身体部位詞の比喩的意味拡張と顔の認識 沖 本 正 憲* Extended

苫小牧工業高等専門学校紀要第44号
身体部位詞の比喩的意味拡張と顔の認識
沖
本
正
憲*
Extended meanings of body-part nouns and face recognition
OKIMOTO Masanori
ABSTRACT
Our organic nature influences our experience of the world, and this experience is reflected in the
language we use. Body-part nouns are metaphorically used in various ways in languages. This
paper investigates how body-part nouns can be extended to object-part nouns, as tsukue no ashi in
Japanese and the leg of a desk in English through metaphorical projections and that a face, which is
a very salient body-part, plays an important role in parts of objects. In addition to this, a face has
something to do with spatial recognition. Recent advances in cognitive linguistics, philosophy,
anthropology, and psychology show that not only is much of our language metaphorically
structured, but also is much of our cognition. People conceptualize their experiences in figurative
ways, and these principles underlie the way we think, reason, and imagine.
0.序
論
人間あるいは動物の身体部位を表す語は,たとえば,テーブルの脚(the leg of a table),椅子の背(the
back of a chair),瓶の首(the neck of a bottle),河口(the mouth of a river)のように,比喩としていろい
ろな無生物の部分に用いられている。このような現象は,何らかの類似性に基づく見立てに由来し,たと
えば,山の麓は,山足也(日)
,山脚(中),"le pied d'une montagne"(仏)
,"the foot of a mountain"(英)
,
また,釘の頭(日)は,釘頭(中),"la tête d'un clou"(仏),"the head of a nail"(英)のように,ときと
して日本語,中国語,フランス語,英語など,言語の壁や文化の枠組を越え,意味拡張に基づく比喩のカ
テゴリーとして,物体部分詞を共通に構成する動機付けをもたらすと考えられる(姫田 2003; Lehrer
1974)。これは,身体部位の位置,形状,機能が,物とその部分においても類似の関係を見いだすことが
できることから,人間の身体部位を物に投射することによって,物の部分に身体部位詞を使用するという
認知プロセスに基づく(Matsumoto 1999, 松本 2000, 山梨 1988)
。英語の身体部位詞"back"の意味拡張は,
このよく知られた例である(Allan 1995)。
メタファー(隠喩)とは,未知であったり抽象的であったりする事物など,理解が難しい領域を目標領
域(target domain)とし,具体的な物や既知の物などすでに理解している領域を起点領域(base / source
domain)として,類似要素を手掛かりに写像(mapping)によって目標領域の理解を得ようとする認知手
段である(Gibbs 2006: 20)。しかし,何らかの視点をとれば,どんなものでも共通点があるかのように見
えるかもしれないが(尼ヶ崎 1990: 108-109),類似要素が見つかれば何でも写像するわけではない。針の
目/穴(the eye of a needle),ジャガイモの芽(the eye of a potato)と言うが,鍵穴(a keyhole),笛の穴
(a stop of a flute)は目/ eye とは言わない。同様に,日本語でも英語でも硬貨の穴(日本の五円玉など)
やドーナツの穴を目/ eye とは言わないし,日本語で袖口と言ってもズボンのすそを口とは言わない。ま
た,機首(the nose of an airplane),魚雷・砲弾などの弾頭(a war nose / a warhead),水差しの取っ手(the ear
of a pitcher),銃口(the muzzle / nose of a gun),パンの耳(the heel of bread)などのように個別言語によ
*
教 授
文系総合学科
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って意味拡張の形式が異なる。このように,比喩的拡張の形式に異同があるのは,言語や文化の枠組に由
来する言語形式の個別性がある一方、人間が持つ認知基盤に由来する言語形式の共通性があるからだと認
知言語学では考える(Gibbs 2006: 13)。
本稿では,見立てという人間の認知能力に基づいて,身体部位がメタファーとして物体の部分に用いら
れる例とその認知プロセスについて,日本語と英語を中心に考察し,何が顔や目を多くの物体部分詞とし
て用いる動機付けとなっているかについて,認知科学の視点から探る(注1)。始めに,比喩的意味拡張の基
盤が人間の身体にあることを確認し,顔の拡張例について考察する。続いて,顔認識の周辺にある問題を
考察する。身体部位は物体部分に意味拡張されるだけでなく,前後という方向・空間概念の動機付けにな
っており,さらには時間概念へと拡張されている。ここでは,視覚に関係ある身体部位である顔や目に焦
点を当てて解説し,環境世界との相互作用,身体的経験,各種操作から必然的に形成された人間の図式構
造が,空間概念を構造化していることを確認する。最後に,神経のメカニズムから認知システムを明らか
にしようとする認知言語学の動向にしたがって,顔の認識に特異に反応する神経細胞の存在についての議
論について考察する。
1.メタファー
1.1 比喩的拡張の基盤
楠見(2007: 540-541)は,比喩を支えている類似関係,隣接関係,包含関係という知識構造を人間が獲
得し利用することで,学習,記憶,思考などの認知機能をさらに発展させていると指摘する。そして,メ
タファーを通して,人の認知の基本原理を解明することがメタファー研究の重要な課題であると述べてい
る。本稿では,人間あるいは動物(以下,この意味でも人間と言う)の身体を比喩的意味拡張の基盤とし
ているが,究極的には世界を認識する基盤は人間の身体経験に根ざすという認知言語学の立場を取ってお
り(Gibbs 1994, 2006; Johnson 1987; Lakoff 1987; Lakoff & Johnson 1999),人間の身体認識に基づいて動
物の身体部分を捉えていると考える(注2)。つまり,動物の各部位も人間の各部位に基づいて解釈している
と考える。実際,足は人の身体を支えて歩行する部位であるという認識があるため,4本足の動物であっ
ても「犬がお手をする」
,「猫が手をなめている」と言うとき,その手は必ず前足を指しているという事実
がある。また,このような身体部位詞の意味拡張の中には,頭のてっぺんを表す頭頂(イタダキ)が山頂
を表すように,やがて身体には使用されなくなっても物体部分詞として存続している例もある(宮地
1982:150-151)(注3)。
人間の概念システムは身体を通して生じ,形作られ,意味を与えられる(Lakoff & Johnson 1999: 6)。
身体部位詞が物体部分詞に比喩的に意味拡張するとき,しばしば空間認識が働いており,その物体の構造
上の主軸をどのように捉えるかが問題となる。直立歩行する人間の身体の主軸は垂直方向にあり,4つ足
で歩く動物の身体の主軸は水平方向にある。このため,動的な物を認識するとき,構造の主軸が水平方向
にあると捉えた場合は動物(鳥,魚を含む)に見立てることが多い。すなわち,基本的には認知的基盤は
人間にあるが,動力機械として移動して進む物体,たとえば,船や飛行機を認識する場合は,船首(the head
of a boat)
