切ると果歩が唖然とした顔で俺を見ている。
﹁ど、どうしてですか柊ちゃん⋮⋮? 柊ちゃんは何も悪くないの
に﹃俺が悪い﹄って⋮⋮﹂
﹁あぁいいんだ。そういう事にしとけ。怒られるのは一人でいいだ
ろ﹂
﹁で、でも怒られるなら私です﹂
﹁いや、いい。果歩からこれも貰ったしな﹂
と言いつつ今着ている服に俺が一瞬目を落とした瞬間、
﹁柊ちゃんっ!﹂
と再び瞳を潤ませて果歩が俺の首っ玉にかじりついてくる。
158
﹁柊ちゃん! 私っ、お姉ちゃんが柊ちゃんを大好きなの、今日一
日で本当に、本っ当によく分かりましたっ!!﹂
薄暗い公園に涙の乾いた果歩のでっかい声が響く。
姉さんに似てお前も結構切り替えが早いんだな。でも今はそれで
いい。
﹁よし、帰るぞ﹂
ベンチから立ち上がり、暮れ始めた歩き出す。
何気なく紅い夕空を見上げると、ついこの間の時と同じように白
い光を強く滲ませて浮かぶ一番星を見つけた。
││ もし、今日﹃モーニング・スクランブル﹄が放映されてい
て、
あのおたふく&おかめコンビが今日の運勢を発表していた
としたら︱︱。
ふとそんな事を考えた。
もしそうならTVから流れるBGMはたぶん運命ではなかったは
ずだ。
そんなほぼ確信に近い予感が俺の胸の中をよぎっていった。
159
“
相互親睦
”
しましょう! <1>
⋮⋮月曜の朝はかったるい。
ただでさえ気が滅入る曜日なのに、加えて曇天ときている。
しかし今週で九月も終わりか。早いもんだな。
もうだたもつ
机に頬杖をつき、欠伸をかみ殺しながら何とはなしに校庭を眺め
ていると、俺らC組の担任、毛田保の甲高い声が俺の許可無く勝手
に鼓膜に侵入してきやがった。
﹁ウフッ、さぁさぁ皆さぁ∼ん! 特に男子の皆さんお待ちかねの
あの行事が今年もいよいよやってきましたわねぇぇ∼ん! ﹂
何度見ても気色悪ィ⋮⋮。
まだ朝のHRが始まったばかりだというのにもううっすらと青髭
が伸びてきているその顔に加え、教壇の横で腰を左右にくねらせる
毛田の奇怪な動きに、精神不快指数は一気にMAXに達した。
だがなぜかこの毛田の発言の後、男共の勇壮な雄叫びが次々に上
フレンドシップ・フェスティバル
”
のプリント
がり、教室内に急激に活気が満ち始める。その様子を満足げな締ま
“
りのねぇ顔で見回し、再び毛田が口を開いた。
﹁今から
互
フレンドシッ
親
を配りますのでぇー、じぃぃ∼っくりと、見てちょうだぁぁぁ∼∼
い!﹂
││ あぁ、なるほどな⋮⋮。
祭典﹄が。
フェスティバル
今年もきたのか、銀杏高の十月の最大イベント、﹃相
プ・
睦
160
影では
“
百花の宴
”
やら
“
狂乱祭
”
などとも呼
ばれているこの祭典は、︻銀杏高校友好実行委員会?︼が主催する
イベントだ。
この祭りは、﹁教師と生徒、その心の垣根を飛び越え、お互いの
距離を縮めあいましょう﹂という、まぁ言ってみれば一種の無礼講
を目指して始まった、触れ合いを高めることが目的の、一日だけの
祭典だ。この高校は設立されてまだ歴史が浅いせいなのか、何事に
も前衛的でこういう訳の分からない行事が普通に存在していたりす
る。
ちなみにこの祭典の基本理念は、<教師と生徒が楽しく過ごせる
空間>、それを生徒側が作り出すことにあるらしい。
前例があまり無い分、少々ぶっ飛んだ企画が飛び出してくる年も
過去にあったらしいが、しかしここしばらくは教師と生徒が共に投
メイン
票する、﹃校内一美人コンテスト﹄という、巷でよくありがちな企
画を馬鹿の一つ覚えのように毎年開催していたので、
﹁目新しさが無さ過ぎる﹂
﹁今年はもっと斬新な企画を!﹂
と今年の友好実行委員会は生徒達に懇願されていた。
イケメン
そしてその熱い声を聞き入れた委員会が、今年の祭典の主要企画
を恒例の﹃美人コンテンスト﹄から、﹃美男を探せ!﹄という企画
に変更する、と発表したのは二ヶ月前のことだ。
││ が、しかし。
その案が発表された途端、わずか数日でその案は怒りに目を血走
らせた男子生徒達の暴威のクレーム攻撃であっけなく却下されるこ
161
とになる。この高校は男が六強、女が四を切る男女比率なので、男
の発言力の方が圧倒的に強いのだ。
﹁壇上にずらりと野郎を並べてどうすんだ! このタコ!﹂
﹁この企画を立てたのは女か? こんなくだらねぇ企画を立てるヒ
マがあったらとりあえず水着だ! 水着ショーをやれ!﹂
﹁││ いいからとにかく脱げ。
話はすべてそれからだ﹂
⋮⋮等、委員会が玄関中央に設置した目安箱には匿名をいいこと
に、数々の飢えた野獣共の魂の雄たけびがその箱から滝のように溢
れ出たとも伝え聞く。
一転して立案を白紙に戻されてしまった男四名、女二名の実行委
員達は再び意見調整を始めたがなかなか纏まらなかったようだ。
││ そしてここから目まぐるしく事態は展開する。
カルマ
その後、委員会の意見は男女に分かれて二極化したらしい。
それぞれに譲れない業を背負った両陣営。会議は時を追う毎に紛
糾、やがて両者はお互いを嘲笑うようになる。
おまえら
膠着状態に耐えかねた男サイドがついに、
﹁俺達は女生徒達の美しさを心から賛美したいだけだ!﹂
と心情を吐露するも、
﹁ハッ、結局あんたらはあたし達のカラダをその腐った目で舐め回
したいだけでしょ!﹂
と冷たくその嗜好性を罵倒。
162
結果、共に逆上した両陣営は席を蹴り上げ、激しく角を突き合わ
し、混迷の度合いを大きく増しながら、ついには修復不可能なほど
の決定的な軋轢が生じるまでの内紛に発展していったらしい。
││ 結果、ここで起きたまさに血で血を洗うような抗争は、敢
闘空しく数の論理で女側が負けた。
はしだてさかえ
先月の全校集会で銀杏高校一、冷静沈着な男と言われる友好実行
委員長の橋立栄、奴が壇上で拳を固く握り締めて涙ながらに語った
その姿はまだ記憶に新しい。
ジハード
﹁皆さん! この闘いは男と女、それぞれの感性をお互いが殉教覚
悟で必死に貫き通そうとした、︻聖戦︼でした!!﹂
その直後に体育館内に男共の野太い声で橋立の名のシュプレヒコ
ールが沸き起こったあの日の情景は、後に銀杏高校の武勇伝の一つ
として長く語り継がれていくことになるだろう。
││ その後、敗者となった女の委員二名は﹁やってられないわ﹂
と委員会を自主的に去った。
残った四名の精鋭達は己らのリビドーを上手く企画にまで昇華す
ることに成功、そして教師達がそのチェックを行う最後の難関、≪
審査会≫を昨日無事に突破したというわけだ。
﹁ほい柊平くん。どぞ!﹂
前の席のシンから回された祭典内容のプリントに視線を落とす。
163
睦
祭 典 ︼
フェスティバル
│││││││││││││││││││││││││││││
親
│││││││││││││││││
互
フレンドシップ・
︻ 第十二回 銀杏高校 相
祭典概要
・ 来たる十月十五日に行われる、今年の相互親睦祭典は本
校体育館で行う。
“
仮装給仕嬢
コスプレウェイトレス
”
・ 各学年、各クラスは最低二名、最高四名までの女子生徒
を
要員として九月二十九日までにすみやかに選出すること。
・ 飲食スペースとして開放された体育館内で先生方や我々
生徒が楽しく歓談に
興じられるよう、選ばれた仮装給仕嬢の皆様には飲み物
等を運ぶ重要な役割を
任命する。
・ 相互親睦祭典中に一人一票の人気投票を行い、見事一位
を獲得した仮装給仕嬢には
盾と賞金一万円を進呈。
164
・ 尚、仮装のジャンルは一切制限無し。
各クラス、各仮装給仕嬢の裁量に委ねることとする。
││ 以上
││
第十二回 銀杏高校相互親睦祭典
友好実行委員会?代表 橋立 栄
│││││││││││││││││││││││││││││
││││││││││││││││
﹁うおおぉぉぉぉぉぉぉ︱︱︱︱っっ! オレの時代が来たぁぁぁ
︱︱ッッ!﹂
ブリーチヘッドをきらめかせて机の上に立ち上がり、拳を作って
絶叫しているのは将矢だ。
間髪入れずにクラスの男共の大多数が皆こぞって将矢に習い、絶
叫、絶賛、感涙し、この先、その身で体験出来るであろうその至幸
に手を取り合い、多くの者が抱き合って酔いしれている。
そんな男共の歓喜の様子に触発され、
165
﹁あぁんっ! 皆さんがそんなにやる気を出してくれて先生も、先
生も嬉しぃぃぃぃぃぃっっ!﹂
と両腕を自分の体に巻きつけ、教壇の上で一人悶えているのは毛
田。⋮⋮はっきり言って異様な光景だ。
﹁じゃあ張り切って次に行きますよぅ∼! 早速だけどぉ、これか
らどの女子がこのクラスの代表になるのか、投票を始めますぅ∼!
さぁこれから配る用紙に我がクラスの麗しき代表を二名以上選ん
でこの箱に投票して下さいねぇぇぇ∼っ!﹂
毛田がこう告げた瞬間、
﹁おおおおおぉぉぉぉぉっしゃぁぁぁぁぁぁ︱︱っ!!﹂
教壇に生徒が怒涛の勢いで群がった。
⋮⋮ただし、群がっているのは男だけだ。女はほぼ全員、露骨に
嫌そうな表情を浮かべてドン引きしている。
﹁ちょっ、ちょっと! 男子の皆さん! 用紙は今からちゃんと配
るから席に座っていてちょうだいっ!﹂
慌てた毛田が必死に男共を牽制するが、すでに野獣と化している
野郎共に人語を理解することなどすでに不可能だ。千手観音の如く、
投票用紙の束に群がる無数の手、手、手。
﹁テッメェーッ! 何人たりとも俺様の前に割り込むんじゃねぇっ
!!﹂
﹁うるせぇっ! 今年こそオレの野望を成就させるんだぁぁぁぁぁ
ーッ!﹂
﹁いいから用紙ををををっ、オレにその用紙をををををををををを
︱︱ッ!﹂
166
││ 教壇前は阿鼻叫喚、すでに下克上状態だ。
椅子から立ち上がり歩きかけたシンが、俺の方に半身をひねる。
﹁お? 柊兵くんは投票しないのかい?﹂
馬鹿らしくて参加する気など起きないので完全無視を決め込む。
俺がそっぽを向いたのでシンは小さく笑い、﹁そっか﹂と呟くと
あっさりと教壇の方角へ去っていった。
投票後すぐに開票されたようだが、ずっと外を眺めていたので代
表に誰が選ばれたのかもよく分からなかった。興味もねぇし、どう
でもいい。
⋮⋮そういや、こういう類のことにはいつもなら将矢と一緒に真
っ先に盛り上がるシンも淡々と投票していたな。珍しいこともある
もんだ。
167
“
相互親睦
”
しましょう! <2>
私立銀杏高校のリフレッシュルーム。
この場所は学園的にかなり力を入れているらしく、学園紹介のパ
ンフの中でも不相応なくらいのスペースが取られている。
ここのご自慢は、深緑が生み出すマイナスイオンと化学的には同
じものを発生させるというオゾン発生器が設置してあることだ。爽
やかな空気を充分に堪能できるということなら、怜亜には最適の場
所だな。
床や壁、椅子やテーブルは白を基調としたインテリアで、洒落た
カフェにいるようだという意見が多い。だがあまりの白色のオンパ
レードに、一部ではまるで隔離病棟みたいだという意見もあると聞
く。
仕上げは室内に流れているクラシックだ。なんでも情操教育の一
環らしい。
こことは別の場所にある食堂はがやがやと常にうるさく、券売機
や受け渡し口は食い物を求めて群がる昼食難民達で溢れているが、
このリフレッシュルームはそんな喧騒とは一切無縁の、良く言えば
落ち着いた、悪く言えば取り澄ました場所だ。
弁当持参組は大抵の生徒が教室や校舎外のどこか見晴らしのいい
場所で食べるが、中にはこの気取った場所で食事を取る者もいる。
クラスは別々だが、でも昼は一緒に校舎の中で食べたいという奴ら
がこの場所を主に利用しているようだ。
⋮⋮そして俺も、シンの策略によって今日からこの場所を利用す
ることになっちまった一人だ。
渋々、いつものメンバーとそこへ昼飯を食いに向かう途中、シン
168
が一人ソワソワしていることに気付く。
﹁おい、シン。お前さっきから何を浮き足立ってるんだ?﹂
﹁柊兵は全然気にならないのか?﹂
﹁何がだ?﹂
﹁狂乱祭のコスプレウェイトレスの件さ﹂
﹁俺、投票しなかったから知らねぇ﹂
﹁あー違う違うっ! 俺らのクラスの娘じゃなくてD組だってD組
!﹂
シンは嬉しそうにうざったい長髪を掻きあげながら恍惚の表情を
浮かべる。
﹁D組は間違いなく美月ちゃんと怜亜ちゃんが選ばれるだろ? 二
人が一体なんのコスプレするのかな∼って考えるだけで俺のこのピ
ュアなハートがトキメくってもんですよ!﹂
自然に足が止まった。
﹁⋮⋮ちょっと待て﹂
﹁なんだい?﹂
﹁美月と怜亜があんな訳の分かんねぇもんに出るのか⋮⋮!?﹂
﹁もちろんそれは決まりでしょう! だってD組であの子達より可
愛い子なんていないじゃん! 柊兵くんもそう思うだろ?﹂
う⋮⋮⋮⋮反論出来ねぇ⋮⋮。
じゃあ何か、あいつらはこの馬鹿げた仮装大会に出るのか!?
去年の﹁美人コンテスト﹂で壇上に上がった女達を下から舐め上
げるように見上げ、熱視線を注ぎ続ける男共の飢えた目を思い出し
た。あんな野獣共の視線渦巻く中に美月や怜亜が放り込まれるのか
⋮⋮。
169
もしあいつらが選ばれていたのなら辞退しろ、と進言すべきかと
考えながらリフレッシュルームに入る。
﹁柊兵∼っ!﹂
﹁柊ちゃん!﹂
美月と怜亜はもう先に来ていた。
それぞれ大きく手を振った後、俺の元に駆け寄ってくる。
﹁はいは∼い! じゃあ柊兵、まずはこっちに来てー!﹂
﹁柊ちゃんの席はここよ。座ってね﹂
こいつらの手で半ば無理やりに席に座らされた次の瞬間、俺の前
にデカい三段重ねの重箱がビッグウェーブの如く一気に押し寄せて
きた。
﹁はいっ柊兵!﹂
﹁どうぞ、柊ちゃん!﹂
﹁な、なんだ、これは!?﹂
﹁柊兵のお弁当だよ! だって柊兵、今日お弁当ないでしょ?﹂
﹁一杯作ってきたからたくさん食べてね、柊ちゃん!﹂
││ 重箱を前にしばし黙考。
確かにこいつらの言う通り、俺は今日弁当を持ってきていない。
今朝、母親から購買で何か買って食べろと言われている。
だが一つ腑に落ちないのは、なぜこいつらがそれを知っているの
かということだ。
美月が﹁じゃーん!﹂と言い重箱の蓋を開けると、中には絢爛豪
華な惣菜が所狭しと詰められている。
それを横から覗き込んだ将矢が、
﹁うぉー! すっげーっっ! 昼からこんなに豪勢な弁当かよっ!﹂
とデカい声で叫びやがったので休憩室中の注目を浴びる羽目にな
170
っちまった。
あちこちから色んな視線が一斉に自分に降り注がれているのを感
じる。一体どんな羞恥プレイなんだこれは。
断固拒否の態度を取ろうとしたが、こいつらが無邪気な顔で嬉し
そうに俺の顔を見上げているので情けねぇことにそれを言い出せな
い。よって違う角度から拒否の姿勢を見せることにする。
﹁こ、こんなに食えるわけねぇだろっ!﹂
すかさず美月が無責任な太鼓判を押してくる。
﹁そんなことないよ! 柊兵なら食べられるって!﹂
﹁無理だっ!﹂
﹁だいじょーぶだいじょーぶ! じゃあ元気よく行ってみよー! あ、柊兵、お茶飲む?﹂
⋮⋮おい美月、お前はなから俺の言う事を聞く気が全然ねぇだろ
⋮⋮。
俺と美月のやり取りを見守っていた怜亜が﹁あのね柊ちゃん﹂と
口を開く。
﹁残してもいいからとりあえず食べて? 美月と私で今朝の六時か
ら一生懸命作ったの。⋮⋮ね?﹂
ここで椅子に座っていたシンが急に立ち上がった。
﹁いやはや、いつもながら泣かせられるねぇ∼、この健気な天使ち
ゃん達にはさ! では微力ながらこのワタクシがお手伝いさせてい
ボーイ
ただきましょう!﹂
シンが給仕のような優雅な物腰でその重箱フルコースを一段ずつ
バラして俺の目の前に横一列に綺麗に並べ始めた。そして﹁ごゆっ
くり﹂と耳元で囁くとニヤリと笑う。
そうか、分かった⋮⋮! 恐らく金曜の夜あたりにこれから俺らとリフレッシュルームで昼
171
飯を食うことになったとまず怜亜が美月に話し、それを聞いた美月
が土曜に俺の家に来た時に今日の弁当を作らないでくれと母親に頼
んだんだろう。そしてここまでの一連のシナリオを書いた奴はすべ
てこいつ││、シンの野郎に違いない⋮⋮!
﹁ほら、食べて柊兵!﹂
﹁はいっ、柊ちゃん!﹂
突如、顔面数センチ先に食物が登場する。
美月は鶏肉のレモン煮とやらを、怜亜は小松菜入りの出し巻き卵
を箸でつまんで、俺が口を開けるのを待っている。
⋮⋮この身が今すぐに溶けて蒸発し、大気中に気化できたらどれ
だけ幸せだろうと一瞬本気で考えた。
“
あーん
”
そこへ最後のトドメとばかりに、美月と怜亜のピッタリと息の合
った﹁あ∼んしてっ!﹂というハモリ音。
﹁ほらほら柊兵くーん、早く大きな口を開けて
してあげなくっちゃ! 可愛い女の子を待たせちゃいけないよ?﹂
俺の向かいに座り、ニヤニヤと笑いながらシンが再び俺を茶化す。
││ いや、ニヤニヤと笑っているのはシンだけじゃねぇ。
ヒデも、尚人も、そしてこの室内にいる他の奴らも全員だ。ただ、
唯一、将矢だけからは羨望に似た視線を感じる。畜生⋮⋮どう足掻
いてもこの状況から逃れる術はなさそうだ⋮⋮。
憔悴しきった顔で口を開けた俺の口中に最初に入って来たのは鶏
肉か出し巻きかなんて覚えていない。
口を開ける度に湧き起こる仲間達の冷やかすような歓声。ひたす
ら耐えるしか無い。
もしタイトルをつけるならこれは本日最大の見世物、怒涛の餌付
けショーってとこか? 172
ブロイラー
とにかく今は自分に与えられた役を忠実に実行するしかない。一
心不乱に餌をついばむ食用養鶏になりきり、次々に与えられる食い
物をひたすら咀嚼して嚥下するだけだ。
おかげで美味いか不味いかすらもほとんど分からなかった。
﹁さーて食事も終ったことだし、美月ちゃんに怜亜ちゃん! ちょ
っと聞いてもいい?﹂
餌付けショーが一段落するのを待ちかねていたように、シンが両
手を振って美月と怜亜の視線を自分に寄せた。
﹁お二人はさ、相互親睦祭典で何のコスプレするの?﹂
狂乱祭の話題になったので将矢の目が急に輝き出す。
﹁おぉ! 俺も知りたい知りたい! 教えてくれえええぇぇぇ!﹂
﹁あぁ、あれね⋮⋮﹂
と怜亜にチラリと視線を送った後、美月が興味の無さそうな声で
答える。
﹁それって来月にやるヘンなお祭りのことでしょ? でもコスプレ
はしないよ。あたしも怜亜も﹂
﹁なんだってえええええぇぇぇ││!!﹂
血相を変えたシンと将矢が椅子を蹴倒して立ち上がる。
﹁うっ嘘でしょ!? 君達が出ないで誰がD組の代表になるってい
うのさ!?﹂
﹁そうだ!! それはおかしい!! 絶対にありえねぇよ!!﹂
﹁二人がそう言ってくれるのは嬉しいんだけどねー。実は今朝さ、
クラス委員長の⋮⋮⋮⋮あれっ、あの人なんて名前だったっけ、怜
亜?﹂
小首を傾げて怜亜が答える。
﹁本多くん?﹂
173
﹁あ、そうそう! その本多って人から頼まれはしたんだ。でもコ
スプレなんか別にしたくないもん。怜亜も恥ずかしいっていうし、
断っちゃったってわけ!﹂
﹁OH⋮⋮ジーザス⋮⋮!﹂
﹁俺の⋮⋮俺の時代はここで終わった⋮⋮﹂
立ち尽くしたまま天を仰いで悔しそうに呟くシンと、その横で床
にガックリと両膝をつき、真っ白に燃え尽きた将矢の様子にたまら
ず美月が吹き出した。
﹁あははっ! ねぇシン、将矢、そんなにあたし達のコスプレを見
たいの?﹂
﹁はいっ見たいですっ! もう誰よりも何よりも見たいですっ! もし美月ちゃん達が出てくれたらさ、俺ら絶対お二人に投票するよ
! なぁ将矢!?﹂
﹁するするするする! あったりまえじゃん!! 絶対にするよ!
! だから怜亜ちゃんも考え直してくれって!!﹂
美月は﹁ふぅーん﹂と呟くと俺の方に顔を向ける。
﹁あのさ、実はウチのクラス、結局女の子の代表がまだ決まってな
いんだよね。柊兵はさ、もしあたし達が出たら投票してくれる?﹂
﹁俺は投票しねぇ﹂
﹁なんで?﹂
﹁⋮⋮お前ら、そんな媚びを売るような下らない格好をして男の間
をうろつき回って楽しいのか?﹂
俺のこの言葉に、頬杖をついて俺らを見ていた尚人が横から﹁ハ
ハッ、柊兵、嫉妬してるんだろ?﹂と爽やかな笑顔でツッコんでき
た。
﹁ちっ、違う! 下らないと思うから下らないと言ったまでのこと
174
だ!﹂
﹁相変わらず素直じゃないなぁ⋮⋮。ま、それは前から分かってる
ことだけどね﹂
尚人は小さく声を殺して笑いながら、ジャケットの胸ポケットに
差していたボールペンを抜き取り、そのペン先を俺の左隣に座って
いた怜亜にスッと向ける。
﹁さぁ怜亜ちゃん﹂
﹁は、はいっ?﹂
尚人にいきなり名指しを受けて驚いたのか、授業中に不意打ちで
﹁ホラ、
”
“
って言ってみてごらん。きっと柊兵、真っ青な顔に
柊ちゃん、私、思い切って相互親睦祭典に出てみよ
当てられた生徒のように怜亜は一瞬背筋を真っ直ぐに伸ばす。
うかな?
なって必死に止めると思うよ?﹂
﹁エッ⋮⋮!?﹂
尚人の言葉を真に受け、頬を桜色に染めて俺の方を何度もチラチ
ラと見ながら急にもじもじし始める怜亜。
⋮⋮ったくなんて単純な奴だ⋮⋮。俺の読みでは後三秒後には間
違いなく言い出すと見た。
するとシンがいきなり俺の背後に回り、今にも全力で抱きつかん
ばかりの勢いで熱弁をふるい出す。
﹁なぁ柊兵く∼ん! 頼むから君もそんな意固地にならないでさ、
俺らの陣営について二人を説得してくれよ! 君がこの計画のキー
マンなんだぞ!?﹂
﹁断る﹂
あ
って心の底から思えるって! なぁ
“
﹁それに柊兵くんだって本当は見たいだろ? 美月ちゃんのバニー
”
ガール姿とか、怜亜ちゃんのメイド服姿とかさ! きっと
ぁ、生きててよかった!
頼むよ兄弟ッ!﹂
175
﹁お前と兄弟になった覚えはない﹂
﹁じゃあ盟友でも朋友でもなんでもいい! だから頼む、説得に加
わってくれって!﹂
﹁ねぇシン、あたし今ちょっと思ったんだけどさ﹂
自分の髪を人差し指に巻きつけながら美月が口を挟む。
﹁それなら別にお祭りに出なくてもさ、柊兵にだけコスプレを見せ
ればいい話だと思うんだよね﹂
﹁ヘ!?﹂
呆然とするシンの横で薄笑いを浮かべたヒデが﹁なるほど。真理
だな、美月﹂と呟く。
﹁でっしょー?﹂
とヒデに向かって笑みを見せた後、
﹁じゃじゃーん! というわけで柊兵っ! 柊兵は何か見たいコス
プレある? あたし、柊兵のリクエストならどんな格好でもしちゃ
うよー!﹂
髪から手を離し、勢い込んだ美月が上半身に付属している例の特
上メロン二玉をこっちにグイと寄せてきやがった。
﹁おっ、お前のコスプレなんて見たくねぇよ!﹂
﹁まーたまた遠慮しちゃってさー!﹂
﹁してねぇ!﹂
﹁場所どこにする? やっぱ柊兵の部屋? どうせなら生着替えも
見たいでしょ?﹂
﹁バッ、バカか、お前は!!﹂
⋮⋮しかしこいつは照れとか恥ずかしいとかの観念を持っていな
いのか⋮⋮。
メロン
右から超接近してくる胸をかわすために大きくのけぞると、
176
﹁柊ちゃん⋮⋮﹂
左隣の怜亜が俺の制服をそっとつまんできた。
﹁な、なんだ?﹂
﹁わっ、私⋮⋮、フレンドシップ・フェスティバルに出てみようか
な⋮⋮?﹂
││ おい、今頃きたか。
すると突然ダンッと激しい音が鳴り、白テーブルの表面が震える。
﹁ちッくしょうッッ⋮⋮!﹂
俺らのやり取りを見ていたシンが拳を強く握り締め、テーブルを
強く叩いた。
﹁どうしてっ、どうして柊兵くんばかりが⋮⋮っ! よしっ! 俺、
やっぱりこれから真実の愛を探すことに決めましたッ!!﹂
⋮⋮だからシン、お前のその台詞は一体何度目なんだ。
177
“
相互親睦
”
しましょう! <3>
今回の祭典の企画が高らかに発表された後、各学年、各クラスの
コスプレウェイトレス
対応はどこも迅速だったらしい。
仮装給仕嬢に選ばれた女子の代表名を三日以内に友好実行委員会
エントリー
に届け出なければならなかったのだが、告知二日目の今日にはわず
か一クラスを残し、他はすべて遅滞することなく速やかに登録して
きたそうだ。
現在、教壇の前で妖しげな腰使いを披露しながら毛田がそれを熱
心に説明している。どのクラスも本気で鼻息が荒そうだ。
いや、そんなことよりもこのHRが終わったら即行で教室を出ね
あいつら ぇとな⋮⋮。
最近、美月と怜亜に帰りまで待ち伏せされている身としては、と
にかく迅速に動く事が肝要だ。
﹁では皆さぁぁ∼ん、また明日元気にお会いしましょうねぇぇ∼∼
!﹂
毛田のこの声と同時に急ぎ足で教室を出ようとした途端、すかさ
ずシンが立ち塞がり、行く手を遮りやがった。
﹁おやおや柊兵くーん、もしかしてもうお帰りですかぁー?﹂
﹁授業が終わったんなら帰るのが当たり前だろうが﹂
﹁そんなつれないことを言わないでさ、もうちょっとここでゆっく
りしていきなよ? ホラ、俺と一緒にUNOでもやらないか?﹂
﹁なんでお前とそんなモンをやらなきゃなんねぇんだ﹂
﹁だってD組がまだHR終わってないみたいだからさぁ﹂
シンは意味ありげに後ろの戸口に視線を送る。
するとそこにはいつの間にか廊下に首を突き出した将矢がスタン
178
バイしていて、﹁まだダメだ!﹂とこちらに向かって両手をクロス
させていやがる。⋮⋮ったく、こいつら⋮⋮。
﹁あ! 柊兵くん! マジで帰っちゃうのかよ!? 天使ちゃん達
はどうするんだ!?﹂
シンの呼びかけを無視して前の戸口から廊下に出る。そして足早
に歩き出した時、
﹁あぁ原田くん! いいところで会ったよ!﹂
と見知らぬ男から話しかけられた。
目の前に立つ、ひょろっとした青白い顔の眼鏡男。全く記憶に無
い。
﹁⋮⋮誰だお前?﹂
普段シン達以外で俺に話しかけてくる奴はそうそういないのだが、
珍しいこともあるもんだ。
﹁僕は隣のD組で委員長をやらせてもらっている本多だ。よろしく。
で、早速で申し訳ないんだが、君に話しがあるんだ。少々時間をい
ただけるかい?﹂
﹁何の用だ?﹂
﹁場合によっては公にはしたくない話になりかねないんだ。だから
どこか人気のない場所で話したいんだが⋮⋮﹂
こんなウラナリ野郎と物陰で二人きりで話すなんてゾッとしない。
﹁俺は構わねぇからここでしろ﹂
﹁ここで、かい? ふむ⋮⋮﹂
本多とやらは大勢の生徒が行き交う廊下を見渡す。
﹁まぁ、君がそう言うならいいや。ではまずこれを見てくれ﹂
そういうと本多は俺に一枚の紙を手渡した。紙面の文字を読んで
みる。
179
│││││││││││││││││││││││││││││
︼
今回の相互親睦祭典に、男子生徒も﹁給仕﹂として選出
ボーイ
第十二回 銀杏高校 相互親睦祭典 祭典内容一部追加
フレンドシップ フェスティバル
│││││││││││││││││
︻
1.
※ 男子生徒は仮装不可。全員黒の給仕服を着用するこ
コスプレ
但し男子生徒は各学年、各クラスから一名ずつのみとす
することとする。
る。
と。
︵尚、
ガーディ
会場内の仮装給仕嬢達の身の安全を守るために、﹁護衛
給仕は投票対象外とする︶
アン
2・
※ 護衛兵は友好実行委員会で選出し、対象者に直接依
選出する。
兵﹂を若干名
頼する。
︱︱ 以上
︱︱
180
銀杏高校第十
二回相互親睦祭典 友好実行委員
会?代表 橋立 栄
│││││││││││││││││││││││││││││
│││││││││││││││││
﹁⋮⋮これがどうかしたのかよ?﹂
﹁先ほど刷り上ったばかりの友好実行委員会?からの告知文だ﹂
と本多はその薄っぺらい胸を張る。
﹁そんなの見りゃ分かる﹂
﹁原田くん、僕はD組のクラス委員長だが、友好実行委員会?の一
人でもあるんだ﹂
﹁だからそれがどうしたってんだよ﹂
﹁実は今回の相互親睦祭典を開催するに当たってある障害が出てき
てね、その障壁を取り除く為に今回の祭典内容の一部を追加するは
めになったのさ。今その打ち合わせが終わったところなんだが⋮⋮
あ、これはここだけの話にしてくれよ?﹂
そう言うと本多は小声で委員会内で起きた内部抗争の後日談を語
り出した。
コスプレプロジェクト
││ なんでも一旦は可決され、開催に向けて順調に動き出した
仮装企画が、
﹁この企画じゃ、あんた達だけ楽しんでズルイ!! 私達にも目の
181
保養をさせなさいよ!!﹂
と女子サイドからクレームがついて妨害行為を受けるようになっ
たというのだ。
どうやら友好実行委員会を自主的に去った二名の女子委員が他の
女共を扇動し、企画自体を頓挫させようと画策し出したらしい。
ネゴシエーター
当然、残っていた本多を含む委員会の連中は必死にその対応に当
ゲリラ
たった。
女子生徒共に和平協定を求め、委員長の橋立とやらが交渉人とな
り、直ちに交渉に入る。
交渉は難航したものの、男側からも見栄えのいい給仕係を出せと
いう女共の要求をほぼ呑んだ形で双方最終的には合意に達し、その
後、両者は速やかに和平協定書に調印。
そして急遽全校生徒へ向けて新たなこの告知文が作成されたんだ、
と本多は俺に熱く語る。
﹁⋮⋮話は分かったけどよ、それが俺とどういう関係があるんだ?﹂
﹁フッ原田くん、まだ分からないのかい? 君、鈍いね﹂
本多のその言い方に脳内の一本目の弦が切れる音がする。
を突っ走っている。
俺の目つきが鋭くなったことに気付いた本多が慌てて両手を振り、
﹁失敬失敬っ﹂と謝った。
<破滅への道>
デス・ロード
すかさず二本目の弦が切れる音。
今こいつは間違いなく
﹁じゃ、じゃあズバリ用件を言わせていただくよ! あのさ原田く
ん、君にここに書かれてあるガーディアンになってほしいんだ﹂
﹁ふざけんな! なんで俺がそんなモンをやらなくちゃいけねぇん
だ!?﹂
﹁だって君、ここに入学して早々にすごい事をやらかしただろ? たった一人で上級生五人を潰したそうじゃないか。君なら護衛兵に
182
最適だ。もし君が引き受けてくれたら数名採用しようと思っていた
兵隊もたぶん君一人で大丈夫だと思うし﹂
﹁断る!﹂
﹁そう言わずに頼む、原田くん! 友好実行委員会からだけじゃな
く、D組のクラス委員長としても是非に君に頼みたいんだ。もし君
が護衛兵を引き受けてくれたら、風間さんと森口さんが仮装給仕嬢
を了承してくれることになっているんだよ﹂
﹁何ィーッ!?﹂
生命の危険を感じたのか、本多の口調が更に早まる。
﹁わわわっ、原田くん、そんなに凄まないでくれよ! 平和的に行
こう、平和的に! 時代はLove&Peaceだよ!?﹂
﹁うるせぇっ!! お前、今何て言ったッ!? 美月と怜亜がコス
プレ祭りに出るだと!?﹂
掴みかかろうとした俺の手を紙一重でかわすウラナリ。
﹁じっ、実は昨日の朝に風間さんと森口さんに代表を頼んだんだけ
ど引き受けてもらえなくって、そこを何とかって再度食い下がった
らさっ、君がコスプレを嫌がっているから絶対に出ないって言うん
だよ! それで僕は閃いたわけさ! 君があの二人を守ればいいん
だ、ってね! あの二人にもさっきこの案を話したら、君がガーデ
ィアンを了承したら祭典に出るって約束してくれた。だから頼むよ、
原田くん!﹂
﹁断るっ!!!﹂
││ 三本目の弦が切れる音。
俺の脳内の弦はギターでは無くベース仕様だ。つまり、残された
理性の弦は残り後一本。
覚悟しろ、ウラナリ本多⋮⋮!!
183
﹁よし、分かった! じゃあ奥の手を出させていただくよ!﹂
パシンと小気味いい音が鳴る。本多が少々大げさな身振りで両の
掌を合わせた音だ。
﹁この件を了承してくれたら、僕がある物を原田くんに進呈するこ
とにするよ。きっと君も大いに気に入ると思うんだ﹂
﹁⋮⋮俺が気に入る物⋮⋮?﹂
﹁あぁ。君を口説き落とすためにさっき一度家に戻って持ってきた
んだ。でもそれをここで見せる事は出来ない。もし見つかったら没
収されてしまうからね。だからあそこで見せるよ﹂
本多はすぐ側の理科準備室を指差した。
﹁さぁ行こう原田くん。今なら丁度誰もいないようだ﹂
護衛兵になる気などはサラサラ無いが、﹁俺が気に入る物﹂とい
うのが何なのかが気になる。
もし本当にいい物なのであれば、ウラナリを締め上げて強引に奪
っちまおうかと悪魔の考えを脳裏の片隅に置きながら、本多に急き
立てられて俺は理科準備室に入った。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
誰もいない準備室に入り、中から厳重に鍵をかけた本多は自分の
鞄の中から何かを取り出して俺の前に突き出す。
﹁これだよ。どうだい? 銀杏高の生徒なら喜んで欲しがるはずさ﹂
184
すぐ鼻先に広げられたその雑誌を見て思わずあっ、と声が漏れる。
⋮⋮そっそれは俺も持っているあの例の水着写真集だッ!!
写真集の横から本多がスウッと生白っい顔を覗かせる。
﹁どうだい? あれ、なんか反応がおかしいな。⋮⋮もしかしても
うこれ持っていた?﹂
沈黙する俺。
すぐ横にあるガラスケースの中に収められている骸骨の標本が俺
をじっと見てニタニタと嘲笑っているようで胸糞悪い。
﹁⋮⋮あぁそうかもう持ってるのか⋮⋮。さすがだね、だってこれ
は﹂
﹁言うなッ!﹂
俺は叫んだ。ビクッと本多の身体が震える。
﹁でも君が持っているのなら、これは交渉道具にはもうなりえない
ね⋮⋮﹂
残念そうに本多はその写真集を鞄に仕舞いかけたが、不意に俺の
方を見てニタリ、と笑う。
⋮⋮どうやらこの部屋には骸骨が二体いるようだ。
﹁原田くん、少々頼りなく見えるかもしれないが、これでも僕は用
意周到な男として有名なんだよ? 君がこれを持っている可能性も
僕はすでに考えていたのさ。今のは去年の発売当時、銀杏高校の男
子生徒の間ではかなり話題にのぼった写真集だしね。さぁさぁじゃ
あ今度はこちらを見てくれ。さすがにこれは持っていないだろう?﹂
本多が再び鞄を開け、中からもう一冊の雑誌を取り出した。同じ
モデルが笑っている別の写真集だ。
﹁ほら、これは彼女がデビューしたばかりの時に作られた写真集だ。
こっちは発売当初あまり売れなかったので現在は入手するのがかな
185
り困難な超レア物だよ? この間ネットオークションで見かけて競
り落としたんだ。特別にこれを君に進呈するよ﹂
﹁い、いらん!﹂
﹁我慢は身体によくないよ、原田くん﹂
﹁いらねぇったらいらねぇ! 俺はもう行くぞ!﹂
扉に手をかけた俺に地を這うような覇気の無い声が追いかけてく
る。
﹁原田くん⋮⋮僕はまたまたすごいことを思いついてしまったよ⋮
⋮﹂
嫌な予感が走る。
﹁な、何だよ?﹂
﹁⋮⋮君って学園内ではかなりの硬派だと専らの評判だよね? そ
んな硬派な男がそっちの写真集を密かに持っていることを、風間さ
んや森口さん、それにいつも一緒にいるあのお仲間さん達に僕から
話したらどうなるだろう?﹂
﹁なっなにぃっ!?﹂
本多の口から忍び笑いが漏れる。
﹁君の評判は一気に地に落ちるんじゃないかなぁ? 君のことを好
きな風間さん、森口さん達もきっとショックを受けるだろうね⋮⋮﹂
返答に詰まる俺を、ウラナリの勝ち誇った面が見つめる。
﹁⋮⋮さぁ原田くん、この事を黙っていてほしかったら口止め料と
” して護衛兵を引き受けてくれたまえ。そうしたら僕はこの事を忘れ
そのまま海に帰っちまえ!
て永遠に貝になるよ﹂
“
186
と叫んでやりたかったが、とにかく堪える。
去年シンからその写真集の話を振られた時、馬鹿馬鹿しい、興味
なんてねぇ、と言ったことがある。
だが本多に写真集を持っていることをバラされたら、俺の立場は
どうなる?
実際は購入していたことを知られたら、まず間違いなくシンには
いいだけ突っ込まれ、いじられまくるだろう。そんなのは本多の作
り話だ、とシラを切りたくても、実際に美月が俺の部屋で見ちまっ
ているし、言い逃れは出来そうにない。
﹁⋮⋮急に無口になったね原田くん。拒否の返答が無いということ
は、護衛兵の件はOKとみなすが構わないね?﹂
畜生ッ⋮⋮!
チェックメイト
ギリギリと血が滲みそうなくらいに下唇を噛む。
不気味に笑う本多の顔の中央に﹁王手﹂というどデカい文字が透
けて見えたような気がした。
187
“
相互親睦
”
しましょう! <4>
﹁偉大な柊兵くんに敬礼ッッ!﹂
その号令で将矢とシンが俺にビシッと敬礼をし、ヒデはニヤニヤ
と笑っている。
仏頂面で机に頬杖をついている俺に、憎らしいぐらいの爽やかな
笑顔で尚人が話しかけてきた。
ガーディアン
﹁柊兵、なんだかんだ言ってやっぱり怜亜ちゃん達のコスプレ見た
かったんだね! 狂乱祭で護衛兵を引き受けるなんてさ﹂
﹁うっ、うるせぇっ! こっちにも色々と都合があるんだ!﹂
﹁どんな都合なのさ?﹂
﹁い、色々だ!﹂
畜生、苛々する⋮⋮!
あのウラナリ野郎の本多に弱みを握られて脅されたからだ、なん
て言えるか!
﹁まぁまぁ尚人。あまり柊兵くんを追い詰めるなって。せっかく俺
らの陣営について美月ちゃん達がコスプレしてくれるように骨を折
ってくれたんだ。気が変わって護衛兵を止める、なんて言い出され
ボーイ
たら困る。ここは素直に我らの柊兵くんに感謝しておこうじゃない
か﹂
﹁シンも給仕に選ばれたしね﹂
﹁本当は一般で楽しむ方が良かったんだけどなぁ⋮⋮。でも選ばれ
ちまったから仕方ない。とりあえずやるさ。それに休憩時間に控え
室で美月ちゃん達と話せるかもしれないし!﹂
188
俺らC組の給仕係はクラスの女共の投票の結果、シンが選ばれた。
ちなみに尚人とかなりの接戦だったらしい。
﹁そういえば怜亜ちゃん達は何のコスプレをするんだろうね﹂
“
当日まで秘密!
”
﹁実は俺、さっきD組に行って聞いてきたんだ。二人共同じ格好を
するとまでは教えてくれたけど、後は
って言って教えてくれないんだよ。だから俺はバニーガールが好き
だな、ウサ耳は長めで、とは一応言ってきた。尚人なら何がいいと
思う?﹂
﹁そうだなぁ⋮⋮。オーソドックスにOLのコスプレがいいな。あ、
その時はオプションでぜひ眼鏡をかけてほしいね﹂
﹁来た来た来ましたよ∼っ! それ、もろお前の好みじゃんか!﹂
﹁何がいい? って聞かれたらそりゃ自分の好みを言うよ﹂
﹁OLの制服じゃ全然色気がないじゃん!﹂
﹁そうかい? 僕は感じるけどね、ものすごく﹂
﹁ダメダメ! 尚人の案は却下!﹂
﹁別に却下されてもいいけどさ。他に当てはあるしね﹂
肩を竦め、尚人は余裕たっぷりの表情でそう答えると、すぐ隣で
締まりの無い面で話を聞いていた金髪ヘッドに﹁将矢はどう?﹂と
話題を振る。
﹁俺かー!?﹂
将矢は顔中のパーツをさらに緩め、揉み手を始める。
﹁俺はとにかく超ミニスカートを穿いてくれればなんでもいいっ!
とにかくだな、スラリとした綺麗な脚を限界ギリギリのラインま
で拝みたいぃぃぃぃ︱︱っっ!﹂
﹁ははっ、将矢らしいね。じゃあヒデは?﹂
﹁うむ⋮⋮、悩む所だが着物を推そう﹂
重々しく答えたヒデに、向かいにいたシンが﹁すげぇ動きづらそ
うな物を挙げてきたな⋮⋮﹂と呆れた口調で呟く。
﹁和服はいいぞ、シン。日本女性を一番美しく見せるのは和服だと
189
俺は常々思っている。それに髪を結って襟元から見えるうなじの色
っぽさは最高だ﹂
﹁なるほど!﹂
﹁あぁその際、後れ毛も数本あってほしいところだな﹂
﹁うぉっ! なかなかマニアックだな、ヒデ!﹂
﹁甘いなシン。まだ他にも鑑賞ポイントはあるぞ﹂
それ以降も俺の横でこの四バカ共はそれぞれが推す最高のコスプ
レについて延々と語っている。つきあってられねぇ。
しかしこの俺がコスプレ女達の警護をやるはめになるとはな⋮⋮。
だがウラナリに弱みを握られちまった以上、どうしようも出来な
い。
狂乱祭は来週にせまっていた。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
フレンドシップ・フェスティバル
第十二回狂乱祭⋮⋮もとい、相互親睦祭典の開催日が訪れた。訪
れちまった。
祭り開始までもう一時間を切っている中、俺は四階の視聴覚室前
で壁に背中を預けていた。
コスプレウェイトレス
一見、この場所でただボーッとしているように見えるが、そうで
はない。現在、この視聴覚室内では選ばれた仮装給仕嬢達が着替え
の真っ最中なのだ。
190
⋮⋮で、俺は不審者がこの中に侵入しないように入り口で見張り
をしている、というわけだ。しかしつくづく情けねぇ⋮⋮。
こいつらの着替えが終わったら、体育館のすぐ側にある家庭科室
に全員を連れて行くことになっている。そこでウラナリらの友好実
行委員会の連中が最後に色々と注意事項を伝え、狂乱祭はいよいよ
スタートというわけだ。
それが済めば次だ。
ミッション
友好実行委員会の四名と共に体育館内の見張りをするのが俺の主
な仕事らしい。
まず一つ目の任務は、狂乱祭中、コスプレ女達に触るなどの不埒
な真似をしようとする輩が現れた場合、それを即時止めさせる。ウ
ラナリからは場合によっては少々手荒な事もOKとのお墨付きだ。
そして二つ目は写真撮影も禁止しているので撮影している人間を
発見した場合、携帯電話やデジカメで撮影した場合はデータ消去、
カメラならフィルム没収。なお、抵抗した場合はこれを力ずくで従
わせる。まぁ要は腕力が必要な事態になればすぐに俺が出動する、
ということだ。
ガーディアン
現在俺の左腕には紺の腕章がついている。
︻護衛兵︼と白抜き文字で書かれた特注の腕章だ。
こんなモンをつける必要は無いと突っぱねたが、周りに俺が護衛
兵だと認識させる為に必要だ、とウラナリに押し切られた。あまり
の格好悪さに死にたいくらいだ。
⋮⋮おい、どうでもいいがまだかよ?
退屈のあまり欠伸をかみ殺した時、横で扉が軋む。
﹁ちょっとちょっと、がーであんさんっ⋮⋮!﹂
191
視聴覚室のドアが小さく開いている。
壁にもたれかかったまま横目でドアを見ると一人の女が隙間から
俺を手招きしている。
全員の着替えが終わったら出てくるように言ってあるので女共の
着替えが終わったらしい。しかし薄く開いたドアから後続の女共が
出てくる気配は無かった。
﹁⋮⋮なんだ?﹂
﹁いいからちょっと﹂
││ たぶん三年の女だな。真紅のチャイナドレス姿だ。すげぇ
色っぽい。出るとこが出て、引っ込むところが引っ込んで、スタイ
ルもかなりのもんだ。こりゃあ今年の狂乱祭はマジで盛り上がりそ
うだな⋮⋮。
﹁いいから早くこっちに来てってば!﹂
再三の催促に渋々壁から身を起こし、ドアの前にまで行く。女は
キョロキョロと廊下を見て俺以外誰もこの場にいないことを確認す
ると、扉の外に出てきて長い髪を前にかき寄せながらスッと俺に背
を向けた。
﹁上げて﹂
﹁なッッ⋮⋮!?﹂
驚いて叫びそうになった。
ファスナーは腰の少し上の部分までしかまだ閉じられてない。い
きなり視界に飛び込んできた、艶かしい白い彫刻のような背中。ス
リットは深く、腰近くまで入っている。そしてそこから覗くスラリ
192
と白い脚⋮⋮!
⋮⋮お、おいおいおいおいっ! 後ろから見るとほとんど半裸で、
容易に全裸姿が想像出来るじゃねぇかよ!?
﹁私、身体が硬いのよ。ファスナー上げてくれない?﹂
││ な、なぁっ、おかしいだろ!? いくら護衛兵だからって
こんなことまで俺がやらなきゃいけないのかッ!? ﹁なっ、中で他の女にやってもらえばいいだろっっ!?﹂
﹁だって皆自分のメイクに夢中なんだもん。それにさ、ライバル達
に迂闊に背中なんか見せられないわよ。ファスナー上げるふりして
服に裂け傷でもつけられたら困るし﹂
⋮⋮<背中を見せられない>ってお前はゴルゴ13か!
それに給仕嬢同士でそんな足の引っ張り合いがあるのか? 女っ
て恐ろしいな⋮⋮⋮⋮。
そ、それより、さっきから非常に気になっているのだが、こいつ
の背中にブラジャーの紐がまったく見当たらないのだが⋮⋮。
っつーことは何か? こいつは今、ブラジャーをつけてないって
こと⋮⋮だよ⋮⋮な⋮⋮?
﹁ねぇ早くぅ∼。誰か来ちゃったら見られちゃうからぁ∼﹂
鼻にかかった拗ねた声で女が催促する。
た、確かにここは廊下なのでいつ誰が来るか分からない状態だ。
下の階からは男子生徒の馬鹿騒ぎ声も絶え間なく聞こえてきている。
⋮⋮や、やってやるしかなさそうだ⋮⋮。
恐々ファスナーに手を伸ばす。
193
指が緊張で硬くなっているのが分かる。くそっ今にも指先が痙攣
を始めそうだ!
⋮⋮これはいわゆる世間で言う﹁役得﹂ってやつなのか? そう
なのか?
ゾンビ
<人間死んだ気になればなんだって出来るぞ>という、今は亡き
爺さんのありがたい格言をふと思い出し、死人になりきってファス
ナーを掴んだ。
││ 南無三ッ!
一気に済ませようと力を入れて上に引っ張り上げたのでファスナ
ーがギギギ、と苦しげな悲鳴を上げる。
﹁あぁんっ⋮⋮! もっと優しくしてぇ⋮⋮。壊れちゃうぅぅ⋮⋮﹂
うわわっ止めろぉぉぉぉ︱︱ッ!
そんな妖しい台詞と喘ぎ声みたいな変な声を出すなぁッ! 焦っ
たせいで思わずファスナーから手を離しちまったじゃねぇか!!
こ、ここは取り乱したら負けだ。おそらく立て直せなくなる。そ
うだ、大丈夫だ、落ち着け俺。
動揺を必死に押し隠し、ファスナーを掴んでもう一度リトライ。
強張った指でゆっくりと上げる。
しかし不思議なもんだ。こうしてなだらかな白い背中が赤い布の
中に段々と消えていくのを目の当たりにしていると、ファスナーを
上げるよりも下げる方が人間として正しい行為のような気がしてく
る。
﹁ねぇまだ∼?﹂
194
﹁も、もうすぐだ!﹂
⋮⋮ふぅ、な、何とか無事に頂上にまで辿り着いた⋮⋮。
だが寿命が確実に二年は縮んだ気がする。ほっとして額の冷や汗
を拭ったのも束の間、
﹁ちょっと柊兵っ! あんた何やってんのよっっ!?﹂
扉の方角から聞き覚えのある怒りに満ちた声が俺の体を貫いた。
195
“
相互親睦
”
しましょう! <5>
慌ててファスナーから手を離し、怒鳴り声のした方に目を向ける。
そこには着替え終わった美月と怜亜がいた。目の前に立つその姿に
息を呑む。こいつらが選んだコスプレは⋮⋮⋮⋮
ナース
⋮⋮看護士だった。
プラス
丈がかなり短めの白衣に、薄手の白ストッキングとナースサンダ
ル、そして+マークのついた小さな制帽。どっちも恐ろしいくらい
にメチャクチャ似合っている。
﹁あ、終わったの? ありがとね、がーであんサン! さ、次はメ
イクメイク∼!﹂
俺を窮地に追い込んだ原因を作ったチャイナ女はさっさと室内へ
と入ってしまい、代わりに美月と怜亜が俺に詰め寄ってくる。
﹁何やってんのよ柊兵!!﹂
﹁柊ちゃん、ひどい⋮⋮﹂
ナース姿で怒り心頭の美月。同じくナース姿で嘆き悲しむ怜亜。
一方の俺は心臓のビートをハイスピードで軽快に刻みながら女に
見惚れるという、極めて貴重な体験中だ。
﹁ファ、ファスナーを上げてくれってあの女に頼まれたんだ!﹂
﹁バカじゃないの!? そんなの断固拒否しなさいよッ! 締まり
の無い顔して情けないわねーっ!﹂
美月が俺の左胸をドン、と掌で突く。⋮⋮なんだ? あまり効い
196
てないが掌底のつもりか?
﹁あ︱︱っ!! やっぱりだぁ! ちょっと怜亜! 怜亜もここ触
ってみてっ!!﹂
﹁ここ?﹂
美月にそう促され、怜亜も俺の左胸に手を当ててくる。
むっつり スケベ
﹁あ⋮⋮! 柊ちゃんの心臓、こんなにドキドキしてる⋮⋮!﹂
﹁でしょ!? やっぱりシンの言う通りじゃない! この陰鬱助平
!﹂
⋮⋮畜生、なんでファスナーを上げてやったぐらいでそこまで言
われなきゃならねえんだよ⋮⋮。
と、とにかくこいつらの怒りと嘆きをどうにかして静める必要が
あるな。まずは話題を変えよう。それしかねぇ。
﹁なっ、なぁ、それ、すげぇ似合ってるな、二人とも﹂
﹁エ!?﹂
﹁ホント、柊兵ちゃん!?﹂
﹁あぁ。正直驚いた﹂
俺なりの精一杯な必死の褒め言葉にこいつらのテンションが瞬く
間に変わる。
﹁やったぁ∼∼!! ほらっ、やっぱこれにして正解だったでしょ
怜亜!﹂
﹁えぇ! 美月の言う通りね! 柊ちゃんに褒められるなんて思わ
なかったわ! 嬉しい!﹂
⋮⋮おい、しかももう笑ってるぞ? 呆れるぐらいの変わり身の
早さだ。本当に単純コンビだな⋮⋮。
﹁あのね柊ちゃん﹂
水に濡れたような黒い瞳で怜亜が俺を見上げる。
197
﹁もしコスプレするなら絶対ナースだって美月が言ったの﹂
﹁なんでだよ?﹂
﹁だって柊ちゃんってナースさんがとっても好きなんでしょ?﹂
﹁何ッ!? 誰が言ったんだそんなこと!﹂
﹁だって皆でこの間行ったカラオケでシンが唄ってたじゃない!!﹂
♪
柊兵くんはぁぁ∼∼同じ白でもぉぉぉぉ∼∼三度の白米よ
と言うや否や、美月がデカい声でいきなり歌いだした。
﹁
﹂
りぃぃいいい∼、白衣がぁぁぁ∼∼、白衣がお好きいいいぃぃぃ∼
∼!!
⋮⋮頭痛がした。
おい美月、こぶしを利かすな。巻き舌すんな。何より廊下のど真
ん中で歌うな。
しかしこいつらの俺に関する下らない情報の記憶力には心底呆れ
るばかりだ。
﹁皆様ごきげんよう!﹂
噂をすれば何とやらだ。
廊下の奥からこの下衆な替え歌の作詞家が颯爽とやって来る。
﹁うわ∼! シン、似合うじゃないその黒服!﹂
﹁いえいえ俺なんか全然ですよ。美月ちゃん達の美しさの前じゃ完
全に霞んじゃいますって!﹂
⋮⋮相変わらず調子のいい奴だ。だが美月の言う通り、確かにシ
ンはこういう格好をさせたらピカ一だな。
198
﹁二人共ナースのコスプレにしたんだ? すっごくいいね! こん
な可愛い白衣の天使がいたら俺、毎日でも病院に通っちゃうなぁ∼
!﹂ ﹁ねぇシン!﹂
﹁ん? 何、美月ちゃん?﹂
﹁今こっちに歩いてくる姿を見て気付いたんだけどさ、シンって姿
勢がいいよね! 長身の男の子って柊兵みたいに前かがみ気味に歩
く人が多いのに、背筋がピンと伸びてるから歩く姿がすごく映えて
見えるよ!﹂
﹁それはそれはありがとうございます﹂
大仰にかしこまり、シンは美月に向かって優雅に一礼した。
﹁どうしてそんなに姿勢がいいの?﹂
﹁んー⋮⋮﹂
またしても大げさなジャスチャーでシンは斜め上の空中に視線を
泳がせ、
﹁⋮⋮小さい頃、親にバレエを無理矢理習わされてね。そのせいだ
と思うよ﹂
と答えた。
﹁へぇ∼なんかカッコイイ! じゃあシンは踊れるんだー?﹂
ガーディアン
﹁いや、もうとっくに止めているから無理無理。いまさら踊る気も
まったくないしね。さぁさぁ、それよりそこの護衛兵くん!﹂
﹁⋮⋮なんだよ﹂
﹁この白衣の天使ちゃん達をしっかり警護しろよ?﹂
﹁うるせぇ﹂
﹁大丈夫よ、楠瀬さん!﹂
両手を後ろに回し、怜亜がニッコリと笑う。
﹁柊ちゃんが見張っていてくれれば何も怖いことなんてないわ!﹂
﹁ま、それは言えてるな。この高校にそんな命知らずなヤツはいな
いだろうし。じゃあ天使さん達、柊兵くんはまだここから動けなさ
そうだからさ、俺と一緒に先に家庭科室に行ってない?﹂
199
﹁あっあたしはダメ∼ッ!﹂
美月が胸の前で大きく片手を振る。
﹁教室にカーディガン忘れちゃったから、取りに戻らなきゃ! 体
育館は暖かいけど控え室って寒いもん﹂
美月と怜亜の格好を改めて見たシンは﹁そうだね﹂と頷いた。
﹁確かにその白衣一枚じゃ寒いかも﹂
﹁これで風邪引いたらバカみたいだしね。怜亜は教室に忘れ物はな
いの? あるなら一緒に取ってきてあげる!﹂
﹁私はないわ。カーディガンも持ってきてるし﹂
﹁じゃ怜亜はここに残ってて! どっちかが見てないと柊兵がまた
誘惑に乗っちゃうかもしれないから!﹂
﹁へ? 柊兵が誘惑? なんだいそれ?﹂
﹁柊ちゃんたら、さっき先輩のドレスのファスナーを上げてたの⋮
⋮﹂
ヒュウ、と小気味よい口笛の音が廊下に鳴り響いた。
﹁柊兵くん、やるぅ! しっかし最近の柊兵くんは一昔前とは大違
いだね! 俺もお株を奪われっぱなしですよ!﹂
﹁⋮⋮いいから着替えが終わったんならさっさと行け、シン﹂
﹁はいはい了解です、柊兵閣下!﹂
そう言うと、シンは伸ばしていた背筋を美月の方に向かって少し
だけ折り曲げた。
﹁それより美月ちゃん、ここから下の階は飢えた猛獣達で一杯だよ
? そんな罪な格好でジャングルの中を一人で歩いたら危険だから
さ、忘れ物取りに行くの、一緒に付き合うよ﹂
﹁ホント? ありがと! じゃあ柊兵、あたしはシンと直接、家庭
科室に向かうから! いいでしょ?﹂
200
﹁あぁ﹂
﹁よし、じゃあ行きますか﹂
エスコートのつもりか、シンが美月の肩にさりげなく手を回す。
﹁万一、美月ちゃんに猛獣共が襲い掛かってきたら俺が即、撃ち殺
しますんでどうかご安心を﹂
﹁あははっ! 頼りにしてるね、シン!﹂
美月とシンは笑いながら並んで去っていき、俺は怜亜と廊下で二
人きりになった。ナース姿なのでなんとなく視線をそちらに送りづ
らい。
﹁あ、柊ちゃん、ネクタイが曲がってる。ちょっといい?﹂
怜亜が小さく手招きをし、俺に少し身をかがめろ、という合図を
してきた。目線を脇にずらしながら身をかがめると俺の首元付近を
怜亜の白い手が器用に動き、たちまちネクタイの乱れは直っていく。
﹁はい。これでいいわ﹂
﹁サンキュ﹂と言って身を起こそうとするとすぐ下から﹁柊ちゃん、
この間はありがとう﹂という小さな声が聞こえてきた。
﹁この間?﹂
顔を向けるとナース姿の怜亜が俺をじっと見つめている。
﹁果歩を家まで送ってきてくれたでしょ?﹂
﹁あぁ、あれか。礼を言われる覚えはねぇよ。俺が果歩を引っ張り
回したんだからな。それに遅くまで連絡入れなかったしさ。悪かっ
たな、心配してただろ?﹂
すると俺の左手を怜亜が両手でそっと掴んでくる。一瞬ビクッと
しちまった。
﹁嘘つかなくていいんだよ、柊ちゃん⋮⋮﹂
201
周囲に人はいないのに怜亜が再び囁くように言う。
﹁果歩があの夜、全部私に話してくれたの。柊ちゃんを振り回した
のは果歩だったのね﹂
⋮⋮なんだよ馬鹿だな、果歩の奴⋮⋮。全部怜亜に言っちまった
のか。せっかく叱られないようにしてやったのによ。
﹁ごめんね、迷惑かけて⋮⋮﹂
﹁果歩を叱ったりしてないだろ?﹂
﹁うん﹂
﹁ならいい。あいつもあの日はかなりヘビーな体験をしたからな。
可哀想だったよ﹂
﹁果歩、すごく柊ちゃんに感謝してたわ。柊ちゃんはとっても優し
いお兄さんだねって⋮⋮﹂
怜亜は両手で握っていた俺の左手を自分の胸の前にゆっくりと引
き寄せた。すぐ真下にいるので俺を見上げてる瞳が潤んできている
のがはっきりと分かる。それを見た途端にあの懐かしの悪寒、動悸、
息切れ、眩暈⋮⋮。
││ ひ、久々に来やがったッ!
俺は、こ、こういう無垢ですがられるような目で見つめられるの
が生理的に苦手なんだっ⋮⋮!
