日本進化学会ニュースvol.14 No.1

Vol . 14 No . 1
March 2013
目 次
01
第 15 回日本進化学会大会(つくば大会)のご案内
02 リレーエッセイ〈3〉
巴里自然史博物館滞在記 胚の形を復元する
倉谷 滋
05 日本進化学会賞受賞記
人類の化石の記録をたどる
諏訪 元(東京大学総合研究博物館)
10 シリーズ 第 5 回
「私と進化学」
・中
長谷川政美(復旦大学生命科学学院)
17 トキ放鳥の進化学的(かつ独善的)考察
荒木仁志(スイス連邦水圏科学技術研究所(Eawag))
20 海外研究室だより 第 15 回
23
青空と自転車と生物学の大学、カリフォルニア大学デービス校
冨田武照(日本学術振興会特別研究員)
第 166 回農林交流センターワークショップ
「分子系統学の理論と実習」体験記
角井敬知(北海道大学大学院理学研究院)
25 OWECS 2012 Meeting Report
栗田喜久(九州大学附属水産実験所/日本学術振興会特別研究員 PD)
28 「智慧の樹」再訪
【4】系統樹曼荼羅:データ可視化と情報グラフィクスの観点から
三中信宏(農業環境技術研究所/東京大学大学院農学生命科学研究科)
33 お詫びと訂正
日本進化学会ニュース
March2013
第 15 回日本進化学会大会(つくば大会)の
ご案内
日 程:2013 年 8 月28日(水)
∼ 31日(土)
会 場:筑波大学(つくばエクスプレス線つくば駅よりバス約10 分)
大会ホームページ:https://sites.google.com/site/tsukubacce/
第 15 回日本進化学会つくば大会を、2013 年 8 月 28 日(水)から 31 日(土)の 4 日間、筑波大学筑波キャンパ
スで開催します。今大会では、若手会員による口頭発表の機会を増やすことを意図して、一般発表は全て口
頭発表形式で行うこととしました。演題枠数も十分確保していますので、若手会員に限らず、多くの演題申
「Bottoleneck in Development and Evolution」
し込みをお待ちしています。また、二日目 29 日午前中には、
と題した国際プレナリーシンポジウムも倉谷会長を中心に企画して頂いています。
最終日の 8 月 31 日(土)は、午前中は進化学夏の学校、午後は公開講演会(いずれも入場無料)を予定し
ています。進化学夏の学校では、
「古生物学・形態学」と「細胞進化」をテーマに設定して、各分野の第一線
で活躍されている研究者に「進化研究の最近の話題」について紹介していただきます。午後の公開講演会は、
昨年つくばに移転した国立科学博物館の研究施設の協力を得て、講演などを企画する予定です。
シンポジウム・ワークショップの企画申込、大会の参加登録等、詳細は順次、大会ホームページを通じてお
知らせしていきますので、そちらをご覧ください。多くの皆様のご参加をお待ちしております。
大会概要
8 月 28 日(水) シンポジウム、ワークショップ、一般口頭発表
8 月 29 日(木) 国際プレナリーシンポジウム、一般口頭発表、高校生ポスター発表、総会・学会賞授賞式・
受賞講演、懇親会
8 月 30 日(金) シンポジウム、ワークショップ、一般口頭発表
8 月 31 日(土) 進化学夏の学校(入場無料)
、公開講演会(入場無料)
申込期間
シンポジウム・ワークショップの企画申込の受付:4 月 1 日(月)
∼ 4 月 26 日(金)
∼ 6 月 28 日(金)
一般口頭発表・ポスター発表の申込:6 月 3 日(月)
第
∼
参加登録:6 月 3 日(月)
※ 上記はあくまでも予定であり、変更の可能性があります。最新情報については随時大会ホームページ
(https://sites.google.com/site/tsukubacce/)をご確認ください。
大会委員長:橋本哲男
大会準備委員長:和田 洋
大会事務局:[email protected]
回日本進化学会大会︵つくば大会︶のご案内
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日本進化学会ニュース
リレーエッセイ〈3〉
巴里自然史博物館滞在記
胚の形を復元する
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倉谷 滋
萩原朔太郎はむかし、
「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広を
きて きままなる旅にいでてみん」
(
「純情小曲集」
)と唄ったが、同様に私もせめて神戸に住んで、少しでも
巴里に似た雰囲気を精一杯楽しんでいるのかも知れない。神戸に暮らし始めた 2002 年、すでに精彩を欠いて
久しいとはいうものの、それでも街の彼方此方に明治・大正期に確立した様式、
「ハイカラ」の残滓や、いわ
ゆる「阪神間モダニズム」の影響は明らかであった。いまでもそれら文化的基盤の上に成立している我らが街
「神戸」は、その形態に於いて他の日本の都市とは一線を画している。来た当初、
「ダルマシアン連れて散歩
する婦人が様になるような街は神戸ぐらいのものだ」と思っていたものだし、その考えは今でも変わってはい
ない。本当のところ、東亜細亜で同質の雰囲気を満喫しようというのなら、
「東洋の巴里」とその名を馳せた、
一時代前の上海を選ぶべきかも知れない。が、経済発展の結果としてあの街が現在その名にふさわしいのか
どうか、行ったことのない私には分からない。むしろ上海は今、ニューヨークにこそ近いのかも知れないなど
と勝手に危惧している。
2012 年 10 月、縁あってパリ自然史博物館に、客員教授として机を持つことになり、3 ヶ月間パリ市内に家
族で滞在した。この博物館- le Muséum national d'histoire naturelle: MNHN -というのは、物理的にはい
わゆるパリ植物園(le Jardin des Plantes de Paris)の中に位置しているが、博物館に植物園が所属している
というのが正しい。私のホストの一人 Giovanni Levi 博士は、植物園の敷地内にある比較生理学研究棟でマ
ウスの分子遺伝学研究室を主催、顎顔面発生に
関わる Dlx 遺伝子群の機能解析を研究している。
生理学分館は、ヨーロッパで最古の動物園のひ
とつ、あるいはメーナジュリー(ménagerie)に
接している。この動物園、一説に依ると 19 世紀
初め、巴里で疫病が蔓延した折、菌を媒介する
のが街に屯する雑多な動物ではないかという説
が流布し、解剖学者のエティエンヌ=ジョフロ
レオンの支持を得てなったという。もう一人の
ホスト、Philippe Janvier 博士は無顎類化石の
大家で、比較解剖学・古生物学博物館の 3 階に
研究室がある(上の写真)
。ようするに、
「顎」が
取り持つ縁なのである。私はその 2 カ所に机を
用意してもらい、用向きと気分次第で其の二つ
の机を行ったり来たりしていた。まるで私自身
の研究内容のようだ。古生物学研究室は、私の
育ったかつての動物学教室にも似た雰囲気で、
古びた建物というのはやはり落ち着いて何かを
じっくり考えるに相応しい。植物園の通用門の
すぐそばに位置し、観光客がひっきりなしに行
き交う、そんなところも銀閣寺通り近辺と似る。
リレーエッセイ 巴里自然史博物館滞在記︱胚の形を復元する
ワ・サンチレールがその囲い込みを発案、ナポ
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日本進化学会ニュース
博物館の中で、Janvier 博士と私は脊椎動物
の初期進化を巡り、微に入り細を
ったマニ
アックな、さもなければまるで禅問答のような
議論をするのが常であった。
「もし、この突起
March2013
が胸鰭ではないとしたら?」
「もし、この孔が
眼窩ではなく、鼻孔であったとしたら?」私は
そんな質問を次々と博士に投げかけ、その度
に棄却され、次第に古生物学の常識と
を身
につけた。考えようによっては、比較発生学
の知識を引っ提げて質問を浴びせかけるこの
やり方は、博士を自分にとって最高の教師に
し、それは贅沢な個人授業を受けているようなものだった。限りなく授業に近いその議論の最中、会話はし
ばしばとてつもない方向へ飛び、その度に博士は軌道を糺すため、ライ麦畑のキャッチャーよろしくストップ
「珍妙論文集」という、奇妙
サインを出すのであるが、そのやり方が奮っていた。博士のコンピュータには、
きてれつな学説ばかりを集めたフォルダがあり、その論文を二人で眺めるのだ(かくいう私も、自戒のためオ
フィスの書架に「トンデモ本コーナー」を設けている)
。しかも、そのうち幾つかはちゃんと出版された論文な
のだ。日頃から原著論文を何とかアクセプトさせるために涙ぐましい努力をしている普通の研究者には信じら
れないかも知れないが(私だって信じられない)
、どう見ても常軌を逸した珍説が論文になることが時々ある。
それを真面目に信じている、正気を保った人間がこの世にいるということが何だか素晴らしい。
いずれにせよ、脊椎動物の進化を理解する上で鰓と胸鰭の位置関係というのは、少なくとも私にとって大
変に重要な問題で、その考察には体壁の構造とか、それを反映する主静脈系の 3 次元的形態の把握が必須。
やはり実物を見るしかない。それで、顕微鏡での無顎類化石の観察と言うことになるわけである。が、それ
でも隔靴掻痒というか、やはり手で触れるほどに大きな標本が欲しくなる。しかし、古生代の無顎類化石と
いうのは、大きい個体である程、内部構造の損壊著しく、全く観察には向かない。そのとき、博士は古い抽
斗の中から、橙色に古びたワックスの塊を取りだしてきた。これぞ、3 次元復元模型である。
小さな構造を拡大するために顕微鏡という物があり、この装置を使って物を観察するには通常、試料を薄
切しなければならない。そうすると物はよく見えるが全体像が掴めない。とりわけ複雑な 3 次元的立体構造と
なるとお手上げだ。典型的には脊椎動物の軟骨頭蓋。アルシアンブルーがなかったらどうやって形を見る? それを何とかするために、比較発生学者は古くから様々な苦労を積み上げてきた。
カメラルシダ(描画装置)付きの顕微鏡で組織切片の特定の構造の輪郭を写し、次から次へとそれを重ね描き
することで、立体構造を紙に写し取る方法がある。安上がりで、何度でもやり直しが効くのはいいが、あまり
精密な観察には向かない。そこで、紙の替わりに硝子板を使い、極細のサインペンで輪郭を書くことにした。
それを日常的に行っていたのは岡山大学に赴任していた頃からつい最近までのことで、ペンの色を構造毎に
変えてやれば、軟骨、筋、末梢神経、血管などを一望でき、硝子をずらせば構造の位置関係もたやすく把握
できる。そんな風にして出来たのが例えば上の図(マウス新生仔の中耳)だが、ここまでやらないと有名な教
科書に嘘っぱちの解剖図が載っていることも見破れないのである。
まぁ、いずれ原始的な方法であることには変わりなく、こんな作業よりコンピュータを使うことを誰もが考
えるだろう。実際そのような需要は多く、80 年代から「僕がちょこちょこっとプログラムを組んでやるよ」な
どという形態学者仲間の安請合いは山のように聞かされた。が、満足に使える代物が出来た試しはなく、3 次
元復元を行って論文が書けたのは私だけだったから、悩む暇があったらやっちまう方が断然早いと言うレベ
ルの、ローテク必勝の時代だった。しかも、紙と硝子板だけで…。というわけで、実用に耐えうる(しかも、
馬鹿高い)プログラムが出回るようになったのはやっと最近になってのこと、今ではうちのラボでも引っ張り
リレーエッセイ 巴里自然史博物館滞在記︱胚の形を復元する
例えば、最も原始的なやり方としては(と言ってこれは私自身、京大動物学教室でやっていたものだが)
、
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日本進化学会ニュース
だこの必需品になっている。モニターの上で自
由自在に動かせる 3 次元モデルなど序の口、最
近は 3 次元プリンターで立体模型まで作れるら
しい。あぁ、良い時代になったものだ…、とい
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うか、若い頃に使いたかった。悔しい! とに
かく、技術開発は結構だが、それで何をモノに
するかの方がずっと大事という話…。
では、20 世紀初頭の比較発生学や古生物学
の世界では、一体どのような方法が採られてい
たのか。何が面倒臭いと言って、これほど面倒
臭い方法は世の中にあまりないだろう。まず、
投影機で組織切片をスクリーンに拡大投影、軟
骨の断面を紙にトレースする。それを全ての切片について行った「原稿」を える。さて次は、ランプで鍋を
熱し、其の中にワックスを入れる。平らな板の上に木枠を据え、中に溶けたワックスを注ぎ、ローラーでなら
し、一枚の薄いワックス板を作る。そのワックス板に原稿に描かれた輪郭をトレース、細いナイフで軟骨部分
を(鼈甲 とは逆の要領で)抜く。すると軟骨部分だけ孔が空いたワックス板が一枚出来上がる。この作業を
頭部全体にわたってくり返し、ワックス板を全て積み上げる。これが化石試料の復元ならなお厄介。化石を
少しずつグラインダーで研磨し、その度に断面を写真撮影、スクリーンに投影、スケッチして原稿を用意せ
ねばならない。
おそらくこの作業の中で楽しいのは次の行程だけだろう。上の作業で出来たワックスの直方体の中には、
さながらチーズのように軟骨頭蓋部分が「ネガ」として抜けた「穴」があるわけだから、何とかこれを可視化す
ればいい。つまり、ここに石膏を流し込み、石膏が固まった頃を見計らい、ワックス直方体を丸ごと巨大オー
ブンに入れ、ワックスを溶かし去る。すると、そこに残るは石膏で出来た軟骨頭蓋の巨大化モデルとござい! 。もち
とこう言うわけである(更にそれをスケッチし、彩色し、文字入れすることでやっと図版が出来上がる)
ろんここに来るまで、様々な難関が待ち受けている。構造上、どうしても石膏が入り込めないところがあった
ら、そしてそれに気がついたのがワックスを溶かし去ったあとだったら、全ては後の祭り…。
というわけで、これは一昔前のポリアクリルアミドゲル板を用いたシークエンシングなど(確かに面倒臭
く、高等技術を必要としたが)そこのけの面倒臭さなのである。この復元方法はかつてドイツの解剖学教室で
盛んだったが、何人かの若い日本人医学生も、留学中にやらされたらしい。図書館の書庫で幾つかそんな論
したのは原法であり、さらに幾つかのより安易な変法があった。ワックスの替わりにボール紙を使い、切り抜
いては直接に貼り付けてゆく方法、ワックスを雌型にするのではなく、雄型として直接貼り付けてゆく方法
、さらにはアクリル板や発泡スチロールを使う方法、などなど…。
(Janvier 博士の作品はこれ)
いずれ面倒臭い方法ではある。そして、数々の失敗談を聞いたことがある。アクリルモデルが完成した直
後に接着剤の作用で化学反応が起き、模型が目の前で大爆発したなど、涙と、それ以上に大笑い無くしては
聞けない話ばかりだ。私は形態学を愛して止まない、彼等のそんなこだわりが大好きである。そして、その
失敗作や、巨匠の手になる「大作」が、今後埃を被って忘れられるならまだしも、どうかいつまでも捨てられ
ないようにと、切に願うばかりなのである。
リレーエッセイ 巴里自然史博物館滞在記︱胚の形を復元する
文を見るし、新潟大学医学部解剖学教室でも、実際に作製された模型の一つを見たことがある。ここに紹介
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日本進化学会ニュース
日本進化学会賞受賞記
人類の化石の記録をたどる
March2013
諏訪 元(東京大学総合研究博物館)
はじめに
人類化石研究の分野は幾つかの点で特殊かもしれない。そうした一因は、稀にしか発見されない化石資料
こそが、究極的には新知見の源になるからであろう。もちろん化石の発見は研究の事始でしかなく、それ自
体は研究成果のごく一部でしかない。むしろ、化石資料から得られる限られた情報をいかに正しく読み取る
かが問われるのである。しかし、そうした中、人類進化研究においては、一般の注目度が相対的に高いため