,船尾(the stern of a boat)や機首(the nose of an airplane),尾翼(the tail assembly of an airplane)
というように,動物に見立てる傾向がある(Landau & Jackendoff 1993; Levinson 1994; Marr 1982)。船の
へさきのことを英語で"eyes"と言うのは,この動物の見立てと関係がある。その由来は,エジプト王朝時
代から船首の両側に目を描く風習であり,今日でも極東水域の帆船ジャンク(junk)他にこの習慣が残っ
ている(竹林 2002; 寺澤 1997)。しかし,動力機械の例の中にはアリゾナ州の西アパッチ語(Western
Apache)のように,自動車(小型トラックを含む)の部分に人体の部位を構造的に拡張しているものが
ある。たとえば,目(bidáá)がヘッドライト,手足(bigan)が前後輪,肩(biwos)がフロント・フェン
ダー,心臓(bijíí)がディストリビューター,肺(bijíí'izólé)がラジエーター,肝臓(bizig)がバッテリ
ー,胃(bibid)がガソリン・タンクを意味する(Basso 1990: 15-24)。
中村(1995)は,日本の文学作品から直喩,隠喩,換喩などのさまざまな比喩表現(文章)を集めて分
類しているが,そこに取り上げられている分類体系とその用例数は次のとおりである。用例数の多い順か
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ら示すと,身体(1,709),活動(1,096)
,自然(1,014),人間(1,000),製品(975)
,状態(543),精神(538),
言語(429),植物(285),動物(266),社会・文化(199),抽象関係(147)の 12 分類となる。続いて,
最多の用例数を持つ身体についてその内訳を多い順から示すと,頭・顔・目鼻(755),手・足・指(183)
,
体(147),皮・毛髪(146),筋・神経・内臓(100),血・涙・汗(86),背・胸・腹(82),姿(58),生
理(55),四百四病(42),骨・歯・爪(21),生命(16),死(11),病気(7)となる。これらの用例の集
め方は,身体部位詞の物体部分詞への転用例だけを扱っている本稿の趣旨とは異なるが,身体部位,特に
顔(頭部)の用例が突出しているのは偶然ではなく,世界を認識する基盤は人間の身体経験に根ざすとい
う認知様式と深い関係がある。
1.2 顔および目,鼻,口,耳のメタファー
幼児の絵や「スヌーピー(Peanuts)」,「サザエさん」,「ムーミン(Muumi)」などの漫画や挿絵の人気
キャラクターを見ると,それが人間であれ動物であれ,顔(頭部)が極端に大きく描写されていることに
気づく。これは人間が相手を認知するとき,どこに注意が最も向けられるか,どこに視線が一番注がれて
いるかによるものだと推測される。さらに驚くべきことは,私たちがそういったデフォルメを見ても,さ
ほど違和感を感じないことである。現実には存在しない人間の姿を問題なく認識するだけではなく,すん
なりと受け入れているという事実は注目に値する。顔については,目が非常に認知されやすい部位だとい
う主張があり(姫田 2003: 80; 岩田 2002: 45; Sweetser 1990: 37-39),その興味深い証拠に次のような事実
がある。エジプト王朝時代のピラミッドの彫刻に見られる側面の人物像の目や幼児が描く側面の顔の目は,
頭部が側面から描かれているにもかかわらず,正面から捉えたアーモンド型の形になっている。先に示し
た漫画においては,しばしばキャラクターの目が異常に大きく描かれている(注4)。また,害鳥除けの目玉
風船,ヤクザのサングラス,英語の慣用句"Seeing is believing",概念メタファー <知ることは見ることで
ある>(KNOWING IS SEEING)(Gibbs 1994: 10),日本語「目は口ほどにものを言う」などからも,目
が非常に認知度の高い身体部位だと予測される。動物と出会ったときの危険回避の手段として,日本ザル
とは目を合わさないとか,ヒグマとは視線をはずさないということが知られているが,このことと関係が
あるのかもしれない。認知度が高い身体部位詞を物体部分詞として意味拡張することは,物の概念の理解
を助ける手段としてのメタファーの特性から考えて自然だと思われる。このような人の認知様式の反映か
ら,顔(頭部)や目が物体部分詞として拡張されている例は現実に多いと予測される。実際,メキシコの
ミシュテカ語族(Mixtecan)を調査するフィールド言語学者の Hollenbach(1995: 174)は,人の顔を表す
名詞が無生物の際立ちのある部分にも使用されていることに注目している。Hollenbach は,その身体を投
射する物体部分が日常生活で人と何らかの関わりを持っており,そしてそのことが比喩的拡張を許す理由
だと考えている。
以下に,日本語と英語の頭,顔,目,鼻,口,耳が 1 個の物体の部分に意味が拡張されている例を提示
する(姫田 2003; Matsumoto 1999; 松本 2000; 渡辺 1994)。なお,拡張の基盤には,身体部位の位置,形
状(形,大きさ),機能が,物体とその部分においても類似の関係を見いだすことができるということが
ある(松本 2000: 319-322)。
①~⑥は各部位の例の一部である。
①頭(head)
日本語:語頭,行頭,文頭,節頭,舷頭,湾頭,竿頭,柱頭,枝頭,樹頭,波頭,目頭,鼻の頭,
指頭,膝頭,亀頭,乳頭,舌頭,喉頭
英語:"the head of a mountain(山頂)","the head of a river(水源)","the head of a pier(突堤の
先端)","the head of a bay(湾の奥)","the head of a coin(硬貨の表)","the head of a boat
(船首)","the head of a book(本の天/上の小口)"," headline(見出し)","the head of a driveway
(通りへの入り口)","the head of a periscope(潜望鏡の先端)","the head of a table(テー
ブルの上座)","the head of the stairs(階段の上部)"
共通:"the head of a nail(釘の頭)","the head of a page(ページの頭)","a war head(弾頭)","the head
of a screw(ネジの頭)","the head of a lake(湖頭)","the head of a bed(寝台の頭の部分)"
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②顔(face)
日本語:誌面,紙面,画面,譜面,扇面,前面,背面,側面,断面,裏面,反面,(テニスコート
の)半面
英語:"the face of a clock(時計の文字盤)"
共通:"the face of a card(トランプの表)","the face of a coin(硬貨の表)","the face of a building
(建物の正面)","the face of a wall(壁面)","the south face of a house(家の南面)","the face of a
document(書類の文面)","the face side of a tatami mat(畳表)","the face side of a piece of
timber(木表)","the surface of the earth(地面/地表)","the surface of the moon(月面)","the
surface of the sea(海面)","the surface of a body(体表)","the face of a knife(ナイフの
刃面)"
③目(eye)
日本語:網の目,ミシン目,布目,鳩目,木目,碁盤の目,賽の目,目盛り,魚の目,櫛の目,
裂け目,針目,折り目,潮目,逆目,継ぎ目,正目,櫛目,升目,糸目,編み目,縫い目,
鋸の目,(本の)綴じ目,分け目,境目,目玉焼き
英語:"the eye of a potato(ジャガイモの芽)","the eye of a storm / hurricane / tornado(嵐などの中
心)","the eye of the whirlwind / wind(旋風の中心)","the eye of an ax(斧の柄穴)","the eye of
cheese (チーズの発酵穴)","the eye of a button (ボタンの穴)","the eye of an anchor (錨
