第20回 平形館跡

鶴 岡 市 に は、古 く か ら 受 け 継 が れ、地 域 の 歴 史 を
物語る貴重な文化財が多くあります。
私たちのふるさとの文化財が、いっそう親しまれ、
大切に守られるよう紹介していきます。
第 20 回 平 形 館 跡 ( 県 指 定 史 跡 )
■所在地 市内平形字桜屋敷地内
■問合せ 教育委員会藤島分室教育課
64‐2111
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く
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高
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兼
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賀
氏
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た
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高
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か
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、
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五
十
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土
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氏
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将
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賀
︵
平
形
︶
氏
が
乱
を
起
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形
館
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ぐ
る
歴
史
林
氏
が
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字
︵
鶴
ヶ
岡
︶
城
主
武
藤
氏
に
敗
れ
、
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七
七
︶
で
す
。
そ
の
文
献
に
は
、
藤
島
城
主
土
佐
平
形
館
が
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献
に
登
場
す
る
の
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、
文
明
九
年
︵
一
藤
島
城
の
支
城
と
し
て
重
要
なと
砦りで
を
な
し
て
い
た
ま
平 し
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跡
は
、
西
側
の
南
半
分
の
土
塁
が
現
存
し
の
四
百
年
間
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わ
た
り
存
在
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て
い
た
と
認
め
ら
れ
と
し
て
は
十
三
世
紀
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れ
、
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六
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紀
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洲ずやき し
焼 た
な 。
ど さ
の ら
中 に
世 、
陶 土
器 塁
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し 下
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り 分
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つるおか
平成23年10月1日
が
、
元
和
元
年
︵
一
六
一
五
︶
の
一
国
一
城
令
に
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杉
氏
家
臣
、
最
上
氏
家
臣
等
の
居
城
と
な
り
ま
し
た
巡 四
り 六
、
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に
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形
館
跡
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東
西
一
○
○
っ
て
廃
城
と
な
り
ま
し
た
。
・
南
北
一
い
ま
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。
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室
氏
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後
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林
氏
、
武
藤
氏
、
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一
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に
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朝
方
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た
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い
ま
す
。
藤
島
城
を
築
城
し
た
人
物
・
年
に
築
い
た
城
と
し
て
の
形
態
は
完
璧
で
あ
っ
た
と
考
両
面
の
交
通
の
要
所
に
館
︵
支
城
︶
を
置
き
、
平
地
七
館
〇 藤 が
〇 島 あ
城 り
に は ま
は 、 し
平 南 た
形 方 。
館 約
と 一
、
藤
島 に
川 古
を 郡
挟 館
ん 、
だ 北
水 方
陸 約
▼
史
跡
と
し
て
の
平
形
館
跡
に
破
却
さ
れ
た
も
の
と
推
測
さ
れ
て
い
ま
す
。
降
伏
し
、
佐
渡
に
逃
れ
ま
し
た
。
平
形
館
も
そ
の
際
が
、
上
杉
方
の
武
将
・
直
江
兼
続
の
勧
告
を
受
け
て
︵
一
五
九
一
︶
六
月
ま
で
頑
強
に
抵
抗
を
続
け
ま
し
た
率
い
て
藤
島
城
に
立
て
こ
も
り
、
翌
天
正
十
九
年
さ
れ
ま
し
た
。
残
っ
た
右
馬
允
は
、
一
揆
の
残
党
を
り
鎮
圧
さ
れ
、
善
可
は
部
下
十
六
人
と
と
も
に
処
刑
り
ま
し
た
が
、
上
杉
景
勝
の
征
討
軍
に
よ
か
い
に
は
橋
の
た
も
と
の
陣
地
と
し
て
向
か
つ
て
藤
島
城
が
あ
り
、
川
を
挟
ん
で
向
及
び
県
立
庄
内
農
業
高
校
の
辺
り
に
は
、
に
位
置
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、
中
央
部
に
は
藤
島
川
が
流
れ
藤
島
地
域
は
、
庄
内
平
野
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ぼ
中
央
一
時
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上
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勢
の
守
備
す
る
尾
浦
城
に
迫
横
山
、
大
梵
字
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諸
城
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乗
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取
り
、
揆き で る
を あ と
起 っ 、
こ た そ
し 平 れ
ま 賀 に
し 善よし 反
た 可かず 対
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一 大 、
揆 将 田
勢 に 川
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、 し の
藤 て 土
島 一 豪
、
○
︶
秋
に
豊
臣
秀
吉
が
奥
州
検
地
を
発
す
て
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ま
す
。
川
の
右
岸
に
あ
る
八
幡
神
社
▼
藤
島
城
と
平
形
館
右
馬
允
は
、
天
正
十
八
年
︵
一
五
九