時代小説の冒頭表現

時代小説の冒頭表現
野浪 正隆(大阪教育大学)
物語的文章の冒頭表現の機能
背景・人物を設定する
読者を引きつける
これだけか?
物語的文章の冒頭表現 の分析方法
叙述分析は、文ごとに、
叙述法(どのように書いているか)
叙述内容(何が書かれているか)
について行う。
叙述法の分析
叙述法は、「描写」「記述」「説明」「評価」
に分ける。一つの文全体が一つの叙述
法で書かれている場合もあるが、そうで
ない場合は、文を部分に分けて、行う。
4種類の叙述法ー1
描写
一回的瞬時の事態を感覚によってとらえたようにして述べ
る叙述法。拙稿「描写論のために」「国語表現研究」4号
(国語表現研究会)平.3.12を参照いただきたい。
例「雨が蕭々と降っている」「留鳥の二羽の航跡重なりて」
記述
要約的描写。長時間にわたる事態を要約して述べる叙述
法。
例「昨日遠足に行った」「日本は経済成長後、その後始末
に追われている」
4種類の叙述法ー2
説明
ものごとの機能・属性・所属・解釈等の判断を述
べる叙述法。
例「彼は学生だ」「この薬で熱が下がるはずだ」
評価
ものごとに対する評価を述べる叙述法。
例 「彼はハンサムだ」「彼は優秀だ」
1-1.藤沢周平「蝉しぐれ」の冒頭表現分析1
文
1
本文
描写
記述
海坂藩普請組の組屋敷には、ほか
の組屋敷や足軽屋敷には見られな
い特色がひとつあった。
組屋敷
小川
2
組屋敷の裏を小川が流れていて、
組の者がこの幅六尺に足りない流
れを至極重宝にして使っていること
である。
3
城下からさほど遠くはない南西の方
角に、起伏する丘がある。
丘
小川はその深い懐から流れくだる
幾本かの水系のひとつで、流れは
ひろい田圃を横切って組屋敷があ
る城下北西の隅にぶつかったあと
は、すぐにまた町からはなれて蛇行
しながら北東にむかう。
小川
4
説明
組の者
の行動
ことであ
る
小川
評価
1-1.藤沢周平「蝉しぐれ」の冒頭表現分析2
文
5
6
7
本文
末は五間川の下流に吸収されるこ
の流れで、組屋敷の者は物を洗い、
また汲み上げた水を菜園にそそぎ、
掃除に使っている。
描写
浅い流れは、たえず低い水音をた
てながら休みなく流れるので、水は
澄んで流れの底の砂地や小石、時
には流れをさかのぼる小魚の黒い
背まではっきりと見ることが出来る。
砂地や
小石
だから季節があたたかい間は、朝、
小川の岸に出て顔を洗う者もめずら
しくはない。
記述
組の者
の行動
説明
小川
小川
小魚の
黒い背
組の者
の行動
評価
1-1.藤沢周平「蝉しぐれ」の冒頭表現分析3
文
本文
8
9
10
記述
説明
市中を流れる五間川の方は荷船が
往来する大きな川で、ここでも深い
ところを流れる水面まで石組みの道
をつけて荷揚げ場がつくってあり、
そこで商家の者が物を洗うけれども、
土質のせいかそれとも市中を流れ
る間によごれるのか、水は大方に
ごっている。
五軒川
五軒川
その水で顔を洗う者はいなかった。
人物行
動
そういう比較から言えば、家の裏手
に顔を洗えるほどにきれいな流れを
所有している普請組の者たちは、こ
と水に関するかぎり天与の恵みをう
けていると言ってもよかった。
描写
そういう
比較か
ら言え
ば、
評価
天与の
恵み
1-1.藤沢周平「蝉しぐれ」の冒頭表現分析4
文
11
本文
組の者はそのことをことさら外にむ
かって自慢するようなことはないけ
れども、内心ひそかに天からもらっ
た恩恵なるものを気に入っているの
だった。
12
牧文四郎もそう思っている一人であ
る。
13
文四郎は玄関を出ると、手ぬぐいを
つかんで家の裏手に回った。
14
万事に堅苦しい母は、家の者が井
戸を使わず裏の流れで顔を洗うの
をはしたないと言って喜ばないけれ
ども、文四郎は晴れている日はつい
外に気をひかれて小川のそばに出
る。
描写
記述
組の者
の心理
主人公
心理
主人公
行動
人物行
動
主人公
行動
説明
評価
1-1.藤沢周平「蝉しぐれ」の冒頭表現分析5
文
本文