﹁お待たせ∼! 全員終わったよ、がーであんサン!﹂
視聴覚室の扉が開き、先ほどのチャイナ服の女を先頭に中からど
やどやと女共が出てきた。怜亜が名残惜しそうに俺の手を離す。⋮
⋮た、助かった。これで何とか平静に戻れそうだ。
202
しかし壮観だな⋮⋮。
エ
さっきのチャイナ女にメイド服の女、バニーガールにレースクィ
ーン、それにスチュワーデス、巫女ときて⋮⋮、
││ うぉっ!? ボ、ボンデージまでいやがるじゃねぇかッ!!! リア
セーフ
ロウソクに鞭まで持ってやがるがあれは大丈夫なのか!? 学
園的に安全圏なのかっ!?
﹁早く行きましょっ、がーであんサン!﹂
﹁お、おう⋮⋮﹂
うっかり顔に出ちまった動揺をこいつらに悟られないよう急いで
背を向け、女共の先頭に立って歩き出す。早足で歩き出した俺の背
後ではピーチクパーチクと朝の雀も舌を巻いて逃げ出すほどの女共
の嬌声の渦。
﹁ねぇねぇねぇねぇ、ちょっと見て見て! 横からブラ見えてない
? 大丈夫?﹂
﹁あ∼ん、調子に乗って丈を短く直しすぎたかなぁ? しゃがんだ
らパンツ見えちゃうかも⋮⋮﹂
﹁いいじゃん、見せたって減るもんじゃないし! サービスサービ
ス!!﹂
﹁ここまでコスプレしたからには絶対勝ぁーつ! 誰にも負けない
もんねっ!﹂
﹁ねぇ、さっきチラッとあなたの下着見たら白だったけど、まさか
今もそうじゃないでしょうね? そのファッションに白じゃ興ざめ
よ?﹂
﹁へっへーん、もちろん取り替えたよ! ほら見てよ!﹂
﹁えぇっ!! 黒ー!? 嘘でしょー!? その服に合わせるなら
203
さ、絶対紫でしょ紫! あなたって美的センス無いわね∼! 信じ
らんない!﹂
オレ
⋮⋮こっちが信じられねぇよ⋮⋮。
すぐ前に男がいること、こいつら分かってんのか?
││ そっと左肘が引っ張られる。
見ると怜亜が歩きながら俺の制服の肘の部分をつまんでいる。怜
亜は何も言わないがその心配げな顔を見れば心の内はなんとなく分
かった。
﹁⋮⋮品の無い女ってのは嫌だな﹂
と小声で囁く。
怜亜はコクンと頷き、ホッと安心したように俺の顔を見上げて小
さく微笑んだ。
204
“
相互親睦
”
しましょう! <6>
││ 現在の俺の心境を一言で言えば、﹁酒池肉林の中で瞑想を
続ける若き修行僧﹂がもっともふさわしい。
体育館の隅に置いた椅子にどっかりと座り、館内の様子を眺める。
コスプレウェイトレス
胸を揺らし、美脚を見せつけ、大輪の華のような笑顔で各テーブ
ルを給仕して回る際どい格好の仮装給仕嬢達がすぐ目の前を行き交
う度に慌てて視線を逸らす。
きょうさく
⋮⋮どうやら俺はまだまだ修行が足りなさそうだ。坊さんにこの
両肩を驚策で思い切りぶっ叩いてもらい、無念無想の精神を根幹に
注入してもらわないと脳内に巣食う煩悩を振り払うことが出来そう
に無い。
しかし館内の光景を見ていて思ったが、
︻ 今日だけは無礼講。だが最低限の節度は常に持つべし ︼
という祭典のバックボーンにのっとりつつも、教師と生徒が互い
に気軽な調子で楽しげに語り合っている様子はこれはこれでなかな
か悪くないもんだな。
あちこちに置かれたテーブル上では会話に花が咲き、各自アルコ
ールを摂取しているわけでもないのに大いに賑わっている。
美月と怜亜も大奮闘中だ。
次々に声をかけられ、一生懸命各テーブルに飲み物を運んでいる。
どちらも人気は高そうだ。
続いてシンの姿が目に入る。
205
ボーイ
洗練された物腰で女が集うテーブルに飲み物を配っている最中だ。
数少ない給仕の中で一番女から呼び止められ、注文を受けている。
お? あいつ女共から何かメモみたいなものを貰ったな。女の携
帯番号か? 爽やかな笑顔でそれを胸ポケットに入れてやがる。
おい、真実の愛を探すんじゃなかったのか、シン。 ⋮⋮まぁ俺
には関係ない。放っておこう。
祭りが開始されて早一時間が経過した。
現在の所、大きなトラブルは無い。
スタート時は写真撮影や仮装給仕嬢に絡もうとする輩も何人か出
たが、護衛兵の腕章をつけた俺がその場にヌッと現われただけで全
員すぐにおとなしくなり、被害を未然に防ぐことができた。ウラナ
リ本多も﹁君がいるだけですごい抑止効果だよ!﹂と一人興奮して
いた。思っていたより俺は有名人らしい。
﹁やぁ原田くん、先ほどはお手柄だったね﹂
館内を巡回していたウラナリがまた俺に近づいてくる。
﹁別に何もしてねぇだろ﹂
﹁いやいや君があの場に現れたからこそのスピーディ解決さ。ふっ、
君を護衛兵に推薦したこの僕の眼が正しかったということだね﹂
こいつ、最後はしっかり自分を持ち上げてやがる!
一瞬ムカツいたが、この骸骨男に手を出すと、例の写真集の脅し
を再び喰らいそうなのでここは黙って耐える道を選ぶ。
﹁ところで原田くん、君のお仲間があっちのテーブルで騒いでるん
だ。まだウェイトレス達に直接手は出していないけど、念のために
注意してきてくれるかい?﹂
206
﹁なに?﹂
ウラナリが指さす方角を見ると、テーブルの上に立ち上がってバ
カ騒ぎしている金髪ヘッドの男がいる。⋮⋮将矢か。あのアホが。
﹁頼むよ原田くん。一部のウェイトレス達からもイヤだって苦情が
来てるんだ﹂
﹁あぁ分かった。行ってくる﹂
もし将矢がハメを外して厄介事でも起こせば、祭りがスムーズに
終らない可能性もある。この下らない役から一刻も早く放免された
い俺としては、面倒だがウラナリの言う通りに動くことにした。
椅子から立ち上がり、将矢達がいるテーブルに向かう。そこでは
将矢が双眼鏡を手に、各コスプレ女達を物色している最中だった。
かが
﹁うひょーっ! あの娘の脚サイコー! おーっ!? やべぇもう
ちょいで見えそうじゃん! いいぞ! 屈め! もっと屈めええー
っ!!﹂
アホ
⋮⋮お前はサファリパークに野生動物を見に来た観光客か。無言
で将矢の背後に回り、襟首を掴んで床に一気に引き摺り下ろす。
﹁いってーな! 何すんだてめぇ!! ⋮⋮って、何だ柊兵かよ!
?﹂
﹁何やってんだお前は﹂
こいつ
﹁遠くの娘がよく見えないからこれで見てるだけだろ? カメラや
ケータイは禁止でも、双眼鏡の持込みに関しては注意は無かったは
ずだぜ! そうだろ!?﹂
確かに友好実行委員会からの連絡文書には双眼鏡の持込みに関し
ての記載はなかったと俺も記憶している。しかしルール違反でない
としても、双眼鏡でコスプレ女の身体をズームで見まくるとは決し
て褒められた行為ではない。ったく、法の網目を上手くかいくぐっ
207
てせっせと悪事を働くような真似をしやがって。
﹁お前の言い分も分かるが止めとけ﹂
﹁なんでだよーっ! 見るぐらいいいじゃん!﹂
﹁コスプレ女達からも苦情が来ている。言う事を聞かなければ力づ
くで止めさせるがどうする?﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
どうやら俺が本気でやるつもりだと分かったらしい。将矢は急に
マジな顔になって視線を宙に泳がせた。
﹁将矢、柊兵の挑発に応じてやったらどうだ?﹂
熱い緑茶の入った湯のみを手に、ヒデが口を突っ込んでくる。
﹁ああは言ったが、柊兵の本音は違うはずだぞ﹂
﹁それはどういうことだよヒデ?﹂
尻餅をついていた将矢が立ち上がり、不思議そうな顔でヒデに尋
ねる。
﹁前に柊兵と話したことがあるんだが、俺ら以外でやりあいたくな
い相手は誰だっていう話になったことがあってな、その時俺も柊兵
も同じ相手の名前が出たんだよ。それがお前だ﹂
﹁俺!?﹂
﹁お前は格闘技の経験がない割りにセンスがあるし、ある程度の距
離が保てればお前に負けることはないだろうが、万一懐に飛び込ま
れたらマジでヤバいよなって話したことがあるんだぜ?﹂
チッ、余計なこと言うんじゃねぇよヒデ! 将矢の目が輝いてき
てるじゃねぇか!
﹁マジかよ!? ということはもしかして俺って結構スゴいってこ
とかヒデ!?﹂
208
﹁あぁ、そういうことになるな﹂
﹁なんだよ早く言ってくれよ! 俺、お前らには絶対敵わないと思
って諦めてたぜ! よっしゃあ! そういうことならいっちょマジ
で柊兵と戦っ⋮⋮ぶぎゃっ!!﹂
踵落としが綺麗に決まった。
﹁見事な不意打ちだね、柊兵!﹂
足元の床でひくついている将矢を眺め、俺に笑いかける尚人。当
たり前だ、ここで乱闘騒ぎを起こしたら祭りが大混乱しちまう。厄
介な事になるじゃねぇか。
﹁でもヒデ、今の話ホントなの?﹂
﹁あぁそうだ。お前やシンは気付いてなかったかもしれんが、将矢
は強いぞ? とっておきの武器も持ってるしな﹂
﹁おいヒデッ! なんで将矢をけしかけたんだっ!?﹂
こいつのせいで危うく将矢とマジでバトルをする羽目になる所だ
った。だが俺らの中で一番の常識人であるヒデがなんであんなこと
を言い出したのかが分からん。するとその理由は尚人が代わりに教
えてくれた。
﹁それはね柊兵、コスプレウェイトレスの中に和装の女の子がいな
いからだと思うよ多分﹂
﹁なんだと?﹂
﹁だからご機嫌斜めなのさ。そうだろヒデ?﹂
﹁⋮⋮これだけ仮装している女がいるのに、大和撫子がいないなん
て考えられるか? チャイナもメイドもレースクイーンも要らん!﹂
﹁最初は巫女の格好をした女の子がいたんだけど、あちこちに飲み
物を運んでいる内に具合が悪くなったみたいですぐにいなくなっち
ゃったんだよ。ヒデはそれからずっと機嫌が悪いんだよね、ハハッ﹂
⋮⋮おい、結局はヒデの八つ当たりだったのかよ!?
209
﹁でも怜亜ちゃん達がナースになるとは思わなかったよ。どうして
ナースにしたんだろうね。柊兵、理由知ってる?﹂
﹁知らねぇっ!﹂
シンの替え歌のせいだと知ってはいるが絶対言わねぇぞ!!
﹁でも似合うからいいけどさ。柊兵もそう思うだろ?﹂
これにも返答拒否だ。
そっぽを向いた俺に尚人が﹁そうそう!﹂と続きを付け加える。
﹁さっき将矢が言ってたんだけどね、怜亜ちゃんは色が白いから、
ああいう格好をするとAVの企画物みたいだなって言ってたよ!﹂
﹁⋮⋮何!?﹂
こめかみ内部の神経がブチッと切れそうになった感触がする。そ
こへちょうど近くを通りがかっていたシンが会話に加わってきた。
﹁おーそれ言ってた言ってた! さっきの将矢の話だろ? あいつ、
“
”
となっ
どうしたの? 具合が悪くなっち
あとなに言ってたっけな、えーと確か、もしAVだったら、流れ的
には保健室で怜亜ちゃんが
ゃったの? じゃあ診察した後お注射しましょっか?
そのお注射気持ちいい
て、なぜか怜亜ちゃんの方が白衣を脱いで、最終的には診察台の上
あぁ∼ん!
って叫ぶパターンだって騒いでたな!﹂
“
”
で思いっきり揺れながら
いいぃぃぃぃ∼∼!!
完璧にキレた。
﹁う∼ん⋮⋮﹂と目を覚ましかけた将矢の後頭部にもう一度ガッツ
リと蹴りを入れておく。カエルが潰れたような鳴き声を上げた後、
また奴はしばしの休眠に入ったようだ。よし、成敗完了だ。
尚人が﹁容赦ないなぁ柊兵﹂と笑い、シンの方を振り返る。
﹁でもそういうシンも、さっき美月ちゃんのコスプレについて語っ
てたよね?﹂
210
茶化しに入ってきたのに自分に火の粉が飛んできたシンは急に慌
てだした。
﹁俺!? 俺は将矢みたいにあんなエグイ妄想はしてませんよ!?
ただ、美月ちゃんって肌が小麦色だから、ナース服を着るとそ
の白黒のコントラストが妙にエロイよなって言っただけじゃん!﹂
見事シンから言質を取った尚人が嬉しそうな顔で俺に視線を戻す。
﹁どう柊兵? こっちの発言はセーフ? アウト?﹂
﹁⋮⋮アウトだな﹂
﹁おおお俺、まだ仕事の途中だから! では失礼っ!!﹂ 相変わらず危機管理能力に優れている奴だ。素早くこの場から離
脱したシンが再び給仕の仕事に戻っていく。まぁいい。将矢も寝か
しつけたしこの場はこれで解決したことにしよう。
﹁じゃあ俺は戻るぞ。将矢が起きたらもう騒がないように言ってお
け﹂
﹁了解!﹂
尚人が俺に片目をつぶる。
﹁ヒデもそう腐るな。つーか俺に八つ当たりすんな﹂
﹁⋮⋮確かに大人気なかったな。すまん﹂
冷静さを取り戻したヒデは素直に謝るとまた茶を飲み出している。
よし、じゃあ所定の位置に戻るか。
先ほどまでいた場所に戻り、また椅子に腰を落とす。後は祭典終
了までこの隅に陣取り、館内を眺めていればお役御免だな、そう考
えていた俺の頭上から声が振ってきた。
﹁フレンドシップしましょ? 原田くんっ﹂
211
⋮⋮⋮⋮伯田さんだ。
白衣姿の伯田さんが悪戯っぽい表情を浮かべて俺の背後に立って
いた。
212
“
相互親睦
”
しましょう! <7>
﹁ガーディアンのお仕事大変ね。でもあなたも少しぐらいは相互親
睦の方にも参加しないと。私達とのせっかくの無礼講なのよ?﹂
伯田さんはそう言いながら手近にあった椅子を引き寄せ、俺の斜
め前に座った。
無造作に羽織っている白衣の裾が大きく揺れる。保健室にいる時
と同じ格好をしているだけなのに、この祭りのせいで今の伯田さん
はコスプレに参加している側に見えちまう。
﹁でも驚いたわ。君が女の子を守るガーディアンなんていう警護を
やるなんてね。私、君の事を誤解していたのかも﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁この間は風間さんを病院に連れて行ってくれてありがとうね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁二日後だったかしら。森口さんが報告にきてくれたんだけど、風
間さん、インフルエンザじゃなかったんですってね。良かったわ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁もうっ、本当に原田君って無愛想よね!﹂
仏頂面で相槌すらうたない俺に伯田さんがため息をつく。
﹁これじゃ全然相互親睦になってないじゃないっ。あなたの友達の
楠瀬くんや真田くんはいつも私に愛想がいいわよ?﹂
んな事言われても困る。
シンや尚人のように気軽にポンポンと話題を振ったりする事が俺
にはどうしても出来ない。見かけは同じ人間でも、コミュニケーシ
ョン能力に優劣は存在するんだと伯田さんに言いたいが、それすら
もどうやって言葉にして伝えればいいのか分からないぐらいだ。
213
﹁はぁーい! お待ちどうさま、柊兵!!﹂
そこへ溢れんばかりの元気一杯の声で美月が小走りに駆け寄って
きた。
どうでもいいが、こいつのナース服の胸元のボタンがかなりきつ
そうだ。館内を走り回っている内に弾けとばないといいが。本来の
役割以上の負荷をかけられながらも、なんとか美月の胸元を必死に
ガードしている上から三番目のあの白ボタンに若干の敬意を表した
い。
﹁柊兵だけ何も飲み物当たってないじゃない! もっと早く持って
きたかったけど注文がさばききれなくってさ! はいどーぞ!!﹂
﹁あ、あぁ悪ィな﹂
美月の手からコーラを受け取る。
﹁もう風邪はすっかり治ったみたいね、風間さん﹂
伯田さんに声をかけられ、美月は﹁はい?﹂と斜め後ろを振り返
った。そして次の瞬間、﹁あっ﹂と絶句した美月の顔が強張ったこ
とに気付く。
﹁どうしたの風間さん?﹂
﹁その格好⋮⋮、あなたは保健室の先生ですか?﹂
﹁え?﹂
伯田さんは一瞬驚いたような顔をした。ポニーテールが小さく揺
れる。
﹁あぁ、風間さんはあの時すごい高熱でぐったりしていたから私の
顔を覚えてないのね。そうよ、私は保健室在住の伯田加奈子。よろ
しくね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
赤いフレームの眼鏡に手を沿え、軽いギャグを入れた伯田さんの
自己紹介も美月の強張った表情を緩ませることは出来なかった。微
214
笑む伯田さんを美月は無言でじっと見つめている。
美月はしばらく黙り込んでいたが、﹁柊兵﹂と俺の名を呼ぶと背
を向けたままで言い放つ。
﹁⋮⋮あれ、そういう意味だったんだ?﹂
そう言い終るや否や、美月はこの場から駆け出し、体育館の外へ
と走り去っていった。
途中で怜亜の腕をつかみ、怜亜も一緒に連れて。
⋮⋮気付かれちまったかっ!?
慌ててあいつらの後を追って館外へ出ようとしたが、どこからと
もなく現われた本多に行く手を遮られてしまった。
﹁原田くん! どこに行くつもりだい!? 護衛兵の君がここから
いなくなったらもし何かアクシデントが起きた時に僕らが困る!﹂
﹁うるせぇ! こっちもアクシデント発生だ!!﹂
そう叫ぶと本多を思い切り突き飛ばし、駆け出した。すると最後
の足掻きか、体育館の床にひれ伏した本多も負けじと叫ぶ。
﹁原田くん! 君の秘密を話すよ!?﹂
﹁勝手にしろっ! もうバレちまったよ!﹂
体育館のドアを蹴り飛ばして開ける。一気に流れ込んできた冷気
が両頬を撫でた。
目の前に伸びる廊下。あいつらの姿はすでに無い。
どっちだ!? どっちに行った!?
とにかくまずは前進だ。あいつらを探さなくちゃならねぇ。
長い廊下を突き当たりまで走るとヤマ勘で右に曲がり、コの字型
215
の進路を今度は左に曲がる。しかし曲がった先に伸びる廊下に人の
気配は無かった。逆だったか⋮⋮!
踵を返し、逆のルートを進む。
こちらの廊下にも人気は無かったが、時間をロスしたせいであい
つらはもうどこかに行ってしまったのだろう。
小さく舌打ちをし、とにかく走る。走りながら両側の教室をガラ
ス越しに覗き込んだがどこにもあいつらの姿は無かった。
一階⋮⋮二階⋮⋮三階⋮⋮四階⋮⋮、駄目だ、どの階にもいねぇ!
となると残るは⋮⋮
屋上のドアを開けた。
いた。
十五メートル先の屋上の手すりの前に美月と怜亜はいた。
揃いのナース姿に紺色のカーディガンを羽織ったあいつらは、俺
が乱暴に扉を開けた轟音に気付き、こちらを無言で見ている。怜亜
も何も言わないということは、美月がもう話してしまったのだろう。
うぅ、すげぇ気まずい。
屋上でのしばらくの沈黙の後、最初に口火をきったのはやはり美
月だった。
﹁言ってくれればよかったのに! 伯田先生が好きなんだってさ!﹂
秋風が美月の怒りを含んだ声を続けざまに運んでくる。
﹁柊兵の部屋にあったあの写真集のモデルの人、伯田先生にそっく
りだったよね!?﹂
216
││ その通りだ。
俺が本棚の奥に隠していたあの水着写真集は、モデルが伯田さん
によく似ているということで、去年銀杏高の男子生徒の間で一時噂
になった写真集だった。
﹁そうなんでしょ柊兵! あんたは伯田先生のことが好きなんでし
ょ!? 正直に言ってよ!﹂
﹁柊ちゃん⋮⋮﹂
美月が、怜亜が、俺にどこまでも真っ直ぐな視線を向けてくる。
再び俺達の周囲に沈黙のバリアが張られた。
⋮⋮好きだったのかもしれないが分からない、なんて言ったら美
月と怜亜に逃げていると思われてしまうだろうか。
入学当初の乱闘事件の後、初めて伯田さんと顔を合わせた時は確
かに体が硬直し、自分でも伯田さんを強く意識していると思った。
あの写真集の件が校内で話題に上った時も、シン達の前では興味
のないフリをし、密かに写真集を買ったりもした。
しかしその後の俺は保健室に行くことは無かったから、伯田さん
へのあの緊張が特別な感情のものなのか、それともいつものように
あの人が女で、しかも美人だから緊張しちまっているのかがよく分
からなかった。
だが、この間怜亜に連れられて保健室に入り、久々に伯田さんと
対面した時、俺はまったく動揺していなかった。
その事から分かったことだが、今現在のみの心境で言えば、俺は
伯田さんのことを好きではない。以前はもしかしたら好きだったの
かもしれないが、今は好きではない。
だがコミュニケーション能力の低い俺が、その事をどうやってう
217
まくこいつらに伝えられるんだろう?
﹁⋮⋮もう止めましょう美月﹂
この沈黙の間を乱さない、静かな声が聞こえた。怜亜の声だ。
﹁私たちが柊ちゃんを責めるのは間違っているわ﹂
﹁だってさ、伯田先生のことが好きならどうして最初にちゃんと⋮
⋮﹂
﹁ううん。最初に私たちが柊ちゃんに有無を言わせずに強引に側に
いったから、だから柊ちゃんもきっと伯田先生が好きなことを言い
出せなかったのよ。そうでしょ? 柊ちゃん﹂
怜亜が俺に向かって微笑む。
その何かを諦めたかのような静かで穏やかな笑顔。その笑顔を見
て俺は腹を決めた。
﹁⋮⋮違う﹂
今は言わなくちゃいけない、と思った。
上手く言える自信はまったくねぇけど、こいつらには俺の、今現
在の俺の気持ちをちゃんと話すべきだ。
﹁⋮⋮た、確かにな、確かにあの写真集は去年俺が自分で買った。
伯田さんが好きだったから買ったのかもしれないし、それを確かめ
るために買ったのかもしれない。それは認める。でも、今は違う。
今は伯田さんの側に行っても何とも思わない。思わなくなってる﹂
口下手な俺なりに精一杯自分の気持ちを説明したが返ってきたの
は沈黙のみ。
うぅ、やはり気まずい。
218
これ以上何を喋っていいのか分からないがとりあえずまだ何か言
葉を発しようと口を開きかけた時、美月が真剣な表情と声で言い放
った。
﹁じゃああたし達からはこれで最後の質問にする。これはすっごく
重大な質問だよ柊兵!﹂
美月は怜亜に顔を向け、頷く。すると怜亜も小さく頷き返し、真
っ直ぐな目と声で俺に最後の質問をしてくる。
﹁柊ちゃん、私たちのことが好き? 私たちが側にいても迷惑じゃ
ない?﹂
⋮⋮な、なぁ、それ、言わなきゃいけないのか?
ここで返事をしなきゃいけないのか?
⋮⋮いけないんだろうな⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮駄目だっ!!
照れ臭くってとても向かい合ってなんて俺には言えねぇ!!
急いでこいつらに背を向け、低い声で﹁あ、あぁ﹂とだけ呟いた。
即座に﹁ホント!? 柊ちゃん!?﹂﹁嘘じゃないっ!?﹂とい
う声が背後から聞こえてくる。
恥ずかしさに震えながらもう一度短く肯定の返事をすると、背後
でパタパタと二つのリズムでナースサンダルが鳴る音が聞こえてく
る。
219
﹁おわっっ!?﹂
突如背中に激しい衝撃。
美月と怜亜が抱きついてきたのだ。
﹁やっと柊兵が好きだって言ってくれた∼∼!!﹂
﹁ずーっっと柊ちゃんの側にいるわっ!﹂
﹁おいっおまえら、押すな、押すなって!﹂
││ 高校の屋上でナース服姿の幼馴染同級生二名にぎゅうぎゅ
うに抱きつかれ、困惑している男がここに一人いる。
どんどんと泥沼にはまっていっているような気がするのは気のせ
いだろうか?
⋮⋮その後、機嫌を直した美月と怜亜を連れて体育館に戻ったが、
祭典はまもなく終了間近で仮装給仕嬢の一位を決める投票もすでに
終っていた。
コスプレクィーン
投票の集計はその場で速やかに行われ、壇上で一位が発表される。
栄えある仮装女王は、俺がチャイナドレスのファスナーを上げて
やった池ノ内というあの三年の女の頭上に輝いたようだ。
﹁あーあ、あたし達じゃなかったね怜亜﹂
と呟いた美月の声は少々悔しそうだ。
﹁いいじゃないの美月。別に優勝を狙っていたわけでもないんだし﹂
﹁ま、それもそうだね! それにもっといいことあったしね!﹂
﹁えぇ!﹂
次の瞬間、美月と怜亜が両腕にしがみついてくる。
220
もうこの逮捕攻撃にはとっくに慣れているが、頼むからこれだけ
大勢の人間がいるこの館内では遠慮してくれ。
チキン
そう言いたいがどっちもあまりに嬉しそうな顔をしているので言
い出せない小心者がここにいる。これじゃあのカラオケ店で黙々と
働くモヤシ店員を笑えねぇな。
投票結果発表も終わり、演出のために明るさを落としていた体育
館内の照明に再び光が戻ってきた。館内が少しずつ明るくなるにつ
れ視界の幅も広がり、美月と怜亜以外の見覚えのある白衣が視界の
中央に入ってくる。
﹁あら原田くん。風間さんとケンカしたかと思ったらもう仲直りし
ているの? しかももう一人、森口さんも増えてるし﹂
伯田さんが笑いながら近寄ってくると、美月と怜亜は俺にさらに
ピッタリとくっつき、
﹁どーも、お・か・げ・さ・ま・で!﹂
﹁えぇっ、もうすっかり仲直りですからご心配なくっ!﹂
と台詞自体はあくまで温和だが、表情にはうっすらと挑戦的な微
笑みを浮かべ、強めの口調で伯田さんに言い返している。美月はと
もかく、怜亜がこういう表情をするのは珍しい。
﹁そう。良かったわね二人とも﹂
﹁はい!﹂
﹁えぇ!﹂
おいおい、伯田さんはまったく気付いていないが、今の会話の間
にはビシバシ青い火花が散ってたぞ⋮⋮。もし側に危険物があった
221
ら即引火、なおかつ爆発しそうな勢いだ。
﹁モテる男の子はツライわね、原田くん? 君が女の子にこんなに
モテるなんて知らなかったけど﹂
伯田さんは最後にそう言うと、白衣を翻して保健室の方角に颯爽
と去って行った。
よ、よし、これで祭りも無事に終わったか⋮⋮。
さて、俺も本多にこの護衛兵の腕章を突っ返してくるか、と思っ
た時だ。
美月が俺の右腕をがっしりと押さえたままで上半身を大きく前に
倒し、反対側にいる怜亜に向かって目配せをする。
﹁怜亜っ!﹂
すると怜亜も﹁えぇ!﹂と即座に呼応し、その次の瞬間こいつら
の手が俺の左胸にそれぞれ押し当てられた。
﹁⋮⋮うん、大丈夫! 伯田先生と話しても全然ドキドキしてない
! さっきの屋上での言葉は嘘じゃなさそうだね!﹂
﹁柊ちゃんの心臓の鼓動って、普段はこんなに遅いのねっ﹂
そしてなぜか拍動のリズムを確認し終わったはずなのに、二本の
手はいつまでもサワサワと俺の胸をまさぐり、妖しくうごめきまく
っている。⋮⋮ったくこいつらは⋮⋮。
相互親睦祭典
はここに無事幕を下ろした。
フレンドシップ・フェスティバル
﹁だからお前ら、こういう確認方法は止めろぉぉぉ︱︱っ!!!!﹂
こうして第十二回
⋮
222
⋮⋮⋮とにかく疲労困憊だ⋮⋮⋮⋮。
223
お誕生日おめでとう <1>
リフレッシュルーム
今は昼。
ここは休憩室。
両脇には⋮⋮、
﹃ハ∼ッピバァ∼スディ∼ディア∼﹄
﹃柊∼兵∼!!﹄ ﹃柊ちゃ∼ん!!﹄ ﹃ハァ∼ッピバァ∼スディ∼ツ∼ユ∼!!!!﹄
現在、左右の鼓膜がそれぞれ違った女の声を認識中。他のテーブ
ルで静かに食事をしている連中が皆こっちをチラチラと見ている。
﹁柊兵∼! お誕生日おめでとう∼!!﹂
﹁おめでとう柊ちゃん!!﹂
十月十九日、普段は厳かなクラシックが流れ続けているこの休憩
室。その空気を一変させる美月と怜亜のバースディソングのおかげ
で原田柊兵、本日再び公衆の面前で晒し者だ。
俺の前にはこいつらが昨日二人で手作りしたという、直径三十セ
ンチはあろうかという特大ケーキがどんと置かれている。こんなも
ん、どうやって学校に持ってきて、昼までどこに保管しておいたん
だ。大体俺は甘い食い物が大の苦手なのによ。
生クリームをこれでもかとばかりにたっぷりと塗りたくりまくっ
て作られた白い土台の上面には、お約束のチョコレートプレート。
しかもそこには﹃ハッピーバースディ!﹄+俺の名前+ハートマー
クのどでかい白文字入り。
224
どっちの趣味だか知らねぇが、コアラ、ヒヨコ、パンダ、ウサギ、
アライグマと、メレンゲで出来た砂糖人形が五体、行儀よく横一列
に並んでまん丸の純粋な瞳で俺を見上げている。
おかげでケーキに視線を落とすとこいつらと強制的に視線が合っ
ちまう。どういう顔すりゃいいんだよ。
﹁いやぁ∼柊兵くん! 君、十七年生きてきて今年が一番幸せな誕
生日だろ?﹂
向かいに座っているシンが、やに下がった顔で俺の様子を高みか
ら見物している。
おもちゃ
よくよく周りを見渡せば、シン以外の他の三人も全員似たような
顔をしてやがる。畜生、また俺はこいつらのいい玩具かよ⋮⋮。
﹁おい柊兵。美月と怜亜に礼を言えよ。こうやってわざわざお前の
ために作ってきてくれたんだぞ?﹂
﹁柊兵はきっと照れているんだよ。嬉しいくせにね。僕には分かる
よ﹂
││ だぁぁっ! ヒデも尚人も余計なこと言うなっ!
﹁いいなぁ柊兵は⋮⋮俺、羨ましいぜ⋮⋮!﹂
と、今にも指を咥えそうな勢いで羨望の眼差しを送ってくるのは
将矢だ。この晒し者の状況を本気で羨ましがっているこいつの神経
が分からねぇ。
誕生歌とBigケーキの披露が終わると、すかさず怜亜が弁当を
差し出してきた。
﹁柊ちゃん、今日は私のお弁当を食べてね!﹂
シェフ
⋮⋮実は二週間前から俺の弁当を作る料理人は毎日変わっている。
225
月曜が美月、火曜が怜亜、水曜が母親で、木曜、金曜はまたこい
つらが作っている。
このコンビが母親に勝手に頼んで、水曜以外の俺の弁当を交代で
作りたいと言ったらしい。料理勉強のために俺に味見人になってほ
しいとかなんとかうまい理由をつけてな。
わずらわしい弁当作りが週一になると知って母親は二つ返事でO
プライベート
Kしやがったようだ。そしてお礼に、と近いうちに美月と怜亜を家
に招いて夕飯を食う話もあるらしい。
テリトリー
もう完全にこいつらのやりたい放題に事は進んでいる。私 的 領 域にまであっさりと踏み込まれ、その内にほぼ全エリアをこい
つらに侵食されかねない勢いだ。
しかし最近はそれぐらいのことで動じず、今も怜亜から﹁サンキ
ュ﹂とだけ呟いて弁当を受け取る余裕の出てきている俺。人間は日
々成長する生き物だって事を身をもって実体験中だ。
﹁今日は柊ちゃんの大好きなものいっぱい作ってきたの!﹂
俺の面倒を見るのが嬉しくてたまらない、といった様子の怜亜が
大型弁当の蓋を開ける。
﹁うぉー! 今日も豪勢だなー!!﹂
弁当箱の中身を見て将矢が真っ先に叫んだ。食い物屋の息子のせ
いか、いつも一番に弁当の中身に反応してくる。
﹁なぁ怜亜ちゃん、これ何?﹂
﹁これはカジキマグロの南蛮漬けよ﹂
﹁すっげー美味そう! なぁなぁ一個でいいから味見させてくれ!﹂
﹁えぇ、いいけどここからは取らないでね。これは柊ちゃんのだか
ら。私の分をあげる﹂
﹁マジ!? ラッキー!!﹂
するとテーブルに頬杖をついて大喜びの将矢の様子を眺めていた
シンが、
226
﹁あーあ、今日も変わらず天使ちゃんに愛されているなぁ柊兵くん
は⋮⋮﹂
と溜息交じりに呟く。
﹁最近シンはあまり柊兵をからかわなくなったよね﹂
尚人の言葉にシンはさらに大きくふぅ、と息を漏らして続けた。
﹁最初はからかうのも面白かったけどさ、柊兵くんのあまりの愛さ
れっぷりに段々自分が空しくなってきたんだよ。俺も適当に女と遊
ぶのは止めて真実の愛を探そうかなぁ⋮⋮﹂
﹁ハハッまた出たね。シンの口癖﹂
﹁いやこの間まではふざけて言ってたけどさ、最近は本気の本気で
考え始めてる次第です﹂
﹁すごい心境の変化だねシン。女の子漁りに明け暮れていた男の発
言とは思えないよ﹂
﹁だからからかうのは止めてくれ尚人。俺、マジなんだからよ。⋮
⋮ほら見てみろよ。俺がこんなに落ち込んでいるっていうのにさっ
さと愛情弁当を食べ始めている男がいるしさ﹂
シンの嘆きをよそに俺は黙々と弁当を食う。
怜亜のやつ、また腕を上げているな。小学校の家庭科実習で怜亜
の料理のレベルが高いことは知っていたが、今はあの頃よりもさら
に高いレベルになっていた。今日の惣菜の数々もどれも甲乙つけが
たいほど美味い。
﹁ねぇ柊兵。あたしのと怜亜のお弁当、どっちが美味しー?﹂
││ なんつータイミングだ。美月、お前は人の心が読めるのか。
﹁⋮⋮どっちも﹂
﹁いいよ嘘言わなくても。だって自分でも分かってるもん、全然怜
亜の方が上だってこと﹂
﹁じゃあ聞くなよ﹂
227
﹁一応確認よ、確認!﹂
照れ隠しなのか、美月は白い歯を大きく見せて俺に向かってウィ
ンクする。
﹁さぁ柊ちゃん、今度はケーキを食べてね!﹂
絢爛弁当を食い終わった瞬間、間髪いれずに先ほどのケモノ付き
特大ケーキが再び登場しやがった。
﹁お、おい、まさかこれ、俺一人で食うわけじゃないよな!?﹂
﹁うん! もちろんみんなにもおすそわけするよ! 柊兵は主役だ
から多く食べてもらうけどね! だからこのケーキの半分は柊兵の
分だよ!﹂
﹁は、半分だと!?﹂
﹁はい柊兵、口開けて! あ∼ん!﹂
﹁柊ちゃん、あ∼んしてね!﹂
ケーキ
責任量の洋菓子ショー
ノルマ
︼。所要時間は十二分ってと
││ 本日の最大の見世物PART?。
別名、︻
こか。
直径三十センチケーキの半分を死に物狂いで食い切り、胸焼けで
一気に気分が悪くなっている俺にさらに追い討ちをかける声。
﹁あ、柊兵! 今日は放課後あたし達に付き合ってね! 渡したい
ものがあるから!﹂
﹁HRが終わったら柊ちゃんのクラスに行くから先に帰らないでね
?﹂
まだあるのか。まだありやがるのか。
いや、この現状を受け入れる事にしたんだろ、原田柊兵。
ここでへこたれてどうする。頑張れ、目一杯頑張れ。
228
⋮⋮正直ギブアップ寸前だ。
・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・︱︱︱・
︱︱︱・︱︱︱・
帰りのHR中、外を眺めていた右肩を突付かれた。右隣を見ると、
穏やかな笑顔を浮かべたヒデが廊下を指差している。
D組はもうHRが終わったらしい。
美月と怜亜が何やら喋りながら俺を待っている姿がガラス窓の向
こうに透けて見える。
⋮⋮準備万端、ってやつか。
ようやくこちらもHRが終わった。
スポーツバッグを肩に担ぎ、廊下で待っているあいつらの所へ行
こうとした俺の背中に向かってヒデが声をかけてくる。
﹁柊兵、お前少し変わったな﹂
﹁あ? 何がだよ﹂
﹁前に美月と怜亜を助けてやった以降、お前のあいつらへの態度が
段々変わってきたと思ってな﹂
﹁⋮⋮そうか?﹂
﹁自分じゃ気付かんか。まぁいつまでも三人仲良くというわけには
229
いかないだろうが、とにかく今のあいつらは少しでもお前の側にい
たいんだ。分かってやれよ、その気持ちをな﹂
とりあえず﹁あぁ﹂と生返事を返しておく。
││ だがさすがのヒデも知らないだろう。
非常に馬鹿馬鹿しいが、美月と怜亜はこの日本に一夫二婦制を導
入して本気で一生俺とずっと一緒にいるつもりなんだよな。
もしこの馬鹿げた発想をヒデに教えたら、ヒデの奴は一体どんな
顔をするだろう。﹁老成﹂と誉れの高いこの男もさすがに動揺する
だろうな。
そう考えたら思わず笑っちまいそうになった。
﹁じゃあまた明日な﹂
ヒデにそう告げ、軽く片手を上げて帰ろうとした時、
﹁柊兵閣下! 今日のこの後の詳しい戦況を、是非明日我々にご報
告願います!﹂
とシンの声。
このからかいを無視して教室を出ようとしたが急に目の前に将矢
が現われ、
﹁いいなぁ柊兵は⋮⋮。今夜一気に二人喰いかよ⋮⋮羨ましすぎる
ぜ⋮⋮!﹂
と赤ん坊のようにリアルに指を咥えながらのたまった。
ったく具体的な理由は分からんが、やはりこいつの発言が生理的
に一番癪に障る。そこで恒例の成敗を行った後に教室から出ると、
待ちかねていた美月と怜亜が即座に駆け寄ってきた。
﹁柊兵! 将矢となんかあったの?﹂
﹁あ?﹂
﹁だって柊ちゃんが難波さんの首に腕をぎゅううっって巻きつけた
230
後、難波さんってば教室で倒れちゃってるけど⋮⋮?﹂
将矢に天誅を加えていた所をこいつらもしっかりと見ていたよう
だ。かといって裁きを下す原因になった将矢の下世話な台詞をこい
つらに言うつもりもない。
﹁ただのスキンシップだ、気にするな﹂
とだけ言い、先に歩き出すと﹁あっ! 待ってよ柊兵!﹂﹁待っ
て柊ちゃん!﹂とすかさず両腕にいつもの重力がかかってきた。や
れやれだ。
玄関で靴を履き替えた時だけは両腕も一瞬自由の身になったが、
履き終わればまたすぐに両側からW拘束。ま、もう慣れちまったが
な。
﹁柊兵、じゃあ急いで帰ろうっっ!!﹂
美月のどでかい元気満タンの声が右の鼓膜を刺激する。
﹁⋮⋮急いで帰ってどうするんだ?﹂
﹁あのね柊ちゃん、まずは一旦それぞれのお家に帰って、着替えた
後にもう一度集合するの!﹂
美月に影響されたのか、怜亜の声もいつもより大きい。
﹁もう一度集合?﹂
﹁そうそう!! で、まずはあたしだよ!!﹂
あかひら
右腕を拘束中の美月がさらに音量を上げて叫ぶ。
﹁柊兵、あの場所覚えているでしょ? ほらっ赤比良川のすぐ側に
あるあの高台! あそこのベンチに五時半までに来て! あたしの
時間が五時半から六時までで、六時に怜亜が来たらバトンタッチで
あたしは帰るから! 各自の有効タイムは限られているんだから遅
れたら絶対に許さないからねっ!﹂
⋮⋮なるほど。今度は一緒ではなく、別々に攻めてくるわけか。
231
芸が細かいな、お前ら。
﹁いい? 柊ちゃん?﹂
とかすかに目を潤ませて怜亜が俺の顔を覗き込んでくる。
いやいや、だからよ、良いも何ももう決まってることなんだろ?
元々俺に選択させる気なんかはなっから無いだろうが、お前達は。
まず一つわずかな溜息をついた後、次に吐いた分だけの冷たい新
鮮な空気を肺に取り入れてからこいつらに返事をする。
﹁⋮⋮了解﹂
﹁やったぁ│!!﹂
俺の了承に美月が空いている片腕でガッツポーズ。怜亜は頬を桃
色に染めてさらに身体を摺り寄せてくる。もうどうにでもしてくれ。
﹁柊兵くん見ーっけ! ははーん、その子達ね! あなたがつきま
とわれて困っているっていう女の子達って?﹂
突然正面から聞こえてきた聞き覚えのある鈴の声。
校門を出た俺の顔は驚きで固まった。
目の前には⋮⋮。
﹁あっあんた!?﹂
﹁お久しぶり∼♪ ⋮⋮って、まだ一ヶ月くらいしか経ってなかっ
たわね!﹂
││ ミミだ。あのチビ占い師が俺の目の前に立っていた。
232
233
お誕生日おめでとう <2>
目の前にミミがいる。
どう見たってあいつだ。間違いねぇ。
これが流行りなのか俺にはまったく分からんが、ミミはやたらと
ヒラヒラしたした生地がたくさんついた服を着ていた。スカートな
んかまるで広げた日傘のように膨らんでいる。
確かこいつは前に﹁若くみられすぎるのも困りものだ﹂などと言
ってたが、そういうおかしな格好をするから余計にそう見られるん
じゃねぇのか?
﹁ちょっと柊兵、誰よこの人?﹂
﹁柊ちゃんのお知り合いの方?﹂
美月が明らかに怪訝そうな表情で、そして美月ほどではないが同
じく怜亜も不思議そうな表情で珍妙な格好のミミを共に見ている。
だがミミは自分に向けられているこいつらの不審な眼差しを気に
もせず、例の異国情緒を感じさせる微笑を浮かべながら最初に美月、
そして次に怜亜を指差した。
﹁なるほどね! あちらが活発な方の女の子で、そちらが控えめな
性格の女の子ってわけね!﹂
﹁あんた誰!?﹂
ついに美月が俺を経由しないで直接ミミに問い質し始めた。また
しても非常にヤバい予感がしてきたのだが。
234
﹁私は影浦深美っていう者だけど、でも朝のTVでお馴染みの、ミ
ミ・影浦って言った方がよく分かるかしら?﹂
﹁えぇーっっ!?﹂
美月と怜亜が揃って驚いた声を出す。
﹁嘘ッ!? あのミミ・影浦なのっ!?﹂
﹁モーニング・スクランブルの占いをしている方ですか!?﹂
自分の名を知った美月と怜亜の反応を見て、ミミの虚栄心は大い
に満たされたようだ。得意満面で﹁そうよっ﹂と答えた時のこいつ
の低い鼻が多少高くなったような感じすらする。
しかしこいつらもミミのことを知ってたのか。やはりこのチビっ
子はそれなりに有名人なんだな。
するとしばらく口に手を当てて目を丸くしていた怜亜がふと思い
ついたという様子で、﹁でもどうして影浦さんが柊ちゃんとお知り
合いなんですか?﹂と尋ねた。
﹁知りたーい? ふふっ、じゃあ教えてあ・げ・る!﹂
そう言うとミミは自分の右手の人差し指をピッと立てて一度俺を
指した後、再び指を天に向けて何度もクルクルと旋廻させた。
⋮⋮この怪しい動き、見覚えがあるぞ。
これはあのおたふく天使野郎が占い発表の前に星付きステッキ片
手に必ずやるアクションだ。
半端ないあいつの白塗り不細工面を思い出してまた不快指数が一
気に上昇しかけた時、ミミは自信たっぷりにこう言い放った。
﹁あのねっ、柊兵くんは一ヶ月前に自分が進むべき道を見失い、暗
中模索の手探り状態になっちゃったの! それで私のところに救い
を求めてきたのよっ!﹂
235
││ おいおいおいおい! ミミの奴、勝手に話を捏造してやが
る!!
﹁アハハハッ!! 柊兵がミミ・影浦に自分の運勢を占ってもらい
に行ったっていうの!? ウッソだぁ!﹂
俺の腕にぶら下がり、美月が大笑いをする。そして明らかに小馬
鹿にしたような目線でミミを見た。
﹁そんなの絶対に信じられない! だって柊兵は間違ってもそんな
ことするタイプの人間じゃないもんねー!!﹂
すると美月の言い方と態度がよほど疳にさわったのか、このチビ
っ子占い師は眉をキッと上げ、口を固くへの字に結んだ。その表情
から見てもどうやらかなり気分を害してしまったらしい。
本気でヤバい予感がした時、ミミの反論が始まった。
﹁ううん嘘じゃないわよっ! だって私、一ヶ月前にエスタ・ビル
で占いをやったんだけど、そこに柊兵くんが一人で来たんだもん!
だから話を聞いたら、活発な性格の女の子と、控えめな性格の女
の子につきまとわれてとっても迷惑してるって言ったのよ? で、
これから先、どうしたらその女の子達から離れられるか、って私に
すがってきたのよ! 私、ちゃーんと占ってあげたわ! これが嘘
だと思うなら柊兵くんに直接聞いてごらんなさいなっ!﹂
うわわわぁぁぁぁぁ││││っっ!!!
ミミの奴、言っちまったぁぁぁぁぁ││││っっ!!!
⋮⋮な、なんだ、この思い切り地雷を踏みつけたような感覚は⋮
⋮?
恐る恐る両脇を見ると、美月と怜亜、両方の顔から表情が完全に
消えていた。
236
その光景を見た瞬間、恐怖が凄まじいスピードで背中から這い上
がってくる。
幼い頃、テレビからズルズルと這い出す女の亡霊のCMを見た時
すら微塵の恐怖も感じなかったこの俺が、今はこいつら二人の能面
のような顔を見て本気でビビッている。と、とにかく、今のミミの
発言を打ち消しておかないとマズい!!
﹁な、なぁあんた、それはちょっと大袈裟すぎやしないか? あの
時、俺そこまで言ってないだろ? な?﹂
││ おいっミミッ! お前、仮にも未来を覗ける占い師なら俺
の心を今読め!
この目に浮かぶ救助信号︵S・O・S︶に気付けって! 人の心
を見透かせるお前なら出来るだろっ!?
﹁⋮⋮柊兵、本当にこの人に占ってもらったんだ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮やっぱり柊ちゃんは私たちに迷惑していたのね⋮⋮﹂
ヤバいッ!! 俺も自ら地雷をセットしちまったぁぁぁぁぁ││
││っっ!!!
焦る俺の両腕が急に軽くなる。両腕にかかっていた重力から解放
されたのだ。
﹁⋮⋮行こ、怜亜﹂
﹁⋮⋮えぇ﹂
手を繋ぎ、俺の元から去っていく美月と怜亜。
237
﹁あ、ちょい待て! 美月!! 怜亜ッ!!﹂
﹁わぁ∼私の占い当たりそう♪ 柊兵くん、良かったわね! これ
でめでたく牢獄の鎖から解き放たれるわねっ!﹂
││ ろっ、牢獄の鎖っておいっ! これ以上は無いくらいのミ
ミの援護⋮⋮いや違った、追撃射撃だ⋮⋮。
おそらくこのミミの声がしっかりと聞こえたのだろう、美月と怜
亜の足取りがますます速くなる。
だからこのままじゃマズいってのっ!!
﹁ねぇ柊兵くん、占いも当たったみたいだし、気分いいから何か奢
ってあげる! どっかに行こ!﹂
﹁なに!?﹂
﹁私、喉渇いちゃったし!﹂
と呑気に笑い、俺の腕を取るミミ。
だから待て!
タイムだ!
まずは考えさせろ!
今のこの状況、俺はどう動けばいいんだ!?
﹁ほら行こ行こっ﹂
﹁ちょ、ちょっと待てって!!﹂
強引にミミの手から腕を振りほどき、ダッシュしかけたが、あい
つらの姿はもう見えなくなっていた。あぁ、また悪い予感が当たっ
ちまったか⋮⋮。
急に取り乱した俺の様子を見たミミが、﹁柊兵くん、あなたもし
かして⋮⋮?﹂と驚いた声を出す。
今頃気付きやがって。もう遅せぇよ。
﹁だ、だってあなた、この間は私にあの子たちが迷惑だって言った
238
わよね?﹂
﹁⋮⋮﹂
あぁ、そうだ。
あの時確かに認めたさ。
でもあの時、俺はすぐに肯定しなかった⋮⋮いや、出来なかった
という方が正しいか。
そして肯定した後に分かったんだ。
実はあいつらを本気で迷惑だと思っていなかったことにな。でも
ミミには分かるわけねぇよな、そんなこと。
﹁⋮⋮ところであんた、なんでこんな所にいるんだ?﹂
偶然にしてはタイミングが良すぎる。
﹁もちろん柊兵くんに会いに来たのよ。確か今日お誕生日でしょ?
あの後どうなったかな∼って思ってね﹂
﹁はぁ? あんたもヒマな人だな⋮⋮。だけどなんで俺がこの高校
だって分かったんだ?﹂
﹁だってこの間会った時、柊兵くん学校帰りだったでしょ? 実は
私もここが地元なの。だからその制服ですぐに銀杏高校の生徒だっ
て分かっちゃったのよ﹂
﹁へぇ、あんた、ここが地元だったんだ﹂
﹁うん。でね、柊兵くんの名前ももう知ってるから、今ここから出
てくる生徒さんを使って柊兵くんを呼び出そうとしていたところだ
ったの。そしたらちょうど柊兵くんが女の子に絡まれながら歩いて
来たからさ、及ばずながら引き離すことに協力しようと思ったんだ
けど、どうやら余計なことだったみたいね⋮⋮。ごめんね﹂
﹁いや、あんたのせいじゃない。元はといえば全部俺が悪いんだ﹂
自嘲気味にそう言い放つ。
﹁でも何とかしなくっちゃ。どうしよっか? 私が嘘をついてたっ
て言ってあの子たちに謝ろっか?﹂
239
﹁いやいい。俺が何とかする﹂
ミミの申し出はありがたいがこいつは何も悪くない。
腕時計に目を落とすと時刻はもうすぐ四時になろうとしていた。
四時か⋮⋮。
下げていた目線を少しだけ上げ、視線をこのチビっ子占い師に戻
した。
﹁あんた、喉渇いてるんだろ? 茶に付き合うよ﹂
﹁えっいいの!? あの子たちを追わないで!?﹂
よほどビックリしたんだろうな、ミミの細い目が今は倍くらいに
見開かれている。
﹁いいんだ、五時過ぎまでは時間が空いてる﹂
五時まで時間を潰そう。
ミミと共に歩き出してから俺はそう決めた。
これはかなり分の悪い賭けのようなものかもしれない。だがさっ
きの約束通り、あいつらは約束の時間にあの場所に来るような気が
する。
普段から悪い予感以外はあまり当たらない俺だが、今回はあまり
信憑性のないこの自分の勘を信じてみることにした。
240
お誕生日おめでとう <3>
⋮⋮しかし女っていう生き物はどうしてこうも判で押したように
甘い食い物が好きなのだろうか。
女体内部の仕組みにはあまり詳しくないが、こいつらの体内のD
NA文字列には﹁常時甘味を摂取せよ﹂という特別指令でも別枠で
書き込まれているのか?
﹁うわ∼美味しそう∼!﹂
現在、優に二人前はありそうなどデカいパフェが俺の前に悠然と
鎮座し、己の存在感をこれでもかとばかりに威風堂々とアピールし
ている。見ているだけで胸焼けがしてきそうだ。
そしてこの雄大な甘味白山の向こう側には﹁これから至福の時を
満喫いたします﹂と言いたげなミミの顔。ちっこい耳掻きみたいな
リフレッシュルーム
スプーンでうず高く盛られた生クリームをパクパクと頬張り始めて
いる。
あぁそういや俺も、今日の昼に休憩室で美月と怜亜手製の特大ケ
ーキをしこたま食べさせられたな、と回想し⋮⋮⋮⋮本気で胸焼け
がしてきた。
﹁なぁ、あんたさ、これ本当に一人で全部食いきれるのか?﹂
かなりのハイペースでパフェを食べ続けるミミに内心呆れつつ尋
ねると、
﹁うん、全然ヨユー﹂
という涼しい答えが返ってきた。どうやらまったくもって無問題
らしい。
241
なんでもこいつは
﹃
らぶパフェ
﹄
という名称のパフェで、
どうやら恋人同士でつつき合うのが正式な食い方らしく、店員の手
“
”と呼べるよう
甘味の総オーケスト
キング・オブ・スイーツ
“
によって俺の前にも二本目の耳掻きスプーンは一応配膳されている。
”、もしくは
だが甘い食いもんが苦手な俺は、この
ラ
なこの物体を、しかもチビ占い師と一緒に食う気は無い。
⋮⋮どうでもいいがミミの奴、さっきは﹁喉が渇いた﹂とか言っ
てなかったか?
コーヒーを啜りながら上目遣いでミミを眺める。
しかし何度見ても二十六には到底見えねぇ。その珍妙なファッシ
ョンと、にこやかな顔でパフェを食っている容貌は、どうみても十
四、五歳ってとこだ。
次にカップ片手に周囲を見渡してみる。
ミミの一押しだというこの店。
ここは甘い食い物が有名な店らしく、周囲の八割が女の客だ。男
も若干いることはいるが、全員女連れで来ている。
⋮⋮待てよ。ということは、俺とミミも傍から見ればそういう関
係に見られてる、っていうことか⋮⋮。
パフェ
相手はまるで中学生みたいな容姿ときて、しかも俺らのテーブル
には言葉に発すれば即悶絶しそうな名称の甘味物まで乗っかってい
る。あくまで第三者から見た場合だが、不自然な点は何も無い。⋮
⋮そう見られるのは激しく迷惑だが。
﹁なに見てるの? 柊兵くん﹂
店内を観察していた俺の様子に気付いたミミがパフェを食う手を
一旦止めて笑いかけてくる。
242
﹁別に﹂
﹁ふ∼ん⋮。あっそういえば私、柊兵くんに聞きたいことあったん
だった!﹂
﹁なんだよ?﹂
﹁あのね、この間あげた私のアレ、読んでくれた?﹂
﹁あ? あぁ、角で思い切りぶん殴れば凶器にもなりそうなあの占
い本のことか?﹂
﹁何よその例え! しっつれいね∼! ちゃんと読んでくれたんで
しょうね!?﹂
﹁⋮⋮いや﹂
﹁え∼なんでよ∼!? せっかくタダであげたのに∼! 自慢じゃ
ないけどあの本、結構いいお値段がするのよ?﹂
﹁別にくれなんて頼んでないだろ。あんたが勝手に押し付けていっ
たんじゃねぇか﹂
﹁相変わらず素直じゃないわね⋮⋮﹂
ミミは軽く口を尖らせるとまたパフェに向き直った。そしてガラ
スの器をクルクルと回しつつ、盛り上げられたクリームの横っ腹に
豪快に風穴を開けていく。
おいおいなんだその食い方、木こりじゃねぇんだからよ。最後は
こっちに倒れてこないだろうな。
バースチャート
﹁じゃあさ、当然出生天宮図なんか作ってないわよね?﹂
﹁作るわけねぇだろ﹂
﹁やっぱりね⋮⋮。じゃあやっぱり私が作ってあげる。あの後出生
時刻は調べてくれた?﹂
﹁アホか﹂
﹁調べてないの!? もう∼じゃあまた作れないじゃないの∼! ⋮⋮あ! ねぇ柊兵くん、ケータイ持ってるんでしょ? 今お母さ
んに電話して出生時刻を聞いてみてよ!﹂
243
﹁やなこった﹂
﹁ケチ﹂
続いてサク、と言う音。
パフェ側面に添付されていたウェハースをミミがかじった音だ。
﹁なんでそんなに俺の出生天宮図とやらを作りたがるんだよ﹂
﹁ん、占い師としての純粋な興味!﹂
﹁あんた、本当にヒマなんだな⋮⋮﹂
心底呆れた口調でそう呟くと、ミミは手にしていたウェハースを
一気に食べきり、慌てたように話を続けだした。
﹁だってね、私のところに来る人って、当たり前だけど占いをある
程度は信じている人でしょ? だから柊兵くんみたいに占いを信じ
ていないのに占いを気にするタイプも珍しいわ。普通は鼻にも引っ
掛けない態度で終わっちゃうもんだけど﹂
﹁違う。俺もつい最近まで鼻にも引っ掛けてなかった。でもこの間
仲間の協力でいい事が起きる
︼って出ると俺
もあんたに言ったが、マジであの九日間の的中率は凄かったんだ﹂
﹁そんなに?﹂
﹁あぁ例えば、︻
今日は何も進展が
︼って出ればあいつらはまったく姿を現さなかったりとかな。
の仲間があいつらに加担して俺を嵌めたり、︻
無い
偶然にしてはあまりにもビタッと当たりすぎてた。⋮⋮あぁ、でも
よ、そういやあんたの朝の占い、最近は全然当たらなくなったぜ?﹂
﹁⋮⋮嫌ねぇ、占っている本人の前でそんなに嬉しそうに言わない
でよ﹂
ブルーベリーの粒を二粒同時に口にいれ、ミミは不満げな声を漏
らした。だがすぐに表情を変えて興味津々の瞳で俺の顔を覗き込ん
でくる。
﹁ねぇねぇ! ちなみに柊兵くんはお友達にどうやって嵌められち
ゃったの∼?﹂
244
モルモット
あいつら
││ 生贄にされて美月と怜亜にのしかかられたシーンが脳裏に
華麗にフラッシュバック。
﹁どっ、どうでもいいじゃんか、そんなこと﹂
可愛い
”
だぁー!?
こいつは二十六歳 実は俺より年上
”
﹁あらっ? やだっ赤くなってるぅ∼! 隠すの下手なのねっ。分
“
かりやすいわぁ、柊兵くんって! なんか可愛いっ﹂
⋮⋮十七の男に向かって
“
⋮⋮いや、危ねぇ危ねぇ。
俺は例の題目、
を心の中で唱えた。
だが俺がこうして必死に怒りを抑えていることなど露知らず状態
のミミは、パフェ内に散らばっているヘーゼルナッツを耳掻きスプ
ーンで熱心に寄せ集めつつ、﹁でもさぁ∼﹂と呑気な口調で話を続
けている。
﹁でもさぁ∼柊兵くんはさぁ∼、お友達の協力もあったんだろうけ
ど、ああやってベタベタくっつかれる内にあの子達のこと好きにな
っちゃったんでしょぉ∼? だってさ、どっちもとっても可愛かっ
たもんねっ!﹂
﹁ちっ、違うっ!﹂
﹁あらそうなの?﹂
﹁たっ、ただ俺はっ、今の自分の状況に対し見苦しく足掻くことを
止めようと思っただけだっ!﹂
“
苦難の
﹁あらあらあらあら∼! とうとう達観しちゃったんだ? そうそ
う、確かお釈迦様の教えでそういうのあるわよね! 245
”
ってさ! じゃあ原田柊兵くんは、弱冠十七歳
状況に置かれても、これはこれで寧ろ良い事なのだとその事実を受
け入れなさい
にして解脱の境地、というものにすでに達してしまったということ
なのね? ふふっ、すっごぉぉ∼∼い! あたし尊敬しちゃうなぁ
! ご利益があるようにあとで柊兵くんを拝ませてもらおーっと!﹂
⋮⋮こめかみ内部でビキビキと神経が切れたような音がする。こ
いつ、完全に俺をバカにしてるじゃねーか! 俺をいじるのはシン
だけでたくさんだっつーの!
⋮⋮いや待て待て待て待て。
落ち着け落ち着け。いいか、二十六、二十六なんだ。
そうだこいつは二十六、二十六、二十六、二十六、二十六、二十
六、二十六⋮⋮。
だが心を静めるためにこうして内心で必死に題目を唱えている最
中も、目の前の二十六歳の口は休む事がない。
﹁あのさあ、これは完全に私の個人的な興味なんだけどね、柊兵く
んはあの女の子達のどっちが好きなの?﹂
もちろんこの質問には完全無視を決め込む。
﹁ふーんノーコメントかぁ⋮⋮。でもなんとなくどっちかは分かっ
たけどねっ!﹂
﹁かっ、勝手に決めつけんなっ!﹂
するとミミは﹁あらっ?﹂と言い、パフェのてっぺんからずり落
ちてきていたサクランボを手に取るとそれをパクリと口に咥え、俺
に向かって意味深に笑う。
246
﹁ワタクシ、こういうことを見抜く力は優れていることをお忘れ?﹂
247
お誕生日おめでとう <4>
小さな口の隙間から覗く艶やかな赤い実に一瞬ドキリとする。
俺の目の前でサクランボを咥えたミミの顔。
その顔だけは十四、五歳の顔では無かった。これは間違いなく大
人の女の顔だ。
チビのくせに妖艶な色香を急に振り巻き出したミミは、﹁んふっ﹂
と口の中でこもったような笑い声を上げる。
﹁それに元々男の人ってさ、女性に比べて自分の気持ちを隠すのが
とっても下手っぴさんが多いしね。柊兵くんなんか完全にそんなタ
イプよ? 本人は隠しているつもりでも周りには思いっきりバレバ
レなの。だから勘の鋭い女の子なら柊兵くんの気持ちなんてあっさ
り読まれちゃうと思うな﹂
﹁俺の性格を勝手に分析すんなっ!﹂
﹁ふふっ、図星だから焦ったんでしょ?﹂
﹁だから違うっての!﹂
﹁ちなみに私の予想がどっちの女の子か言ってみていい?﹂
﹁い、言わなくていいっつーの!﹂
俺の気持ちが周囲に丸分かりだなんてこいつのハッタリだとは思
うが、ここは一先ず必死に拒絶しておいた方が良さそうだ。
リブラ
﹁あぁそうそう! 今日柊兵くんに会うつもりだったからプレタポ
ルテだけど天秤座の男性のここ一ヶ月の恋愛運を占ってきたわ。⋮
⋮でも実はあまりいい占いが出なかったのよね⋮⋮。しかももうな
んとなく当たりはじめていそうだし⋮⋮﹂
﹁いいって、もうあんたの占いは!﹂
﹁プレタポルテだからいいじゃない。気軽に聞きなさいな。それに
248
ね、もしこの先避けられないアクシデントが起こったとしても、そ
れに対処するための心の準備がある場合と無い場合では、その後の
展開は大きく変わるものよ。そうでしょ?﹂
﹁ぐ⋮⋮﹂
﹁それに聞いておくことでアクシデントへの対策が立てられるかも
しれないし、上手くいけばそれを回避できるかもしれないんだから
! 自分の運命をより良い方向に導く為にねっ﹂
耳掻きスプーンから手を離し、ミミが居住まいを正す。
﹁⋮⋮いい? 今月後半から来月前半にかけての天秤座男性の恋愛
運は、気流に例えると乱気流。浮き沈みが激しいわ。災難が降りか
かる暗示が出たから、冷静に対処しないと行き違いになってすべて
がご破算になっちゃうかもしれない。だから意中の女の子がいる場
合はここでしっかりと掴まえておくこと。港とか海とか、水の関係
する場所がラッキーポイントよ。そして最も重要な事は、ちゃんと
災難が降りかかって行き違い
︼
という
自分の気持ちを素直に相手に話すこと。隠し事をせずにね﹂
⋮⋮なるほど。
ミミの言う通り、︻
のだけはもう当たっていそうだな。で、その災難をもたらしたのは
張本人ってのは、今俺の目の前にいるあんただと思うんだが?