か、化石の発見を媒体とした特殊性を感じられずにはいられない。そうした意味では、安易な仮説の提唱と、
場合によってはその定説化に注意する必要があろう。
例えば、新たな発見や分析結果が今までの常識を覆す、あるいは何がしかが解明されたといったセンセ-
ショナリズムを耳にすることも少なくない。しかし、1980 年代の初頭以来、古いほうの時代の人類化石研究
の前線を目撃してきた私自身の認識では、そうしたことは実際にはほとんどない。新たな発見は、いずれか
の有力仮説を支持し、あるいは一部の修正を伴いながら従来仮説の充実をもたらす。新規性の高い分析成果
は、ややもすると発表当初はナイーブな解釈がセンセ-ショナルに扱われことも少なくない。そうした場合の
尚早の結論は、いずれ否定・修正され、種々の指標と整合的なよりバランスの取れた解釈へと移行する。サ
ヘラントロプスやラミダスのように、知識の空白を大幅に埋める新規的な発見でさえ、何かを大きく覆すので
はなく、既存仮説の上に立脚した、進化仮説の向上的な充実に他ならない。
仮説検定型と仮説構築型の研究
かつて、日本と欧米の霊長類学を比較検討した論考を、欧米の研究者から聞いたことがある。化石研究に
ついてではなく、行動生態を中心とした霊長類学全般のことである。その研究者によると、欧米の霊長類学
が「theory oriented」であるのに対し、日本の霊長類学は「fact oriented」とのことであった。1980 年代末の
ことであるが、なるほどと思ったことを覚えている。霊長類学に限られたことではなく、他の生物系もしくは
より広範な自然科学分野にも当てはまるかもしれない。人類学分野において日本(東京大学理学部)と米国
(カリフォルニア大学バークレー校)の双方の大学院環境をそれなりに長く体験した私は、まさに共感を覚え
た。
「theory oriented」側は、幅広い視野と何よりも「仮説検定」の必要性を強調し、事実の蓄積だけでは科
学にならないとする。その流れでは日本では、仮説検証的な目的意識が不明瞭のまま、単に観察データを蓄
積し、主観的解釈に終止しがちであると批判される。
ある文献によると、DNA の構造解析で有名な Crick 氏の研究室では、思いつく仮説を日ごろから多数掲示
し、それらをどうやって棄却して行くか、競い合っていたという。それこそが、仮説検定型サイエンスの正道
研究現場において、どれだけ効果的であろうか?背景にある事実情報量と論理体系の応用基盤が脆弱なまま、
個別の推測・考察事象を「仮説」と呼んでそれを「検証」しても、問題となっている事象の解像度はほとんど
向上しない。むしろ、とりあえずの「仮説」に振り回され、その「検証」に必要と見なされた限られた変量にだ
け注目し、実際の全体状況を見失う場合も少なくないだろう。人類化石研究などデータ量がそもそも少ない
研究現場では、一つ一つの事実認証をいかに正確に積み上げ、そうした事象をなるべく多く複合的に理解す
るか、そうした「仮説構築」の充実のほうが重要と思えてならない。そうした意味では、日本的とされた緻密
な「fact oriented」な研究姿勢のほうが最終的には進化現象の理解に役立つように思える。もちろん、説明力
「theory oriented」と「fact oriented」の双方の視点を上手に取り
と予見力をもった論理的展開も必要である。
受賞記 人類の化石の記録をたどる
との立場であろう。しかし、そうした方法論が、データ量の過疎状態がきわだつ、例えば古人類、古環境の
5
日本進化学会ニュース
込むことが肝心であろう。
ラミダスの発見と研究は、そうした意味では新たな化石に基づく「事実関係」の積み上げに基づいた壮大な
仮説構築の研究体験であった。米国とエチオピアの研究者に私も加わった主要研究チーム構成であったが、
「仮説検定」を特段に掲げずに全体解釈を提示することとなった。
March2013
ラミダス化石の全体紹介を手短に行うのは極めてむつかしい。ここではそれを試みないが、ラミダス化石
については、古環境と主要ハビタットの推定、四肢体幹骨の機能解析に基づく運動機能と移動様式の評価、
歯
形態・磨耗情報・同位体分析・頭骨顎骨形態による食性適応の評価、犬歯小臼歯複合体の形態と発生様
式の進化適応的意味づけ、頭蓋構造の全体復元と比較解析などにおいて新知見を数多く得ることができた。
また、当初は個別事象として体部位ごとに解析と解釈を深めていったところ、複数の独立した結果が一つの
統合的な視点に収斂していった。2009 年にサイエンス誌において 10
の論文として当面の主要成果と解釈を
まとめたが、正規の紙面外の補助資料をも含むと、一冊の分厚いモノグラフ相当の研究発表となった。
ラミダス化石の意義
ラミダス化石の意義を一言で述べるならば、アウストラロピテクス以前の進化段階の人類像を初めて全身
レベルで認識できるようになったことにある。古生物情報から分かる詳細は限られるが、ラミダスの理解によ
り、人類の系統の根元のほうの状態を代表する「ニッチェ」をざっくりは垣間見られたように感じている。人
類進化史において、そうした新たな進化適応様式を認識できたことの意義は大きい。それにより、その周辺
の理解もが今まで以上にフォーカスされるからである。例えば、ラミダス以前の、人類と類人猿の共通祖先
状態について初めて一定の具体性をもって議論できるようになった。これは、古人類研究史からみて、相当
画期的なことと言っても過言でなかろう。ラミダスの存在により、人類とアフリカ類人猿の共通祖先段階が、
多くの研究者の予想に反し、現生のアフリカ類人猿ほどに特殊化が進んでいなかったことが強く示唆された
のである。特殊化の弱い共通祖先状態から、ゴリラ、チンパンジー、人類の三系統において、それぞれに特
殊化が進んだ様相が見えてくる。以下、ラミダスの研究から得られた新知見について、特にこだわりのある
点について述べてみる。
ラミダスの系統的位置
まずは、系統関係である。ラミダスの系統的位置については、我々は、チンパンジーとヒトの分岐の人類
側に位置すると結論したが、サイエンス誌の発表では詳述しなかった。それは、以前から知られていた主と
して歯の化石をもとに、ラミダスの系統的位置は十分に定説化していたと考えたからである。しかも、2009
年の発表では、キーとなるラミダスの犬歯小臼歯複合体の化石が一定数に達したことにより、その形態と変
異について、以前よりはるかに詳述することができた。おそらくは中程度の性的二型をもった類人猿祖先か
ら、オス犬歯のメス型化がいかに進行し、さらにはヒト的な華奢な形態に移行するか、ラミダス以前の 600 万
年前ごろの人類化石とラミダス後のアウストラロピテクスの化石を通して比較分析し、論ずることができた。
一方、
「人類的」な小型犬歯をもつ類人猿の事例として有名なのが、ヨーロッパの中新世後期のオレオピテ
のの、典型的なホーニング型の犬歯小臼歯複合体として機能しており、ラミダスの犬歯とは全く異なる。こ
れら犬歯周辺の情報だけから見ても、ラミダスがチンパンジーとヒトの分岐の人類側に位置すると思わずには
いられない。当該分野においては、圧倒的な質と量の詳細情報によって支持される、最有力仮説である。
その上に、骨盤と頭蓋底の派生的な人類的特徴についても、新たな化石と形態解析に基づいてそれなりに
詳細に示すことができた。ラミダスがチンパンジーとの分岐の人類側に位置することは、こうした複数の独立
した形態複合系の進化パタンから支持されるのであり、ほとんど疑う余地がない。しかし、ラミダスは、人類
以外の霊長類に典型的な把握性の足を持つなど、アウストラロピテクスより格段に原始的な側面をも合わせ
持つ。そのためか、ラミダスは、単に表面的に人類と似た、類人猿の特殊な傍系に過ぎないとの解釈が、欧
受賞記 人類の化石の記録をたどる
クスと呼ばれている類人猿化石である。しかし、オレオピテクスのオスの犬歯は、確かに相対的に小さいも
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日本進化学会ニュース
米の人類と霊長類進化学の大御所から提示されている。我々の 2009 年の一連の論文発表の後にこうした反論
がでるとは、私にとっては予想外の驚きであった。
ラミダスの歩行
March2013
ラミダスは「移行的」な直立 2 足歩行をしていたと我々自身表現している。
「移行型」の直立 2 足歩行という
と、一般に、もしくは専門家でさえ、腰と膝が若干なりとも曲がり、体幹が前かがみの状態の歩行を想像し
がちだろう。しかし、ラミダスではそうしたことは全くなく、体幹は直立し、股と膝関節が伸びきる歩行をし
ていたと我々は考えている。
「移行的」なのは姿勢や関節の屈曲・進展度ではなく、樹上能力を保つための足
と脚構造を保持していたことにある。ラミダスは、脚を伸ばした直立 2 足歩行と効果的な木登り・樹上行動
の双方が可能な、モザイク的な体構造を持っていたのである。その意味での「移行型」なのである。樹上性の
足構造に起因して、下
の回旋や膝の開き具合など、歩行様式の詳細に特異的な側面があった可能性は高い
が、それでも上体がかがんでいたり、よちよち歩いていたりはしていなかったはずである。
現生のアフリカ類人猿との関係
人類とチンパンジーの系統の共通祖先段階の類人猿が、決してチンパンジー的ではなかった可能性が高い
ことは既に述べたとおりである。チンパンジーの形態ならびに行動生態特徴の多くは、完熟果実食に特にこ
だわる大型類人猿としての進化適応様式の一環として理解でき、おそらく派生的と思われる。群れ間、オス
間の攻撃性の高い複雄複雌群の形成もその一環であろう。これには化石から議論できる形態指標もいくつか
関係する。ラミダスや中新世の多様な類人猿化石からみると、チンパンジーの歯
顔面形態においては、完
熟果実食への特殊化と、犬歯の大きさの二次的増強が示唆される。詳細は省くが、
「チンパンジー特殊化仮
説」が浮かび上がるのである。
また、ラミダスと中新世の類人猿化石が示す、四肢と体幹部における共通傾向から、従来は相同的な類似
と見なされてきたゴリラとチンパンジーの諸特徴について「平行進化仮説」を提唱することができる。実際、
ゴリラは幾つかの特徴においてチンパンジーよりも確実に原始的である。従来は、そうした違いの多くをアロ
メトリーによって説明してきたが、それでは不十分なことも多々ある。むしろ、チンパンジーの系統とは独立
に、体の大型化を遂げながらも一定の樹上性を保つ過程で、懸垂・登攀運動とナックル歩行に特徴的な四肢
体幹構造を獲得したのであろう。
類人猿との分岐の深さ
分子進化の研究者の多くは、チンパンジーと人類の分岐を 500 万年前ぐらいに今でも見積もっている。む
しろ、400 から 500 万年前と、若く見積もられている。サヘラントロプスなど 600 万年前以前と報告されてい
る人類化石の存在を意識して、どちらかと言えば無理して、一応は 600 万年までの可能性を認めている者が
多いように見受ける。これらの推定は、近年では高度なモデリングに基づいており、例えば、複数の信頼性
の高いと思われている古生物記録由来のキャリブレーション点をもとに、祖先集団サイズと進化速度の双方
みつもっても 600 万年前程度までしか らないだろうと、かなり強気の姿勢に見える。
しかし、化石のほうからは、ラミダスと同様の特徴をもち、人類の系統に属するとの判断が妥当な化石が
少なくとも 600 万年前にはエチオピアとケニアからチャドまで知られている。そうなると、分岐はそれ以前、
ざっくりは 800 万年前ぐらいまでは
ると思わざるを得ない。1,000 万年前近いチョローラピテクスがゴリラ
の系統の特殊形態を萌芽的に示していることも「深い分岐仮説」を支持するものである。600 万年前ぐらい、
あるいはそれより新しい分岐年代を提唱する分子進化研究の多くは、オランウータンの分岐を 1,600 万年前、
無理しても 1,800 万年前を限度としている。実は、オランウータンの分岐が 2,000 万年前以前まで
るとすれ
ば、
「深い分岐仮説」とも矛盾しない。しかし、そうした視点は今まではほとんど省みられていない。
受賞記 人類の化石の記録をたどる
を変量としながら分岐年代を推定する。分子進化研究側の多くの者は、人類とチンパンジーの分岐は、古く
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日本進化学会ニュース
なぜならば、オランウータンの系統に属するとされる最古の類人猿は 1,300 万年前以後のアジア産のもので
あり、その起源を求めるにしても、若干なりとも歯と顎骨形態が現生類人猿に類似する 1,400 から 1,600 万年
前のアフリカの化石類人猿の一群に求めるからである。しかし、ラミダスからみると、オランウータンの現生
類人猿型の諸特徴は現生のアフリカ類人猿と並行して獲得されたように見える。中新世の多様な類人猿化石
March2013
もこれと矛盾しない。ならば、オランウータンの系統は、2,000 万年前後の相当原始的な類人猿段階まで
る
可能性も十分あるだろう。この視点に立つと、1,700 万年前ごろにアフリカからアジアに初めて移動した大型
類人猿が、既にオランータン側の分岐系統に属していて、現生のアフリカ類人猿の系統との分岐が 2,000 万年
以前だったとしても、なんら不思議はない。
昨年夏には、現生の大型類人猿における突然変異率を見直した研究例が発表され、深い分岐仮説の妥当性
が化石以外の視点からもようやくにして提唱され始めた。今後は、オランウータンの分岐が 2,000 万年前後、
ゴリラは 1,000 万年前後、チンパンジーは 800 万年前後といった「深い分岐仮説」が、実際には多くのデータ
と整合的であることが徐々に認識され、いずれは主流となるであろう。
アウストラロピテクスの「地上特化仮説」
今までの多くの研究者は、アウストラロピテクスを現生の外群であるチンパンジーと比較し、断片骨にお
いて、それなりに多くの類似性を見出してきた。そして、アウストラロピテクスはそれなりに樹上行動を残し
た、移行的な原始段階の人類祖先とみなす進化モデルが主流をなしている。アウストラロピテクスからホモ
属初期の何れの段階で樹上性を放棄して地上生活にコミットしたのか、そういった議論が少なくない。
しかし、ラミダスの存在はそうした多数意見と根本的に相容れない。アウストラロピテクスのいわゆる樹上
特徴は、かなり断片的な詳細形態に関するものであり、全身像として「中間的」な樹上性を示しているのでは
決してない。それに対し、ラミダスでは、足全体と大
部から骨盤にかけて、本格的に類人猿的な原始構造
を保持している。そうした、樹上性と地上直立 2 足歩行の双方に長けた、まさに移行的な状態がラミダスの
状態であり、おそらく 600 万年前以前から 400 万年前ごろまで続いたのである。モザイク状の移行型の体構造
は、地上の食料資源と運搬行動に依存するといった、特殊な採食生態戦略を持ちながら、樹上行動もが必須
だったことを意味する。これが、ラミダスが代表する移行型の進化段階である。そうした樹上性と地上性を
合わせ持った進化段階から、把握性の足を失ったアウストラロピテクスが出現したのである。
アウストラロピテクスがラミダスから生じるに当たり、把握性の足を放棄し親指をアーチ構造に取り込む
といった、大きな構造変革があった。それは、ラミダス時代には強かったに違いない、樹上性を保つ方向の
選択圧が解かれたことを意味する。あるいは、地上における直立 2 足歩行行動に対する選択圧が勝るように
なったと表現したほうが良いかもしれない。アウストラロピテクスが木に登らなかったことを意味するのでは
なく、把握性の足を保持する選択圧から開放され、地上依存型のニッチェに移行していたに違いない。
2009 年のサイエンス誌の我々の一連の論文では、こうした論考にも簡単には触れているが、包括的な議論
からは程遠い。そのためか、あるいはアウストラロピテクスの変異として、従来から足の親指の可動性をほ
のめかす形態特徴など樹上性を示唆する形態特徴の存在が遊離した化石部位ごとに唱えられてきたためか、
アウストラロピテクス観は、そうとう根強いようである。しかし、これらのアウストラロピテクス化石が示す
