Title Author(s) Citation Issue Date 精神病理学と事例性に関する一考察 大宮司, 信 北海道大学医療技術短期大学部紀要, 13: 9-17 2000-12 DOI Doc URL http://hdl.handle.net/2115/37650 Right Type bulletin (article) Additional Information File Information 13_9-18.pdf Instructions for use Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP 原 著 著 原 精神病理学と事例性に関する一考察 大 宮司信 大宮司 信 ,, A c o n s i d e r a t i o no fpsychopathologyand" c a s e n e s s " caseneSS Aconsideration of psychopathology and ,, M akoto Daiguji Makoto Daiguji A bstract Abstract r e a t m e n t s, 巴s p e c i a l l yd u r i n gh o s p i t a l i z a t i o na r eo f t e n 1 np s y c h i a t r i cc l i n i c a lp r a c t i c e,t In psychiatric c圭inical practice, treatments, especially during hospitalization are ofもen c a r n 日 do u t a g a i n s t p a t i e n t s ' w i l l . 1 n t h e e a r l y p h a s e , v a r i o u s k i n d s o f t r o u b l 巴 a r 日 l i a b l carried ouちagainst patients’will. In the early phase, various kinds of trouble are liable e t oappeari nt h ep e r s o n a lcommunitys u r r o u n d i n gap r o b a b l ep a t i e n tandt h ef a m i l y . T h i s to appear in the personal community surrounding a probable patient and the family, This c o n d i t i o n h a s b e e n c a l l e d a s " c a s e n e s s " b y K a t o i n o r d e r t o d i s t i n g u i s h i t f r o m " i l l n e s s " condition has been called as”caseness”by Kato in order to distinguish it from”illness”, , t h emorbidc o n d i t i o no ft h巴p a t i e n t s . Her , 巴 w巴 巴xamm 日 t woc a s e so fmentald i s o r d e r s,t h e the morbid condition of the patients. Here, we examine two cases of mental disorders, the k i n d so fwhichwereo f t e ne n c o u n t e r e di nc l i n i c a lp r a c t i c eandi n d i c a t e dt h a tt h ec o n c e p to f kinds of which were often encountered in clinical practice and indicated that the concept of su s u a l l yu s e di nt h ef i e l do fr e h a b i l i t a t i o n,i sa l s ou n d e r l y i n gi nt h ec o n c a s e n e s s,whichi caseness, which is usually used in the field of rehabilitation, is also underlying in the con− e r, t h i ss i t u a t i o nd i dn o to b s c u r et h e c e p t u a ld e f i n i t i o no fp s y c h o p a t h o l o g y . How巴v ceptual definition of psychopathology. However, this situation did not obscure the p s y c h o p a t h o l o g i c a ld e f i n i t i o n,buti n s t e a dmadei tmorea p p r o p r i a t e from t h ec l i n i c a la s psychopathological definition, but instead made it more appropriate from the clinical as− t .1 n, ad d i t i o n,t h en e c e s s i t yo fc h a n g i n gt h i sv i e w p o i n twasi n d i c a t e dby m巴n t a ld i s o r p e c pect. In addition, the necessity of changing this viewpoint was indicated by mental disor− 巴 d w i t h t h e w h o l e o f c o n v e n t i o n a l c o n c e p t u a l d e r s w h i c h h a v e b e e n p r e v i o u s l y a s s e s s t ders which have been previously assessted with the whole of conventional conceptuaI h o u l di n s t e a db er e g a r d e da sd i s o r d e r si nw h i c ht h e d e f i n i t i o n so fp s y c h o p a t h o l o g y,buts definitions of psychopathology, but shou玉d圭nstead be regarded as disorders in which the s y m b i o t i cr e l a t i o n s h i pi nt h ecommunityi sd i s t u r b e d . symbiotic relationship in the community is disturbed. K eywords:事例性、疾病性、精神病理学、精神科医療、強制的医療 Key words:事例性、疾病性、精神病理学、精神科医療、強制的医療 要 要 としてリハビリテーションの領域でとりあげら としてリハビリテーションの領域でとりあげら れてきた事例性という概念が,精神病理学の概 れてきた事例性という概念が,精神病理学の概 ヒ= 旨 問 精神科医療では本人の意志に反して,治療, 精神科医療では本人の意志に反して,治療, 特に入院治療が行われる,強制的医療が特徴で 特に入院治療が行われる,強制的医療が特徴で あ る O 最初の段階では,病人の候補者と目され ある。