ご支援ありがとうございます。初めて議会にお 送りいただき30年となりました。いま暮らしが 大変なときです。これまでお寄せいただきました 貴重な経験を生かし、引き続き、全力でがんばり ます。ご支援を心からお願い申し上げます。 ■ 昭和26年、滋賀県多賀町で4人姉兄弟の3番目として生まれました。1haの 田畑と約30頭の乳牛を飼育する専業農家でした。「おやつ」は牛乳で1日5合 も飲みながら、毎日、田畑で遊び、のんびりと過ごした少年時代でした。この 時代が今の「くよくよしない。どうにかなる」という性格になったようです。 ■ 野洲高校卒業後、森下製薬の薬理研究所に就職しました。21歳で日本共産 党に入党。労働組合運動や青年運動に明け暮れる日々でした。 ■ 昭和54年に中主町議会議員に当選、27歳の時でした。国保税引き下げや学 童保育所づくりに父母のみなさんと奔走。不正を許さない思いは人一倍強い つもりですが、「野田沼干拓開発」や乙窪工場団地の企業への「橋設置問題」 など、不明朗な行政を一貫して追及しました。 ●小菅むつおさんの活動を紹介します 発行 日本共産党野洲市委員会 2009年8月10 ■ 平成16年の合併で野洲市議会議員になりました。「新幹線新駅への負担を やめよ」の署名運動。また、「野洲市農業まもれ」「大企業の解雇・雇い止め許 すな」の運動をすすめ、市民のみなさんとがんばっています。 ■ 元保育園保護者会副会長、学童保育所保護者会役員。現在、市議会・総務 常任委員会委員、議会運営委員会委員。党滋賀県委員、党野洲市議団長。 (住所) 比江668−3 (電話)589−4971 (家族) 妻、長男、義母 (E メール)[email protected] (ホームページ) http://www.yasusigi.net/~kosuga/ 小菅むつお 中主学区 篠原学区 野並きょう子 北野学区 祇王学区 太田健一 三上学区 野洲学区 小菅むつおさんの活動を紹介します 発行 日本共産党野洲市委員会 2009年7月28日 №180 昭和 年、滋賀県多賀町 で4人姉兄弟の次男として 生まれました。 家は専業農家 でした。昭和 年、野洲高 校を卒業後、野洲町︵現野洲 市︶ の森下製薬に入社しまし た。 労働組合運動や青年運動 で青春を謳歌する毎日でし た。 補です。無投票の予想が、私 の突然の立候補で一転選挙 になり、 猛烈な攻撃もありま した。 ﹁あんた立候補やめと き。まちを混乱させるな﹂と 候補者カーの前に立ちはだ かり、 立ち往生したときもあ りました。 こんな選挙でした が、 町民のみなさんのご支援 で初当選させていただきま した。 暮らしが本当に大変 ですね。自公の生活保護 の母子加算廃止は許せま せん。野洲市でも多くの 雇い止め・解雇がされて います。今こそ暮らし守 るまちをめざします。 初当選のとき、 ﹁私、小菅 でも こんな私に、﹁人生の転機﹂ さんに入れたんですよ。 が訪れたのは 歳のとき 孫みたいな小菅さんがうま 。そう でした。 中主町議選への立候 くやるか心配でした﹂ なんです。始めは、まちの事 もさっぱりわからないまま のスタートでした。 でも町民 のみなさんに色々と親切に 教えていただき育てていた だきました。 45 27 初当選直後、 ﹁医療費が払 えないんです。なんとかな らないでしょうか﹂のご相 談を受けました。早速、町 議会で、 ﹁医療費の貸付制度 を﹂と質問しました。その 結果、制度が実施されたの です。 また、高い国保税の引き 下げを町民のみなさんと署 名運動をすすめました。と ころが、署名にがんばる 人々に、 ﹁なにをしてるん だ﹂と圧力がかかりました。 でも、みなさんは負けるこ となくがんばりました。 その結果、当時、県下で は珍しく引き下げが実現で きました。みなさんと運動 を進めてきて本当によかっ たと思いました。みなさん と喜びました。 小菅六雄 合併して早や5年。 以前に 増して、生活保護や医療、営 業と農業など深刻なご相談 を受けるようになっていま す。 市内でも大企業が多くの 労働者を雇い止め・解雇して います。突然の解雇で、 ﹁国 保税が払えない。 どうしたら いいのか﹂ など深刻なご相談 もあります。今の政治は、余 りにも人間を疎外する政治 がまかり通っているのでは ないでしようか。 こんなときだからこそ、 私 自身、 年間の経験を生か し、みなさんとご一緒に、一 歩一歩、 すみよい野洲のまち づくり実現へがんばる決意 です。 ご支援を心からお願い 申し上げます。 ○改悪された労働者派遣法をもとに戻します。