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事業譲渡と労働契約承継について
立命館大学大学院法学研究科法学専攻博士課程前期課程 1 回生
Ⅰ
田口裕貴
事業譲渡とは
事業譲渡1とは、
「事業の全部または重要な一部を他に譲渡すること」をいう2。事業譲渡につ
いては、会社法 467 条以下に規定があるが、明確な定義は置かれていない。そこで、事業譲渡
とは何であるかは解釈で決定することになる。
この点について、一般に「事業」とは「一定の営業目的のために組織化され、有機一体とし
て機能する財産」とされ3、「有体財産、無体財産、人材等からなる有機的一体として機能する
財産のことを意味する」ものといえる4。そのことから、事業譲渡とは、有機的一体として機能
する財産を第三者に譲渡することをいうものと考えられる。
事業譲渡の法的性質については、合併のように消滅会社の権利義務が包括的に存続会社また
は新設会社に承継されるというような規定5はなく、「取引行為と考えられていることから、何
を譲渡の対象とするかは個別の合意(事業譲渡契約)によって決せられることになる(これを
特定承継という)」ということができる6。そのため、労働契約の扱いがどのようになされるか
が、合意の内容によって左右されることになる。
Ⅱ
事業譲渡の合意内容と労働契約
上述のように、事業譲渡の法的性質は特定承継であり、
「個々の権利義務関係の移転は個別の
合意に基づ」いて行われる7。そのため、譲渡会社と譲受会社の間でどのような合意がなされた
かによって労働契約の取扱いが変わってくる。
1 明示的に労働契約承継の合意があった場合
まず、譲渡会社と譲受会社の間で明示的に労働契約承継の合意があった場合、譲渡会社から
譲受会社へ労働契約を移転させるためには、民法 625 条によって、労働者の同意が必要である。
すなわち、労働者が同意すれば、労働契約は譲渡会社から譲受会社へ承継されることになる。
このとき、労働者が譲受会社への移転を望まない場合は、同意しなければよいということに
なる。
2 特段の合意がない場合
次に、譲渡会社と譲受会社の間で労働契約承継について特段の合意がない場合である。これ
については、
「事業において労働者は不可欠の要素であり、譲渡に際して労働者が承継されるの
がノーマルなケースであるから、譲渡企業と譲受企業との間に特段の合意のないかぎり、労働
者全体を承継するという黙示の合意があったと解すべきである」とする見解が多数であるとい
える8。
事業譲渡という名称について、
「平成 17 年改正前商法では『営業』の譲渡等としていたのを、会社法は『事業』の譲渡等
と概念を改め」
、
「他の法人法制との整合性をはかり、また、商号との関係を考慮した」ものであるが、
「その規整の実質に変
更はない」とされている(神田秀樹『会社法〔第 11 版〕
』
(弘文堂、2009 年)309 頁以下)
。
2
吉田美喜夫・名古道功・根本到編『労働法Ⅱ』
(法律文化社、2010 年)313 頁。
3
富士林産工業事件・最判昭 40.9.22 民集 19 巻 6 号 1600 頁。
4
吉田ほか・前掲書(注 2)314 頁。西谷敏『労働法』(日本評論社、2008 年)444 頁も同旨。
5
会社法 750 条 1 項、752 条 1 項、754 条 1 項、756 条 1 項。
6
吉田ほか・前掲書(注 2)314 頁。
7
吉田ほか・前掲書(注 2.)317 頁。
8
西谷・前掲書(注 4)445 頁。吉田ほか・前掲書(注 2)319 頁も同旨。
1
1
裁判例においても、包括承継の黙示の合意を認定したものは多数存在する9。
3 明示的に労働契約を承継しない合意があった場合
上述の2つの場合と異なり、譲渡会社と譲受会社との間で、労働者の全部または一部を承継
しないという明確な合意があり、労働者が移転を望んでいるにも関わらずその対象から排除さ
れた場合、その効力をいかに解するかで問題となる。
この点について、
「ヨーロッパ諸国では、1977 年 EC 指令10とそれにもとづく国内法によって、