の上端の輪を通す穴)","the eye of a camera(カメラのレンズ)","the hook and eye of a dress
(服のホックの留め穴)"
共通:"the eye of a needle(針の目)","the eye of a typhoon(台風の目)","the eye of a rope(結
び目)"
④鼻(nose)
日本語:岩鼻,木鼻,棒鼻
英語:"the nose of an airplane(機首)","the nose of a ship(船首)","the nose of a rocket(ロケッ
トの先端)","the nose of a van(小型トラックの先端)","a war nose(弾頭)","the muzzle / nose
of a gun(銃口)","the nose of a hammer(金槌の頭)"
共通:"the nose of a vehicle(車両の鼻先)"
⑤口(mouth)
日本語:銃口,入口,出口,火口,北口,裏口,非常口,通用口,改札口,返却口,蛇口,袖口,
飲み口,口縁,差し込み口,開口部,傷口,財布の口,がま口,滝口,登山口,吹口
英語:"the mouth of an organ pipe(パイプオルガンの音管の穴)"
共通:"the mouth of a river(河口)","the mouth of a bottle(瓶の口)","the mouth of a pitcher(水
差しの注ぎ口)","the mouth of a cave(洞穴の入口)","the mouth of a harbor(港口)","the mouth
of a bay(湾口)","the mouth of a well(井戸の口)","the mouth of a cannon(大砲の口)","the
mouth of a pit(坑口)","the mouth of a trumpet(トランペットのラッパ状の口)"
⑥耳(ear)
日本語:耳付水差,耳付スープ椀,耳付花瓶,双耳杯,鍋の耳 ,索引の耳,パンの耳,布の耳,
小判の耳,お札の耳,胡瓜の耳,海苔巻きの耳,(心臓の)左心耳,右心耳
英語:"the ear of a pitcher / teacup(水差しなどの取っ手)","the ear of a corn(トウモロコシの実)",
"the ears of a wheat(小麦の穂)","the ear of a newspaper page(新聞の小さな囲み記事)"
共通:"a dog-ear(耳折り/本のページの折った端)","a vessel with two ears(an amphora /双耳
の壺)"
これらの例から分かることは次の 2 点である。1 点目は拡張の基盤についてである。①頭は,身体にお
ける位置を物体の最上部か最前部の位置に投射した比喩で,位置の類似性に基づいて拡張される。日英語
に例が多く,共通例も多い。②顔は,人と向き合う側という特徴があり,2 次元的領域という形状の類似
性に基づいて拡張される。日英語に共通例が非常に多いが,英語には"surface"を含む例が目立つ(注5)。③
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目は,全体と比較して部分が小さいという大きさの特徴を含む形状の類似性に基づいている。英語の例は
小さな円形の物だけを指すが,日本語の例は円形に加え,細かな突起,隙間,境界,線状,点状などの物
も指すため例が非常に多い。なお,英語"the eye of a camera (カメラのレンズ)","the eye of Hubble (ハ
ッブル宇宙望遠鏡のレンズ)"の例は,視覚という機能の類似性に拡張基盤がある。④鼻は,物体の最前
部にある隆起した部分に身体投射が行われ,位置と形状の類似性に基づいた拡張である。しかし,日本語
には「~の先端」という位置だけの類似に基づく例がある。英語と日本語の例を拾うと,"an aquiline nose
(わし鼻)","a hooked nose(かぎ鼻)","a plug / snub / turned-up nose(しし鼻)","a bulbous nose(だ
んご鼻)","a Roman nose(ローマ人の鼻)","a Grecian nose(ギリシア人の鼻)"のように明らかに英語
の例の方が多い。これは,コーカソイドとモンゴロイドとの形質上の違いを反映していると考えられる。
日本人の幼児の描く人物画や漫画にときとして鼻が描かれていないのは,日本人の鼻の顔から隆起する程
度が際立つほどではなく,認識度がそれほど高くないからであろう。⑤口は,空間の内外部との接点とい
う位置の類似性,空や隙間という形状の類似性,物がそれを通って出入りするという機能の類似性に基づ
いている。日英語に共通例が多く,日本語には人の出入りに関係する例が多いのが特徴である。口には位
置と機能の類似性で,他の部位とは異なる重要な意味がある。それは,人間の概念システムは身体を通じ
て生じ,形作られ,意味を与えられているということと関係する(Lakoff & Johnson 1999: 6)。身体は空
気と栄養物を摂取し,老廃物を排出する容器である。私たちは容器から物を出し入れしており,建物,室,
寝台などの生活環境も含め,容器との関係で自分の身体の位置付けを行っている。このことは,抽象的な
容器を空間の中に投射する動機付けを生む。このような身体化の様式は,私たちが自分の身体および日常
に相互作用している事態を図式化する(Lakoff & Johnson 1999: 34-38)。したがって,口は内部空間に繋
がる位置にあり,出入りの機能を持つため,物体に対して身体的投射が最も成立しやすい部位だと考える
ことができる(松本 2000: 323-327)。⑥耳は,物体の周辺部にあるという位置の類似性,三角形または長
方形ないしは楕円形という形状の類似性に基づいている。しかし,日本語には形状に関係なく「~の端」
という位置だけの類似に基づく例がいくつかある。
2 点目は,身体投射の結果を視覚的に捉えると,一方の極には身体部位と物体部位に対応関係が容易に
類推できる類(a)が,他方の極にはもはや多義の一つとして見なすべきで対応関係を類推することが困難
な類(b)が,存在するということである。(a)では,物体部分が位置や形状の類似性を持ち,物体部分がそ
のベース(base)との関係で際立ちがあり,身体部位とその部位を含む身体領域が平行的に写像されてい
る。(b)では,物体部分が位置や形状の類似性を持つが,身体部位とは極めて部分的な類似に限定されて
おり,物体部分がベースとの関係を捉えていない写像である。拡張の基盤については,先に述べたように
身体部位の位置,形状,機能が,物体とその部分においても類似の関係を見いだすことができるという松
本(2000)の分析を採用するが,感覚における視覚の優位性から,位置や形状という外見的・構造的な類
似性に投射を動機付ける最大誘因があると考える。機能については,⑤口の説明で述べたように,身体性
の類似であり,機能だけで投射を許す身体部位はない(松本 2000: 322)。身体性の類似には,機能の他
に感覚運動性(sensory motor)がある。それらは人間の経験や身体に基盤(共起性基盤)があり,身体部
位と物体部分との類似を一層明確にして,投射を許す動機付けとなっている(鍋島 200: 181-184)。以下,
これらについて観察するが,説明には頭部以外の部位についても若干言及する。
(a)は物体の部分がベースとの関係で際立ちがあり,物体領域が身体領域と平行的に写像されているた
め,最も分かりやすい比喩である。この類側に属す物体部分詞は外見的・構造的な見立ての特徴が反映さ
れており,その中には西アパッチ語の自動車のように 1 つの物体の構造を身体全体に見立て,いくつかの
身体部位を同時に使用した例がある。日本語と英語の両方にこの現象が見られる。この類には,座ってい
る人間を投影した椅子の脚(the leg of a chair),肘/腕(the arm of a chair),背(the back of a chair)の
ような例や,立っている人間を投影したと考えられる山の頭頂(the head of a mountain),肩(the shoulder of
a mountain),背(the ridge of a mountain),麓/山足也(the foot of a mountain)や,壺の口,首,耳,胴
や,茶碗の口縁,胴,腰などの例がある(山梨 1988: 150-151)(注6)。Earl Dean が 1916 年にデザインした
コカ・コーラの瓶はこの類の典型的な例で,瓶に"the Mae West"という当時の人気女優の名がニックネー
ムとして付けられた。このような瓶の場合,首(the neck of a bottle)や肩(the shoulder of a bottle)は形状
