HAYABUSAMUSES━C

HAYABUSA
(MUSES-C)
文京区立誠之小学校
6-3ー31 浜 島 泰 文
は
じ
め
に
6月13日、7年間で60億kmも
旅をした小惑星探査機「はや
ぶさ」が地球に帰ってきました。
はやぶさ」は2003年5月に打
ち上げられ、地球と火星の間
にある小惑星イトカワを調べ、
イトカワの物質を持ち帰ること
が目的でした。2005年9月にイ
トカワに到着して観測を行い、
さらに11月にイトカワの表面に
2回着陸しました。
しかし、様々なトラブルが発
大気圏に突入する「はやぶさ」の火球。オーストラリアで。
生し、技術者達のねばり強い
努力と工夫によって危機を乗り越えてきました。地球に帰還したのは、 イトカワの物質が入っている
可能性のある「カプセル」だけで、 「はやぶさ」本体は大気圏へ突入する時に
燃え尽きました。
ウーメラ砂漠に着陸した、「は
やぶさ」の中華鍋型カプセル
このニュースは、サッカーのワールドカップと時を同じにして、日本中の人
を感動させました。ぼくもテレビや新聞で、このニュースを夢中になって見ま
した。それから、この「はやぶさプロジェクト」に参加していた惑星科学者の廣
井孝弘博士から直接話を聞く機会がありましたので、夏休みの自由研究の
テーマに選びました。
はやぶさプロジェクトとは
探査ミッションの概要
「はやぶさ(MUSES-C)」ミッションで探査する天体は、近地球型とよばれる小惑星「イト
カワ」です。私たちはこの計画をとおして、小惑星から表面の物質(サンプル)を地球に
持ち帰る技術(サンプル・リターン)を確立します。地球上でサンプルの分析が行えるた
め、回収される量が少なくてもその科学的意義は極めて大きいものとなります。
今までのサンプル・リターン計画は、非常に大型のロケットが必要とされることから断念
されてきましたが、より到達しやすい小惑星が見出されたことや、探査機の推進機関(エ
ンジン)の高性能化により、実現可能となりました。「はやぶさ」はこれらの最先端の工
学的技術を習得することに焦点を当てたミッションです。
なぜ小惑星をめざすのか
小惑星は惑星が誕生するころの記録を比較的よくとどめている化石のような天体で、この
サンプル・リターンが確立されれば、「惑星を作るもとになった材料がどんなものか」
「惑星が誕生するころの太陽系星雲内の様子はどうか」についての手がかりが得られるの
です。また地球上でサンプルの分析が行えるため、回収される量が少量であってもその科
学的意義は極めて大きいといえます。
小惑星「イトカワ」とは
小惑星イトカワは、地球の軌道と交差する典型的な地球接近小惑星です。日本のロケット
の生みの親である故糸川英夫博士にちなんだ名前です。
小惑星探査機「はやぶさ」の開発に関わった人たち
プロジェクト・チーム
プロジェクトマネー
ジャ
川 口 淳一郎
近赤外分光器
安 部 正 真
サイエンス
吉 川
真
カ メ ラ
齋 藤
イオンエンジン
國 中
均
ターゲットマー
カー
潤
澤 井 秀次郎
サンプラー
矢 野
創
ミネルバ
吉 光 徹 雄
は や ぶ さ 探 査 機
質量:約510kg
形状:約1m×約1.6m×約2m
太陽電池パドルの端から端まで5.7m
イオンエンジン
キセノンというガスをプラズマ化して高速で
吹き出すことで軌道を制御する。太陽電池
で発電した電力がエネルギー源となるため、
軽い質量で大きな加速を得ることができる。
は や ぶ さ の 旅 立 ち
2003年5月9日、「はやぶさ」は内之浦宇宙
空間観測所からM-Vロケット5号機によって
打ち上げられた。最初の1年間は地球の軌
道とあまり変わらず、この間にイオンエンジ
ンを吹き続ることでエネルギーを蓄積した。
地球スイングバイからイトカワ到着まで
地球スイングバイ
打ち上げられてから約1年後の2004年5月19
日、「はやぶさ」はスイングバイをするため
に太平洋上空にいた。スイングバイとは、地
球の引力を利用して、他の星の軌道へ移動す
