霧の王 - タテ書き小説ネット

霧の王
zan
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︻小説タイトル︼
霧の王
︻Nコード︼
N8591BM
︻作者名︼
zan
︻あらすじ︼
剣士、盗賊、僧侶、魔法使いから職業を選び、
魔王を討伐する3DアクションRPGタイプの同人ゲーム
﹃エギナ﹄を開発していた主人公。
あと少しでテストプレーが終了するというときになって、
ファンタジーゲームの中毒者が重大犯罪を起こしてしまった。
そのアオリを受けてしまい、
﹃エギナ﹄の販売計画は頓挫し、開発中止となる。
1
しかし、テストプレーでさえ完全クリアされることのなかった
﹃エギナ﹄は、主人公を放っておかなかった。
彼は気がついたときには、
﹃エギナ﹄の世界に呼び込まれてしまっていたのである。
2
01﹁クリエイターA﹂
とりあえずデバッグ作業は終わりかかっていた。もう少しである。
時計を見上げると、既に午前二時を過ぎている。
ああ、これはもう明日の午前中は寝て終わるな。
そんな覚悟が固まってしまう。自分は一度寝てしまうと深い眠り
に落ちて、すっかり睡眠欲が満たされるまで目覚めない。そのよう
に自覚している。
私はどこにでもいる、同人ゲームのクリエイターだ。
今度出品するゲームはなかなかの力作で、3DアクションにRP
G要素を詰め込んだ自信作。
主人公は剣士、盗賊、僧侶、魔法使いから選ぶことができる。四
人の主人公はそれぞれ得意とする武器があり、戦い方も違う。つま
り、剣士と盗賊では全く異なる立ち回りが要求されるのだ。
しかも、成長する要素はある程度プレイヤーが選ぶことが可能。
剣士にしても、その成長要素の選択次第で防御力に特化した重戦車
のような剣士にすることも、素早さに特化した盗賊顔負けの神速剣
士にすることも可能なのである。
主人公によってエンディングは当然違っているし、途中の行動に
よってはエンディングが変化するマルチエンディングである。
こうしたゲームなのだが、まあ恐らく売れるだろう。それは間違
いない。
間違いないのだが、大勢の人間がプレイすると、予期せぬ行動を
とるプレイヤーが出るものだ。例えばどう見ても通過できそうにな
いところを連続ジャンプで超えられないかと延々と試行する奴とか。
その結果、予想もしないバグが発見されて、恐ろしい結果となる。
キャラクターが死ぬとかそんな程度ならいいのだが、コンピュー
タの他のデータを破壊したりするようなとんでもないバグに化ける
3
可能性もないとはいえない。
そこで私は延々とこうしてデバッグしてバグとりをする作業に追
われているわけだ。
これでまあよかろうという程度にまでデバッグできたのが、およ
そ午前四時だった。
翌日の昼ごろ、目覚めた私は次の段階に動いた。
デバッグが終わったと同時に、共同で作成している仲間にメール
を送っておいたのである。内容はこのゲーム﹃エギナ﹄のエンディ
ングに関するものだ。
同人ゲーム﹃エギナ﹄は中世ヨーロッパ風の異世界を舞台とした
ファンタジーものだ。
シナリオは非常にシンプルであり、主人公である勇者が、魔王を
討伐する。それだけである。問題はエンディング後に、勇者である
プレイヤーキャラクターがどうなったのかというところだ。
そこを眠気の限界をおして書き上げ、エンディングテロップ作成
の担当者に送っておいた。
現在、その返信メールについてきたプログラムをゲーム本体に組
み込んでいる。
﹁剣士のエンディングはやっぱり、城に戻って結婚エンドがグッド
エンド。姫様とのツーショットの一枚絵表示か。こんなもんだろう。
トゥルーエンドだと城で召抱えられて剣の指南役。この場合幼馴
染の少女と結婚だな。それをにおわす一枚絵ありと﹂
基本的にトゥルーエンドとグッドエンドの分岐だが、実はバッド
エンドもある。
剣士のバッドエンドだと魔王は復活してしまい、プレイヤーは終
わり無き戦いの中で死んでしまうことになる。
4
﹁盗賊はトゥルーエンドで世界を救ったことで罪が免じられて、自
由の身になって旅に出る。サワヤカな表情の一枚絵あり。
グッドエンドだと助けた女の子を養うために盗賊団を結成する。
結婚は無理だけど、幸せそうな女の子との一枚絵がついてる﹂
バッドエンドだと勿論、罪は免じられずに収監されることになる。
﹁僧侶のトゥルーエンドはそのまま神様に祈り続けて普通に大神官
とかになる。厳かな表情の一枚絵。
グッドエンドは故郷の田舎町の教会で司祭になって、近所の子供
たちに慕われて、囲まれる一枚絵ありのエンディングと。
これが一番好きなエンディングだなあ﹂
バッドエンドの場合、教会の派閥争いに巻き込まれて若くして亡
くなってしまう。
﹁最後は魔法使いか。魔法使いはなあ。魔王を倒したのはいいけど、
魔力を使いすぎて力尽きる。
トゥルーエンドだとそのまま終了で、誰も彼女に感謝しない。無
常観が出ていていいかもね。
グッドエンドだと残った痕跡からプレイヤーがやったということ
が世に知れて吟遊詩人が歌を歌ってくれる、と﹂
さらにバッドエンドの場合は余計な罪を背負わされて墓石を破壊
されるとかそんなオチがある。
エンディングテロップは、担当者の文才もあって結構詳細に書か
れている。剣士エンドでの幼馴染の照れ描写などは異様に気合いが
入っているところを見ると、彼のお気に入りなのかもしれない。
4キャラぶんのプログラムを組み込み終わると、その状態でとり
5
あえず保存する。
ちゃんとエンディングが分岐するか、テストプレーをしなくては
ならない。私はとりあえず剣士からスタートすることにした。
﹃エギナ﹄を一周するのにかかるプレイ時間は3時間程度である。
慣れたプレイヤーなら2時間くらいだろう。よほどアクションが苦
手という人でも地道にレベルを上げれば必ずクリアできる。その場
合でも6時間以上かかるということは考えられない。
軽くサクッとクリアできるように調整してあるのだ。
とはいえ、もっと長く楽しみたい人のために、拡張追加ディスク
を販売することも検討していいかもしれない。
それはともかく、とりあえずテストプレーだ。
私は開発者なので﹃エギナ﹄のことは知り尽くしており、しかも
テストプレーということで最初からキャラクターのレベルは最高で
あり戦闘は楽勝で終わるが、迷宮の踏破やトラップの解除に時間が
かかる。さすがに一時間程度でクリアということはできない。
分岐前のセーブ&ロードまで駆使してエンディングをコンプリー
トしていくが、それでもかなりの時間をとられた。しかし、今のと
ころ特にこれといったバグは見つからない。問題なくエンディング
も分岐しているようだ。
まあ私が組んだのだから、そう簡単にバグを吐いてもらっては困
るのだが。散々デバッグをやった甲斐もあったというものである。
僧侶のテストプレーまで終わる頃にはもう外は真っ暗になってい
た。
実はこのゲーム、僧侶の魔法力を限界まで上げると最強の聖属性
魔法を覚える。それを駆使して戦うと、最強の防御力を誇る魔王城
のガーディアンどもですら紙細工のように砕けていくのである。そ
のさまはなかなか爽快だった。
さてあとは、あまり気乗りしないが魔法使いのテストプレーだ。
始めるか、とキャラクター選択画面で魔法使いを決定。
6
その瞬間だった。電話が鳴る。
電話をとった私が聞いたのは、最悪の報告だった。
中世欧米風の世界を題材にしたファンタジーゲームの中毒者が、
大惨事を引き起こしたというのだ。
あわててニュースサイトを検索してみると、でるわでるわ。私が
テストプレーをしている間、世間の話題はコレ一色だったらしい。
しかもその、ファンタジーゲームというのが我が同人サークルが
開発したものなのだった。
私が開発したゲームではない。我が同人サークルは幾度か代表者
が代わっている。件のゲームは先代の代表者が指導して作り上げた
ものだ。
リアルなスプラッタ描写と重厚な世界観、奴隷システムまで取り
入れた本格的なものであり、爆発的な人気を誇った。我がサークル
の看板作品だったといってもよい。
だった、というのは私の代になってから構成メンバーが減少して
しまい、大した作品がつくれなくなってしまったからである。
そこで多少の無理を押しても﹃エギナ﹄という大作を発表し、か
つての栄光を取り戻そうとしたのだが、それは無意味になってしま
った。
先程の電話で、しばらくサークル活動は自粛するようにとの通達
があった。先代の代表者からのものである。
不遇にも、﹃エギナ﹄というゲームは世に出ることなく終わるこ
とになるかもしれない。開発中止だ。
時間をおいて発表するにしても、ファンタジーゲームでは無理だ
ろう。シナリオは作り直さざるを得ない。
私は自棄酒をするために、﹃エギナ﹄をそのままにして外出した。
財布の限界まで飲み明かすつもりだった。
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02﹁カリナ・カサハラ﹂
どうやら私は孤児院にいる。
自分の名前はカリナ・カサハラ。性別は女。歳はいくつかわから
ない。
周囲にたくさんの子供たちがいる。それらから離れて、ぼろきれ
のような毛布をかぶった自分がいる。
視線の低さ。自らの体の妙な小ささ。私は、幼児であるらしい。
物心がついたときに、私はそうした理解をした。
前世での記憶を引き摺っている、とも解釈した。
同人ゲームのクリエイターとして過ごしてきた日々が、昨日の様
に思い出せる。
心血を注いでつくった﹃エギナ﹄が販売できなくなった悲しみか
ら自棄酒に深酒をして、そのまま記憶が途切れている。
しばらくの黒い闇をはさんで、次にふと気付けばこの有様なのだ。
カリナ・カサハラという名は前世での名ではない。もっと平凡な
名であった。
この孤児院は奇妙なほど文化が遅れている。電気がない。建物の
作りも古風だ。
﹁みなさん、おやつですよ﹂
孤児院を取り仕切っている女性が、何か軽食をもってきた。
部屋で遊んでいた子供たちはそれに歓喜の声を上げる。私を除く
全員がそれに群がり、お菓子をほおばった。
しかし私は、それが自分に許された行為ではないことを知ってい
る。
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それは、私が最後に拾われてきた子だからかもしれない。身なり
が汚いからかもしれない。
最も小柄で、引っ込み思案だからかもしれない。
いずれにしても、正当な理由ではない。不当にいじめられている。
そしてここを取り仕切り、軽食を持ってきた女性もそれを黙認し
ているのだ。
なんというか、いたたまれない。自分自身の境遇に。
本当の両親がどこにいるのか、死んだのか。そんなことはこの幼
い記憶に残っていない。
幼児の記憶など曖昧なものだし、物心つくまえの記憶などあるは
ずがなかった。
ただ、自分の生活する場がここであること。ここでの生活が大し
ていいものではないこと。
そして、自分はいじめられるために生きているも同然の状態であ
るということが、私にわかったことだ。
私の名前はカリナ・カサハラというはずだが。
一日を通してもその名を呼ぶ人物などいなかった。
食事だけは最低限与えてもらえたため、やむなく毛布をかぶって
一日を過ごし続ける。
こんな日がいつまで続くのか。
ひょっとしていじめられているというのは錯覚なのかと思って、
遊んでいる子供たちの輪に加わろうとしたことがある。
しかし身なりを懸命に整えてから挑んだにもかかわらず、飛んで
きたのは足蹴りだった。打ち倒されて、散々に蹴られた。子供特有
の高い笑い声でキャアキャアとわめきながら大喜びで彼らは私を蹴
りつけたのである。
そして予想通り、その様子を見ても孤児院の管理人達は、大人た
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ちは見てみぬふりをした。全く無関心だったのである。
しかし、このいじめにも、得るものはあった。予想よりも痛くな
かったということだ。
子供の力なのだから当然だ、と思うかもしれない。しかしそれを
勘案してもあきらかにダメージが少なかった。
頑丈なのである。この身体は、かなり頑丈だ。ただの子供ではあ
りえないほどのものだ。
私はもしかすると、何かの才能にめぐまれているのかもしれない。
そう思うと、少しだけ私の中の悪い部分が鎌首をもたげた。この
いじめっこどもに、痛い目をみせてやれるかもしれない。
恐らく堂々と正面から反撃すると孤児院にいる大人たちが止めに
入るだろう。しかし彼らに見つからずにやる方法も考えられる、今
の私には。
観察をすることにした。できるだけ孤児院の中も許される範囲内
でうろつき、構造を把握する。
そうすることで大人に見つかりにくい死角を発見できるだろうと
踏んでいたのだ。
しかし、わかったことはそれだけでなかった。
酷似しているのである。この孤児院が。
何に似ているか、など考えるまでもなかった。前世で知っていた、
いや知り尽くしていたものだ。
ここは、﹃エギナ﹄の世界にあった孤児院にそっくりなのだ。
全ての建物のデザインを私がしたわけではない。だが、デバッグ
のためにこの建物に何度も出入りしたし、壁抜けができはしないか
と無意味なジャンプを繰り返しもした。覚えていないはずがなかっ
た。
﹃エギナ﹄での孤児院の役割は、それほど重要なものではない。
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ただ、旅立ちのときに主人公が出て行く建物というだけだ。
プレイヤーキャラクターに魔法使いを選択するとプロローグで主
人公が旅立つ建物、それなのだ。旅立った後でも一応孤児院に戻る
ことはできるし、中にいる人間と話すことも可能だ。
となると。
私は窓の外をのぞいてみた。町並みが見える。
その町並みに、覚えはあった。﹃エギナ﹄の初期配置村。始まり
の村である。
そうだ、まさかだ。
私は、大人たちに話しかけて確かめた。﹃エギナ﹄の世界なら常
識となっている世界の伝承を。
勇者と魔王についての伝承を。
これは前世での同人サークルの一部にしか伝わっていない製作秘
話同然のものだ。何しろゲーム自体が発表されていないのだから。
ところが孤児院の大人たちは、伝承を知っていた。
﹁ああ、勇者様の伝承。カリナ、どこでそんなことを覚えてきたの
ですか。
知りたいのならゆっくり教えてあげましょう、夜になったら寝る
前に話してあげます﹂
そしてその夜に聞いた話は、完全に私が設定したものと同一だっ
た。
もはや、これは確定事項である。
私は、私が創造した﹃エギナ﹄の世界に落ちてしまったのだと。
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03﹁魔法使い﹂
自棄酒で深酒をした同人ゲームクリエイターの私が、﹃エギナ﹄
の世界に落ちたことは何の意味があるのか。
あのときエンディングまで組み込んだテストプレーは、最後まで
できていなかった。
剣士、盗賊、僧侶は終わっていたが、魔法使いだけが残っている。
そして、孤児院からスタートしているということは、私は﹃魔法
使い﹄である可能性が高い。
剣士は故郷の農村から、盗賊は大貴族の屋敷から、僧侶は教会か
らのスタートだ。これらではないだろう。
とはいえ果たして私はプレイヤーキャラクターの特性を持ってい
るのだろうか。
一部のRPGの場合、プレイヤーキャラクターであれば、死んで
も復活可能である。だが、﹃エギナ﹄はアクションRPGであるが、
死んでしまえばそのままゲームオーバー。教会から再スタートだと
か、課金アイテムで復活だとかそういう要素はない。
﹃エギナ﹄におけるプレイヤーキャラクターの特性としてはやは
り成長に関することだろう。
敵対するNPCを殺せば、そのNPCのレベルに応じて成長ポイ
ントを獲得できる。この成長ポイントを自由に割り振って、好きな
特徴を伸ばすことができるのだ。
例えば、最弱のNPCである﹁街の乞食﹂を殺害した場合は成長
ポイントが1もらえる。
そのポイントを消費し、プレイヤーは筋力、耐久力、魔法力、精
神力、器用さ、魅力といった要素を成長させることができるのだ。
成長させればさせるほど、一段階成長させるのに必要なポイントは
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増えていくが、それだけ効果も見合ったものになる。
NPCがNPCを殺害した場合でも成長するが、その場合もプレ
イヤーがポイントを割り振らなければならない。﹃エギナ﹄には友
好的なNPCが非常に少ないが、彼らをプレイヤーの好きなように
成長させることができるというわけだ。
つまり、私がプレイヤーキャラクターであるのなら、成長ポイン
トの割り振りができる。そのはずだ。
だが、どうやって割り振ればいいのだろうか。身体のどこかにボ
タンがあって、それを押すなどという方式でないことは確実だが、
この世界がゲームではない以上、メニューボタンなどあるはずもな
い。
うむ、考えてもわからない。だが、物心ついて以来、ただの一体
もNPCを殺害していない自分に成長ポイントがあるはずもないの
で、わかったとしてもしばらく役に立ちそうにない。
とりあえずその疑問は棚上げにしておくことにする。
私がプレイヤーキャラクターの特性を持っていないという可能性
を含めて、未確定なことが多いからだ。
とりあえず、窓に映っている私の姿は間違いなく﹃エギナ﹄で設
定した魔法使いのデフォルトの姿だ。あどけない子供の姿だが、面
影がある。成長すれば設定した姿になるだろう。
設定では魔法使いの旅立ちは14歳のときになっている。自分の
年齢が詳しくわからないが、恐らくは3歳くらいだろう。
ゲームの設定どおりに進むとは限らないのだが、もしそうなると
するなら旅立ちまで残り、11年だ。
いや待てよ、確か魔法使いが14歳で旅立つのはそれなりの理由
があったはずだ。孤児院にいられる上限年齢が14歳だったとかそ
んなんではなかっただろうか。
魔王が存在するのなら、彼を倒さなければ滅亡エンドが待ってい
る。
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実際にはテストプレイでもほとんどありえなかったのだが、﹃エ
ギナ﹄には制限時間オーバーによる強制エンディングがある。ゲー
ム開始から、ゲーム内時間で1000日が経過すると魔王が侵攻し
て来てゲームオーバー確定なのだ。
つまり旅立ちの日から二年半程度は余裕があるということだが、
そんな悠長なことをしている暇はないだろう。
部屋の隅で毛布をかぶりながらそんなことを考えていると、羽虫
が一匹、私の顔にたかってきた。それを手で叩き潰そうとしたが、
3歳児の力ではなかなか難しい。しばらく躍起になり、数分後によ
うやく仕留めた。
成長ポイントを獲得したという実感はない。羽虫も敵モンスター
として登場することがあり、成長ポイントをもっているはずなのに。
数週間後、私は夜に孤児院内を闊歩していた鼠を殺した。やはり
成長ポイントは得られない。
鼠を殺すのは罠を仕掛けるところから行って、大変だったのに。
無駄だった。
成長ポイントという、いかにもゲームじみた要素はこの世界に存
在しないのかもしれない。
この町並みは﹃エギナ﹄に酷似しているが、ゲーム世界などでは
ないのだろう。
だが、魔王の伝承がある以上は間違いなく魔王は存在するし、世
界を救えるのは私一人だけだ。そういう設定にしてしまっている。
滅亡エンドがある以上、他の誰かが勝手に魔王を殺してくれると
いうことにはならない。
そのようなことを考えている間に、暇になったのか目に付いたの
か、子供たちがやってきた。
私はかぶっていた毛布を引き剥がされて蹴られた。口々に彼らは
私を罵り、謗り、嘲りながら蹴りつける。
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結構痛いものではなるが、傷が残るようなことはなかった。子供
の身体はやわらかいものだと思う。
この苦痛は日常的に行われており、私も痛いながら慣れてきつつ
ある。
毎日、少しの辛抱だ。
次の段階に進まねばならない。
私は恐らく﹃魔法使い﹄である。魔法使いは最初からデフォルト
で魔法を一つ使えるはずだ。
キャラクターメイクの際に火魔法の最下級魔法か、光魔法の最下
級魔法を選択するようになっている。
終盤では光魔法が圧倒的な力を発揮するが、序盤は火魔法が非常
に強力だ。デフォルトのカーソル位置は火魔法になっているので、
私の習得している魔法も火魔法である可能性が高い。
とはいえ使い方がわからない。﹃エギナ﹄なら魔法ボタン一つで
出る火魔法最下級魔法でさえ、出し方がわからない始末だ。
何か情報を集める方法はないものか。﹃エギナ﹄世界において魔
法使いはそれほど珍しい存在ではない。魔法の使い方などという教
本も少なからず存在しているはずだ。
そこで私は積極的に外に出るようにした。
基本的に毛布をかぶって過ごした方が痛い思いをしないですむの
だが、魔法を覚えるためには仕方がない。
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04﹁霧の魔法﹂
孤児院の中でも、大人たちは努めて私へ行われるイジメを見ない
ようにしている。そして、見たとしてもその場では止めない。
なぜそのようにするのか、理由がいくつか考えられる。いずれも
くだらない理由だ。
私をいじめさせることで、彼らのストレス発散をさせているとい
うもの。子供は子供同士のルールがあるからと、好きにさせている
というもの。私は身なりも汚く、ひ弱そうなので死んでも構わない
と思っているというもの。
いずれにしても、私からしてみればたまったものではない。死ん
でなどやらない。
そういうわけで私は孤児院で働く大人をあまり信用していなかっ
たが、例外が一人だけ存在する。
クオードという名前の男性だ。そこそこ若く、二十台半ばごろと
思われる。彼は私にも優しかった。小児性愛の類というわけでもな
く、純粋に子供好きなのだろう。
おやつも私に手渡しで与えてくれたり、時折体調が悪くはないか
と気遣ってくれたり、世話をやいてくれる。
他の大人は皆私を厄介者のように扱っているだけに、クオードの
存在は私の心を実に癒してくれた。
ある日、そのクオードが買い物にでかけるというので、私はそれ
に同行することにした。迷惑に違いなかったが、とにかく外に出る
機会は少ないので何とかする必要がある。私は頼み込んで、彼の同
意を勝ち取った。
﹁カリナ、手を離さないで。キョロキョロしないで、前を見て歩く
んだよ﹂
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クオードはしゃがみこんで私と視線を合わせてから、そんな注意
をしてきた。
私としてもはぐれてクオードに迷惑をかけることは本意でない。
素直に頷いておく。
彼の手をしっかり握って、私はようやく孤児院の外に出た。
町並みはやはり、知り尽くした﹃エギナ﹄の始まりの村と同じだ。
そうそう、ここで買い物しすぎると値段がオーバーフローして異
常に安く買えたりしたっけな。あのバグは残しておいてもよかった
かもしれない。
などということを考えながら、クオードが買い物するのを見守る。
﹃エギナ﹄では武具や薬品の類しか買い物できなかったが、ここ
では日用品や食糧も買うことができるようだ。当然だろう。そうで
なければ住人の日々の生活が成り立たない。
買い物が終わるのを待ち、私はクオードに書店に立ち寄りたいと
申し出た。クオードはこれを承知してくれた。いい人だ。
しかし書店では本が非常に高額であるため、子供には触らせられ
ないと言われる。そこでクオードが本を開いて、私の読みたいとこ
ろを見せてくれた。
当然、見せてもらったのは魔法の扱い方について書かれたものだ。
﹁カリナはこれが読めるのかい。でも、魔法はほんの少しの人だけ
にしか使えないんだよ﹂
﹁あ、その。絵、絵がおもしろいから。見てて楽しいの﹂
しまった。3歳児が魔法書を読みすすめるのはいくらなんでも不
自然だろう。
私は適当に誤魔化しておいた。
計画はとりあえず成功だ。詳しい火の魔法の扱い方を、しっかり
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脳裏に刻み込む。
そしてその日の夜、そっと試してみた。確かに、火は燃えた。
最下級魔法に過ぎず、それも威力は無きに等しい。しかし、それ
でも魔法が出たのだ。
発生プロセスは非常に面倒だったが、仕方がない。
私はこれを反復練習することで少しでも身体に慣れさせることを
決意した。
まず精霊を吸収して魔力を身体に溜め、それを魔法に変換する。
そして、どこに魔法をぶつけるかを指定する。
この一連の動作をいかに素早く、効率的に行えるかが魔法使いの
全てだろう。
私はこのとき、そう思っていた。
次の日にそれはひっくり返った。
﹁カリナ、どうしたの。そんなにびっくりした顔をして﹂
クオードが本を持ったまま声をかけてくる。私は驚愕していたの
だ。無理もない。
そうだった。
魔法は、何も攻撃魔法ばかりではなかったのである。
弱体化魔法。デバフ。
そういうものが、存在していたのだ。
僧侶が自らの力を増幅させる強化魔法を習得するのに対して、魔
法使いは敵を弱体化させる魔法を習得する。
クオードが開いて見せてくれているページに記されているのは、
霧の魔法だ。
敵の周囲を霧に包んで、相手の視界を狭める。これにかければ、
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簡単に相手の不意をつくことができるのである。
これにかけた相手を、ナイフでグサリとやれば一瞬で倒せる。
人間相手ならそれだけでどれほど強力なことか。
あのいじめっこたちに復讐する際にもこれは絶対に役立つ戦術だ。
殺すかどうかは別にして。
そう考えてみれば攻撃魔法など目立つし、魔法力を消費するしで
ろくなことはない。威力過剰だ。
旅立った後、魔物との戦いとなるが、その際ナイフでは役者不足
に感じるかもしれない。
だが、それも杞憂だ。
クオードが買い物をするときに見えたが、この始まりの村には最
強の杖が売っている。その名もパワーロッド。
攻撃力が低く、魔法力も低い初期魔法使いを手助けするための救
済武器だ。このロッドは魔法使いだけが装備できて、使用者の魔法
力を吸収して打撃力に変えてくれる効果をもつ。
しかしデバッグしたときにわかったが、実際に使ってみると最初
のうちは吸収する魔法力が少ないのでそれなりの力しかもたず、初
期魔法使いの救済としては役に立たなかった。結局、初期魔法使い
は休憩して魔法力を回復しながら、地道に魔法で戦っていくしかな
かったのである。
ところが、このパワーロッドという武器は中盤以降になると吸収
する魔力量が増えるため凄まじい威力を発揮することになる。魔王
軍の最終防衛ラインにおいても、この杖を装備した魔法使いは出鱈
目な打撃力を発揮する。中盤以降は最後まで通用する優秀な打撃武
器に化けるのだ。
つまりなんとか序盤を乗り切れば、あとはパワーロッドで無双で
きる。という具合だ。
霧の魔法で視界を封じて、背後からパワーロッドで殴りかかれば
魔王城のガーディアンでさえ簡単に倒せるはずである。
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魔法力を吸収して打撃力に変えるパワーロッドを使いこなすには、
相応の身体能力も要求されるだろう。
身体を鍛える必要がある。同時に、魔法の訓練も行わなければな
らない。
といっても、破壊魔法などではない。補助魔法の訓練だ。さしあ
たっては霧の魔法。
1秒以内に発動できるようになるのが理想だ。いや、実戦では1
秒も惜しいかもしれない。
とにかくできるだけ早く霧の魔法が出せるように、訓練を行うし
かない。
私は決意を新たにして、クオードとともに孤児院に戻った。
その後数ヶ月、夜になるたびに孤児院が霧に包まれるという謎の
怪異があったのだが、真相は誰も知らない。
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05﹁金銭問題﹂
5歳になったある日、私はとんでもないところを見てしまった。
身なりのえらく立派なお爺さんが、孤児院の院長と話をしている
ところだった。
幸いにも二人はこちらに気付いていないようであるが、そのうち
にお爺さんが院長に金を渡した。金貨で数十枚という破格の大金だ。
金貨一枚が何円くらいの価値、という設定を﹃エギナ﹄につけた
覚えはないが、クオードが日々の買い物で使うお金が精々銀貨二枚
程度であることを考えると、とんでもない額だということはわかる。
確か、銀貨が百枚で金貨一枚の価値だったはずだからだ。
﹁確か、カリナとかいう女児がおりましたね。他にも数名、幼い女
児がみえる。彼女らは10年も経てば商品となります。かならずお
納め下さい﹂
﹁もちろんです。あのような子らには引き取り手もありますまい。
あったとしても先約があると断っておきます﹂
お爺さんと院長は笑いあって、握手をしている。
私はその場から慌てて逃げ出した。気付かれてはいないはずだ。
要するに、私や孤児院の女児は商品にされるらしい。売られるの
だ。
十年後の引取りを約束しておいて、対価は今支払われたわけだ。
もしくは、継続的に支援をする代わりに、引き取り手のない子供
をもらっているということだろう。いずれにしても、人身売買だ。
﹃エギナ﹄の世界においても人身売買は違法である。
奴隷なら話は別になるが、私は奴隷になった覚えがない。れっき
21
とした犯罪行為だろう。
一応魔法使いの旅立ちは14歳のときなのだが、10年後では私
は15歳。しかし10年きっかりで売られるとは限らない。
むしろ、急いで欲しくなったから早めに納品してくれなどという
ことになる可能性の方が高い。
さっさとこの孤児院から離れたほうがよいことは間違いなさそう
だ。
しかし私が抜けたところで、他の女児が穴埋めにされることは明
白であり、彼女達の運命も変わることがないだろう。
正義を気取るつもりなら、問題を根本から処理しなければならな
い。
つまり、この孤児院の院長を告訴して人身売買の事実を白日の下
に晒すのだ。あの身なりの良いお爺さんがどれほど地位のある人物
かはわからないが、そこがネックだろう。
べらぼうに地位の高い人物である場合、もみ消される可能性が高
くなる。
そうなったら私は逮捕されるだろう。追われる身となることは間
違いない。迂闊なことはできない。
﹁クオード、孤児院の家計って苦しいのかな﹂
﹁なんですかカリナ、藪から棒に﹂
いつものようにクオードにくっついて買い物にでかけた際に、私
は訊ねてみることにした。
実のところ、他の事でも私は困っているのだ。何しろ孤児院にい
ては金銭を得る手段がない。
始まりの村に売っているパワーロッドは店売りではあるが、実の
ところ貴重品扱いであり、ゲーム全体を通して一本しか手に入らな
い。
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つまり、誰かに買われたら終わりなのである。
旅立ちの日を迎えるときまで、少なくとも私が14歳になるまで
は売れないと思われるのだが、それ以降はどうなるか不明だ。
この世界がゲームではない以上、誰かが買わないとも限らない。
その値は銀貨20枚。
旅立ったばかりの魔法使いは初期資金として銀貨50枚を持って
いるので、余裕で買える。
基本的に﹃エギナ﹄での通貨は銀貨である。
だが、今の私には銀貨どころか銅貨にさえ手が届かない。5歳児
なのだから仕方ないといえるかもしれないが、ともかく焦る。
パワーロッドを逃してしまったら、普通の杖で頑張るしかない。
その場合は攻撃魔法を鍛えなおすハメになる。
勿論、終盤にはパワーロッドよりも強力な隠しアイテムがないこ
とはない。しかしそこまで我慢するのはあまりにも厳しい。
なんとかお金を得る手立てを考える必要がある。
﹁孤児院の収入はそれなりに安定していますし、それほど苦労して
いるという話はありませんよ﹂
﹁収入ってどんな収入?﹂
﹁畑の野菜を売ったり、隣町に荷物を運んだりしてお金を得ていま
す。それと、領主様からの援助も少なからずあります。カリナが心
配するほどのことはありませんよ﹂
﹁クオード、だったら頼みがあるの﹂
﹁なんですか﹂
﹁私、家のことできるだけお手伝いするから、お小遣いが欲しいの﹂
私に今考えられるだけの作戦はこれしかなかった。 しかし、クオードは唸った後、院長に相談してみますとしか言わ
なかった。当然だろう。
23
勝手に一人だけに小遣いを与えてしまっては、問題になるからだ。
だめだったら村の中で仕事を探したいので、外出させて欲しいと
申し出てみる。これも院長へ相談事項になるだろう。
お金を溜めてどうするんで
クオードは困った顔をしながら、私の手を握る手に少しだけ力を
込めた。
﹁カリナ、一体何が欲しいんですか?