「樹上性」は、ラミダスからみると些細な特徴に過ぎず、アウストラロピテクス的な地上歩行型の変異内に十
分収まるものであろう。
アウストラロピテクスの「地上特化説」が専門家の中で市民権を得るには相当時間がかかりそうである。こ
れまた、個人的には大きな驚きである。
人類化石発見の瞬間
アフリカの地溝帯は人類化石の「宝庫」として知られている。では犬も歩けば棒にあたるのだろうか?いくつ
受賞記 人類の化石の記録をたどる
アウストラロピテクスの樹上性を提唱する研究例は後を絶えない。樹上性を保持した中間的な存在としての
8
日本進化学会ニュース
かの講演で述べたことがあるが、発見へのイメージは以下のようなものである。仮に、動物各種の骨格 100 個
体分程度を大小さまざまな骨片に分断し、それにヒトの歯を数点と顎骨片を 1 点ほどまぜる。そうした割合の骨
片群を、大小いくつかに分け、仮に東京ならば山の手線内の 20 程度の地点にばらまく。ただし、一つの「地点」
は東大の本郷キャンパス大ぐらいとし、その中に、まんべんなくばら撒いたり、数箇所に集中するように置い
March2013
たりする。それらの骨が一部は土がこびりつき、一部は部分的に埋まり、見えにくくなっている。さて、この山
の手線内領域全体を調査地とし、動物骨の散らばりを頼りに、 かな人類化石を首尾よく発見するのである。
ラミダスの発見は、私たちからすると、東アフリカにおける古人類化石探索に新たな視点をもたらした。そ
れまでのサーベーでは、とにかく動物化石がなるべく豊富に産出する地点を特定し、そこから低頻度に混在
する人類化石をいかに発見するかといった調査戦略であった。そうすると、同定可能な良好な動物化石の、
例えば数%の頻度で人類化石が発見される。堆積層の性質により、断片的な化石しか期待できない層も多い
が、稀に頭骨や、もっと稀には部分骨格が発見されることになる。
ラミダス発見周辺の調査地でも、動物化石が豊富に産出する堆積層の露頭が幾つもある。1990 年代の初頭、
サーベー調査の主要員の一人として私自身も参加していたが、最初は動物骨が多く産出する地点に集中しが
ちであった。しかし、1992 年の 12 月 17 日に、アラミスと呼ばれる小流域に断続的に分布する 440 万年前ごろ
の堆積層露頭の一つにおいて、同定可能な動物化石片がほとんど目立たないものの、サルの顎の化石が発見
された。そこで、その地点を詳細にサーベーすると、ラミダスの第一号の臼歯の化石を発見することができ
(東
た。その時の様相は、東大総合研究博物館の展示書籍「アフリカの骨、縄文の骨―遥かラミダスを望む」
大コミュニケーションセンターで販売)でも紹介しているので、参照いただきたい。
ラミダスの発見状況は、人類祖先が好むハビタットに変化があったことを示している。アウストラロピテク
ス時代は、サバンナ系の生態系の化石動物相の中に人類化石が見出される。従って、バイオマスが多く化石
量も多い包含層を中心に調査するのである。一方、ラミダスとそれ以前の時代では、サバンナ生態系をサン
プリングしていると思われる包含層からは人類化石はあまり見られない。むしろ、総バイオマスは低く化石量
は少ないが、樹上性サル類などが相対的に多い化石群集から人類化石が発見されやすい。
こうして調査のフォーカスが修正され、1994 年から 2000 年代初頭にかけて「アルディ」なる部分骨格標本
とそれ以外総数 100 個体分に近いラミダス化石が得られたのである。ただし、100 個体分といっても、多くの
「個体」とは歯のかけらだけだったり、遊離した四肢骨片だったりする。その中でも、部分骨格のほか、同一
個体の上肢骨セット、複数個体分の良好な歯列、破片を含めると 20 個体分程度の犬歯標本などが重要であっ
た。2006 年には、ラミダスの発見の地から 180 キロほど離れたチョローラと呼ばれる場所で、同定可能な動
物化石の断片が極わずかしか見られない露頭から、1,000 万年前近い類人猿の犬歯を発見することができた。
2007 年には臼歯の追加発見に恵まれ、チョローラピテクスと命名した。
良く言われるのが、人海戦術で骨片を全て採集すればいいのではないかといった類のコメントである。し
かし、そうするとキーとなる破片がどこにあったのか分からなくなり、追従発見ができなくなる。また、全て
の化石産出地点でそうした網羅的な採集調査を行うことも非現実的である。従って、成功の秘訣は精鋭部隊
で、広域調査から焦点を絞った地点調査へと移行する、そうした繰り返しである。広大な調査地では、化石
底的にサーベーするのが肝心である。なぜならば、一旦は足を踏みいれたが成果が無かった地点は、再調査
の機会が減るからである。また、再調査しても、有望でないと判断された場所では、ややもすると緊張感と
集中力が低下するからである。
おわりに
本稿は、2012 年度の日本進化学会賞受賞講演の内容にそって、焦点を絞りながら内容を補充調整して記述
してみた。日本進化学会賞と木村資生記念学術賞の思いがけない受賞に、改めて深く感謝の意を表し、本稿
を終えることとしたい。
受賞記 人類の化石の記録をたどる
包含層すら存在しない露頭が延々につづく場合も多く、そうした中、化石探索の取りこぼしが無いうように徹
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日本進化学会ニュース
シリーズ 第 5 回
「私と進化学」
・中
March2013
長谷川政美(復旦大学生命科学学院)
1990 年代 ― 続き
1990 年代に入ると統数研にも総合研究大学院大学の統計
科学専攻が設置され、博士課程後期の院生を受け入れるよう
になった。1992 年に私の研究室の最初の学生として足立淳君
(図 15)が入って来て、最尤法による分子系統樹解析プログ
ラム MOLPHY の開発を行った。最初のバージョンは 1992 年
にレリースされ、その後 1996 年に改訂された。このプログラ
ムはアミノ酸配列データを扱えるものとしては初めてのもの
であったので、しばらくの間は世界中で広く使われたし、橋
図 15 足 立 淳 君( 右 )と 曹 纓 さ ん( 左 )
(2006 年、中国雲南省にて)
本君らの真核生物の初期進化の研究にも大きな力を発揮し
た。更に 1992 年から曹纓さん(図 15)が研究生として研究に参加し、MOLPHY を用いた大規模な解析を行
う。彼女はその後東京工業大学の岡田典弘さんの研究室の院生になり、岡田研で様々な動物のミトコンドリ
ア DNA 配列を決定し、統数研でデータ解析を行うようになる。
いわゆるミトコンドリアのイヴ仮説が Rebecca Cann, Mark Stoneking, Allan Wilson によって 1987 年に提
唱された。現生人類集団内でのミトコンドリア DNA の系統樹を描くと、系統樹の根元からはアフリカ人だけ
のいくつかの系統が分かれ、残りの系統にはアフリカ人とほかの大陸のすべての現生人類が含まれる。また
現生人類の最後の共通祖先(Last Common Ancestor, LCA)の年代がおよそ 20 万年前であるという。従って
現生人類すべてにミトコンドリアを残した LCA、つまり「ミトコンドリアのイヴ」はおよそ 20 万年前のアフリ
カにいたと考えられた。ところがミトコンドリアの D-loop の配列データの分子時計による解析をヒト/チンパ
ンジーの分岐年代を基準にして通常の方法で行うと、LCA の年代は 20 万年前よりも 2 倍以上古くなってしま
う。当時、国立遺伝学研究所にいた宝来聰さんも関連した研究を行っていたので、彼のデータを解析させて
もらった。1985 年の HKY 論文の方法を用いた。可変部位と不変部位に分けたモデルで可変部位の割合をデー
タから推定することによって、LCA の年代が 20 万年前近くになった。つまり、このモデルによってヒト / チ
ンパンジー間の多重置換の効果がより正しく評価できるよう
になった結果、LCA の年代が大幅に若くなったのである(M.
。
Hasegawa and S. Horai(1991)J. Mol. Evol., 32: 37-42)
京都での国際会議に来ていた Allan Wilson(図 16)にこの
話をしたところ、自分たちのデータも解析してほしいと言った
ので、解析を引き受けた。彼らのデータには D-loop 以外にミ
集団中のアミノ酸の変異はわずかであるが、コドンの 3 番目の
図 16 AllanWilson(1934 ∼ 1990)
。1987
年はじめて Berkeley の彼の研究室を訪問し
た際に、レストランに連れて行ってもらって
撮ったもの。彼は写真に撮られることを嫌っ
ていたらしいが、このときは嫌な顔をせずに
撮らせてくれた。
て LCA の年代推定をすると、推定誤差は大きいが 10.1 ± 5.2
万年前という若い年代になった。D-loop については、宝来さ
んのデータ解析に使った可変座位 / 不変座位という単純な二
段階モデルでは 38.7 ± 8.4 万年前という古い年代になってしま
う。データを詳しく見てみると、二段階モデルでは不十分で、
5
回 私と進化学・中
同義置換は結構の量がたまっている。コドンの 3 番目を使っ
シリーズ 第
トコンドリアの蛋白質コード領域も含まれていた。現生人類
10
日本進化学会ニュース
可変座位のなかに特に速く変化する超可変座位とそれほど速く
はない座位とがあることが分かった。超可変座位を考慮すれば
それだけヒトとチンパンジーの間で蓄積した多重置換が増える
ので、LCA の年代は若くなるはずである。そのようなモデルで
March2013
解析し直した結果、21.1 ± 11.1 万年前という推定値が得られた。
これはコドンの 3 番目から推定された値と、誤差を考慮すれば
おおむね一致するものであった。
Allan はこの結果にとても喜び、共著論文にまとめることに
した。ところがちょうどその頃、彼は白血病を発症して入院し
てしまった。私が書いた原稿を彼の研究室に送り、彼のポスド
図 17 WalterFitch
(1929 ∼ 2011)統数
研でのセミナーにて(2000 年)
クの Anna Di Rienzo が病室に持っていってチェックするという
ことを繰り返していたが、1991 年 7 月 21 日に彼は 56 歳の若さで亡くなってしまった。論文はその後、Journal
of Molecular Evolution の Allan Wilson 追悼記念号に掲載された(M. Hasegawa, A. Di Rienzo, T.D. Kocher,
。Allan Wilson が若くして亡くなったのは、分子進化学の
and A.C. Wilson(1993)J. Mol. Evol., 37: 347-354)
分野にとってはとても大きな損失であった。
現在では座位間の不均一性を考慮することは常識であるが、その当時はそのようなことはあまり一般的で
なかった。少し後になるが 1996 年に、Russell Doolittle らが真正細菌、古細菌、真核生物など地球上のあら
ゆる生物の最後の共通祖先の年代を推定したという論文をScience に発表した。およそ 20 億年前というのが
彼らの推定値であった。これは当時一般的に考えられていた年代よりもかなり若いものである。彼らは、動
物 / 植物 / 真菌類の分岐を基準にした分子時計を用いて、保存的な蛋白質のアミノ酸配列を解析したのであ
る。彼らは一応、座位間の不均一性を気にしてはいた。しかし、90 ∼ 95%の座位が系統樹上のどこかで一度
は置換を起こしているので、事実上ほとんどの座位が可変座位だと考えていた。論文が発表された当日たま
(図 17)が論文のコピーを渡してくれた。
たまアメリカで Gordon Conference に出席していたら、Walter Fitch
もちろんそれまでそのような論文が出ていることは知らなかった。その夜、ホテルで論文を読み、すぐに問題
点に気がついた。
動物から細菌に至るまで幅広い生物種を集めたら、たいていの座位でどこかの系統で置換が起っているの
は当然である。そのことは、ある時点でどの座位も可変であるということを意味するものではない。どの座位
が可変かというのは、系統によりまた時間とともに変化していくものと考えるのが自然である。これが Walter
Fitch が 1970 年代に考えていたコバリオンである。このように考えれば、ある時点での可変座位は限られたも
のになるので、そのことを考慮せずに推定された共通祖先の年代は、実際よりも大幅に若くなっているに違
いない。このような趣旨の手書きのコメントを一晩でまとめ、翌朝 Walter に渡して、Science に送ってくれる
ように頼んだ。彼が手を加えて送ったものがまもなく Technical Comments として掲載された(M. Hasegawa
。
and W.M. Fitch(1996)Science, 274: 1750)
このように、座位間の不均一性を分子進化の解析にどのように取り込むかは大きな問題であった。1998 年
頃、もう一つの問題として、時間のスケールによって見かけ上の進化速度が違ってくることに気がついた。具
置換 / 同義置換比をくらべてみると、種内の方が圧倒的にこの値が高くなるのである。当時統数研に客員助
詳しく解析した結果、最終的には集団から取り除かれる弱有害のアミノ酸変異遺伝子は、種内という短い時
間スケールでは取り除かれずにまだ集団に留まっているために、アミノ酸置換 / 同義置換比が高くなるのであ
。
ろうという解釈になった(M. Hasegawa, Y. Cao, and Z. Yang(1998)Mol. Biol. Evol., 15: 1499-1505)
その当時、Ziheng はコドン置換モデルを開発しており、これに関していくつかの論文を発表していた。最
尤法による系統樹解析では、コドン座位による進化速度の違いを考慮しても、それぞれの座位は独立に変
5
回 私と進化学・中
(図 18)と曹纓さんの協力を得て
教授として滞在していた Ziheng Yang(現 University College London 教授)
シリーズ 第
体的には、ヒト、チンパンジー、ゴリラなどのミトコンドリアの蛋白質コード領域で、種間と種内でアミノ酸
11
日本進化学会ニュース
わっていくというのが普通の扱い方であった。しかし、実際にはコドン内のほかの塩基座位がどのように
なっているかに依存して塩基置換は起るはずであり、塩基座位よりもコドンを単位とした置換モデルのほう
がより現実的であることは明らかである。しかし、塩基置換ならば 4 × 4 の置換行列で済むものが、コドン置
換では 61 × 61(脊椎動物のミトコンドリアの場合は 60 × 60 、64 個のコドンのうち終止コドンを除いた数の
March2013
次元)の置換行列が必要であり、計算量が大変なのでそれまでは使われてこなかったのである。しかし、そ
の頃になるとコンピュータの計算処理能力が飛躍的に上がり、このような複雑なモデルによる計算が可能
になっていた。統数研に滞在中、彼のそれまでのコドン置換モデルを改良し、コード表の構造のほかにアミ
ノ酸間の物理化学的距離に応じた置換率(距離が離れているほど置換しにくい)をモデルに組み込んだ(Z.
。アミノ酸距離は 1970 年代に R.
Yang, R. Nielsen, and M. Hasegawa(1998)Mol. Biol. Evol., 15: 1600-1611)
Grantham や宮田隆さんたちが考えたものを使った。このコドン置換モデルは、2000 年代に入ってから、実
際のデータ解析において威力を発揮するようになる。
1990 年代後半には下平英寿君(現・大阪大学教授)
(図 19)が統数研助手となった。彼はすでに establish
した統計理論家として、多重比較の理論で有名であった。統数研に来てからは、彼の方法を分子系統学に適
用する研究を行い、Shimodaira-Hasegawa 検定を開発した。これは、Kishino-Hasegawa 検定で欠けていた
多重比較を系統樹選択の問題に持ち込んだものである(H. Shimodaira and M. Hasegawa(1999)Mol. Biol.