﹁だっだからさっきも言ったろ? あんたの朝の占いはもう当たら
なくなってんだ。新たにまたそんなもんを聞いたって何の対処にも
ならねぇんだよ﹂
﹁ねぇ柊兵くん。そうやって占いが当たる、当たらないだけに固執
しないで、今日家に帰ったら私の本を読んでみてよ?﹂
自分の占いを否定し続ける俺に不安を感じたのか、ミミの声のト
ーンが少しだけ落ちている。そして寂しそうな顔で俺を見た。
249
﹁⋮⋮確かに柊兵くんの言うように占いは万能ではないわ。必ず当
たるものではないし、気休めにしかならない時もあるかもしれない。
⋮⋮でもね、それはそれでいいと思わない? それを信じて未来に
大きな夢や希望を持ったり、過ちを犯さないように努力することは
とっても素敵なことだと私は思うんだけど?﹂
ぐっ⋮⋮、急にしおらしくなるんじゃねぇよ! 何か俺一人が悪
者みてぇじゃねぇか!!
﹁⋮⋮ま、まぁ、あんたの言いたいことは多少分かる﹂
﹁でしょっ!?﹂
珍しく俺が肯定したせいか、ミミは声を弾ませて本当に嬉しそう
に笑った。そしてその満面の笑みの前で両手を合わせる。
﹁だって誰だって笑って生きていきたいじゃない? わざわざ辛い
気持ちを抱えたがる人なんかいないわ。占いって、心に抱え込んで
しまったネガティブをポジティブに変換することの出来る、たくさ
んの切り替え手段の中の一つだと思うの。私はそう思ってるわ﹂
小休止のつもりなのか、ここでミミが一つ深呼吸をした。
目の前で俺に向かってにこやかに微笑むこのちびっ子占い師は、
その鈴のような声色に穏やかさをプラスしてさらに俺に語りかけて
くる。
﹁柊兵くん、たまには星空を眺めてごらんなさい。私達の住むこの
青い星が幾つもある太陽系の惑星の一つだってこと、もちろん柊兵
くんも分かっていると思うけどね、でもそれだけの認識だと思うの。
ね、柊兵くんは感じたことがあるかしら?﹂
﹁何をだよ?﹂
﹁夜空に浮かぶたくさんの惑星や満点の星々。それらは全て私達を
中心に回っているってことをよ﹂
250
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁だからね柊兵くん、星占⋮﹂
“
星が俺らの運命を決める
っていうだろ? そこが気に食わないんだよな﹂
﹁⋮⋮でもよ、星占いってやつは
”
﹁エッ?﹂
ミミは俺のこのいきなりの発言に少し驚いたようだ。
アストロロジー
一瞬細い目を大きく見開いて俺をまじまじと見た後、思い直した
ようにニッコリと笑う。
アストロ
”
と、≪学問≫、“
︼といったほうが本当は近いの
占星術
ロジー
﹁じゃあ柊兵くん、一つ教えてあげる。占星術っていうのはね、≪
“
人文天文学
という意味を合わせたものなの。だから意味合いは︻
天体≫、つまり
”
︼というよりは︻
よね。計算や理論を使い、天体の運行と私達地上の人間生活の様々
な現象を追求していく立派な学問の一つなのよ。だから決していい
加減なものじゃないわ﹂
﹁別にいい加減だなんて言ってないだろ﹂
占いなんて胡散臭いものの代名詞だ
”って﹂
﹁でも一ヶ月前にエスタ・ビルで会った時は言ってたじゃない。
“
一瞬だけ返答に窮し、ミミから視線をずらす。
すると喋る事に夢中になり放置時間が長すぎたせいだろう、パフ
ェ中央に豪快に盛られていた三つのアイスが大規模な雪崩を起こし
始めているのが視界に入ってきた。そいつを横目に渋々と返答する。
﹁⋮⋮あ、あの時とはまた少し考え方が違ってきてる﹂
﹁えっホント!?﹂
﹁⋮⋮あぁ。多少はな﹂
﹁多少かぁ∼。⋮⋮でも良かった! 柊兵くんの偏見が少しは緩和
251
されて!﹂
耳かきスプー
救 助 道 を再び手にした。それを使った迅速な救助活動により、三つの
溶け始めてきたアイス群を救護するため、ミミが
ン
具
塊はどんどんとその姿を消していく。
それらの塊がガラスの器内からあらかた消滅した後、ミミは﹁あ
とこれで最後ね﹂と前置きしてまた続きを話し出した。
﹁あのね、占星術は誕生した時の惑星の位置によって性格が、そし
“
星が運命を決める
”
てその後の惑星の運行状況で未来の運命が分かる、という考えが前
提なの。だから柊兵くんの言うように
って私達占星術に携わる者は言うわ。でもね、前にも言ったけど、
星が告げるそれぞれの運命は決して絶対じゃない。あくまで星々は
私達が幸せな未来を歩いていけるように導いてくれる指針。進路を
運命の語り手
フェイトテラー
”
なのよ﹂
予測し、次に自分はどう行動すればいいのかを考えさせてくれる
“
﹁⋮⋮ふーん⋮⋮﹂
﹁あ、それよりそろそろ時間大丈夫?﹂
店内の壁にかかっていた時計が視界に入ったのか、ミミが心配そ
うな声を上げる。
五時五分か⋮⋮そろそろ行くか。
﹁あぁ、じゃあ俺行くわ﹂
立ち上がり、店員の手によってテーブルの隅に控えめに置かれて
いた伝票を手にしようとした瞬間、僅差でミミに奪われた。
﹁ダ∼メ! 私が奢るって言ったでしょ? 罪滅ぼしの意味もある
しね。それに私のほうがあなたよりもずっとお姉さんなんだからご
馳走して当然よ﹂
﹁⋮⋮それ、つい忘れちまうんだよな﹂
252
﹁もうっ相変わらず失礼ね! まぁいいわ。それより柊兵くん、携
帯の番号教えてよ。番号交換しましょ!﹂
﹁ハ? なんでだよ?﹂
﹁なんでって⋮⋮だってもう私達お友達じゃない! 友人なのにお
互いの連絡先も知らないなんておかしいじゃないの﹂
﹁友人とはちょっと違うと思うがな⋮⋮﹂
﹁何よー! 私に携帯番号教えるのイヤなんだ? ふーん、あっそ
うっ!﹂
漫画のコマに例えるならばプン、と擬音がつきそうな子供っぽい
仕草でミミがそっぽを向く。
﹁別に嫌ってわけじゃないけどさ⋮⋮﹂
﹁じゃあ教えて! 今すぐ!﹂
﹁あ、あぁ⋮⋮﹂
結局ミミの強引さに負けてケー番やメアドを教え合っちまった。
どうも俺はこういう押しの強いタイプの前だといいように流され
てしまう傾向にあるようだ。情けねぇ。
﹁よし、これで登録OK、っと! ねっ柊兵くん、たまにはメール
でもしましょうね! あ、それと一応教えておくわ。あと二ヶ月ち
何事もあるがままに
︼
よ。じゃあ、あの娘たちの誤解を
ょっとで今年は終わっちゃうけど、今年の天秤座のキーワードはね、
︻
解くの、頑張ってね!﹂
﹁あぁ﹂
周囲に気を配ったのか、まだ三分の一近く残っている巨大パフェ
マクロコスモス
の前でミミが俺に向かって小さく手を振る。
﹁柊兵くん、あなたに大宇宙のご加護がありますように﹂
俺も軽く片手を上げ、﹁じゃあな﹂と呟き、外に出た。
253
先ほどよりもかなり気温が下がり始めている。
その冷たい外気を思い切り吸い込み、肺に充満していた店内の甘
ったるい香りをすべて吐き出した。⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮行くか。
もし指定された場所に美月と怜亜がいなかったら、あいつらの家
に寄ってみよう。
そう決めて俺は赤比良川の高台へ向かった。
254
お誕生日おめでとう <5>
││ 懐かしいな。
ここは昔あいつらやヒデとよく遊んだ場所だ。
かなり水位が下がっている赤比良川を高台から眺め、感慨にふけ
る。
最近の日の落ち方は本当にあっという間だ。
上空の色はハイスピードで鮮やかな薄紫色に染まり、もうすぐ夜
風に変わろうとしている川風がまるで急かすように俺の髪を何度も
揺らし続ける。
時刻は午後五時二十七分。
すでに二十分以上待っている。
あいつらから指定されたベンチには誰もいなかった。
あれだけ﹁遅れるな﹂と騒いでいた美月が来ないということは、
どうやら賭けは外れたらしい。
制服のポケットに突っ込んでいた携帯電話が鳴った。これはメー
ル着信のコール音だ。
もしかしてあいつらか⋮⋮?
かすかな期待と共に取り出してみると、ディスプレイはついさっ
きまで一緒にいたチビ女からのメールが届いている事を告げている。
おい、またお前かよ⋮⋮。
一応開いて読んでみる。
255
前半は美月や怜亜と無事に仲直り出来るようにと心配している内
容で、後半は先ほど甘味喫茶で予言した俺の今年の運勢とやらをご
丁寧にも簡潔にまとめてやがる。どうでもいいが本当にヒマな奴だ。
だがこうして再度有難迷惑なアドバイスをしてくれたはいいが、
肝心のあいつらがこないんじゃ、なんの意味も無い。
軽い溜息をついた後、空しさを抱えつつベンチ中央の空席に座っ
た。
そして穏やかに流れる赤比良川の流れを見下ろした瞬間に子供の
頃をふと思い出す。
そういや、昔は台風シーズンになる度にこの川の辺りには絶対に
近づくなと親からきつく言い聞かされていたっけなぁ。だが幼かっ
た俺はそんな注意など話半分で、その豪流めがけて薄っぺらい石で
水切りをしたらちゃんと水面を弾いて点々と飛ぶのだろうかと下ら
ないことを考えてワクワクしていたような気がする。
そこまで回想していた時、頭上に何かが降ってきた。
﹁うぉ!?﹂
そいつは軽かったので痛くは無かったが、純粋に驚いた。
反射的に頭上に一瞬乗ったその物体を掴んだが、ふわふわと柔ら
かい。目の前に持ってきてみると、その柔らかい物体の正体は、銀
色の二つの袋を青いリボンで一つにまとめた包みだった。
﹁それ、あんたの誕生日プレゼントだから﹂
振り返ると美月が怒ったような顔で、そして怜亜が寂しそうな顔
で、俺の後ろに立っていた。二人とも制服姿のままだ。
包みを放り投げたのは性格からいってたぶん美月だろう。
﹁怜亜と話し合ったんだけど、あたし達が何日もかけてせっかく作
256
ったからとりあえず渡しておく。焼くなり煮るなり捨てるなり勝手
にして。もうあたし達、柊兵にはつきまとわないから。迷惑かけて
ごめん。じゃあねっ﹂
早口、しかもほぼ棒読みに近い口調でそう言うと美月は俺に背を
向け、怜亜も﹁さよなら、柊ちゃん﹂と俺に最後の挨拶をし、共に
帰って行こうとする。
﹁ちょっと待てお前ら! とりあえず話を聞けって!﹂
俺の強い制止に二つの足音は同時に止んだ。
上半身だけを器用にひねらせ、美月が俺を見る。
﹁嘘つき男が何か言いたい事でもあるわけ? 迷惑だったあたし達
にさ﹂
美月の声が硬い。怜亜は何も言わない。
現時点で俺が得られているのはこのひたすらに重いプレッシャー
だけだ。
﹁まっ、まぁ、その、色々とな⋮﹂
﹁色々? 例えば何よ? 例を挙げてみなさいよ﹂
⋮⋮このままこいつらの足を止める何かいい話題は無いか? 髪を掻きむしりたい衝動を抑えつつ、必死に考えてみる。
あぁ、そうだ。
そういえばこいつらに聞きたかったことが一つあったな。
俺は二人の幼馴染を代わる代わる見ながら言った。
﹁な、お前らの星座って何座なんだ?﹂
257
虚をつかれた
”って顔だった。
俺のこの台詞の後のこいつらの顔は面白かった。傑作だ。
まさに放心、“
だがよく分かるぞ。
なんせこの俺の口から﹁お前らの星座は何だ?﹂だもんな。
もし俺とミミが知り合いだということをこいつらが知る前の状態
なら、俺がイカれちまったと思われたかもしれない。
この珍妙な問いかけの後、俺らの間にしばしの膠着時間が訪れる。
たぶんそれは時間にすればほんの数十秒のことだったのだろう。
しかし今の俺にとってはまるで数十分の出来事のように感じた。
早くこの沈黙状態から脱出したかったが緊張しているせいで口の
中がカラカラに乾き、次の言葉が出てこない。
しかも次に何を言えばいいのかも皆目分からないときている。情
けねぇ限りだ。
﹁柊ちゃん⋮﹂
もしかすると俺のこの心境が伝わったのかもしれない。
俺の名を呼び、凍結状態から一番先に離脱して俺を開放してくれ
たのは怜亜だった。
﹁柊ちゃん⋮⋮、それ、影浦さんから聞くように言われたの?﹂
怜亜は華奢な両腕を軽く身体の前でクロスさせ、言いにくそうに
告げる。
﹁いや違うっ! ただの興味本位だっ!﹂
慌ててそう釈明し、顔の前で二度大きく手を振る。
このままこの場を終わらせたくないと必死になったせいか、この
動作はシン並みのオーバーアクションになっちまった。
﹁な、なぁ、大体考えても見ろよ。お前達の誕生日を俺はちゃんと
258
覚えている。あの占い師に言えば、お前達の星座が何かなんてわざ
わざ聞かなくてもすぐに分かることだろ?﹂
﹁え!? ウソ!? 柊兵はまだあたし達の誕生日を覚えてるの!
?﹂
どうやら美月も正気に戻ったようだ。唖然とした表情はそのまま
だが、急に勢い込んで尋ねてくる。
﹁あぁ、覚えてる﹂
﹁じゃあ言ってみてよ!﹂
﹁あぁ言う。これから言うから二人ともとりあえず隣に座れ﹂
﹁⋮⋮怜亜、どうする?﹂
﹁うん⋮⋮﹂
美月と怜亜はお互いの顔を見合ってしばし躊躇していたが、結局
ベンチの側に揃ってやって来ると俺の隣にそれぞれ座った。
⋮⋮が、あのカラオケボックスの時よりも俺との間隔はかなり離
れている。
しかし相変わらず本当に分かりやすいな、お前達は⋮⋮。
さて、何から切り出そう。
まずはこいつらの誕生日からだな。
﹁怜亜が二月二十九日で、美月が六月六日だ。そうだったよな?﹂
﹁そうよ。柊ちゃん、覚えていてくれたのね⋮⋮!﹂
﹁驚いた! 柊兵ってば本当に覚えてたんだっ!﹂
硬かったこいつらの声にわずかだが喜色が混じり始めたのを俺は
聞き逃さなかった。
何とかここで上手く畳み掛けねぇとな⋮⋮。
﹁ところでこれは何だ?﹂
259
手の中にある二つの包みの中身を尋ねてみる。
﹁開ければ分かるわよ﹂
美月が答えたので両方の包みを開けてみた。
中には黒と灰色の毛糸で編んだ、手袋とマフラーがそれぞれ入っ
ていた。
手袋は手の甲だけを覆う指出し型で、マフラーは少々長めに出来
ている。
﹁見れば分かると思うけど、グローブ担当は私。で、マフラーは怜
亜。でもさ、私は編み物初トライだって事を念頭に置いてよね。時
間的都合及び精神的疲労により、指先部分は省略させてもらったか
ら﹂
美月の言うとおり、確かに手袋は網目の大きさに多少のバラつき
があった。
だがほつれてきたり、はめる時に網目の隙間にうっかり指を突っ
込んでしまうようなレベルではなさそうだ。
﹁こういう事が大の苦手なお前がよくこんなの作れたな﹂
﹁うん、怜亜に教えてもらって必死にやった。でもどうしても間に
合わなかったんだよね。だからここ最近は学校にまで持ち込んで、
休み時間に家庭科室で必死にラストスパートかけてたんだけどダメ
だった﹂
川面を見つめたままで美月が呟く。
そうか、それでここしばらくお前達は休み時間に教室にいなかっ
たんだな⋮⋮。
もう一度手袋に目を落とす。
小学校の時に家庭科の成績が万年アヒル型だった美月にしては上
出来だ。
﹁サンキュー、美月。ありがたくいただくよ﹂
﹁⋮⋮﹂
260
今度はマフラーに視線を移す。
一目の狂いも無く綺麗に揃った網目だ。市販品と比べても少しの
遜色も無い。
身体が弱かったせいでインドア派だった怜亜は料理や裁縫が昔か
ら得意だったからな。
﹁怜亜、これサンキューな。お前は昔からこういうのが得意だもん
な。暖かそうだ﹂
﹁⋮⋮え、えぇ⋮⋮﹂
マフラーを巻き、手袋をはめる。
﹁どうだ? 似合うか?﹂
しかし引き続き両サイドからの返事は無かった。
そうか、これじゃまだダメか⋮⋮。
261
お誕生日おめでとう <6>
︻
第一部 完
やはりそろそろ切り出すしか無さそうだ⋮⋮。
︼
紫紺に染まる空の下、ある程度のレベルまでは覚悟を決める。
﹁あ、あのな、さっきのミミ・影浦の話なんだけどな、あれは一部、
いや、大部分に脚色が入ってるんだ。あの占い師、勝手に俺の話を
曲解しちまってよ﹂
この言葉を言い終わった途端、美月と怜亜、それぞれの視線が一
斉に俺に向けられる。それがあまりにも直線的な視線だったため、
思わずたじろぎそうになった。
﹁な、なんだよ!? 嘘じゃねぇからな!?﹂
﹁でもさっ、結局のところ柊兵はあたし達が迷惑だから占いで追い
払って欲しいって頼んだんでしょ!?﹂
﹁柊ちゃん、いいのよ。正直に言っても⋮⋮﹂
﹁だっ、だから違うっての! 俺はあいつに占ってもらいに行った
んじゃねぇっ! た、ただよ、ちょっと興味本位で覗きに行ったら
あの占い師に掴まったっていうか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ふぅん⋮⋮﹂
﹁⋮⋮そう⋮⋮﹂
そう言ったっきりついに完全に黙り込む美月と怜亜。
畜生っ、埒があかねぇっ!! もうこれはこいつらに馬鹿にされ
るのを覚悟で全部言っちまうしかないっ!!
262
﹁あぁ分かった!! 分かったよ!! 全部正直に言うッ!!﹂
深く息を吸い、己の恥部を大声で一気にまくし立てた。
﹃
愛の十二宮図
ホロスコープ
﹄
っていうのがある
﹁お前らもミミ・影浦を知っていたみたいだから分かると思うが、
朝のテレビであいつの
だろ!? 九月の初めにあれを見ている内に、妙に当たってること
に気付いたんだ! あの占いで恋愛運がいい日はお前らが俺のとこ
ろに来て色んな過激攻撃をしやがるし、反対に運勢が悪い日はお前
らは一切姿を現さねぇ! それが毎日毎日恐ろしいぐらいにビタッ
と当たるもんだから段々本気で怖くなってきてよ、それでどうした
もんかと思っていたら、偶然ミミ・影浦がこの街で占いをやるって
知って、野次馬根性で覗きに行ったんだ! で、たまたまあいつと
顔を合わせた時にその話を少ししただけなんだって! それをあの
占い師が誤解しちまっただけなんだ!!﹂
正直、この本音をぶちまけた後もまだ沈黙が続くと思っていた。
ただし今度は情けねぇ俺に心底呆れて、だ。
だが俺がすべてをまくし立て終わった瞬間、横で怜亜が小さく息
を呑む。
そこで左に顔を向けると、その大きな瞳を何度も瞬きさせながら、
怜亜が驚いた顔で俺の顔をまじまじと見ていた。
﹁柊ちゃん⋮⋮﹂
瞬きを止め、怜亜が俺に囁く。
﹁モーニング・スクランブルの占いを見てたの⋮⋮?﹂
﹁あ、あぁ﹂
﹁それでよく当たるな、ってすごく怖くなっちゃったの⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮あ、あぁ、そうだ﹂
263
うわ、めちゃめちゃカッコ悪ィな俺⋮⋮。あんな占い如きにビビ
ッていたことをとうとう完璧に認めちまった。
しかし怜亜はまだ俺の顔を穴の開くほどに凝視している。そして
その小さな桜色の唇から飛び出してきた三度目の言葉に、今度は俺
が驚かされる番だった。
﹁あ、あのね柊ちゃん。私たちがミミ・影浦さんの占いに沿って毎
日行動していたの⋮⋮。だからそれは当たって当然よ⋮⋮﹂
﹁なっ、何ィーッ!?﹂
俺が目をむいて絶叫した途端に反対隣りで美月の大爆笑が始まる。
﹁あははははははっ!! おかしい∼∼∼!!! お腹痛ぁ∼い!
! しゅっ、柊兵が、う、占いを、占いを怖がってただなんてさ∼
∼!! もう傑作すぎだよ∼∼!! 明日絶対ヒデ達にも教えてあ
げなくっちゃ!!﹂
待て待て待て待て!! どうかそれだけは勘弁してくれ美月!! この事実を知られたらあいつらからどんな嘲笑を受けるのか、想
像しただけでもこのちっぽけなプライドがずたずたになりそうだ!!
ひぃひぃ言いながらまだ笑い転げている美月に、とても済まなそ
うな顔の怜亜。本当にこの二人は対照的だな⋮⋮。
しかしあれだけビビッていたのにタネが分かっちまえばなんてい
仲間の協力でいいことがある
うことは無い。あんなにビビッっていたのが馬鹿みたいだ。
って占いがあった⋮﹂
﹁おい、ということは何か? “
”
﹁あぁ、柊兵にあたし達がキスした日でしょ?﹂
目尻の涙を拭いながら美月が後を受ける。
愛の十二宮図
ホロスコープ
︼でそう出たから、
﹁あの日の占いでそう言ってたから、朝にシン達を呼び出して何か
協力してよって頼んだの! ︻
とは話してないけどねっ。そしたらシンがさ、﹃んじゃ、手始めに
264
キス行ってみます?﹄って言うからさ、シンに計画練ってもらった
っていうわけ!﹂
シンの野郎⋮⋮。だが拳で殺れば薬で殺り返されるのはほぼ間違
いないしな⋮⋮。
すると﹁ごめんなさいね柊ちゃん﹂としおらしい声で怜亜が謝っ
てくる。
﹁柊ちゃんがそんなに怖がっていただなんて私たち全然知らなかっ
たから⋮⋮。ミミ・影浦さんの占いって、よく当たって幸せになる
って前の学校にいた時に評判だったの。それで私たち、柊ちゃんに
好かれるようにしばらくあの占い通りの行動を取ってみようって決
めたの。だからね、天秤座で運命の曲がかかった朝はとってもさみ
しかったわ。今日は柊ちゃんの側に行けないのね、って思って⋮⋮﹂
うぉっ⋮⋮!
真実を知らされて気を抜きまくっていた所に激しく大ダメージ。
今の怜亜の言葉は延髄にもろに手刀を喰らったような衝撃を受け
た。
﹁そうそう! で逆にさ、﹃天秤座の恋愛運、今日は最高!!﹄な
んて出ると燃えたよね! あたしさ、つい血気盛んになりすぎて柊
兵の背中に飛び乗っちゃった日あったもんっ!!﹂
き
続いて足刀だ。こちらも上手く水月に極めてきやがった。
⋮⋮こいつら、こいつら、健気すぎる⋮⋮ッ!!
﹁なーんだ、お互い誤解していたみたいだね! あ、さっきの柊兵
の質問だけど、あたしは双子座だよ!﹂
﹁本当にごめんね柊ちゃん。でも柊ちゃんとキスした日以降はもう
265
あの占い通りに行動していないから怯えなくていいのよ。そして私
の星座は水瓶座ねっ﹂
││ 双子座に水瓶座? あの時ミミが言っていたのは確か⋮⋮
﹁なぁそれって別名ないか? カタカナかなんかでさ﹂
﹁うん、双子座がジェミニで、水瓶座がアクエリアスっていうのよ、
柊ちゃん﹂
││ マジかッ!? 因縁
確かそのジェミニって奴とアクエリアスって奴が天秤座と非常に
相性が良い星座だとあのちびっ子占い師は言ってたぞ!?
“
という二文字がぼんやりと浮かんでくるのが分かった。
この瞬間、別の意味でまた空恐ろしくなる。脳内に
”
﹁しゅーへい♪﹂
﹁柊ちゃんっ♪﹂
このハーモニと同時に制服の衣擦れの音がした。両脇のベンチの
空間が一気に消え、美月と怜亜が勢いよく俺に抱きついてくる。⋮
⋮しかしお前ら本当に調子がいいな⋮⋮。
だがなんとか誤解は解けたようだ。俺の体にさらに身を寄せ、美
月と怜亜は安楽の寝床を見つけた小動物のように両脇の下に潜り込
んでくる。おかげで行き場をなくした両腕が宙に浮く羽目になっち
まった。
しばらく迷った後、恐る恐る両手をそれぞれの肩の上に置かせて
もらう。
右手の下の美月の肩も、左手の下の怜亜の肩も、どちらも手の中
266
にすっぽりと入る大きさだ。
⋮⋮やれやれ。
マフラーに深く口元を埋め、こいつらに気付かれないようにフゥ
と安堵の息を吐きながら静謐な川面を見つめる。
今日がめでたくも俺の十七歳の誕生日だったわけだが、何だか一
日で一気に五歳近く年を取った気分だ。
⋮⋮あまりめでたくないな。
﹁ねぇ、柊ちゃん﹂
左肩に置かせてもらっている俺の手をそっと握り、怜亜が囁くよ
うに言う。
﹁なんだ?﹂
﹁この高校って修学旅行に行くの三年生になってからなんですって
ね﹂
﹁あぁ銀杏はちょっと変わってるからな。修学旅行は三年の行事な
んだ﹂
﹁私、小学校の時は柊ちゃんや美月やヒデちゃんと一緒に行けなか
ったでしょ? だからすごく楽しみにしてるの﹂
﹁あぁ、今度は一緒に行けるな﹂
﹁うん⋮⋮!﹂
怜亜は握り締めている手の力をさらにこめ、俺を見上げて本当に
嬉しそうに微笑んだ。
すると怜亜の真似をして美月も俺の手をギュッと強く握り締めて
267
くる。
﹁あのさ、来年ってクラス替えあるんだよね? 今度は柊兵やヒデ、
シン達と一緒のクラスになれるといいな! そしたら修学旅行は絶
対同じ班になってさ、皆でず∼っと一緒に行動するの! ねっ柊兵、
そうなったらすっごく楽しそうだと思わない?﹂
﹁あぁ、そうだな﹂
小さく頷いてやると、美月は﹁でしょでしょ∼∼!? そうなっ
たらサイコーだよね!!﹂と夜空に向かってどでかい声で叫んだ。
⋮⋮だ
が、俺は果報者かもしれないな。
◆ ◇ ◆
川面から夜空の星に視線を移す。
十月下旬に入り、だいぶ冷え込むようになってきた。
寒くなるに従って夜空の透明度は上がっていく為、星の輝きがさ
らに増して見える。
何事もあるがままに
︼、か⋮⋮⋮⋮。
頭上で輝く星々を見て、さっきのミミの占いを思い出した。
︻
268
もう一度大きく吐息を漏らす。
⋮⋮俺は占いって奴を頭から信じるようになったわけでも無い。
そして、この先も頭上に瞬くこの星々に己の未来のあり方を指南
してもらう気も全く無い。
さらにこれは一番重要な事だが、俺はこの先ズルズルと両脇にい
るこの二人の幼馴染たちと曖昧なハーレム関係を楽しんでやろうと
いう気も一切無い。
││ だが。
リブラ
だが、とりあえず今はもう少しの間だけ、俺の守護星が告げたと
いう、この﹁あるがまま﹂ってヤツを享受してみようと思う。
この選択が正しいことなのかどうかは分からない。
ハッピーエンド
が、今すぐに俺が今のこの関係に答えを出したからといって、そ
れがこいつらや周り全てを幸福な結末に導くとも限らない。
無論、いつかは決断する時がくるだろう。
しかしたぶんそれは今じゃない。
││││
、な。
だから、今はもう少しだけこのままでいよう。こいつらと共にい
よう。
そう、全てはあるがままに
そう決めた時、両手に無意識に力が入った。
次の瞬間、慌てたように俺の手を強く握り返してくる美月と怜亜
のそれぞれの手。
269
思わず苦笑しちまった。
﹁あ、柊ちゃん、まだここにエクボがあるのね﹂
左下の口角を怜亜がそっと指で触れてくる。
﹁そういえば柊兵って子供の頃からそこにエクボあったもんね! でも今の柊兵は普段滅多に笑わないからあたし思いっきり忘れてた
! あたし反対側で見えなかったからさ、ちょっともう一回笑って
みてよ∼!﹂
美月は大声でそう言った後、身体を大きく前傾させて俺の顔面を
覗き込んできた。
あらためて思うがこいつは夜になってもこのテンションがまった
く下がらないらしい。よく疲れないもんだ。
﹁⋮⋮悪いがこれは人前では年に一度しか見せないと決めている﹂
﹁えぇっ嘘ッ!? じゃあ柊兵は今年はもう笑わないってことなの
ッ!?﹂
﹁あぁそういうことだ﹂
すると俺の言葉を真面目に受け取ったこいつらはそれぞれの性格
にあったリアクションを眼下で繰り広げ始める。
﹁そんな∼! あたし貴重な瞬間見逃しちゃったよ∼!! 悔しぃ
ぃぃ∼∼ッ!!﹂
﹁美月⋮⋮、私だけ見ちゃってごめんね﹂
⋮⋮⋮⋮
今の冗談、分かりづらかったか。
270
ベンチに背を預け、南の夜空を大きく見上げてみる。
﹄
﹃
愛
を俺は密かに読み始めている最中
さっきの甘味喫茶でついミミには嘘を言っちまったが、
と幸せに満ちた惑星の上で
だ。あの本の中に書いてあったが、春から夏の間にかけて現われる
天秤座を今の季節は見ることが出来ないらしい。少々残念だ。
⋮⋮なるほど、たまにはこうやって夜空を見上げて星に思いを馳
せるのも悪くないかもしれない。心が落ち着く。
しかし今俺がこんなことを考えている事をミミの奴がもし知った
││ あぁ、あれもミミの本で見たな。
ら、あいつはもろ手を上げて大喜びしそうだな。
夜空遙か高みの天頂で輝いている、左上隅の白い星を起点とした
明るさの揃った四つの星。 それらが形作る四辺形、あれがペガス
ス座だろう。そしてその下に橙色に輝くデカイ星は﹁赤い惑星﹂、
271
火星だ。
秋の夜空は暗い星が多いという。
フォーマルハウト
そんな暗い夜空の中で、ペガススの右辺南下にα星の南の魚の口
を確認できた。
この星は﹁秋の一つ星﹂と呼ばれ、秋の星座の中で唯一の一等星
だ。
うら寂しいがらんとした星空の中で、ぽつんと佇み白色に光るそ
の様は健気さを感じさせる。
俺達を見下ろし懸命に輝いているこの星の名前と由来、そいつを
美月と怜亜に教えてやりたいが、またこいつらを驚かせてしまいそ
うなので今日のところは止めておこう。
⋮⋮へぇ、
私たちに しときなさい!﹄ 夜空の星ってやつもこれでなかなか綺麗なもん
じゃねぇか。
││ ﹃
272
︻
第一部 出逢い編
︼ 完 ││
273
ヒナと雌鳥
││ 季節は流れ、春となる。
しかし気分は最悪だ。
新学期といえば、普通なら桜の花びらが舞い落ちる中を期待に満
ちて迎えるものだと思うのだが、俺の場合はまさに真逆。呪われて
いるとしか思えない。三年に無事進級してまだ間もないというのに、
なぜこうも途切れることなく厄介事が起こるのか。
桜の花びらがはらりと一枚、まるで不運な俺を慰めにきたかのよ
うに左肩に舞い降りてきた。苛ついていたせいでそいつを乱暴に手
で払い、いつもの仏頂面で登校する。
臆せば殺られる││
や
”
⋮⋮銀杏高の門が見えてきやがった。
“
深層心理にそう強く暗示をかけた後、気合と共に下っ腹に力を入
れる。
そして意を決して校門をくぐった直後だ。
俺を待ち構えていた女共の騒々しい嬌声が、両の鼓膜を突き刺し
てくる。
﹁きゃあーっ! 原田先輩だぁっ! みんなっ、原田先輩が来たよ
ーっ!!﹂
274
﹁あ∼来た来たぁ∼! おはようございまぁす、原田せんぱーい♪﹂
﹁原田先輩っ、今日は先輩にチョコを作ってきたんです! 食べて
下さぁ∼い! あ、っていうかー、ワタシが食べさせてあげまーす
♪﹂
﹁ねぇ先輩っ! 今日の放課後デートしてくださいっ! ねっ、ね
っ、いいでしょっ? お願∼い!﹂
﹁あ∼ん、せんぱぁーい! 今日少し寒い∼! 先輩を待っていた
らこんなに冷えちゃったんだよ? だからぁ、あたしの手をギュー
ッて握ってあっためて下さぁ∼い! できればカラダも⋮⋮なーん
て! きゃっ、言っちゃったぁ♪﹂
﹁やっだぁ∼、青葉ってば大胆∼!! じゃあ双葉は唇がいいなっ
♪ ねーせんぱいっ、朝チューしよっ!!﹂
⋮⋮⋮⋮朝から激しい頭痛がする。
生まれたてのヒナ鳥のように、無邪気な瞳でぴぃぴぃと盛大にさ
えずりながら俺の周りに群がってくるこいつらは全員一年、もしく
は二年の下級生だ。
││ 今日は何人いやがるんだ?
ひい、ふう、みい、よー⋮⋮、全部で五人か⋮⋮。このまま一気
に振り切れるか?
﹁ねぇねぇ、せんぱぁーい! 目を逸らしてないでこっち見てよ∼
!﹂
﹁原田先輩ってやっぱり硬派ですね! かっこいいです! それに
とっても強いですもんね!﹂
﹁カラダいつも鍛えてるんですか∼? ちょっと触ってみてもいー
275
い?﹂
﹁ずっるーい! 抜け駆け禁止だよ! あたしにも触らせて∼!﹂
﹁じゃあさっ、いっせーので、皆で触ろうよ!﹂
﹁おっけー! いっくよー! いっせぇーの!!﹂
俺の身体に触れようと様々な角度から幾つもの手が一斉に伸びて
くる。お前らは千手観音か!!
﹁や、止めろ! 触るんじゃねぇ!﹂
慌てて後方に下がったおかげで千手観音攻撃の第一波は何とか凌
いだ。だがめげるということを知らないこいつらは、隙あらば俺の
身体にしがみつこうと、第二波の攻撃に向けて虎視眈々とチャンス
を狙い、無邪気な笑みを浮かべながらピヨピヨと間合いを詰めてく
る。
﹁えへへっ、今日こそは逃がしませんよぉ∼?﹂
﹁ほらみんなっ! まぁーるくなって原田せんぱいを囲んじゃお!﹂
﹁りょーかーい!! あたし達で先輩を捕獲ー!! 先輩ゲットー
!!﹂
﹁さー原田先輩っ、潔く観念するのですっ!﹂
﹁いよいよせんぱいと念願のハグだぁっ! あぁんっ、キンチョー
してきたかも∼!﹂
⋮⋮ヤバいっ! 周囲をぐるりと取り囲まれちまった!!
チッ、こいつらを突き飛ばして脱出するわけにもいかねぇし、か
といってこのままここに停滞していればここでこいつらにいじられ
デスウォール
まくっちまう。何とかして脱出しねぇと⋮⋮!
休む事無く眼球をくまなく動かし、この女体壁からの逃走経路を
必死に探す。
276
ったく、それにしてもなんなんだこいつらは⋮⋮。
ヒナドリ
入学まもなくの頃に起こした乱闘事件と当時の悪評を知らないこ
の下級生共は、いくら俺が不機嫌な顔で怒鳴ってもまったく恐れず
に逆にこうして慕ってきやがる。日によって集まる面子に多少の変
動はあるものの、何度突き放しても決して折れることの無いこいつ
らの不屈の闘志に、最近では感心すらし始めているぐらいだ。
しかし毎朝のこの過剰なスキンシップ付きの出迎えにはほとほと
嫌気がさしている。二束三文でも御の字だ。最近の俺はこいつらを
このまままとめて夜店のヒヨコ売りにでも売っぱらうことが出来た
らどんなにいいか⋮⋮と、青息吐息な心境でそんなアホなことを半
ば本気で考えちまう体たらくだ。
めんどり
何故この無愛想な俺が下級生共に急に慕われるようになったのか、
事の発端はすべてあの二匹の雌鳥たちのせいだろう。
人間はこの世に生れ落ちた瞬間から、ある程度決まった人生の道
筋が各自に用意されているものだと思っていたが、あいつらが俺の
運命って奴を根底から思いっきりひっくり返しちまったらしい。人
生、何があるか決して誰にも分からないとはよく言ったものだと今
では思う。
その時、俺の背後から慌てたように走り寄って来る聞き慣れた二
つの足音。
⋮⋮ほれ見ろ、どうやら今朝も早速現れたようだ、その雌鳥たち
が。
277
誰が白馬の騎士だ
さすがは野生の法則と言うべきか。
ここ、銀杏高校内でも力関係では雌鳥達の方がひな鳥共よりも上
らしい。
走り寄って来た雌鳥達の手によってあっという間に俺の周囲のひ
な鳥共は強制的に排除され、同時に両腕にすかさず重力がかかる。
右は痛さを感じるぐらいに力強く、左はそれよりは若干遠慮がちだ。
しかしそれぞれの強さに若干の違いがあっても、両方とも俺の腕
から離れることは決して無いのが特徴でもある。
﹁うっそー!! まーた風間先輩と森口先輩があたし達の邪魔しに
来ちゃったよぉ!﹂
﹁ちょっと先輩たち∼! たまには私たちに原田先輩を貸して下さ
いよぅ∼! 私たちだって原田先輩とお話したいんですぅ∼!﹂
﹁そうよそうよ∼っ! いくら幼馴染さんたちだからって独占はひ
ヒナドリ
どすぎますよ∼っ! 先輩たちの二人占め絶対はんたーい!!﹂
めんどり
口を目一杯に尖らせ、甲高い声でピーピーと文句を言う下級生共。
だがそれに対し、俺の両脇の幼馴染たちは余裕の表情だ。
﹁ダーメダメダメーッ! 柊兵はあたし達のもんなのっ! ハイハ
イ、いいからあんた達はそのままUターンしてとっとと自分の教室
に行っきなさぁ∼い!﹂
ドでかい声を張り上げ、俺の右腕に全力でがっちりと掴まる美月。
278
﹁いつもごめんなさいね、でも柊ちゃんだけは譲れないわっ﹂
優しく謝りつつ、俺の左腕にしっかりと腕を絡めてくる怜亜。
どっちの雌鳥も、先ほど校門に突撃しようとした俺以上に気合が
入っている。この両脇のポジションをひな鳥共に譲る気はサラサラ
無さそうだ。
バトルスタイル
敵が攻撃中の場合はまず防御に徹するのが戦いにおいての基本姿
フルアタックタイプ
勢だと思うのだが、美月と怜亜の場合はそれぞれの戦闘様式こそ違
えど、俺に関する事だけはどちらも即座に総攻撃型に変化しちまう
ので非常に始末が悪い。
﹁お二人とも原田せんぱいから離れてくださいってばっ!!﹂
﹁だから絶対嫌だって言ってんでしょーが!﹂
﹁そうやって毎日毎日べったりくっつかれて、原田先輩だっていい
加減飽き飽きしてますよー!﹂
﹁いいえ、柊ちゃんはいつも私たちを大切にしてくれてるわっ﹂
俺を間に挟み、強烈な視線で睨み合う雌鳥とひな鳥。
だが一歩も引かない構えの雌鳥達の様子を見たひな鳥共は、やが
て顔を見合わせて意気消沈する。
﹁正妻さん達が来ちゃったらしょうがないかぁ⋮⋮。今日はとりあ
えず退散する?﹂
﹁あーあ、せっかくこれからだったのになぁ∼⋮⋮。 ねー原田先
輩! 絶対明日はちゃんとお話して下さいねっ!﹂
﹁次こそ先輩の年貢の納め時ですよ。潔く覚悟を決めておくのです﹂
﹁よーしっ! 気を取り直して明日こそ先輩をゲットするぞっ! じゃあ先輩、まったね∼!﹂
279
﹁せんぱいバイバ∼イ! 明日こそ朝チューしようねっ♪﹂
ダメージ
雌鳥達の威嚇排除攻撃
︼
ひな鳥
が本日も
︻
下級生共は俺に向かってめいめいに手を振ると一目散に校舎の中
へと入って行った。
︼&︻
もはや朝の恒例シーンの一つになりつつある、この
共のさえずり攻撃
滞りなく終了し、今朝も精神的にかなりの疲労を受けた。
﹁ねぇちょっと柊兵!﹂
俺の横顔を下から見上げた美月が拗ねたような口調で右腕を引っ
張る。
﹁あんたそうやって憂鬱そうな顔をしてるけどさ、実は内心では結
構喜んでるんじゃないの?﹂
﹁バッバカか! 大迷惑に決まってるだろうが!﹂
フレンドシップ
フ・
ェスティバル
﹁そーう? ならいいけどさっ!﹂
﹁でも相互親睦祭典以来、柊ちゃんは下級生にすごく人気が出ちゃ
ったわよね﹂
わずかに顔を曇らせ、怜亜が俺の左腕に掴まり直す。
﹁柊ちゃんは私たちだけのものなのに⋮⋮。ね、柊ちゃん?﹂
﹁お、おう﹂
﹁良かった! ふふっ、大好きよ柊ちゃんっ﹂
﹁あっあたしもあたしもー!!﹂
⋮⋮今日も雌鳥たちの俺に対する好意はフルでMAXモードらし
い。 280
ガーディアン
確かに怜亜の言う通り、俺が下級生に急に慕われるようになった
コスプレウェイトレス
直接の原因は、あの狂乱祭で俺が護衛兵という役割を遂行したせい
だ。
祭りの最中、ルールを破って仮装給仕嬢に不埒な真似をしようと
“
勘違い
”
ってヤツに囚
“
した下衆な輩達が、俺が現れただけで急に脅え出し、借りてきた猫
”、つまり
のようにおとなしくなったその光景を見て、一部の下級生共は
大いなる誇大妄想
われちまったらしい。
今でもまったくの理解不能だが、俺の入学当時の乱闘事件を知ら
寡黙で最強な白馬の騎士
ナイト
︼
に映っちまったらしい。
ない奴らの目には、あろうことかこの俺が、この俺がだ、なんと、
︻
当初、俺にまとわりつきだした下級生共に仏頂面で﹁なんの用だ
?﹂と問い質した時、あいつらの口から、それを聞いた時は気色悪
くて本気で鳥肌が立った。大体、どこをどう間違えればこの俺が白
馬の騎士になるっていうんだ。
その後、何度つきまとうな、と冷たくあしらってもあいつらの数
はなかなかゼロにならない。まったくもってしぶとい奴らだ。ひな
鳥は生まれた時に初めて見たものを親と思い込む習性があるようだ
が、この場合も似たような現象が起こっているのだろうか?
女と対峙するのが苦手な俺にとって、今のこの状況は正直苦痛で
しかない。
ラブレター
たった今遭遇した下級生共の朝のさえずり攻撃に始まり、古典的
アプローチの一つ、恋文in靴箱も先日初体験した。それに休み時
間になると教室外の窓ガラスから俺を眺めに来る女もいる。俺は見
世物小屋のピエロじゃねぇんだ。うざったくてしょうがねぇ。
なぜこうなってしまったのかと言えば、護衛兵をしたのが直接の
281
原因とはいえ、やはり美月と怜亜が俺の前に現れたからだろう。
こいつらと再び出会わなければ今でも俺は肩をいからせてひっそ
﹄
なんて
りと孤独に通学し、護衛兵を引き受けるなどありえなかっただろう
愛の十二宮図
ホロスコープ
から、下級生共に慕われることも無かったはずだ。
そうだ、それにあの恐怖の占い、﹃
ものにビビることも無かっただろうから、ミミと知り合うことも無
く、そして俺はシン達四人のみとの静かな高校生活を送っていたは
ずで⋮⋮⋮⋮。
⋮⋮いや、別に美月と怜亜を責めているわけでは無い。それは断
じて違う。
だが四年半という長い歳月の後に俺は再びこいつらと出会い、そ
してこの出会いが俺にとって、女との交わりを濃くする呼び水にな
った事は間違いのない事実だ。大体その呼び水自体がこうやって一
番俺にまとわりついてくるしな⋮⋮。
こうして現在の俺は、右を歩いても、左を歩いても、そして足を
止めても、当然のように常に女に声をかけられ、場合によっては取
り囲まれるという、所謂ちょっとしたハーレム状態の高校生活を送
っている。
少し前までは女の側に行くと動悸や息切れで緊張しまくっていた
俺が、内心はともかく、外面的にはほぼ平静を保てるようになった
のも、すべてはこの特異な環境、その中心地に据えられたことで、
ある程度の免疫耐性がついたせいだろう。
⋮⋮以上の事を踏まえ、これから言う台詞を通常の神経を持つ男
が聞けば、たぶん俺に殺意を抱くことは間違いない。
282
俺は女ってもんにいささかうんざりしている。げっぷが出そう
な勢いでな。
283
知らねぇよ そんなドンブリの味なんて
﹁おはよーっす! ご両人!﹂
美月と怜亜を両脇にぶら下げて仏頂面で3年E組に入ると、俺達
に気付いたシンが早速声をかけてくる。
﹁あ、ちょっと待てよ? 柊兵くん達の場合は三人だからこの言い
方は少し違うか⋮⋮。尚人! こういう時はなんて言ったらいいん
だ?﹂
﹁え?﹂
突如下らない疑問を抱いたシンに声をかけられ、教科書群を机に
仕舞う作業にいそしんでいた尚人が手を止める。
﹁う∼ん、素直に両手に花、でいいんじゃないかなぁ。それに下手
な事を言うと将矢の二の舞になっちゃうと思うよ?﹂
笑顔の尚人が指差す一メートル先には、潰れたカエルのように床
にひっくり返って呻く将矢がいる。
﹁うぅ⋮⋮ひどいぜ柊兵⋮⋮朝の軽いジョークのつもりだったのに
ぃ⋮⋮﹂
そら
なぜ朝っぱらからこの金髪アホ男が宇宙へ逝っているのか。それ
284
級友丼
クラスメー
ドト
ン
”
は一体どんな味わいだったんだっ!?
はこいつが仲間内でいち早く俺たちを見つけた後、
﹁柊兵! “
ドンブリ
二人いっぺんに、なーんてたまんねーよなぁ!! 男の夢だぜっ
!! なぁなぁ、もったいぶらないでいい加減に丼の味を教えてく
れって∼!﹂
とゲスな事を言い放った大罪で、俺の修正を腹に喰らったせいだ。
﹁しかしつくづく悲惨な姿だな⋮⋮﹂
床にノビている将矢を見たシンが、心底呆れた様子で肩を竦める。
﹁三年になっても相変わらず柊兵くんをいじるのが下手な男だよ。
まったく去年の一年間のコミュで何を学んできたんだか﹂
﹁いや、シン。もしかしたら将矢はわざとやっているのかもしれな
いぞ。殴られるためにな﹂
至極真面目な顔でシンに近づいたのはヒデだ。
﹁わざと? なんで?﹂
﹁将矢は生粋のM気質かもしれん。この件に関しては実は以前から
疑っていたところだ﹂
﹁なぁーるほど! それなら今までの一連の行動も筋が通るよなっ
!﹂
シンは右手を軽く握り、左の掌に当てる納得のポーズの真似をす
る。相変わらず胡散臭いオーバーアクションが好きな奴だ。
﹁それを言うならさ、柊兵くんも喜んで殴ってる感じがする時が無
いか? なんつーかさ、硬く握り締めた己の熱い鉄拳に、当事者同
士にしか分からないひそかな愛をこめて将矢に向けて放っ⋮⋮すす
285
っすいませんっ柊兵閣下っ! 今のはマジで冗談ですので平にご容
赦を!﹂
俺の鋭い目つきに気付いたシンが慌てて話を打ち切った。相手に
するのが面倒なのでさっさと席につくことにする。
教室の左奥、窓際から二番目の席が俺の席だ。今までなら最後方
の左角に座っていたのだが、今学期からは諸事情で出来ない。
﹁しっかしあんた達っていーっつもそういう下らないことばっかり
言ってるよね! 毎朝毎朝よく飽きないもんよ。感心するわ﹂
俺の腕からようやく手を離し、美月が俺の隣の席にドサリと腰を
下ろす。美月の席は窓際から三番目の最後尾、俺の右横だ。
﹁みんな、去年もずーっとこんな調子だったの?﹂
そう言いながら教室の一番左奥の席に怜亜が座る。つまり俺の両
脇の席はこの雌鳥二羽ががっちりキープしている状態だ。
しかも前方にはいつもの悪友メンバーが固まっている。
俺のすぐ前が尚人。
俺の左斜め前、つまり怜亜の前が将矢。
ラインナップ
そして俺の右斜め前、美月の前席がシンで、その美月の隣にはヒ
デがいる。
俺にとってはある意味最凶の布陣に周囲を取り囲まれている状況
であり、背後に人間がいないだけマシと言わざるを得ない配置だ。
﹁そうだよ! だから怜亜ちゃんもこれから一緒にこのノリでヨロ
シク∼ッ!﹂
将矢の奴、もう復活しやがった!
286
さっきまでノびていたはずなのに、いつの間にか席について怜亜
に鼻の下を伸ばしてやがる。しかしつくづくタフな奴だ。
﹁でもみんな同じクラスになれて本当に良かったよ! ねっ怜亜?﹂
嬉しそうな大声で美月が叫ぶと、それに応えるように怜亜が莞爾
と微笑む。
﹁えぇ! 銀杏高のシステムに感謝しないとっ。ねっ、柊ちゃん?﹂
⋮⋮同意の輪をこっちにまで回すなっての。
話しかけられたので一瞬だけそちらに視線を送る。だが怜亜の背
後の窓から降り注ぐ朝日が眩しくて顔をろくに見られなかった。 しかしシステムと言えば、この高校、前々からおかしいとは思っ
ていたが、学年を重ねる度にその思いは大きくなる一方だ。
特に誰と同じク
を生徒全員に聴取し、ほぼその希望を取り
︻
俺達はこの四月に三年に進級し、全員、同じE組になったのだが、
それは決して偶然ではない。
︼
なんと、この高校は三年に進級する直前に
ラスになりたいか
入れてクラス編成を行うのだ。ありえねぇ。
﹄
銀杏高校生活最後の年を、最高の思い出を一つでも多く作っ
なんでも、
﹃
て巣立っていってほしい
という理事長の強い意向でこのシステムは脈々と稼動しているら
しい。
しかも教室内の席はどこに座ろうと自由ときている。すべて生徒
にお任せ状態だ。このなんとも奇妙奇天烈な進級システムのせいで
287
このメンバーに周囲を取り囲まれている俺だが、このE組には他に
もまだ見知った奴がいる。
﹁やぁ原田くん、今日もハーレム登校かい?﹂
黒縁眼鏡に手を沿え、そう俺に声をかけてきたのは去年二年D組
で学級委員長をやっていたウラナリ・本多だ。こいつには伯田さん
もどきの水着写真集の件で弱みを握られそうになった嫌な思い出が
ある。
﹁なぁ本多、お前また学級委員長やるの?﹂
シンが会話に割り込み、右側に顔を向けた。なぜかウラナリはシ
ンの右隣席をチョイスしている。
﹁ボクかい? う∼ん、ボクは実行委員会の仕事もあるからなぁ⋮
⋮。皆からどうしても、って言われたらやってもいいけどさ﹂
ウラナリは渋い表情でそう答えたが、本音はやりたいのが誰の目
にも明らか、ミエミエなのが笑える。どうやらこいつも俺らと同様
で、かなり分かりやすい単純タイプの人間らしい。
しかしシンはわざとなのか、﹁あっそう。じゃあ止めとけば?﹂
とウラナリの返事をあっさりと流し、今度は反対の左側に顔を向け
る。
﹁じゃあ尚人やれよ!﹂
﹁僕が?﹂
シンにいきなり振られた尚人が驚いた表情を見せる。
288
﹁そーそーお前が適任だよ。これからの一年間、残り少ない高校生
活を楽しく送るためにはさ、仲間が学級委員長だと都合が良さそう
だし。つーことで推薦は尚人くんで決定だな!﹂
﹁待ってよシン。確かに都合は良さそうだけど、僕は遠慮しておく
よ﹂
﹁なんでだよ? この面子じゃお前かヒデしかいないじゃん!﹂
﹁シンも十分やれると思うけど?﹂
﹁俺? 無理無理っ! 俺はそういう表舞台に立つ気はないので﹂
﹁なら僕だってそうだよ。それに実際のところさ、表よりも裏から
の方が操作しやすいと思うよ? 色々とね﹂
全ての台詞を言い終わった尚人が癒しの表情でニッコリと笑う。
だがその笑顔にどこか作為的なものを感じたのは俺だけだろうか。
この後始まるHRで、委員長と副委員長を決めるらしいが、この
様子じゃすんなりと決まりそうもねぇな⋮⋮。
289
行き先ぐらい教えやがれ
そろそろHRが始まる時間だが、教室内はいまだに騒がしい。そ
してクラス内がここまで浮き足立っているのにはれっきとした理由
がある。
季節は四月。
まだ新学期が始まったばかりだというこの時期に、銀杏高校では
ドでかい行事の開催を控えているからだ。
その一大行事とは三年対象の修学旅行であり、明日出発の二泊三
日。日程が少々短いような気もするが、以上。
﹃行き先は何処か?﹄
く
知
ら
ね
ぇ
。
と問われれば、その質問にはたった一言、こう答えるしかない。
││ 全
俺がただひたすらアホのように教室の窓外を眺めていたのでHR
の話を聞いてなかった、という間抜けなオチではなく、旅行先はま
だ俺らにも一切伝えられていない。それだけのことだ。
しかしこの高校は以前から何かがおかしい、とは常々思っていた
メイン
が、最早ここまで来ると、もうどこまでも脱力するか、ひきつった
乾いた笑いしか浮かばない。
大体、修学旅行の当事者、いわば重要人物だ、なぜそのメインで
ある俺らが修学旅行の行く先を未だに知らないのか。普通にありえ
ん。
290
﹁はぁ∼い♪ みなさぁ∼ん、グッドモォ∼ニ∼ン∼♪﹂
来やがったな⋮⋮。
もうだたもつ
去年からの腐れ縁、男のくせに気持ち悪い口調で喋る事で有名な
俺らの担任、毛田保が教室内に入ってきた。
明日の出発を控え、今日は全ての授業を中止し、クラス委員長の
選出や、修学旅行に向けての最終ミーティングが予定されている。
毛田は身体をくねらせながら教壇に立つと、一枚のディスクを俺達
に向かって恭しく掲げて見せた。
﹁では皆さぁ∼ん! あなた達の楽しい楽し∼い修学旅行は、いよ
さとば
いよ明日から始まりますぅ∼! その輝かしい旅立ちに向けて、な
んと娑戸芭理事長より皆さんにDVDレターが届いておりますのよ
∼! ではご一緒にありがた∼く拝聴いたしましょう∼!﹂
毎度のことだが毛田の媚びた声を聞く度に、百匹のナメクジが横
並びで一斉に上に向かって這い上がってくるかのような気色悪さを
背筋に感じる。
娑戸
︼だと知ったクラスの女共が急に活気づ
しかし俺の反応とは裏腹に、毛田が手にしているものが︻
芭理事長のDVDレター
き、騒ぎ出した。
﹁やったぁ! 久々に理事長のお姿が見られるわ!﹂
﹁ねぇ毛田先生! 早く見せて見せて!!﹂
﹁またあの痺れるようなお声を聞けるのねっ!﹂
机の上に頬杖をついてその女共の騒ぎっぷりを見ていたシンが急
に斜め後ろを振り返り、俺に向かってボソリと呟く。
﹁⋮⋮しっかし、永遠のタキシードの人気はいつもながらスゴイよ
291
な、柊兵くん?﹂
シンに向かって﹁あぁ大したもんだな﹂とだけ答えると、俺らの
やり取りを聞いていた尚人が、笑いを堪えた声で右横のシンに視線
を送る。
﹁さすがは銀杏高校一の華麗なレディキラーだよね。さしものシン
も潔く敗北を認めて白旗を上げた、ただ一人の相手だし!﹂
﹁チェッ、からかうなよ尚人﹂
口を尖らせたシンは面白くなさそうな顔で前に向き直ると机に頬
杖をつく。
レディファースト
﹁そもそも土台が違うだろっつの。あの完璧に近いまでに熟成され
ハスキー バロン
渋味な低音男爵
︼、︻
︼、︻
︼
︼、
静かなる
に、尚人発言の
︻
プリンス
⋮⋮最後
英国生まれの貴公子
︼、
ミッドフィルダー
銀杏高の司令塔
︻
た渋みを持つ理事長様の前じゃ、俺の女への気配りなんて淑女上位
ますみ
とすら言えないさ。敵うわけねーよ﹂
さとば
││ 銀杏高校理事長、娑戸芭真純。
︼。
永遠の燕尾服紳士
タキシード
とにかくこの人物には数多くの仇名が付けられている。
今シンが言った︻
レディキラー
華麗な女生徒悩殺
︼、︻
その他に俺が耳にした限りで覚えている仇名は、
カリスマ
ロマンス グレー
乙女座の銀髪紳士
英雄
︻
がよく分からんが、ざっとこんなところか。
とはしゃいでいる。
﹁絶対やるに決まってんじゃ
﹁当然、例のあの訓示はやるんだろうな﹂
ヒデが愉快そうに呟き、将矢が、
ん! 今日は何を叫ぶんだろうな!?﹂
娑戸芭理事長はいつも各行事の前に必ず俺らに訓示をする。
その訓示は非常に特徴のあるもので、巷でよくありがちな﹁諸君
292
は学生としての本分を守り、新たな発見を見つけよう﹂とか、﹁日
テンプレ
々の精進を己の糧としてさらに一回り大きく成長することを期待す
る﹂などの紋切り型の訓示ではない。
とにかく娑戸芭理事長の訓示は出だしがすべてだ。
聞く者の腹の底にまで響いてくる、その渋い低音ヴォイスで重々
しく言い放つその最初の言葉。その一文で、該当行事を端的に、し
かも的確に言い表してくる。
俺らが娑戸芭理事長の訓示を初めて聞いたのは入学式の時だった。
蝶ネクタイに燕尾服という、まさにこれから日本アカデミー大賞
の授与式でもやっちまいそうな少々場違いな服装に身を包み、颯爽
とステージの壇上に現れた理事長は、がやがやと騒がしい俺達新入
生に向かって開口一番、こう叫んだのだ。
﹃諸君ッ! 入学式はぁぁーッ! イッツ!! ファァーンタァァ
ァスティィーックッ!!﹄
チェンジ
ざわめいていた体育館内は一瞬で葬式会場に強制変更したかのよ
うな静けさに包まれた。そんな俺らをほったらかしにしてすぐに壇
おれたち
上から降り、スマートな身のこなしで体育館を後にする理事長。
当時その場にいた毛田の話によると、あの時館内にいた新入生の
瞳孔フルオープン人数はほぼ100%に近いものだったらしい。
キャッチフレーズ
その後も何か行事がある度に、娑戸芭理事長は﹁訓示﹂とは名ば
かりの独創惹句を叫ぶためだけに、俺らの前に現れる。そしていつ
の間にかそれは銀杏高の生徒達の無類の楽しみの一つになっている
ようだ。
293
今回、久々にその娑戸芭理事長の訓示が聞けるとあって、教室内
のボルテージは急激に上昇している。
いつもは教室の隅に追いやられている備え付けの小型液晶テレビ
を教壇の前に移動させ、毛田の手で娑戸芭理事長出演のディスクが
セットされた。
﹁さぁ、お出でになりますわよ∼!﹂
真っ青な画面が五秒ほど続いた後、唐突に娑戸芭理事長が現れる。
今日は燕尾服では無く、ダークグレイのスーツ姿だ。
噂によると理事長のスーツはどれも一着が何十万円もするイタリ
ア製らしい。ゴージャスな背もたれ付き革張りの椅子にゆったりと
座り、口には濃い飴色のパイプを咥えての登場だ。
さすが英国生まれのプリンスだな。様になっている。
その鈍く光るパイプをゆっくりと口から外すと理事長は鷹揚に椅
子から立ち上がった。
娑戸芭理事長は年の割りに背が高く、がたいもいい。
その為、フレーム内に収まりきらなくなったカメラが慌てて後ろ
に下がったので画面が一瞬ブレる。
理事長の顔がアップになり、その口が開きかけた。
﹁来るぞ⋮⋮!﹂
誰かがそう呟き、クラスのほぼ全員がゴクリと唾を飲み込んだ音
がした。いよいよお待ちかねの訓示が始まる。
﹁諸君ッ! 修学旅行はぁぁッ⋮⋮⋮⋮!﹂
スピーカーさえもかすかにビリビリと振動させるほどの威力を持
った、渋い低音が奏でる魅惑ヴォイスが教室内に炸裂する。それに
魅き込まれるようにクラス全員が身を乗り出してテレビ画面を穴の
294
開くほど見つめたその時、厳かに次回行事の内容が告げられた。
295
頼む その独自ルールを撤廃してくれ
﹃諸君ッ! 修学旅行はぁぁッ⋮⋮⋮⋮! イィッツ!! サッヴ
ァァーイバァァァールッ!!﹄
予想の範疇外だったその語句に、クラス内はたちまち騒然とする。
﹁お、おい、今、サバイバルって言ったのか!? 言ったよな!?﹂
﹁なんで修学旅行がサバイバルなんだよ!?﹂
﹁まさかバトロワ!? しかも今頃!?﹂
と、蜂の巣を突いたように荒れまくる教室内の騒ぎをよそに、
﹁では諸君等の健闘を心より祈っている。グッドラック﹂
パイプを再び口に咥えた娑戸芭理事長は深々と腰を落とし、カメ
∼
Fin
∼
﹄とい
ラに向かってゆっくりと椅子の背を向けた。やがて画面はフェード
アウト効果で段々と白くなっていき、﹃
う文字が最後に浮かび上がる。
﹁って、マジでそれだけかよっ!?﹂
すかさず将矢が盛大にツッコんでいる声が聞こえてきた。シンが
俺の方を振り返り、﹁柊兵くん、今のお言葉ってどういう意味だと
思う?﹂と問い掛けてくる。
﹁知らん﹂
296
俺だって逆に訊きたいくらいだ。
大体、修学旅行ってもんは、普通は
とか、“
“
日本古来の文化に触れ
大勢の生徒と旅をすること
”
てその意義を確かめる
修学旅行はサバイバル
︼
なん
のが目的なんじゃなか
”
︻
によって、協調性や仲間意識を育てる
ったか?
