道の作文コンクール 入選作品 道 の ケ ア 星空の見える上り坂と、 発見の

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学園通信
№63
道の作文コンクール 入選作品
前号でお知らせした入選作品を掲載します
道 の ケ ア
2006.5.15
星空の見える上り坂と、
発見のある裏道
一宮 瑛 (59 期)
金賞
堀米 旭 (59 期)
銀賞
昨年の十月末、僕の学校が主催する「歩く大会」が開か
れた。JR御殿場線の山北駅から秦野市郊外までの 24km
僕は最近、
道の在り方に不安を感じるようになってきた。
をひたすら歩き通す。学校は鎌倉市にある為、中一の僕達
放置自転車で埋めつくされた歩道を全速力で走っていく自
にとっては地図を頼りに秘境を散策するようなもので、ま
転車、信号や標識を無視する自動車。僕たちが安心して歩
さしく「冒険」
。山越え川越えの道のため、どこまでも上り
ける道はどこへ行ってしまったのだろうか。
坂が続くような感じ、最初は気が遠くなりそうだった。
道は、昔から人々と深い関わりを持って作られてきた。
けれど、僕は上り坂が好きだ。身体への負担を加算して
仏教を広めるために様々な法師が通った場所も道であり、
もである。何故か――。上を見るからである。上を見るだ
文化の交流のために商人が通った場所も、道である。さら
けでポジティブ思考になるような気がする。上を見ると嫌
には、
鎌倉の切通しのように、
戦と関わりの深い道もある。
な事も「ま、いいか」と思えるのだ。そうはならなくても、
これらの道はすべて、日本人が歩んできた歴史とともに生
「頑張って上り切ろう」と思えれば少なくとも前進はする
きてきたのである。そして、江戸につながる重要な道は、
はずだ。そして、上を見れば空が見える。空は気分を大き
東海道、中仙道、甲州街道、日光街道、奥州街道等、名前
く左右する。曇っていれば何となく沈み、晴れていればそ
が付けられ、親しまれてきた。
の通り晴ればれしい。あの青い空を見れば地球が存在し自
明治時代に入ると、外国文化の影響で、広いレンガの通
分が居る奇跡を感じ、車の CM の「この青空を、子供たち
りを馬車や人力車が走るようになった。さらに、汽車が走
に残したい。
」という文句に同意できる。満天の星空に浮ぶ
るようになったので線路という新しい道も出来た。
星座を見つけたときの気分といったらない。僕は傾斜のあ
このように、昔の人々は、道を大事にすることで、今の
日本を作ってきたのだ。
それでは、今の道は未来の日本にどのような影響を与え
られるだろうか。
る住宅地に住んでいる為、いつも坂の上に広がる空の表情
を見て育ってきた。
いつまでもきれいな空であってほしい、
とその度に思った。
先述の「歩く大会」から考えることはもう一つある。こ
この間、たまたま見たテレビでは、点字ブロックまで埋
の大会は中一が一番楽しいだろう、ということだ。何故か
めつくす大量の放置自転車や、買い物客がよく通る、せま
というと中一では道を全く知らない為、わくわく感は他の
い路地を超スピードで走っていく車などが映されていた、
学年の何倍にもなるだろうと思うからだ。なにしろ見てる
そして、地域の住民の不安な様子が、ありありと伝わって
もの全てが「発見」なのだから。このような「発見」は近
きた。
所にだってある。つまり、初めて通る道に関する期待感は
さて、このような状況が、今後の社会に好影響を与えら
れるとは思えない。これからの僕らが苦しむことになる。
このような特別な機会でなくても存在するということだ。
僕の場合、いつもと違う道を通ればそこにはいつも「発見」
本来の道を取り戻すためには、人々が道を通して文化交
がある。立派なお屋敷、小さな川、飼われている犬、いつ
流をするべきだと思う。例えば歩道の段差をなだらかにす
も部屋から聞く音の音源がわかることもある。裏道ほど身
れば車いすに乗っている人も活動範囲が広がるかもしれな
近で好奇心をそそるものはない。たまに気の向くまま、わ
いし、歩道を広くしたり、街路樹、ベンチなどを増やせば、
ざと違う道を通ることがあるのだが、そのとき「あっ、こ
それこそ人々のいこいの場となり、文化交流が進むのでは
こ通ったなぁ」と、その道が自分の頭の中の地図で繋がっ
ないだろうか。
すると人々は新しい見方、
知識などが増え、
た時の嬉しさは格別である。パズルの最後のピースがはま
心がほぐされていくはずだ。そして、新しい社会が築かれ
ったような爽快感がある。
ていくだろう。
こうして上り坂に励まされ、裏道に愛着を持っている僕
すべての人々が安心して生きていけるためには、道のケ
は、これからの人生で下り坂があってもその後には上り坂