。
Evol., 16: 1114-1116)
1990 年代後半には外国からのポスドクが大勢私の研究室にいて、賑やかであった。1997 年にはニュージー
ランドの David Penny のところで学位をとった Peter Waddell が来た。翌年には Andy Shedlock, Koji Lum,
、その後も何人かが続いた。1998 年にはポスドクとして私の研究
Marguerite Butler などが加わり(図 20)
室にいた Peter Waddell(図 21)が中心となって、葉山の総研大で哺乳類の進化に関する国際シンポジュウ
ムを開いた。Mark Springer や Michael Stanhope(図 22)らがアフリカ獣類の考えを提唱しており、また東
京工業大学の岡田典弘さんのグループがカバとクジラの近縁性を示していた時期であり、シンポジュウムは
大いに盛り上がった。このシンポジュウムの Proceedings は翌年 Systematic Biology の特集号として出版され
。哺乳類進化研究の当時の状況を review した巻頭論文(P. Waddell, N. Okada, and M. Hasegawa
た(図 23)
(1999)Syst. Biol., 48:1-5)は、その後頻繁に引用されるようになった。
この頃から、私の研究の中心は哺乳類、特に真獣類、の系統進化の問題になってくる。1999 年 3 月に岡田
典弘さんと岡田研の院生であった二階堂雅人君らと、ヨウスコウカワイルカの研究のためにはじめて中国を訪
れた。図 24 がそのときの写真である。写真のなかのチチは人によって飼育されたヨウスコウカワイルカとし
ては最後の個体である。2004 年に死亡したが、その後は野外での確かな目撃例がないので、2007 年にこの種
の絶滅宣言が出されている。
岡田さんたちの研究の目的は 3 つあった。1 つは 1993 年に Michel Milinkovitch らが提案した歯クジラが単
シリーズ 第
図 18 中央が ZihengYang、左がポスドクとして筆者
の研究室にいた KojiLum、右が筆者(1998 年、筆者の研
究室にて)
図 19 下平英寿君(左)と ZihengYang(右)
(2007
年、統数研にて)
回 私と進化学・中
5
12
日本進化学会ニュース
系統ではないという説の検証、2 つ目は世界中にいるカワイルカが単系統のグループを形成しているかどうか
を確かめること、3 つ目はクジラ類進化の時間スケールを知ることであった。岡田研では彼らが独自に開発し
た SINE 法を用いて最初の 2 つの問題を解明した。Milinkovitch はミオグロビンやミトコンドリアのリボソー
ム RNA の配列データの解析から、マッコウクジラが同じ歯クジラのイルカよりもヒゲクジラに近縁であると
March2013
図 20 右から AndyShedlock、MargueriteButler、Koji
Lum、筆者。新しく学振特別研究員になった彼らを連れて
。
学振に挨拶に行った際の写真(1998 年)
図 22 InternationalSymposiumontheOrigin
。
ofMammalianOrders の 会 場 に て(1998 年 )
MichaelStanhope
(左)と DavidPenny
(右)
。
図 21 InternationalSymposiumontheOriginof
MammalianOrders の会場にて(1998 年、葉山総研
大)
。左から PeterWaddell, クジラの祖先化石で有
名な HansThewissen,古生物学者 DavidArchibald。
図 23 1999 年、SystematicBiology の 特 集 号とし
て前 年 葉 山 の 総 研 大で 開
いた哺乳類シンポジュウム
の Proceedings を 出 版 し
た。これがその coverpage
で、Waddell, Okada and
Hasegawa による巻頭論文
の Figure である。
シリーズ 第
中国武漢の中国科学院・水生生物研究所にて)
。後
の人物は右から水生生物研究所の王丁さん、岡田
典弘さん、それに筆者。チチは幼い頃、船のスク
リューに衝突して保護された。研究所の大きな水槽
で飼われていたが、月に 1 度掃除のために水槽の水
を抜いた際に、DNA 解析のための血液を採取した。
5
回 私と進化学・中
図 24 ヨウスコウカワイルカのチチ(1999 年 3 月
13
日本進化学会ニュース
主張していた。私自身もその頃入手可能だったデータか
らは、Milinkovitch 説が支持されているように思ってい
た。ところがこの説は間違いであった。特にマッコウクジ
ラは長い潜水時間で有名であるが、それほどではないに
March2013
してもヒゲクジラはイルカよりも長く潜水する。酸素を貯
蔵する役割をもったミオグロビンはそのような行動に合わ
せた自然選択を受けている可能性がある。SINE 法による
二階堂君らの解析では、歯クジラが単系統であることが
はっきりと示された。
2 つ目のカワイルカが単系統かどうかという問題に関し
ては、そうではないという結論に至った。いわゆるカワイ
図 25 分子時計を仮定しないベイズ法による年
代推定法を開発した JeffThorne(右)と岸野洋久
君(左)
(2001 年、統数研の筆者の研究室にて)
ルカには、中国のヨウスコウカワイルカのほかに、インド
のガンジスカワイルカ、南アメリカのアマゾンカワイルカとラプラタカワイルカの 3 大系統がある。SINE 法で
は、ガンジスカワイルカがほかのカワイルカとは別の系統として、歯クジラ進化の初期の段階で分かれたこと
が示された。つまりカワイルカの 3 つの系統は、形態的には互いによく似ているが、単系統ではないことが示
されたのである。しかし、ヨウスコウカワイルカ、南アメリカのカワイルカ、それに海洋性のイルカの間の系
統関係を示す SINE locus は得られなかった。そのため、私の研究室のポスドクであった曹纓さんが、SINE
法の副産物として得られていた SINE の flanking sequence を解析して、ヨウスコウカワイルカが南アメリカ
のカワイルカと近縁であることを示した。更に彼女は Jeff Thorne と岸野洋久君(図 25)が開発したベイズ法
による年代推定法を用いて、SINE の flanking sequence から 3 番目の問題であるクジラ進化の時間スケール
の推定を行なった。ヨウスコウカワイルカが南アメリカのカワイルカと近縁であるならば、祖先は太平洋をは
さんで遠く離れた地域にどのようにして分布を広げたのであろうか?淡水に適応したカワイルカにとって一見
これは困難なことのように思われる。しかし、実際にはラプラ
タカワイルカはラプラタ河の河口や沿岸域に生息していて、海
水中でも大丈夫である。ヨウスコウカワイルカと南アメリカのカ
ワイルカの分岐はおよそ 2,000 万年前と推定されたが、1,000 万
年前のヨウスコウカワイルカに似たカワイルカの化石が、アメリ
カ・カリフォルニアやメキシコの太平洋沿岸からたくさん見つ
かっており、遠く離れた 2 つの集団を結びつける手掛かりになる
ことが分かる。この研究成果は、出版までに時間がかかったが、
Nikaido et al.(Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 98(2001)7384-7389)
として出版された。
2000 年代
1999 年から総研大に先導科学研究科生命体科学専攻ができ、
シリーズ 第
私はそこの併任になった。同じ年、東京大学大学院理学研究科
の進化多様性講座の併任にもなった。総研大では博士後期課程
の学生しか受け入れることができなかったが、東大のほうは修
いうことで生物学を目指す学生をとるのに制約があったが、この
頃から生物学という観点から学生をとることができるようになっ
たのはありがたかった。2002 年に修士課程の最初の学生として、
早稲田大学の学部で古生物学を勉強した米澤隆弘君(図 26)を
図 26 2003 年 11 月 2 回目のマダガスカ
ル調査でテンレック捕獲のためのネットを
張っている米澤隆弘君(当時東大修士課
程の院生)
。
回 私と進化学・中
5
士課程の学生もとることができた。それまでは統計科学専攻と
14
日本進化学会ニュース
受け入れた。彼はその後東大の修士課程を終了後、総研
大の博士後期課程に進む。
その頃になると、データ解析の方法に関しては Ziheng
Yang, Jeff Thorne, Hirohisa Kishino、Hidetoshi Shi-
March2013
modaira など優秀な人材が世界中で育ってきたのでその
分野の研究は彼らに任し、自分の研究テーマとしては
もっと生物学に踏み込んだものをやりたいという気持ち
が強くなってきた。マダガスカルの自然史に興味があっ
たので、科研費の海外学術調査に応募し、それが無事採
択され 2003 年からマダガスカルでの調査ができるように
なった。マダガスカルへは 2008 年までの間に調査のため
図 27 2003 年 11 月 2 回目のマダガスカル調査。
左が宝来聰さん、右が東大修士の院生だった村田
有美枝さん。
に 7 回訪れた。2003 年 11 月の 2 回目の調査には、総研大
生命体科学専攻の宝来聰さん(図 27)や彼の院生であった松井淳君も参加したが、宝来さんは翌年の 8 月に
58 歳の若さで急逝されてしまった。マダガスカル調査が始まったばかりの段階で、彼自身も研究の新しい展
開をはかっていただけに、残念なことであった。
宝来さんが亡くなり、彼の院生だった松井淳君(図 28)の主任指導教官は、私が引き受けることになった。
松井君はレムール、米澤君はテンレックの研究で何回かマダガスカルを訪れる。この研究には、動物学者の
ほかに、植物、古生物、文化人類学など幅広い分野の研究者が参加した。後に東大博物館に移られた京都大
学霊長類研究所の遠藤秀紀さん(図 28、29)も参加され、マダガスカル調査の結果を材料にその後多くの面
白い論文を発表された。それらのなかには、針のようになった毛をコオロギが羽を擦り合わすように擦り合わ
せて音を出して仲間同士のコミュニケーションをするキシマテンレックの解析(Endo et al.(2010)Zool. Sci.
27:427–432)や、からだの大きさから予想される以上に大きな卵を生んでいたエピオルニスという絶滅した走
鳥類の形態解析(Endo et al.(2012)Anatomia Histologia Embryologia 41: 31-40)などがある。
2000 年代に入るとゲノムレベルの大規模データが出るようになり、分子系統学も新しい時代を迎えていた。
扱う配列データの長さが長くなれば、それに応じて推定の誤差は小さくなる。従って、以前よりもはっきりし
シリーズ 第
(2008
同研究者の Anatananarivo 大学の FelixRakotondraparany
年、マダガスカル調査)
。
図 29 遠藤秀紀さん。エピオルニスの骨
格標本とその卵と並んで(マダガスカル・
。
アカデミー博物館にて、2008 年)
5
回 私と進化学・中
図 28 うしろが遠藤秀紀さん、その前が松井淳君、その右が共
15
日本進化学会ニュース
た結果が得られるようになってきた。多くの人は、
ゲノムデータさえ出
えば、系統学の問題は簡単
に解決するであろうと考えていた。ところが問題
は簡単ではないことが次第に明らかになってきた。
March2013
解析の際に用いるモデルが実際と食い違っている
場合、推定に偏りが生じる。以前のように短い配
列を扱っていた間はそれほど問題にならなかった
が、長い配列を扱うようになると、推定誤差が小
さくなった分、余計にこの推定の偏りが目立つよ
うになってきたのである。岡田典弘さんの研究室
図 30 左から二階堂雅人君、米澤隆弘君、西原秀典君
(2007 年、筆者の研究室にて)
で学位をとり、その後ポスドクとして私の研究室
にいた西原秀典君(図 30)の研究がこの問題を浮き彫りにした。
その当時までに、西原君の SINE 法による研究などで、真獣類は系統的に 3 つのグループから成ることが明
らかになっていた。アフリカ獣類、南アメリカの異節類、北方獣類の 3 つである。ところが、この 3 者の間の
関係がはっきりしなかった。西原君は、真獣類全体で広く見られる蛋白質をコードする遺伝子のうちで、遺
伝子重複がなく、しかもアランメントに曖昧なところがない領域、およそ 100 万塩基について詳しい系統樹解
析を行なった。最初の解析では、アフリカ獣類と南アメリカの異節類が組んで、北方獣類がその外に位置す
るという系統樹が 100%のブートストラップ確率で支持された。保守的な検定である Shimodaira-Hasegawa
検定でも、ほかの系統樹は完全に棄却された。パンゲアという超大陸が分裂して北方のローラシア大陸とゴ
ンドワナ大陸になり、更にゴンドワナ大陸がいくつかに分かれてアフリカ大陸と南アメリカ大陸が生まれたと
いうことからは、この系統関係は極めて自然なものであった。従って普通であれば、これではっきりした結論
が得られたと考えて、この段階で論文を書いていたであろう。実際その後そのような論文がほかのグループ
から発表された。しかしながら私は、この結論は危ういと感じ、もっと徹底的な解析が必要だと思った。
最初の解析では塩基配列をそのまま最尤法で解析したが、コドンのなかの塩基の位置によって進化速度は
当然違うので、これを区別して扱っても結果はなんら変わらなかった。ところが、アミノ酸に翻訳した上で解
析すると、結果ががらりと変わってしまった。アミノ酸配列データでは、北方獣類と異節類が組んでアフリ
カ獣類が外に位置するという系統樹が支持された。ブートストラップ確率は 52%と低くて、結果は曖昧では
あるが、塩基レベルの解析ではあれほど強く支持された系統樹が覆されたのである。更にコドン置換モデル
で塩基配列を解析すると 88%のブートストラップ確率でアミノ酸配列と同じ系統樹が支持された。ここまで
の解析はすべて 100 万塩基を均一な配列とみなしているが(ガンマ分布で座位間の不均一性は確率的には考
、そのなかには様々な進化速度の遺伝子
慮しているが、どの塩基も同じ確率モデルで扱うという意味で均一)
が含まれているはずである。100 万塩基のデータのなかには 2,789 個の遺伝子が含まれるが、それぞれの遺伝
子ごとに詳しく解析し、最後に対数尤度を足し合わせるということをすると、塩基置換モデルでも北方獣類 /
異節類近縁が支持されるようになり、更にコドン置換モデルを使ってモデルを改善すると、ブートストラップ
確率も上がった。ほかの可能性を完全に棄却することはできなかったが、単純な方法で強く支持されたもの
ゲノムレベルの大規模解析では、様々な振る舞いをする遺伝子が混在したかたちで解析が行われるのが一
ワークとしてデータ解析を行うのは非常に危険である。研究者にはなるべくデータの中身を把握しようとする
努力が必要であることが示された。この研究は、Nishihara, Okada and Hasegawa(Genome Biology 8(2007)
R199)として発表した。
(以下次号に続く)
5
回 私と進化学・中
般である。しかも膨大なデータ量であるため、いちいち研究者が細部までチェックできないので、ルーチン
シリーズ 第
であっても、それが正しい系統樹であるとは限らないことが示された。
16
日本進化学会ニュース
トキ放鳥の進化学的(かつ独善的)考察
March2013
荒木仁志(スイス連邦水圏科学技術研究所(Eawag)
)
―「進化の研究って、何の役に立つの?」― 高校の同窓会
などで私の仕事を説明する際に頻繁に受ける質問である。
進化学会の皆さんも少なからず同じ経験をされているので
はないだろうか。
無論、進化学は基礎学問であり、農学や工学のように必
ずしもその成果が実践的価値を持つ必要は無い。だが、研
究の場が大学や研究機関で、その実施に少なからずお金が
必要である以上、
「スポンサー」や「ホスト」に対する説明責
任は逃れ得ない。これは、PI となった時、外部研究資金を
申請する研究者が最初に直面する課題でもある。
これは私見だが、進化研究も、たとえダーウィンにでも
写真 1 佐渡島上空を飛ぶトキ(参考資料 1 よ
り抜粋)
なって社会的価値観をひっくり返すことができないにせよ、
その成果は本質的には社会に還元されうるべきものなのである。そう考える私にとって、産・官・学一体と
なった研究プロジェクト、殊に地域社会参加型のプロジェクトの記事を目にすると、つい羨ましくなってしま
う。だれもがその価値を瞬時に共有できるだけの「素材」が、そこにはあるからである。
前置きが長くなったが、私が今回エッセイを書くに当たって選んだテーマは、
「トキ、Nipponia nippon」
。
(英
皆さんも新聞記事などでよく目にしているであろう、日本では 1981 年に野生絶滅した大型の鳥である。
名:Japanese Crested Ibis または Asian Crested Ibis。写真 1 参照)私がこの鳥に興味を持ったのは、私自身
が魚類の人工飼育・自然放流の遺伝的影響を研究していることに加え、上記のような理由からである。
「日本
で見ることができなくなった野生のトキを、もう一度復活させる!」
。今の日本で、これほど明快で、かつ社
会的関心と合意を得られやすい目標も少ない。
もっとも、私自身がこのプロジェクトに参加しているわけではなく、放鳥の拠点である佐渡島に行ったわけ
でもない。更に言えば、私はスイスに住んでいてトキ関連のニュースも読者の皆さんほど頻繁には目にしてい
ない。表題に「独善的」
、としたのはそのためである。その点、予めご了承いただきたい。
ご存知の方も多いと思うが、トキはそもそも東アジアの鳥で、20 世紀初頭までは日本はもとよりロシア、朝
鮮半島や台湾に至るまで広く生息していたらしい。1884 年、明治時代のイギリス外交官、アーネスト・サト
。IUCN レッドリストでのステータス
は 2012 年現在 Endangered 扱い。1996 年までの Critically Endangered から若干改善しているものの、野
