吉田恵美「フィリピンでの教育普及における日本のアプローチ」 - 桜美林大学

「フィリピンでの教育普及における日本のアプローチ」
桜美林大学
国際学部国際学科
1
吉田恵美
目次
目次にはページを入れてください。
はじめに
第 1 章 フィリピンの貧困における都市と農村のつながり
第 1 節 フィリピンの歴史と概要
第 2 節 フィリピンの農村部での貧困とその背景
第 3 節 フィリピンの都市部での貧困
第 2 章 フィリピンの教育の諸問題と就学状況
第 1 節 フィリピンの学校教育普及における諸問題
第 2 節 フィリピンの教育制度
第 3 節 初等教育における就学状況
第 4 節 フィリピンの教育の量と質
第 3 章 日本によるフィリピンへの教育普及のアプローチ
第 1 節 フィリピン政府による教育支援の取り組み
第 2 節 日本の ODA による教育支援の取り組み
第 3 節 日本の NGO による教育支援-「国境なき子どもたち(KnK)」の活動事例-
終章
対フィリピンにおける日本の教育協力のありかた
参考文献
参考 HP
2
「フィリピンでの教育普及における日本のアプローチ」
国際学部国際学科 4 年 吉田恵美
はじめに
大学 2 年の夏、筆者は桜美林大学が毎年主催している国際協力研修プログラムに参加し、初
めてフィリピンに行った。筆者はそれまで海外に行ったことがなかったが、国際学部の授業を
受けているうちに、
「ただ教室で授業を聞いているだけの勉強ではなく、自分の目で見てみたい」、
「自分にも何かできることがあるのではないか」と思うようになり、フィリピン研修に参加し
た。
研修中、特に子どもたちとの交流が多かった。研修の移動中に出会った物乞いをする子ども
たち、スラムや孤児院などの訪問先で知り合った子どもたち。また、いくつか小学校を訪問し
て学校を見学したり、実際に自分たちで授業を行ったりもした。
学校はたくさんの子どもたちであふれ、教室にはぎっしりと机と椅子が並び、一番後ろの席
まで生徒がぎゅうぎゅうになって座っていた。しかし、たくさんの子どもたちがいる教室に先
生はたった一人。子どもたちが使っている筆記用具は、日本で使われているような筆箱ではな
く、ノートとペンだけ。中には教科書を持っていない子もいる。学校の外には、働いていて学
校には通えない子どもたちが集まっていた。ふと目を移すと、いろいろなことに気づかされた。
今通っている子でさえも、途中で辞めてしまう子も少なくないというのである。学校に通えな
い子どもたちがいる、子どもたちが十分な教育を受けられない、という現実を知り、筆者はシ
ョックを受けたと同時に、それらに対して疑問を抱いた。
そして、農村地域に行くと問題はもっと深刻であった。研修の後半には、山で植林活動をす
るというプログラムがあり、都市から離れた農村地域へと訪れた。山奥にある小学校には電気
がなく、教室は薄暗い。さらに教室の作りも薄い壁一枚で、教室は 2 つしかない。都市部の学
校より状況が良くないことが一目で分かる。だが、やはりそこにはたくさんの子どもたちがい
た。彼らの中には、毎日遠くからこの学校に歩いて通っているという子もいるのである。
植林研修のプログラムで、毎日ずっと一緒に手伝ってくれていた少年がいた。彼は以前、学
校に通っていたが、途中で辞めてしまったというのを聞いた。自分のすぐ身近なところで、学
校に通えないという問題が実際に起こっているのだ、と改めて実感した。どうして辞めてしま
ったのかは聞けなかったが、筆者はそこには何かしらの原因があるのではないかと思った。家
庭の事情や家の手伝いで通えなくなってしまったにしろ、自ら学校を辞めたにしろ、それは本
人だけのせいだとはとても思えなかった。家庭の事情、経済的な問題、親の学校教育に対する
考え方、学校で勉強する環境、先生の教え方やフォロー。これらは子ども自身でどうにかでき
る問題ではない。
フィリピンの学校教育の現状をふまえ、学校に通えないことやドロップアウトに繋がる要因、
子どもたちが学校教育を受けるために NGO によって改善されていること、また今後どのよう
な政策がフィリピンで必要とされるか。これらについてこの論文で論じていく。
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第1 章
フィリピンの貧困における都市と農村のつながり
1 フィリピンの歴史と概要
フィリピンは 7,109 の島々からなり、人口約 8,310 万人もの人々が暮らす島国で、首都メト
ロ・マニラには約 993 万人の人々が生活している。国土の面積は 299,404 平方キロメートルで、
これは日本の約 0.8 倍の面積に値する。
国民の 83%がカトリック、その他のキリスト教が 10%、
イスラム教は 5%で、マレー系が主体であり、他に中国系、スペイン系、及びこれらとの混血、
更に少数民族がいる。公用語はタガログ語と英語である[外務省 HP 2006,12.12]
1-1 スペイン統治時代
フィリピンは、16 世紀後半に始まるスペイン植民地支配にはじまり、約 4 世紀にわたってス
ペイン、アメリカ、日本の支配下に置かれてきた。スペインの植民地となる頃には、フィリピ
ンには中央集権的な統一国家は形成されておらず、バランガイと呼ばれる村落による地域の連
合を築き始めたばかりであった。そのため、現在のようなフィリピン人というカテゴリーはな
く、スペイン植民地支配の末期まで、個々の地域・言語グループへの帰属意識をこえて、フィ
リピンという共同体意識は芽生えていなかった。
スペインは、フィリピンをアジア進出のための拠点としてとらえ、植民地化するために、カ
トリシズムの布教をおこなった。植民地化初期においては、カトリシズムは住民支配の道具と
して大きく貢献していたが、スペインの植民地支配が深まるにつれて、次第に住民の不満も大
きくなっていった。そういった不満や抵抗のなかで、19 世紀の半ば以降、スペイン支配に対抗
する民族意識の覚醒、高揚とともに、フィリピン人という共同意識の形成が促進され、1896 年
から 1898 年にかけて起こった、フィリピン革命への契機となったのである[大野・寺田
2001:18-19;32-33]。
1-2 アメリカ統治時代
フィリピン革命による反乱は、タガログ地方から始まり、全国的に広がっていった。そして
アメリカの介入により革命は終焉し、1898 年のパリ講話条約調印により、アメリカによる統治
が開始された。アメリカは、自国の議会制度をフィリピンに導入しつつ、フィリピン人に自治
を与えるという政治システムをつくり、フィリピンのアメリカ化を試みた。そういったアメリ
カによる同化政策は政治分野だけでなく、教育と言語をも通して、アメリカの文化と価値観を
フィリピンに植えつけていったのである[大野・寺田 2001:43-45]。
1-3 独立後-フィリピン共和国として-
第二次世界大戦のなか、フィリピンは日本に占領されるが、日本の敗戦により米軍が再上陸
し、フィリピンは日本軍政から解放された。そして 1946 年 7 月 4 日に、フィリピンは「共和国」
として独立を果たした。フィリピンは独立後も政治、経済、軍事・防衛などの分野で、米国へ
の依存体質を保持し、歴史のゆるやかな連続性を残したのである。スペイン統治期に土地所有
制を背景に伝統的な支配層が形成され、アメリカ統治期の経済体制のもとエリートにのし上が
る、といった人々が出てきた。しかし、それは一部の特権層に限られており、フィリピン社会
に貧富格差を生み出したのだった[大野・寺田 2001:51-53]。
2 フィリピンの農村部での貧困とその背景
フィリピンの都市貧困層は統計的、実質的に、マニラ首都圏、セブ首都圏、ダバオ首都圏の
4
三つの地域に集中している。なかでも政府の所在地で、国家財政・産業・商業・教育の中心地
であるマニラに、もっとも多く都市貧民が集中している。こうした都市のスラム住居者のおよ
そ 80%は、農村からの移住者である[Maslang 1983:16]。都市部の貧困層増加の要因として、
農村での貧困が挙げられる。ノラスコは、フィリピン大学の「政策・開発研究センター」理事
のへローム・ソン氏が述べる農村の貧困の構造的原因として、
「農村と都市の所得格差、低い農
業生産性、土地なし農民(全農業労働者の 70%)の存在、および融資・適正な技術、都市開発
基盤といった資源や社会的サービスを得る機会の不公平[Nolasco 1994:31]」を農村の貧困の主
な原因として挙げている[Nolasco 1994: 21;30-31]。
農村住民の多くは、直接的または間接的に農業で生計を立てており、農業の 1 次生産に人々
の生活が直接関わっている。農業生産は、土地の地形や土着、気候の影響に大きく左右されや
すく、また季節性の制約がつきまとうため、分業が困難であり、作物の生産量や雇用必要量も
生産期間で大きく変動する。また、農産物を市場に売り出すための道路、鉄道、空港、港湾な
どの交通インフラが充分でないため、遠方での交易が不可能である。また、交通インフラの他
にも、灌漑・排水・洪水制御などの農業土地インフラ、通信、電力・ガス、下水道、ゴミ処理
などを含む経済インフラ、学校・保健施設などの社会インフラがあり、農業や農村の経済発展
においてもっとも重要であるが、農村ではこれらのインフラが明らかに不足している[藤田
2004:58-59;70]。
3 フィリピンの都市部での貧困
3-1 マニラ首都圏のスクオッターとスラム住民
農村で貧困に喘ぐ人々にとって、マニラ首都圏や他の都市は、経済的・社会的に豊かで、貧
困から抜け出す機会として期待される。しかし、農村から都市に移住しても、すべての人に安
定した職場が提供されているわけではない。初等教育を受けただけで、技術的・専門的な熟練
