識 字 率 向 上 月 間 第2048回 例会 2014年3月17日 P.M.0:30〜1:30 晴 ●司会(河村嘉希会場副委員長) ●出席報告(高井利文委員) 会員出席 133名中 102名 出席率 85.71% 前々回修正 出席率 96.75% ゲ ス ト 次期地区幹事 高須洋志氏 次期ロータリー財団第2ゾーンコー ディネーター 深谷友尋氏 ビジター (名古屋RC) 阿部鋼一氏 (名古屋RC) 中北智久氏 (あまRC) 藤田淳士氏 ●ロータリーソング(杉浦康晴副委員長) 「日も風も星も」 ●会長挨拶(篭橋美久会長) 皆さん、こんにちは。今日 は大勢のゲスト、並びにビジ ターの方々がお見えです。名 古屋RCの阿部さん、中北さ ん、あまRCの藤田さん、 よう こそいらっしゃいました。阿 部さんは名古屋RCに60年在 籍しておられ、そのキャリア の中で、 なんと本日がはじめてのメークアップだそ うです。ごゆっくりお過ごし下さい。また、ゲストで いらっしゃった高須さんは次期幹事、 深谷さんは次 期ロータリー財団第2ゾーンのコーディネーターと して、それぞれ重要な役をされます。 この地区発展 のためにご活躍下さいますようお願い致します。 さらに卓話では、東日本大震災の語り部である 高橋志保さんにお越しいただいています。 私は3年 前、 被災地に伺いました。 その際、 現地の方とお会い して 「頑張って下さい」 と声をお掛けしました。 する と「これ以上何を頑張るんだ」とお叱りを受けたこ とを昨日のように思い出します。また、当クラブで もオムツとウェットティッシュをお送りして支援さ せていただこうと、 お店に行きました。 しかし、 売り 切れ状態で商品がありません。何軒かまわり、 よう やく手に入れたものをダンボール2箱に詰めてお 送りした記憶がございます。 あれから3年、 時が経てばやはり当時のことを忘 れてしまいます。そのため、本日高橋さんのお話を 伺い、 もう一度震災について考える機会を持ちたい −1− と考えました。 新たな気持ちで、 新たな思いを持って取り組むこ とが出来ればと思います。 それでは例会をお楽しみ 下さい。 ●幹事報告(坪井進悟幹事) ①次週例会の報告のみ ●創立45周年記念事業準備特別委員会記念事業 部会報告 (佐藤貞明部会長) 現在、皆様にインタビューをお願いしています が、 順調に推移して64名の方が終了致しました。欠 席も遅刻も全くなく進んでおります。 ご協力に感謝 致します。 なお、 原稿が少し遅れておりますが、 お手 元に届き次第校正をお願い致します。 ●ニコボックス委員会報告 (塩谷和久副委員長) 卓 話 東日本大震災を振り返って 語り部 高橋志保氏 震災後3年、 復興は道半ば 3月11日午後2時46分、 南 三陸町は震度6弱を観測し、 7分間ほど強い揺れに襲われ ました。 死者・行方不明者は合 わせて800名以上で。人口は 1万7,600人弱だったのです が、 震災後は1万4、 000人を切ってしまいました。 大津波がやって来た時は、 まず砂埃が立って何が 起こっているのか分からない状態でした。 建物が流 れて押し寄せてきたのは分かったのですが、 それが 津波のせいだということに気づくのが遅れてしま いました。 また、 高台の避難指定場所にも高さ20.5 メートルもの津波がやって来ました。避難ルートが 整備されていなかったり、 高台だからという油断な どを原因にして亡くなったケースもあります。 メデ ィアでよく取りあげられている防災対策庁舎は、県 や国の基準をクリアした建物だったのですが、 震災 後は赤い鉄骨のみが残るのみとなってしまいまし た。 震災時には50名以上の方がこの屋上に避難して いたのですが、 津波が次々に襲い、 10名のみが助か ったという状況でした。 この建物内から防災無線で 「6メートルの津波が やって来ます。早く逃げて下さい」と最後まで避難 を呼びかけた遠藤さんは結婚したばかりでした。 ま た、その上司である三浦さんは遠藤さんを先に屋 上に避難させ、 マイクを替わりました。 そして 「10メ ートルの津波がやって来ます」 と避難を呼びかけた 後、三浦さん、そして遠藤さんは津波にのみ込まれ てしまいました。 三浦さんは現在も行方不明者とな っており、奥様がいまも時々庁舎跡を訪れ、呼びか けていらっしゃいます。 現在、 南三陸町は名産の海産物がのった丼で街お こしをしたり、 防潮堤を設置したり、 街の様子は少し ずつ変わっては来ています。 