最初の段階では,病人の候補者と目され 念規定のなかにも潜んでいることを,日常臨床 念規定のなかにも潜んでいることを,日常臨床 2症例を通して考えた。しか でしばしば出会う でしばしば出会う2症例を通して考えた。しか しこうした事態は精神病理学的な規定を暖昧に しこうした事態は精神病理学的な規定を曖昧に するのではなく,より臨床的にする。あわせて するのではなく,より臨床的にする。あわせて る人物を中心とした,家族などの共同体内での る人物を中心とした,家族などの共同体内での 種々の問題の発生が出発となる O こうした状況 種々の問題の発生が出発となる。こうした状況 を加藤は事例性 ( c a s e n e s s ) と名付け,患者自 を加藤は事例性(caseness)と名付け,患者自 従来の精神病理概念規定の総和としての精神疾 従来の精神病理概念規定の総和としての精神疾 患という考え方から,共同体における共生を阻 患という考え方から,共同体における共生を阻 身のなかにおける病的な事態,すなわち疾病性 身のなかにおける病的な事態すなわち疾病性 ( il l n e s s ) と区別した。本論文ではこれまで主 (illness)と区別した。本論文ではこれまで主 むものへ,精神疾患概念についての視点の移動 むものへ,精神疾患概念についての視点の移動 を行う必要について述べた。 を行う必要について述べた。 北海道大学医療技術短期大学部 作業療法学科(〒 0 6 0 0 8 1 2札幌市北区北 1 2条西 5丁目〕 北海道大学医療技術短期大学部 作業療法学科(〒060−0812札幌市北区北12条西5丁目) D epartmento fO c c u p a t i o n a lTherapy,C o l l e g eo fM e d i c a lT e c h n o l o g y,HokkaidoU n i v e r s i t y Department of Occupational Therapy, College of Medical Tθchnology, Hokkaido Univθrsity -9 一9一 大 宮司信 大宮司 信 1.精神病理学と人間学 1.精神病理学と人間学 精神科の日常臨床は患者との面接・対話が中 精神科の日常臨床は患者との面接・対話が中 筆者は考える。どの立場をとるかは各精神科医 筆者は考える。どの立場をとるかは各精神科医 に任され,そうした人間学的背景は,利用者と に任され,そうした人間学的背景は,利用者と 心となる。治療の対象となる症状は,患者の素 心となる。治療の対象となる症状は,患者の素 振りや行為からも得られるが,主に治療者・患 振りや行為からも得られるが,主に治療者・患 なる患者側がその医療者を自分の治療者として なる患者側がその医療者を自分の治療者として 選択するかどうかによって一応優劣が判定され 選択するかどうかによって一応優劣が判定され る 。 る。 者間の言語を用いたやりとりを通して把握され 者間の言語を用いたやりとりを通して把握され る。それら症状は術語に命名・分類され,組み る。それら症状は術語に命名・分類され,組み 合わされて疾病像を構成する。このような症状 合わされて疾病像を構成する。このような症状 の言語化の妥当性を問い,症状聞の関係性を通 の言語化の妥当性を問い,症状間の関係性を通 して精神障害の構造を考えていこうとする領域 して精神障害の構造を考えていこうとする領域 C P s y c h o p a t h o l o g i e ) である。 が精神病理学 が精神病理学(Psychopathologie)である。 木村 敏は「精神病理学は一種の哲学である」 木村 敏は「精神病理学は一種の哲学である」 と表現している九臨床という実践から出発は と表現している%臨床という実践から出発は するが,一定の概念を創出し,体系的理解を求 するが,一定の概念を創出し,体系的理解を求 めるという,精神病理学の形式面をとらえてこ めるという,精神病理学の形式面をとらえてこ のような表現をしたと筆者は考える。一方笠原 のような表現をしたと筆者は考える。一方笠原 は「了解力の洗練こそ,精神科医が精神科医た は「了解力の洗練こそ,精神科医が精神科医た るためのアイデンティティ,と考えてよいので るためのアイデンティティ,と考えてよいので Jと述べている 2)。患者の症状を把握 はないか はないか」と述べている2>。患者の症状を把握 することは,土の中に目的とする物体をうまく することは,土の中に目的とする物体をうまく 堀りあてるような面もまったくないわけではな 堀りあてるような面もまったくないわけではな いが,微細な症状の把握になればなるほど,患 いが,微細な症状の把握になればなるほど,患 者ー治療者間の関係性が影響し,心的状態への 者一治二者間の関係性が影響し,心的状態への 洞察力が要求される。精神病理学はこうした内 洞察力が要求される。精神病理学はこうした内 容面の特色をもった知の体系であり,筆者は 容面の特色をもった知の体系であり,筆者は j と考 「精神病理学は人間了解のひとつの方法 「精神病理学は人間了解のひとつの方法」と考 え る。 える。 また精神科医にとっては,患者との出会いや また精神科医にとっては,患者との出会いや 治療中の相互経験が各自の人間学構築の契機と 治療中の相互経験が各自の人間学構築の契機と な る O いずれにしろ,そこで出来上がった人間 なる。いずれにしろ,そこで出来上がった人間 の知り方は,普遍的な客観的知というよりは, の知り方は,普遍的な客観的知というよりは, むしろ解釈に近い。精神病理学と精神病理学に むしろ解釈に近い。精神病理学と精神病理学に 基づく人間学に,自然科学におけるような進歩 基づく人間学に,自然科学におけるような進歩 がないといわれるのも,従って理由のない事で がないといわれるのも,従って理由のない事で はない。ただし治療的に有意義であれば,その はない。ただし治療的に有意義であれば,その 精神病理学的見解は臨床的に検証されたものと 精神病理学的見解は臨床的に検証されたものと して生き残り,その延長線上に人間学が形成さ して生き残り,その延長線上に人間学が形成さ れていく れていく。O 2 . 精神科医療の特色と精神病理学を出発点と 2,精神科医療の特色と精神病理学を出発点と する人間学の枠組み する人間学の枠組み 精神科医療は医療の一分野であるから,主に 精神科医療は医療の一分野であるから,主に 自然科学的方法を駆使して病気の解決をめざす 自然科学的方法を駆使して病気の解決をめざす 事はもちろんであるが,一方他の医療と異なる 事はもちろんであるが,一方他の医療と異なる 2 つの特色がある O 第 1の特色は治療の対象を 2つの特色がある。第1の特色は治療の対象を O 身体状態の是正をめざ 精神におくことである 精神におくことである。身体状態の是正をめざ す内科や小児科医療も身体だけに目を向けるわ す内科や小児科医療も身体だけに目を向けるわ 木村の言うような形式面にふまえるにしろ, 木村の言うような形式面にふまえるにしろ, 笠原の言うような内容面にふまえるにしろ,精 笠原の言うような内容面にふまえるにしろ,精 けではないが,精神科は精神そのものを対象と けではないが,精神科は精神そのものを対象と する(ただし精神という言葉の指し示す内実に する(ただし精神という言葉の指し示す内実に γ1参照。むろん心身医学を例に挙 関しては注 関しては注1*1参照。むろん心身医学を例に挙 神病理学は様々な人間学ないし人間知を生み出 神病理学は様々な人間学ないし人間知を生み出 してきた。もちろん「人聞についての学」ない してきた。もちろん「人間についての学」ない げるまでもなく,精神を治療の対象とするのは げるまでもなく,精神を治療の対象とするのは 精神医療だけではない)。 精神医療だけではない)。 し「人間に関する知」と言っても,ここでは, し「人間に関する知」と言っても,ここでは, 第 2の特色は,対象となる患者の当面の意思 第2の特色は,対象となる患者の当面の意思 に反して,強制的に治躍的介入を行うことがあ に反して,強制的に治療的介入を行うことがあ 脳の構造と機能や社会存在としての人聞が主で 脳の構造と機能や社会存在としての人間が主で はなく,心的な表出から知られる個的な人間の はなく,心的な表出から知られる個的な人間の 精神構造に関する知であるが, この知は,やが 精神構造に関する知であるが,この知は,やが てより広範聞の人間知,人間の心的状態一般に てより広範囲の人間知,人間の心的状態一般に 関する知の展望へとつながる。 