L l ̄磁感甑だ空涙澗鈍終翻繍恩遇動揺麗澤裏訂.

平成13年3月31日 名古屋第二日赤ニュース
ニ
≡
≡
≡
L l ̄磁感甑だ空涙澗鈍終㊥翻繍恩遇動揺麗澤裏訂.
発 行 所/名古屋第二赤十字病院 名古屋市昭和区妙見町2−9 電話〈0詑〉832−1121(月刊)
編集兼発行責任者/重 松 宏 インターネットホームページ http:uwww.nagOya2.jrc.or.JP/
印 刷 所/尾崎印刷株式会社
“当院ボイラー棟横の桜”
『享『閤■
く6・7〉スーダン紛争犠牲者救援医療活動に参加して
く2〉退職にあたって く8〉第8期GAPボランティア来院
く3〉この3月でご退職されるみなさんへ 春の消防訓練実施
く4〉副院長就任にあたって 表紙の写真
く5〉中京馬主協会様からの助成金による医療器械整備事業 人事往来
本紙は、再生紙(古紙160%)を使用しております。
(2)
退職にあたって
院長 栗山 康介
このたび、3月31日をもちまして退職し、名誉
院長の称号をいただきました。
私は、昭和31年3月に名大医学部を卒業、続い
てインターン終了後、大学院医学研究科で学び、昭
駐車場が狭く各方面からの苦情もあり、正面南に
136台収容可能の立体駐車場を建築し、また南隣地
約1,200坪を購入、126台収容の駐車場にしました。
同時に、10年計画を立て、工期を3期に分けた将
和36年3月満了、4月から名古屋第二赤十字病院
に非常勤で、37年4月から常勤で赴任しました。
来計画を作成し、安藤副院長を委員長とする建築委
第二日赤で40年間お世話になりました。
関連等の建築に着手し、この6月に完成いたします。
員会を設置、第1期工事として救命救急センター株
赴任当時、当院は結核専門病院で病室は全部木造、
地下2階、地上6階述べ面積21,350山、1階には、
229床(関西電力、朝日新聞、日本陶器の委託病棟
救命救急センター、2階には、手術室13室、3階
35床を含む)で、医師は院長のほか6名でした。
にはI CU、CCU、などの特殊診療部門、4階には、
このころ、抗結核剤も続々と開発され、不治の病と
救急病棟と開放病床、5階には、S CUを備えた脳
いわれた結核も治癒可能となり、療養期間も短縮、
神経病棟、最上階には、大災害時に、30床の救急
死亡率も激減してきました。当院の付近にも住宅が
災害病棟に変わるスカイレストランです。
増え、地域の発展に応じて、一般診療を開始し、近
代的な総合病院を目標に努力しました。昭和36年
9月に本館(管理棟、外来診療棟)鉄筋コンクリー
院長就任時に、医療を受ける方々にとって最高の
病院を目指すことは勿論のことですが、それには、
患者さま中心の医療を提供する職員が、満足して働
ト造2階建が建築され、これが病院近代化の始まり
ける職場づくりが必要と考え、その1つとして、気
でした。
分よく、おいしい食事のできる場所をつくりたいと
いうのが私の夢でした。この建物が6月5日(火)に
この当時の外来患者数は、1日平均20人∼30人
でした。その後、地域の発展とともに患者数も増え、
竣工式を迎えることができるのも、職員の皆様が患
6∼7年毎に増改築を繰り返し、平成2年には近代
者さまに誠心誠意最高の医療を提供し続けられた賜
物と感謝しています。
また、今でも忘れないことは、院内報を創刊した
的なアプローチ、広い玄関、大理石の床、3階まで
のエスカレーター、自動演奏ピアノのある快適な1
階フロアー、近代的なカンファレンスホール、地域
ことでした。学生時代に、学生新聞や映画展望など
医療研修センターを有する第1病棟が完成し、
の出版に携わっていた経験から数人のメンバーで診
835床(結核30床を含む)になりました。この間、
療のかたわら編集し、昭和52年10月に創刊号を発
I CU、CCU、S CU、NI CU、腎臓移植セン
ター、救命救急センターなどの特殊診療部も次々と
開設、救急医療を中心に発展してきました。
第1病棟の完成後、平成2年10月に院長に就任
しました。当時、県から快適空間質をいただいた第
