高津区老連会報「たかつ」18号 最新号 - 川崎市老人クラブ連合会

(1)第 18 号
平成 26 年 1 月 1 日発行
発 行 :高津区老人クラブ連合会
高津区坂戸3ー9ー3
044ー822ー6503
発行人:田島耕作
編集協力・印刷
(株)博報社 関東支社
神奈川県厚木市愛甲1ー8ー39
ふれあいクラブ高津
高津区老人クラブ連合会広報誌
題字:片桐スミ子
046ー280ー6001
謹 賀
新 年
「会津鶴ケ城」
「大内宿」
写真撮影
梶ヶ谷にこにこ会
小木 繁
私たちは高津区老連の活動を応援しています
第 18 号(2)
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
希望と期待を高めよう
育ち仲間が語り合いながら、そ
の歩みを進めてまいりました。
この度、公益法人格を取得し
ましたので、公益性の理念を根
ろしくお願い申し上げます。
で生きがいの持てる様な老人ク
を図り、連帯と協調を主眼と
幹として全ての仲間の福祉向上
さて、昨年は天候異変により
猛暑日が長く、またゲリラ豪
ラブ活動が極めて重要な課題で
区老連会長
田島
耕作
か れ ま し て は 恙 なく新しい年を
雨、竜巻などの大きな災害があ
あります。
し、様々な活動を展開して豊か
お 迎 え に な ら れ たこととご推察
りました。今年は平穏な年で
年 頭 に 当 た り 謹んで初春のご
挨 拶 を 申 し 上 げ ます。皆様にお
申し上げます。
な 行 事 で あ る ス ポーツ大会、演
スでは消費税・相続税・年金・
今後私たち高齢者の暮らしは
どうなるのでしょうか。ニュー
有意義に過ごしてまいりましょ
みんなで手を取り合って楽しく
いのある、そして希望を持って
あって欲しいと願うのみです。
芸 大 会 、 趣 味 の 作品展や研修旅
医療・介護・物価など様々な変
う。
どうぞ各位におかれまして
は、勇気と元気を出して生きが
行など極めて円滑に推進するこ
動があり、大いなる期待が持て
昨 年 は 高 津 区 老連の活動も大
過 な く 進 め る こ とができ、大き
と が で き ま し た 。これもひとえ
そうもあ り ま せ ん 。
が心安らかに暮らしたいと念願
しかし私たちは地域で助け合
い︵相互支援・友愛活動︶毎日
挨拶とさせていただきます。
ます様お願い申し上げ、新年の
団体にも変わらぬご支援を賜り
老人クラブは、地域で生まれ
総務省はこのほど﹁敬老の
日﹂に合わせて、高齢者推計
ります。
減少と会員数の減少が続いてお
まいりました。近年クラブ数の
を得ながら一生懸命行動をして
が多々有り会員の皆様のご援助
たばかりの為、初めて行うこと
してやみ ま せ ん 。
結びに皆様のご健勝とご多幸
を祈念申し上げると共に、関係
に 会 員 の 皆 様 の ご尽力とご協力
に よ る も の で あ り、厚くお礼申
し上げます。
今 年 も 総 会 で 決められた事項
を 基 本 に 頑 張 っ てまいりたいと
考 え て お り ま す 。相変わらずよ
新年のご挨拶
昨年高津地区の会長に就任し
とお慶び申し上げます。
様にはご健勝でお過ごしのこと
高津地区会長
森
繁昭
新 年 明 け ま し ておめでとうご
ざいます。
会 員 の 皆 様 並 びにご家族の皆
私たちは高津区老連の活動を応援しています
歳以上の高齢者
人口を発表しました。それ
究所の推計によると、この割合
た。国立社会保障・人口問題研
く・楽しく・面白く・嬉しく・
実させ、残りの人生を、明る
によると、
生き生き・わくわく・ときめ
私は趣味のサークル活動を充
ておりま す 。
アイデアが必要であると痛感し
止め、増員する為の更なる良い
いりました。会員の減少をくい
の方々が会員増強に努力してま
出来ていますが、今まで諸先輩
高齢社会が進むにつれて私達
の老人クラブが活躍する土壌が
いうこと で す 。
人が高齢者になる見通しだと
・
は今後も上昇を続け、2035
人 口 は 前 年 比 1 1 2万 人 増 の
年には
き・全宇宙に感謝して会員の皆
為 と 見 ら れ ま す 。総人口に占め
%で、
る高齢者人口割合は、前年比
・ ポ イ ン ト 増の
人が高齢者となりまし
33
・
位で
歳全国
歳で
位になりま
健康増進に、また地域の皆さま
す。高津区老連会員の皆さまも
れば神奈川県が
す。2019年までに1歳延び
位、女性は
長寿は、 男 性 が ・
神奈川県では健康寿命日本一
重点目標を発表されました。健
まで進展するか心配です。
橘地区会長
鈴木
惣次
新春を迎えて
に な ろ う と し て いるようです。
さて、今や日本は100歳以
上が5万4千人、世界一長寿国
年 で は な か っ た でしょうか。
テ で 体 調 管 理 に 大変苦労された
猛 暑 に 見 舞 わ れ 、夏バテや秋バ