す?﹂
﹁秘密だよ﹂
﹁そうですか。もしどうしても欲しいものがあったら相談してくだ
さい。決して、一人で悩まないで下さいね﹂
本気で、心から彼はそう言っているようだ。私を案じているのだ。
クオードは子供好きで、優しい。
孤児院自体を告訴するようなことになったとしても、彼だけはな
んとか守りたいと私は思うようになっていた。
私を本気で案じてくれている、孤児院の中でも数少ない良識のあ
る人物なのだから。
彼には人身売買の件を話しておくべきだろうか。
しかし、まだ時間はある。いや、ないかもしれない。
今年で15歳になる女の子がいたはずだ。彼女は私へのいじめに
など参加していない。孤児院の中の仕事を手伝いながら、どこかの
屋敷へメイドとして働きに出ている。
ひょっとすると明日にも、彼女が買われていってしまうかもしれ
ないのだ。
問題は、クオードに相談して何とかなりそうな問題ではないこと。
そして、クオードが本当に信頼できる人物であるかどうかという
ところだ。
24
06﹁門出﹂
とりあえずだが、早朝の水汲みと裏庭の畑の雑草を間引くことが
私に仕事として課せられた。
5歳であるうちは、それで銅貨を何枚かくれるという。一週間に
5枚程度だ。
収入がゼロでなくなっただけ、大きな前進といえる。パワーロッ
ドを買うための資金、銀貨20枚に向かって突き進むのみだ。
そうするうちに、なぜか私に対するいじめはなくなった。クオー
ドが何か言ってくれたのか。
それともが毛布をかぶってじっとしていることが少なくなったの
で、いじめる暇もなくなったのか。
よい兆候だ。やはりお子様方も5歳になればちょっとは落ち着い
てくるのだろう。
そう思っていた私は甘かったとしかいいようがない。
畑の雑草を間引く作業は結構疲れる。まあこれで筋力が少しでも
アップするなら儲けものだと思うしかない。
パワーロッドは魔法力を吸収して打撃力に変えてくれるわけだが、
当然元の筋力も攻撃力に加算される。
それに、最初のうちは魔法力が低いはずなのでパワーロッド頼み
で無双することはできない。少しでも筋力をあげておいたほうがい
い。
魔法力も人目のつかないところで霧を出したり小動物や虫の動き
を鈍らせたりして鍛えているが、やはり筋力を挙げるのがスジだろ
う。
そういうわけで、私は裏庭の畑にしゃがみこみ雑草を懸命に抜き
取っていた。
25
バッタやカマキリなどが目につくが、それらは人目を気にした後、
弱体化の魔法をかけてそこいらに捨てている。残酷なようだが仕方
が無い。
霧の魔法は最も消費魔法力に対する効果が高いと認められるが、
いちいち霧を出していると裏庭が常時濃霧に覆われることになって
しまう。それはクオードを含めた孤児院の人に迷惑がかかるのでや
めておきたい。
夜間に霧がでるのはもう、そういう現象としてあきらめてもらい
たいが。
弱体化させている魔法は﹃脆弱の魔法﹄という防御力を大幅に下
げるものだ。
なかなか強力な魔法であり、生卵にかけてみると恐ろしいほど殻
が脆くなってしまった。摘み上げることも難しいほどだった。
何匹目かのバッタを発見した私はそれをつまみあげ、周囲を見回
した。万が一にも、魔法を使っているところを見られるわけにはい
かない。ばれてしまったら、ろくなことにならないのは目に見えて
いる。
魔法を使う前にいちいち周囲を見回す癖をつけてきた、その甲斐
はあった。
私の目は背後に近寄ってくる子供たちを見つけたのである。
彼らは私をいじめている連中であり、キャッキャと甲高い声で笑
い叫びながら私を蹴り転がしてははしゃぐのを日課としている有様
だ。
頑丈な体なので別にそれで具合が悪くなるだとか、どこか痛くな
るだとかいうこともないのだが、時間をとられるのは鬱陶しい限り
である。それが最近はぱったりなくなっていたので、私は安心して
いた。
しかし今日はどういうわけなのか。わざわざこのようなところま
でやってきて、何をしようというのか。
26
まさか私をこんなところで蹴りまくるわけではないだろう。
﹁何か御用ですか﹂
私は手の中のバッタを逃がして、立ち上がった。立ち上がったと
ころで大して背丈が無いのが悲しい。
大体想像はついているが、面倒くさい。
﹁お前なあ、そんなところで何してるんだ!﹂
先頭に立っている男児が私を指差して叫んだ。何が言いたいのか
私にはわからない。
子供の心理など理解できはすまい。私は前世の記憶を引き継いで
いるのだから。
﹁草むしりです。畑仕事のお手伝いをしていますが﹂
﹁ばかか、子供は畑に入っちゃいけないんだぞ!﹂
そんなことを言われても、クオードさんから許可はもらっている。
雑草を抜いて感謝されたことはあっても、怒られたことは今まで無
い。
単に、いちゃもんをつけているだけだと思われた。
しかし、彼らは私を指差してなじる。総勢で、四名。
﹁畑に入った、悪い子ー﹂
﹁畑の草をむしってる悪い子ー﹂
﹁野菜を勝手に盗んでる悪い子ー﹂
悪い子、悪い子と連呼して彼らは私を非難し続けた。
かかわると面倒くさそうだが、邪魔だ。このままでは弱体化魔法
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の訓練もできない。
仕方が無いので反論はしてみる。
﹁これは、お手伝いをしているのです。勝手にしていることではあ
りません﹂
言っても無駄だろうなと思いながらそう言ったら、本当に無駄だ
った。
﹁いいわけしてる悪い子ー﹂
﹁反省しない悪い子ー﹂
付き合いきれないので、私は霧の魔法を使った。彼ら以外には近
くに誰もいないことはわかっている。
突然その場に出現した濃霧に、子供たちは驚いているようだ。
﹁何これっ?﹂
﹁前が見えない!﹂
この霧の中なら、何をしても見えはしないだろう。私は畑から出
て背後から彼らに接近して、向こう脛を蹴りつけてやった。
足跡を残さないようにするのに気を遣った。
﹁痛いっ、痛い!﹂
泣き喚く彼らを残して、私は畑に戻って黙々と作業を続けること
にした。何も問題などあるはずがない。
多少はスッキリした。いくらあまり痛くないとはいえ、蹴られ続
けるのは割かしストレスがたまるものだ。
第一、私はそんなに子供が好きではない。わがままなクソガキは
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特にそうだ。
私が大人なら、彼らなんて叱り付けるだけでおしまいにできるの
だが、5歳児の姿ではどうにもしようがない。
ぐすぐす泣いている子供たちの泣き声が静かになるころ、私は霧
の魔法を解除してやった。
まだ痛がって立ち上がらない子供たちが見える。本当にしょうが
ない子供たちだ、と私は思う。
このまま放置していると私のほうが叱られるだろう。仕方がない
のでクオードを呼んでこよう。
そう思って、私は孤児院の中に戻ってみた。クオードを探してみ
るが、いない。買い物にいってしまったのだろうか。
クオードどころか大人の姿が見えないのである。どういうわけな
のだろうか。
表玄関に回ってみると、そのわけがわかった。
誰かが連れて行かれている。ああ、それは今までメイドとして働
きに出ていた15歳になる女の子。
院長に手を引かれて、あのときの取引相手。お爺さんに引き渡さ
れている。
それを、孤児院で働く大人全員が見送っていた。
﹁クオード!﹂
私はとりあえず叫んでみた。
クオードもその場にいて、私の声に振り返ってくれる。その表情
はかなり優しい感じだ。
連れて行かれている女の子も含めて、全員がとても優しい微笑み
を浮かべていた。
29
私はそれを、異常な光景だと判断した。
﹁ああ、カリナ。どうかしましたか。私も今聞いたところなのです
が、シュトーレにいい里親が見つかったそうです。
カリナも祝福してあげてください。シュトーレの門出ですからね﹂
シュトーレというのは連れて行かれている女の子の名前である。
だが、私は知っている。彼女が向かう先が里親の下などではない
ということを。
シュトーレはすでに15歳だ。そんなに大きな女の子を引き取る
なんてことは、かなり珍しい。よこしまな目的がないのであれば、
だ。
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07﹁シュトーレ﹂
シュトーレの引き取り手は、身寄りのないお婆さんであるそうだ。
体が弱ってきているので、住み込みで世話をしてくれる人を探し
ていたらしい。
シュトーレは屋敷でもそうした仕事を何度もしてきたので、この
話を断るわけもなかった。彼女は仕事と住まいを得て、孤児院をさ
ることになったのである。里親というよりは、自立したというほう
が正しいような感じだ。
これは、私を納得させるに十分なものだ。嘘でなければ、だが。
私はとりあえずシュトーレに別れを告げ、旅立ちを祝った。
そのあとでクオードに裏庭の惨状を報告したが、彼には私の仕業
だと見抜かれて怒られた。
どう考えても私しか容疑者がいないからだろう。見事な観察眼で
ある。
反撃したことは特に責められなかったが、その事実を隠そうとし
たことを非難された。なるほどごもっともである。彼からすれば、
私は自分の行いに向き合わず、有耶無耶にしようとする小賢しい子
供に見えたのだろう。そのとおりだ。
まったく反論のしようがないので、私はおとなしくクオードに怒
られた。
他の大人からならともかく、クオードに怒られるのは結構こたえ
る。私のメンタルは結構もろいのである。前世からそうであるし、
今の私は体こそ頑丈であるものの、やはり子供なのだ。
しかし落ち込んでばかりもいられない。シュトーレは連れて行か
れてしまったのだ。
あまり面と向かって親しく話す機会はなかったものの、彼女はと
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ても優しく勤勉な性格だ。顔だって悪くない。
いつだったか、彼女が作ってくれたパイを食べたことがあったが、
あれはすばらしい味だった。甘いものに餓えていた私はそれで救わ
れた気になったものである。クオードが手渡ししてくれなければ私
が食べることはかなわなかっただろうが。
本題だ。シュトーレは本当にお婆さんの介護をしに行ったのだろ
うか。
あのお爺さんが何者なのかはわからないが、人身売買をしている
ことは間違いない。
お爺さんが関わっている限り、シュトーレが本当に今後幸せに暮
らしていけるのか非常に疑わしい。何とかして、シュトーレの様子
を探りに行かなければならない。私は作戦を練ることにした。
私は孤児院の中ではヒエラルキーの最下層に位置している。だか
ら味方はほとんどいない。
クオードはギリギリで味方といえるかもしれない。
今まで彼と交わした言葉から察するに、どうやら彼は本当に子供
が好きらしい。子供しか愛せない、やばい性癖の持ち主というわけ
ではない。結婚はしていて、娘も一人いるとか。さぞかし溺愛して
いることだろう。
しかし奥さんはすでにおらず、両親に手伝ってもらって子育てし
ているらしい。彼も家に帰れば父親なわけだ。
そんな彼は信用するに足る。
他に誰か信用できそうな相手がいるかと言われれば、これが全く
いない。孤児院にいる子供は私を無視するか、いじめているかの二
択だ。
シュトーレは本当に数少ない例外である。彼女は一度だけだが私
がいじめられている現場に遭遇して、いじめっ子たちを止めてくれ
た実績がある。その行為に私は感謝している。今度は私が恩を返す
のだ。
32
情報を集めたいが、5歳児の行動範囲で何ができるというのか。
となると、やはり非常手段をとるしかない。私は部屋の隅でいつ
もどおりぼろきれのような毛布をかぶって、夜を待つことにした。
誰もかまってくる者がいないので、存分に昼寝をする。座ったま
まだが慣れれば余裕である。
夕食の時間だけ起こされて、それが終わったら口をゆすいでから
また元の位置に戻って眠った。
今夜、行動を起こすためにできるだけ睡眠時間を稼いでおきたか
ったのだ。何しろこの5歳児の体は、すぐに眠くなる仕様だ。
﹁カリナ、寝るのなら横になってください。そんなところで寝たら
風邪をひきますよ﹂
寝入っていたところに、クオードが通りかかったらしい。彼に抱
かれる感覚があるが、目を開いてみる余裕はない。
周囲から物音が一切消えるまで、私はそのまま目を閉じていた。
深夜になったと確信したところで、私は身を起こした。体には毛
布が肩までかかっていたようだ。クオードがそうしてくれたのは間
違いなかった。面倒見のいいことだ。
周囲にいる子供たちは深い眠りに落ちている。私以外におきてい
る者はいない。
私はいつもかぶっているぼろきれのような毛布を引っ張り出し、
マントのように羽織った。たぶん、帰るころにはずぶ濡れになるだ
ろうなと思いながら。
闇の中で私は窓を開いた。そこへ足をかけて、外へ飛び出す。
眠気はかけらもなかった。シュトーレを救うために、私は闇夜を
33
駆ける。
始まりの村は、濃霧に覆われた。私の痕跡を隠すために。
最も治安の悪そうな、裏通りへと進んだ。深夜であるにも関わら
ず、出歩いている若者がいた。
へらへらと笑っている男二人である。濃霧を恐れることもなく、
野外で酒をあおっている。
﹁なんだか霧が出てるな、最近多くねえか﹂
﹁別にいいじゃねえか。何が変わるわけでもねえしよう、逃げやす
くなって具合がいいだろ﹂
逃げるという単語がでるあたり、この二人はあまりお日様の下を
堂々と歩ける職種ではないのだろう、と私は判断する。
何度も練習を重ねた、火の最下級魔法を私は放った。狙い通りの
威力で。
私の指先から飛び出した炎が、二人の若者の前に落ちて、ひとき
わ大きく燃え上がった。狐火のように。
誰かそこにいるのか﹂
﹁なんだっ、なんだこりゃ?﹂
﹁誰だ?
男二人は、誰何の声をあげる。
彼らが注目する、炎の燃えた場所。私はそこにいない。実は民家
の屋根の上にいる。
﹁質問に答えなさい﹂
私は、できるだけ低く、抑揚のない声で問いかける。
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﹁何言ってるんだ、わけわからんことを﹂
男のうち一人がそんな風に、へらりと笑った。私は即座にその男
を指差す。
地面から炎がわきたって、その男を包み上げる。
﹁ぐあっ!?﹂
男が苦痛に悲鳴を上げてのたうちまわるのを見てから、私は魔法
を解いた。
そうしてもう一度問いかけた。
﹁質問に答えれば何もしない。質問に答えなさい﹂
炎に包まれなかった男は激しく首を縦に振る。これなら質問に答
えてくれそうである。
魔法で焼いたほうの男も、死んだわけではない。軽いやけどを負
わせただけだ。﹃魔法使い﹄は治療魔法を使えないから治療までは
してやれないが。
﹁若い女を定期的に扱っているような、人身売買を行っている老人
を知っているか﹂
あのお爺さんの正体を知るところから始めなければならないだろ
う。
クオードにいくら訊いても、﹁孤児院にいる子供たちに里親を紹
介してくれるお爺さん﹂ということしかわからなかったからだ。彼
も、私がお爺さんの身分を聞いても理解しないだろうと思ったから、
それ以上説明しなかったのだろうと思われる。
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とはいえ少しでも情報がほしい私にとってそれは妨げにしかなっ
ていない。あまりかぎまわるのも5歳児としておかしいし。
そこで私はこうした手段をとるに至ったのである。
まあ霧の魔法さえ使っていれば、私の正体が露見するようなこと
はないだろう。
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08﹁テストプレーの代償﹂
さて、彼らの返答はといえば。
﹁さあ、し、知らねえな。奴隷商の知り合いなんていねえよ﹂
役に立たない。やはり、村にうろついているチンピラなどこの程
度だろう。
どうやらシュトーレを救うためにはもう少し深いところまで、こ
の村の闇を見通す必要がありそうだ。
﹁よかろう、では次の質問だ。この村で一番の悪人は誰だ?﹂
私はそんな質問をした。これは有効だろう。
﹃エギナ﹄では始まりの村にそれほど深い設定をつけていない。
普通の村である。狭いコミュニティであると思われるが、それでも
5歳児の目には見通すことのできない部分が多い。
そこで、霧の力を借りて大人たちの口から聞くのだ。
﹁そりゃ村長だ。息子には甘くてやりたい放題させてやがる。
まあそんな悪党がいるおかげで俺たちも仕事がしやすいんだが﹂
村長と、その息子か。
重要な情報を入手した気がする。私は村長について少し質問を重
ねた後、彼らを解放してやった。
別に十分な情報が手に入って満足したわけではない。眠くなって
きたのだ。
子供の体が恨めしい。
私はあくびをしながら孤児院に戻り、ゆっくり眠りについた。
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翌朝の水汲みは非常に大儀だった。
それでも草むしりをさっさと午前中に終えて、私はすばやく昼寝
の態勢に入った。毛布をかぶって、部屋の隅で座って寝る。
日がな一日、石のように眠り続けた。その日、クオードは隣の村
まで出かける用事があったはずなので、誰に何を言われるというこ
ともない。睡眠時間をたっぷり確保した。
そして深夜になると同時に、私は村を再び霧で覆った。
霧に包まれた始まりの村を、孤児院の屋根から見下ろす。
私は、いまや気づいていた。霧の魔法は確かに強力で研鑽を重ね
た魔法であるが、村を覆うほどのものを作り出せば、普通なら魔法
力が枯渇してしまうはずだということを。
しかし、私はまったく平気である。枯渇するはずもない。無限に
近いほど、魔力が私の中に満ちている。
私は火の魔法を体内で練り上げて、力いっぱいに夜空を指差した。
瞬間、天を焦がすような強烈な火柱が私の指先から吹き上がった。
最下級の火魔法とは思えない、すさまじい力である。
これほどの集中力、魔力は普通なら到底ありえない。また、私は
いささかも疲れていない。
屋根に上ることができるほどの筋力、蹴られてもまるで痛くない
耐久力、信じがたいほどの魔法力。
これらを考えた結果、私がだした結論はひとつだ。
すでに、私のレベルはカンストしている。これだ。
私はテストプレー状態で剣士、盗賊、僧侶のエンディングチェッ
クを行っていた。魔法使いに関しても、同じ状態でプレーを行おう
としていた。当然、そのままスタートすれば最初からレベルは最大
である。
﹃エギナ﹄におけるプレイヤーキャラクターの最大レベルは40
00だ。通常プレイなら50もあればクリアできるので、このカン
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スト状態のプレイヤーキャラクターを倒すことのできるNPCなど
存在するはずもない。
この状態でなら、パワーロッドを握るまでもなくNPCを倒せる
だろう。
レベルがカンストしていると考えれば、何の苦もなく霧の魔法が
覚えられたことや、脆弱の魔法が異常な効果を発揮したことも説明
がつく。
やろうと思えば、シュトーレを力づくで助け出すということも簡
単にできる。
全てを滅ぼしてしまえばいいのだ。霧の魔法など必要なく、魔法
で全部破壊して懲らしめてやるだけですむ。
だが、今の私はそれをやる気にはなれなかった。そんなことをし
てしまえば、5歳児の居場所はなくなってしまうだろう。ほかの多
くの孤児院にいる子供たちも同じだ。
ゆえに、力押しで全部解決するのは最後の手段にしたい。
今はただ、霧の夜に町へ出て、情報を集めるのだ。そして、最善
の手段を考えるのだ。
シュトーレやクオードを、そしてあの孤児院を守るためだ。
しかし、今夜はなかなかうまいターゲットが見つからなかった。
平和な夜なのかもしれない。
レベルカンスト状態だと意識してからは、身体能力の高さを信じ
て色々と試している。
この体重の軽さを利用し、屋根から屋根へ飛び移ることも可能だ
った。
まるでどこかの超能力者のようだ。やろうと思えばテレキネシス
も使えるだろうし、テレポーテーションに似た魔法も使える。今の
私には簡単なことだ。
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まさしくもって無敵だが、それでも私はある欲求を抑えられない。
この状態でパワーロッドを握ったらどれだけ馬鹿げた威力になる
だろうか。
もうそれが楽しみで仕方がなかった。城壁など一撃で砕けたりし
ないだろうか。楽しみである。本当に楽しみだった。
霧に覆われたこの村で、私は無敵。なんでもできる。
だが、今はシュトーレを救うことができずにいる。彼女を探して、
何とか助け出したい。
村長の屋敷に行くしかないかもしれない。まあ、例え見つかった
ところで適当な言い訳は可能だ。いざとなれば全てぶち壊して逃げ
ればよい。
私は、村長の屋敷へと向かった。村の中でもひときわ大きいので
すぐに発見できる。
三階建ての屋敷に到着した。孤児院からは数百メートル程度の距
離しか離れていない。
門は大きいが、門番はいなかった。押し開こうとしたが、鍵がか
かっている。
テレキネシスで押し開いてもいいが、飛び越えるほうが早そうだ。
私は屋敷の中に忍び込んだ。
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09﹁メイドさん﹂
村長の屋敷に飛び込んだ私は、霧に包まれたそこをまっすぐに歩
いた。誰も私を見つけることができない。
霧の魔法で作られた濃霧は、私の気配を完全に断っているのであ
る。
大きな三階建ての屋敷の正面扉に手をかける。当然ながら鍵がか
かっているが、テレキネスで錠前を開かせる。がちりと音がして、
解錠された。
私は悠々と屋敷の中に入った。本当に彼らは悪党であるのか、確
かめなければならないのだ。
シュトーレの気配が確かにここからするような気がした。
はっきりとした根拠はなくとも、私はここを家捜しするつもりで
いる。
証拠物件を求めて歩き回るうちに、私は書斎らしき部屋を探り当
てた。ここには何かがありそうだ。
書き物をするための机が置いてある。私はそこに座ると、付属の
引き出しを開けて、中を引っ張り出した。
帳簿の類が乱雑に詰めこまれていた。
開いてみて、それを私は元の場所に戻す。これはおそらく、表帳
簿だ。
絶対に、二重帳簿になっているはずである。裏帳簿がどこかにあ
る。
あまりにも金の流れがきれい過ぎるのだ。
私は書斎の中をしらみつぶしに探すことにしたが、案外あっけな
41
くそれは発見された。
埃をかぶった百科事典の棚の中に、表紙だけ入れ替えた帳簿が混
じっていた。
隠したつもりなのかもしれないが、そこだけ手垢がついていれば
まるわかりである。
﹁おお、見事だ﹂
私はその裏帳簿を開いてため息を漏らした。見事すぎるからだ。
まさしくもって、欲の皮の突っ張った人間とはこのことである。
すばらしいまでの欲望まっしぐらな金の使い方。
賭博、女、娯楽に。湯水のようなつぎ込み方だ。
そして、村長の息子は孤児院に金を寄付しているかわりに恐ろし
いことをしている。女の捨て子を引き取っては孤児院に投げつけて
いるのだ。そして、育った女の子を我が物にしている。
孤児院を自分の欲望のはけ口を育てる施設として利用していると
いえよう。
見事、としかいえない。
私はその裏帳簿を持ち出した。霧に守られて、私の姿は誰にも見
られてはいない。
翌日、私はずっとその帳簿を抱いて眠り続ける。
朝の水汲みと草むしりはそれでも行ったが、それ以外は一時も裏
帳簿を肌身離さなかった。
トイレの中で裏帳簿を確認する。
シュトーレが引き取られた日、そこには﹃1﹄と記されていた。
おそらくは1人の女の子が手に入ったという意味なのだろう。
そして、今日の日付で﹃1、ヤフマーへ移送﹄と書かれている。
ヤフマーという単語に聞き覚えはないので、おそらくは固有名詞
42
だろう。
クオードが知っているかもしれない。
﹁カリナ、ヤフマーというのはこのあたりを荒らしている盗賊の首
領です。
大変な暴れ者で、村長も手を焼いているのです。彼らのことは、
できるだけ口にしないほうがいいと思います﹂
恐ろしいことになってきた。
どれだけ、始まりの村の村長はクズなのだろうか。
もっとも、そのおかげで私は罪悪感のかけらもなく力を振るうこ
とができるのだが。
その日のうちに私はすぐさま、村長の屋敷に戻った。
昼間から屋敷周辺だけ濃霧に覆われている。勿論私の仕業だ。
屋敷ごと破壊魔法で消し飛ばすこともできるが、シュトーレの居
場所がわからないのでそれは避けることにした。
小さな破壊魔法で、内壁を少しずつ壊していく。脆弱の魔法を強
めにかければ、それだけで自壊していくのでそれを使った。
当然ながら使用人たちとも遭遇するが、こちらの姿を見る前に背
後から催眠魔法を使って眠ってもらう。
まさか襲撃者が5歳児であるとは夢にも思うまい。
シュトーレはもうヤフマーに引き渡された後か。そうだとしたら
ヤフマーの本拠を探す必要があり、シュトーレの救出はさらに遅れ
ることになってしまう。
その間、シュトーレが辱められるのは明白である。
そうでないことを祈るしかない。
一通り部屋を回ったが、シュトーレは発見できない。使用人とし
て体裁を整えているのではないかという予想は、はずれたようだ。
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どこかに隠し部屋でもあって、監禁している可能性もある。
﹁なんだこりゃ、お前がやったのか!﹂
と、背後から声が聞こえてきた。思案に暮れていて、気付くのが
遅れたようだ。
振り返ってみると、いかにもドラ息子という感じの男が立ってい
た。歳は三十路を過ぎた頃だろう。一人のメイドを連れている。
﹁む、お気をつけ下さいウィナン様。こやつ、ただものではありま
せん。恐らくは魔法使いかと﹂
メイドがそんなことを言い放ち、即座に構えを取った。どうやら、
このメイドもただのメイドではないようだ。相当な戦闘訓練を受け
ているものと判断された。
ウィナンと呼ばれた三十路男は、高級そうな服を着ているから、
恐らくは村長の息子だろう。始まりの村の元凶の一人だ。
とはいえ、ウィナンを殺すのはやめたほうがいいかもしれない。
孤児院にどういう影響があるかしれない。
私はぼろきれのような毛布をマント代わりにしているが、顔を見
られた。面倒だが、後でウィナンには記憶消去の魔法をかける必要
があるだろう。
﹁お前がそういうのならそうだろうな。よし、そいつを片付けろ。
そういわれて見れば子供のようだが、とんでない目をしてやがる。
二、三人殺してそうなやばい目つきだぜ﹂
そのとおりである。魔法使いである私の外見は非常に悪い。美人
といえるかもしれないが、その目はとても冷たいのである。
計算高く非情で孤高、血を好む冷厳な魔女というイメージでイラ
44
ストを発注したので当然だ。
子供時代であっても、その目つきの悪さは際立っている。
しかし、私は結構気に入っている。気の強い女キャラが、私は大
好きだったのだ。
﹁ほう、そこのメイドは中々腕がたつようだな。だが私の敵ではな
い。降参しろ、殺すぞ﹂
できるだけ低い声をつくって、私は冷静に告げてやった。
当然だがメイドを殺すつもりはない。情報源になることを期待す
るからだ。
﹁命令であれば、それをまげて降参することはできません。いきま
す﹂
メイドは床を蹴って、恐るべき勢いで私に飛びかかってきた。ス
カートの中から抜いたのか、ナイフを握っている。
当然それを私に突き刺そうとするのだが、障壁魔法がそれを阻む。
私は簡単な風の魔法を使って、メイドを吹き飛ばす。彼女は天井
に激しく頭をぶつけてから床に落ちて、動かなくなった。やりすぎ
たかもしれない。
﹁ひぃっ!?﹂
それを見たウィナンが恐れをなしたのか、反転して逃げ出そうと
する。私は即座に追いついて、彼の背中に蹴りを見舞った。
彼はぶざまに床にへばりついて、じたばたともがく。
﹁おお、お前、霧の王だなっ。お、俺の屋敷に何をしに来た。何が
目的なんだ﹂
45
わけのわからぬことを、彼はうわごとのように言う。
46
10﹁アジト﹂
霧の王、という名に心当たりはない。﹃エギナ﹄にはそのような
NPCは存在していないからだ。
そもそも、本編が始まるよりも10年近くも前の時代なのだ。
殺してしまうのはたや
ウィナンというこの村長の息子が何を考えているのかはわからな
いが、とりあえずどうするべきだろうか?
すい。だが、それでは面倒が起こるだろう。
私はひとまずカマをかけてみることにした。
﹁そうだ、私が霧の王だ。その名を覚えている人間がいようとはな﹂
偉そうにそんなことを言ってみる。
するとウィナンは諦めたように息を吐いて、べらべらとしゃべり
はじめる。
﹁畜生、世捨て人の魔法使い崩れがっ、今更こんな田舎に出てきて
何しようって言うんだ。女でも欲しいのか﹂
この口ぶりからすると、別に伝説の偉大な魔法使いとか言うもの
でもないらしい。
実在して、世の中に絶望してどこかに引きこもってしまった魔法
使いといったところだろうか。
いや勝手に勘違いをさせるだけなら
当人がどこにいるのかは知らないが、その名前を騙ってしまうと
まずいことになるだろうか?
問題なかっただろうが、さっき名乗ってしまった。
﹁特に何も。お前は勘違いをしているようだ。
私はお前の知っている霧の王ではない。奴よりも強大で、凶悪な、
47
真のものだ。
そもそも私は女である。霧の女王、と名乗るべきか﹂
私はさらに虚言を重ねてみた。どうせウィナンの記憶は抹消する
のだから、何を言っても問題ない。
拷問でもして情報を搾り出してみるのもいいかもしれないが、そ
れもなんだか味気ない。もう少し状況を楽しんでみたかった。
﹁なんだと、じゃああいつよりも凶悪なのか。俺をとって食うつも
りなのかよ、畜生﹂
﹁そうだ。お前は人体実験の材料にする﹂
なんだか面白いので、話をあわせてみる。
このままいくと、﹃エギナ﹄の本編が破壊されそうな気になる。
そうなった場合⋮⋮。
待て。そうなったら、どうなるのだ?
いったいどういう展開になるのか逆に気になる始末だ。
この世界は特段、禁止事項などありはしないだろう。
﹃エギナ﹄の世界に酷似していて私が物凄い力をもっているとい
うことだけであって、何も本編のストーリーに沿って生きなければ
ならないなどという制約はあるまい。
いっそのこと、この世界のからくりを根底から破壊してみるのも
一興ではないだろうか。
今の私は、クオードとシュトーレさえ守れればそれでいいのであ
るから。あとは精精、クオードの家族くらいか。
記憶消去の魔法は、﹃エギナ﹄では相手の魔法を封じる魔法とし
て使われている。
相手の魔物の記憶から魔法に関する知識を消して特技を封印する
48
という具合だが、器用さが限界を超えている今の私には特定の記憶
だけを消し去る魔法としても使用可能だった。
あえて、記憶を消さずに脅しをかけておいてもよい。どうせ、あ
の孤児院にこだわる必要性など薄れている。
ウィナンとやら、
いざともなれば、なんでもやって生きていけるはずだ。
﹁お前を捕らえて、魔法実験の餌食にしてやる!
覚悟するのだな﹂
私は図に乗って、脅しをかけた。
ところが、ウィナンとやらはそれだけで失神してしまう。
拍子抜けしてしまった。もっと楽しめるかと思ったのだが、残念
きわまる。
やれやれと私は思ったが、とりあえず素性がばれてはあまり楽し
くないと思い直す。
そこで、記憶消去の魔法を用いてウィナンとメイドの記憶から﹃
侵入者の顔﹄だけを消し去った。私を特定する要素はかなり減じる
だろう。
あとは、シュトーレを助け出すだけだ。ここまでやってしまった
からには、遠慮しても無駄だろう。
堂々と歩き回り、私は隅々まで屋敷を探し回ったが、シュトーレ
を発見できない。
もしや、すでにシュトーレは引き渡されてしまったのだろうか。
ヤフマーを探しにいかなければならない。
考えてみれば、ウィナンとやらがここにいたのは、ヤフマーにシ
ュトーレを引き渡すために出かけていて、戻ってきたからではない
だろうか。そう考えれば辻褄が合う。
しかしその当のウィナンはすっかり気を失ってのびている。
49
かまわず、私はウィナンをたたき起こして脅しをかけ、ヤフマー
の居場所を聞き出した。
山中にアジトがあるらしい。そこに行かなければならない。
移動魔法は僧侶の得意領域。魔法使いは精精、空を飛ぶ飛行魔法
くらいがいいところだ。
それでも移動するためには仕方がない。それを使った。
羽織っているぼろきれが風にわさわさとはためいているが、とり
あえず無視する。明るいうちに、ヤフマーのアジトを見つけ出した
かったからである。
空高く飛び上がってアジトを探すと、あっけなく集落のようなも
のが見つかった。ここがアジトだろう。
私は遠慮もなく、その中央に降り立った。
周囲では屈強、汗臭そうな男たちがなにやら作業をしているとこ
ろだった。奪ってきた金品の管理、武器の手入れ、そして女たちを
嬲っている。
おい、牢に戻しとけ!﹂
私は逃げも隠れもしていない。堂々と彼らの前に下りた。彼らは
私に気づいて、注目している。
﹁なんだお前、どっから逃げてきた?