関する知の展望へとつながる。 結論のみを述べることになるが,このような 結論のみを述べることになるが,このような 精神病理学を出発点とする人間学は,原理的に 精神病理学を出発点とする人間学は,原理的に 一つのものが他のものに勝るという事はないと 一つのものが他のものに勝るという事はないと る点である。もちろんこの面でも,例えば老人 る点である。もちろんこの面でも,例えば老人 を対象とした医療など,強制的な治療も他の臨 を対象とした医療など,強制的な治療も他の臨 床傾域で皆無ではなし、。 床傾域で皆無ではない。 精神科臨床の対象を 2つの群,すなわち自ら 精神科臨床の対象を2っの群,すなわち自ら 医療をもとめる群と逆に拒絶する群に分けるこ 医療をもとめる群と逆に拒絶する群に分けるこ とは,精神科の実地臨床を考えていく上で有効 とは,精神科の実地臨床を考えていく上で有効 である。医療である眼り患者の側に立つ義務と である。医療である限り患者の側に立つ義務と 1 0 一10一 精神病理学と事例性に関する 考察 精神病理学と事例性に関する一考察 A 責任が医療人に負わされていることはいうまで 責任が医療人に負わされていることはいうまで もない。しかし精神医学,中でも精神病理学に もない。しかし精神医学,中でも精神病理学に 根をもっ人間知・人間学は,対象としての精神 根をもつ人間知・人間学は,対象としての精神 及び強制的医療という,精神科医療の 2つの特 及び強制的医療という,精神科医療の2っの特 色に根ざす枠組みを前提にしなければならない。 色に根ざす枠組みを前提にしなければならない。 えることは論理的には可能かもしれないが,臨 えることは論理的には可能かもしれないが,臨 床的立場はそうは考えず,とりあえず自殺の阻 床的立場はそうは考えず,とりあえず自殺の阻 止,自殺しようとする精神の働きの改善をめざ 止,自殺しようとする精神の働きの改善をめざ す。薬物療法によってそれは可能なのである *20 す。薬物療法によってそれは可能なのである*2。 表現をかえるなら, もし精神病理学に立脚した 表現をかえるなら,もし精神病理学に立脚した 人間学を構築しようとすれば,前述した 2要件 人間学を構築しようとすれば,前述した2要件 こうした消息は精神分裂病の場合はさらに複 こうした消息は精神分裂病の場合はさらに複 雑となる。精神分裂病の様態についてここで詳 雑となる。精神分裂病の様態についてここで詳 しく論ずる余裕はないが,一般に精神分裂病で しく論ずる余裕はないが,一般に精神分裂病で はその前提と境界線を形成するとも言えよう。 はその前提と境界線を形成するとも言えよう。 論をすすめる上で「対象としての精神」とい 論をすすめる上で「対象としての精神」とい は病む本人にも,またそれを見守る周囲の者に は病む本人にも,またそれを見守る周囲の者に とっても緊張にみちた急性期がすぎると,何ら とっても緊張にみちた急性期がすぎると,何ら う要件を「強制的医療」という要件から全く切 う要件を「強制的医療」という要件から全く切 り離すことは不可能であるが, ここではあえて り離すことは不可能であるが,ここではあえて かの人格変化を伴う慢性期となる。ここでは一 かの人格変化を伴う慢性期となる。ここでは一 見して明らかで奇異な,たとえば幻覚や妄想と 見して明らかで奇異な,たとえば幻覚や妄想と 操作的に脇において,強制的医療と精神病理学 操作的に脇において,強制的医療と精神病理学 の関連を考えることを通じて,精神病理学に基 の関連を考えることを通じて,精神病理学に基 いった精神症状も, もちろん疾病の再発として いった精神症状も,もちろん疾病の再発として みのがせないが,それよりも古典的な表現で言 みのがせないが,それよりも古典的な表現で言 う,いわゆる無為・自問といった行動面,一方 う,いわゆる無為・自閉といった行動面,一方 づいて構築される人間学の枠組みと前提,音楽 づいて構築される人間学の枠組みと前提,音楽 にたとえれば通奏低音とでもいうべき面を筆者 にたとえれば通奏低音とでもいうべき面を筆者 なりに考えてみたい。 なりに考えてみたい。 的で紋切り形,かっ修正のきかない思考形式を 的で紋切り形,かっ修正のきかない思考形式を 背景とする対人関係における困難が問題の中心 背景とする対人関係における困難が問題の中心 となる となる。O 3 . 事例性 ( c a s e n e s s ) 3.事例性(caseness) 3 -1 . 事例性と疾病性 3−1.事例性と疾病性 医療行為は基本的には患者と治療者の合意と 医療行為は基本的には患者と治療者の合意と 契約の上に行われる。精神科医療でも同じ形で 契約の上に行われる。精神科医療でも同じ形で 医療が成立することが基本である。自分の精神 医療が成立することが基本である。自分の精神 とは日常的体験としては自分自身と同じ事であ とは日常的体験としては自分自身と同じ事であ るから,身体症状のように自己と切り離して, るから,身体症状のように自己と切り離して, ところで精神科リハビリテーションの立場か ところで精神科リハビリテーションの立場か ら は , もちろん患者の QOLを含む生活全体の らは,もちろん患者のQOLを含む生活全体の 改善が重要であるが,その一方患者が周囲と摩 改善が重要であるが,その一方患者が周囲と摩 擦なく生活していければ,とりあえずいわゆる 擦なく生活していければ,とりあえずいわゆる 社会復帰は達成されるわけだから, I 疾病をな 社会復帰は達成されるわけだから,「疾病をな く す j という視点よりは「状況の中の問題性が くす」という視点よりは「状況の中の問題性が みられなくなる」ことが課題となる。 みられなくなる」ことが課題となる。 疾病として対象化することには抵抗があるが, 疾病として対象化することには抵抗があるが, 不安神経症やうつ病の患者のように,精神症状 不安神経症やうっ病の患者のように,精神症状 逆に上述したうつ病や精神分裂病患者が,本 逆に上述したうっ病や精神分裂病患者が,本 人は抵抗しでもなお周回が本人を受療させよう 人は抵抗してもなお周囲が本人を受療させよう を自己と一応切り離して対象化し,治療を求め を自己と一応切り離して対象化し,治療を求め て受診することは今は普通のこととなってきて て受診することは今は普通のこととなってきて とする場合,たしかに本人の奇異な精神症状の とする場合,たしかに肉入の奇異な精神症状の 是正も対象とはなるが,多くの場合は家族や地 是正も対象とはなるが,多くの場合は家族や地 い る。 いるQ 域といった共同体における対人関係の中に生ず 域といった共同体における対人関係の中に生ず るさまざまな問題の解決を求めて,本人ではな るさまざまな問題の解決を求めて,本人ではな しかし精神科医が治療の対象となる症状を認 しかし精神科医が治療の対象となる症状を認 めても,本人が治療を受けようとしない場合は めても,本人が治療を受けようとしない場合は 精神科臨床では少くない。前述したうつ病の場 精神科臨床では少くない。前述したうっ病の場 合でも,本人が症状を「人生のいきづまり jと 合でも,本人が症状を「人生のいきづまり」と く周囲が精神科医療を求めることがある。つま く周囲が精神科医療を求めることがある。つま り精神科医療では,強制的医療を受けることに り精神科医療では,強制的医療を受けることに なる人,病者の候補者と目される人を中心とし なる人,病者の候補者と目される人を中心とし た,共同体内での問題の発生がまず臨床上の出 た,共同体内での問題の発生がまず臨床上の出 か「自らのだらしなさ j と考えて,疾病とはみ か「自らのだらしなさ」と考えて,疾病とはみ なさないことがある。またそのように考えて, なさないことがある。またそのように考えて, 発点となる。このような問題発生状況を加藤 発点となる。このような問題発生状涜を加藤3)3) 患者に起きている事態の理解があながちあやま 患者に起きている事態の理解があながちあやま りと思えぬことも多い。