それがどうしていきなり
て世紀末的な目的になっているのか皆目見当がつかない。
まとも
﹁何をいまさら。そもそもこの高校に標準的な事を求めようとする
事自体が根本から間違っていると俺は思うがな﹂
シンの素朴な問いにヒデが鋭い回答を与え、
﹁そうそう! ヒデの言う通りだねっ﹂
と尚人が爽やかな笑顔で相槌を打った時、毛田が上半身を軟体動
物のようにくねらせながら再び口を開いた。
げき
﹁皆さぁ∼ん! 娑戸芭理事長の皆さんを想う、降りしきる太陽の
ような温かい檄をがっしりと噛み締めましたわね? ではこれから
非常に重要なプリントを配りますよ∼! 明日からの修学旅行、も
う皆さんはほとんど準備が済んでいると思いますが、実はまだ用意
しなくてはならないものがいくつかあるのです! その準備用品リ
ストをこれから配りますので、し∼っかりと熟読して、リストに記
載されている用品を忘れずに持ってくることです! それが明日か
らの三日間を生き残ることに必要なのですからぁッ!﹂
毛田のあまりの鼻息の荒さにシンが不安げな声を出す。
﹁おいおい、今日のモーさん、なんかマジっぽいな⋮⋮﹂
297
﹁さぁさぁさぁ前席の皆さ∼ん! どんどん後ろに配っちゃってね
ぇ∼ん!!﹂
││ 準備用品が書かれたプリントが一斉に配られた。
クラス全員、食い入るようにリストをチェックし、やがてあちこ
ちで疑問系の声が上がる。俺らの中で真っ先に声を上げたのはまた
しても将矢だ。
﹁なんだこりゃー!? これで一体何するつもりだよ!?﹂
将矢の驚きの声を聞きながら俺も手元のプリントを眺めてみた。
│││││││││││││││││││││││││││││
│││││││
・ゴム手袋︵できるだけ厚手タイプ︶、バンドエイド等の応急
︻ 修学旅行特別準備用品リスト ︼
カイロ︵2∼3個︶、ミネラルウォーターのペットボトル
処置薬、
懐中電灯、水着
︵500ml×3本︶、
※出発時には学校指定のジャージと運動靴で集合すること。
なお着用するジャージはタイプ?のみとする。タイプ?は着用
禁止。
︵制服とローファーは忘れずに持参︶
298
│││││││││││││││││││││││││││││
│││││││
⋮⋮確かに将矢の言う通りこれは意味不明だ。
脳の表面や皺の各部分にまで?マークがびっしりと敷き詰められ
ている中、この準備用品リストの意味を考えてみる。
﹁皆さぁ∼ん、いいですかぁ∼? この準備用品を忘れないで下さ
いね∼! 特にペットボトルは重要よ! 忘れると生き残れなくな
っちゃうかもしれませんよぅ∼? ムフフフッ﹂
毛田の気色悪い笑い声にとうとう耐え切れなくなったのか、ここ
で一人の女生徒が椅子を大きく鳴らして立ち上がった。
分か
って答えてるんですよ!? おかしいじゃないですか
“
﹁毛田先生! もういい加減に教えて下さい! 私達は明日からど
”
こに修学旅行に行くんですか!? 私、親に聞かれても
らない
!﹂
すかさずシンが小さく口笛を吹く。
﹁おっ、さっすがリンリンちゃん! 今日もまた突っ走っちゃうの
かな?﹂
299
みやがおか
りん
今、毛田に食ってかかっているのは同じE組の女、宮ヶ丘 鈴だ。
肩につくかつかないかの長さの髪にキツめの顔。前髪をほとんど
作っていないためにツルンとした広いデコがよく目立つ。
﹁もっと愛嬌があればたぶんモテるのにもったい無い﹂とシンや尚
人が言っていたのを聞いたことがある程度で、俺はほとんど会話を
特別準備用品
﹄
って! ゴム
したことがない女だ。シンの分析によると、性格がクソ真面目すぎ
﹃
て時折暴走列車と化している時があるらしい。
﹁それになんですか、この
手袋は何に使うんですか!? 懐中電灯なんかどうするんですか!
? しかもなんで水着が必要なんですか!?﹂
﹁あらあら落ち着いてちょうだいな宮ヶ丘さん! 旅行先を伏せて
いる点は、ミステリーツアーとして執り行う旨の連絡文書を保護者
の皆様にもすでにお渡ししてるでしょっ? ﹂
﹁いいえ! ダメですッ! いいから早く教えて下さい! 修学旅
行の行き先と、この準備用品の意味をッ!﹂
﹁それは言えないわ。明日の出発まであなた達には秘密にしておか
なければならないから﹂
﹁だからそれはどうしてなんですかって聞いてるんです!!﹂
﹁だ、だぁって、娑戸芭理事長の厳命なのよ⋮⋮。それにね、この
かんこうれい
クラスだけではなくって、私たち教師全員、明日まで一切余計な事
を話さないように箝口令が敷かれているの。だからうちのクラスだ
けではなくて三年生全員がまだ誰も知らないんだから、ここは一つ
我慢してちょうだいっ、ね? ね? ねぇ∼ん?﹂
毛田の必死の説得に、宮ヶ丘は﹁⋮⋮分かりました﹂と渋々引き
下がった。するとそれがきっかけかのように、再び教室中に私語が
蔓延し始める。
﹁楽しみだねっ 怜亜! 三日間、柊兵とずーっと一緒だよ!?﹂
300
﹁ねぇ美月、今回も柊ちゃんを仲良く半分こしましょうねっ﹂
﹁もっちろん! いつも以上にきっちりと半分こしまくりで行くよ
っ!﹂
﹁良かった! 私、柊ちゃんと一緒の修学旅行なんて初めてだから
すごく楽しみなのっ﹂
﹁怜亜っ、小学校の時の分までいーっぱい楽しみなよ! それに旅
行中はあの下級生たちも柊兵を襲いに来られないしさ、ここはあた
し達の独壇場になること間違いなしだね!﹂
﹁えぇ! 修学旅行中は私たちで柊ちゃんをずーっと独り占めしち
ゃいましょっ!﹂
俺を挟み、両脇の雌鳥たちがはちきれんばかりの笑顔でお互いの
いつも以上にきっちりと半分
アホ
”
とか言ってやが
意思確認をしている。今の宮ヶ丘と毛田のバトルなど全く眼中に無
“
い様子なのが流石だ。
しかも
ったな⋮⋮。
俺を仲良く半分に分けるというとんでもねぇ独自ルールを、こい
つらはいつまで完全に遂行するつもりなんだ。空恐ろしさすら覚え
る。
﹁あ、それとさ怜亜。話は変わるんだけど、この準備用品の意味も
気になるけど、あたしもう一つ気になってることがあるんだよね∼﹂
俺の机の上に肩肘を突き、美月が身を乗り出してくる。
﹁あら、気になってることってなぁに?﹂
うぉっ!? 反対側から怜亜も思い切り身体を寄せてきやがった!
真横にこいつらの身体が迫ってきたので一切の身動きが取れなく
なる。これじゃ迂闊に身じろぎもできねぇじゃねぇか!
301
﹁旅行は明日からなのに、夜寝るときの部屋割りってまだ決まって
ないじゃん? 明日旅館に着いてからその場で適当に決めるとかな
のかな?﹂
﹁まさかそれはないんじゃない? だってそれじゃ先生方が管理で
きないと思うわ﹂
﹁じゃあもう先生たちの方で勝手に決めてるとか?﹂
﹁そうかもね。だってもう日中行動の班決めはとっくに終ってるじ
ゃない﹂
﹁うわ、そうだったらイヤだなぁ⋮⋮。だって今回こそは怜亜と一
緒の部屋で寝たいもん!﹂
﹁中学の時はクラスが分かれたから結局別々の部屋になっちゃった
ものね﹂
俺の目の前で喋っているからこいつらの会話は丸聞こえだ。ふぅ
ん、こいつら、中学の時は一緒の班じゃなかったんだな。それで今
回これだけ気合が入ってるって訳か。
﹁それに考えてみれば銀杏は女子の人数少ないじゃん? もしかし
たらクラス毎でまとめて大部屋に突っ込まれちゃうっていうパター
ンだったりして﹂
﹁あ、でもそれはそれで楽しそうじゃない?﹂
ファーストキスの場所はどこ?
”とかさ!﹂
﹁それなら夜は女子全員集まってぶっちゃけトークになるだろうね
! “
校舎の裏にあるケヤキの木の下
”って答える
﹁ふふっ、その答え、私たちはまったく同じになるわよね美月﹂
﹁そーそー! “
よ! あの時は興奮したよね∼!﹂
﹁えぇ、私も胸が張り裂けそうなくらいにドキドキしたわ。あっそ
うだ! ねぇ柊ちゃん、柊ちゃんもあの時ドキドキしてたわよね?
だって柊ちゃんに覆いかぶさった時、柊ちゃんの心臓の鼓動がす
302
っごく伝わってきたもの!﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
⋮⋮そ、その話題を俺に振るんじゃねぇ⋮⋮!
フォースインパクト
仲間に身体を拘束され、こいつらに半ば無理やりに奪われたあの
強制接吻事件は、未だに悶え苦しみたくなるくらいのトラウマだ。
あの時将矢に取られた羞恥写真をこいつらが各自大事に保管してい
るのかと思うと恥ずかしさでいたたまれん。
無事に生きて帰ること
”、
しかし中学の時とは違い、今回は波乱に満ちた修学旅行になりそ
うな予感満載だ。
ミッション
今回の俺らの修学旅行の目的は、“
まずはこれのみに集中し、あとはこの雌鳥どもが旅先で羽目を外し
すぎないよう、天の星々に祈るしかなさそうだ⋮⋮。
303
特殊行事、いざ発動
ミッション
││ 修学旅行一日目の朝を迎えた。
現在俺ら三年は全員指定されたジャージを着用し、グラウンドで
待機中だ。
教師の誘導があったわけではないが自然と各クラス毎に集まって
いるのは、まぁ当然の成り行きか。
いざ晴れやかなる旅立ちとなるかと思いきや、頭上に広がる空模
様はこれでもかというぐらいにどんよりと淀んでいる。この曇天を
見上げていると、まるでこの後の俺らの運命を暗示していそうな気
がしてきた。
⋮⋮どうも以前に比べて迷信的な事を信じやすくなっているよう
な気がしてならねぇ。知らず知らずのうちにあの大食漢のチビ占い
師からじわじわと悪影響を受けているのだろうか。恐るべし、ミミ・
影浦。
﹁柊兵っ! 今日はいい天気だね∼!!﹂
ヒマを持て余し仏頂面で腕組みをしていると、急にかなりの力で
片腕を引っ張られ、組んでいた腕が強引に解かれる。
﹁⋮⋮お前の目は節穴か。この空を見てなぜそう言える﹂
右腕の筋力増強担当者にそう答えると、
﹁いいのいいのっ! だってさ、柊兵と一緒ならたとえどんな天気
だってあたしにとっては晴天だよっ!﹂
極上の笑みで、しかもそれに見合っただけの馬鹿デカい声で美月
304
が言い返してきた。毎度の事だがこいつのテンションの高さには恐
れ入る。
⋮⋮いや、そんなことはどうでもいい!
サンド
美月の奴がガッシリと抱え込むようにしがみつくせいで、こいつ
のデカい胸がこれでもかとばかりに何度も俺の右腕を圧縮してきや
がる! 新種の加圧トレーニングかこれは!?
厄介な事にそのトレーニング効果が早速現れたのか、心臓が急激
におかしなリズムを奏で始めた時、 ﹁羨ましいねぇ﹂
と背後から羨望の声が聞こえた。
この台詞の主はてっきりアホの将矢だと思っていたが、肩越しに
振り返ると意外な事にその発言者はシンだった。今の言い方があま
りにも情感がこもっていたからか、すかさず尚人が﹁シン、ところ
で真実の愛はもう見つかったのかい?﹂と、からかい気味に口を挟
む。
﹁んー⋮⋮まだ、かな﹂
珍しくシンは真顔でそう答えた。だがすぐに、﹁いや、もう見つ
かったかも∼?﹂とふざけた口調で言い直している。
﹁ねぇ柊ちゃん﹂
今度は空いた片腕にそっとつかまってきた左腕の筋力増強担当者
が、柔らかい口調で話しかけてきた。
﹁私たちにとってお天気なんてどうでもいいのよ。だって私たちの
望みは少しでも長く柊ちゃんと一緒にいられることなんだもの。だ
から柊ちゃん、この修学旅行中は出来るだけ美月や私と一緒にいて
ね?﹂
黒目がちな瞳を潤ませて俺を見上げる怜亜のいじらしい様子に、
305
My心臓がまたしても超挙動不審モードに入る。
どうでもいいが、この修学旅行中にこの二名の雌鳥たちによって、
俺の心臓はかなりの酷使、常軌を逸した負担がかかりそうな予感が
してならない。どうか最後まで持ってくれ、と心から願うばかりだ。
﹁そりゃぁないぜ怜亜ちゃん! 柊兵とばっかりじゃなくてさ、俺
とも話ししてくれってばよぉ∼!﹂
怜亜の言葉にショックを受けた将矢が情けない声を出して近づい
てきた。
﹁せっかく同じクラス、しかも今回は同じ班になったんだぜ? 俺、
怜亜ちゃんに話したいことだってあるしさ∼! な? な? いい
だろ?﹂
まさに擦り寄りクライマックス。
このままこいつを放っておくと今にもグラウンドに寝転んで幼児
のようにダダをこねそうな勢いだ。だが気遣いの達人である怜亜が
﹁えぇ﹂と将矢に向かって笑顔で頷いたので、残念なことに将矢の
リアル地団駄ショーの開催は見送られる事になった。
﹁よっしゃぁぁぁぁ││!!﹂
怜亜からOKをもらった将矢は曇天に向かって咆哮している。
﹁柊兵、お前も色々と気苦労が耐えんな﹂
暑いのか、ジャージの上着を肩から羽織っただけのヒデが俺に話
しかけてくる。ヒデのニヤつく顔を視界の端に収め、﹁ほっとけ﹂
と苦々しい声でそう答えるだけで精一杯だ。
306
﹁みなさぁぁぁ∼∼ん、グッドモ∼ニ∼ング!! 長い時間お待た
せしてごめんなさいねぇ∼∼!! じゃあいよいよ出発の時が来た
のでぇ∼、もうさっさとバスに乗り込んじゃってちょうだぁぁいっ
!!﹂
グラウンドに設置されている壇上に興奮した様子の毛田が現れ、
相変わらずのナヨナヨとした腰つきで俺らに出発の指示を出す。
﹁あれっ、モーさんはスーツかよ?﹂
上下スーツ姿で登場した毛田の格好を見たシンが意外そうに呟い
た。
﹁別に変じゃないだろ?﹂
と相手をしてやると、シンはまだ納得いかないような表情をして
いる。
﹁だってよ、俺らにはジャージを着て来いって言ったからさ、てっ
きり教師もジャージかと思ってたんだよな﹂
するとシンの横にいた尚人が、口に手を当てて考え込むような仕
草を見せた。
﹁⋮⋮確かにね。何か裏がありそうな気がする。それにさ、ジャー
ジもこのタイプ?を指定しているのも引っかかるよ。なぜタイプ?
を禁止にしたのか気にならない?﹂
﹁尚人、そこは俺も気になっていたぞ﹂
同じ疑問を抱いていたらしいヒデが重厚に頷く。
307
﹁あ、ヒデも? この先は何が起こるか予測出来ないからさ、何か
あった時に慌てないように色々と用心しておいた方がいいかもね﹂
尚人にそう促され、俺ら全員、無意識に軽く頷いていた。それま
で緩みまくっていた場の雰囲気も多少引き締まる。
﹁バッカみたい! 単に生徒全員同じ色にした方が統率しやすいか
らでしょ。あんた達、深読みしすぎっ!﹂
││ 宮ヶ丘だ。
すぐ側にいた宮ヶ丘が小馬鹿にしたような眼差しを俺らに向け、
そう冷たく言い放った。委員長のマークがかたどられたピンが、宮
ヶ丘のジャージの左胸付近に燦然と輝いている。
﹁へーっ、リンリンちゃんって結構素直に物事を信じるんだね! 少々意外だよ﹂
俺らに向けられた冷たい視線など物ともせず、笑顔を浮かべたシ
ンが軽い身のこなしで宮ヶ丘に近づいた。
﹁別に大した意味なんてないって言ってるだけ! それより楠瀬く
っ⋮キャアッ! いきなり何するのよ!?﹂
シンの取った行動に驚いた宮ヶ丘は小さな悲鳴を上げて半歩後ろ
に下がった。シンの奴、勝手に宮ヶ丘の髪の毛に触ったようだ。
﹁いや∼、サラサラで綺麗な髪の毛だなぁと思ってさ。リンリンち
ゃんもキューティクルのお手入れ、頑張ってるみたいだね﹂
308
”
なんてどお?﹂
“
鈴
リン
”
って名前だし、
﹁だからさっきから何なのよ、そのリンリンって!?﹂
ベルちゃん
﹁あれっ、気に入らない? じゃあ
“
﹁ふざけないでっ!!﹂
宮ヶ丘の表情が一気に険しくなり、片眉が90度に吊り上る。
﹁いえいえ、偉大なる我らの委員長様にお言葉を返すようですが、
クラスの一民間人として、そのご発言には少々異議がありますよ?﹂
シンは笑顔を絶やさぬままで両の手のひらを広げ、いきり立つ宮
ヶ丘を鎮めるジェスチャーを見せる。
﹁何が言いたいのよ!?﹂
﹁ふざけてるのは俺じゃなくてあそこにいる将矢だと思いますが?
何なら確認してみましょうか?﹂
そう言った直後、シンは宮ヶ丘の返事も聞かずに﹁おーい将矢ー
!﹂と、金髪男を独断で呼びつける。
﹁なんだぁー!?﹂
将矢が振り向くと、シンは両手をメガホン代わりにし、
﹁自己紹介タイムの時にさぁー、リンちゃんが名乗った時お前何て
茶々入れたっけー!?﹂
と叫んだ。
するとシンから指名を受けた金髪能天気男は、締まりの無いニヤ
けた顔で宮ヶ丘とシンの側に駆け寄り、周囲に丸聞こえな大声で答
え始める。
309
りん
﹁えーと、﹃リンちゃんのリンっていう字、“
っていう字?﹄だったな!﹂
精力絶倫
りん
”の倫
男根が凛とそそり立つ
タロウはノブコの股間の密林に
“
﹁まだあるじゃん? ﹃映倫の倫?﹄も無かったか?﹂
りん
の林?﹄もあるな!﹂
“
﹁おーそれも言った言った! あと﹃
りん
”
”の凛?﹄だろ、それに﹃
手を伸ばした
﹁だだっ、だからなんで毎回そんないやらしい例えで聞くのよ!!
しかもどの漢字も合ってないじゃないっ!!﹂
左右にいる二人の男からセクハラ満載の言葉で盛大にからかわれ、
宮ヶ丘の顔全体が恥ずかしさと怒りでゆでダコのように真っ赤にな
っている。
﹁確か将矢はその後、広辞苑の角で脳天をぶん殴られたんだよな﹂
﹁そうそう。即、伯田先生の待つ保健室コースだったよね。見てい
てなかなかスリリングだったよ﹂
と、当時の哀者の末路を話し合っているのはヒデと尚人だ。
ここでついに堪忍袋の緒が切れたのか、とうとう宮ヶ丘が盛大に
ブチ切れる。
﹁そっ、そんなことはどうでもいいわ!! いい!? E組の中で
あんた達五人が一番の問題グループなのよ!? クラス委員長とし
て警告しておくけど、修学旅行中に勝手な行動や野蛮な行動を取っ
たら絶対に許さないから! しっかり肝に銘じておきなさいっ!!
いいわねっ!!﹂
赤面状態のままでそう一気に言い捨てると、宮ヶ丘は自分の荷物
をひったくるように持ち、先にバスに向けて走り去って行った。
310
﹁あーらら、どうやら俺らは問題児としてリンリンちゃんに思いっ
きり目をつけられているみたいですねぇ。さ∼て、どうしましょう
か?﹂
シンはその場で大きく伸びをすると、隣にいた尚人に意見を求め
るような視線を送る。
﹁昨日クラス委員長に選ばれたから気合が入っているんじゃない?
あの娘、無駄に責任感強そうだしね﹂
﹁言えてるなぁ。さぁこれは困った事になって参りましたよ?﹂
﹁ホントだね﹂
だがシンの口調は寧ろ面白がっているようにすら聞こえるし、ス
ポーツバッグを手にした尚人も余裕の笑みを見せている。
おまけに将矢とヒデも、宮ヶ丘の警告など何処吹く風といった様
子で、
﹁平気平気! あいつとは班も違うし、顔合わせないようにしてお
けば大丈夫だって!﹂
﹁まぁ俺らは俺らでいつも通り勝手にやるだけだ﹂
と、こちらの両名もまったく動じていない。
そして美月と怜亜も俺の両腕にしがみついたままで暢気な会話を
している。
﹁ねぇ怜亜、知ってた? あたし達もフジュンイセイコーユー罪で
鈴から目をつけられてるみたいだよ?﹂
﹁あらそうなの? じゃあ鈴ちゃんには今度あらためて柊ちゃんに
対する私たちのルールを説明しましょ! きっと分かってくれるわ
よ!﹂
311
いや、あのクソ真面目な女にお前らのアホなルールの説明は返っ
てやぶ蛇になると思うぞ、怜亜⋮⋮。
﹁みなさぁぁぁ∼∼ん、グズグズしないで早くバスに行ってぇ∼!
! 行って行って行っちゃってぇぇぇ∼んっ!!﹂
動きが鈍い俺たちを毛田が金切り声で急かす。 ﹁さーてじゃあ何はともあれ、張り切って行きますか、皆の衆!﹂
シンの呼びかけで校門前に待機しているバスに向けて歩き出す。
すると即座にぎっちりと身体に抱きついてくる雌鳥たち。
﹁よーし!! 柊兵とこれからずーっとべったりできる三日間いざ
スタート∼ッ!!﹂
﹁よろしくね柊ちゃんっ!!﹂
﹁ぐっ﹂
柔らかい感触に挟まれ、思わず声が漏れる。表面上は必死に無表
情を装っているが、ジャージの中で冷や汗が一筋、スゥッと流れた
のが分かった。
浮かれるあまり旅先でつい羽目を外してしまうというのはよくあ
る経験かと思うが、スタートの時点ですでにテンションMAXに達
アタック
半分
というこいつら独自の異様な縛りまでありやがるからな⋮
“
しているこいつらがこの三日間でどれだけの肉体攻撃をしてくるの
”
か、想像するだけで恐ろしい。しかもその攻撃には必ず
こ
オレ
⋮。さらにその共有縛りは解除可能な年月が一切設定されてねぇと
きている。少しは顧客の立場を考えろってんだ。
312
﹁ねぇ怜亜、バスでどっちが柊兵の隣に座る?﹂
﹁美月でいいわよ﹂
﹁もうっ、まーたあんたの悪い癖が出た! いっつも言ってじゃん
“
今回は私!
”
ぐらい言いなよ!﹂
っ、そうやってなんでもすぐに自分が引こうとする癖は止めなって
ば! たまには
﹁で、でも柊ちゃんの隣は一人しか座れないし⋮⋮﹂
﹁確かにそうだけどさ、でも怜亜はもうちょっと自分の意思を前に
出した方がいいって! 控えめ過ぎも良くないよ! 分かったっ!
?﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
﹁よーし! じゃああたしが柊兵の隣でー、怜亜は柊兵のヒザの上
! っていうパターンで今回は行こう! ハイ決まりぃ∼!!﹂
ちょ待て待て待て待て!!!! なんだその異様な配置は!? それじゃ俺が晒し者確定じゃねぇか!!
﹁それじゃ柊ちゃんに迷惑よ。ねっ柊ちゃん?﹂
﹁怜亜は軽いし全然大丈夫だって!! ねーっ柊兵!?﹂
ち、畜生、動悸が早すぎて心臓が痛ぇ⋮⋮。
とにかくこの修学旅行が終るまでの間、心臓が正常な脈を打てる
時間を最大限確保することに専念だ。末代までの恥を晒さず、俺が
無事に生き残るにはそれしかない。
313
本日のキーワードは
︻
補助
︼!? <前編>
しかしなんつー所に押し込まれてるんだ⋮⋮。
現在置かれているこの狭っ苦しい状況に、重い溜息しか出てこね
ぇ。
人数オーバーなどの理由で誰かがこの場所に押し込められるとい
う非常事態は、今までの銀杏高校の行事の中で何度か目にした事は
ある。
だが無愛想で喧嘩っ早い俺を恐れていたのか、この原田柊兵をこ
こへ隔離させようとする奴などいなかったし、もし仮に教師からこ
の場所への着席を命令されたとしても断固として拒否していただろ
う。
﹁観光バスの通路補助席﹂
という情けない位置に。
だが、今俺はたった一人でここに座らされている。
││
まさにここは屈辱的な位置だ。
本来ならどんなことがあっても絶対にこんな窮屈でアウェイな席
などには座らない。
だが現実は容赦なくシビアだ。
俺だけが補助席を割り当てられ、バスの中央通路に罰ゲームのよ
うにポツンと置かれている。真正面に視線を移せば大きなフロント
ガラスと運転手の剥げた後頭部がかなりよく見えるのが情けなさに
314
拍車をかけやがる。
正直今すぐにでもクレームをつけてこの場を脱出したいところだ
が、バスの中はやかましいぐらいの喧騒で、どこで誰が何を話して
いるのか容易に判別できる状況ではない。よって、俺がここでいく
ら文句をぶちまけても席替えの要求を聞き入れてもらうことはまず
不可能だろう。しかもクレームの要求先はE組委員長に任命された
あのクソ真面目女になっちまうんだろうし、あいつには関わりたく
ねぇ気持ちの方が強い。まさに八方塞がりだ。
しかしだ、俺が座らされているこの補助席の座席幅が狭すぎな件
と、肘掛けが無い件と、背もたれが異様に短い件だけは何とかして
もらいたいもんだと痛切に思う。
⋮⋮まぁこれだけ内心でグダグダと長い愚痴をこぼしていても、
結局今の俺には﹁この補助席に座る﹂という哀れな現状を享受する
しか道は残されていない。
いつでも原田柊兵を二人で仲良く半分こする
”
とい
なぜならこの補助席を割り当てられた最大の理由が、美月と怜亜
製作の“
う超過激ルールによるものだからだ。
﹁はい、柊兵! あ∼んしてー!!﹂
早速きやがった!
バスが走り出してまだ五分と経っていないのに、右耳の鼓膜を美
月の大声が直撃だ。
右席からやたらと太いピンク色の棒状のような菓子を目の前にズ
イと突き出し、美月が﹁ほらほら∼!﹂と俺に食べるように迫って
くる。
﹁⋮⋮何だこれは﹂
315
﹁これ? ジャイアントポッ〇ーだよ! ちなみにつぶつぶイチゴ
味∼っ!﹂
﹁要らん﹂
﹁なんで? あ! じゃあこうすれば食べてくれる? ほ∼ら、見
て柊兵! 最後まで食べきればすっご∼くいいことが待ってるよっ
!﹂
恥じらい
”
という日
そう言うや否や、美月はそのどでかい菓子の先端を口に咥え、反
“
対の端を俺の口元に向かって勢いよく差し出す。
﹁ふぁいっ︵はいっ︶!!﹂
⋮⋮おい。
思わず片手で顔を覆う。
誰でもいい、こいつにのDNAに
本古来の奥ゆかしい概念を文字列に変換して書き込んでくれる奴は
いないのだろうか。
このうんざりしている様子が間違いなく伝わっているはずだと思
うのだが、美月は全く怯むことなく、﹁しゅーへぇー、ふぁーやー
くっ!﹂と菓子棒の先を口に含んだまま俺を急かし続ける。さすが
だ美月、相変わらずのナイスガッツだな。
いや待て、その根性を褒めている場合ではない。
﹁ふぁいっ! ふぁーやーくっ!﹂
しかしでっけぇ声だな。このままだと周囲のいい見世物になっち
まう。
仕方ねぇ⋮⋮やってやるしかなさそうだ。
﹁分かった﹂
そう返答した後、指でジャイアント〇ッキー︵つぶつぶイチゴ︶
とやらを美月の口元付近からぽっきりと真っ二つに折ってやった。
316
そして刈り取ったそれをそのまま口に放り込み、咀嚼する。
﹁あ∼っ! 柊兵ってばダメじゃん、手を使ったら! 口でやって
よ∼っ!﹂
脳内で描いていた俺との未来予想図を壊された美月が、ふくれっ
食う
”
という義理は果たした。文句は一切受け付けん﹂
面で難癖をつけてくる。 ﹁“
﹁もうっ何よ! 柊兵のケチッ!﹂
そう叫ぶと美月は一度席から立ち上がり、バスの進行方向に身体
の向きを変えてドサリと座り直す。
どうやら八つ当たりの矛先はこの特大菓子に集中的に向けられた
ようだ。
ふくれた美月の口元でパキパキと軽快な音が鳴り、そのヤケ食い
の音に比例して桃色の菓子棒が消滅し続けている。しかしおとなし
く諦めてくれたようなのでやれやれだ。
﹁柊ちゃんっ、あ∼んしてっ!﹂
おい、右の次は左かよ⋮⋮。
今度は怜亜が左席から身を乗り出してきていた。真下から俺を見
上げ、同じ特大菓子棒を差し出している。ちなみにこっちの色はよ
く見かけるオーソドックスな濃い茶色だ。
どうでもいいが、こいつらは菓子までもこうして揃いの物を用意
してきてるのか? 恐ろしいまでに用意周到だな⋮⋮。
﹁はいっどーぞ!﹂
317
⋮⋮なんだ、そのままか。
美月の真似をして自分の口に挟んで食べさせようとするのかと思
いきや、怜亜は素直に俺の口元に向けて差し出してきたため少々肩
透かしを食らう。
﹁早く食べて、柊ちゃん!﹂
﹁あ、あぁ﹂
美月の菓子棒を食べてこっちを食べないわけにはいかない。
よってジャイアントポッ〇ー︵ビターチョコ︶を渋々咥えた。し
かし怜亜はなぜか手を離さないので仕方なくそのままサクサクと齧
り続ける。
みるみるうちに短くなってゆく特大菓子棒。
と、思わず自嘲する。
兎と同列
ふと、小学校で飼っていた兎達に餌として与えた人参スティック
”
が奴らの口中に瞬く間に消えてゆく光景を思い出し、“
かよ
そんなブルーな気分のまま最後の一片を食いきった時、怜亜がと
んでもない行動に出やがった。
菓子棒が無くなり、自由になった自分の指先を俺の唇にピッタリ
と押し当てた後、その指先をそのまま自分の口元に軽く含んで、﹁
柊ちゃんと間接キス﹂とのたまったのだ。
﹁あーっ! いいなぁ怜亜!﹂
ヤケ食いをしながら俺達の様子を見ていた美月が羨望の声を上げ
る。
﹁ねー柊兵! あたしもそれやりたーい!﹂
﹁バ、バカか! 何考えてんだお前は!﹂
美月、いいか周りをよく見ろ! ここはクラス全員が集結してい
るバスの中だぞ!?
断固として拒絶した俺の腕に怜亜がヒシとすがりつき、必死に懇
願する。
318
何でも半分こ
”
とやらのとんでもねぇ
﹁柊ちゃん! 美月にもさせてあげて? ね? お願いっ!﹂
“
⋮⋮ったく、お前らは⋮⋮!
いい加減にその
ルールを根底から何とかしろ!
このピンチをどう切り抜けるか考え始めた時、
﹁柊兵、ケータイ鳴ってるよ?﹂
と美月に言われ、ジャージのポケットに突っ込んでいた携帯が鳴
っていた事に初めて気付く。
取り出してみると、メールが着信した合図だった。
送信元名を見てみる。
││ なぜここでお前がメールを寄越す!?
送信元名を見た俺の表情が曇ったのをこの両脇の雌鳥たちが見逃
すわけも無い。
﹁誰からなの、柊兵?﹂
即行で遠慮なく詮索してきたのは当然のごとく美月だ。まぁいい。
別に隠す事でもない。
﹁あの占い師だ﹂
﹁えっ! もしかしてミミ・影浦さんっ?﹂
怜亜が驚いた顔でミミの名を出す。﹁あぁ﹂と頷いてやると、
﹁柊ちゃん、あの人と連絡先を交換したの?﹂
と重ねて尋ねてきた。
﹁別に交換したわけじゃねぇよ﹂
﹁だってミミさんからメールが来てるんでしょ?﹂
﹁そうみたいだな﹂
319
﹁ミミさんにメアドを教えたから来ているのよね?﹂
﹁いやだから教えたんじゃなくてよ、なんつーかその場の成り行き
っつーかでだな⋮﹂
﹁柊ちゃんて、成り行きで女の人に連絡先を教えちゃうの?﹂
﹁そっ、そういうわけじゃねぇよ!﹂
﹁じゃあ一体どういうわけなの?﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
まさに質問の絨毯爆撃。
いつもはおとなしい怜亜にここまで畳み込まれるように追求質問
ラッシュをかけられたため、避難場所すら見つけられず口調がしど
ろもどろになる。ここは一体どう切り抜けたらいいんだ!?
﹁怜亜! それよりもまずはあの占い師が柊兵に何てメールしてき
たかを激しくチェックだよ!﹂
﹁あっそれもそうね!﹂
美月の横槍で追求の矛先が変わった。
だが決して状況が好転したわけではないのがミソだ。
﹁それちょっと見せなさいっ!﹂
右手の携帯電話が一瞬で手元から消え、美月に横取りされた。
ここで一抹の不安がよぎる。
あのチビ女、何かヤバい事を書いてきていないだろうな⋮⋮。
アドレスを交換したばかりの頃はミミから大した内容も無いメー
いいわよ
ルがちょくちょく送信されてきていたが、俺からはほとんど返信し
この面倒臭がり男ーっ!︵ノ`Д´︶ノ彡┣┃┣
なかったので、
︻
いいわよ! もう柊兵くんにはメールじゃなくて直接電話をかけち
ゃうんだから! かけたら絶対に出なさいよね!!ヽ︵`Д´#︶
320
ノ
︼
との逆ギレメールを最後に、ここしばらくは音沙汰が無かった。
そのミミから今頃何の連絡なのか、正直気になる。
﹁じゃあ怜亜、行くよ!﹂
﹁うんっ!﹂
愛しの柊兵くん、お元気∼? 今日は誰より
液晶画面のすぐ側にまで顔を近づけ、美月がメール文を読み始め
る。
﹁なになに⋮⋮、︻
も大切なアナタにとっても大事なことを伝えたくてメールしました
♪︵*^▽^*︶︼ ⋮⋮って、ちょっと柊兵! なんなのよ、こ
のメールはッ!?﹂
文章の出だしを読んだだけですでに美月は完全にヒートアップ。
怜亜も哀しげな顔で俺の顔をじっと見つめている。
﹁ひゅ∼! 女の子からのラブメールだなんてカッコいいですね柊
兵く∼ん! 君はいつからそんなにモテキャラになっちゃんたんだ
い?﹂
美月の隣席にいたシンが窓際のシートから身を起こして口笛を吹
き、
﹁そうだぞ柊兵! 女三人なんていくらなんでも欲張りすぎだっつ
ーの! だからせめて怜亜ちゃんは俺にくれっ!﹂
と怜亜の隣席に座る将矢が立ち上がって叫んでいる。
更に現在勃発しているこの対岸の火事を楽しんでやがる尚人とヒ
デが、
﹁まさか出発していきなりこんな修羅場が始まるとは思っていなか
ったよ。スリリングな修学旅行になりそうだね、ヒデ﹂
﹁ハハッ、こうなった以上、柊兵は座して死を待つより他に道は無
321
いな。自業自得だ﹂
と声高らかに談笑しているのが後部座席から聞こえてくる。畜生
っ、結局今回もいい見世物になっちまってるじゃねぇか!
﹁柊兵! これは一体どーいうことなのよ! 早く答えなさいっ!﹂
﹁ミミさんとはどういう関係なの? 教えて柊ちゃん!﹂
とさか
どうやら雌鳥どものテンションは悪い方向にヒートアップし始め
ているようだ。もしこいつらの頭のてっぺんに本物の鶏冠があった
なら凄まじい角度でそそり立っていることだろう。
しかしミミの奴、こんな最悪のタイミングでなんつー妖しげなメ
ールを送ってきやがるんだ⋮⋮。占い師なら空気を読めっつーの、
空気を!
﹁さぁ柊兵っ、とっとと吐いちゃいなさいっ!!﹂
﹁柊ちゃんは私たち以外の人ともお付き合いしてるの!?﹂
ばしょ
美月と怜亜が両脇から一気に詰め寄ってくる。修学旅行は始まっ
たばかりだというのに、逃げることの出来ないこの補助席で早速の
大ピンチが到来だ。
﹁まっ待てお前ら! まずは落ち着けっての! うぉっ!?﹂
背後にしか逃げるルートが無いので慌てて後ろに身を引いたが、
背もたれが短すぎて危うく後ろにひっくり返るところだった。
322
本日のキーワードは
︻
補助
︼!? <後編>
﹁柊兵! 早く答えなさいよーっ!﹂
﹁お願い! 教えて柊ちゃん!﹂
両脇の雄たけびは最高潮だ。
しかしあのチビ占い師とは周囲に話すのを憚るような特段な関係
ではないのに、こうして﹁言え﹂と迫られてもこちらとしては困惑
するしかない。だが今それをここで必死に釈明してもこいつらに信
じてもらえそうに無いのは明らかでもある。どうする⋮⋮?
﹁もしもーし、そこのお二人さ∼ん? どうせ柊兵くんを責めるん
ならさ、その疑惑メールを最後まで見てから判断したほうがいいと
思いますよー?﹂
俺が本気の窮地に追い込まれているのを見かねたのか、シートか
ら身を起こしたシンが珍しく助け舟を出してくる。そして﹁柊兵く
ん、俺もそのメール見てもいいか?﹂と続けて尋ねてきた。
﹁あぁ﹂
俺が頷いたので、シンは﹁ちょっと失礼﹂と言うと美月の手から
華麗に携帯を取り上げ、携帯画面をスクロールしながらミミからの
メールを無言で読み始める。だが途中で一度軽く噴き出し、その後
は空いた片手で笑っている口元を覆い隠しながら続きを読んだ。
﹁⋮⋮いやぁ∼なるほどなるほど! これはなかなかに興味深いメ
ールですねぇ∼!﹂
323
メールを読み切った後の第一声がこれだった。
慇懃ぶった口調にプラスして勿体をつけたその言い方に、美月と
怜亜の関心は一気にシンへと移ったようだ。俺への追求を一時中断
して二人ともシンへ視線を送る。
﹁シン! 何て書いてあったのよ!?﹂
スマイル
俺の身代わりとなって美月の追求を受けたシンは、喉元からこみ
くすのせしんいち
上げてきている笑いを抑え、おそらく自身最上級の笑顔を見せる。
﹁もちろん美月ちゃんからの直々の頼みとあれば、この楠瀬慎壱、
どんな事でも喜んでお答えいたしますよ! でもまずその前に、お
二人には柊兵くんの浮気疑惑が完璧に晴れた事を慎んでここにご報
告させていただきます!﹂
﹁えっホント!? じゃあ柊ちゃんはミミさんとはお付き合いして
いないの? 教えてシンさん!﹂
﹁イエッサー!﹂
シンは歯並びのいい白い歯を見せ、﹁では柊兵閣下のお許しも出
“
女から届いた
”
という
ておりますので、僭越ながらご報告させていただきます!﹂と宣誓
すると、わざと声色を高めにして
︻
柊兵くんは今日から修学旅行でしょ?
雰囲気を存分に醸し出しながらミミのメールの続きを読み始めた。
﹁
せっかくの銀杏高校の一大イベントを柊兵くんに心から楽し
んでもらいたいから、
この三日間の天秤座の運勢をまたまた勝手に占っちゃいまし
た∼♪ ︵^o^︶ノ
⋮⋮優しいミミお姉さんに感謝するのよ?
≪
補助
≫!
じゃあ早速発表するわね! 今回の天秤座の星のお告げはズ
バリ
修学旅行の間、きっとたくさんの人たちがあなたをアシスト
324
してくれると思うわ!
ヾ︵*´∀`*︶ノ
白
≫よ!
≪
水場
≫
でラッ
そして肝心の恋愛運! 今の柊兵くんにはこれが一番重要よ
ねっ!
≪
あなたのラブ運が高まるポイントは
キーカラーは
では色んな意味で三日間の柊兵くんの健闘を祈りまーす☆ ∼ ︵*^з^*︶CHU♪ ︼﹂
∼ あなたのミミお姉さ
んより
﹁⋮⋮何それ?﹂
ミミの星占いメールを聞いた美月が渋い顔で呟く。
﹁ハハッ、だから柊兵くんがこの修学旅行を楽しめるように、ミミ
っていう占い好きなおねーさんがラブラブ恋愛占いをしてくれたっ
てことじゃないですか? なぁ柊兵く∼ん?﹂
シンが笑いをこらえながら俺の顔を見た時、﹁ねぇシンさん﹂と
今度は怜亜が口を開いた。
﹁ミミさんからのメールはそれで終わりなの?﹂
﹁うん、そう。これで終わりだよ﹂
︻
今夜は二人っき
なんていう禁断の秘め事
とか、︻
︼
︼
この間の柊兵くん、獣みたいにすっごく激しすぎて、私カ
シンは怜亜に向かってそう答え、
﹁
ラダが壊れちゃうかと思った∼!
りで朝までずっとイイ事しようね♪
系は何も書かれてませんでしたからどうぞご安心を!﹂
とまったく余計なフォローを付け加えやがる。
﹁そうだったの⋮⋮。でも良かったわ! 柊ちゃん、疑っちゃって
ごめんなさいっ!﹂
325
片手で首元を軽く押さえ、怜亜が俺に向かって微笑んでくる。
おい怜亜、なんだそのメチャクチャ心底安心したような笑顔は。
分かり易すぎだっつーの⋮⋮。
﹁あたしもごめんね、柊兵!﹂
美月も一気に機嫌を直したようだ。しかしデカイ声でそう謝った
後、
﹁シン、それ貸して!﹂
とまた携帯を取り返し、俺に向かってそれを二三度振ってみせる。
﹁柊兵! 今回はあたし達の勘違いだったけど、他に怪しいメール
は無いんでしょうねー?﹂
と念押しをしてきた。面倒なので﹁無ぇよ﹂と素っ気無く答える。
﹁あっそ。じゃあ念のためにメール全部チェックしちゃおー!﹂
受信メールボックス一覧を美月が開こうとした時、
﹁おっと! そこまでですよ美月ちゃん﹂
隣席にいたシンが上から手を伸ばして携帯をスマートに奪い取る。
﹁さすがにそこまではやっちゃいけないなぁ。パンドラの箱を強引
に開けたっていいことなんて何もないんだよ? それに例えやまし
い事がなくってもさ、柊兵くんにだって一応プライバシーがあるん
だ。美月ちゃんはそう思わない?﹂
シンにそう優しくたしなめられ、美月も少し反省したようだ。
﹁うん⋮⋮、そうだね、シンの言うとおりだね。ごめん、柊兵。や
りすぎちゃうとこだった﹂
﹁そうそう、良い子良い子!﹂
美月が素直に応じたのでシンはにこやかに笑う。そして﹁ホラ柊
兵、しまっとけ﹂と美月の頭越しに俺の携帯を返して寄越した。
326
﹁サンキュ﹂
礼を言い、携帯をジャージのポケットに突っ込んだ。
知り合ったばかりの頃はひたすらチャラいだけの男かと思ってい
たが、こいつも実は結構いい奴だ。後は俺をいいように弄ぶ例の癖
さえなければとりあえず言う事はないんだがな。
しかしミミの奴、何の用件かと思ったらこんな下らないことをわ
ざわざメールしてくるとはな⋮⋮。
確かに巷では評判のよく当たる占い師かもしれないが、俺にとっ
ては史上最凶のウザさを誇る占い師だ。
だが、ここでふと俺の中で次なる新たな疑問点が浮上してくる。
⋮⋮なんであいつは今日俺らが修学旅行に行く事を知ってるんだ
?
327
聞いてねぇよ そんなふざけた個人情報は
俺がそんな疑問を抱いた時、また携帯が鳴った。
だが今度はメールではなく、通話の着信音だ。いくらバス内が騒
々しいとはいえ、携帯電話の着信音はかなり目立つ。
﹁柊ちゃん、もしかしてミミさんからじゃない?﹂
女特有の第六感とやらをフルに発動させ、俺の顔色を伺うように
怜亜が尋ねてくる。んなわけねぇだろ。
だが再び携帯を引っ張り出して確認すると││、⋮⋮さすがだ。
怜亜の勘は見事にビンゴ。こういう時、女って奴は恐ろしいぐらい
に勘が鋭くなりやがる生き物なんだな。勝てる気がしねぇ。
﹁出るの、柊兵?﹂
携帯に目を落とした俺の表情で相手がミミだということを確信し
たのか、美月も探るような視線で身を乗り出してきた。よってこの
時点で俺に課せられた選択肢は二つだ。
││ ブチ切りするか、すぐに出るか。
この不穏な状況下なら迷うことなく即ブチ切りコースを選ぶべき
ところだが、このチビ女には少々聞きたい事もある。通話状態にし
て素早く携帯を耳に押し当てると、俺が返事をする前に、
328
﹃
あ、ダーリン?
﹄
と鈴を振るようなミミの声が聞こえてきた。
﹁⋮⋮誰がダーリンだ。つか、なんでメールの後にすぐ電話してく
んだよ﹂
不機嫌な声でそう尋ねると、その空気を弾き飛ばすかのようにケ
だって柊兵くんはいっつも私のメールを無視するじゃない! ラケラとミミが高笑いをする。
﹃
﹄
だからこれはちゃんとさっきのメールを読んでくれたかの確認電話
なのっ!
﹄
ヒ、ヒマ人ですってーっ!? 失礼しちゃうわねっ! 私はね、
﹁いい加減にしろよ暇人﹂
﹃
こーみえてもかなり忙しい人間なのよ!?
﹄
あったりまえじゃない! それに占いの他に副業もあるし、こ
﹁へぇ、占い師ってのはそんなに忙しいもんなのかよ?﹂
﹃
れでなかなか大変なんだから!
﹁副業? あぁ、そういえばあんた本を出したりもしてるもんな﹂
愛と幸せに満ちた惑星
以前こいつに無理やり押し付けられた分厚い星占い本の事を思い
︻
のこと? あれ、ちゃんと読んでくれてるんでしょー
あ、本って前に柊兵くんにあげた
出し、そう相槌を打ってやった。
﹃
︼
﹄
の上で
ね?
もうっ何よ!
﹄
﹁誰が読むか。忙しいならとっとと仕事しろ﹂
﹃
とうとう堪忍袋の尾が完全に切れたのか、ミミが幼さの残るドで
329
いつもいつもそうやって素っ気無い態度ばっかり! 柊兵くん
かい声で怒鳴り散らす。
﹃
って好きな女の子の前ではそうやってつれない態度を取るタイプよ
﹄
﹄
ね! ⋮⋮あっ!? っていうことは柊兵くんって本当は私のこと
が好きなんじゃない!?
やだっ! 冗談で言ったのに当たっちゃったの!?
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹃
﹄
﹄
﹄
アホとは何よー!! 柊兵くんってホントに可愛げの無い男の
﹁ア、アホか! んな訳ねぇだろ!﹂
﹃
子よねっ!!
あはっ、それより今送ったメールは読んでくれたー?
﹁うるせぇ! かわいくなくて結構だ!﹂
﹃
見たの!? 見てないの!?
﹁あぁ!? いきなり話変えんなよ!﹂
﹃
嘘をつく必然性も無いので、渋々﹁あぁ見た﹂と答えてやると、
わぁちゃんと見てくれたんだー!? あのね、今回の占いは結
厄介なことにミミのボルテージは更に上がっちまったようだ。
﹃
﹄
構自信があるの! 柊兵くんのために一生懸命占ったから、是非参
考にしてね!
﹁なぁ、それよりあんたに聞きたいことがある﹂
俺のこの言葉が予想外だったらしく、自称、繁忙占い師はまだ更
﹄
柊兵くんから私に質問なんて初めてじゃない? でもいくら私
に何かを喋ろうとしていた続きを飲み込んだ。
﹃
が気になるからって、スリーサイズは教えないわよ?
﹁そっそんなもん別に知りたくねぇよ!!﹂
330
﹃
﹄
あははっ無理しちゃって∼! キュートなミミお姉さんに興味
津々のクセに♪
思わず返す言葉に詰まったほんの数秒間、どうして俺の周囲に集
まる女はどいつもこいつもこう斜め上の思考回路を持つ奴ばかりな
のかを真剣に考える。
しかしここで頭に血が上っては話しにならん。まずは落ち着いて
冷静にならねぇと。
﹄
﹄
﹁⋮⋮あんたさ、どうして今日俺らが修学旅行だって知ってたんだ
あら、聞きたいことってそんな事?
?﹂
﹃
ふふっ、それならとっくにお見通しだったわよ
﹁あぁ﹂
﹃
﹁お見通しだっただと!? まさかアンタお得意の占いで分かった
ってのかよ!?﹂
﹄
驚いて叫んだ俺の鼓膜に、携帯電話の向こう側からミミのすっと
だぁって、私も銀杏高校出身なんだもーんっ♪
ぼけた声が響く。
﹃
だ・か・らぁ∼、私は柊兵くんの大先輩なのよ? これからは
﹁何ぃ││っ!?﹂
﹃
﹄
もっと私のことを敬いなさいね! 分かったぁ∼? ハイッ、分か
ったならお返事はぁ∼?
え∼嘘だぁ! 私ちゃんと言ったわよ∼? 去年あなたがエス
﹁あんたそんなこと言ってなかったじゃねぇか!﹂
﹃
タビルに会いに来てくれた時、私そこの出身だって話したじゃな∼
331
い!
﹄
﹁確かにあの時この土地の出身だとは聞いたが、銀杏高出身とまで
﹄
あれれ∼、そうだっけぇ∼? まったく記憶にございませんわ
は言ってなかったぞ!? 絶対に間違いねぇ!﹂
﹃
∼!
ミミは軽くボケをかますとまた一人で勝手にウケている。しかし
さっきから妙なテンションだな。まさかこんな朝っぱらから酒でも
飲んでんじゃねぇだろうな?
そーゆーことね!
﹄
﹁⋮⋮なるほどな、それで銀杏高の行事にもやたらと詳しいわけか﹂
﹃
﹁ならちょうどいい。あんた卒業生なら分かるだろ。教えてくれ。
俺らはこれからどこへ連れて行かれるんだ?﹂
なぜかここでミミの笑い声がピタリと止む。あまりにも急激に止
﹄
かんこうれい
⋮⋮じゃあ柊兵くんたちも行き先はまだ発表になっていないん
まったので、少々不気味だ。
﹃
だ?
﹃
﹄
ふぅーん。ね、ちなみにマスミちゃんは例の訓示、何て言った
﹁あぁ。教師の間にも箝口令が敷かれているらしい﹂
?
“
諸君ッ! 修学旅行はぁ∼!
”
やだ、娑戸芭理事長のことよ! ほら、マスミちゃんお得意の
さとば
﹁マスミちゃん? 誰だそれ﹂
﹃
﹄
訓示があるでしょっ? の後、何て叫んだ?
あぁ、あの理事長のことか!
やっと合点が行く。
332
“
サバイバル
”
﹄
って叫んだぞ﹂
あははっ、やっぱりそうなんだぁ∼!
﹁確か
﹃
﹄
私の時と同じだわ! それなら残念だけど柊兵くん達の行き先
ミミはなぜか嬉しそうだ。
﹃
は私にも分からない
だって修学旅行の行き先は毎年変わっていたんだもん。それに
﹁ハ? なんでだよ?﹂
﹃
﹄
私たちの時も目的地はトップシークレットってことで出発当日まで
教えてもらえなかったわ
⋮⋮チッ、行き先は毎回変わっていただと? じゃあこいつから
修学旅行関係の情報を聞き出そうとしても無駄というわけか。
﹁でもよ、なんで当事者の俺らに行き先を必死に隠すんだ?﹂
言っておくけど、銀杏高の修学旅行は生徒が主役じゃないのよ
﹄
何の気なしに呟いた俺のこの素朴な疑問に対し、さっきまでの妙
あらあら柊兵くん。あなた少々勘違いしてるみたいね?
なテンションはどこへやら、
﹃
とミミが超クールにのたまう。
﹃
﹄
﹁なんだと?﹂
?
﹄
んー、そうね、どうしようかなぁ⋮⋮。全部話しちゃうと楽し
﹁何? 修学旅行だぞ? 俺らが主役に決まってんじゃん﹂
﹃
みが薄れちゃうから、じゃあ特別に一つだけ教えてあげる!
ミミはここでわざとらしい咳払いをすると、一大スクープを発表
333
銀杏高校の修学旅行、その実態は、“
するような厳かな口調で言った。
﹃
なのよっ
﹄
”
先生たちの慰安旅行
334
駄目だ この展開についていけん
﹁教師の慰安旅行だと!?﹂
ィナー
ウ
﹃そ。だから今日と明日の二日間必死に頑張ってね! 選ばれし勝
利者になれるように私も影ながら祈ってるから! じゃあね∼!﹄
﹁おい!?﹂
マズい! こいつ、こんな中途半端な不可思議情報の提示だけで
切りやがるつもりだ!
﹁ちょっと待てよ! もっと詳しく教えろっ!﹂
﹃うぅんダメよぉ∼! だってそれじゃあせっかくの修学旅行の楽
しみがなくなっちゃうじゃない!﹄
﹁うるせぇ! いいから勿体つけずに教えろ! 教えないと修学旅
行中、あんたの携帯に毎晩無言電話をかけて嫌がらせするぞ!﹂
﹃あらあら、随分と勇ましいことねっ﹄
小馬鹿にしたような口調であざ笑うミミの声が鼓膜に刺さる。
﹃いいわよ、是非やってごらんなさい! でもぉー、それがぁー、
マクロコスモス
本当にぃー、や・れ・る・も・の・な・ら・ねっ! じゃあごきげ
んよう柊兵くん! あなたに大宇宙のご加護がありますように♪﹄
﹁待っ⋮!﹂
││ ここで無常にも電話は一方的に切られた。が、俺はすぐに
携帯を閉じる事が出来なかった。なぜなら。
335
﹁⋮⋮おい、お前ら何やってんだ⋮⋮!﹂
﹁へ? だって柊兵があの占い師とどーゆー会話をしているのか知
りたかったんだもんっ! ねー怜亜?﹂
﹁えぇ! それに話している感じで柊ちゃんとミミさんの親密度合
いが分かるかなと思ったの!﹂
﹁だっ、だからっつって、何なんだこの体勢はッ!﹂
雌鳥たちに挟まれた俺はひたすら身を硬くするしか道が無い。
なぜなら携帯を押し当てていた左耳付近に怜亜がピッタリと顔を
つけ、美月は思い切り身を乗り出して俺の目の前を横切っている。
つまり、左の女の柔らかい頬の一部が俺の顔に密着し、右の女のデ
カい胸が時折鼻先をユラユラかすめるという、とんでもねぇ肉弾戦
的な構図が目の前に大展開されているせいだ。こいつらマジでおか
しすぎるだろ!
﹁別にいいじゃん! 出来るだけ携帯の側に近づかないと相手の声
がよく聞こえないんだからさ!﹂
﹁柊ちゃんってミミさんに対してもぶっきらぼうなのねっ。ちょっ
と安心したわ!﹂
﹁おわっ!? おっ、お前らそれ以上動くんじゃねぇ! つーか離
れろ!!﹂
マジで心臓が持たん!!
⋮⋮しかしこうして女に取り囲まれるようになって分かったのだ
が、どうして女ってヤツはどいつもこいつもこう何とも言えない良
い香りがするんだ!? 何かの香水の匂いなのか、それともこいつ
ら自身の肌から放たれる元々の芳香なのかはよく分からんが、普段
男同士でつるんでいる俺にはあまりにも刺激が強すぎる。
﹁それより柊兵くん、その星占いのおねーさんと何を話したんだい
336
?﹂
動揺MAXな俺を横目にシンが興味ありげな顔でツッコんできた。
だがその問いに答える前に右肩を背後から軽くつかまれる。
﹁柊兵、そのミミっていうお姉さんは何歳なの?﹂
││ お前か、尚人。
普段ならこういう話題には将矢が一番にノッてくるのだが、さす
が生粋の年上好きだ。シンよりも興味津々の表情で後部座席から身
を乗り出している。
﹁確か二十六だ﹂
﹁二十六歳? へぇ⋮⋮!﹂
俺の答えを聞いた尚人の目が流星群のように輝きだしたので、要
らぬ誤解を生まないよう、伝えるべき最重要項目を取り急ぎ口にす
る。
﹁言っとくが、お前の好みとは真逆を行く女だぞ?﹂
すると頭の回転が速い尚人はこれだけですぐに俺の言わんとする
ことが飲み込めたようだ。
﹁⋮⋮あぁなるほどね! 残念だけど了解!﹂
そう答えるとすぐに自分の席に座り直した。
それからたっぷり三十秒ほど経った後、ようやく俺の言葉の意味
を理解できた将矢が﹁おっ! やっと分かったぜ!﹂と半ば興奮状
態で会話に参戦してくる。
337
”
年上だけど見かけは年
ってことだな!? ヒャッホウッ!! 禁断の匂
﹁尚人の好みじゃないっつーことはよ、“
下なロリ系
いが立ち上ってきてムラムラと興奮してきたぜーっ!! 柊兵っ!
そのロリ姉さん、俺に紹介してくれ!!﹂
走行中の振動でひっきりなしに揺れる座席から勢いよく立ち上が
り、勇ましいガッツポーズを決める将矢を眺め、
﹁フッ、さすが将矢だな。女の雑食度の高さには毎度の事ながらた
だ感心するのみだ﹂
と、老成が入ったシミジミした口調でヒデが独り言を言った時だ。
一番前の座席で沈黙を保っていた毛田が突然立ち上がり、俺らの
方を振り返る。
﹁さぁさぁみなさぁ∼ん! おくつろぎのところ申し訳ないけど、
あともう少ししたらこのバスを降りてまた別の乗り物で移動しても
らいますっ! これからアタクシがとっても大事な物をせっせと配
っちゃうから、皆さんは一人各一つずつ取って、各部所にこれでも
かっていうぐらいにしっかりと装着してちょーだいねんっ!﹂
毛田が隣の座席に置いてあったデカい荷物を抱えた。そしてすぐ
に毛田の手からスタートした大きな紙袋が、川上から流れてくるデ
カい桃のように前方から回され始める。
⋮⋮なんだ?
カチャカチャとした金属音がかすかに聞こえるような気がするが
気のせいか?
﹁はぁっ!? 何だよコレ!?﹂
﹁エェッ!? これを付けなくっちゃいけないのっ!?﹂
中にある物体をそれぞれ取り出したクラスの仲間達はそれを見て
338
皆一様に動揺した声を上げている。
おい、一体何が入っているんだ?
やがて俺らの元にも特大紙袋が巡ってきた。
ど真ん中の補助席にいたため、必然的に俺がその紙袋を受け取る。
周囲のメンバーに配ろうと紙袋の中を覗いてみた。
⋮⋮⋮⋮この高校、やはりどこかイカれてる。中を見てそう確信
した。俺らにこれを装着させて一体何をおっぱじめようってんだ? 紙袋の中にビッシリと入れられていた黒い物と金属音の正体。
それは、現実世界の視界を一方的に遮断する道具として有名な厚
手のアイマスク群と、乱雑に箱に収められ、銀色に鈍く輝く手錠の
束だった。
339
言われなくても分かってる
︱︱ さっきから潮の香りが何度も鼻腔をくすぐり続けている。
銀杏側から支給された拘束グッズを、問答無用かつ半強制的に身
に着けさせられ、観光バス内にもかかわらず俺らは逃亡不可能の状
態にされた。
その後、バスを降ろされ小型船のようなものに乗せられて着いた
先が潮の香りがするこの場所だ。
まだ拘束グッズは外されていないので何も見えないし、ろくに手
もつかえない。
﹁あーっこの手錠邪魔くせー!! どさくさに紛れておっぱい触ろ
うとしてもできねぇじゃん!!﹂
アイマスクを装着させられていることを逆に利用し、予想外のア
アホ
クシデントを装ってクラスの女の身体を触ろうともがいていたらし
い将矢の嘆き節が聞こえてくる。⋮⋮何やってんだあいつは。
しかし将矢じゃないが確かに文句の一つも言いたくなる。これじ
ゃまるで連行じゃねぇか。一体俺らが何をしたっていうんだ?
