進化システムの性質を数理モデルに観る - nifty

 進化システムの性質を数理モデルに観る 生物の進化の過程を「変異と自然選択」から「揺らぎと相互作用」に一般化して生物以
外に拡張するために,「進化」を次の機能をもつ過程として定義する(市川,2012). 機 能( 1 )(揺 動 体 の 存 在 )状態が揺らぐ機会をもつ揺動体が存在する.揺動体が
システムである場合には,その最少機能要素を揺動子という.揺動子はそれを
システムと考えない最小の揺動体のクラスである. 機 能 ( 2 ) (揺 動 体 の 間 の 相 互 作 用 )揺動体の間には,揺動体の状態の揺らぎに
関わる相互作用があり,相互作用が揺動体の選択に繋がる「相互作用の場」
が存在する. 機能は構造があってはじめて発現する.機能(1),(2)で定義された進化の性
質を知るためには,その機能を実現する構造が必要である.ここに機能と構造が 1
対1に対応しないという問題が存在する.構造を物理系で実現すると,物理法則の
拘束を受けて,生物に見るように多くの余分な機能が付随する. これを避けるためには,物理法則の拘束を受けない数理モデルが適当である.数
理モデルといえども数理的構造をもつので,余分な機能が表れることは免れない. 進 化 を 実 現 す る 数 理 的 構 造 この困難に対処するため,機能(1),(2)を発現させる最も簡潔な構造をもつモデ
ルを作り,余分な機能の表出を最小にすることを考える.この線に沿って,モデルの
形式を探索すると,セル・オートマタ(CA)形式に行き着く. CAは von Neumann が脳神経回路の構造を範にとって導入した計算モデルであ
り,万能チューリングマシンを作り出せることが証明されている(Codd,1968).こ
こでは,進化の定義を満たすようにCAの構造を定めることとし,それを「進化セ
ル・オートマタ(ECA)」と呼ぶ. なお,ECAは,進化の過程を表現するように
CAの構造を特化しているので,万能チューリングマシンの能力はない. 進化セル・オートマタの構造を次のように設定する. (1) 揺動子の存在:揺動子が存在して相互作用する場とし
て図1に示す2次元の正方の格子を設定する.格子
のマス目を「セル」と呼び,セルで揺動子を表現す
る.一辺のセルの数をECAの「大きさ」という.
揺動子の状態を,ゼロを含む正整数で表現する.ここ
- 1 - で状態ゼロはそのセルに揺動子が存在しないことを表す.2次元の格子の縁
の行と列は対向する行と列に連続させて格子に縁がないようにする.次に示
す相互作用をすべてのセルで等しくするためである. (2) 相互作用の存在(進化の規則):任意のセル(図1の黒いセル)の状態は,その
セルに隣接する近傍のセル(図1の灰色のセル)の状態との相互作用により変
化する.すなわち,そのセルの次の時刻における状態は,そのセルと近傍の
セルの状態を変数として「進化の規則」により定まるものとする. 近傍と進化の規則はすべてのセルについて等しいものとする.セルごとに
変えることは可能であるが,ECAの構造を簡単にするためである. 数値実験を行うために、次の仕様をもつ進化セル・オートマタのソフトウエアを
PC 上に作成した(市川,2002)1. (a )進 化 セ ル・オ ー ト マ タ の 大 き さ:ECAの大きさは10から 99 までを選択
できる. (b )進 化 の 規 則 : (b 1 )揺 動 子 の 状 態 の 揺 ら ぎ:ある揺動子の状態は,近傍のセルの状態の総和
が{5個までの任意の正整数}のいずれかに等しいとき,かつそのときに限っ
て次の時刻で1増加する.ここで,近傍の揺動子の状態の総和を取り,揺動子
相互の位置関係を無視するのは,構造を定めるパラメータの数を最小にする
ためである. なお,状態が 0 から 1 に揺らぐ揺動子はその揺動子の発生を意味する. ( b 2 ) 揺 動 子 の 複 製 :ある揺動子の状態は,近傍の揺動子の状態の総和が, (b1)の状態の揺らぎの条件を満たさず,かつその揺動子の状態のα倍以下
のとき,かつそのときに限って,次の時刻で同じ状態を保つ.ここで揺動子の
近傍の状態の総和がその揺動子の状態のα倍までとするのは,近傍の揺動子
から相対的に強い作用を受ける揺動子は消滅することを表している. (b 3 ) 揺 動 子 の 消 滅:ある揺動子の状態は,近傍の揺動子の状態の総和が(b
1)および(b2) の条件を満たさないとき,かつそのときに限って,次の時刻
でゼロになり揺動子は消滅する. 数 値 実 験 結 果 1
このソフトウエアは,(市川,2002)に附属する CD-ROM に「システム創発」として頒布さ
れている.作成以来OSの改訂が度々あったが,Windows 版は Windows XP 上で動くことを確
かめている.Windows8 では確認していない.Mac 版は現在では動かない. - 2 - ECAの大きさを 41 とし,(b1)の条件を{1,2,5},b2の条件のα=5
として,数値実験を行って得た性質を以下に示す. 性質1(進化はシステムを創発する): 揺動子が1個存在する状態を初期状態としてECAの状態の時間的推移を示し
