第13講 ジャパニメーションとは何か

第13講 ジャパニメーションとは何か
1.ジャパニメーションとは何か
(1)ジャパニメーションの意味
・日本製のアニメーション作品
1970~1980年代アメリカで日本発信の文化
や人種に対する蔑称、偏見として頻繁に使用
されていた。
・1988年大友克洋「AKIRA」のアニメ化で講
談社が戦略的に使用、海外で人気となる。
・コンテンツビジネス保護・振興の対象にア
ニメや漫画が取り上げられたが、大塚英志
らが批判的に論じた。(『「ジャパニメーショ
ン」はなぜ敗れるか』2005、角川書店)
↑
日本経済がジャパニメーションに依存する
ような政財界のあり方を批判。
(2)アニメanimeという言葉
animeは日本からの外来語として欧米で使
用された。1992年アニメエキスポが開催され
るとanimeが英語として一般に普及していく。
2.アニメ・漫画の歴史
(1)日本漫画の変遷
1)奈良~江戸時代
・日本最古の漫画 法隆寺の天井裏・ 自
画像
・鳥獣戯画・信貴山絵巻12~13世紀
諸説あるが、鳥羽僧正の作と言われる。
・一休禅師 骸骨踊りの絵 15世紀
・北斎漫画(18~19世紀)
お岩さん→
2)大正~昭和期
・日本初の連続漫画『正ちゃんの冒険』(椛島
勝一作)鈴木文史朗の発案によりアサヒグラフに掲
載。(大正末期)
・アメリカ漫画のキャラクター流入→ブームへ
(昭和5~8年)(ミッキーやベティちゃん)
・田河水泡(昭和10年代~終戦期)『のらくろ』
・ミッキー物 廣瀬しん平『ミッキー忠助』、
謝花凡太郎『ミッキーの活躍』などアメリカ漫画の二
次著作によって日本漫画は発展
(今日のコミック・マーケットの本質的意義の考察必要)
3)戦後漫画の発展
・紙芝居 戦前世界恐慌(1929)あたりから盛
んになる。戦後、紙芝居作家から著名な漫画
家輩出。
白土三平 「カムイ伝」「甲賀武芸帳」「忍者
武芸帳」など
水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」など
・女流漫画家の登場
長谷川町子「サザエさん」
(田河水泡に師事)
・手塚治虫 戦後まもなく四コマ漫画「マァチャンの日記
帳」でデビュー。53年豊島区のトキワ荘に住み、そ
こに才能ある気鋭の漫画家たちが集まる。「トキワ
荘グループ」といわれた。
・トキワ荘の作家達
藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫など
・女流漫画家・24年組=大泉サロン
昭和24年生まれの女流作家が多く登場。
萩尾望都(もと)「ポー一族」など
竹宮恵子「風と木と詩」など
彼女らの住んでいたアパートを大泉サロンといい、
「トキワ荘グループ」の女性版
(2)アニメの誕生
アメリカでセル画によるアニメは1914年頃か
ら登場している。
1)日本最初のアニメ制作
1917年下川凹天(へこてん)が最初。同年、
幸内純一、北山清太郎が相次いで制作。
この3人が日本アニメの創始者といわれる。
2)戦時中のアニメ
戦意高揚のためのアニメが盛んに作られた。
3)最初の劇場用アニメ
1956年日本動画社
を東映が吸収、東映
動画が創設された。
1958年初めての
劇場用アニメ
「白蛇伝」公開
東映動画は「東洋のディズニー」を目指す。
(3)TV初の本格アニメ~スタジオ・ジブリへ
1)「鉄腕アトム」(手塚治虫)TVに登場
1963年、虫プロダクション。
アメリカへ輸出。海外進出第1号
2)東映動画の発展と衰退
「鉄腕アトム」と同年東映動画
は「狼少年ケン」でTV界進出
・東映動画は「白蛇伝」以後、「わんぱく王子
大蛇退治」「長靴をはいた猫」「太陽の子ホ
ルスの大冒険」は次々に発表。
しかし、やがてテレビとの競争で、
衰退していき、東映は71年アニメ
制作から撤退。
・記念碑的な「太陽の子ホルスの大冒険」
東映は動画から撤退したが、大きな置き土
産を残した。この作品は後年スタジオ・ジ
ブリの中心となる高畑勲が監督、宮崎駿
が作画を担当する。1968年のことである。
・1970年代のアニメ界
1978年鈴木敏夫月刊・アニメージュ創刊
(後年、スタジオ・シブリの社長へ)
1979年宮崎駿初監督「ルパン三世カリオスト
ロの城」制作(東京ムービー新社)
60年代後半から70年代にかけて巨大ロボッ
トものメガアクションが一時代を築く。(海外も
注目)
70年代後半
東映動画「銀河鉄道999」
虫プロダクション「宇宙戦艦ヤマト」でブーム
3.スタジオ・シブリの登場
(1)風の谷のナウシカ
スタジオ・シブリ設立直前の1982年鈴木敏夫
の発案で宮崎駿が「ナウシカ」の原型漫画を
書き、月刊「アニメージュ」に掲載。
1984年プロデューサー高畑勲、監督・宮崎駿