事業所あるいは事業所部門が他の所有者に移転するときには、移転の時点において存在する労
働関係から生じる権利と義務がそのまま承継されることが明記されている」 11。一方日本にお
いては、この問題についての「実定法を欠いているので、法解釈によって解決を図るしかない」
とされる12。しかし、「『取引の自由』という基本的な自由に関わるだけに、解決は容易ではな
い」ということができるであろう 13。そのことから、様々な学説・判例が提唱されている。以
下では、学説及び判例の状況について概観していく。
Ⅲ
学説及び判例の状況
事業譲渡と労働契約関係の帰趨については、主に自動承継説(当然承継説)と合意承継説(意
思解釈説)との対立がある。しかし現在では、両説の問題点を踏まえて、それぞれの問題点を
修正した見解も主張されている。以下では学説・判例の状況を見ていくこととする。
1 自動承継説(当然承継説)
この説は、
「営業譲渡に伴い、譲渡企業と労働者との労働契約関係が譲受企業へ自動的に承継
されるという」考え方である14。また、
「営業譲渡に際して労働者の地位はそのまま営業の譲受
人に受け継がれているのであるから、営業譲渡によって、一定の労働者を企業から排除するこ
とは、一般の解雇の問題と同一に論じられるべき性質のものである」とするものもある 15。こ
こでいう「『自動的』とは、労働者の承諾を得ることなく、また『承継』とは、移転対象である
労働契約関係が、譲渡企業におけるその内容に何ら変更を加えられることなく譲受企業に引き
古くは、松山市民病院事件・高松高判昭 42.9.6 労民集 18 巻 5 号 890 頁、近年では、タジマヤ事件・大阪地判平 11.12.8 労
判 777 号 25 頁、エーシーニールセン・コーポレーション事件・東京高判平 16.11.16 労判 909 号 77 頁など。
10
指令 3 条 1 項には、「
『譲渡の時点で存在する労働契約もしくは労働関係から生じる、譲渡人の諸権利と諸義務は、譲渡に
もとづき譲受人に移転する』と規定して」おり、
「これは、営業譲渡等にあたっての労働者の自動承継を認めたものと解され
ている」とされる(西谷・前掲書〔注 4〕444 頁)
。
11
西谷・前掲書(注 4)444 頁。なお、この点に関しては、「営業譲渡が行われるのは、企業経営が苦境に陥り、一定部署を
売却するという場合が少なくな」く、
「その場合、当該部署は余剰人員を抱え、かつ労働条件も経営実態からすると高すぎる、
という場合も少なくな」いということができるが、
「このような場合に、営業譲渡に際して当該部署の全従業員の承継および
労働条件維持を方が強制すると、営業譲渡契約自体が成立し難くな」るということができ、
「営業譲渡が成立することを前提
にすると労働者保護に手厚い法規制であるが、当該規制が営業譲渡の成立自体を阻害するおそれがあ」り、
「営業譲渡契約が
成立しないと、元来苦境にある本体企業の経営がますます行き詰まり、最悪の場合にはつさんという事態にも至りかねない」
が、「この場合、営業譲渡が成立していれば救われた雇用がすべて失われることにな」り、
「局所的にみると労働者保護に手
厚い法規制が、長期的に見た労働者の利益に反する効果を持ちうる」ということができ、こうした観点から、近時ではEC
指令への反省が高まっているとの指摘がある(荒木尚志「合併・営業譲渡・会社分割と労働関係」ジュリスト 1182 号(2000
年)19 頁)
。
12
吉田ほか・前掲書(注 2)317 頁。
13
吉田ほか・前掲書(注 2)317 頁。
14
中内哲「営業譲渡と労働契約」ジュリスト増刊『法律学の争点シリーズ7労働法の争点〔第3 版〕
』
(2004 年)184 頁。こ
の見解に立つものとして、幾代通・広中俊雄編『新版注釈民法(16)
』
(有斐閣、1989 年)65 頁、大隅健一郎『商法総則(新
版)』
(有斐閣、1978 年)313 頁、浅井清信「播磨鉄工事件・大阪高判昭 38.3.26 労民集 14 巻 2 号 439 頁判批」法律時報 35 巻