を持たない農村からの移住者は、都市で職を得ることが容易ではない現実を思い知ることにな
る。たとえ仕事に就けたとしても、それは低賃金の工場労働、湾岸労働、魚の運搬、建設労働、
ジプニーの運転手、舗道の露天商、洗濯、行商人、廃品回収といった仕事で、それらでは熟練
を要することなく、生活をするには不十分、またはとるに足りない収入でしかないのである。
そのため、彼らの多くはスクオッター 1 やスラム住居者 2 として都市で生活している[Nolasco
1994:23;30-34]。
マニラ首都圏はフィリピンの中心都市であり、マニラ、ケソン、パサイ、カロオカンの 4 つ
の市とラス・ピナス、マカティ、マラボン、マンダルヨン、マリキナ、モンテンルパ、ナボタ
ス、パラニャケ、パテロス、パシーグ、サン・ファン、タギーク、バレンスエラの 13 の自治
体が含まれ、これらの全域に都市貧困民が散在する。これらの地域の貧困の深刻さは、表 1 の
マニラ首都圏のスクオッター人口によって示すことができる。
1
2
ここでのスクオッター住居者とは、法的な許可がないまま他人の土地に家を建てたり、建物
を占拠したりしている人々や家族のことをいう。住居は標準以下で水道やトイレ等の基本的
な設備はない[Nolasco 1994:23]。
ここでのスラム住居者とは、なんらかの形で住居に対する法的な居住権は持っているが、建
物は老朽化し、密集し、貧困に喘ぐ環境の中で暮らす人々や家族のことを示す[Nolasco
1994:23]。
5
表1 マニラ首都圏のスクオッター数および世帯数
市/自治体(面積 km)
集落数
世帯数
ケソン市
マニラ
パサイ市
マカティ
パシーグ
マリキナ
モンテンルパ
パラニャケ
カロオカン
マラボン
マンダルヨン
ナボタス
ラス・ピナス
サン・フアン
バレンスエラ
タギーク
パテロス
(166.2)
(38.3)
(13.9)
(29.9)
(10.4)
(38.9)
(46.7)
(38.3)
(55.8)
(23.4)
(26.0)
(2.6)
(41.5)
(10.4)
(47.0)
(33.7)
(-)
142
83
36
22
19
17
17
17
17
12
11
10
10
8
7
4
-
61,984
90,916
12,817
13,602
6,283
5,414
6,599
6,030
21,680
8,148
10,595
9,338
4,932
3,662
3,510
8,269
491
スクオッター
人口比%
29
32
26
15
12
16
34
23
26
20
22
43
30
30
13
37
7
(出所)Business Day, July 16, 1982, p.10
([Nolasco 1994:28]より筆者作成)
都市貧困組織の報告によると、マニラ首都圏のスクオッターは、1985 年の 415 から 1987 年の
600 のスクオッターが確認されており、わずか 2 年間に、約 45%の増加となる。また、1980
年初頭、マニラ首都圏では人口増加率が 5%で、1970 年から 1981 年の間だけでスラム人口は
150%も増加した。そして 1990 年には、農村から都市へ人口が流入するにつれてさらに都市人
口が膨張する、と都市貧困組織は 1987 年の時点で予測していた[Nolasco 1994:27-29]。
3-2 フィリピン都市貧困層における生活困難とそのリスク
スクオッターやスラム住居者が生活する都市貧困地は、危険に曝されやすく、また貧困から
の回復に困難であるという脆弱性がある。この脆弱性の諸側面には以下の 5 つが挙げられる。
第一に、労働市場の不安定。自給食料へのアクセスが期待できない都市住民の生存手段は、
労働市場での労働力そのものであるが、それらは常に安定しているわけではない。第二に、都
市の商業化・市場化。都市住民は貨幣経済に依存せざるを得ず、インフォーマルな雇用がもた
らす不安定な所得が、彼らの生活に直接影響してくる。第三に、無権利あるいは違法な土地住
宅条件が挙げられる。無権利であるがために、水道・排水や住宅登録等の生活におけるサービ
ス提供を受けられず、生活環境は改善されない。第四に、劣悪な環境衛生での生活や労働。都
市貧困層の居住地は、路上、河川敷、ゴミ山、湿地、崖下、老朽狭小家屋の密集地区等である
ために、常に事故や汚染の危険に曝された生活環境である。第五に、社会的分断。家族やコミ
ュニティ組織の解体が貧困への抵抗力を弱め、都市犯罪や暴力に脅かされやすくなる[穂坂
2004:80-82]。
6
3-3 フィリピンの都市貧困が人々に及ぼす影響
こういった貧困状態にある中、都市で生活をやりくりするためには、生活をする上でもっと
も基本的なものを切りつめて生きていかなければならない。消費を節約する、必要なものをな
しで済ませる、低い栄養摂取や不健康な状態にあっても放置する、標準以下の住居や設備での
居住、衣服を質素にする、交通費を切りつめる、学校を退学する、等の方法をとらざるを得な
い。生活費の、63%から 76%が食費に達し、残りは家賃・電気代・水道代等の住居費に充てら
れるため、
教育・医療・交通・衣服・娯楽に充てる費用はほとんど残らない[Nolasco 1994:41-43]。
都市貧困で大きな影響を受けるのは子どもたちである。世帯主が生存に必要な収入を稼ぎ出
すことができない場合、生活を支えるために、妻や子どもが補助的な収入源を探さなければな
らなくなる。1979 年の調査では、都市の 7 歳から 8 歳の子どものおよそ 7 割がすでに収入を
稼ぐために働いている。また、1978 年と 1982 年に「食物・栄養調査研究所」が行った食物消
費調査において、著者は、
「都市貧民の母親 1 日中働きずくめのため、母乳で育てられている子
どもは 40.1%にすぎないが、これに対して農村の場合は 55.2%に増える。大半の都市の子ども
は、軽度の栄養不良状態にある、と著者 Nolasco は述べており、都市貧民の中で子どもたちは
もっとも高い危険に曝されている[Manila Times, 1986.6.6;Nolasco 1994: 41-42;47-48]。
第2 章
フィリピンの教育の諸問題と就学状況
途上国の約 1 億 2100 万人の未就学者の多くは貧困層の人々と推定されており、貧困は教育
普及の妨げとなる要因の 1 つである。所得水準と教育水準の間には相関関係が存在し、多くの
途上国で、賃金・給与格差は教育格差の影響を受けている。また、所得配分の不平等が教育機
会の不平等にも繋がる。家計の所得が少なければ少ないほど、教育にかかる費用が家計の中で
大きな割合を占めることとなる。また、無償の初等教育であっても、教材、交通費、制服など
の費用が必要となるため、貧困層の親にとっての経済的負担は大きいため、教育のための資金
は制約されてしまう。よって、低所得層の子どもたちは、教育機会に恵まれないのである[岡田
2004:99-101]。
1 フィリピンの学校教育普及と諸問題
フィリピンの教育普及の背景として重要なのは、アメリカの植民地支配である。アメリカは、
行政機関や立法機関にフィリピン人を参加させる方針をとり、特にフィリピン人に対する教育
普及に力を入れた。6-4-4 制の学校制度、男女共学、英語による一元的な教育導入を行った。
これによって、多民族で多言語のフィリピンに、英語という共通言語が普及したのだ[米村
2003:212]。
こうして、フィリピンは発展途上国としては国際的に高い教育水準に位置しており、中等教
育で 77%、高等教育で 29%という高い就学率となっている。しかし、こうした中で見落とし
がちなのは、初等教育普及の問題である。小学校の修了率においては、1970 年頃からその改善
の度合いは緩やかとなり、全住民への初等教育の普及は未だになされていないのだ。フィリピ
ンの国固有の事情が教育普及を困難にさせている。まず第 1 に、学校における教授言語の問題
である。その背景には、タガログ語と英語という政治的な対立があり、また多民族であるため
タガログ語も 80 以上の言語がある中で、必ずしも国語として普及していない。したがって、
子どもたちは、家庭で話される言語の習得でさえ未熟なまま、英語とタガログ語の2つの公用
語を理解し、授業を受けなければならないといった困難な状況に置かれているのである[米村
2003:212;232]。
7
フィリピンでは、フィリピノ語(タガログ語)と英語の二言語(バイリンガル)が教育方針とされ
ており、特に理数科目の授業は英語で行われている。文系科目はフィリピノ語であるが、理数
科目においては、専門用語などのフィリピノ語への翻訳が困難であったため、英語での授業が
行われているのだ。各地方言語を母語とする国民にとっては、授業を理解するためにフィリピ
ノ語と英語を学ぶ必要があり、負担となってしまう。このことが理数科目における生徒の理解
度や学習到達度の低さに大きく影響している。
実際に 1998 年の TIMSS3の 38 カ国ランクでは、
シンガポールは数学と理科で 1 位、2 位と上位であるのに対し、フィリピンは数学と理科の両
方で 3 番目となっている[外務省 HP 2008,12.15]。
第 2 に、初等教育のカリキュラムが高度で過密であることが挙げられる。フィリピンは 6-4
-4 制の 10 年間の教育制度で、国際基準よりも 2 年短いため、初等教育、中等教育の段階で授
業科目を広範囲かつ高度化せざるを得ないのだ。これに対し、フィリピン政府は授業日数を 185
日から 220 日に延長するなどの政策を行っているが、改善策としての効果はあまりあがっては