彼らは私を、捕らえた女の中の一人だと勘違いしたらしい。即座
に捕獲命令がだされて、彼らは私に挑んでくる。
面倒だったので、私は即座に霧の魔法を使った。
アジトの中は濃霧に包まれ、視界が極端に悪くなる。もはや、自
らの伸ばした手の先も見えないほどだ。
﹁なんだってんだ、こりゃ。おい、てめえら逃がすんじゃねえぞ﹂
50
そんな中でも元気に指示を飛ばす男がいたが、私が少し動いただ
けで彼らは私をすっかり見失ってしまっている。何もできようはず
がない。
私は男の一人に近づいてその足を払ってやった。彼の足はそれだ
けで無残に砕けてしまい、無様にひっくりかえった。
同情はしないが、あわれではある。彼の耳元で、冷徹な声をつく
って囁いてやった。
﹁私は霧の王だ。お前たちの所業を断罪にやってきた。素直に吐け
ば命だけは助けてやる。
さあ、言ってもらおうか。今日、ここにやってきた娘はどこにい
る?﹂
51
11﹁確たる成果﹂
ヤフマーのアジトに連れてこられた娘の居場所を訊ねる。
シュトーレは今日、ここにやってきたはずだ。知らないとは言わ
せない。
私が保護するべきは、ここで売られていく運命にある娘達だけだ。
ヤフマーたち一味の命などどうでもいいことだった。
﹁くそがっ、誰がてめえなんぞに教えるか﹂
口答えをしたので、私は彼の足首を踏みつけた。バキバキと音が
して、奇妙な方向に足が捻じ曲がる。
ぐぎゃあ、と大きな悲鳴が上がった。
﹁もう一度だけ訊こうじゃないか、今日ここに連れてこられた娘は
どこにいる?﹂
﹁くそお、くそお!﹂
彼は情報を持っていないのかもしれないが、そんなことはないだ
ろう。
ここの責任者でもあるはずだ。
﹁命だけは助けてやるといっている。言わなければ、とても苦しむ
ことになる。とても﹂
﹁くそが、誰がお前なんかに﹂
﹁苦しむ、というのは﹂
私は彼の左手をたたいた。それだけで彼の手は砕けてしまう。
おそらく現代の超一流の整形外科医にかからないと使い物になら
52
ないだろう。回復魔法でも厳しいレベルだ。
﹁生きている間、ずっと肉体的精神的、経済的に苦しむという意味
だ。その苦しみが増す、ということはな。
ただ痛みが増すというだけじゃないんだ。わかるだろう。どうす
るんだ?
言うのか、言わないのか﹂
﹁ひぃ﹂
﹁言いたくないなら、虱潰しにさがすだけ。何も問題ない﹂
しばらく私は彼を尋問してみたが、何も言わない。
仕方がないので結局霧の魔法をかけたまま周辺を探し回ることに
なる。
シュトーレ!
できれば、まだ何もされていないことを祈る。
﹁ああ﹂
私はアジトの最奥で発見する。彼女を。
余所行きのいい服を着た彼女は、長椅子に寝かされている。商品
だからか、丁寧な扱いがされているようだ。
ここに来るまでに何人かの見張りがいたが、全て叩き壊しておい
た。魔法を使ってもよかったが、殴るだけで十分すぎたのである。
﹁シュトーレ、迎えに来ました﹂
私はまとっていたぼろ布を脱いで、彼女に歩み寄った。
シュトーレの周辺にいた男たちが私の声に気づいたのか、慌てた
ように誰何の声をあげる。
53
﹁だ、誰だ?﹂
﹁私はそこにいるシュトーレ・サファーの知人で、カリナ・カサハ
ラと申します。
彼女を返していただきに参りました。急いでおりますので、まず
はお品だけを受け取っていきます﹂
霧の中を、私のナイフが舞った。二名の命が奪われて、その場に
転がっていく。
この光景は深い霧にさえぎられてシュトーレからは見えないはず
である。どちらにしても眠っているのだが、万一ということもない。
返り血をぬぐってから、私はシュトーレの体をゆすった。
﹁シュトーレ。迎えに来ました﹂
同じ言葉を繰り返す。優しい顔をした孤児院のアイドル、シュト
ーレ・サファーはゆっくりと目を開いた。
少しつらそうに目を細めながら、彼女はキョロキョロと周囲を見
ている。霧が深すぎて、私の顔も見えないのだろう。
﹁ああ、ああ⋮⋮。ええと、私、どうなったですか。
ここは、どこでしょうか﹂
霧の中でも、私の目にはシュトーレが頭を抑えているのが見える。
頭痛をこらえているのだろう。
彼女をここに運んでくるまでの間に、薬か何かが使われたのかも
しれない。殴って気絶させると傷がつくのだから当然だ。
それほど強い薬ではないと信じたいところだ。
薬物の効力を弱める魔法は、習得することができない。
﹁シュトーレ。私、カリナです。
54
あなたは村長のところからヤフマーに売られたのです。どうか落
孤児院のカリナ?
ち着いてください﹂
﹁カリナ?
もう少し近くに来てくれますかカリナ。本当に、本当にカリナな
のですか﹂
﹁私です。このとおり﹂
私はシュトーレに顔を寄せた。カリナの表情が驚きに変わる。
それから泣きそうな表情になり、不意に私は彼女の胸の中に抱き
いれられた。拘束された格好だが、不安はない。
シュトーレを、私は信頼している。
﹁ああ。カリナ。
どうして、あなたが助けてくれたのです。私はあなたの現状を変
えられずに孤児院から逃げてしまったというのに。
でも、本当にありがとうカリナ。
村長のところで出された食事をとっていたら眠くなってきて、私
がこれからどうなるのか聞かされました。
目が覚めたら、遠い地で奴隷になっているはずだと。目を開ける
のが怖くて仕方ありませんでした。
けれどもあなたの声が聞こえて安心できたのです。カリナ・カサ
ハラ。
幼いあなたがどうして私を助けられたのか、そんなことはとても
聞けません。
とても苦労をしたことでしょう。どうして、どうして本当に私を
助けてくれたのか。
感謝にたえません﹂
ふるえるような声で、シュトーレは私にそんなことを囁いている。
幼い私はシュトーレの胸に抱かれて、そのままだった。霧の魔法
55
は私たちを深く包み込んでいる。
このまま逃亡することもたやすい。
問題は孤児院から出たはずのシュトーレ。彼女をどこに匿ってお
くかというところに尽きる。
まずはクオードに相談してみるとしよう。
シュトーレの証言を、彼ならきっと信じてくれるだろうから。
56
12﹁隠れ家﹂
シュトーレを連れたままで、私はクオードを訪ねた。
クオードは自宅にいて、何やら内職に励んでいる様子だ。孤児院
の給与だけではとても一家で暮らしていけないらしい。
彼の家庭は経済的にかなり苦しい様子で、そこにシュトーレまで
保護してもらえないかと頼むのは心苦しいが、仕方ない。他に頼れ
る大人など存在しなかった。
﹁クオード、シュトーレを連れてきたけれど﹂
彼を呼び出し、事実を簡単に説明した。
私がやってきたことを不審に思いながらも出てきた彼は、眉を寄
せてしまう。
﹁どういうことですか、カリナ。シュトーレはよい里親のもとにも
らわれたはずでしょう。
何があって、ここに戻ってきたのですか?﹂
どうしてそのようなことになるのですか。院長が許可し
﹁それが、その。ヤフマーっていう人に攫われそうになってたみた
いで﹂
﹁はあ?
た相手ですよ。
実際、そうした報告は孤児院のほうにも来ていませんが﹂
言いながら、クオードはシュトーレを見た。シュトーレは余所行
きの高価な服を着ているが、ところどころ汚れている。
ここに来るまで徒歩であったのだから、汚れるのは仕方がない。
盗賊たちは丁重に扱っていたようだが、5才児の体では限度があっ
た。
57
それはともかく、シュトーレは自分に起こったことをよくわかっ
ていない。
私が全て説明するしかないのだが、ヤフマーのアジトを強襲して
シュトーレを奪い返したなどということを説明してもだ。クオード
が信用してくれるだろうか。
﹁でも、シュトーレは実際にヤフマーのアジトにいたよ﹂
﹁なんですって?
本当ですか﹂
というよりカリナ、貴方はヤフマーのアジトに出向いたというの
ですか。
そんなところから彼女を取り返してきたと?
﹁ええっと⋮⋮﹂
この始末だ。どうにもなりそうにない。
うまい言い訳を考える必要があった。仕方がないので最終手段と
して考えてあった言い訳を述べる。
﹁えっとねえ。霧の王って人がそうするように言ったんだけれど。
うん、今朝だけどね⋮⋮大事な人が倒れているから、このままじ
ゃだめだから、運んであげてほしいって﹂
﹁霧の王、ですか﹂
ふむ、とクオードが唸る。
﹁カリナ、霧の王といえば魔法使いの中でも稀有な才能を持った隠
者です。確かにこのあたりの森に住まっているということは聞いて
いますが。
今更彼のような人物が出てくるとは。彼から啓示を受けて、あな
たはヤフマーのアジトに行ったのですか?﹂
58
﹁そういうことになるかなあ。なんか、夢の中みたいでふわふわし
た感じで。
すごい霧に包まれてたけどシュトーレのいるところだけ晴れてて
さ。連れて帰ってきたよ﹂
そう、全部霧の王という人物に押し付けたのである。
ヤフマーをアジトを滅ぼしたのも、シュトーレを取り返すように
私に命じたのも、全部霧の王だ。
多少名前の知れている魔法使いであるのなら、こういうことが起
こっても不思議でない。5才児である私がやったというよりも、霧
の王が私をけしかけたというほうが真実味を帯びる。
この言い訳は成功した。
﹁ふむ、そうですか。いやこれは⋮⋮実にまいったことになりまし
たね。
それでシュトーレ。里親には連絡したのですか﹂
﹁あ、あのねクオード。霧の王がシュトーレの里親は信用できない
って。孤児院の院長も。
だからクオードのところに連れてきたんだけど﹂
私はあわてて言いつくろった。クオードが里親に連絡をしたので
は、せっかく救い出したシュトーレがすぐにも奪い返されてしまう。
さすがにレベルカンスト状態とはいえ、私も街中で騒ぎを起こす
のは避けたかった。昼間から霧の魔法を使ってもいいのだが、頻繁
にやりすぎるのも危ない。
﹁そうですか⋮⋮。わかりました、シュトーレはしばらく私の家で
預かります。
院長と里親も少し調べてみましょう。信頼できる人を探して、調
査してみないと﹂
59
﹁うん、そうしてよ﹂
こうした次第で、シュトーレはクオードのところで過ごしていく
ことになった。
クオードの生活も裕福ではないけれど、シュトーレも彼の内職を
手伝ったりしているらしい。
私は孤児院に戻って、相変わらず魔法の訓練をしながら院長の隙
を探している。
夜になるたびに院長の部屋などを探っているが、まだ裏帳簿は見
つかっていない。村長の息子と違って、馬鹿ではないらしい。
それとも村長の裏帳簿が盗まれたのを知って慎重になったか。面
倒なことである。
ある夜に、私はついに発見した。
裏帳簿ではない。そちらは半ばあきらめの領域に入りつつある。
見つけたのは、森の中にある小屋だ。その中に入ってみると、ミ
イラのようにしなびてしまった男性の遺体が見つかった。
これがどうやら、霧の王と呼ばれた魔法使いだったらしい。
町の人々のうわさにのぼっているほどの使い手だったようだが、
既に死んでいたようだ。
こうした設定をした覚えなどない。もしかするとスタッフのうち
の誰かが﹁裏設定﹂などといって考えていた可能性はあるが、そん
なものまで反映されているのかという疑問も湧く。
そもそも﹁霧の王﹂という存在が既に私のあずかり知らないもの
だ。考えても無駄だろう。
それよりも収穫は、霧の王の小屋にある大量の魔法書だ。すべて
もう捨てられたも同然のものだ。
周囲には荒れているとはいえ畑がある。農具がある。魔法で手入
60
れすれば使えそうだ。
自給自足の生活ができるだけのものがそろっていた。いざとなれ
ばここで生活できるだろう。
61
13﹁急転直下﹂
霧の王の家を発見してからは、そこに引き篭もることが増えてき
た。幻影を見せる魔法を使う手段を見つけたこともそれを後押しし
ている。
孤児院の中には私が端のほうで座っているという姿を幻影で見せ
ておけばそれで事足りてしまうからだ。
反撃した一件以来、孤児たちも私を極力無視するように努めてい
るので、何も問題ない。最低限の仕事だけやっておけば、後はどう
にもでなる。
シュトーレはきわめて平穏に、クオードの家で家事を手伝いなが
ら暮らしているはずだった。
さらにクオードは霧の王の言葉を一応は信じていて、どうにか孤
児院の悪事を暴こうと奮闘している。
その日も私は霧の王が残した書物を読み漁っていた。彼はどうや
ら魔法使いであったようだ。僧侶ではない。
ということは、彼の残した魔法書の大半は私の役に立つ。捨て置
けないことだ。
片っ端から手をつけて、とにかく読んでみる。たとえ私のレベル
が最大であったとしても、使い方がわからないのでは仕方がない。
高度な呪文をいくつか、使い方を知ることが必要だ。使い勝手の
いい最強魔法はまだにしても。
知識が増えていく喜びというものもある。五才女児が難解な魔法
書を読みふけってニヤニヤしているさまはとても他人に見せられる
ものではないが、どうせ私しかいないのだから問題ない。
カリナ・カサハラの名はいささかも傷つかないのである。
しばらく私は本を読み、うたた寝をして過ごしていた。
62
すぐに後悔する事になった。
焦げ臭い匂いで目が覚めたからだ。遠いところから、風に乗って
火の匂いが漂っていた。
いったい何が起こっているのか、私はぼろ毛布をマント代わりに
して空に飛び上がった。その瞬間、何が燃えているのか明らかにな
った。
町だ。始まりの町が燃えている。燃え上がっているのだった。
急いで現場に急行する。
凄まじい火勢だった。始まりの町がこのまま延焼だけで滅びてし
まいかねないくらいのものだ。
すぐにも魔法で消し飛ばしたいところだが、生半可な魔法では消
し止められない。しかも、燃えているのは非常に見覚えのある建物
だ。
今まさに炎を吹き上げているのは、クオードの家。中に誰かいる
のか、と私は一瞬だけ考えた。
しかしもう手遅れだろう。そう思うしかない。
水、とにかく水だ。火を消すには水。私は上空から有り余る魔力
で練成した大量の水を打ち下ろした。
手加減する暇もない。滝のように降り注いだ水によって、クオー
ドの家を襲う災害は大火から洪水に切り替わり、消火にあたってい
た人々を押し流してしまう。
咄嗟のこととはいえやりすぎた!
だが、悠長に考える暇などあったか。いや、なかった。
魔力でつくられた水はすぐに止まったので大した被害はないよう
にみえる。水に押し倒されて驚いていた人たちもすぐに起き上がっ
て消火活動を再開し始めた。
少し反省した私はそれらを支援するべく、魔力を調整。周囲一帯
に豪雨を見舞った。
火はすぐに消し止められる。あれほどの火勢も、私のカンスト済
63
みの魔力にはかなわない。かなわない。
私が魔法使いであったからこそ、これほどの豪雨を生み出すこと
ができた。僧侶ではこうすることもできなかっただろう。
奇跡の雨と、そんな風にいわれた。
間違いなく町が一つ焼失してしまいかねない大火だったのだ。そ
れを防いだのだから、あの豪雨が自然現象だととらえられるはずも
ない。
村長たちは自分たちの善行がこの奇跡を生んだとか、脳みそが膿
んでいるようなことを言っている。
それがあんまりに悔しいから、私はこの雨が﹃霧の王﹄の仕業だ
とふれてまわった。以前から霧の王の名前は村長の子やメイドさん
に伝わっているはずなのでこれだけで効果はあったはずである。
﹁いいですか、カリナ﹂
クオードは私に諭すような口調で言う。
彼は重傷を負っていた。妻子を守るために、炎に立ち向かった結
果だということはすぐにわかった。
施療院の寝台にいる彼の身体は、膝下まで焦げている。真っ黒で、
処置のしようもないはずだ。私が僧侶であるなら、彼を救うことは
実にたやすい。レベルカンスト状態の僧侶なら彼を万全の状態に治
療することも可能なのだ。体力を最大値まで、一瞬で回復させる魔
法なんていうのは、レベル40程度で習得できる魔法だから。
しかし私は魔法使いだ。魔法使いは、治療のための魔法を習得で
きない。徹底的に苦手な分野とされている。回復力を高めるとか体
力を増強するとか、そうした補助的な回復さえもできない。できる
ことは、デバフとアタック。敵を弱めること。攻撃すること。
だから、私はクオードを助けられない。
64
﹁妻と子供には、逃げるようにいいました。つかまっていなければ、
うまく逃げ延びているはずです。カリナ、あなたもそうするべきだ
と思います﹂
﹁シュトーレはどうなったんです﹂
﹁亡くなりました﹂
あまりにもさらりと彼が口にしたので、私はかえって衝撃を受け
なかった。
﹁焼死ですか﹂
﹁いえ、刺されたのです﹂
﹁誰に﹂
思わず、声が低くなる。
クオードの顔は火傷で腫れ、彼だとはわかりづらい。話しづらそ
うに彼は、私にだけ聞こえる声で言うのだ。
誰かもわからない怪我人が詰め込まれた施療院の大部屋。私以外
に、彼を彼だとわかる人間はいまい。彼が、家族を遠くに逃がして
しまったのであれば尚更。
シュトーレの姿が見えないので、再度どこかへ誘拐されたのかと
思っていたが、刺されたという。
﹁わかりません。数名で。ですが、一人は女性であるように見えま
した﹂
﹁そう。ありがとう﹂
女性というところから、私の頭に容疑者がひとり浮かび上がった。
しかし、それよりも今はシュトーレとクオードのことだ。死んだ
といわれても、私はまだ彼女の遺体を確認していない。確かめなけ
ればならないだろう。彼女を助け出した私にも、責任の一端はある。
65
﹁あなたに言うのは酷ですが、あの孤児院にいてはいけません。あ
そこを出て、北へ行ってください。森をこえたところにある町に、
私の弟がいますから、彼を頼るといいと思います﹂
﹁私は5歳の女の子です。クオード﹂
﹁大丈夫です、あなたならきっと﹂
多分彼は、私だけではなくて孤児院にいる他の子供たちも救いた
かったのだろう。
しかしそれに失敗したのか。どういう具合でこんなことになった
のか、私にはわからない。霧の王の残したものをあさるのに忙しか
ったから。
﹁クオード、あなたはもう助からない。これほどの火傷を負って助
かった事例はない﹂
もう子供口調などつくっていられない、私はクオードにはっきり
告げた。
そして、きっぱりと断言する。
﹁あなたを頼ってしまったことを、私は恥じます。こうなることを、
予想できなかった自分が情けない﹂
﹁子供が大人を頼るのは当然でしょう、カリナ。私は自分のしたこ
とを後悔していません﹂
私はそれ以上、何も言うことができない。クオードに巻かれた包
帯は次々と変色し、彼の臓器は死んでいく。間もなく彼は昏睡して、
そのまま亡くなるものと予想された。
彼に誰一人医師がついていないのは、手の施しようがないと判断
されたからである。あるいは、彼が生きていると都合が悪いと思っ
66
た誰かが、手を回しているのかもしれない。
﹁少し疲れました。休ませてくれますか、カリナ﹂
﹁はい。おやすみなさい、クオード﹂
そんな言葉を最後に交わして、私はクオードの傍を離れた。その
まま施療院を出る。
水浸しの道を抜けて、私はまっすぐに村長の屋敷に向かう。
67
14﹁復讐﹂
クオードの屋敷に火を放ったのは、十中八九、村長の仕業だろう。
そうでなければ、その息子。
私には彼らを許せそうになかった。確たる証拠をつかんだわけで
もないが、もう今すぐにでも殴り込みをかけなければ気がすまない。
どうにも、この気持ちをとめられそうになかった。
私自身が一番悪いのだ。クオードにすべて押し付ける形になって
しまったこの結果が、何もかもを語っている。私自身が傷つけられ
ることはなくて、クオードがすべてを失ってしまった。
今更気づいても無意味なことだが、おそらく村長たちは裏帳簿を
探していたのだ。私が持ち去ってしまったあの裏帳簿を。
それからいくらもたたないうちに、自分たちの身辺を調べる人間
がでてきたとなれば当然疑いはそこにいく。だから、クオードが裏
帳簿を持っていると疑われてしまった。もしかしたら彼の家には村
長たちの雇った盗賊が入ったかもしれないが、そこに裏帳簿はない。
当たり前である。私が持っているのだから。
霧の王が使っていた隠れ家に置いてあるものが、クオードの家か
ら回収できるはずもない。そこで最終的にはすべて焼き払ってしま
うことにした、というのが真相ではないだろうか。他のパターンは
今の私に考え付かない。だから、余計に腹が立つのだ。こんなに簡
単に予見できることから、少し前の私は目をそらしていたのだから。
どう考えたって、霧の王の隠れ家を見つけたことで有頂天になって
いたとしか思えない。油断しすぎ、怠慢もいいところだ。
町中を霧で多い尽くすだけの魔力を持ちながら、カンスト状態の
無敵の強さを誇りながら、たった一人の人間さえも救うことができ
なかったのだ。なんて無様なんだろうか。私は、カリナ・カサハラ
という女は、この世界にやってきてから初めて自分が恥ずかしいと
思った。
68
クオードとシュトーレの死は、紛れもなくすべて私の責任。私が
彼らを殺したも同然なんだ。
だから私は両腕に魔力をためて村長の屋敷を強く指差した。霧が
生まれて、この夜を包んでいく。
私は自分の心にのしかかる罪悪感を払拭するように、ありったけ
の魔力を注いだ。霧が濃霧になって、これ以上はないというほど視
界をふさいでも、それでも魔力を注ぎ続けた。それでも私の魔力は
空にならない。
叫びだしたい。自分の失敗を取り返せない。もう、どうすること
もできはしなかった。
クオードを失った今、はじまりの村の中に私が頼りにできる大人
は一人も残っていない。孤児院の中にもだ。頼れるのはこの無尽蔵
に近いほどの魔力、そして霧の王の残した隠れ家。それと、今まで
の行動で積み重ねた﹃霧の王﹄という名だ。
そう、今の私は﹃霧の王﹄だ。誰も私の姿をとらえることができ
ない。
霧とともにあらわれ、思いのままに力を振るう魔法使い。
私は自分の心の中からカリナ・カサハラという存在を欠落させた。
ただ、横暴を働いた村長を誅滅する霧の王。
自分の両手も見えないほど、視界を奪う濃霧の中で私はゆっくり
と歩いていく。大きな門の前に立った私は、そこで堂々と水の魔法
を練る。濃霧のせいで私の姿は誰にも見えない。
この水の魔法は霧の王の文献から覚えたものだ。今は、火を扱う
気になれない。水がいい。この霧を集めたような、ただの水で。
ちらりと心の底をなめる憎悪という感情を振り払うために、私は
大げさな手振りで力強く門を指差す。顔が冷たいのは、この濃霧の
せいだ。
瞬間、私の指先から凄まじい量の水がほとばしった。放たれた水
69
はほぼ一直線に前方に飛び、その衝撃であっけなく門を吹き飛ばし
てしまう。
蛇口を最大まで開けた水道の、何百倍というほどの勢いと水量。
﹃エギナ﹄を開発していたときにいた世界でさえ、これほどの水は。
まるで海の底に穴を開けたような、とんでもない水の放射。こん
なものが指先から出ているとは、自分で信じられない。だが、現実
に水が噴出し、門を破壊して吹き飛ばし、圧力ではるか遠くに押し
出している。
その鉄製の門はやがて屋根に直撃し、鈍い破壊音を響かせた。
﹁な、なんだ!?﹂
村長の屋敷の中で誰かが叫ぶのが聞こえた。
私は門が吹き飛んでから数秒ほどで魔法を解いたが、屋敷にもか
なり大きな穴が開いている。どうやら屋敷の入り口を開錠する手間
が省けたようだ。
濃霧で私の姿は見えない。すたすたと歩いて屋敷の中に入り込む
が、誰も彼も叫ぶばかりで全くその場から動けない。当たり前であ
る。霧の魔法を全力で私がかけたのだ。建物の中であろうとも関係
がない。完全に視界は奪われているはずだった。
この霧の中で見えるのは、私だけだ。
村長の姿を探して、私は屋敷の中を堂々と歩んでいく。彼を殺す
かどうかは別にしても、何かしなければもう気がすみそうにない。
しかし、その途中で私は奇妙なものを見た。ほとんどの人間が濃
霧の中で壁伝いによちよち歩きをしている中で、一人平然と歩く女
の姿。
﹁そこにいるのは、以前にも屋敷に侵入した魔法使いですね﹂
彼女は振り返って、はっきりと私の方向を向いた。どうやらこの
70
霧の魔法は彼女に通用していないらしい。見事だな、と感心する。
霧の魔法が通用しないこと自体はそう珍しいことでもない。万能を
誇る霧の魔法であるが、何体かのモンスターには無効設定がされて
いる。
おそらくだがこの女はある程度魔法の心得があるのだろう。それ
で、以前の失敗から霧の魔法に対する策をいろいろと考えて実践し
たのかもしれない。
そう、この女は私と戦って風の魔法で吹き飛ばされて失神した、
あのメイドである。見覚えのある顔なので、間違いないだろう。
もはや隠す必要もあるまい、と。私は正面から彼女と睨み合った。
肉体年齢は5歳の女児である私だが、それで相手が油断するはずも
ない。
﹁霧の王。確かそう名乗りましたね、あなたは。幾度となく我が主
の屋敷へ参られますが、何の御用なのですか﹂
臆することなく彼女はそんなことを問いかけてくる。
霧の王である私は正直にその質問に答えてやった。
﹁不正を働く村長と、その息子を誅するために参った。そこをどけ﹂
今の私は冷静になっているとは言いがたい。このメイドを相手に
遊んでいる暇も、ない。
﹁そうは参りません、今の私は彼らに雇われている身。主に害なす
ものを放置してはおけません。お覚悟を﹂
言うなりメイドは飛び掛ってきたが、欠伸が出るほど遅い。私は
それをかわしてから、右手に溜めた魔力を電撃に変換して彼女に見
舞った。スタンガンの要領だ。
71
バチリと痛そうな音が響き、ほんの一撃で彼女はしびれて動けな
くなる。
痙攣する彼女を尻目に、私は屋敷の中を進んでいった。
72
15﹁処断﹂
家の中にまで濃霧に包まれた。もはや見えない。
何一つ見ることは出来なくなっている。圧倒的な霧のために。
家人は、この霧が毒ではないかとまず心配し、疑うだろう。私に
はそんなこと、どうでもいいことに成り果てている。
闇の中を一人だけ見通せるスコープを手に入れたような、そうい
う具合だ。先ほどのメイドのように霧の魔法を見通すような実力者
は、そうそういない。私はまっすぐに屋敷の中を突き進む。
ふざけたことに、奥のほうから豪華な、脂ぎった料理の数々のに
おいがするのだ。
つい先ほど、あれほどの火事がおこって多大な犠牲者をだしたと
ころだというのに!
ああ、ないのだろう。そうでもなければ、あの
どうしてそのようなまねができるというのか、お前たちには、人
の心がないのか!
ような所業は絶対にできまい!
霧の王が天誅を下しに参った!﹂
許せないのだ、結局は。私が、私が許せない。
﹁我が故郷を汚す、外道!
私は大ホールの扉を蹴り上げ、強引に破って押し入った。
魔力で威力を増幅されたその蹴りで扉は吹き飛び、天井にぶち当
たって砕け散る。破片がばらばらとホールの中に降り注いだ。霧の
中におびえたような、壁に瀬を預ける者たち、床に伏せる者たちが
みえる。
どうやら身内だけでの宴であるらしく、それほどの人数は見えな
い。せいぜい8名ほどだろう。
その中にはシュトーレを連れ去ったあの老人の姿もある。やはり、
つながっていたのだ。
73
﹁誰だ、助けにきてくれたのか!?﹂
私の声が聞こえていなかったのか、そんな的外れなことを言うも
のがいた。この声には聞き覚えがある。村長の息子だ。たしか、ウ
ィナンとかいったか。
はっきりと彼らには絶望を与える必要がある。私は喉に魔力をこ
めて、朗々とした通る声をつくって、放つ。
﹁我が名は霧の王!﹂
自分で叫んでおいてなんだが、予想以上に低く、まるで地響きの
ような声になってしまった。
コンピュータでエフェクトをかけたようなすさまじい音質で、文
句なしの迫力だった。同時に、こめた魔力が強すぎたために音圧も
凄まじい。この私の一喝だけで、パーティ料理の数々が突風にあっ
たように吹っ飛んで、床に伏せている人間の背中に降り注いだくら
いだ。
﹁きっ、霧の王!﹂
ひぃっ、とウィナンが叫んで床に伏せた。しっかり頭を両手で守
どこにいった﹂
りながら跪くような姿になっている。
﹁おい、メイド!
ご自慢のメイドを呼んでいるが、無駄なことだ。彼女なら失神し
ている。
このまま一気に声で脅した後、魔法をいくらかぶちかましてしま
おうと考えたが、霧の中に誰かが立ち上がった。
74
﹁老いぼれ魔法使いと思っておったが、霧の王が我らに何の用か﹂
それは、シュトーレを連れ去ったあの老人だった。明らかに人攫
い。ヤフマーともつながりがあるかもしれない人物だ。
もう私は手加減なんてできない。もたもたしていたからこそ、ク
オードやシュトーレを喪う結果になったのだ。邪魔者は力ずくでで
も速やかに排除して、自分たちの安全を確保するべきなのだ。そう
しなければ、今回の二の舞になる。
﹁魔法使い霧の王が、お前らのしている悪事に気づかぬとでも思っ
ていたのか﹂
私は魔力を込めた声を、ふたたび絞った。
だいぶ前に小屋で朽ちてしまっている霧の王は、ここに干渉でき
るはずもない。言いたい放題に言っていいはずだ。
﹁おお。霧の王、お前は俗世のことなど好きにせよと。そういって
我らとの接触を断ったのではなかったのか。
なぜ今更になって、我らを断罪しようなどと偉そうなことをいえ
た﹂
むっ。これは。
私は片方の眉をあげて、その老人を睨んだ。こいつは、霧の王の
ことを少し知っているらしい。
あの霧の王も、どうやら最初から世間のしがらみを疎んじて隠遁
生活をしていたわけではないようだ。こいつらとも接触して、多少
は甘い汁も吸っていたが、そのうちに正義感か何かで嫌になって足
抜けしたというのが正解だろう。そうとしか思えない。
となれば、霧の王がここで言うべき言葉は決まっている。
75
﹁幼子を利用するような外道に落ちたお前たちに語る言葉もあるま
い。
不幸に落ちていくとわかっている御霊を救済するのもまた、魔法
を扱うものの使命であろう。
もはや貴様らに、かけらも遠慮はせん!