アが大切になっていくだろう。これからの社会をどうする
があり、上を見たときに光り輝くものがあり、そして幹線
かに、道は深く関わってくると思う。そして、その方向が、
道路だけでなく裏道も人生を豊かにしてくれたらいいなと
プラスの社会であると、僕は信じている。
思っている。
学園通信
道でもっと「芸」を
№63
入選
2006.5.15
砂 利 道
松村 昴毅 (59 期)
「花の二区」
、僕の家の目の前は、国道一号線だ。毎年正
月に行われる箱根駅伝では、各チームのエースランナーが
しのぎを削る。
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入選
三輪 健太朗 (59 期)
道といえば、どんな道を思いうかべるであろうか。たぶ
ん舗装された道を思いうかべるだろう。
今では都会で、舗装されていない道というものは、ほと
普段はトラックが地ひびきを立てて通る家の前も、一月
んど無いであろう。舗装することによって、道路は車が走
二日、三日はちがう。異様な熱気につつまれた沿道に観客
りやすくなり、大雨が降ってもぬかるまない。カラフルな
がつめかけ、好きなチームや選手に声援を送る。僕も、箱
アスファルトで舗装された道は、おしゃれな感じがする。
根駅伝を見るのが大好きだ。走るのは苦手だが、近所の人
ところで昔の人々はどうしていたのか。コンクリートも
たちと応援する興奮は他にない。
そんな箱根駅伝について調べたところ、
なんど戦前から、
アスファルトも使えない。そこで考えついたのが「砂利」
だ。
八十年もつづく古い大会だったことが分かった。そして、
砂利をしきつめることにより、平らな道ができ、草も道
考えていくうちにでてきた不思議は、なぜこんなに長い間
に生えてこない。雨が降っても小石なのでぐちゃぐちゃに
人々に愛されてきたかということだ。
ならないため、道がぬかるむことがない。神社の参道とし
たしかに、正月はひまなので駅伝でも見るか、という人
て、砂利道は今も生き続けている。また、砂利の上を歩く
もいるだろう。しかし、人々に愛される理由は、ひたむき
と涼しい感じの音がする。色もいろいろな色があり、白色
に頑張る選手たちから勇気をもらいたい、ということでは
や、灰色など、ピンク色まで存在し、カラフルである。
ないか。
いつも使う道路で選手が頑張っている姿を見ると、
僕もうれしくなってしまう。
黒い、アスファルトで舗装された道は色が黒いため熱を
吸収しやすく、近年問題となっている都市部の温度が高く
道路はいろいろな種類があるが、箱根駅伝と同じように
なってしまう、ヒートアイランド現象の原因の一つともさ
道で何かを見せることは多い。野毛大道芸もそうだ。野毛
れている。しかし、アスファルトやコンクリートの舗装道
大道芸は、毎年同じ頃に、野毛という町で行われるジャグ
路に比べ、比較的白に近い色の多い、砂利は、熱を吸収し
リング祭りといったようなものだ。若い人からお年より、
にくいため、ヒートアイランド現象の解決につながってい
外国の人もジャグリングなどをして道行く人を楽しませる。
くかもしれない。
駅伝と違うようだが通路で「芸」をして見せるということ
これだけの長所がありながらも、砂利道は少しずつ、私
は同じだ。道路では何でもできるのか、と感じてしまう。
のまわりから消えてゆく。日本古来の道路というものを残
この、道路でやるということは大きな意味がある。競技
していくために、この砂利道を、公園などの遊歩道などに
場や劇場へ行くのは仰仰しいような気もするし、お金も沢
も活用し、
昔の人に知恵というものを、
忘れないでほしい。
山かかってしまう。その点道路でやれば、気軽に誰でも立
そう思う。
ち寄れるという利点がある。お金もほとんど必要ない。
そこで僕が思いついたのは、決った日に沢山の道路でい
っせいに「大道芸」をやることである。大道芸といっても、
みんながみんなジャグリングをするわけではない。歌やダ
つ な が り
入選
土田 泰之 (59 期)
ンスを披露するのも「芸」であるし、屋台を出して食べ物
を売るのも一種の「芸」である。
最近町に出て思うことに、
道路を自動車が占領している、
普段学校の帰り道に通る、駅から自宅までの道。特にこ
ということがある。本来人間のための道路のはずなのに、
れといったこだわりもなく、自転車でただ通り過ぎる、
「通
と悲しくもなる。そのような思いから、この「大道芸」の
学路」の一部分でしかないところだ。たいていは早く帰り
考えは浮んだ。
たいと思い、猛スピードでかけぬけていき、振り向きもし
早く、道路を人間のためのものに戻したい。そして、そ
の道路で多くの人と交流し、人がふれ合う明るい町をつく
っていきたい。
ない。
