台日異文化比較研究 想像の共同体 導入 「ナショナリズム」に対する自分の考えを自 由に述べてください。(3分程度) 課題論文 課題論文 ベネディクト・アンダーソン/白石さや、白 石隆訳(1991=1997)「文化的根源」『増 補 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流 行―』NTT出版 著者紹介 ベネディクト・アンダーソン(1936年 - ) コーネル大学教授。 主著 Java in a Time of Revolution: Occupation and Resistance, 1944-1946, (Cornell University Press, 1972). Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism, (Verso, 1983, 2nd edition, 1991, Revised edition, 2006). 『想像の共同体: ナショナリズムの起源と流行』白石隆・白石さや訳、リブロポート、 1987年。 『増補 想像の共同体: ナショナリズムの起源と流行』白石隆・白石さや訳、NTT出版、1997 年。 『定本 想像の共同体: ナショナリズムの起源と流行』、白石隆・白石さや訳、書籍工房早 山、2007年。 Language and Power: Exploring Political Cultures in Indonesia, (Cornell University Press, 1990). 中島成久訳『言葉と権力――インドネシアの政治文化探求』(日本エディタースクール出版部, 1995年) The Spectre of Comparisons: Nationalism, Southeast Asia, and the World, (Verso, 1998). 糟谷啓介・高地薫他訳『比較の亡霊――ナショナリズム・東南アジア・世界』(作品社, 2005 年) Under Three Flags: Anarchism and the Anti-colonial Imagination, (Verso, 2005). 『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』(梅森直之編、光文社[光文社 新書], 2007年) 『ヤシガラ椀の外へ』、加藤剛訳、NTT出版、2009年 『増補 想像の共同体』論構成 感謝のことば 増補版への序文 Ⅰ 序 Ⅱ 文化的根源 Ⅲ 国民意識の起源 Ⅳ クレオールの先駆者たち Ⅴ 古い言語、新しいモデル Ⅵ 公定ナショナリズムと帝国主義 Ⅶ 最後の波 Ⅷ 愛国心と人種主義 Ⅸ 歴史の天使 Ⅹ 人口調査、地図、博物館 ⅩⅠ 記憶と忘却 参考 「八〇年代のネーション論に一時代を画したのが、ベネディク ト・アンダーソンの『想像の共同体』(一九八三)である。題名 の通り、ネーションが「想像」されたもの(イデオロギー)であ ることを多様な視点から論じている。アンダーソンによれば、近 代的ネーションを可能にしたのは、前近代の「メシア的時間」と は異質で世俗的な「均質的で空虚な時間」(ベンヤミン)を共有 している、という感覚、その想像である。しかも、そのような時 間観念を内容と形式の表面からつくり出したのが、出版資本主義、 とくに新聞と小説であった。たとえば小説では、複数の登場人物 がさまざまな場所で行動を起こすが、場合によってはそれは同時 に起こっている(物語上は「その間……」という形で語られる)。 そのような物語を「読む」ためには、「均質的で空虚な時間」に はめこまれている共同体を前提とする必要があるのだ。このよう なコロンブスの卵的指摘に加えて、無名戦士の墓やカレンダー、 国勢調査など、『想像の共同体』は文化的生産物の暗黙の前提 (イデオロギー)をラディカルに問い直す視点に満ちあふれてい る。」[大橋洋一(2006)『現代批評理論のすべて』新書館、 p.140] 「文化的根源」論構成 《宗教的思考様式とナショナリズムとの関係》 「無名戦士の墓と碑、これほど近代文化としての ナショナリズムを見事に表象するものはない。」 (p.32) 誰がねむっているのか知らない墓 (故意にからっぽにされている) ↓ だからこそ「公共的、儀礼的敬意が払われる」 「ナショナリズムの想像力が死と不死に関わ るとすれば、このことは、それが宗教的想像 力と強い親和性を持っていることを示してい る。この親和性は決して偶然ではない。した がって、ナショナリズムの文化的根源につい て考察するにあたり、まずは、あらゆる宿命 のきわみとしての死について考察することか らはじめよう。」(p.33) 「宗教思想は、死者とこれから生まれてくる 者との連鎖、すなわち再生の神秘に関係する。 「連続性」の言語によって、縁、偶然性、宿 命をおぼろげにでも理解することなしに、だ れが、自分自身の子供の受胎と誕生を経験す ることがあろう(…)/わたしがこんな単純 な所見を持ち出すのは。なによりもまず西欧 において、一八世紀がナショナリズムの時代 の夜明けであるばかりか、宗教的思考様式の 黄昏でもあったからである。」(p.33-34) 宗教思想 →死という不可能な問いに「連続性」(業、 原罪など)によって答える →不死をあいまいに暗示 進化論的/進歩主義的思考様式 →沈黙でしか答えない 「言うまでもなく、わたしは、一八世紀末における ナショナリズムの出現が宗教的確実性の腐食によっ て「生み出された」とか、あるいはこの腐食それ自 体について複雑な説明は不要であるとか、主張して いるのではない。さらにはまた、ナショナリズムが ともかく歴史的に宗教に「とってかわった」と言っ ているのでもない。わたしが提起しているのは、ナ ショナリズムは、自覚的な政治的イデオロギーと同 列に論じるのではなく、ナショナリズムがそこから ――そしてまたそれにあらがいながら――存在するにい たったナショナリズムに先行する大規模な文化シス テムと比較して理解されなければならないというこ とである。」(p.34-35) 「大規模な文化システム」 →「宗教共同体」 →「王国」 ■宗教共同体 「宗教共同体」(イスラム世界、キリスト教 世界、仏教世界、中華世界)は、「主として 聖なる言語と書かれた文字を媒体とすること によってはじめて想像可能となった」 (p.35) ○イスラム世界におけるマギンダナオ人とベ ルベル人のコミュニケーション 「かれらはたがいに相手の言葉を知らず、口 頭で意志を通じさせることもできない。それ にもかかわらず、かれらはたがいの文字を理 解した。それは、かれらの共有する聖なる書 が、唯一、古典アラビア語においてのみ存在 していたからであった。」(p.36) 「アラビア文語は、漢字と同様、音ではなく記号(サ イン)によって共同体を創造した。(そして今日でも、 数学言語はこの古い伝統を継承している。タイ人が +をなんと呼ぶか、ルーマニア人はまるで知らない し、その逆もまたしかり。しかし、両者はこの記号 (シンボル)を理解する)すべての偉大な古典的共同体 は、聖なる言語を媒体として超越的な力の秩序と結 合し、かくしてみずからを宇宙の中心とみなした。 それ故、ラテン文語、パーリ語、アラビア文語、あ るいは中国文語の広がりは、理論的には無限であっ た。(そして、事実、そうした文語が死語となって いればいるほど、つまり口語から離れれば離れるほ どよかった。だれでも原理的に純粋な記号の世界に 入ることができるのである。)」(p.36) 「漢字文化圏」とは? 「漢字文化圏」を、国民‐国家nation-stateの集合体と見なしてよいのか? 各国民‐国家の内部で、空間の透明性が過剰に想像されているのではないか? 20 不均質な音声空間 複音節膠着語型 声調:少 声調:多 單音節孤立語型 出所:西田龍雄『東アジア諸言語の研究Ⅰ』(京都大 学学術出版界、2000年)P38 21 不均質な音声空間 杜甫(712-770) 洛陽付近で言語形成をしたとされる 李白(701-762) 四川において言語形成をしたとされる (諸説あり) 22 ○聖なる言語=真実(の世界)と不可分に一体化したもの (世界に対して等距離の、それゆえに互換可能な記号で あるという観念は存在しない) 「真実語には、ナショナリズムとは異質の衝動、改宗へ の衝動がはらまれていた。