いない。これら 2 つの点が、フィリピンの初等教育段階でのドロップアウト率を高くする要因
となっている[米村 2003: 232]。
第 3 に、学齢児童の増加の問題である。児童の増加に対し、教育施設の供給が追いつかず、
十分な教育がなされないのである。1991 年度以降の初等学齢人口の年間増加率は 0.93%とフ
ィリピンの学齢人口増加率は非常に高い。また、自然災害による学校の破壊なども含め、公立
学校の必要教室増設数は年間約 1 万室にもおよび、行政の急速な対応が必要とされている。こ
ういったフィリピン固有の事情が現在もあるため、初等教育の普及がなかなか果たされないの
だ[米村 2003: 232-233]。
2 フィリピンの教育制度
フィリピンの教育制度は、初等教育、中等教育、高等教育の 6-4-4 制となっている。それに
加え、小学校に入る前の就学前教育がある。
2‐1 就学前教育
フィリピンの就学前教育は、主に 3 歳から 5 歳の子どもが対象で、1 年から 3 年間実施され
る。そのほとんどは私立の保育園か幼稚園であり、これらの機関は費用が高いため、以前は一
部の豊かな階層にしか普及していなかった。しかし、現在は公立の初等学校でも就学前教育の
ためのプログラムが提供されるようになった。ここで実施されている就学前教育プログラムは、
保護者が共同で費用をまかなって運営されており、慈善団体や地方政府が援助しているという
ケースもある。1993 年の在籍率は約 12%となっている[大蔵省印刷局 1996:42]。
2‐2 初等教育
フィリピンの義務教育は、6 歳から 12 歳までの 6 年間の初等教育である。1994 年の学校数
は約 3 万 6000 校におよび、6 歳から 12 歳の該当年齢人口に占める比率は 86%であり、該当年
齢以外の在籍者を含めると 119%となる。初等学校の在籍者のうち、9 割の子どもが国立初等
学校に通い、残りの 1 割は私立学校に在籍している。教育課程の基準は教育文化スポーツ省が
定めており、道徳、フィリピノ語、英語、算数、公民・文化、歴史・地理・公民、理科・保健、芸
術・体育、家庭・生活から構成されており、教科により 20 分・30 分・40 分と授業時間が異なって
いる[大蔵省印刷局 1996:42-44]。
TIMSS(Trends in International Mathematics and Science Study)は、世界各国の生徒の理
数科学力データを提供している。
3
8
2‐3 中等教育
フィリピンの中等教育は 12 歳から 4 年間、中等学校および中等職業学校で行われる。1994
年の学校数は約 6000 校で、該当年齢に占める比率は 58%であり、該当年齢以外の在籍者を含
めると 74%となっており、初等教育よりも低い比率である。中等在学者のうち約 45%は私立
の中等教育に在学している。教育課程はフィリピノ語、社会、保健・体育・音楽、価値教育、英
語、理科・テクノロジー、数学、技術・家庭から構成され、中等教育修了時には教育文化スポー
ツ省・研究センターが実施する全国中等教育達成度テストを受け、合格しなければならない[大
蔵省印刷局 1996:45-46]。
2‐4 高等教育
フィリピンの高等教育は、大学と中等後教育機関である。1994 年の学校数は、大学が 1181
校、中等後教育機関が 1276 校存在し、それぞれの私立学校の割合は約 8 割前後を占めている。
在学率は 27.8%となっている。大学の入学は、中等教育修了に実施される全国中等教育達成度
テストの成績に基づき選抜される。学士号の取得には通常 4 年間の課程の修了が必要となり、
工学や獣医学などの一部の専攻については 5 年以上の過程を要する。
中等後教育機関では 3 ヶ月から 3 年の過程があり、商業、農業、漁業、工芸などの分野に属
する職業・技術教育が提供される。1 年以上の職業・技術教育を課程では、協力企業での現場実
習が組み込まれている[大蔵省印刷局 1996: 46-47]。
2‐5 ノン・フォーマル教育
フィリピンでは、貧困や家庭の事情などにより、学校に通えず教育を受けられない青少年や
その他のフィリピン社会層を対象に、ノン・フォーマル教育やオルタナティブ学習システムを実
施している。文字の読み書きを教える識字教育や計算などの基礎教育、職業訓練などがノン・
フォーマル教育に含まれる[外務省 HP 2008,12.15]。
また、フィリピンでは、教育省が行う一定の研修を受けて修了証書を得た教師による授業を
受けることで、年 1 回行われる学業修了試験を受けることができ、それに合格した者には公的
学校における卒業と同等の資格が与えられる[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
3 フィリピンの初等教育における就学状況
フィリピンでは、ほとんどの子どもは就学経験があり、学校へのアクセス及び 1 学年修了程
度の機会の提供はほぼ達成されている。しかし、その多くは正規入学年齢よりも遅れて就学し
ている。EFA のデータ4では、1998 年の第 1 学年入学児童の半数が 6 歳以外の児童であったと
いわれている。1998 年の DHS のデータ5では、純就学率6は 90%弱となっている。その 90%
に当たる初等教育修了者は、
「入学後ストレートに進級し続け卒業した者」
、
「留年経験があるが
卒業した者」
、「ノンフォーマル教育を通じて卒業資格を得た者」に分けられる。この純就学率
が 100%でないことは、就学した児童が途中で退学していることを示唆している。中退者は表
2 の よ うに 、 就学 経 験 者 か ら 現 在 就 学 中 の 者 を 引 いた 人 数で 見 るこ と がで き る [ 米 村
2003:214-219]。
4
『EFA2000 年評価カントリーレポート(フィリピン)』(EFA)のデータによる。
『1998 年人口、健康調査』(DHS)のデータによる。この2つとも参考文献リストにいれて!
6 純就学率とは、一定の教育段階相当の学齢人口に対して、正式な学齢でその教育段階に就学
している生徒数が占める割合。
5
9
表 2 年齢別就学経験率、在学率、中退率(% 1998 年)
年齢
就学経験者①
現在就学中の者②
中退者(①-②)
53.1
81.3
89.9
92.5
92.8
92.2
90.7
88.5
81.3
8.1
6.4
5.8
5.0
5.2
6.9
7.9
10.6
17.3
6
61.2
7
87.7
8
95.7
9
97.5
10
98.0
11
99.1
12
98.6
13
99.1
14
98.6
(出所)Filmer(1999)
([米村明夫 2003:217]より筆者作成)
6 歳児童では中途退学者は 8.1%におよび、9 歳までは減少しているが 10 歳から増加し、年齢
が上がるにつれて中途退学者数も増加している。11 歳の児童が平均的に 7 歳で入学したとする
と、4 年間の就学を経過するまでに年間平均で彼らの 2%弱が中途退学者になるのである[米村
2003:217-220]。
4 フィリピンの教育の量と質
先に述べたような初等教育を修了しない子どもたちが存在するのは、教育における量的側面
と質的側面の問題が大きく影響しているためである[米村 2003:221]。
4‐1 各地域の教育の量的側面における問題
フィリピンでは、1 年生から 6 年生まで就学できる 6 学年校のほかに、不完全校というもの
が数多く存在している。不完全校とは、就学人口、教員、学校施設の不足により 6 年制を実施
できない小学校である。例えば、6 学年校であるにもかかわらず、教室や教員の不足により 5
年生までしか収容できない 5 学年校、同じような理由でさらに 4 年生校、3 年生校なども存在
する。よって、全児童を「どのような学校にも全くアクセスを持たない子ども」
、「不完全校に
アクセスを持つ子ども」
、そして「6 学年制の完全校にアクセスを持つ子ども」の 3 つに分類で
きる。表 3 では、このような子どもたちの割合を地域的に比較している[米村 2003:219]。
フィリピンでは、ほとんどの子どもが就学経験を持つ、とすでに述べたので「どのような学
校にも全くアクセスを持たない子ども」はほとんどいないということになる。しかし、これは
全国レベルで見た場合であり、地域的に見ると偏りがある可能性がある。同様に「不完全校に
アクセスを持つ子ども」も表 3 の地域レベルで見ると格差があることがわかる。例えば、全学
校数中の不完全校の割合を見ると、マニラ首都圏は 2.3%と少ないが、東部ビサヤ地方は 51.8%、
ムスリム・ミンダナオ自治区においては 62.3%にも上っている。このような地域では学校の量
的な問題として、学校設置の政策的重要性が強調される[米村 2003:222;224]。
10
表 3 不完全校・完全校(学年数別公立小学校数、1995/1996 年度)
不完全校
完全校
地方
(リージョン)
3 学年以下校 4 学年以下校 5 学年以下校 6 学年以下校
合計
イロコス地方
130(58.3)
174(7.8)
26(1.2)
1,899(85.2) 2,229
334(17.2)
323(16.6)
48(2.5)
1,237(63.7) 1,942
カガヤン・バレー地
方
294(11.5)
243(9.5)
37(1.5)
1,975(77.5) 2,549
中部ルソン地方
364(9.0)
254(6.3)
155(3.8)
3,270(80.9) 4,043
南部タガログ地方
205(7.1)
183(6.4)
159(5.5)
2,325(81.0) 2,872
ビコール地方
西部ビサヤ地方
409(13.1.)