たのが図2である. 揺動体の創発: t=0 における1個の揺動子から出発した進化の過程は,時間の
経過と共に揺動子を複製または創発し,揺動子が連結して構成するシステム(揺動
体)と,揺動体が要素となるシステムを創発する.これにより進化がシステムとそ
の階層を創ることが検証できる. この過程は,303 世代において変化はなくなり定常状態となる.これは,創発する
システムがECAの大きさ全体にまで広がったためである.このことは,進化の過
程は何らかの限界に達するまで拡大を続ける性質があることを意味している. ECAがシステムを創発する性質は,特定の実験条件の下で起きるのではなく,
広い条件の下で起きる頑健な定性的性質であることが,相互作用の規則(b1)を
広範に変えて実験することで分かる.揺動子の状態が 1 増加する近傍の状態の合計
- 3 - (b1={1},{1,2},{1,2,3},{1,2,4},{1,2,5}, {1,2,3,4},{1,2,3,5},{1,2,3,4,5} と 変 化 さ せ
たとき,これらすべての条件において,揺動体
とそれが要素となるシステムが創発することが
確認できる.このことは,「揺らぎと相互作用」
がシステムを創る過程は非常に頑健であること
を示している.図 3 に(b1)={1},t=23 のとき
のECAの状態を示す. 性 質 2 ( 種 の 創 発 ) ECAの状態の推移と共に,セル(揺動子)が連結
したセル・グループとしてのシステム(揺動体)を創り出される.その中に,同じシステム構
造をもつ揺動体が複数ある,これを類別したものを生物での呼び方を借りて「種」と呼ぶ.な
お,このECAにおける状態変化は,図2に見るように最初に状態が1であったセルに対し
て 90°回転対称であるので,90°回転して同じ形となる種は同じ種とする.進化の過程が
定常に達した以降における種の数は 18 種類である. t = 303 で定常になった以降に観察される揺動体の中で最大の種は,図 4 に示す時間的推
移で構成される.この図のセルの中の数字はそのセルが生まれた時刻を表す.中に数字がな
いセルは状態が0でそのセルに対応する揺動子が存在しないことを示す. 37 時刻に中央の8個のセルが連結した揺動体が生まれ,45 時刻にそれに 8 個のセルが付
け加わり,その後 46,120,121,・・・時刻にセルが付け加わって 270 時刻でこの種が完成し
ている. 120 時刻に生まれたセルは興味深い.これは
121 時刻以前から存在していたセルが,121 のセル
を仲介としてこの揺動体に結合したことを意味す
る.これは生物界において,動物のエネルギー
サイクルを実現している遺伝子は,ミトコン
ドリアの遺伝子の取り込んだもので,現在で
も細胞の中に別のグループとして存在して
いることにその例が見られる. 性 質 3 ( 自 立 種 と 依 存 種 の 形 成 ) 303 時刻以降に定常的に存在している揺動体の
種には,自立種と依存種が存在する. - 4 - ここで自立種とは,他の種に依存せずそれ
自身だけで複製維持される種をいう.この種を
初期状態としてECAを推移させると,同じ揺
動体が複製維持されることで判断できる.進
化の過程が定常に達した以降における自
立種の数は 13 種類である.303 時刻以降に
おける自立種の例を図 5 に示す.セルにある数
字は状態の値である. 依存種とは,それが特定の他の種と特定な
位置関係にあるとき,そのときに限って複製維
持される種をいう.その種だけを初期状態とし
てCAモデルを推移させるとその種が消滅す
ることから自立種と区別できる. 図 6 に示す依存関係では,AおよびDは図 5 に見るよ
うに自立種であるが,BおよびCは依存種である.Bおよ
びCは,AおよびDと図 6 に示す位置関係にあるときに複
製維持され,そうでないときは消滅する. このことはA,B,CおよびDという種が相互依存し
て自立する揺動体グループが生まれていることを示して
いる.生物で見れば植物/動物,動物の間の共生など種の
間の相互依存関係により自立している共生系に対応する. ある種が他の種に依存して生存を維持することは,他の種が絶滅するとその種
も絶滅する恐れがあることから,危険な進化である.しかし,進化の過程が将来を考
えることはない.将来の危険を避けることなく現在に生き延びることだけで依存関
係が進む. 性 質 4 (種 の 数 の 増 加 ) ECAの進化における自立種と依存種の数は進化と共に増加する.その状況を
図 7 に示す. この性質は生態系に観察されており,生物種の数は生物が発生して以来,5回に
わたり環境の激変等により絶滅に近い状態になっても,その後に種の数は増加して
今日に至っている. - 5 - 性 質 5 ( 世 界 が 大 き い と 種 が 多
い ) ECAの大きさが大きいほど,
そこに形成される種の数は多い.進
化の規則を等しく保ち,ECAの大
きさを変えて,そこに形成される種
の数を数えることで明らかになる.