と位置の類似から,口(the mouth of a bottle)は機能性に加えて,椅子の例と同様,人間の口が接する場
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所であることから写像されやすいと考えられる。また,フルートは構造の主軸が水平方向にあるため,頭
部管(the head section / the head joint),歌口(the embouchure hole [N.B. bouche(仏)] / the blow holet ),
胴部管(the middle section / the middle joint),足部管(the tail section / the foot joint)のように動物の身体
を投影していると考えられる。さらに,走る(泳ぐ)動物を投影した船首(the head of a boat),船体(the body
of a boat),船尾(the stern of a boat)のような例があるが,自動車,飛行機,船などの動力機械の例は,
感覚運動性の類似が投射を一層動機付けているというと特徴がある。物体に 1 つだけの身体部位を拡張し
た部分詞であってもベースとの関係で際立っているため,外見的な類似が明瞭な耳付花入,耳折り
(dog-ear),ギターの首(the neck of a guitar),チェロの肩(the shoulder of a cello)のような例がある。
鼻については日英語ともに外見的な見立てと考えられる例が多く,物体の最前部の位置にある隆起した部
分という身体投射がよく表れている。
(a)と(b)の中間段階には,物体部分がそのベースとの関係で際立ちはないが,人間の経験基盤や身体基
盤の類似が身体領域の写像を補完している例がある。先に述べたように,移動して進む物体は生物を連想
させるという理由で,台風の目(the eye of a typhoon)の例がこのレベルに属すと考えられる。特に台風
の目(the eye of a typhoon)や"the eye of a hurricane"については,日本では風神・雷神という民間信仰が
あり,米国ではハリケーンに人名を付けることから,物体全体を人間に見立てた例だと考えられる。
(b)は見立てから抽出されたイメージ・スキーマ(image schema)の事例(instance)に基づく写像であ
るが,物体部分がベースとの関係を捉えていないため,外見的・構造的な見立ては顕著ではない。換言す
ると(b)は,物体全体に部位を含む身体領域全体を投射しているのではなく,物体の各部分に各身体部位
だけを投射している例の類なのである(松本 2000: 331-334)。たとえば,網の目,パンの耳は,決して網
や食パンを顔や身体に見立てたものではなく,物体部分詞としての多くの拡張事例に見られる「小さな点
状のもの,連続する物と物との隙間」
,「端にあるもの,縁」という形状ないし位置といった構成上の類似
に基づく表現だと考えられる。また,文頭,釘の頭(the head of a nail),湖頭(the head of a lake)など
は「最上部,(川の水が流入する)頂点」という位置の類似による投射である。顔については日英語とも
に「人と対面する 2 次元的領域」という視点を含む形状の類似と結びついた例が非常に多い。また,1 つ
の物体にいくつかの身体部位を同時に使用した例の中には(a)の類側ではなく,この(b)の類側に属すと考
えられるものがある。たとえば,本の背(the back / spine of a book),背と表紙の接合部分(the joint of a
book),上の部分(天/上の小口/ the head of a book),下の部分(地/下の小口/ the tail of a book),背
に近い綴じ目の部分/その余白部分(喉/ the gutter of a book)などの本の部分名称は,1 つの物体に複
数の身体部位を拡張した物体部分詞であるが,(b)の類側に属すと考えられる。そこには,前後や上下の
位置,開閉の機能,接合部の構成,隙間の形状といった類似要素が意味の中核にある。そのため,身体部
位詞と同じ名称を持つが,統一的な類似要素を持たない物体部分詞が形成され,部分とベースとの関係が
不明瞭となっている。関連して松本(2000: 322)は,折り目,結び目,木目などの例について,どこま
でが目の比喩的用法と言えるか判断が難しく,用例の存在が上代まで遡るため歴史的検証も困難だと述べ
ている。なお,(b)は身体部位詞が比喩的拡張によって新しい意味を持つという多義性の問題と直接関係
する現象である。
1.3 擬人化
認知言語学では,世界を認識する基盤は人間の身体経験に根ざすと考える(Gibbs 1994, 2006; Johnson
1987; Lakoff 1987; Lakoff & Johnson 1999)。自らの身体を投射して事物を理解しようとすることは,指で
数を数えることと同様,分かりやすく納得しやすい方法である(Gibbs 2006: 105)。たとえば,擬人化は
人間の持つ知識を最大限に活用し,出来事,抽象概念,無生物などを理解する上で洞察力を与えてくれる
(岩田 2002: 45; Lakoff & Johnson 1980: 33; Lakoff & Turner 1989: 72)。私たちは,不明瞭なものを明瞭な
ものに,構造がよく分からないものを既知で構造をよく知っているものに,直接的な経験を持たないもの
をすでに経験済みなものにたとえ,身体的な経験を基盤にしてさまざまなものを概念化している(尼ヶ崎
1990: 136)。
物体領域が身体領域と平行的に写像されているという意味で,先の身体部位詞を物体部分詞に転用する
形式の 1 つの極(a)類の周辺に,擬人化を位置付けることができる。この擬人化は現在のロボット工学の
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重要なテーマとなっている(浅田 2008)。擬人化はメタファーの一種であり,人が動作主として比較的容
易に認識されることからくる操作である(Lakoff & Turner 1989: 38)。最も分かりやすい存在のメタファ
ーは,物体を人間と見なすようなメタファーだと考えられる。私たちは比喩を用いることで,人間以外の
物に関するさまざまな種類の経験を,人間の動機,性格,活動という観点から理解することを可能にして
いる(Lakoff & Johnson 1980: 33-34)。たとえば,"The computer spewed garbage at me(コンピューターは
いい加減なデータを吐き出した)","My car just refused to start this morning(私の車は今朝走り出すのを
拒んだ)"のような擬人化の例は,<出来事は行為である>(EVENTS ARE ACTIONS)のメタファーに基
づいており,そのメタファーは出来事に因果的に結びつく事物に能動性が付与されている。しかも,その
動作主は人としての性質を帯びることが多いという特徴がある。
出来事を理解するとき,私たちはその発生原因をしばしば出来事の特質と関係があると見なす。その背
景には,<出来事は行為である>のメタファーが働いており,私たちはその特性の持ち主を出来事を引き起
こす行為者として擬人化する。こうして,たとえば,"Time has stolen my youth(時が私の若さを奪った)"
のように,ある出来事の発生を時間が持つ経過という特質と関係があると見なし,時間を出来事の発生に
おいて因果的な役割を持つ行為者として擬人化するのである(Gibbs 2006: 55; Lakoff & Turner 1989:
34-40, 72-80)。他のいろいろな事物を自分たちの認知様式に合わせて理解するのは非常に分かりやすい方
法である。"Time flies(光陰矢のごとし)","Time travels(時は進む)"のような文が理解できるのは,行
為者が移動物体と同一視することで推進力を持つ時間の姿を思い描くことができるからである。そこでは,
時間は走り,忍び足で歩き,駆け足で去るものとして理解されている(Lakoff & Turner 1989: 72-80)。
日常の繰り返し生じる身体的経験は,抽象化され,より高次の推論の基盤を構成する。これらの原理は,
私たちが考え,推論し,想像する基盤となっている(Gibbs 1994: 5, 192; Gibbs 2006: 122)。人間は身体化
された精神を持っており,概念システムは身体を通じて生じ,形作られ,意味を与えられていると考えら
れる。現在,人間の言語システムは,他の身体的な認知システムと密接不可分に関係していることが多く
の研究で分かっている。認知言語学,哲学,人類学,心理学の発展によって,言語の多くの部分に加えて,