生集団でその安定維持が知られているのは中国中部の陝西省の集団のみだそうだ。
(www.iucnredlist.org/
details/106003801 参照)美しい大型の鳥なので、愛好家ならずともその姿を自然の中で見れないのは残念で
ある。
とはいえ、だ。第 6 次大量絶滅時代、未確認種も含めると毎年数万もの生物種が絶滅していると言われる
現代である。漁業資源種にいたっては 100 年ともたないと叫ばれ、鳥類種に限っても、全鳥類の 11%におよ
[2]
ぶ近未来絶滅が予想されている 。地域絶滅種にあたる一種を、大量の英知、時間とお金をかけて守ろう、
復活させようというのはなんとものん気な話のようでもある。保全の現場にいくと、 priority という言葉をよ
トキ放鳥の進化学的︵かつ独善的︶考察
[1]
ウも「トキは東京周辺では特に珍しい鳥ではない」と記していたそうだ
17
日本進化学会ニュース
く耳にするが、トキが日本で、少なくとも佐渡
島で、保全対象種のなかで top priority(最優先
種)とされている理由はなんであろうか。
この質問にはいくつもの答え方があるだろう。
March2013
最も一般的には、
「きれいだから」
「学名が日本を
象徴しているから」とでもなろうか。もう少し生
物学者っぽい答えとしては、
「大型の鳥で食物連
鎖の頂点に位置し、生態系の維持・存続に重要
なアンブレラ種だから」というところだろう。ど
れも正しい答えのように思われる。では、進化
学者の答えは何だろう? この問いに対する答
えを、この場を借りていろいろと寄り道をしなが
ら考察してみようと思う。
写真 2 2007 年にトキの飛翔訓練、採 訓練を目的とし
て佐渡に立てられたトキ保護センター野生復帰ステーショ
ン繁殖ケージの様子。ウェブカメラを使ってリアルタイム
で見ることが出来る。
(http://ibis-info.blog.ocn.ne.jp/diary/
live.html)
適者生存、自然選択を柱とするダーウィニズムの観点からすれば、日本という一地域からとはいえ姿を消
してしまった生物は自然選択における「敗者」ということになる。では、トキの日本における野生絶滅はどの
[1]
ようにして起こったのであろうか。佐渡市から送っていただいた参考資料
によると、トキ激減の主原因は
明治から大正にかけての乱獲だったそうである。色合いが美しく珍しいトキの羽毛は、装飾品として開国当
時の重要な輸出品だったそうだ。また、トキが水田でドジョウや水生昆虫を捕食する際に稚苗を踏みつける、
ということで害鳥として駆除された側面もある。トキの肉に薬効があるとして産後の肥立ちが悪い母親や冷え
性の人に食された、という面もあるらしい。トキが特別天然記念物に指定されたのは 1952 年、昭和 27 年であ
る。それから約 30 年、国際鳥類保護会議でトキが国際保護鳥に指定されてからなら 21 年、今度は戦後の復
興に伴う生息環境の変化を受けつつ個体数の減少を続け、1981 年に最後の 5 羽を人工繁殖のため捕獲するこ
とでトキは日本の空から姿を消した。
複数の人為的要因によって生息が困難になり、絶滅へと追いやられるのは人為改変を主要因とする生物種
絶滅に共通の特徴である。自然環境は常に揺れ動いているので、ある特定の環境にしか適応できない極端な
スペシャリストの種としての長期的存続が困難であることはご存知の通りである。ほとんどの野生生物におい
ては遺伝的・非遺伝的要因によってある程度の環境適応性、つまり可塑性を持つのが普通であろう。しかし、
人為改変のスピードは自然界の自立的変化に比べ極端に早く、進化的な適応の速度を上回ることが多い。更
に、そのような変化がある種の生活史における「複数」のキーファクターに決定的な影響を与えた場合、その
種の絶滅リスクは格段に高まるはずだ。一つずつ抗生物質を与えてもなかなか死なないバクテリアが、複数
の抗生物質を同時に与えると絶えやすいのと同じ理屈である。これをトキに置き換えるならば、流れの緩い、
水深の浅い水場での採
、
に特化しているため人の生活様式の変化に特に影響を受けやすく(ニッチの特化)
3 月から 8 月という複雑で長期にわたる繁殖期を持つゆえに乱獲による個体数減少の影響が特に大きかった
日本のトキはこうして絶えたわけだが、野生絶滅種として日本のトキが比較的にせよ幸運だった点が幾つ
か挙げられる。まず、野生絶滅までの経緯が、他に例を見ないほど詳細に記述されていたこと。このため、
上記のように、何が原因でどういうプロセスを経て絶滅に至ったのか、復活を試みる現代人が正確に把握で
きる。また、これは諸刃の剣でもあるのだが、トキがもともと棚田や里山など、人里に近い環境により適した
生物であったため人目につきやすく、その生活史や生息条件などが比較的よくわかっていたことである。さ
らに、増殖を目的とした人工飼育の歴史が長く、先人達の試行錯誤の結果とはいえ生物としてのトキへの知
識や理解も蓄積する機会を十分に得られている。2003 年に「国産」最後の野生由来のトキ、36 歳のキンが死
。そして最後に、国外とはい
んだニュースを覚えている人も多いはずだ(野生トキの平均寿命は 10 ∼ 15 歳)
トキ放鳥の進化学的︵かつ独善的︶考察
、というところか。その意味で、トキのケースは人的要因による野生絶滅の典型例といえる。
(Allee 効果)
18
日本進化学会ニュース
え中国陝西省でのトキ保護政策が奏功し、個体群が回復すると共に人工繁殖の知識と成功例が得られたこと
だろう。この中国での取り組みは日中の二国間交流の枠組みの中で進み、1999 年には中国から贈られたつが
いから日本初のトキの人工増殖が成功、その後も近親交配を防ぐため複数の個体が中国から供与されている。
これらの個体や人工繁殖に成功した個体を基に佐渡の人工飼育集団は個体数を増やし、2008 年の第一次試
March2013
験放鳥に至った。その後の 7 回にわたる試験放鳥、野生集団復活への試行錯誤はニュースなどでご承知の通
りである。
進化の反対を退化という人がいるが、これは間違いである。それを言うなら gain of function の反対語と
しての loss of function であり、どちらも進化プロセスだ。では、人為改変がもとで野生絶滅した種を、人
為的に野生復帰させる試みも、広い意味での進化プロセスと呼べるだろうか?「ヒトが自然の一部でヒトの行
為は自然のプロセスかどうか」という議論はさておき、人為的な変化がもたらした結果(種の地域絶滅)を人
為的手段(人工増殖)をもって修正・改善する、というのは道義的には正しい行いなのかもしれない。保全学
上、再導入(reintroduction)と呼ばれる試みも、カリフォルニアコンドルやクロアシイタチなど、ごく少数な
がら成功例はある。ただし、これらの先例から分かることは、野生集団サイズの回復は保全学的には一定の
「成功」であっても、進化学的には長いプロセスの中の「一過程」にすぎない、ということである*。大進化に
おいて生物種が幾多の変遷をたどり現在を生きているのと同様、絶滅の淵から人工増殖の期間を経て自然界
に戻った生物のその過程も、種としての歴史といえる。そして大進化を経た歴史がゲノムに刻まれているの
とまた同様に、個体数の減少、人工飼育環境下での生活・増殖、そして自然界への復帰という歴史がその個
体群の遺伝的構成には刻み込まれているはずである。そこから何を読み取り、絶えず変化する自然環境下で
の野生復帰種の今後をどう予測するか。これは、進化学上の問いに他ならない。
もちろんそこにはトキの生物学・生態学へのより一層の理解も必要となるだろう。そういえば一昨年、好物
のドジョウばかり与えられたトキがビタミン B1 不足で脚気になった、という記事が出ていたし、昨年には広
島大や新潟大のグループが佐渡で新種のカエルを発見、という記事もあった。ちなみに南西諸島以外の日本
で新種のカエル発見は 22 年ぶりだそうである。その生息域からして野生のトキも食べていたはずで、佐渡と
いう日本人には身近な島の中のことですら、我々の人知がしっかりとは及んでいないことを思い知らされる。
また、佐渡島の淡水域の歴史は浅く、純粋な淡水魚はすべて人為的に移入されたものと考えられているそう
だ。これが本当なら、野生のトキが佐渡でドジョウを食べ始めたのも進化学的にはごく最近、ということに
なる。更に、中国由来のトキと日本由来のトキではミトコンドリア遺伝子における差異は無視できるレベルだ
が、核由来の DNA マーカーを用いた最新の研究によると、日本のトキ集団の遺伝的多型には顕著な違いが見
られ、
(再導入の過程を見れば当然ではあるが)有効集団サイズも一般に保全学上許容可能と言われる 50 を
。これらの研
大きく下回るということも分かってきた(Urano et al., Tsubono et al. Personal communications)
究成果はトキ保全プロジェクトあればこそ得られた果実であり、生物学の観点からすればこれこそがトキを日
本の生物保全における top priority におく意義であろう。また前述のように、佐渡のトキの場合は特に、官・
となる生物の生息環境の再構築、環境
保全型農業、環境に配慮したエコツーリズムによる地域活性化に至るまで、様々なレベルでの試みが並行し
てなされている点も興味深い。これら野生のトキにとっての生息環境、個体群動態、そしてその遺伝的背景
の変遷が同時並行的に、しかも悪化の過程から改善の過程にいたるまで記録された生物種は稀で、進化学的
に見ても大規模な実地実験の一つと捉えることが可能ではないだろうか。ただし、進化が時間軸に沿ったプ
ロセスであり、野生集団サイズの回復が「過程」でしかない以上、他の生物の再導入実験同様、安定した野生
集団復活の如何によらず、長期的モニタリングは必須となる。そこから得られるデータに基づいたより一層の
生態・進化メカニズムの解明に期待したい。
トキ放鳥の進化学的︵かつ独善的︶考察
民・学プラス産とでもいうべき包括的な枠組みの中で、トキ自身や
19
日本進化学会ニュース
謝 辞
お忙しい中貴重なコメントと参考資料をご提供いただいた新潟大学の本間航介先生、佐渡市市役所の金子
高敏氏、並びに京都大学の祝前博明先生に心より感謝いたします。
March2013
* 佐渡島におけるトキの野生復帰プロジェクトでは、2015 年までに佐渡の自然下に 60 羽のトキを定着させる
ことを目標としている。
参考文献
[1]佐渡島環境大全(新潟県佐渡市発行、新潟大学佐渡市環境教育ワーキンググループ編集)
[2]Pimm & Raven(2000)Nature, 403: 843-845 写真 1.佐渡島上空を飛ぶトキ(参考資料 1 より抜粋)
第 15 回
海外研究室だより
青空と自転車と生物学の大学、
カリフォルニア大学デービス校
冨田武照(日本学術振興会特別研究員)
自転車の町、デービス
スーツケースを片手にリュックを背負い、サク
ラメント空港に降り立って、はや一年半が経とう
としている。荷物の中身はノートパソコンと本が
数冊と一週間分の服、ほぼそれがすべてだった。
当時アパートすら決まっていなかったが、米国で
研究員としてしばらくの間研究に熱中できる、そ
カリフォルニア大学デービス校(通称 UC Davis)
は 2,000 人以上の生物学研究者が所属する、米国
でも有数の生物学の大学である。実は、私が UC
Davis で研究生活を送るのは今回が初めてではな
写真 1 カリフォルニア大学デービス校のキャンパス。
自転車がとても多い。
い。博士課程二年の時に、4 か月ほど短期留学し
ていたことがある。その時の短くも充実した日々が、日本の大学を卒業した私を再びデービスに呼び戻したの
である。私は、学術振興会特別研究員(PD)として北海道大学総合博物館に所属している。しかし、学術振
興会の制度で、採用期間中の半分まで海外にいることが可能であることを知り、ならばこの機会に UC Davis
でゆっくり腰をすえて研究しようと思ったのが、渡米のきっかけである。快く送り出してくれた北大のメン
バーの方々には大変感謝している。
デービスは、カリフォルニア州の州都であるサクラメントの西約 25 キロのところにある、東西 10 キロほど
の小さくも美しい大学都市である。デービスは市全体が学生によって運営されている。例えば、デービス市
内を周回するバスに乗れば学部学生が運転手を務めているし、店に入ればレジにいるのはやはり学生だ。し
かし、なによりデービスを特徴づけるのは、その自転車の多さである。車道のわきには数メートルの幅広い
自動車専用道路があり、車に怯えず自転車を運転できる。Best of America というウェブサイトでは、Bike
friendly town の第一位にランキングされている。大学構内には Bike Barn という施設があり、自転車を修理
することもできる。当然、学期中の大学は学生達の自転車であふれかえり、広い駐輪場は色とりどりの自転
。私も前回の留学時には、毎日アパートから大学まで往復一時間、自
車で埋め尽くされることになる(写真 1)
海外研究室だより 第 回 青空と自転車と生物学の大学、カリフォルニア大学デービス校
のことだけでうれしい気持ちで一杯であった。
15
20
日本進化学会ニュース
転車をこいで通っていた。うっかり朝寝坊をすると、30 度を超える炎天下のなか自転車をこぐはめになる。
そして、研究室に着けば、疲労と共に再び眠気に襲われることになる。とはいえ、夕暮れの帰り道に、カリ
フォルニアの夕焼けを見るのは日々のささやかな楽しみであった。
March2013
デービスでの生活
私が今住んでいるアパートは、デービスの中心街からほど近い Central Davis という地区にある。このア
パートから毎日片道 30 分ほど歩いて大学に通っている。ポスドク研究員の生活とは地味なものである。午
前中に大学に行き、夕方まで研究に没頭し、そしてアパートに帰る。基本的には毎日がこの繰り返しであ
る。街には緑が
れ、季節の変化を感じながら歩いて大学に通うのは、研究で煮詰まった頭を切り替えるの
に丁度よい。今この原稿を書いている 2 月は、街のあちこちで青空を背景に咲く梨の花を見ることができる
。研究が思い通りに進まず悶々としている日の夕方も、研究室を出て、食料品店で買い物をすれば、
(写真 2)
アパートにたどり着く頃には夕食のメニューのことで頭が一杯になっている。肉と果物はとても美味しい。
Plout というアプリコットとプラムのハイブリッドはお気に入りでよく食べた。アジア系の食料品店もあり、自
炊さえ厭わなければ日本の食生活を続けることも可能である。
今回の滞在では当初から一人暮らしをしようと決めていた。米国の大学では、学生は 3、4 人でルームシェ
アをするのが一般的である。家賃も安く抑えられるし、設備も共有できるので一石二鳥である。その一方で、
デメリットもある。前回の滞在では、私は二人の米国人と一人のオランダ人学生と同居していた。そのアパー
トでは頻繁にパーティが催され、酔っ払いが真夜中にトイレと間違えて自室に迷い込んでくることが何度も
あった。さらに、住人がシャワーを使う夕方は、タイミングを逃すと数時間トイレが使えなくなるという問題
もあった。部屋選びは、場所や設備はもちろんのこと、同居人がどのような人達なのか見定めることが大切
である。今回、私はドームと呼ばれる各人が自室を持つタイプのアパートの一室を借りている。ルームシェア
に比べて家賃は高いものの、結果として正解だったと思っている。家賃は日本のアパートと大差ない。
形態進化学を牽引する二つの研究室
できる、とても魅力的な動物群である。キャンパスの南東の端に、建てられてから 4 年ほどの近代的な建物
Physics/Geology Building がある(写真 3)
。この二階が私の所属する古生物学研究室である。ここには、盲
目の自然科学者であり Escalation theory の提唱者としても有名な Geerat J. Vermeij 博士の他、4 人の古生物
学者が所属している。
15
そのなかで私が席をおくのは、古脊椎動物学を研究する藻谷亮介博士の研究室である。私はこの研究室で
写真 2 デービス市街。咲いているのは梨の花。
海外研究室だより 第 回 青空と自転車と生物学の大学、カリフォルニア大学デービス校
私は学部生のころからずっと、サメの進化を追い続けてきた。サメは、私たち脊椎動物の初期進化を解明
写真 3 Physics/GeologyBuilding。この二階に古生
物学研究室はある。
21
日本進化学会ニュース
数人の学生達と一緒に研究を行っている。とは言っても、研究手法や扱っている分類群は皆ばらばらであり、
各々が完全に独立したプロジェクトを持っている。学生の扱っている分類群も、魚類、海生爬虫類、鳥類な
ど様々である。
「最近どう?」というのは皆のお決まりの挨拶であり、
「最近君の研究はどう?」
「最近面白い結
果は出た?」
「最近面白い研究はあった?」などの様々な意味合いを持つ。学生達との日々の団らんは、最新
March2013
の研究動向を知ることができる刺激的で楽しい時間である。
この研究室の最大の特徴の一つは、形態の数値解析能力の高さである。研究室には二台の三次元スキャナ
の他、三次元プリンタ、三次元の形態データを解析するためのコンピュータがあり、研究室の学生は自由に
使うことができる。これらの機器を用いて、化石や現生の動物から三次元の形状を数値化し、様々な解析に
用いることができる。3 次元データの一部は、3DMuseum.org というウェブページで公開されているので、興
味がある方は覗いてみてほしい。さらに、コンピュータ・プログラムが強いのもこの研究室の特徴である。初
歩的なことから相談できるのでとても勉強になる。研究環境はいたって自由だ。学生も授業やティーチングア
シスタントの仕事さえ無ければ、好きな時間に研究室に来て、好きなだけ研究をすればよい。結果さえ出し
ていれば問題ない。この原稿を書くにあたって、学生の何人かに研究室の魅力を聞いてみたところ、
「なにか
をやりなさいとは言われたことは一度もない。しかし相談すれば具体的な助言をもらえる」と答えていた。私
も全く同感である。のびのびと大好きな研究をしたい者にとって、これ以上の環境はないだろう。
もう一つ紹介したいのは、藻谷研究室とも接点が多い Department of Biology and Ecology の Peter C.
