青山学院大学総合研究所理工学研究センター 1998年7月25日 青山学院大学総合研究所 Research Institute of Aoyama Gakuin University 理工学研究センターニュース 1998. 1998.7. 25 VOL. 25 VOL.65 CENTER FOR SCIENCE AND ENGINEERING RESEARCH 「理工学研究センター」10周年を境として 理工学研究センター室長 秋光 純 総合研究所も今年で10周年を迎えます。理 事業に合わせて、 「理工学研センター」でも記念 工学研究センターも國岡、松本、鮫島各室長と続 講演会とテーブルセッション(オーラルとポス き、私で現在4代目となっております。 ターの中間のような形式)による研究発表を開 その間にプロジェクトも順調に成果をあげ てきており、現在までに32テーマの研究が修 催することを計画しております。 記念講演会は「村上陽一郎:岐路に立つ日本の 了し、現在4テーマの研究が進行中です。 大学理工学部――国際化はこんなところにも― 又、この10年間で、創立に参画された北村則 ―」と決定致しました。この準備も着々と進んで 久、研究代表者の犬塚直夫・金徳洲の3人もの先 おりますので皆様方の積極的な参加をぜひお願 生が現役で亡くなられました。 い致します。 現在は、理工学部も理工学研究センターも、ま さに激動期で大きく変わろうとしております。 最後に、理工学研究センターの将来について 一言コメント致します。これはすぐに解決できる 理工学研究センターも今回、金巻孝子さんが新 問題ではありませんが(そして「 『総合研究所創 設された先端技術研究開発センターに移られ、新 立10周年』に寄せて」で書いたことですが)も しく小久保基子さんが来られました。3年間色々 う一度、ここで、私見を述べてみたいと思います。 お世話になった金巻さんに感謝申し上げたいと 皆様よく御存知のように、理工学部では、文 思います。小久保さんもはりきっておられますの 部省に「ハイテクリサーチセンター」構想を提出 で、残りの期間出来るだけ頑張りたいと思ってお し、それが認められて本年度から「先端技術開発 ります。 センター」が発足致しました。両組織は全く別組 以下、残りの期間でやろうと思っております ことを列挙致します。 織ですが、なんとか、両組織が統合できないかと いうのが私の願いです。これには、メリット・デ (1)この号から「研究センターニュース」の メリットがあることは承知しておりますが、 (そ 紙面を一新し、より読み易い紙面にかえてゆきた していったん出来たものを統廃合するのがいか いと思っております。稲積先生の協力をえて、な にむつかしいかは、現在の省庁の統廃合をみても るべく、写真・図面を多くし、多くの方に読んで よくわかりますが…。)もう少し上のレベルでこ いただけるような紙面にしたいと考えておりま の問題をとりあげ解決の道を示して下さる方が す。特に「理工学研究センター」に現在直接関係 出てくることを念願しております。 のない方にも執筆していただき、「理工学部」 最後に、理工学研究センターも「マンネリ化」 「理工学研究センター」のあるべき方向をさぐっ の兆候が見えておりますのでなるべく新任の ていきたいと考えております。執筆のお願いにあ 若い方が「理工学研究センター」に興味をもたれ がりますので「忙しいから」などとおっしゃらず プロジェクトに参加して下さることを願ってお にぜひ執筆していただきたいと思います。 ります。 (2)2番目は、総合研究所の10周年記念 1 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 1998年7月25日 論理と数学と 数学教室 小池 和彦 数学は論理的学問といわれているが、本当で って 弟子もある段階(師の半分ぐらいの芸)まで あろうか? 小平先生も言っておられるように 達しないと、自分の付いてる先生が本当に偉いか 数学において使われる論理は 少なくとも 日常 どうかなど分かりはしない。だから 大学院学生 論理とはかけ離れたものであることは 間違いな ぐらいではたいていの学生は 自分の師匠が ど いと思う。よく 言われることは 理工学部 ある んだけ偉いかなど 分からず、人の評判を鵜呑み いは 理学部においてすら 数学を専門とする人 にするぐらいが関の山である。