し 上 げ ま す 。 昨 年は例年にない
新 し い 年 を ご 健勝と笑顔でお
迎えのことと、心よりお慶び申
人に
1
との交流を深めることによっ
す。
頭のご挨拶とさせていただきま
今年も笑顔で元気よく諸行事
に会員参加目標をお願いし、年
です。
て、会員増強につながれば幸い
せていただきます。
り期待を述べて年頭の挨拶にさ
う、心より念願して新年に当た
様とともに元気に長生きするよ
%に達し、 人に
3千186万人︵2013年
月 日 現 在 ︶ と なり、過去最多
を 更 新 し ま し た 。これは、いわ
ゆる﹁団塊の世代﹂︵1947
年∼1949年の第一次ベビー
ブ ー ム 期 に 出 生 した世代︶のう
ち、1948年︵昭和 年︶生
23
ま れ の 人 が 新 た に 歳に達した
65
25
9
4
65
今 後 、 医 療 や 介 護の充実がどこ
9
9
1
3
13
70
36
1
15
0
4
74
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(3)第 18 号
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趣味の作品展
について
文化部長 小木
繁
て、大変嬉しく思いつつ協力
多くの人にに声をかけられ
ね﹂﹁見やすくなったね﹂と
い申し上げます。
続けられるように心よりお願
ために生きがいを持って歩み
者に感謝致します。
今年の出品者数は 人で出
品数は 143点でした。書
平成 年7月 日より 日
まで 例 年 通 り 大 山 街 道 ふ る さ
など多数出品ご協力下さいま
道、油絵、手編み、つるし雛
上げます。
サークル活動的な趣味を持っ
今後ともふれあいクラブ高
津の皆々さま、このような
しま し た の で 、 少 し 狭 い 会 場
て元気で明るく楽しく未来の
668名︶それでも日頃の練
習が実り、成果を十分発揮さ
れ会場の皆さまと一体となっ
て堪能されたことと思いま
演芸大会開催については、
5月より準備を始めました
す。
去る7月 日、第 回ふれ
あい ク ラ ブ 高 津 演 芸 大 会 が 、
が、役員の方々には多大なる
クラブ活動の多忙の中、演
芸大会成功のため、スタッフ
れた方もあって、出演者は
は、 間 近 に な っ て 体 調 を 崩 さ
例年にない猛暑の中、入場
時間 前 よ り 来 場 さ れ た 方 も あ
39
名がご苦労され、心より厚
協力をいただきました。
すく ら む で 盛 大 に 開 催 さ れ
演芸部長
鈴木
惣次
演芸大会
も見 た 目 は 非 常 に ﹁ き れ い だ
年々出品数も多くなり、今
年より 人2点までと制限致
げま す 。
と館 に て 趣 味 の 作 品 展 を 開 催
98
して誠にありがたく感謝申し
24
しま し た 。 そ の 思 い を 申 し 上
20
りま し た 。 出 演 予 定 者 の 中 に
まし た 。
30
630名でした。︵昨年は
くお礼申し上げます。
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私たちは高津区老連の活動を応援しています
25
1
21
第 18 号(4)
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
催さ れ ま し た 。
当日は、晴天に恵まれ、早
朝よ り 会 場 に 訪 れ る 方 が 多 く
からいで大きな花束の贈呈が
チームが熱戦を繰り広げた結
絶好のスポーツ日和のなか各
チーム出場
月ごろに予定されている
川崎市老人クラブ連合会の川
入賞いたしました。
辞退︶のうち下記 チームが
果、 チーム︵
ありました。
高津区老人クラブ連合会は
永年にわたり、高津区敬老会
を後援しております。
老人クラブ関係者の主な表
彰者は次の通りです。
荒井
孝会長
︵前田新和会︶
★老人クラブ会長表彰
崎市長杯、並びに全国健康福
祉祭栃木大会の出場選抜大会
の出場チームは、今年度の第
回全国健康福祉祭高知大会
太田
次郎会長
︵下作延第三福寿会︶
く、上作延若葉会、子母口寿
★老人福祉功労
主催者を代表され、高津区
社会 福 祉 協 議 会 ・ 斉 藤 二 郎 会
田島
耕作会長
︵高津区老人クラブ連合会︶
青木 信吉様
︵諏訪長生会前会長︶
★老人クラブ役員功労
他8名
平成 年度高津区老連
ゲートボール大会
3
準優勝
坂戸長生会
第 位
子母口寿会A
敢闘賞 新作寿会
優 勝 上作延若葉会
結果報告
◆決勝トーナメント戦
を期待いたします。
会A、新作寿会の チームに
に出場した坂戸長生会を除
長が 、 こ の 敬 老 会 に 協 力 さ れ
決まりました。今後のご活躍
た方 々 や 団 体 等 に 対 し 、 感 謝
の意を表
