パウロ物語(プログラム原稿)

パ ウロ物 語
は紀元 3 0 年 頃。太幸 を誇 るローマ帝国が西は イスパニ ア( スペ イン半 島) から泉はシリアに至 るまでを属州 とし、版図 を広
げていました。パ レスチナを治めたかつ てのユ ダヤエ 国 も、今や属州 シリアの管轄下 に あ│ ) 、
ヤt 都 市 エルサレムには ロー
マ皇帝 の属史が派遣 されていました。
S 初 期 キ リス ト教 と ステ ファノの殉 教 S
そうしたヤ、イエス・キリストの死後も、その教 えは弟子 たちの活動によって着実に イスラエルの民衆に広め られてい きました。
メシア( 故世主) 」
と崇め、復活を信 じ、日々ユダヤ教の会堂に集 まって説法、祈 │ ) の
歌、食事 を共にして
信者 となったものはイエスを「
いました。しかし信者が急速に増えるに ともない、タ
トからは在来宗教 であるユ ダヤ教徒 との衝突が起 こ│ ) 、
内からも地元パ レスチナ
のユ ダヤ人信 者 と、外来の ギ 1 ) シ
ャ語 を話すヘ レニ ス トと守 ばれ る信者 との間に差冴│ │ が
生 じるようにな 1 ) ま
す。
そ こで 問題 を解決 す るため、ステフ ァ ノとい う人物に 白羽 の 矢 が立 て られ ま した。
彼は国際感党 を身 につ けたヘ レニス ト系信者 で、優 れた知性 を持 ち、「
息み と力J が 満 ち
S、
れていた といわ れていま抗 キリス トの言葉 ( 福音) の意 義 を深 く理 解するステファノ
あレ
ことした │ ) 、
は、ある時 エルサレムの会 萱 で 民衆 に説法 します 「
押 殿 をすべ ての礼拝 の 中′
一
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こと
の
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る
く、何
す )律 法 守
教義 す
十戒
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よりも神 の 国 と神 の義 を求め ることですべ てが与 えられ るのですJ 。守ってきた宗教的 慣
習 を否定 されたユ ダヤ教 彼 は これに反発します。しか し理 路 整然 と話 す ステファノに太
刀打 ちで きず、妖 妬 と恨 みからモー ゼ とネ
申を冒元 した と言って、
説 法 す るステ ファノ
彼 を裁判 の場 に連 れ 出しました。
最 高法 院 に 突 き出された ステフ ァノは聖 霊 に満 た され、さなが ら天使 の よ うに 見 えたので した。彼 は
ユ ダヤ人たちに向か い言 い ました 「
あなたたちの祖 先 は、神 によって様 々 な苦難 から助 け出されたにもか
かわ ら拭 神 の言葉 に逆 らい、正しい言葉 を述 べ たモー ゼ ら預吉者 たちをも迫 害 しました。律法 を授 かって
天が聞 いて人 の子 ( イエ ス) が 押
も守ってすらいないの です」
。そしてお もむ ろに遠くを見や │ ) 叫び ました 「
の右 に立ってお られ るのが 見えます! 」
。
欠対者 たちは怒 り狂 い、もはや正 当な裁判 を受 けることなくステファノは石打 ちの刺 を下 され ます。「
南
殺し
「
の
こ
に
てしまえ! 」
と叫 ぶ 民衆に よって写│ き立てられ、戎 門 のク
で石に
たれた彼
は
主よ、
ト
打
罪 を彼 ら 負わせ
ないで ください」という言葉 を残 して′
亀絶 えました。こうして ステファノは キリスト教 最初 の殉教者 とな │ ) 、
ステファノ
( 頭に象徴 の石 )
その死はさらなる迫 害へ と発展します が、迫 害を逃れ各 地 へ離 散 した信者 に よ│ ) 教えが広 まるきっかけとも
な│ ) ま
した。イエ スの死後からおよそ 2 年 、紀元 3 2 年 頃 のことで した。
自党めと口ば §
§サウロの奇弥 ・