そして人の評判な 間の発言は、 学部の常識に照らせば エキセント ど当てにならないことは世の常である。) リックで なにかの委員会等で 数学の人間が発 こんなことを述べると 教育を行う身として 言しても、 皆 頑迷固陋の徒どもが また なにか 怪しからんではないかと怒る方もおられるかも 言い始めたと 迷惑そうな顔をされることが多い しれないが、 これは意味のないことではなく、 ということである。またこの関係は 大学全体の たいてい 世の中の多くのことは大きな声で何回 なかにおける 理工学部 あるいは理学部が占め も同じことを繰り返す人たちによって、潜在意識 る位置と類似の関係にあるということも よく言 の中に擦り込まれるのであって、 そういう人た われる。 ちが一番危険であることを意識することが重要 である。尤も多くの人たちは騙されたがっており、 種種の会議、及び 授業等で経験的に学んだ 自分の頭を使うことは嫌いで (これは 日本では ことは、日常においては 例えば 学内の会議等に 小さいころから 訓練された一種の省エネ法のよ おいては きちっと議論に筋が通っていることよ うで、先生が答えを与える前に エネルギーを使 り、声が大きく、人の言うことを聞かず、何人か うのは 無駄が多いということが 経験則として と徒党を組み、同じことを何回も繰り返して言う 擦り込まれた結果であろう) 、だれか他の人がな 人が 議論に勝つことが多いようである。 にか考えてくれて 指示してくれるのを待ってい これは授業においても成立するようで、なにか る。 授業で述べたとき、学生の方が 怪訝そうな顔を これは 学問においても同じで 大学院の学 されていても、 同じことを自信をもって 3回ぐ 生にそれはまだだれもやってないと思うからや らい繰り返すと大抵 納得したような顔をしてし ってみたらというと 何をしたらよいか分かりま まい、前の方に座っている気の弱い学生などは せんと言われることがままある。 うんうんと にこにこしながらうなずいてくれる ことすらある。これは 教育というよりは 一種 数学の不得意な大学院生と数学の話をする 催眠術とでも言うべきものであって 良いことと と こちらが当たり前だと思うことをなかなか分 は思えないが、たいていの先生は この種のこと かってくれないことがある。 を 意識してか、無意識のうちにか、やっておら どこが分からないかと聞いて、一段階づつ れることと思う。尤も それでも俺は分からぬ、 確かめると、はいはいといって そこは 納得して あの教師は無能でないかと思って 自分で考える いるようなので、最後に分かった?と聞くと首を のが良い学生であり、それで 教師の言っている かしげる。 ことが正しいことが分かることもあり、 また 本 どこが分からないか分からないらしい。 当に良い学生は 先生の言っていることが 意味 これは 小平先生も書いておられたが、数学が のないことであることを示して 教師を 乗り越 論理的学問とするとそんなことは起こり得ない えてしまう。 (そんなのは滅多にいないが。俗に はずで、 その同じ学生が学生寮の閉鎖等の社会 古来 日本で言われているように 師の半芸と言 2 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 1998年7月25日 事象の議論になると 一歩も引かず、堂々と議論 結局 今までに得た結論は非常に情けないも する。 のだが、 一般の 数学以外の社会事象についての 議論をするときや、 なにかが話題になったとき、 数学においては 議論の正誤は その場では っきりするものでないとしても いつかは正誤が 声小さく、かっこよいことを言わず、 ぼそぼそ はっきりするものであるから ある意味で割り切 と いろいろと考えていくと そういう考えもあ れる。間違っていれば反例を与えれば良いし、 正 るなーというような人が ぼくにとって 尤も信 しければ証明を与えればよい。 とはいっても 人 頼できる人のようである。 これはもちろん一般的な定理ではなく、個人 間は感情の動物であるから、数学者の間で、議論 的な経験則であって 反例はあることと思う。 していても こう簡単には行かず、あいつとはも う金輪際 議論しない、 久離切って勘当だという ことになることもある。 本年度、次の4件の研究プロジェクトが進行中です。 