東日本大震災 ~今、私たちに出来ること~

東日本大震災
~私たちが感じたこと~
東洋大学 ライフデザイン学部 人間環境デザイン学科
米山 恵太
横井 佐和子
大渕 瞳
南三陸町 志津川
見渡す限り瓦礫の山。
TVで見ていたのは切り取った一部分にすぎないと感じた。
南三陸町 志津川
車から見た風景
初めて感じた震災の爪あと
南三陸町 志津川
横転したSL
倒れてしまった電柱
南三陸町 志津川
壊れた橋と欄干
倒れた、津波被害記念碑
南三陸町 志津川
4階まで被害が及んだ病院
生活用品が至る所に見られた
南三陸町 志津川
瓦礫の撤去、修繕が行われてい
た道路も。
最後まで女性がアナウンスして
いた防災対策庁舎
南三陸町 ホテル観洋
車で少し高台のほうへ移動し
ホテル観洋さんへ
南三陸町 ホテル観洋
名取市 閖上地区
名取市 閖上地区
被災者のこめられた思い。
名取市 閖上地区
人々の生活の痕跡が残っていた。
仙台空港
滑走路が波にのまれた。日本の空港の大半が海岸沿いにあるのに津波対
策はなされているのでしょうか。
分かったこと
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防潮堤は津波を防ぐことはできないが津波
到達時間を遅らせることができる。
道路が防潮堤の代わりになる。
沿岸部には高台の逃げられる場所を、ある
一定のポイントにいくつかつくっておく必要
がある。
分かったこと
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町に人がいなくなってしまっている。子供も
教育関係の問題で隣町に行ってしまい、子
供のコミュニティが崩壊するとともに、これか
ら町を復興していく若者が減ってしまう。
産業の立て直し(漁業、農業)。作っても消
費者はいるのか不安。地元の住民ですら食
べない。
仮設住宅に入居すると生活費が全て自己
負担になってしまう。
分かったこと
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雇用がないと、何も始まらない。
継続的な支援が必要不可欠。
まとめ
住居
コミュニティ
産業