されまし
た。
ごあい
さつの中
で平均寿
命より健
康寿命が
いかに大
切か 、 そ し て 、 自 分 の 健 康 は
13
自分 で 守 る こ と で あ る と 力 説
ゲートボール部長
横山
敏男
平成 年 月 日㈰、子母
口橘公園にて、晴天に恵まれ
10
され ま し た 。
また、この日が、阿部孝夫
市長 ︵ 当 時 ︶ の 歳 の 誕 生 日
25
25
3
★敬老会事業功労
中嶋
功会長
︵子母口富士見台寿会︶
見ら れ ま し た 。
1
4
高津区敬老会
開催される
広報部長 大木 重雄
第 回高津区敬老会は9月
日に高津市民館において開
41
7
5
26
18
にあ た り 、 斉 藤 会 長 の 粋 な は
70
平成 26 年 1 月1日発行
た か つ
(5)第 18 号
者がバス9台に分乗し、新東名
から高速道路を乗りつぎ北陸自
動車道から福井県の芦 原温泉へ
向かいました。
2日目は、グラウンドゴルフ
に参加する方とふれあい旅行に
参加する方に分かれて行動しま
旅行部長
荒井
孝
3日目は永平寺参拝。天候に
は恵まれて楽しい旅行ができま
した 。
出前講座
﹁食と健康・
食べることの大切さ﹂
蟹ヶ谷千寿会
会長 大木 重雄
私たちが生活する中で、一番
大切なものは食べることであり
ます。
食とも、お腹いっぱい食べ
れば元気で長生きできるもので
一膳、パンなら 枚、肉類は
紙面の関係で詳細の説明がで
きないのは大変残念ですが、食
果物は半分から1個
はなく、食の基本があります。
適量いただきましょう。
事は大切なものですので、バラ
ンス良く、体を動かし、間食は
牛乳またはヨーグルト180
ミリリットル
海藻、イモ類、緑黄色野菜類
は一日350グラム
豆腐は1/3丁または納豆
パック
個
グラム、魚介類は一切れ、卵
2
そこで、昨年に続き、蟹ケ谷
自治会と老人クラブ千寿会の共
回目の講座を開催し
わらず、会場に大勢の受講者が
催による
グラウンドゴルフ組は宿のグ
ランディア芳泉から5分、車に
駆けつけていただきました。
ましたところ、雨模様にもかか
乗ったところの公認コースで全
ドで、熱戦を繰り広げました。
ことの大切さ﹂の講演を聞きま
した。︵要点を箇条書きに︶
○健康寿命を延ばすには、バラ
ンスの良い食生活と適度な運
動、十分な休息、生活習慣を整
える。
観光組は日本三名園﹁兼六
園﹂散策と東尋坊を訪ねまし
た。予定していた遊覧船の乗船
○一日に食べる量の目安
主食は、一食につきご飯は軽く
は強風のため、見送りとなりま
した。
1 60
1
ふれあいの旅に参加して
去る9月 日㈬から 日㈮の
27
日間の旅行に355名の参加
25
面天然芝のすばらしいグラウン
した。
3
3
当日は、管理栄養士の志賀美
知子先生をお招きして﹁食べる
2
第 18 号(6)
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
地域のきずなを
深めるつくしの会
明 石穂つくしの会
会長
大嶋
久子
明石穂つくしの会は、できて
5年になります。団地の高齢化
に伴い途絶えていた老人クラブ
を発足し、名前を明石穂つくし
の会としました。約 数名の会
導による転倒予防体操。土曜に
週 3回行われるゲートボー
ル。毎週1回集会場で保健所指
させていくよう努力してまいり
知恵を出し合い楽しい会に発展
今後も会員一同の心身ともに
末長く健康でいられるよう皆で
前から腰痛のため腰をさすりな
て下さいました。亡くなる少し
ンスの時は皆さんをよく面倒見
老連の女性部で活躍され手話ダ
生前お預かりした句を紹介させ
悲しく寂しく残念に思います。
方を亡くしたことを、つくづく
ても思い出すことが多く大切な
して下さいました。なんにつけ
がら、でもニコニコとして指導
見習うことの多い方でした。区
高津公園体操。毎月第2土曜日
ます。
吉田富子さんを
偲ぶ
に会費100円でカラオケの集
い。8月、9月は朝6時半から
月、水、金曜日にラジオ体操を
行っています。
下作延第一長寿会
古川
きよ
ていただきます。
吉田 富子
初歴吊りて厨は妻の城
吉田さんとの出会いは手話ダ
ンスを指導していただいた時か
らです。﹁千の風﹂﹁上を向い
◎追悼句
舞初の身丈定まる帯枕
味は俳句とのこと。俳句の会は
て歩こう﹂などを、ほっそりと
違いましたが深川の森下芭蕉記
古川 きよ
夏蝶逝く手話の掌ひら〳〵と
初富士や五十二階の展望台
それぞれ自由に好みの行事に
参加しています。自然に触れ合
念館に
あの蝉の今日はどの木で鳴いてやら
した指先をひらひらと舞うよう
いも多くなり全ての健康面でい
通っていらしたそうで、私も同
そっけなき別れとなりぬ秋の虹
平均年齢は 歳以上になって
います。行事の内容は、大きな
い結果が出ています。
じ頃からでしたので、ご縁の
虹かかる黄泉への旅の道しるべ