ることをいう。その後「はやぶさ」は地球の
軌道から離れ、小惑星イトカワの軌道に乗り
移った。
スイングバイの時に撮影された地球
イトカワの写真撮影成功
2005年7月29日、スタートラッカ(星姿勢計)による、
初めての小惑星イトカワの写真撮影に成功した。
イトカワ到着
スタートラッカによって撮影されたイトカワ
2005年8月28日、打ち上げ以来、ほとんどの期間にわ
たって運転を続けてきたイオンエンジンを止めた。そ
して、2005年9月12日、「はやぶさ」は小惑星イトカ
ワに到着した。
小 惑 星 イ ト カ ワ
はやぶさ最大ミッション
タッチダウン
観測とタッチダウン候補地決定
はやぶさが持っている可視分光撮像カメラ(AMICA)、近赤外分光器(NIRS)、蛍光X線ス
ペクトロメータ(XRS)、レーザ高度計(LIDAR)を使って、タッチダウン準備のためにいろ
いろな観測をしました。タッチダウン候補地は、ポイントA“ミューゼスの海” (ラッコ
の首の部分)とポイントB“ウーメラ砂漠”(ラッコのお尻の部分)に決まりました。
タッチダウン・リハーサル
2005年11月4日に1回目のリハーサルを、9日に航法誘導試験を、12
日に2回目のリハーサルを行って、さまざまな確認と候補地のクロー
ズアップ写真の撮影をしました。
タッチダウン1回目
1 回 目
2005年11月20日
はやぶさはイトカワから約1kmの地点から降下を開始し、高度40m付
近でターゲットマーカの投下に成功しました。こうして、88万人の名
前が入っているターゲットマーカを無事イトカワに届けることができ
たのです。その後、予定ではイトカワの表面に触れた直後に離脱する
はずだった「はやぶさ」が、着陸していたことが分かりました。また、
表面の物質を採取するために発射される弾丸が発射されませんでした。
しかし、「はやぶさ」は、地球と月以外の天体から離陸した人類初の
宇宙機となったのです。
タッチダウン2回目
タッチダウンの想像図
2005年11月26日
イトカワから約1kmの地点から降下を開始し、 1回目のタッチダウ
ンと同じ場所に順調に接近し、予定通り表面に接地して弾丸が発射さ
れ、「はやぶさ」はサンプルを持って飛び立ったと思われました。
2 回 目
はやぶさのトラブルと地球帰還
トラブルと帰還延期
「はやぶさ」は、イトカワから離陸後、化学エンジンからの燃料漏洩とエンジンの機能
が復旧できない状態が続きました。また、姿勢変動を生じたために、 12月9日から翌
2006年1月23日まで通信を絶ちました。これにより2007年6月に地球に帰還させるこ
とは難しくなって、飛行を3年間延長して、2010年6月に帰還させる計画へと変更
することとしました。
はやぶさの地球帰還
2007年1月18日 資料容器のカプセル収納・蓋閉め運用完了
2007年2月 イオンエンジンの再点火
2007年4月25日 地球帰還に向けた本格巡航運転開始
2007年10月18日 第1期軌道変換完了・イオンエンジン停止
2008年5月末 地球から最遠に到達
2009年2月4日 第2期軌道変換開始・イオンエンジン再点火
2009年11月4日 イオンエンジンに異常発生
2009年11月19日 2台のイオンエンジンを組み合わせて推進力確保
2010年3月27日 第2期軌道変換完了・イオンエンジンの連続運転終了
2010年4月~6月 再突入に向けた軌道修正
2010年6月13日 地球帰還・カプセル回収
ミ ッ シ ョ ン 達 成 度
【達成!】電気推進エンジン 稼働開始(3台同時運転は世界初)
【達成!】電気推進エンジン ある期間(1000時間)稼働
【達成!】地球スウィングバイ成功(電気推進によるスウィングバイは世界
初)
【達成!】(自律航法に成功して)イトカワとランデブー成功
【達成!】イトカワの科学観測成功
【達成!】イトカワにタッチダウンしてサンプル採取
【達成!】カプセルが地球に帰還、大気圏に再突入して回収
【
?