498(16.0)
70(2.2)
2,136(68.6) 3,113
中部ビサヤ地方
375(14.0)
481(17.9)
82(3.1)
1,742(65.0) 2,680
東部ビサヤ地方
1,196(36.0)
394(11.9)
129(3.9)
1,601(48.2) 3,320
西部ミンダナオ地方
327(16.1)
271(13.3)
69(3.4)
1,369(67.2) 2,036
北部ミンダナオ地方
203(13.5)
205(13.6)
15(1.0)
1,086(72.0) 1,509
南部ミンダナオ地方
137(6.9)
325(16.4)
22(1.1)
1,492(75.5) 1,976
中央ミンダナオ地方
277(21.6)
178(13.9)
30(2.3)
797(62.2) 1,282
269(18.7)
277(19.2)
72(5.0)
823(57.1) 1,441
カラガ地方
3(0.6)
6(1.3)
2(0.4)
461(97.7)
472
マニラ首都圏
348(28.8)
89(7.4)
109(9.0)
662(54.8) 1,208
コルディレラ自治区
ムスリム・ミンダナ
766(49.1)
178(11.4)
27(1.7)
588(37.7) 1,559
オ自治区
5,637(16.5)
4,079(11.9)
1,052(3.1) 23,463(68.5) 34,231
フィリピン全国
( 出 所 ) Department of Education, Culture and Sports, Research and Statistics
Division(SY1995-1996),School Year 1995-1996 Table1
([米村明夫 2003:222]より筆者作成)
4‐2 教育の質的側面における中途退学と進級の問題
全国レベルで見て初等学校非修了者は、1 度は就学しているという経験があると考えられる
ため、彼らのほとんどは中途退学者となる。中途退学の理由として挙げられるのは、
「進級試験
に不合格となった」、
「近くに不完全校しかない」、
「家族の経済的事情」などである。こういっ
た事情のもと留年者が多数であるとき、進級試験不合格者も多数であり、さらに進級試験不合
格を理由としての中途退学者も多数存在するのである。留年者が多数出るということは、進級
試験の厳格さを意味し、厳格であるために多くの不合格者が出てしまうのだ。よって、6 年間
に複数回留年する可能性も高くなる。不合格者の中でも比較的熱意があり、経済的な事情や家
庭の事情が許すものが留年者となる。留年経験者の割合が高いということは、同時に中途退学
者の割合も高いということになるのだ。フィリピン全国では、留年せずに 6 学年までストレー
トに到達する児童の割合は 67%で、マニラ首都圏では 85.5%、ムスリム・ミンダナオ自治区で
は 27.8%で留年経験者は 72.1%も存在している。[米村 2003:224-225]。
進級試験不合格者は、留年しながらも初等教育を修了する者と中途退学する者であるが、両
者とも行政の提供する教育の質に問題がある。厳格である試験や提供する教育内容、教え方に
もなんらかの原因があると考えられるのである。EFA のデータでは、過去 20 年間に 6 学年ス
トレート到達率における改善はほとんど見られないといわれている。結果的に 6 年の教育課程
11
を修了していても、留年経験者や中途退学者を含めて教育の質的側面を検討する必要がある[米
村 2003:225]。
第3 章
日本によるフィリピンへの教育普及のアプローチ
本章ではまず、フィリピンの政府によって行われている教育政策について、その概要や事業
内容を述べる。そして次に、日本がフィリピンに対して行っている ODA と NGO の教育支援
について論じる。NGO については、筆者が実際に事務所訪問を行った「国境なき子どもたち
(KnK)」の活動を取りあげる。
第1 節
フィリピン政府による教育支援の取り組み
1 フィリピン政府における教育政策の体系
フィリピンにおける教育政策には、1987 年に制定された憲法及び「中期国家開発計画
(MTPDP)」が存在する。憲法では、「政府は全ての市民が全ての段階において、質の高い教育を
受ける権利を保護、推進するものとし、全ての人がそのような教育を利用できるようにするた
め、必要な手段を講じるものとする(憲法第 14 条第 1 項より)。」と記されており、教育へのア
クセスのユニバーサル化と教育の質の向上が謳われている[外務省 HP 2008,12.15]。
「中期国家開発計画(MTPDP)」では、基礎教育において「すべてのバランガイで初等教育を提
供」、「特に不利な状況にある人々に対する中等教育へのアクセス拡大」、「学校のキャパシティ
ーと教育の質の改善」が掲げられている。また、中級技能開発においては、「就学者の増加」と「卒
業生の雇用可能性及び資格・能力の向上」が、高等教育では「質の向上、奨学金の提供による貧困
層のアクセス拡大」と「システム改革」があげられている。「中期国家開発計画(MTPDP)」の現在
のものは、2004 年第二次アロヨ政権下で策定7されたものである[外務省 HP 2008,12.15]。
当該事業の対象地域である中部ルソン地方(第Ⅲ地域)で人口増加が激しいため、5,000 以上の
教室が不足している。特に中学校においては、一室に 100 人を超える学校もあり、深刻な教室
不足となっている。このため日本政府によって、中部ルソン地方(第Ⅲ地域)の校舎建設の支援
する事業が行われ、フィリピン政府は、「建設用地の確保」、「既存施設解体撤去」、「建築に付随
するインフラ引き込み、その他付帯工事」、
「技術指導に係る指導者確保」を行った。日本国側は、
「計画対象全校における 425 教室の設備」、「計画対象校のうち 84 校の便所の設置」、「計画対象
全校における教育資機材の調達」、「計画対象校のうち 22 校の中等学校における理科実験室の
建設と 26 校の中等学校における理科実験機材の調達」、「施設・家具等の維持管理についての技
術指導」を行った。これにより、計画対象校の生徒 195,160 人と教員 4,622 人が直接裨益対象
者として、また、計画対象校の周辺住民が間接裨益対象者となることが効果として期待されて
いる[外務省 HP 2008,12.15]。
2001 年には「基礎教育法令(Governance of Basic Education Act of 2001)」が発令され、質の
高い基礎教育を受ける権利の保護を国家政策として宣言しており、初中等教育の無料での義務
化確立と基礎教育関係者の役割について明記されている。地域事務所や学校が地域での教育行
7
第二次アロヨ政権は、2004 年の就任演説において以下のような「10 項目のアジェンダ」を示
している。①雇用創出、②学校の新設、奨学金の創設、③財政均衡、④インフラ整備等による
地方分散化推進、⑤全国のバランガイの電化と水道整備、⑥マニラ首都圏の過密解消に向けた
拠点都市の創設、⑦アジア地域最高水準の国際物流拠点としてのクラーク及びスービック開発、
⑧選挙システムの電算化、⑨反政府組織との和平達成、⑩国内分裂の終結、の 10 項目である。
12
政の主導権を持ち、地方予算で事業を実施するようにと定められている。また、「学校ベースの
管理(School Based Management, SBM)」の概念が導入され、校長が自らリーダーシップを取っ
て行政の管理を行ったり、学校運営におけるコミュニティの活用を推進できると規定された。
一方、高等教育については、「長期高等教育開発機関(LTHEDP)1996-2005」、職業技術訓練に
関しては「国家技術教育・技能開発計画 2000-2004」が策定された[外務省 HP 2008,12.15]。
2 教育システムの 3 焦点化と各事業における取り組み
1994 年に、現在のフィリピン教育行政にとって基本的な政策である教育システムの「三焦点
化(trifocalization)」が導入された。教育システムの三焦点化とは、フィリピンの教育行政の体
制を大きく「基礎教育」、「高等教育」、「職業技術訓練」の 3 つに分割し、それぞれの分野で行政
を行うというものである[外務省 HP 2008,12.15]。
「基礎教育」は教育省が担っており、初等教育局、中等教育局、ノン・フォーマル教育局の 3
つの局が、カリキュラムと職員の開発政策とプログラムの立案を行っている。「高等教育」につ
いては、高等教育委員会が担当しており、高等教育に関する計画や政策、戦略の作成を行う計
画委員会と、委員会の運営に関する重要事項と問題を決定する経営委員会に大きく分かれ、教
育の質の維持、向上に焦点を当てた政策を行っている。「職業技術訓練」においては、技術教育
技能開発庁が担当となって、中等教育後の中級技能開発や学位の出ない技術職業訓練プログラ
ムを管轄している[外務省 HP 2008,12.15]。
初等教育に関する主要な取り組みにおいてフィリピン政府は、1990 年に「万人のための教育
世界宣言」に署名し、その後 1991 年から 2000 年の 10 年間を対象とした「EFA フィリピン行動
計画」を策定し、「就学前教育の制度化」、「質の高い初等教育の普及」、「非識字者の根絶」、「継
続的な教育と開発の規定」の 4 つを主要な取り組みとした。また、現在、教育省は「学校優先イ
ニシアティブ(School First Initiative, SFI)」として地域社会の幅広い参画による学校改善の運
動に力を入れている[外務省 HP 2008,12.15]。
これらの結果をさらに高めるために、「基礎教育セクター改革アジェンダ(Basic Education
Sector Reform Agenda, BESRA)」が教育省と主要ドナー8により策定され、2015 年までにフィ
リピンの EFA(Education For All)目標をすべて達成することが目的とされており、以下のこと