白無垢の裾曵く富士や初茜
なかなか男性の参加が少ない
のですが、カラオケサークルに
あったことをとても嬉しく思い
友送る肩を濡らして夕立去る
に風を表現しておられました。
は何人も男性が参加していま
ました。会った時はいつも俳句
ものでは年2回程度のバスハイ
クがあります。会員と友人で
す。現在の課題は高齢の男性が
のことばかりでした。吉田さん
年ほど前から句会に
親しくお話するようになり、趣
参加しやすい催しものを考えて
は真面目で几帳面で色々な面で
福寿草小さな春を独り占め
40
ソフトで気取りのないお人柄に
元気づけています。
い、引きこもりがちな高齢者を
員で現在まで、様々な行事を行
50
名以上になり、団地からバスが
出発します。
いかなければと思っています。
15
75
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(7)第 18 号
入れもち米を炊き始めるので
朝早くから即席のかまどに火を
固親父が物置から臼を持ち出し
い来いお正月⋮暮れの 日に頑
なく畑や田んぼでした。早く来
した。家の周りには家数も少
れ、姉さんが頃合いを見て、か
から、のし板に餅が何枚か置か
ペッタン三臼くらいついたころ
ごろを見てつき始め、ペッタン
ヘラでこね取りが始まり、つき
た。やがて親父が杵を、お袋が
その旨さは忘れ難いものでし
つまみ食い。なんとも言えない
気の上がったもち米をちょいと
びの毎日でした。
会系でしょう。よく遊びよく遊
高さを競ったり、今でいう体育
やベーゴマ、竹馬で競争したり
上げや竹馬、竹とんぼ、メンコ
争が始まるまででしょうか。凧
思い出は小学1年から大東亜戦
れようとしています。あの頃の
毎年行われたこの餅つきの行
事も都会では残念ながら風化さ
づき、豆餅や草餅のナマコを何
した。その様子を見て私はなん
らみ餅やきな粉、そして餡ころ
した。やがてもち米が炊き上が
となく、そわそわ、今日は楽し
餅など手際良く大皿に分けてお
本か作り、終えたのです。
い餅つきだと、臼の周りを行っ
りました。餅つきも終わりに近
く、そして、そんな年の取り方
る頃、臼を温める湯を捨て、蒸
たり来たり、兄貴も弟もそうで
カラオケやバス旅行、ウォーキ
ができたらいいなと思いまし
を成したのは昭和 4年
若さを重ねよう
し籠の布巾を取り、臼の中に湯
を読み︵確か︶﹁老いる者と若
ング、踊りなど老人クラブの行
た。
特集
お正月の思い出
もういくつ寝るとお正月⋮な
んて歌を口ずさんだ子供の頃。
さを重ねる者がいる﹂というよ
事や気の合った仲間たちとの
もちつき
私が東京府下荏原郡馬込村に生
うな内容だったと思いますが、
遊び、スポーツジム通いなどに
下作延第二長寿会
赤城
昇
月で
その中の﹁若さを重ねる者﹂と
できる限り積極的に参加し、ま
た若い時にやりたくてもやれな
か昔から言われていますが、あ
つ﹂年齢を取るとか、重ねると
それは、お正月を迎えると﹁一
お正月という言葉を聞いて、
ふっと思ったことがあります。
います。この若さは身体的には
来た原動力もその一つだと思
の世話をし、一気に突き進んで
供を育て、親の面倒を見て、孫
﹁若さを重ねる﹂の若さと
は、いろいろあると思うが、子
気持ちで新しい年︵お正月︶を
者﹂の一つではないか、そんな
ないか、これも﹁若さを重ねる
積み重ねることができるのでは
戦するのも﹁気持ち﹂の若さを
かったことや、新しいことに挑
る新聞で南米での年の取り方に
迎え、年を重ねられれば楽し
28
戻ってこないかもしれないが、
子母口寿会
石原
佑康
10
ついての表現が紹介された記事
思った こ と で す 。
いう年の取り方に、なるほどと
18 号(8)
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
なつかしいお正月
方も年の離れた方たちが多く
越されて来た方も、残っている
でいった隣組だった。でも今は
子を開ければ顔馴染み⋮︶を地
ントントンカラリンと隣組、格
数だけ三軒分作る。母が元気
作る。鏡餅は大小一組で奇数の
で、姉が手返し、妹がのし餅を
回繰り返す。主役のつき手は私
に入れて杵でつく。これを
釜で蒸す。蒸気が上がったら臼
ます。毎年くる行事で一番楽し
く嬉しいのはお正月です。
私の家族は年に3回集まりま
すが、子ども、孫、ひ孫と全部
で 人です。
つになっても嬉しい。暮れの忙
の。でもお正月はやっぱりいく
くもなし⋮、とはよく言ったも
里塚、めでたくもあればめでた
しの話。現在は、冥土の旅の一
もういくつ寝るとお正月⋮と
待ち遠しかったのはむかしむか
と思って入会した時は 歳と若
なにか役に立つことがあれば、
ラブに入って本当に良かった。
す。寿会の皆さんです。老人ク
す。でも私には友達が大勢いま
懐かしいやら淋しいやら、で
きません。以前のことを思うと