市内企業へ 正規雇用の義務付け指導など雇用の改善を求めます ○中学校卒業までの通院医療費を無料化します ○後期高齢者医療制度の廃止を求めます ○環境保護の取り組みを強め市民活動を支援します ○農業振興条例を制定し、野洲市農業を守ります ○同和行政を終結し、公正で民主的な市政をすすめます ○24億円もの駅前整備を見直し、市民本位の利用しやす い整備をすすめます 30 26 野洲市内でも数百名の派遣労働者が雇い 止め・解雇されています。こんなこと許せま せん。ルールある経済社会をめざします。 「米輸入自由化やめよ」「野洲の農業まもれ」と毎議会のように 質問しました。市議会では残念ながら、「ミニマムアクセス米の 中止を求める意見書」を日本共産党以外の議員が反対しまし たが、引き続き、みなさんと野洲農業の振興へがんばります。 市県から「雇用拡大」を目的に補助金を貰いな がら派遣労働者を雇い止め・解雇をすすめた村田 製作所や日立ツール。「市は行政指導をすべき」と 再三求めました。当初、「権限がない」と繰り返して いましたが、市内主要企業に対して、「雇用の確保 と維持を求める要請」を市長名でさせました。 「このままでは農業を続けることができない。農機具が駄目に なったらもうやめる」。私も農家の出身ですが、農家のみなさん にこんな思いをさせる農政は絶対に間違っていると思います。 子育て支援の充実 へ保育園を視察 消費税増税やめよ と野洲駅で宣伝 市議会では毎議会 質問しました 滋賀交通バス減便 問題で市に要請 核兵器廃絶と平和事 業実施へ市長と懇談 絶 滅 したホタルを復 活 さ せ る 活 動 を していま す 。ホタルが生 息 す る環 境 は人 間 が生 活 す るう えでも、潤 いのあ る優 れ た環境です。自治会は川 のヘドロを 取 り除 き砂 利 を 入 れ てく れ ま し た 。 今、農業が成り立たなく な りつつあ る中 で、私 の 住 む農村 では、子 供の減 少 、若 者 の良 い働 き口 が ない、高 齢 者 のみの家 庭 の増加など、深刻な事態 が起こっています。こうし た事 態 に思 いをはせて、 議会で取り上げてくれる のは小 菅 さ んをおいてな いと思います。 野洲 は農 業地 帯な の に、米の価格が下がり、 農 業 経 営 は本 当 に大 変 です 。生 きがいが持 てな いような農政です。小菅 さ んは、いつも ﹁梅 影 さ ん、どう です か﹂と聞 き に来てくれて、私達農家 の声 を 市 議 会 に伝 え て くれています。 市議会で、﹁もっと市独 自 の振 興 策 を行 う べき﹂ と の小 菅 さ んの主 張 は 心 強 いですし、私 達の願 いです 。大 いに期 待 しま す。がんばってください。 「切実な願いは必ず実現する」と いうが私の信念です。みなさんと 運動をすすめがんばりました。 新駅建設に2億6900万円もの 市負担。「やめよ」の署名運動で 建設と負担をストップできました みなさんと粘り強く署名。願いが 実り中学校卒業までの入院医療 費の無料化が実現できました 合併協議で、中学校給食は廃止 されかねない事態でした。全校 での実施を要求し実現しました 危険な踏切改修や県道守山中 主線の歩道設置など、県やJR西 日本に求めました 野洲市でも多重債務や生活保護など、 多くのご相談を受けました。市に「市民 生活相談」の充実を求めてきました。 ●派遣労働自由化 「派遣労働自由化」の大改悪 (1999年)に国会で唯一反対 したのは日本共産党だけでし た。 ●後期高齢者医療制度 この制度の創設につながる 「付帯決議」(2000年)に反対 したのは日本共産党だけでし た。 ●コメ輸入自由化 輸入自由化につながる「W TO国会承認」(1995年)に反 対したのは日本共産党だけで した。 全国で2万2000の支部、3 000名の地方議員です。政党 助成金や企業献金を受けない 唯一の政党だからこそ国民の みなさんとともに草の根の活動 ができます。 野洲市でも、署名運動など 願いを実現させてきました。 共産党 自民党 民主党 公明党 社民党 0円 2121億円 1071億円 325億円 306億円 現在、市議会で日本共産党は3議席。 議会論戦をリードし、暮らしの願いを届け ています。 この4年間で共産党市議団は、41件 の意見書や請願の紹介議員として提出 しました。「乳幼児医療費無料化制度を 国の制度に」「社会保障費2200億円の 削減やめよ」の意見書を採択させること ができ、みなさんの願いを市政や国に 届けることができました。 市民犠牲の集中改革プランを追及 市が「財政難」を理由に分庁舎など 公共施設の廃止や福祉・医療・教育の 負担強化とサービス切り捨てをすすめ ようとしています。大企業への補助金や 同和関係予算をやめ、市民の暮らしを 守れと提案しています。
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