この騒 動 の中に あってステファノヘ投 石す る者 の着物 を預かったのは 『
サウロ』
一
一
とt ヽ
う若者 でした。彼 も染押1 執行 人の 人だったので丸 ユ ダヤ教 の 派 である
ファリサイ派 に属す るサウロは、倉1 設間 もないキ│ ) ス
ト教 の曝発的 な広が│ ) に
相当
な危機患 を持 っていました。ステファノの言葉 を聞 いた彼のは 中 は どうだったので
しょうか。その後 ます ますサウロはユ ダヤ教 へ傾 倒 し、攻 壊 ・
脅 迫 を行 う過 激 な
キリス ト教徒 迫 害者 となって、次 第 に学 圧 の対 象 をエ ルサ レムの 外へ と広 げて
い きました。
ある日サ ウロは、ユ ダヤ教 の 人 司祭 からキリ
ス ト教 徒 逮 捕 の 信 任状 を得 て、エ ルサ レムの
サウロ、ダマスコヘの行軍
光に位 置するダマスコヘ と向かいます。人勢 の軍勢 をキ い、荒涼 としたL L 岳地 帯 を行進するサウロ
たちの テタ相 は悪魔 に も似たことだったでしょう。一 行 が ダマスコの 口
丁がみ えるところまで進んだ時
でした。実女口として天 を黒 い雲 が寝 い、晏間 か ら強 烈 な一 筋 の光がサ ウ ロめ がけて撃 たれます。
サ ウ ロよ! なぜ 私 を迫 害
そ して街 撃 で落 馬 し地 面に倒れ たところへ 天から声が響 いてきました 「
するのか? 私 は あなたが迫 害してい るイエスだ」
。続 いて 声 はダマスコの B T に入れば す べ きことが
わかるとを げ ます。声 が止んだ後、サ ウロは 自分 が 失明 してい るこコ こ気付 きます。それ に しても
なん とい う体験 で しょう。サウ ロは まさに 「
復活 したイエ スJ の 生 き証 太 となったので しょうか。
声は聰 こえても姿が見えなかった同行者 たちは、恐 怖 の あまり立 ちすくんでい ましたが、我 に返 っ
てサウロをB T まで連 れて行 きました。
落馬するサウ回
ユダの 家
ダマスコの口
丁では、アナエアというキリストの信 徒 が イエスの知 を見ていま した。幻は 「
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へ行 き、そこで祈 っているサ ウロ を主の力 で 目が見えるようにするのだJと命 じます。さらに 「
その者 はキ リ
ス トの伝道者 として選 ばれ、迫害を受 けることになるJとも告 げるので した。自らの迫害者 を助 けることにつ
'P深い彼 は出かけて行き、サ ウロの上に手 を置
いて、さぞ アナニアは脅 き躊 蕗 したことでしょう。 しかし信イ
いて言 い ました 「
兄弟サ ウ ロよ、あなたの前 に現れた主 イエ スは、再 び 目が見 えるように、かつ聖豆 で満 た
され るようになるよう私 を遣 わ したのです」
。す ると、何 とい うことで しょう、サ ウロの 目か ら鉛 の よ うな
ものが落 ちて、日が見 えるようになったではあ │)ませんか。これが現 在 で も使われ る 「
目か ら鶴Jの 静源
です。
せ しました。ユ ダヤ教 か らイエス。キリストを信 仰する
失明 の街撃 よ│)も塚1的な体験 をした彼は瞬 時 に回 ″
私 が イエス を選んだのではな く、イエ スが 私 を選んだJ。こうしてファ
す「
者になったのです。後に彼は語 │)ま
ー
エ
パ ウロ』とな │)ました。しかしこの急激
リサイ派 の リ トであったサ ウロは、この時 よ│)キ│)ストの伝 道者 『
こは、キリスト教 徒 からは信頼 され ず、ユ ダヤ教 徒 には衰切 りと思われました。パ ウロ30歳 、孤立無援
な曰″
からのスター トで した。
Sユ ダ十人へ の伝道 と迫害 S
その後パ ウロはペ テ ロらキリストの弟子 たちに会 いに、エ ルサ レムヘ と向かいます。迫害者 であった過去
パ
は ウロを伝 然 同砲 として受 け入れ難 いものに して いましたが、そこにキプロス出身 の バ ルナバ が現れ、太