Wainwright 博士の研究室である。Department of Biology and Ecology は常に自然科学系で全米ランキング
トップ 3 に入る強いプログラムを持つ学部である。特に Wainwright 博士の研究室は、魚の機能形態学の研究
室として非常に有名で、私は毎週不定期に行われるラボ・ミーティングに参加している。ラボ・ミーティング
では、テーブルを囲んで参加者の一人が研究発表を行い、その内容について討論するというという形式で行
われる。お互いの研究の粗を探すのではなく、未解決の問題にどうアプローチするかをフランクに議論できる
点は、日本の研究室は大いに学ぶべきところであると思う。私が発表者だった時も、楽しくおしゃべりをし、
時間があっという間に過ぎたという印象であった。この研究室は、水槽が並ぶ実験室を持っており、ハイス
ピードカメラを用いた、魚の摂食行動や遊泳行動の研究が行われている。藻谷研究室同様、学生が扱う動物
形態学、系統学、古生物学、コンピュータ科学などの様々な分野が、進化学の下で統合されている点である。
研究分野の守備範囲の広さが、学生の研究の多様性を担保しているのであると思う。進化という複雑な現象
を理解するためには、様々な分野による統合的な研究が必要であることは、考えてみれば当然のことである。
海外研究室だより 第 回 青空と自転車と生物学の大学、カリフォルニア大学デービス校
群は、魚以外にも、イカ・タコからトカゲまで多岐にわたっている。両研究室に共通して言えることは、機能
15
Arboretum と Veterinary Medical Teaching Hospital
研究に疲れたら、キャンパス南東の川沿いにある Arboretum の散歩道を歩いてみるとよい。Arboretum
(樹
木園)という名の通り、ここには様々な植物が植えられており、景色を見ながら一時間ほどの散歩を楽しむこ
とができる。子供連れの家族も良く歩いており、のどかな雰囲気を味わえる。その散歩道に沿って南に歩い
ていくと、大学の牧場が現れる。UC Davis は、もともとカリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)の
農学部として、約 100 年前に設置され、後に総合大学として独立したという歴史をもつ。夕方になると、私
のいる建物まで馬の臭いが漂ってくることがあり、UC Davis がもともと農学部であったことを思い出させら
れる。ちなみに UC Berkeley へは UC Davis から電車に乗って一時間ほどで行くことができる。同じカリフォ
ルニア大学でありながらキャンパスの雰囲気が全く異なっており興味深い。
さて、川沿いをさらに南下すると、遠くに Veterinary Medical Teaching Hospital(VMTH)という巨大な
施設が見えてくる。これは獣医学部の付属病院であり、馬が入る MRI や CT スキャンの設備がある。私も以
前、フロリダで手に入れた 5 種類のサメをクーラーボックスに入れて病院に運び込み、CT スキャンで撮影し
てもらった。サメを持ち込んだのは君が二人目だと X 線技師の人が笑っていた。同業者は意外に近くにいる
ものである。
22
日本進化学会ニュース
さいごに
私の米国での研究生活にも終わりが近づいている。今となっては楽しかったことしか思い出せない。日本
には日本の、米国には米国の良さがあるという言葉で片付けることは簡単であるが、米国で研究生活を送っ
てこそ見えてくる違いは確かにある。業績主義は日本より徹底されており、研究者は数年後の生き残りをか
March2013
けて日々の研究に打ち込んでいる。日本にもこの業績主義の波は確実に押し寄せてきていると思う。研究者
の権利についての考え方も違う。さらに重要なことは、最新の研究に関する情報の風通しの良さである。論
文がインターネット上で手軽に入手できるようになって久しいが、学生や研究者との会話から「小耳にはさ
む」情報量が日本に比べてずっと多いように感じる。この新しい情報への風通しの良さは、授業の内容にも強
く反映されている。
UC Davis に限らず、海外で研究を行うチャンスのある人は是非海外に出ることをお勧めしたい。海外でし
か得られない研究環境も十分魅力的だが、海外で感じた手ごたえは将来の研究人生において確かな自信に繋
がるはずである。
第 166 回農林交流センターワークショップ
「分子系統学の理論と実習」体験記
角井敬知(北海道大学大学院理学研究院)
タナイスという小型水生甲殻類を研究している角井と言います。いつもは主に記載分類学的研究を進めて
いるため、本紙面上に現れたことは自分でもとても不思議に思うのですが、執筆のお話をいただいたので書
かせていただきます。タナイスのおもしろ話をしたいのはやまやまですが、題名の通り、参加しましたワーク
ショップについてです。
昨年 10 月 31 日から 3 日間、筑波農林研究交流センターで開催された「分子系統学の理論と実習」という
ワークショップに参加してきたので報告させて頂きます。本ワークショップは「分子系統樹の的確な推定に
必要な基礎的理論(進化生物学、分子進化学、統計学ならびにバイオインフォマティクス)を講義するととも
ですが、毎回定員(30 名)を大きく上回る応募があるらしく、私も 2010 年に落選して二度目の今回、受講が
叶った次第です。きっと 2 年前よりもよい受講希望理由が書けていたのだと思います(なお一度落選した二度
目のチャレンジャーは 無条件で 通したとのことです)
。朝 9 時から夕方 17 時まで講義と実習漬けの 3 日間、
久しぶりに学生に戻ったかのような錯覚に陥りながら、非常に濃い時間を過ごしました。
そもそも私が本ワークショップに参加したいと思ったのは、タナイスの分子系統解析のために必要な知識・
手法を学び直したいと考えたからです。私はこれまで分子系統学的手法を用いたタナイスの論文を二報発表
していますが、共同研究者の知識に依った部分が多く、自力で完遂したとは言えないものでした。また、次
世代シークエンサー利用といった近年流行りの(?)手法についても全く知識が無く、そのことも聞けたらな
と考えたのも動機の一つです。なお他の参加者の方々の専門は、集団遺伝学、メタゲノム解析、育種学、共
進化解析などで、様々な分野からの参加があったようです。
それではワークショップ自体について述べていきます。本ワークショップはコーディネーターの三中信宏先
生をはじめとする計 11 名の講師の方々による講義とプログラミング実習からなりました。初日は「生物体系
学概論(三中先生)
」
、
「分子進化学と分子系統学(斎藤成也先生)
」
、
「ゲノム情報の探索と配列のアライメント
」の 4 コマ、二日目は「分岐
(伊藤剛先生、田中剛先生)
」
、
「MEGA5 を用いた分子系統解析(田村浩一郎先生)
166
回農林交流センターワークショップ﹁分子系統学の理論と実習﹂体験記
樹を推定するために必要な技法を習得」することを目的としたもので、ここ数年毎年開催されているそうなの
第
に、パソコンを用いたデータ解析ならびにプログラミングのコンピュータ実習を行い、受講者が自力で系統
23
日本進化学会ニュース
年代のベイズ推定(井上潤先生)
」
、
「系統学が解き明かす魚類進化の (宮正樹先生)
」
、
「系統ネットワークの
理論と応用(北野誉先生)
」
「系統樹推定結果の表現と認識(岩崎渉先生)
」の 4 コマ、最終日は「分子系統樹に
基づく共進化の分析(川北篤先生)
」と田辺晶史先生による 4 コマ「分子系統樹推定に適した配列データセット
の作成」
、
「分子進化の統計モデリングとモデル選択」
、
「最尤系統樹推定と系統樹の信頼性評価」
、
「系統樹・
March2013
系統仮説の可視化と系統仮説間の統計的比較」
、そして質疑討論という内容でした。題名列挙は実習の濃さ
を少しでも味わってもらうためやってみましたが、読み飛ばされた方も多いでしょうか。ちなみに上に書いた
[1]
内容は三中先生の Tumbler
上にも書いてあります。各講義資料も同所にて手に入れることが出来ます(こ
れが本文章中で一番有益な情報な気がします…)
。
さて初日の 4 コマは、系統樹・ネットワークの実体と作成に係わる基礎知識についての講義、および塩基・
アミノ酸配列のアライメントの実習からなりました。三中先生の講義は、生物、宗教、写本などを対象とした
系統樹・ネットワーク自体を参照しながら、系統学・分類学・進化学の視点の違いと関係性を学ぶというも
のでした。ワークショップの性質上、系統学に重きが置かれていましたが、紹介いただいた先生の著書を後
日読んだ感想としては、それらで他の二つについては補完できる印象です。斎藤先生の講義は、2013 年出版
[2]
予定の先生の著書
の内容をベースに、塩基置換パターン、突然変異と進化速度、種分化と遺伝子系譜の関
係、系統ネットワーク、塩基置換モデル、近隣結合法の解説などを触れられました。講義時間に対する内容
量の多さからかテンポが速く、どれも大事な話だったと感じましたが全く初めての方には少しきつかったかも
しれません。アライメントの講義・実習は、伊藤先生から ClustalX を、田村先生から MEGA5 を用いる方法
を教わりました。伊藤先生の講義でアライメント時の注意点等を学んだ後、両ソフトおよび NJplot などを用
いて、配列データベースからの配列ダウンロード、アライメント、系統樹作成、ブートストラップ検定まで自
分で手を動かして行いました。実習はいずれも丁寧なハンドアウトをもとに自力で進められるようになってお
り、時間中自由に質問が出来、その都度疑問を解消できるようになっていたのが非常によかったと思いまし
た。4 コマ終わった後は交流会。大量の食事が我々に をむきました。
二日目の 4 コマは、主に系統樹・ネットワークを作成した後の扱いについて焦点が当てられていたように
思います。井上先生の講義は、系統樹に分岐年代を与える方法についてで、ベイズ分岐年代推定と MCMC-
TREE というソフトウェアについての説明と同ソフトを用いた実習という内容でした。数式およびコマンドプ
ロンプトにあまり慣れていない私はついていくのでやっとでしたが、一度やってみることが重要だったのだと
後日ゆっくりやり直してみた時に思いました。宮先生の講義は、先生が進めてこられた、ミトコンドリアゲノ
の作成方法と手法間の結果の違いなどが扱われ、実習も行われました。本講義により、ネットワークが格子
模様(すみません)から少しだけ身近な存在になりました。岩崎先生の講義は、最善系統樹がマスクする情報
を救済する方法について、先生の開発された車輪樹法を中心に学ぶものでした。各枝の一番高いブートスト
ラップ値以外にも目を向けるべきという視点は、私にとってはとても新鮮で、私を悩ませているタナイス目内
外の高次分類群の分岐の曖昧さについて、一つの解決(表現)法に成り得ると感じました。4 コマ終わった後
はラーメンを食べました。どうでもいいですね、どうでもいいですが筑波農林研究交流センターの近くには食
事処が少なすぎます。
最終日は、川北先生の共進化分析についての講義・実習と、田辺先生の総まとめ的な講義・実習群からな
りました。川北先生の講義は、先生が扱ってこられた昆虫-植物間の共種分化解析を例に、これまで同分野
で用いられてきた解析法(TreeMap > Event-based method > Parafit)とソフトウェアについて、特徴と問
題点を合わせて時系列順に見ていくと言うものでした。2 本の系統樹を重ね合せて解釈する、その難しさを手
法の発展を通して垣間見ました。田辺先生による講義・実習群は、配列データの準備、アライメント、系統
樹作成、信頼度検定について復習し、樹形比較を新たに学び、全てを通して実際やってみるというものでし
た。なぜ何がダメなのか、どうすべきなのか、簡潔な文章と平易な図からなる視覚的な講義は、初日の講義
166
回農林交流センターワークショップ﹁分子系統学の理論と実習﹂体験記
との重要性と発見の楽しみがビシビシと伝わるとても面白い講義でした。北野先生の講義は、ネットワーク
第
ム配列情報に基づく魚類の系統進化学的成果についてご紹介いただくものでした。戦略的に研究を進めるこ
24
日本進化学会ニュース
の効果もあり非常にわかりやすいものでした。実習は必要プログラム等が整えられた環境の下、一動作ずつ
(一クリックずつ!)ページ分けされた PDF 資料に従いポチポチ進めるもので、ふと気づけば信頼度付系統樹
を作り既存の系統仮説と比較できるようになっているという程スムースなものでした。高校の時に感じた板書
を写してわかった気になった感覚に近いです。スムースさゆえの自力やり直しが必要だと感じました。それほ
March2013
ど講義として完成度が高いと感じました。この日の夕飯は秘密です。興味ないですよね。
以上、3 日間の内容に全て触れてみるという形を採ってみました。なんとも毎日の一言日記のような体験
記になってしまい恐縮です。最後に分子系統解析を目的とする参加者という立場から全体の感想を述べたい
と思います。まず、適切なデータセットとは何か、アライメントで気を付けるべきことは何か、再整理できた
のがよかったです。特に組成均一性が棄却された場合の対策は知らなかったので、とてもためになりました。
次に、様々なソフト・コマンドを実際使う経験が出来たのがよかったです。系統樹作成に係わるソフトにつ
いてはもちろんのこと、分岐年代推定や共進化分析などは、本ワークショップに参加しない限りなかなか触
れる機会を作れなかったと思います。最後に、ワークショップとは概してそういうものかと思いますが、気に
なったことを直接質問できた点がよかったです。講義後もいらっしゃる先生が多く、私も休憩時間などにいく
つか質問させていただき疑問を解決することが出来ました。最後の最後に、気になったことに一点のみ触れ
ます。それは各先生方の考え方の違いです。どうしようもないことなのかもしれませんが、各先生が好む解
析方法や手法が異なっているため、時に競合し、結局どちら(どれ)を採用すべきか分かりにくい点がありま
した。それも含めて多様性を体験すればいいのかとも思いましたが、ワークショップ全体として矛盾の無いよ
うにしていただけると、私を含め当分野に明るくないものにとってはよりありがたいと思いました。
長々と書いてまいりましたが、本ワークショップへの参加は、分子系統解析を目的に研究を始めたばかりと
言える私にとっては非常にためになるものでした。その他の専門分野の方々にとってどのようなものだったか
わかりませんが、本体験記が来年度以降(も続くことを願っております。
)の参加を検討されている方の参考
に少しでもなれば幸いです。
引用ウェブサイト・書籍
[1]http://leeswijzer.tumblr.com/post/28828424773/2012-166
[2]Saitou N.(forthcoming)Introduction to Evolutionary Genomics. Springer.