また、妻は料理専門で大根おろ
ての餅で、あんころ餅を作る。
的にさらし餡を作って、つきた
分で分ける。前日、姉が本格
あられ餅にする。それを三軒
側で餅切りが始まる。切れ端は
できあがった餅は座敷にむし
ろを引いて一晩置く。翌日に縁
ますが、子どもや孫たちは、ば
こともあり、つい買ってしまい
世の中が便利になり、年老いた
はおせち料理を作りましたが、
よせておきます。昔、若いころ
す。おせち料理は三段重を取り
い、元日には全部なくなりま
大晦日に半分くらい食べてしま
一番大変なのはお料理です。
ほとんど私が作りますが、得意
しさはいやだけど元旦は、一年
かった。それから 年、今では
し、納豆汁、くるみ汁やお雑煮
数
︵私が正月を沢山迎えすぎたよ
だった頃は指揮官だった。
の出発としてすがすがしさを感
皆さんに気を使われて⋮。今年
年前の正月
朝、庭に大きな臼を出し杵な
ど道具をよく清めて、前日とい
などを作り、家族皆で食べるの
おいしいよと言ってくれるので
あちゃんが作った物がやっぱり
お雑煮を食べ終わると、私が
ひ孫たちにお年玉をあげていま
嬉しくなります。
母や姉は他界し、今ではでき
ない 年前の我が家の餅つきの
おせち料理
久末谷中朋友会
赤羽
とみ
あけましておめでとうござい
思うようになりました。
喜びをいつまでも保つために
は健康でなければと、このごろ
す。
しそうな顔、それは私の喜びで
す。ありがとうと言った時の嬉
おいしい楽しい思い出である。
格別美味!
が楽しかった。つきたての餅は
なのは煮物と焼豚です。煮物は
じる。家族と一緒に仏壇に手を
子母口寿会
猪又 和子
うです︶お茶飲み、とまではい
12
20
も楽しく頑張ります。
から﹁おめでとうございます﹂
とあいさつ。そしてまずは冷酒
を一杯︵コップでなくおちょこ
です︶それからお雑煮をいただ
した。正月だけでなく月に一度
だもち米をせいろに移す。ガス
られな か っ た 。
我が家のお正月は 月 日の
餅つきが済まないと正月を迎え
下作延中央第二寿会
岩崎 輝彌
66
30
は集まることになっていて︵ト
18
20
12
きます。
うの顔合わせをし、持ち寄った
婦で我が家に集まり、おめでと
お正月といえば、 年くらい
前までは、隣組の皆さんがご夫
20
料理で飲み、楽しく一日を過ご
18
合わせ、テーブルに向き合って
平成 26 年 1 月 1 日発行
た か つ
(9)18 号
信州の正月料理
蟹ヶ谷千寿会
青木
暎
川魚︵ワカサギや鯉︶が主でし
た。
その年、信州での初めての正
月料理の思い出が、特に印象に
強く残っています。その年の暮
れ、生の魚をあまり見たことの
なかった我が家の台所に、 キ
してきて初めて迎えた正月料理
親の郷里の長野県岡谷市に引越
私 が 小 学 校 6 年︵ 昭 和 年 ︶
の時に、徳島県の池田町から父
当時から、我が家では父親のこ
食 卓 の 上 で 目 に し た こ と で す。
ロもあろうかと思われるブリを
会員投稿
懐かしい仙台
津田山福寿会
廿樂 英子
小さな一両だけの市電の先頭
に乗り、運転手さんが紐をひっ
ぱって﹁チン・チン﹂と発車の
合図で﹁ゴートン・ゴトンゴト
ン﹂と動き出す手さばきにワク
でも鮮明に覚えています。当時
切り身が入っていたことを、今
のお雑煮の中に、大きなブリの
リを取り寄せていました。元旦
は、富山県の氷見から、生のブ
回っており、その内側に官公
電は、市内をぐるりと輪の形で
る都市と思っています。当時市
多く静かで、平和な温かみのあ
れており、今、思い返しても緑
北一の都とか、杜の都とも言わ
ごしました。仙台は古くから東
私は大正 年に仙台市の郊外
で生まれ、小学 年生までを過
ど長く、チョッとさわって叱ら
るされた七夕飾りは手が届くほ
が、一番丁の通りいっぱいに吊
のように豪華ではありません
毎年家族の楽しみでした。今日
なりました。有名な七夕さんは
パの音には子ども心に感傷的に
さん2人が直立不動で吹くラッ
ワクしたものです。また、青葉
の食生活はまだ、今のように物
庁、銀行、百貨店、繁華街、呉
れたことを思い出しました。近
しかったです。
また魚屋、八百屋、駄菓子屋な
また信者でもないのに教会の
日曜学校へ行き、見よう見まね
で外人神父さまのお説教を神妙
でひざまずき、独特な香りの中
していました。
どなどが並び、生き生きと暮ら
は飽きずに見入ったものです。
宗の銅像、今では珍しい鍛冶屋
日、朝と夕方に第二師団の兵隊
城の高い石垣の角っこの上で毎
当時は終戦後の物資が不足し
ていた時代も終わり、町の電気
が豊富ではなかったので、よけ
服店などの専門店、人力車詰所
いので広瀬川へもよく行きまし
だわりで正月のおせち料理に
屋さんの店先でのプロレスの中
いに記憶に強く残っているのだ
などなど、外側には歌にもある
た。平らな小石を横投げし、川
についての思い出話です。