図 8 にその様子を示す.世界が大き
いほどそこに形成される種の数は
自立種と依存種共に大きくなる. この性質は生態系について観察
されている.森林が広いほどその
中の生物種の数は多く,森林が道
路の新設などで分断されると,そ
の中に生存する生物種の数が激減
することはよく知られている. 性 質 6 ( 共 進 化 ) 揺動体の特定の複数の種の間
での相互作用に依存して進化する
過程として共進化がおきる.これ
が依存関係と異なるのは,依存関
係はそれぞれに進化して作られた
揺動体の間の関係であるが,共進化は特定の
種の間の相互作用に依存して進化すること
にある.共生関係と類似して見えるが,これ
らの種が創り出される過程を見ると依存関
係とは異なり,両方の種がそれぞれ他の種に
依存して進化している様子が見られる.図 9
に示した例では,種Aと種Bは共進化により
生まれている.種Aは自立種であるが,種B
は種Aとの相互作用により生まれている. Aを取り除くとBは崩壊する.興味ある
- 6 - のは,Aの一部を削除したときである.AとBとが共進化している状況で,Aの 4 隅
にある状態 3 の揺動子 2 個を削除すると,Aのその部分は消滅と再生を繰り返して
維持される.その意味でAは頑健である.それに対して,Bが存在しないときにはA
は縮小変形して維持される. 生物界に共進化が存在することはよく知られている.花弁の長いトケイソウと
口吻の長いヤリハシハチドリの共進化は進化の概念が生まれてから最初に予見さ
れたものである. 共進化は両方の種にとって危険な進化である.相互作用で共進化している一方の
種が衰退あるいは絶滅すれば,他方の種も衰退あるいは絶滅する可能性が高いから
である.それにも拘わらず共進化は進む.進化は将来の危険を考えることなく現在
の生き残りだけで進むからである. 性 質 7 ( 進 化 の 袋 小 路 ) 性質3の他の揺動体への依存および性質4の共進化は,依存または共進化する
相手から離脱すると消滅するので,離脱できなくなるという進化の袋小路を生み出
す.例えば,図4における揺動体BおよびCは現在のAとBとの位置関係を失うと
自らを維持できなくなるので,これ以上の進化はできない. 生物では多くの事例があるが,有名なものは恐竜の絶滅である.草食恐竜は陰花
植物を餌としており豊富な食糧により巨大化した.巨大化した草食恐竜を餌として
肉食恐竜が巨大化した.6350 万年前と推定される小惑星の地球への衝突により環
境が激変したとき,巨大な体躯をもつ恐竜はそれに適応できず絶滅した.巨大化と
いう進化の袋小路である.このとき小動物であった哺乳類は生き延びて進化し今日
の繁栄を見ている. 生物以外では日本における携帯電話,米国の自動車産業における大型車が陥った
袋小路の例がある. 以上の性質1から7に観察されるECAの性質は生物の進化においてこれまで
観測されている性質と共通している. 次にECAが,科学におけるモデルへの要請に応えて,新たな性質を説明できる
ことを示す. 性 質 8 ( 断 続 的 な 大 き な 変 化 ) ECAの進化において,揺動子の状態の最大値の推移を見たものが図 9 である.