11 号(1963 年)103 頁、池田直視「播磨鉄工事件・大阪高判昭 38.3.26 労民集 14 巻 2 号 439 頁判批」ジュリスト臨時増刊『労
働判例百選(初版)
』(1962 年)215 頁など。
15
正田彬「会社解散と不当労働行為」季刊労働法 46 号(1968 年)43 頁。
9
2
継がれるという意味である」とされる16。この説は、福岡国際観光ホテル事件判決17が「企業は…
…有形無形の資本と労働力の結合による動的な組織とみるべき」と表現しているように、
「企業
18
組織と労働力との組織的・有機的一体性」を根拠にしていると考えられる 。
裁判例の傾向は、自動承継説のように「
『労働契約関係は当然に承継』され、合理的な理由な
しに(または合理的な措置をとることなく)引き継ぎを排除することは許されないとして従業
員の保護を図る」ものが「少なくない」ということができ 19、この立場からの判断が「なお多
数といえる」だろう20。
もっとも、「この立場では、営業譲渡に伴って労働契約関係が譲受企業に承継されるから、原
則として労働者と譲受企業との労働契約関係は肯定されることになるが、例外的にそれが否定
される場面も想定されて」おり、「具体的には、(ア)譲渡企業における特定の労働者を譲受企
業に引き継がせないことに特段の事情が存在する、あるいは、そのことを営業譲渡契約で定め
ている場合(留保付承継説)や、
(イ)譲渡・譲受両企業間に役員関係・企業施設・従業員構成
等で実質的な同一性が認められない場合(実質的同一性説)、等」があるとする見解がある21。
自動承継説に対する批判としては、
「譲渡当事者が労働契約の承継を明示的に排除している場
合にもなお労働契約関係が当然に承継されると解することには無理がある」とするものや 22、
「一部譲渡の場合に労働者意思を考慮せず当然承継ととらえることは民法 615 条からみて疑問
があ」るとするものがある23。また、
「第 1 に、合併における商法 103 条あるいはドイツ民法 613
条 a にあたるような、営業譲渡の際の労働契約約関係の承継を定める法文が見たあたらない以
上、ひとまず契約自由原則が妥当すると解さざるを得ない」こと、
「第 2 に、営業譲渡契約書の
実例を見ても、譲受会社が譲渡会社の労働者を『引継ぎ』はするものの、その処遇については
別途協議決定する等とされ、必ずしも譲渡会社における労働契約関係が『承継』される(=内
容に変更なく移転するとは限らない規定が多い」こと、
「第 3 にドイツにおける議論においても
……営業譲渡(存続分割・分離・財産一部譲渡)に伴って事業所譲渡 (Betriebsabergang)が行わ
れた場合に限り労働契約関係の承継という効果が発生するとされており、営業譲渡の際に常に
その承継が法的に導き出されているわけではない」ことから、自動承継説は「支持できない」
とするものもある24。
2 合意承継説(意思解釈説)
この説は、
「営業譲渡は、実務上、企業合同の手段として合併と同様の機能をもつことがあり
うるとしても、法的には、譲渡当事者間の債権契約に過ぎず、合併のように包括承継の効果を
中内・前掲論文(注 14)184 頁。
福岡地判昭和 27.5.2 労民集 3 巻 2 号 125 頁。
18
中内・前掲論文(注 14)184 頁。
19
洲崎博史「播磨鉄工事件・大阪高判昭 38.3.26 労民集 14 巻 2 号 439 頁判批」別冊ジュリスト 194 号『商法(総則・商行為)
判例百選〔第 5 版〕
』(2008 年)41 頁。
20
中内・前掲論文(注 14)185 頁。なお、この立場をとる判例としては、東京都済生会事件・東京地決昭25.7.6 労民集 1 巻
4 号 646 頁、前掲福岡国際観光ホテル事件(注 17)、神戸地姫路支判昭 38.11.21 労民集 14 巻 6 号 1434 頁など。また、
「本判
決も、一般にこのような裁判例に分類されている」といえよう(洲崎・前掲論文(注19)41 頁)
。
21
中内・前掲論文(注 14)184 頁。留保付承継説に立つものとしては、片岡昇『労働法(2)