人の認知の多くがメタファーによって構造化されているということが明らかになっている。人は自分たち
の経験をメタファー,メトニミー,アイロニーなどを通じて,比喩的なことばで概念化している。実際,
抽象的思考のほとんどがメタファー的であると言われている(Gibbs 2006: 12; Lakoff & Johnson 1999:
6-7)。したがって,メタファーは抽象概念を用いて思考する人間にとって必須なものであると考えられる
(鈴木 1996: 22)。
人と機器の橋渡しをする認知的インターフェースとしてコンピューターに言及する楠見(2002)は,機
器やシステムにおけるタスク,ツール,操作などのデザインによって,人間の認知過程を支援する上でメ
タファーが大きな役割を果たしていると述べている。楠見は,擬人化はアニミズムに基づくメタファーの
一種であると述べ,私たちが機器やシステムを人間に見立てることが多い点に着目している。人は他人と
接触する機会を多く持つことで親近感を増す。それは相手に対する知識が豊富になることが,相手への親
近感を補完するからだと考えられる。実は,これと似たことが人と物との関係にも見られる。たとえば,
大工とかんな,料理人と包丁のように,使用者と道具との間には愛着や信頼といった関係が存在する。さ
らには,箸,釣竿,バット,ゴルフ・クラブなど,道具を巧みに操る人にとっては,まるで道具が身体の
一部かのように,道具の先端の感覚まで分かるのである。このような視点を反映して,最近では,人は情
報機器という同僚とコミュニケーションをとりながら,共同作業をするという考え方に発展してきている
(石塚 2007; 鈴木・植田 2003)。先に,自らの身体を投射してある事物を理解しようとすることは,分
かりやすく納得しやすい方法であり,擬人化は人間の持つ知識を最大限に活用し,出来事,抽象概念,無
生物などを理解することを支援すると述べた。メタファーは身体感覚に根ざし,身体感覚と深く繋がって
いるため,擬人的なメタファーを用いることは,外界の事象を最も身近である身体にたとえて理解するた
めの有用な準拠枠となるのである(岩田 2002: 45)。
2.身体部位の比喩的拡張と空間概念
身体を基盤とする繰り返された経験から感覚運動性に基づく共通のスキーマを形成することは,認知言
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語学ではよく知られており,この写像の現れとして共通の見立てが行われている。十進法は,指の数に関
係があるという点で身体に基盤を持つ。また,一見身体性とは無縁に思える数の概念が,身体経験に基づ
く場合がある。たとえば,南アフリカのソト語(Sotho)の「跳ねる」という動詞は数字 6 と同義だが,
その由来は人が 6 以上数えるとき一方の手の指から他方の手の指に「ジャンプする」からだと言う(Gibbs
2006: 105)。
身体的投射は,人の身体が概念構造を形作るときの非常に分かりやすい例だと述べる Lakoff & Johnson
(1999)は,前後という空間概念について身体性との関係を説明する。前後は人に生来備わっている空間
領域である。私たちは通常前を見ており,前方に向かって進む。そして人や物と対面してやりとりする。
前に対して視野に入らない反対の位置に背中がある。私たちは通常後方に向かって歩いたり,背を向けな
がら他とやりとりすることはしない。こうした人に備わっている前後の空間概念を,私たちは無生物にも
投射している。冷蔵庫の扉のある側,コンピューターのディスプレーのある側など,使用するときに対面
する側を前と理解する。自動車などの動力機械は,それが通常進行する方向に向かっている面を前と考え
る。動かない物でも,家は入口のある側,ポストは投函口のある側を前と見なす(Allan 1995; Levinson
1994)。本来的には前も後もないような木や岩のような物にも,この空間概念は投射されている。日本語
や英語では,人が対面している側がその物の前と考える。スワヒリ語(Swahili)では,ある物の前とは
人が対面している物のさらに先の方,つまり,人の視線の方向性に基づいて対面する物のさらに遠くの空
間領域を前と捉える(和崎 1977: 104-108)。このように前後という空間領域は人の身体に概念基盤がある。
換言すれば,Lakoff & Johnson(1999: 34-35)が言うように,前と後を持っているものにとってのみ意味
がある概念なのである。「塀の前にネコがいる」,「電柱の後にネコがいる」という表現は,私たちが前後
という空間概念を塀や電柱に投射する能力,および視覚的場面にそのような投射を当てはめる能力を持つ
ということの現れなのである。身体部位を物体部分に投射することで空間の位置を概念化するこの種の慣
用的な体系は,メソアメリカやアフリカの多くの言語でも見られる(Heine & Kuteva 2002)。私たちがそ
れらの言語の持つ空間概念を理解できるのは,私たちにもこの種のメタファー的投射を行う能力が備わっ
ているからなのである(Gibbs 1994: 192-193; Lakoff & Johnson 1980: 41-43)。
人は子どものときから環境と接する中で,何度も同じような行為や経験を積み重ねてきている。イメー
ジ・スキーマとは,私たちが環境世界との繰り返し行われてきたこのような知覚的相互作用,身体的経験,
認知的操作から必然的に形成された図式構造,あるいは抽出された図式構造のことを指す(Johnson 1987:
793)。空間概念を構造化する基本的なイメージ・スキーマには,容器,部分/全体,中心/周縁,連結,
起点/経路/着点,再帰的,前/後,上/下,左/右,遠/近,垂直/水平,円,反復,接触,隣接,支
え,均衡,直/曲,強制力などがある。認知科学の重要な発見の一つは,世界の諸言語で用いられている
概念システムは,実はこのような少数の基本的なイメージ・スキーマを利用しているということである
(Johnson 1987; Lakoff 1987; Lakoff & Johnson 1999)。
空間概念は,さまざまなやり方で身体化されている。押す,引く,進ませる,支える,バランスをとる
などの基本的な力動性の図式は,手足などの身体部分とその動きで理解される。また,身体は空気と栄養
物を摂取し,老廃物を排出する容器である。私たちは容器から物を出し入れしており,建物などの生活環
境についても容器との関係で自分の身体の位置付けを行っている。さらには,抽象的な容器を空間の中に
投射している。同様に,運動を起点/経路/着点のイメージ・スキーマで理解し推論している。このよう
な身体化の様式は,私たちが自分の身体および日常に相互作用している事態を図式化するという方法から
生じているのである。
Lakoff & Johnson(1999: 36-44)は,知覚や運動に用いられている神経細胞のメカニズムが,抽象的な
推論にも用いられている可能性があると考えている。Lakoff & Johnson は,一定のイメージ・スキーマを
神経系との関連で特徴づけ,そのようなスキーマが存在しなければならない理由と,位相的・方向的な特
性を説明するような一つの計算論的神経回路モデルが構築されていると述べている。特に Lakoff の研究
グループは,言語と思考の獲得・使用に関する身体化された認知の神経学的なモデル化に取り組んできた。
本稿では,すでに顔に関する身体部位詞が物体部分詞へ比喩的に意味拡張する例が多いことを確認したが,
このことと顔を認識する能力との間に特有の神経細胞が関与している可能性について後述する。先に,
Lakoff & Johnson(1999)にしたがって,前後のような空間概念が身体的な方向付けという観点で特徴づ
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けられていることを見た。身体化された精神においては,知覚ないしは身体運動に関わる神経回路システ
ムが,概念化において中心的な役割を果たしていると考えられている。そのことは,知覚,運動,物の操
作に直接関係のあるメカニズムが,人間の認知活動は身体経験に基づくため,概念化と推論にも直接関係
があるという可能性を示唆する。
Lakoff & Johnson(1980: 41-45)は,<時間は動いている物体である>(TIME IS A MOVING OBJECT)
のメタファーに基づき,時間概念に前後の方向性が投射されていることを明らかにした(注7)。未来が話者
に向かって移動してくる一方で,話者も未来に向かって移動している。このとき,話者の位置を基準にし
て時間を捉えると,英語"weeks ahead of us(これから先の数週間)",日本語「昨年を振り返る」のよう
に,未来は話者の前にあり過去は後にある。しかし,普遍的に思われるこの原理も,ボリビア西部などで