継を大勢の人々が見ていた時代
父親が亡くなった今でも、我
が家の正月の雑煮には、ブリを
広瀬川、青葉城跡、海や山に向
面を切るように飛ばす遊びも楽
です。
入れるのが習わしになってお
かって八木山動物公園、伊達政
現在のような冷凍の宅急便など
ない時代で、新鮮な魚を口にす
ることは、めったにありません
でした。魚といえば、サンマや
アジの干物で、生の魚といえば、
と思い ま す 。
岡谷市は諏訪湖周辺の街で交
通の便は、国鉄中央線と国道の
り、いい思い出になっています。
4
26
トラック便だけでした。当時は
13
10
18 号(10)
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
菓子をいただいて楽しく帰途に
ガンの奏でる賛美歌も覚え、お
員 名と少なく、先着順とのこ
会が開催されることを知り、定
先日広報紙にて、大山ふるさ
と館にて大山道と春日局の講演
史的で運命的な家光とおふくの
出会いがここから始まったので
ふるさと
思い出は尽きませんが、すべ
てに幸せな一時期でした。しか
た、 締 め 切 り ま し た の 返 事。
問い合わせたところ、残念でし
とで、念のために前日に電話で
た。おふくと家光2人の愛情は
て花が咲き天下の頂点に達し
あった話は有名な話だが、やが
2人が江戸城は大奥を舞台に
弟の忠長と生母のお江の反目に
形山があり、のどかな田園風景
宮 城 県 大 崎 市 は 私 の 出 身 地、
故郷です。北に栗駒山、西に舟
ある。
し、先の戦争で仙台市は、米軍
改めて歴史が大好き人間が多い
誠の母子以上と城内ではささや
に聞き、アーメンと祈り、オル
ついたものです。
の焼夷弾集中投下により、一夜
のにビックリするやら嬉しいや
が広がり、ブランド米ササニシ
坂戸住宅長生会
後藤
喜市
にして完全に焼け野原となった
かれていた。
軍 家 光 で あ る。 パ ー ト ナ ー の
た。 幼 名 竹 千 代 、 後 の 三 代 将
西の丸御殿にて男児が誕生し
慶長 年︵1604年︶ 月
日、午前 時ごろ、江戸城は
の金品を寄進したのである。江
して、大山不動に参詣し、多額
願するのに初めて大山道を利用
心配したおふくが病気平癒を祈
時が過ぎ、元来病弱だった家
光 が 床 に つ く 回 数 が 多 く な り、
どが増えました。
ましたが、最近は住宅や工場な
たんぼや畑などがたくさんあり
地名は大崎平野です。 年前は
キ や ひ と め ぼ れ の 米 作 地 帯 で、
おふく︵春日局︶は皆さまのご
戸っ子の大山参りと併せて有名
やっとの思いでたどり着いた
おふくは、それからまもなく青
ば勉强したいと思う。
ンジより車で 分くらいで帰れ
東北自動車道古川インターチェ
東北新幹線開通とともに電車
の本数も増え、
大変便利になり、
30
んか。
にも、ぜひ一度旅に出てみませ
員の皆さまも、東北復興のため
す。鳴子温泉や栗駒高原など会
も深まり紅葉の季節になりま
故郷には見所もたくさんあり
ます。これから東北みちのく秋
おかげですね。
るようになりました。交通網の
20
戦争だけは、何が何でも避け
なければなりません。
承知の通り、本能寺の一件で父
な街道名になった。
行不良に加え、3年間も収入が
なく、食べるものにも困ってい
る始末だった。やがてある事件
があり、正成より離縁状をつき
つけられ、泣く泣く 人の子ど
雲もめっきりと秋の気配を見せ
空の広がる京の街道筋に乳人募
なった 。
て、朝夕は一段と涼しく感じら
集の高札が高々と立てられ、歴
高津区には他に中原街道があ
り、こちらも講演会などがあれ
は処刑され、夫の稲葉正成は素
7
もとも別れて京を目指すことに
3
おふくと家光と
大山道
久末リバイブクラブ
神戸
英雄
10
れるようになりました。
秋の彼岸もあっというまに通
り過ぎ、澄み渡る青空に浮かぶ
9
ら、次回に期待しよう。
60
17
のです。
平成 26 年 1 月 1 日発行
た か つ
(11)18 号
夜の銀座
二子塚錦長生会
酒井 寅男
したところ幸い当選し、クラブ
また、銀座で成功する秘訣は
﹁無欲の勝利﹂﹁精一杯の誠意
当日は銀座東武ホテル﹁バー
光琳﹂で白坂ママを囲み食事を
きする秘訣とか。わが国一流の
聞くこと﹂これがクラブの長続
体験をしてきました。
した後、クラブ﹁稲葉﹂に行き
文化人・政治家・財界人が通う
を尽くすこと﹂﹁人の話を良く
ました 。
私は 年近くザ・シチズン
ズ・カレッジに通っております
てしまいました。銀座のクラブ
年ぶりに行く銀座は夜の社
交場で、行く前からドキドキし
誌、雑誌などで知識を蓄えね
なくホステスも日経新聞、週刊
銀座のクラブで働くママだけで
日に白坂亜紀先生
月
ば、銀座では通用しないとか。
﹁銀座のママに学ぶ人間力﹂と
が、
のママになれる人はホステス