﹁みっなさぁ∼ん! お疲れさま∼っ! ちょ∼っぴりだけヒドい
ことをしてごめんなさいねぇ∼! 今すぐ外してあげるから、全員
その場でおとなしくしていてちょーだいね!﹂
毛田の指示通りにその場で突っ立っていると、手元をグイと乱暴
340
に掴まれ、手錠を開錠している音が聞こえてきた。
﹁ほらいいぞ。さっさとアイマスクも取れ﹂
今の声は化学の教師か。
素早くマスクを外すと、すぐ横に海が見える。詳細な地名などは
全く分からないが、どうやらここは周囲を海に囲まれた孤島のよう
だ。
俺らの拘束を解いた後、また毛田が中央に出張ってくる。
﹁では着いたそうそう申し訳ないけどぉ∼、少しここで自由時間を
取らせていただくわね! 島の奥の方に行かなければこの辺りを自
由に散策してくれてOKよ! 後ほど昼食も配りますからめいめい
で美味しく食べてちょうだいねぇん!﹂
まだ教師陣から正式な発表は無いが、やはりここが修学旅行滞在
地となるらしい。
その後、浜辺に放牧された俺らは教師陣より配給された握り飯た
った二つという貧相な昼食を摂取後、それぞれで勝手にあちこちを
散策したり、砂浜で青い海と戯れたりし始める。
拘束されていた身体をほぐすために砂浜を歩いてみることにした。
だが数歩歩いたところで波打ち際に落ちていた貝をうっかり踏ん
じまい、パリンと脆い音がして薄汚れた茶色い貝がスニーカーの下
で粉々になる。 足を止め、目の前の広大な海を眺めたが最大の疑問は未だ解けて
いないのがネックだ。
今のこの光景だけならある意味優雅な旅行だと錯覚しちまいそう
にもなるが、どう考えても観光スポットなど皆無のこんな寂れた孤
341
島でこれから修学旅行が始まるとは到底思えん。
少し離れた場所では毛田たち教師が一箇所に集まって何かの打ち
合わせを始めている。これは何か裏がある。そう思っていた方がよ
さそうだ。
﹁しっかしここまで見事に何も無い世界だと逆に感動するよなぁ∼
! そう思わないか?﹂
いつの間にかシンが俺の横に立っていて、太陽に向かって大きく
伸びをしながら話しかけてくる。銀杏高校を出発した時は今にも降
り出しそうな空模様だったが、ここは抜けるような青空だ。
﹁さっきからモーさん達はああやって額をつき合わせてこそこそ話
しをしているだけだし、これからここで何を始めるんだろうな。柊
兵くんはどう思う?﹂
﹁俺に分かるわけねぇだろ﹂
﹁ははっ、やっぱりそうきましたか!﹂
今の俺の返答はすべて我が想定の範囲内でしたよ、と言わんばか
りの余裕の表情でシンがのたまう。
﹁柊兵くんなら多分そう言うと思ってたけどさ、人間には想像力、
っていう天から授かった優れた能力があるんですよ? せっかくだ
から少しは与えられたその力を使って多少の予想くらいは言ってく
れてもいいんじゃないかい?﹂
相変わらず嫌味な言い方をする奴だ。
少々、いやかなり癪に障ったが、午前に観光バス内で起きたミミ
からの携帯メールの件では助け舟を出してもらったしな⋮⋮。今回
はおとなしくこいつの要望に応えてやることにするか。
342
﹁意味はまったく分からんが、さっきミミと話した時、銀杏高の修
学旅行は教師の慰安旅行だってあいつは言ってたぞ﹂
﹁ミミって、さっき柊兵に星占いメールと電話をくれたおねーさん
のことだろ?﹂
﹁あぁ﹂
﹁でもさっきのメールはマジで傑作だったよな!﹂
ミミの星占いメールがかなりの威力で笑いのツボにヒットしたの
か、長身を前にかがめ、シンが快活に笑う。
水辺
”
じゃなくて
“
水場
”
だ﹂
﹁確かラッキーカラーが白で、水辺で何かイイ事があるんだったっ
け?﹂
﹁違う。“
すかさず行った俺の情報訂正でシンが更に爆笑する。
﹁そんなのどっちだって変わんないじゃん! 前から思ってたけど
さ、柊兵くんは見かけによらず結構細かいところがあるよな! で
もさ、今回のお前にはびっくりさせられたよ。いつもは女が超苦手
そうな顔をしているくせに、いつの間に二十六歳のロリなおねーさ
んと上手いことお知り合いになってたんだい?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あらら、ここでまさかの黙秘権発動ですかぁー?﹂
シンが含み笑いを漏らしながら俺の顔を覗き込む。
無言のままギロリと横目で睨みつけると、今度は余裕綽々の表情
で俺の肩に馴れ馴れしく片肘を乗せてきた。
﹁早速別室でこの件の取調べを徹底的に行いたいところだけど、そ
のまま返り討ちに遭いそうな気もするしなぁ∼。ここじゃ逃げ場も
限られているし、今回はおとなしく諦めるとしますかね﹂
343
﹁賢明な判断だ﹂
﹁お褒め頂きありがとうございます、閣下!﹂
またしても得意の大げさな身振りと仰々しい口調で、シンが俺に
”だっけ? 向かって大きく一礼をする。だがすぐにフランクな口調に戻し、話
修学旅行が教師の慰安旅行
をミミの件に戻してきた。
﹁で話を戻すけど、“
それって一体どういう意味なんだろうな? あ、でもその前にそ
の星占いのおねーさんの情報が信憑性のあるものなら、という前提
の話だけどさ﹂
﹁信憑性はあると思うよ?﹂
話が聞こえていたのか、俺らの背後から近づいてきた尚人が会話
に加わってくる。シンは潮風になびく自分の長髪を片手で押さえな
がら後方を振り返った。
﹁お、尚人くん登場か。なぜそう思うんだ?﹂
﹁だって “ 修学旅行は教師の慰安旅行 ” だなんて発想、い
かにも銀杏らしいからね﹂
﹁おいおい尚人く∼ん、根拠はそれだけかよ∼?﹂
シンが呆れた声で肩を竦めたので、尚人は更に詳しく自説を語り
だした。
﹁それに委員長も毛田に色々突っ込んでたけどさ、今回の件はあま
りにも僕らに情報を開示しなさすぎだと思うんだ﹂
﹁それは確かにそうだよなぁ⋮⋮。なんで各クラス毎にそれぞれ訳
の分からん持ち物を用意させたのかとかだろ? リンリンちゃんな
んてその辺りの疑問をモーさんにすげー剣幕で追求してたもんな﹂
344
﹁持ち物以外でもまだ他にいくつかの疑問はあるけどね﹂
﹁ほうほう、例えば?﹂
﹁まずは日数かな。高校の修学旅行で二泊三日って短すぎるよ﹂
﹁言えてるよな、それ。できれば四泊五日、最低でも三泊四日は欲
しいとこですよ﹂
﹁予算の都合かなとも思ってたけど、滞在先がこんな孤島だったら
宿泊費だって大してかからないよね。しかも今夜はテント泊みたい
だし﹂
﹁テッ、テント泊ーッ!? それマジかよ尚人!?﹂
今夜の寝床が寝袋と知ったシンが素っ頓狂な声を出す。
﹁うん、さっき別の小型船が着いたから偵察に行ってみたらさ、飯
ごうとかテントとか荷卸してたよ﹂
﹁おいおいおいおい勘弁してくれよ∼! せっかくの華の修学旅行
だっつーのになんでこんな小島で野宿もどきな真似をしなきゃなら
ないんだよ!? まさかモーさんたち、二年の林間学校と勘違いし
てんじゃないだろうな!?﹂
さとば
﹁ははっ、いくら天然キャラでもそこまでの勘違いしないだろ。そ
れに娑戸芭理事長がこの旅行はサバイバルって言ってたんだからこ
れでたぶん合ってるんだよ﹂
﹁じゃあ今夜は寝袋にくるまって寝るっつーことかよ?﹂
﹁うん、そういうことだろうね﹂
﹁旅館の枕で眠れるかって心配してきてたのに、まさか枕も割り当
てられないとはね⋮⋮。待てよ、それにここで野宿なら今夜は当然
風呂にも入れないってことだよな? キツ過ぎますよそれ⋮⋮﹂ 盛大なため息をついたシンに、尚人が慰めの言葉をかける。
﹁あ、でもこうしてこの島に来てみてすでに解けた疑問もあるよ?﹂
345
﹁おっさすが尚人くん! で、解けた疑問って何だよ!?﹂
尚人は爽やかな表情で俺らに向かって笑いかけ、﹁携帯電話さ﹂
と答えを口にする。
﹁あ? 携帯電話だと?﹂
意味が分からなかったのでつい口を挟んじまった。
﹁そう。柊兵はおかしいと思わなかった? 普通修学旅行みたいな
泊りがけの行事だったらさ、あらかじめ学校側から携帯電話の所持
について注意の一つや二つはあると思うんだ。でも一切無かったか
らへんだなぁと思ってたんだよね。試しに今自分の携帯見てみたら
分かるよ﹂
尚人に促され、確認のためにジャージのポケットから携帯電話を
出す。
⋮⋮あぁなるほどな。
液晶画面を見て、俺もようやく尚人の言った﹁解けた疑問﹂の一
つが理解できた。
圏
外
︼
と黒い文字で堂
手にした携帯電話のディスプレイには、悪びれなさを全く感じさ
せないくらいの堂々たる勢いで、︻
々と表示されている。
これじゃあ例え銀杏側で携帯電話持参を禁止にし、にもかかわら
ずこっそり持ってくる奴がいたとしてもまるで意味を成さない。こ
こでの文明の利器はまさに無用の長物だ。その時、脳内に急遽ある
事柄が閃く。
⋮⋮分かったぞ。あのチビ女が俺をあざ笑った理由が。
これではあいつにイタ電をかけようとしても繋がらない。そして
ミミはそれが分かっていたから、﹁やれるもんならやってみなさい﹂
と俺に強気で言ってきた訳か⋮⋮。
﹁あ、そろそろ集合っぽいね。僕、先に様子見てくるよ。もしかし
346
たらまた何か情報得られるかもしれないし﹂
一箇所に固まっていた毛田たちがバラけだしたので、すかさず尚
人が偵察に向かう。取り残された俺とシンはどちらからともなく砂
浜に腰を下ろした。
﹁尚人くんはマメだねぇ。⋮⋮ところで柊兵閣下、美月ちゃんと怜
亜ちゃんは?﹂
﹁知らねぇ。たぶん向こう側の浅瀬で貝を拾ってんじゃねぇか﹂
﹁へぇ∼貝殻集めか! 女の子らしくていいじゃん。でもなんで一
緒にいてやらないんだよ?﹂
﹁あんなモン拾って何が楽しいんだよ﹂
﹁ハハッ、いやその気持ちはすごくよく分かるけどさ、でもそこは
かったるくても付き合ってやんなくっちゃダメだろ? だから柊兵
くんはモテないんだよ﹂
﹁うるせぇほっとけ﹂
﹁ま、閣下の場合はもうモテなくたっていいんだろうけどね。なん
たって天使ちゃんが二人もいるわけだし。⋮⋮お? こいつなかな
かキレイじゃん!﹂
そう言うとシンはたまたま自分の足元近くに落ちていた桜色の小
さな貝殻を摘み上げる。
コイツ
﹁見ろよコレ。色といい形といい、完全に女の子ウケを狙って生き
てんな貝殻。でも柊兵くんの場合は大変だよなぁ。だってこれを上
げようとしても、その前にもう一つ同じ奴を探さなくちゃいけない
んですから。ですよね、閣下?﹂
俺からの返答をしばらくシンは待っていたようだが、俺が相手に
しなかったので急に真面目な声で再度問いかけてくる。
﹁⋮⋮なぁ柊兵、お前どうするつもりだよ?﹂
347
﹁あ? 何がだよ﹂
﹁このままでいけるとはお前だって思ってないだろ? こんなこと
部外者の俺が急かすことじゃないと思ってたから今まで言わなかっ
たけどさ、いつかは選ばなくちゃいけないって自分でも分かってる
よな? 美月ちゃんか、怜亜ちゃんかをさ﹂
答えずにいると、シンは俺から海へと目線を変える。
﹁傷つけたくないからどっちにもつれない態度を取ってるのは分か
るよ。でもマジな話、柊兵はどっちが好きなんだ?﹂
﹁⋮⋮お前には関係ねぇだろ﹂
﹁ところが俺も関係ありなんだよね。いよいよ部外者じゃなくなり
そうだからさ﹂
﹁あぁ? なんだよそれ?﹂
﹁前に俺ら五人でぶっちゃけあった事あったろ? 美月ちゃん派か、
怜亜ちゃん派かってトーク﹂
あぁ、去年あのケヤキの木の下で弁当を食った時に話した下らな
い会話のことか⋮⋮。
だが下らないと思っているのにこうしてすぐに思い返すことが出
来ちまった。それはつまり、あの時の会話が俺の中で強烈な印象で
残っていたからだ。そして確かこいつがいいと言っていた女は⋮⋮。
﹁で、どうやら俺、本気で真実の愛を見つけてしまったみたいなん
で、そこのところを閣下のご記憶の片隅にでも留めておいて頂けれ
ば幸いです﹂
﹁⋮⋮シン、お前それマジで言ってんのか?﹂
﹁あぁ﹂
いつものニヤケ顔を封印し、素の顔でシンが頷く。
348
﹁だからお前もそろそろ腹くくれよ。それに俺だけじゃなくて他に
も部外者からの脱却予定者はいるんだぜ?﹂
﹁なっ何!? 誰だよ!?﹂
﹁誰だと思う?﹂
逆に問い返され、頭の中で残りのメンバーを思い浮かべてみる。
﹁⋮⋮将矢か?﹂
﹁いや将矢は元々最初から怜亜ちゃんを狙ってたじゃん。ま、あい
つは怜亜ちゃん一筋じゃないから俺の脱却グループに入れるのはち
ょっと抵抗あるけどさ﹂
シンのうざったい長髪が海風になびく様を俺は黙って見ていた。
自分でも邪魔に感じたのか、サイドの部分を耳にかけ、シンが続き
を口にする。
﹁俺みたいにマジ宣言している奴はまだいないけど、尚人だってヒ
デだってそうなる可能性は大有りだってこと。だから今の状況に安
穏としているとヤバいことになるかもしれないぜ? ⋮⋮どうだ柊
兵? 少しは危機感って奴が出てきただろ?﹂
﹁アホか。ヒデには付き合っている女がいるし、尚人だって年上の
女しか興味ねぇだろ﹂
﹁ほんとに甘いなぁ柊兵くんは﹂
涼やかな目元を細め、シンが呆れたように笑う。
﹁確かに尚人は年上好きだけどさ、、それは僕がまだ子供だからだ
ろうねって、あいつ自分で言ってたぜ? 自分ももうちょい大人に
なれば相手の年齢には縛られなくなると思うってさ。そうなればあ
いつだってたぶん脱却グループの仲間入りさ。なんたって怜亜ちゃ
349
んはもろ尚人好みのタイプだからな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それにヒデは彼女と別れたらしいじゃん﹂
﹁何!? それマジかよ!? 俺何も聞いてないぞ!?﹂
﹁そりゃあ柊兵くんは今あの娘たちで手一杯だからヒデも言わなか
ったんだろ。ヒデは自分から恋バナとかしないタイプだしな。俺だ
ってヒデと話をしていてたまたま聞き出せただけだしさ。ちなみに
ライバル
ヒデは美月ちゃん派だから、もし脱却グループ入りをするなら俺に
とっても恋敵出現ということになりますね﹂
││ ヒデの奴、しょっちゅう俺と顔を突き合わせているくせに
女と別れたことを俺に言わなかったのか⋮⋮。
﹁柊兵、手を出せよ﹂
﹁あ? なんでだよ﹂
﹁いいから黙って手の平出せって﹂
広げた俺の手のひらの上に、﹁ほら﹂とさっきシンが見つけた桜
色の小さな貝が一つ置かれる。
﹁⋮⋮なんの真似だよ﹂
﹁柊兵、お前これからもずっとあの娘たちのために同じものを二つ
ずつ探していくつもりか? 今は良くてもさ、いつかはどうにかし
ないとマズいだろ。だからこれ、お前が持っとけよ。戒めのアイテ
ム代わりにさ。⋮⋮あ、先に言っとくけどさ、後でこっそり同じ奴
をもう一つ探すなよ?﹂
﹁さっ探さねぇよ! 見くびんな!﹂
﹁さすがですね閣下﹂
とシンが爽やかに笑う。
﹁柊兵くんなりに考えてはいるってことか。安心したよ。どっちか
350
“
はい、ハッピーエンド
”
ってわけ
泣かせることになるかもしれないけどさ、仕方ないじゃんこればっ
かりは。みんな笑顔で
にはいかないさ。マンガじゃないんだから。そうだろ?﹂
﹁⋮⋮あぁ、そうだな﹂
その後俺らはしばらくの間黙って波の動きを見ていた。
シンの言いたい事は分かる。
俺だってこのまま未来永劫あいつらとずっと一緒にいる気もない。
あいつらはどっちかが政治家になって日本に一夫二婦制を導入す
る、なんて無謀極まりない作戦をのたまっていたが、そんなことは
土台無理に決まっているし、仮に実現できたとしてもその政策を利
用する気もまったく無い。
俺の頭の中にあるのは、
││ その決断が今でいいのか。
それだけだ。
351
嵐の前のカニダイブ
﹁三年生の皆さぁーん! ここに集まってぇー!﹂
⋮⋮ようやく召集か。
最近ダテ眼鏡をかけるようになった、自称:保健室在住の伯田さ
んがメガホン片手に叫んでいる。大きく手招きをしている伯田さん
を見て、シンが何かを思い出したようだ。
﹁あーそういえば伯田先生についてもさっき尚人くんが色々言って
たなぁ⋮⋮。どうして先生が修学旅行についてきたのか、その意味
が分からないってさ﹂
確かに言われてみればそうだ。
今朝グラウンドで出発集会をした時に伯田さんもその場にはいた
が、白衣を着ていたため、俺もただの見送りだと思っていた。しか
し伯田さんは俺らの旅行先にまで付いて来ている。
﹁しかもさ⋮﹂
まだ何かを言い足りない様子でシンが口を開きかけた時、別方向
から強烈な叱責の声が飛んできた。
﹁ちょっとあんた達っ、何いつまでもそんなところでノンキに遊ん
でるのよ! 集合の合図がかかってんでしょ! 早く来なさいよっ
!!﹂
352
││ 出やがった。
みやがおか
りん
E組クラス委員長、宮ヶ丘 鈴の登場だ。
どうやら少し離れたところでずっと俺らを監視していたらしく、
伯田さんの指示にすぐに従わない様子を見てすっ飛んできたようだ。
﹁今からこんなんじゃ、先が思いやられるわ! 全クラスの中でE
組がダントツで態度が悪いって言われてるのは、全部あんた達のせ
いなんだからっ! 少しは自覚して規律を守りなさいよっ!﹂
⋮⋮どうでもいいが、こいつを見ているとキャンキャンとわめき
散らす、こうるせぇポメラニアンを思い出しちまう。
﹁はいはいはいはい喜んで∼! 偉大なる宮ヶ丘委員長サマのご命
令とあらば、我らロクデナシ一同、例え火の中水の中、何処へなり
とも喜んで参りましょうとも!﹂
すかさずそう答えたのはシンだ。
だが形式上一応敬ってはいるがあまりにもわざとらしい慇懃さだ
ったため、バカにされたと感じた宮ヶ丘の怒りは更にヒートアップ
したようだ。
﹁楠瀬くん! あなた私をからかってるでしょ!?﹂
﹁まさかまさか! 滅相もございません!﹂
自己防衛の意味なのか、シンは広げた両手を伸ばすと宮ヶ丘の前
にかざして左右にゆらゆらと振る。
353
﹁我らE組の綺羅星! 聡明でお美しい宮ヶ丘委員長サマをからか
うなど決してありえませんって! そんな神をも恐れぬ所業、平民
の俺らが出来るとお思いですか?﹂
シンはスラスラと美辞麗句を並べ立てる。だが端整な顔に薄笑い
を浮かべるその姿勢には、殊勝さなど微塵も感じられない。
﹁いい加減にして! そういう人を小馬鹿にしたような言い方と態
度がいつも頭にくるのよ!﹂ ﹁それはそれは大変失礼いたしました﹂
シンは足音を消して宮ヶ丘の背後に来た人間に一瞬だけ目線を送
った後、背筋を伸ばして仰々しく一礼する。
﹁では委員長さまにご不快な思いをおかけしたお詫びとして、この
私めより貢物を献上させていただきたいと存じます。お納めいただ
けますでしょうか?﹂
﹁み、貢物?﹂
﹁はい! できましたら手をこういう形にしていただけると助かり
ますです﹂
シンは自分の両手の端同士をぴったりとつけて、椀のような窪み
を手本代わりに作ってみせた。
﹁こ、こう?﹂
クソ真面目な割りに意外とノリがいいのか、それとも貰えるもん
はとりあえず貰っておくタイプなのか、宮ヶ丘はシンの見本通りに
自分の手で窪みを作る。
354
﹁GOOD!! ではどうぞお受け取り下さい!!﹂
シンがそう言った直後、宮ヶ丘の両手の窪みの中に大きさ三セン
チ足らずの小さな黒カニが背後から忍び寄っていた将矢によってド
サドサと大量に投下された。
﹁キャアアァァァァァ∼∼∼∼∼∼っ!!!!!!!﹂
浜辺に宮ヶ丘の絶叫が響く。
自分の手の中でわさわさと動き回る黒い小ガニ共を一気に放り投
げ、青ざめた宮ヶ丘は脱兎の勢いで逃げ去っていった。
﹁やった!! 大成功だぜっ!!﹂
﹁ナーイス将矢!! グッジョブ!!﹂
シンと将矢が拳をつき合わせてお互いの功績を褒めたたえている。
﹁将矢、姿が見えないと思っていたらお前カニ取りしてたのか﹂
この騒ぎの中でもまったく動じず、少し離れた場所で砂浜に座っ
て悠然と海を眺めていたヒデがここでようやく立ち上がり、ジャー
ジについた砂を手で払いながら近づいてきた。
﹁おう! 最初は亀を探してたんだけどさ、怜亜ちゃんと美月ちゃ
んが貝殻探ししてたから手伝ってたんだよ。そしたらあちこちにこ
の小ガニがいっぱいいてさ、途中からこいつらを何匹捕まえられる
かカニ取りタイムアタックしてたぜ!﹂
355
将矢は充足感満タンの声で答え、足元の砂浜を指差す。
ビビッた宮ヶ丘が空中に盛大に放り投げたおかげで、将矢が集め
た小ガニ共がこれ幸いと蜘蛛の子を散らすように再び逃走を始めて
いた。下が砂浜なのでどうやら特に大きなダメージも受けなかった
らしく、全員元気にノコノコ歩いているのは何よりだ。
﹁なるほど、将矢らしいな。で、美月と怜亜はどうしたんだ?﹂
”
﹁十五分前くらいかなぁ、鈴ちゃんが俺らのところに来てさ、“
うつ
そんな男と一緒にいたらアホが伝染るからこっちに来なさい!
って言ってどこかに連れてっちゃったんだよ。まったく鈴ちゃん
は俺たちを異様に目の敵にしてるから参るぜ!﹂
カニダイブ
By
宮ヶ丘
”
の豪快なシーン
﹁ハハッ、何言ってんだ。その原因の大部分はお前とシンがああや
“
って委員長をからかうからだろうが﹂
先ほどの
を思い出したのか、ククッと渋みをきかせてヒデが笑う。
﹁でもどこに連れて行かれたのかなぁ、怜亜ちゃんと美月ちゃんは
さ⋮⋮って、あれ? 伯田せんせーしかいないじゃん! 毛田とか
他の奴らはどこに行ったんだ!?﹂
疑問を口に出したのは将矢だったが、俺ら全員もほぼ同時にその
事実に気がついた。
海の方ばかりを見ていたので今まで気付かなかったがいつの間に
か伯田さん以外の教師の姿が見当たらない。
﹁⋮⋮始まるね、いよいよ。何が始まるのか分かんないけどさ﹂
尚人の顔が珍しくマジだ。
でもそうだよな、これから何をさせられるのか全く分からんねぇ
356
んだ、不安になって当然かもしれん。そう思った時、ふいに尚人が
俺を見上げる。
﹁柊兵、優先順位は怜亜ちゃんと美月ちゃんの次でいいからさ、何
かあったら僕を守ってくれる?﹂
﹁何?﹂
﹁頼んだよ!﹂
尚人は爽やかな顔で笑いかけると俺の背中を軽く叩き、返事を聞
く前に伯田さんの元へと走っていった。まっ、守れって言われたっ
て、尚人を何からどうやって守ればいいってんだ!?
357
選ばれし
Winner
を目指せ
伯田さんの元に行くと、すでに俺ら以外の全員が集結していた。
だがここでまたしてもある不可解な出来事に遭遇する。
﹁あれっ!? 女たちはどうしたんだよ!?﹂
血相を変えて誰かが怒鳴ったのをきっかけに、浜辺は一気に騒然
となった。
銀杏高校の男女比率は圧倒的に男が多いが、さっきまで浜辺にち
らほらといた女共が一人もいなくなっている。
美月や怜亜も勿論いない。ついさっき大声を上げて逃げ去ってい
た宮ヶ丘もだ。
元々わずかな数の女共がここにきて一気にゼロになったため、当
然のことながら野郎軍団の怒りはこの場にただ一人残っている女教
師に集中的に向けられる。
﹁伯田せんせー! 女たちはどこだよ!?﹂
﹁おいまさか女だけここから逃がしたわけじゃないだろうな!?﹂
﹁贔屓は許さんっ!! おとなしく女を戻せっ!!﹂
鼻息の荒い野次や怒号が浜辺に炸裂する。さすが女が密接に絡ん
でいる問題だけあって、どいつもこいつも目つきが半分イッている。
﹁柊兵、あいつらが伯田先生を襲いそうになったら行くぞ﹂
358
隣にいたヒデが俺の耳元でボソリと呟く。
確かにこの様子だとこいつらは怒りの暴徒と化す可能性も大いに
あり、伯田さんの身に危険が及びかねない。
無言で頷き、俺とヒデは突然のアクシデントに即対応できるよう
にじりじりと前進しつつ臨戦態勢を取った。しかしそんな俺らの密
かな対策も、伯田さんの赤い伊達眼鏡の奥の瞳がキラリと輝いた瞬
間に一発で消し飛ぶ。
﹁みんなぁ! さぁ全員その場で速やかに両手を上げて!! ホー
ルドア∼ップ!!﹂
伯田さんがすぐ隣の大きな岩陰からスラリと取り出したブツを見
て、最前列にいた暴徒予備軍が﹁なんだよ、それ!?﹂と慄く。
自分に詰め寄る殺気だった野郎どもを威嚇するために出したその
武器をしっかりと構え、伯田さんは妙にウキウキしたテンションで
答えた。
トイガン
﹁これ∼? これは遊戯銃よ! でも玩具とはいえすっごくハイパ
ワーらしいから、弾が身体に当たるとその場で悶絶しちゃうくらい
かな∼り痛いみたい! ねぇねぇそこの君、試しに一発撃たれてみ
るぅ∼?﹂
軽いノリとは裏腹に、鈍く光る銃口が最前列にピタリと向けられ
る。最初の標的となった暴徒予備軍の一人はその場で腰を抜かし、
﹁い、いえ! 結構ですっ! すいませんでしたぁー!﹂
359
と叫ぶと四つんばいの無様な格好で群集の中に素早く後退してい
った。
﹁何よ、つまんないわねー! じゃあそこの君はどう? え∼ダメ
なのぉ∼!? 仕方ないわねっ、じゃあそっちの君は?﹂
伯田さんは長いポニーテールを揺らし、次々に標的を代えて同じ
質問を何度も口にする。
だが﹁どうか俺を撃ってくれ﹂などと酔狂なことを言い出す輩な
ど現れるわけもなく、さっきまであれほど威勢の良かった暴徒予備
軍はアマゾネス・伯田によって一気に沈静化させられた。
﹁もうっ、みんな男の子のくせに案外意気地が無いのねっ。先生ガ
ッカリ!﹂
先生ガッカリ!”
なんてカワイイ顔で言われて
ライフル型の遊戯銃を勇ましく右肩に担ぎ、むくれた伯田さんが
口を尖らす。
﹁いやいや、“
もなぁ⋮⋮。いくらなんでもあの凶器は反則ですよ﹂
半ば本気で呆れた様子でシンが独り言を呟いている。一方、伯田
”
W
の説明を始めます! みんな、まずはそ
選ばれし
さんは担いだ銃の銃身で自分の右肩を叩きながら俺らの前を左右に
歩き出した。
争奪戦
﹁もう特に文句はないわね? じゃあこれから “
ウィナー
inner
の場に体育座りっ!﹂
﹁えらばれし ういんなー? 何だよそれ? 食い物か?﹂
360
アホ丸出しの顔で将矢が疑問を口にする。
﹁シャーラップ!! いいからまずはおとなしく座りなさぁぁーい
!! 質問は後で受け付けますっ!!﹂
││ 今回の旅行で分かった事は、うちの養護教諭は意外と短気
らしいということだ。
伯田さんはたった今まで肩叩き代わりだった遊戯銃を再び手にし、
上空に向けて一発ぶちかます。
﹁⋮⋮あれ、電動タイプだね﹂
伯田さんをこれ以上刺激しないよう、尚人が黒光りする銃をそっ
と小さく指でさした。
﹁連射式なら厄介だな。一気に撃ってこられたらひとたまりもない
ぞ﹂
俺ら四人だけに聞こえるよう、ヒデが声を落としてそう呟いた時、
赤眼鏡のアマゾネスがまた吼えた。
﹁ハリーアーップ!! 全員早く座りなさいってばっ!!﹂
この号令で全員の頭の位置が一気に低くなる。
先ほどの威嚇行為で誰しもが己の身の危険を感じたらしく、浜辺
361
にいた三年男子は素早くその場に体育座りをした。まるで軍の入隊
式のような空気が漂いだしてきたのは気のせいだろうか。
﹁はい、じゃあそこの君から順番にこのプリントを配っていって!
そしてプリントをもらったらまず黙読! 声を出さない! 隣と
お喋りしない! 読み終わったら質問タイムにします!﹂
そのプリントが回ってくるまでの間、俺の目の前に座っているシ
ンが隣の尚人に向かって、伯田さんには届かないぐらいの小声で愚
痴っている。
﹁なぁなぁ尚人、この学校ってさ、毎度毎度行事の度にその詳細を
いちいち大げさな文書にして配るのが好きだよなぁ⋮⋮。でも時代
はエコだぜ? 時の流れに逆行してると思わないか?﹂
﹁言えてるね。あ、ほら見て。しかも今回はカラーコピーだよ。貴
重な資源の大いなる無駄遣いってヤツかもね﹂
﹁だろ∼?﹂
忍び笑いを漏らしているせいで前列二人の背中が小刻みに揺れて
いる。
でもこいつら、本当に仲がいいよな。まぁ中学から一緒だったら
しいから当然といえば当然かもしれんが。
﹁はい、柊兵。ヒデと将矢にも渡して﹂
俺らの分をまとめて受け取った尚人が、振り返ってプリントを寄
越してきた。
﹁サンキュ﹂
362
∼
ヒデと将矢にもプリントを渡し、伯田さんの指示に従って早速黙
読してみた。
︼
選ばれしWinnerを目指せ
︻ 銀杏高校 三年特別行事
∼
<概要>
?この行事は今日と明日の二日間で行われる。
グレードS
︼
の
選ばれしWinner
︻
グレード
を獲得する権利を与えられ
“
?部隊一丸となり、与えられた任務を完全遂行することが今回の
特別行事の目的である。
となり、
︻
?任務を一番早く遂行した部隊が
”
最高褒賞
る。
︼
︵二番手以降の任務遂行部隊には、一般褒賞
A
獲得権が与えられるが、権利は三年全体の三分の一までと
する︶
363
◇部隊編成について
ユニット
・男女合わせて八名のメンバーで一つの部隊とする。
・メンバーはHR内で決めた自由行動時の班を基本とするが、
人員が合わない部隊は他の部隊と折衝し、それぞれ規定の
人数に合わせるよう調整する事。
◇部隊における各役割について
ロール
メダル
・まず部隊内でそれぞれの役割を決定すること。
☆コマンダー︵1名︶。
部隊の統率者兼、一つ目の賞牌所持者。
なおコマンダーが脱落した時点でその部隊は自動的に
全滅となる。
★アサルト︵3∼7名︶
突撃者。敵勢からの攻撃で脱落したアサルトは、任務
から
速やかに離脱すること。
★ステイヤー︵1∼3名︶ ※女子推奨
二つ目の賞牌所持者。
ステイヤーは指定エリア内にいる場合に限り、全ての
攻撃を
一切受けない。
364
★プリズナー︵1名︶ ※女子推奨
三つ目の賞牌所持者。
ロールチェンジ
リリース
任務開始時はケージに抑留される。解放後はステイヤ
ーか
アサルト、いずれかに役割変更すること。
◇任務の内容について
☆任務遂行時間
・本日午後三時から明日の午後十二時までとする。︵但し
日没後の
午後七時∼午前五時までは一時休戦とし、その間の戦闘
行為を
固く禁止する︶
☆勝利条件
となる。
“
選ばれしWinn
・任務開始時に各部隊に与えた三個の賞牌を、明日の昼ま
でに
”
一番早く五個に増やせた部隊が
er
★脱落条件
・身体にペイント弾を浴びた者は即脱落となる。
︵速やかに収容エリアに移動すること︶
★反則行為について
・与えられた武器以外︵素手など︶での教師への暴力行為は
365
グレードS
︼。
︻
︼
は某一流旅館での
︻
一切禁止する。万一行った場合は部隊を全滅扱いとする。
◇褒章について
・最高褒章
特室スイート一泊権
この特室には専用の露天風呂があり、夜は豪華な海の幸特
上会席御膳が
各自にふるまわれる。
なお希望者にはこの旅館内に併設されているエステルーム
で超上質な
グレードA
︼
も同じ一流旅館での一泊
アロマオイルを贅沢に配合した﹃ウルトラリンパハンドマ
ッサージ﹄が
︻
受けられる特典もあり。
・一般褒章
権が与えられるが
個室専用露天風呂、並びにエステ体験を受ける権利は無く、
食事は
大広間でのバイキングとなる。
− では三年生の諸君、グッドラッ
ク! −
366
さ
私立銀杏
高校理事長
真澄
ますみ
娑
とば
戸芭
367
うぜぇヒーローが来やがったな
静まりかえる浜辺。
“
娑戸芭理事長直筆サイン入り
さとば
聞こえてくるのは寄せては返す波音だけだ。
のプリントを眺める。
俺ら全員、ひたすら無言で
”
だがそれは決してアマゾネス・伯田の報復が恐ろしかったわけで
はない。この連絡文書があまりにも意味不明なため、半ば唖然とし
ていたからだ。
﹁みんな最後までちゃんと読んだぁ∼? 何か質問のある人はいる
ぅ∼?﹂
電動ガンを両手で弄びながら伯田さんが俺らを見渡した。すると
早速、
﹁しっつも∼ん!!﹂
という間抜けな声が俺のすぐ側から発せられる。将矢だ。
﹁伯田せんせー! それってこれからこの島で俺らと教師でバトル
するってことッスか∼!?﹂
﹁えぇその通りよっ﹂
368
白衣をなびかせながら伯田さんが微笑む。
その笑みが保健室で怪我人や病人を迎えるいつもの優しい表情だ
ったため、再び調子に乗った奴らが次々に質問を浴びせ始めた。
しょーはい
﹁せんせー! 賞牌って何スか!?﹂
﹁メダルのことよ。実物はコレ﹂
伯田さんはまず自分の眼鏡の位置を直し、次に白衣の内ポケット
から銀色に輝く円形物を取り出して見せた。
見たところ直径約七センチくらいか。メダルにしてはかなりデカ
めのサイズだ。
﹁ちなみにこれが君たちに与えられる賞牌。銀色のタイプしか支給
しないということを覚えておいてね﹂
﹁先生、質問ですっ!﹂
次に質問した奴は伯田さんの手に握られている凶器に対して未だ
服従の態度を崩さず、きちんと手を挙げて丁寧な口調で尋ねる。
﹁それがまず僕らに三個与えられるわけですよね? あとの二個は
ゴールドメダル
先生達からぶんどって⋮いえ、いただけばいいってことですか?﹂
伯田さんが鷹揚に頷く。
シルバーメダル
﹁えぇ、先生方が持っている金の賞牌を奪ってもいいし、君たち同
士で銀の賞牌を奪い合ってもいいわ。でも条件が一つだけあるの。
“
選ばれしWinner
”
にはな
それは先生方から必ず最低一つは賞牌を奪うこと。つまり、銀の賞
牌を五つ集めただけでは
れないってことよ﹂
369
﹁⋮⋮結局のところ、教師共から奪わないと意味がないってことだ
な﹂
ヒデが確認するように復唱した。そこへ前に座っていた尚人とシ
ンが揃って俺らの方を振り返る。
ユニット
﹁でもさ、教師から奪うのは最低一つでいいなら、やっぱり残り一
つはどこかの部隊から奪っちゃった方が早くない?﹂
﹁そうそう、尚人の言う通り断然その方がいいって! 幸い俺らの
ユニットは武闘派が三名も揃ってるんだしさ! あぁありがたやあ
りがたや∼﹂
シンは両手を合わせ、俺、ヒデ、将矢の順で伏し拝む。
このジョークに俺とヒデは苦笑し、能天気なアホ将矢は、﹁いや
∼そんなに褒められると照れちまうぜ!!﹂と一人ニヤついている。
﹁それより問題は人数だぞ﹂
真面目な表情に戻ったヒデが重々しく俺らに問いかける。
﹁自由行動の班メンバーは俺ら五人に美月と怜亜だ。人数が一人足
りん﹂
﹁うん、そうだね。でも元々女の子の人数は少ないから、男をスカ
ウトしてくるしかないんじゃない?﹂
尚人のこの尤もすぎる提案に対し、シンがここぞとばかりに熱弁
をふるう。
370
﹁なら絶対腕っ節の強い奴な! 武闘派は多ければ多い方がいい!﹂
﹁でもよー、腕っ節が強い奴をたくさん揃えても、与えられた武器
以外の攻撃は駄目だったらあんま意味なくねぇ?﹂
反則行為について
︼
の部分
この将矢の問いに対し、﹁大丈夫だよ﹂とアホでも理解できるよ
う尚人が噛み砕いた回答を行う。
︻
与えられた武器以外、素手などでの教師
﹁ほら将矢、そのプリントの
をよく見てごらんよ。︻
”
、つまり生徒に対して
︼、って書いているだろ? という
教師以外なら無問題
への暴力行為は一切禁止する
ことはさ、“
なら強制送還にはならないってことだと思うよ﹂
﹁おー! そういうことかよ!! うーし、了解だぜっ!! ビシ
バシぶっ飛ばしてやろうじゃん!!﹂
両拳の骨をわざと豪快に鳴らし、ワクワクした声で将矢が叫んだ。
そこへ伯田さんが手にしたファイルを頭上で大きく振り、ざわめ
く浜辺を再び沈黙させる。
﹁ハイッ、もうキリが無いからとりあえず質問はここで一旦打ち切
ります! ではミッションをスタートする前に人数が足りないユニ
ット、多いユニットはそれぞれで話し合ってトレードしなさいっ!
ユニットが決まったら役割分担よ! ただし今回のミッションは
多少の危険が伴う可能性もあるので、万一の事態を想定して、ステ
イヤーとプリズナーは女の子に割り当てさせてもらったから! こ
れは娑戸芭理事長の直々のお達しよ!﹂
⋮⋮なるほどな。だからこの場所に女が全くいないわけだ。役割
遂行のためにすでにどこかに連行されているってわけか。
371
美月や怜亜は大丈夫だろうか? 連れ去られたあいつらの処遇を考えた途端、急に不安がこみ上げ
てきて集中力が低下する中、伯田さんの熱の入った説明もいよいよ
佳境に入る。
ロール
﹁でもミッション途中での役割変更はコマンダー以外は可能だから
それも覚えておいて! 与えられたロールが自分に合わないと思っ
たらどんどん変えちゃってもいいし、ステイヤーは必ずしも一人い
なければならないロールではないから、プリズナー救済後はコマン
ダー以外全員アサルトにチェンジして総攻撃のスタイルを取っても
OKよ! それぞれのユニットで勝利に向けて綿密な作戦を練って
ちょうだい!﹂
﹁おぉっ! いいねぇ総攻撃!! まさに玉砕戦法だなっ! 俺ら
みたいなのには一番ふさわしい戦闘方式じゃんか!! とことんや
ってやろうぜ!!﹂
戦闘スタイルについての虎の巻を聞いた将矢がかなりのハイテン
ションではしゃぎまくっている。
まったく、どうしようもねぇな。将矢のバカ騒ぎぶりに思わず溜
息が出そうになる。
実は俺らの中で一番好戦的な男がこいつだ。
アホ丸出しで突っ走らねぇようにこいつには監視が必要かもしれ
ユニットコード
ん。大体玉砕覚悟で特攻をかけるといっても、それは美月と怜亜を
無事に助け出してからの話だ。
コマンダー
﹁ではまずこれからあなた達には統率者と、戦闘部隊名も決めても
372
らいます! 決まったら各コマンダーはこのファイルにメンバー全
員の名前とコード名を記入して! 相談する時間は15分! じゃ
あ早速ミーティング始め!!﹂
全員素早く班ごとに集まる。
そして規定のメンバーに達していないユニットのトレードが始ま
った。
伯田さんの話だと、三年全体の男女比から計算したユニット構成
なので、必ず全ユニットの人数が揃うはずなのだが、ほとんどの班
が元々八名の構成だったらしく、あぶれた奴がほとんど現れない。
時間だけがどんどんと過ぎていく。
﹁あっちゃぁ∼、マズいじゃん! みんな人数合ってるみたいだな﹂
そう言うとシンが尚人に身体を向ける。
﹁なぁ尚人、そういえば自由行動の班決めの時さ、班構成は男女混
合で男は五名、女は三名を推奨するってモーさんは言ってなかった
っけ?﹂
﹁うん、言ってた言ってた! 毛田のあの指示はこのミッションを
見越してのものだったんだね﹂
﹁さぁあと残り5分よ!﹂
伯田さんの声が砂浜に響く。
マズい! このままだとバトルをする前に失格になっちまう!
規定の人数をクリアしているユニットはすでにコマンダーの選定
に入っているようだ。どこだ、あぶれている奴は!?
373
﹁やぁ原田くん、どうやら僕はこの部隊に入る運命だったようだよ﹂
背後から突如聞こえてきたこの覇気の無い声。
振り返るとすぐ後ろにまるで背後霊のように立っていたのはウラ
ナリ・本多だった。
現れたウラナリを見たシンがあんぐりと口を開ける。
﹁本多!? まさかお前あぶれてんの!?﹂
﹁楠瀬くん、そんな失敬な言い方は止めてくれないか﹂
身も蓋もないツッコミにプライドが傷ついたのか、ウラナリはか
けていた黒縁眼鏡を神経質そうに押し上げる。
﹁僕の班は男子七名、女子二名だったんだ。そこで円満解決のため
にここはE組副委員長という立場の僕が速やかに班を脱退すべきと
考えたのさ。溢れ出る奉仕精神から行ったのだということをしっか
りと理解してくれたまえ﹂
﹁だからって、よりにもよってお前かよ⋮⋮﹂
熱望していた武闘派から一番遠い位置にいるキャラが加入表明を
してきたため、シンがガックリと肩を落とす。尚人がそんなシンの
背中を軽く叩き、その言動を諌めた。
﹁そんなひどい事言うなよシン。本多が加入したっていいじゃない
か。きっと本多は僕らのユニットにとって欠かすことの出来ない必
要な柱になってくれるよ。僕はそう思う﹂
⋮⋮さすがは尚人だ。ウラナリにすら優しくできるその出来た心
374
根、立派なもんだな。
そしてその温情は当人にもしっかりと届いたらしく、ウラナリは
感動で打ち震えた甲高い声で熱苦しい決意を語る。
﹁ありがとう、真田くんっ! 君の期待に応えられるように僕も及
ばずながら精一杯頑張らせてもらうよ!﹂
﹁うん、期待してるよ。きっと君ならヒーローになれるさ!﹂
よせばいいのに尚人はニコッと微笑んでまたしても要らん事を口
にする。
﹁ヒーロー⋮⋮!? この僕がヒーロー⋮⋮!? ヒーロー⋮⋮、
ヒーロー⋮⋮、グ、グヘヘヘヘ⋮⋮!﹂
まるで催眠術にかかったかのようにブツブツと呟くウラナリ。正
直かなり不気味だ。
﹁あ∼あ、じゃあ、さっさとコマンダーを決めちゃいましょうかね
⋮⋮﹂
はぁ∼と大きく溜息をつき、ようやくウラナリ加入を認めたシン
が顔を上げた。
﹁ま、でもウチの場合は決めるとか決めない以前のことだけどね。
そだろ、柊兵くん?﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁だってコマンダーなら君しかいないじゃん﹂
﹁な、何ぃっ!?﹂
﹁おやおや、閣下以外に誰が適任者だと言うんです?﹂
375
シンは例のあざとい営業スマイルを浮かべた後、したり顔で人差
し指を左右に二度振る。
﹁ではではここは一つ、民主主義のルールに則っていざ多数決と参
りましょうかっ! じゃあ柊兵くんがコマンダーにふさわしいと思
う人、速やかに挙手願いますっ!﹂
⋮⋮畜生、俺以
外全員手を挙げやがった⋮⋮。
376
お前らマッサージに注目し過ぎだろ
﹁さぁ多数決の結果が出ました!! では伯田大佐へのご報告をお
願いします! おい皆っ、我らの原田部隊長に敬礼ッ!!﹂
シンの号令で、ヒデ、将矢、尚人、そしてウラナリまでもが俺に
向かって一斉に敬礼をする。
﹁ちょい待て! なんで俺がコマンダーにならなきゃいけねぇんだ
よ!?﹂
このまま黙って言いなりになるのも業腹なので駄目元で拒絶する。
するとシンは即座に敬礼を解き、突然マジな口調に戻った。
メダル
己の所持する賞牌を死守し、敵から
武闘派
”
っていうステー
ってことだ。それは分かるだろ?﹂
“
﹁よく聞け柊兵。いいか、このミッションにおいてコマンダーに課
”
せられた最大の責務は、
の攻撃を蹴散らす
“
﹁それならヒデや将矢でもいいだろうがっ﹂
﹁いいや違うね。大いに違う。
タスがあるだけじゃ、まだ足りないさ﹂
シンは二度首を振り、俺の正面に回ると肩に手を置いてくる。
﹁お前は銀杏に入学早々あの乱闘騒ぎを起こした男だぜ? しかも
一対五にもかかわらずあっさり勝っちまった伝説の男だ。そんな恐
怖の有名人から賞牌を奪おうと襲ってくる命知らずな奴がそこらの
腰抜け共の中にいるわけないだろ。なぁ皆?﹂
377
シンは仲間をグルリと見渡した後、同意を求める。
﹁うん、恐らくありえないね﹂
その求めに一番早く応じたのは尚人だ。そしてシンの後を継ぎ、
俺の懐柔に回ってきやがる。
﹁だから柊兵をコマンダーにすればさ、一つ目の賞牌はかなりの確
ユニット
率で安全だってことになるよね。柊兵だってその理屈は分かるだろ
?﹂
や
﹁だっ、だからと言ってだな⋮﹂
﹁それにさ、もしコマンダーが殺られれば、その時点で部隊全員が
全滅っていう扱いになっちゃうんだ。すごく責任重大な役割だから、
やっぱりここは柊兵でいくべきだと僕も思う﹂
﹁さぁっ残り1分よっ!﹂
長いポニーテールを大きく揺らし、伯田さんの声がまた響く。残
り一分か⋮⋮。
⋮⋮まぁコマンダーになるぐらいは別にいい。揉めてる時間もね
ぇし、それよりも今は一刻も早く出撃して美月と怜亜を救出に向か
わないとな。そっちの方が遥かに重要だ。
﹁ほら柊兵。時間もないしさ﹂
﹁分かったよ。行ってくりゃいいんだろ﹂
そう捨て台詞を吐いて歩きかけると、
378
ユニットコード
﹁さすが閣下! あ、戦闘部隊名は閣下のお好きなように決めて下
さって結構ですよ!﹂
と背後からシンの補足情報が追加される。
面倒臭ぇな、そんなもんまで決めなきゃいけねぇのか。
伯田さんの元に行くと俺が一番最後だったため、早く書けと急か
された。
言われた通り、ファイル内にあった用紙のトップ欄に自分の名前
を書き、メンバー欄にはウラナリを加えた残り全員の悪友名を記載
する。
﹁書けた? じゃあ原田君、右腕を出しなさい﹂
伯田さんは白衣の右ポケットから銀色のデカメダル、続いて反対
の左ポケットから黒い腕章のような物を取り出すと、俺の片腕をい
きなり掴む。
﹁まず右腕にこのアームバンドを巻きつけて⋮⋮、はい、これが君
が所持する一つ目の賞牌よ。これはかならずアームバンドのこのポ
ケット部分に入れておくこと。賞牌をジャージのポケットに入れた
りして見えない位置に隠すのはルール違反になるから覚えておいて﹂
伯田さんの手でアームバンドが俺の右腕にしっかりと装着され、
中に賞牌が投入される。賞牌を入れるポケット部分が透明なビニー
ルで出来ているのは、賞牌所持の有無を傍目からでも一目瞭然で分
かるようにするための仕様らしい。
﹁分かったわね?﹂
379
伏せていた顔をいきなり上げたので、伯田さんの前髪が俺の鼻先
をかすめた。
美月や怜亜とは違った良い香りが間の空間にふわりと漂い、一瞬
だけ心臓がドキリと強く拍動する。思ってた以上に至近距離の存在
になっていたので慌てて身体を後方にずらした。
﹁もうっ! いつも言ってるでしょ!? 人が聞いているんだから
返事ぐらいしなさいよっ﹂
最終確認の呼びかけに無言で頷いた俺を叱ると、伯田さんはせっ
かく離した距離を勝手に縮めてきやがった。
﹁まったく君って子は初めて会った時からずっとそうなんだから⋮
⋮。今度君だけに特別個人授業をしちゃうわよ?﹂
││ とっ、特別個人授業だと!?
そんな妖しげな妄想を掻きたてるような意味深発言をすると、伯
田さんは素早くその場から立ち上がり、浜辺に群れる野郎共に向か
って再び高い声を張り上げる。
シルバーメダル
﹁それとこれは本当は言いたくないけど、ルールだから話すわ! ゴールドメダル
さっきあなた達だけで銀の賞牌を奪い合ってもミッションクリアに
はならないと言ったけど、例え金の賞牌が無くてもとにかく五枚集
︼
は獲得できます! で
グレードA
めれば旅館の一泊権、︻
︼
︻
グレードS
も選ばれしWinnerにはなれないから
のスペシャル特典はないってこと! いいわね!?﹂
380
﹁伯田先生、言うの遅すぎね? それメッチャ重要情報じゃんか﹂
呆れた様子で腕を組み、シンが苦笑している。
﹁ってことはさ、個室露天風呂とか、アロマハンドマッサージとか、
海の幸特上会席御膳の特典を諦めてグレードAを目指すのもありっ
てことだよね⋮⋮﹂
尚人が思案気な表情で口元に手を当てた。
背後ではまだ伯田さんがデカい声で熱弁をふるっている。
﹁でもあなた達っ! 男の子なんだからそんな中途半端なゴールな
てっぺん
んか狙っちゃダメよっ!? 男の子なら戦いなさい!! 全力で戦
ってっ、すべての敵を蹴散らしてっ、いざ頂上を目指しなさいっ!
! グレードA狙いでいったりしたら先生許さないんだからぁっ!
!﹂
﹁フッ、熱いな伯田さん。あんなに熱血な女だとは知らなかった﹂
いつもは物事に動じないヒデも、伯田さんのこのヒートぶりに感
心した視線を向けている。
そこへシンが一度だけ手を鳴らした。
﹁さぁさぁ! ではどうしましょうか皆の衆? 俺らも意思を統一
しとかないとな! あくまでTOPを目指すのか、それとも無難に
安全地帯をGETしておくのかをさ!﹂
﹁俺はTOPを目指す方がいい﹂
381
一人目の意見が出た。
最初に自分の希望を言い出したのはヒデだ。
たぎ
ヒデに賛成だ!! 俺も選ばれしウィンナーがいいぜっ
﹁伯田さんのあの熱い思いに打たれた。男なら頂上を目指そうぜ﹂
﹁おう!
!!﹂
てっぺん
二人目の希望も頂上派だ。
将矢はこれ以上ないくらいの邪な輝きをその童顔気味の瞳に滾ら
せ、その理由を叫ぶ。
﹁俺は絶対ハンドマッサージを受ける!! で、美人でちょいエロ
い感じのおねーさんにあちこち揉んでもらうぜ!!﹂
この身も蓋もない即物的な理由に尚人が吹き出した。
﹁ねぇ将矢。たぶん、っていうか絶対、マッサージのお姉さんは将
うっかりおねーさんの手が俺の股間に滑
矢の希望する部分を揉んでくれないと思うよ?﹂
﹁分っかんないぜー? ってくれるかもしんないじゃん!!﹂
﹁ハハハッ!! ないない! それはないって将矢!﹂
シンも大ウケしながらその嘲笑の輪に加わった。
﹁大体お前が想像しているハンドマッサージはもう明らかに別のサ
ービスだよ! リンパハンドマッサージってそういうマッサージじ
ゃないっての!﹂
﹁いや、俺は奇跡を信じる!! つーか、自らそこに股間を持って
382
いく!!﹂
しかし将矢の奴もマジでしょうもねぇ奴だな⋮⋮。こいつの頭の
中はエロしかねぇのかよ。
アホの行く末を憂いていると、尚人が話しかけてきた。
﹁柊平はどっちがいいの?﹂
﹁お前はどうなんだよ尚人﹂
﹁んー、僕はどっちでもいいや。多数決に従うよ﹂
シンの意見も聞いてみるか。
﹁シンはどうなんだ?﹂
﹁そうだなぁ⋮⋮。最初は安全策でグレードA狙いでいったほうが、
と思ったけどさ、やっぱアロマハンドマッサージは魅力だよ。俺も
グレードSにしとくわ﹂
﹁へぇ、シンも将矢みたいなこと考えるんだ?﹂
﹁はぁ!? 将矢なんかと一緒にすんなよ尚人!! 失礼すぎだろ
!!﹂
女の子ならああいうアロマとか
尚人から意外そうな目で見られたシンが長髪を耳にかけ、むくれ
たように口を尖らせた。
﹁美月ちゃんたちのためだって!
絶対に喜ぶよ! うん、僕も怜亜ちゃんが
リンパマッサージとか喜ぶと思うからさ﹂
﹁あーそれは喜ぶね!
喜ぶならグレードS狙いでいく!﹂
グレードS
⋮⋮これで六人中四名が特別褒章を希望か。
383
ユニット
ま、一応あいつの意見も聞いておくか。曲がりなりにも今はこの
部隊のメンバーだしな。
﹁おいウラナリ。お前はどっち希望だ?﹂
そう尋ねると即行で返事は戻ってきた。
﹁もっちろんグレードSに決まってるじゃないか原田くん!! 僕
のヒーローっぷりを君たちに見せ付けてあげますよ!! クククク
クク⋮⋮!﹂
気色悪い笑い方で武者震いをするウラナリ。⋮⋮うぜぇ。
だがこれで見事意見は一致というわけか。
﹁じゃあ決まりだな。俺らの部隊はあくまでもグレードS狙いで行
くぞ﹂
﹁おうっっ!!﹂
浜辺に俺以外の五人の拳が突き上げられる。
俺ら全員の意思がここで一つになった。
﹁ではこれから皆に武器を支給します! でもまだお互いの賞牌を
奪い合うのは禁止よ! ミッションがスタートしてから! じゃあ
全員私の後についてきてっ!﹂
ファイルと電動ガンを手にした伯田さんが颯爽と島の中へ移動を
384
始めた。俺らはその後をブレーメンの音楽隊のようにただゾロゾロ
とついて行く。
﹁これがメダルかよ! でっけぇな∼!﹂
プリズナー
俺の腕に装着されている賞牌を見て、将矢が見たままの感想を言
った。
ステイヤー
﹁柊兵に一つ。そして待機者と捕虜にも一つずつ与えているんだか
ら、怜亜ちゃんと美月ちゃんが残りの賞牌を持っているってことだ
よね?﹂
自分の予想の真偽を確認するため、尚人がヒデに意見を求める。
ヒデは一度頷いた後、反対に質問を返した。
﹁だがステイヤーとプリズナーってのは一体どんな役割なんだ? ロール
まだ伯田さんから何も説明がないのが気になる﹂
“
捕虜
”
ってことだろ? ひどい目に合わされてな
﹁うん。僕はプリズナーっていう役割が特に気になるよ。だってつ
まりは
いといいけど﹂
﹁いや、ひどい目には遭ってないさ﹂
とすかさず割り込んできたのはシンだ。ヒデは鋭い眼差しをシン
に向け、
﹁なぜそう思う? 確実な根拠はあるんだろうな﹂
と不機嫌な顔で理由を尋ねた。
385
﹁おいおいヒデ、お前さっきの伯田先生の話を聞いてなかったのか
? このミッションで危ない目に遭わないように、ステイヤーとプ
リズナーのロールを女子に割り当てたって説明があったじゃん。し
かもその指示は娑戸芭理事長直々のものだっていうし、だからきっ
と大丈夫だって﹂
﹁あぁそっか、そういえばうちの理事長は究極のフェミニストだも
んね! それなら安心してもいいかも﹂
シンの予測に同意した尚人が安心したように笑った。
そこへ将矢が、﹁そういえば聞いたことあるぜ! 数年前の話ら
しいんだけどさ⋮⋮﹂と娑戸芭理事長の又聞きエピソードを報告し
てくる。
﹁明け方に一時的に大雨が降って、学校の玄関前にでっかい水溜り
ができた時があったらしいんだ。で、そこを歩いたら靴が濡れちま
うからって女子が水溜りを大きく迂回して登校していたら、そこに
たまたま理事長が通りがかってさ、自分の着ていたロングコートを
“
銀杏の華麗な女生徒悩殺
レディキラー
”
と言われるだ
サッと脱いで水溜りの上にかけて女達を渡らせたらしいぜ!﹂
﹁へぇ、さすが
けはあるなぁ。女の足を汚さないためとはいえ、コートを惜しげも
なく水溜りへポイか⋮⋮﹂
﹁さすがうちの理事長だよね。僕も見習わなくっちゃ﹂
この談話を聞いて感心しているシンと尚人に、﹁しかもその時着
ていたコートは特注モンで、すげぇ高いヤツだったらしいぜ?﹂と
将矢がまだ続きを喋っている。
そんな下らない会話をしている内に武器支給地へと着いた。五分
と歩いていないので、背後を振り返ればまだ海が見えるくらいの近
386
さだ。
﹁あの中に君たちへ与える武器が入っているわ!﹂
でかいダンボール箱が全部で六つ、一部草が剥げている地面に無
造作に積み上げられている。
伯田さんがその箱群を指さして、次の指示を出した。
﹁ただし武器は必ず一人一つ! 複数所持しちゃだめよ!? それ
と武器の他に装備品もあるから必ずそれを全員装着すること! い
いわねっ!? もう質問はない!? ないのであれば全員武器を取
ったら最後の説明に入ります! では各自、箱を開けて武器を取り
なさい!﹂
﹁うおっしゃあああー!!﹂
軍勢は一気にダンボールへと群がる。どうやらこれから教師共と
一戦交える事が出来るとあって、全員闘争本能のボルテージが上が
っているようだ。
バリバリと勇ましい音が鳴り、ダンボールが無残に引きちぎられ
る音があちこちから聞こえる。
﹁よしっ、武器ゲット! だ⋮ぜ⋮⋮!?﹂
一番初めに武器を手にした奴のテンションが急におかしくなった。
急いでそいつの背後からダンボールの中を覗き込む。
387
そして中にあった武器を目にした俺たちは、午前に配られた手錠
やアイマスクの拘束グッズに引き続いてまたしても言葉を無くす羽
目になった。
388
腐れ縁ってのは時には厄介なもんだな
明るいイエローや鮮やかなオレンジが目に刺さる。
オモチャ
開けられたダンボール箱の中に所狭しと詰め込まれていたのは、
そんな安っぽい色で塗られたプラスチックの玩具だった。
別箱には目を保護するためのゴーグルも入っている。
だがゴーグルはやたらと頑丈で本格仕様なタイプのため、この玩
具との組み合わせとして使用するには全くといっていいほど不釣合
いだ。
﹁なんだよこれ!? オモチャの銃じゃんか!!﹂
俺らの中で一番初めに武器を手にした将矢が声高に叫ぶ。
トイガン
﹁うん。これ、どう見ても子供用の遊戯銃だよね﹂
銃の一つを手にし、尚人があちこちの角度から検証を始めた。
﹁えーと、ここを引けば弾が装填されるのかな? ⋮よっと﹂
銃身の上部にあるスライド部分を後方にガシャリと引き、少々ぎ
こちない動作で銃を構える尚人。ちなみに狙った標的は将矢だ。
﹁おおおおい尚人っ! なんで俺を狙うんだよっ!?﹂
389
超至近距離でいきなり自分に照準を定められた将矢は当然慌てる。
﹁んー⋮、なんとなく? だって将矢が一番僕の近くにいるしさ﹂
﹁バッ、バカ野郎! だからって味方を狙う奴があるかよ!?﹂
﹁細かいことはいいじゃん。ま、試し撃ちってことでよろしく!﹂
そう言うと尚人は全くためらうことなくトリガーを引いた。
一秒遅れで空気圧の音が漏れ、シュポッ、という音と共に勢いよ
く飛び出した弾はなぜか将矢の額のど真ん中にペタリと見事に張り
付く。
﹁あははははっ! スゴイや! この弾くっつくんだ!﹂
その間抜けな様を見た尚人が爆笑し、将矢は自分の額についた弾
を乱暴にむしり取ると、その先端を見てまた叫んだ。
﹁何だこの弾!? 先っぽに吸盤がついてんじゃん! ふざけてん
のかよ!?﹂
﹁ねぇ将矢! 面白いからもうちょっと撃っていい?﹂
﹁あぁん!?﹂
﹁あ、動かないで!﹂
ターゲットの許可も得ず、二度、三度、四度と銃身を素早くスラ
イドさせて尚人はトリガーを引き続ける。そしてあらかじめ銃に装
填してあった弾を全て撃ち切ると、満足そうにトリガーから指を離
した。
390
﹁あー面白かった! この銃、六連発撃てるみたいだね!﹂
﹁⋮⋮尚人、お前なぁ⋮⋮﹂
デコ
将矢が恨めしそうな声で尚人を呼ぶ。
額に吸盤つきのソフト弾五発をぶらぶらと付けたその姿は、さな
がら間抜けなハリセンボンのようだ。
﹁ごめんごめん! でもこの弾、スポンジ弾だし全然痛くないだろ
?﹂
﹁痛くはねぇけどさ、でも味方を撃つなんてあんまりだぜ⋮⋮﹂
﹁もう撃たないから機嫌直してくれよ。あ、今度女の子紹介するか
らさ!﹂
﹁エエッ!? 尚人、それマジッ!? 絶対に約束だぞ!? じゃ
あ許す! ソッコーで許す!!﹂
⋮⋮なんて現金な野郎だ。
将矢のチャラさには毎度の事ながら呆れるが、目の前に女という
名のニンジンをぶら下げられたら例え千里の道でも全力で走りきる
タイプだからまぁ仕方ねぇな。
﹁なぁ、これでどうやって戦えっていうんだ?﹂
銃を目線の高さにまで掲げたヒデが話しかけてきたので、﹁あぁ、
とても戦える代物じゃねぇな﹂と同意する。
ヒデが手にしているのは尚人が持っているタイプより一回り小さ
めの銃だ。その小型銃の銃口付近をしげしげと眺め、ヒデがまた口
を開く。
﹁ほぅ、あまり意味がなさそうだが一応ここから照準を合わせる赤
ライトは出るんだな⋮⋮。だが俺らにはこんなチャチな物を与えて、
391
教師共は伯田さんが持っているようなマジモードの銃で戦うってこ
とだろ?﹂
オレら
﹁あぁ、恐らくはな﹂
﹁ということは、生徒側に反撃する機会を与えるつもりは全く無い
ってことになるな﹂
﹁まぁそう考えて間違いないんじゃねぇか﹂
この俺らのやり取りで、頭の回転が亀のスピード並みの将矢もよ
うやく事の重大さに気がついたようだ。
なぶ
﹁なんだなんだそういう事かよっ!? それじゃ俺たちは教師共の
嬲り者にされるだけってことじゃんか!!﹂
すると、同じく俺らのやり取りを聞いていたシンがトリガーを人
差し指にかけ、西部劇のガンマンのようにプラスチックの銃をグル
グルと回転させながら大きく上空を仰ぎ見る。
﹁うーん、でも戦って勝ち残らないと豪華旅館に泊まれないしなぁ
⋮⋮。これは思ってた以上にシビアな現実なようですね⋮⋮﹂
シンの動きにつられて俺もつい空を見上げる。
だが当然そこに正しい解答などあるはずもなく、一面の青空がた
だ広がっているだけだ。
﹁さぁ皆の衆、これからどうします?﹂
シンから発せられたこの意思確認に、普段は滅多に大声を出さな
いヒデが珍しく声を荒げる。
392
﹁どうするも何も無いだろう!? こんな武器しかなくてもやるし
かない。美月と怜亜を見つけなきゃならんしな﹂
﹁うん、そうだよな。明らかに罠だと分かっていても、囚われの天
使ちゃん達を助けに行かないとヒーロー失格ですよね。⋮⋮よしっ
! じゃあ早速最後の説明を聞きに行くとしますか!﹂
言葉に出したことで決心がついたのか、シンは遊戯銃を振り回す
のを止め、伯田さんの元へと歩き出した。俺もその後について歩き
出そうとした時、すぐ後ろにいたヒデに後頭部を拳で軽く小突かれ
る。
﹁柊兵、本当は今の台詞は俺じゃなくてお前が言うべきだぞ﹂
そう言うとヒデは右手首のスナップを効かせ、もう一度俺の後頭
部に同じアクションを起こした。
コマンダー
﹁お前が部隊長だからってわけじゃない。ああいう事はお前の口か
ら言ってこそ生きてくる台詞だろうが。しっかりしろ﹂
後頭部への打撃よりも、この指摘の方が何倍も効いた。
﹁済まん﹂と素直に詫びを入れると、ヒデは俺だけに聞こえるよ
うに声量を極限にまで落とし、もう一つの忠告をしてくる。
﹁⋮⋮それと一つ言っておくが、助ける相手に差を出すなよ? 例
えお前の気持ちがすでに決まっていてもな﹂
﹁何? ど、どういう意味だ!?﹂
﹁バカ、何年お前とダチやってると思ってんだ? お前が腹の底に
393
隠している気持ちぐらいとっくに分かってる。さぁ行くぞ。あいつ
らを助け出してやらんとな﹂
言いたい事を言い終わったヒデが俺を追い越していく。
││ 俺の気持ちが分かってるだと!? 畜生、ヒデの奴、好き勝手な事を言いやがって⋮⋮。
しかしここでふと、以前ミミと行った甘味喫茶で同じような内容
を言われた事を思い出した。
︵ それに元々男の人ってさ、女性に比べて自分の気持ちを隠すの
がとっても下手っぴさんが多いしね。柊兵くんなんか特にそんなタ
イプよ? 本人は隠しているつもりでも周りにはバレバレなのっ ︶
⋮⋮背中を一筋の冷や汗が流れたのが分かった。
ということはだ、も、もし、ヒデの言っている事が事実なのだと
したら、俺の気持ちは全てあいつにダダ漏れしちまっているってこ
となのか⋮⋮!?