使用されているアイマラ語(Aymara)では,過去は話者の前に,未来は話者の後にあるとする。アイマ
ラ語では,前(nayra)は目を意味すると同時に過去を意味する。後(qhipa)は背中を意味すると同時に
未来を意味する。未来が後にあると見なすのは,人が歩いて行く先にある曲がり角の向こう側に何がある
のか分からないのと同様,未来は視覚的に見えない領域に属すからである。過去が前にあると見なすのは,
終わったばかりの結果は見ることができるという経験に基づくからである(Núñez & Sweetser 2006)。
Hollenbach(1995)は,メキシコのミシュテカ語族に属する 10 の言語を対象とするフィールド調査で,
身体部位の顔と足が空間表現や時間表現まで意味が拡張している例を報告している。その中で,身体部位
詞が物体部分詞への拡張を許し,全体との関係から物体の部分が占める領域をメトニミー変換を通して隣
接空間まで意味拡張する様子を考察している。顔という名詞が前を表すようになり,やがて副詞や前置詞
などに変化する現象を文法化(grammaticalization)というが(Hopper & Traugott 2003),このような現象
がミシュテカ語でも見られる。ミシュテカ語では,目は顔の語源であるが,現在では目と顔は多義の関係
になっている(Heine & Kuteva 2002: 129)。
3.顔/目の認識
身体部位を大きく分類すると,四肢・胴体・頭部となる。これらの身体部位が意味拡張した物体部分詞
に,顔/頭の例が多いことはすでに見た。顔は人の感情や品格が表れる最も目立つ部位である。このため
顔が人の代表として機能していると考えられる(大塚 1994: 140)。その顔には目,鼻,口,耳などの部
位が含まれるが,顔と並んで認識度が高い部位は目だと述べた。顔と目が同一の語である言語にミシュテ
カ語などがあることも指摘した(Hollenbach 1995; Heine & Kuteva 2002)。このような身体部位詞が物体
部分詞として用いられる理由は,人間にとって視覚が非常に重要な感覚器官であるということと関係があ
る(Núñez & Sweetser 2006: 38)。視覚は,顔/目を前という空間概念に拡張させるための動機付けとな
っているだけでなく,英語"back"のように多くの言語で視界に入らない部位である背中を後とする動機付
けにもなっている。
ところで,ミシュテカ語の顔と目という語は同一であると先に触れたが,筆者は「顔にキズがある」場
合と「目にキズがある」場合とではどのように区別するのか疑問に思い,Hollenbach に尋ねたことがある
(私信/ 2008 年 5 月)
。Hollenbach によると,ミシュテカ語族のコパラ・トリケ語(Copala Trique)では,
"rihaan"が顔ないし目を意味するが,目を指す場合は"rlij rihaan(眼球)"という。また,歴史的に顔/目
の最も古い語は"yaan"であり,現在の"rihaan"は"chruj(果実/丸い物)"と"yaan"の複合語だろうと述べて
いる。かつては,"chruj yaan"のように組み合わせることで顔ではなく目を意味したが,音韻的に縮約さ
れると次第にそれは顔の意味まで拡張していった。そのため,目を表す新しい語"rlij rihaan"が作り出され
たと Hollenbach は回答した。
声,体型,歩き方や状況次第では衣服などでも人の認識はできるが,顔ほどはっきりと他と識別できる
ものはない(Bruce & Young 1986: 305)。人の顔認識の特徴としてよく知られているのが,顔の倒立効果
である。これは,顔を 180 度回転させて提示すると認識が大きく阻害されるという現象である。一般に物
体の場合には,何らかの傾きよりも 180 度の傾きの方が認識しやすい。このような倒立顔効果は,知覚が
顔の部分的な特徴ではなく,顔全体の特徴に基づいてなされているためであり,顔の認識においては全体
処理が優位に行われている証拠であると考えられている。仮に顔認知に特化したメカニズムがあるとすれ
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ば,それは正立顔を処理するために特化していると考えられる(乾・安西 2001: 18-25, 48-53; Thompson
1980)。同様な現象に,複数の光点から成り,個々の光点が単純な振り子運動をするバイオロジカル・モ
ーション(biological motion)と呼ばれる視覚刺激がある。それは,適当な振幅,周期,位相と空間的配
置によって人が動いているように見えるものであるが,この動きを 180 度回転させて提示すると分かりに
くくなる。こうした現象は身近で特別な物の認識だけに起こり,顔認識とバイオロジカル・モーションが
特殊だということを意味している(山口 2006: 58-59)。人の顔の情報処理においては目が特に重要な役割
を果たしており,顔認識における目の重要性は霊長類において共通していると考えられている(Fujita
1987; Fujita et al. 1992)。
人の赤ちゃんでは母親の顔認識は非常に早期に獲得され,生後数日という時期から母親の顔を好んで見
る。乳児は見慣れているものを好まないが,母親の顔を好んで見る。これは顔だけに見られる現象である。
実は,生後間もない赤ちゃんは視力が未発達なのである。さらには,境界線や枠に注意が引きつけられ,
枠内に注意がいかず全く認識できない。そのため,顔の周囲にある髪などに注意が引かれ,顔の中の目,
鼻,口を確認することは難しいはずなのである。このような能力の限界から考えると,赤ちゃんが生後す
ぐに母親に注視することは不思議なことである(山口 2006: 170)。顔の認識は,人間にとって非常に正
確で特殊な処理過程であり,新しく進化した処理過程と考えられる(Marr 1982)。山口(2006)は,人は
複雑な人間関係を作る社会的な動物であり,顔がそのための重要な役割を演じているため,遺伝学的に生
後間もない頃からこうした社会的な関係を作り出す機能が備わっているのだと考えている。遠藤(2006:
50)は,威嚇の表情など生物にとって脅威となる信号の素早い検出や反応は,生物学的に価値があり,そ
れを可能にするメカニズムが,系統発生的に古い段階から準備されている可能性があると述べている。こ
のような考えから,威嚇の表情は無意識的かつ自動的に処理され,反射的な反応を生み出していることが
予測される。また大人は 1,000 を越える顔を記憶したり識別したりすることができるが,これほどの数を
記憶できる物は他にはない(竹原・野村 2004: 6-19)。たくさんの顔を記憶したり,顔から表情,性別,
年齢を認識できたり,顔に関する情報処理機能が発達しているのは,人間に固有な特徴である。このよう
に,人には生まれつき顔を検出し追視する能力が備わっていると考えられている(山口・金沢 1998:
44-45)。
顔以外の視覚パターンを顔として見る知覚的偏向を相貌的知覚(physiognomic perception)と呼ぶ(Werner
2004: 67-82)。Werner(2004: 73)は,2 歳児が横向けに転がっているコップを見たとき,"Poor, tired cup!
(かわいそうに,コップさんが疲れているよ)"と表現した例を示している。そのときの子どもは,明ら
かにコップは力強く直立する物であると見なしており,倒れているのは疲れているためだと考えている。
これは,3 ~ 4 歳児までの子どもが主観と客観を分けることができず,直感的かつ情緒的に対象物を捉え
ることによる。一方,主体と客体を分化する大人でも,木が人に見えたり壁の染みが人の顔に見えたりす
ることがある。このときの特徴として,人の顔が見えるとき,そこには必ず目,鼻,口の並びがある。そ
れらの形状の類似性は大きな問題ではなく,その 3 つの配置によって私たちは自動的に顔を見てしまうの
である(山口 2006: 175-176)。このことは,先の身体部位詞を物体部分詞に転用する形式の 1 つの極(b)
類と比較すると,興味深い現象である。つまり,位置だけの類似であっても,目,鼻,口の並びがあれば
物体部分がそのベースとの関係で際立ち,もう 1 つの極(a)類になることを意味する。実際に,目,鼻,
口を投射した物体部分詞を合わせ持つ物に,[1.1]で示した西アパッチ語の自動車の例がある。しかし,
目がヘッドライト,鼻がボンネット,口がガソリン投入口を指すため,それらの並びは人間の顔とは大き
く異なっている(Basso 1990: 20)。それでも,「初期の頃,日本の新幹線は顔が良かった」と言えば,ラ
イトを両目,車両先端を鼻と見立てることができ,感覚運動性の類似もあり,目鼻の並びだけであっても
この文は容易に理解することができる。したがって,幼児のときの相貌的知覚と大人のこのような経験か