望 のある彼 の コ ) なしでパ ウ ロは 自由に教 えを説 くことがで きました。そ して数 年後にはそのバ ルナ バ と
シリアの教会で働 き、共 に伝通 の旅 を始 め ることになったのです。
ストの使者 として船 出した彼 らは、キプロス島 を経 て小アジア ( 現在の
キ│ リ
聖霊 が告 げた狩 の言葉 によ│ ) 、
トル コ) に上陸 しま丸 二人はユダヤ人の会 堂 で主 にユ ダヤ人たちを相手 に福 音 を広めてい きましたが、パ
ウロたちの説 法を聰 くために ユ ダヤ人以 外の具邦 人 も多く集 まってきました。彼 らの伝 壇 の成 = 力
を妬んだユ
パ
ダヤ人たちは ウロを「
虚言者」と守 び、ことごとく妨 害す るようにな│ ) ま
す。これに対 しパ ウ ロ とバルナバ は
「
キリストの教 えはすべての人に向けられてい るJ と考えていましたので、今後 はユ ダヤ人ではなく具邦
イエス・
人に向けて伝埴することを決 意 し宣 言す るので した。
S果 邦人への伝道 と迫害 S
ストラという町 にやってきました。そこには足が
そうしてパ ウロたちは 内陸の│ ジ
一
不自由で 歩 も歩 いたことの ない野がいましたが、パ ウロが 「
自分 の 足で立ち
なさい │ 」と言 うと、何 と場は歩 き出 してネ
せんか。
申を賛美 しはじめるではあ1 ) ま
サウロに聖霊を
与えるアナニア
ヘ ル メス」と守 び、生贄 を
これ を見た民衆 はバ ルナバ を「
ゼ ウスJ 、パ ウロ を「
ささげ忠み を得 ようとします。パ ウロたちは嘆 き叫んで言 い ました。「
なぜ こんな事 をす るのですか。こ
のように偽 りの偶 係 を崇拝す るのでな く、倉l 造主である生けるや を信 じなさい。そして人の 手 で造 られ
た神 殿ではなく、押 の霊 が住まう自分 自身 を押 聖 なもの と考 えなさい。私 たちの神 は天にお られ、御だの
ままにすべ てを行われるのですJ 。
しかし民衆 はそれに憤 l F L し
、二 人 を追って町 に来 たユ ダ
ヤ人たちに局動 され暴動 を起 こしま丸 パ ウロは石 を投 げつ
パウロの癒 し
けられながらも何 とか羽1 の町 へ逃れ、再 びイ
云道 を続けました。
§エルサレムヘの永迄 の来 立ち S
伝 道の 旅 の塗 中 でパ ウロは、キリスト教 団 の ■ ことなる太たちに 自分 の活動 を理 解 し
てもらうよう、また 各地 からの 献 金を教回へ届けるためにもエルサレムヘ行 くことを決 意 し
ます。彼 はエー ゲ海 沿 岸の ミレトスを訪れ、エフェソの長老 たちを守 び 寄せ ました。支援す
生贄をささげられるパウロとバルナバ
る教会 の運営を委 ねるためです。エルサ レムでは苦難 が待 ち受 けて い ると奈 していたパ
云えると、長 老 たちは彼 をラ│き止 めようとしました。 しかしパ ウロの意志 は固 く、
死ぬ ことも党'1号
して いると皆にイ
ウロが、投獄 ばか│)か
ワ│れの際 には見送 る皆が感情 を高ぶ らせ泣き崩 れるあ│)さまでした。エ ルサ レムにコ1着してからパ ウロはユ ダヤ人たちに捕 えられ、
ロー マ軍 による勾留 と最 高法院 での裁判 を経 て、ローマヘ と護送 されてい きま坑 その後の彼 の運命長期 は どのようであったので しょ
せん。
うか、聖書 にその続 きはあ│)ま
曰だ してからのパ ウロは、幾 たびの迫 害や 困難 にも立ち止 まることなく、具邦 人へ の 伝 道 に生遅 をささげました。彼 の強固 な信念 と
その 思想は後世 に 多人 な景レ
響 を与 え、常 にキリスト教 の歴 史 と共 に あったといえるでしょう。パ ウロの旅 は二 千年前 から今 も終わるこ
となく、未来に向かって永遠 に続 いているのです。
│1陽
ロ子)
(アル ト 小 サ
子 ソ プラノ LLロ オ
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