鶴 岡 市 に は、古 く か ら 受 け 継 が れ、地 域 の 歴 史 を 物語る貴重な文化財が多くあります。 私たちのふるさとの文化財が、いっそう親しまれ、 大切に守られるよう紹介していきます。 第 20 回 平 形 館 跡 ( 県 指 定 史 跡 ) ■所在地 市内平形字桜屋敷地内 ■問合せ 教育委員会藤島分室教育課 64‐2111 ら れ て い ま す 。 で は な く 、 ﹁ 高 橋 兼 吉 ﹂ で す 。 お 詫 び し て 訂 正 し ま す 。 え を 尾 は 浦 天 ら じ ︵ 正 れ め 大 ︵ て 数 山 一 い 々 ︶ 五 ま の 武 七 す 戦 藤 三 。 功 義よしう ∼ を 氏じ 一 た の 五 て 武 九 た 将 二 金こん と ︶ 右うまの し 頃 馬じょ て の 允う 由 館 と 利 主 伝 征 は え 討 、 し た と あ り 、 平 賀 氏 が そ の 館 主 で あ っ た と 考 文︻ 訂 中正 の ︼ ﹁ 荘9 内月 神1 社日 ﹂号 を﹁ 建つ てる たお 棟りか 梁ょうの は文 ﹁化 相財 馬﹂ 富の 太一 郎段 ﹂目 て お り 、 施 設 の 原 形 が 推 定 可 能 な 館 と し て 価 広報 に 指 定 さ れ ま し た 。 値 が 高 い こ と か ら 、 昭 和 五 十 二 年 に 県 の 史 跡 土 佐 林 氏 の 武 将 ・ 平 賀 ︵ 平 形 ︶ 氏 が 乱 を 起 こ ▼ 平 形 館 を め ぐ る 歴 史 林 氏 が 大 梵 字 ︵ 鶴 ヶ 岡 ︶ 城 主 武 藤 氏 に 敗 れ 、 四 七 七 ︶ で す 。 そ の 文 献 に は 、 藤 島 城 主 土 佐 平 形 館 が 文 献 に 登 場 す る の は 、 文 明 九 年 ︵ 一 藤 島 城 の 支 城 と し て 重 要 なと 砦りで を な し て い た ま 平 し 形 た 館 。 跡 は 、 西 側 の 南 半 分 の 土 塁 が 現 存 し の 四 百 年 間 に わ た り 存 在 し て い た と 認 め ら れ と し て は 十 三 世 紀 に 構 築 さ れ 、 十 六 世 紀 ま で は れ 珠す ま 洲ずやき し 焼 た な 。 ど さ の ら 中 に 世 、 陶 土 器 塁 が 盛 出 土 土 の し 下 て 底 お 部 り 分 、 か 館 ら つるおか 平成23年10月1日 が 、 元 和 元 年 ︵ 一 六 一 五 ︶ の 一 国 一 城 令 に よ 杉 氏 家 臣 、 最 上 氏 家 臣 等 の 居 城 と な り ま し た 巡 四 り 六 、 そ の の 長 外 方 側 形 に の 濠ほり 区 を 画 巡 で ら 、 し そ た の も 周 の り と を 確 土 認 塁 さ が に よ る と 、 平 形 館 跡 は 東 西 一 ○ ○ っ て 廃 城 と な り ま し た 。 ・ 南 北 一 い ま す 。 葉 室 氏 以 後 は 土 佐 林 氏 、 武 藤 氏 、 上 昭 和 五 十 一 年 に 行 わ れ た 大 規 模 な 発 掘 調 査 南 朝 方 の 東 北 の 拠 点 で あ っ た と も 推 測 さ れ て ∼ 代 一 は 三 不 四 明 〇 で ︶ す に が 出 、 羽 南 守 北 葉はむ 朝 室ろ 時 光みつあ 代 顕き 初 の 期 居 ︵ 城 一 と 三 な 三 り 〇 、 え ら れ て い ま す 。 藤 島 城 を 築 城 し た 人 物 ・ 年 に 築 い た 城 と し て の 形 態 は 完 璧 で あ っ た と 考 両 面 の 交 通 の 要 所 に 館 ︵ 支 城 ︶ を 置 き 、 平 地 七 館 〇 藤 が 〇 島 あ 城 り に は ま は 、 し 平 南 た 形 方 。 館 約 と 一 、 藤 島 に 川 古 を 郡 挟 館 ん 、 だ 北 水 方 陸 約 ▼ 史 跡 と し て の 平 形 館 跡 に 破 却 さ れ た も の と 推 測 さ れ て い ま す 。 降 伏 し 、 佐 渡 に 逃 れ ま し た 。 平 形 館 も そ の 際 が 、 上 杉 方 の 武 将 ・ 直 江 兼 続 の 勧 告 を 受 け て ︵ 一 五 九 一 ︶ 六 月 ま で 頑 強 に 抵 抗 を 続 け ま し た 率 い て 藤 島 城 に 立 て こ も り 、 翌 天 正 十 九 年 さ れ ま し た 。 残 っ た 右 馬 允 は 、 一 揆 の 残 党 を り 鎮 圧 さ れ 、 善 可 は 部 下 十 六 人 と と も に 処 刑 り ま し た が 、 上 杉 景 勝 の 征 討 軍 に よ か い に は 橋 の た も と の 陣 地 と し て 向 か つ て 藤 島 城 が あ り 、 川 を 挟 ん で 向 及 び 県 立 庄 内 農 業 高 校 の 辺 り に は 、 に 位 置 し 、 中 央 部 に は 藤 島 川 が 流 れ 藤 島 地 域 は 、 庄 内 平 野 の ほ ぼ 中 央 一 時 は 上 杉 勢 の 守 備 す る 尾 浦 城 に 迫 横 山 、 大 梵 字 等 の 諸 城 を 乗 っ 取 り 、 揆き で る を あ と 起 っ 、 こ た そ し 平 れ ま 賀 に し 善よし 反 た 可かず 対 。 を し 一 大 、 揆 将 田 勢 に 川 は 推 郡 、 し の 藤 て 土 島 一 豪 、 ○ ︶ 秋 に 豊 臣 秀 吉 が 奥 州 検 地 を 発 す て い ま す 。 川 の 右 岸 に あ る 八 幡 神 社 ▼ 藤 島 城 と 平 形 館 右 馬 允 は 、 天 正 十 八 年 ︵ 一 五 九
© Copyright 2024 ExpyDoc