関東・伊豆東部沿岸における

出典:地震研究所彙報 Vol.59(1984)pp.501~518
紹介者:教育学部 総合科学専攻
小山研究室 2年30916013 瀬戸賀代
宝永4年10月4日と安政元年11
月4日の巨大地震による東海津
波は、静岡・愛知・三重県沿岸各
地に大被害をもたらした。
・・・・・
これらの記録は地震史料
や地方誌などに多数収録
されている。
伊豆下田以西
現地調査からかなり理解できるようになった。
関東・伊豆半島東部沿岸
地震史料に数個所の記録があるに過ぎず、南海・駿
河トラフ沿いに発生した宝永・安政津波がどの程度に
影響を与えたものか、はっきりしていない。
静岡県地震対策課と神奈川県防災消防課によってそれぞれ行政
官内の1923年関東地震による津波の現地調査が行われた。
伊豆東海岸の調査
神奈川県の報告
熱海で安政津波の言い伝えを聞く。
三浦半島西部沿岸に遡上した安政津波
の記録が集められている。
伊東・稲取で開かれた関東地震体験者
の座談会記事に安政津波の伝承が2~3
あることを知る。
東京湾内・房総・九十九里浜における宝
永・安政津波の記録が地方誌などにある。
今回、それら史料・伝承記録の集
収を行った。
ここでは、まず安政東海津波における各地の主な記録を示
し、浸水状況から津波の高さを推定し、関東地震津波と比
べて関東・伊豆東部沿岸における宝永・安政津波の特徴的
な挙動を考えてみる。
津波の高さ
は、ずれも東
京湾中等潮位
面(以下にT.P.
と略記する。)
を基準にとる。
柿崎
集落の大部分は津波に呑まれ(流失・全壊75戸、
死傷者なし)、天井まで潮がついた家があった。ま
た2派目の時、犬走の沖まで潮が引き、毘沙子島
まで陸続きになったとある。その潮位差から、津波
の高さは6.7mと報告されている。
外浦
安政津波の記録は「家屋浸水」と
あるのみで、詳しいことは分から
ないが、集落の地盤高が3.4~
3.7mあることから、津波の高さは
4~5mに達したであろう。
川奈
集落奥の高台にある海蔵寺において「石
段の下から3段目に潮がついた」とある。こ
れは、T.P. 4.5mの高さになる。
川奈の海蔵寺での水位域
A:1703年の元禄津波(8.2m)
B:1923年の関東津波(5.3m)
C:1854年の安政津波(4.5m)
稲取
「うしろ小路」(東町)から上がった波と港か
ら上がった波が衝突して過流となり、家屋
が「十王堂払い」の海岸に流されたとある。
また八幡神社前の石段あたりに鉢畑にお
ヒツが流れ着いた。三島神社下では床上
浸水があったという。これらの言い伝えか
ら、安政津波の高さはT.P.上5.4mくらいに
達したとみなされる。
伊東
関東地震の座談会記事に、安政の地震・
津波の被害は軽微であったとあるので、津
波の高さは周辺の状況から見て4m程度と
推測できる。また伊東では関東地震津波で
死者・行方不明109人を出し、伊豆地域で
最大の被害を受けている。津波の高さは
T.P.上5~7mと推測され、図にはその浸
水域を示す。安政津波の浸水域はこれより
狭い範囲であったと考えられる。
宇佐美
安政地震とその津波で留田港が
崩れ、係留または陸揚げされてい
た漁船が流出した。津波が集落
へ遡上しなかったことから津波の
高さはT.P.上4m程度と考えられ
る。関東地震津波では、町の中央
部に130mほど遡上し、流出111
戸、全壊33戸、半壊67戸の被害
を受けたが、死者は出なかった。
津波の高さはT.P.上留田地区が
高く大きな被害に見舞われた。
綱代
安政津波は「2~3町引くかと見れば、
またすぐ満ち、1ツ時の間に数回繰り
返す」とある。(地震資料)地震で屋
根瓦が落ちたが死傷者はなく、津波
の高さは集落に侵入しなかったこと
から、3m程度であったとみなされる。
関東地震津波は町内の1部に100m
ほど遡上したが、津波の高さは周辺
地域と比べて小さく、T.P.上2.7~
5.3mと測定されている。
熱海
今回の調査での話によると今の銀座通りにあ
る日吉つな宅では「安政津波のとき、あわびが
今の私の家ら辺に流れ着き“あわび屋”という
屋号がついた」という。この言い伝えが事実で
あるなら安政津波は浜から坂道を遡上し、地
盤高6.2mくらいの地点に達したことになるが
被害状況は不明である。図には関東地震津波
の浸水域を示す。当時海岸に面した旅館では
鴨居まで潮がつき、津波の高さはT.P.上7.3m
と測定された。また熱海市役所下まで遡上した
津波の高さ9.2mが最高値であった。
多賀
田方郡誌によれば、海岸沿いの人家が20軒流出したとある。地盤高を考えると津波の高
さはT.P.上4~5mに達したであろう。関東地震津波では町内に120mほど遡上し、流出
10戸、全壊71戸、半壊43戸あり、3人の死者を出している。津波の高さはT.P.上5.1~
6.5mに達した。
逗子
図には関東地震津波による浸水域を
示し、津波の高さは逗子でT.P.上6m、
小坪では6.8~7.7mと測定された。
安政津波の浸水域はこれより狭く、河
川流域の低地に溢れたと思われる。
福浦
醍醐院住職から聞いた話によると、
「安政地震の時、沖で難破した船の材
木が相当量海岸に打ちあがり、津波
は寺の階段下まで来た」そうだ。階段
下の地盤高はT.P. 上7.6mもある。
津波がどの当りまで溢れたかはっきり
しないが、熱海の伝承を考えると7m
近くに達した可能性がある。関東地震
津波においては真鶴では浸水域は狭
いが津波の高さはT.P.上8.6~9.2m
に達した。
東京湾内
地震資料によると安政津波では、津波が隅田川河口の浜町河岸に溢れ、川を遡上し台
東区に達し船を破損させている。また東京湾奥では水位が1~1.2mほど上昇したとみ
られる。関東地震では芝浦の検潮所で全振幅1.3mの津波が観測された。
太田和
安政津波では、浸水が田畑に
広がり、引き潮のとき対岸の長
井まで小田和湾内が干上がり、
3波目が最大波だったそうだ。
安政当時の海岸付近は低地で
あったようであるから、津波の
高さはT.P.上2~3mと測定さ
れる。
鴨川
図には元禄津波の推定浸水域を示
してあるが(津波の高さは約6m)、
安政津波はこれより狭く、中小河川
の流域沿いに溢れたと思われる。
神蔵寺の門前は現在なだらかな坂
道になっており、津波の高さはT.P.
