金子みすず

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175089
吉井
閑瑠
*
大正時代末期から昭和時代初期にかけ
て活躍した童謡詩人。
本名は、金子 テル。
みすゞというペンネームは、信濃の国
の枕詞、みすずかるという言葉の響き
が好きでつけた名前である。
大正末期から昭和初期にかけて、26
歳の若さでこの世を去るまでに512
編もの詩を綴ったとされる。
*1903年(明治36年)
4月11日、山口県
大津郡仙崎村(現長門市仙崎町)に生まれ
る。
父庄之助、母ミチ、祖母ウメ、兄堅助、弟
正祐の祖母の6人家族で暮らしていたが、
みすゞが3歳の時、父が死亡。
生まれて間もない弟は、下関で上山文英堂
書店を営んでいた母の妹夫婦の家へ養子と
してもらわれていった。
*働き手のいなくなった金子家は、上山
文英堂書店の後押しで仙崎でたった一
軒の本屋を始める。
テルの母はとても働き者で、子どもた
ちが立ち読みをしても決して叱らず、
むしろ本を読む子はえらいねと褒める
ような優しい人だった。
そんな母に育てられたテルは優しく、
本の大好きな少女へと成長する。
*テルが女学校2年の時、下関の上山文英堂書店の
伯母が亡くなり、主人とテルの母が再婚し、弟の
母となった。
テルは仙崎の祖母のもとに残り、女学校を卒業す
る。兄を手伝いながら店番をしていたが、兄が結
婚すると、下関の母と暮らし始め、上山文英堂書
店の支店の店番として働く。
詩が載っている雑誌には全て目を通し、西條八十
の童謡に心を躍らせ、「自分も童謡を書いてみた
い」と思うようになる。
*二十歳になった年の6月、西條八十が選者
をしている雑誌『童話』に投稿。
始めて書いて、始めて投稿した童謡、「お
魚」と「打出の小づち」が選ばれ、
『童話』9月号に掲載される。その後、1
0ヶ月の間で23編が選ばれた。
*23歳の時、テルは上山文英堂で手代格
だった夫と結婚。
しかし、文学に理解のない夫は、童謡を
書くことと、投稿仲間との文通を禁じた。
みすゞは3冊の手書きの童謡集『美しい
町』『空のかあさま』『さみしい王女』
を清書し、
一部を西條八十に、残りの一部を弟正祐
に送った後、創作の筆を断った。
*夫は家を空けることが多くなり、夫との
関係は更に辛いものになっていった。
心身ともに疲れたみすゞは「愛娘をみ
すゞ自身が育てること」を離婚の条件と
して離婚を決意。そして昭和5年2月、
離婚。当初、夫はこの条件を承諾したが、
後になって娘を返せと頻繁に手紙を送っ
て来る。
ついに昭和5年3月10日、娘を連れに
行くと言って来た。
自殺を図る。夫に宛てた遺書には、
「娘を連れて行きたければそれもよいでしょう。た
だ私は娘を心の豊かな子に育てたい。自分が母に育
ててもらったように、娘を母に育てて欲しいのです。
どうしてもというのなら、それは仕方がないけれど、
あなたが娘に与えられるのはお金であって、心の糧
ではありません。」
母への遺書には、先立つ不幸の詫びの言葉と、あと
に残す娘のことを頼む旨と
「今夜の月のように私の心も静かです」と書かれて
あったという。
*
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
*
みんなちがって、みんないい。
大きいもの
小さいもの
力の強いもの
力の弱いもの
有名なもの
無名なもの
有用なもの
無用なもの
見えるもの
見えないもの
すべてが 尊い ということ。
あなたは、あなたでいいということ。