(1)こぶし (2) 寄稿 「アイヌ文化を残す為に」 ふるさとの鼓動 (3) 公演を取り組んで (4) 寄せられた感想から 第 137 号 2013年 1月 1日発行 発行責任者:横井正人 編集:機関紙局 特定非営利活動法人 民族歌舞団 こ ぶ し 座 北 海 道 函 館 市 陣 川 町 122-172 TEL:0138 - 54 - 2859 FAX:0138 - 84 - 8207 年2回発行 E-mail:[email protected] http://www18.ocn.ne.jp/~kobusiza/ むすんで (1) 新年のごあいさつ こぶし 主な内容 北に生きる心 謹賀新年 元旦 横井正人 (座員 (座員 (座員 (座員 (座員 徹 (座員 中尾雄児 (座員 計良 金城公雄 司 岡 )部幸人 岩 )島 ) 計良正子 ) 横 井ひ と み 梶 )原 康 男 ) 監事 民族歌舞団こぶし座社員一同 特定非営利活動法人(NPO法人) 本年もどうぞよろしくお願い致します 二〇一三年 理事長 理事 理事 松岡 智 恵 美 西東英範 ) 晋 新年のごあいさつ 理事長 横井正人 新年あけましておめでとうございます。 皆 さ ん か ら 賜 り ま し た 数 々 の ご 支 援に 心か ら お礼 申 し 上 げ ます。 お 陰 様 で 座 員 一 同 、 皆 元 気 に 新 しい 年 を 迎 え る こ と が で き ました。 東 日 本 大 震 災 か ら ま も な く 二 年 が 経 ち ま す 。未 だ先 の 見 通 、ご苦労されている皆さんのことを想うと 早 い 復 興 を 願 う 気 持ち と 同 時に 、 まだま だ長 い 時間 が掛 かる ことを強く感じています。 昨年は『被災地へのエールと北海道の元気を』創ることを めざして公演を行ってきました。 各 公 演 地で の 実 行 委 員 、 協 力 者 の 皆 さ ん の 被 災 地へ の 想 い は 、 自 分 たち の 住 む 地 域 を 見 つめ 直すこと にも繋が り 、『人 と 人 と の 絆 や 、 地 域 に 元 気 を 創 り た い 』 と 取 り 組 んで 下 さ い ました。 各 地で お 力 添 え 下 さ っ た 皆 さ ん 本 当 に あり が と う ご ざ い ま した。私たちも公演を通してたくさん元気を頂きました。 、暮れに行われた総選挙は、政党・政治への不信から 五 九 ・ 三 二 %と い う 戦 後 最 低 の 投 票 率 で し た 。 さ ら に 、 少 な い 得 票 で 議 席 を 獲 得 す る と い う 、 多 く の 国 民の 意 志 が 反 映 さ 、三年前に国政の変革を期待された政権は 一人一人が意志を強く持ち、子ども達の未来のために、行動 国民の信頼を失い替わらざるを得ませんでした。 、 三 年 前 、 大 勢 の 人 が 願 っ た 変革 を 今 後 実 現 す る た め に は 、 橋本かおり することが求められているのではないでしょうか。 皆 さ ん の い っ そ う の ご 支 援を 心 よ り お 願 い 申 し 上 げ 、 新 年 共に明日への希望を生み出して行きたいと思います。 こ ぶ し 座 も 民 族 芸 能 を 通 し て 北海 道 の 皆 さ ん と 心 を 結 び 、 古 川喜 美 子 志 賀松 智 恵 美 志賀松 村 田さ つき しがたたないまま 金城公雄・絵 三浦恒雄 三浦芙美子 のごあいさつと致します。 ( ) (2)こぶし 寄稿 〝アイヌ文化を 残す為に〟 で した 。私は 支部が な いので が 、 函 館で 支 部 が あ り ま せ ん 会 し よう と 思 って 来 たので す 私 も 函 館で ア イ ヌ 協 会 に 入 だという事でした。 ア イ ヌの心を 持っ た シサム達 そ れ は そ れ は 評 判 が 良 くて 、 る ウ タ リ に 聞 いて み ま し た 。 