最大値が断続的に大きく変化する様子が読み取れる. - 7 - 断続的に大きな変化が起きること
は,生物ではカンブリア期の生物種の
数の爆発がその例であるとされている.
これに関して,生物進化における変異
は連続的に繰り返して起きるとするダ
ーウィンの連続変異説の支持者と,大
きな変異は断続的に起きるとするS・
J・グールドの断続平衡説との間で論争があった.図 9 を見る限り大きな変化は断
続的に起きている.ECAでは1回の揺らぎで状態は1だけ増加するから,この大
きな断続的変化は,状態変化が連続して起きて大きな変化になると考えられる. 連続変異説と断続平衡説とは観察される現象としては両方ともに正しい.進化に
おいて揺らぎは連続的に起き,大きな揺らぎは断続的に起きるが,その基盤は共通
である.このときの大きな揺らぎにはそれを引き起こす特別な原因は存在していな
い.連続的変異と断続平衡説とは同じ進化の過程から生じており,論争すべき問題
ではない. 生物に限らない.海の波にときどき大きな波がある,大規模地震がある,グリー
ンランドの氷床の溶解が断続的に激しくなる,など自然現象に多く見られる. また,現代の文明に関わる人の活動全般に亘って観察されている(ブキャナ
ン,2009).市場経済ではコンドラチェフやシュンペターの波として断続的変化が観
測され, 20 世紀初頭の科学技術の急速な発展としても見られる. 数量的なデータが採られて明白に確認されている例に,米国における暴力事件の
発生件数がある(スピニー,2012).このレビューの冒頭に,5年間毎の件数を 1800
年から 2000 年に亘り示したグラフを図 10(次頁)に示す。1870 年前後,1920 年前
後,1970 年前後の3回に亘り断続的な大きなピークが見られる.現在 2010 年のピー
クができつつある。レビューの著者はこれを生態系における捕食者/被食者の周期
に類似しているとしているが,これは図 9 が示すように「揺らぎと相互作用」の過
程が普遍的にもつ定性的性質の一つである. 性 質 9 ( 複 雑 系 ) 進化の過程が複雑系であることがECAに現れている.ここでいう複雑系とは
単に構造が複雑なシステムを意味しない.システムの状態推移において,ある時点
での微少な変動が時間の経過の後に大きな変動に拡大するシステムをいう.E・
N・ロレンツが気象変化を記述する非線形連立微分方程式の解に見出したカオス
- 8 - (ロレンツ,1997)はその例である.正確に言えば,ある時点で互いに近傍にあった
状態変化の軌道が,時間の経過と共に互いに離れて近傍ではなくなる推移をいう. ECAが複雑系であることを図 11(次頁)に示す.数値実験に用いたECAの初期状
態は,20%のセルの状態がランダムに 1 である.状態推移の途中の t=5 において,上の図の
文字 a の左横の状態 4 のセル 1 個を,そのままにした場合(上図)と取り除いた場合(下図)
とを比較している. t=10 ではCAモデルの状態に大きな違いはないが,t=100 になると
ECAの状態が全く違っていることが,上下の図の比較により確認できる.違いはその後も
時間の経過と共に次第に拡大し顕著になる. このことは,生態系においては,イエローストーン公園のオオカミの絶滅の例に見るよう
に,ある時点でのある生物種の絶滅が,時間を経過した後に生態系全体に大きな影響をもた
らす現象として知られている. 進化システムが複雑系であることは,進化の過程を制御しようとして特定の揺動体の状
態を外部から変えると,予期しない結果をもたらすことを意味する.医療分野では薬剤とワ
クチンによる感染症撲滅の努力が新たな感染症の脅威を招いている.細菌やウイルスと医学
との間の軍拡競争といわれている. - 9 - 社会現象としては,歴史のある時点での微少な違いがその後の歴史を根底から変
えること,例えばオーストリア皇太子の暗殺が,第一次世界大戦に繋がり神聖ロー
マ帝国の崩壊とヨーロッパ新秩序を生んだこと(ブキャナン,2009)など多くの事
例が見られる. 進化は揺動体の揺らぎと相互作用の下で起きる行方知らずの過程である.進化を望まし
い方向に向けるには,環境を変化させて揺動体の適応に待つのが賢明である.遺伝子操作に
よらない従来の品種改良はこれにより行われてきた. 性 質 10( 自 己 組 織 化 ) ここでいう自己組織化はシステムの創発とは意味が異なる.システムの創発は,
最初は単一であった揺動体が進化の進行と共に多数の状態の異なる揺動体群とな
り,揺動体の間の相互作用を通じてシステムとなることをいう.これに対して,多数
の揺動体が互いに無関係に存在している最初の状態から出発して組織的構造にな