マズい! それは絶対にマズい!
まだだ。まだ言えない。
だが上手く気持ちを隠さないと、やがてはヒデ以外の奴らにも気
付かれてしまうかもしれない。
だから全てのことにケリをつけるその時が来るまでこれからはも
っと慎重に行こうと決意する。
自分自身を強く戒しめながら、俺はゴーグルを装着し、頼りない
394
子供用の遊戯銃を握りしめ、伯田さんの元へと向かった。
395
美月と怜亜を速やかに救出せよ
トイガン
まずは気合の入れ直しだ。
二種類の遊戯銃をそれぞれ手にした俺たちは伯田さんの元へと再
び集う。
﹁私の声っ、ちゃんと後ろまで聞こえてるぅー!? 大丈夫ねーっ
︼
を始めますっ!﹂
!? ではっ、これからいよいよ三年修学旅行のメイン企画っ、︻
選ばれしWinnerを目指せ
俺たちに呼びかける伯田さんの声が弾んでいる。
今回は全員が即座に自分の指示に従ったので、どうやら銀杏のア
マゾネスはご機嫌モードに入ったようだ。時折思い出したかのよう
に銃を撫でさすり、ますます声を張り上げる。
バトル
ユニ
﹁ルールはさっき渡した紙に書いてある通りよ! でもそれは一先
ット
ず今日までのルールと考えていてね! 今日の戦闘で生き残った部
隊数によっては、明日ルール変更が行われる可能性があるからっ!
というか、たぶんルールは変わっちゃうと思うわっ! だって意
気地の無い君たちがたくさん生き残るとは思えないもの!﹂
⋮⋮伯田さん、随分と自信ありげだな。
腰抜けと罵倒されたことはムカつくが、このミッションがスター
トしたら一瞬たりとも気を抜くことは出来なさそうだ。 396
﹁さぁ始めるわよぉーっ!? ここからあの森を横道に逸れないで
ステイヤー
プリズナー
真っ直ぐに抜けると待機ポイントがあります! まずはそこで自分
たちの待機者を見つけ、捕虜に関する情報を入手すること! それ
とここに用意してあるペットボトルを各自一本ずつ持って行くこと
を忘れないで! もし戦闘中に負傷したり、水の補給が必要になっ
た時はステイヤーの待機ポイントまで戻ること! いいわね!? ではバトル・スタ⋮﹂
﹁待ってください!! 質問ですっ!!﹂
伯田さんの号令で今まさにバトロワの火蓋が切って落とされよう
としたその刹那、この期に及んでまだ質問をしようとする奴が現れ
た。
しかしそのKY野郎が俺の横にいた尚人だったと分かった時、俺
らの部隊に動揺が走る。
﹁ちょ尚人、今頃質問かよ!?﹂
シンの意見も尤もだ。
さっき伯田さんが二度も質疑応答タイムをわざわざ設けたのに、
くじ
こいつは今さら何を聞きたいって言うんだ?
出鼻を挫かれた伯田さんが鋭い視線で尚人を見る。
﹁何かしら真田くん⋮⋮?﹂
チッ、電動ガンを持ち直しやがった!!
397
こいつ
このままだとあの短気なアマゾネスが電動ガンをぶっ放す危険性
がある。ついさっき何かあったら助けてくれと尚人に言われてるし、
念のためにスタンバイしておいた方がいいかもしれん。さりげなく
尚人の斜め前に立ってガードできる体勢を取る。
しかし俺らのこの緊迫した空気をまるで感じていなさそうな完璧
なスマイルで、尚人は伯田さんに微笑みかけた。
﹁質問があるんです! いいですよね先生?﹂
尚人に笑いかけられた伯田さんの顔が赤くなった。
﹁⋮⋮も、もう、仕方ないわね⋮⋮。はっ、早く言いなさいっ!﹂
そんな伯田さんの様子を見たシンが、﹁伯田先生顔赤くね?﹂と
小声で話しかけてくる。
﹁あぁ、赤いな﹂
﹁必殺の尚人スマイルで伯田先生まで骨抜きかよ? さすが年上キ
ラーだな⋮⋮﹂
﹁確かに大したもんだな﹂
年上女に絶大な求心力を持つ尚人の保持スキルの高さに感心して
いる俺たちをよそに、ジャージのポケットにしまっていたミッショ
ンの文書を尚人が再び取り出した。
﹁ここに書かれているルールの中で確認しておきたいことがあるん
です﹂
﹁どこかしら?﹂
﹁反則行為についてです﹂
398
尚人は伯田さんに向かってプリントの該当箇所を指さす。
﹁与えられた武器以外、素手などでの教師への暴力行為は一切禁止
する、とここに書いてありますけど、これって要するに、先生たち
に対しては拳で一切暴力をふるうな、ってことですよね?﹂
﹁えぇ、その通りよ。それをすれば即、部隊は全滅扱いになるわ。
あと念のために言っておくけど、拳だけじゃなくて足技を使った攻
撃ももちろん禁止よ﹂
﹁でも与えられた武器での攻撃はOKなんですよね?﹂
﹁もちろんよっ﹂
トイガン
思わず手にしていた遊戯銃に視線を落とす。だがこんなオモチャ
の銃で教師共にどれだけのダメージを与えられるというんだ?
﹁分かりました。手に入れた武器でなら先生たちを攻撃してもいい
ってことですね﹂
﹁えぇ﹂
﹁それともう一つ﹂
尚人はここで急に笑うのを止めた。
そして伯田さんの顔を澄んだ瞳で真っ直ぐに見る。
﹁⋮⋮伯田先生はこのバトルに参加していると思っていいんですか
?﹂
﹁!﹂
伯田さんがギクリとした顔をした。尚人は涼やかな顔でわざと同
399
じ質問を繰り返す。
﹁繰り返します。今、バトル・スタートって言いかけましたけど、
先生は参加者なんですね?﹂
﹁わっ、私はまだよ!﹂
今までどこの鬼軍曹だ、と言ってやりたいぐらい偉ぶっていた伯
田さんが急に焦り出し始めた。
﹁私もバトルの参加者だけど、今は君たちに今回のミッションを説
明する役! だっ、だってこんな格好じゃ戦えないじゃない!﹂
伯田さんが着ていた白衣の前をガバッと大きく開いてみせる。
白衣の中の服装はブラウスにタイトスカートという、戦場に赴く
にはおよそ不向きな格好だった。
﹁チェッ、そこまで脱ぐなら全部脱げばいいのによー﹂
時間にしてわずか二秒。
伯田さんの中途半端なサービスに一番最初にケチをつけたのはう
ちの部隊のエロ参謀、将矢だ。
﹁でも先生、結構おっぱいデケーな! ちょっとでいいからあとで
揉ませてくんねーかなー!﹂ ⋮⋮おい。誰かこいつの脳を解剖してエロな分野の大幅な削除を
してやってくれないだろうかと真剣に考えちまった。
400
﹁きっ、君たちがスタートした後で私も戦う準備をすることになっ
てるわ! だから今バトルがスタートしても先生を襲っちゃダメよ
!?﹂
﹁了解です﹂
口の端をわずかに上げ、尚人が小さく笑う。
﹁じゃあいずれこの森の中で先生にお逢いする可能性もあるってこ
とですね。⋮⋮その時は僕らの敵として﹂
﹁そ、そうね。そうなるのかしら﹂
﹁分かりました。質問はこれだけです。僕、先生に逢えるのを楽し
みにしてます。ありがとうございました﹂
再び極上スマイルに戻った尚人に呑まれたままの伯田さんが再び
電動ガンを上空に構える。
﹁じゃっ、じゃあ皆、いいわね!? 行くわよ!?﹂
俺らは全員前傾姿勢を取り、走り出す体勢を取った。
﹁選ばれしWinner争奪戦っ、バトル・スタート︱︱︱︱ッ!
!﹂
﹁うぉぉぉぉぉぉぉ︱︱︱︱っ!!!!!﹂
電動ガンの発射音と同時に野生を帯び始めた咆哮が勇ましく響き
401
ロール
渡り、ユニットの大多数が一斉に走り出す。目指すはステイヤーと
コマンダー
やらがいる待機ポイントだ。
シンの策略とはいえ、部隊長という役割を引き受けちまった以上、
一応俺が場を仕切らなければならないだろう。
そこで、シン、ヒデ、尚人、将矢、そして影が薄いために今まで
すっかり存在を忘れていたウラナリに向かって﹁行くぞ!﹂と号令
をかけると、ヒデ以外のメンバーは俺のかけ声にすぐ呼応した。
﹁よーし、行きますか閣下!﹂
﹁急ごう柊兵!﹂
﹁よっしゃあ! 全員ぶちのめしてやるぜーっ!!﹂
﹁ヒーロー⋮⋮、そう、僕はヒーローだ⋮⋮クククク⋮⋮﹂
として俺
伯田さんの足元にあったミネラルウォーターのペットボトルを一
︻修学旅行準備品︼
本鷲掴みにし、先頭を切って走り出す。
⋮⋮ん? この水はもしかして
らが用意させられた物か?
となると、やはり各クラスで用意させたあの意味不明なグッズの
数々はこのサバイバルバトルでどれも何かしら意味のあるものだと
考えるべきだろう。
走りながらそんな事に思いを巡らせていると、すぐ背後から俺に
向かって怒鳴るヒデの声が聞こえてきた。 メダル
﹁柊兵っ! お前は賞牌を持ってるんだから気を抜くなよ!!﹂
︱︱ そうだった。
頭の中が教師共のことばかりになっていたが、もうこの右腕に装
着されている賞牌をいつ周囲の部隊に奪われてもおかしくないわけ
だ。
402
走りながら右腕に手を伸ばし、そこに腕章と特大メダルがあるこ
とを確かめる。
部隊同士の小競り合いがすぐに始まるかと思ったが、どの部隊も
今はステイヤーの待機場所へと一目散に駆けている。やはり女か。
女共が気になるのか。
とはいえ、今はまず美月や怜亜の無事を確かめることが先決だ。
こちらとしても今襲われないのはありがたい。
しかし森に飛び込み、三分も経たない内にいきなりアクシデント
が発生だ。
ふぁらだ
﹁ふぁ、原田く∼∼ん、待ってくれよぉ∼∼﹂
と、今にも死にそうな声が後方から聞こえてきた。
︻
自称・ヒーロー
︼のウラナリ・本多が必死に後をつい
急停止して振り返ると、フラフラとしたあまりにも危なげな足取
りで
てきている。
俺たちがこのままハイペースの疾走を維持すれば、こいつは十中
八九行き倒れるな。もう完全に息が上がってしまっているし、間違
いない。
まだ部隊長に就任して間もないというのに早速こいつの処遇を決
めなければならなくなったようだ。一体どうしたもんか。
美月と怜亜を一刻も早く助けなければならないからこのペースを
落としたくはない。かといって、一応は縁あって同じ部隊のメンバ
ーとなったウラナリをこのまま見捨てていくのもなんだしな⋮⋮⋮
⋮、仕方ねぇか。
403
﹁しゃあねぇな。ほら、背負ってやるから乗れよ﹂
ウラナリの側にまで駆け戻り、乱暴に背中におぶる。
すると厄介なことに、これが奴の心に悪い意味で熱いものを呼び
覚ましてしまったらしい。
﹁おぉ原田くん⋮⋮! 真田くんだけじゃなくて君も僕の事を信じ
てくれるんだね! 原田くん、僕は誓うよ! きっと、きっとこの
バトルでヒーローになってみせるっ!﹂
と俺の背中の上で勝手に高揚し、一人熱血宣言をかますウラナリ。
はっきり言ってウザいことこの上ない。
﹁さすがは我らの柊兵閣下! そのような一兵卒ですら見捨てずに
助けるとは大したものです!﹂
俺の横を伴走しながらシンがニヤけた面で茶化してくる。
ラジャー
﹁うるせぇ! いいから黙って走れ!﹂
﹁了解! では閣下、お先にっ!﹂
シンはそう言うと走るスピードを軽やかに上げ、俺の前へと進み
出た。
ウラナリを背負ったせいで俺の走る速度はガクリと落ちたが、そ
れでもこいつを走らせるよりはずっとマシなペースだ。そして目の
前を走る仲間の背中を見てふと思う。
⋮⋮なんだかんだ言ってこいつら全員、体力はそこそこにあるん
だよな。
404
ヒデは当然として、将矢もヒデを上回るくらいのタフさを持つ男
だし、敏捷性にも優れている。
フレンドシップ・フェスティバル
シンが割合涼しい顔をして走っているのが意外だが、そういえば
相互親睦祭典の時に昔バレエをやっていたと美月に言っていたな。
その時の鍛錬が影響しているのかもしれん。
選ばれしWin
になる可能性も充分にあるかもしれん。
︻
四人の中では尚人が若干遅れ気味だが、それでも平均的なスピー
ドは出ているはずだ。
︼
これは手抜きなしのガチで挑めば、俺らが
ner
遅れを取り戻そうと必死に走る。
とにかく先行している他の部隊に追いつくことが先決だ。
大小様々な木々から生い茂る葉が上空から差し込む太陽の光を一
斉に遮っているため、森の中は薄暗い。スニーカーの底面が地面を
蹴る度に、完全に水分を失っている枯れ枝の群れが痛々しい音を立
て続ける。
さすが未だ人智が及んでいない孤島なだけのことはあるな。目線
を時々下に向けてできるだけ走りやすいフラットな面を探してはみ
るが、ほとんど見当たらないときている。
しかし伯田さんの進言通り休まずに走り続けたせいもあって、そ
う大して時間もかからずに反対側の海辺に出ることに成功した。
︱︱ 眩しい。
405
森を抜けた瞬間に強い直射日光が全身に降り注ぐ。
両目を襲うその眩しさに思わず顔の前に手をかざしたくなったが、
ウラナリを背負っているので両手が使えない。苦肉の策で目を思い
切り細めた時、俺らの中で海辺に一番早く到着した将矢が勢い込ん
で叫んだ。
﹁見ろよ! あそこに女たちがいるぞーっ!﹂
タープ
目の前に再び砂浜が広がる中、将矢が興奮状態で前方を指差す。
波打ち際から少し離れたその地点には大きな防水布が設営されて
おり、日陰の空間を提供している。そしてその作られた快適日除け
エリアの中で多くの女共が身を寄せ合ってひしめき合っているのが
見えた。
美月か!? 怜亜か!? そこにいるのはどっちだ!?
緊張が走る。
女共の群れに駆け寄る前に背負っていたウラナリを豪快に砂浜に
落とす。﹁ぎゃふん﹂という情けない声が後方で上がったが今はそ
れどころではない。
背中の荷物を無事排除できたので、息を切らせて一気に駆け寄る。
406
そして俺が知りたかった答えはすぐに判明した。
407
まさに足手まといだな
ギラつく太陽に照らされた、熱砂の上に設けられた待機場所。
ほとんどの女がジャージの上を脱いで半袖の白いTシャツ姿にな
っている。
そこで俺を待っていたのは││、
﹁柊ちゃんっ!!﹂
︱︱ 怜亜か!!
女共の群れの中にいた怜亜が俺に気付いたのと、俺が怜亜を見つ
けたのはほぼ同時だった。
ステイヤー
急いで駆け寄った俺に怜亜が飛びついてくる。だがすがりついて
きたその顔はなぜか今にも泣きそうだ。
﹁柊ちゃんっ、早く美月を助けて!﹂
﹁なに!? 美月はどこだ!?﹂
ロール
捕虜の方
ってっ⋮⋮! だ
“
﹁先生たちに連れて行かれちゃったの! 本当は美月が待機者で、
プリズナー
”
私に捕虜の役割が割り当てられていたのに、美月が
が危険そうだからって絶対にあたしが行く
から柊ちゃん、早く美月を⋮⋮!﹂
ここから先は声が詰まって言葉にならなかったらしい。怜亜の黒
目がちな瞳がますます潤みだす。
408
幼い頃からの親友だから
”、
しかし今さらな事だが、こいつらのお互いを思い合う気持ちの強
さは半端じゃねぇな⋮⋮。
そのあまりの真っ直ぐさに、“
というその真の理由すらも陳腐に感じちまうくらいだ。
﹁分かった。怜亜はここでおとなしくしてろ。いいな?﹂
気が動転しかかっている怜亜を落ち着かせるため、できるだけ自
信たっぷりな様子で請け負ってみせる。するとそれが功を奏したの
か、怜亜はホッとしたような表情で﹁うん﹂と素直に頷いた。
﹁よし、じゃあ暑いからその下に入ってろ﹂
タープ
防水布の下から飛び出してきた怜亜の頭上にもこのギラつく直射
日光が遠慮なく降り注ぎだしている。身体があまり丈夫でない怜亜
が日射病でもおこしたらヤバい。急いで日除けの下へと誘導する。
﹁しゅ、柊ちゃん⋮⋮﹂
急に怜亜が顔を赤らめ、また例によってネコに似た動きでもじも
じと恥ずかしげに身をよじらせはじめた。なんなんだこいつは。
﹁どうした?﹂
﹁えっ、あ、あの⋮⋮、か、肩⋮⋮﹂
﹁肩?﹂
早く怜亜を日陰に入れてやろうと焦っていたために気付かなかっ
たが、何気にこいつの右肩をがっしりと抱いてしまっていることに
今頃気付く。
409
﹁ちょっとちょっと∼、原田くんってば大胆すぎな∼い!?﹂
﹁ホントホント! 私たちがいるのにね∼っ!﹂
﹁こんだけ暑いんだから、これ以上暑っ苦しいシーンを見せつけな
いでほしいんですけどぉ∼?﹂
日除けの下にいた他の女共が俺のこの行動を見て、ピーチクパー
チクとやかましくざわめきだした。
無意識で行ったとはいえ、またしても周囲の見世物になりかけて
いるので慌てて怜亜の肩から手を外し、小声で詫びをいれておく。
﹁わ、悪ィ、怜亜﹂
﹁ううん⋮⋮私⋮⋮﹂
怜亜は遠慮がちに俺を見上げ、何かを言いたげな顔をした。しか
し怜亜が言葉を発する前に女共の群れの中から今度はどでかい声で
罵声が飛んでくる。
﹁原田くんっ! あんたいい加減にしなさいよっ!!﹂
出やがった。
E組クラス委員長、宮ヶ丘が再び降臨だ。ということはこいつも
怜亜と同じステイヤーなのか。
女共の群れの中から立ち上がった宮ヶ丘は俺を指差し、さらに怒
鳴りつけてくる。
﹁そうやって下級生から同級生まであちこちで色んな女の子を垂ら
しこんで恥ずかしくないわけ!? あんたのような男をね、正真正
銘のロクデナシっていうのよ!﹂
410
なんでこいつにそこまで言われなきゃなんねぇんだ!?
鋭い視線を飛ばし、引き続き罵声を浴びせながら宮ヶ丘は俺にど
んどんと近づいてくる。
﹁そうよ! 今日こそ確信したわ! 原田柊兵っ、あんたという存
在がE組の風紀が乱れる大原因なのよ! 先生の指示はいつもろく
に聞かない! 授業態度は最悪! その上女グセまで悪いんじゃ救
いようがないじゃないっ! あんたみたいな男はね、いっそのこと
学校を辞めてその穢れた煩悩を振り払うために頭を丸めて出家でも
し⋮きゃああぁっ!?﹂
目の前に迫ってきていた宮ヶ丘が台詞の途中でなぜかいきなり消
えた。
いや、違うな。単に前方にスッ転んだせいで一瞬視界から消えた
だけか。
﹁いったぁ∼! もう! これも全部原田くんのせいよ! やっぱ
りあんたと関わるとろくなことがないわ!﹂
なんだと!? 言いがかりにもほどがあるじゃねぇか!!
だがこいつ、しっかりしてそうで意外と鈍くさいところがあるん
だな⋮⋮。
⋮⋮と思ったが実はそうではなかった。
﹁おい宮ヶ丘、何の真似だそれは?﹂
宮ヶ丘の左足首に頑丈そうな足かせと鈍く光る太い鎖が装着され
ている。
411
これが転倒した原因か。
どうやら俺の立っていた場所がこいつの鎖の届く範囲外だったせ
いで、詰め寄ろうと近づいた時に派手にスッ転んだらしい。
﹁柊ちゃん、それは先生達がつけたの。ステイヤーの子には全員つ
いてるわ﹂
今の騒ぎを見ていた怜亜が口を開く。
怜亜の足元を見ると、確かにそこにも同じ物がガッチリとはめら
れていた。
さっきの手錠に引き続き、拘束グッズ第二弾は足かせかよ! 教
師の奴ら、どんだけ捕らえる事に執着を持ってやがんだ!?
﹁うわっ、ヒドいことするなぁ!﹂
後方で俺らの成り行きを見守っていたシンがまだ整いきっていな
ロールチェンジ
い荒い息を吐きながらゆっくりと近づいてくる。
﹁しかもこれじゃあステイヤーからアサルトに役割変更して戦闘に
参加しようと思ったってできないじゃん!﹂
そして同じくこの拘束具を見た将矢も憤りを隠さない。
﹁俺のカワイイ怜亜ちゃんにこんなヒドいことするなんて許さねぇ
!! 待ってろ怜亜ちゃん! 今それをぶっ壊してやるよ!﹂
両手の指を組み合わせ、バキバキと威勢よく鳴らしながら将矢が
近づくと、怜亜が慌てて諌める。
﹁待って将矢くんっ、壊しちゃダメ! この足かせを外すには鍵が
いるの!﹂
﹁鍵だってぇー!?﹂
﹁えぇ、鍵は美月が持ってるわ。だから美月を助けないと、私も動
く事ができないの。それがルールみたい﹂
412
⋮⋮おいおい、何だか七面倒くさい事になりそうな予感満載だな
⋮⋮。
なるほどねぇ、と、状況を飲み込めたシンが大仰な身振りで溜息
をついてみせる。
﹁ということはさ、結局のところ囚われのプリズナーちゃんたちを
俺らが救助してあげないと、麗しのステイヤーちゃんたちはここに
いつまでも強制抑留しちゃいますよ∼? ってことだよな。先生た
ち、やることが陰険すぎだぜ⋮⋮。ところで怜亜ちゃん、大丈夫?
足首痛くない?﹂
﹁うん、大丈夫よ。ありがとう、シンさん﹂
怜亜は自分の身を案じてくれたシンに向かって微笑むと、その笑
顔をそのまま俺に向けて手を差し出した。
﹁はい、柊ちゃん、これ持っててっ﹂
﹁なんだ、これは?﹂
渡されたのは小指ほどの大きさの小さな鍵だ。
ケージ
﹁先生たちのお話だと、美月たちは檻に閉じ込められるみたいなの。
これはその檻を開けるための鍵だって言ってたわ。だから柊ちゃん
が持ってて﹂
﹁分かった﹂
鍵を受け取ると、尚人が怜亜の右腕付近を指さす。 メダル
﹁ねぇ柊兵、怜亜ちゃんが持っているその賞牌はどうする? 柊兵
がまとめて持つ? それとも怜亜ちゃんにそのまま持っていてもら
413
う?﹂
怜亜の腕に巻かれている腕章の色は俺と違って白だ。そして中に
は例のメダルが一枚入っている。どうやらそれがステイヤーに渡さ
部隊長が賞牌を奪われれば即ユニット全滅
コマンダー
れた賞牌らしいが、俺が所持している物よりは二回りほど小さい。
“
のルールに即した故の措置と見るべきだろう。奪った賞牌が部
これは恐らく
オレ
”
隊長に支給された物なのかがすぐ分かるよう、大きさで区別してい
ると見た。
﹁確かこの待機場所で賞牌を奪い合うのは禁止なんだよな? じゃ
あそいつは怜亜にそのまま持っていてもらったほうがいいんじゃな
いか﹂
俺が答えるより先に、我がユニットのご意見番的存在でもあるヒ
デが身を乗り出してきて的確な指示を出す。
﹁いいな? 怜亜﹂
﹁えぇ、分かったわ﹂
ヒデに促された怜亜は真剣な面持ちでコクリと頷くと、右腕の腕
章を左の掌でぎゅっと押さえた。
﹁それで怜亜、美月はどの辺りに連れて行かれたんだ?﹂
﹁よく分からないの。私たちは全員海の方を向かされてその間に連
れて行かれちゃったから⋮⋮﹂
﹁おおよその方角もまったく分からないのか?﹂
﹁うん、ごめんねヒデちゃん⋮⋮﹂
落ち込む表情の怜亜のフォローに入ったのは尚人だ。
﹁気にしなくていいよ怜亜ちゃん。自分たちは電動ガンで、そんで
414
僕らにはこんなオモチャの銃しか支給しないような先生たちが、そ
んなあからさまに手がかりになりそうな情報を残していくわけ無い
よ。ねぇ柊兵?﹂
﹁あぁ、とりあえずは森の中に入って手当たり次第に檻を探してみ
るしかないな﹂
となればすぐに出立だ。
行くぞ、という俺の号令で奥地に向けて全員で走り出す。
しかし海岸を去る間際、一人残される怜亜の不安そうな表情が視
界の端に入ってきた。
畜生、そんな心細そうな顔すんなって⋮⋮。
││ 駄目だ、このままじゃどうにもすっきりしない。
そこで一度去りかけた足を止め、踵を返すと急いで怜亜のところ
に駆け戻る。俺がいきなり戻ってきたので怜亜はびっくりしたよう
な顔になった。
﹁大丈夫だ、すぐに美月を助け出すから何も心配するな﹂
そう言い、怜亜の頭を一度だけ撫でてやった。そしてふと小学生
の頃を思い出し、昔は気恥ずかしくてどうしてもできなかったあの
当時を思い出す。
突然自分のところに戻ってきたかと思ったらいきなり頭を撫でら
れてさらに面食らったのだろう、怜亜は何度も瞬きをし、口ごもり
ながらも礼を言ってくる。
﹁私っ、柊ちゃんのこと信じてるからっ! それに、私、柊ちゃん
のこと、大好きだからねっ?﹂
れっ怜亜の奴、いきなり何言い出してやがんだ!!
415
タープ
とりあえずは素っ気無い振りで﹁あぁ﹂と流そうとしたが防水布
の下で宮ヶ丘がキツい表情で俺を睨んでいるのが視界に入る。
⋮⋮そういや、話しかけておいて途中からこいつをほっぽりだし
ちまってたな。
触らぬ神にたたりなし、ここは即時退散した方がよさそうだ。
怜亜に片手で合図を送り、先に動き出していたメンバー達と素早
く合流する。
ちなみに先ほどまで俺が運んでいた半死半生の荷物︵=ウラナリ︶
は今度はヒデに背負われて嬉しそうだ。
﹁柊兵! どっちに進む!?﹂
先を進んでいた尚人が振り返り、進路の指示を仰いできた。
﹁とりあえず直進するぞ! 下手に右往左往してさっきの場所に戻
ラジャー
れなくなっちまったらマズい!﹂
﹁了解!﹂
他のユニットはもうとっくに奥地へと特攻していったようだ。急
がないとマズい。駆け足で更に奥地へと足を踏み入れる。
鬱蒼と木々が茂ったエリアを移動していると、時折どこからとも
なく聞こえてくる断末魔のような叫び声がマジで不気味だ。
﹁おぶぎゃあぁぁ︱︱︱︱っ!!﹂
﹁ひぃええええええ︱︱︱︱っ!!﹂
﹁ぎゃわわわわわぁぁぁぁ︱︱︱︱っ!!﹂
教師共と戦闘しているのか、それとも生徒同士で部隊長が持つ賞
牌を奪い合っているのかは分からんが、すでにこの孤島一帯は問答
416
無用のサバイバル戦闘エリアと化している。
ただし、俺の賞牌を奪いに突撃してくる奴はまだ一人もいない。
それを隣を走っていた尚人に言ってみたところ、
﹁そんなの当たり前じゃん。だって柊兵だもの﹂
というあっさりとした答えが返ってきた。
すると今度は先頭を走っていた将矢が俺の横にまで下がってきて、
今後の行動方針に口を出してくる。
﹁なぁなぁ、二手に分かれたほうが良くないか? その方が早く美
月ちゃんを見つけることができるんじゃねぇ?﹂
なるほどな。将矢にしては珍しく有意義な意見を言ってきたもん
だ。
しかしすかさず尚人が﹁待ってよ﹂と異議を唱える。
﹁まだ先生たちがどんな手を使って攻撃してくるか分からないんだ。
敵の出方も分からないうちに戦力を分散させない方がいいと思うよ﹂
﹁俺も尚人の意見に賛成だ。美月を助け出すまで戦力は集中して温
存しておいた方がいい﹂
﹁そうだな、尚人の意見の方がリスクが少なそうだ。というわけで
閣下、俺も尚人を支持でよろしく!﹂
プラン
ヒデ、シンと尚人の案に賛成意見が相次ぐ。
そこで先ほどから一人ブツブツと何かを呟き続けている最後のメ
ンバー、ウラナリにも意見を聞いてみることにした。
﹁おい、ウラナリ。お前はどう思う?﹂
417
しかしヒデに背負われたウラナリは返事をしない。
﹁ボクはヒーローだ⋮⋮ヒーローになるんだ⋮⋮やれるさ⋮⋮やっ
てやる⋮⋮クククク⋮⋮﹂
口元に薄ら笑いを浮かべ、この不気味なフレーズを延々と詠唱し
ている。
しかも根暗な声で韻を踏むように呟いているため、魔法使いの婆
ァが世紀末に唱える禁忌の呪文のようにすら聞こえるのが不気味だ。
⋮⋮尚人はこいつを買いかぶっているようだが、俺はこの時点で
はっきりと確信した。
やはりこいつは使い物にならん。
418
これは目の保養と片付けるべきなのか ︻
足を止めている暇は無い。
前編
︼
マジで急がねぇと美月救出だけではなく、豪華温泉宿一泊権まで
取りっぱぐれることになっちまう。
自己倒錯の世界にどっぷりと浸かりこんでいるウラナリは放って
↓
尚人↓
ヒデ︵
+背中に子泣き爺ウ
俺の順で孤島の森林を駆け抜けている最
↓
おき、二手には分かれずにこのまま全員で進軍する事となった。
︶
韋駄天・将矢を先頭に、シン
ラナリ
中、前を走っている尚人が急に振り返る。
﹁ありがとう柊兵﹂
﹁何だよ突然﹂
いきなり訳の分からない礼を言われて顔をしかめると、﹁だって
さ、柊兵わざと一番後ろを走ってるだろ? 僕を守るために﹂と笑
いかけてきやがった。
確かに厄介者ウラナリをヒデが背負ってくれている今、残りのこ
の面子で一番敵に襲われやすい尚人が後方から敵に不意打ちを喰ら
わないよう、わざと後ろに下がっていたことは事実だ。
だが、そんな突き抜けた爽やかな笑顔で明るく礼を言われるよう
なモンでもないだろうが。気色悪いにもほどがある。
﹁別にそんなつもりはねぇよ﹂
﹁いいんだ、ちゃんと分かってるから。柊兵はさっき僕が頼んだ約
束を守ろうとしてくれてるんだね﹂
﹁だから違うっての。俺がこの位置にいるのはな、お前らにハメら
419
コマンダー
れたとはいえ、部隊長になった手前、しんがりを努めるべきと考え
た、ただそれだけだ﹂
﹁はいはい、じゃあそういうことでいいよ。では引き続きよろしく
“
部隊長さま
”
だ。やっぱりこいつと話すと調子が
お願いします、部隊長さま!﹂
何が
狂う。だが言い返すだけのスキルが俺には無いのでここは黙ること
にした時、尚人が急に足を止めたので危うく衝突しそうになる。
﹁おわっ!? 急に止まるな! 危ねぇだろ!﹂
﹁あそこになんか見えない?﹂
尚人が指し示す左先にある茂みの奥に目を凝らすと、四角状の物
体の一部が見える。
前を走っていたメンバーに﹁おい待て! あっちの奥に何かある
!﹂と大声で知らせると、我が部隊の中で視力2.0が自慢の将矢
がその方向を見て興奮した声を出した。
ケージ
﹁おおお!? あれ檻じゃねぇ!? 鉄格子みたいのが見えるぜ!﹂
﹁マジかよ将矢!?﹂
﹁美月かもしれん! 急ぐぞ!﹂
い
前方の三人が茂みに向かって走り出す。俺と尚人も急いでその後
に続いた。
一番最初に茂みに突っ込んだ将矢が、﹁痛ってぇー!!﹂とデカ
イ声で叫んでいる。本当に騒々しい奴だ。するとヒデがこれから茂
みに入ろうとする俺らの方に向かって怒鳴る。
﹁棘があるから気をつけろよ!﹂
420
本当だ。
何ていう種類の草かは知らんが、この野生の茂みには小さな棘が
あちこちについていた。しかし小さいので手で掴んでも少しチクリ
とするぐらいでそう大げさに騒ぐほどのものではない。恐らく将矢
の奴はこの棘に気付かないで力任せに握ったのだろう。
トイガン
玩具銃と左肘で茂みを押し避け、左右にこじ開ける。
わずかにできたその隙間から、今度ははっきりと横長タイプの檻
が見えた。
狭い空間の中で白いジャージを着た長い髪の女が寝かされた状態
で蠢いているのがぼんやりと見える。美月か!?
焦る気持ちを抑え出来た隙間に身を滑り込ませようとした時、側
にいた尚人の視線とぶつかった。尚人は邪気の無い、純粋な透き通
る瞳でゴーグル越しに俺をじっと見ている。
﹁⋮⋮ほら、先に行けよ﹂
俺が作った安全空間スペースを先に尚人に譲ってやることにする。
今の尚人のアイコンタクトはこの鈍い俺でも察したぐらいだから、
相当強いメッセージ性をはらんでいたんだろう。つーか、これじゃ
まるで俺はこいつの護衛役じゃねぇか。いくら見かけが女みたいだ
からってこれでいいんだろうか。
そんな俺の煩悶をよそに、尚人はまたしても爽やかスマイルで﹁
ありがとう柊兵!﹂と礼を言い、するりと先へ進んでいく。
続いて俺も身を滑らせて茂みを急いで突破したが、なぜか出た先
のスペースで仲間全員が呆けた表情で固まっていた。
﹁おい、どうした?﹂
目の前に大の男が四人も立ち塞がっているので檻の中が確認でき
421
フリーズ
ない。一番近い位置にいた将矢に近づき、その真後ろに立って前方
を覗き込む。
その直後、なぜこいつらが腑抜けた顔をしてこの場に石化してい
るのか、その原因をこの身をもって知ることができた。
﹁はふぅ⋮ん、ふぁっ、んっ、あぅぅっ⋮ん﹂
︱︱ まさかこんな無人島の一角で、こんなキワドイもんを見ら
れるとは誰が予想しただろう。
檻の中の捕虜は太い麻縄で身体を縛られていた。
声を出している本人はそんなつもりは無いのかもしれんが、口元
にクラフトテープを貼られているため、その口元付近から何ともエ
ロい声が絶え間なく漏れている。
﹁むふぅ⋮、んんっ⋮、あぅぅっ⋮ん﹂
ケージ
花だ。
ハナ
ちなみに檻の中に横たわり、閉じ込められているのは美月ではな
かった。
シラトリ
俺らE組の女、白十利
魅惑の小型高性能
トランジスタ
︼。
俺ら男子の間だけで通用する仇名ではあるが、こいつの通称は、
︻
小柄な身体なのに胸だけが異様にデカいので、豊胸手術でも受け
たんじゃないかと俺らの間では専ら噂になっている女だ。その小型
高性能が、鉄格子で出来た動物捕獲用の小型檻に閉じ込められてい
る。
﹁ふゃあぁんっ、ふぁっあぅぅっ⋮ん⋮⋮!﹂
422
俺たちに何かを言いたいのか、檻の中の白十利のあえぎ声が止ま
らない。しかも縛り上げられた胸の上下の揺れも止まらない。
そんな白十利を見た俺達全員、ほぼ同時にゴクリと喉を鳴らして
しまった。
これは自然の摂理というか、やむを得ない事態というか、とにか
く男に生まれた以上、仕方のないことだと思う。⋮⋮っつーか、そ
う思いたい。
﹁す、すげーな⋮⋮っ! 俺っ、花ちゃんのこの姿を見られただけ
でも修学旅行に参加した甲斐があったぜ⋮っ!﹂
だらしなくポカンを口を開けたアホ面No,1男の将矢が、無意
識の範疇で嘘偽りのない感想を言う。するとシンもそれに乗っかり、
﹁この花ちゃんの格好を撮ってさ、その手の雑誌に投稿したらかな
りの謝礼が貰えそうだよなぁ﹂
と、金銭絡みの超強欲発言をかました。
すると眺めるばかりで誰も檻に近寄らない事に苛立ったのか、こ
の中で一番最初に我を取り戻したヒデが背負っていたウラナリを地
面に下ろす。
はこわな
﹁お前ら何くだらない事言ってんだ。早く助けてやらないと可哀想
だろ﹂
さすがヒデ。
ヒデは白十利が閉じ込められている捕獲檻に近づき、その扉を開
423
こうとしたが、鍵がかかっているため、当然開かない。
﹁柊兵、檻のキーを貸せ﹂
﹁あぁ、ほらよ﹂
リクエストに答えてヒデに鍵を放ってやる。それを空中でキャッ
チしたヒデは檻の扉口に噛ましてある南京錠の鍵穴に差し込んでみ
た。
﹁⋮⋮合わないな。この鍵では美月の檻しか開けられないってこと
か﹂
ヒデは小さく舌打ちをすると檻の入り口から一歩後ろに下がる。
そして間髪入れずに外側から扉に向けて強烈な蹴りを二度、三度と
放った。その度に激しく檻が揺れ、ゴウゥンという軋んだ音が鳴る。
﹁ふやっん!! んー! んー!﹂
檻の中では脅えた白十利が長い髪を振り乱し、寝転んだ状態のま
まで激しく身をよじっている。
歪んで壊れて隙間が出来た
”、と言った方が正しい
しかし少々強引な方法ではあったが一応扉は開いた。⋮⋮いや、
違うな。“
か。ヒデは出来た隙間を更に蹴りを入れて入り口を完全に壊し、片
開き式の檻の扉を強引に開ける。
正規の手順は踏んでないがとにかくよくやったヒデ。グッジョブ
だ。
こいつは若年寄という過去の仇名に似合わず、こうして時たま熱
血な部分を見せる時がある。敵に回すとすこぶる厄介だが、味方に
すると頼もしい限りだ。
424
この小柄巨乳女を解放しようと、寝転がっている白十利の両足首
をグイと捕まえて一気に罠の外に引きずり出すヒデ。その荒々しい
所業に、ヒュウッと賞賛の口笛を吹いたのはシンだ。
﹁おい動くな。今解いてやるからおとなしくしてろ﹂
﹁ふやあぁんっ!?﹂
無事に檻の外に出すことが出来たのでヒデは縄を解き始めたが、
かなりの手練手管な人間がキッチリと縛り上げたようで、解くのに
難渋しているようだ。
この場の成り行き上、救出担当はヒデ一人となったため、俺達は
その不器用で手間取るレスキューっぷりを後方からアホのようにた
だ眺めるしかすることがない。
﹁ふぁっ⋮! あぅんっ、ふやぁんっ!﹂
縄が身体に食い込んで痛いのか、ヒデが縄を解こうと力を入れる
度に未だに寝転がった状態で白十利が大きく身悶えしている。締め
付けられた縄からはみ出す肉感が、これでもかとばかりにエロスを
広範囲にふりまき中だ。
中でも特に胸の動きがヤバい。
縛られているせいで不自然に前方に盛り上がっているため、上下
左右、普段では絶対にお目にかかれないような妖しくも軽快な動き
を見せていやがる。
﹁柊兵見て見てっ。ヒデの耳の後ろ、真っ赤になってるよっ﹂
尚人が不意に俺の右腕をつつき、笑いをかみ殺した声でヒソヒソ
と話しかけてきた。
425
見てみると確かに赤い。血潮が滾っているようだ。多分相当の熱
も帯びているだろう。
表面的には冷静に見えるヒデも、どうやら内心はかなり動揺して
いるらしいな。まぁ、クラスメイトのこれだけ非現実的で妖艶な姿
を見たら当然といえるかもしれん。
しかしそれでも正義感が強いヒデは何とか麻縄をほどこうと諦め
ることなく悪戦苦闘を続け、その度に﹁はふんっ﹂、﹁あふんっ﹂、
﹁むふんっ﹂と身をくねらせて赤い顔で悶え続ける白十利。
そしてその一部始終を遠巻きではあるが熱い眼差しでひたすら凝
視する俺ら。
⋮⋮あぁ、はっきり言って異様な光景だ。自分でもそれはよく分
かってる。
426
これは目の保養と片付けるべきなのか ︻
後編
単独での救出作業は非常に難航しているようだ。
ロック
︼
ほど
ヒデがいくら必死に白十利の身体を縛り付けている麻縄を解こう
としても、その縛りは緩まる気配すら見せていない。
﹁おい! お前らもそんな所から見てないで手伝えよ!!﹂
充血した両耳を俺らに晒している事にまだ気付いていないヒデが
俺らに向かってSOSを出してきた。
その途端、
﹁いやっふぉおおおおおお︱︱っ!! 待ってましたあああああ︱
!! 俺に任せろヒデ!!﹂
野生猿の雄たけびが響く。
ヒデの応援要請に猪突猛進の勢いで駆け寄ったのは、今や下半身
の本能全快で生きる男、アホ将矢だ。まぁある意味予想通りとも言
える。
﹁おっとあいつだけじゃ危ないな。わざと花ちゃんにイタズラしそ
うだ。仕方ない、ここは俺も行っときますか﹂
﹁あ、僕も行くよシン﹂
シンと尚人もさりげなく白十利救出の応援に加わっていく。
どうでもいいがあいつら二人、スマートすぎだろ。文句のつけよ
うがないくらいに自然な流れで参加していきやがったぞ。
427
そしてそのタイミングに乗り損ねた俺は、その後も救出の輪の中
に入るきっかけを掴めず、鈍臭いウラナリと並んで四人が白十利を
囲んで悪戦苦闘している場面を後方から引き続き眺めるだけとなっ
た。
そして大人数で再びレスキュー作業を始めてから数分後、シンが
これはお手上げだといった様子で愚痴をこぼす。
﹁かったい結び目だなぁ! 全然解けないじゃん! なぁヒデ、こ
れ縛った奴って絶対これが初めてじゃないと思わねぇ?﹂
﹁あぁ手馴れてる感があるな。玄人の域に達している。見事なもの
だ﹂
﹁うん、芸術的な感じすらするよね。ねぇシン、ナイフみたいなの
持ってない?﹂
﹁んなもんあるわけないだろ尚人。あったらとっくに使ってるっつ
ーの﹂
﹁あははっ、それもそうだね﹂
﹁ひゃっふぉおおおおう!! 花ちゃあああーんっ!! この俺が
もう少しで助けてあげるからねー!! うおおおおおぉーっ! ヤ
ベー!! ここの食い込みがたまんねえええぇー!!﹂
⋮⋮と大興奮中のアホ一名を除き、救護隊の空気は和気藹々だ。
そんな奴らの会話を聞いていたウラナリが一旦ゴーグルを外し、
かけていた眼鏡を神経質そうな仕草で押し上げて俺を見る。
﹁参加しそびれてしまいましたね原田くん。君も加わりたかったで
しょうに﹂
﹁くっ、加わりたいわけねぇだろ!﹂
﹁おやおや我慢はいけませんよ原田くん? 君はグラマーな女性が
お好きじゃないですか﹂
428
言われた瞬間、自分でも一気に目つきが鋭くなったのが分かった。
ウラナリめ、何を根拠にしているのか知らねぇが、奴の完全なる
断定口調に脳内で怒りを制御している弦の一本がブツリと切れる。
﹁勝手に決めつけんな! 別に俺は胸のデカい女が好きなわけじゃ
ねぇ!﹂
﹁フッ、あの写真集を持っていた同士が何を今更﹂
﹁!!﹂
ウラナリの野郎、こんな所で例の伯田さんに激似の写真集の話題
を出してきやがった! すぐ側にいるシン達に聞こえたらマズいだ
ろうが!! 空気を読め、空気を!!
﹁あっ、あれは、ただあの噂が本当か確かめたかっただけだっ﹂
﹁あのモデルが伯田先生かどうかってことかい? 言い訳は見苦し
いよ原田くん。理由はどうあれ、君は僕と同じであの写真集を買っ
た。どう足掻いてもそれは覆せない真実なのだからね﹂
ひょひょひょひょ、と歯の隙間から空気が抜けるような気色悪い
わり
笑いをウラナリが漏らす。
マジで胸クソ悪ィ!!
しかし俺の怒りがすでに臨界点に達している事に気付いていない
ウラナリは、鼻の下を伸ばしまくった腑抜けた面で両手を大きく広
げる。
﹁さぁ我が心の同士よ! 乗り遅れてしまったが、いざ我らもあの
花もかなりの双丘の持ち主。ここは修学旅行の輝かしい思い
場に行こうじゃないか。何せ伯田先生ほどではないにしろ、あの白
十利
出の一つとして互いの記憶の海馬に焼き付けておいて損はないかと﹂
429
﹁うっうるせぇっ!! テメェ一人で焼き付けてろ!!﹂
手より先に足が出ていた。
思わずぶっ放した回し蹴りがウラナリの背中に綺麗に決まる。
﹁おぶひゃあああああああああっ!?﹂
何とも間抜けな言葉を発し、ウラナリが前方に吹っ飛ぶ。
檻の前にドサリと落下した音で、このウラナリ・ダイブに気付い
たシンが、﹁あ、本多が飛んできたぞ﹂と声に出した。するとその
場からスッと立ち上がった男がいる。尚人だ。
尚人はウラナリの側に跪き、﹁本多、大丈夫かい?﹂と話しかけ
ている。ったく、あいつはどこまで人がいいんだ。
またしても尚人に哀れみをかけてもらえたウラナリは感極まった
表情で叫ぶ。
﹁おおおぉ真田くん⋮⋮っ! やはり僕の一番の理解者は君だ! 君だけがこの僕を信じてくれるんだね!﹂
いしずえ
﹁当たり前じゃないか。さっきも言ったろう? きっと君は僕らの
部隊にとって必要な礎になる。僕はそれを信じてるよ﹂
︱︱ 出たな、尚人お得意の表情が。所謂お愛想笑いってやつだ。
しかし今のがただの美辞麗句なのだとは、言葉をかけられたウラ
ナリ本人は露ほども思っていないようだ。
﹁おおおおお⋮⋮! 僕の神はここにいた⋮⋮! 真田くん、僕は
やるよ!! きっと、きっと君のその期待に応えてヒーローになっ
てみせる!!﹂
430
またしても暑苦しいヒーロー宣言をし、地面に這いつくばった格
好で今にも尚人の靴先を舐めそうな勢いのウラナリに、見ているこ
っちがドン引きしそうになる。
﹁うん、大丈夫だよ。君ならなれるさ﹂
尚人はそう声をかけると非難がましい視線を俺に向けながら近寄
ってきた。
﹁ダメだよ柊兵。本多にこんな乱暴しちゃ。今は本多だって僕らの
部隊の一員なんだよ?﹂
﹁す、済まん﹂
﹁それより柊兵も手伝ってよ! 早く花ちゃんを何とかしないと美
月ちゃんの檻を探せないじゃん﹂
そうだ、こんなところでグズグズしている暇は無い! 早く美月
を探しに行かねぇと!!
﹁ほら早く柊兵!﹂
﹁お、おう﹂
尚人に引っ張られて白十利の元へと向かい始めた時、背後の茂み
の奥からカチリと何かを起動したような音が聞こえた。
何だ今の音は⋮⋮?
妙な殺気も感じたため、素早く後ろを振り返って見た。すると目
に飛び込んできたのは黒光りする三つの銃身。
431
﹁危ねぇ!!﹂
咄嗟に尚人を庇い、地面に身を伏せる。
次の瞬間、頭頂部のすぐ真上を鋭い風圧が突き抜け、BB弾の連
射音がこの場一帯に容赦なく響き渡った。
432
ここで不意打ち
ここで不意打ちかよっ!?
はこわな
さが
俺らが白十利のエロい姿態に全神経を丸ごと持っていかれるのを
見越しての捕獲檻だったのか!? もしそうだとしたら男の性を上
手く利用した何とも汚い作戦だと言わざるを得ない。
﹁チッ、弾が切れた﹂
という声が背後から聞こえる。連射が途切れた!
﹁尚人、来いっ!!﹂
片手に持っていたペットボトルを投げ捨て、空いた手で尚人を助
け起こすと前方にある木々に素早く身を隠す。するといつの間にか
ウラナリもちゃっかりと俺の側に退避しており、ろれつの回らない
口調で口角泡を飛ばしてきた。
﹁はははははらだくんっ!! ててててててっ敵襲ですよよよおお
おおおーっ!!﹂
んなもん言われなくても分かってるっつーの!
息を潜め、身を隠してすぐに側の茂みがガサガサと揺れた。即座
に警戒体勢を取る。
しかしそこから現れたのは今の銃撃から上手く逃げおおせたヒデ
達だった。しかもヒデはまだ縛られたままの白十利を左肩にかつい
での登場だ。
433
﹁柊兵! そっちは無事か!?﹂
﹁あぁ! 尚人もウラナリも無事だ!﹂
そう返事をしたのがまずかった。
すかさずこちら側に向かって再びBB弾の雨が浴びせられる。
﹁そこかァあああああああああぁ︱︱っ!!﹂
﹁追い詰めたぞ!! 覚悟しろやっ!!﹂
﹁オラオラオラァアアアアァ︱︱ッ!! 喰らいやがれえええっ!
!﹂
この声、やはり間違いない。銀杏高校の教師共だ。
先ほど目にした銃身と発っせられた怒声から推測した限りではそ
の数三名。どいつもフルオートタイプの電動ガンを所持していやが
るようだ。
敵とは反対の方角に逃げようとしても追い込まれた先は袋小路状
になっていて、土砂が盛り上がっていて進めない。かといって元の
方角に戻れば待ち受けている教師共に狙い撃ちだ。
“
ゼット
・
Z・O
”
オー
を発見。至急応援に来られたし、オ
﹁ホークアイからブラックコンドルへ。ポイントT−06でメイン
ターゲット
ーヴァ﹂
││ マズい! 奴ら無線で支援要請をしていやがる! これ以上撃退要員が増えたら突破はほぼ絶望的になっちまう。な
んとかしねぇと⋮⋮!
434
身を隠していた木の隙間から少しだけ顔を出すと、揃いの迷彩服
とフルフェイスタイプのゴーグルに身を包んだ教師共が見えた。し
かも腰には手にしている電動ガンとは別の、長い筒状になったプラ
メガホン
スチック銃まで装備している。あいつらどんだけ気合入ってんだよ
! 普通ここまでやるか!?
無線連絡を終えた教師が今度は拡張機を取り出した。そして隠れ
くすのせ
なんば
さくま
ている俺らに向けて降伏勧告を吐き捨てる。
はらだ
︻
ゾンビ
Taem・腐乱死体
チーム
︼
に告ぐっ!! ﹁原田っ!! 楠瀬っ!! 難波っ!! 佐久間っ!! 聞こえる
かぁ!? お前ら
﹄
そこは行き止まりだっ!! お前らはすでに包囲されているっ!!
撃たれたくなければ速やかに投降せよっ!!
この勧告を聞いたシンが呆れたような顔で俺に近寄ってきた。
チーム・ゾンビ
︼
は
﹁⋮⋮なぁ柊兵くん。部隊のコード名は閣下にお任せするとはさっ
き言ったよ? 確かに言ったけどさ、︻
いくらなんでもヒドすぎないか? お前のネーミングセンスを本気
で疑うよ﹂
﹁だっ誰がそんなコード名にするかよ!!﹂
﹁違うのか? じゃあなんて名前にしたんだよ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁お? もしかして大っぴらに言えないようなヤバいコード名にし
たわけ?﹂
俺が答えないので更に深く追求が来る。
もちろん口にする事すら憚られるような非常識なコード名にはし
ていないが、こう改まって聞かれると何となく言い出しづらい。
﹁別になんだっていいだろ﹂
435
﹁いいわけないじゃん。俺ら部隊の看板みたいなもんだぜ? もっ
たいつけないで早く言えって﹂
気付けばシンだけではなく、全員が俺の顔を見ている。しかもヒ
デにかつがれた白十利まで興味津々の目で見ていやがる。
﹁まさかの18禁ワード入りですか閣下? いくら今がサバイバル
とはいえ、それは冒険し過ぎじゃね?﹂
﹁んな訳ねーだろ! 大体そんなモンをコード名に入れてOKされ
るわけないだろうが!﹂
﹁んーそれもそうだな。じゃあなんてつけたんだよ﹂
もうここは素直に言うしかなさそうだ。
フェニックス
﹁⋮⋮チ、チーム・不死鳥﹂
仲間たちから目線を逸らし、一応は真剣に考えたコード名を口を
尖らせて渋々答えると、教師共には聞こえないぐらいの大きさでシ
ンが軽く口笛を吹いた。
﹁なんだ全然カッコいいじゃん! でもなんで俺らの部隊名がチー
あいつら
ム・ゾンビになってるんだろうな?﹂
﹁へへっ俺らは教師の受けが悪いからな! きっと奴ら専用の呼び
名なんじゃね? ものすげぇ悪意を感じるじゃんか!﹂
会話に割り込んできてアホなりに推論をかざした将矢にシンが失
笑する。
436
﹁そこは嬉しそうに言うところじゃないだろ将矢。でもマジな話、
俺らってそんなに先生たちから嫌われてんの?﹂
﹁嫌われてんじゃね? 俺、この間呼び出し喰らったけどすっぽか
してやったしな!﹂
﹁何やってんだよお前。でもいくら俺らが気に入らないからって、
フェニックスからゾンビなんてどんだけグレード堕とされてんだっ
ての。あんまりだと思わねぇ?﹂
そのぼやきに﹁でもさシン、どっちも何度でも甦る物体だよ?﹂
とフォローを入れたのは尚人だ。
尚人のフォローがツボに入ったヒデが﹁ハハッ上手いこと言うな﹂
と真っ先に笑い、﹁おー確かに! 尚人くん鋭いっ!﹂とシンもウ
ケている。
⋮⋮やれやれ。
敵襲を食らって進退窮まっている中でここは本来なら緊迫する場
面なんだろうが、どうしても場がキリッと引き締まらねぇのは俺ら
の特徴なんだろうな。
そこで士気を取り戻すために﹁おい、この先どうする?﹂と意見
を求めてみると、シンが足元に散らばっているBB弾の一つを目の
高さにまでつまみ上げ、元いた位置を親指で差した。
﹁そんじゃ一か八か、全員で一気に特攻してみるか? ここは男ら
しくいざ正面突破ってことで﹂
確かにこうして地理的に追い詰められた以上、打開策としてはシ
ンの提案する強行突破の案しか残されていないとは思うが、何せこ
っちは足手まといのウラナリや、未だ梱包状態で動けない白十利が
いる。
行動選択を誤れば即座に返り討ちに遭う可能性の方が遥かに高い。
437
トイガン
﹁待てシン。まだ美月を見つけていないんだ。闇雲に突撃するのは
危険すぎるぞ﹂
やはりヒデも俺と同じ考えか。
俺らに与えられた武器は弾丸の先が吸盤になっているこの玩具銃
しかなく、かといって教師共に拳で直接攻撃を行えばその場で部隊
全員が戦線離脱という非情ルールだ。
まだ美月を救出していないのにここで終っちまうわけにはいかな
い。それに怜亜との約束を破っちまうことにもなる。
全員での強行突破はあまりにもリスクが大きいのなら、それ以外
の作戦を考えなければならないということか⋮⋮。
﹁じゃあよ、俺が飛び出してあいつらの気を引くからその隙にお前
ら逃げろよ﹂
事も無げにそう言い出したのは意外な事に将矢だった。こいつに
こんな犠牲精神があったとは。だが将矢の特攻志願があまりにも軽
いノリだったので尚人は心配気だ。
﹁でも大丈夫、将矢? 一人じゃ危なくない?﹂
﹁心配すんな尚人! この難波将矢様に任せとけって! この辺一
帯を走り回ってあいつらをかく乱してやるからよ!﹂
予想だにしない展開とはなったが、勇ましくガッツポーズを見せ
る将矢に部隊の士気が一気に上がった。感動したシンがこのアホな
命知らずの背中を力強く叩く。
438
や
﹁将矢、お前男だぜ! 殺られても俺はお前の事を一生忘れないか
らな!﹂
﹁よし頼んだぞ将矢。お前の骨は後で拾っておいてやるから安心し
て心置きなく散ってこい﹂
﹁フフフ、今回は難波くんにヒーローの座を譲りますよ。この森で
見事な死に花を咲かせてください。期待していますよ﹂
哀れにも既に隊内で亡き者扱いにされかかっている将矢が、﹁お
前ら俺を勝手に殺すんじゃねぇ!﹂と怒りを爆発させている。
だが万一あのBB弾に被弾したとしても、将矢のタフさは尋常じ
ゃねぇから恐らく大したダメージにはならないだろう。ここはこの
俊足なアホに場をかき回してもらうことにするか。
﹁よっしゃ! じゃあ行ってくるぜ!﹂
﹁あっ、でもちょっと待って!﹂
飛び出して行こうとする将矢をまたしても尚人が押し留める。
﹁何だよ尚人?﹂
﹁僕、納得いかないんだ。なんで先生達はここに突入してこないん
だろう? だってここが行き止まりなことも分かっていて、しかも
僕らの位置は完全に特定しているのにおかしいと思わない? あっ
ちには強力な武器もあるし、難なく制圧できるチャンスなのに、さ
っきから投降しろとしか言ってこないなんてヘンだよ﹂
尤もな尚人の意見に、俺ら全員﹁確かに﹂と一様に頷く。
﹁さっき無線で応援を呼んでいたのが気になるんだ。きっとその人
物が到着するまで僕らがここから逃げ出さないよう、今は牽制をし
ているだけに留めているんじゃないかな﹂
439
尚人は深く考え込むような表情でそう結論付けた。
そして厄介な事にその予想は数分後に見事に当たることとなる。
440
なんでここで去勢されなきゃならねぇんだ
ゾンビ
ちゃんはどこかしらぁ∼?﹂
﹁はぁい皆さぁんっ! お・待・た・せぇ∼っ!! 我ら最大の敵、
チーム
Team・腐乱死体
⋮⋮この声は!!