こ ぶ し 座 さ ん の 事を 知 っ て い 私 は ア イ ヌ 文 化 の伝 承 、 保 あれ ば 作ろ う と 思 い 立ち 、 函 館 に 居 住す るア イ ヌに声を か ) ( 存 活 動 、 ま た それ を 利 用 し た テ」ア イ ヌ け、 2010年5月に 社 北 自然保護、地元地域住民との 「 イ ラ ン カラ じ め ま して 」と か 「 ご き げ ん 語で 「 こ んにちわ 」と か「 は 交 流 、 観 光 行 事 へ の 積 極的 参 加等を 通 じ、 ア イ ヌ自身の自 立し まし た。 よう や く アイヌの 活 動を 始 海 道ア イヌ協会函館支部を設 使 用 す る 言 葉で す 。 直 訳 し ま よう 」と か、 あい さつによく す と 「 あ な たの 心に そっと 触 立と地域の人達の共生をめざ しております。 テ」 アイヌ文化交流の集い函館 「イランカラ く 瞳 は 美 しい 鳥を 追い 求めて リ セ い ま す 。 子ど も 達 も 参 加 して の 楽しいチ ロン ヌ ( 狐 の 踊 り )、 不 思 議 な 迫 力 き 、 そ して 八 十 七 歳の フ チ が で迫ってくるムックリの響 、日 昨 年の 十一 月、 ア イ ヌ 協 会 語 る 優 し く 美 しい ユ カ さ んの 誇 り に 満ち た笑 顔が 胸 本 語に 通 訳を して くれる お孫 を打ちます。 司 会 を 交え なが ら進 めら れ る数々の 演目 に目を奪われな セの会」…むかわ・ 白 老 ・ 札 幌 に 居 住 して い る 未 が ら 、 ア イ ヌコ タ ン の 人 間 模 活 動を す るに した がい、ふ ・ R e R a 」 …オ リ ジ ナ ル ア 「 ピ リ カ モ シ リ プ ロ ジ ェク ト の三 団体 。 演 奏 の ト ッ プ バ ッタ ーを 担 心が温かくなりました。 最 後 は R eR aのみなさん み なさ んと 一緒に 大き な輪 を 楽しみました。 作り、ホリッパ 輪踊り)を ( っ た 私 たち は 、ト ン コ リ と ム ) ( 伝 承と 普 及、 民 族 の 自 立と 地 函 館 の 地に …アイヌ 文 化の * み 。 な さ ん に ム ック リ ( 竹で 作 種 が 蒔 か れ まし た 。 支部 長の熱い想いの 詰まった 域社会との共生をめざす… セの会」の演奏は多彩で、 ( ( ( 民が手を 結び、ア イヌ・ネノ ふ る さと を 愛 す る 多 くの 市 アン ・ ア イヌ…人間ら しい人 ウポポ 座り歌 ・リ 踊 )・ イ フ ン ケ 子 守 歌 )・ ユ など を 約 一 時 間 に渡 って 披 露 一 端を 担 い、 美 し い 花を 咲 か こ ぶ し座 も 微 力なが ら その らと思うのです 。 間と して 、 共に歩んで 行け た ( して 。 )くださった舞 イ フン ケ の 優 しいう たごえ ( ) 「 」 から 大 学 生 の 三 人 の若 者 が 踊 セ(弓の舞)は、 し っ か り と 大 地を 踏 み し め 輝 るク・リ 公演部・計良正子 せたいと願っています。 は 母 の 温 も り を 伝 え 、 小学 生 カ 英雄叙事詩) ・ムックリ セ 遠 隔 地 から 駆 け つけ た「 リ 体験コーナーを担当した。 ら れ た 口 琴 ) を 鳴 ら して 貰 う ックリの 演奏の後、来場者の 様 が写 し 出 さ れて い る よう で っと 横 を 見 る と 函 館で ア イ ヌ 最 後 に、 こ ぶし座 さんの益 日高門別町幾千世 アイヌコタ ンで 育つ 中国上海市にて 大 阪 市 の 証 券 会 社勤 務 貿 易 会社を 営 む 小樽 市に 移 住 ロシア貿易に進出 小樽市で の事業を )まで十七名を擁する会 北 海 道で は 地名 も 含 め 、 様 そ、 自 然 と の 共 生 、 人 間 ど う きたいと思います。 々 な ア イ ヌ語が 使わ れて い る で は な いけど 、 アイ ヌの文 化 の 熱 唱 で 盛 り 上 が り 、「 リ 。そうする事によって す。 社 北海道アイヌ協会 函館支部 加藤敬人 札幌 市で 生 まれる さん 支部 長 【経歴】 昭 昭 平3 昭 平 平 一切や め函館に移住 月には、仲 間たち と 参 加する 。 本 格的にア イヌ の活 動に ※昨年の NPO法人 マウコピリカの会 を 設 立 し 、 理 事 長を 務 め る 。 