ることを自己組織化という. CAモデルにおいて状態 1 のセルが全体の 40%でランダムに存在している初期状態から
システムが組織化する過程を図 12(次頁)に示す.1500 時刻を経過した後では多種の揺動
- 10 - 体と自立したシステムが形成
されている. 生物においては,高分子
であるタンパク質が自らの
構造を記憶しており,バラ
バラになっても自己組織化
により元の構造に戻ること,
生態系としては隔絶した島
嶼などに漂着した各種の生
物種が進化を繰り返して,
固有な生態系という組織を
作り出していること,などに自己組織化が観察される. 社会事象としては,もともと共同体であった「ヒトの集団」を自己組織化が「人
の社会」という機能体に変質させてきている.機能体化は光と影の両面を社会にも
たらしている. 性 質 11( 頑 健 な 定 性 的 性 質 ) ECAが示すシステムを創り出す性質が頑健であることは,性質1において示し
たが,それに留まらず以上に示した定性的性質1〜10は頑健である.進化の規則
の(b1)を{1,2} ,{1,2,3} ,{1,2,4} ,{1,2,5} ,{1,2,3,4}, {1,2,3,5} ,{1,2,3,4,5} と変化させて数値実験をしても,定性的性質には変りがないことが確認できる.こ
の意味で進化が創り出すシステムの定性的性質は頑健である. 生物界では,生態系に観測される定性的性質が生態系に拘わらず共通に観測さ
れるという意味で頑健であることが知られている.とくに有名なことは,生物がこ
れまで5回に亘る絶滅に近い状態から復活して今日の姿があることである. 性 質 12( 冪 乗 則 分 布 ) 冪乗則とは,関数において変数値の対数と関数値の対数とが比例関係にある性
質をいう.この型の分布を社会現象に見出したのは A-L バラバシである(バラバ
シ,2002).彼はインターネットにおいて,ウエブに存在するファイルを点,他のウエ
ブにあるファイルがそのファイルを参照するリンクを線としてネットワークで表
現したとき,点に接続する線の数の分布がそれまで考えられていたような正規分布
ではなく,きわめて多数のリンクをもつハブ(中枢)となるファイルが少数存在し,
リンクの数が少ないファイルが多数あることを見いだした. - 11 - このとき,リンクの数とそのリンク数をもつファイルの数とを両対数グラフに書
くと直線が得られること,すなわち,リンクの数とそのリンク数をもつファイル数
の分布は冪乗則に従うことを見いだした.彼はこの性質をもつネットワークをスケ
ールフリーネットワークと名付けた.冪乗則にしたがう分布では,分布の形がスケ
ール(この例ではリンクの数)により変わらないことからこの名を付けた. スケールフリーネットワークについての研究は,その後バラバシ自身と多くの研
究者により推進され,インターネットに限らず学術論文における引用関係,ウイル
ス性伝染病の伝播,映画における俳優の共演関係,無秩序から秩序への相転移など
多くのシステムに見られることが確認された. ここでは,上に述べた例のように
個別のシステムがスケールフリーで
あることを示すのではなく,進化が
創るシステムというクラスが冪乗則
になる性質をもつことを,ECAを
用いて示す. 次のような数値実験を行った. (1)揺らぎと相互作用を規定する進
化の規則を変化させない. (2)ECAの大きさを変える. (3)初期状態でランダムに配置され
る状態1の揺動子の数を変化させ
る. 以上の実験条件で進化セル・オー
トマタを進化させ,創り出されるシ
ステムの状態が殆ど変化しなくなった時点で揺動体を構成する揺動子の数ごとに
揺動体の個数を算えた. その結果を,揺動体を構成する揺動子の数の対数を横軸に,
その数の揺動子をもつ揺動体の数の対数を縦軸にとってプロットすると直線上に
並ぶ.これから,揺動体の大きさとその数の分布は冪乗則にしたがうことが読み採
れる.これを図 12 に示す. これにより,次のことが確認できる: ・ 進化の過程は冪乗則分布をもつシステムを創り出す. ・ 進化の世界の大きさと初期状態の違いは,冪指数に影響しない. - 12 - さらに,冪指数を変化させる因子を見
出すために, ECAの大きさと初期状態
の揺動子の数を一定に保ちながら, EC
Aの進化の規則(b1)と(b2)のα
の値を変えて数値実験を行った.結果は,
図 14 に示すように相互作用が強いほど
両対数グラフの勾配は大きく,冪指数は
負の値として大きくなる. 相 互 作 用 の 強 さ は (b1) が {1,2,3,5}<{1,2,5}<{1,2,6}である. 冪乗則は経済学でよく知られている.
