私たちの誇りです! 水戸のお宝再 発 見 この連載では、水戸にゆかりがあり、全国 に誇れるものを紹介していきます。 第1回 女性教師第一号 黒沢止幾 くろさわ と き こ う や 黒沢止幾は、文化3(1806)年に茨城郡高野村(城 すずこうや う 「安政の大獄」 が始まったのです。これに義憤を 里町錫 高野)に生まれました。家は私塾(寺子屋) 感じた止幾は、斉昭の罪を晴らそうと単身京都に も開いていた修験道場の宝寿院。幼い頃に父と離 向かい、「国と主君を思う一念」を「長 歌」に認 めて 別し、祖父や養父から漢学、国学などを学んで育 朝廷に献上しようとしました。たった一人、自らの ちました。止幾は26歳で夫と死別すると実家に 信念による行動でした。当時の女性としては驚く 戻り、その後20年間、櫛 や簪 の行商で生計を立 べきことで、止幾が「幕末勤王の女傑」と呼ばれる てました。行商は関東一円に及び、草津(群馬県) 所以です。止幾は捕らえられ、処罰を受けて常陸国 や七会村塩子(城里町)では、豊かな知識と才能を への立入りを禁じられました。しかし止幾は、密 しゅげんどうじょう くし かんざし し お ご ちょうか したた きんのう ゆ え ん ひたちのくに 見込まれ地元有志の子弟たちの教育にもあたりま かに錫高野に戻って私塾を再開。彼女の高い教養 した。また各地の文人と交流し、俳諧、漢詩、和 と信念を貫く姿は門弟たちの尊敬を集めました。 歌などを学んで文芸の世界にも親しんでいます。 明治5 (1872)年に学制が発布されると、止幾の 安政元(1854)年、止幾は養父の私塾を受け継ぎ、 私塾は錫高野小学校の教場となりました。同時に はいかい 多くの門弟に囲まれて穏やかな日々を過ごしまし 止幾は小学校教師に任命され、これが日本におけ た。しかし、安政5(1858)年、事件が起きました。 る女性教師の最初とされています。すでに当時の 天皇の許可を得ずに日米修好通商条約を調印した 女性の領域を軽々と超えていた止幾。その人生の 大老井伊直弼を詰問するため、押懸け登城に及ん 道筋に、初めて女性に門戸を開いた教師という職 だ前水戸藩主徳川斉昭らが謹慎させられ、世に言 業が舞い降りたのは必然の理にも思えます。 お し か ことわり 市立博物館館長 玉川里子 みとの広報 ■ホームページ http://www.city.mito.lg.jp ※メールマガジンも配信しています。 ■げんきみと動画チャンネル http://www.mito-genki.net/ ■マイタウン水戸〔茨城放送1197kHz〕第2土曜日 9:40 ~ 9:55 ■水戸Cityガイド〔FMぱるるん76.2MHz〕月~金曜日 8:55 ~ 9:00、17:55 ~18:00 市の人口 総人口 268,529人 世帯数 112,256世帯 (平成23年4月1日現在) ※平成22年国勢調査を基にした人口(速報値)より算出したものです。 【編集・発行】水戸市広報広聴課 毎月1日・15日発行 ※ホームページにも掲載。点字広報と声の広報も発行しています。 〒310-8610 水戸市中央1丁目4番1号 ☎029-232-9107 029-224-5188 E-mail [email protected]
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