後年「新世紀エバンゲリオン」(1995)の監督を務め
た庵野秀明が助手として、制作・公開し、
観客動員数91万人、興行収入12億円(当時として
は記録的)と成功を収める。
(2)スタジオ・ジブリの誕生
「風の谷のナウシカ」の成功で翌1985年東京・吉
祥寺にスタジオ・ジブリ設立。(徳間書店が
出資)
ジブリの作品にはそれぞれ違ったメッセージ性が
あり(大塚英志)、あらゆる層の国民から愛される
ことで国民映画とまで言われるようになる。
メッセージ性とは
「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」=エコロジー
「となりのトトロ」ノスタルジー(古き良き日本)
「ハウルの動く城」時代閉塞と高齢化への不安を
メッセージ化
(3)スタジオ・ジブリの作品と興行成績(主なも
の)
千と千尋の神隠し(2001) 304億円 2350万人
ハウルの動く城(2004) 196億円 1500万人
もののけ姫(1997)
193億円 420万人
「千と千尋の神隠し」はベルリン映画差愛グラン
プリ、2002年アカデミー賞長編アニメ部門賞受
賞
4.海外におけるジャパニメーション
(1)アニメ輸出の初期
「鉄腕アトム」以降、輸出先はアメリカ中心。約
半数を占める。1963年アメリカで放映が最初。
以降、フィリピン、韓国、南米、欧州各国、豪州
ロシアにも輸出。
「ジャングル大帝」「エイトマン」「宇宙戦艦ヤマ
ト」等アメリカ中心に放映
(2)海外での高い評価のキッカケ
1989年12月アメリカで大友克洋「AKIRA」
公開。その芸術性に高い評価が集まる。その
後ヨーロッパでも公開され、同様の評価を受
ける。
1999年「ポケットモンスター」アメリカで大ヒッ
ト。世界各地にヒットが広まる。
1995年以降、TVアニメも輸出が盛んになる。
「ドラゴンボール」「セーラームーン」など。
日本アニメの世界進出はその後も続き、世界
市場の65%を占めるに至る。
(3)日本アニメの各国の状況
・ヨーロッパ諸国
TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」
(日本で1974年に放送。制作にあたって行わ
れた現地調査には高畑勲や宮崎駿も参加)
TVアニメの海外進出で草分け的存在。
ヨーロッパ各地で放送され、日本アニメに子ど
も達が慣れ親しむようになり、今日の日本アニ
メブームの下地になったと思われる。
・北米市場
日本製アニメ「赤毛のアン」北米で放送。
2005年には日本のCS放送で英語版が
放送されるという現象も起きている。
・中国の状況
厳しい輸入規制と2006年6月からアニメ放
映の6割以上を国産アニメとする法律。
しかし、中国の若者の実態は日本アニメ「一
休さん」「銀河鉄道999」「スラムダンク」「キャ
プテン翼」などで育った。
(私自身が2006年6月北京・清華大学で調
査)
(4)フランスでのジャパンエキスポ開催
フランスでは日本文化としての「MANGA」
「OTAKU」ブーム下にある。
日本アニメや漫画の」翻訳本が盛んに売れている。
2006年夏パリで開催された日本のポップカル
チャー紹介の「ジャパンエキスポ」では3日間に5万
人以上来場。フランスでは日本漫画を扱う出版社が
20社近くある。
19世紀後半ゴッホやマネに影響を与えた浮世絵な
どのブームを第一次ブーム、今日のブームを第二
次ブームと呼ぶ人もある
5.ジャパニメーションの最近動向
(1)アニメ映画の最近
デジタル技術の進化で、少人数、短期間
安価で制作可能となった。
こうした状況下で個人作家が次々登場。
新海誠「ほしのこえ」は
代表格。商業的にも
成功。劇場公開、
TV放映、DVD販売も
果たす。
(2)web公開の動画
短編アニメのweb公開も盛んとなっている。
ラレコ「やわらか戦車」
映画制作現場はクリエー
ターが安く使われ、報わ
れない構造。権利を守る
ため一人で作るという声も多い。コンテンツ
促進法等による保護育成が十分機能してい
ない。
(2)漫画・アニメの今後
漫画・アニメの海外評価は高いにもかかわらず、雑誌の売
上は減少(雑誌が単行本の売上よりも多かったが、2005
年に逆転。以来この傾向は続いている。2005年に両者合
計5023億円あった売上が2011年には3903億円まで落
ち込んでいる。但し電子コミックは2011年514億円ある。)
・雑誌が読者にとって漫画の入り口ではなくなった。
・映画やドラマでの話題性の漫画が読者を得る
・作品発表や新人育成の場としての雑誌の役割終焉を迎
えつつある。→webやコミックマーケット、
コンテンツ支援産学協同プログラム下の大学などにそうし
た場が移っていく可能性。