この場にいるもの全員、この村から消えうせよ!﹂
より強く魔力を込めて叫ぶと、この声はそのまま地鳴りと化した。
ホールにいた人間は全て、周囲の状況も見えないままに土下座し
ている。必死に頭をたれて許しを乞う。
﹁わ、われら一同ほんのわずか魔がさし、このようなことをしてし
まいました。
かならずや善政をしき、この分を取り戻すよう努力いたしますの
で、どうかお見逃しを﹂
村長などはあきれ果てたような理屈を述べている。
しかし、ウィナンにしても老人にしても同じようなことしか言っ
ていない。
﹁ならぬ。貴様らは必ず同じ過ちを繰り返す。この村に残ることは
まかりならぬ。
夜のうちにこの村を出よ。残っていれば、貴様らを消す。死体の
影も残らぬようにして、痕跡も残らず消してくれる﹂
私はもちろん、彼らを許さない。
命を奪うまではしなかったが、確実に追放だけはする。これは、
絶対だった。
76
16﹁始まり﹂
私は14歳になった。
孤児院を出なければならない年齢になったので、就職口を探さね
ばならない。本来なら。
だが、魔法使いとしてこの﹃エギナ﹄の世界に生れ落ちた私にと
って、のんきに就職しているような暇はなかった。1000日後に
世界が滅びるとわかっていながら、あえて惰眠をむさぼるなどとい
うことができるわけもないのだ。 旅立たなければならない。あえてこの日を待ったのは、理由があ
る。
全てのステータスがカンストしている状態であっても、この世界
では鍛え続けることができるということがわかったからでもある。
だが、それ以上にこの時でなければ世界を救えないからだ。この時
でなければ、魔王を倒せないのだ。
だからあえて、この日を待った。窓ガラスに映る自分の姿は、確
かに魔法使いだ。
自分で設定したとおり、記憶にあるままの女魔法使い。計算高く
非情で孤高、血を好む冷厳な魔女というイメージでイラストを発注
したのだ。大体そのとおりで、どこか冷徹に見える幼げな印象を残
した少女だ。目つきの悪さだけはどうしようもないが。
各ステータスは全く下がっていない。怠けていたら衰えてしまう
のではないか、という部分を私は最も心配していたのだが、適当に
ジョギングしているだけでもどうやら維持に成功したようだ。勿論
魔力のほうは必要以上に使いまくっていたので衰えるはずもない。
パワーロッドも入手している。
あの日、村長たちを﹃霧の王﹄の名で脅しつけて放逐した私は、
そのまま﹃霧の王﹄を名乗ってこの村を統治した。色々あったが結
77
果的には財に不自由しなくなり、あっけなく最強の武器を手にする
ことができたのである。
軽く試してみたところでは、軽くバットスイングで打ちつけただ
けであれほど豪華なたたずまいだった村長の屋敷の門扉が鉄くずに
なってしまった。人間が食らったら、まるで電車にでも跳ね飛ばさ
れたように五体が千切れ飛ぶかもしれない。あまりにも怖いので、
あまり触らないようにしている。
孤児院も適正な運営ができるように手を回し、信用のおける大人
を多数介入させた。
実際に運営させてみるとなるほど、帳簿がひどい。全くお金が足
りなかった。これでは村長たちと結託してあのような暴挙をはたら
くのも無理からぬことかも、と思えたほどだ。
おそらくながら﹁始まりの村﹂のような小さな村に孤児院がある
という設定に無理があったのだ。誰が協力してお金を出している、
といったような情報もないままにしたため、このようなことになっ
てしまったのだ。私の責任でないとは、いえない。
そう考えればああ、シュトーレには申し訳ないことをした。クオ
ードも私のせいで死んだようなものか。
直接的に彼らを害した村長は徹底的にこの村から放逐して、生き
ていけないようにしてやった。そのくらいのことしか私にはできな
い。
今更だがクオードの家族も探したことを付け加えておく。絶対に、
彼女たちには不自由な思いをさせないと。だが、クオードはどうや
って逃がしたのかまるで足取りがつかめない。継続的に資金を投入
して探させているが、まだ発見に至っていない。
他にもお金を使うことが増えている。
結果、全くお金が足りなくなった。村長の財を投入しても孤児院
は規模の縮小を求められてしまう。
何故この小さな村にこんなに孤児がいるのかという部分が非常に
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気になっていたが、どうやら周辺の村からも孤児を預けに来ている
らしい。金を取るわけにもいかないので、ますます立ち行かない。
そこで私は孤児院を時々抜け出しては都会に出稼ぎに行くことに
した。魔法書などがないかを見るついでと思えばそれほどの労苦で
もない。魔法一発でどうにでもなるような仕事をもらって、大金を
持って帰ってくる。
孤児院にいる少女﹃カリナ・カサハラ﹄はその間村長のところに
遊びに行っているという設定だ。
﹁またあなたですか﹂
そうしたとき、嘆息と共に出迎えてくれるのはあのメイドだった。
村長の汚い所業を黙って見ていたことで私の中の評判は最悪であ
ったが、実際に話してみるとそうでもないことが明らかになる。何
のことはない、彼女も孤児だったのだ。あの孤児院から売り払われ、
村長にあてがわれた可哀想な少女だったのだ。
凡人とは思えないほど異常なステータスを誇っていることは謎だ
が、裏を確認したところ間違いなくあの孤児院出身で、売り払われ
たことも間違いなかった。
そうしたところからこちらの事情を説明し︵さすがにこの世界が
自分の作ったゲームであるなどという部分は伏せたが︶、こちらに
取り込むことに成功した。村長たちは放逐したが彼女は屋敷に残し、
色々と役に立ってもらっている。出稼ぎの間の口裏あわせなどはそ
の典型的なものだ。
今日までにはかなり親しくなったと思う。
クオードが亡くなったとき5歳であった私が14歳になったのだ
から、9年という月日が経過している。メイドも少し歳をとったが、
十分な給金は出しているはずなので、特に金に困るようなことにな
っていないはずだ。新たに犯罪に手を染めるといったこともないだ
ろう。
79
孤児院での私の立場も急転した。
もはや遠慮する必要などなくなったから、私を苛めてくる奴らに
は徹底的に報復してやった。これも教育と思えば問題ないという判
断だ。何しろ孤児院にいる人間はほとんど﹃霧の王﹄の息がかかっ
ている。﹃カリナ・カサハラ﹄に限ったことではないが、一人を集
団でいじめるようなことを見逃すような仕事はさせていない。
私はすっかり強い立場になり、年々増えてくる自分より年下の子
供たちに慕われるようになった。自分で言うのもなんだがお姉さん
だ。朝皆を起こしてまわり、仕事を割り振って、食事を作る手伝い
もする。
アレコレと仕事を頼まれることも多く、子供たちからは遊んで遊
んでとせがまれる。男の子からは求婚されたこともあった。子供の
いうことだし、私も子供なので大人になって気持ちが変わらなかっ
たら、と濁しておいたが。
﹁それで、どうするつもりです。カリナ、一応孤児院ではあなたに
このまま院で働いてもらいたいという意見もある。
メイドとして、都市のほうでの就職もできる。修道女として南に
ある僧院に入るという選択肢もないとはいえない﹂
村長の屋敷を掌握するメイドが、私に問いかけてきた。
大体の手続きは終わった、といったところだ。随分時間をかけて
しまったが、間に合ったといえる。
私がいなくとも孤児院が運営できるように、スポンサーを見つけ
たのである。このためにあちこち飛び回って恩を売り、顔を売り、
﹃霧の王﹄は非常に忙しかった。これでやっと、旅立つことができ
る。出稼ぎに行く必要がなくなった。
さらに﹃霧の王﹄に次ぐ実力者であるこのメイドに、孤児院の運
営を全て任せる。まず問題ないだろう。ヤフマーのアジトに一人で
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乗り込んでも問題なさそうなほどの力を誇っているのである。多少
の悪など、排除してしまえるはずだ。魔王が攻めてくるようなこと
がなければ、健全にやってくれると信じている。
そうした煩雑な手続きが全て終わっているので、あらためてメイ
ドは私に問いかけてきたのだろう。つまり、﹃カリナ・カサハラ﹄
はどうするのかと。
当然、魔王を討ち果たすために旅に出るに決まっている。そうし
なければ1000日後に世界は滅んでしまう。二年半の猶予がある
とはいえ、のんびりするつもりもなかった。
確かに今の状況は気持ちがいい。年下の弟や妹に慕われて遊び、
﹃霧の王﹄として出稼ぎ、このまま平和に暮らしていけるならそう
していたいくらいだ。同人ゲームの製作にふけっているよりもある
意味充実している。
だが、これを壊されるなどということは、到底許容できないこと
だ。行かねばならない。
﹁私は、孤児院を出ます。あとのことは全て頼みました﹂
全て準備は終わっているのだ。
私は、行く。
81
17﹁森林﹂
旅立つ日、メイドは孤児院の院長として私にいろいろなことを言
った。
総括すれば、辛いこともあるだろうが頑張れ、いつでも帰ってき
て休んでよい。そういったことだ。
これは﹃エギナ﹄を魔法使いでプレイするときにオープニングで
言われることと同じだ。そうなるように仕向けたわけではないのに、
ゲームと同じ。全く同じ言葉をメイドは言い放ち、そして私は旅立
ったのだ。
状況は全てゲームに表されることと同じだった。違いはパワーロ
ッドを既に私が買い取ったことくらいで、他には何もない。所持金
も同じ。有り余る金は全て孤児院の運営に回し、当面の旅費だけを
握っている。つまり、初期の所持金と同じだけだった。
こうまで同じになるものなのか。ただの偶然なのか、それともこ
の世界がゲーム世界である以上の必然なのか。
考えていても仕方がないので、私は森に向かう。
南にある、森林地帯だ。﹃エギナ﹄ではここが最初のステージで
ある。
出現する魔物たちはひ弱であり、ここで経験値を稼ぐのは悪くな
いプレイスタイルだ。しかし今の私はレベル最大であるから、そう
したことをする意味はない。
ここでプレイヤーは初めて、﹃魔物﹄を見ることになる。
戦士も、盗賊も、僧侶も、魔法使いも、等しくこのときまでは﹃
魔物﹄を見ることなく育つ。﹃カリナ・カサハラ﹄もそうだ。出稼
ぎをしても、ヤフマーの組織を壊滅に追い込んでも、今まで魔物を
直接見たことはない。
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﹃エギナ﹄はここから始まるのだ。ゲーム本編、アクションシー
ンはこの地からスタートする。間違いなく。
だが、私には感動している暇もない。さっさとこんなふざけた状
況を終わらせるのだ。
本当に、前世とか﹃エギナ﹄とかの存在そのものが全て私の妄想
であり、この凄まじい魔力もただの天才ということで片付けられる
のならどれほどよかったか。そんな可能性にすがって1000日後
の破滅を待てる性格なら、私はこんなところにいはしまい。
﹃エギナ﹄のゲーム画面では割と光のよく届いた、メルヘン風味
の森であった。最初からプレイヤーに不安を与えてはならないと判
断したので、それこそ女の子とクマさんが戯れているような、そう
いうイメージで森ステージを作成した。
ところがどうだ、目の前に広がるこの森は鬱蒼として不気味なこ
とこの上ない。森というよりは樹海だ。どうしてこんなことになっ
たのか、わからない。
ただ、木々の配置や獣道の方向を見るに、ここが﹃エギナ﹄の舞
台であることには間違いない。
どうやらゲーム世界の再現はなされているが、光源の確保は無理
だったということらしい。結果、このように薄暗くて悲惨な感じに
なったのだろう。
設定では、出現する敵は野生動物に毛の生えた程度のもので、戦
士なら初期状態でも二回殴れば倒すことができる。だが、この分で
は敵キャラの性能もどうなっているかわかったものではない。何の
因果か、あるいはバグか、ただのメイドがあれほど強かったのだか
ら、動物たちが恐ろしいほど強くともおかしくはない。
私は有り余る魔法力を使って、早速霧の魔法を展開した。鬱蒼と
した森の中を濃霧が覆いつくし、完全に視界はゼロだ。
この中に、私は感覚強化の補助魔法を使いながら、入っていく。
この魔法は元祖﹃霧の王﹄が残した魔法書に記されていたのだが、
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やっと習得することができた。旅立ちギリギリまでかかった難易度
の高い魔法だ。だが効果は覿面であり、強化された私の五感は完全
に森の中の状況を捉えることができる。
昼間でも薄暗い森に、濃霧という最悪の状況でも、ハロゲンライ
トで照らしたように丸見えだ。
悠々と、私は森の中に入っていった。ジャッカロープに似た魔物
がウロウロしているが、あえて殺す必要さえ感じない。放置して問
題ないだろう。
まっすぐ、森の奥へと向かうだけだ。マップは覚えている。記憶
があるうちに忘れないようにメモしておいたし、ことあるごとに見
返しておいたので脳内地図にマーキングすることも余裕だ。
少し道をそれて、強引に薮の中をかき分けて進めばショートカッ
トになる。が、それで敵が集まってきたらしい。ガサガサ音をたて
るのはまずかったか。
面倒くさいな、と思いながらパワーロッドを引っ張り出し、軽く
振り回した。暴風が吹き荒れ、大木が根本からヘシ折れる。
やりすぎた!
数秒をかけて木々が倒れていく。私は慌ててその場から逃げ出し
た。
別に咎められるというのを気にしたわけではない。とんでもない
ことをしてしまった、という思いから思わず逃げただけである。
だが、これが結果的に森林ステージのクリアを早めた。用事のあ
った人物が、騒ぎを聞きつけてやってきたからだ。
﹁あっ﹂
強化された視界の奥に、超然とした老人の姿が見えた。長い白髪
に、同じ白い髭を伸ばした老人だ。この人物に私は実に見覚えがあ
る。
おお、そうだとも。彼が森林ステージのボスにして、プレイヤー
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を導くNPCの一人。森の賢者だ。
﹁ほう、霧の魔法か﹂
彼はそんなことを呟き、サッと片手を振った。それだけで、彼の
周辺にめぐらされた霧は取り除かれる。
すごい魔力だ。けっこう力を入れて作り出した霧なのに、何事も
ないように解除されてしまった。いや、これは仕様か。﹃エギナ﹄
では彼との邂逅をムービーで表現することになっている。
魔法で画面にエフェクトがかかったままで迫力がないので、彼が
解除するように演出を入れておいた。森の賢者が霧を取り除いたの
は、それによるものと思われる。森の賢者の周辺だけ解除されて、
森林全体には霧の効果が及んだままなのが、その証拠といえるだろ
う。
﹁このようなところに何か御用かな、珍しいお客人よ。ここは魔物
が潜み、危険な地となっておる。
修養のためというのであれば、早々に立ち去られよ﹂
この言葉も私がプログラムに組み込んだ覚えがあるものだ。なん
というか、目の前の森の賢者はまさしく、NPCらしい反応をして
いるといえた。
とはいえ、この世界においては彼も人間である。適当にあしらっ
ていいものではない。
﹃エギナ﹄において、ここではプレイヤーが返答を選ぶことがで
きる。
a.危険なくらいが修練にはちょうど良い とこたえる
b.森に入ってきた理由を説明する
c.助言に従い、立ち去る
85
cを選択して立ち去ると、スタート地点からやり直しになる。も
ちろん、日数は経過してしまうが再びここにやってくることはでき
る。これを利用して経験値を稼ぐのが初心者にオススメの方法とな
る。ボスを倒せる実力があるなら、勿論これを選ぶ理由はないが。
aやbを選んだ場合は少々の会話の後、森の賢者と戦闘になる。
そのあとは和解し、彼から冒険のヒントをもらうことができ、次の
ステージにいけるようになるわけだ。
プレイヤーキャラにはこの森に入った理由があり、それぞれ次の
ようになっている。戦士は修行の場とするため、盗賊は追手から逃
れるために、僧侶は沐浴のため、そして魔法使いは食糧を探すため
だ。
本来であるなら魔法使いは孤児院を出た後も食うに困るような有
様になっているはずだ。南に下りて、森林の中に入って食料を探す
ことになる。そしてこの森の賢者に出会い、食料をもらうことにな
る。
しかし今の私は特に腹が減っているということはない。金ならあ
るのだ。
そこで私は選択肢にないことを話す。
﹁私は﹃霧の王﹄と名乗っている魔法使い。魔王を討伐するための
情報を求め、あなたを探していた﹂
﹁ほう、﹃霧の王﹄⋮⋮その名を久しぶりに聞いたな﹂
森の賢者は眼光を鋭くし、こちらを睨みつけてくる。あまり温厚
な雰囲気ではなかった。どうやら何か刺激してしまったらしい。
﹁わしも昔は二つ名で呼ばれることがあってな。君の名乗りと同じ
だ。
かつてはわしも﹃霧の王﹄と呼ばれていたのだが。どちらがその
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名によりふさわしいか、力試しといこうか﹂
きっ。
﹃霧の王﹄!
﹁な、そのようなことを﹂
森の賢者の魔力が増大する。思わず、私は一歩後ろに下がる。し
まった、と思ったからだ。
霧の王らしき死体は見つけている。森の小屋にあったミイラのよ
うな死体だ。私はあれこそが﹃霧の王﹄だと断定していたのだが、
違ったらしい。目の前にいるのが本物の﹃霧の王﹄だとしたら、あ
れは一体誰だったのか。
だが今はそのようなことを気にしている場合ではない。
この森の賢者から得られる情報は有用で、魔王を倒すには絶対に
必要なものだ。だから、彼をパワーロッドで殴り飛ばすわけにはい
かない。ゲームでなら何をしようが絶対に死ぬことはないので安心
だったが、この場合そうはいかないだろう。
テストプレイとはいえ、戦士と盗賊と僧侶と、三度もレベルカン
スト状態のキャラでボコボコにしてしまった報いだろうか。
﹁魔法使い同士、遠慮することもあるまい。腕試しといこうではな
いか、﹃霧の王﹄よ﹂
﹁防御魔法を限度までかけておいてください。これは忠告です﹂
私は嘆息しながら、無手のまま構える。杖など使っては、森ごと
吹き飛ばしてしまいかねない。
87
18﹁森の賢者﹂
こうなっては仕方がない。風を巻き起こす魔法を使って、元祖﹃
霧の王﹄を吹き飛ばした。
風に舞う木の葉のように軽々と老人は吹っ飛び、地面に倒れこむ。
一応魔法防御力を設定しておいたはずだが、序盤のボスなので大し
たことはない。最初からほとんど魔法が通らないようなのがボスで
は、魔法使いが不遇になりすぎるだろう。
森の賢者がそれではどうかという意見もあろうが、手加減してい
るという解釈もあるはずだ。
ともあれ、彼は倒れた。HPはかなり削られたようだ。
ステータス画面上、彼のHPの最低値は1になっており、決して
死ぬことはないはずである。とはいえ、かなり加減した。ゲームな
どの設定よりも現実として起こっていることが優先されるのは想像
に難くない。
少々心配したが、問題なかったらしい。したたかに背中を打った
森の賢者は少し咳き込みつつ、身を起こす。
﹁つっ⋮⋮、いやはや、これは﹂
力加減はうまくいったらしい。森の賢者は話を始めた。
彼のこの話を聞く必要がある。
﹁私の力はわかってもらえたかと思います。魔王を滅ぼすために、
何が必要なのか教えてもらいたいのですが﹂
﹁ああ、君ほどの力なら魔王の討伐を志すのも当然であろう。わし
の知識など古いかもしれないが、役に立ててもらいたい﹂
そう言って彼は、魔王を滅ぼすために必要なものを挙げていった。
88
まずはイベントアイテムである﹃賢者の宝玉﹄。これは森の賢者
が持っているので、この場で頂戴する。
実のところ話など無視し、彼を殺害して奪っても問題はなさそう
だが︵盗賊の場合強奪したり、賢者が気付かないうちに盗むという
こともできる︶、無駄に血を流す必要もない。
イベントアイテムを確実に入手しておきたかった、ということも
ある。この森の賢者から授かる宝玉でもって、魔王の本拠地に乗り
込めるようになる。
﹃エギナ﹄はステージをクリアしなければ先に進むことができな
い設定なのであまり意味がないが、設定としてイベントアイテム﹃
賢者の宝玉﹄があるのだから、ここは受け取っておく必要がある。
手のひらサイズの水晶玉みたいな外見であるが、いざこうしてみる
と意外とかさばる。仮にも魔法の宝玉なのだからそう簡単に壊れは
しないだろうが、用意していた箱に入れておく。このあたりはぬか
りない。
﹁先日、ようやっと完成したばかりだ。わしが討伐に行くつもりだ
ったが、君にならこれを託しても大丈夫そうじゃ﹂
私が14歳になるのを待った理由の一つがこれだ。森の賢者はこ
のイベントアイテムを自作していたという設定がある。
しかも、ゲームスタートする日にようやく完成するという有様で
ある。これがなければ魔王を倒しに行きたくても、いけないのだ。
﹁ところで君は魔王についてどのくらい知っているかね。よければ
わしが調べた彼の特徴を説明するが﹂
﹁いや、結構。彼のことは知り尽くしているので﹂
本来なら森の賢者からいかに魔王が恐ろしい存在であるか、彼が
どのように世界を危機に陥れているかについて詳細が聞ける。だが、
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今回はそんなことをしている余裕がない。私は手っ取り早くここを
立ち去りたかったので、そのあたりは省略する。
簡単に言ってしまえば、﹃エギナ﹄における魔王とは悪意が具現
化したものである。古代から人類を支配云々、といったものではな
い。
人々が他人を憎しみ妬み、恨むことで負のエネルギーが世界に澱
みを生み、その澱みがやがて集まり魔王となった、というものだ。
森の賢者がどこでこんな怪しげな魔王誕生秘話を聞き及んできたの
かは不明だが、とにかく﹃エギナ﹄の中ではそういうことになって
いる。
﹁それよりも、私はこの宝玉を用いて西の遺跡に行きます。必要そ
うなものがあれば持っていくつもりですが問題ありませんか﹂
別にこれは訊かなくてもよかったが、一応許可を取る。
森の賢者は多少驚いたようだが、やがて頷いた。
﹁そこまで調べたのか。どうやってかは知らないが、君の役に立つ
ものがあるなら持っていきたまえ。
老い先短い老人が冥土の土産にするより、君のような若者が世界
を救うために使うほうがアレも喜ぶであろう﹂
西の遺跡というのは、﹃エギナ﹄における第二ステージ。いわゆ
るダンジョンである。
ここはこの森の賢者が天然の宝物庫として利用している。遺跡内
部には強力な魔物がでるので、盗賊避けに丁度いいからである。
もちろんプレイヤーはその中に押し入り、武器や魔法書を手に入
れるわけだ。
森林ステージをクリアするまでこの遺跡に入れないのは、森の賢
者が結界を張っているからだ。西の遺跡がどこにあるかは探し当て
90
ているのだが、その結界がまたかなり強固であり、どうしても解除
できなかった。プレイヤーキャラの魔法使いは結界術が不得手とい
う設定でもあったのだろうか。
だが、賢者の宝玉があれば、遺跡の扉を開けることができる。
遺跡内部では、戦士の場合は強力な槍、盗賊の場合は弓、僧侶の
場合は盾、魔法使いの場合は魔法書が手に入る。是非行っておきた
い場所だった。
もっとも、今の状態で魔王に挑んでも勝てるだろうという予想は
あったが、一度負けたら後がない。死ぬだけだ。レベルカンストで
あろうが、最善を尽くす。何しろ回復魔法がつかえないのであるか
ら、このくらいはして当然だろう。
とるものをとったので、私は森林ステージから脱出する。
霧の魔法を解く前に一応確認したが、このステージの敵キャラた
ちの強さは設定相応で、最下級の攻撃魔法でも簡単に倒すことがで
きた。
およそ、敵の強さというものに関しては謎の補正がはたらく気遣
いはいらないらしい。
91
19﹁投獄﹂
西の遺跡に出向いた私は、罠のある迷宮を庭のように歩いて踏破
し、魔法書を入手した。
マジックドレインの魔法だ。この魔法が手に入れば、敵から魔法
力を吸収することができるので、とても快適に戦うことができる。
しかしマジックドレイン自体の魔力消費が結構高いので、計画的に
使わないと魔力はやはり枯渇する。
だが、実はこのマジックドレインこそ最強の魔法なのである。な
ぜならば﹃エギナ﹄の仕様として、魔法力はMPとして数値で設定
されているが、この数値がマイナスになると致命的なダメージを与
えられるからだ。繰り返すが、これは仕様である。バグではないの
で、直してなどいない。
例えば森の賢者の最大MPは380だが、マジックドレインでこ
のMPを吸い取りまくってゼロにしたとする。このとき、﹃敵のM
Pはもう残されていない﹄とシステムメッセージが表示される。だ
がお構いなしに再びマジックドレインを繰り出すとMPこそ吸収で
きないが、﹃敵は精神にダメージを受けた﹄と表示され、内部では
敵に5000近いHPダメージを与えている。森の賢者のHPは9
00なので、5回以上殺せるほどのダメージを与えるわけである。
一撃でだ。
実際にはマジックドレインを覚えるのは遺跡をクリアした後なの
で森の賢者に試すのは無理だが、レベル1の魔法使いでもマジック
ドレインさえ覚えていれば同じ方法で森の賢者を倒すことが可能だ。
マジックドレインで吸い取るMPはそのまま自身のMPを回復させ
るので、うまくハマれば簡単に倒すことができる。
理屈としては、こうだ。MPへのダメージは、MPが残っている
限りそのままMPを削る。しかし、MPがゼロや負の値だった場合、
代わりにHPを100倍の数値で削る。致命的なダメージを与える
92
のは、この100倍というのが狂っているからなのだ。
だが開発中のプレイでは誰一人この仕様を突いてマジックドレイ
ン無双するような人間はいなかった。MPがゼロの敵にわざわざマ
ジックドレインをかけるなどというのは気付かないだろうし、MP
を吸い取れなければマジックドレインの消費MPで魔力が枯渇する
からだ。
しかし今の私はレベルカンスト状態で、MPの心配などまず必要
ない。マジックドレインのような消費の激しい魔法も使い放題だ。
最終ボスである魔王のMPは12000くらいのはずだが、削り
きれない数値ではない。もしもパワーロッドが通じなかったなら、
マジックドレインで殺すこともできる。こうした手段を用意してお
くことは必要なことだ。
パワーロッドは接近武器であるから、魔王の反撃を受ける可能性
が高い。しかしマジックドレインなら少し離れた位置からでも倒せ
る。
近接でも最強武器、離れても最強魔法。このくらいの構えは必要
だろう。油断していて魔王の最強奥義が私の心臓を貫きました、じ
ゃ笑い話にもならない。
とにかく遺跡での目的は果たした。
このステージもクリアといって問題ないだろう。﹃エギナ﹄なら
ステージクリアの文字が画面に踊り、サウンドエフェクトで盛り上
がるところだが、ここでは全くそういうことはない。遺跡の厳かな
雰囲気と、そこらを徘徊する魔物の気配がズルズルと遠くに聞こえ
るだけだ。
本来なら次のステージは火山である。遺跡で手に入れた武器を使
えばドラゴンを退治できるはずだ、ということを聞きつけたプレイ
ヤーたちは火山に向かうのだ。
そこで竜の巣から手に入れた魔王への手がかりを追って悪徳商人
の館に踏み込むことになる。魔王の手先になって、人間側の状況を
93
売りまくっていた商人を壊滅させると魔王の本体が封じられている
場所が判明するが、館を出たところで敵の罠にかかって衛兵に捕ら
われ、投獄される。
そこを脱獄してからは、魔王の本拠まで一直線だ。洞穴内の最終
防衛線を潜り抜ければ、あとは最後の決戦。もちろんその舞台は魔
王の城である。
つまり、森林↓遺跡↓火山↓館↓牢獄↓洞穴↓魔王城という順序
を踏まえなければならないということだ。﹃エギナ﹄ならば。
しかしマジックドレインとパワーロッドが手に入った今、残りの
ステージを回る意味は薄い。すでに魔王の本拠は知れている。﹃エ
ギナ﹄をつくったのは私なのだから、わかりきったことだ。それら
しき場所も確認している。﹃賢者の宝玉﹄があるから、いつでも乗
り込める。
あとは直接洞穴へ行って、魔王を滅ぼせば終わりだ。1000日
後の破滅はそれで回避される。
しかし今日はもう遅い。別に疲れを感じてはいないが、ここは一
度引き返すべきだろう。ゲーム中はいつも昼間だが、夜の間は敵の
攻撃力が上がるというようなことを設定として盛り込んでいたよう
な気がする。
念のため、魔王の城へ行くのは昼間の方がいいだろう。そこで私
は一度町へ戻った。
始まりの村ではなく、もう少し都会の町だ。宿屋もあるはずなの
で、そこで一泊しよう。
そう考えていたのだが、町に入ると同時に衛兵につかまった。
抵抗することもできたが、なぜこうなったのか知りたかったので
あえて言うとおりに大人しく捕縛されておく。こちらが抵抗しない
にもかかわらず、彼らは手荒に私を扱ってくれた。
これでも一応14歳の女なので、もう少し丁重にしてもらいたい
ものだが。賢者の宝玉とパワーロッドさえとられなければどうでも
94
いいと思っていたが、やはり荷物は取り上げられた。宝玉だけはニ
セモノとすりかえて、本物は服の中に隠して持ち込んだが、パワー
ロッドはダメだ。言い訳がきかない。
﹃エギナ﹄でも宝玉は何があろうと盗まれることがないので、こ
のあたりは忠実だったといえよう。
そして私は裁判にかけられるようなこともなく、牢獄に放り込ま
れた。
中から見る限りは、牢獄ステージと同じマップだ。
どうやら投獄されるイベントが発生したようだ。宝玉を持ってい
て、魔王の城の場所を知っている。
つまりいつでも魔王の城に行ける状況になっている。さらに、私
自身もそうしようとした⋮⋮。
﹃エギナ﹄でもプレイヤーキャラは魔王の城に行こうとした矢先
に罠にかかって投獄されることになっている。これは、余計なトリ
ガーをひいてしまったようだ。
面倒だが、牢獄ステージも攻略せざるを得ないらしい。
﹁そうだ﹂
ついでに、ここに隠されているあの武器も回収することにしよう。
95
20﹁前世﹂
意図せずして牢獄ステージに入ってしまったことは、不運だとい
える。
だが、ここには隠しアイテムが存在している。それと、エンディ
ングに影響を与える分岐イベントが存在しているはずだ。
エンディングなどはこのカンストステータスで強引に押しのける
つもりでいるので特に興味がないが、隠しアイテムは有用だろう。
ここに隠されているアイテムも職業によって異なるが、いずれも非
常に役立つ装備だ。
戦士の場合は最強の両手剣、パリィソードが手に入る。無属性で
攻撃力を+200、敵の直接攻撃を20%の確率で無効化。強力で
ある。
盗賊なら最強防具、ステルスマントだ。装備しているだけで敵の
視界にとらわれにくくなり、戦略性が増す。
僧侶は敵からMPを吸収する近接武器、ドレインメイスを入手で
きる。攻撃力もそこそこあり、安心して使っていける︵この武器は
マジックドレインとは違い、敵のMPを割合で吸収する。このため
敵のMPをゼロ以下にすることができず、精神ダメージで無双する
のは不可能である︶。
このようにとても強力な装備が手に入るわけだが、今回は魔法使
いだ。魔法使いの場合はどうなのかといえば、ドレインダガーにな
る。この武器で敵を直接攻撃すると、ダメージ分だけ自分のHPを
回復する。数少ない、永久に使用できるHP回復アイテムである。
とはいえ、ドレインダガーは攻撃力が低い。最強の両手剣パリィ
ソードが+200であり、ドレインメイスが+115という数値の
中、ドレインダガーは+21という桁違いの弱さだ。しかも魔法使
いは直接攻撃力が低いため、貴重な回復アイテムではあるがこれを
積極的に運用するには相当なテクニックが必要になる。盗賊ならば
96
ヒットアンドアウェイで着実に使っていけるだろうが、魔法使いは
そこまで機敏に動けない。かといって素早さを無駄に伸ばしている
と攻撃力がなくなり、HP回復効果もすずめの涙になりかねない。
こんな具合で、せっかくの希少なHP吸収武器だというのに悲惨
な出来になってしまった。調整しすぎたともいえる。開発途中まで
はドレインダガーも攻撃力+121という実用に耐える数値だった
のだが。サークルの中にいたあるマゾゲーマーが、魔法職で魔法を
使わない縛りなどという意味不明なプレイをしてしまい、途中から
ドレインダガー無双になってしまったのである。攻撃力と素早さに
特化された驚異の﹃殴り魔法使い﹄は、魔王と正面から殴り合って
勝つという有様だった。実質2ステージの間しか使えないとはいえ、
﹃魔法使いがドレインダガーで無双し、あまつさえ魔王に殴り勝つ﹄
というのが興を削がれると考えた我々は、当該武器の攻撃力を低く
せざるをえなかったのである。しかしくだんのマゾゲーマーは武器
をパワーロッドに持ち替えて、結局魔王を殴り殺してしまった。こ
ちらは﹃ナイフでないだけマシ﹄という具合に判断し、パワーロッ
ドに修正はかけなかったのだが。
ともあれ、ここにはドレインダガーがあるはずである。修正前の
ものなのか、それとも修正後のものなのかはわからないが、どちら
にしても使い道はある。攻撃力が+21であっても、今の私はステ
ータスカンスト状態のテストプレイ状態なのだ。体力回復に十分使
えるはずだった。
今の私にとっては有用な武器。ドレインダガーを入手するには少
々手続きが必要だ。
まずこの牢を出なければならない。
確か、ここでは選択肢がでるようになっていたはずだ。
a.牢を破り、脱出する
97
b.看守に自らの無実を訴え出る
c.正義を信じて、座したまま待つ
cを選ぶとそのままゲームオーバーとなる。﹃エギナ﹄はステー
ジクリア時にオートセーブされるので、実際は選択肢を選びなおし
というに等しい。
だが、今の私が死んでしまった場合に、セーブしたところからや
り直しができるのかと問われると非常に怪しい。多分、無理だろう。
だから、このまま待つというのはナシだ。
bの選択肢はどうかといえば、プレイヤーキャラが僧侶の場合に
有効である。僧侶の訴えに耳を貸した看守が夜に脱獄を手助けして
くれるようになり、アクションパートがはじまるわけだ。他のキャ
ラでは看守に訴えが届かず、信用してもらえない。
aの選択肢はといえば、勿論戦士、盗賊、魔法使いの場合に有効
だ。僧侶の場合は非力ゆえに脱獄に失敗する。戦士の場合は力任せ
に牢をこじ開ける。盗賊の場合はいとも簡単に牢の鍵を看守から盗
みとり、鍵を開ける。魔法使いの場合はどうかといえば、魔法で牢
や内壁を破壊して脱出することになる。
手段はどうあれ、この牢獄ステージは脱獄することから始まるの
だ。そして看守を打ち倒したり、監視をかいくぐったりしながら外
を目指す。
しかしこのステージには問題がある。使用キャラによって難度が
変わるのだ。
僧侶と盗賊の場合はただ単に敵の目を逃れながら外を目指せばい
いだけだが、戦士と魔法使いの場合は最初から脱獄がバレているの
で、看守たちがプレイヤーに向かって突撃してくる。居場所が知ら
れているので、後から後から湧いて出てくる看守たちを相手にしな
がら脱出しなければならない。逃げ隠れしてもムダである。
戦士でプレイする場合は一番の詰みポイントだろう。素早く走り、
急いで取り上げられた荷物や装備を回収しなければまともに戦えな
98
い。
魔法使いの場合はもっと難しい。装備の回収も勿論だが、プレイ
ヤースキルがなければつらい。次々と沸いて出てくる看守たちはし
っかり武器を装備しているし、結構手ごわいのである。魔力や知力
を伸ばしている特化型の魔法使いであったなら、肉弾戦では全く相
手にならないだろう。パワーロッドがあれば話は別だが。
さて、以上の知識は﹃エギナ﹄における牢獄ステージの攻略情報
である。
ここは﹃エギナ﹄に酷似した世界ではあるが、これがそのまま適
用されているわけではない。私の行動は無限に選択肢があるし、3
つしか行動を選べないゲームとは違う。
魔法使いや戦士でプレイする際につらいのは、強引に脱出したこ
とで看守たちに居所がバレてしまうからだ。
では、他の方法で牢を破ったならバレることはないということに
なる。あとは霧の魔法を使いながら悠々と外を目指せばそれで終わ
りだ。今回はドレインダガーが必要なので寄り道が必要になるが、
それでも普通にやるよりはだいぶラクになる。
器用さのステータスもMAXになっている今ならカギくらい余裕
で開けられるかと思ったが、さっぱりだめだ。手頃な針金なども落
ちておらず、カギをこじ開けようにもやり方がさっぱりわからない。
カギ開けの技能は魔法使いには備わっていなかったようだ。
となれば、どうする。僧侶がするように看守に自らの無実を訴え
てみるか。しかしあれは清貧な心の持ち主である︵という設定のあ
る︶僧侶だからこそできたことだ。目つきの悪い魔法使いがやった
ところで余計に疑いをかけられるだけだろう。いっそのこと色仕掛
けでもして篭絡するほうが可能性があるというものだ。
ん、これはいけるかもしれない。ゲーム中では僧侶に対してもた
だ単純に心を打たれただけの看守であり、魔法使いの嘘くさい言葉
にはまったくほだされないのだが⋮⋮。奴も男である。このような
99
むさくるしい所で働いているのだ。たまるものもたまるだろう。ち
ょっと誘惑してみせれば。
そこまで考えて、自分の姿を見下ろした。魔法使いなので当たり
前だが、装備はローブだ。都会のショップで購入した﹃魔力のロー
ブ﹄に自分で付加効果をつけた優秀な装備だが、色気のかけらもな
い。何より、ふくらみがない。女性らしい、からだの丸みがない。
首元から腹までストンと落っこちるような体型。
誰だ魔法使いをこんなデザインにしたのは!