が挙げられた。それは、1.「全ての成人の機能的識字能力向上(母語またはフィリピノ語または
英語)」、2.「全児童の就学及び小学校3年までの中退、留年の解消」、3.「全基礎教育生徒の各
学年における十分な学習到達水準での修了・卒業」、4.「すべての児童が基礎教育を受けられる
ためのコミュニティ全体の関与」の 4 点である[外務省 HP 2008,12.15]。
このように「基礎教育セクター改革アジェンダ」では学校を取り巻く地域社会の参画を得なが
ら、基礎教育のユニバーサル化や学校教育から離脱してしまった人へのフォローアップなどに
取り組む方向性が見られる。また、この事業はフィリピンの教育省と主要ドナーによって策定
された政策パッケージであり、今後の援助強調のベースになることが期待されている[外務省
HP 2008,12.15]。
また、高等教育において、高等教育委員会は「長期高等教育開発計画(LTHEDP) 1996-2005」
を策定し、高等教育制度を高い品質と卓越性、アクセスと公平性、妥当性と対応性、効率性と
実効性を高めるよう再構築するためのガイドとして役立つことを目指している。高等教育では、
教員が大学院修了の学位を持っていないというケースも多く、教育の質の問題が問われている。
8
オーストラリア国際開発庁(AusAID)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、国際協力機構
(JICA)、国際協力銀行(JBIC)、米国国際開発庁(USAID)、世界銀行、アジア開発銀行(ADB)な
どが「基礎教育セクター改革アジェンダ」の主要ドナーとしてあげられる。
13
これに対しフィリピン政府は、「高等教育中核的研究拠点(Centers of Excellence, COE)」及び
「高等教育中核的開発拠点(Centers of Development, COD)」の設置や「アクレディテーション9」
などを行っている[外務省 HP 2008,12.15]。
第2 節
日本の ODA による教育支援
1 日本の ODA の概略と対フィリピン援助
日本の援助スキームは、まず国際連合などの国際機関を通じて途上国の援助を行う「多国間援
助」と、相手国を直接援助する「二国間援助」の 2 つに分かれている。
さらに二国間援助は、途上国に低利子で長期資金を貸し出す「有償資金協力」と、返済する必
要のない資金を提供する「無償資金協力」、そして日本から専門家を派遣したり、途上国からの
研修生の受け入れなど、途上国の人材育成と日本からの技術移転を行う「技術協力」の 3 つに分
けられる[外務省 HP 2008,12.15]。
有償資金協力の大まかな事業内容としては、プロジェクト借款、ノン・プロジェクト借款、
債務繰延となっている。また、無償資金協力においては、一般無償援助の一般プロジェク
ト、ノン・プロジェクト、草の根・人間の安全保障無償、日本 NGO 支援無償、留学・研究支
援無償と、水産無償、緊急無償、文化無償、食糧援助、貧困農民支援といった援助がある。
そして、技術協力においては、研修員受け入れ、専門家派遣、プロジェクト技術協力、開
発調査、青年海外協力隊派遣、シニア海外ボランティア派遣、国際緊急援助隊派遣、草の
根無償技術協力となっている[外務省 HP 2008,12.15]。
なお、
フィリピンに対する ODA 実績のうち、
DAC 諸国による荷二国間援助が全体の 86.8%
を占め、そのうち対フィリピン援助全体に占める日本の存在は他の国と比較して際立って
大きいと言える。これは日本とフィリピンの緊密な二国間関係を反映したものであると共
に、日本の援助において円借款の占める比率が高いことが理由としてあげられる[外務省
HP 2008,12.15]。
日本の援助における教育セクターでは、1990 年の「万人のための教育(Education For All)」宣
言をきっかけに、基礎教育が世界的に重視されるようになった。それまでは高等教育・職業訓練
を中心としていた日本の援助も、1990 年以降はその対象を初等・中等教育に広げ、基礎教育と
教育の量的拡大を重視するようになった。こうした教育協力の拡大によって、学校建設のため
の無償資金協力と理数科分野の技術協力がフィリピンでの教育協力の代表的な形態となった。
フィリピンは日本にとってこの 2 形態で本格的な教育協力が初めて実施された国であり、日本
の教育協力の先駆的存在となったのである[外務省 HP 2008,12.15]。
2000 年には、日本は初めての対フィリピン国別援助計画を策定し、そこでは「持続的成長の
ための経済体質の強化及び成長制約要因の克服」、「格差の是正」、「環境保全と防災」、「人材育
成及び制度作り」の 4 つを重要分野として、円借款、無償資金協力、技術協力を通じて援助を
行うこととしている。また、上記の 4 分野に加え、「ミンダナオ支援」も対フィリピン援助の柱
の一つとされている[外務省 HP 2008,12.15]。
対フィリピン国別援助計画の教育支援分野である「人材育成及び制度作り」では、校舎や教室
の整備、教員の養成等によって、初等中等教育の普及や質の改善を目指した支援を行っている。
また、貧困層に対しての職業訓練の支援や、地方の行政官の能力向上への配慮にも取り組んで
いる[外務省 HP 2008,12.15]。
9
アクレディテーションとは、フィリピンの高等教育の質の向上のために設けられた評価認定
制度である。
14
2 教育セクターにおける日本の ODA の協力実績
フィリピンの教育セクターにおける日本の協力実績としては、「第 6 次教育施設拡充計画」、
「貧困地域初等教育事業」、「貧困地域中等教育拡充事業」、また、ソフト面の取り組みとして教
授法の改善である「初中等理数科教員研修強化計画」の4つの協力事業が行われ、従来のハード
中心の支援に加えてハードとソフトを組み合わせた支援が実施された。
「第 6 次教育施設拡充計画」は、2002 年度及び 2003 年度に、ルソン島中部(第Ⅲ地域)の教室
不足緩和のため無償資金を給与し、校舎の建設を行った。2 ヵ年度で小学校 31 校、中学校 54
校を新たに建設し、総事業費は 18 億 6,500 万円(日本側:16.45 億円、フィリピン国側:2.11 億円)
であった。なお、日本はこれ以前にフィリピンに対し、1990 年以降小中学校あわせて 443 校
の校舎建設の協力を行っている[外務省 HP 2008,12.15]。
2‐1 貧困地域初等教育事業
「貧困地域初等教育事業(Third Elementary Education Project, TEEP)」は、初等教育機会への
アクセス拡充と初等教育サービスの質の改善のためのプロジェクトである。本プロジェクトは、
ラモス政権下で定められた社会改革アジェンダ対象の貧困 20 州に世界銀行の指定のした 6 州
を加えた計 26 州のうち 23 州を対象としている。「貧困地域初等教育事業」は、1997 年より
JBIC(国際協力銀行)が世界銀行と協働で進めてきた協調融資案件であり、JBIC と世界銀行は
事業内容ごとに実施対象州を分担して行っている。まず、「学校施設増改築・機材家具供給(対象
8,900 校)」では JBIC は 16 州、世界銀行は 7 州を担当している。また、「教科書・指導書・補助
教材配布(430 万冊)」と「教員・行政官訓練(対象約 6 万人)」においては世界銀行が全対象地域を担
当している。そして、「学校改善改革基金(School Improvement and Innovation Fund, SIIF)」
と「コンサルティングサービス(教育省中央及び対象地域の教育省事務所に対する支援)」におい
ては JBIC が全対象地域を担当している[外務省 HP 2008,12.15]。
なお、当事業では地方自治体に対し、学校施設の整備にかかるコストのうち 10%のみの負担
を求めている。よって、地方自治体は通常の 10%のコスト負担で学校施設の整備が可能となる。
これは、校長やコミュニティによる学校運営や管理の自発的な参画に繋げようとするもので、
ソフトな支援策という面も含まれている。
2‐2 貧困地域中等教育拡充事業
「貧困地域中等教育拡充事業(Secondary Education Development and Improvement Project,
SEDIP)」は、中等教育機会へのアクセス拡充と中等教育の質の改善のプロジェクトである。
「貧困地域初等教育事業」同様、貧困地域 26 州と対象とし、1999 年より JBIC とアジア開発銀
行(ADB)が協働で進めてきた協調融資案件である。JBIC と ADB は事業内容ごとに実施対
象州を分担しており、JBIC は「学校施設増改築・機材家具供給(対象 650 校)」と「コンサルティン
グ・サービス」というハードに対する譲許的融資を行った。そして、ソフト面の「教科書・指導書・
補助教材配布」、「教員・行政官訓練」、「教育地方分権化支援、中学校革新基金(High School
Innovation Fund, HSIF)」については ADB が全対象地域を担当して行った[外務省 HP
2008,12.15]。
「貧困地域中等教育拡充事業」は「貧困地域初等教育事業」の中学教育版であるが、地方自治体に
対する学校建設の整備にかかるコスト負担割合は 25%とされ、初等教育事業より 15%ほど高
く設定されている。当該事業の借款契約は 1999 年 12 月で、借款金額は 72 億円、650 校が対
象校として想定されている現在進行中のプロジェクトである[外務省 HP 2008,12.15]。
15
2‐3 初中等理数科教員研修強化計画
「初中等理数科教員研修強化計画(Project on Strengthening of Continuing School Based
Training Program for Elementary and Secondary Science and Mathematics Teachers,