一流といわれるための努力は、
どの世界も同じだと思った次第
いう講演を聞き、大変感動しま
うことで、改めて選び抜かれた
です。
した。しかも 月 日にはクラ
白坂先生の魅力、オーラを感じ
で喜怒哀楽を分かち合い共に生
ざまを通じ﹁残された余生をど
かった。しかし事実は全く違い
き抜く新しい息吹きが伝わり
親睦会﹂の認識しかなく、私流
年月が経つにつれ﹁老人クラブ
﹁要介護
﹂の女房を抱えてい
とは何か、目標は﹂ということ
う生き抜くか﹂厳しい社会の中
ブ﹁稲葉﹂で銀座のクラブ体験
野川竹葉会
平野 一雄
に言えば自治会活動の感覚が強
ました 。
万人の中からたった
人とい
20
ツアー 名の募集があり、応募
2
1
10
米寿によせて
9
1
7
10
との関わり︵友愛︶生き甲斐
健康﹂ つの指針を実現する努
力が必要だ。
いただいた。私にとって思いも
つ﹂を創刊から 号まで発刊さ
特に私の浅知恵に関わらず皆
さまのご協力により﹁会報たか
に関心をもつようになった。
応は年ごとに後退してきている
厳しく高齢者に対する行政の対
を与えてくれた。しかし現実は
る私に新たな生きる勇気と励み
に自信ができるのではないか。
動かし行政に反映できれば活動
た。このような動きが地域を
うことが必要だと報告があっ
成金援助と会員増強に協力し合
先日の合同会議でいくつかの
クラブで町内会、自治会から助
よらぬことなので感謝しつつ、
のではないだろうか。私たち高
会﹂である。地味かもしれない
守られ、生きる希望のある社
齢者の願いは﹁高齢者の尊厳が
し共に頑張ろう
う。残された余生を健康に留意
域を明るくする要素であると思
私はこの老人クラブの発展が地
だった 。
特筆すべきは寄稿された多く
の女性の中で﹁原稿の真意は何
が﹁老連﹂が示している﹁社会
う。
思えば会長から理事の 年間
は私の人生観を大きく変えた。
か﹂読み返すと尊い人生の生き
14
加入した当初﹁老人クラブとは
!!
16
せていただいたことが出発点
月の区老連地区合同会議の
席上、私は米寿のお祝いをして
10
人生の一頁に銘記したいと思
1
3
20
18 号(12)
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
ねもじり坂の四季
年前に比べ目覚ましい上達
ぶりです。少し添削することが
ありますが、とても良くなった
と喜んで下さいます。
澄みきった空を見上げながら。
ゆっくり汗を拭きながら。秋は
天の日影のない坂道をゆっくり
ねもじり坂の春は道にはみ出
す紫陽花の雨露にぬれて夏は炎
べきことはやるとおっしゃって
に絵に目が覚めたら自分のやる
ます。 園 の 歳 の
がそれが大切だとおっしゃって
あさんは川に洗濯に﹂平凡です
下作延第一長寿会
古川
きよ
作家﹁曽野綾子﹂さんのお話
で上手な生き方は昔話の﹁おじ
昨年の冬は前日の大雪が溶けて
いました。教室の皆さんそれぞ
いさんは山にしばかりに、おば
夜中に凍って車も通れない道を
れの生き方に学ばせていただい
さんは俳句
危険な思いをしたことがありま
ています。私も歳のせいにして
靜寂や秋の夕暮闇深し
︵M︶
幸せは朝の目覚めの爽やかさ
︵I︶
美しく老いて生きたし初もみぢ ︵T︶
赤まんま咲けば手にする遠の日を︵Y︶
◉恵楽園の皆さんの句
句が楽 し み で す 。
園の係の方のお世話ぶりに毎
回感心しております。次回の席
す。
甘えている自分を反省していま
Y
に待っていて下さるので一つの
りますが皆さん、とても楽しみ
95
題は﹁七五三﹂です。皆さんの
調をくずしてお休みをした時
日ほどしてお見舞いのお電話を
いただき皆さん楽しみに待って
いて下さるとのことで、さっそ
く伺いました。皆さん心配して
下さっていたようで本当にあり
がたいことと思いました。教室
﹁赤城の山も今宵限り﹂と群馬から姿を消し
た国定さんご一家が神奈川の上作延で少しの田
︵広報部︶
﹁お金が戻りますよ﹂
公 的 機 関 の 職 員 を 名 乗 り、
などという美味しい話はありません。
●お金が戻ります
警察官や銀行員のふりをして自宅に来てだまし取
ろうとする。
息子さんや家族の人と相談して下さい。
●キャッシュカードを預かる
●電話番号が変わった
敵な案内書を用意すれば登ってみたくなる。
散歩というと、大きく有名なものを見に行き
たがる向きが多い。小さな神社でも、自分で素
立したものではあるまいか、と想像している。
んぼから有力者となり、一族の守り神として建
下作延東町会なごみ会 村上 均
2
した。
3
生きがいになっています。夏体
老人ホーム恵楽園の俳句の会
に参加させていただき 年にな
2
では皆さんと相談をして次回の
席題を決めています。
赤 城 神 社
振り込めサギの
被害が出ています
平成 26 年 1 月 1 日発行
た か つ
(13)18 号
だまされないで!