OWECS 2012 Meeting Report
栗田喜久(九州大学附属水産実験所/日本学術振興会特別研究員PD)
次世代シーケンサーの登場により、生物学の様相は大きく変わりつつある。それまで多額の資金とマンパ
ワー、そして長い時間を必要としていたゲノム解読やトランスクリプトーム解析が、次世代シーケンサーの普
及に伴い、近年では各研究室単位で行えるようになった。この技術革新に伴い、長らく進化発生学の分野に
り越えられるものとなり、研究対象として扱える分類群や内容は格段に広がったように感じられる。とはい
え、実際に次世代シーケンサーを使った研究を行うために必要な技術や知識まで平易なものになったかとい
うと、少なくとも私の目前には、いまだ高い壁が存在している。
2012 年の夏、新たに立ち上げようとしていた研究プロジェクトには次世代シーケンサーを利用したゲノ
ム情報の解析が不可欠であるという現実を前に頭を抱えていた私は、某短文投稿型 SNS で OIST Winter
Course "Evolution of Complex Systems"(以下 OWECS)なる集中講座の告知を見つけた。なんとなしに調
OWECS2012MeetingReport
そびえ立っていたモデル/非モデル生物間の壁は(すくなくともゲノム情報という点に関しては)
、容易に乗
25
日本進化学会ニュース
べてみると、OWECS は沖縄科学技術大学院大学(OIST)のマリンゲノミクスユニットが、毎年開催している
進化発生学分野の集中講座であり、世界中の大学院生や若手ポスドクを受講対象としている。特に私にとっ
て魅力的だったのは、世界各国から集まる講師陣の顔ぶれだった。マリンゲノミクスユニットが運営してい
るだけあって、比較発生や形態形成といった従来の進化発生学的アプローチだけでなく、そこに次世代シー
March2013
ケンサーによる解析を組み込み、ゲノム進化と形態進化との関係解明に第一線で取り組んでいる研究者が
OWECS の講師として参加していた。渡りに船…。すかさず私は、今私の直面しているゲノム解析技術に関
する疑問や問題についてその道のプロフェッショナルに学びたい、という情熱を綴り応募したところ、幸運な
事に採択していただいた。
ただ、燃えたぎる情熱こそあれど、学生や若いポスドクには経済的な理由からこのような遠方の講座に足
を運ぶのをためらう人も少なくないと思う。当時、米国オレゴン大学のポスドクであった私も例外ではなかっ
た。そんな私にとって OWECS の参加費用支援システム(交通費、宿泊費、食費までもが無料!)も今回の
参加を決定づけた大きな理由の一つである。あとで聞いた話では、やはりそれはどの参加者にとっても同じ
だったらしい。すばらしい講師陣と参加費無料という魅力的な条件のためか、13 カ国からの受講生が集まる
実に国際色豊かなコースとなった。
OWECS は 2012 年 12 月 3 日から 8 日の 6 日間、OIST のシーサイドハウスという宿舎兼会議場のような建
物(オーシャンビューのプライベートビーチ付き!)で開催された。コースは 13 名の講師がおのおのの研究内
容を軸に 2 - 3 時間ほどの講義を行う形式で進められ、朝 9 時過ぎから昼食の時間を挟んで、夕方までかな
りみっちりと講義は行われた。また講師の方々のうち何名かは夕食も受講生と一緒にとっていたので、講師
を囲んで酒をのみながらの議論が夜更けまで続くこともあった。講義で取り上げられる内容は幅広く、脊椎
動物のほかにも、尾索、半索、棘皮、軟体、節足動物における古典的な問題意識から最新の知見までがレ
ビューされていた。今回は Deuterostome Evolution(新口動物の進化)というテーマの企画講義が組まれて
いたため、棘皮や脊索動物のゲノムと形態の進化を専門とした講師が多かったようだが、講師陣は毎年変わ
り、それに従って講義内容も変わるとのことだ。とてもありがたかったのは、どの講師も用語や概念について
かなり丁寧に説明してくれたため、節足動物や脊索動物の発生や形態に明るくない私にも内容をフォローし
やすかった。
なかでも UC Barkeley の Daniel Rokhsar 教授による後生動物の多様化とゲノム進化に関する講義と同大の
Mike Levine 教授によるエンハンサーと形態進化の講義は印象的だった。Rokhsar 教授の講義では進化生物
学に関する内容もさることながら、最近解読されたカサガイやヒルなどの未発表のゲノム情報を用いた動物
界の系統樹作成方法や、染色体上の位置と変異の発生頻度との関係の示し方などが丁寧に解説され、技術的
な面でも学ぶ事が多かった。Levine 教授の講義で紹介された複数のエンハンサーが遺伝子発現を制御するよ
OWECS2012MeetingReport
写真 1 OIST シーサイドハウスの前にて集合写真
26
日本進化学会ニュース
うになることで発生や表現型が安定化すると
いう知見については、すでに氏の論文で発表
されており知った内容だったが、論文では触
れられていないエンハンサーの進化速度と表
March2013
現型の揺らぎ、そして遺伝的同化との関係に
ついて Levine 教授と講義後に直接議論できた
のはエキサイティングな経験だった。
こうした講義のほかに、ワークショップで
は自己紹介を兼ねた研究発表を行った。これ
が初日にあったことが良いアイスブレイクと
写真 2 会場の様子
なり、見ず知らずの受講生間でも互いの研究
内容について議論しやすい雰囲気が作られた。
ぜひともこのワークショップの日程は今後も継
続していただきたい。ワークショップを終え
て意外だったのは、進化発生学以外のさまざ
まな分野の研究者が多く参加していたことだ。
ざっと私が覚えているだけでも、ゴカイの再生
に関する発生学、メタゲノミクス解析を利用し
た環境学、地球温暖化が生物の拡散や発生に
与える影響をみた生態-発生学、さらには南
米の昆虫の遺伝的多様性の評価を試みる保全
生物学などだ。夕食時、彼らに OWECS に参
写真 3 講師を囲んでの議論は夜更けまで続く
加した動機を聞いてみたところ、私と同じく次
世代シーケンサーをもちいた解析手法を学びたいというものもいれば、発生学のできる共同研究者を探しに
きたというもの、自分の研究に進化生物学的なアドバイスをもらいにきたものなどがいた。彼らとの議論は新
鮮で、そこから学ぶ事も多かった。参加の理由は様々でも、各受講生が目的意識をもって集まっていためか、
会期を通じてあちらこちらで熱い議論が交わされていたのが印象的だった。私自身、こうした受講生の裾野
の広さも OWECS の魅力のひとつだ。自分は進化発生学やってないから、と思っている学生の方々にはぜひ
物怖じせず応募していただきたいと思う。
今回 OWECS に参加し、本当に夢のような様々な経験ができた。節足動物の分節形成機構に関する研究で
有名な Patel 博士には蝶々の写真の撮り方を教えていただき、シュペーマンオーガナイザーの研究の第一人者
である Gerhart 博士とは一緒に美ら海水族館をまわらせていただいた(もちろん生き物についての議論を交わ
しながら)
。論文でよく名前を見かける憧れの研究者と、このような学会でもできないほどフランクでしかし
濃密な議論をする機会が、今後の研究者人生の中で一体どれだけあるだろうか?こうして楽園沖縄での一週
間はあっという間に幕を降ろした。ちなみに私が OWECS に参加した主目的であったゲノム解析問題はどう
なったか、というとルームメイトが軟体動物ゲノム解析のスペシャリストだったという奇跡の出会いによりな
る。聞く所によると海外からの参加希望者は多いが、日本国内からの応募はそう多くないらしい。年末の喧
噪、極寒の本州を離れ、一週間常夏の島で異国の同志とエキサイティングな議論を交わすのも良いのではな
いだろうか?
最後に、このような素晴らしい講座を開催して下さった佐藤矩行教授をはじめとする OIST マリンゲノミク
スユニットの皆様には受講生を代表してお礼申し上げます(解散後、那覇空港へ向かうバスの中で報告文を
書くかもしれないと他の受講生に言ったところ、ぜひ受講生全員からの謝辞にしてくれ、と言われましたの
OWECS2012MeetingReport
んと OWECS 開講前夜にはすでに晴れて解決していた。彼とはこれから共同研究を開始することになってい
27
日本進化学会ニュース
で、そのようにお受け取りいただければありがたいです)
。またこの報告文を書く機会をお与えくださった理
研 CDB の工樂博士には厚くお礼申し上げます。
March2013
「智慧の樹」再訪
【4】系統樹曼荼羅:データ可視化と情報グラフィクスの観点から
(The Tree of Knowledge Revisited: 4. Phylogeny Mandala
from the Standpoint of Data Visualization and Information Graphics)
三中信宏(農業環境技術研究所/東京大学大学院農学生命科学研究科)
本連載の前回記事(13 巻 2 号、2012 年 7 月)を書いたころから、ここ
数年手がけていた本の出版に向けての作業が本格化した。これまで経
験したことのないほど多くの図版を含む本だったので、いろいろ戸惑う
こともあり、予想以上に時間もかかったのだが、幸い昨年の晩秋に上
梓することができた:三中信宏(文)
・杉山久仁彦(図版)
『系統樹曼荼
羅:チェイン・ツリー・ネットワーク』
(2012 年 11 月刊行、NT T 出版、
。連載内
東京、255 pp., 本体価格 2,800 円、ISBN:978-4-7571-4263-3)
容と深く関係する本なので、この本の紹介と宣伝かたがた、今回はこ
の新刊を取り上げてみたい。
多様なオブジェクトを分類し整理することはわれわれ人間にとって
根源的な重要性をもつ認知行為である。地球上の生物を分類する生物
分類学が紀元前 4 世紀のアリストテレス以来もっとも古い生物学の基盤
的分野だったことは偶然ではない。
「生物」というオブジェクトをヒト
の観点から体系化することは、客体としてのオブジェクトの本質と属性を追究するというサイエンスの出発点
だった。
﹁智慧の樹﹂再訪 ︻
ための方法論が収斂的に共通の要素をもっていることに気づかされる。
4
「言語」や「写本」の変異と変遷を究明する研究が生物学とは独立に進展してきた。
「生物」
・
「言語」
・
「写本」
という一見なんの関係も持たないオブジェクトの多様性と変化は別々の学問分野において研究されてきた。
もっとも重要な共通要素は、いずれの分野も分類体系化のために「図像」を頻繁に用いてきたという歴史的
事実である。つまり、分野を超えてわれわれはオブジェクトの多様性を直感的に理解し、他者とコミュニケー
トする目的で、系統樹・地図・ダイヤグラムのようなさまざまな図像表現をしてきたということである。ここ
でいう図像は単なる「絵」ではなく、むしろオブジェクトについて理解するための「図形言語」であると認識し
なければならない。
文理の壁を越えて「図像」がオブジェクト世界の理解のための指針となるとき、われわれはその図形言語を
読み解くためのリテラシーが必要になる。過去一千年以上にさかのぼる分類体系化のための図像群の解読に
もまたそれなりのリテラシーが読み手に求められている。
「系統樹」を中核
遺伝子情報にもとづく分子系統樹の知見が新聞の第一面を飾ることがまれではない昨今、
とする分類体系化のための図形言語は一般読者にとって無縁のものではない。また、過去数世紀にわたる古
写本や彩色図譜の図版プレートは、芸術的・デザイン的の観点から見るならばその斬新な視点はイマジネー
ションの源泉となるだろう。
このような動機のもとに、今回出版された『系統樹曼荼羅』では、古今東西の系統樹をはじめとする分類
︼系統樹曼荼羅 データ可視化と情報グラフィクスの観点から
しかし、あらためて通分野的に鳥瞰することにより、われわれは「変異・変化するオブジェクト」を解明する
この基本的方向性はけっして生物学だけに限定されてはいない。歴史言語学や古典文献学においても、
28
日本進化学会ニュース
体系化に関わるさまざまな図像を蒐集し、カラーおよびモノクロ印刷での復刻と解説によって、サイエンスと
アートのはざまに開花した「図形言語」としてのチェイン、ツリー、そしてネットワークの歴史的様相をいま
一度見直すとともにその現代的意義を再考する意図があった。
本書の目次構成は下記のとおりである(詳細はコンパニオンサイト http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/
March2013
:
files/PhylogenyMandala.html を参照されたい)
はじめに
プロローグ:世界を覆いつくす系統樹--そのルーツを探る
:多様な生物界の図像化
第 1 部「生物樹」
第 1 章 エルンスト・ヘッケルの生物時空系統樹
第 2 章 進化の樹:チャールズ・ダーウィンの末裔
第 3 章 鎖と樹と網:系譜のとり得るかたち
第 4 章 三次元系統樹のもつ新たなヴィジュアル性
第 5 章 分類体系は系統樹の時空的断面である
第 6 章 円から球へ:高次元系統樹を描く
第 7 章 文字テクストと図像パラテクスト
:人間に直結する家系図
第 2 部「家系樹」
第 8 章 祖先の蔭に護られて:系統樹二千年の歴史をさかのぼる
第 9 章 家系図の図像学:生命の樹と唐草模様
第 10 章 新大陸先住民の知識体系としての生命の樹
第 11 章 人間の綱:血のつながりを視覚化する図像的伝統
:森羅万象は系譜となる
第 3 部「万物樹」
第 12 章 知識の樹は枯れることなく生い茂る
第 13 章 体系と知識を可視化:存在の連鎖からマップへの道
第 14 章 文化構築物としての写本の系統と進化
﹁智慧の樹﹂再訪 ︻
系統樹リテラシーのために
4
第 16 章 万物系統樹:姿変わればあまねく系譜あり
第 17 章 アートとしての系統樹
参考文献
索引
第 1 部「生物樹:多様な生物界の図像化」では、生物の体系学と系統学をカール・フォン・リンネの時代か
らチャールズ・ダーウィンとエルンスト・ヘッケルの生きた 19 世紀を経て現在にいたるまでたどる。続く第
2 部「家系樹:人間に直結する家系図」では、生物の世界から人間社会に視点を移し、家族の家系や系譜の
グラフィックな視覚化が、キリスト教社会、イスラーム圏、さらに新大陸のマヤやアステカにまで普遍的に見
られることを示す。最後の第 3 部「万物樹:森羅万象は系譜となる」は、生物以外のオブジェクト(言語・写
本・芸術・工芸・建築・もろもろの文化構築物)における系統関係の可視化の可能性を見渡す。
系統樹として描かれる系譜は、生物の進化だけにかぎらず、一般的なオブジェクトにも広く適用できると
述べてきた。言語系統樹や写本系譜図、さらには芸術・建築・宗教など文化構築物の時空的な変化もまた系
統樹として表現できる。その実例はすでに数多く挙げてきた。しかし、系統樹という図式表現はわれわれが
想像する以上に日常生活の中に広く深く浸透している。
︼系統樹曼荼羅 データ可視化と情報グラフィクスの観点から
エピローグ:曼荼羅鳥瞰--系統樹を生みだす人間という存在
第 15 章 時空的に変遷するオブジェクトの系統樹
29
日本進化学会ニュース
複雑で多様なオブジェクトの様相を理解するために長きにわたって用いられてきた図形言語、とりわけ系
統樹に代表されるグラフィクスは、データの視覚化と情報の可視化のために考案された表現ツールである。
現代社会のなかで出現し続ける新たなオブジェクト群に対しても同じような適用が可能であることは十分に予
想できる。オブジェクトのちがいを超越して、系統樹やネットワークによってその多様性を表現することによ
March2013
り理解や把握を助ける体系化が実現していることがわかる。
系統樹やネットワークによる多様なオブジェクトの体系化と視覚化は、思いもよらない身近なところにその
実例をいくつも見出すことができる。時空的に変遷しつつ姿形を変容させるオブジェクトがあれば、その軌跡
はかならず系統樹などの図形言語を用いて表現することができる。その意味で万物は系統樹をもつ。