SBTP)」は、「理数科教育開発パッケージ協力」での課題を受け、1999 年より開始されたプログ
ラムである[外務省 HP 2008,12.15]。
「理数科教育開発パッケージ協力」においては、フィリピンでは経済発展を支える理工系人材
の育成という観点からの理数科教育におけるプログラムである。この分野で JICA(国際協力機
構)は、1994-1999 年にフィリピンの複数省庁と共に「理数科教育開発パッケージ協力」をビコー
ル地方(第Ⅴ地域)、西部ビサヤ地方(第Ⅵ地域)、ダバオ地方(第ⅩⅠ地域)で実施し、教員研修体
制の整備と実験・観察を取り入れた体験的理数授業の普及を「カスケード方式 10」で行ってきた
[外務省 HP 2008,12.15]。
このパッケージ協力によって「地域に根ざした教材作り」や、「生徒を中心とした授業展開方
法」の必要性が明らかになり、これに対する新たな技術支援として「初中等理数科教員研修強化
計画」が導入されたのである。また、このプロジェクトは、「理数科教育開発パッケージ協力」
の「カスケード方式」に変わり「クラスター方式11」の研修体制となり、同じ地域に勤務し、同じ
教科を担当する教員が定期的に授業研修を行い、教授法を検討するという活動が実施されてい
る。生徒を中心とした授業展開の実現のため、教員に対し生徒の自発的な参加を促すような授
業の進め方や生徒に対する質問の仕方、独自の教材開発の工夫などが本プロジェクトによって
進められた[外務省 HP 2008,12.15]。
JICA は、青年海外協力隊や技術協力専門家を各地に派遣し、「初中等理数科教員研修強化計
画」の支援を行っている。技術協力専門家は、理数科教育や教員研修の指導を専門としており、
各地域の教育事務所でフィリピン人の指導主事や教育行政官と共にプロジェクト実施のための
マネージメントを支援している。青年海外協力隊は、理数科教師として派遣され、研修の指導
者や教員を学校現場で支援している。地方の学校の巡回や、フィリピン教員の作成した授業案
の点検、より良い指導方法や実験教材の紹介等でプロジェクトの支援に携わっている[外務省
HP 2008,12.15;JICA HP 2008,12.15]。
教育の量的不足における日本の支援としては、本章の第 1 節で述べている 5,000 以上の教室
が不足している中部ルソン地方(第Ⅲ地域)では、日本の ODA はその約 1/10 にあたる 425 教室
の設備を行っている。その他にも便所の設置や教育資材の調達、理科実験室の建設などによっ
て、195,160 人の生徒と 4,622 人の教員が直接裨益対象者となっている。また、「貧困地域初等
教育事業」の対象校は 8,900 校、2005 年 6 月末までで 4,915 教室の新築と、13,796 教室の改築
を完了している。こういったことから、日本はフィリピンの教育の量的不足に対し、積極的な
支援活動を展開しており、その貢献は大きいものであると筆者は考える。
教育の質という面では、外務省及び JICA の活動報告書にその具体的な事例は記載されてい
なかったが、日本は理数科教育援助を中心としており、教員の質の向上によって授業の質の改
善や、生徒の学習意欲、知識の向上につながることを目的とした支援を行っている。授業の質
は、教師がいかに内容を理解して、それを生徒が分かるようにどう伝えるかにかかっている。
こうした教育の質の向上に向けた支援による成果は、必ずしもすぐ結果に結びつくとは言えず、
10
カスケード方式とは、各地方の教員から選抜された者に対して中央の機関で研修を行い、そ
の受講生が地方に戻って各地方の教員を対象に研修を行うというもの。
11 クラスター方式とは、各地方の学校群の教員に直接研修を行うというもの。
16
目には見えないものである。よって、単純な判断はし難いが、日本の支援によって現場教員に
少なからずインパクトを与えられたのではないか。そして、フィリピンの教員及び授業の質の
向上に影響を与えられるプロジェクトであったのではないかと筆者は考える。
第3 節
日本の NGO による教育支援-国境なき子どもたちの活動事例-
1 国境なき子どもたち(KnK)概要
「国境なき子どもたち(以下 KnK)」は、「国境なき医師団 日本(MSF-J)」の青少年向け教育プ
ロジェクトとして 1997 年 9 月に設立され、2000 年 11 月に独立した特定非営利法人(NPO 法
人)である。KnK は、「共に成長するために」という理念のもと、アジア 9 カ国(フィリピン、ベ
トナム、カンボジア、インドネシア、東ティモール、バングラデシュ、インド、パキスタン、
ヨルダン)で活動しており、総勢 5,000 人の恵まれない境遇に置かれた青少年を対象に教育を中
心とした支援活動を行っている[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
以下の 3 点が KnK の活動方針である。
・ アジアにおける開発途上国と日本の青少年の相互理解と友情を促進する。
・ 困難な状況にある青少年に、理解と援助および教育の機会を提供し、年齢にふさわしい尊
厳ある生活が送れるようサポートする。
・ アジアの活動現地国において、人々の宗教的・政治的信条や信念を尊重し、男女区別なく
援助を提供する[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
また、KnK は海外だけでなく日本国内でも活動しており、写真展や公開講座を開催したり、
現地での活動紹介ビデオの貸し出しや支援者向けのニュースレターの発行、募金活動、国内外
のボランティア参加者の募集などといったことを行っている。また、「友情のレポーター12」や
「友情の 5 円玉キャンペーン13」という小学生からでも参加できるプロジェクトもあり、より多
くの人が支援に携わることができるようになっている[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
2 フィリピンでの活動内容
KnK のフィリピンでの支援活動は大きく分けて、①「『若者の家』での青少年への支援活動」、
②「サガンダン墓地でのストリートチルドレンへの支援活動」、③「法に抵触した青少年への刑
務所での支援活動」
、④「パヤタス、バゴンシーランのスラム地区における青少年への支援活動」
の 4 つである。
2‐1 「若者の家」での青少年への支援活動
「若者の家」では、事情により家庭に戻れないストリートチルドレンや未成年受刑者(CICL)を
保護している。主に 8~18 歳の子どもたちを対象14に、専門知識のあるソーシャルワーカーが
定期的にカウンセリングを行い、ハウスマネージャーやエデュケーターと共に子どもたちの日
常生活面でのケアと心理ケア、教育支援を行っている。子どもたちはスタッフの細心のケアの
日本の小・中・高生をレポーターとしてアジアの KnK 活動地へ派遣するプログラム。
5 円玉の募金でアジアの恵まれない子どもたちを支援するプログラム。目安として、5 円玉
12 枚で 1 人の子どもが 1 日、学校で勉強することができるとされている。
14 以前、14 歳以下の子どもは「友情の家」、15 歳以上の子どもは「若者の家」に分けられていた
が、現在「友情の家」は「若者の家」に統合され、同施設は年齢ごとに 2 つのグループに分けられ
ている。
12
13
17
もと、
「若者の家」で社会生活の基礎を学び、個人のレベルに合った識字クラスや公的教育を受
けたり、情操教育の一環としての課外活動に参加するといった生活を送っている[国境なき子ど
もたち HP 2008,12.15]。
また、筆者が事務所訪問の際にスタッフの清水さんにお伺いした話 15によると、「若者の家」
では子どもたちに対し定住は強制しておらず、出入りが自由でいつでも門は開いているそうだ。
よって、子どもたちは自らの意思で居住することができるのだ。「若者の家」での共同生活は路
上での生活と比べ、彼らには窮屈に感じてしまい、再び路上へと戻ってしまうことも多い。「若
者の家」を出て行ってしまった子どもに対し、スタッフは子どもたちのいるストリートへ出向き、
彼らとじっくり話をする、といったフォローを行っている。こうして子どもたちは「路上」と「若
者の家」の往復を始め、KnK との信頼関係を築く中で、次第に「自分の家」という認識を持つよ
うになる。子どもたちが定着するには、スタッフがどれだけフォローできるかにかかっている
という。何度も子どもたちのもとへ足を運び、安心感を与え、彼らの居場所があることをスタ
ッフは日々子どもたちに伝えているという。
また、スタッフの中には、元ストリートチルドレンで KnK の支援を受けてきた者もいる。
彼らは自らの経験に基づき、子どもたちに対して適切な対応ができるのだという。また、子ど
もたち側も、元ストリートチルドレンであったスタッフに対し親近感を覚え、
「自分もこうなれ
るかもしれない」と、彼らをお手本にすることができる。KnK ではこれまで教育支援をうけて
きた青少年が、受益者から支援者になるための「ピア・エデュケーター研修」も行っており、多
くの青少年が参加している。
2‐2 サガンダン墓地でのストリートチルドレンへの支援活動
カローカン市にあるサガンダン墓地には 70~100 名の未成年の子どもたちが寝泊りして生活
している。墓地での生活は極めて不衛生であり、常に周囲の大人からの暴力に曝されているた
め、極めて危険な状態である。KnK は週に 2 回スタッフが墓地に赴き、子どもたちの生活状況
や健康状態のモニタリングやカウンセリングを実施している。また「若者の家」への入居案内も
行っており、これまで約 100 名以上の子どもたちが、自らの意思で「若者の家」へ入居している
[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
2‐3 法に抵触した青少年への刑務所での支援活動
KnK は、2001 年にマラボン市刑務所と青年支援に関する協議のもと、週 1 回の訪問許可を