このデザインにOKを出したのは他ならぬ私だが、そういうこと
はタナにあげ、デザインした人物をひたすら心中で責める。よもや
このままずっと、この幼児体型で過ごさねばならないのだろうか。
そんなことは勘弁して欲しい。霧の王の書庫には﹃若さを保つ魔法﹄
は存在したが、﹃胸を大きくする魔法﹄は存在しなかった。
そも
待て、﹃カリナ・カサハラ﹄になる以前の私はもう少し豊満な胸
を持っていたような気がするのだが。いや、どうだったか?
そもあのときの私は男だったか、女だったか。そのあたり、おぼろ
げになっている。普通こんなことあるだろうか。﹃カリナ・カサハ
ラ﹄として物心ついてから11年すごしたが、あまりにもこの体に
慣れすぎたのかもしれない。
大体﹃エギナ﹄に関することばかり思い返し、クリエイターだっ
た私自身に関することはろくに思い出さなかった結果か。少し寂し
い。
もとの私の名前も、なんだかボンヤリとして思い出せない。﹃カ
リナ・カサハラ﹄という名前はこんなにもすぐ思い出せるのに。﹃
エギナ﹄の名も忘れようがないほど染み付いているというのに。
今更何を考えているのだろうか、私は。
今の私は霧の王で、カリナ・カサハラなのだ。それ以外の誰でも
ない。この世界によく似た同人ゲーム﹃エギナ﹄をつくっていたク
リエイターのことなど、私の﹃前世﹄だといえる。そう言ってしま
100
っても何も問題ない。そのはずだ。
しかし、しかし。確かに私は﹃エギナ﹄の製作者のはずだった。
どうしてこうなったのだろうか。何が悪かったのだろうか。
ああ、ああ。
霧の王よ、カリナ・カサハラよ。お前は一体、誰なんだ。
﹁⋮⋮⋮⋮ん﹂
私は少し前から閉じていた目を開いて、立ち上がった。
馬鹿馬鹿しい。私は私だ。
自分で﹃霧の王﹄を名乗り、始まりの村を掌握し、メイドに全て
を任せて1000日後の破滅を回避するために旅立った、﹃カリナ・
カサハラ﹄だ。
それでいい。
そんなことよりこんなジメジメとした牢獄にいつまでも居ては、
肌荒れの原因になりそうだ。さっさとドレインダガーをとって、脱
出するとしよう。
牢の中から霧の魔法を発動する。後は問題ない。
101
21﹁他生の縁﹂
破壊魔法で扉や壁を壊すからバレてしまうのである。
必死に修練して覚えたテレポーテーション、転移の魔法で牢の外
に出ればそれで終わる話だ。問題はその転移の魔法がどうにも不完
全であり、あくまでも直線移動する魔法でしかないということだろ
うか。つまり、障害物があるところには移動できないのである。
﹃エギナ﹄のストーリーを台無しにするような魔法は使えないと
いうことなのだろうか。あるいは、必然力とでもいうのか、私に﹃
エギナ﹄の魔法使いとして振舞わせたい神の不必要な介入があるの
かもしれないが。
とりあえず私は魔法を使って扉のカギを腐らせ、役立たずの錆び
鉄に変えた。大きな音や振動を生み出すこともなく、扉は開く。何
事も使いようだ。
とはいえ、いつまでもバレないということもないだろう。さっさ
と用事を済ませて、脱出したほうがいい。私は一部融解した扉を開
き、濃霧に覆われた牢獄の中を歩き出した。
まずは奪われた装備や荷物、それに所持金を取り返す必要がある。
﹃賢者の宝玉﹄は無事であるし、いざともなればそのまま脱出して
も問題なさそうだが、やはりパワーロッドは持っておきたい。先立
つものもあるにこしたことはない。
濃霧の中を進み、うろたえる看守たちを尻目にして、没収したも
のが置いてある倉庫に到達。たやすく装備を取り返す。
盗賊ならここで他の人間が持っていた武器や金を奪うかどうかの
選択肢がでる。YESを選択した場合は所持金が二倍になり、いく
らかの装備が手に入るがカルマ値が最低になる。つまりこの時点で
バッドエンドが確定だ。一応、やめておいたほうがいいということ
を伝えるメッセージは出るが。
102
選択肢も何もない今の状況では魔法使いである私も他人の荷物を
まさぐることが可能だ。だが、カルマ値などに関係なくそんなもの
に興味がない。自分の荷物だけを回収して、出ようとした。
が、一つの小さな荷物に目が留まる。以前、それを見たことがあ
ったからだ。
思わずそれを拾い上げて、まじまじと見つめてしまう。確認した
が、間違いない。あの孤児院で見たもの。クオードが持っていたも
のだ。
彼に関係のある人物が、この牢にいるらしい。だが、誰が?
クオードが形見として託したのか、それとも誰かが彼から奪い取
ったのか。この状況ではわからない。
ここに彼が愛用していた懐中時計がある、という事実以外は。
クオードが亡くなってからもう9年もの歳月が流れたが、まさか
これをまた見ることになるとは。この9年間、これは誰の手にあっ
たのか。
いや、待てよ。
私は一つの可能性に思い当たった。あまり考えたくないことだっ
たが。
⋮⋮まさか。
その可能性を決定的に否定する論拠を見出せないまま、私はその
場を後にした。
ドレインダガーは壁に隠されている。
ある人物のいる牢の壁に。だから、その人物とは出会ってしまう。
とはいえ無害な人物なのでさほど問題ではない。
牢を開けるのは簡単だ。こじ開けるか、カギで開けるかすればよ
い。そうしたなら、無事にこの人物とご対面だ。
この人物の名は、ターナ。12歳の少女である。
盗賊の場合、彼女を養うために盗賊団を結成するというエンディ
103
ングも用意されているのだ。一端のヒロインといえるだろう。
このターナがどういう人物なのかは特に明示していないし、設定
もない。盗賊でプレイしているのでなければ、特にストーリーに絡
んでくるようなこともないオマケキャラ扱いである。
そのはずだが。ターナが12歳ということは、9年前には3歳と
いう計算になる。
クオードの子供と同じ年齢なのだ。もしかしたらということが、
ありうる。
そんな設定をした覚えはないが、クオード自体が﹃エギナ﹄の設
定に全く登場しないのである。ターナがクオードの娘であったとし
ても、全く矛盾を生じない。ゲーム内で出会ってもほとんど何事も
なかったようにその場限りで別れてしまい、連絡も取らないのはお
互いに気付かなかったからだということもできる。
勿論、ターナには会う。会って確認したいが、怖い。
はっきり言って、クオードを殺したのは私のようなものだ。彼を
頼って、無理難題を押し付けた結果、彼は殺されたのだ。
妻子を逃がしたとクオードは言っていたが、その後生活に困り、
食い詰めた彼女らが犯罪におよんでしまったとしても、無理からぬ
ことだ。ターナがここにいることに関しては、クオードの娘説を採
用したとしてもそれほどの不自然さを感じない。
若干のためらいを覚えながらも、私はターナのいる部屋に近づい
た。濃霧のせいで、彼女から私の姿は見えないだろう。
扉のカギをテレキネシスで壊す。内部構造を破壊してからカギを
開けばそれほどの物音はたたない。
私の所業によってターナを閉じ込めている牢の扉は放たれた。だ
が、12歳の少女、ターナは牢の中で座り込んだままだ。
そこで私はまず、彼女の足元にクオードの懐中時計を放り投げた。
確かめる必要があったからだ。何よりもまず、疑念が当たっている
104
かどうかを。
﹁これは﹂
彼女はすぐに時計に気付き、それを拾い上げた。霧の魔法はこの
牢の中だけ解除してある。
つまり、ターナからも私の姿は見えるようになった。しばらくは
懐中時計に夢中で気付かなかったらしいが、数十秒ほどで彼女もこ
の部屋にいる侵入者に気付いたようだ。
﹁誰?﹂
警戒心をあらわに、ターナは身構える。ゲーム内での彼女の行動
ありがとう!﹂
は単純なものだったが、このように怪しい行動をしては仕方がない
か。
本来なら扉を壊すだけで﹁逃がしてくれるの?
と勝手に納得し、プレイヤーの後をついてくるようになるはずだが。
現実はこんなもんだろう。
105
22﹁脱走﹂
結論から言えば、私の予想は当たっていた。ターナはクオードの
娘だった。
懐中時計を見る姿を見て想像がついたので、私はターナへこの時
計の持ち主と知り合いかと訊ねてみたのだ。すると彼女はあっさり、
クオードの名を口にした。そして、自分はその娘であるとも。
﹁それで、あなたは?﹂
髪の短い、柔らかな目の少女が私を見つめる。懐中時計を握り締
めた彼女は、これを持っている私を怪訝に思っているのだろう。
それ以前に、霧の魔法を使って簡単にカギを壊しているので、そ
こを怪しんでいるのかもしれないが。
﹁私はカリナ・カサハラ。孤児院では彼によくしてもらっていまし
た﹂
事実と本名を告げる。すると、ターナも自分の名を名乗ってくれ
た。
﹁そうですか。私はターナ・キラムスといいます﹂
﹁そう。ターナ、あなたはなぜここに?﹂
何かやむにやまれない事情があったことは想像がつくが、やはり
訊かずにはおれない。
﹁母が亡くなったので、どうにかして仇を討とうとしたのですが。
失敗して、この有様です﹂
106
﹁お母さんが。殺された?
﹁見ました﹂
相手を見たのですか?﹂
ターナは俯いてしまった。思い出して、つらいのかもしれない。
この子の母親、つまりはクオードの奥さんが殺されたというのも
衝撃的だが、ターナがカタキをとろうとしたというのも随分思い切
った選択だといえる。
﹁三人いて、一人は女でした。その女の顔だけは忘れていません。
つかみかかっていったのですが、相手になりませんでした﹂
詳しく話を聞いてみると、どうやらターナと母親はクオードの助
言どおり彼の弟を頼った後、さらに北に逃げ、名前を変えて暮らし
たようだ。
私がどう手を尽くしても見つからなかったのも、このクオードの
弟がうまく隠蔽してくれたかららしい。
ところが一週間ほど前になって、突如家の中に踏み込んできた三
人組によって母親が無残にも殺されたのだという。ターナは長椅子
の下に隠れていて助かったらしいが、母親が時間をかけていたぶら
れ、殺されていくさまを耳と肌で感じたのだろう。
犯人の一人、女の顔だけは立ち去っていく際、最後に振り返った
のを見たので鮮明に覚えており、後日に街中で見かけたときに思わ
ずつかみかかって殺そうとした、ということらしい。
ところが殺すことができず、逆にターナのほうが投獄されること
になった。あの女が母親を殺した、というターナの証言は聞き入れ
られず、むしろ偽名を使って町で生活する怪しい子供ということを
とりあげられた。
結局、罪もない母親は死んで、子供は投獄されるということにな
ったわけだ。
私もこうした話を聞いて憤らないほど心を病んではいないが、今
107
回はその女などよりも自分自身に怒りを覚えている。ターナたちが
始まりの町から追い出される原因を作ったのは他ならぬ私だからだ。
全てを村長のせいにしてしまうのは簡単だが、あのときクオード
に調査を押し付けてしまったツケだということも間違いない。安易
な行動の結果が、これだ。﹃エギナ﹄では何度でもやり直せるし、
ゲームはリセットしてしまえばそれで終わりだ。
だがこれは﹃エギナ﹄ではない。少なくとも今の私にとっては現
実の問題。
自分の考えが浅かったということが、よくわかる。痛感とはこう
いうことをいうのだろう。
﹁その女たちは、何者かわかりますか﹂
﹁それが、私にはよく⋮⋮﹂
それはそうだろう。魔王を倒した後は、そいつらを血祭りにあげ
てやらないと。
しかし、女。確かクオードも自分を刺したのは数人で、一人は女
だと言っていた。まさか同一犯なのか。そうだとしたら、犯人はメ
イドじゃないのか!
私は今までずっとクオードを殺した複数犯の一人の﹃女﹄という
のは、村長の息子についていたあのメイドだと思っていた。今では
霧の王に代わって村の一切を掌握し孤児院の運営までやっているあ
のメイドである。
彼女も30前くらいの歳になっているはずだが、高い給金を何に
使っているのかその美貌は衰えをみせない。あるいは例の魔法で何
かしているのか⋮⋮。いやそんなことはどうでもいい。メイドは忙
しいはずだ。北の都市で罪もない親子を害しているヒマなどありは
しないだろう。
では何だ?
ターナの母親を殺したのは、ただの強盗なのか。それとも、追い
108
出した村長がクオードの縁者ということで、今更ながら殺したのか。
﹁⋮⋮行きましょう、ターナ。お母さんが何故殺されたのか、探っ
てみましょう﹂
魔王の侵略はゲーム開始から1000日後。まだ997日ほどの
余裕がある。
少しくらいの寄り道は許されるだろう。
﹁カリナ。私をここから出してくれるの?
どうして、あなたは何者なの﹂
﹁昔、クオードにはよくしてもらったのです。だから、あなたが困
っているのを見捨てて置けません﹂
戸惑うターナを尻目に、私は壁に向かってパワーロッドをぶつけ
る。かなり手加減したが、内壁の一部が砕けて落ちた。
その残骸の中からドレインダガーがでてくる。鞘つきの立派なダ
ガーナイフだ。隠しアイテムを拾った私は、ターナの手を引いて牢
獄を脱出した。
勿論、その夜のうちにその町を抜け出し、カリナの住んでいた北
の町へ飛ぶ。
﹁カリナ、飛んでる!﹂
﹁そうですね﹂
ターナは年齢に比べても小柄なので背負って飛ぶくらいなんとも
ない。彼女は空高くからの風景に喜び、きゃっきゃとはしゃいでく
れた。
町に降りる前に、ターナに簡単な魔法をかける。偽装の魔法だ。
要するに、変装させた。亜麻色の髪の、男の子に見えるようにして
109
おく。ターナは逮捕されているのだから、このくらいの用心はして
おくべきだった。
では調査を開始しよう。ドレインダガーの試し打ちもしてみたい
ところだが、ターナの母親を殺した人物には実に興味がある。
どちらを優先するかといわれれば、考えるまでもない。
つまりHP吸収武器か、かわいい女の子のための仕事か。後者に
決まっている。
﹁ターナ。あなたが彼女に襲い掛かったのはどこですか﹂
そうしたところから始まり、町の住人にも色々と話を聞いてまわ
った。
どうやらこの北の町は流れ者が多く集まる土地らしい。各所から
あぶれ者が集って、色々な仕事をするようになっているようだ。タ
ーナの母親もこうした世評を知っていて、ここに来たのだろう。
くだんの女の特徴をもとに、聞き込みを続ける。すると、どうや
らその女も流れ者らしいと判明した。
金次第で何でもやる、﹃自称﹄冒険者。冒険者なんていえば聞こ
えはいいが、要はただのごろつきだ。殺しでも盗みでも、なんでも
やる。そういうことらしい。
嘘をついているかどうかわかる、というのは実に強力だ。頼りす
ぎると足元をすくわれるということはわかっているが、まあ情報収
集においてこれほど強い魔法も他にあるまい。その魔法にも3人中
1人もひっかからないのだからどうやらその冒険者たちが相当タチ
の悪い稼ぎ方をしていることは間違いなさそうだ。
ここまでくれば、もう遠慮する必要もないだろう。3人のごろつ
きをとっ捕まえて締め上げ、罪状をゲロらせてしまおう。そこまで
やればターナもお日様の下を歩けるようになるだろう。もしそうな
らなかったとしても、最悪、ターナの顔を知る全ての人間の記憶を
110
書き換えてでも彼女は救ってやらねばならない。それは私の責任だ。
私を罠にハメて牢獄行きにした連中のことも気になるが︵﹃エギ
ナ﹄においては﹃館﹄ステージの連中の残党の仕業ということにな
っている︶、今はターナのことだけを調べればいい。
彼らが現在どこにいるのかを追って、私とターナはしばらく行動
を共にする。
両親のカタキをうつための旅だ。調査には少し時間がかかったが、
大したことはない。﹃霧の王﹄をなめてもらっては困る。
調査に三日かけて、つまりターナとの時間は三日間に及んだ。
その間に私たちは随分と打ち解けて、彼女は私を姉と慕うように
なった。そうなるように仕向けた。
何しろターナはかわいい。彼女を守るために盗賊団を結成すると
いう、盗賊の気持ちがわかってしまうほどに。﹃カリナ・カサハラ﹄
は間違いなく女性だが、ターナはかわいいのである。姉と呼んでも
らってむずがゆいが、大変嬉しい。孤児院でもたくさんの弟や妹に
慕われたが、ターナはやはり一味違う。クオードの面影も少しある
気がした。
何しろこれだけ﹃カリナ・カサハラ﹄が傍にいて、野犬退治然り、
情報集め然り、盗賊退治然り、全てにおいてテストプレー特有のレ
ベルカンストで無双という一般常識から外れたチートっぷりを見せ
付けているというのにだ。ターナときたら﹁カリナ姉さんはすごい
ですね﹂の一言である。絶句するとか、ドン引きするとかそういう
ことがない。無邪気に笑ってはいるが、すごいですねというように、
どこか淡々と褒めてくる。
調子に乗りすぎた、と私は今から思い返して恥ずかしいくらいだ
が、ターナが全く動じていないのだった。おお、かえって私はとて
も怖い。
ともかく、情報集めは無事に終わった。三人の無法者たちが今い
る場所は特定されたのである。
111
﹃エギナ﹄ではプレイヤーキャラも野宿することができるし、実
際にそうしなければならない場面も度々でてくるのだが、ターナに
そんなことはさせられない。私はちゃんと夜、町に戻って宿で彼女
を寝かせるようにした。結果、調査に三日がかかったわけだ。
だがその三日間でさえ悪魔の計算がはたらいていたかのように思
えて、ならない。なぜなら、その三人がいる現在地、それが﹃館﹄
だったからだ。
本来は牢獄ステージの前に訪れるべき場所。悪徳商人の屋敷。﹃
館﹄、そこに彼らは集っているのだった。
まさしく、今日!
112
23﹁霧の館﹂
館の中は騒がしい。当然だろう。
いきなり濃霧に包まれて、わずか先も見通せない有様なのだ。こ
れほどの霧を体験したものはいまい、始まりの村で村長の家にいた
人間を除いては。
当然ながら、立ち入る前から速攻で食らわせたわけだ。もう建物
の内部は視界ゼロメートルだ。ざまあない。
これには目的の人物たちが逃走することを防ぐ目的もあるのだか
ら、そう簡単に解除されては困る。自称とはいえ﹃冒険者﹄である
から、霧の魔法を見通すほどの力を持っていないとも限らないが、
そうだとしたらメイドに匹敵するほど強いということになる。
しかしこれも心配に及ばない。もしもメイドクラスの能力を持っ
ているのだとしたら、ターナの母親を殺したときに長椅子の下にい
た彼女に気付かないはずがない。だから、彼らが逃走する可能性は
非常に低い。
念を入れるなら一旦始まりの村に戻って、メイドを連れてくれば
よかった。彼女にならターナを任せられるし、目的の人物がたとえ
なんらかの方法で逃げたとしても、うまく捕まえてくれることだろ
う。だが、そうはしたくなかった。ターナは自分の力で守りたかっ
た。
この﹃館﹄に攻め入ることによって、彼女は救われるだろう。私
がなんとしてもそうする。
既に魔王の拠点に攻め入る準備は終わっているので、そちらを片
付けてからターナを何とかするという方が賢いといえなくもない。
世界の危機と、たった一人の女のこの危機。さすがにこれを天秤に
かければ世界が重いに決まっている。
しかし、ここはターナを選んでおきたいところだ。私としては、
そうだ。
113
言い訳のようになるが、あらためて説明するまでもなく、この地
が攻め滅ぼされるのは994日後であって、今ではない。
世界はここまで、私に﹃エギナ﹄に組み込まれた設定どおりにや
れと訴えてきている。向こうからこちらを裏切ることはまずないと
考えていい。もしも魔王がその気になっているのなら、とうに北の
町や都会、元祖﹃霧の王﹄がいた森林あたりは焼き払われて荒野に
変わっているはずだ。
だが、いつその均衡が崩れるかわからない。
魔王は既に彼の拠点にいて、世界を滅亡させるために虎視眈々と
その機会を狙っているのだ。その機会は994日後には確実に訪れ
て、彼らは世界を滅ぼす。
﹃何故﹄ゲーム開始から1000日が経過するとプレイヤーが強
制的に敗北するのか。﹃エギナ﹄にそのあたりの設定はない。スタ
ッフ全員が認識していたのは、﹃タイムオーバー﹄によるゲームオ
ーバーを付け加えたということだけ。説明も、﹃魔王が攻めてきて
負けた﹄ということだけ。この結末はどれほど鍛え上げたプレイヤ
ーであっても回避できないのであり、そこから考えると魔王は10
00日後には凄まじい魔力をもって攻めてくるのだろう。
しかし、999日目に魔王に挑んだとしても、彼の力は1日目に
挑んだ場合と変わらない。
そこから考えると、以下のような仮説を立てることができる。
﹁魔王は1000日後に強大な力を得ることができて、その力を得
た魔王にはどれほど鍛えたプレイヤーも太刀打ちできない﹂
﹁魔王はその力を得ることに専念しており、1000日経過するま
では攻めてくる事がない﹂
これは極めて自分として納得のいくものとなる。だから、カリナ
としてはこれを支持したい。
114
魔王は攻めてくる事がない。自分の拠点で強くなることに専念し
続けている。
だから多少の余裕がある、と思っておきたい。無論、だらだらと
過ごして1000日という期間をムダに食いつぶすようなことはし
ないつもりだ。
ともあれ、霧に包まれた﹃館﹄に、私たちは踏み入った。
あのときのように﹁我が名は霧の王!﹂などと宣言しても良かっ
たのだが、ターナの前では恥ずかしいので自重する。ターナの手を
引いて、私は館の中を歩み進んだ。目的の人物を探し、とにかく突
き進む。
メイドのように、霧の魔法を見通すような実力者はいないようだ。
直接私が手を引いているターナも霧が見通せているので、スイス
イと歩いていける。しばらく歩いて探し回ると、ようやく目的の人
物が見つかった。
﹁カリナ姉、あの人﹂
﹁あいつか﹂
例の女は何か密談でもしていたらしい。商人の親玉らしい男と、
同じ部屋の中だ。
霧の中でも壁を背にして、武器を握り締めているのはさすがに修
羅場を潜り抜けてきただけのことはある、といえるだろう。同じチ
ームらしい残りの男二人も同じように壁を背につけ、油断なく周囲
に気を配っている様子だ。
だが私は彼らよりも、むしろ商人に驚きを隠せない。ウィナンだ。
歳をとってはいるが、間違えようはずもない。あのメイドの主人、
村長の息子、ウィナン。
私財を奪い取って放逐してやったのに、悪徳商人として成り上が
ったのか。あるいは何か卑劣な手段でどこかの商家を乗っ取ったの
115
か。
しぶとい奴だ。だが、この冒険者たちとウィナンがつながってい
るのだとしたら、どうして今更ターナの母親が殺されたのかも説明
がつく。報復を恐れ、彼らもずっとクオードの家族の行方を追って
いたに違いない。そうして9年間かけ、ようやく居場所をつかんで
刺客を送ったのだろう。
私も結構力を入れてクオードの妻子を探していたのだが、あちら
の方が先に見つけたのか。
するとターナを見逃したのも故意であり、あえて彼女に自分を襲
い掛からせて牢獄に放り込むところまで計算していたのかもしれな
い。
いずれにしても、ゲロらせる。ここで締め上げて、全てを吐かせ
てやろう。
﹁久しぶりではないか、貴様﹂
私はいつかぶりの、低く重い声をつくって、その場に響かせた。
村長の息子ウィナンはすぐにこの声の主に思い当たったらしく、
お、お前は﹂
相当に驚いた声を上げ、その場から逃げ出そうと走り出す。だが、
壁に激突した。
﹁ひぃっ、ひぃ!
﹁そうだ、我が名は﹃霧の王﹄﹂
ウィナンは見苦しく震えてしまい、その場でどうにか身を隠そう
と縮こまってしまう。言い訳のしようもないとおもっているのだろ
うか。
だが、冒険者たちが武器を構えた。どうやら声の方向から私の位
置を探ろうとしているらしい。
116
﹁こいつが霧の王か!﹂
正体をあらわしてみるがいい﹂
女が勇ましく叫んだ。
﹁私と勝負しろ!
声は素晴らしく張っているが、言っていることは情けない。なぜ
こんな剣を構えた奴の前にノコノコ出て行く必要があるのだろうか。
第一、ターナがあぶない。
そういった事情で私は女の言うことに耳を貸すことなく、テレキ
ネシスで椅子を彼女に向けて飛ばしてやった。しかし敵もさるもの、
飛んできた椅子を剣で受けようとした。すばらしい反射神経だが、
椅子は重く、断ち切れない。結果として椅子は直撃し、女はその場
に昏倒する。
﹁ぐあっ!﹂
呻き声があがる。
その声にウィナンが心配げに声を上げた。
﹁ヤフマー、どうした﹂
⋮⋮何?
今、誰の名前を呼んだ。
117
24﹁落涙﹂
この女がヤフマー!