】イトカワのサンプル入手
泰文インタビュー
(^:^)
惑星科学者 廣 井 孝 弘 博士
7月7日、川崎の母の友人宅のホームパーティに、ぼくは
両親に連れて行ってもらって、 「はやぶさ」のDVDを見ま
した。そこには、ボストン在住で今回の「はやぶさプロ
ジェクト」に参加されていた惑星科学者の廣井孝弘博士も
来られていました。「はやぶさ」がイトカワに届けたター
ゲットマーカには、廣井博士とご家族の名前も入っていた
そうです。
ホームパーティで廣井博士と
廣井博士にはぼくは去年もたいへんお世話になりました。
夏休みの自由研究で「皆既日食」について調べたのですが、
その時も指導していただきました。今年も「はやぶさ」に
ついて、インタビューをさせていただくことになりました。
廣井博士は今回の「はやぶさプロジェクト」に、どのように関わられたのですか?
私は1985年に開かれた小惑星サンプルリターン小研究会に、当時学生として出席した後、1990
年にアメリカに行ってからも小惑星と隕石の関係を日本人としてただ一人孤独に研究してきま
した。1999年ころ、MUSES-C計画のことを知り、藤原顕先生に連絡したところ、当時計画され
ていたJPL製作のローバーの近赤外分光器チームに参加して欲しいと依頼されて、はやぶさ計
画に参入しました。ローバーは中止になりましたが、その後、はやぶさ本体の近赤外分光器
(NIRS)チームに加わって参加しました。
JAXAのホームページに、プロジェクトで近赤外分光器を担当した安部正真さんの話が載って
いました。イトカワの表面の物質は一様であり、「普通コンドライト」という隕石に近いことが、
分光器で分かったと言っていました。こういうことを基にして、科学者はこの小惑星がどうやっ
てできたのかを研究していくのですか?
近赤外分光器
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それでは、たくさんある小惑星の中から、何故「イトカワ」が選ばれたのだと思われますか?
最初はネレウスという天体に行こうとしたのですが、打ち上げが延期になって、1989MLという小
惑星に代わり、最終的に1998SF36(イトカワ)に変更になりました。はやぶさは工学衛星であり、
イオンエンジン航行や試料回収などの技術を実証するために小惑星に行くので、小惑星を選ぶ基
準は、M-Vロケットとはやぶさ本体の推力で往復飛行可能な小惑星に限られるので、小惑星の軌
道と地球からそこへ行くときの出発および帰還時期が適切かどうかで選ばれました。しかし、結
果的に、イトカワは小惑星帯に豊富にあるS型という小惑星で、私もよく研究していた天体だっ
たので、とても幸運でした。
イトカワは星(小惑星)なのに球形ではなく、ラッコのようなヘンテコな形をしていると知って
びっくりしました。このように球形ではない星はたくさんあるのですか?
小さい天体は重力が小さいので、普通球
形にはなりません。大きな天体は全体と
して球形になりますが、細かく見るとで
こぼこしています。地球でも、±10kmく
らいの凹凸がありますね。イトカワは
たった500mの長さなので、小さい山が宇
宙に飛び出したと考えてもらってもいい
ですね。
おもしろい形の小惑星
ガスプラ
マチルダ
エロス
廣井先生の名前ついた小惑星があるとお聞きしましたが、その小惑星について紹介してください。
この小惑星は廣井博士が発見されたのですか?
小惑星には発見者が自分の名前をつけることは出来ません。その代わり、他の人の名前など、好
きな名前を申請して認可を受けます。私の名前がついた小惑星(4887)タキヒロイは、ボビー・バ
ス博士という天文学者が発見し、ワシントンにあるスミソニアン自然史博物館のティム・マッコ
イ博士に隕石学者の名前を付けたいと相談し、私の名前が出たのです。
「アンパンマン」という名前の小惑星があると聞きましたが、僕の名前を小惑星につけることは
できますか?
上述のように、発見した人などがそれを申請して、国際天文連合が認可すれば可能です。
何か功績がないと、僕の名前では国際天文連合が認可してくれないですね。廣井博士はすごい科
学者だということが改めて分かりました。アンパンマンにどんな功績があったのでしょうねぇ?