問題は,患者がそう考 りと思えぬことも多い。問題は,患者がそう考 は事例性 ( c a s e n e s s ) と名付け,患者自身の中 は事例性(caseness)と名付け,患者自身の中 に起こる病的な事態,即ち疾病性(i l l n e s s )と に起こる病的な事態,即ち疾病性(illness)と えた結果自殺のような不測の行動に至ることで えた結果自殺のような不測の行動に至ることで ある。これとて,その人なりの人生の帰結と考 ある。これとて,その人なりの人生の帰結と考 区別した。 区別した。 小田りは障害者とされる当人と,それをと 小田のは障害者とされる当人と,それをと 1 1 一!1一 大宮司 言 { 大宮司 信 りまく共同体あるいは文化体系とのあいだの相 りまく共同体あるいは文化体系とのあいだの相 互関係に,事例性の発生・析出は依存するとし, 互関係に,事例性の発生・析出は依存するとし, 同じような経験している。おそらく緊張病様症 同じような経験している。おそらく緊張病様症 状と考えられ,背後には内的体験が活発化され 状と考えられ,背後には内的体験が活発化され これを溶質の濃度と祖度の相関の上に成立する これを溶質の濃度と温度の相関の上に成立する 溶液の系になぞらえている。つまり温度に相当 溶液の系になぞらえている。つまり温度に相当 する周囲・社会・文化の側の許容度に従って, する周囲・社会・文化の側の許容度に従って, ていると思われる。この場合,事例化は患者と ていると思われる。この場合,事例化は患者と 医師・スタッフ間で生じたことになるが,他の 医師・スタッフ間で生じたことになるが,他の 患者との聞や,家庭や社会の中で生じれば,影 患者との聞や,家庭や社会の中で生じれば,影 濃度に相当する疾病の度合・当人の異常性が, 濃度に相当する疾病の度合・当人の異常性が, 溶液としてその状況のr: 1 : lにとけ込み問題になら 溶液としてその状況の中にとけ込み問題になら ないか,あるいは物質として析出して顕在化す ないか,あるいは物質として析出して顕在化す 響は周聞に広がることになるだろう。このよう 響は周囲に広がることになるだろう。このよう な組暴行為だけでなく,問題行動や自殺では, な粗暴行為だけでなく,問題行動や自殺では, その背景もさりながら,とりあえず行動そのも その背景もさりながら,とりあえず行動そのも のを対象とし対応が急がれなければならない。 のを対象とし対応が急がれなければならない。 るかどうかが決まる O すなわち事例性は,病者 るかどうかが決まる。すなわち事例性は,病者 の有する疾病性と周聞の耐容性の関数である。 の有する疾病性と周囲の耐容性の関数である。 症例 2 . 髄膜脳炎後遺症例 症例2.髄膜脳炎後遺症例 3 -2 . 事例性の析出一ごくありふれた 2症例 3−2,事例性の析出一ごくありふれた2症例 症例1.精神分裂病急性憎悪例 症例1.精神分裂病急性憎悪例 3 0代の男性。某精神科病院閉鎖病棟入院中。 30代の男性。某精神科病院閉鎖病棟入院中。 4 2歳,男性。妻と娘(小学校 3年生)の 3人 42歳,男性。妻と娘(小学校3年生)の3人 暮 ら し。 2 9歳時より糖尿病を指摘され,インス 暮らし。29歳時より糖尿病を指摘され,インス リン治療を受けていた。 3 7 歳時,化膿性髄膜脳 リン治療を受けていた。37歳時,化膿性髄膜脳 もともと寡黙で他患とのトラフソレも少なく,中 もともと寡黙で他患とのトラブルも少なく,中 等量の抗精神病薬にて安定していた。家族環境 等量の抗精神病薬にて安定していた。家族環境 炎にかかり,多発性脳膿麗も伴い,かなりの期 炎にかかり,多発性脳膿瘍も伴い,かなりの期 間にわたって意識障害が続いた。意識清明となっ 間にわたって意識障害が続いた。意識清明となっ はあまり良くなく,年老いた両親,本人との連 はあまり良くなく,年老いた両親本人との連 絡をほとんどしない兄弟という家族背景-で,盆 絡をほとんどしない兄弟という家族背景で,盆 て以後,一時的に運動性失語がみられたが次第 て以後,一時的に運動性失語がみられたが次第 に回復した。しかしそのころからイライラして に回復した。しかしそのころからイライラして 暮れ以外にあまり外泊はできない。しかし家族 暮れ以外にあまり外泊はできない。しかし家族 との聞が険悪な関係になっているわけではない。 との間が険悪な関係になっているわけではない。 おこりっぽくなってきた。 3ヶ月間の入院のの おこりっぼくなってきた。3ケ月間の入院のの ときに症状の急性増悪を起こすことから頻回の ときに症状の急性増悪を起こすことから頻回の 外泊や退院はまだ望めず,作業療法などのリハ 外泊や退院はまだ望めず,作業療法などのリハ ビリテーション活動に参加している。但し,自 ビリテーション活動に参加している。但し,自 閉的で他患との接触が充分でないので,一人で 閉的で他患との接触が充分でないので,一人で 作業することが多 L 。 、 作業することが多い。 数日前より普段に増して寡黙になり日つきが 数日前より普段に増して寡黙になり目つきが 鋭く,部屋に一人で居ることが多くなった。夜 鋭く,部屋に一人で居ることが多くなった。夜 ち故郷へ帰って,今度は糖尿病のコントロール ち故郷へ帰って,今度は糖尿病のコントロール を受けるため,内科病院へ入院した。しかし復 を受けるため,内科病院へ入院した。しかし復 職問題を契機に被害妄想が出現し,精神科病院 職問題を契機に被害妄想が出現し,精神科病院 へ転科人院,治療により軽快した。その後易怒 へ転科人院,治療により軽快した。その後上怒 的な面は少なくなったが,全体としては自閉的 的な面は少なくなったが,全体としては自閉的 で,家にこもり,ほとんど何もせず,たまに外 で,家にこもり,ほとんど何もせず,たまに外 に出てもちょっと散歩するくらいである。家計 に出てもちょっと散歩するくらいである。家計 は妻が働いて支え数年が経過した。 は妻が働いて支え数年が経過した。 間も不眠がちであったところ,ある夜消灯時間 間も不眠がちであったところ,ある夜消灯時間 を過ぎても鋭い日っきで周囲を見回し一向に寝 を過ぎても鋭い目つきで周囲を見回し一向に寝 ところが最近,糖尿病のコントロールに用い ところが最近,糖尿病のコントロールに用い ている自己注入用のインスリンのロットの番号 ている自己注入用のインスリンのロットの番号 ない。様子を見にいくと, トイレで下を向き, ない。様子を見にいくと,トイレで下を向き, が毎日違うのはおかしいと言い出し,かなりの が毎日違うのはおかしいと言い出し,かなりの 高血糖となってもひそかに注入せず, このため 高血糖となってもひそかに注入せず,このため 硬い顔つきで立っている O 声をかけたが応じず, 硬い顔つきで立っている。声をかけたが応じず, さらにゆっくり声をかけながら近寄ったところ, さらにゆっくり声をかげながら近寄ったところ, いきなり殴りかかってくる。しかし,当方の眼 いきなり殴りかかってくる。しかし,当方の眼 鏡が割れたのを見ると,呆然とした様子で一緒 鏡が割れたのを見ると,呆然とした様子で一緒 不可解な突発性の高血糖が出現した。また妻が 不可解な突発性の高血糖が出現した。また妻が 期待している家事はおろか,家の中で何もしな 期待している家事はおろか,家の中で何もしな にいた看護スタッフの制止にそれ以上抵抗しな にいた看護スタッフの制止にそれ以.ヒ抵抗しな い患者に対して小学校 3 年生になる娘が嫌悪し い患者に対して小学校3年生になる娘が嫌悪し だし,けんかが頻繁に起こるようになった。こ だし,けんかが頻繁に起こるように.なった。こ い。緊張しまた険悪な表情はあいかわらずで鎮 い。緊張しまた険悪な表情はあいかわらずで鎮 静剤を注射し,翌日からは強力な治療が再開さ 静剤を注射し,翌日からは強力な治療が再開さ のため妻はそれまでのように安心して勤めに出 のため妻はそれまでのように安心して勤めに出 ることができなくなり,主治医,患者と三者で ることができなくなり,主治医,患者と三者で れ た。 れた。 何回も相談し,第 1にインスリンの自己管理の 何回も相談し,第!