現 =在、 市内大 手町の ベイエリアで、 カ フ ェ ダ イ ニ ン グJ E O を 夫 人 と 経 営 。 ム シ サ ム の 人 達 の 力 を 得て こ の で す が 、 それ を 感 じて い る 々 の 活 躍 と 健康を祈念して 、 セ の会 」 のリ ー ドで 、観 客の 人 達が いる 事に 気が 付き まし ア イ ヌ の 文 化 、 伝 承 、 言 葉が 自然と残ってゆくと思うので た。 す。 私は常々、アイヌ文化は日 心の 中は「 あれ?ま あ!」 U こぶし座 の皆さんで した。 U 本 の 財 産で あり 北海 道の 財 産 という驚きの感じでした。 月 日、函 で もあると言い つづけて お り ます。 2012年 館で こ ぶし 座 の 皆 さ ん も参加 そ して 舞 踊はど う だろ う ? トンコリは上手なんだろう それ を 出来る限り残して ゆ く の が 我々 ア イ ヌ 民族の 使命 し て 頂 き 、「 ア イ ヌ 文 化 交 流 ク リ の 演奏 を し 、 会 場 の 人 達 き 、 こ ぶ し 座の 皆 さ ん も ム ッ 大勢の人達が来場して頂 ます。 の は 初めて で は な い か と 思い 達と で アイ ヌ 文 化 を 発 信す る 函館でアイヌとシサムの人 た。 、 の集い 函 館」を 開 催致 しまし か、 ム ック リ はどう か など 、 文 化 ば か り で は なく 伝 統や 習 慣 、 そ して 何 よ り も 言 葉 、 います 挨拶する加藤支部長 であると思っています。 18 も 参 加を し て 楽 し い 一 時 を 過 ごしました 。 33 29 53 11 さすが だ なと 思いました。 ム ム ラ ア イ ヌ 語 を 残 して ゆ か なけ れ ばならないのです。 U 年 とい 私 は2 00 8 年に函 館に引 越して来ました。 2008年 平成 う 年 は、我々アイヌ民族が日 初 めて 承 認 され た 年で も あり 本 の 先 住 民族で あると 国 会で まし た。 ム 11 20 13 20 す。 イ ヌ ミ ュ ー ジ ック を 歌 い 奏 で 就 学 児 か ら 高 齢 の フ チ ( お婆 舞踊リ 出 演 団 体 は 、「 ア イ ヌ 民 族 テ」に参加させて頂いた。 の集い函館・イランカラ を 受 け て 、「 ア イ ヌ 文 化 交 流 函 館 支 部 長 加 藤氏 か ら の 依 頼 に参加して プ る 三 人 の グ ル ー プ 。 こ ぶ し座 今 年 も ど う か 参 加を して 頂 ム ラ 新年の寄稿とさせて頂きま 訳です。 め る 事 が 出来る よう に なっ た れさせて 下さい」という意味 それ に は アイ ヌだけ の 力で プ しの 共生が 果 たせると 思って U プ を 一 生 懸 命 繋いで くれて い る です。 来場者とのムックリ体験コーナー 人は少ないような気がしま は到底無理な事なのです。 ム プ (3)こぶし 月の単独公演、そして 月からの巡業公演 昨年の後 半期(秋~冬)に行われた一般公演は、 9月・ ( ) 月5日からの公演は ヵ 所で 行 わ れまし た 。─ 5 市 7 地域 5町 、宗谷・網走管内での FAX・はがきで知らせて 人 を 越 え た 頃 、 連 絡 が 入 って も 文 化 祭 に 参 加 して いて 、 元 きた。集計は約 して くれ た。思 い思いを 語っ あと 1 枚 と 広 が って 行 っ た 。 気 が 出 た よう だ 。 あと 1 枚、 人分を超え 平町内という地域が今もあ て くれ た 。東鷹栖 の 町場、 松 て いた 。 住して農業と農民感情を ま た、 何よ りも「TP P」 年 前 か ら 見 て き たが こ の 地域 る 。 越 中 富 山 から 三 〇 〇 戸の 特養 施 設 、 障害 者 作 業所 、 保 づ く り 、 人と の 繋が りも 点 か で 子 育 て 、 夫 の 両 親と の 家 族 数 育 園、 幼稚 園、 農協直売 所 な 私 は 、 夫 の 転 勤で 農 村 に 定 ど に もチ ラ シ、ポスタ ーを は ら線そして面に広がってい つ 農 協 」 が 後 援 して く れ た 。 