〔第 4 版〕』
(有斐閣、1999 年)
84 頁、安枝英訷・西村健一郎『労働基準法』
(青林書院、1996 年)498 頁など。ただし、「留保付承継説の中でも、特定労働
者の排除を可能にする条件には、
『正当な事由』『合理的な理由』『特段の反証(事情)
』
『(引継)反対の特約』など、用いら
れる文言に差異」はある(中内哲「企業結合と労働契約関係」日本労働法学界編『講座21 世紀の労働法4労働契約』
(有斐
閣、2000 年)276 頁)
。
22
洲崎・前掲論文(注 19)41 頁。
23
鎌田耕一「東京日新学園事件・東京高判平 17.7.13 労判 899 号 19 頁判批」別冊ジュリスト 197 号『労働判例百選〔第 8 版〕
』
(2009 年)145 頁。なお、
「民法 615 条」と記載されているが、民法 625 条の誤りであると考えられる。
24
中内・前掲論文(注 21)285 頁以下。
16
17
3
当然に生じさせる組織法的な行為ではな」いことから、「民商法のルールとして考える限りは、
営業譲渡契約の当事者は、営業に属する個々の権利義務、たとえば労働契約関係を譲渡の対象
から除外する(すなわち移転させない)ことを契約で定めうるとみるほかない」し、
「法の特別
の規定(たとえば船員 43 条)なしに民法 625 条 1 項の例外を認めることはできず、譲渡会社の
労働者は譲受会社への転籍を拒むことができる」とするものである25。
また、営業譲渡における商業使用人の地位について譲渡人と商業使用人との関係はその承諾
を要しないで譲受人に移転するが、営業当事者の合意によってその引き継ぎを除外することは
自由であるとする商法上の有力学説を一般の労働者にも及ぼし、営業譲渡においては営業に属
する一切の財産を移転することを要し、「一般従業員の雇傭関係も同様に解してよい」が、「営
業の同一性に関係なき雇傭関係は特約をもってこれを排除してもさしつかえなく、従って、営
業譲渡契約において、代替性のある労務者の雇傭関係を排除する特約は有効である」とするも
のがある26。
一方で、①主張されている企業の有機体性という根拠は、労働者との関係を、営業の秘訣や
得意先との関係と同じく営業と不可分の一体とみているが、これは営業組織体が一個の債権契
約をもって譲渡されうること以上に有機体性を認めていない商法の立場から肯定しがたいこと、
②この問題は、企業における労働者保護の問題として、正面から労働法的な解決を期待すべき
分野であり、商法概念の援用によって解決しうるものではないこと、③民法 627 条の存在、営
業譲渡をしにくくすれば結局は労働者にも不利であること、営業譲渡をした後に不適合の労働
者を解雇するのであれば結局は同じになること、から、前記営業譲渡における商業使用人の地
位についての商法学説を労働者に及ぼすことに反対し、
「実定法の解釈としては、営業の譲渡に
当り営業譲渡当事者の合意によって労働者の引き継ぎを具体的に協約することにし(従って場
合によっては労働者の引き継ぎを除外することもあるであろうが)、他方労働者の関係が譲受人
によって引き継がれるに当たっては各労働者の同意を要する」とするものもある27。
ただ、いずれの見解をとったとしても、その根拠は、
「譲受人において譲渡人が従前雇傭して
いた労働者の引き継ぎを強制されるべきものではなく、また労働者も新しい企業者との間にま
で労働関係を持続すべく義務付けられるものではない」からであるといえるだろう28。
このような見解に立つ裁判例は当初は少なかったが29 、自動承継説への批判もあってか、
「1990 年代以降では、意思解釈説を採用して判断される事案も目立つ」ようになっており30、
「営業譲渡の当事者が労働契約関係の移転の有無を自由に決定し得ることを肯定したうえで、
個別的な引継ぎの排除(特定の労働契約を承継しないという譲渡当事者間の合意)を不当労働
行為ないし不当解雇の問題として処理するというアプローチが妥当であ」り、
「近時は、裁判例
においてもこのようなアプローチが主流になりつつある」といえるだろう31。
この見解によると、