ら,人には「木々が囁いている」,「車がストライキを起こしている」のような擬人化表現を抵抗なく受け
入れる基盤ができていると考えられる。
4.顔認識電位
近年,顔ニューロン(face responsive neuron)と呼ばれる顔画像に応答するニューロンが側頭葉で見つ
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かったという報告がある(竹原・野村 2004: 108-119)。先に触れたように,認知言語学では神経のメカニ
ズムから認知システムを明らかにする研究も行われている(Lakoff & Johnson 1999)。ここでは,顔ニュ
ーロンの存在に基づいて,身体では顔が最も認知度が高い部位だということを科学的に裏付けることがで
きる可能性について検討する。
人の頭部に 2 つの電極を付けるとその間に電位差が生じる。その様子を脳波計で数万倍に増幅するとリ
ズムを持った波形として観察できる。ERP(event-related potential /事象関連電位)は,刺激や運動に関
連して生じる脳電位である。ERP 波形はいくつかの振れから構成されており,陰性方向の振れを N
(negative),陽性方向の振れを P(positive)と呼び,出現順に番号を付けるか,標準的な頂点潜時を付けて
区別する。ERP が記録できるのは,頭皮上で観察できる電場を形成するように配置されたある程度大き
な神経集団が一斉に活動するときだけであり,それ以外にも脳の中では多くの神経活動が生じている。そ
のような神経活動は,fMRI(functional magnetic resonance imaging /機能的核磁気共鳴画像)
,PET(positron
emission tomography /陽電子断層装置)などで記録される。
大脳生理学の研究では,顔に特異的に反応する神経細胞や大脳視野があるという発表が注目されている。
最近では,紡錘状回外側部(lateral fusiform gyrus)と上側頭溝近傍(superior temporal sulcus)が顔の認知
に関連するということが分かっている。顔の認識に関連した電位として最も安定的に記録でき,顔提示と
他の物体提示との間に最も大きな差があるのが,陰性電位 N170 と陽性電位 VPP(vertex positive potential)
である。N170 は左右後側頭部から,VPP は正中線上中心一頭頂部から記録される(小池 2004)。たとえ
ば,自動車,家,家具,手を被験者に提示した場合や,単純な線で描かれた顔図形の目,鼻,口などの各
部位の配置をスクランブルして提示した場合では,N170 が認められない(Eimer 2000)。しかし,通常の
顔図形を観察した後に同じようにスクランブルした顔を提示した場合は,N170 が生起する。これはプラ
イミング効果が生じたことを示し,正確な顔刺激でなくても N170 の生起が認められることを示唆してい
る。つまり,顔が検出されたことを示すものだと考えられる(Bentin & Golland 2002)。また,N170 の生
起は標準顔で最も強く認められるが,目,頬,後頭部などの部分的な提示でも認められる。さらに目,鼻,
口を含む中心部を隠した顔の方が中心部のみの顔よりも振幅が大きいことから,特定部位よりも顔の外形
に特異的に反応する神経細胞があると考える(Eimer 2000)。さらに,椅子,木,カニ,カエル,自動車,
鳥,飛行機,横向きの人の顔の絵,正面の人の顔の絵などを提示して VPP の振幅を測るという実験では,
およそこの順で 0 ~ 17μv の振幅が示され,人の顔に最も大きな生起を得た。人以外の物でも VPP が生じ
るが,振幅が少なく潜時も長い(Jeffreys & Tukmachi 1992)。
このように顔の認識は,顔の生物学的重要性や認識の卓越性から他の物の認識とは異なり,特殊なもの
であるという議論がしばしばなされ,顔認識研究の重要な問題となってきた。しかし,遠藤(2006)は,
顔認識の特殊性を議論するとき,顔認識と他の物の認識は個々のカテゴリー間の識別において差異のレベ
ルが大きく異なっており,顔を認識する操作は社会生活の中で人との接触によって積み重ねられた熟達し
た能力であることを考慮する必要があると考えている。したがって,顔認識の特殊性を問題にする場合,
単純に一般の物体認識と比較するのではなく,認識のカテゴリー・レベルと熟達の程度を統制した物体認
識との比較が必要になると,遠藤は述べている。また,上側頭溝近傍は視線や表情認識に関係する部位で
あり,紡錘状回外側部は顔検出や個体識別に関係する部位として FFA(fusiform face area)と呼ばれてい
る。FFA の機能については,2 つの異論が提出されている。1 つは,FFA が顔以外の物に反応することや,
物に対して強い反応を示す FFA 以外の近接領域(紡錘状回中央部,内側部)でも,顔に対して他の物と
は異なる反応パターンが認められる。このことから FFA は顔に特化しているのではなく,近接領域を含
めて複数の物体表象が重複分散表現されているという主張である。もう 1 つは,FFA は顔に固有の部位
ではなく熟達した下位レベルの認識一般に関係する領域だという主張である。ERP を用いた研究におい
ても顔に特殊な電位変化が何種類か報告されている。その中で,潜時が 200ms 以下で顔検出過程と関連
があると思われる ERP で頭皮上の電極から抽出されたものとしては,潜時 150ms ~ 200ms の VPP や N170
があるが,頭蓋内の皮質表面に直接電極をおいて測定されたものでは,紡錘状回を含む腹側後側頭皮質に
N200 が報告されている。これらの ERP は,顔以外の物体では生起せず顔にのみ生起するか,または,顔
以外の物体よりも顔刺激において有意に振幅が大きいことが分かっている(遠藤 2006: 54-56, 65-69)。小
池(2004: 155)は,N170 が顔提示で出現する特異な電位であるという問題を確認する実験は,顔と顔以
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外の物との比較によるものが多いと指摘する。それはすでに見たように,動物の顔,人の手,動植物,自
動車,家,家具,無意味な映像などと,人の顔を提示した場合とを比較するというものである。顔以外で
は N170 は生起しないという論文はむしろ少数で,多くの論文は振幅は極めて小さいものの出現すると報
告している。総合的に考えて,N170 は顔提示で最も明瞭に記録できるが,それは顔に特異的な電位では
なく,視覚認知一般の初期段階である構造の符号化に伴った電位であるという否定的な見解が示されてい
る(小池 2004: 155)。
本稿では先に,認知言語学では身体化された認知の神経学的モデル化の研究を進めてきたと述べた。顔
に関する身体部位の物体部分詞への比喩的拡張が多いことは,特に顔を認識する能力と関係があり,顔を
認識する特有の神経細胞が関与している可能性があると推測した。ヒューマン・インターフェースにおい
ても,顔が人間と機械・機器を結び付ける上で重要な役割を果たしている。しかし,この問題について,
顔認識のみに特異な神経細胞があるということは,明らかにできなかった。ただし,新生児から大人まで
に見られる顔認識の特異性から,換言すると顔の情報処理機能が発達していることから,顔認識に関与す
る神経細胞システムが特異な働きをし,それが人間の何らかの行為に反映されている可能性はあると考え
られる。
5.結
語
本稿では,見立てという人の認知能力に基づき,身体部位詞がメタファーとして物体部分詞になる例と
そのプロセスについて考察した。物体部分詞は比喩的意味拡張の基盤に人間あるいは動物の身体を置いて
いるが,究極的には世界を認識する基盤は人間の身体性や経験にあると考える。幼児が描く絵などの例を
証拠として,顔や目が人間にとって特に重要で認知度が高い部位だと予測し,認知度が高い身体部位を物
体部分詞として拡張することは,物の概念の理解を助けるというメタファーの特性からも極めて自然だと
考えた。その反映として顔や目が多く物体部分詞として拡張されていると考え,それらの部位の拡張例が
現実に多いことを確認した。
考察した用例から分かったことは次の 2 点ある。1 つは,Matsumoto(1999)および 松本(2000)の拡
張基盤を確認しながら事例を考察したが,その中で,英語の顔には"surface"を含む例が多いこと,日本語
の目の拡張例の特徴を明らかにしたこと,英語の目には機能を持つ例があること,鼻については形質的な
違いが日英語の拡張事例の数に反映されていることなどを明らかにした。また,頭,顔,目などの認識度
が高い部位は予測どおり拡張例も多いことが分かった。口については,視覚的な認識度との関連では顔,