まさか、そんなことが。
あまりのことに私の思考は一瞬、停止した。ヤフマー、それはシ
ュトーレが売られてしまうはずだった犯罪組織の親玉だ。村長も手
を焼いている盗賊の首領だ、とクオードは私に説明してくれた。だ
がまさか女だったとは。そしてそれが、自称冒険者に成り下がって
いるとは。
そうか、ウィナンが着の身着のままで追い出されてからわずか9
年でここまで成り上がっていることが不思議だったが、それはヤフ
マーが支援をしていたのか。村長と結託して人身売買を思うままに
していたほど、頭の切れる盗賊組織を束ねていた首魁だ。あちこち
で盗み出してきた財を基にしてウィナンを再び表舞台で活躍させて
いたのだろう。
私やメイドも、今まで商人の名として﹁ウィナン﹂というのは聞
き及んでいない。この館を使っている悪徳商人のは﹁ナフティ﹂だ
ということになっていた。要するに偽名を使っていると、そういう
ことで間違いあるまい。
ヤフマーの組織も9年前に私が散々暴れまわって殆ど崩壊してい
たはずだ。首魁を倒した記憶はないが、あの霧の中でそれと知らず
に殺したのかも、と少々楽観的に考えていた。たとえボスが生きて
いたとしても、組織の構成員は8割以上死ぬか大怪我をしたはずな
ので警戒するに当たらないと判断していた。実際、それ以降ヤフマ
ーの被害を聞くことはなかったから、余計だった。
しかし彼らは悪徳商人に身を変えたウィナンの元に身を寄せ、金
次第で何でもやる冒険者としての隠れ蓑を着ていたわけである。
118
﹁大丈夫だ、心配するな﹂
ヤフマーはつらそうにしながらも剣を床について立ち上がる。
彼女もかなりの腕前なのだろうが、このレベルカンスト状態のテ
ストプレイヤー、﹃霧の王﹄に勝とうというのは無理がある。
希望を持たせてもかわいそうだろう。私はテレキネシスで椅子を
飛ばし、ヤフマーを何度も打った。四度目の攻撃で、彼女は血反吐
おい、ヤフマー﹂
を吐いて床にへばりつく。所詮は常人である。
﹁げぼっ﹂
﹁ヤフマー!
ウィナンがすがるような声を出すが、返事はない。ヤフマーがい
かに強くとも、この怪我では立ち上がれるはずもない。
あばらや鎖骨が折れ、恐らく片足も砕けているだろう。叫びださ
ないだけでも大したものだ。
﹁カリナ姉﹂
意識を失ったか、動けなくなっているヤフマーを見下ろしている
とターナが私の袖を引いた。
﹁どうかしましたか﹂
﹁あの人、しんだの﹂
﹁死んではいません、骨折はしていますが。平気ですよ﹂
悪人ではあるが、ターナの目の前では殺さない。
﹁ちょっと、怖い﹂
﹁わかっています。目を閉じて耳を塞いでいても構いませんよ﹂
119
﹁ううん、だいじょうぶ。カリナ姉がいるから﹂
うわ、あざとい。けどかわいいこと言う。
私はターナの頭に左手を置いて、彼女の髪をくしゃくしゃにして
しまった。だってかわいいのだもの。
そんなことをしている間に、ウィナンはヤフマーが死んだものと
早く!
早くそこに
思ったらしい。残り二人の冒険者に、霧の王を殺すように必死に檄
を飛ばしている。
﹁カネ、カネならいくらでもくれてやるっ!
早くこの霧を晴らしてくれ!﹂
いる霧の王を殺してくれ。
すぐに!
まあ彼からはヤフマーがどのようにして敗れたか見えないのでこ
うなるのも無理はない。しかし、9年前にされたことを忘れたのか、
懲りない奴だ。
だいたいからして考えが甘いのだ。このように一度ウィナンを見
逃したことで、惨禍を招いたのである。となれば、どのような愚か
者であろうとも二度と彼を生かして帰すようなことをするはずもな
い。殺すことはしないとしても、二度と再起できないように追い込
む必要はあろう。最低でも10年は収監されるように。
それ以前に、霧の中で動けるような人間があろうか。私はあえて
彼らがどのように動くのか見守ってみたが、やはり私の居所さえつ
かむことができていない。
ウィナンがいかにほえようとも、ヤフマーの仲間二人は、剣を握
りしめて周囲を見回すばかりだ。どこから霧の王が襲い掛かってく
るのかと、恐れている。
﹁む、無理だ。こんな霧の中で戦えるわけがねえ﹂
120
一人が弱音を吐いた。もう一人はそれを注意したいようだが、で
きないでいる。この状況を打破する方法が思いつかないからだろう。
そのまま放置してもよかったが、何かの間違いでターナを害され
ても困る。私はテレキネシスで二人を吹き飛ばし、お互いに激突さ
せてやった。結構な速度がついていたので、骨折はしただろう。二
人は呻いたまま起き上がらなくなった。
私はターナの手を引いたまま、がくがく震えているウィナンの前
に進み、告げてやる。
﹁さて、ウィナン。お前は多くの人々を害し、ヤフマーをつかって
クオードを殺し、そして先だっては彼が必死に逃がした妻子をも害
したな。
ことここに至って、この霧の王に何か釈明できることがあるのな
ら聞いてやろう。なんなりと言うがいい﹂
﹁霧の王、私は村を救うためにやった。お前と意見の相違はあろう
が、私なりに村のためになるように努めていたのだ。
クオードを排したのは非難されるかもしれんが、ほかの多くを救
うためにやむをえないことだった。
い、いいか。奴は余計なことを調べていた。ここにいるヤフマー
まし
は近隣から金銭を徴収して村に届けてくれる盗賊であるが、彼らか
らの援助なしにどうしてあのような小さな村がたちいけた?
てやあのような無駄飯ぐらいの多い孤児院をや。あの村にいる多く
の人々を救うために、孤児院の子供たちをヤフマーに売り渡してい
たことは、なるほど悪かもしれない。だが、そうしなければあの村
は滅んでいた。そうしないために必要なことだったのだ。
そうしたことを理解したうえで、霧の王は私を責めるのか。ある
いは、村長であった父を﹂
悪徳商人の本領発揮か。言い訳は長い。
ウィナンは自分にも理があって、やっていたことなのだと訴えて
121
きている。釈明があるならといったがここまで長いとは思わなかっ
た。
しかしそうした言い訳を聞いた私の言葉は、短い。
﹁言いたいことはそれだけか。
そんな薄っぺらな理論で、一人残されたクオードの娘が救われる
と本気で思っているのか﹂
﹁き、霧の王。何の犠牲なしに誰かを救うことなどできるはずが﹂
﹁お前の言っていることは、釈明ではない。
私の仕置きから逃れようとして、たった今お前の脳内で組み上げ
られた逃げ口上にすぎない。
だから、私はお前を許さない﹂
部屋の中の霧を解いた。
ウィナンの前に、14歳になったカリナ・カサハラの姿があらわ
になる。そして、12歳になったターナ・キラムスの姿も。
これを見たウィナンが驚愕に目を見開くが、彼の反応など関係が
なかった。すべては断罪されるべきだった。
﹁私が霧の王だ﹂
きっぱりとそう告げると、何か思い出したらしいウィナンはがっ
くりと項垂れてしまった。
心が折れたのか。振り返ってターナを見ると、ぼろぼろと涙をこ
ぼしていた。ウィナンに同乗しているわけではないだろう。クオー
ドのことを思い出しているのかもしれない。
彼らを痛めつけてゲロらせるのは、彼女が見ていないところでし
なければなるまい。
122
25﹁委託﹂
﹁またあなたですか﹂
メイドがため息をつきたいような顔で、私を出迎えた。まあ仕方
あるまい。
ターナを連れて村長の屋敷に戻り、メイドに預けようとしたわけ
だ。孤児院に入れるようにすれば、何も問題はないだろう。
私はあのあと、ヤフマーとウィナンを徹底的に追い込み、全ての
犯行を自供させた。同時にターナを投獄した連中も裏で脅しをかけ
たところ、金を積まれていたことを白状した。これらは全て上層部
に﹃霧の王﹄の名で報告し、暴露してある。つまりもう、ターナは
自由の身だ。
とはいえ母親を亡くしてしまったわけであるから、これから先を
生きていくことができない。そこで私が引き取ることにした。始ま
りの村にある孤児院は実質、私のものだ。そこで預かることにすれ
ば、ひとまずは不自由なく暮らしていけるだろう。少なくとも、魔
王討伐の旅に同行させるよりは。
﹁とりあえず、この子をあずかってください﹂
﹁孤児ですか。それとも、あなたの隠し子﹂
﹁そんな冗談に付き合っている暇はなありません。事情を説明しま
す﹂
村長の屋敷は、大体修復されて綺麗な状態になっている。その一
室で、私とメイドは向かい合って座り、私の隣にはターナがいる。
ターナはメイドの鋭い視線に少し怯えているようだが、健康状態
には問題ない。
﹃牢獄﹄と﹃館﹄であったことをメイドに説明し、ターナを預け
123
たい、と繰り返した。
﹁ずいぶん、懐かしい名前が出ましたね。ヤフマーとウィナンです
か。
しかし今の説明ではまだわからないことが一つあります。カリナ、
あなたはなぜ投獄されたのです﹂
﹁それもウィナンとヤフマーが手を回していたようで。孤児院にい
て、将来売り払うつもりだった女の子。そうしたことで彼らは私を
知っていた。
で、適当に罪をでっち上げて投獄し、あとからそれを買い入れて
しかるべきところに売るというつもりだったらしいです。
そのまま掻っ攫って売り払うよりもリスクが少ないのだとか。マ
ネーロンダリングみたいですね﹂
﹁マネー⋮⋮なんですって?﹂
﹁いえ、わからないなら別にいいです。それより預かってくれるの
でしょうね﹂
メイドは頷いた。
﹁それは当然です。カリナ、あなたのおかげでこの孤児院への援助
は過大なほど多額です。
一人増えたとて、特に問題なく運営できるでしょう。この程度の
問題に対処できないようでは孤児院とはいえますまい﹂
﹁そう。それはありがとう。ところで、あなたはヤフマーやウィナ
ンに思うところはないのですか?﹂
﹁私はメイドですが、ウィナンという人物には職務から忠実真剣に
お仕えしましたよ。ただ、個人的な感情から言えば複雑に思ってい
ます。孤児院からお金で売られたことは確かですが、待遇はよかっ
たですから。無理やりに襲われる、ということもなかったですし﹂
﹁な。まさか夜のお勤めがあったのですか﹂
124
﹁カリナ。身辺護衛に身の回りの世話。これにそうしたことが含ま
れると思っているのですか。少なくとも私は一度もしていません﹂
そうか。それなら少し安心だ。
どうして安心、と思ったのかは自分でよくわからないが。
﹁それで、ヤフマーは?﹂
﹁そのまま収監されたのでしょう。それならよかった、と思うだけ
です﹂
﹁殴ってやりたい、とかは﹂
﹁私も人間ですから、少しはそう思います。私のことはどうでもい
いでしょう、昔のことです。
直近の被害者であるターナはどう思っているのか、私はそちらの
ほうが心配です﹂
確かにそうだろう。
ターナが母親を亡くしたのはつい、何日か前のことだ。心の傷も
大きかろう。
﹁ああ、両親のカタキはしっかりとりましたが。多分まだ心の整理
はついていないでしょう。
少し私が見ていてあげたいのですが、色々と都合がありまして﹂
﹁なるほど、ターナもまだ幼い。であるなら、彼女よりもあなたで
す、カリナ。ターナはあなたを姉と慕っている。
この子のためと思うのなら職を探し、一つ所に腰を落ち着けては
いかがです﹂
﹁どういうことです﹂
﹁あなたは若いので多少のことはいいのですが。これからも各地で
子供を拾ってはここに預けに来るというようなことをされては困り
ます。
125
いつまでもフラフラしつづけているつもりなら、忠告させていた
だきますが﹂
どうも勘違いされている。私は後頭部を掻き毟った。
﹁いえ、大丈夫です。次の旅から戻ったら、もうどこかに行くこと
はありません。ターナと一緒に暮らすつもりです。
ここへは、一時的に預かってもらえないかと相談に来ただけで。
私にとっても、あなたは頼りになる﹃姉﹄なんですから﹂
これは本当のことだ。私はレベルカンストのテストプレー状態で
あるが、この世界の細々とした部分に詳しいのは間違いなくこのメ
イドであり、気兼ねなく話ができる希少な存在である。また年上で
もあるし、このメイドに﹃姉﹄というところを求めていることも間
違いない。
メイドはふむ、と頷いた。
﹁そうですか。次の旅というのは何の目的で、どこに行くつもりな
のですか。
それと、何時ごろ戻ってくるのです。それだけはっきりしてくだ
さらないと。困りますね﹂
﹁魔王を滅ぼしに。5日ほどかかる見通しです﹂
﹁旅というよりも旅行ですね。魔王を殺すというのも、あなたの力
なら考えられないことではありませんが﹂
驚かない。魔王というものの存在について確認すらしない。
メイドはどこまで何を知っているのだろうか。始まりの村にこん
な理解のあるNPCを配置した記憶はない。こんなに強いNPCも。
﹁私も魔王については知っています。勇者と魔王の伝承は、あなた
126
もご存知でしょう。
カリナ、あなたの力は勇者といってもよい。ともなれば、魔王も
どこかで力を蓄えていると予想される。
あなたが旅立つことを止める理由はない。5日という短期間も、
あなたの自信の表れと私は考えています﹂
ああ、伝承。そういえばそんなのもあった。
クオードに確かめたところでは、説明書にも劇中にも登場しない、
設定だけの﹃伝承﹄が確かにこの世界にも伝わっていた。だから、
私もこの世界が﹃エギナ﹄の世界であると確信できたのである。
﹁いいでしょう、いってらっしゃいカリナ。
私はあなたの居場所を確保する。いつでもあなたの味方になる﹂
やはり、メイドは実に頼れる。
私はこれで、心置きなく魔王を倒すために彼の本拠に行くことが
できるだろう。
127
26﹁鉄橋﹂
ターナをメイドに預けて旅立った。
空を飛び、邪魔者はテレキネスとパワーロッドで吹き飛ばし、一
時間もしないうちに私は魔王の本拠に近づいていた。
ここは魔王軍の最後の砦。人間には不要と思われるほどの大きさ
の鉄橋がある。だいたい、瀬戸大橋くらいの大きさだと思ってもら
えればいい。この鉄橋は魔王の元に続く唯一の道であり、最終防衛
線でもある。つまりはここを突破すれば、魔王の城というわけだ。
ここを飛び越えていこうとすると、魔王空軍の総攻撃を受けるこ
とになる。
水中から行こうとしても、魔王海軍の総攻撃。橋を素直に渡ると
魔王陸軍の総攻撃が待っている。
どのルートを通ったとしても、最後には全ての師団がプレイヤー
に襲い掛かってくるようになっている。最初に来る軍団が違うだけ
だ。本来空から行くルートはないが、最終的には空軍がやってくる
ことになるから、空軍がやってくることは容易に想像できる。
となれば、素直に鉄橋を渡るしかない。水中や空中での戦闘はプ
レイヤーに不利としかいえないからだ。水中では動きが鈍るし、息
継ぎができなければ死ぬ。空中で戦うのは慣れていない上、何かの
具合で意識を失えばその瞬間、墜落死が確定してしまう。戦闘中に
意識を失えば死ぬというのは空中戦に限った話ではないが、空の上
では殊更その危険がある。わざわざリスクを高める必要はない。
では、行こう。
このふざけた﹃エギナ﹄の世界ともこれでお別れだ。魔王を滅ぼ
して、プレイヤーキャラの役目は終わる。
パワーロッドを右手に抜いて、左手にドレインダガーを握り、鉄
橋に足を踏み出す。
128
魔法による警報が魔王軍全軍に響き渡っていることだろう。鉄橋
が埋まるほど、魔物たちがこちらに向かってやってくる。すごい数
だ。
﹃エギナ﹄においては彼らがプレイヤーに一斉に襲い掛かってく
るようなことはなく、兵を小出しにしてきてくれる。一度にやって
くるのは精々、20体くらいであり、それを範囲攻撃で蹴散らして
いけば多少レベルが足りていなくてもどうにかなる仕様だ。
戦士の場合は斧を振り回して敵を蹴散らすのが常道だろう。実際
私もそうしてクリアした。
範囲攻撃に乏しい盗賊の場合は非常に辛いところだが、罠を駆使
することで切り抜けられる。爆破罠で敵をたくさん巻き込むと効果
が高い。
僧侶の場合盗賊より厳しいが、魔法力を最大まであげていれば最
強の聖属性魔法により敵を紙くずのように破壊できる。そうでない
場合も少しずつ敵を削っては離脱して回復という戦略を繰り返せば
こえられるだろう。
魔法使いの場合は本領発揮というところであり、魔力を回復させ
る薬をがぶ飲みすれば簡単に押し切れる。対多数の戦いならまさに
得意分野である。
だがここはゲームの世界ではない。
鉄橋を敵が埋め尽くしている。水軍も、空軍も陸軍に少し遅れて
いるがやってくるだろう。
いかにレベルカンストであるとはいえ、気を抜けば死ぬかもしれ
ない。
この膨大な数の敵に殴られれば、体力を削りきられてしまう可能
性は高かった。まさにここが正念場、激戦必至。
ただしそれは、普通に正攻法で戦った場合だ。
129
﹁﹃霧の王﹄は、正面からお前らとは戦わないのだ﹂
有り余る魔力をつぎ込み、私は全力で霧の魔法を見舞った。鉄橋
は凄まじい霧に覆われ、一寸先も見通せないほどになる。
そのまま私は橋を渡り続ける。ありったけの力で走りながら、霧
の魔法を展開しながら。
鉄橋を覆い尽くすほどの霧を生み出すのはきついが、戦闘可能領
域、魔法の射程範囲内くらいなら余裕で霧に包むことができるだろ
う。
これで敵は、私の位置を正確につかめない。当初の予定通りの戦
略だ。
飛び出してきてしまった重量級の敵戦士が狼狽している。岩石で
構成された体を持つ巨大な戦士。ゴーレムと呼ばれている巨人だ。
私は霧に視界を奪われている彼を、パワーロッドで打った。
爆弾でも爆発したかのような凄まじい打撃音が響き、ゴーレムが
殆ど真横に吹っ飛んだ。打ち据えられた部分から砕けながら、一直
線に彼は味方の密集地帯に飛び込む。その衝撃だけで、魔王軍の兵
士たちが何名も砕け散り、体重の軽いものは空の彼方へ吹き飛んで
いってしまった。
霧の魔法の効果は絶大だ。彼らに気づかれないうちに、滅ぼすこ
とができる。遮二無二パワーロッドを振り回しているだけで敵はも
う半壊だ。バラバラになったゴーレムの破片はそれだけで十分すぎ
る武器となって、周囲の魔物たちを害した。
私はテストプレイヤーであり、彼らを排除して魔物を滅ぼし、エ
ンディングにバグがないかどうか、確かめる必要があるのだ。実際、
そうだったのだ。
敵から不可視であるのをいいことに、徹底的に私は魔物を殺しま
くった。パワーロッドだけで十分すぎる。すべての敵は一撃で砕け、
粉砕されて散っていく。これ以上ないほどのパワーだった。
僧侶の最強聖属性魔法であろうとも、ここまでは強くない。しか
130
も、霧の魔法の有用性に気づいたおかげで、盗賊のように敵に気づ
かれることなく行動できる。戦士のように打たれ強くはないが、十
分すぎるほど強いといえる。まあ、魔王といえどもおそらくこのま
まいけば楽勝だろう。
そんな風に私が思っていたのも、戦いが始まってから60分程度
の間だけだった。
あまりにも敵が多かった。
その事実に私は気づき始めている。あまりにも、そうあまりにも
多い。60分間休まず敵を倒し続けたというのに、まったく敵が減
ったように感じないのである。
まるでたった一人で国全てを相手にしているようだ。実際そうな
のだろう。魔王という王が統治する闇の国全てを、カリナ・カサハ
ラは一人で相手にしているのだ。そういうことを、私は完全に考え
ていなかった。﹃エギナ﹄と同じだから余裕だろうとタカをくくっ
ていたのである!
魔物など、ハエや藪蚊のように湧き出てくる。いくら殺しても殺
しても、減ることがない。﹃エギナ﹄では魔物も殺してから二日も
経てば、再度同じ魔物が出現する仕様だ。これがこの世界において
も何らかの理由で再現されているのだとしたら、もうたまらない。
時間をかけてじっくり敵を減らして攻略するということもまったく
不可能になってしまう。
ドレインダガーで敵から体力を奪うと少しは楽になったが、パワ
ーロッドを乱用すると魔力が枯渇して肉体にすら疲労が及ぶ。
そう、レベルカンスト状態であるはずの私の魔力が枯渇してしま
ったのだ。パワーロッドは使用者の魔力を打撃に変えている。あれ
ほどの打撃力を発揮する最強の武器は、見事に私の魔力を削り切っ
てしまったのだ。この状態でもし、敵のマジックドレインを食らっ
てしまったら間違いないなくまずい。精神ダメージを受けて死んで
しまう。
131
実際、精神ダメージでの死がこの世界でどのように再現されるの
かは不明だ。いわゆるSAN値、精神力がガリガリ削られて廃人や
狂人になってしまうのか、あるいは魔力の暴発で物理的に肉体が損
傷して死に至るのか、それはわからない。だがなんにしてもよい結
果にならないことは明白だ。
まずい、あまりにも、まずい。
カリナ・カサハラはあまりにも浅慮な選択をしてしまった。もう
少し敵の戦力を知ろうとするべきだったのだ。
己を知り、敵を知れば百戦危うからず。この場合はそのまったく
逆をしてしまったのである。
霧の王は、苦戦しているといえた。
132
27﹁対峙﹂
完全に私の魔力が底をついた場合、霧の魔法が解けてしまう。そ
うなったらこの無限とも思えるような物量の魔物たちから袋叩きに
あうことは間違いない。そこまでいけば、いかにレベルカンストと
はいえ確実に殺されてしまう。﹃エギナ﹄でもこれだけの量の魔物
を同時に相手はできない。そういう仕様であるし、敵が戦力を小出
しにしてくれるからでもある。
だがこの鉄橋は違っている。
魔王軍は全力で私を殺しにきている。彼らも滅ぼされるのはイヤ
なのだろうか、決死の抵抗だ。
このままパワーロッドを振り回し続ければ簡単に私の死が確定し
てしまうくらいに。
そこで、こんなときのための魔法であるマジックドレインを放つ。
大多数の敵から魔力を奪い取ったが、それでもまだまだ足りない。
全回復には程遠い。魔力を回復する怪しい薬品も使う。こんなとき
に何か飲み物が飲めるものか。そんなヒマもないくらい、周囲は敵
だらけだ。霧の魔法を見破る魔物がいつ、出現するかもわからない
ので気を抜けない。しかしそうもいっていられないので無理やり咽
喉に流し込む。
少し戻った魔力を使うために、私は飛び上がる。空の敵はまだや
ってこないので、いまのうちに空から地上の敵をなぎ払うことに決
めた。
﹁爆炎の呪文!﹂
使い勝手の良い初級の範囲魔法を集中させる。
私の魔力を乗せたこの魔法は、通常のものよりも効果が数倍近く
になっているはずだ。終盤の敵にも通用する。
133
目標である地上の軍勢を、魔力をのせた指先で指し示す。
瞬間、放出された魔法は鉄橋を揺るがす。吹き上がる巨大な炎、
水面すらなめる爆熱。200近い魔物がこの爆破に飲まれたはずだ
った。
鉄橋が歪み、軋みさえ生じた。だが、それでも敵は私を探し、攻
撃を仕掛けてくる。霧の魔法で視界を奪われていても、今の魔法か
ら私の位置を予測したのか、矢まで射掛けてこようとする。
だが、私にまでは届かない。もう一発お見舞いしておくべきだろ
う。私は同じ魔法を鉄橋にお見舞いした。
次はマジックドレイン、薬、そしてまた範囲魔法。
鉄橋はゲームでは破壊される心配などなかったが、ここでは違う。
撃ち続ければ壊れるかもしれない。
ひたすら同じことを繰り返す。自分が何をしているのか良くわか
らなくなり始めた頃に、敵が倒れた。屍の山が築かれて、何一つ残
らない。
焼け焦げた死体ばかりが残って、経験値は勿論お金なんかもそこ
に見当たらない。本当に、死体しかない。
空しさしかない、なんてものじゃない。
用意していた薬なんかはもうない。全て使い果たした。魔力はマ
ジックドレインを繰り返したおかげで枯渇を免れたが、疲労しきっ
ている。地上に降りた途端、崩れ落ちそうになったくらいだ。
なんてことだろう。こんなにも厳しい。魔王を守る最終防衛線と
いうのを、私はあまりにも侮っていた。
陸・海・空の全ての師団を撃退したと思えば、このような疲労は
どうでもいいことに成り果てるのかもしれないが。今から二日以内
に魔王のところに行かなければ今、必死の思いで討伐したこの魔王
軍が全て復活する、かもしれないのだ。
ともあれ、どうにかこうにか。この防衛線を突破した。
あとは魔王と戦うだけである。ゲームではタイマン勝負なので恐
134
れることはないのだが、ここでは親衛隊がいるかもしれない。用心
していくべきだろう。
霧の魔法で敵の視界を完全に潰していたはずなのに、それでも私
の体は傷だらけだ。ローブにはたくさん穴があいていることだろう。
ドレインダガーで敵から体力を吸収しても、それらの傷は直ちに治
らない。回復魔法のように治ってはいかないらしい。
傷口の処置が必要だ。しかし、自分の力を過信していた私は包帯
などの救急セットを持っていない。魔王軍のものを奪うこともでき
たが、人間に毒だったらどうしようかと考えてしまい、結局使うこ
とはしなかった。
崩落寸前の鉄橋をわたった。魔王の根城である古城が見えている。
諸般の事情によって、私は穴だらけのローブでそこに向かうこと
になるだろう。着替えているヒマも余裕もない。
少し体力の回復を待ちたかったが、敵の襲撃が怖い。怖いのだ。
驚異的な物量だった。人海戦術などという言葉があるが、あれの
意味を私は今日やっと思い知った。二度と味わいたくない。
霧の魔法を維持したままでは、魔力が自然回復しない。物陰に隠
れてから霧の魔法を解いて魔力を回復させる。きつい。魔力の回復
などより疲労の回復が先ではなかろうか。
どうやらこの﹃疲労﹄という部分に関してはドレインダガーで回
復しないらしい。多少は楽になっているのだが、どうもそれは肉体
的な部分に限られているのではないだろうか。精神的なところには
作用してくれていないらしい。こうした乖離が私を余計に追い込ん
でいる可能性もあろうか。
いやそんな考察はどうでもいいだろう。とにかく休息が必要だ。
不思議なことに休息している間は、魔物が襲撃してこなかった。
すっかり私の魔法で殺し尽くしてしまったのか。それとも魔王が戦
力を温存しているのか。
135
いずれにしても、私の魔力はほぼ回復させることができた。出発
前にターナが私に持たせてくれたお弁当も広げようかと思ったが、
さすがに敵地ではまずかろう。
万全の状態ではないが、戦える状態になった。行こう。
私は魔王との最終決戦地に向かって歩いた。
ここでも、特に襲撃されるようなことはない。不思議だとは思っ
たが、歩みを止めたりはしない。どうあっても、私はここで魔王を
滅ぼさなければならないのだ。
そうして私はこともなげに、魔王と対面するに至る。
城の奥。
﹃エギナ﹄で見たままのマップで、見たままの玉座に腰掛け、魔
王は私を待っていた。
﹁ようこそ、勇者﹂
彼は低い声でそう言い放って、ゆっくりと腰を上げた。見た目は
壮年の貴族。少し華美な衣服も、黒いデザインであることを除けば
異常であるとはいえない。だが、この男はその瞳の奥に言い知れな
い闇と悪を抱えている。
この世の全ての憎悪の具現。憎しみの王。魔王だ。
私は、一目見て彼を恐れた。恐れるほどに、魔王から放たれる魔
力が強烈だったからだ。
確信した。こいつは、強い。
﹃エギナ﹄の最終ボスだった魔王などとは次元そのものが違う。
こいつと比べればゲームでの魔王など羽をもがれたコバエにも等し
い。
この魔王は、やばい。間違いなく、私を殺しうる強さをもってい
136
るだろう。まともに戦えばどちらが倒れても不思議ではないと思え
た。なぜだ、という疑念さえ一瞬湧かなかったほどだ。
﹁魔王軍の総力を結集すれば数の力であるいはお前を殺せるかもし
れぬと考えたが。切り抜けおったか。
やむない、お前はこの魔王自らが殺してくれよう。お前の役目は
もう終わったのだ﹂
このような台詞を言った。魔王は、私の目を見据えている。
お前の役目、と。彼は言った。
﹁私の役目、だと﹂
﹁ああそうだ。お前はこの世界を作ったくせに、細かいところをろ
くに覚えていないらしいな。だがそのおかげでこの魔王も好きにこ
の世界を動かすことができたのだから、文句を言うこともなかろう
が。
カリナ・カサハラ。お前は何故自分にそれほどの力があるのか考
えたことはなかったのか?﹂
問答を楽しむように、魔王が問いかけてくる。
このような会話をしている余裕はない。私はただ、魔王を殺して
この場から逃げ出さねばならないのだ。ターナと暮らしていくため
に。
そう思っているのだが、足が動かなかった。
﹁魔法使いは、つまりお前は、この魔王と相討ちとなって死ぬのだ
ろう。お前自身がそのように設定をしたはずだ。覚えているのだろ
う。
お前はそれを強大な力によって踏み潰そうと思っていたのだろう
が、残念だったな。
137
ここでは数値上の設定などよりも、物語上の設定が優先されるの
だ。
ゆえに、この魔王はお前と同等の力をもって生まれた。生まれて
からも研鑽につとめた。結果が、今ここにあるというわけだ﹂
﹁物語の設定だって。何故お前がそれを知っている﹂
﹁なぜか、か。たった今、それを説明したばかりだというのに。人
間は理解が遅いな。こう言ったではないか。
﹃この魔王はお前と同等の力をもって生まれた﹄、と﹂
自分の目が、勝手に見開かれてしまった。
あまりにも予想外の言葉だったからだ。この、私の目の前にいる
魔王は明らかに私の知っている魔王とは違う。存在そのものが違う。
強さの次元が違うという段階ではない。
138
28﹁宣戦﹂
﹁お前は伝承を忘れたのか。そしてこの伝承の中に真実がある、と
記したことも忘れたのか。
世界の憎しみから生まれるものがこの魔王であるとお前自身がそ
のように設定したのだぞ。ゆえに、お前と、﹃エギナ﹄の強い憎悪
からこの魔王が生まれ出でた。
サークルの者たちが共有していた世界観に基づいた、インナー・
スペースにおいてこの魔王は降臨したのだ。
そして伝承に基づいて、勇者がここに呼び込まれたというわけだ。
ここまではお前の頭でも理解できたか﹂
﹁いや、全くだ﹂
私は魔王の説明に首を振った。理解したいとはあまり思わなかっ
たが、かなり重要なことのようだ。
しかし魔王のほうでも喋りたくて仕方ないらしい。どうやら彼は、
自分の綿密な計画を誰かに話さずにはいられない性質か。いや、確
か誰かがそんな設定をしていた気がする。最終ボスが今までの事情
をベラベラ喋って説明してくれることへの理由付けとして。
﹁では、まず﹃この世界﹄が何なのかを知らねばなるまいな。
カリナ・カサハラ、お前が呼び込まれたこの世界は、無数にある
﹃世界﹄の一つだ。
まず、こうした世界は真に無数にあり、日々その数を増やし続け
ているということを理解してもらいたい。それこそ、お前たちのよ
うな暇をもてあました知的生物が少し頭の中で考えただけのような
舞台設定と物語が、﹃世界﹄として確立され続ける。創造されてい
るのだ。本人の全くあずかり知らぬところでな。
この﹃エギナ﹄の世界もそれと同じで、ここはサークルの仲間た
139
ちが共有して創造していたゲームに基づく世界であり、今まさにお
前がテストプレーをしようとしていたところ、の世界だったのだ﹂
﹁ほう﹂
無数の世界。それはさぞかし面白いことだ。
魔王の言っていることが本当だとしたら、某所に投稿されている
小説の世界だけでも240,000ほどが存在するということにな
る。各人の頭の中、手帳の隅、ともなればもう確かに無数としかい
えないほどの数になることだろう。
﹁世界はそれを想像したものがその世界に携わることをやめたとき
に、独立する。
全てがその世界に残された者たちのみで、動くようになってゆく
のだ。都合の良い逆転劇などよほどのことがなければ生じず、環境
問題も当然発生する。疫病も蔓延するだろう。
だから崩壊し、消えていくことが多い。想像した者が﹃設定して
いた﹄以外の都合よい補正はおきない。
そのままうまく世界が永続することもあるが、破綻して消滅する
世界も相当数ある。この魔王はそれを知っている﹂
﹁で、この世界も独立してしまったというわけか﹂
﹁そうだ。サークルの仲間全てがこの世界に携わることを放棄した
からだ。
お前が酒を食らっている間に、サークルのメンバーに連絡がいっ
て、その全てが﹃エギナ﹄の開発存続を諦めた。ゆえに、この世界
は独立を果たし、お前と﹃エギナ﹄自身の憎しみによって魔王がこ
こに生まれたのである。
憎しみが強いほど、また憎しみを抱いた者が偉大であればあるほ
ど、強大な魔王が生まれるとお前は記述していた。だからこの魔王
は実際、非常に強い。お前が見たとおりの力をもっている﹂
﹁むむ﹂
140
魔王は少し早口で、私は理解が追いつかなかった。適当に相槌を
うつ。
﹁お前自身の憎しみから生まれた私は、テストプレー途中で放置さ
れた﹃世界﹄へと飛び込む形になった。サークルメンバーの仲間た
ちが想像していたものと、彼らの共有していた世界観をベースにし
て、私は﹃エギナ﹄に関する世界を全て統合したのだ。
開発者であるお前の知らぬ設定が多数この世界に存在していたの
はそういう理由だ。この魔王が意図的にそうしてやったのだ。
わざわざ、勇者が非常に強いテストプレーの世界を選んだのも、
あえてのことだ﹂
﹁世界を統合だと。お前にそんな力があるようには見えないが﹂
﹁この世界が独立するよりも先に、お前と﹃エギナ﹄は強く憎しみ
を抱いたのだよ。身勝手に犯罪行為に走り、自分たちの力作を世に
出られなくしたあの男にな。
つまり、そのとき私は生まれ出でた。﹃エギナ﹄に想像された私
何を言ってる﹂
が、世界の独立に際して手出しできないとなぜ思う﹂
﹁何?