ここで改宗というのは、特定 の宗教的信条の受容ということよりも、あの錬金術的吸 収を意味する。夷狄が「中華」に、リフのベルベル人が ムスリムに、イロンゴ人がキリスト教徒になる。人間存 在の本性は聖礼によって変形可能なのである。(…)そ して結局のところ、「イギリス人」がローマ教皇になり、 「満州人」が天子になることを可能にしたのも、この聖 なる言語による改宗の可能性にあった。」(p.38) ○聖なる文字を読むことのできた文人=「広 大な文盲者の大海に頭を出した小さな識字者 の岩礁」 ≠「神学テクノクラット」 =天上(聖なる文字の世界)と地上(俗語) を仲介 (神を頂点とする宇宙の秩序のなかで、戦略 的な階層を構成) ○宗教的想像共同体の「自覚されざる整合性」 は中世後期以降、着実に減衰していった 理由① 非ヨーロッパ世界探査の影響(世界が 相対化され始めたこと) 「無意識に「われわれの」(それは「かれら の」ともなる)と言い、またキリスト教徒の信 仰を「真の」ではなく「最も真実の」と書くこ とに、きたるべき多くのナショナリストの言語 (…)を予示する信仰の領土化の萌芽を探知す ることができる。」(p.41) 理由② 聖なる言語それ自体がしだいに格下げされていっ たこと 出版資本主義(プリント・キャピタリズム)による変化 一五〇〇年以前に出版された本の「77%」=ラテン語 「23%」=俗語 「一五〇一年パリで出版された八八点のうち、八点を除い て残りすべてがラテン語であったのに対し、一五七五年以 降には、大多数はフランス語となった。」(p.42) 「ラテン語は、汎ヨーロッパ的高等インテリゲンチアの言 語たることをやめてしまう。」(p.43) 「ラテン語の没落は、旧い聖なる言語によって統合されて いた聖なる共同体が徐々に分裂し、複数化し、領土化して いくというより大きな過程を例証していたのである。」 (p.43) ■王国 王権の正統性=神に由来(住民に由来するのではな い) 「近代的概念にあっては、国家主権は、法的に区分 された領土内の各平方センチメートルに、くまなく、 平たく、均等に作用する。しかし、国家が中心に よって定義された旧い想像世界にあっては、境界は すけすけで不明瞭であり、主権は周辺にいくほどあ せていって境界領域では相互に浸透しあっていた。 このことから、逆説的に、前近代の帝国、王国は、 きわめて多種多様な、そしてときには領域的に隣接 すらしていない住民を、かくもたやすく長期にわ たって支配することが可能となったのだった。」 (p.44) 《君主制国家の婚姻システム》 「王朝の結婚は、多種多様な住民を新しい頂点の 下にまとめあげた。」(p.44) 「実際、王の血統は。神々しさの他に、いわば雑 婚を、威信の源としていた。というのは、そうし た雑種は、至高の地位を示す記号だったからであ る。一一世紀以来(…)、ロンドンで「イングラン ド人」王朝が支配したことなど一度もないこと、 このことはまさに特徴的である。そしてまた、ブ ルボン家に一体どの「国籍(ナショナリティ)」をふ ればよいのか。」(p.45) ↓ 「一七八九年以降、正統性の原理は声高にまた 意識的に擁護されねばならなくなり、その過程 で「君主制」はなかば規格化されたひとつのモ デルとなっていった。」(p.46) 「一九一四にいたってもなお、王朝国家は、世 界の政治システムの過半を占めていた。しかし、 …多くの君主は、旧い正統性の原理が沈黙のう ちに萎えていくにつれ、「国民的」意匠を手に 入れようとしていた。」(p.46) ■時間の了解 「聖なる共同体、言語、血統の衰退の下で」、 「世界理解の様式に根本的変化が起こりつ つ」あり、それが「国民」を至高可能なもの とした。 ○キリスト教世界は、文人を媒介として、普 遍的形式・概念を、視覚的・聴覚的創造に よって、具体的・個別的に、文盲の大衆へと 与えた。(【注意】報告者による要約) 【時間観念の変容】(ベンヤミン) ○「メシア的時間」 「即時的現在における過去と未来の同時性に相当す る。そして、事象をこのようにみるとき、「この間 (かん)」という言葉はいかなる現実的意味ももちえな い。」