代表者 名 プロジェクト名 継 続 継 新 規 新 規 高機能性を有する無機薄膜材料 レーザーを用いた高度な計測技術 の開発とその応用に関する研究 配分額 (単位千円) 大畠永生・石津昌 平・稲積宏誠・高梨公 孝・安瀬美知子・竹田 賢・ 地主創・藤木英夫・ 倉次秀夫(客員) ・ 植田晶子(客員) 2,415 隆 雅 久 魚住清彦・馬渡鎮 夫・小川和雄(客員)・ S.Berezhna(客員) 3,063 重里有 三 永田勇二郎・ 澤邊厚仁・小川武 史・松本修 2,388 岡田昌 志 竹本幹男・西尾泉・ 林光一・三栖功 コンピュータ入門教育環境と方法 論 テンソル場CT法開発のための基 続 礎研究 研究分担者 矢頭攸 介 3 2,941 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 1998年7月25日 科学技術の発展と環境問題 化学科 重里 有三 ここのところ、我々の生活と密接に関係して 技術や文明」を(ある意味で宗教的に)徹底的に いる環境問題について、政治・経済を含む幅広い 否定し、知識欲や「より便利に、楽な暮らしをし 分野で様々な情報が飛び交っています。 これら たい」と望む気持ちを否定し、人間社会や文明の の情報の中には、理工学に関係している者として、 あり方をデザインし直さなければならない。 いろいろと考えさせられる要因が多くあるので (2)現代の我々の文明、科学・工業技術は地 すが、これらの多くの情報はかなり複雑に錯綜し 球環境を破壊し、限りある資源をかなりのスピー ているところがあります。 そこで、本稿では、 ドで浪費してしまっているのは確かである。 し 少し無理はあるのですが、理工学研究者として環 かし、これらの科学技術が様々な分野で人類に幸 境問題と科学技術の関わりについて考察をして 福をもたらしているのも事実であり、決して全面 行くうえでの基本的立場に関して考察してみま 的に否定できるものではない。 地球の環境保持 した。 能力や埋蔵資源が有限であることが科学的、定量 現代に至るまで我々は科学技術を飛躍的に 的に判明し、それらが我々の生活や健康に将来大 進歩させ、様々な工業技術を駆使し、自然に多く きな影響を与えそうだということは間違いない。 の働きかけを行ってきました。 本来これらの働 そこで、地球環境を決定している様々なシステム、 きかけは、我々の生活をより豊かにし、生活環境 また、それらと工業社会の関わりについて、科学 を快適にするために行ってきたはずなのですが、 的に徹底的に研究を深めて、それらを克服できる 大気汚染や水質汚濁などの問題のみならず、地球 新しい科学技術を創造してゆかなければならな の温暖化、オゾンホール、環境ホルモン、酸性雨、 い。 その時に、 「より深く自然のメカニズムを 熱帯雨林の減少をはじめとした地球規模での環 解明したい」という知識欲や、「より便利に、快 境破壊をもたらすに至っているのは残念ながら 適な暮らしをしたい」と望む気持ちは、それらを 周知のことです。 これらの地球環境問題への対 成し遂げてゆくための「原動力」の一つとなり得 処を考える場合に、多くの方々が多様な考えを主 るので、肯定されるべきである。 最終的には、 張していますが、科学技術の進歩に関して多くの いくつかの歴史的事象が証明しているように、科 意見に低通している基本的な姿勢は、極端に言え 学技術が生み出した問題を解決できるのは、より ば大きく以下の2つに(あるいはこの2つの意見 高度で独創的な科学技術である場合が多い。 の間のどこかに)分類することができると思いま す。 ここでの(1)の説明は極端な表現をしています が、環境問題を真剣に考える人々の意識・無意識 (1)現代の我々の科学文明、工業技術は地球 の中に(特に反原発運動や自然保護運動をしてい 環境を破壊し、限りある資源を膨大なスピードで る人達に)少なからず存在していることを感じる 浪費しているが、これは結局、文明や科学・工業 場合があります。 また、現実的には多くの環境 技術のあり方が本質的に間違っているからであ 問題は複雑な社会的、あるいは政治的な課題を内 る。 この間違いは、例えて言うなら「人間の原 包しており、科学技術のあり方のみに還元してす 罪」のようなものに起因しており、「より深く自 べてを議論することは無理があり不可能である 然のメカニズムを解明したい」という知識欲や、 かもしれません。 