「営業譲渡の当事者が労働契約関係の移転の有無を自由に決定し得ること
を肯定」することになるが、その後で「個別的な引継ぎの排除(特定の労働契約を承継しない
という譲渡当事者間の合意)を不当労働行為ないし不当解雇の問題として処理する」ことにな
洲崎・前掲論文(注 19)41 頁。この説に立つものとして、鴻常夫『商法総則〔新訂第 5 版〕
』(弘文堂、1999 年)146 頁、
菅野和夫「会社解散と雇用関係」山口浩一郎先生古希記念『友愛と法』
(信山社、2007 年)148 頁、中内・前掲論文(注 21)
288 頁、洲崎・前掲論文(注 19)41 頁など。
26
岩垂肇「企業廃止と不当労働行為」菊池勇夫教授 60 年記念『労働法と経済法の理論』
(有斐閣、1960 年)151 頁。
27
石井照久「営業譲渡と労働契約」石井照久著『商法における基本問題』
(勁草書房、1960 年)157 頁。
28
十倉紙製品事件・大阪地判昭 34.7.22 労民集 10 巻 6 号 999 頁。
29
この見解に立つ初期の裁判例としては、前掲十倉紙製品事件(注 28)など。
30
最近の裁判例としては、マルマンコーポレーション事件・大阪地決平14.6.11 労判 833 号 93 頁、勝英自動車(大船自動車
興業)事件判決・横浜地判平 15.12.16 労判 871 号 108 頁など。
31
洲崎・前掲論文(注 19)41 頁。
25
4
る32。すなわち、従来から争われてきた事案(譲渡企業から解雇された労働者が自らの引継ぎ
を拒否した譲受企業に対して労働契約関係の存在確認を求める裁判)においては、労働者を救
済することはできないのか」という問題が生ずることになる 33。この点について、様々な検討
がなされている。
2-a 「事実上の合併」説
この説は、「『事実上の合併』 34に伴い財産移転会社を解雇された労働者は、当事会社である
財産譲受会社により上記特約(労働契約の承継を排除する特約―筆者注)に関する合理的根拠
が示されない限り、当該特約が解雇権濫用(または整理解雇)法理を潜脱するものとして公序
良俗あるいは信義則に違反して違法・無効であることを理由に、移転された他の財産関係と同
様、労働契約関係についても合併と同効果、すなわち承継されたものと捉えて、当該譲受会社
との労働契約関係の存在を求めうると解すべきである」とするものである 35。また、これと同
様の判断をした裁判例も見受けられる36。
2-b 法人格否認の法理を用いて労働関係の承継を認めるべきとする説
近年、
「主として子会社従業員の親会社に対する権利を基礎づける法理であった法人格否認の
法理を事業譲渡に適用して、労働関係の譲受会社への承継を基礎づける試みの是非が検討され
て」いる37。また、裁判例においても、
「譲渡・譲受会社間に高度な実質的同一性がありながら、
譲受会社が採用の自由を主張して応募者の一部を不採用とすることは解雇権濫用の法理を潜脱
するための法人格の濫用にあたるとして、労働関係の承継を認めたもの」もある38。
この見解については、
「主として親子会社において用いられる法人格否認の法理が事業譲渡に
適用される要件は明確ではないが、概ね、譲渡・譲受会社に事業内容の実質的同一性が存在す
ること、事業譲渡に伴ってなされた解雇または採用拒否が解雇権濫用の法理の潜脱もしくは不
当労働行為に当たることが要件とされているようである」との指摘がある39。
2-c 合理的期待説
この説は、
「労働者の立場から見た場合、自分の就労していた業務が譲受企業でそのまま継続
することになり、かつその従業員が原則的に譲渡企業から採用されるとするならば、自分の雇
用が継続するものと期待するのは当然のこと」であり、
「解雇が合理的理由なしには許されない
とする解雇権濫用法理が労働法における判例法理として定着している(現在では労働契約法 16
条に規定が置かれている―筆者注)今日においては、この期待は法的に保護に値する合理的期
洲崎・前掲論文(注 19)41 頁。
中内・前掲論文(注 14)185 頁。
34