東鷹 栖 は上川 一〇〇万 石と ら せて もら い、 宣伝 が広が っ その こと が 強 く深 まって き た た 。 今 回の と り く み が さら に 反 対を表 明して いる「たいせ が 始 まり 、 後 継者はい なくな いわ れ た米 地帯 。し かし減反 た 。我 が 町内 会で はチラ シ を が あ り、 今も越 中 盆踊り 保存 気 」 な ど と 懐 か し い 子 供 たち 全 戸 に 配 布 して く れ 、 ま た 市 と 思 う 。 それ は 「 こ ぶ し 座」 家 族を 呼び寄 せ開拓 し た歴 史 の 同 級 生 の 親 たち 、 知 り 合 い り 離 農、 じ いち ゃ ん 、 ば あち 民委員会女性部の行事にも宣 例年にない大雪に 見舞われるなかでの開催でした。 「こぶし座」 公演を取り組んで 東鷹栖 「こぶし座」を観る会 田代美恵子 人を超える人々と共有で そんな農業風景が「こぶし 実 行 委 員 は 関わ り の あっ た き た こ と 。「 ま た 、 来 て ほ し 会が活躍している。 の お じさん、お ばさんたち 。 い 農 業 は 機 械 任 せ 、 い ま はラ ゃ ん 農 業 が 主流 に な って し ま ここで は、3 年前に引き 続 いて 実施した旭川 市の 券 を 売 って く れ た 実 行 委 員 の 磨 か れ た 民 族 芸 能 をと お し 三地域公演から 、東鷹栖地域の様子を 報告します。 の 人 た ち もこ の 日 は、 来て く 伝をさせてもらえた。 ま って 会 場整備 、案内資 料渡 か宿題だ。 い 」 の 声 に ど う 応えて い く の 3時 半終了、会 場からでて う だ 、 そう だ 、 あん な ん だ っ 内で の お年寄りの会 話は「 そ 突 然の 総 選挙 、未 来 日 本 が 加 者 は 2 ~3 人で も 大き な 力 き た 人 たち は 口 々 に 「 良 か っ に なっ た 。状 況を 2回ほど 、 人 た ち で 、 相 談 会 は 2回、 参 座 」 に よ って 原 風 景 、 、入口で 固ま って 開場を 待 ール た 」 と 楽 し く 話 して い た と い 前の 農 作 業が再現 され、会 場 人の 人が入 場し 枚 を 超 えて 100 30 数年 て ジコ ン ・ ヘ リ コ プタ ーで の 農 東 鷹 栖 公 民館の 公 演が 始 まっ し など こ ま ご ま と 動いて く れ * れた人に声を掛け合ってい 薬散布。 た。実 行委員 男 性3 人 女 性4 月2日日曜日午後2時、 150 た 。 早朝 の 荷 降ろ しか ら は じ 人で 開 演を 待 っ た 。 ま だリ ハ た。 っ た 。 何と う。 枚 た か は 別に して 、 実 行 委 員の とい ったジンクスはどうだっ 金銭 的 には絶 対成功 し ない た 」「 楽 し か っ た 」 と 満 足 な 募金に その評価が しっかりと 顔、顔で した。アンケート と ー サ ル中 か ら 人々 は 集 ま り ホ 92 た。私は主に券を扱った人の 、入場者の顔を見た 「 完 売 だ よ 」「 3 枚 だ け だ っ あら わ れた 。アン ケート は 代 から 人 が 応え て く れ た 。 7 人 は5 枚 数人が売り手 そ れ は 売 り 手 に な って い る 人 の 取 り 組 みに ついて 訴え た 。 「こぶし座 。 人は集まるよと 訴えを していいよと声をかけ 栖 の 文 化 祭で 「 こ ぶ し座 」の い た文団 協の 会長さんは 東鷹 実 行 委 員 長 にと お 願 い して になって広げてくれた。 その ほか 総勢 一 人一 人 に声を かけて 広げ 、 20 た 」 など な ど 券 を 扱 って く れ 、 「 また来て ほしい ロ 、 す ば ら し い 」「 団 員 は 何 「 懐 か し か っ た 」「 さ す が プ 人で す か 」 の 質 問も あっ た 。 さ ん から 集 ま っ た 。なん と も 募 金も 子供から高齢者のみな * 温 かい 人 々 が 観 に 来て く れ た * と思 った。 