にインスリンの自己管理の このような症例はどこの精神科病院にも,い このような症例はどこの精神科病院にも,い わばありふれて存在しており,どの精神科医も わばありふれて存在しており,どの精神科医も 確立,第 2に自閉傾向からの脱却のためのリハ 確立,第2に自閉傾向からの脱却のためのリハ ビリテーション活動への参加を入院の目的とし ビリテーション活動への参加を入院の目的とし 1 2 一12一 精神病理学と事例性に関する 考察 精神病理学と事例性に関する考察 て説得した結果,患者は精神科病院へしぶしぶ て説得した結果,患者は精神科病院へしぶしぶ 入院することになった。 入院することになった。 4 . 事例化をもたらすもの 4。事例化をもたらすもの 4 -1.病者と生活をともにする者から見た事 4−1.病者と生活をともにする者から見た事 まとめると,本例は髄膜脳炎後遺症で,その まとめると,本例は髄膜脳炎後遺症で,その 経過中,自問,妄想、傾向,判断力低下を呈し, 経過中,自閉,妄想傾向,判断力低下を呈し, 例性 野性 これまで述べた症例に示されるように,疾病 これまで述べた症例に示されるように,疾病 家族との折り合いが悪くなり,それまでの生活 家族との折り合いが悪くなり,それまでの生活 を守ることが出来なくなった症例である。 を守ることが出来なくなった症例である。 性とは別に,周囲がそれをいかに受け取るかと 性とは別に,周囲がそれをいかに受け取るかと いう側面,すなわち事例性は時と場によって変 いう側面,すなわち事例性は時と場によって変 さて彼のいかなる側面がこの時点で事例性を さて彼のいかなる側面がこの時点で事例性を 生み出したのであろうか。もちろん多様な要因 生み出したのであろうか。もちろん多様な要因 化する。もちろん,疾病性自体の変化によって 化する。もちろん,疾病性自体の変化によって も事例性の度合いは変わり,一般に疾病性が深 も事例性の度合いは変わり,一般に疾病性が深 があり,決して一面的ではあるまい。そのうち があり,決して一面的ではあるまい。そのうち 2つの点のみ考えてみたい。 1つは娘 知り得た 知り得た2っの点のみ考えてみたい。1っは娘 O しかし くなるほど事例牲は深刻になっていく くなるほど事例性は深刻になっていく。しかし 周聞がいかに受容するか,逆に事例とみなすか 周囲がいかに受容するか,逆に事例とみなすか との問題である。小さいうちは,娘は父の疾病 との問題である。小さいうちは,娘は父の疾病 ないしそこから出現するいわゆる異常性につい ないしそこから出現するいわゆる異常性につい l J J lの要因からも考えて は,疾病性だけでなく, は,疾病性だけでなく,別の要因からも考えて いかなければならない。 いかなければならない。 て頓着することはなかった。しかし彼女の世界 て頓着することはなかった。しかし彼女の世界 が広がって,家庭以外の世界に向かうようにな が広がって,家庭以外の世界に向かうようにな 周囲がある状況を事例と考えるようになる要 周囲がある状況を事例と考えるようになる要 因は何であろうか。筆者は一言でいえば「生へ 因は何であろうか。筆者は一言でいえば「生へ り,その両者に足をかけて自己の世界を作りは り,その両者に足をかけて自己の世界を作りは じめたとき,初めて彼女にとって父の事例性が じめたとき,初めて彼女にとって父の事例性が O もちろん,上 の困惑」とまとめられると思う の困惑」とまとめられると思う。もちろん,上 1のような粗暴行為では,周囲の に述べた症例 に述べた症例1のような粗暴行為では,周囲の 析出してきたと考える。 析出してきたと考える。 J ,I 生物学的な生Jを困 者の「生命としての生 者の「生命としての生」,「生物学的な生」を困 一方妻についてはどうであろうか。面接の中 一方妻についてはどうであろうか。面接の中 から知りうる限りで最も問題にしているのは, から知りうる限りで最も問題にしているのは, 惑させる(極端な事例として析出する場合には 惑させる(極端な事例として析出する場合には O ただしそ 触法という形でみられることもある 触法という形でみられることもある。ただしそ 患者が重い糖尿病であり,それを知りながらも, 患者が重い糖尿病であり,それを知りながらも, うした例の場合に健常者よりも精神障害者にお うした例の場合に健常者よりも精神障害者にお いても多くみられるわけでない事は,統計的に いても多くみられるわけでない事は,統計的に なお平気で糖尿病治療を拒否する点である。つ なお平気で糖尿病治療を拒否する点である。つ まり彼女が脅威としているのは,表現やふるま まり彼女が脅威としているのは,表現やふるま いにおける一般的な奇異性や異常性ではなく, いにおける一般的な奇異性や異常性ではなく, 本人も理解しているはずの自己の生命の延長を 本人も理解しているはずの自己の生命の延長を 援助する仕組みを,平気で拒絶することに対す 援助する仕組みを,平気で拒絶することに対す 明らかにされている)。 明らかにされている)。 しかし第 2例のような場合こそ,精神医療の しかし第2例のような場合こそ,精神医療の 中で精神病理学的な背景を踏まえつつ考えてい 中で精神病理学的な背景を踏まえっっ考えてい る驚樗である。 る驚愕である。 かなければならないだろう。それは「意味とし かなければならないだろう。それは「意味とし Jである。症例 2で疾病として ての生への困惑 ての生への困惑」である。症例2で疾病として この妻の態度から出発して,事例性の 1つの この妻の態度から出発して,事例性の1っの 側面を次のように一般化できないだろうか。す 側面を次のように一般化できないだろうか。す は髄膜脳炎後遺症として一定の症状を示してい は髄膜脳炎後遺症として一定の症状を示してい た症例が,妻や娘によって事例と見なされるよ た症例が,妻や娘によって事例と見なされるよ なわち我々が他者の中に事例性をみとめるのは, なわち我々が他者の中に事例性をみとめるのは, Jを困 うになったのは,妻や娘の「生命的な生 うになったのは,妻や娘の「生命的な生」を困 f 意味 惑させるのではなく,先に述べたように 惑させるのではなく,先に述べたように「意味 彼が奇異であり,我々の日常的な共通感覚にとっ 彼が奇異であり,我々の日常的な共通感覚にとっ て異質であることもあるが,より深くは我々が て異質であることもあるが,より深くは我々が 我々の生を取りあえず安んじて営むさいの前提 我々の生を取りあえず安んじて営むさいの前提 j という側面で困惑させるからであ としての生 としての生jという側面で困惑させるからであ (それは自に見える仕組みであったり,あるい (それは目に見える仕組みであったり,あるい は我々の内的な構えであることもあるが),我々 は我々の内的な構えであることもあるが),我々 4 -2 . 事例性についての考え方 4−2,事例性についての考え方 る。 る O 自身が生きることの基盤をおいているものを, 自身が生きることの基盤をおいているものを, もちろん本論は単に病者を排斥すればいいと もちろん本論は単に病者を排斥すればいいと いった乱暴な結論につなげようとしているので いった乱暴な結論につなげようとしているので 無頓着に乗り越え,あるいは無視する場合であ 無頓着に乗り越え,あるいは無視する場合であ る と孝 o ると*3。 は な L、。たとえどんな理由があろうとも,異質 はない。たとえどんな理由があろうとも,異質 な者を排除する権利はだれにもないし,まして な者を排除する権利はだれにもないし,まして や医療においてそれは自殺行為である。病者と や医療においてそれは自殺行為である。病者と 位置づけられた側に無条件に立つことが医療者 位置づけられた側に無条件に立つことが医療者 13 一13一 大 宮司信 大宮司 信 の基本だからである。従って上述したような症 の基本だからである。従って上述したような症 例では,一旦病者の行動を制限し,病者の当面 例では,一旦病者の行動を制限し,病者のi当面 て自然科学的,特に生物学的精神医学と方法論 て自然科学的,特に生物学的精神医学と方法論 的な親和性を持ちながら,記述的精神病理学の 的な親和性を持ちながら,記述的精神病理学の の主張を受け入れず,その意志に反して入院さ の主張を受け入れず,その意志に反して入院さ せたり,治療したりすることを,自律的な責任 せたり,治療したりすることを,自律的な責任 名称で精神医学の基盤となっている。妄想とい 名称で精神医学の基盤となっている。