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NPO法人生活の発見会
宇都宮集談会 主催
森田療法理論学習
第5回 森田概要セミナー
- 森田理論の概要を再確認しよう! ・森田正馬先生と森田理論
・森田理論の骨格
・森田理論と生活の発見会の位置づけ
2008年 8月 24日(日)
まさ たけ
森田理論と森田正馬
森田先生とは、
どういう方だったのか
明治7年1月
高知県香美郡富家村(現・野市町)生まれ
明治20年9月(14歳)県立高知第一中学校入学
中学2年級:心臓病を患う←器質的なもので無く、神経質素質に由来する心身症(正馬後に述懐)
中学3年級:父に無断で、同級生と上京、郵便通信学校の官費生を目指し私立の予備校に通う
生活困窮→父に詫びの手紙を送り、仕送りを懇願
直後に脚気に罹る→心臓病、肺結核と並ぶ難病→高知に戻り、第一中学校に復学 腸チフスに罹患
明治28年7月(21歳)県立高知第一中学校卒業
明治28年9月(22歳)第5高等学校(熊本)入学
明治29年 月(23歳)母の妹、田村寅女の長女 久亥(ひさい)と結婚
明治31年 月(25歳)第5高等学校(熊本)卒業
明治31年 9月(25歳)東京帝国大学医科大学入学
高等学校時代は治まっていた神経症的な症状が2年級の頃から再び顕著となる
心悸亢進発作が、大学入学後に頻度を増した為→神経衰弱で、脚気を患っているとの事で、服薬を続ける
臨床講義ではそこで説明される症状がもしや自分にもあてはまりはしないかと探りを入れて、講義に身が入らない。
2年級の頃、郷里の父に約束と取りつけていた学資の仕送りが途絶え、食費や医療費の支払いがままならなくなる。
→正馬は怒りを生家にぶつけ、父に対する面当てに”死んでもいい”と思いを定め、
服薬の一切を止め、睡眠時間を削って定期試験の準備に没頭
→不思議な事に病に対する不安と恐怖はいつのまにか嘘のように消えうせ、
今まで少しも頭に入らなかった教科書やノートの内容が実に良く染み入ってきた
”過去を振り返らず、未来をはからず、目前のなさなければならない対象に打ち込んで自我を忘却して今を生きる時
人間の心身は最も動機的に発揮されるのであり、そうして神経症的な不快、不安、恐怖は消滅していくのだ”と言う
後の森田療法思想として深められていく論理の原型を、この体験を通じて直覚していた。
明治33年 9月(27歳)妻久亥 上京。
明治35年 9月(29歳)医科大学卒業。精神病学教室助手への願書提出
明治36年 2月( 歳)巣鴨病院入局(医科大学精神病学教室)
喀痰の中に血が混じる→肺尖カタルと診断される
慈恵会医院医学専門学校の精神病学講義の担当を呉教授より指示される
正馬が当時熱心に取り組んだのが、睡眠療法の研究→効果は無く関心も薄らぐ
明治39年 11月( 歳)根岸病院医長へ--->巣鴨病院での研究も継続できる事を条件に
明治44年 月(38歳)長男 正一郎 誕生
生活の発見会の創始者
自宅での日曜在宅診療開始→症者との実践的交流の中から療法を創案して行こうとした
水谷啓二氏も入院治療を受ける
大正8年 (48歳)頃 森田療法の確立
大正11年 (歳)頃 ”神経質の本態と療法” 発表 --->森田療法に関する初めての論文
大正13年 6月(50歳)東京帝国大学医学部より医学博士号取得
昭和5年
正一郎(20歳) 肺結核にて死去
昭和10年
妻久亥急逝
昭和13年4月5日 逝去 64歳
森田理論の骨格 (1)
劣等感の
かたまり
(不安は)
全てが不潔で
たまらない
“あるがままに なすべきをなす“
自分は
何もできない
人前で
震えてしまう
回りの人の
視線が気になる
雑談ができない
のが苦しい
手が震える
心臓が苦しい
どうすればいいのか?
本当?
別人になれる?
すぐ
赤面してしまう
自分だけの症状? 病気?
STEP-1
NO !!!
今やるべき事に手をつける = 治る
STEP-2
森田理論の骨格 (2)
(不安は)
STEP-1 “あるがままに = “自己受容 (現実を受け入れる / 事実唯真)”
いづれの悩みも、背後には 不安 が潜んでいる
<< 欲望と不安 >>
<< 感情の法則 >>
不安のきっかけ
①放っておけば消えていく
生の欲望
不安・恐怖
気にする
②衝動を満たせば、消失する
不安・症状が強くなる
③慣れる事でやわらぐ
④注意を向けると強くなる
悲しみ・憂うつ感
落ち込み・嫉妬・憎悪
強くありたい
ますます注意が向く
健康でありたい
人に認められたい
人とより良い関係を築きたい
生きている限り、
欲を捨てる事はできない
いやなものであるが、
生存上欠くことのできない必要なもの!!
(不快な感情は防衛反応)
悪循環
⑤体験が感情を育む
(不安・不快な)感情は、自然現象の一つ
感情は意のままにはならないが、
法則がある
悩み
共存していくしかない(今の自分で十分!!)
森田理論の骨格 (3)
(感情はそのままに)
STEP-2
行動
なすべきをなす“ = 今やるべき事に手をつけよう
不快な感情のままに
まず、行動してみよう!
感情は自由にならないが
行動には意志の自由がある
感情の法則を思い出そう!
このプロセスを
実践課題を通して実感してみよう!
できた自分をほめる
↓
充実感と自信
・初めての行動には不安はつきもの
・行動には“はずみ”が必要
・行動には波がある
・今出来ることは一つしかない
・取り越し苦労には時間切れ宣言
・100%完全な行動はありえない(60点主義)
・休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換
・愚痴は行動をにぶらせ、仲間を悩ませる
・理想は高く、実行目標は小刻みに
行動の原則
評価
自信
総括
次の
目標・行動
成長
悩みを持ちながらも、生活できる = 治る
森田理論と生活の発見会
第107回東京基準型学習会
明治45年
森田先生
自宅診療開始
■日時:2008/9/ - 11/
毎週土曜日 午後 連続12回
昭和7年水谷啓二(共同通信社記者)氏も入院治療
■場所:本部集会室
■定員:15名
昭和31年
水谷氏 啓心会スタート : 同人誌『生活の発見』発行
■参加費:25,000円
■申し込み先:
昭和34年
森田療法と
神経質体験を話し合う定例会
隔月第2日曜
皆が自分をさらけ出し、
意見をぶつけ合う
↓
セルフカウンセリング
セルフヘルプ(自助)グループの先駆
啓心療開設
本部 事務局 TEL/03-6661-3800
神経質者の啓蒙と森田療法普及
申し込み方法等、詳細確認下さい
昭和36年
啓心会診療所開設
昭和45年3月
水谷啓二氏急逝
(所長:宮崎医師)
・各集談会での定例会
( 毎月 1回 )
・各地区ブロック
昭和45年5月
生活の発見会スタート
(各集談会の地区単位)主催の
理事会による運営
→初代理事:長谷川 洋三氏
“基準型学習会の実施”
森田療法を大衆化し
発見会を集団で運営
各地で開いていた『啓心会』の名称を
『生活の発見会地区集談会(略称:集談会)』に改め
平成13年
・会員数:約4,600人
・集談会数:153ヶ所
平成17年
生活の発見会は、自助グループ
集談会は毎月チェックの場
NPO法人化