刊し、以後月刊で発行しました。表紙には院内の行
事を中心に、内容は報道写真を多くして、見て楽し
い院内幸馴こ努めました。以後診療が忙しくなり、や
むなく中断しましたが、その後、当時の庶務課が担
1病棟は、近代的な病棟でしたが、病院全体をみると、
当し、現在まで続いています。この積み重ねは病院
の歴史となり、記念誌発刊のときに役立つものと思
狭い救急外来、古いI CU、手術室などが残り、玄
います。
関と客室は快適でしたが、台所の狭さ、機能の悪さ
また、病院の発展に大きく影響のあったのは、地
が目につきました。このアンバランスを解消するの
元の医師会との連携に努めたことでした。現在、当
が肝要と新救命救急センター棟を計画しました。まず、
院の登録医は、歯科を含めると1,000名を越しました。
(3)
21世紀の初頭の今年は、病院も新しい時代を迎え、
新救命救急センタ一棟完成により、開放型病床8床
が稼働します。大いに活用されるよう期待しています。
さて、この救命救急センター棟が完成すれば、近
各方面からの期待は今までよりも大きく、その期待
と信頼に応えていかぬばなりません。いつも最高の
代的なセンターになります。しかし、設備がいかに
医療を提供し、また治療を受けたい病院、一度は勤
近代的でも、十分に機能しなくてはなりません。手
めてみたい楽しい病院を目標に努力を続けて下さい。
術室の効率的な運用、ベッドの有効利用を図るなど、
最後に、長い間、私を支えてくださいました職員
の皆様に感謝申し上げ、今後の病院のますますの発
全職員の一層の努力が必要です。十分に機能すれば、
予定されている第2期、第3期の工事につながるの
です。
展と全職員のご健勝とご活躍をお祈りいたします。
病院発展のためご尽力いただき
この3月でご退職されるみなさんへ
春は、別れと出会いの季節。今年もまた、多くの方々が当院を退職され、新しい世界
へと進まれます。「やまのて編集部」では、退職されるみなさんひとり一人に「お疲れ
さまでした」のメッセージをお贈りするとともに、長年にわたり病院発展のためにご尽
力いただいた方をご紹介し、心から感謝の気持ちを表わしたいと思います。
(なお、ご紹介する方は勧奨年齢を迎えられた方とさせて頂きます。敬称略)
私たちは、退職される皆さんとの想い出を胸に、今後も素晴らしい病院つくりを目指
します。長い間、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
◎院 長
栗山 康介
(在勤期間)
昭和37年4月∼
◎
月
◎
子
\
︶
1
\
月
垂
︶
∼
緋護蒜㈲晰胴酬
緋鷺洲 榔鷺洲
(在職年数)
39年
ノ
ノ
(4)
副院長就任にあたって
副院長
救命救急センター長
石川 晴
3月1日付で副院長の辞令をいただきました。非
丸となって目標に向かっている』と思われるような
常に光栄であると同時にその責任の重大さを痛感し
ています。辞令をいただいて1ケ月あまりがたちま
病院つくりに責献したいと思っています。このチー
すが、毎日回ってくる書類の山にうずもれての現在
くばかりではなく、楽しく働きやすい環境が整い、
ムワークを重視することで、日常の診療が円滑にい
の心境は、ちょうど6ケ月前の今頃、ケニ∴アのロキ
かつ医療過誤を回避できる職場環境を作ることも可
チョキオで仕事を始めた時と同じような心境に陥っ
ています。『とんでもない世界に来てしまった』。
能になると思います。
冗談はさておき、副院長の仕事は一言で言えば『院
長をサポートして病院の発展に頁献すること』と認
識しています。両副院長と協力して院長の方針に沿
って強固な体制を作っていきたいと思っています。
今後、当院が進むべき方向は、冨永元院長先生と
栗山院長先生が敷かれた救急を重視する路線を踏襲し、
個人的なこととしては、よく管理職になると管理
業務に追われ医者としての仕事ができなくなると聞
きます。数年前、大学病院を退職し当院に赴任した
時のことを思い出します。大学病院を辞した大きな
理由は、大学病院では研究にかなりの時間・労力を