100 ど う なるの か 「歴 史的 選挙」 地域や 農業、 人々 がこれ か と言われ た。 ら ど う な って い くの か しっ か りと見すえて行きたいと思 う。 5 月から 6ヶ 月 間の 取り 組 み 本 当 に 良 か っ た。 <幼稚園保育園公演> 1月 11 日(金) つぐみ保育園 17 日(木) つくしの子保育園 18 日(金) 青い鳥保育園 2月 4日(月) 札幌/大谷第二幼稚園・オアシス保育園 5日(火) 札幌/澄川保育所 5日(火) 札幌/弘済会札幌保育所 6日(水) 札幌/柏葉保育園 6日(水) 札幌/北の星白石保育園 7日(木) 札幌/菊水上町保育園 8日(金) 札幌/東川下ポッポ保育園 8日(金) 札幌/風の子保育園 18 日(月) 八雲/国の子保育園 19 日(火) 札幌/札幌円山幼稚園 20 日(水) 札幌/桑園保育所 21 日(木) 札幌/しせいかん保育園 3月 14 日(木) 神山保育園 16 日(土) 北見/南保育園 閉園記念事業 と全道 11 」 実行委員が団員との交流 20 10 メンバーの半数が農業を営んでいる 富良野市 岩見沢市 長万部町 せたな町 函館市戸井地区 <一般公演> 2月 24 日(日) 3月 2日(月) 10 日(日) 11 日(月) 13 日(水) 12 、お金がないからといって <特別公演> 1月 2日(水) 棒二森屋/新春開店イベント 2日(水) ポールスター/お正月イベント 10 日(木) 鹿部町/高齢者対象公演 12 10 た 人 たち 、「お久 しぶり 」「元 。 …実行委員にも笑みがこぼれる 10 400 119 代まで 開場前の観客のみなさん 70 ぎ りぎ り の 夕食と 会 場を 用意 【1月~3月の公演計画】(予定含む) 30 12 (4)こぶし 各地の公演会場で 寄せられた感想から ・懐かしく、シンプルで 「芸能」という言葉が、土と 男性〉 ともにあるように思えた。 〈五 十代 訃 報 國田寿子さん逝く 元座員 創立メンバー 昨 年の 5月 頃より体 調を 崩 し て 入 退 院 して い ま し た が 、 寿 子 さん、長い間 ご苦労 様で その後 、二年 ほどで退座 し東 京の生活が人生の半分以上にな っ てしまいました。わずか二年し した。 あなたが居てく れたお陰で、 会 社 員 生 活 は違 う 意 味 で厳 し か座 に居 ませんでした。東 京 の いものでしたが、醜いもの汚 いも な風 が吹 いていたよう に思 いま す。きっ と座員はみんな自分の子 のを見 慣 れた目 でこぶし座 の皆 いつも座の中には温かいやわらか くらいに思 ってくれてたのでしょ さんを見 ると、いつもいつも光 り 初 めての経 験 ばかり でした。座 り 矢 臼 別 盆 踊 り 等 、生 まれて て、道 東 ・道 北 ・利 尻 まで行 った 年 目 でし た 。僕 は公 演 班 とし 田 にこぶし座 が根 をおろして7 前 になり ます ね。上 ノ国 の中 須 んが、人 として大 切 なも のがこ ら でしょう か。よく わかり ませ ながら 民 族 芸 能 に携 わってるか 人として大事な品格を高め合い す。こぶし座の精神でしょうか。 と本 当 に一 人 ひとり 輝 いていま じなかっ たのですが、外から見る 輝 いています 。中 に居 た時 は感 に居 る時 は、卵売り や隣 の集落 ぶし 座 には間 違 いなく あ り ま 年 までおがくずをもらいに行きま す。退座して ( ) 年、ずーっとクニ したね。田 植 えの手 伝 いも みん 僕が入座したのは、もう うね。 ) 男性〉 ( 〈七十代 月 9日 、 七 十 九 年 の 人 生 を 静かにとじられました。 創 立 メ ン バ ー の 一 人と して 夫・ 修司氏 前代表 と共に、 座の基礎を築き上げました 。 あら ゆ る 事柄 に 愛 情 を 込 めて 真摯 に 向き 合う 姿 勢 に学 ば さ れ た 座員 は数 多 く、 母 親の よ うな存在でした。 座 員一 同、 悲 しみに 沈 まず 前を向いて歩き続けます。 * 尚、 葬儀は 家 族葬にて 執 り お こなわれました。 * 保守的なはずの農家の母さん方 なでやったし、何をやっても本 来 どう生 きるべきかを教 えてく れ たくないなという想いなんです。 てたのは、そ んなみんなと離 れ さん寿子さんはじめ座と連絡し に根付くまで大変だっ たんだよ」 た寿子さん、ゆっ くりゆっ くり 休 は温 かい目 で見 てく れて、むし 数馬一夫さんからのお手紙 と寿 子 さん言 ってたけ ど、あ な ろ応 援 してく れました。「地 域 と、國田修司 さんの想いが寄 たの人 柄 や笑 顔 が信 用 され信 ( ) 現 座 員 た ち の 兄 貴分 的 存 在 であ る 。 東京・チョイ 数馬一夫 んで下さいね。 せ ら れて い ます ので 、 ご紹 介 頼に繋がっ たと聞いてます。 年 。 多 く の 方 々 と 疎 遠 に な っ たと 思 っ て お り ま し た の に 、 彼 女 を 悼 む すな!」のご支援の声の中に、妻・寿子の声も加わっていくに違いありません─いつまでも。 た か ら で す 。 今 、 座 も厳 し い 状 況 に あ り ま す 。 し か し、 こ こ が 踏 ん ば りど こ ろ 。 「 そ の 灯を 消 員 や 支 持 して 下 さ る 皆 さ ん が た か ら 、 必 ず 大 き な ご 支 援 が 寄 せ ら れ る こ と を 心か ら 信 じて い なを 励 ま し続 け たの も、 な ん ら 根 拠 の な い カ ラ 元気で はな く、こち らが 必死に なれば後援会 さ ま ざ ま な 困 難 に 会 う た び 「 頑 張 って み よ う よ ! 力 を 合 わ せ れ ば 何と か な る よ !」 と み ん 座の仕事で彼女が一番力を入れたのは「後援会づくり」でした。 たくさんのお心遣いが寄せられ、あらためて偲ぶよすがとしております。 退 座 して から 既 に いたします。 寿子さんを悼み、元座員・ 40 ・日本の心、ありがとう。 旭川市の老人施設にて ・ 初 め て こ ぶし座の 公 演を見 女性〉 女性〉 10 て 楽 しい 所と 感動する 所が沢 、来て良かったです 遠 い 所 から 枝 幸 まで 来 て い ただいて ありがとう ございま そ して 、 学 校 も よ り 頑 ・ 昔 の 農 業の 苦労 は たく さん す! 張 ろ う と 思 い ま した 。こ れ か 話を 聞 いて い ますが 、 その中 な が ら 生 活 して い た 様 子 が 公 ら も、 こ ぶし座を 続けて 行け 演の中でよく感じられまし で たくさんの 喜びを見 いだし 女子〉 獅 子 に か ま れて 良 か っ たで るよう応援しています! す。 とい っている方がいて、何だ 〈高校生 。 ・普 段 なか なか見ることが出 か胸が熱くなりました。 〈四十代 三 味 線を も っ と 聞き た か っ たで す 。 〈六十代 40 た 。 観 客 席 で 、「 懐 か し い 」 来 ない伝 統芸 能を間近で 接す る こ と が 出来、 子供と 一 緒 に 楽しむことができました。 男性〉 ス テ キで した 。現代社 会の 問 〈三十代 ・ しの 笛ステキ 、手 踊り が美 題 点 にも チ ョッピリ 触れ られ ・ 踊 り 手 さ んの 笑 顔 がとて も し い 、 四 人 だけ ど 華や かで 賑 ていてgood! た! 四人 なのに迫力があり まし や かで した 。笑 顔が ステ キ ! 明 る い 気 持ち に なり ま し た 。 ・ 演 じる 皆さん の笑顔が すば ら し か っ たで す 。 豊 年こ い こ いは、 子 供の 頃を 思い出しふ 植えをした事、稲刈りをした る さ と を 思 い 出 し ま した 。田 女性〉 枝幸町での送り出し 北見市留辺蘂…地元有志と 「江差のもちつきばやし」 旭川市永山…「豊年こいこい」より こ と 等 々 。今日 はトク し た 気 分です。 〈六十代 12 少 し 落ち 込 ん で い ま し た が 、 女性〉 ありがとうございます。 〈六十代 篠笛演奏「津軽山唄」
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