妄想とい う言葉にはいくつかの定義があるが,その代表 う言葉にはいくつかの定義があるが,その代表 をとれぬ者に対する父権的な介入と考えて肯定 をとれぬ者に対する父権的な介入と考えて肯定 し,共同体内の病者を保持するための保護に相 し,共同体内の病者を保持するための保護に相 が記述的精神病理学による「訂正不能な判断の が記述的精神病理学による「訂正不能な判断の 誤 り j であることは精神科医ならば誰でも知っ 誤り」であることは精神科医ならば誰でも知っ 当する行為とみなしてきた。しかしこうした考 当する行為とみなしてきた。しかしこうした考 え方とその根拠はかなり不鮮明である牢 40 え方とその根拠はかなり不鮮明である*㌔ ている(もちろんこれにさらにいくつかの要素 ている(もちろんこれにさらにいくつかの要素 を加えなければならないし, J a s p e r s自身も言 を加えなければならないし,Jaspers自身も言 例えば触法した者はその理由を問わず,行為 例えば触法した者はその理由を問わず,行為 についてのみ問うこと,すなわち触法行為がそ についてのみ問うこと,すなわち触法行為がそ 語化された妄想の背後にある言語化できない気 語化された妄想の背後にある言語化できない気 分としての妄想の本質を指摘しているが)。 分としての妄想の本質を指摘しているが)。 の者の手によって行われたか否かのみを問い, の者の手によって行われたか否かのみを問い, 一方臨床医である限り妄想を認めてすぐに治 一方臨床医である限り妄想を認めてすぐに治 療に着手する者はいない。妄想そのものよりは, 療に着手する者はいない。妄想そのものよりは, その理由を問わないという考え方は,理論の上 その理由を問わないという考え方は,理論の上 では可能だが少なくとも精神医学の歴史におい では可能だが少なくとも精神医学の歴史におい ては 1 9世紀初頭までに解答の出た問題と考える O ては19世紀初頭までに解答の出た問題と考える。 P i n e lを例にあげるまでもなく,犯罪者として Pinelを例にあげるまでもなく,犯罪者として 受刑していた者を病者として開放し,治療をう 受刑していた者を病者として開放し,治療をう けさせようとしたことが精神医学のはじまりで けさせようとしたことが精神医学のはじまりで あり,医療をうけるべき病者が受刑しているの あり,医療をうけるべき病者が受刑しているの は何も昔の話ではない九 は何も昔の話ではない5)。 5 . 事例性論と精神病理学的規定 5.事例性論と精神病理学的規定 .{ 9 J t 示としての妄想の定義 ら ー 1 5−1.例示としての妄想の定義 精神科臨床における事例性は「意味としての 精神科臨床における事例性は「意味としての 生」との関連において考えるべきことを述べて 生」との関連において考えるべきことを述べて きた。これは実践的には現実の臨床の場におい きた。これは実践的には現実の臨床の場におい て,異常を正常化すること,あるいは病気を健 て,異常を正常化すること,あるいは病気を健 康にもどすことのみでなく,事例性を消失させ, 康にもどすことのみでなく,事例性を消失させ, 具体的な場で周囲と共生する方向と方法を探る 具体的な場で周囲と共生する方向と方法を探る ことに他ならなし、。精神病理学は単に異常の本 ことに他ならない。精神病理学は単に異常の本 臨床の実際では妄想による事例化の側面こそ重 臨床の実際では妄想による事例化の側面こそ重 要となる。つまり患者の中に妄想を認めるだけ 要となる。つまり患者の中に妄想を認めるだけ でなく,その妄想によって周囲との対人関係に でなく,その妄想によって周囲との対人関係に 摩擦が生じているかどうかが,治療を開始すべ 摩擦が生じているかどうかが,治療を開始すべ きかどうかの判断根拠となる。従って,治療論 きかどうかの判断根拠となる。従って,治療論 に引き寄せていえば,妄想そのものの形式・内 に引き寄せていえば,妄想そのものの形式・内 容の検討もさりながら,それがいかに本人の自 容の検討もさりながら,それがいかに本人の自 由を奪うか,また周囲の者を巻き込んでどれほ 由を奪うか,また周囲の者を巻き込んでどれほ ど事例化する側面を持つかの方に,より重点が ど事例化する側面を持つかの方に,より重点が 移 る宇 5 0 移る*5。 こう考えると,妄想の持つ「主観的には正し こう考えると,妄想の持つ「主観的には正し いが客観的には誤っている」という,いわゆる いが客観的には誤っている」という,いわゆる 主観客観の組踊,どのような証拠をっきつけら 主観客観の齪飴,どのような証拠をっきつけら れでも動じないといった訂正不能性よりはむし れても動じないといった訂正不能性よりはむし ろ,妄想が病者と健者の閣の共生をいかに阻害 ろ,妄想が病者と記者の間の共生をいかに阻害 するかの方がより重要な問題となる。筆者の立 するかの方がより重要な問題となる。筆者の立 場からは,このように妄想が事例性を生み出す 場からは,このように妄想が事例性を生み出す できれば消滅させることを宿命として負わされ, できれば消滅させることを宿命として負わされ, 側面を浮き立たせるために,妄想の精神病理の 側面を浮き立たせるために,妄想の精神病理の 再検討を目ざす必要が生じる 再検討を目ざす必要が生じる。o 精神科臨床という営為に深く根ざした学問領域 精神科臨床という営為に深く根ざした学問領域 であることを E 沓まえなければならないだろう。 であることを踏まえなければならないだろう。 5 -2 . 定義と構造一 H iI b e r t-F r e g e論争 5−2.定義と構造一言lbert−Frege論争 精神病理学では,術語の命名と特定に関して, 精神病理学では,術語の命名と特定に関して, たとえば症状論の中で考えた場合, この点はど たとえば症状論の中で考えた場合,この点はど の様に反映されるか。この点について考えてみ の様に反映されるか。この点について考えてみ 5 -1で述べたような消息があると筆者は考え 5−1で述べたような消息があると筆者は考え 質を探るだけでなく,この様に事例化を減らし, 質を探るだけでなく,この様に事例化を減らし, f こ し 、 。 たいQ 言葉の厳密な定義付けとその繰作,全体の整 言葉の厳密な定義付けとその繰作,全体の整 合性をその特徴のひとつとする J a s p e r sの精神 合性をその特徴のひとつとするJaspersの精神 6) は,他の精神病理学の諸派にくらべ 病理学 病理学6)は,他の精神病理学の諸派にくらべ るが,類似の事情は言葉を専門とする哲学の世 るが,類似の事情は言葉を専門とする哲学の世 界でも存在するように思われる。この間の事情 界でも存在するように思われる。この間の事情 を野家の論文7)から考えてみたい。 を野家の論文7)から考えてみたい。 古代ギリシャ以来,学問の典型と考えられて 古代ギリシャ以来,学問の典型と考えられて いたユークリッド幾何学が,近代になって非ユー いたユークリッド幾何学が,近代になって非ユー 1 4 一14一 精神病理学と事例性に関する一考察 精神病理学と事例性に関する一考察 クリッド幾何学の登場によって必ずしも万古不 クリッド幾何学の登場によって必ずしも万古不 易の真理ではないとされてきたことはすでに周 易の真理ではないとされてきたことはすでに周 知の事となっているが, H u s s e r lもその一部に 知の事となっているが,Hussθr1もその一部に ことになる。 ことになる。 参加した H i l b e r tとF r e g eとの聞の論争はその流 参加したHilbertとFregeとの間の論争はその流 れの中の議論のひとこまとされる。ここでその れの中の議論のひとこまとされる。ここでその 精神科医は一人一人独自の人間知ないし人間 精神科医は一人一人独自の人間知ないし人間 学を日々の臨床における患者との出会いから構 学を日々の臨床における患者との出会いから構 詳細に立ちいる余裕はないが,本論文との関連 詳細に立ちいる余裕はないが,本論文との関連 でふまえたいのは,野家 7)による次のような指 でふまえたいのは,野家7)による次のような指 築している(それを声高に言うか,心に秘して 築している(それを声高に言うか,心に秘して 描である。 摘である。 