事実上の合併とは、「会社がその財産の全てを営業譲渡や現物出資(商法 168 条等)の手法を用いて他の会社に移転し、そ
の後、解散(商法 94 条等)あるいは清算(商法 116 条等)によって最終的には消滅することを指」し、
「これにより、当事
会社は、合併に関する法的手続きを経ることなく合併と同一の経済的目的を達成できるとされる」というものである(中内・
前掲論文(注 21)287 頁)
。
35
中内・前掲論文(注 21)288 頁。同様の見解として、野田進「企業組織の再編・変容と労働契約」季刊労働法 206 号(2004
年)63 頁。
36
例えば、前掲・勝英自動車(大船自動車興業)事件(注 30)では、事業譲渡契約にある明示の排除条項を公序良俗違反と
している。
37
鎌田・前掲論文(注 23)145 頁。なお、この見解については、本久洋一「企業間ネットワークと雇用責任」日本労働法学
会誌 104 号(2004 年)52 頁以下参照。
38
鎌田・前掲論文(注 23)145 頁、新関西通信システムズ事件・大阪地決平 6.8.5 労判 668 号 48 頁、第一交通産業事件・大
阪地堺支判平 18.5.31 判タ 1252 号 223 頁。
39
鎌田・前掲論文(注 23)145 頁。他にも、香山忠志「解散・営業譲渡と法人格否認の法理」季刊労働法184 号(1997 年)
121 頁、橋木陽子「営業譲渡と労働法」日本労働研究雑誌 484 号 63 頁などを参照。
32
33
5
待と言えると思われる」し、
「労働者は、営業譲渡がなければ雇用を喪失することはなかった」
ことを考えると「労働者は、合理的理由なしに一方的に雇用を終了させられないはずであり、
営業譲渡当事者間の合意という事実だけでは、労働者から雇用を奪う根拠となり得ない」ため、
「営業譲渡当事者間の合意により、譲渡企業の労働者の労働契約を承継することを拒むことが
できるかについては、解雇法理が類推適用されて判断されるべきであ」り、
「このように考える
と、労働者に労働契約が譲受企業に承継されるについて合理的期待があるかという判断基準は、
営業譲渡一般の場合に適用できるものと考えることができる」とするものである40。
この説によると、合理的期待の具体的判断基準は、
「譲受企業が譲渡企業の労働者の労働契約
を承継しないことに合理的理由があると言えるのは、営業譲渡にあたって譲渡企業がなしたこ
れら労働者の解雇が、整理解雇の法理から判断して許容される場合ということにな」り、
「そし
て、この整理解雇が無効と判断される場合には、譲渡企業に所属していた労働者の労働契約が
譲受企業に承継されることになる」としている41。
また、
「このように契約当事者の意思を無視して、労働契約関係を認めることに疑問はあろう
が、……有期労働契約の更新拒否に関する最高裁判例(日立メディコ事件・最判昭 61.12.4 判時
1221 号 134 頁―筆者注)でも、契約当事者の意思を無視して労働契約関係を認めているのであ
り、この解決方法がまったく許されないとは言えないと思われる」し、「譲受企業としては、必
要があれば改めて労働条件を変更するなり、雇用調整を実施することができる」ため「この解
釈論をとったとしても、譲受企業に極端な負担となるわけではないだろう」としている42。
Ⅳ
私見
まず、自動承継説の立場には賛同できない。それは、何故自動的に労働契約関係が承継され
るのかが不明確であるからである。確かに今までと同じ条件で同じ仕事ができるとすれば、自
動承継されると考えたほうが、労働者を保護することにつながるかもしれない。しかし、労使
間の契約が譲渡会社と譲受会社の合意のみによって勝手に移動するというのは、民法 625 条の
規定が存在することを考慮すると不自然であるし 43、営業譲渡は債権契約であることを考える
と明示的に労働契約を排除している場合にはどのように考えるのかがわからない。また、譲受
会社への労働契約関係の承継が必ずしも労働者にとって不利益ではないと言いきれず、例えば
譲受会社への移転後に労働条件が大幅に低下するということも考えられる。しかしその一方で、