得て、未成年受刑者(CICL)を対象とした教育プログラムを実施し、ボランティア教師による識
字、レクリエーション、子どもの権利について子どもたちに教育支援を行った。また、子ども
の保護や釈放を裁判所に訴えるアドボカシー活動や、釈放後の「若者の家」の受け入れなども行
っている。なお、少年法の改善に向けたアドボカシー活動にも長年力を入れており、その成果
が挙げられ、2006 年には新たな少年法 16 が制定されるに至った[国境なき子どもたち HP
2008,12.15]。
2‐4 パヤタス、バゴンシーランのスラム地区における青少年への支援活動
パヤタスとバゴンシーランでは、地域に密着した教育支援プログラムが行われている。
2008 年 12 月 11 日に KnK の東京事務局を訪問。
2006 年に制定された新たな少年法では、「15 歳以下の者は刑罰の対象とならず、拘束を受け
てはならない」とされている。また、16 歳以上 18 歳未満の者で責任能力のある者は、刑務所で
はなく青少年のための収容施設に送られることとなった。
15
16
18
・パヤタス
ケソン市のパヤタスでは、スモーキーマウンテン17があることから、付近にスラムが形成さ
れ、学校で教育を受けずにゴミを集めて働く子どもたちが数多く存在する。KnK はそのような
子どもたちに教育の場を提供するために、奨学金の支給や非公式教育を実施している[国境なき
子どもたち HP 2008,12.15]。
2005 年に KnK から教育費サポートを受け、公立学校に通う子どもは 6 名で(うち小学校レベ
ル 1 名、高校レベル 5 名)、非公式教育に登録した子どもは 40 名であった。また、毎週土曜日
に行われるレクレーション活動は、全体としての参加者は 119 名で、そのうち 53 名は定期的
に参加している[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
・バゴンシーラン
カローカン市のバゴンシーランはアジア最大のスラム地域と言われ、定期的な収入を得ない
貧困層の家庭が多く、犯罪率も非常に高い。そのため、学校に通えない子どもたちが多く存在
し、そういった子どもたちがストリートチルドレンや CICL となってしまうケースが後を絶た
ない。
KnK はバゴンシーランの中でも特に人口の多い第 7 地区と第 8 地区の 2 箇所で非公式授
業を実施している。2007 年は、公式教育を受ける 36 名の子どもに奨学金を提供し、また、公
式教育レベルに達していない子どもたち 136 名に対し非公式教育を行った[国境なき子どもた
ち HP 2008,12.15]。
これら 2 つの地域では子どもたちへの教育支援と並行して、親や地域住民に向けた子どもの
教育に関する意識改革やセミナーを実施しており、地域に密着した支援が行われており、毎回
100 名から 300 名が参加している。また、両地域において 10 名以上の母親層のボランティア
による事業運営の定期的な参加も見られ、草の根レベルで地域住民に対し良い影響を与えてい
る[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
3 パヤタスとバゴンシーランでの教育支援における実績と基礎データ
3‐1 公的教育支援
表 4 は、2002 年から 2006 年の各年度における公的学校への入学者数と奨学金支給人数を示
している。公的学校への入学者に関しては、KnK の施設入居者のうち計 126 名と、バゴンシー
ランでの ALS18の授業参加者のうち計 13 名が公的学校への入学が可能となった。また、計 47
名が中退しているが、施設を卒業して家族のもとへ戻った者など居場所が変更となったことが
主な理由とされているのだという[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
また、奨学金支給者人数に関しては、バゴンシーランで計 61 名、パヤタスで計 35 名が奨学
金による援助を受け、公的学校に通っている。KnK 施設の卒業生は計 8 名と人数は限られてい
るが、卒業後も継続的な教育支援が行われた。卒業生の人数が限られている理由としては、卒
業時には成人に達しており、成人教育を受ける必要があることや、家計を支えるため卒業まで
到らなかったという点があげられる[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
17 フィリピン・マニラ市の北方に位置するおよそ 29 ヘクタールの巨大なスラム街のこと。1954
年にゴミの投棄場所となり、それ以降大量のゴミが運び込まれ続け、21 ヘクタール、高さ 30
メートルの山が出来き、そのゴミが自然発火して常に煙を上げていることから、「スモーキーマ
ウンテン」と呼ばれている。
18 KnK がフィリピンで行う非公式教育(ノン・フォーマル教育)の一環。教育省に認証された公
的資格を持つ KnK スタッフ教師が公式教育の指導要項にそって授業を行っている。
19
表 4 公的学校への編入学と奨学金支給の実績
公的学校への編入学者(中退者)数
奨学金支給人数
年度 KnK 施設における バゴンシーラン
バゴンシーラン パヤタス
入居者
での ALS 参加者
2002
40(20)
0
0
0
2003
33(12)
0
0
0
2004
33(8)
0
0
7
2005
11(3)
7(0)
13
14
2006
9(0)
6(4)
48
14
計
126(43)
13(4)
61
35
(国境なき子どもたち「フィリピンにおける活動報告書、2007」による)
knk 施設
卒業生
0
0
6
0
2
8
3‐2 ノンフォーマル教育
KnK では、ALS 教授法の正式なライセンスを持つ 2 名の現地スタッフによる ALS 授業が
2004 年 10 月からバゴンシーランとパヤタスで正式に開始された。フィリピン政府公認の ALS
において、学年末に教育省の ALS 局により学業修了試験が実施され、合格者には公的学校にお
ける卒業と同等の資格が与えられる。よってこの資格を得るにあたって、ALS の登録を行い、
ALS の授業を受けて、学業修了試験を受験するといった流れになっている[国境なき子どもた
ち HP 2008,12.15]。
事務所訪問の際のインタビューによると、KnK の非公式授業では、1 年のうち半年は学校の
公的教育と同じ内容となっており、残りの半年は、卒業資格取得のための、いわゆる受験対策
のような授業内容となっているのだという。ALS では 2 名の教員スタッフのほかにボランティ
アティーチャーとして、子どもたちの母親も活動している。母親はボランティアとして参加す
ると、自分の子どもが優先的に授業を受けられるという優遇が設けられているそうだ。
表 5 は、バゴンシーランとパヤタスにおける 2004 年から 2007 年の各年度別の ALS 登録者
数および修了者数を示している。また、表 6 はバゴンシーランとパヤタスにおける受験者数と
合格者数を示している。2 つの表の見方として、バゴンシーランでは 2004 年度の ALS を 2005
年に修了した人数が 40 名、そのうち試験を受けたのが 25 名、そして合格者は 1 名となってい
る。2005 年から 2006 年を通じて、合格者の総数は 9 名であった。なお、この 9 名のうち、1
名は小学校卒業レベル、8 名が高校卒業レベルの合格者である。合格者の数自体は多いとは言
い難いが、多くの青少年がこれまで学校に通うことができず教育を受けられなかった状況を考
慮すると、当該事業の成果としてある一定の評価がなされるべきであると言える、と KnK 自
身はとらえている。また、両地域での ALS の授業の登録者および修了者の数は年々増加してお
り、現地の青少年からのニーズが高く、今後も KnK の実施する非公式授業の必要性が高いこ
とがうかがえる[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
表 5 バゴンシーランとパヤタスにおける ALS 登録者及び修了者数
年度
バゴンシーラン
パヤタス
登録者数
修了者数
登録者数
修了者数
2004
42
40
17
8
2005
128
52
40
25
2006
300
117
90
31
計
470
209
147
64
20
(国境なき子どもたち「フィリピンにおける活動報告書、2007」による)
表 6 ALS 修了後の国家学業修了試験の受験者及び合格者数
年
バゴンシーラン
パヤタス
受験者数
合格者数
受験者数
合格者数
2005
25
1
0
0
2006
24
3
25
計
49
4
25
(国境なき子どもたち「フィリピンにおける活動報告書、2007」による)
5
5
3-3 青少年の社会への再統合
「若者の家」などの KnK の施設で、ある一定の期間過ごした子どもは、スタッフによって適
切な時期と判断された場合、または家族や親戚による受け入れ態勢が整ったと判断された際に
は、社会への再統合プロセスが進められる。これまで施設を卒業して社会へ再統合した青少年
の人数は合計 92 名で、各年度の内訳を見ると、2002 年は 11 名、2003 年は 35 名、2004 年は
16 名、2005 年は 14 名、2006 年は 16 名となっている[国境なき子どもたち HP 2008,12.15]。
卒業後の子どもたちの近況については、現地スタッフが定期的に連絡を取り、家庭訪問を行
うなど、その後のフォローアップによって情報が得られている。特にマニラ首都圏及びその近
郊で生活している子どもで、2007 年 3 月の時点で定期的に連絡を取っている卒業生の近況につ
いては、一部データがあるので紹介しておく。
卒業後に通信学校に通っている者が 2 名。卒業後に他の NGO の職業訓練を受けて家具制作
業に就いた者、レストラン業に就いた者、土木作業に就いた者、工場作業員、販売員になった