しかしある日、学校も早く終わったし、たまたまその日
はバスで行っていて、本屋で立ち読みもしたいからという
特別な理由もなかったが、
とにかく歩いて帰ることにした。
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学園通信
№63
2006.5.15
すると、歩いている途中に様々な発見があった。今まで気
「歩く大会」ほど嫌いな行事は無い、と思っていたのだ。
づきもしなかった美容院、居酒屋だと思っていたところが
では、この行事の楽しみ、とはなんなのか、というと、景
和菓子屋だったなど、自転車ですばやく通り過ぎるだけで
色を見たり、音を聞いたりしながら歩くことである。この
は見つからないようなものがあった。
行事で歩くコースは、山道が多いため、森林などの自然が
その日から、僕は暇さえあれば色々な道を通ることにし
た。
(今まで通っていた道より三分ぐらい短縮できる道も知
あるし、景色がとてもよい。だから、普段はできないこと
が経験できるのだ。
った。
)僕は色々なことをやればやるほど、新しい発見が生
昨年の十月、僕は山北駅に向かう途中ですでに憂鬱な気
まれるものであるのだなと感じた。だから僕はできるだけ
分になっていた。電車の窓から山が見えると、
「歩く大会」
ノロノロ運転をしようと思っている。あちこちに顔を向け
のコースにある坂を思い出して、歩くと疲れるから嫌だな
ながら。
あ、などと思っていた。山北駅に近づけば近づくほど憂鬱
また、道の中にも様々な違いが見られる。そして、色々
な気分は強くなっていった。山北駅につくと歩きはじめた
な使い方がある。自動車がたくさん走っていてうるさいと
が、
「歩く大会」なんぞやりたくない、と思っていたためか
ころ、こころは鼻歌を歌いたい時あまり聞かれる心配はほ
上り坂にかかる前から疲れてきてしまった。
とんどないので便利だ。また、人通りの少ない、静かなと
しかたがなくゆっくり歩いていると、ザーザーと水の流
ころもある。ここはなにかと心が落ち着いていい。途中で
れる音が聞こえた。道の下に川があったのだ。川の音を聞
気分が変われば方向転換して周りの雰囲気が変わるところ
いていると、心が澄んでいくような気がした。そして、そ
に入っていく。そんなに遠回りにもならない。一本一本の
れまで心の中にあった「歩く大会」は嫌だ、という気持ち
道がつながっているからこそできる技だ。道には色々な使
は消えていき、とても気分がすっきりして、よし歩くぞ、
い方がある。動きはしないが、まるで生き物のように個性
という気持ちになった。
がある。
歩いていくと、道の脇には常緑樹が生えていて、その緑
道は一本一本つながって一つの形を成している。また、
がとてもきれいだった。高いところでは、丹沢を望むこと
その道一本一本が大切な役割を果たしていると思う。人間
ができた。山々はとても澄んでいて透明感のある青色で、
も同じではないだろうか。一人一人が深いつながりを持つ
筆舌をつくすことができないほど美しい、と思った。しば
ことによって、何か大きなことができるのではないだろう
らく歩くと、川原に出たが、川の水面が日光を反射して光
か。友好を深めるということは大切であると思う。
っているのも、きれいだと思った。このように景色を楽し
道はどこまでも続いている。
んだり、音を聞いて気分を変えられるのはこの行事特有の
どこまでも。
ことなので、僕は「歩く大会」が嫌いではなくなったのだ。
僕は、この行事以外のときも、景色などを楽しんで歩い
ている。目で見て、耳で聞いて、ときには鼻で匂いをかい
審査員特別賞
道を歩くことの楽しさ
小椋 郁馬 (57 期)
僕の通っている学校には、毎年十月に「歩く大会」とい
う行事がある。それは、山北駅から秦野市にある戸川公園
というところまで約二十三キロメートルを、六時間以内で
歩く、というものだが、急な上り坂や階段があるために、
「歩く大会」はとても大変なものだ。わざわざ疲れにいく
ようなものだから、大半の人はこの行事を好ましくは思っ
ていないだろう。しかし、僕はこの行事が嫌い、とは思っ
ていない。むしろ好きなくらいなのだ。なぜなら、
「歩く大
会」
には楽しみがあるからだ。
この楽しみを見つけたのは、
昨年の十月にこの行事が行われたときである。
それ以前は、
だり手で触ってみて、季節を感じたり、景色を楽しんだり
して歩くのは面白いことだ。
また、
そうすることによって、
想像もふくらむので、さらに面白い。道を歩くことの楽し
さは、まさにこういうことだと思う。
「歩く大会」はそれを
僕に教えてくれたのだ。
学園通信
№63
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