上3~4mとみられる。関東地震で
は津波の高さは約2m、砂浜に上
がっただけで町内には侵入しな
かったそうだ。
銚子
銚子では陸地への影響はなかったので、津波の高さは1~2m程度であった。関東地震
では、銚子検潮所で全振幅45cmの津波が観測されたに過ぎず、房総南部と比べ、きわ
だって小さかった。
引用
http://kisyu21.wewe.jp/kiji/2005/050204/kiji.html
伊豆東部・相模沿岸
東京湾内
宝永津波によって、下田では安政津波と同様
に、町の大部分が流される大被害を受けた。
また、稲取・見高村の具体的な被害状況は
はっきりしないが、地盤高からみて津波の高さ
は3~4mぐらいに達しただろう。
東葛飾郡誌には宝永地震の記事に
「海嘯」とある。津波が目撃されてい
ることから、浦安~船橋海岸では水
位が1mぐらい上昇したであろう。
引用
http://kisyu21.wewe.jp/kiji/2005/050204/kiji.html
九十九里浜
八丈島
九十九里浜では地震から2時間ぐらい後に津
波が4回ほど押しよせ、最初の波より3~4波
目が大きくなり、河口から200mも遡上し、14
人の死者を出している。津波の高さは、T.P.
上1~1.5mぐらいに達したとみなされる。
末吉の洞輪沢では、津波の高さは
3mぐらいあったであろう。また、八
丈小島では畑が流されたとあるが、
地盤高を考えれば津波の高さは5
~6mに達したと思われる。
関東・伊豆東部沿岸における宝永・安政東海津波の高さの分布は、図のようになる。下
図には、両津波の高さの比較を示す。
●安政津波では、伊豆東海岸で
津波の高さは3~6mあり、半島
の付け根付近が高い。三浦半島
西岸と房総の鴨川では3~4mに
なる。東南海津波のとき、房総南
部の布良では全振2.7mの波高
が観測された。安政津波も房総南
部沿岸では、波の屈折効果で大
きな波高になったであろう。
●東京湾口の浦賀では安政津波
は2~3mの高さで浸水被害が
あったが、浦賀水道で津波は著し
く減衰し、湾内では1~2m程度に
なっている。一方、宝永津波では、
データが少ないが、波高の分布パ
ターンは安政津波と似ていると言
えよう。
伊豆半島東部沿岸における安政東海津波と関東地震津波との高さの比較を示す。
伊東~熱海間では、関東地震
津波の高さは7m、局地的に
は9mになっているが、安政津
波はこれを下回ったものの
6mに達している。南部では下
田を中心に安政津波の高さは
6mをこえたが、関東地震津
波は3~5mであった。安政津
波の高さが予想以上に大きい
一つの要因として伊豆半島東
部沿岸の海底地形が相模トラ
フに面して棚状の浅海域に
なっており、南海トラフ沿いで
発生した津波が伊豆東海岸に
回りこみ、沿岸にそってエッヂ
波のように伝播したことが考
えられる。
安政津波
宝永津波
●伊豆東部沿岸における安政津波の高さは3~6mに推定され、半
島の付け根が大きくなるような系統的な分布パターンを示している。
●三浦半島西岸の逗子・太田和では陸上に溢れ、津波の高さは3
~4mあった。外房の鴨川では町内に溢れ、津波の高さは3~4m
あり、目立って大きい。
●東京湾内の横浜・東京・浦安では河口付近の低地に溢れ、1~
1.5mほどの津波の高さがあった。
●宝永津波の高さの分布は、安政津波とほぼ同様なパターンを示
した。
●九十九里浜では中小河川に溢れて津波の高さは1~1.5mあり、
14人の死者を出している。
宝永・安政津波の高さは、相模湾沿岸では関東地震
津波のものを下回っているが、外房・九十九里浜では
2倍ほど上回ったとみなされる。
●図には、石橋モデルによる震源域
を想定した津波伝播図を示す。各地
域への伝播時間は、伊豆諸島の大
島・新島・三宅島で20分、相模湾沿
岸で30分、外房沿岸では40分と
なっている。
●波源周縁から放射する波向線は、
海底地形が複雑なので関東沿岸ま
で描かれていないが、波面のかたち
から伊豆諸島・房総南部沿岸に集
中することが予想される。
以上のように、宝永・安政東海津波が関東・伊豆東部沿岸に予想以上に
大きな影響を与えたことが判明した。港内ではたとえ1m程度の津波でも、
局地的に流速が大きくなることがあり、船舶・漁船に被害がでる恐れがあ
る。将来の東海地震に備え、津波対策の見直しが望まれるとともに、関東・
伊豆東海岸の住民も津波の波及を認識することが大切。