アルキメデス・ユークリッド的な考え方から アルキメデス・ユークリッド的な考え方から は,たとえば「点とは部分を持たないもの」と は,たとえば「点とは部分を持たないもの」と いった明示的定義をまず規定し,その後,線・ いった明示的定義をまず規定し,その後,線・ O これ 面・連続・平行などの議論が展開される 面・連続・平行などの議論が展開される。これ 6 . まとめ一、 P s y c h i a t r i e r e n " 6.まとめ一“Psychiatrieren” 黙するかは別として)。もちろんその出発点と 黙するかは別として)。もちろんその出発点と 到着点は,まずは日前の患者の治療である。こ 到着点は,まずは目前の患者の治療である。こ うした人間学の構築は,精神科医だけでなく, うした人間学の構築は,精神科医だけでなく, だれでもが日々の生活体験と,ありとあらゆる だれでもが日々の生活体験と,ありとあらゆる 知の体験を通じて一生涯続けていく。その中で 知の体験を通じて一生涯続けていく。その中で に対して非ユークリッド幾何学や H i l b e r tによ に対して非ユークリッド幾何学やHilbertによ 精神医学を背景とした(というよりも精神科医 精神医学を背景とした(というよりも精神科医 の発言になる)様々な人間学・人間理解の方法 の発言になる)様々な人間学・人聞理解の方法 れば,その様に点を概念規定すること自体が成 れば,その様に点を概念規定すること自体が成 り立たず,点の概念は学問的な全体構造ないし り立たず,点の概念は学問的な全体構造ないし とそれにもとづく見解は,現在それなりの影響 とそれにもとつく見解は,現在それなりの影響 力を有していると思う O そこには医学や精神医 力を有していると思う。そこには医学や精神医 視点によって変わるという。 視点によって変わるという。 学への人々の信頼があると筆者は考え,責任の 学への人々の信頼があると筆者は考え,責任の 重さを感じている。 重さを感じている。 この間の消息につき,野家7)によれば H i l b e r t この間の消息にっき,野家7)によればHilbert は次のように述べているという。 は次のように述べているという。 「それに対して,私の考えでは,点の定義を 「それに対して,私の考えでは,点の定義を 三行で与えようとすることは不可能です。なぜ 三行で与えようとすることは不可能です。なぜ なら,むしろ公理の構造全体によって初めて完 なら,むしろ公理の構造全体によって初めて完 全な定義が与えられるからです。すべての公理 全な定義が与えられるからです。すべての公理 は定義に対して何らかの寄与を行っており,す は定義に対して何らかの寄与を行っており,す べての新しい公理は,それゆえ概念を変化させ べての新しい公理は,それゆえ概念を変化させ ます。ユークリッド幾何学,非ユークリッド幾 ます。ユークリッド幾何学,非ユークリッド幾 何学,アルキメデス幾何学,非アルキメデス幾 何学,アルキメデス幾何学,非アルキメデス幾 しかし,少なくとも精神病理学を背景とした しかし,少なくとも精神病理学を背景とした 人間学を構築しようとする上は,精神病理学が 人間学を構築しようとする上は,精神病理学が 持っている個別の限界や守備範囲を明確に意識 持っている個別の限界や守備範囲を明確に意識 していく必要がある。その匂いが全くない人間 していく必要がある。その匂いが全くない人間 学は,他のいかなる人間学であろうとも精神病 学は,他のいかなる人間学であろうとも精神病 理学から出発した人間学ではない。またそのよ 理学から出発した人間学ではない。またそのよ うな限界認識は,逆に精神病理学そのものにも うな限界認識は,逆に精神病理学そのものにも 豊かな実を結ぶはずだと考えられる。 豊かな実を結ぶはずだと考えられる。 かつて筆者の愚師諏訪望は, " P s y c h i a t r i e r e n " かつて筆者の恩師諏訪望は,“Psychiatrieren” 何学における『点』は,そのたびごとに異なっ 何学における『点』は,そのたびごとに異なっ たものなのです。」 たものなのです。」 という言葉を提示した事がある 8)。 も ち ろ ん という言葉を提示した事がある8)。もちろん K antの " P h i l o s o p h i e r e n " にならった造語で Kantの“Philosophieren”にならった造語で これまで述べてきた筆者の試みは, I 点の定 これまで述べてきた筆者の試みは,「点の定 義から公理・定理を作るいきかた j ではなく, 義から公理・定理を作るいきかた」ではなく, あ るキ 6。諏訪はこの言葉の説明の中で,精神医 ある*6。諏訪はこの言葉の説明の中で,精神医 学の多様性とそれぞ、れの相互の独立性について 学の多様性とそれぞれの相互の独立性について 「点という言葉を学的体系全体の中で定義する 「点という言葉を学的体系全体の中で定義する いきかた Jと方向を同じくする。たとえば妄想 いきかた」と方向を同じくする。たとえば妄想 ふれ,それは精神医学の研究方法論や各体系に ふれ,それは精神医学の研究方法論や各体系に あてはまるとする。一方「精神」は精神医学の あてはまるとする。一方「精神」は精神医学の という言葉に対して,どの場面でも適用可能な という言葉に対して,どの場面でも適用可能な 辞書的な定義をし,同じように定義された様々 辞書的な定義をし,同じように定義された様々 出発点であり,それは「人間性 j といってもよ 出発点であり,それは「人間性」といってもよ く(注1でも同じ*1 ),精神病理学の体系化は, く(注一1でも同じ*1),精神病理学の体系化は, な言葉によって心的事態を構成していくのでは な言葉によって心的事態を構成していくのでは なく,構成された精神病理学の構造の中であら なく,構成された精神病理学の構造の中であら それぞれの創始者の人間性ないし世界観が大き それぞれの創始者の人間性ないし世界観が大き な役割を担っているという。また精神医学の諸 な役割を担っているという。また精神医学の諸 ためて妄想という言葉を問おうとする O 本論で ためて妄想という言葉を問おうとする。本論で いえば事例性という面に着目しながら,再度妄 いえば事例性という面に着目しながら,再度妄 体系の「どれひとつとして完成された唯一の体 体系の「どれひとつとして完成された唯一の体 系としてわれわれに提供されているものはない 系としてわれわれに提供されているものはない」J 想の定義や広がりを考えようとする方向という 想の定義や広がりを考えようとする方向という とも言っている。 とも言っている。 一15一 大 宮司信 大宮司 信 本論文では強制的医療をめぐり,事例性とい 本論文では強制的医療をめぐり,事例性とい う考え方から,筆者なりに精神病理学を再考す う考え方から,筆者なりに精神病理学を再考す るひとつの作業として,言葉の定義や視座の変 るひとつの作業として,言葉の定義や視座の変 更に関して素描を試みたが, これを筆者なりの 更に関して素描を試みたが,これを筆者なりの 4 . 精神科の日常臨床ではこの事例性の解決を, 4.精神科の日常臨床ではこの事例性の解決を, 患者の持つ心的困難,精神的痛みの解決を通 患者の持つ心的困難,精神的痛みの解決を通 して実現しようとするから,事例性や強制的 して実現しようとするから,事例性や強制的 医療と,精神医学が精神を対象とする事は分 医療と,精神医学が精神を対象とする事は分 九 i nPsychiat r i e r e n " とひそかに考えている。 “ein Psychiatrieren”とひそかに考えている。 離できない。ただし現実には,上記のような 方向では事例性,とくに症例 1のように差し 方向では事例性,とくに症例1のように差し 謝 辞 辞 謝 本論文の内容は,北海道大学医療技術短期大 本論文の内容は,北海道大学医療技術短期大 学部作業療法学科(平成 9年 1月 2 0日),北海 学部作業療法学科(平成9年1,月20日目,北海 追った場合では,現実には困難ないし不可能 迫った場合では,現実には困難ないし不可能 である。 である。 また本論文では精神を対象とするという, また本論文では精神を対象とするという, 1 2年 6 道大学文学研究科文化価値論講座(平成 道大学文学研究科文化価値論講座(平成12年6 月 3 日)にて検討していただき,貴重なご意見 月3日)にて検討していただき,貴重なご意見 をいただいた。