経済学では,冪乗分布を対数目盛でなく
通常目盛でプロットしてパレート曲線と
呼び,所得の大きさとその所得を得る人の数の分布,あるいは企業規模とその規模
の企業数の分布などに見出している. この事実は,人の所得あるいは企業規模などが進化により創り出されることを
示唆している.図 14 で言えることは,相互作用が弱いほど,経済で言えば自由が大
きいほど,勾配が急になり格差が大きくなることである. 性 質 13( 進 化 は 現 在 し か 見 な い : ダ ー ウ ィ ン ・ デ ィ レ ン マ ): これはECAから直接引き出せる性質ではない.ECAに見られる性質から引
き出される性質である.性質1(システムとその階層の創発),性質3(自律種と依
存種),および性質6(共進化)において付記したように,進化の過程は現在の相互
作用の下で進行し,将来の状況に配慮しない性質をいう. 生物界ではバッタやクラゲの大発生に続く大縮小という性質としてよく知られ
ている.ECA,バッタやクラゲは知性をもたず将来を予測して自制できないので
こんな挙動をする,では済まされない.知性をもつ人もこの危険を避けられない. 将来を慮ってシステムを縮小し,あるいは他の種への依存や共進化を止めれば,
自らの複製の頻度が下がって劣勢になり遂には絶滅する.システムを拡大し他の種
への依存や共進化を進める種が卓越して危険性はますます増大する. この性質は,知性をもち将来を予測できる揺動体にとってはディレンマとなる.
これを「ダーウィン・ディレンマ」と名付ける. 複数の人が同じ資源を巡って競合する場合にダーウィン・ディレンマが起きるこ
- 13 - とは,すでに生態学者ハーデンが「共有の悲劇」として指摘している (Hardin,1968).
すなわち,共有の牧草地で複数の飼主が牛を放牧するとき,牛の増加を図る飼主達
がこぞって牛の数を増やすと,牛の頭数が牧草地の許容限界を超えて,牧草地が荒
廃する恐れがある.これに気付いた飼主が牛の頭数を減らすと他の飼主が頭数を増
やし,さらに荒廃が進行する.将来の荒廃を見越して頭数を削減する飼主が順次退
去し,頭数を増やす飼主が卓越する.これは頭数を増やし続ける最後の一人の飼主
が牧草地を独占するまで続く.同じ資源を競合する型のダーウィン・ディレンマを,
ハーデンにしたがって「共有の悲劇型」と呼ぶことにする. ダーウィン・ディレンマは,大きな規模では地球環境問題,局地的な規模では小売
流通業者の消費者の奪い合いを含め,現代文明を呪縛している. 本稿では,進化の機能を実現する最小構成の数理モデルを用いて,一般化した進化が共
通にもつ性質の幾つかを明らかにした.それについて付言しておく. ここに示した性質は進化に共通する性質すべてではない.筆者が考える性質を引き出す
ために数値実験を行って得た性質であるから,それ以外の多くの性質を引き出すことができ
よう. 具体的な個別の事象の進化の性質を知るためには,それに対応した精緻なモデルを作る
必要がある.そのときにも,そのモデルはここで確認できた進化に共通な性質をもつはずで
ある.この意味で,ここで抽出された性質は,精緻な進化のモデルが与える性質を,進化に
共通する性質と個別的な性質を区分する上で有用であろう. 参考文献 (Codd,1968): E.F. Codd, Cellar Automata,
Academic Press,1968
(Hardin,1968): Garrett Hardin, The Tragedy of the Commons, Science, 1243-1248, 162,
1968
(スピニー,2012):L.Spinney, History as science, nature ダイジェスト, pp20-23, 11, 2012 (ロレンツ,1997):E. N. Lorenz 著,杉山 勝,杉山智子訳:ローレンツカオスの
エッセンス,共立出版,1997
(市川, 2002):市川惇信,複雑系の科学,オーム社,2002
(市川,2012)
:市川惇信,科学は人と社会にどこまで迫れるか —「揺らぎと相互作用」
の視点から,総合研究大学院大学 葉山彙報 no.1, 2012 - 14 -