ますます理解が追いつかない。世界が独立するより早く魔王が生
まれた?
地球があるより早く人間がいたような感じである。理解などでき
ようはずがない。ではどうするか。思考を放棄、これである。
確かに魔王は研鑽を積んできたというとおりに非常に強いだろう。
だがパワーロッドとマジックドレインで倒せない相手ではないはず
だ。彼の言うことが本当であるとしたら、元々対等の力を持ってい
る、と言っていたから勝負にはなるだろう、多分。
私は異常な力をあふれさせている魔王に向けて、パワーロッドを
握り締める。
141
だが彼は、それを相手にしない。
﹁まあいい、一つだけ疑問を投げてやろうカリナ・カサハラ。どう
して私がテストプレーの世界をベースにして、お前をこの世界に呼
び込んだと思っている。
そんなことをしても、自分が不利になるだけだとは思わないのか
?﹂
﹁む、それはそうだな。お前もおろかな選択をした﹂
﹁魔王を倒したとき、どういうテロップがでるように設定したか忘
れたのか﹂
テロップ。
そうだ。倒したときには魔王との戦いを振り返るテロップが出る。
エンディングに突入する前に、だ。
その文面は、どうだったか。かなり記憶が薄れている。
﹁魔王の力は強大だったが、勇者はその力によく追随した。まさし
く激闘であり、鍛えた勇者の力も魔王を上回るには至らない。
だが、長き戦いの果てに勇者は魔王を討ち果たす。
つまり、勇者が強力であるなら当然、魔王もそれに見合うだけの
力をもつことになる﹂
﹁⋮⋮設定どおりにいくならお前は倒されるのだろう?﹂
﹁設定どおりならば、だ。繰り返しになるがこの世界は既に独立し
ているのだ。それに、物語の進行予定と﹃設定﹄は別のもの。
そもそもその﹃互角﹄であるという﹃設定﹄も、お前がここに来
たとき、既に消化されているのだ﹂
なるほど。なるほど。
魔王の言うことが本当だったとしたなら、生まれたときに私と魔
王は互角の力。そこに﹃設定﹄がはたらくことを見越してヤツはテ
142
ストプレーを始める途中だった世界をベースにしたのだ。
50レベルもあれば魔王を倒して世界を救えるようなこの世界で、
4000レベルを備える勇者と同等。魔王はこの力を手にするため
にこれを選んだのだろう。
﹁だが私もこの日まで無為に過ごしてきたわけではない。
武器と、魔法をもってお前を倒すために力をつけてきたつもりだ﹂
敵はあまりにも強い。恐ろしいほど強いが、私だってレベルカン
ストのテストプレーヤー様である。
魔王はこの世界に精通しているかもしれないが、開発者である私
にこの世界でどう立ち向かうつもりなのか、むしろ見せてもらいた
いくらいだ。
と、私は自分を奮い立たせる。
﹁声が震えているぞ、勇者。
貴様をこの場で粉砕し、この力で﹃エギナ﹄の世界をとこしえに
支配してやる。何、この魔王が世界のことはまかされてやる。
用済みの創造主よ、消え去るがいい﹂
﹁残念だが、私は勇者だったつもりはない﹂
﹁では、何様のつもりかな﹂
魔王は両腕に魔力を集中しながら、私に問いかけてくる。
パワーロッドを眼前に構えてブーツの底を踏みしめ、私は強く宣
言した。勇者でないなら、私が名乗るべき称号は一つしかない。
始まりの村を統治し、ヤフマーたちを脅して放逐したのは、紛れ
もなく。
﹁我が名は、霧の王!﹂
143
29﹁援軍﹂
カリナ・カサハラとしてなら、はっきり言って今まで自分が勇者
であるという自覚もなかったのだ。ゲーム内のキャラクターは使命
感に燃えていたかもしれないが、生憎この私はそういうこともない
のである。私が名乗るものは、勇者などという見覚えのないもので
はない。やはり、﹃霧の王﹄という称号しかあるまい。
とはいえ、その名のとおりに霧の魔法を展開しても、もはやムダ
だろう。この魔王に通用するとは思えない。
正面からぶつかって、正攻法で倒す以外には方法がなさそうだ。
パワーロッドが通用するかどうかはわからないので、まずは﹃エギ
ナ﹄での魔王に対応するのと同じように戦ってみるべきだろうか。
左手に魔法反射の﹃水面の魔法﹄を展開、右手に一点集中破壊の
﹃掘削の魔法﹄を準備する。魔王の攻撃を反射でしのぎつつ、隙を
みて一点集中攻撃を行うのだ。地味だが堅実な作戦だといえる。
するとどうだ、私の目の前にいる魔王も同じ構えをとったではな
いか。
ただし展開している魔法は違う。左手に﹃光盾の魔法﹄、右手に
﹃闇刀の魔法﹄。それぞれ文字の通り、光属性の防御魔法、闇属性
の攻撃魔法である。これは恐らく、勇者側の最強魔法がいずれも光
属性であることを考慮しているからだろう。光と闇はお互いに有効
となる属性であり、同じ属性への攻撃は半減する。
突撃してきたのは、魔王だ。14歳の女魔法使いなどよりも体格
で圧倒的に上回る魔王。素早い。
私は彼の攻撃を素早く左手の反射魔法で防ごうとするが、敵の攻
撃速度がありすぎてとても防御が間に合わない。後ろに下がって避
けるしかなかった。
初太刀をどうにか回避したものの、魔王はすぐさま追撃を見舞っ
てくる。これはもう防御など無理だ。
144
そこで私は悟った。
魔法使いである私は、高威力の魔法を極めることにばかり気をと
られていて、実際に敵と組み合うような戦術を殆ど磨いていない。
霧の魔法で惑わせ、そして背後から殴ることばかり考えていたため
だ。
レベルカンストによる高ステータスに慢心しきってもはや戦闘技
術など不要だと決め込んでいた、わけでもないのだが、実際こうし
て戦闘となるまでその重要性を完全に失念していた。どうにもなら
ない。
両手に纏っていた魔法を消し、私は気を集中する。攻撃力低下の
補助魔法を全力で展開したのだ。
おかげで、魔王の一撃を耐えることができた。耐えたというより
も、ほぼ無傷の状況にまで持ち込んでいる。
﹁む﹂
魔王が呻く。さすがにここまで劇的な変化があるとは想像してい
なかったのか。
いかに魔王といえども、攻撃力をここまで下げられては私の防御
障壁を突き破れないらしい。
あとはこのまま魔王の攻撃をしのぎつつ、反撃で削ればいいだろ
う。少しずつダメージを与えていけば恐らく勝利できると思われる。
しばらく魔王は私を散々に魔法で攻撃しまくったが、全く痛くは
なかった。魔法は全て防御障壁が防ぐし、物理攻撃も問題ない。
蚊でも刺したのかと思ったぞ、などと宣言しても問題ないくらい
のダメージである。そのくらいの余裕もあろうというものだ。
﹁デバフ呪文か﹂
攻撃力低下魔法は、どうやら魔王の防御を貫通して効力を発揮し
145
た。﹃エギナ﹄においてはこの補助魔法に対する抵抗力は設定され
ていないから、魔王にも有効である。しかしこの世界でもそうであ
るかは怪しかった。
だが、うまくいった!
魔王は補助魔法を使えないので、普通ならこれで勝負が決まって
いる。
﹁では援軍を呼ぼう。勇者⋮⋮いや霧の王、お前がこれにどう立ち
向かうか見物だな﹂
さっと魔王は手を挙げた。途端、その場に衝撃が走る。物理的な
衝撃だ。城全体が揺れた。
床が揺れて、倒れそうになる。誰かがこの城を破壊しようとして
いるかのようだが。
もしそうだとしても、その力は魔王に及ばないだろ
援軍というのは何だろうか。魔王が作り出した巨大なゴーレムな
どだろうか?
うから特に問題ないが。
やがて玉座の背にあった長大な壁面に亀裂が生じて、その部分が
剥がれ落ちていった。外の風景が丸見えだ。
そこから彼のいう、﹃援軍﹄が姿をみせる。その威容は、私をた
じろがせるに十分すぎた。知っている魔物だった。
﹁馬鹿なっ﹂
いかにもやられ役が言うような台詞が、私の口をついて出た。
﹁どうだ、霧の王。これもお前が﹃勇者と互角﹄と設定したものだ
ぞ。
倒さずにここに来たのは失敗だったのではないかな。これでもお
前は先ほどまでのように、余裕ぶっていられるか﹂
146
﹃援軍﹄は巨体だった。私はもとより、魔王よりもずっと大きい。
城の壁をほとんど崩落させてしまったその威容の正体は、魔竜だっ
た。
ドラゴンだ。竜だ。
﹃火山﹄ステージでのボスである竜が、魔王の城にいる。
この竜との対峙は前半の山場だ。盛り上げるためにBGMも専用
曲を用意したし、戦闘後は苦戦であったことをほのめかすテロップ
が流れる。
そうした設定が、全て今自分に跳ね返ってきているのだ。
﹁やってしまえ!﹂
魔王が命じると同時に、竜が火を吹く。ドラゴンブレス。
レベル4000の私の魔法にも匹敵するほどの強烈な炎がその場
を突き抜けた。私はどうにかそれを回避したが、まともに食らって
いればかなり危なかっただろう。もはやこれほどの炎は個人レベル
の防御障壁で防ぎきれるようなものではない。
﹁確かにそういう設定をした覚えがあるが﹂
誰だったか忘れたが、そんなことを言い出したスタッフがいたは
ずだ。
ドラゴンは本当に強いのでブレスを個人レベルの魔法防御などで
防ぐなんて愚の骨頂、と。ゲームでは、ドラゴンブレスは全て﹃回
避﹄するしかなくなっている。魔法使いも僧侶も例外なく、回避し
なければHPを軽く4桁ほど吹き飛ばす。レベル40近くまで上げ
ても軽く一撃で死ねる。
無論そうした攻撃なのできちんと画面表示の警告に従えば全て回
避できるようになっている。よそ見しながらのプレイでもない限り
147
はかわせるだろう。
しかしそれは﹃エギナ﹄での話だ。これはゲームではない。
さらに、そんな魔竜が魔王と同時に襲ってくるのだ。しかもこの
魔竜は﹃咆哮﹄をあげる。この咆哮は、﹃敵味方にかけられた全て
の補助魔法効果を解く﹄効果があるのだ。
私が危惧すると同時に、魔竜が大口を開いて強烈な鳴き声を発す
る。
耳が千切れ飛びそうなほどの音、魔力の飛散。全ての魔法効果が
剥がれ飛ぶ。
思わず耳を塞いだ私の全身を、魔王の魔法が強く打った。障壁を
突き破られはしなかったが、あまりの衝撃に私は吹き飛んだ。床を
転がり、地に伏せてしまう。
急いで立ち上がろうとするが、その手を魔王が踏みつけてくる。
ヤツは嫌味たらしい目でこちらを見下ろしながら、すでに勝った
ような調子でつまらないことを言った。
﹁さあ、霧の王。どうする。降参するかね。
月並みな言葉だが、お前が我が足元へ跪くのであれば、世界の半
分の権利をやってもよい。始まりの村の安寧も保障しよう﹂
ひどいやつだ。
私はちらりと魔竜に目をやって、彼がブレスを吐こうとしている
のを見た。魔王め。
下から魔王の顔を睨みあげ、私はキッパリ断ってやった。
﹁もう少しマシな嘘を吐くんだな、魔王。私と同等の力を持ってき
た癖に、私のような子供一人も騙せないのか。
昨今の性犯罪者だっても少しまともな言い訳を考えるもんだ。魔
王はそれ以下だな﹂
148
消えろ﹂
ニヤリと笑ってやると、魔王が激昂して私の手を強く踏みにじる。
﹁愚か者が!
同時に、魔竜に合図を送る魔王。狙いすましたように竜がこちら
に口を向け、大きく開いた。完全にブレスを吐く構えだ。
回避しなければならないが、魔王に手を踏まれているために動け
ない。
万事休す、か。耐性無効でHPを4桁吹き飛ばすドラゴンブレス。
﹃魔力のローブ﹄は店売りの中ではの魔法防御力を誇る防具だが、
この炎の息の前には無力だろう。一瞬で消し炭になる。
私のHPがどのくらいあるのかは正確にわからないが、﹃個人レ
ベルの防御障壁で防げない﹄という設定が優先されているとしたら、
どう考えても防げまい。終わりだ。
魔王の攻撃を待つまでもなく、ブレスを受ければ私は消え去る。
﹁くっ!﹂
私は踏まれていない手を伸ばして、竜に向ける。全力での防御障
壁を展開する。
﹃エギナ﹄における、魔法使いの行える﹃防御﹄だ。全魔力を注
ぎ込んだ防御。踏まれている手はマジックドレインを撃つ。勿論魔
王に向けてだ。
﹁おぉ﹂
魔王がわずかに呻く。直接相手の体にマジックドレインを撃ちこ
み、強引に魔力を奪い続ける。レベル4000相応の魔王だ。魔力
もほぼ無尽蔵に持っているだろう。それを根こそぎ奪ってやる。
149
そして奪った魔力をそのまま、﹃防御﹄につぎ込む。これで個人
レベルの防御ではなくなったはずだ。
不本意だろうが、魔王の魔力も奪って障壁の形成をさせているの
だから、二人分の防御になっているだろう。これなら防ぎ得るかも
しれない。
そのような楽観的なことを考えた瞬間、魔竜がブレスを吹き付け
てくる。
石材が融解しそうなほどの熱風がその場を突き抜けた。
ほんの数秒ももたず、私が展開していた防御障壁は吹き飛ばされ
た。魔竜の力は伊達ではない。
障壁が飛んだ瞬間、私は思考する間もなく消し炭になるはずだっ
た。
だが、死なずにすんだ。魔王が巻き込まれることを恐れて、魔竜
に手加減をさせたのだろうかと思ったが、違う。
援軍が来たのだ。それも、全く予想しなかった援軍が。
﹁カリナ、無事ですか﹂
この場に全く不似合いな、ヒラヒラとしたエプロンドレスを纏っ
た女。
メイドだった。
150
30﹁離別﹂
メイドが魔王の本拠にやってきてしまった。
ドラゴンブレスを防ぎきるほどの、それほどの力をもって。一体
どうしたことなのだろうか。どうしてこんなことがあるのだろうか?
﹁来て正解だったようですね。あなたが死んでは、ターナが悲しむ
でしょう﹂
﹁え、ええ。そうですね﹂
メイドには敬語で答えつつ、私は驚愕の目で彼女を見た。
一体何故、彼女はこれほどの力を得たのだろうか。いや、そうだ。
そういえば、全くそうなのだ。
先ほどの魔王の言ったことでは、説明のつかない事象がまだ一つ
あった。
このメイドだ。
魔王と勇者が異常な強さを持っているのはわかる。魔竜も匹敵す
る強さを持っているというのもまあ理解できる話だ。
だが、このメイドはどうだ。
まるで説明できない強さを持っている。それも、﹃エギナ﹄の本
筋に全くかかわっていないキャラだというのに。それなのに、どう
して﹃霧の魔法﹄を見破るほどに強く、またそこらのごろつきが束
になっても敵わないほどの実力を持っているのだろうか。
﹁ふむ、そちらにも援軍か﹂
魔王は私から離れて、何か宝玉を砕いている。
恐らく奪われた魔力の回復をしているのだろう。マジックドレイ
151
ンでだいぶ吸い取ったはずなので、魔力の回復は必要だろう。
﹁しかし、あなたはどうしてここに。孤児院や村のことで忙しいの
では﹂
﹁ターナがあなたを心配して、手伝いにいけとうるさいので。私と
しても、あなたが死んでは大変困りますから﹂
﹁収入のことを心配しているのですか?﹂
﹁心外ですね﹂
メイドは小さなナイフを弄びながら、わざとらしい表情でそんな
ことを口にした。
彼女は構えをとり、油断なく魔竜に目をやる。そうして、小さな
声でささやく。
﹁勿論あなたには色々と感謝をしていますが、それを別にしても。
あなたのことが、すきなのですよ。
そもそも、主人の危機にかけつけるのは当然のことではありませ
んか。メイドとして﹂
﹁メイドとして?﹂
﹁私はメイドです。それ以外であるつもりはないのです﹂
それはなんというか、立派な職業意識という他ない。
魔王は本来ありえない、勇者側の味方キャラの出現にやや狼狽し
ているようにみえる。いや狼狽というよりは、戸惑っているという
ほうが適切か。魔竜と自分で粉砕する予定が狂ってしまっているの
だろう。
だがそこはさすがに魔王。すぐに冷静さを取り戻したのか、こち
らに話しかけてきた。
﹁この一大決戦に参加しようという勇気は褒め称えよう、女。
152
それに敬意を表してお前の名を聞いておこうではないか。すぐに
散る命だとしても、墓標に名くらい欲しいであろう﹂
﹁なんと、私の名前ですか﹂
問われたメイドはすらりとした綺麗な仕草で、大仰に驚いたよう
にみせている。芝居がかかっている。
だが、結局彼女は名乗らない。
﹁私に名乗る名前などありませんね。私は、ただのメイドですから﹂
﹁ほう﹂
魔王は淡々と頷きを返しているが、墓標に刻む名をどうするか考
えているのか。
しかし、メイド。ここまできてすら名前を名乗らないとは。なん
というか、﹃エギナ﹄にこんなキャラを設定した覚えは本当にない。
彼女の経歴を確認するときに名前は判明している。花の名前から
つけられた凡庸な名前であって、恥ずかしいようなものでもなんで
もない。だが名乗らない。本当に必要であるとき以外は名乗らない
のだ。
⋮⋮まさかバグキャラか?
どこかに名無しのバグキャラのデータみたいなゴミがたまってい
たのだろうか。魔王が世界を統合するときに、そのゴミデータがメ
イドとして練成されたという可能性はある。
﹁しかしただの侍女にしては、戦いの心得があるようだな。随分場
慣れしているではないか。
高名な冒険者ではないかな。その可能性は低かろうが、名乗って
みよ。この魔王の記憶にある名かもしれぬ。
多少はたじろがせられるかもしれぬぞ﹂
﹁そうおっしゃられても、ただのメイドですから。戦いに慣れてい
153
るのも、メイドだからです。
魔王、あなたはメイドについてどうやらご存じない。
メイドとは家の一切を取り仕切って主人を守り抜く存在。護衛で
あり給仕であり、洗濯から夜伽まで主人を世話する、最も気高い職
業です。
そのためには力が必要であり、落ち着きが必要であり、知識が必
要でしょう。
そもそも、主人より強くなくて、どうして主人が守れますか﹂
メイドはさも当然だといわんばかりにそうした説明を飛ばした。
侍女など卑しい職ではないか。下女だ。召使だ。
途端、魔王が激昂する。彼はどうやら怒りの沸点が低いらしい。
﹁馬鹿をいえ!
そんな職をどうしてそのように誇れる。第一、おまえ自身の強さ
の説明になっておらぬ﹂
しかし、言っていることは全くそのとおりだった。普通ならそう
なのだ。
だが私はそれで少し思い当たるところがあった。
魔王の言っていることは、かつての私の考えと同じだったからだ。
つまり、﹃エギナ﹄には職業が追加パッチで実装される﹃予定﹄
があったのだ。そのうちの一つが﹃メイド﹄である。
発売されていない同人ゲームに追加パッチの予定。私たちはそれ
だけこのゲームに期待をかけていたということなのだが、当然なが
ら全く形になってはいない。全ては企画段階という次元の出来事だ。
だがそれでも﹃メイド﹄という職業が勇者になりうるということ
はすでに﹃設定﹄されていることだったのかもしれない。
そして今メイドが口にしたことは全て、﹃メイド﹄を職業として
追加することを猛烈に主張したスタッフの言葉そのままなのだった。
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さらにはそれに対する魔王の言葉、これが彼に返した私の言葉に
そっくりそのまま。あまりにも、同じすぎる。すっかり忘れていた
昔のことを、そのせいで思い出してしまった。
最終的には私の方が熱意に負けて、追加パッチはどうせお遊び要
素を入れるからということで彼の設定をそのまま採用することにな
ったのである。
企画段階でもあるし、後でどうにもでなるというもくろみもあっ
たのだが。
だが!
﹁カリナ、魔竜は私が引き受けます。あなたは彼と雌雄を決するの
です﹂
﹃主人より強くなくてはならない﹄というのがメイドの﹃設定﹄
として作用しているのだろうか。私は凛とした目を向けてくるメイ
ドに頷きを返しながらそんなことを考えてしまった。
9年前にウィナンに仕えていた頃も大した力だったのに。いまや
彼女は、この﹃霧の王﹄に仕えているわけだ。
﹃設定﹄がはたらいているのなら、まさかメイドは私より強いの
だろうか。いや、この問題は考えるだけ危険だ。メイド自身が9年
の間に研鑽を積んで設定どおりにしようと頑張ったと考えておくほ
うが精神衛生上よさそうだった。
﹁うん﹂
ともあれ、メイドは魔竜に立ち向かっていく。ナイフ一本で。
ちらりと見えたが、あのナイフもかなり上等な魔法付加がされて
いる超高級品だ。盗賊の最強装備に匹敵するような品であることは
間違いない。
おお、メイド。
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なんと恐ろしい。
だが私にはあまり人のことを心配している余裕はなさそうだ。目
の前には、私と同等の力を持った挙句、14年間研鑽し続けた魔王
がいるのだから。
﹁ふむ、メイドとは謎に満ちた職業だったのだな。さて、それに引
き換え﹃霧の王﹄、魔法使いとはわかりやすいものだ﹂
彼はようやく自身を取り戻したらしい。私に冷静な目を向けてく
る。
﹁ああそうだな、﹃魔王﹄という職業には負けるがね﹂
私も軽口で答えて、右手にパワーロッドを構えた。左手にはマジ
ックドレインの魔法を練り上げ、魔王と対峙する。
もう邪魔は入るまい。メイドが魔竜をおさえつづける限り一対一。
だが、魔王はそう考えていないらしい。すきあらば、魔竜にドラ
ゴンブレスを吹かせて勝負を決する気だ。ちらりと竜に目をやって
いる。
そこに、私は勝機を見出せる。滅ぶがいい、魔王。
用済みの創造主というのは、お前のほうだということを思い知ら
せてやる。
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31﹁戦術、戦略﹂
メイドと魔竜が戦っている限り、私と魔王のタイマン勝負。邪魔
が入らないと思っていたらそれは間違いである。
真に一対一であるのなら私の補助魔法が効く限り魔王に勝ち目な
どない。だから、魔王としては魔竜に﹃咆哮﹄を使わせていくこと
になるだろう。さらには、私にスキがあるようならばドラゴンブレ
スに巻き込んで一気に勝負を決めるつもりであるに違いなかった。
つまり、タイマンではなく二対二である。そのことを念頭におい
ておかなければならない。
私も魔王も、メイドもそのことは承知しているはずだ。とはいえ、
目の前の敵にまずは集中する。
私は勇者ではない。ゆえに、正面から戦って魔王を倒そうなんて
ことにはこだわらないのである。
現に先ほどそうして失敗したのだから、同じことを繰り返すつも
りはない。
魔王は私に向かって飛び掛ってきているが、さすがにその速度も
迫力も、そこらのごろつきとはワケが違う。これに立ち向かうとし
たなら攻撃力低下の魔法を絡めて反撃を狙うのがスジだろう。しか
しそれは魔王も読んでいるはずである。
だから、正攻法はナシだ。私は霧の王なのだから、﹃霧の魔法﹄
を使う。
ほぼ全ての外壁を破壊され、床のみがむき出しになった魔王の城。
そこはほぼ一瞬のうちに霧に包まれてしまった。
﹁こんなものが今更通用すると思っているのか﹂
﹁ああ、思ってる﹂
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魔王の質問に答えてやりながら、私はさらに周囲の霧を濃くして
いく。
かまわず、魔王は私に向かってくる。狙いもはずさない。魔法で
練られた彼の剣が、私を貫く。
﹁む﹂
だが彼の攻撃は私の体をすり抜けてしまう。当然だろう、それは
霧なのだ。
霧でつくった幻の私。影武者だった。
﹁残像だ、愚か者め﹂
敵の視界全てを奪うことはできなくとも、この霧の王が集中して
練り上げればこのくらいのことはできる。器用さ最大をなめてはい
けないのだ。
両手で握ったパワーロッドを振りかぶって、私は勢い余る魔王の
背後に回り込む。そのまま、渾身の力を込めて彼の背中を打った。
﹁けりゃあ!﹂
気合と共にバットスイングで打ち抜く。ばきばきと何かが折れる
音が響き、魔王は血反吐を噴出しながら吹き飛んだ。
すでに魔竜によって壁が取り払われているので、彼は勢いよく飛
んでいき、私の視界から消える。
霧の魔法を展開すると見せかけ、自分の偽物をつくるという。
言葉にしてみればチンケな作戦であるが、霧でつくったにしては
かなり上等な出来だったから魔王が騙されるのも無理はなかろう。
﹃霧の魔法﹄は常々使っていたのでこうしたこともできるが、魔王
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からしてみれば予想できまい。
﹁ふう﹂
これで終わったか、と。私は軽く息を吐く。
﹁甘く見られたな﹂
しかしそんな声が聞こえる。魔王はすぐに這い上がってきたらし
い。
さすがにレベル4000の魔王ともなれば、一撃では死なないか。
﹃エギナ﹄では魔王の城にいるガーディアンでさえ一撃で粉砕でき
るほどの攻撃力があるはずだが。
﹁まあ、不意を突かれたことは認めるがね。鎧が砕けたよ。さすが
といえる。
だが、この魔王も一撃で倒されるような無様はとらん。今度はこ
ちらの番だ﹂
﹁おいでなさい、どこからなりと﹂
魔王の言葉に、私は笑って応じた。
余裕はない。実のところ、私はそれほどの余裕を感じていない。
正面から戦うのならほぼ確実に負ける。補助魔法はドラゴンが﹃咆
哮﹄で解除してくる。笑って勝てるほど、有利とはいえない。
だからこそ、先ほどの不意打ちには全力を込めた。できる限りの
魔力をパワーロッドにつぎ込んで振りぬいた。
しかしながら魔王は生きていたのだから、これは不利だ。そうそ
う何度も魔王の裏をかくことはできないだろう。そのうち、ドラゴ
ンブレスを食らって私が消し炭になることも十分考えられるし、魔
王が補助魔法への対策を工夫し、彼の魔法によって私が真っ二つに
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なるということも予想される。
だが、ここは笑っておく。死への恐怖など感じているヒマもない。
私は﹃霧の王﹄である。真正面から敵の攻撃を受け、叩き合い、
泥臭く戦う必要などない。相手を煙にまいて、おちょくり、搦め手
をついて翻弄する。それでこそ魔法使いであり、﹃霧の王﹄らしい
戦い方だ。そうするべきだった。そうしなければ勝てない。
﹁世界の支配者になろうとする男が、こんな小さな女の子一人に雄
叫びを上げ、歯を剥いて飛び掛って恥ずかしくないというのなら﹂
挑発した。魔王を怒らせる。
どうも冷静さを装っているが、奴の沸点は低い。ここは徹底的に
おちょくっておくべきだった。
口を動かすだけで相手の思考能力を奪えるのなら実に安い。魔力
の消費もなくできる、最善の手であろう。
﹁霧の王め、貴様はよほど黒焦げにされたいらしいな!﹂
魔王が大声を上げ、私に向けて魔法を放とうとする。雷を放出す
る魔法のようだが、それが放たれる一瞬前に私が魔王を指差す。
私が放ったのは、準備段階にある魔法を打ち消す﹃ブレイクスペ
ル﹄だ。敵の大型魔法を打ち砕く、補助魔法の一つである。頭に血
が上った魔王の行動は実に短絡的で、簡単に読める。
﹁まあそう怒るな魔王。マントがゆれるのが気に障ったのか?
これはすまないことだ、自分で﹃魔王﹄と名乗るような奴が、ま
さか牛のような習性をお持ちとは思わなかったから﹂
﹁貴様ッ!﹂
落ち着きも忘れて、魔王が飛び掛ってきた。今度は霧の魔法を見
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破ってきている。正しく私のところへ向かっている、間違いなく。
さすがに同じ手に二度も引っかかるような魔王ではないらしい。
攻撃力低下の魔法を受けているはずだが、例によって魔竜が﹃咆哮﹄
をあげようとしている。
魔法効果を消すと同時に、私をよろめかせる効果がある。﹃咆哮﹄
を食らった直後に魔王の攻撃を受けるのはまずい。
かといって、こちらから魔王を攻撃しても恐らくムダだろう。彼
の纏う防御障壁はかなり分厚い。火の魔法で焼き尽くそうとしても、
氷の魔法で凍結させようとしても、彼には大した効果を及ぼさない
だろう。﹃エギナ﹄のようにノックバックするするとも思えない。
魔王も私が今考えたようなことは、すでに予想しているはずだ。
彼は自信家らしいので余計だろう。
だが、彼に魔竜がいるように私にもメイドがいる。ちらりと目を
やると、彼女もこちらを見ていた。目が合い、それだけでお互いの
役目を了解しあう。
メイドが魔竜の﹃咆哮﹄を阻止するだろう。
しかし魔王は魔竜へ合図を送ろうとしている、その時間差。これ
を利用して私は魔王へ接近、パワーロッドを両手持ち。二度目のフ
ルスイングを見舞う。
魔王が驚愕しているが、知ったことではない。﹃咆哮﹄さえ阻止
すれば奴がいくら魔法を使おうとも無意味だ。攻撃力低下の魔法は
そう簡単には解けない。
咄嗟に両腕で防御する魔王だが、パワーロッドはその両腕を完全
に砕いた。血飛沫が上がる。当たり前だが実にリアルだ。リアル志
くそ、何をしている竜め!﹂
向を売りにしたサークルの前作でさえこれほどではなかった。
﹁ぐはっ!