また匿名性を守る立場から実名 をいただいた。また匿名性を守る立場から実名 はふせるが,症例記述については当該病院の院 はふせるが,症例記述については当該病院の院 長はじめ職員の方々に感謝したい。本論文の要 長はじめ職員の方々に感謝したい。本論文の要 旨は第 1 6回日本精神病理学会において発表した。 旨は第16回日本精神病理学会において発表した。 今一つの(というより,さらに重要な)特色・ 今一っの(というより,さらに重要な)特色・ 課題を操作的にはずしているが,本論文とは 課題を操作的にはずしているが,本論文とは 逆にこの点を中心に,強制的医療や事例性を 逆にこの点を中心に,強制的医療や事例性を 従属変数とした内容の稿を改めて用意したい 従属変数とした内容の稿を改めて用意したい と考えている。 と考えている。 5 . たとえば精神分裂病者の妄想が,どのくら 5.たとえば精神分裂病者の妄想が,どのくら い事例化して現れるかという頻度について, い事例化して現れるかという頻度について, j 主 本 *注 r 1 . 精神j という言葉について,諏訪は宗教 1.「精神」という言葉について,諏訪は宗教 精神医学との関連でふれている 9)。 紙 幅 の 関 精神医学との関連でふれている9)。紙幅の関 係で詳しくは紹介できないが, P s y c h i a t r yの 係で詳しくは紹介できないが,Psychiatryの 語源となったギリシャ語の「プシュケー」が, 語源となったギリシャ語の「プシュケー」が, Huberll)は 50~70% という数字をあげている。 HuberlDは50∼70%という数字をあげている。 6 . オーストリア系ドイツ言百で、は p s y c h i at r i e r e n 6.オーストリア系ドイツ語ではpsychiatrieren は「精神鑑定する」という意味に使用されると は「精神鑑定する」という意味に使用されると いう(富山芳生(編) :独語辞典,郁文堂, いう(富山芳生(編):独語辞典,郁文堂, 東 京, 1 9 8 7 .p p .1 ,1 0 4 . )。 東京,1987.pp。1,104.)。 j ・「心」を意味するのみでなく, 単に「精神 単に「精神」・「心」を意味するのみでなく, 引用文献 引用文献 r 生命現象とし 「生命」と深い関わりをもち, 「生命」と深い関わりをもち,「生命現象とし ての心の状態 Jをさすと指摘していることは ての心の状態」をさすと指摘していることは 1.木村敏:心の病理を考える p . 1, 岩 波 1.木村 敏:心の病理を考える.p. i,岩波 r r 精 神 Jを「人間 あげておきたい。諏訪が あげておきたい。諏訪が「「精神」を「人間 j としているのも, 性」といいなおしてもいい 性」といいなおしてもいい」としているのも, 2 . 笠原嘉.分裂病の了解学はどこまで進ん 2.笠原 嘉:分裂病の了解学はどこまで進ん このあたりの消息をふまえていると筆者は考 このあたりの消息をふまえていると筆者は考 える。 える。 だか一最近の精神病理学的研究から一.精神 だか一最近の精神病理学的研究から一.精神 経 誌, 8 5:6 7 1 6 7 6, 1 9 8 3 . 経誌, 85 :671−676, 1983, 2 . 通常の医療契約が結べる者のみを対象にす 2.通常の医療契約が結べる者のみを対象にす 3 . 加藤正明:疫学的精神医学 事例になると 3.加藤正明:疫学的精神医学一事例になると ればよいという考え方が当然、あるが,精神科 ればよいという考え方が当然あるが,精神科 臨床では成立しづらし、。昨日静かに治療契約 臨床では成立しづらい。昨日静かに治療契約 を結んだ患者が,今日は不測の行動に走る事 を結んだ患者が,今日は不測の行動に走る事 いうこと.加藤正明編,社会と精神病理. いうこと.加藤正明編,社会と精神病理. p . 1 3 4, 弘文堂, 1 9 7 6,東京. p.134,弘文堂,1976,東京. などは日常茶飯事であり,そうなったから治 などは日常茶飯事であり,そうなったから治 療契約を解除するというのは,現実には関与 療契約を解除するというのは,現実には関与 9 9 4,東京. 書 屈, 1 書店,1994,東京. 4 . 小田晋:日本の狂気誌. p.11-12, 思 4.小田晋:日本の狂気誌.p.11−12,思 9 8 0,東京. 索 社, 1 索社,1980,東京. 5 . 山上 賠:我が固における触法精神障害者 5.山上 皓1我が国における触法精神障害者 処遇の現状と問題点.精神経誌 1 0 2:1 5 2 2, 処遇の現状と問題点.精神経誌 102:15−22, した者の倫理としてできない。 した者の倫理としてできない。 3 . 木村川は,精神の病にみる異常とは,結 3.木村10)は,精神の病にみる異常とは,結 O ここでい 局は「常識の欠如」であるという 局は「常識の欠如」であるという。ここでい う常識とは, もちろん知識的な知ではなく, う常識とは,もちろん知識的な知ではなく, 2 0 0 0 . 2000. 6 .J a s p e r s, K . :A l l g e m e i n e Psychopatholo 6.Jaspers,K,:Allgemeine Psychopatholo− 】 g i e . 5-Aufl . S p r i n g e r, 1 9 4 8, B巴r l i n u gie. 5−Aufl, Springer, 1948, Berlinu H e i d e b e r g (内村祐之他訳:精神病理学総論. Heideberg(内村祐之他訳:精神病理学総論 日常生活していく上での実践的な知をさす。 日常生活していく上での実践的な知をさす。 1 6一 一16一 精神病理学と事例性に関する一考察 精神病理学と事例性に関する一考察 岩波書居, 1 9 5 3 1 9 5 6,東京.) 岩波書店,19534956,東京.) 7 . 野家啓一 : 1幾何学の基礎j と現象学 ヒ 7.野家啓一:「幾何学の基礎」と現象学一ヒ ルベルト, フレーゲ, フッサールー.野家啓一, ルベルト,フレーゲ,フッサールー.野家啓一, .147-180,頚草書房, 無根拠からの出発. p 無根拠からの出発.p.147−180,頸草書房, 1 9 9 3,東京. 重993,東京. 8 . 諏 訪 望 : 、P s y c h i a r i e r e n " .精神医学 8.諏訪 望:“Psychiarieren”.精神医学 1 4:7 8 3,1 9 7 2 . 14:783, 1972。 9 . 諏訪望:精神医学とキリスト教一新約聖 9.諏訪 望:精神医学とキリスト教一新約聖 書の用語からみた「精神」の意味.諏訪望, 書の用語からみた「精神」の意味.諏訪 望, 急がずに休まずに一精神医学とキリスト教一. 急がずに休まずに一精神医学とキリスト教一. p . 4 6 6 4, シャローム印刷, 1 9 9 2,東京. p.46−64,シャローム印刷,1992,東京. 1 0 . 木村敏:異常の構造. p.39-50,講談社, 10.木村 敏:異常の構造.p.39−50,講談社, 1 9 7 3,東京. 1973,東京. 1 1 . Huber G .u . Gross G . Wahn-E i n e 11.Huber G. u. Gross G.:Wahn−Eine d巴s k r i p t i v p h a n o m巴n o l o g i s h eU n t e r s u c h u n g deskriptiv−phanomenologishe Untersuchung s c h i z o p h r e n e nWa h n s-. F .EnkeV巴r l a g , schizophrenen Wahns一. F. Enke Verlag, 1 9 7 7,S t u t t g a r t (木村定他訳:妄想.金剛 1977,S七uttgart(木村定他訳:妄想.金剛 出版, 1 9 8 3,東京.) 出版,1983,東京.) ηt 一17一
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