者が各 1 名ずつとなっている。
また、人数が限られている理由としては、子どもたちの多くは地方出身者であり、卒業後に
は出身地の家族の元に戻るといったことが多く、通信手段も限られており、卒業生との連絡を
とることは難しい状況にあるためである。
以上のようなことから、KnK は草の根レベルでの支援活動を行っていることが分かる。その
活動事業や地域、対象者が明確にされており、それらに沿った支援活動が行われている。
「若者の家」では、主に 15 歳以上の青少年の子どもたちを対象としている。フィリピンには
たくさんの NGO 団体が存在するが、その対象者のほとんどが幼い子どもたちである。それら
の NGO の支援は、子どもが 15、16 歳になる頃には終わってしまい、彼らは施設などから出
なくてはならず、再び元の路上生活に戻ってしまうというケースが多いのだ。KnK では、そう
いった支援を受けられない子どもたちに目を向け、支援対象者としている。また、15 歳以上の
青少年だけでなく、低学年の子どもたちへのニーズにも応え、活動の幅を広げている。このよ
うな現場の状況に応じた KnK の活動は、数ある NGO の中でも非常に重要な存在であると筆者
は考える。幼い子どもへの支援というのが最も重要ではあるが、それと同時に支援対象から外
れてしまう青少年への支援活動も、彼らの未来を大きく左右することにつながるからだ。
すでに述べているように、KnK のノン・フォーマル教育や奨学金制度によって教育の機会を
得た子どもたちは数多く存在する。その対象者は限定しておらず、どんな子どもでも教育支援
が受けられるようになっており、ゴミ山で働く子どもたちの多いパヤタス、アジア最大のスラ
ムと言われるバゴンシーランの両地域においても教育支援のニーズは高いため、KnK の存在意
義は非常に大きいといえるのではないかと筆者は考える。
21
また、KnK による ALS の授業を受ける子どもの中には、成績が優秀な者や学業修了試験を
受験し、合格して卒業資格を得る者もおり、KnK が子どもたちに対して適切な教育支援を行っ
ていると言えるだろう。少しずつではあるが、こうした結果が出ていることは高く評価すべき
点であると筆者は考える。
終章
対フィリピンにおける日本の教育協力のありかた
本論文では、フィリピンの都市と農村の貧困、貧困がもたらす教育における諸問題、そして
日本のフィリピンに対する教育支援についてとりあげてきた。終章では、まず第 3 章で述べた、
日本政府の教育援助と KnK の援助を比較し、考察を行う。そして、それをふまえた上で、こ
れまで述べてきたフィリピンの教育における問題点から、日本政府、日本の NGO としてはど
のような教育協力が適切であるかを論じる。
ODA による教育支援では、フィリピン政府との協調のもとで行われており、すでに第 3 章で
も述べているように、小学校、中学校、高等学校と様々なプロジェクトによる支援が行われて
いる。その規模や対象者は、NGO である KnK と比べても大きく幅広いことは明らかである。
一方、支援の質という面を考えると、ODA に比べ KnK は地域や対象者を絞った、深くきめ細
かな活動を行っているといえるだろう。KnK は地域に密着した活動を行っているため、対象者
となる子どもの反応を直接見ることができ、現場のニーズに合った柔軟な対応ができるからだ。
ODA と NGO のあり方として、ODA は教育支援を幅広く大きな枠組みで行い、それぞれの
専門分野や目的を持っている NGO は、政府の事業の細かな部分のフォローや、十分な支援が
行き届いていない対象者や分野の担い手となっている。こうした ODA と NGO の支援は、日
本の援助における 1 つの形態として捉えることができるだろう。KnK はこういった点では、日
本政府にはない独自の支援活動を行っている NGO であると筆者は考える。
対フィリピンの日本の教育協力において、政府の ODA と NGO の役割を明確にし、それぞ
れが現場の状況に合わせた的確な支援を行うべきであると筆者は考える。教育の量という点に
おいては、日本の ODA は校舎や教室の建設といったハード面の支援によって大きく貢献して
いるが、量的不足の状態は未だ解消されていない。よって、日本の ODA による学校施設拡充
は引き続き重要な支援であると言える。
教育の質という点においては、本論文の中で触れているが、教員の質を高めることが重要で
あると筆者は考える。生徒の退学率の問題においても教育の質が問われているが、まずは教員
の理解力や指導力を強化する必要がある。フィリピンの教育の諸問題として、バイリンガルに
よる言語の問題や、理数科目の理解度の低さをとりあげたが、これらの点においても、教員が
正しく理解し、生徒に対して的確に伝えることが重要となる。また、必要な状況に応じて教員
は、英語をフィリピノ語や地方言語に訳す能力を備えておくといった必要性を筆者は感じてい
る。そして、生徒に無理のないカリキュラムで授業を行うべきである。また、理数科目におい
ては、生徒の理解度を高めるためにも、基礎に重点を置くべきであると筆者は考える。また、
英語で行う授業の場合には、言語に注意しながら、生徒が理解できるような伝え方が必要とさ
れるであろう。
そのために、前述した「初中等教育理数科教員研強化修計画(SBTP)」のような教員向けの研修
を今後も定期的に実施すること、そして同時に、その効果を知るために、授業を受ける生徒の
状況調査も行う必要があるだろう。
こういった政府の ODA による教育支援に対し、NGO としては草の根レベルの教育支援が必
要とされると筆者は考える。NGO はそれぞれの担当する事業に集中的に取り組み、対象者や
地域の情報を的確にとらえ、密着した支援を行っているからだ。
22
フィリピンの教育水準は途上国の中でも非常に高く、
初等教育の就学率は 90%を超えている。
この 90%に入っていない残りの 5~10%はというと、地上地方言語を話すため授業についてい
けないといった少数民族や、スラムなどで生活していて、公的な教育サービスが受けられない
子どもがその対象にあたる[外務省 HP 2008,12.15]。
また、筆者が本論文中でも述べた、学校にアクセスを持たない子どもや貧困や家庭の事情に
より学校に通えない子ども、ストリートチルドレンなどもこの 5~10%に含まれると考えられ
る。就学率が 90%とどんなに高かろうと、100%にならなければ EFA(Education For All)の達
成とは言えない。100%を実現させるためには、上記したような残りの 5~10%にあたる子ども
たちへの教育支援が必要不可欠となるのだ。筆者は、そのような子どもたちを対象とする際に
重要となるのはノン・フォーマル教育であると考える。本論文の第 3 章でも述べた KnK のよ
うな、NGO による草の根型の教育支援によってフォローすることが 1 つの支援策となりうる
のではないだろうか。
これまでで見てきて分かるように、な教育協力のアプローチには ODA と NGO の連携が大
変重要である。ODA と NGO の連携及び支援の効率化をはかるため日本政府は、「NGO・外務
省定期協議会」や「NGO・JICA 協議会」、「NGO・JBIC 協議会」といった場で、NGO との対話
に努めている。日本政府は、NGO の抱える諸課題や要望に配慮し、支援策の充実・多様化に
努めていくことが重要であるとしている。また、NGO が様々な援助分野、課題に専門性や実
施能力を高めていけるよう、その育成と強化に努めることを課題としている[外務省経済協力局
民間援助支援室 2004:2-3]。
日本の教育協力のアプローチにおいて、ODA と NGO の関係性は非常に重要であり、両者の
連携を保ちながら、それぞれが情報や意見交換をしながら支援活動を行ってゆくべきであると
筆者は考える。そして、互いがこれまでの支援活動を活かし、今後の発展につなげていくため
のさらなる努力が必要となるであろう。教育の量においては教育施設の拡充、質においては教
員指導、そして教育を受ける子ども自身に向き合うといったことが教育協力アプローチの具体
的な支援策として挙げられると筆者は考えている。日本の教育支援によって、教育における諸
問題への新たな取り組みや、フィリピンでの教育普及の効果をもたらす余地があると言えるの
ではないだろうか。
第3章の ODA と NGO の筆者の評価、および終章ですが、やや ODA にも NGO にも甘いよう
に思います。評価することはいいのですが、やはり課題も指摘しないと、論文としては不適切
だろうと思います。批判すべき点、改善されるべき点を付け加えてください。
以上の諸点を直した上で、プリントアウトして、教務課に提出してかまいません。再度の添削
は不要です。14日に残りの印を指導表に押しますので、オフィスに来て下さい。それと一緒
に卒論を教務課に提出してください。なお、卒業記念 CD に載せる最終版の卒論は提出後に変
えても構いません。
牧田
23
<参考文献>
絵所秀紀・穂坂光彦・野上裕生(2004) 『シリーズ国際開発第 1 巻 貧困と開発』日本評論
社
大野拓司・寺田勇文(2001) 『現代フィリピンを知るための 60 章』明石書店
外務省経済協力局民間援助支援室(2004) 『ODA と NGO~政府と NGO 間の連携・支援・
対話』
シンシア・D・ノラスコ(1994) 『フィリピンの都市下層社会』明石書店
文部省大臣官房調査統計企画課(1996) 『諸外国の学校教育. アジア・オセアニア・アフリ
カ編』大蔵省印刷局
米村明夫(2003) 『世界の教育開発:教育発展の社会科学的研究』明石書店
<参考 HP>
外務省 HP (2008.12.15) www.mofa.go.jp
国際機構(JICA) HP (2008.12.15) http://www.jica.go.jp/
国境なき子どもたち HP (2008.12.15) http://www.knk.or.jp/index.htm
24