保だ!!
聞き慣れた気色悪いオカマ声に俺ら全員で顔を見合わす。
︱︱ 俺らの担任、毛田
幹からわずかに顔を出して敵情を伺ってみると、他の教師共と同
じ迷彩服をまとい、フルフェイスのメットをつけた毛田らしき男が
見えた。
﹁おぉブラックコンドル! お待ちしておりました! ゾンビ共は
あの茂みの奥に潜んでいます!﹂
﹁OK。皆さん、例の弾のストックはある? もし使い切っている
方は追加を持ってきたからお分けするわ。でもこれでトドメを刺し
ちゃう前に彼らには私たちの今までの鬱憤を存分にぶつけさせても
らいましょっ!!﹂
﹁了解ですっブラックコンドル!! あの憎きゾンビ共に我らの怒
りの制裁を︱︱ッ!!﹂
︱︱ メット越しのくぐもった声でもはっきりと分かる。あいつ
441
ら凄い気迫だ⋮⋮。
﹁では皆さん、用意はいい? 今までの積もり積もった怨念、ここ
で一気に晴らして差し上げちゃいましょう!﹂
﹁ラジャァアアア││││ッッ!!﹂
毛田の指示で、先ほどよりも更に多くのBB弾が俺らの潜伏場所
に一斉に撃ちこまれ始めた。
木々に当たって跳ね返った何発かが身体に当たったが思いのほか
そこそこ効く。跳弾だからいいようなものの、モロに直撃を食らっ
たら一瞬動きが止まるかもしれん。
﹁おいっっ!! 難波ぁあああぁぁ︱︱ッ!!﹂
身を潜めている茂みに攻撃を喰らいだして十数秒後、突如銃撃が
止み、なぜか将矢の名前が声高にコールされる。いきなり自分の名
を叫ばれた将矢が﹁お、俺っ!?﹂と慌てたように声を上げた。
﹁おうよっっ!! テメェ今回の学力テストっ、性懲りもなくまた
白紙で出しやがったなあぁっ!? フザけんなよゴルァアアアァ!
! あれほどまずは何か文字を書けと言っていたのにどういうわけ
だぁああっ!! あんまチョーシに乗ってんとなぁっ、親呼ぶぞ親
ぁああぁ!!﹂
そんな罵倒を浴びた将矢は身を隠していた幹からヒョイと大胆に
も顔を出し、全く反省していない様子で怒鳴り返す。
﹁だって仕方ねーじゃん!! 全然分かんなかったんだからよーっ
442
!!﹂
﹁黙れ黙れ黙れぇぇえええええーっ!! 分からないなら分からな
いなりになぁああぁ!! 解こうとする努力の跡を見せやがれって
んだぁぁあああ!! それを悪びれもせずまっさらで提出してくる
なんざぁっ、俺ら教師様に対する宣戦布告なんだよっ!! オラオ
ラオラァアアア!! さっさとくたばれやぁぁあああああああっ!
!﹂
強烈なモーター音が再びこの空域を切り裂く。
またしても激しい銃弾の雨粒が俺らの方角に目掛けて横殴りに降
り出した。
﹁うぉっ!? 危ねー!!﹂
将矢はすぐに首を引っ込めて無事だったが、未だこのサバイバル
バトルに適応し切れていないウラナリは、﹁ひぃぃぃぃーっ!! おっおっお助けをををー!!﹂と言いながら地面をイモ虫のように
這い回っている。
﹁おいっ佐久間ぁああああぁっ!!﹂
また一時的に絨毯爆撃が止み、別の教師が叫ぶ。次のターゲット
はヒデのようだ。
どうやら教師共の攻撃は、銃弾の嵐と一緒に恨み言まで漏れなく
付いてくるらしい。どんな負のお得セットなんだ。
﹁⋮⋮何だ?﹂
443
“
校内一渋い男
幹の影から冷静な声でヒデが答える。
﹁テメェ生徒たちの間で
だってな!? ﹂
﹁それがどうかしたか?﹂
”
とか言われてん
﹁普段余計な口をきかねぇっつーだけで渋いだなんて言われて喜ん
でんじゃねぇぞ!? 男の渋みってのはなぁ!! お前みたいなガ
キに醸し出せるほど容易いもんじゃねぇんだよ!! 人生の年輪を
深く刻んだ者にしか出せねぇもんなんだよ!!﹂
そう罵倒されたヒデは、先ほどの将矢のように隠れていた幹から
半身を出し、﹁悪いがただの妬みにしか聞こえんのだが﹂と突っ込
んでいる。
﹁ふやぁあああ││ん!!﹂
ヒデが身を乗り出したため自分にも弾が当たるのを恐れた白十利
が盛大に暴れだした。
﹁ふやん!! ふやん!! むふぅううん!! あふううん!!﹂
⋮⋮どうでもいいことだが、ヒデの奴がそうやってずっと俵担ぎ
してやがるから、抱え上げられた白十利の丸い尻がどうしたって視
界の中に入ってきちまうのはどうすりゃいいんだ?
また白十利も白十利でおとなしく担がれていればいいものを、ヒ
デの肩の上でモガモガとしょっちゅう身をよじるからその度に尻の
動きが妖しげなエロスを存分に見せつけやがる。
﹁ねぇヒデ、花ちゃん苦しそうだよ。せめてここだけは取ってやっ
444
たら?﹂
尚人が自分の口元を人差し指で示し、白十利の口に貼られている
テープ外す仕草をした。そう促されてやっとヒデもその事実に気付
いたようだ。
﹁あぁそうか。縄は解けなくてもこっちは取ってやれるな﹂
ヒデは担いでいた白十利を地面に一旦置くと、後ろに回って口に
貼られていたテープを取ってやった。
﹁よし取れたぞ﹂
トランジスタ
すると小型高性能はまずぷはぁと大きく息を吸い、次に俺らに向
かって鬱憤をぶちまけ始めた。
﹁ふええええぇぇ∼ん! なんで花がこんな目に遭わなきゃいけな
いのですかぁぁああぁ∼っ!?﹂
感謝されるならいざしらず、まさか文句を言われるとは。
俺以外のメンバーも同じ思いを抱いたようで、全員で逆ギレして
いる白十利を唖然と見る。
ケージ
﹁さっきなんてもっとヒドかったんですぅ! 皆さん達の前に花の
グループの男の子たちが来て、檻の外から散々じろじろと花を眺め
て、わーおっぱいがおっきいーとか、ぷるぷる揺れてるぜーとか、
股間まで食い込んでるぞーとか、すっごくいやらしーことをいっぱ
い言って、落ちていた小枝で檻の隙間から花のカラダをいいだけツ
ンツンつつきまくって、最後は結局花を置いてそのまま先に行っち
445
ゃったんですぅぅ∼∼!﹂
相当に悔しく、そして恥ずかしかったのか、白十利が盛大にグス
ンと鼻をすすり上げた。
﹁おい、俺らの前に来たのはお前の部隊の男だったんだろ? なん
でお前を助けないで置いていったんだよ?﹂
﹁あ∼!! よくぞ聞いてくれました原田くんっ!!﹂
俺が聞いたその疑念に、白十利はますますその顔を怒りで紅潮さ
せる。
﹁花を助けたって足手まといになるから置いて行こーぜ、って言っ
てました! このまま檻に入れておけばメダルも取られないしちょ
うどいいって! ヒドすぎると思いませんか原田くん!?﹂
﹁そんな事を俺に言ったってしゃぁねぇだろ。で、お前を置き去り
にして行った奴は誰だよ﹂
﹁えっとですね、まず部隊長さんはぁ⋮﹂
白十利は同じ部隊の男の名前を次々に答えた。同じクラスではな
いが、どれも名前や顔は知っている面子だ。
﹁まぁお前の言う事ももっともだな。もしそいつらを見つけたらブ
ッ飛ばしておくから騒ぐなって﹂
﹁ほんとうですかぁ!?﹂
﹁あぁ﹂
﹁わぁっ、花うれしい!! 約束ですよ!?﹂
﹁おわっ!?﹂
自分を見捨てた男共に天誅を加えてもらえると知って喜んだ白十
446
利が、興奮して俺にドンと体当たりをかましてきた。
おかげでキツく縛られているせいで異様なくらいにまで前方に飛
び出しているこいつのデカい胸がぼよんと俺に当たり、
﹁あああああぁぁ︱︱っっ!! ズルいぞ柊兵!! 花ちゃぁぁー
ん!! 俺もそいつらぶん殴ってやるから、次は俺の胸に来てくれ
えええ!!﹂
と叫んだのはもちろんアホ将矢だ。
しかし自分で言い出したこととはいえ、子泣き爺ウラナリの運搬
慎壱はいるかぁぁああああぁぁー
作業に続き、今度は白十利のセクハラ敵討ちかよ⋮⋮。厄介事がど
んどんと増えていきやがる。
﹁楠瀬ぇええ︱︱っ!! 楠瀬
っ!?﹂
こちらの騒動が一旦終息したのを見計らったかのように、教師共
の罵倒コールが再び始まった。
シンが﹁へっ、俺もあるの!?﹂と驚いた表情を見せる。
⋮⋮おいシン、俺も人のことは言えんが、普段のお前の生活態度
なら当然何か叱責があってしかるべきだろうが。
銀杏高
のことですか∼!?﹂
“
﹁楠瀬ーっ!! 貴っ様ぁーっ! お前女子生徒たちにくだらねぇ
アンケート取って遊んでんじゃねぇよ!!﹂
”
﹁アンケート⋮⋮? あぁ! それってもしかして、
で絶対結婚できそうにない先生ベスト5
﹁おうよ!! なんなんだあのリサーチはよ!?﹂
﹁いや∼あの時あんま退屈だったもんで、ちょっとした暇つぶしに
447
やってみたんですよ! 女の子たちもみんな面白がって回答に協力
なんて書かれていた俺のこの切
二次元の女を
してくれましたし! そういえば確か先生が一位でしたよね? お
めでとうございますキング!!﹂
﹁めでたくねぇ︱︱︱︱っ!!!!﹂
憤激のBB弾がまたこちらに撃ち込まれる。
”
﹁しかも理由まで詳細に聞き取りやがって!! “
脳内で勝手に嫁にしていそう
ない気持ちがお前に分かるか楠瀬!?﹂
﹁あースンマセン! 俺、二次元に全然興味ないんで分かんないで
す!﹂
﹁俺だってないわぁああああ!! てめぇら人を見かけで判断すん
じゃねぇ!! 俺の心に一生消えないトラウマを植え付けやがって
ぇぇぇええええ︱︱︱︱っっ!!﹂
その絶叫時の後、今のとは別の教師の怒声が森林に響き渡る。
﹁俺にも言わせてくれぇええっ!! 原田ぁあああああぁぁ︱︱っ
!! 返事をしろおおお︱︱っ!!﹂
︱︱ 来た。
いよいよ俺の番か。何を言われる?
返事した方がいいんじゃね、とシンに言われたので﹁おう﹂とだ
け呼応する。
﹁いやがったな原田ぁああああ!! テメェ新入りの時に乱闘騒ぎ
を起こして俺らの手を焼かせたかと思えば、今は校内の女子を次々
448
にたぶらかしてるそうじゃねぇかっ!! 俺は職員室から毎朝見て
んだよ!! 毎日下級生の女子を校門に待機させてウハウハと登校
しやがって!! いつからお前はそんな軟派キャラになったんだぁ
ああああ!! 銀杏高はなぁっ、テメェのハーレムワールドじゃね
ぇんだよ!! 今後うちの女子生徒が二度とお前のその毒牙にかか
らんよう、今ここでテメェの腐れ〇〇〇を俺が完膚なきまでに蜂の
巣にしてくれるわ!!﹂
││ まっ待て待て待て待てっ!!
なんだその訳の分かんねぇデマ話は!?
しかもなんでこの場で去勢されなきゃならねぇんだ!? ﹁おおっとー! これは大変ですよ柊兵閣下! ここで一発気合を
入れないと、腐敗しかけているとアチラで噂が立っている閣下のそ
の大切なイチモツが今後二度と使い物にならなくなってしまいそう
ですよ!? 使用不可ですよ使用不可!! どうかお気をつけ下さ
いっ!﹂
とシンが俺の肩を叩いた。
何言ってやがる! 一見心配しているようだが、この中でお前が
一番ウケてんじゃねぇか! 449
謎がまた一つ解けたということか
あいつら
﹁チェッ、教師共どんだけ俺らの事恨んでんだよ!?﹂
止むことのない罵倒の連撃に、イラつきが最高潮になった将矢が
忌々しげに吐き捨てる。
﹁なぁなぁ、でもよ、尚人への恨み言はまだ無くね?﹂
⋮⋮言われてみりゃあ確かにそうだな。
今のところこの面子で名指しコールされていないのは尚人とウラ
ナリだけだ。
すると将矢のその疑問に対し、性格だけではなく腰も軽いことで
有名な男が、﹁じゃその辺りをちょいと確かめてみますか!﹂と即
座に行動を開始する。
﹁せんせー! うちの尚人くんに何か仰りたいことは無いんですか
ぁ∼!?﹂
教師共のいる方角に向かってシンが声を張り上げると、即行で返
事は戻ってきた。
﹁おおそうだ!! おい真田ぁーっ!! 聞こえてるかーっ!? いたら返事をしろーっ!!﹂
﹁ハイ! ここにいます!﹂
茂みに身を隠した尚人が快活に呼応する。
450
﹁おぉっ、やはりいたか真田っ! いい加減に目を覚ませっ!! お前がその極悪集団にいるのは間違っているっ!! お前はそんな
ただれた所にいるべき人間ではないはずだ!! 今ならまだ間に合
う!! 腐ったミカンになる前にこっちに戻って来い!! 俺らは
お前なら受け入れる!!﹂
それまでの俺らへの対応とは雲泥の差だ。
この歴然とした温度差に不満を持ったシンが、﹁なんだよそれ、
すっげー露骨なエコヒイキじゃんか。仮にも聖職者とあろうものが
いいのかね、あれで﹂と口を尖らす。
﹁おい、尚人、何なら俺らを置いてあっちに行ってもいいんだぞ?
自分の身の安全を優先しろ﹂
ヒデが尚人の身を案じたが、尚人は笑顔で首を横に振った。
﹁何言ってるのさ。僕は皆が気に入ってるんだ。だから行かないよ。
先生たちになんと言われようともね﹂
﹁くぅ∼泣かせてくれますねぇ! さすが我が友!﹂
脱退の意思の無い事をあっさりと告げた尚人に、この中では一番
付き合いの長いシンが目頭を押さえる真似をする。そこへまた教師
共のコールだ。
なんぶぁ
﹁それと難波ああああぁーっ!!﹂
﹁いぃっ!? また俺かよっ!?﹂
451
驚いた将矢が目を剥くと、シンはニヤつく表情を隠すことなく煽
り目的の盛大な拍手をする。
将矢さま! ここは一つ張り切って参りましょ
﹁我が隊きっての色魔戦士に本日二度目のご指名入りましたぁー!
! さぁさぁ難波
う!!﹂
﹁からかうんじゃねーよシン! 他人事だと思いやがって!﹂
﹁何言ってんだよ、このメンバーなら罵倒ランキングの一位はどう
見てもお前の頭上に輝く以外にないじゃん!﹂
﹁何で俺なんだよ!? お前の方が色々やってそうじゃんか!!﹂
﹁ノンノン将矢くん、人をイメージだけで決め付けてはいけません
よ∼? それに俺、影で悪い事してそうで実は意外と品行方正なん
だよね!﹂
茶目っ気たっぷりに片目をつぶるシンに、﹁でもさ、そういう事
を自分で言っちゃう人って信用性に欠けるよね﹂と尚人の的確な突
っ込みが鮮やかに決まる。よく言った尚人。
﹁おいっ!! 聞いてんのかぁ難波ぁあああああぁぁ!!﹂
いつまで経っても将矢が返事をしないので敵陣から再コールが入
る。
﹁あーはいはい、聞いてるっス! で、今度は何スかぁー?﹂
﹁いいかよく聞けぃ!! 俺はお前ん家の蕎麦をちょくちょく食い
に行ってる常連様だがなぁ! お前の店はどうして一味唐辛子を置
かないんだあああーっ!! 俺は七味より一味が好きなんだっ!!
452
一味を置け、一味を!! いいか!! 帰ったら親父さんに一味
を置くように言っておけよ!! 分かったな!?﹂ ﹁あぁん!?﹂
訳のわからんクレームをぶつけられ、肩透かしを食らった将矢が
﹁んなこと知るかよっ! 直接親父に言えよ!﹂と叫び返すと、そ
れに負けじとまた別の教師がさらにデカい声で叫ぶ。
﹁それとお前のところはなんで女の店員を雇わないんだ!! 注文
聞きは女にしろ!! できれば可愛い店員が希望だ!! 年は18
から25の範囲厳守で頼む!!﹂
﹁ふざけんな! それも知るかよ!! だから親父に言えっつーの
!!﹂
﹁それとあとは営業時間よ!!﹂
将矢の実家の蕎麦屋改善計画
︼
に参戦してくる。
ここでついに真打ちが登場だ。ブラックコンドル・毛田もこの
︻
﹁お宅ね、夜八時にお店を閉めるなんて早すぎなのよ!! 先生た
松喜庵
しょうきあん
﹄はこ
ちはね、夜遅∼くまで学校で一生懸命お仕事をしているの! だか
そば処
らせめて夜九時までお店を開けてちょうだい!!﹂
⋮⋮どうでもいいが、将矢の実家、﹃
いつら教師共の溜まり場になっているみたいだな。
﹁だっだからよ! それはもう俺に対する文句じゃねぇだろうが!
! うちの親父に直接言えってんだよ!!﹂
全力で怒鳴り返したため、肩で息をしている将矢。そこへシンが
全てを悟ったような顔で、上下に揺れるその肩を叩いた。
453
﹁なぁ将矢﹂
﹁あ?﹂
﹁いつかお前があのソバ屋を継いだらさ、まずは一味を置いて、そ
んで若くて可愛いい女の子を雇って、そんで夜は九時までしっかり
営業してやれよ。それが銀杏の先生たちに迷惑をかけまくっている
お前の裁量で出来る、精一杯の恩返しになるんじゃないか?﹂
﹁じょっ、冗談じゃねぇ! なんで俺があいつらの要望を丸ごと叶
えてやらなきゃいけねぇんだ!﹂
溜まりまくっていた鬱憤を言ってスッキリした教師共から、ここ
でついに俺らに向けて最終の降伏勧告が告げられた。
﹁よぉおおおしっ! お前らだけにこれ以上時間をかけてられんっ
! 今回は特別にこの辺で勘弁しておいてやる!! いいかっ、耳
の穴かっぽじって良く聞け! あと10秒だけ待つ! 10秒以内
におとなしく投降しろっ! 投降しない場合は お前ら全員をこの
場で一気に殲滅する!!﹂
この宣告後、教師共は全員で声を揃えて﹁い∼ちぃ∼∼! にぃ
ぃぃ∼!﹂と殲滅へのカウントダウンを始めやがった。
そしてきっちり10秒後、殲滅の狼煙が上がったが、それはBB
弾では無かった。
風船を割ったような発射音の後、風を切るかすかな音がして何か
が飛来する。そして俺と尚人の隠れていた大木に当たった。
﹁⋮⋮やっぱり﹂
バシャリと音がし、弾が当たった部分を見上げた尚人が呟いた。
454
﹁これでまた一つ分かったよ。どうして学校側がジャージをこのタ
イプ?で指定してきたかってこと﹂
同じく幹を見上げてその痕跡を見た俺も、尚人の言いたいことが
理解できたので﹁あぁ俺も分かった﹂と相槌を打つ。
︱︱ 銀杏指定のジャージはタイプ?は白、タイプ?は黒がベー
ス色になっている。
この﹁白地﹂というのが教師共にとっては重要だったわ
けか⋮⋮。
教師共が腰につけている、俺たちに持たせているのと似たような
プラスチック銃。あの銃を使って撃ち込まれたのはペイント弾だっ
た。
その弾が割れ、中から飛び出してきた毒々しい蛍光ピンクの塗料
が樹にベッタリとついている。
このペイント弾が俺ら生徒に被弾したら教師共にすぐに分かるよ
う、白ベースのジャージ、このタイプ?の着用を義務付けてきたっ
てことだ。そしてこれが身体に当たればヒット、問答無用でそいつ
は脱落ってわけか。
﹁柊兵、ジャージに付かなかった?﹂
﹁あぁ大丈夫だ﹂
幸い、今の攻撃は俺にも尚人にも当たらなかった。
コマンダー
﹁柊兵、もう僕を庇わなくていいよ。柊兵は部隊長だからここでリ
タイアになるわけにはいかないからね。これからは自分の身を守る
ことだけを考えてよ。今まで守ってくれてありがとう﹂
455
と尚人がしおらしい顔で急に殊勝な事を言い出しやがるから、俺
のすぐ横にいた足手まといな荷物に余計な火がついたようだ。ウラ
ナリは這いつくばっていた状態から急にガバッと起き上がると目を
ランランと光らせ始めた。
﹁ささささっ真田くんっ! じゃあこれからは僕が君の盾となるっ
! それが僕を信じてくれた君への恩返しっ、引いてはヒーローに
なる道でもあるのだからあああぁぁーっ!!﹂
⋮⋮ウザい。なんてウザいんだ。しかも目つきが半分イッてねぇ
か? 大丈夫かよこいつ。
だがシラける俺らとは違い、尚人はいつもの微笑を浮かべて﹁あ
りがとう本多﹂と礼を言っている。それによってますますウラナリ
のヒートが上がっちまった。
ベール
﹁真田くん!! 僕が君を守る弾除けとなる!! さぁ僕の後ろを
ついてきてくれたまえ!!﹂
﹁おっおいウラナリ!?﹂
﹁ふわぁぁあああああああ││っ!! 僕はヒーローになるぅうう
ううううう︱︱︱︱っっ!!!!﹂
││ あのバカ、勝手に飛び出しやがった!!
﹁ネズミがとうとう出てきやがったぞおおおっ!!﹂
﹁撃て撃て撃て撃てぇえええええええぇぇーッ!! 殲滅しろぉお
おお!!!!﹂
﹁オホホホホ! さぁ潔くよくこのまま昇天しちゃいなさぁあああ
456
ああーいっ!!﹂
しゅくせい
とどろ
粛清の弾丸音がウラナリに向かって容赦なく轟きだす。ウラナリ
のこの自爆行動に呆気に取られた俺たちだったが、尚人が
﹁皆! チャンスだよ! 僕らも脱出しよう!﹂
と叫んだので全員茂みから飛び出すと一斉に散り散りになって逃
走を開始した。
しかしなぜか尚人はウラナリと共にではなく、俺に付いてきてい
る。
﹁おい尚人、なんでお前こっちに来てんだよ? ウラナリが後ろに
つけって言ってたろ﹂
﹁だってあのまま本多にくっついて行ったら僕もやられちゃうよ。
完全に的を絞られちゃってるもん﹂
﹁⋮⋮まぁな﹂
ウラナリには悪いが、尚人の判断は生き残るためには賢明な判断
だ。教師共の人数からいってもあいつ一人じゃ弾除けの役目は果た
しきれん。
﹁シン達もうまく逃げたみたいだね。ほら、僕らのヒーローのあの
働きに感謝しないと﹂
走りながら背後を振り返ると、BB弾を撃ち終わった教師共から
ありったけのカラーボールをぶつけられ、蛍光ピンク一色で染めら
れたボーリングの特大ピンへと変わり果てたウラナリの勇姿がかす
かに見えた。
これでウラナリは戦線離脱か⋮⋮。
457
︼を
﹁柊兵、本多のためにも早く美月ちゃんを助け出してメダルを全部
手に入れてグレードSの褒章をゲットしないとね﹂
あずか
海鮮御前&室内露天風呂付きの豪華客室一泊権
並走する尚人に﹁あぁ﹂と頷く。
俺らが︻
男なら頂上を獲る
てっぺん
”、という漠然とした理由だけではなく、
手に入れれば、今回犠牲となったウラナリもその恩恵に与れる。
“
あいつのためにもガチで勝ちをもぎ取りにいかなければならなくな
ったようだ。
458
打ち捨てるのか、引き回すのか、それが問題だな
フェニックス
Team・不死鳥から選別された哀れな礎、ウラナリ・本多。
奴は、BB弾とペイント弾の爆撃によって壮絶に散った。
淡紅色まみれの生贄となったあいつの犠牲を無駄にしないために
も、まずはこの危険地帯から速やかに脱出をすることが先決だ。
﹁柊兵! 尚人! こっちだ!﹂
別方向に退避していたシンが俺たちを見つけ、声を張り上げる。
背後から追っ手の気配はない。犠牲者は出ちまったが毛田たちの
攻撃範囲内から何とか逃げ切れたようだ。周囲を警戒しつつ集まり、
今後の行動について残ったメンバーで再検討に入る。
﹁まず僕らが一番に決めないといけない項目はさ、花ちゃんの処遇
だよね。そろそろお別れの時だと思うんだ﹂
誰よりも真っ先に尚人がそう発言した途端、白十利は麻縄で厳重
に縛り上げられたその豊満な身体をビクリと震わせる。一気に青ざ
めたその表情を見ると、恐らく体内に嫌な予感が走ったのだろう。
﹁まままま待って下さぁいっ!! まさか花をここに置いていくわ
けじゃないですよね!?﹂
﹁できれば助けてあげたいんだよ? でも本多のためにも僕らはど
うしても勝たなきゃならないんだ。だから悪いけどここに一人で残
459
ユニット
ってさ、通りがかった他の部隊に拾ってもらってよ﹂
﹁ひっひどいです∼∼っ!! こんな状態の花をここに置き去りに
していくなんて!!﹂
たった今、バッドエンド決定のフラグが自分の頭上にグサリと突
き刺さった白十利は、ピーピーと騒々しく喚き出した。そりゃそう
だろうな。
ケージ
﹁これならあの檻に閉じ込められていた方が全然マシでした!! 檻の中ならジロジロいやらしー目で見られたり、小枝でツンツンさ
れるだけだったもんっ! こんな身体の自由が利かない状態でここ
に取り残されたら花はきっと弄ばれますぅ!! 飢えた男の子たち
に捕まってこのカラダの隅々までジューリンされちゃいますよぉー
!!﹂
﹁それ、多分大丈夫だと思うよ? だってその縄、僕ら四人がかり
でも解けなかったんだから﹂
ユニット
プリズナー
﹁何ですかっヒトゴトだと思ってえええ∼∼!!﹂
﹁うん、他人事だよ? 僕らは早く自分の部隊の捕虜を探して一番
にゴールしなきゃならないんだ。だからおとなしくここに残ってね
っ﹂
││ おい、ここで出んのかよ。必殺の尚人スマイルが。
しらとり
しかし状況が状況なだけに、この場が和むことも、微笑みかけら
れた巨乳女子がその笑顔に陥落することも無さそうだ。
﹁ひどいですひどいですーっ! 真田くんは爽やかで優しい人だと
思っていたのに鬼ですっ!! 冷酷ですっ!! 悪魔降臨ですぅ!
!﹂
白十利は湧き上がる怒りをその場で飛び跳ねることで表し始めた。
460
必然的にまたその巨峰が盛大に揺れ動く事となる。
﹁おやおや∼? どうなされましたか閣下?﹂
突然シンが俺の顔を覗きこんできやがった。
﹁ご尊顔がいたく赤面しておられますよ? ちなみに閣下は花ちゃ
んの身体のどの部分に反応なされたのですか? できましたら俺に
だけこっそりと﹂
﹁うっうるせぇ!! 黙ってろ!!﹂
デカ乳
シンの野郎っ、分かっているくせにわざと聞きやがって!
二つの肉塊だ、なんて言えるか!!
﹁ふええぇ∼∼ん! こんな所に置き去りにされるなんてイヤです
ううぅ∼!! お願いですから花も一緒に連れて行って下さああぁ
∼い!﹂
⋮⋮嘘泣きまで始まったか。こいつも必死だな。
何とかしてやりたいが、この緊縛女をこのまま連れ回すには無理
があるしな⋮⋮、どうしたもんか。
﹁待てよ。白十利の言う事ももっともだぞ? 確かに足手まといに
はなるがこいつをこんな所に一人残していくわけにはいかないだろ
う﹂
﹁わぁ!! 佐久間くんは優しいですぅ!﹂
孤軍奮闘中の白十利にここでようやくフォローが入る。
ヒデが垂らしたこの蜘蛛の糸に目を輝かせて飛びついた白十利は、
その後蔑んだ視線を尚人に叩きつけた。
461
﹁花は迂闊でした!! このグループの人たちはみんな素行が悪い
人たちばっかりで、真田くんだけが違うと思っていたけど、真実は
全然違ったんですね!! 本当の悪人は真田くんだったなんてビッ
クリです!!﹂
﹁おい尚人、いいのか? かなりの言われようだが﹂
一応確認しておくぞ、という様子でヒデが尚人に反論する機会を
振ってやる。
しかし当の本人は、﹁いいんだよヒデ。花ちゃんは小さすぎで全
然僕の好みじゃないしどう思われたって構わないさ﹂と一刀両断だ。
﹁ひどいですぅ真田くん!!﹂
“
魅惑の小
ト
﹁ごめんごめん、ちょっと言いすぎちゃったかな。あ、そうそう花
”、って言われてるの知ってる?﹂
ちゃん、話は変わるんだけどね、君は僕ら男子から
ランジスタ
型高性能
﹁え!? あっ、そ、それはぁ、えーとぉ⋮⋮うふふっ﹂
怒りモードを一旦停止し、嬉しそうな表情で急にもじもじとし始
める白十利。
⋮⋮こいつ、完全に自分の仇名を知ってやがるな。
しかし、すかさず尚人が爽やかスマイルを浮かべたままでその喜
びに真水をぶっかけるようなことを言う。
﹁花ちゃん、喜んでいるところ悪いけど、それ、あまり真に受けな
い方がいいと思うよ? 巨乳な女の子が好きだっていう男の割合っ
て、実はそんなに高くないんだよね。それに胸の大きさと頭の良さ
って反比例するっていう迷信もあるし。あ、でも確か花ちゃんもあ
まり成績よくないよね? この間のテストもクラス内で下から数え
た方が断然早いというか、結局最下位じゃなかったっけ?﹂
462
﹁成績のことは言わないで下さいぃぃぃぃ∼∼!!﹂
一番突っ込まれたくないウィークポイントだったのか、白十利が
絶叫する。
﹁あははっ、せっかくだからもう一つ言わせてもらおうかな? 僕
から見た花ちゃんってさ、すごく小柄すぎて、胸の大きい小学生に
しか見えないんだよね。それだけ胸が育つよりさ、その分を身長に
割り当てられたら良かったのにね。残念だけど君の年齢的に考えて
もこの先大した成長も見込め無さそうだし、ちっちゃな花ちゃんは
これからずっと極一部のマニアックな男にしか好かれない、とても
偏った人生を送る事になるんだろうね。ご愁傷様です!﹂
﹁うううう∼∼∼真田くんなんて大嫌いですうううぅ!!﹂
しかしそう言われても尚人の表情が曇る事は一切無い。それどこ
ろか相変わらずの清清しさで悠然と微笑みを返してやがる。むしろ、
﹁嫌ってくれてどうもありがとう﹂と今にも言い出しかねない表情
だ。
﹁花ちゃんに嫌われてもダメージゼロだから全然構わないよ。それ
にそうやって涙ぐんでもムダだよ? 世の中のすべての男が女の子
の涙に弱いとは思わないことだね。少なくともこの僕には一切効か
ないと思ってほしいな。分かったらそろそろここに残る覚悟を決め
てよ。ね、チビ花ちゃん?﹂
﹁ううう、ひどい、ひどすぎですよううぅ⋮⋮!﹂
⋮⋮何やってんだこいつらは。
グスグスと涙ぐむ白十利と、水を得た魚のように妙にイキイキと
した尚人。
傍から見りゃ完璧にSとMの関係じゃんか。
463
464
いわばこれはやり直しのきかない戦いってことか
ユニット
この即席SMコンビは放っておいて、マジでこの女をどうすべき
か。俺らの部隊のメンバーではないから処遇に悩む。
﹁しゃあねぇなぁ! じゃあ俺がまた一肌脱いでやるよ!﹂
颯爽と立ち上がったのは将矢だ。
今まで沈黙していた男のここにきてのこの発言に若干怪しげな空
気も感じるが、先ほどの囮志願の件でこいつの株も上昇したしな。
とりあえずプランだけは聞いてみることにするか。
﹁お前にいい考えがあるのかよ?﹂
﹁あったりまえだぜ柊兵っ! この俺の最高の案を聞いてくれよ!﹂
﹁お、おう﹂
﹁俺が花ちゃんをかついで怜亜ちゃんがいる待機ポイントまで責任
を持って届けるぜっ! だからお前らは心おきなく安心して先に進
んでくれ!!﹂
﹁却下。﹂
将矢の発言後、わずか0.5秒。言葉がかぶりかねない早さで俺
より先に即行でダメ出しをしたのはシンだ。
﹁なんでだよシン!?﹂
﹁だってお前一人に花ちゃんを任せたら、待機ポイントに着くまで
に何するか分かんないっつーの。うっかりを装って身体に触りまく
ったりしそうじゃんか﹂
465
﹁そんなことしないって!!﹂
﹁いいや、お前に理性は期待できないな﹂
﹁マジ信じてくれよシン∼! 天地神明に誓ってエロいことはしな
いって!﹂
﹁ウソを言わないで下さあああああぁ∼い!!﹂
我慢できなくなったのか、ここで白十利がむくれた顔で大声を張
り上げる。
ケージ
﹁さっき檻の外で皆さんが縄を解こうとしてくれている時、花は難
波くんに散々ヘンな所を触られましたぁ!!﹂
﹁あれぇっ? なぁーんだ、やっぱ気付いちゃってたのかよ!?﹂
あっさりと己の犯行を認め、ヘラヘラした態度で胸を張るアホ一
名に、メンバー全員が呆れ顔だ。以前から思っていたが、こいつは
悪い意味で潔すぎる。
﹁気付いてたに決まってるじゃないですかぁ! あの時は口にテー
プを貼られていて喋れなかったから難波くんに文句が言えなかった
だけですぅ!!﹂
﹁だってさぁ、花ちゃんの身体ってどの箇所を触ってもすっげー絶
妙な柔らかさだったから、ついこの手が自動追尾モードに! 悪い
が後悔はしていないっ!!﹂
﹁ほらぁ! やっぱり全然反省してないじゃないですかぁ! 花、
難波くんに送ってもらうのは絶対に嫌ですぅっ!﹂
﹁そ、そんなぁ∼!! じゃあ今度こそは絶対に触らない!! 触
らないから俺に送らせてくれよ花ちゃ∼ん!!﹂
﹁パスです! 難波くんと真田くんだけは全力でパスしますっ!﹂
白十利のこの自己中な要望に、﹁おいおい、将矢だけじゃなくて
466
尚人もNGなのかよ﹂とシンがかったるそうに肩をすくめ、俺とヒ
デに顔を向けた。
﹁となると、俺ら三人の中の誰かが花ちゃんを待機ポイントまで送
り届けるってことになるぜ? どうする?﹂
ケージ
﹁あっ! じゃあ花は佐久間くんがいいですぅー!! だってさっ
き一番に駆け寄ってきて檻を壊してくれたのは佐久間くんでしたも
んっ!! 佐久間くん佐久間くん佐久間くん! ぜーったいに佐久
間くんっ!!﹂
⋮⋮どうでもいいがやたら自己主張の強い運搬予定物だ。
見事白羽の矢から外れたシンが、ヒデに向かって満面の笑顔で親
指を立てる。
あいつ
﹁よしっ、こうして直々の熱いご指名もあったことだし、花ちゃん
を送り届けるのはヒデってことでいいよな?﹂
﹁いや、悪いが俺はこのまま先に進みたい。早く美月を檻から出し
てやらんと﹂
﹁はいはい、要は花ちゃんより美月ちゃんが心配だってことだろ?
了解了解っと。じゃあここはやはり最後の切り札、我らのリーダ
ーで偉大なる部隊長であらせられる柊兵閣下に頼むことにしましょ
うかね﹂
﹁何っ!?﹂
完全に安全圏に退避できたと思ってたのにまさかの無茶振りがき
やがった!!
﹁結局俺に押し付けんのかよっ!?﹂
﹁おやおや閣下、お忘れになってはいけないことがありますよ? だって俺もヒデと同じで美月ちゃん派なんだぜ? このまま捜索隊
467
の方に残りたいに決まってんじゃん。花ちゃんを送り届けるの面倒
コマンダー
だしね。というわけでよろしくお願いします閣下!!﹂
﹁なんでお前が仕切ってんだ! 部隊長は俺だぞ!? よし、部隊
長として命じてやる! お前が行けシン!﹂
﹁おやおや、いきなりここで暴君になられるんですか閣下? そん
な恐怖政治の元では民が付いてきませんよ? それにこういう突発
的なトラブルは隊長自らがクリアすべきだと思うんですが。なぁ皆
?﹂
シンが残りのメンバーに同意を求めたがその反応は様々だ。
﹁何言ってんだシン! こういうのは志願している奴に行かせるべ
きだろっ!? だから俺に行かせてくれぇええええ!! 花ちゃん
は俺が送るぅううう! そんで愛しの怜亜ちゃんにも会ってくるん
だぁああああ!!﹂
﹁んー、でも部隊長を一人にするのってマズくない? 柊兵がアウ
トになったら終わりなわけだし。僕は反対だな﹂
﹁そうだな、尚人の言う通りだ。柊兵一人を行かせん方がいい﹂
﹁あーらら、薄情な奴だなぁヒデ。せっかく俺が機転をきかせてお
前を助けてやったのに、肝心のお前はそういう事を言っちゃうわけ
? ま、いいや。じゃあやっぱお前が行けよ。花ちゃんのご指名受
けてんのはお前なんだしさ﹂
﹁それとこれとは話が違うだろうシン﹂
﹁違わないって﹂
﹁ダメだダメだダメだぁああああ!! 柊兵もヒデも認めねえええ
え!! この俺が行くって言ってんだろっ!!!!﹂
雑木林の中で各自の舌鋒が冴え渡る。ウラナリも加え、こいつら
全員で一致団結して俺を部隊長に陥れた先ほどとは違い、今回は意
見がまとまらないようだ。
468
こんなことしている時間がもったいねぇな⋮⋮。ここは部隊長の
俺が決めるしかなさそうだ。
﹁このままじゃラチがあかねぇ!! ジャンケンで決めるぞ!! いいな!?﹂
小学生が一番に思いつくようなガキっぽい解決法だとは思ったが、
他に何も思いつかなかったので案をそのまま出してみる。
しかし俺の安直な提案は驚く程すんなりと受け入れられた。
この決着方法がまだ本決定ではないにもかかわらず、﹁いいんじ
ねじ
ゃね? 確かにこのままじゃラチがあかねーし﹂と両手を組み合わ
せ、捻った腕をクロスさせてその中を覗き込み出したのはシンだ。
そしてどうやらその組み合わせた掌の中に勝利へのサインを見出し
たようで、
﹁⋮⋮おっ見えた見えた! というわけで、恨みっこなしの一発勝
負でどうですかね皆の衆?﹂
と再びメンバーに同意を求める。
﹁あぁ、公平でいいんじゃないか﹂
﹁うん、僕も異議なし﹂
﹁おう! それで行こうぜーっ!!﹂
トイガン
︱︱ バトルの勝負スタイルは決まった。
全員持っていた遊戯銃を一旦足元に落とし、両手をフリーにする。
﹁よし行くぞ。待ったなしの一発勝負だ。負けた奴が白十利を待機
469
ポイントに連れて行く役だぞ。いいな?﹂
﹁了解です閣下!﹂
﹁ここは絶対に勝たないとね﹂
﹁明鏡止水の心境で行けば問題ない。自然と勝ちの流れを呼び込め
るはずだ﹂
﹁よっしゃああああああ!! 天にましますジャンケンの神よおお
おおお!! どうかこの難波将矢に完全なる敗北をうぉうぉうぉお
おおおお︱︱!!﹂
⋮⋮一名だけ明らかに目指す方向が違う奴がいるが、まぁいい。
それよりこの勝負は一瞬で決まっちまう可能性もある。気は抜け
ない。
円陣を組むような形でお互いの顔を見合うと、自然と睨み合う形
になるせいで一気に場が緊迫したものになってきやがった。
メンバー全員がそれぞれの口元からふしゅうううと整えた息を吐
き出している。たかがジャンケンなのに異様な緊張感だ。
左横にいたシンが横目で俺を見て﹁じゃあ掛け声を頼みます閣下﹂
最初はグー
”
は入れんのか?﹂
とこの戦いのゴングを鳴らすよう促してくる。
﹁分かった。“
﹁当たり前じゃんかよ柊兵!! それ言ってくんねーとタイミング
イチャモン
が合わねーじゃん!! 俺がせっかく負けても今のは後出ししたか
ら駄目だとかお前らに変な難癖つけられて花ちゃん送れなくなった
らどうすんだよっっ!?﹂
将矢の奴、目が血走ってやがる⋮⋮。どんだけこの勝負に全身全
霊を注いでんだこいつは。
﹁分かった。じゃあ最初はグーで行くぞ﹂
470
﹁おう!!﹂
﹁行くぞ!! 最初は⋮﹂
﹁待ってくださぁあああああああいいいいっ!!!!﹂
﹁おわ!?﹂
神聖な勝負が始まろうとしたまさに直前、突然白十利が俺らの円
陣のど真ん中にでけぇ胸を揺らしてダイブしてきやがった。
﹁な、なんだよ白十利﹂
﹁ひどいですよ原田くんっ!!﹂
﹁なにがひどいんだよ。お前を連れて行く奴を誰にするか決めてん
だろうが。ありがたく思え﹂
﹁ありがたくなんて思えませんよぉ!! なんで負けた人が花を連
れて行く係りなんですか!? なんかそれじゃまるでバツゲームみ
たいじゃないですかぁ! ここは勝った人にすべきところですよっ
!!﹂
何に怒っているのかと思えばなんつーくだらない理由だ⋮⋮。開
いた口がふさがらねぇ。
﹁いやいやどうみても罰ゲームでしょこれ。なぁ尚人?﹂
﹁うん。だって誰も花ちゃん送りたくないもん。完璧に罰ゲームだ
よね﹂
﹁ああーっ!! 真田くんだけじゃなく楠瀬くんまで花をいじめる
なんて!! もうヒドイですヒドイですぅ︱︱!!﹂
﹁大丈夫だぜ花ちゃんっ!! 俺は違う!! 俺は花ちゃんを心の
底から送りたいぜっ!! だからそのデカいおっぱいと共に俺の胸
に飛び込んできてくれぇええええええ!!﹂
﹁きゃあああああああ!!!! 近寄らないでええええ!! 難波
くんは絶対にイヤですうううううう!!﹂
471
またしても場が混沌としてきやがった。
なんでジャンケン一つやるぐらいスムーズにできねぇんだよ。
﹁おい下がってろ白十利。邪魔だ﹂
﹁ふやぁ!?﹂
こいつ
白十利の腕を引っ張り円の中央から強引に排除する。
﹁時間がねぇからさっさとやるぞ!! 白十利がうるせぇからルー
ルを変える!! 勝った奴だ! 勝った奴がこの女を待機ポイント
にまで連れて行くってことでいいな!?﹂
﹁分かった。勝った奴だな﹂
﹁うーん⋮⋮、それだとなんか引っかかるものはあるけど、もう面
倒だから僕もそれでいいよ﹂
ナイト
﹁俺もOKですよ閣下。じゃああらためて仕切り直しということで
いきますか。この勝負で勝った奴が花ちゃんの騎士役を務めるって
ことで﹂
﹁お前らいつまでもごちゃごちゃといい加減にしろよ!! なんで
もいいから早くやろうぜっ!? 絶対に俺が花ちゃんのおっぱいを
護衛するんだぁああああああああああ︱︱っっ!!﹂
アホ
将矢が放った絶叫が晴天を垂直に貫く。
居合わせた猛獣も思わず一瞬たじろぐんじゃねぇかと思えるぐら
いのその凄まじい気迫に、俺らは一度顔を見合わせた後、﹁恨みっ
こなしは忘れるなよ将矢﹂と全員でがっちりと釘を刺しておいた。
472
厄介な運搬物だな ︻
前編
ナイト
︼
﹁いやぁ∼これでめでたく騎士役は決定ということですねっ!! ではでは花ちゃんのこと頼みます閣下!﹂
﹁まさか一回目であっさり勝負がきまるとは思わなかったよね。僕、
ビックリしちゃったよ﹂
﹁これもすべては天命ということだな。心穏やかに己の運命を受け
入れろ柊兵﹂
“
白十利の運搬拒否権
”
で
⋮⋮どうやら運命の神とやらは俺にとっては使えない奴らしい。
俺の意向を見事に読み違え、
勝
はなく、このジャンケン勝負自体での純粋な勝利を寄こしてきやが
った。
利
この勝負には負けられねぇという気持ちをこめまくり、Vict
oryの頭文字に引っかけたサインを選択したのだが、まさかそれ
が敗北のルートだったとは⋮⋮。白十利の運搬役など絶対にしたく
ない、という気負いが入りすぎたのかもしれん。
ラッキー
そういや使えない奴はもう一名いたな。
ミミの奴、水場や白が幸運だとかあんなくだらない占いメールを
送って寄こすぐらいなら、ジャンケン勝負が来た時は何を出すべき
かも書いとけってんだ。
﹁さてさて、こうして終わってみると選ばれた戦士はまさに最適な
人選となりましたし、やっぱ神サマは俺ら下々の民のことをちゃー
んとご覧になっているってことなんですかね∼?﹂
473
畜生、シンの奴、嬉しそうな顔しやがって⋮⋮。自分が運搬役を
逃れた嬉しさが全身から滲みでてるのがムカつく。
﹁柊兵、待機ポイントに着くまでは気を抜いちゃダメだよ? 先生
たち以外に襲ってくる奴はいないと思うけどさ、本多のためにも僕
らは絶対にリタイアは出来ないんだからね。だからちょっとでもも
し危険を感じたらさ、花ちゃんはすぐにリリースしてまず自分の身
の優先を第一に考えるんだよ?﹂
﹁あー! また真田くんってば花にヒドイこと言ってー!! 花を
その辺で釣ったお魚みたいに言わないでください!!﹂
﹁別に釣りたくて釣ったんじゃないし。それに荷物な花ちゃんより
魚の方が食料になる分、よっぽど役に立つよ﹂
﹁うぅ∼∼∼どうして真田くんは花にイジワルばかり言うんですか
!!﹂
﹁いや、イジワルじゃなくて事実です﹂
﹁ヒドイですヒドイですヒドイですぅうううううう∼∼!!﹂
騒々しい奴らだ。しゃあねぇ、面倒だがさっさとあの巨乳女を連
れて一旦怜亜のところに戻るか⋮⋮。
白十利を連行するためにそちらに足を向けると、SMコンビが言
い争いをしているすぐ横でガックリと地面に四つん這いになってい
る男がいる。周辺にどんよりと漂う負のオーラがハンパない。
﹁なぜだ⋮⋮、なぜなんだ⋮⋮、なぜこの俺を勝たせてくれなかっ
たんだジャンケンの神よ⋮⋮っ!! あんたは残酷だ⋮⋮、残酷す
ぎだぜ⋮⋮っ!!﹂
今にも血反吐を吐くような形相で地面をかきむしっているアホが
474
とか祈ってなかったか?﹂
“
一名。俺らが予想していた以上の大ダメージを受けているようだ。
そんな憔悴の敗北者に苦笑いを浮かべたヒデが近づく。
”
﹁おい将矢。確かお前、さっきそのジャンケンの神とやらに
我に絶対なる敗北を
﹁ああああああああああああ!!!!! そうだ!! 俺祈った!
! 負けるように祈っちまったああああああ!!﹂
﹁そういえばその祈りの後、勝った奴が花ちゃんを送る役に変更に
なっちゃったもんねっ。ははっもしかして将矢が勝てなかったのは
神さまに祈り直ししなかったのが敗因だったりしてっ﹂
ヒデに続いて尚人までくだらない茶々を入れ出しやがった! そ
んなこと言ったら将矢の恨みがこっちに向かってくるじゃねぇか!
! ﹁ちっくしょおおおおおおおおお!! 最初のルール通りに負けた
奴が花ちゃんの護衛役だったら俺がなってたかもしれねーじゃんか
!! おい柊兵っ!! お前のせいだ!! お前が直前で勝手にル
ールを変えたからだぞ!?﹂
﹁なに!? ふざけんな!! 勝手に俺のせいにしてんじゃねーよ
!!﹂
﹁いーやお前のせいだ!! 今の勝負は無効だ無効!! 今のは無
しにしてもう一度勝負をやり直しだ!! いいな!?﹂
予想通りアホがクレーマーへと進化しちまった。始末に負えねぇ。
そこへ、﹁ハイハイ、そこまでそこまで!﹂とシンが大きく手を
打ち鳴らし、この場をまとめ出し始める。
﹁さっき恨みっこなしって言っただろ? 悔しいのは分かるけど往
475
生際が悪いぜ将矢。ということで今回に限っては泣きの一回は無し
!﹂
﹁うおおおおおおおおおおー!!!! 俺が花ちゃんのおっぱいを
護衛したかったのにいいいいい!! そんで怜亜ちゃんにも会って
きたかったのにいいいいいい!!﹂
⋮⋮どんだけ必死なんだこいつは。
﹁今回は我慢しなよ将矢。さっき女の子を紹介するって僕と約束し
ただろ? 楽しいことは他にもまだまだあるじゃん﹂
﹁尚人、分かってねぇ⋮⋮。お前はなにも分かってねぇよ⋮⋮。お
前に紹介してもらうったってよ、まだまだ先のしかも顔も知らない
未知の女より、鼻の先にある花ちゃんの揺れるおっぱいの方が俺に
とってどれだけの魅力を放っているか⋮⋮﹂
﹁んー、僕は楽しみは後に取っておくタイプだからなぁ⋮⋮。でも
とりあえずここは我慢だよ将矢。ね?﹂
﹁うぅ⋮⋮俺のおっぱいぃぃ⋮⋮﹂
﹁ほらほら背筋伸ばして! きっといいことはまだ他にあるって!
気を取り直していこうよ!﹂
尚人は魂の抜けた躯を明るく励ました後、﹁柊兵、花ちゃんを届
けたらすぐに追ってきてよ?﹂と俺に念を押してくる。
﹁それは分かってるけどよ、ここで一度別れちまえば合流するのは
難しいんじゃねぇか?﹂
﹁そうなんだよね⋮⋮。柊兵、待機ポイントからここまでの道順は
覚えてる? 途中で毛田先生たちの攻撃を受けたから直進していた
ルートがずれちゃったけど﹂
﹁いや、大丈夫だ。待機ポイントからここまでなら来られる﹂
﹁ならここから僕らはまだ直進するよ。そして直進できなくなった
476
ら基本は左回りに進むことにするから柊兵もそのルートで追ってき
て﹂
﹁分かった。でもなんで左回りなんだ?﹂
﹁ん、最初のスタート地点って確かここから左手側の方だったから
さ﹂
︱︱ どういう意味だ?
﹁何かあったらスタート地点に戻りやすくするためか?﹂
﹁ううん、違う。だけどあまり深く考えないでいいよ。進行方向を
左回りにしてもたぶん意味がない可能性の方が高いから。とにかく
僕らがまた合流できるように基本は直進、進めなければ左回りのル
ートで行こう﹂
ここは尚人の指示通りにしておくか。
﹁分かった﹂と頷いた俺の横でなぜか怪訝そうに顔をしかめている
のはシンだ。 ﹁なぁ尚人、お前本当は何か策があるからそのルートを指示したん
だろ? 俺らは仲間なんだぜ? ちゃんと作戦内容も教えてくれよ﹂
﹁ちゃんと策があるならきちんと説明するよ。今回はそういうのじ
ゃないもん﹂
﹁本当かよ∼。なーんか嘘くさいんだよなぁ﹂
﹁もう疑り深いなぁシンは﹂
﹁だってお前とは付き合い長いし。それにお前ってさ、たまに肝心
な部分をわざと黙っていることあるじゃん。実は密かに俺らに隠し
ている情報とかあるんじゃないか?﹂
そう水を向けられた尚人は思い出したように﹁あぁそういえばこ
の島に来てあらたな疑問は出てきたよ﹂と言いだした。
477
﹁お、やっぱあるんじゃんか!! なんだよそれ!?﹂
﹁寝袋の数だね﹂
﹁ハ⋮⋮?﹂
﹁さっきさ、浜辺で自由行動中に小舟で寝袋が次々に運び込まれて
いること皆に教えたろ?﹂
﹁あぁ言ってた言ってた!! お前からそれ聞いて、今日風呂に入
れないと分かって超ブルーにさせられたよ﹂
﹁あの後、伯田先生の号令がかかる前にまた偵察に行ったんだけど
さ、どう見ても運び込まれた寝袋の数が足りないんだ。僕ら生徒全
員分なんて無かったよ﹂
﹁どういうことだよそれ?﹂
﹁だからそこが分からないんだってば。先生たちの分も合わせたら
もっといっぱい運び込まないとおかしいのに、全員分なんて絶対に
無かったよ。見た感じじゃいいとこ半分ってとこかな。⋮⋮いや、
やっぱり半分もなかったな。もっと少なかった﹂
﹁ちょ、ちょっと待てよ。と、いうことは⋮⋮?﹂
今の情報から推測できる回答を求め、シンが俺とヒデにも視線を
送ってくる。
すると腕を組み、目を閉じた瞑想状態で尚人の報告を聞いていた
ヒデがボソリと己の推論を口にした。
﹁今夜この島に寝袋で泊らされる奴もいれば、そうじゃない奴もい
るってことじゃないか?﹂
まだ推測の域を出ていないが、銀杏高側から提供される今夜の宿
のクオリティの歴然たる差を知ったシンの顔色が瞬く間に変わる。
﹁おいおいおいおい! そこまで下剋上なわけ!? ひどすぎね!
478
?﹂
﹁そうかな? いかにも銀杏らしいやり口だと僕は思うけど﹂
﹁そうだな。この措置は俺ら生徒に弱肉強食の世界をリアルに体験
させたいという銀杏側の意向なのかもしれんな﹂
﹁じゃあ勝てば豪華旅館で負けたら寝袋コースかよ!? あ! ち
これで全部
って言ってたのを僕聞いちゃったんだよね。だからその
“
ょい待ち! 今また残りの寝袋を運び込んでいるって可能性もある
んじゃね!?﹂
”
﹁残念だねシン。さっき運んでいた人の一人が、
だな
可能性はかなり低いと思うよ﹂
﹁マ、マジかよ⋮⋮﹂
メダル
︱︱ どうやら過酷な試練はこのサバイバルゲームだけではない
らしい。
既定の賞牌をいち早くゲットできればこの小島から脱出でき、ク
リアできなければ惨めな野宿コースということか。 ﹁くそっ、じゃあなんとしても勝たなきゃなんねーじゃん!! 美
月ちゃんたちにアロマオイルマッサージをプレゼントしたくて頑張
るかと思ってたけど、もう絶対に負けられねぇよ!! よし美月ち
ゃん探そうぜ!! 花ちゃん置いたらすぐ追ってこいよ柊兵!! 絶対にすぐ来いよ!? 怜亜ちゃん達と話し込んだりすんなよ!?
いいなっっ!?﹂
⋮⋮すげぇ、こんな貪欲で熱血なシンは初めて見た。
こいつよっぽどこの小島で寝袋一泊生活が嫌なんだな。
﹁あ、柊兵。花ちゃんってちっちゃいのに結構重たそうだから頑張
ってね。もしかしたら僕より重いかもしれないよ﹂
479
とまたしても余計な事を言いだしたのは尚人だ。
しかもこっそりと言えばいいものを、わざと白十利にまで聞こえ
るような音量で言いやがるから、プライドを傷つけられた白十利が
またも怒りで身体を震わせている。
時間も無い事だし、これ以上場をおかしな空気にしないためにも、
ここはお互いにさっさと出発したほうが良さそうだ。
﹁では閣下が戻るまではとりあえず俺が部隊長の代わりをしておく
んでご安心を! よしみんな行こうぜ! 脱・寝袋ナイトだ!!﹂
﹁おう!!﹂
﹁うん頑張ろっ!﹂
﹁ちくしょうっ、俺のおっぱいいいいいぃぃぃぃ∼∼!! 末代ま
で恨むぜ柊兵っっ!!﹂
気合いMAXのシンの号令でメンバーは森の更に奥深くまで走り
去っていった。やれやれ、やっと動けるな。
﹁おい白十利、行くぞ﹂
そう声をかけると、未だ自分の立場をまったく分かっていない図
々しい小型小包がアヒルのように口を尖らせて文句を垂れ始めた。
﹁えぇ∼∼やっぱり原田くんになっちゃったんですかぁ∼? 花、
佐久間くんが良かったのにぃ∼!﹂
﹁運んでもらう立場のくせに贅沢言うんじゃねぇ! それより俺が
かついでいる時、ジタバタもがくなよ?﹂
﹁あの体勢はイヤです! あれ、すっごく苦しいんですよ!? 腰
が痛くなってくるし、だんだん頭に血が上ってきちゃうんだもん!
!﹂
﹁んな事言ったってお前脚も縛られてるから背負えないだろ。少し
480
の間我慢しろよ﹂
すると白十利はシャンと背筋を伸ばし、のほほんと緩んだ表情か
ら急にキリッと引き締まったいい表情を見せる。
﹁ヤです。抱っこしてください﹂
︱︱ マジか。
481
厄介な運搬物だな ︻
前編
︼︵後書き︶
<i75581|5300>
482
厄介な運搬物だな ︻
後編
︼
白十利の奴が抱き上げろと喚き続けている。
納得はいかないが今は何よりも時間が惜しい。無駄に出来る時間
は全く無い以上、揉めずに進むにはこいつの言いなりになる道を選
ぶしかなさそうだ。
しぶしぶ白十利の要望を呑んで怜亜のいる待機ポイントを目指す
その運搬最中、
﹁うわっ!? なんだよあれ!?﹂
背後から複数の驚きの声が聞こえてきた。⋮⋮またかよ畜生! これで何度目だ!?
﹁おいあれ見ろよ!! 原田の奴、白十利をあんなにギチギチに縛
ってやがるぜ!? いくらサバイバルだからってあんなんアリかよ
!? 犯罪の域に入ってねぇ!?﹂
トランジスタ
﹁幼馴染の風間美月や森口怜亜、そして幾多の下級生に留まらず、
今回の奴の獲物は魅惑の小型高性能、盛り上がる双丘の白十利花っ
てわけか⋮⋮。フッ、あいつの女の守備範囲はハンパなく広そうだ
な。末恐ろしいヤツだぜ﹂
﹁あいつ見た目のいい女なら誰でもいいのかよ!? いったい銀杏
高の女をどれだけ毒牙にかければあいつの下半身の猛攻は治まるん
だ!?﹂
﹁しかもあんな太い縄まで準備してきてのあの縛り方! さすが原
田! やっぱ只者じゃねぇぜっ!! 俺たちに出来ないあんなエグ
い事も平然とやってのけやがる!!﹂
483
⋮⋮頭痛がしてきた。
またありもしない噂が立つことになりそうで一気に気が重くなる。
白十利を運搬中にこうして他の部隊と何度か鉢合わせしてきてい
るが、縄で全身を縛り上げられた白十利を見た奴らは妬ましさも加
イメージ
わって、ほぼ例外なく俺に誹謗中傷や揶揄を投げつけてくる。
しかしこれは俺の人権にも大いに関わる事だ。
そこで濡れ衣を晴らすため真実を話そうと奴らに近寄ると、全員
慌てて逃げ去っていくのが何とも腹立たしい。 一方、抱えられて移動しているだけの白十利は呑気なものだ。
メダル
﹁ねぇねぇ原田くん! 今原田くんは花を抱えていて両手が使えな
いんだからその賞牌を奪う絶好のチャンスなのに、もったいないで
すよねぇ! きっとみんな原田くんが怖くて襲ってこないってこと
なんでしょうねっ!﹂
と、傍観者の立場をフルに生かして一人悦に入っていやがる。
﹁そして花は、そんな怖い怖∼い鬼のような原田くんにこうして捕
らえられてしまったとっても可哀想な女の子、というわけです!﹂
﹁ふっふざけんな!! いつ俺がお前を捕まえたんだよ!?﹂
﹁でもさっき会った男の子たちはきっと皆さんそう思ってますよぉ
∼? だって花、こんなエッチな縛られ方されちゃってるしぃ∼、
花はこれからこの森のどこかの暗がりに連れ込まれ、怖∼い原田く
んに陵辱されちゃうって思われてますよぉ、きっと! 原田くんの
硬派なイメージがガタ落ちしちゃいますねっ! あはははっ﹂
﹁おい白十利! そうならないようにこれは俺が縛ったんじゃない
って後で奴らに説明しとけっ! これはあの檻から出してもらった
お前の義務だぞ!? 分かったなっ!?﹂
﹁ふええぇ∼ん! 原田くんはやっぱり怖いですぅ∼!! だから
484
花は佐久間くんが良かったのにぃ∼!!﹂
﹁うるせぇ勝手に怖がってろ! ついでにもう一切喋るな!﹂
くそっ、一刻も早く怜亜のいる場所にまで戻ってこいつと縁を切
りたい! しかし怒鳴ったせいでようやく白十利が口を閉じたのは
幸いだ。
険しい顔のまま待機ポイントへの到着を目指して小走りで進む。
すると俺にはよく分からない流行り歌を時折口ずさみながらもしば
らくはおとなしかった小型運搬物がまた喋り出し始めやがった。
﹁あのぉ∼原田くん?﹂
⋮⋮こいつ、ついさっき言われた事をもう忘れたのか? 思わず天を仰ぎたくなる気持ちを抑え、とりあえず無視を決め込
む。
﹁原田くーん?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ねーねー原田くんてば∼!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁聞こえてないんですかぁ∼! 応答せよ応答せよ原田しゅーへい
くぅ∼ん!!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁銀杏高校3年E組出席番号12番の原田しゅーへいくんはいらっ
しゃいますかぁ∼!? 白十利花が至急あなたにご連絡したいこと
がございますのでぇ∼、聞こえていたら即刻お返事をお願いしまあ
ああああぁぁぁ∼す!!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮何だよ﹂
︱︱ 負けた。
485
あまりのうっとおしさについに返事をしてしまう。ようやく俺が
返事をしたので白十利が嬉しそうにニコッと笑った。
﹁あのですね、実は原田くんに聞きたいことがあったのですっ﹂
﹁だから何だよ!?﹂
﹁正直に言って下さいね?﹂
﹁だから何なんだっての!?﹂
﹁あの∼、花は別に∼、そ、そんなに重くないですよねっ?﹂
﹁あ?﹂
⋮⋮こいつ、さっきの尚人の言葉を気にしてんのか? ったく面
倒くせぇな⋮⋮。
﹁どうですかどうなんですか、原田くん!?﹂
﹁さっき尚人が言ったことなら気にすんなよ﹂
﹁そんな∼! 気にするなって言われても無理ですよぉ∼! 原田
くんはこうして花を抱っこしてみてどう思ってるんですか!? 正
直に教えてくださぁ∼い!﹂
﹁⋮⋮別に重くない。ごく普通だ﹂
﹁本当ですか!? わぁ良かったぁ∼!﹂
白十利が安心したように笑う。あどけないその顔を見るとマジで
小学生みたいだとは思ったが今は間違っても口には出さない。
﹁それとですね原田くん﹂
﹁何だよ。まだあるのかよ。うるせぇから喋んじゃねぇよ﹂
﹁もうっ冷たいですねぇ原田くんは! そんなに冷たくするなら、
この縄は原田くんに縛られたーってみんなに言っちゃいますよ?﹂
﹁何だと!? お前、ここまでの恩を全部仇で返す気か!?﹂
﹁え∼∼? でも花を助けてくれたのは佐久間くんだし∼、原田く
486
んには特に恩を感じるようなことされてないと思いますけどぉ∼?﹂
﹁今こうしてお前を待機ポイントまで届けてやってる最中だろうが
!!﹂
﹁あ、そっか! 言われてみればそうですねっ﹂
ったく何なんだこいつは! マジで面倒くせぇ!!