使わねばならず、本来の医者としての仕事ができな
くなり、自分が頭の中に描いてきた自分の将来像と
たゆまぬ発展を続けていくことであります。『第二
は違うと判断したからでした。医者はあくまでも患
日赤はいつも何かをやっていて活気がある』という
言葉を時々耳にすることがありますが、病院が高い
者さまを診るのが本来の仕事であり、管理業務がい
くら多忙であっても、麻酔科・集中治療部の医者で
activityを維持することは非常に重要なことである
あることを忘れないようにして、極力診療の時間を
と思っています。
とって患者さまを診ていきたいと思っています。また、
さしあたっての重点をおくべき課題は、間近にオ
ープンを控えた救命救急センター棟をこの地域だけ
病院と同様、自分自身も高いactivityを維持して、
でなく、全国でもトップクラスの救命救急センター
といわれるように稼働させることであります。救命
救急センター棟がうまく稼働することで将来のⅡ期、
Ⅲ期の建築計画を成功させることが可能になると思
います。
新しい救命救急センター棟のハード面は、間違い
なく全国でもトップクラスであるといってよく、残
るはソフト面の充実が最重点課題かと思われます。
救命救急センター棟のスタッフを核として、全科参
加型の救急を展開する当院独自の救急体制により、
日常の診療と同様、高いレベルの医療を求める患者
ニーズに応えることが可能になると思われます。こ
の全科参功口型の救急体制を展開するためには各診療科、
各職種間の密接なチームワークが不可欠です。医師、
看護婦、事務、その他コメディカルのスタッフのチ
ームワークを大切にし、外から見ても、『病院が一
いろいろなことに挑戦していきたいと思っています。
副院長として皆さんの期待に添えるように頑張り
たいと思っています。よろしくお願いいたします。
(5)
サト
平成12年度中央競馬馬主社会福祉財団
中京馬主協会様からの助成金による医療器械整備事業
日頃の当院の地域社会に対する貢献を、馬主の皆様により認めて頂
いて今回の整備を行う事ができました。
この助成金は馬主の皆様一人一人の善意による競馬で‡金の拠出金か
ら交付されています。
平成12年度は馬主の皆様のご厚意により、新生児集中治療部に最
新の患者情報システムの更新整備を行うことができました。
願 〒 ̄ ̄l l ‡+★ヽ & B Gb Y│
8h R 耳 倶 B隼.嘉■i、
+X X-
湾 劔I ljl、 こ≠;\ i 詩句 +小 言\
憂さ…≦ ̄一寸
研一 闇
「二_
.#
リ馭リ耳
Hノb
zク
副院長
1日おきのオンコールとradio、英会話であった。
派遣当初はこのストレスはかなりこたえた。ストレ
救命救急センター長
石川
¥t
\\ J
このミッションで感じた3大ストレスは、暑さ、
アフリカ
大 陸 スーダン
ス解消のために、テニス道具一式を送ったのは正解
であった。幸い何人かのテニス仲間にも恵まれて、
ほとんど毎日テニスをすることができストレス解消
に有効であった。
『ロキチョキオはgolden prisonだ』の理由が生
ロキチョキオ
ナイロビ
ケニア
共和国
活してみてよく分かった。食事は3食ともカフェテ
リアで準備され、バイキング方式ではあるがフルコ
ースの料理を自由に食べることができ、ビールもワ
には隣のウガンダでエボラ出血熱がOutbreakL、
インも購入すれば自由に飲むことができる。クリー
一時はロキチョキオでも大騒ぎであった。
ニングレディーが毎日部屋を掃除してシーツを整え、
ロキチョキオに到着したその日の夜、金網を破っ
朝出した洗濯物も夕方には洗ってアイロンをかけて
てコンパウンド内に賊が押し入り、パイロットに銃
くれる。至れり尽くせりであった。しかし、この食
を突きつけ金品を奪う事件が起きた。少し時間が狂
事も最初は美味しいと思ったものの、やはり脂っこ
っていたら僕が銃を突きつけられた可能性があった。
いのと、まったく同じメニューが1週間おきに繰り
深夜に村の中で銃声が聞かれることもしばしばあった。