18 号(14)
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
俳
句
坂戸友和会
鵜川みち子
大夕立下水の蓋をもち上げる
音すれど花火の見えぬ我が家か な
生ビール汗を拭き拭き一気のみ
坂戸友和会
高橋
徳子
目指すことある幸せや秋扇
住みなれし道に漂う金木犀
すすき生けダンゴを供え月を待 つ
坂戸友和会
阿部みち子
姿見にもとめしくびれ栗おこわ
若者にまだ〳〵負けじ食の秋
夕焼に映えるすすきの路地明り
下作延第三福寿会 太 田 次 郎
山中湖湖面を照らす逆さ富士
秋が来てつるべ落しで虫すだく
台風が過ぎていよいよ秋深し
東末長ひまわり会
日吉たえ子
◉演芸大会にて
観る人の心に花を咲かせたい
二子若菜会
斉藤
幸子
残雪に触れてみたくて名前かき
北国の雪には足らぬ
蒼天へ続く茶畑牧ノ原
センチ
屋久島の二人の旅も遠い春
窓を打つ終の力かあぶら蝉
久本第一長生会
佐々木武郎
駅前の放置自転車年を越す
梶ヶ谷にこにこ会
千田幸智子
小石なげ波紋の音や秋澄めり
公園のこの小春日を授かりぬ
大吉に夢のふくらむ初みくじ
淑気満つ列どこまでも二重橋
夕ぐれてよしず巻き上げ路地の店
梶ヶ谷にこにこ会
本名セツ子
久本第三長生会 青柳 憲子
紫陽花の色づく庭に小雨ふる
夕暮に餌をさがして寒雀
大空にみなうつむいて桐の花
柿たわわふと気がつけば喜寿になり
存へ果つ身世を捨つる身は八十六叟
八十路越ゆ何の不足のあるものか
存へる自信有りや無しやと
二子若菜会 大迫 惠弘
歳旦に思ふことあり次の歳も
短
歌
我が子等の学びし道の秋ふかむ
静かさや雨戸開ければ酔芙蓉
梶ヶ谷にこにこ会
防村スヱ子
初春や琴の洩れくる女坂
目薬の一滴頬に冬の朝
諏訪長生会
倉井久美子
大皿の煮染完ぱい孫の箸
◉鎌 倉 に て
十一面観音堂出て天高し
足袋はだしで遊ぶ腕白七五三
初春の嬰 の泪の温かし
秋澄める長谷観音の展望台
運動会ラジオ体操東北弁
一病と仲よく浸る初湯かな
下作延第一長寿会 古 川 き よ
10
平成 26 年 1 月1日発行
た か つ
(15)第 18 号
書
下作延第一長寿会
古川
きよ
下作延第一長寿会
滝村 綾子
スポンサーの
皆様へ御礼
こ の た び は﹁ た
かつ﹂の発行に際
し、 格 別 の ご 支 援 ご
協力をいただき誠に
ありがとうございま
し た。 本 誌 は、 区 老
連会員の生きがいづ
くりや仲間づくりの
場 と し て、 ま た 高 齢
社会の心の糧となる
広報誌をめざして発
行 す る も の で す。 今
後もさらに内容の充
実に努めてまいりま
明けましておめでとう
ございます。
昨年は猛暑と台風の被害
な ど で 大 変 で し た。 原
稿 を 読 ま せ て い た だ き、
皆、昔を思い出し、生き
生きと書いている様子が
伺えます。この思い出す
という過程が、とても大
事なのだと思います。広
報誌﹁たかつ﹂を通じて
皆 さ ま の こ れ ま で、 ま
た、これから先のことな
ど、奮って投稿お願いし
ます。
次回のテーマは﹁旅の
思い出﹂です。
原稿をお待ちしていま
す。
︵広報部 萱嶋︶
◎会報広報部
大木 重雄
石黒
義章
す の で、 末 永 き ご 支
寺 坦
援のほど何卒よろし
平野 一雄
くお願い申し上げま
平野 茂子
す。
萱嶋 千之
︻高津区老人
きよ
クラブ連合会︼ 古川
た か つ
平成 26 年 1 月 1 日発行
たかつ写真館
スポーツ大会
演芸大会
作品展
私たちは高津区老連の活動を応援しています
第 18 号(16)