(これは独り言)
廣井博士は今、ブラウン大学でどのようなことを研究されていますか?
隕石がどの小惑星から来たかを知るために、小惑星の表面からの太陽光の反射を様々な色
(波長)に分けたグラフを作り、それと同様な隕石の測定と比べています。それを、月や
火星からの隕石についてもやれます。
> 7、廣井先生のプロフィールと「はやぶさ2」について紹介していただけますか
履歴書を添付しましたので、適当に抜粋なりしてください。
はやぶさ2については、JAXAから資料が出ていると思いますが、2014年に衛星を打ち上げ
て、小惑星1999JU3から試料を回収して、2020年に帰ってくる計画です。この小惑星は、イ
トカワとは違い、炭素・含水鉱物・有機物などを含む炭素質コンドライトという隕石に似
ていると考えられています。
あまり字数は多くないと思いますが、これをもとにまた質問してください
廣井孝弘(ひろい・たかひろ)博士プロフィール
昭和35(1960)年、岐阜県各務原市生まれ。昭和63年、東京大
学大学院理学系研究科鉱物学専攻博士課程修了。理学博士。平成3年、
米国ブラウン大学研究員。平成6年、 NASAジョンソン宇宙センター研究
員。平成9年、ブラウン大学惑星地質内のNASA-Keck反射率実験室
(RELAB)の上級研究解析士及び、同大学惑星地質の上級研究員。
お
わ
り
に
はやぶさ地球帰還
6月13日、オーストラリアウーメラ立ち入り制限区域にカ
プセルを投下して、「はやぶさ」本体は燃え尽きました。こ
のとき「はやぶさ」は地球の姿を写真に収めました。ほとん
ど真っ黒でしたが、最後の写真(右)がギリギリ地球の姿を
とらえていました。
はやぶさのカプセルの中身
2010年7月5日 相模原キャンパス内のキュレーションセンターで、6月24日から開始しまし
た「はやぶさ」のサンプルコンテナの開封作業において、微粒子の存在を確認しました。
はやぶさ2のことを書く
最後に、この自由研究は、JAXAのホームページとNewton別冊「探査機はやぶさ
7年の全奇跡」や月刊星ナビ7月号「『はやぶさ』の帰還」などを参考にしました。また、
使用した画像は、JAXAのホームページのものを用いました。
廣井先生は今回の「はやぶさプロジェクト」に、どのように関わられたのですか?
私は1985年に開かれた、小惑星サンプルリターン小研究会に、当時学生として出席した後、
1990年にアメリカに行ってからも小惑星と隕石の関係を日本人としてただ一人孤独に研究
してきました。1999年ころ、MUSES-C計画のことを知り、藤原顕先生に連絡したところ、
当時計画されていたJPL製作のローバーの近赤外分光器チームに参加して欲しいと依頼さ
れて、はやぶさ計画に参入しました。ローバーは中止になりましたが、その後、はやぶさ
本体の近赤外分光計(NIRS)チームに加わって参加しました。
たくさんある小惑星の中から、何故「イトカワ」が選ばれたのだと思われますか?
最初はネレウスという天体に行こうとしたのですが、打ち上げが延期になって、1989MLと
いう小惑星に代わり、最終的に1998SF36(イトカワ)に変更になりました。はやぶさは工
学衛星であり、イオンエンジン航行や試料回収などの技術を実証するために小惑星に行く
ので、小惑星を選ぶ基準は、M-Vロケットとはやぶさ本体の推力で往復飛行可能な小惑星
に限られるので、小惑星の軌道と地球からそこへ行くときの出発および帰還時期が適切か
どうかで選ばれました。しかし、結果的に、イトカワは小惑星帯に豊富にあるS型という
小惑星で、私もよく研究していた天体だったので、とても幸運でした。
イトカワは星(小惑星)なのに球形ではなく、ラッコのようなヘンテコな形をしていると
知ってびっくりしました。このように球形ではない星はたくさんあるのですか?
小さい天体は重力が小さいので、普通球形にはなりません。大きな天体は全体として球形
になりますが、細かく見るとでこぼこしています。地球でも、±10kmくらいの凹凸があり
ますね。イトカワはたった500mの長さなので、小さい山が宇宙に飛び出したと考えても
らってもいいですね。