東方 黄 遵 憲 の 「 名 刺 入 れ 」 を 再 現 す る - 川島真研究室

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『東方』273 号より
黄遵憲の「名刺入れ」を再現する――「黄学」確立に向けてのインフラ整備
川島 真
黄遵憲の 名
「 刺入れ を
」 再現する
――黄
「学 確
」 立に向けてのインフラ整備
�東方� 二七三号より
�北海道大学�
川島
真
�黄学�と聞いて黄遵憲�学�と連想する日本の読者は
決して多くないかもしれない�しかし�この�黄学�がい
まブ�ムにな�ている�二〇〇一年八月に�日本の国際交
流基金などの助成を受けた�黄遵憲与近代中日文化交流国
際学術討論会�が北京大学によ�て開かれたことがその契
機 で も あ � た� こ の 学 会 に は 評 者 も 参 加 し た が� そ こ で
は��黄学��黄遵憲�学�の確立が声高に唱えられ�二
▶
蒋英豪著
�黄遵憲師友記 �
を創刊�一九〇三年嘉応興学会議所所長とい�たように�
上海書店出版社・二〇〇二年・三�四八〇円
てその発展への期待が示された�このことは�中新網�な
戊戌変法から光緒新政に至る時代の言論界�教育界におけ
〇〇五年の黄遵憲逝去一〇〇周年記念シンポジウムに向け
どを通じて全国に配信され�学会に参加した研究者たちが
る代表的人物であ�た�著作についても�日本を題材とし
このような経歴をもつ黄遵憲は�これまで世界の多くの
研究者をひきつけてきた�昨今はその�中国�華夏��概
広東省梅州にある黄遵憲故居�人境蘆�に着くと�その気
―九〇五�は日本ではよく知られた
黄遵憲�一八四八 一
存在である�黄家は梅州客家の名族で�黄鴻藻などの科挙
念��日本国志��隣交志�の冒頭参照�や詩文に見られる
た�日本雑事詩��一八七九年作�一八八五年公刊���日
官僚を輩出しているが�黄遵憲も一八七六年の挙人で�一
国家国民意識が注目され�中国・日本・欧米だけでなく�
運は大いに高まり�翌二〇〇二年八月には葉剣英基金会の
八八二年米国サンフランシスコ総領事�一八九〇年英国ロ
韓国の研究者の研究も散見される�だが�黄遵憲の人物像
本国志��一八八七年完成�李鴻章経由で総理衙門に提出�
ンドン総領事�一八九一年初代シンガポ�ル総領事など在
については�これまで焦点が定ま�ていなか�たという問
黄桂清が一〇万人民元をも�て�黄遵憲基金会�を設立し
外勤務を続け�特に華僑案件解決に積極的で�国家・国民
題点がある�その最大の原因は研究する側にある�黄遵憲
一八九〇年公刊�などが知られている�
意識を明確に持�た領事として活躍した�帰国後は�一八
のように政治家・官僚・外交官・教育家・地方名士・文人
二〇〇五年の大会に備えることとな�た�
九六年に�時務報�を創刊�一八九七年湖南省長宝塩法道
など多様な側面を持つ人物は�現在の細分化された学問領
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と し て 時 務 学 堂・ 武 備 学 堂 を 創 立�� 湘 報 �
・
�湘学新報�
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クリ�クすると次の段にジ�ンプします�
▲東方書店
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『東方』273 号より
黄遵憲の「名刺入れ」を再現する――「黄学」確立に向けてのインフラ整備
川島 真
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域によ�てそれぞれ個別に切り取られ�全体像が見えなく
な�てしまうのである�たとえば�一八七七年に初代駐日
公使何如璋の参事官として来日した時期についても�漢詩
文を通じた日本人学者との交流は�さねとうけいし�うの
研究などにあるように�文化交流�のジ�ンルで�日中友
好 � の コ ン テ キ ス ト の 中 で 扱 わ れ� 黄 遵 憲 の 提 言 で あ る
�朝鮮策略�は国際政治史や外交史が議論をし�他方でこの
日本時代に集めた知見を元にして執筆された�日本国志�
は思想史や日本研究が対象とし�日本のことを題材とした
二〇〇余編からなる�日本雑事詩�は文学が対象としてい
る�歴史・文学・思想・日本研究・外交史など各方面の研
究者がそれぞれ黄遵憲を位置づけようとしているのだ�そ
の問題を解決せんとしたのがまさに本書である�本書は細
分化された像を克服して全体像を浮かび上がらせるための
基礎的インフラ書と位置づけられる�
著者の蒋英豪は�香港中文大学中国語言及文学系教授�
UCLAで学位をと�た気鋭の文学・思想研究者である�
これまで王国維研究で知られていたが�昨今は�
�人境廬詩
与庚子事変��蘇位智・劉天路編�義和団運動百周年国際
学術研討会論文集�
�山東大学出版社�二〇〇二年�や�人
境廬詩与黄遵憲的仕宦網絡�
�
�中国文化研究所学報�新第
一〇期�香港中文大学�二〇〇一年�などに見られるよう
に黄遵憲研究を積極的に展開している�その蒋が本書で目
指したのは�
�黄遵憲個人の名刺入れ�を再現し��その名
刺カ�ドそれぞれに資料を付し�そこに書かれている人物
▶
▶
それを通じて�戊戌変法を中心として晩清の歴史の進展に
影響を与えた戯劇を見�さらに各人物の戯劇における役割
を知る手がかりを得られる�ことが期された�簡単に言え
ば�黄遵憲と関係があ�たと思われる五六〇余人のデ�タ
ベ�スを作成し�そこに出典や関係のありかたなどの説明
を付したということである�このような工具書は�これま
で各研究分野によ�て引き裂かれた黄遵憲という人物の姿
を浮かび上がらせるのに格好のデ�タベ�スとなる�この
ような手法は�たとえば李柏栄�魏源師友記��岳麓書社�
一九八三年�などに見られるように決して新しいものでは
ないが�本書は網羅性と緻密性において従来の�師友記�
を上回る�ここでは黄遵憲の詩文・書信�そして�師友�
の詩文・書信・日記・年譜などが基礎となり�各人物項目
には�人境廬詩草箋注���黄公度先生伝稿��
�清黄公度先
生遵憲年譜���黄遵憲与日本友人筆談遺稿�などでの記載
場所が記され�利用者への便が図られている�以下�本書
の構成と具体的な中味を見ていこう�
本書は四部構成である�各部がそれぞれデ�タベ�スの
項目ということになろう�第一の�条目分類目録�は�採
録されている人物を�師長�
�親属�
�詩友�
�同事�
�朋友�
�海外人士��政敵��学生��婦女�に分類した表である�
そして�これらの項目には小分類も設けられ��親属�な
らさらに�長輩�
�平輩�
�晩輩�に�
�同事�は勤務先別に�
�海外人士�は国籍別および華僑に分けられている�第二の
�黄遵憲社会関係年表�は�黄遵憲の事蹟が時系列的に記さ
れるだけでなく�採録されている人物の生死�その年に知
り合�た人物名などが記され�時系列的に人間関係を把握
できるようにな�ている�第三は�本書の大部分を占める
�� 黄 遵 憲 師 友 記 � 正 文 � で� 五 六 〇 余 の 人 物 が ア ル フ �
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▲東方書店
の出身�経歴�そして黄遵憲との関係を知り�
�他方で�人
物相互の関係や彼等の織り成す社会ネ�トワ�クを観察す
る�ことができるようにすることにあ�た�それはまさに
�黄遵憲を中心とする五〇〇人以上の蝋人形の館�であり�
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『東方』273 号より
黄遵憲の「名刺入れ」を再現する――「黄学」確立に向けてのインフラ整備
川島 真
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ベ�ト順に配され�日本人は中国語の穴音により配列��黄
遵憲との関係の説明と��黄氏詩文��師友詩文��関連資
料�とい�たインデ�クスがつけられている�例えば大河
内輝声であれば�
�
�前略�東京浅草の今戸町の墨江畔に住
む�漢詩文を書くことを自らの楽しみとし�日本の西洋化
を受け入れようとしなか�た�大河内と日本の政官界や上
層との往来は多くなく�彼自身の社会上の名望も決して高
くなか�た�そして�中国人の友人との筆談を好み�この
筆談の記録を多く保存し�筆談存稿は七三巻七一冊にも及
ぶ�この中には少なからず黄遵憲とのやりとりも含まれ�
後に鄭子瑜とさねとうけいし�うによ�て�黄遵憲与日本
友人筆談遺稿�として出版された�この筆談から見ると�
その“品味”は決して高くなく�詩も決して高手とはいえ
ない�黄遵憲は大河内と一八七八年三月に知り合�た�ま
た黄は�詩稿の潤色を彼に頼んだことがある�そして�大
河内は黄の許可を得て�日本雑事詩�の初稿を東京墨江畔
の家の庭に埋め�そこに碑を建て�葬詩冢碑陰志�を記し
た�大河内の死後�亀谷行が墓誌銘を書いている�黄は�
大 河 内 を そ れ ほ ど 評 価 し て い た わ け で は な く� ま た 彼 に
送�た詩文も殆ど遊戯筆墨のたぐいであ�た�と記されて
いる�そして�黄遵憲の詩文にある大河内の記述が四点�
他人の詩文が一点�参考文献が三点挙げられている�ここ
ではデ�タベ�スなのだが�同時に著者の研究成果として
の�個々の人物への黄遵憲の目線が記されている�第四の
部分は�索引�である�だが�この索引は人名や事項だけ
▶
▶
皇など二六名が掲載されている�このリストのほか�人名
とそれに対応する穴音のリストである�人名筆劃/漢語穴
音対照表�があり�また頗る便利な�黄遵憲名号表�
��湖
南時務学堂学生名録���主要参考文献目録�がある�
ROMを媒体とすべきデ�タベ�ス
本書は�本来CD ―
だが�同時に研究書としての側面を看過してはならない�
例えば�戊戌変法から光緒新政初期については�康有為と
�政見については似ている部分が多か�たが�黄は康の今
文経学説に異議をも�ており�維新を進めていく方法をめ
ぐ�ても同じ見解ではなか�た��八四頁�
�梁啓超につい
ては�彼こそ黄遵憲が一生褒め続けた人材であり��初め
は維新事業の同志として�後には実現できぬ自らの意志を
継承する人物として見るようにな�た�とされる�一〇八
頁��このほか�薛福成との類似性�二一六頁�や章炳麟
と の 不 具 合 な ど が 指 摘 さ れ て い て 興 味 深 い� 二 四 二 頁 �
�
� 日 本 国 志 � に つ い て も� 文 廷 式 の 項 で� 黄 遵 憲 は 一 八 九
七年に�もし�日本国志�がもう少し早く公刊されていれ
ば�文は甲午戦争に際してあれほど主戦論を唱えることは
な か � た だ ろ う と 述 べ て い る � と し て い る� 一 九 四 頁 �
�
日本との関係についても�水戸系の史学者である青山延寿
の 項 で� 黄 遵 憲 の 日 本 史 お よ び 明 治 維 新 の 認 識 に つ い て
は�青山の影響が大きい�とし�一四六頁��逆に�日本
国志�執筆への資料提供者として知られてきた宮島誠一郎
については��宮島誠一郎は清廷の駐日公使館人員と交際
しながら情報収集をおこな�ており�それが中国に多大な
損害を与えることにな�た�としている�四六頁��こう
した黄遵憲の周辺人物たちへの解釈と評価については�詩
文にあらわれる感情表現を根拠にしている�本書は蒋英豪
による�黄学�への問題提起の束でもある�
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ではなく�関連する人物・組織・事項がグル�ピングされ
ている�例えば�大河内輝声であれば� Dàhénèi Huīshēng
と さ れ� そ こ に は 高 木 正 賢 な ど 一 二 名 が 連 な り� Rìběn
明治天
Míngzhì Tiānhuáng
Guózhì日 本 国 志 の 項 目 に は
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『東方』273 号より
黄遵憲の「名刺入れ」を再現する――「黄学」確立に向けてのインフラ整備
川島 真
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一つ一つのインデ�クスが一本の論文に相当するような
本書を批判するには蒋英豪同様の詩文の読み込みが必要と
なるので限界があるのだが�内容的には詩文以外の政治外
交関連の文献も参照すべきだろうし�方法的には分類の根
拠�たとえば友人と同僚�政敵とそれ以外の線引きなどが
十分示されていないという問題がある�そして�記述面で
も張蔭桓の項にある�
�日本国志�の自序に��両広制府で
ある張公が自分に南洋諸島の巡察に行くよう命じたのだ
が�書面で婉曲にお断りし�赴かなか�た�という部分に
ついて�二五一頁�
�ここの�張公�は一八八五年に駐米
公使とな�た張蔭桓ではなく�一八八六年から両江総督に
な�た張之洞であり�事実張之洞の項にも同様の記載があ
り�二五五頁�
�また伍廷芳の項目にある�一八九六年一
一月二六日に伍は新任駐独大使とな�た黄遵憲�駐英大使
とな�た羅芳禄とともに入朝謁見し�正式に任命された�
とある部分の�二〇三頁��大使�は�公使�の誤りであ
るなど�小さな問題がある�だが�本書は疑いなく中国近
代を学ぶ者に対して�研究対象を掘り下げていく際の一つ
の基準を示し�同時に�黄学�の可能性を感じさせるもの
とな�ている�
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※なお�香港の中文大学出版社でも同時出版�二〇〇二年��
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今月の『東方』