15
父だって時どきは小川で顔を洗い、
大声で近隣の者と挨拶をかわしたり
するのだからかまわないだろうと
思っていた。
主人公
心理
文四郎は牧の家の養子で、母親が
実父の妹つまり叔母なのだが、文
四郎はどちらかというと堅苦しい性
格の母親よりも、血のつながらない
父親の方を敬愛していた。
主人公
心理
父の助左衛門は寡黙だが男らしい
人間だった。
主人公
心理
16
17
描写
記述
説明
評価
主人公
身分
男らしい
人間
1-1.藤沢周平「蝉しぐれ」の冒頭表現分析6
文
18
19
本文
普請組の組屋敷は、三十石以下の
軽輩が固まっているので建物自体
は小さいが、場所が城下のはずれ
にあるせいか屋敷だけはそれぞれ
に二百五十坪から三百坪ほどもあ
り、菜園をつくってもあまるほどに広
い。
そして隣家との境、家々の裏手には
欅や楢、かえで、朴の木、杉、すも
もなどの立木が雑然と立ち、欅や楢
が葉を落とす冬の間は何ほどの木
でもないと思うのに、夏は鬱蒼とし
た木立に変わって、生け垣の先の
隣家の様子も見えなくなる。
文四郎が川べりに出ると、
隣家の娘ふくが物を洗っていた。
20
描写
記述
組屋敷
主人公
行動
人物行
動
説明
組屋敷
評価
1-1.藤沢周平「蝉しぐれ」の冒頭の構成
1~20文は、大きく四つに分かれる。
1-11文 小川と組屋敷の者の関係を主に
説明する
12-17文 主人公と父母の関係を主人公の
心理記述で示す
18-19文 組屋敷の様子を説明・記述する
20文
主人公の行動を描写し、主人公の視
点で他の人物の様子をとらえる
1-2.山手樹一郎「花笠浪太郎」の冒頭表現分析1
№
本文
描写
記述
1 浅草雷門を自の前にひかえた並木町通り、観
音さまのおかげで盆も正月もなく一年中人出で
にぎわう町筋である。
説明
並木
町通り
2 早春の晴れた八ツ(午後二時)下がり、変名を
花笠浪太郎、つまり、あってもなくてもいい流れ
者だと自分からとぼけてしばらく田舎へ身をの
がれていた慎太郎は、すっかり田舎浪人になり
きって、三年ぶりでぶらりと江戸の地を踏むと、
足は田舎者らしく自然と観音さまへと向いてい
た。
時
3 そして、さすがに繁盛の地だなと感心してぽか
んと人の流れをながめて歩いているのだから、
これが三年前までは江戸の旗本の子弟の中で
も相当秀才として知られ、三男坊だから養子の
口が降るようにあった青年だとは、ちょいとだれ
も気がつくまい。
主人公
行動
主人公
心理
主人公
行動
主人
公身
分
評価
1-2.山手樹一郎「花笠浪太郎」の冒頭表現分析2
№
本文
4 「こらっ!」
描写
記述
説明
評価
会話
5 どこかでそんな声がしたと思うと、そ 人の流
の人の流れが前方から急に波立ち れ
はじめた。
6 と見る間にその入ごみの中を泳ぐよ 人物行
うにくぐり抜けてきたつぶし島田の
動
水際だった年増女が、
「助けてください」いきなり慎太郎の 会話
胸へどすんと体ごとぶつかってきて、
むらがるような脂粉の香を振りまき
ながらするりと背後へすり抜け、男
の体を盾にとるようにして腰へつか
まってしまった。
行動
水際
だった
1-2.山手樹一郎「花笠浪太郎」の冒頭表現分析3
№
本文
描写
7 「まてっ、女」
会話
8 とたんに、往来の者を突きのけかき
分け、血眼になって慎太郎の前へ
飛び出してきたのは勤番者と見える
二人づれで、「じゃまだ、貴公、どい
てくれ」先に立ったのっぽの方が、
どううろたえたか、いまにも抜刀しそ
うなかっこうをするのである。
人物行
動
会話
人物行
動
記述
説明
評価
1-2.山手樹一郎「花笠浪太郎」の冒頭部分の構成
1-8文は二つの部分に分かれる。
1-3文 記述・説明によって、場所・時間・主
人公を設定する
4-8文 描写によって場面を立ち上げ、主人
公以外の登場人物の設定を含みつつ、行動・
会話描写によって、事件を展開していく部分。
視点人物を設定する。読者を引きつけるため
に、情報を伏せておくことによるサスペンスを
作り・追加し・解消する