譲渡会社に残ったとしても解雇権濫用法理(労働契約法 16 条)による制限がかかり容易に解雇
はできないことなどから一定程度の労働条件が維持されたまま雇用は維持される可能性が高い
といえる。このように考えると、結局は労働者に、譲受会社に移転するか譲渡会社に残るかの
選択の機会を与えるのが適切であるといえる。
しかし、労働者が譲受会社に移転することを希望しているにもかかわらず、譲渡・譲受会社
間で合意によりその労働者の労働契約承継が排除される場合も考えられる。この場合は、労働
契約の自動承継として問題を解決するのではなく、採用の自由を制限して解決していくべきで
あろう。すなわち、
「雇主は、労働者を採用するに当たり、……採用の自由を有する」が、
「営業
譲渡とか新会社を設立して旧会社の主たる資産を譲り受け、労働者を承継するといったような
……事情がある場合には、採用の自由が制限される」と考えるべきであろう44。
道幸哲也・小宮文人・島田陽一著『リストラ時代雇用をめぐる法律問題』
(旬報社、1999 年)123 頁(島田陽一執筆部分)
。
道幸ほか・前掲書(注 40)123~124 頁。
42
道幸ほか・前掲書(注 40)124 頁。
43
この点、例えば転籍の場合であれば「つねに労働者の個別的で明確な同意を要する」と考えられていることをも考慮する
と(吉田ほか・前掲書(注 2)147 頁)
、なお不自然であると言わざるを得ない。
44
JR 北海道等事件・最一判平 15.12.22 民集 57 巻 11 号 2335 頁での反対意見。
40
41
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この問題については、法人格否認の法理を用いるという考え方もできる 45。確かに営業譲渡
の場合であっても、譲渡会社・譲受会社間で実質的同一性があれば適用できないことはない。
しかし、法人格濫用事例として法人格否認の法理を適用するならば、例えば不当な目的(不当
労働行為など)を果たす目的で労働契約承継排除を行ったとしても、譲渡会社・譲受会社間で
支配関係がなければ、適用できないとも考えられる。また、法人格形骸化事例として法人格否
認の法理を適用することも考えられるものの、法人格形骸化が実際に認められることはほぼ皆
無に等しいといえる 46。そのことから、法人格否認の法理をどこまで営業譲渡に適用できる範
囲が極端に狭く、特殊な事例でないかぎり、実用的ではないといえよう。
また、「事実上の合併」という考え方もあったが47、なぜ「解雇権濫用(または整理解雇)法
理を潜脱するものとして公序良俗違反あるいは信義則に違反して違法・無効であることを理由
に」、譲受会社に対して労働契約関係の存在を求めうるのかが疑問である。すなわち、労働契約
関係は営業譲渡に伴って当然に譲受会社に承継されることを前提として、公序良俗違反ないし
信義則違反の効果を譲受会社に追及することとなるが、これでは当然承継説の看板を書き換え
たにすぎず、結局のところ問題の解決にはならないものと考えられる。
その点、合理的期待説は、当然承継説に対する批判に適切に解答していると考えられる。ま
た、採用の自由を制限するという点で有力な根拠となりうるとも考えられる。合理的期待説の
さらなる深化が、今後の営業譲渡と労働契約関係の帰趨に関する問題を解決することとなるの
ではなかろうか。
しかし、
「以上のような法解釈によっても、問題の根本的解決は困難である」というべきであ
り、「早急な立法的解決が望まれる」ということができるのではなかろうか48。
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鎌田・前掲論文(注 23)145 頁。
荒木尚志「企業組織の変動と使用者の契約責任」ジュリスト増刊『労働法の争点〔第3 版〕
』
(2004 年)183 頁。
中内・前掲論文(注 21)288 頁など。
西谷・前掲書(注 4)446 頁。
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