返し出されるため、3週間目には飽きてしまった。
なかなかスリルのあるところだ。それからはガード
脂があわないのか、あるいは暑い気候のせいかよく
が厳しくなり、夜は銃を持った3人のガードマンが
下痢をして、食事を食べられない時が何度かあった。
コンパウンド内をガードし、夜間の歩行での外出は
おかげでタイエットができて3ケ月で7キロやせる
禁止であった。毎日の生毒舌は、金網に囲まれたコン
ことができた。石川先生のダイエットの秘訣『3ケ
パウンドあるいは病院内のみで、多くの派遣員にと
月で7キロやせるためにはロキチョキオヘ』。
って休日などの自由時間の過ごし方は、読讃:、ビデオ・
日本を発つ前は、蚊に刺されないように蚊帳、蚊
テレビ鑑賞、テニス、昼中他のキャンプに行ったり
取り線香、スプレーを使わなくてはとか、飲み水に
気をつけようとか色々なことを心配していたが、し
することであった。やはり非常に制限された自由を
ばらくすると慣れてしまってあまり気にしなくなった。
慣れというのは恐ろしい。3ケ月の問に5、6人の
奪われた生活でg01denprisonという感じが強い。
毎日の生青苗が単調であるためか、何かことがある
たびにパーティーが計画され、みな生活を楽しもう
派遣員がマラリアにかかった。みんな数日でよくな
とする雰囲気があった。10人近くが集まるパーテ
ったが、スイスから来た看護婦さんは、原因のわか
ィーは色々な機会に計画され、個人のバンガローの
らない病気にかかり長期間よくならず、ミッション
庭先で、持ち寄ったワインやつまみを飲食しながら
途中でスイスに帰国した。ケニアではエイズ患者も
多く、一度患者の血液が目に入り気になったが、帰
話をしたりダンスをして楽しんでいた。12月はパ
ーティーの目白押しで、さよならパーティー、クリ
国後のHI V検査は幸い陰性であった。10月中旬
スマスパーティー、ニューイヤーパーティーは、か
(7)
なり大掛かりで手の込んだパーティーが企画された。
欲しいと訴える。彼らにスーダンでの紛争の状況を
また、年末には2グループに分かれて1泊2日でヒ
聞こうとしたが、なかなか奥までは入り込めなかった。
スイの湖と言われるツルカナ湖への旅行があった。
彼らの考え方も日本人とは全く異なり、習慣、考え
パイロットを含めて約20人程のメンバーで、患者
方を知るのも非常に面白いと思った。
搬送用のI CRCの飛行機が使われた。自分達専用
の飛行機でみな億万長者になった気分で、パイロッ
トのサービスで湖の周りを旋回する遊覧飛行もあった。
ツルカナ湖では魚釣りをして、なんと50キロのナ
イルパーチを釣った= こんなでっかい魚を釣った
のは生まれて初めてで、これがミッションの最高の
思い出となった。この旅行は楽しく生涯忘れられな
いものとなったが、旅行から帰った翌日からほとん
どの連中が食中毒症状を起こし、その後1週間以上
にわたってみな体調が悪かった。
﹁
.
い
_ ユーJJL一_⊥鼠∵宜∴__一二二一 二¶m“Ⅷ_ ∴」
い
J
r
−
J
一∵よ汽
現地スタッフと
今回、派遣に当たりあらかじめ自分自身で達成す
べき目標を立てた。ミッションとは何かを知ること、
戦傷外科を経験すること、英会話の習得、各国派遣員・
現地職員・患者さんとの交流、異文化を知り生活を
楽しむこと、I CRCから高く評価を受けること、
等々。以前ロキチョキオに派遣された彦坂さんから
出発前に、『最初から全力でいかないと3ケ月はあ
っという間に過ぎてしまう』とのアドバイスをもら
っていた。このアドバイスを尊重して最初から飛ば
し気味でいたが、途中2ヶ月目あたりから生毒舌が単
調になった。終わってみると3ケ月は本当に短く、
いくつかの目標が達成できなかった。もっと積極的
に貪欲に行かなければいけなかったと反省している。
、l’こ∫三甲
目標達成度は平均して6割くらいか。
◆ヽ
50キロのナイルパーチを釣ったl
現地職員の何人かとも仲良くなり村の中や自宅に
終わることのないスーダンの紛争は、平和な日本
にいてはとても想像ができない世界であった。スー