(p.49)。 ○「均質で空虚な時間」 「同時性は、横断的で、時間軸と交叉し、予兆とそ の成就によってではなく、時間的偶然によって特徴 付けられ、時計と暦によって計られるものとなっ た。」 (【報告者注】過去・現在・未来というように、時 間を線形状へ空間化し、それを俯瞰的に把握しうる ような主体を捏造する。) ○一八世紀ヨーロッパに始まる「二つの想像 の様式」 = →「国民という想像の共同体の性質を「表 示」する技術的手段を提供」 小説、新聞 ■小説の構造 ①登場人物が「がっちりと安定した現実性をも つ」「社会」の中に「はめ込まれている」 ②登場人物の行為は、全知の読者の頭の中に 「はめ込まれている」 (「さながら神のごとく」、「すべて同時に眺 めることができる」) →「すべての行為が、時計と暦の上で同じ時間 に、しかし、おたがいほとんど知らないかもし れぬ行為者によって行われているということ、 このことは、著者が読者の頭の中に浮かび上が らせた想像の世界の新しさを示している。」 ↓ 「社会的有機体が均質で空虚な時間のなかを暦に 従って移動していくという観念は、国民の観念とよ く似ている。国民もまた着々と歴史を下降し(ある いは上昇し)動いていく堅固な共同体と観念される。 ひとりのアメリカ人は、二億四千万余のアメリカ人 同胞のうち、ほんの一握りの人以外、一生のうちで 会うことも、名前を知ることもないだろう。まして 彼には、あるとき、かれらが一体何をしようとして いるのか、そんなことは知るよしもない。しかし、 それでいて、彼はアメリカ人のゆるぎない、匿名の、 同時的な活動についてまったく確信している。」 (p.51) ○小説の描写 描写される地平が読者にわかるように「囲われている」 こと 複数形の世界=「そのどれもがそれ自体としてはいかな る意味でも固有の重要性をもたず、それでいてすべてが (同時に別々のところに存在するまさにそのことによっ て)」、いま・ここの社会空間を目の前に思い浮かばせ ること 登場人物に対する「われわれ」という代名詞の使用→共 同体はすでにそこに存在している ↓ 「小説の「内的」時間から(…)読者の日常生活の「外 的」時間へと、…移動していく」 ■新聞の構造 ○日付によって、「本質的なつながり、ゆるぎなく前進す る均質で空虚な時間」が提示される。←小説的構成 ○新聞=近代的大量生産工業製品(本の一形態)、「一日 だけのベストセラー」(p.61) 「虚構としての新聞を人々がほんとまったく同時に消費 (「想像」)するという儀式」=「異常なマス・セレモ ニー」が創り出される。 「我々は、ある特定の朝刊や夕刊が、圧倒的に、あの日 ではなくこの日の、何時から何時までのあいだに、消費 されるだろうことを知っている。(それは砂糖と対照的 である。砂糖の消費は時計によらない連続的な流れとし て進行する。砂糖は悪くなることはあっても、時代遅れ になることはない。)」(p.62) ↓ 「このセレモニーは、毎日あるいは半日毎に、 歴年を通して、ひっきりなしに繰り返される。 世俗的な歴史時計で計られる想像の共同体を、 これ以上に髣髴とさせる象徴として他になに があろう。」(p.62) アンダーソンの主張 「国民を想像するという可能性それ自体が、 古来の三つの基本的文化概念が公理として 人々の精神を支配することができなくなった とき、その場所で、はじめて歴史的に成立し たということ」 【衰えた三つの基本的文化概念】 1. 「特定の手写本(聖典)語だけが、まさに真理の不 可分の一部であるということによって、存在論的真 理に近づく特権的手段を提供するという観念」 2. 「社会が、高くそびえたつ中央――他の人間から隔 絶した存在として、なんらかの宇宙論的(神的)摂 理によって支配する王――の下で、そのまわりに、 自然に組織されているという信仰」 3. 「宇宙論と歴史とは区別不可能であり、世界と人の 起源は本質的に同一であるとの時間観念」 ↑ 出版資本主義(プリント・キャピタリズム)によって促 進された
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