目と比べて例が少ないと予測されたが,身体には容器のメタファーが成り立つことから,出入りの機能を
持つ口は無生物に対して身体的投射が最も成立しやすい部位であり,そのため拡張例が多いと結論づけた。
さらに,日本の文学作品からさまざまな比喩表現を集めて分類した中村(1995)の用例を観察した。その
中に取り上げられている 12 の分類体系の中で最も多いのは順に,身体,活動,自然,人間であり,最多
の用例数を持つ身体についてその内訳を多い順から示すと,頭・顔・目鼻,手・足・指,体となっている
ことを指摘した。このデータは扱っている比喩の種類や出典などの点で本稿の趣旨とは異なるが,身体部
位,特に顔(頭部)の用例が突出しているのは偶然ではなく,世界を認識する基盤は人間の身体経験に根
ざすという認知様式と深い関係があると考えた。もう 1 つは,物体部分詞における身体投射のあり方を視
覚的に捉えると,一方の極には身体部位と物体部位に対応関係が容易に類推できる類(a)が,他方の極に
はもはや多義の一つとして見なすべき対応関係を類推することが困難な類(b)が,位置するということを
明らかにした。(a)では,物体部分が位置や形状の類似性を持ち,物体部分がそのベースとの関係で際立
ちがあり,身体部位とその部位を含む身体領域が平行的に写像されている。(b)では,物体部分が位置や
形状の類似性を持つが,身体部位を極めて部分的な類似に限定して写像しているため,物体部分とベース
との関係は捉えていない。(a)と(b)の中間段階に,物体部分がそのベースとの関係で際立ちはないが,人
間の経験基盤や身体基盤の類似が身体領域の写像を補完している例があることを指摘した。
次に,顔/目の認識について関連領域の研究動向について概観した。擬人化は人間の持つ知識を最大限
に活用し,出来事,抽象概念,無生物などを理解することを支援していることについて述べた。その根底
には,身体的投射は人の身体が概念構造を形作るときの非常に分かりやすい例であるということがあり,
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苫小牧工業高等専門学校紀要第44号
実際に空間概念はさまざまなやり方で身体化されている。このため,身体部位詞が物体部分詞として用い
られる理由は,人間にとって視覚が非常に重要な感覚器官であるということと関係があると考えた。視覚
には,顔/目を前という空間概念に拡張させるための動機付けがあるだけでなく,英語"back"のように多
くの言語で視界に入らない部位である背中を後とする動機付けもある。そこで,言語と思考の獲得・使用
に関する身体化された認知の神経学的モデルの研究について触れた。顔に関する身体部位の物体部分への
比喩的拡張が多いことに着目し,このことと顔を認識する能力との間には特有の神経細胞が関与している
可能性について,顔ニューロンの存在を示す電位との関連を探ろうとした。しかし,この問題に対する見
解は,陰性電位 N170 が顔提示で最も明瞭に記録できるが,それが顔に特異的な電位ではなく視覚認知一
般に関わる電位であるという報告から,現在の段階では肯定することはできず,可能性を示唆するだけに
とどまった。
最後に,言語研究が「言語の具体と格闘することなく机上の理論の鋳掛け直しに終始する」ような姿勢
であってはならないと警告する宮岡(2003: 259)のことばを引用したい(注8)。宮岡はエスキモー語の研究
で知られるフィールド言語学者であるが(宮岡 1978, 1987),本稿の研究に関して筆者が連絡をとった
Hollenbach もメキシコのフィールドで研究する学者である。Hollenbach からは,ミシュテカ語についての
他,Hollenbach の師であり共同研究者でもあった Tagmemics で有名な Kenneth L. Pike の在りし日の姿に
ついても情報を得た。世界に広く目を向けると,政治や社会によって差別や弾圧を受けている言語があり,
毎年のように消滅していく言語がある。言語研究の方法論を越えて,言語がおかれている実態や社会環境,
そして現実に生きる人間を研究の視座に据えることで始めて見えてくるものがある,ということを忘れて
はならない。
注
*本稿の作成にあたって,次の方々のお世話になった。筆者が本稿の構想について語ったとき,山梨正
明先生は興味深いテーマであると筆者の研究を奨励し,注(4)のようなコメントを送っていただいた。ミ
シュテカ語の身体部位詞について,Barbara Elaine Hollenbach 先生は筆者の質問に快く回答してくださっ
た。英語の物体部分詞の例については,Anne Marie Miller Mochizuki 先生に確認していただいた。ERP の
記述については,大橋智志先生に草稿を読んでもらいコメントをいただいた。コーパスによる用例の検索
については,小野真嗣先生にお手伝いをいただいた。ここにお名前を記し,筆者からの感謝の意としたい。
(1) "a head of cabbage"(キャベツ1個)のように,身体部位詞が物体の全体を指し,構成する1部分と
して用いられていないものは本稿では考察の対象から除く。
(2) 物の形状によって絶対座標軸を決定するメキシコのツェルタル語(Tzeltal)では,物体の主軸が垂直
方向にある物は人間の身体を,水平方向にある物は動物の身体を,物体の形態が外輪状の物は果実や
樹木のような植物の部分を基盤にして,物体部分詞が構成されている(Levinson 1994: 811)。Levinson
は,ツェルタル語で木の枝を手(s-k'ab)というが,枝の数は 2 本ではないことに注目する。同様に
頭,鼻,耳が複数ある物に意味拡張されるのはなぜか,このメタファーを誘発するスキーマは本当に
あるのか,肩,あご,胸,頬などの部位が拡張される可能性がない理由は何か,などの多くの疑問に
答えられないことから,身体部位の物体部分への比喩的拡張だと捉える考え方には無理があると主張
している(Levinson 1994: 833-836)。しかし,このような問題があるのは,身体的投射は個別言語で
異なることを考えるとむしろ当然だと言えるだろう(Heine & Kuteva 2002; Lakoff & Johnson 1999;
Núñez & Sweetser 2006)。たとえば,英語では"the face of a clock"と言うが,日本語では「時計の顔」
とは言わないことや,日本語のパンの耳が「端の部分」という意味に由来することから,視覚的な見
立てばかりが身体的投射を許すのではないことは本稿で述べたとおりである([1.2]を参照のこと)。
さらに,自動販売機の硬貨の投入口や返却口,商品の取り出し口のように口が複数あったり,ある機
器の背面にコードの差し込み口あったり,取っ手が底に付いていたりするのは,機器の全体と顔の全
体を比較するのではなく,各部分が各身体部位と比較されているからなのである(松本 2000: 331334)。実際,日本の仏像(阿修羅増,千手観音菩薩像,十一面観音菩薩像,馬頭明王像)やギリシア
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神話の巨人(Cyclops,Argos)などの存在を考えると,身体投射の条件が認知上の問題であるため起
点領域の単なる複写とは限らないことが分かる。
ツェルタル語では,たとえば,目は種(sit),髭は根(isim)のように,人の身体が植物の部分と関
係する語が多くある(Levinson 1994: 802)。また,日本語の身,目,歯は草木の実,芽,葉から由来
した可能性がある(星野 1976: 163)。しかし,語の借用と認識の基盤が何にあるかは別問題である。
このことについて山梨は,子どものある段階の顔/頭と足が主体となる頭足人の絵や相貌的知覚など
の問題との関係で,興味深い現象だと述べている(私信/ 2007 年 12 月)。
英語"surface"は,ラテン語"superficies"にならったフランス語の造語"surface(above+face)"が語源で
ある。
茶碗を身体に見立てた例は,後述する相貌的知覚のコップの例に通じる([3]を参照のこと)。
<時間は動いている物体である>のメタファーによる時間の概念化については,疑問が提出されている
(篠原 2007; 谷口 2003: 24-26)。
1980 年頃,筆者が受講していた講義の中で,宮岡は,本物の言語学者とは橋本萬太郎,青木晴夫,
千野栄一などを指すと語ったことがあった。もちろん,宮岡の研究分野からの視点だと考えられるが
(田中 2008: 3),この宮岡のことばの背景には,上記のような言語学者たちの研究姿勢に対する畏
敬の念がある。それは,話者,社会,文化など,言語を取り巻くすべてを大切にしながら,言語の研
究を続けるという姿勢である。
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