ダン紛争犠牲者に対する救援は、スーダン生命線作
案内してもらう機会があった。彼らは非常に貧しい
生活をしていて、カメラが買えないという生活レベ
戦 OLS(OperationsLifelineforSudan)と呼ばれ、
ルであった。彼らの一夫多妻の習慣は興味深く、少
活動にかかわっている。国際救援に行きたい意志が
し離れた家に奥さん子供が別々に住んでおり、お互
いは感知せずという状況であった。甲斐性があれば
常に難しく、日赤にいなければこの機会はなかった。
I CRCのほかUNやNGOなど多くの組織がこの
あっても、実際にこういった活動に参加するのは非
何人でも奥さんは持てるようだが、この習慣はわれ
われ日本人には理解しがたい。
今回、3ケ月という非常に短い期間ではあったが、
患者さんとの交流は言葉の問題でなかなか難しか
ったが、英語を話す数人の患者さんがいて話す機会
たことは幸運であった。今回のミッションの印象を
が伺享受かあった。彼らの顔つきは、見た目は非常に
いうところ。この経験を若い人達に伝えることが僕
恐ろしく不気味な感じがするが、みな愛想はよくて
の重要な使命だと思っている。
人懐っこく、とても兵士とは思えない。彼らも非常
に貧しく、いつも顔を合わせるたびに写真とか服が
若い頃からの国際救援に対する熱い思いが実現でき
ひとことで言えば『大変であったが楽しかった』と
(8)
春の消防訓練実施
GAPボランティア第8期生、ルーシー マデリ
3月2日(金)午後3時、春の消防訓練が実施さ
ン アーヴィングさんとニコラ ルイス コリンソ
れた。訓練は、2病棟6階リネン庫からの出火を想
ンさんが来目し、3月7日病院幹部を表敬訪問した。
定し、病棟スタッフの防災センターへの通報を合図
二人は、9月までの半年間病院内でボランティア
に始まった。鳴り響くサイレンや、煙が漂うなかで、
緊張感あふれる訓練が展開された。
表紙の写真
エネルギーセンター棟横の桜です。今年も
見事な花が咲きました。しかし、これも最後
の艶姿です。新エネルギーセンターが新救命
写真向かって左が二コラさん 右がルーシーさん
救急センター棟内に新設されたことに伴い、
現エネルギーセンターの取り壊しと共に伐採
=GAPボランティアのプロフィール=
【氏 名】ルーシーマデリンアーヴィング
されることになりました。
【年 齢】19歳 【専攻予定】看護学
春は花に和み、夏は木陰に憩う。数十年の
【趣味等】旅行、水泳、空手、映画鑑賞、音楽鑑賞、ピアノ演奏
時を病院と共に歩んだ桜。新しい時代とすれ
【氏 名】ニコラルイス コリンソン
違い、消えて行く運命にあっても、凛とした
【年 齢】18歳 【専攻予定】IT/コンピューター
美しきをたたえていました。
【趣味等】遠泳、映画鑑賞、読書、スノーボード、サーフィン
子美 子
昌 星 章
川
原 水 上
◎・・・抱負など
榊速
事 婦
護
退 主 看
職
◇
○…趣味
◇誕生おめでとう
◇採用
非常勤嘱託医師:中 野 もとみ(麻酔科)3.1付
診療放射線技師 猪岡 由行氏 長男真孝くん 1月23日
診療放射線技師 伊藤 克也氏 次女あずみちゃん 1月24日
◇委託派遣
◆お悔やみ申し上げます
看護事務(小児科外来)
マッサージ師 岩田 輿郎氏 義母桑原愛子殿1月16日
荒 川 友香子 2.5付
○ダイビング
◎病院での仕事は初めてで、わ
からない事ばかりですが頑張
っていきたいと思います。
看護助手(3−3)
山 田 優 子 3.19付
○映画鑑賞
◎皆様のご迷惑にならない様、
一日も早く仕事に慣れてがん
ばりたいと思います。
2月の行事
02.15 病院管理会議(平成12年度第3回半期
までの経営状況について、平成13年度
事業計画並びに予算について、佐藤部
長インド国際救援派遣について、その他)
02.19 診療科管理部長会議(医療事故の防止
について、開放型病床について、オー
ダリングシステムについて)
02.21 業務連絡会議(平成12年度決算状況に
ついて、病床管理会議からの報告、医
療事故防止対策について、その他)