﹁それでですね原田くん、花はまだ聞きたい事があるんですけど、
聞いちゃっていいですかぁ?﹂
﹁分かった分かった! 聞きたいことがあるならさっさと言え!﹂
﹁じゃあ聞きます! あの、佐久間くんって美月ちゃんのことが好
きなんですか?﹂
﹁あぁ!?﹂
思いがけない質問に思わず足が止まる。
﹁だってさっきの楠瀬くんの口ぶりだとそういう風に聞こえたんで
すよね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
こいつに俺たちの過去についてどこまで言うべきか。
つーか、そもそもなんで白十利はヒデと美月の関係を知りたがる
んだ?
﹁ねぇねぇ、どうなんですか?﹂
﹁⋮⋮昔のことだ﹂
﹁昔?﹂
﹁あぁ、俺らが小学生の頃はそうだった﹂
﹁じゃあ今は佐久間くんは美月ちゃんのこと好きじゃないんですか
?﹂
487
﹁さぁな﹂
﹁えぇーっ!? 原田くんと佐久間くんって昔からのお友達なんで
すよね!? なんで今の佐久間くんの気持ち知らないんですかぁ∼
!?﹂
﹁うっせーな! 知らねぇもんは知らねぇんだよ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
妙な沈黙が訪れる。もしかしてこいつ⋮⋮?
﹁おい白十利、まさかお前﹂
俺がそこまで言いかけた時、それまでしょぼくれていた白十利は
急に俺に向かって勢いよく捲くし立てた。
﹁決めましたっ!!﹂
﹁決めたって何をだよ?﹂
﹁もし佐久間くんが美月ちゃんを好きでもいいです!! 花、諦め
ませんっ!! 恋は障害があるほど燃えるっていうじゃないですか
! 花、これから頑張っちゃいますっ!! 原田くんも応援してく
ださいねっ!!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁どうして返事してくれないんですかぁ∼!!﹂
﹁⋮⋮たぶんお前、ヒデのタイプじゃねぇと思うぞ﹂
一応こいつの事を思ってそう教えてみたが、それが逆効果になっ
てしまったようだ。
﹁そんなの分かんないですよぉーだ!﹂
﹁いやマジで俺はあいつと付き合い長いから分かる。お前はタイプ
じゃねぇって﹂
488
﹁どんなに付き合いが長くたって、今の佐久間くんがどんな女の子
が好きなのかは佐久間くん本人しか分からないです!﹂
﹁いやお前の言いたい事は分かるけどよ⋮⋮﹂
﹁そして原田くんと佐久間くんが幼馴染というのも花にとっては重
要ポイントなのです!﹂
﹁あ?﹂
何言い出してんだこいつ。
﹁だからですね、佐久間くんととっても仲がいい原田くんが花の味
方になって、佐久間くんとの仲をサポートしてくれればいいんです
よ!﹂
﹁何勝手に決めてんだ! なんで俺がお前のサポートをしなくちゃ
ならねぇんだよ!﹂
﹁だって同じクラスメイトじゃないですかぁ∼。いいでしょ原田く
ん!? ね!? ね!? ね!? お願いですぅ∼っ!﹂
﹁落ち着けって! だからお前一人で熱くなったってどうしようも
⋮﹂
﹁お願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしま
すお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしま
すお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしま
すお願いしま⋮﹂
﹁あああああああうるせぇ黙れ!!﹂
ガキみたいにダダをこね
﹁ひどいですひどいです原田くん! 花がこんなに低姿勢で頼んで
るのにぃ∼!!﹂
﹁バカ野郎、それのどこが低姿勢だ!
てるだけじゃねーか!﹂
﹁ねぇねぇお願いだから協力してくださ∼い!!﹂
﹁冗談じゃねぇ!! 絶対にやらねぇぞ!!﹂
﹁そんな冷たいこと言わないで下さぁ∼い!!﹂
489
両の膝下を激しくバタつかせ、白十利が腕の中で豪快に暴れだす。
⇒
ヒデのフラグが立つとは
なんつー活きの良さだ。釣ったばかりのブラックバスか、こいつは。
しかしまさか修学旅行先で白十利
な⋮⋮。面倒なことにならないといいが。
﹁もういいですぅ! 原田くんになんか頼まないもんっ! 花、自
分で何とかしちゃうんだからっ!! 指をくわえて見てるといいで
すよーだ!!﹂
﹁勝手にしろ! いいか、俺は一切関わらないからな! 覚えとけ
!!﹂
﹁原田くんのバカバカバカ∼!! 花、絶対に諦めないんだから∼
!!﹂
一人闘志を燃やす小型運搬物を抱え、重い足取りで再び歩を進め
る。
本気でこの女にウラナリのようなウザさを感じ出してきているの
は気のせいだろうか?
490
あの占い女、使えなさすぎだろ
﹁あのぉー原田くぅ∼ん、待機ポイントはまだですかぁ∼? 花、
かなり飽きてきちゃいましたぁ∼!﹂
﹁飽きた、だと⋮⋮!?﹂
苛立ちで瞼がかすかに痙攣しているのが分かる。
バタバタと膝下を動かし、俺の神経を全力で逆撫でするようなこ
とを白十利の奴がまた言い出し始めたせいだ。
﹁そうでーす! まだですかまだですか原田くーん!?﹂
﹁何様だテメェ!! 誰がお前を運んでやってると思ってるんだ!
!﹂
﹁そーやってすぐ怒鳴らないで下さいよ∼!! ジョークですよジ
ョーク!﹂
﹁どこがジョークだ! お前今マジ顔で言ってたじゃねーか!﹂
﹁ふえええええぇ∼ん怖いぃぃぃ∼!! あぁついに哀れな花はこ
こで鬼の原田くんに襲われちゃいますうううぅ∼!﹂
﹁誰もお前なんか襲わねーよ!!﹂
﹁でも原田くんはさっきから花の胸ばかり見てますよねー!? 花、
ちゃーんと分かってるんですから!!﹂
﹁見てねぇ!! お前の自意識過剰だ!! おい頼むからもう黙っ
てくれ!! 喋んな!!﹂
﹁あははははっ! でも不思議ですよねぇ∼! だって事実は小説
より奇なりってゆーか、どーしてこんなに怖い原田くんが、あーん
なにたっくさんの女の子たちにモテるのかが花には理解できませー
491
ん! きっと原田くんのこのモテモテ現象はそのうち銀杏高校の七
不思議に認定されると思いますよぉ∼? 本当に原田くんの一体ど
こがいいんでしょうねぇ∼? じろじろ﹂
⋮⋮もしかしてこいつ、わざと俺の怒りの導線に火をつけようと
してないか?
すぐ真下から遠慮なく注がれ続ける白十利の興味津々のガン見が
純度100%でウザすぎる。
﹁そういえば原田くんをだーい好きな女の子たちって、今は総勢何
人になってましたっけー?﹂
﹁知らねーよ!﹂
﹁じゃあヒマだし、花の知っている範囲で数えてみますねっ! え
∼と、まず幼馴染の美月ちゃんと怜亜ちゃん! ここは完璧な鉄板
ですよねっ! それに原田くんを追っかけている下級生の女の子た
ちもいますよね! 朝、校門のところで集まって、よく原田くんを
待ち伏せしてるらしいじゃないですかぁ! 確かその中に双子ちゃ
んもいませんでしたっけ? それと去年卒業した池ノ内センパイも
原田くんのことをかなり気に入ってましたよね! ⋮⋮んん∼、や
っぱり不思議ですぅ∼! なんで原田くんってそんなにモテるんで
すかー? 硬派というステータスの影響なんでしょーか?﹂
﹁だから知らねぇって言ってるだろ!!﹂
﹁あっ、いっけない忘れてたー! 今のメンバーに鈴ちゃんも入れ
ないとですねっ!﹂
﹁リン⋮?﹂
︱︱ 誰だその女。
﹁はいっ、鈴ちゃんも原田くんのこと好きですよー! 見てたら分
かりまぁーす!﹂
492
﹁おい、誰だリンって?﹂
﹁ふぇっ!? 原田くん、鈴ちゃんのこと知らないんですかー!?
同じクラスじゃないですかぁ!﹂
⋮⋮同じクラス? ヤバい、マジで心当たりが無い。
﹁もうっ、鈴ちゃんですよ! ミ・ヤ・ガ・オ・カ、リンちゃーん
っ!﹂
﹁なにっ!?﹂
︱︱ まさかあのクソ真面目な委員長のことかっ!?
﹁鈴ちゃんって、いーっつも原田くんたちのグループを注意してば
っかりいるじゃないですか∼? それで原田くんに対しては特に一
段とムキになって怒るんですよねー! あれってゼッタイ好きな思
いの裏返しですよー! 花はそう確信してまぁーすっ!﹂
待て待て待て待て!!
あ、あの堅物女が俺のことを好きだと!? それは絶対にありえ
ないだろ!!
だ、だが考えてみれば、あの女、確かに俺を異様に目の敵にする
ところがあるな⋮⋮。
あいつら
いや、それよりも、もし万が一だ、もしそれが事実だったとした
ら、間違っても美月と怜亜の耳に入れないようにしねぇと⋮⋮。
ライバル
﹁ふ∼ん⋮⋮。ということはあたしと怜亜の恋敵がまた新たに出現
したってことか⋮⋮﹂
493
背後から聞き馴染みのある声をかけられ、肩越しに後ろを振り返
ると︱︱。
﹁み、美月っ!?﹂
俺の背後に白ジャージ姿の美月が立っていた。血色もいいし、ピ
ンピンしている。
ケージ
﹁お前無事だったのか!?﹂
﹁うん! 中からガンガン檻を蹴っとばしてたら扉が壊れたから出
てきちゃったー!﹂
ピースサインを出した後に満面の笑顔ときたか⋮⋮。だが無事で
安心した。さすがだな、美月。
﹁あれぇーっ、美月ちゃんは縛られなかったんですかぁ!?﹂
白十利が俺らの会話に割り込んでくる。
着ている白ジャージの一部が少し汚れているだけで、全身を縛ら
れていない美月にどうやら疑問を感じているようだ。
﹁ううん、あたしも縛られたよ?﹂
美月は右肩にかかった長い黒髪を大きなモーションで後ろに払う
と、俺が抱えている白十利にじろりと視線を移す。
﹁でも両腕だけだったし、花みたいにそんな本格的な縛られ方じゃ
なかったもん。檻の中でもぞもぞ身体ひねってる内に全部解けちゃ
ったよ﹂
494
﹁じゃあきっと縛るのが下手な先生だったんですねっ!﹂
﹁花はそれ、誰に縛られたの?﹂
﹁えへへっ、毛田先生ですよ∼! 何でも若い時に運送業でアルバ
イトをしていたことがあるみたいで、荷物を縛るのはお手の物なん
だそうですっ﹂
︱︱ へぇ、あの毛田にそんな特技があったとはな⋮⋮。
しかし毛田の意外な一面に感心している場合ではなかった。いつ
の間にかふくれっ面になった美月が俺の脇腹に肘鉄を打ち込んでく
る。
﹁痛てっ! 何すんだよ美月!?﹂
﹁何言ってんのよ! それはこっちの台詞でしょ! なんで柊兵は
あたしを助けにこないで花を助けてるわけ!?﹂
﹁ぐぉっ!﹂
⋮⋮二度目の肘鉄を食らった。
打ち込むポイントが的確すぎる。この容赦の無さはマジで怒って
いる証と捉えておいて恐らく間違いは無いだろう。
﹁そ、それは話すと少し長くなる﹂
﹁言い訳はいいっ! とにかく私にも同じような待遇をしてもらう
からねっ!﹂
今度は背後にズシリと衝撃が走る。
﹁バッバカお前! 何やってんだ!﹂
﹁だって花ばっかりずるいじゃん! あたしも運んでよ!!﹂
﹁ずるいとかいう問題じゃねぇだろ!﹂
﹁問題よ! それより分かってんでしょうね柊兵!? あんたを独
495
占できるのは、あたしと怜亜の二人だけなんだからっ!!﹂
背中に美月が飛び乗ってきたため、どうしても不自然な前かがみ
になる。
﹁ぐっ⋮⋮、重てぇだろ! 降りろって!﹂
﹁ヤダッ!!﹂
ヤバい! 直立の姿勢を保てねぇ!!
意地になった美月がさらに体重を預けてきたせいで上半身がさら
に前に傾いた。
おかげで白十利所有のでけぇ胸が身体の前部に、そしての美月の
でけぇ胸が身体の後部にと、それぞれ完全に密着してきやがる。
こ、この押し付けられている感触⋮⋮!! おそらくこいつらの
胸は今はどっちも押し潰されて歪んだ円形になっちまっているに違
いない。一体どんな地獄挟みなんだこれは!?
﹁きゃんっ! 原田くんっ、花にあまりくっつかないでくださぁ∼
い!﹂
ほら見ろ! 早速下部からクレームが来やがったじゃねぇか!
﹁お、俺のせいじゃねぇ!! おい降りろ美月!!﹂
﹁ヤダったらヤダーッ!!﹂
上部の重しは両ももで俺の身体をがっしりと挟みこみ、何があっ
ても徹底抗戦の構えを見せている。
﹁た、頼む美月! 降りてくれ!!﹂
496
﹁絶対ヤダーッ!!﹂
﹁ぐっ⋮⋮!﹂
合計四つのデカくて丸い塊が、前後からやわやわやわやわやわや
わと容赦なく身体をソフトに圧迫してきやがる⋮⋮!
﹁まったくちょーっと目を離すとあんたって男はぁー!! 怜亜が
知ったら傷つくでしょうがああぁー!!﹂
﹁あぁ∼ん! そんなにグイグイ押さないでくださあああ∼い!!
これじゃ花、本当に原田くんのなぐさみ物になっちゃいますうう
ぅ∼!!﹂
﹁ちょっと柊兵!! 聞いてんの!? あたしと怜亜以外の女を見
たら許さないんだからね!?﹂
︱︱ ちっ畜生、あのインチキ占い師め⋮⋮!
苛立ちで噛み締めた奥歯がギリギリと鳴る。あいつからメールで
“
幾多の星はそれぞれの未来を見通せる
”
届いた占いでこんなアクシデントに見舞われるっていう予言は無か
ったはずだぞ!?
ミミの奴、何が
だ!! 嘘八百の本なんか出しやがって!! 大体俺のラッキー
ポイントらしい白というカラーや水場とやらにも未だ縁がねぇのは
どういうことなんだよ!?
このサバイバル旅行が終ったらあのチビ女を呼び出して押しつけ
られた占い本をあの低い鼻に叩きつけて文句の一つも垂れねぇと治
まらん! 覚悟しとけミミ!!
この修羅場の中で俺はそう固く心に誓った。
497
498
待機ポイント、無事到着
﹁あーやっと着いたぁ!!﹂
タープ
目的地へと辿り着いた俺の横で美月が叫んでいる。
百メートルほど先に波打つ海と防水布型のテントが見えてきた。
周囲をシートで覆ってはいるがテントのすぐ側に工事現場などで
よく見かける仮設トイレも見えるのが興醒めだがようやく着いたか。
しかし女どもが群れなすこの待機ポイントに無事到着はしたもの
の、疲労感がどっと押し寄せてくる。
”
と騒ぐ美月に、“
と言い返す白十利。こいつらの口喧嘩
降りて歩け
それは白十利を抱えて移動したから、というだけではない。
”
ここに来るまでの道中、“
縛られていて無理だ
を延々と聞かされ続け、精神的に大ダメージを負っているせいだ。
トランジスタ
だがこの地獄もここまでだ。
あとはこの小型高性能をあのテントに打ち捨てればようやくこの
有難迷惑な責務から解放される。
﹁ちょっと花!! あんたいつまで柊兵に抱っこしてもらってんの
よ! もう待機ポイントに着いたんだから早く降りなさいよ!﹂
﹁ヤですよぉ!! 皆がいるあのテントまでは花は降りません!!
だって花はこーんなに厳重に縛られてるんですよぉー!? ここ
で下ろされたって歩けないですもん!﹂
﹁テントまで跳ねて行けばいいじゃん! そのミノムシの格好でピ
499
ョンピョンしてさっ﹂
﹁そんなぁー!! あの待機ポイントまでずーっとぴょんぴょんな
んてしていけないですよぉー!﹂
﹁体力ないのねあんた! 情けなっ﹂
ケージ
﹁美月ちゃんがありすぎるんですよぉー!! 花は美月ちゃんと違
ってか弱い女の子なんですからぁー!!﹂
﹁あたしだってか弱いわよ!!﹂
﹁ウソ言わないでくださぁーい!! 自分で檻を蹴破って脱出して
きた人が何を言ってるんですかぁー!!﹂
⋮⋮おい、待機ポイントに着いたってのにまだ口喧嘩を続けるつ
もりかこいつら。付き合ってられん。
﹁ねーねー原田くーん!﹂
﹁あ?﹂
﹁花をちゃーんとあそこまで連れてってくださいねっ! 皆さんが
花をぜひ送りたいって奪い合いの大騒ぎをするからジャンケン勝負
になったんですよ!? それで原田くんが勝って花を送る大役をゲ
ットしたんですからこれは原田くんの義務なのです!!﹂
﹁なんだとっ!?﹂
︱︱ こいつ、どうしようもねぇ奴だな!! いつ俺らがお前を
送りたがったんだよ!? 話を盛るどころか完全に捏造してやがる
!!
﹁白十利っ!! お前何自分の都合のいいように話を作っ⋮ぐほっ
っ!!﹂
500
突如また脇腹に理不尽な痛みが走った。もちろんその犯人は分か
ってる。
真横に視線を走らせると美月がじと目で俺を睨んでいた。
﹁何すんだよ美月!?﹂
﹁柊兵、今の花の話だと、あんたも花を送る役を自らかって出たっ
てことよね? あんたにはあたしや怜亜がいるのに一体全体どうい
うことよ!?﹂
﹁ちっ違う!! こいつのでたらめな話を信じるな!! 誰もこい
つなんか送りたくねぇからジャンケンで負けた奴が送ることになっ
たんだって!!﹂
﹁⋮⋮花とは話が食い違ってるじゃん。なんで負けた人が花を送る
役なのに勝ったあんたが送ってるのよ?﹂
なんでここまでの経緯をいちいち話さなきゃならねぇんだよ!?
こっちは被害者といっても差支えない立ち位置なんだぞ!? ⋮
⋮しかしそう言っちまえば余計面倒なことになりそうな気もする。
いや、間違いなくそうなるだろう。
﹁早く説明して柊兵﹂
﹁だっだからそれはこいつが文句を垂れたからだ! 負けた奴が運
ぶなんてまるで罰ゲームだなんだとうるさいから土壇場で急遽勝っ
た奴に変更になったんだよ!﹂
﹁ふーん。で、柊兵が勝ったってわけ?﹂
﹁恨みごと無しの一発勝負だったんだから仕方ないだろ! 俺だっ
て御免だったさこんな女運ぶのは! 勝った瞬間神を呪ったぐらい
だ!﹂
﹁ああーっ!! そこまで言っちゃうんですか原田くんっ!? ヒ
ドイですヒドイですヒドイですうううううう︱︱っ!!﹂
﹁ひどくねぇ!! ひどいのはお前だっての!! 勝手に話を作っ
501
てんじゃねーよ!! 全員お前を送るの嫌がってたじゃねぇか!!﹂
絶対に
﹁うわぁー! 原田くんこそ話を作ってますよぉー!! 難波くん
は花をものすごぉーく送りたがってたましたよぉ!? “
”
って絶叫してたじゃないですかぁー!!﹂
俺が花ちゃんのおっぱいを護衛するんだぁああああああああああ!
!
むくれた顔で猛抗議をしてきた白十利の反論を聞いた美月が、怒
りモードを一時解除してぷぷっと笑いだした。
﹁あははっ!! 確かに将矢ならそれ言いそう!! っていうか絶
対に言ってるね!!﹂
﹁そうなんですよ美月ちゃん!! 難波くんは花を送りたくて送り
たくてずぅーっとジタバタしてましたもんっ!! だから原田くん
が嘘をついてるんですよぉー!! 花の言ってることの方が正しい
んです! 信じて下さあああああい!!﹂
﹁うんそうだね! 花の言う通りだと思うよ!﹂
﹁ですよねですよねーっ!! 良かったぁ∼!! ほぉーらどうで
すか原田くん!! 花の主張が見事に認められました!! やっぱ
り正義は勝つのです!!﹂
﹁だけどさ花、あんたのその言い分だと、結局将矢以外のメンバー
は皆あんたを送るのを嫌がったってことになるよね!﹂
﹁う゛あっ!? そ、それは⋮⋮﹂
自ら墓穴を掘り、絶句している白十利。⋮⋮こいつアホだろ。
﹁あはっ疑ってごめんね柊兵!! やっぱり柊兵はあたし達の柊兵
だよー!!﹂
﹁うぉっ!?﹂
照れ笑いをした美月が身体に抱きついてくる。
502
どうでもいいがまたこのパターンかよ!?
毎度毎度女関係のちょっとしたことで疑いの目を向け、その疑い
が晴れればとびきりの笑顔で全面謝罪。そんでその後は俺にピッタ
リとくっついて媚びてくるこのお決まりパターン。
お前ら少しは進歩しろ!!
﹁あっ柊兵! この事は怜亜には言わないでおくから!!﹂
﹁当たり前だ! 完全に言いがかりだったじゃねぇか!!﹂
﹁まぁまぁ落ち着いてよ柊兵! でもさ、ホント柊兵はここぞって
時の一発勝負に弱いよね∼! 小学生の頃からそうだったじゃん!
大事な場面ではいっつも運に見放されるってゆーかさー! ねぇ
その勝負弱さ、あのミミ・影浦に言って占いでなんとかしてもらえ
ばー?﹂
﹁なんであの占い女にそんなこと頼まなきゃならないんだよ!?﹂
﹁だってあの人と仲いいんでしょ? あんなメールが来てるぐらい
だしね。しょっちゅう連絡取り合ってんじゃないの?﹂
﹁取ってねーよ! あの女が勝手に連絡してくるんだっての!﹂
﹁じゃあ柊兵からあの人に連絡取ることってないんだ?﹂
﹁無い!!﹂
⋮⋮美月の手前、この場はそう断言したが、実はこの修学旅行が
終わったらミミに初めてこちらから連絡は取るつもりだ。
あのチビ女がこの修学旅行の詳細を全部ぶっちゃけてくれれば、
銀杏の修学旅行
と意味不明の情報しか言わなかった報いは
“
この孤島サバイバルでよりベストな対処方法も見つけられたかもし
れん。
”
なのにそれをわざともったいぶりやがって
は教師の慰安旅行
きっちりと受けさせるべきだからな。
503
何をすればあの女にとって一番のダメージになるか、この三日間
でじっくり考えてやる。
504
ハーレム要員、増加危機
一刻も早く白十利をあのテントに打ち捨てたい。
今の俺の願いはこれ一点に絞られている。
﹁テントまで走るぞ美月!! 怜亜がお前の事を心配してる!!﹂
俺から降りろと白十利に文句を言い続けている美月を黙らせるた
め、そう叫んでみたところ、その効果は覿面だった。それまでキー
キーと白十利に文句を言っていた美月は返事もせず、俺よりも先に
テントに向かって走り出す。
下は砂浜なのにすごい早さだ。あいつの黒髪が驚くほどの波打ち
方をしていることから考えても美月の奴、全力で走ってやがるな。
こっちは白十利という厄介物を抱えているせいでどう頑張っても
美月の後塵を拝してしまう。
﹁怜亜あああ︱︱っっ!!!!﹂
美月のどでかい声が女どもが群れ集う浜辺に響いた。
﹁美月っ!? 美月ぃ︱︱っ!!﹂
プリズナー
怜亜もテントから飛び出してきた。⋮⋮怜亜の奴、安心した顔し
てんな。
美月が自分の身代りとして捕虜になったから心配だけでなく、責
任も感じてたんだろう。あいつらしいといえばあいつらしい。
505
﹁ほらよ白十利。着いたぜ﹂
テント前にしゃがみ、この緊縛女を砂浜にゴロンと転がしてやっ
た。
が、無駄に乳がデカいせいで半回転したところで突っかえてまた
こっちに戻ってくる。
新型の起き上がりこぼしかお前は。
﹁うわーん! どうしてもっと優しく下ろせないんですか原田くん
!! 花のジャージが砂だらけになっちゃったじゃないですかぁ!
!﹂
﹁どんだけ図々しんだよお前。ここまで運んでもらっておきながら
礼の一つも言わないような奴に優しくする必然性はない﹂
﹁お礼なら今言おうと思ってましたよ∼!! それより早くこの縄
解いてくださいっ!!﹂
﹁だからお前にそこまでしてやる義理はないって言ってんだろ。運
んでもらえただけありがたく思え。後はお前の仲間にやってもらえ
よ﹂
﹁原田くんは冷血ですううううー!! いいもんっ!! もうお礼
なんてぜーったいに言わないですからね!! べーだ!!﹂
﹁お前の礼なんて別に期待してねーよ﹂
﹁そうよ花!! こんな煩悩男にお礼なんて言う必要はないわ!!﹂
︱︱ 宮ヶ丘が出やがった!!
﹁性懲りもなくまた現れたわね原田柊兵っ!!﹂
宮ヶ丘は険しい顔で俺に詰め寄って来たが、自分の足首にくくり
つけられている足枷の鎖のせいでまた派手につっ転び、砂浜に一人
506
ダイブを決めている。
どうでもいいが学習能力が無いのかこいつ。
﹁いったぁ∼∼∼!! もうあんたのせいよ原田柊兵!! 見なさ
い!! 私までまた砂だらけになったじゃないの!!﹂
﹁お前が勝手に転んでんだろ。俺のせいにすんな﹂
﹁ああ言えばこう言う男ね!! そんなことより原田柊兵!! こ
んなにいやらしく花を縛るだなんて何考えてんのよあんた!! う
ちの班の花まであんたの餌食にするなんてどこまで堕落した男なの
!?﹂
﹁待て! 俺がこれをやったんじゃないぞ!? こいつを縛ったの
は毛田達だ!! そうだよな白十利!?﹂
﹁ええ∼そうでしたっけぇ∼∼? 花はぁ、原田くんが縛ったよう
な気がしてきてるんですけど∼?﹂
﹁白十利、お前⋮⋮!!﹂
︱︱ この巨乳チビ女、マジで恩を仇で返そうとしてやがる!!
転がっている白十利を睨みつけたが、今にも口笛を吹かんばかり
の余裕の表情でヘラヘラと笑ってやがる。女ばかりが群れ集うこの
待機エリアに戻ったことによって、男一人になっている俺を完全に
舐めているようだ。そして白十利の言葉を全面的に信じた宮ヶ丘は、
広いデコをテカらせながら更に俺を糾弾し始める。
﹁原田柊兵!! やっぱりあんたが犯人なんじゃない!! 女の子
にこんないやらしいことして許されると思ってんの!? 恥を知り
なさいよ恥を!!﹂
﹁だから俺じゃない!! おい白十利!!﹂
﹁あははっ! どっちかなぁ∼? どっちかなぁ∼? 花を縛った
のはどっちかなぁ∼?﹂
507
﹁男らしくないわね!! 自分がやったって素直に認めなさいよ原
田柊兵!!﹂
りん
﹁やってもないことを認められるか!!﹂
ケージ
﹁ちょっといい鈴? 花を縛ったのは男の先生たち。柊兵たちはあ
たしを捜索中にたまたま見つけた花を檻から助けてあげただけ。あ
たしも先生たちに縛られたんだからそれは間違いないわ。あたしは
自力で解いちゃったけどね﹂
げっ、美月が割り込んできやがった!! ヤバイ予感しかしてし
てこねぇ!!
﹁それよりも鈴、今ずっとあんたのこと黙って見てたけどさ、あん
たって柊兵に絡む時、ものすごく生き生きしてるよね﹂
無表情の美月にそう指摘された宮ヶ丘は白ジャージについた砂粒
を手で払いながら慌てたように立ち上がる。
﹁何言ってんのよ美月!? 別に生き生きなんてしてないけど!?
この男がE組の規律を乱す元凶だから注意しているだけじゃない
っ!!﹂
﹁嘘つかなくていい。あんた柊兵のこと意識してるじゃん。だって
あんた柊兵の前に行った途端に顔が赤くなったよ﹂
﹁赤くなってなんかないわよ!!﹂
﹁なってるって。なんならそこにあるバケツの水に自分の顔を映し
て確認してみなさいよ。早く﹂
﹁そんなことする意味が分かんないんだけど!? それにもし赤く
なってるとしたら原田柊兵に怒鳴ってるから血のめぐりが活発にな
ってるだけよ!!﹂
﹁ねぇ鈴ちゃん﹂
508
あくまでも美月の指摘を認めない宮ヶ丘に怜亜が静かに近寄って
いく。
﹁今美月から聞いたんだけど、鈴ちゃんも柊ちゃんのことが好きな
の⋮⋮?﹂
怜亜のこの発言に浜辺が一気にどよめいた。
おい怜亜!! お前まで何言い出してんだ!? なんでお前らは
そうやってわざわざ事を大きくしていくんだよ!?
﹁どうなの鈴ちゃん?﹂
﹁なにそれ!? なんで私が原田柊兵のことを好きなの!? そん
なわけないじゃない!!﹂
﹁でもさっき花ちゃんが言ってたのを美月が聞いたんですって。鈴
ちゃんも柊ちゃんのことが好きだって⋮⋮﹂
宮ヶ丘は素早く後ろを振り向き、未だ砂浜にミノムシのように転
がっている白十利をキッと睨みつける。
﹁花! あんた何デタラメなこと言ってんのよ!?﹂
﹁だって鈴ちゃんは原田くんのことが好き好きオーラがいつも出ま
くってるじゃないですか∼﹂
﹁そんなもの出てないってば!!﹂
﹁出てますってっ! それに鈴ちゃんは強くて近寄りがたいような
男の人がタイプ、って前に言ってことがあるじゃないですか∼! それってまんま原田くんに当てはまりますし!﹂
白十利は全然反省してない様子であっけらかんと暴露する。
こいつに文句を言っても無駄だと思ったのか、宮ヶ丘は今度は俺
を睨みつけてきた。 509
﹁何見てんのよ原田柊兵!! まさかあんたまで私があんたを好き
だって思ってるわけじゃないでしょうね!?﹂
﹁いっ!?﹂
だから俺に振んなっ!! そう言われてなんて返せばいいんだよ
!?
たじろく俺の前に美月と怜亜がまるで護衛のように音もなく寄り
添い、二人並んで宮ヶ丘を正面から見据える。
﹁鈴、分かってると思うけど柊兵は怜亜とあたしの物なの。だから
あたし達以外の女が柊兵に近づくのは許さない﹂
﹁ごめんなさいね鈴ちゃん⋮⋮。でも鈴ちゃんが柊ちゃんを好きで
も、柊ちゃんだけは譲れないわ﹂
﹁だっだからどうして私が原田柊兵を好きっていう前提で話が進ん
でるのよ!? 断じて違うから!!﹂
しかし美月は嘘を言うなと言わんばかりの白い目で、怜亜は本当
なのかという不安げな目で、宮ヶ丘を共にじっと見ている。周囲に
いた他の女共も狼狽している宮ヶ丘に興味津々の視線を注いでいる
ようだ。
浜辺の注目を一身に集めていることに気付いた宮ヶ丘は足枷の鎖
を大きく翻し、逃げるようにミノムシの側に膝をつく。
﹁あっあんた達なんかに付き合ってられないわよ! ほら花!! 私がその縄取ってあげる!!﹂
﹁鈴ちゃんこの縄を取れるんですか!?﹂
﹁先生が小型のナイフを置いていったからそれで切れるわ﹂
﹁えええーっナイフですかぁ!? それで間違って花を切らないで
下さいよ!?﹂
510
﹁分かってるわよ! ちょっと待ってなさい!﹂
じゃらじゃらと足首の鎖を引きずってテントの奥から宮ヶ丘が持
ってきたのはアウトドアレジャーの時によく見る小型のアーミーナ
イフだ。ナイフの他に栓抜き、缶切り、ドライバー、ピンセットな
どが収納されている。
﹁うわっ、なんかいっぱい出てきた⋮⋮。えっとナイフは⋮⋮﹂
支給された多機能ナイフをもたつく手つきで宮ヶ丘が操りだし始
めた。小型ナイフにはつばが無いからこいつに任せていたら危なそ
うだ。シンには白十利をここに届けたらすぐ戻って来いといわれて
るが仕方ねぇな⋮⋮。
﹁貸せよ宮ヶ丘。俺がやる﹂
隣にしゃがみこんで掌を広げたが、宮ヶ丘は頑としてナイフを渡
すのを拒んできた。
﹁いいってば! これ以上あんたの助けは借りないわよ!﹂
﹁危なっかしくて見てられねぇよ。白十利の縄を切る前にお前が手
を怪我しちまいそうだ﹂
﹁⋮⋮!﹂
﹁ほら、早く寄こせって﹂
﹁鈴ちゃん! 花も鈴ちゃんより原田くんに切ってほしいです!!
原田くんにそのナイフを渡してくださぁい!!﹂
俺と同じように宮ヶ丘のもたつく手つきに不安を感じた白十利が、
乳をつっかえさせながら砂浜を右に左にとゴロゴロ転がり必死に頼
んでいる。
511
その気持ちは分かるぞ白十利。なんたって被験者はお前だしな。
﹁意地を張らないで花のためにお願いします鈴ちゃん!!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
手元のアーミーナイフに視線を落とし、唇を噛みしめていた宮ヶ
丘は、目線を下に向けたままで俺にグリップ部分を差し出してきた。
﹁⋮⋮お願いするわ原田柊兵﹂ ﹁あぁ。おい宮ヶ丘、お前も手伝え﹂
﹁私が?﹂
﹁お前はこの縄をそっち側に引っ張ってろ。ここから切る﹂
﹁う、うんっ分かった。⋮⋮こう?﹂
﹁違うそれじゃない。そっちの縄だ﹂
﹁これ?﹂
﹁違う﹂
俺の指示が悪いのかそれとも白十利を縛っている荒縄の数が多す
ぎるのか、お互いの意思の疎通がうまくいかない。苛々してきたの
で宮ヶ丘の手をひっつかんで該当の縄を握らせる。 ﹁これだこれ。離さないでしっかり引っ張ってろよ?﹂
返事はなかったが宮ヶ丘が小さく頷いたのでミノムシの解体作業
に入る。
ろくに手入れをしていない小型ナイフだったせいかキレがいまい
ちだ。
しかし時間は少々かかったが荒縄を数本切断したところでミノム
シ本体が緊縛状態から無事に解き放たれた。
512
﹁あーやっと出られましたぁ!! 窮屈で死にそうでしたよー!!
喉乾いたからお水飲もーっと!! あそこにあるの飲んでいいん
ですよねー?﹂
テント奥に積まれているペットボトルの山にさっさと行ってしま
う白十利。
期待してねぇとは言ったがお前マジで礼無しかよ!?
﹁おい白十利! 水飲む前に宮ヶ丘の足枷外してやれよ!! お前
こいつと同じ班なんだろ!?﹂
﹁あっいけない! 花忘れてました! でも花は早くお水を飲みた
いので原田くんにお任せしま∼す! はいっ鍵はこれですっ! ど
ーぞ!!﹂
白十利が俺に鍵を放って寄こす。俺はお前の下僕か!!
空中で鍵をキャッチし、宮ヶ丘の足枷を掴む。⋮⋮鍵を突っ込む
穴はどこだ?
鍵穴を探していると宮ヶ丘が小声で場所を教えてくる。
﹁鍵穴は後ろにあるわ﹂
後ろか。
﹁宮ヶ丘、お前身体向こうに向けろ﹂
宮ヶ丘を横向きにさせ、足枷の後ろにある楔を外す。当たり前だ
が鍵が合っているのであっさりと足枷は外れた。
よくよく見ると無理やりこじ開ければ壊せそうな貧弱な作りの拘
束具だ。
とはいえ、鍵の入手を放棄してこいつを壊せばおそらく問答無用
513
で失格の判定を食らうことになるんだろうがな。
﹁⋮⋮あ、ありがとう原田柊兵﹂
︱︱ 思ってもみない奴から礼が来た。
白十利からも礼は無かったし、まさかこいつが言うはずもないと
思っていたので呆気に取られる。
﹁な、なによ。そんな顔して。私があんたにお礼を言うのがそんな
におかしいわけ?﹂
俯き気味ではあるが、すぐ横にいるせいで宮ヶ丘の顔がみるみる
うちに真っ赤になっていくのが手に取るように分かる。
﹁い、いや、白十利が言うなら分かるがお前が礼を言う必要は無い
だろ﹂
﹁あるわ。あんたは花を助けてくれたみたいだから班員としてお礼
をいうのは人として当たり前よ。花を急かして私の足枷を外してく
れたし、それに私がこのナイフで手をケガしないようにって、代わ
りに縄も切ってくれたし⋮⋮﹂
お、おい、こいつ耳まで赤くなってきてるぞ!?
﹁そ、それって私のことを心配してくれたからってことでしょ?﹂
宮ヶ丘は一瞬だけ横目で俺を見たがすぐにまた顔を伏せる。
さっき白十利の奴が言ってたことは半信半疑だったし、俺はこう
いう類のことにはかなり鈍い方だが、ここまで露骨な態度を見せら
514
れるともう何も言えん。
こいつ分かり易すぎだろ⋮⋮。
515
鈴、こいつが俺に好意を持っているらしいということは
りん
課した使命、遂行
みやがおか
宮ヶ丘
おぼろげだが理解した。
しかし白十利をテントに打ち捨てることが出来た今、あらたに湧
き出た一番の問題は、俺の周囲にいる数多くの女どもの視線。これ
をどうかいくぐってここから速やかに離脱するかだ。
とりわけ俺の後ろで白十利の荒縄解体ショーを無言で見ていた美
月と怜亜のプレッシャーが半端ない。振り向かなくてもその重圧は
はっきりと背中に感じる。
宮ヶ丘のこの様子から、美月と怜亜も俺と同じ確証を得ているだ
ろう。
となると、こいつらはまたタッグを組んで宮ヶ丘の速やかな排除
にかかるはずだ。校門で俺を待ち伏せしている一、二年の下級生ど
もを毎朝蹴散らしているようにな。
早くシン達のところに戻らなきゃならんのにこの争いに巻き込ま
れたらマズい。なんとかしてここから逃げ出さねぇと⋮⋮。
﹁あ∼お水ぬるいけどおいしー!!﹂
能天気な恩知らずがペットボトルを手にテントからノコノコと戻
ってきやがった。
白十利が持っている開けたばかりの500mlのペットボトル。
テントの隅に山積みにされている数々のミネラルウォーターはメー
516
カーもバラバラなところからして、俺ら生徒が持ってこさせられた
残りらしい。そういや、教師の襲撃から逃げる時に俺は投げ捨てち
まったな⋮⋮。
﹁美月ちゃんも飲みますか∼? 花と同じで閉じ込められてたから
喉乾いてません?﹂
﹁⋮⋮うん。もらう﹂
﹁はいは∼い! どーぞ!﹂
まだ未開封のミネラルウォーターを白十利から受け取った美月は
ごくごくと飲み、ぷはっと息を吐いた。よっぽど喉が渇いてたらし
い。
それを見ていた白十利は﹁わぁ∼美月ちゃんいい飲みっぷりです
ね!﹂と褒め称えた後、急にあれっと言いたげな顔で美月の左腕を
指さした。
﹁あのぉ美月ちゃん、そこにメダルが無いみたいですけど男子の誰
かに取られちゃったんですか?﹂
メダル
︱︱ 賞牌が無い!?
俺も驚いたが、一番驚いたのは張本人である美月らしい。﹁嘘!
?﹂と叫び、横にいた怜亜と共に慌てて自分の腕章を確認している。
ケージ
﹁ここには入ってないわ美月﹂
﹁きっと檻を蹴破った時だ! 落とすならそこしか考えられないも
ん! 柊兵!! あたし急いで檻の中確認してくる!!﹂
﹁待て美月! お前はここに残ってろ! 俺が見てくる!﹂
517
﹁だって柊兵はあたしが捕まってた場所分かんないじゃん! メダ
ルがあるか確認してくるだけから柊兵は早くシン達と合流して!!﹂
そう叫ぶと美月は鉄砲玉のように森の中に駆け込んでいってしま
った。
完全にテンパッてんじゃねぇか美月の奴!
﹁待って美月っ!!﹂
危ねぇ! 美月を追いかけようとした怜亜が鎖に足を絡ませてバランスを崩
した。しかし宮ヶ丘のように砂浜にダイブする前に身体を掴まえる
ことに成功する。
﹁大丈夫か怜亜?﹂
﹁柊ちゃんっ、私のことはいいから早く美月に付いて行ってあげて
!﹂
﹁今さらもう追いつけねぇよ。あいつがどっちに行ったかもう分か
らん﹂
﹁そんな⋮⋮。じゃあ私が探しに行く!﹂
﹁何言ってんだ。美月が足枷の鍵を持ってちまったからお前は動け
ないだろ﹂
﹁ううん、さっき美月から鍵はもらったわ。ほら﹂
怜亜の手には宮ヶ丘の足枷を外してやったのとよく似た小型の鍵
がある。
なんだ、美月の奴、もう怜亜に渡してたのか。
足枷をまだ外してやってなかったのは、宮ヶ丘の動向に注目して
いたせいで後回しにでもしていたってとこだろうな。
518
﹁怜亜、それ寄こせ﹂
鍵を怜亜から取り上げ、自分のジャージのポケットに乱暴に突っ
込む。
﹁どうして外してくれないの柊ちゃん!?﹂
俺に足枷の楔をこの鍵で外してもらえると思った怜亜は驚いてい
る。
しかしこのままステイヤーの鎖を解いてやったら自由になった怜
亜まで美月を追って森の中に飛び込んで行きかねない。
美月を心配するあまり冷静さを欠いているこいつを落ち着かせる
ため、俺らの今の戦況を伝えた方がよさそうだ。
﹁怜亜。俺らの班に追加で入ったウラナリが脱落した﹂
怜亜の右肩に手を置き、部隊員一名の喪失を告げる。
﹁えっ本多くんが!?﹂
﹁あぁ。あいつは俺らを教師どもから逃がすために自ら囮になって
壮烈な最期を遂げた。一人で行っちまった美月のことは気にかかる
が、俺らの身代わりで散ったウラナリのためにも豪華旅館一泊権は
必ず確保しなきゃならん﹂
﹁柊ちゃん、でも﹂
﹁大丈夫だ怜亜。美月は今メダルを持っていないから教師以外の人
間に襲われることはないはずだ。それに俺やヒデが相手ならともか
く、あいつならその辺の男が襲いかかったって逆に返り討ちにしち
まうさ。お前だってそう思わないか?﹂
﹁う、うん。確かに美月は強いわ﹂
﹁そうだ。縄で縛られていない今なら教師共とだけ鉢合わせしなけ
519
ればあいつは問題無い。だからお前はここで美月が戻ってくるのを
待ってろ。お前まで勝手な行動を取らないよう、この鍵は俺が預か
っておく﹂
やはりそれでも一人で特攻中の美月が心配なのか、それともまた
ここで一人残されてしまうのが辛いのか。
怜亜は明らかに消沈した様子で頷いた。落胆していることを隠そ
うとしているようだがどう見てもバレバレだ。
﹁怜亜。お前、俺と来たいのか?﹂
試しにそう聞いてみると、手を乗せていた怜亜の肩がぴくりと揺
れた。しかしすぐに﹁ううん﹂と首を振る。
﹁柊ちゃんの指示通り、ここに残るわ﹂
︱︱ なんでこいつはこうなんだろうな⋮⋮。
ことあるごとに恭順の意しか示さない怜亜を見ていると軽い苛立
ちと溜息が出そうになる。
こいつは昔からいつもそうだ。特に重要な場面では真っ先に自分
の意思を殺して周囲にばかり合わせようとする。
常に相手の気持ちを汲み取ろうとするこいつのこの性格は決して
悪いものではないと思う。
“
言いたい事はちゃんと言
ただ、俺からしてみればそれがあまりにも度が過ぎる。
美月もそう思っているからこそ、
520
え
”
と口を酸っぱくしてしょっちゅう怜亜に言い聞かせている
んだろう。
なぁ怜亜。
そうやって貧乏くじばかりを引きに行かないでお前が思った事、
やりたい事を素直に言えよ。
何があっても引かないでお前が自分の意思を遠慮がちに表明する
時は、美月以外の女どもに対し、俺を譲れないって宣言する時だけ
だろ。
﹁怜亜、お前本当は俺と行きたいんだろ? お前の事だから、付い
て行ったら俺に迷惑をかけるとかそんな理由で行かないと言ってる
だけじゃないのか?﹂
﹁そ、そんなことないわ﹂
﹁なぁ怜亜。お前はもう少し自分を出せよ。好き勝手ばかり言って
る美月を見習え。そうやって他人に気を使ってばかりいたらいつま
で経ってもお前がお前らしくいることができないだろ。行きたいな
ら行きたいって言え﹂
﹁⋮⋮﹂
下を向いた怜亜は何も言わない。
時間は惜しいがここはこいつの返事を待つ。
そうやって自分を殺してばかりしていたらいつまでもお前の気持
ちは誰にも分かってもらえないってことに気付け怜亜。
無言で返事を待っていると、怜亜がわずかに動いた。
俯いた姿勢は変えず、背後の穏やかな波音にまぎれそうなほどの
か細い声で答える。
521
﹁柊ちゃんと行きたい⋮⋮﹂
﹁言えるじゃねぇか﹂
意思を表した褒美、というわけではないが、ジャージのポケット
に手を突っ込み、怜亜の足元に跪いて足枷を外してやる。
﹁これからも言いたい事はきちんと言え。いいな?﹂
﹁う、うん﹂
よし。
﹁じゃあ怜亜、お前はここに残れ﹂
﹁え⋮⋮!?﹂
﹁怜亜、お前を他の部隊から守りきる自信はある。だが俺らの部隊
はすでに隊員を一名失った。身代わりになったウラナリ、そしてお
前や美月のためにも最高褒賞の特室一泊権は必ず手に入れなきゃな
らん。これは俺やヒデ、シン、将矢、尚人で決めた俺らの使命だ。
無理に本音を言わせて結局連れて行かないなんてひどいと思うだろ
うが、確実な勝利を手にするためにお前は襲われる危険性の無いこ
こに残れ。次またお前がちゃんと自分を出せたらその時はお前の意
思を尊重する﹂
怜亜はすぐに頷いた。
﹁うん、私はここに残るわ。そして美月や柊ちゃんのアドバイスを
胸に刻んで変われるように努力してみる﹂
いや、変わると言っても少しでいいんだ怜亜。
522
控え目なお前の少々度が過ぎるほどのその優しい性格が欠片も無
くなってしまったら、それはそれで困るからな。 523
ある意味、これも一種の攻防戦か
﹁気をつけてね柊ちゃん﹂
再びこの待機ポイントに残ることになった怜亜が俺の身を案ずる。
﹁あぁ。もし美月が戻ってきたらお前もここに残ってろって伝えて
くれ﹂
﹁うん分かったわ。そういえば柊ちゃん、お水を持ってないけども
う全部飲んじゃったの?﹂
﹁いや、毛田の襲撃をくらった時に邪魔だから投げ捨てた﹂
﹁ならあそこのお水持っていくといいわ。まだあんなにたくさんあ
るし﹂
さっき白十利が引き抜いて飲んでいたペットボトルの山を怜亜が
指さした途端だ。
﹁何勝手なことしてんのよ怜亜!! 私たち今日一日この島に残ら
されるのよ!? もし水が足りなくなったら困るじゃない!!﹂
﹁水を投げ捨てたのはその男が悪いんだから自業自得!! 同情す
る余地なんてないわ! 数には限りがあるんだからあげる必要なん
て無し!!﹂
﹁あんた、原田くんを好きだからって貢ぐような真似は止めなさい
よ!! 持っていったら許さないからねっ!? ﹂
﹁自分の班が勝ちたいからってなりふり構わないことすんじゃない
わよ!!﹂
524
周囲から一斉に非難の声が飛んできた。それまで遠巻きに俺らの
騒動を見ていた残りの女どもが声をそろえて喚きだし始める。女ど
もから責められた怜亜は一瞬ビクッと身を縮めたが、
﹁で、でも花ちゃんや美月だって飲んだじゃない﹂
と弱気な声で言い返す。
﹁はぁ!? 花や美月は捕虜で捕まってて水が与えられてなかった
からでしょ!? それは当然の権利じゃん!!﹂
突如として湧き起こった浜辺でのブーイングに俺と怜亜は孤立し
た。
女どもの殺気立った形相に怯えた怜亜が﹁柊ちゃん⋮⋮﹂と俺に
すがりついてくる。
﹁ほら始まった!! 美月もそうだけど、何かあればそうやってす
ぐ原田くんにぴったりくっついてベタベタ甘えてさ、はっきり言っ
て見ていてうざいのよ!! あんた達のことをそう思ってるのはき
っと私だけじゃないわ!! ねぇ皆!?﹂
この女の呼びかけに、私も、私も、と次々に賛同者が現れる。⋮
⋮結構いるもんだな。
こいつらが俺をガン見してたのは純粋な好奇心だけ、というわけ
じゃなさそうだ。
校内で色んな女に付きまとわれている俺が男どもからの嫉妬の対
象になっているのは薄々感じてはいたが、どうやら美月や怜亜にも
同族の敵はいるらしい。
これは思った以上に厄介なことになりそうだ。
525
負の同志が多数出現したせいで弾劾のシュプレヒコールはますま
すその熱を帯びてゆく。
﹁見なさい!! これだけの人間が皆そう思ってんのよ!! 怜亜、
あんたもこれから少しは自重したらどうっ!?﹂
しかし今さらだが、こうして多数の女が一箇所に寄り集まり、一
致団結した時の凶悪さってのはすげぇもんだな⋮⋮。
群れた男どもが小競り合いを起こして収拾がつかなくなった時の
混沌さに比べ、こっちの方が遥かに始末に負えない匂いに溢れてい
る。
このサバイバルバトルが始まる前のルール説明で、戦闘中に負傷
したり水の補給が必要になった時は待機ポイントまで戻ること、と
いう説明を伯田さんから受けてはいるが、その事を俺がここで言っ
てみても嘘を言ってると決めつけられて全く相手にされないか、余
計にこの場を阿鼻叫喚の図にさせるだけだろう。
﹁分かった。その水は持っていかないから落ち着けお前ら﹂
むかつくがここはむやみに事を荒立てない方がいい。
両手こそ上には挙げなかったが、騒ぎ立てる女どもに全面降伏の
姿勢を取る。
﹁当然でしょ!! あんた達の班なんて殴る蹴るがお得意の最低な
連中ばっかなんだから今回のこの企画はさぞかし楽しいでしょうね
! あんたらのことだからどうせ反則すれすれの汚い事ばかりやっ
526
て、ちゃっかり特等を手にするに決まってるわ!!﹂
﹁そうよそうよ!! 必死に否定してるけど花を縛ったのだって本
当はあんた達なんでしょ!? あんたら暴力に物を言わせて他の女
子も浚いまくってんじゃないの!?﹂
﹁それに下級生に人気があるからって自惚れてんじゃないわよ!!
皆が皆あんたを好きなわけじゃないんだからね!!﹂
一度流れを手にした連中の勢いはとどまることが無いようだ。
最低、最悪、卑怯者といった内容の合いの手が何度も入り、場が
更に紛糾していく。
事態の泥沼化を避けるため止むなく白旗に近いものを上げたが、
俺や怜亜だけではなくヒデや将矢まで中傷し始めた女どもにさすが
に怒りがこみ上げてきた。
言われっぱなしじゃ業腹だ。やはり一言ぐらい言い返さねば治ま
らん。
するとそれまで俺にすがりついて女どもに怯えていた怜亜が、急
に俺から離れた。そして女どもの前に立ち、奴らに強い眼差しを向
ける。
﹁柊ちゃん達のことを悪く言わないで! 柊ちゃんもヒデちゃんも
暴力をふるって喜ぶような人じゃないわ!﹂
普段は美月の影に隠れて控え目な怜亜が大声を出したので女ども
が一瞬怯んだ。
﹁な、なによっ急に大声出してさ! いつもおどおどしてたのも男
の前だから演技して猫かぶってたってわけ!? 計算高い女ねあん
527
た!﹂
﹁私のことは悪く言ってもいいわ! でも柊ちゃんや美月やヒデち
ゃん達を悪く言わないで! あなた達なんか柊ちゃんのことを何も
知らないくせに!!﹂
こんなに声を張り上げて怒鳴る怜亜を初めて見たせいで自分も女
どもに憤っていたことをしばし忘れそうになった。
今まで俺の事に関して女どもとトラブルになっても、その度に前
面に躍り出て吼えていたのは美月だ。
その美月の横で控えめに異を唱えるだけだった怜亜が今はたった
一人で女どもに猛抗議をしている。
こうして実際にこの目で見ているのに、にわかには信じがたい光
景だ。
﹁原田柊兵、ちょっといい? メダルのことであんたに一つ聞きた
いことがあるの﹂
俺らと女どもの間に、足枷から解放され、顔の火照りが治まりか
けてきている宮ヶ丘がスッと割り込んできた。
E組の委員長でクソ真面目な宮ヶ丘が割り込んできたので吊るし
上げをしていた女どもも渋々と口を閉じている。
﹁メダルのことってなんだよ宮ヶ丘﹂
﹁今、花を問い質して全部聞き終わったところ。だから花をあんな
目に遭わせたのは先生たちであんた達じゃないってことははっきり
したわ。そして私たちの班の男子が花を見つけたくせに邪魔者扱い
してそのまま檻に置き去りにしていったこともね。でもあんた達、
どうして花のメダルを奪わなかったの? 縛られていた花からなら
528
簡単に奪えたでしょうに﹂
︱︱ なんで白十利の賞牌を奪わなかったか、だって?
﹁どうなの原田柊兵﹂
﹁いや、お前に言われるまでそういう事を全然思いつかなかった﹂
この俺の返答に宮ヶ丘は心底呆れたようだ。
﹁あんたってバカね。せっかくのチャンスをフイにしたってことよ
? それじゃあんた以外のメンバー、楠瀬慎壱や佐久間秀範、難波
将矢や真田尚人。彼らもあんたと同じで花からメダルを奪うことを
思いつかなかったってこと?﹂
﹁どうなんだろうな。そういう話にはまったくならなかったから分
かんねぇよ。俺は単にそんな事まで頭が回らなかったが、シンや尚
人辺りならその事に気付いてたかもな﹂
推定で答えたが、シンと尚人ならたぶん間違いなくこの事に気付
いていただろう。
荒縄でエロ縛りされていた檻の中の白十利を最初に見た時は確か
に全員呆然としたが、シンや尚人は白十利のような女は全くタイプ
じゃねぇし、いつまでもあのチビ女の胸に気を取られていたとは思
えん。
特に尚人は白十利を一番厄介者扱いしていたしな。
﹁でも仮にその事に気付いてたとしても、結局あんた達の班は誰も
花のメダルを取ろうって言いださなかったってわけね﹂
﹁まぁそうだな﹂
529
﹁ごめん原田柊兵、もう一つだけいい? あんたは単にその事に気
付かなかったみたいだけど、もし気付いてたら花からメダルを取っ
てた?﹂
﹁縛られて動けない女からメダルを奪うなんてできるかよ﹂
それを聞いた宮ヶ丘が満足そうに笑ったような気がした。
﹁意味の無い事を聞いちゃったみたいね。それにそもそも縛られて
いる女の子からメダルを奪うような事をするような男たちなら、こ
うしてわざわざここまで花を送り届けたりなんかしないはずだわ﹂
唇を真一文字に結んだ宮ヶ丘はサクサクと砂を踏みしめ、俺の前
にまで近づいてくる。そして握りしめた右手を差し出し、俺の顔の
前で大きく掌を広げた。
﹁これを持って行きなさい原田柊兵﹂
︱︱ 宮ヶ丘の手の中には銀色に輝く賞牌があった。
﹁これ、お前のメダルだろ? なんでお前がこれを寄こすんだよ?﹂
﹁一種の補填よ。もし美月が自分の落としたメダルを見つけられな
かったらこれはあんた達の班にあげるわ。檻から花を助けてここま
で連れて来てくれたお礼と考えて﹂
﹁メダルが見つかったらどうすんだよ?﹂
﹁そうね⋮⋮、じゃあそれはもし気が向いたらでいいわ。私に返し
てくれればいい。返すか返さないかは原田柊兵に任せる﹂
﹁待てよ宮ヶ丘、ここはメダルのやり取りは禁止されてる場所なん
530
だぞ? それを受け取ったらこっちの立場がマズくなる﹂
﹁だからそれはあくまでもメダルの奪い合いでしょ? 私のこれは
あんたへの仮譲渡。だから何も問題ないはずよ﹂
宮ヶ丘は俺の手を取り、その中に賞牌を無理やり押し込めてくる。
﹁あんた達、このバトルに絶対に勝ちたいんでしょ?﹂
﹁あぁ。俺らはグレードSしか狙ってない﹂
﹁ならその目的に向かって突き進むことね。私はそこまで勝ちにこ
だわってないし、何より花を見捨てて先に進んだうちの班の男子が
許せない。だからこれを持って行きなさい原田柊兵﹂
﹁宮ヶ丘、お前﹂
﹁それと怜亜のことなら心配しなくていいわ。私がこれ以上揉めさ
せないから。もし皆が騒いでも私が抑えるからあんたは心おきなく
行きなさい﹂
握らされた賞牌に視線を落とす。
コマンダーの俺が持っている物よりも二回りほど小さい。もし美
月のメダルが見つかったらこれは宮ヶ丘に返そうと決め、左腕に巻
きつけた腕章に賞牌を入れる。
浜辺に背を向けて森へ走りかけると、怜亜が走り寄ってきた。
﹁柊ちゃんこのお水を持っていって!﹂
怜亜の手には並々とミネラルウォーターが入った500mlのペ
ットボトルがある。
白十利を運んだせいで本当は滅茶苦茶喉が渇いていたが貰うわけ
にはいかない。要らんと言いかけた俺の口の動きを先に読み切った
怜亜が、
531
﹁大丈夫! これ私の分のお水だから!﹂
と慌てて釈明した。
﹁それを俺が持って行っちまったらお前が困るだろ﹂
﹁ううん、私はここにいるだけだからそんなに喉は乾かないわ。そ
れよりいっぱい走らなきゃならない柊ちゃんの方が喉が渇くはずよ。
ただね、これもう口を開けちゃってるの⋮⋮﹂
遠慮がちに差し出した怜亜が持っているペットボトルはよく見る
と本来あるべき量よりわずかに水量が足りない。怜亜が何口か飲ん
だんだろう。
﹁だ、だからもしそれでも柊ちゃんが気にしないならこれを持って
行って?﹂ そんなこと気にするわけねぇだろ。
恥ずかしげに差し出されたペットボトルを受け取り、その場で半
分ほど一気に飲む。
五臓六腑に染みわたる、とはこのことなのかと一瞬思ったほど、
その水はめちゃくちゃ美味かった。
﹁サンキュー怜亜。これはありがたくもらっていく。必ず俺らが勝
つからお前はおとなしくここにいろ﹂
口元に垂れた水を手の甲で拭い、そう勝利宣言をすると怜亜はニ
ッコリと笑って頷いた。
釣られて俺もわずかに口元が上がる。
怜亜、お前のさっきの啖呵はなかなかイカしてたぞ。
正直、少々感動を覚えたほどだ。
532
︱︱ よし、行くか!
”
で必ず俺らの
シン達とうまく合流できるか分からんが、この修学旅行サバイバ
選ばれしWinnerを目指せ
グレードS
ルバトル、“
部隊が特等の豪華褒賞を手に入れてやる!
533
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n7976x/
私たちに しときなさい!
2014年8月2日09時08分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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