しかし、人々の生活は それほど変わらず、 住民の流出が問題となっていま す。私が代表を務めるママサークル「もこもこ」は、 仮設住宅で窮屈な思いをしているお母さん、 家が残 っても孤立しているお母さんが集まる場をつくり、 憩いの場を提供したいと考えて設立しました。 いも 煮会やクリスマス会などを開くなど、月2回ほど活 動をしています。 私の震災体験 私には震災当時3歳の娘と生後3ヵ月の息子がい ます。 産院の診察を受けに行った帰路に被災しまし た。 車を運転していたのですぐに脇に止めたのです が、 激しく揺れたのを覚えています。 急いで帰宅し、 子どもたちのオムツと着替え、毛布とおやつ、飲み 物を車に積み込んで待機していました。 近くの国道 は避難する車で渋滞が始まり、 津波の襲来を伝える 放送が流れていました。 しばらくしたら突然放送が 切れ、 異変を感じた私はとにかく高台に避難しよう と車で出ました。数十メートル走ったところでバッ クミラーを見ると、 大津波が襲ってくる様子が見え ました。恐怖のあまり足が震えたのですが、子ども たちを絶対に死なせることは出来ない、 と必死にア クセルを踏み込み、 何とか走らせることが出来まし た。 しかし、 父が2階に残っていた自宅が津波にさら われるのを目にしてしまいました。 小学校に避難をして母と妹にメールをした結果、 1時間ほど後に合流することが出来ました。 当日の 夜、 子どもたちが寝てからネットで情報収集をしま した。 そうしていると妹が 「お父さんが生きていた」 と泣きながら走ってきました。 ケガがひどく、 1週間 ほど入院した父は流される人の姿を多く目にしたこ とで、身体は元気なのですが心が傷つき、時々声を 上げて泣いていました。 私の娘も津波を見てしまっ たため、地震やサイレンの音を聞くとパニックにな ってしまう状態が続いています。 息子も劣悪な衛生 環境のためウィルスに感染し、 病院に何度か搬送さ れました。 環境を変える必要があったのですが、 どう することも出来ず衰弱していきました。 しばらくし て伯父の家に電気がつながり、 井戸水を利用してお 風呂やまともな食事がとれるようになったことで ようやく健康面も改善していきました。 父は仲間た ちに励まされ、 次第に炊き出し活動に参加するなど 前を向くことが出来るようになりました。 私もしばらくは海が怖かったのですが、 主人と義 父は「海は怖いけれど、海の素晴らしさも知ってい るからこそ、海の仕事をやめられない」と、多くの 方々のご支援も受けながら、 仕事を再開することが 出来ました。 震災は辛いことがたくさんありましたが、 普段の 生活や家族に毎日会えるということが当たり前で はないことなど、学んだこともたくさんあります。 また、 人の命のありがたさ、 人生は1度切りというこ とも改めて知ることが出来ました。 本日の私の話を きっかけに、 防災、 減災にもう一度目を向け、 生かし ていただければと思います。そして、皆様方のご支 援に感謝申し上げます。 ありがとうございました。 −2− ◦例会臨時変更◦ メークアップ受付可(受付時間 11:30〜12:30) ※名古屋アイリスRCの受付時間は正午より13時 ★印の夜間受付時間は会場ホテルにてご確認下さい。 4/15㈫ 名 古 屋 錦RC 名古屋ガーデンパレス 4/16㈬ 名古屋守山RC 名古屋マリオットアソシアホテル 4/16㈬ 名古屋東南RC 名古屋マリオットアソシアホテル 4/16㈬ 名古屋アイリスRC ★ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋 4/21㈪ 名 古 屋 栄RC ★名古屋クレストンホテル 4/22㈫ 名古屋城北RC 名古屋栄東急イン 4/23㈬ 名古屋アイリスRC ★ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋 4/24㈭ 名古屋瑞穂RC ヒルトン名古屋 4/24㈭ 名古屋丸の内RC 名古屋クレストンホテル ◦ビジター受付なし◦ 4/15㈫ 名古屋名南RC 4/24㈭ 名 古 屋 葵RC ─例会ご案内─ ◦次週例会 3月31日㈪ 休会(定款第6条) ◦次回卓話予定 4月7日㈪ 「帝王学易経に学ぶ変化の法則」 易経研究家 竹村亜希子氏
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