﹁竜はメイドと遊んでいるよ﹂
﹁ぐう、ならば﹂
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魔王は両腕を治しながら下がる。﹃エギナ﹄では回復魔法など使
わない魔王だが、どうやら時間経過で自動的に体力が回復する仕様
を強化しているようだ。本来なら20分ほど放置しなければ完全に
回復しないのだが、レベルがあがったことで回復力も強化されてい
るらしい。
となると、面倒なことだ。魔王を殺すにはパワーロッドで滅多打
ちにするか、ひたすらマジックドレインを繰り返して致命的なダメ
ージを与えるしかないだだろう。
彼を殺す手段を考えていると、敵は何か魔法を使った。ブレイク
スペルで消してやろうとも思ったが、簡単な魔法だったらしく準備
時間が短い。消すヒマがなかった。
攻撃魔法ではない。彼が使ったのは、幻惑魔法の一つ。形態模写。
﹁随分かわいい姿になったな、魔王。むさくるしい男の姿よりずっ
といい。
これから、とこしえにそれでいたらどうだ。さっきの姿よりよほ
ど人心を集めるぞ﹂
思わず私はそんなことをいってしまう。
魔王は、私とそっくり同じ姿に変わったのである。
﹁お前ならこのくらいの幻惑は見分けられただろうが、そっちのメ
イドはどうだろうな!﹂
なるほど、そういう狙いか。
確かにメイドは霧の魔法を見破れないだろう。レベル4000の
魔王が練ったものともなれば余計だ。
よく見ればわかるかもしれないが、咄嗟の判断はしづらくなる。
先ほどのようなアイコンタクトをしたとしても、本当に信頼してい
いのかという迷いがメイドに生じれば、そこで破綻するわけだ。
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﹁いくぞ﹂
さらには魔王も、パワーロッドに似た武器をどこからか取り出す。
魔力で形成した武器か、あるいは似た形状のものを武器庫から呼び
出したのか。
だが、左手には魔法を練っている。素早く打ち出す。
ブレイクスペルを警戒しているのか、打ち消されにくい魔法ばか
りを打ち込んできている。
補助魔法がかかっているため大した影響はないのだが、その中で
も最大体力への割合でダメージを与えたり、状態異常を与えたりす
るような魔法を選んでいるあたりは魔王も考えなしとはいえない。
大した影響はないが。
﹁ふん﹂
私もパワーロッドを振り回してみるが、魔王には当たらない。や
はり戦術においては奴に分があるだろう。
魔竜に関してはメイドが﹃咆哮﹄を抑えるように動いてくれてい
るはずだが楽観してはいられない。永久におさえておけるわけでは
ないだろうし、うまいタイミングでそれが決まれば終わりだ。
そういうことを、魔王も考えているに決まっている。
決まっている。だからこそ、その行動を読める。読めているのに、
仕留め切れない。早期決着が望ましいのに、ズルズルと引き延ばさ
れている。
決定的な一撃を奴に叩き込む一瞬、好機。待つしかない。
手はある。最初からその手しかないと睨んでいる。
﹁何をたくらんでいる、魔王。お前はこのまま無為な攻撃を繰り返
すしかない。
163
いずれメイドが魔竜を倒し、お前は打つ手を無くす﹂
﹁ふん、そううまくいくと思うなよ﹂
私の言葉に、忌々しそうに返してくる魔王。
相手の行動が読めている上で、狙っていることがある、というこ
とを隠すための言葉だが。魔王は自分の企みに精一杯のようだ。こ
ういう奴が魔王なのだから、仮に勇者が敗れたところで魔王の治世
は長く続かなかっただろうなと余計な心配をしてしまう。
164
32﹁結末﹂
やるべきことは決まっている。ただ、魔王を倒す以上、私も無傷
というわけにはいかない。
策が成ればいいが、もしも失敗したなら無様な骸をさらすのは私
のほうになるだろう。何事もリスクなしで成果だけ得ようというよ
うな、都合のいいことはない。
だが、それでもこの作戦しかあるまい。戦いが長引けばそれだけ
面倒だし、戦術に上回る魔王がどんな卑劣な手を思いつくか知れた
ものではない。
魔王が手に握っているパワーロッドもどきが、私の手にあるもの
と同一性能である可能性はない。これはパワーロッドが始まりの村
以外では売っていないという﹃設定﹄があるからだ。したがってあ
れで殴られても問題はない。魔王の攻撃力はとことんまで低下させ
ているのだし、その心配は無用だろう。
だが魔王の攻撃は次第に面倒なものになってきつつある。彼の使
う魔法はこちらに状態異常を起こさせるものになり、対処が面倒だ
った。まちがって麻痺でも食らえばしばらく動けなくなってしまう。
麻痺耐性のある装備もつけているのだが、かなりボロボロになって
いるのでそうした効果がまだ残っているのかは怪しい。そうしたと
ころに魔王も気がついてきたのだろう。
彼の狙いは、こちらを行動不能にしておいて、補助魔法の効果が
切れた瞬間に最大出力の魔法を見舞うというものだろう。そうしな
がら、魔竜の横槍を入れる機会もうかがっている。まあこちらも似
たようなことを考えてはいるので、お互い様だろう。
まあ私はただ機会を待つだけということはしないのだが。
魔王が魔竜とメイドの様子を見ている。メイドは素早い身のこな
しで魔竜を翻弄していた。いつまでもその動きが残せるとは思えな
い。疲労がたまれば、いずれ魔竜にとらえられることは明白だった。
165
普通なら。
息を切らしながら飛び回って魔竜の体にナイフを突き立てていた
メイドに、魔王が魔法を放った。私に放ったと見せかけておいて、
メイドを狙った実に狡猾な一手である。メイドはこれを回避できず
に受けてしまい、動きが鈍る。魔法自体のダメージは大したもので
はなさそうだが、退避の遅れた彼女は竜の爪に引っかかれてしまっ
た。
﹁うっ﹂
小さく呻いて、足をもつれさせるメイド。彼女は、よろめいて尻
餅をついてしまった。
魔竜は即座に口を開き、ドラゴンブレスでメイドを焼き尽くそう
としている。﹃エギナ﹄の仕様に従うならブレスは発射に少々の時
間がかかる。
﹁しまった﹂
私は彼女を助けるために、走り出す。私の足なら十分間に合うは
ずだ。
だが魔王も同時にメイドに向かって突っ込む。メイドを混乱させ、
あわよくば自分の手でトドメを刺したかったからだろう。今の魔王
は、私と寸分たがわぬ、同じ姿をしているのだ。
二人の私が並走。目の前にはドラゴンブレスを吐こうとしている
魔竜。
⋮⋮きた。この状況こそ、私が望んでいたものだ。
理想どおりとはいかないが、これ以上の状況を望むこともできま
い。
ここで魔王が近づかず、遠くからドラゴンブレスを吐く魔竜を見
守っていたのならまだ決着はつかなかったはずだ。だが、魔王が私
166
の姿をとっているのであれば、ここでメイドに近づく以外の選択肢
はない。
わざわざ私の姿をとってみせたということは、魔王もメイドに脅
威を感じているということなのだ。だからこそ、ここで近づく。メ
イドが倒れているのを、演技であるかもしれないと疑っている。ゆ
えに、彼女の行動の自由を奪うために近づいて処分しようとするの
だ。
魔王のほうが足が速い。メイドに先に近づいたのは、魔王だった。
だが。
それが最大の失敗なのだ、魔王!
私は力強く叫んだ。
﹁ガーネット!﹂
ただ、その一言だけでよかった。
瞬間、メイドは手にしていたダガーを魔王に振り下ろす。メイド
に手を伸ばしていた魔王は、それをあっけなく食らった。
振り下ろされたダガーは魔王の右腕を貫通し、彼を床に縫いつけ
てしまう。
﹁がっ?!﹂
あわててそれを引き剥がそうとする魔王だが、残念ながらそれを
待つほど私も優しくはない。彼の隣を通り過ぎて、私はメイドの体
を引っつかんでその場から横っ飛びにして逃げる。
逃げ際に、魔王の体を蹴りつけてやった。パワーロッドではない
ので大したダメージでもないだろうが、最後の一撃だ。お別れの。
同時に、ドラゴンブレスが放出された。一度警告されれば、ドラ
167
ゴンブレスが途中で止まることはない。
つまりこの攻撃は準備に入ったが最後、途中で止めることができ
ない。たとえ攻撃範囲内に誰が飛び込んでこようとも。
それが魔王であろうとも。
ドラゴンブレスが魔王を焼いていった。彼は慌てて停止命令を出
したようだが、無意味だ。
彼は消え去ってしまった。
私は少し離れた位置で、メイドを抱きかかえたままその様子を目
の当たりにした。自分そっくりの姿をした魔王の表皮が剥げとび、
手足がちぎれ、炭化し、消えていくさまを見届ける。
それこそ、断末魔というものさえなかった。名残など全くない。
消えてしまったのだ。
焦げるほどに熱せられた石畳がそこに残り、元が何だったのかも
よくわからない焦げカスが煙をゆらゆらとあげているのが見えるだ
けだ。
メイドは私に抱えられたままで小さく笑った。
﹁見事です、カリナ。実にうまくいきましたね﹂
﹁妙にあっけない気がするけれど﹂
どうやらメイドは既にミッションを達成したつもりでいるが、私
は不安を残している。
魔竜については心配要らない。奴は魔王によって操られていたに
過ぎず、自動的に洗脳は解けているはずだ。実際、魔竜の攻撃はす
でに止んでいる。
だが魔王。最後の敵であるはずの、彼が何も言わずに消えてしま
ったことは不安だ。魔王の体力がゼロになればエンディングに突入
するわけだが、その際にも彼はべらべらと説明台詞をしゃべりまく
168
る。
それがなかったということは、ドラゴンブレスで彼が消滅したこ
との証ともいえるだろう。しかし魔王ともあろう者がこれで終わり
とは思えない。
と思っていたら、案の定。
何かが発動した。崩落したはずの壁が、せりあがる。
﹁なんですか、これは﹂
メイドが周囲を見回し、警戒を強める。魔力による障壁が、突然
出現していたのだ。
城を包むように、鈍く光る壁ができあがっている。どこにも出入
り口はなさそうで、また破壊するのも骨が折れそうだ。
魔王の城から出られないように、閉じ込められたといえる。
﹁魔王が死んだとき、こうなるように仕掛けていたのかもしれない。
冗談がきついで
万一自分が敗れた場合でも、意地でも私たちを生かして帰さない
というつもりで﹂
﹁カリナ、あなたの魔法で壊せないのですか﹂
﹁ドラゴンブレスで壊せないものを私の魔法で?
す﹂
一緒に閉じ込められた魔竜が障壁を破壊しようとドラゴンブレス
を吐いているが、障壁はそれを受け付けていない。ブレスは素通り
している。
どうやら魔力は通して、生物は通さないという選択型の障壁であ
るらしい。ともなれば、魔法で破壊するのは不可能だ。
ただ、この手の障壁は魔力の消耗が激しい。魔王の死後に発動す
ると仕掛けてあったとしても、どれほどの魔力を蓄えてあったか知
らないが、おそらくせいぜい数分程度しかもたないはずだ。
169
ということは、そういうことだろう。
﹁メイド、あなたは魔竜に乗ってそこで待っていてください﹂
﹁どうかしましたか﹂
﹁数分以内に、恐らく何かが起こります。魔王はこの障壁内にいる
もの全てを殺傷する仕掛けをつくっていると思われますから﹂
﹁ああ、まあそうでしょうね。ではお任せします﹂
この事態を大体予想していたのか、メイドは大して驚きもしなか
った。私の言葉に従って、魔竜に乗る。
魔竜は障壁を破壊しようともがいてはいたが、私たちを害しよう
とはしない。まあ大人しいといえる。元々人に危害を加えるような
存在ではないのだ。
しかしメイドに任された私はそんなに悠長にはしていられない。
魔王の城を探し回らなければならないだろう。時間がないので壁は
全て魔法とパワーロッドで破壊し、怪しい部分を目指して突き進む。
直進だ。
魔力の流れから、それがあることはすぐに知れた。爆薬だ。
ただし火薬によるものではなく、魔力によるもの。魔王の魔力が
限度まで詰め込まれた魔力コアがいくつも重ねられ、起動寸前の状
態になっているそれを、私はすぐに見つけ出した。
拳ほどの大きさのある、水晶のような透明な塊。それがいくつも
いくつも、積みあがって部屋の中央に安置されている。
地下深くに鎮座していたそれに対し、躊躇なく魔法をぶちかます。
誘爆を避けるために凍結魔法で反応の停止を狙った。
だが、どうやら通用していない。この魔力コアたちもかなり強力
に保護されているようだ。
おお、しかもかなり頑健な障壁に守られている。外にある障壁と
は逆に、魔力だけを完全に遮断する障壁で守られている。これでは
170
魔法で障壁ごとコアを破壊するということができない。
﹁くそ!﹂
多少の被害は覚悟で、コアを打ち砕くしかないらしい。
今の状況で、私に頼れるのはこのパワーロッド。全魔力を込めて
でも、コアを破壊するしかなかった。
どう考えても、この魔力コアは魔王が魔王であるために貯めこん
だ奴の全財産だ。
そのまま砕けば近くにいるものの魔力を回復させる宝玉として以
上の役目を持たないのだが、ここに置かれたコアはまずい。限界近
くまで魔力を込められている。魔王の死によって何らかのスイッチ
が入ったらしく、このまま時を待っていれば魔力が全て自動的に﹃
魔法﹄に変換され、大地を消し飛ばすだろう。
魔王が私を倒していれば、彼はここにあるコアを魔力回復剤とし
て、あるいは魔物たちを生み出す糧として使っていく予定だったの
だろう。
しかし彼はドラゴンブレスで消し飛ばされてしまったため、用済
みになったわけだ。これを利用して、自分のカタキである私たちと、
周辺の大地を丸ごと消し飛ばすということらしい。
魔王の力から考えると、これほどの魔力コアがあればおそらくこ
の﹃エギナ﹄の舞台世界は丸ごと消え去るだろう。始まりの村はも
とより、ターナのいた牢獄も、北の町も。ややもすれば、壊滅的な
環境被害も予見される。
そうした諸々の事情を考えても、私がここでコアを砕くしかない。
パワーロッドが頼りだ。最後の武器だ。
問題は、このパワーロッド一発で障壁を貫いてコアを砕けるか。
それだけだ。私の魔力が勝つか、魔王の障壁が勝つか。
魔竜を連れてきてドラゴンブレスを吹かせれば決まるかもしれな
いが、それを待つ時間はなさそうだ。コアがいくらか輝き始めてい
171
る。
思い切り振りかぶったロッドを、コアに向けて振り下ろした。
一発、全力を込めた。だが、障壁に阻まれる。コアにはヒビこそ
入ったが、破壊には至らない。これだけ全力で叩いて、一つにヒビ
が入っただけとは。
だが、無情にもそのヒビがかえって爆破を促進したらしい。コア
の輝きがますますもって強くなる。これ以上は時間をかけられない。
私たちだけが消え去るのなら相討ちとはいえ世界を守ったことに
なるが、爆発を許してしまったら、始まりの村や北の町も全てが消
し飛んでしまう。ターナも助からないだろう。
この一撃で決めるしかない。やるしかない。
真面目にやるしかないが、気合をこめすぎるのはかえっていけな
い。
﹁我が名は、霧の王。魔王の残滓にとどめをさす!﹂
私は霧の王だ。敵の不意をついて、結果だけをもぎとる。
力任せに振り下ろす必要などない。私にはパワーロッドがあるの
だから。力むのではなく、全魔力を、それこそ全てをこめればいい
のだ。
限界を超えてもいい。ロッドが砕けてもいい、これ以上戦う敵は
いないのだから。
魔法が使えなくなってもいい、もう魔王は倒しているのだから。
とにかく、今この一撃に全てを!
﹁くらえっ!﹂
込めすぎた魔力ゆえに、パワーロッドに亀裂が走った。だが、コ
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アを打ち砕く瞬間までもてばそれで問題ない。
私はそれを、積みあがったコアに振り下ろしてやった。巨大な鉄
球でもぶつけたような衝撃が響き、コアが一つ残らず砕けるさまを
見て、そして私は意識を失ってしまった。
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33﹁やり直された結末﹂
魔力が枯渇した、のかもしれない。
今一時にこそ全てを傾けなければと思った結果、本当に全ての魔
力をパワーロッドに吸い取られたのだろうか。あるいは限度を越え
たその魔力の浪費が、私に精神ダメージを与えたのかもしれない。
もはや知るすべはない。ともあれ私の意識は闇に落ちた。
次に私の意識が浮上したのは、おそらくとてつもなく長い時間が
経過してからだ。なんとなくそういう感じがする。
ぼんやりとしたところに、漂う私の思考はあまりまとまらない。
目を開いたつもりだが、視界は真っ暗で何も見えない有様。どう
にもならない。
やはりそれも魔力の使いすぎが原因なのだろうか。やりすぎた、
あまりにも使いすぎた。ゆえに、私は誰に魔力を吸い取られる手間
をもとらず、自分自身に精神ダメージをかけてしまって力尽きたの
だろう。
魔力の使いすぎで、倒れるなんて。
そうだ、思い出されるのは﹃エギナ﹄のエンディングだ。魔法使
いは。私が操作していた魔法使いは。
﹁魔法使いはなあ。魔王を倒したのはいいけど、魔力を使いすぎて
力尽きる。
トゥルーエンドだとそのまま終了で、誰も彼女に感謝しない。無
常観が出ていていいかもね。
グッドエンドだと残った痕跡からプレイヤーがやったということ
が世に知れて吟遊詩人が歌を歌ってくれる、と﹂
そんな末路をたどるように、私自身が設定した。間違いなく私が
174
そう設定したのだ。
まさしく、そのとおりの結末となったことは疑いようもなかった。
メイドは恐らくそのまま始まりの村に戻っただろうし、魔王とい
う存在も人々に浸透していないはずだからカリナ・カサハラが英雄
扱いされるということもないはずだ。誰も彼女に感謝しない、とい
うところまでピタリと一致である。
これが偶然のことなのか、それとも﹃設定﹄だと汲み取った世界
がこうなるように仕向けていたのか。そこまではわからないし、知
る由もない。
すべては終わったことなのだ。どうにもならないだろう。
私はこのふわふわとした意識を保ったまま、苦しみ続けるのだろ
うか。
それともこれから何か裁きを受けて天国か地獄に送られるのだろ
うか。これから先の見通しは立たない。
少なくとも、どこか異世界に転生させられるなんて末路はあまり
歓迎していない。これ以上私に何をさせようというのか、と。
それなら、あなたが歓迎する末路とは、どんなものなのですか。
誰かにそんな問いを投げられたような気がした。
異世界への転生を歓迎しないのなら、望む末路もあろうというわ
けか。
そもそも、天国も地獄も私はまだ受け入れがたい。現世への未練
がタラタラなのであるから。
そうだ、最も望むのはやり直すことだ。﹃エギナ﹄の設定をあり
ったけ。
考えてみれば、戦士は結婚エンドであり、盗賊も免罪されて旅に
でて、僧侶まで立身出世か子供たちに愛されるかだ。他のキャラク
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ターはハッピーエンドであるにもかかわらず、魔法使い一人だけが
死ぬ運命を決定付けられている。
誰一人サークルの中に疑問をとなえるものはなかったが、今思え
ば明らかに不自然。そして売れるためのゲームとしてはまずい。
エンディングで儚く死んでいく女キャラは絶対に人気が出るから
そうしろ、などという理屈を誰かがこねていたような気もするが。
だがそのような設定をされた魔法使いからしたらたまったもので
はないだろう。ゲームの中とはいえ、勝手に己の末路を決定付けら
れて。それでなくとも、﹃エギナ﹄での魔法使いは楽な職業とはい
えない。パワーロッドを入手しなかった場合は中盤以降も常に魔力
の不足に悩まされる。マジックドレインの活用法を覚えれば多少ラ
クにはなるが、それでも潤沢に魔法を使えるとは言い難い。
そんな苦労をこえて魔王と対峙しても、ラクには勝たせてくれな
い。苦戦となる。必死に逃げ回りながら魔力の回復を待ち、なけな
しの魔法を放って敵の体力を削る。そうした戦いになる。
それを乗り越えた先がデッドエンド。
﹃エギナ﹄での魔法使いはカリナ・カサハラの容貌と同じ、気の
強いサドっ気を感じさせるような女性だ。
彼女がどういう気持ちで力尽きたのかはわからない。14歳とい
う若さで魔王を倒したことを誇り、名誉に感じながら逝ったのか。
あるいは孤児院にいる兄弟たちのことを考え、帰りたいと願いなが
らも果たされなかったのか。
だが少なくとも、私は満足して逝けはしなかったぞ!
メイドが!
私は始まりの村に戻らなくてはならなかっ
カリナ・カサハラとしては、この結末には大いに不満がある。タ
ーナが!
たのに。
絶対、魔王を倒したくらいで死んでいいようなところではないの
だ。﹃エギナ﹄はそこで全て終わってスタッフロールになるから別
にその後のことはどうでもよかったが、この世界は違う。
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既に﹃エギナ﹄とは切り離された新しい世界なんだ。誰もが﹃エ
ギナ﹄にかかわることをやめたから、独立してしまった世界を魔王
が統合して創ったっていう世界。
なら、この世界が存続するっていうのなら、カリナ・カサハラが
あんなところで死んでいいはずがない。
メイド一人にあの世界でおこるすべての事を任せようっていうの
はあんまりなんだ。追加パッチの設定が生きていたってことは、そ
れで追加されるボスやエキストラステージにいる脅威がいつ、人間
たちを襲うかわからないってことなのだから。
この世界はやり直されるべきだった。
今度は失敗しないから、もう一度。かなえられるはずのないチャ
ンスを、私は望むのだ。
メイドやターナが苦労をしないために。
まどろみからふと覚めるように、私は自然に目を開いた。
机に突っ伏した状態で寝入ってしまったようだ。目の前にはキー
ボードとモニターがある。
足元にはたくさんの酒瓶が転がっていた。かなりの深酒をした後
だということが知れた。
﹁う⋮⋮﹂
モニターの端に表示された時刻を確かめようと目を凝らしたが、
それよりも驚いたことがある。モニターの中だ。﹃エギナ﹄のテス
トプレーモード。魔法使いのエンディングテロップが表示されてい
た。
いつの間に。誰が。
いや、そんなことはどうでもいい。
私は食い入るように、画面を見つめていた。
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﹃魔王は倒された。
君は苦闘の末に彼を討ち果たした。
だが、長時間の戦いによる過大な魔力の放出は君の体を蝕んでい
た⋮⋮﹄
テロップが消えていくと、目を閉じた魔法使いの一枚絵が表示さ
れる。
若い命を散らして平和を勝ち取った、美しい表情。だが血色は悪
く、死に至っていることは間違いない。
あれほどの苦労をした末の、これが結末。
デッド・エンド。確かにここには、情熱を燃やし尽くした若者の、
命を散らしたゆえの美しさがあるのかもしれない。だが、これは。
これはあまりにも。
残された者たちが。
魔法使いを慕う者たちもいただろう。牢獄で助けた少女も、きっ
と彼女に恩を感じていただろう。
そうしたものたちを全て取り残して、一人だけで逝ってしまうな
どとは。
またこうした結末を魔法使いが積極的に選び取ったなどとは到底
思えない。戦士が、盗賊が、僧侶が生きて勝利をつかみとって凱旋
したというのに。どうして彼女だけが報われないというのだろうか。
私は流れていくスタッフロールを見届けながら、そんな思いに心
を貫かれていた。
魔王は言った。
創り出した者たちがそれにかかわることをやめたとき、世界は独
立を果たすのだと。であるならすでに、あの世界は一個の世界とし
てこの世界とは切り離されているのだろう。
つまりは、ムダかもしれない。こんなことはムダかもしれない。
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しかし、それでも。それでも捨て置けはしない。せめて、夢の中
だけでも。
私は、エディタを開いて魔法使いのエンディングから幾つかセン
テンスを削除し、幾つかのセンテンスを追加した。
表示される一枚絵は変わらないから、できる限りの訂正。それが、
私にできること。
作業終了。状況を保存すると再び睡魔に襲われ、私はそのまま意
識を失ってしまった。その直前、何か血の味を舌の奥に感じながら。
命を散らすには、あの魔法使いはまだ若かった。せめて助かって
いて欲しいと、そう私は思ったのだ。
﹁⋮⋮カリナ、目を覚ましてください。カリナ﹂
何か右手がヌルヌルとした温かいものに触れている。
私は目を開いて、自分の右手を見た。赤い。ドキリとするほど、
血に染まっていた。
一体なんだ、どうしてこんなことになっている。
私は倒れこんでいて、それを支えるように近くにメイドが座り込
んでいる。
誰の血なのか。答えはすぐに出た。
メイドだ。メイドの腕にダガーが突き刺さっていた。そこから流
れ出た血が、私の右手についていたのだ。右手だけではないかもし
れないが。
﹁いったい、何をしているんですか﹂
﹁あなたが目を覚まさないからですよ﹂
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彼女はこともなげに言い、ダガーを引き抜いた。なれた手つきで
止血する。
その抜いたダガーは、ドレインダガーだ。何をしていた。本当に、
彼女は一体何を狙ってそんなことをした。
﹁そのダガーは刺したものの体力を奪う効果があるのでしょう。あ
なたに握らせて、私を刺しました。
少しは効力があったのではないですか﹂
なるほど確かに。体力には問題ない。疲労もそれほどではないよ
うだ。すぐに動けるだろう。
だが、メイドは。ドレインダガーの傷自体はさほどではないにし
ても、奪われた体力はどうなっている。すぐに補填できるものでは
ない。
﹁ご心配には及びませんよ。私はメイドですから﹂
止血を終えたメイドはハンカチを湿らせ、私の手などについた血
を拭った。
私は、上体をゆっくりと起こした。どうやら魔王の城の、地下だ。
私が魔力コアを打ち砕いた現場。あのまま私はどうやら気絶しっぱ
なしだったようだ。
その間にとても重大な夢をみたような気がするのだが、いまいち
内容はよく思い出せない。
だが魔法使いは魔王を倒した後も、特に報われることはなかった
はずだ。それだけはハッキリしている。英雄としてもてはやされる
ことはないらしい。
これ以上目立つことも、ターナにかまう時間が減ることも苦にな
るので別にそのあたりはどうでもいいと思えたが。
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﹁さて、村に帰りましょうカリナ。魔竜が送ってくれるそうですよ﹂
﹁そうですね。帰りましょう﹂
私を探してここまできてくれたメイドは、疲れを感じさせずに歩
いていく。
まだ疲労の残る私はその後を追って歩いた。来るときにはパワー
ロッドで強引に道を切りひらいたが、その武器も砕けてしまった以
上、階段を使わざるを得ない。
地上へ出ると、強い日差しが私の目に入った。思わず目を細める。
私のつくった霧はすっかり晴れていて、陽光が魔王の城の残骸を
照らす。
﹁魔竜が待っています、カリナ。こっちです﹂
﹁ええ。しかしどうやってあの魔竜と会話をしたのですか。まさか、
言葉が通じたと?﹂
そんな設定をした覚えはないのだが。
﹁いえ、しかしながらおよそ動物のことならわかります。主人の飼
われる動物のお世話をするのもメイドの務めでしょう﹂
﹁そういうものなのですか?﹂
﹁ええ、そういうものです霧の王﹂
どうにも腑に落ちないが、メイドが言い張るのでは仕方ない。納
得せざるを得なかった。
そうした具合で、私とメイドは魔竜に乗った。彼にも翼はあるの
で、ゆっくりとなら飛べる。私たちは彼の背に揺られながら、景色
を楽しむ程度の余裕を持つことができたのだった。
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﹁あの鉄橋は修復に時間がかかりそうですね﹂
﹁まあ、魔王の城に行く者はそうそういないですから、修復の話自
体が持ち上がらないとは思いますが﹂
そんな他愛のない会話をしながら、竜は始まりの村へ行く。
﹁しかし、これでやっと全部終わりです。
霧の王もしばらくはターナと遊んで暮らして、色恋のひとつもた
しなみたいところですが﹂
私は魔王を倒したことで安心していた。人生の大目標が達成され
たのであるから、当然である。
しばらくは争いごとはゴメンである。マジックドレインやドレイ
ンダガーがあるとはいえ、パワーロッドは失ってしまった。レベル
4000であろうとも、戦いを避けたいと思うのは仕方ないだろう。
だが、メイドはそれに驚いたような顔をする。
﹁おやカリナ。あなたともあろう人が魔王を倒したからといって、
世の中の悪が根絶されたような言い方をしますね。
南の帝国が北側の領地を狙って軍備増強しているのを知らないと
はいわませんよ。
それに、太古の悪霊を召喚しようと王都の地下組織が蠢動してい
ることはすでに耳に入っているはずです。
彼らを退治出来るのは霧の王しかいないと思います。お休みなど、
しばらく与えられません﹂
﹁うっ﹂
私は呻いた。
今メイドが口にした新たなる脅威は全て、追加パッチで予定され
ていたシナリオだ。
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確かに、そうだ。メイドがいる以上、追加パッチのシナリオも世
界に統合されている可能性があった。
﹁ゆっくりできないのですか﹂
﹁できません﹂
メイドは私の懇願をばっさり切って捨てる。私はがっくりと項垂
れた。
しかし、これでいいという気持ちが何故か私の心の底にわずかに
浮き上がる。
これのどこがいいのか。魔王を倒した英雄なのに表彰されること
もなく世の中の悪と戦い続けなければならないとは。
面倒だ。そう思ってしまうのも無理のないことではない。
それに世界が独立している以上、これからもより複雑で面倒な問
題がおきることは容易に予想される。
そうした問題にも、立ち向かわなければならない。
いや、待て。別にそこは私一人で行く必要はない。メイドもいる
し、この世界に暮らす多くの人たちもいる。彼らの力を借り、とき
には彼らに任せることもいいだろう。
そうなれば、霧の王はこの世界の片隅でつつましく暮らしていく
ことができる。
平穏に暮らしていければ、それでいい。これでいい、と思ったの
はそれでか。
﹁しかしカリナ、もしもあのまま力尽きていたのならさぞかし美談
になったでしょうね。
人知れず魔王に挑んで、命と引き換えに世界を救ったとなればき
っと吟遊詩人たちが放っておかないでしょう。
必要以上に美人に描かれ、後世にまで残る英雄となったことは想
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像に難くありません﹂
メイドが私を見て、そんなことを言った。
私は首を振って答える。
﹁そんなふうに死んで英雄になって残るより、こうして生きている
ほうがいいです。
それこそ、死んだ後にまつりあげられても嬉しくありませんから
ね。
生きていてこそ、未来のことも考えられます。あなただって死ん
でから褒められても嬉しくないでしょう﹂
それもそうですね、とメイドが応じた。魔竜が低く、一声鳴く。
始まりの村が見えてきている。
ターナが私たちを待っていることだろう。早く胸に抱きいれてや
りたい。
私たちはやわらかい風に吹かれ、帰還の喜びを、生きていてこそ
の喜びを味わっていた。
霧の王、カリナ・カサハラの戦いは始まったばかりだと。そんな
使い古された言葉をなぜか強く思いながら。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n8591bm/
霧の王
2014年4月28日15時01分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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