ツリーやネットワークのようなさまざまな図像がオブジェクト多様性を語る図形言語として幅広く用いら
れてきたという事実は揺るがない。鎖が表現する直線的な関係性、系統樹が描き出す分岐的かつ階層的な関
係性、あるいはマップ(ネットワーク)が含意する非階層的な関係性はいずれもオブジェクト集合のもつ構造
の視覚化によってはじめて明らかになる。つまり、系統樹などの図形ツールはこの点で情報学的に役に立つ
ツールだった。
ギリシャ時代の「存在の連鎖」
、旧約聖書の「エッサイの樹」
、中世記憶術の「学問の樹」
、家系図が帯びる
「生命の樹」
、写本や言語の「系図」
、そして生物進化の「系統樹」などの実例は、パラテクストとしての図像が
オブジェクト多様性に対する人間側の理解を達成する有効な手段だったことを示している。ヒトのもつ乏しい
認知能力と記憶能力を補佐するツールとしての存在意義があるからこそ、これらの図形言語が現在もなお用
いられているのだろう。
しかし、情報学的な有用性だけがこれらの図像のもつ価値のすべてであると言い切ることはおそらくでき
ないだろう。図像表現の長い歴史をふりかえるとき、情報ツールとしての役割は実はごく最近になってようや
く認識されたと言う方がむしろ正しいだろう。その認識が広まるまではオブジェクトの体系化や視覚化のため
の補助ツールとしてこれらの図式言語は存続してきた。そのとき、描き出された体系的パターンのもつ「美し
さ」の感覚を抜きにして議論を閉じるわけにはいかない。生物や一般のオブジェクトが審美的存在であるなら
ば、それを体系化したパターンもまた「美しい」とみなされるだろう。
多様性を可視化する図像がツリーであれネットワークであれ、それらがもつアーティステックな表現様式に
とは関係なく(図像を読み取るための図像リテラシーの有無とは関係なく)
、われわれは「絵」としてそれらを
鑑賞 することができる。しかも、これが図像のもつ直感的アピールという長所であり、同時にその意味や
文脈を深く読み込ませない短所でもある。
れば、それを図的に表現したパラテクストとしての図像もまたその「美」を明示的にあるいは暗示的に継承し
ているにちがいない。
本書でたびたび登場するエルンスト・ヘッケルは、チャールズ・ダーウィンと同時代に生きながら、イギリ
スとは異なるドイツ・ロマン主義の大きな潮流の中で、彼の進化思想を育んだ。ヘッケルの人並み外れた画
才は「系統樹」という図形言語にあらたな力を与えた。もちろん、
「樹」という図像は生物学において誕生した
わけではなく、もっと古い図像学的ルーツがある。しかし、そのような使い古された「樹」という図像をダー
ウィン進化論と結びつけて、時代の最先端に据えたのはヘッケルにほかならない。ヘッケルが描き続けた系
統樹は生命力をもって繁茂する「生命の樹」の絵画的あるいは審美的なイメージを読者に喚起させた。
言葉と図像をなめらかに行き来する類まれな才能は確かにヘッケルならではのものだったかもしれない。し
かし、多様なオブジェクトの構造とパターンを描き出すダイアグラム(チェイン、ツリー、ネットワーク)のも
つ情報性と審美性は、これほど長い歴史をたどってもなお
み尽くせないさらなる可能性が秘められている。
本書『系統樹曼荼羅』にサンプリングされたさまざまな図像はもっと大きな母集団から抽出された一部分に
すぎない。とくに、中国を含む東アジア地域のサンプリングが疎であることは否定できない。今年の二月は
4
︼系統樹曼荼羅 データ可視化と情報グラフィクスの観点から
科学における「美」をテクストとして書き出す行為が博物学という生物を対象とする分野を構成したのであ
﹁智慧の樹﹂再訪 ︻
惹かれる読者はきっと少なくないだろう。描き手がこれらの図像を通じて読み手に伝えようとしたメッセージ
30
日本進化学会ニュース
じめに吹田の国立民族学博物館で開催された国際シンポジウム〈
「樹」について考える〉に参加したおり、講
演後の質疑でドイツのマックス・プランク進化人類学研究所の言語学者 Søren Wichmann さんから「アジア
とくに中国でも 生命の樹 のモチーフが描かれていたのか?」という質問を受けた。靳之林の著書『中国の
生命の樹』
(1998)あるいはロジャー・クック(1982)や杉浦康平(2000)を参照すると、中国における「生命の
March2013
樹」の観念史は何千年もさかのぼることが判明する。
たとえば、紀元前三世紀に編まれた『荘子』の第十八 「至楽」には以下のような記述がある:
「種有幾、得
水則為繼、得水土之際則為蛙
蝴蝶。蝴蝶胥也化而為蟲、生於
之衣、生於陵屯則為陵
、陵
下、其狀若脫、其名為
為斯彌、斯彌為食醯。頤輅生乎食醯、黃軦生乎九
、
得鬱棲則為烏足、烏足之根為
掇。
螬、其葉為
掇千日為鳥、其名為乾餘骨。乾餘骨之沫
芮生乎腐蠸、羊奚比乎不囗、久竹生青寧、青寧生
「幾」
)
程、程生馬、馬生人、人又反入於機。萬物皆出於機、皆入於機」
。すべての生物の 種 には 胚種(
があり、その 胚種 が転変することにより、生物は変化し、最終的に人間が生じるという観念がここには述
べられている。結語の「萬物皆出於機、皆入於機」すなわち「万物は胚種から生じ、胚種に返る」という表現
は原初的な進化思想あるいは系譜思想の発現とみなすことができる。
『系統樹曼荼羅』のテーマ音楽は、本書扉に引用したとおり、アストル・ピアソラ作曲のオペリータ〈ブエノ
スアイレスのマリア〉が指定されている。アルゼンチン・タンゴが擬人化された マリア はタンゴという音楽
ジャンルがたどった栄枯盛衰を自ら反復しつつ、子どもを産むことで歴史的な継承を象徴する。すぐ近くま
で手が届くように見えてするりと身をかわし、それでいていつもどこかにその存在を直感させる観念。私は系
統樹観念をこの マリア になぞらえている。
系統樹を探し求める旅路に終わりはない。
『系統樹曼荼羅』の出版後も系統樹図像に関するさまざまな情報
やサンプルを蒐集している。とりあえず、散逸しないように備忘メモとして私のブログ〈archief voor stam-
bomen〉http://leeswijzer.hatenablog.com/ でそのつど公開している。それらの情報片は将来なにかの形を
なすことになるかもしれない。
最後に、
『系統樹曼荼羅』メイキングの 裏話 をひとつ。本づくりには何はさておき文字テキストがなけれ
ばどうしようもない。これまで私が書いた本は文字が主役で、本文テキストさえ用意できれば、あとは脇役の
図版を付け足せばそれでよかった。しかし、今回の新刊では執筆方針を根本的に変更した。共著者の杉山久
﹁智慧の樹﹂再訪 ︻
彼の指摘を踏まえ、
『系統樹曼荼羅』では本文(テキスト)と図版(パラテキスト)とは同格の扱いをするよう
4
組版を担当した。
最初の打合せで、私のこれまでの本では図版が本文に比べて軽い扱いしか受けていないと杉山さんに指摘
に配慮した。文字が語る内容と図像が語る内容とは必ずしも重複しない。むしろ、図版が本文とは別の次元
の 世界 をかたちづくることにより、文字だけでは表現しきれないものを担わせることができるだろう。
その一方で、文章を書くことと図版を編むことは本書では同等の地位を占めている本書では、文字と図像
を同格に扱う難しさがいたるところで浮上した。本文に沿っていったん掲載を予定した図版であっても、図
版構成の観点から差し替えした箇所はいくつもある。当然、対応する本文の書き換えが必要になる。カラー
図版とモノクロ図版の配置はもちろん、それらの図版に付随する著作権の解決もけっして簡単ではなかった。
また、本書の掲載図版、図中の微細な活字も拡大すれば読めるように。すべて高精細印刷されている。ぜひ
手にとって確かめていただきたい。
この『系統樹曼荼羅』のルーツは、2010 年から 2 年間にわたってウェブ連載した記事「系統樹ウェブ曼荼羅
」である(三中 2010 ∼ 2012)
。その連載が続いていた時期には、海外でも同様の視点からの「系統
(1 ∼ 12)
樹図像学」の論考がいくつか出版された。たとえば、オーストラリアのクイーンズランド大学の Mark A. Ra。
gan は生物系統学におけるツリーとネットワークの歴史を総覧するレビュー記事を出版した(Ragan 2009)
︼系統樹曼荼羅 データ可視化と情報グラフィクスの観点から
された。確かに、本文が主で図版は従というこれまでの本づくりのあり方は、そう指摘されて初めてわかる。
仁彦さんは、本職のグラフィック・デザイナーの立場から、
『系統樹曼荼羅』の図版のハンドリングと全体の
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日本進化学会ニュース
また、シカゴのフィールド博物館にいる Olivier Rieppel は体系学の図像化としての系列・樹・マップに関す
。さらに、Nathalie Gontier は生物進化の図像表現全般に関する
る科学史的研究を発表した(Rieppel 2010)
。グラスゴー大学の Rod Page は時空系統樹の可視化ツールに関する総説記
考察をしている(Gontier 2011)
。
事を書いている(Page 2012)
March2013
立て続けに公表されたこれらの論考は、生物体系学における 図像言語 への関心、とくに分類体系パター
ンと系統発生プロセスがどのように視覚化されてきたかへの関心が同調して高まっている証なのかもしれな
い。昨年の夏、
『系統樹曼荼羅』の草稿がほぼ書き上がるまさにそのとき、ワシントン大学の魚類学者 Theo(Pietsch 2012)を出版した。われわ
dore W. Pietsch が系統樹図像学の大著『生命の樹:生物進化の視覚史』
れの本との図版の重複が随所に認められるのがたいへん興味深い。
系統樹図像への関心は生物・言語・写本などの体系学や進化学だけにとどまらない。Daniel Rosenberg
と Anthony Grafton は一般歴史学の観点から、時間の経過すなわち タイムライン がどのように可視化され
。彼らの本には、生物の系統樹も
てきたかを数多くの図版とともに解説した(Rosenberg and Grafton 2010)
含まれている。また、Jacques Bertin はグラフ理論の観点から、チェインとツリーそしてネットワークを分析
し、それらを用いた構造パターンの図示化のための理論的基礎を与えている。さらに、Manuel Lima(2011)
(2012)は最先端の情報グラフィクスを踏まえ、データの可視化における系統樹や
と Rendgen と Wiedemann
ネットワークの使用について詳細に議論している。
昨今のこのような趨勢を見渡すと、オブジェクトの多様性を文字テキストとして理解するだけではなく、図
像パラテキストとして視覚的に把握しようとする知的伝統が絶えることなく連綿と続いてきたことに再び注目
が集まる。中世の「智慧の樹」に始まるその伝統は、過去の長い歴史をもつ系統樹図像を媒介して、現在の情
報学的研究の最前線と結びついている。われわれは系統情報学(phyloinformatics)のたどってきた道筋をい
まようやく振り返りつつある。
﹁智慧の樹﹂再訪 ︻
4
︼系統樹曼荼羅 データ可視化と情報グラフィクスの観点から
引用文献
・ Jacques Bertin[William J. Berg 訳]2011. Semiology of Graphics: Diagrams, Networks, Maps. Esri Press, Redlands.
・ロジャー・クック[植島啓司訳]1982. 生命の樹:中心のシンボリズム . 平凡社、東京.
・Nathalie Gontier 2011. Depicting the tree of life: The philosophical and historical roots of evolutionary tree
diagrams. Evolution, Education and Outreach, 4: 515-538.
・Manuel Lima 2011. Visual Complexity: Displaying Complex Networks and Data Sets. Princeton Architectural
Press, New York. /マニュエル・リマ[久保田晃弘監修/奥いずみ訳]2012. ビジュアル・コンプレキシティ:情報
パターンのマッピング.ビー・エヌ・エヌ新社、東京,
・三中信宏 2010 ∼ 2012.系統樹ウェブ曼荼羅(1 ∼ 12)
.NT T 出版[Webnttpub.]
,東京.http://www.nttpub.
co.jp/webnttpub/contents/mandara/index.html.
・Rod Page 2012. Space, time, form: Viewing the tree of life. Trends in Ecology and Evolution, 27: 113-120
・ Theodore W. Pietsch 2012. Trees of Life: A Visual History of Evolution. The Johns Hopkins University Press,
Baltimore.
・Mark A. Ragan 2009. Trees and networks before and after Darwin. Biology Direct, 4: 43. http://www.biologydirect.com/content/4/1/43[open access]
・Sandra Rendgen and Julius Wiedemann 2012. Information Graphics. TASCHEN Books, Köln.
・Olivier Rieppel 2010. The series, the network, and the tree: Changing metaphors of order in nature. Biology
and Philosophy, 25: 475-496.
・Daniel Rosenberg and Anthony Grafton 2010. Cartographies of Time: A History of Timeline. Princeton Architectural Press, New York.
・杉浦康平 2000.生命の樹・花宇宙 . NHK 出版,東京.
・靳之林 1998.中国の生命の樹 . 言叢社,東京.
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日本進化学会ニュース
~お詫びと訂正~
(5 ページ、57
日本進化学会ニュース Vol.13, No.3 に掲載した「第 14 回日本進化学会 ポスター賞受賞者」
ページ)について、優秀賞を受賞された大村文乃さん(東大・院農、総合研究博物館)のお名前が抜け落ちて
おりました。
March2013
大村さんはじめ、関係者の皆様にお詫び申し上げます。
詳細は以下の通りです。
◆ 優秀ポスター賞
[P-82]両棲類有尾目における体幹部構造の比較形態学的研究
○大村文乃
、安西 航 2, 3、遠藤秀紀 2
1, 2
(1 東大・院農、2 東大・総合研究博物館、3 東大・院理)
日本進化学会ニュース Vol. 14, No. 1
お詫びと訂正
発 行: 2013 年 3 月 25 日
発行者: 日本進化学会(会長 倉谷 滋)
編 集: 日本進化学会ニュース編集委員会(編集幹事 宮 正樹
編集委員:荒木仁志/ 奥山雄大 / 大島一正 /工樂樹洋/真鍋 真)
発行所: 株式会社クバプロ 〒 102-0072 千代田区飯田橋 3-11-15 UEDA ビル 6F
TEL : 03-3238 -1689 FAX : 03-3238 -1837
http://www.kuba.co.jp e-mail : [email protected]
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