私は、基本的に(2)の考え方 「より便利に、楽な暮らしをしたい」と望む気持 に近い立場から環境問題を考え、本学院における ちは、根本的に「悪いこと」であり、「自然の摂 研究、教育に取り組んで行こうと考えています。 理に逆らう」ものであり、 「罪」なのである。 こ 人間の知的活動の創造性や可能性を信じること の様に環境問題をとらえて、解決の方向をつきつ からのみ、これらの複雑な問題に対する生き生き めて行くと、 「現在の人類が築き上げてきた科学 とした解答が得られると考えるからです。楽観的 4 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 1998年7月25日 すぎるかも知れないのですが…。 重里研究室のある日の風景 雑 感 化学科 木村 純二 “奪われし未来”という本が出版されて以来、数十の関連した本が書店に並び、また、 昨年、 新聞やテレビにダイオキシンや環境ホルモンなどが毎日のように取り上げられている。 化学をやっている者にとって公害問題がマスコミを騒がすたびに少し肩身の狭い思いをする が、このような場合化学物質からつくり出される素晴しい物が、我々の生活にいかに貢献している かはあまりは触れられない。これら環境の問題は行政指導の遅れと製造会社の怠慢が主な原因と考 える。つまり、直接口にする薬や食料関連品に限らず、化学物質や化学製品の生物や環境におよぼ す影響を考慮しなければならないし、あわせてその製品の再利用や廃棄方法などを義務づける必要 がある。また消費者も利便さを追及するだけでなく、慎重さの意識が必要かもしれない。このよう に化学的な知識がますます必要性を増している現在、その教育を、そして環境との関わり合いを今 まで以上に考えながら研究を進めなくてはならない。 5 青山学院大学総合研究所理工学研究センター 1998年7月25日 10周年記念事業 ――発見の喜びに浸る―― 10月3日(土)開催!! 10月3日(土)開催!! テ ー ブ ル セ ッ シ ョ ン :理工学部でどんな研究をしているのだろう? (8号館) (OHP、パネルなどを使った分かりやすい研究発表) 第1部 午前10時30分∼12分 第2部 午後1時∼2時30分 公 開 講 演 会 :講師 村上 陽一郎先生(国際基督教大学教授) (7号館) 「岐路に立つ日本の大学理工学部」 ――国際化はこんなところにも―― 午後3時∼4時30分 入場無料:友人・知人・高校生など、多数お誘い合わせておいでください。 村上 陽一郎先生 略歴 現在 国際基督教大学教授 昭和11年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。同大学院人文系研究科 比較分化博士課程修了。上智大学理工学部助手、同助教授、東京大学教養学部助教授、教授、東京大学先 端科学技術研究センター教授、同センター長、東京大学工学部教授等を経て、平成7年から現職。ほかに 放送大学客員教授、ウィーン工科大学客員教授などを歴任。 専攻は科学技術論、科学史、科学哲学。 科学技術会議政策委員会委員、OECD科学技術政策委員会副議長(日本政府代表)、ヴァティカン市 国立社会科学アカデミー選出会員、科学基礎論学会理事(編集委員長)など。 著書に「科学者とは何か」 (新潮社)、 「技術とは何か」(日本放送出版協会)、 「文明の中の科学」(青土 社)など多数。 編集後記 ずるずると遅れて発行が夏休み間近になってしまいました。 理工学研究センターという存在も、必ずしも物理的な実体が あるわけではなく、また通常の大学院を中心とした研究活動 との関係もなかなか難しいものだと感じています。それはそ れとしても、たんに総研との関係だけでなく、理工学部内で の一つのコミュニケーション媒体として、このニュースが役 立てばと思っています。これから、バラエティに富んだ内容 にしていこうと考えています。ながーい目で見守っていてく ださい。 (ひろ) 6 発 行:青山学院大学総合研究所理工学研究センター 連絡先:〒157-8572 世田谷区千歳台6-16-1 青山学院大学総合研究所 理工学研究センター事務室 ℡ 03-5384-1111 内2604 [email protected] 発行日:1998年7月25日
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